はてなキーワード: Jr.とは
スノトラで命を救われた方の沼落ちブログを読んで、私も命救われたしな…と思い、私もスノトラに対する気持ちをアウトプットしようと思いました。
嵐担なので地に落ちるまでの嵐に関するお話が長いです。
全体的にちょっと長めかもですがご容赦ください。
2019年1月27日、日曜日だった。私がその報道を見たのは確か18時ごろだったと思う。LINEニュースの速報だ。嵐が活動休止するのだという。
私は嵐が好きだ。担当は松本潤くん。彼のビジュアルから入ったものの、好きなところは数えきれず、ストイックさや直向きさ、とても可愛らしいところ、でも魅せ方をしっかりわかっているところなど挙げたらキリがない。
潤くんとの出会いは遡ること19年前。当時小学2年生だった私のクラスではみんながみんな嵐が好きだった。
そして、シャーロキアンの母の影響でミステリーが好きだった私は当然のように金田一少年の事件簿も好きだった。
レンタルビデオ屋に行けば専らディズニーか堂本剛の金田一を借りていた。
そうして二代目実写版金田一少年を見た私は、人生の生きがいに出会う。
しかしながら、それ以降は好きな芸能人を聞かれると、ほぼ毎回松本潤と答える程度で強くは追っていなかった。
追っていなかったものの、嵐が出ていたならばテレビは見たりしていた。
そんな私が、中学卒業から高校1年にかけて何のきっかけでもなく松本潤に強い感情を抱くようになる。中学では、松潤のこと好きだなと思う程度だった女が、ある日突然、嵐の大ファンになるのだ。こわい。親も驚いたと思う。
今考えると当時の嵐は10周年に向けて動いており、私も世間の熱気に当てられたのかもしれない。
それ以降は嵐が出ていたならばリアルタイムで見ていても録画をし、円盤に焼き、雑誌はほぼ全て買い、切り抜きしてファイリングし、ジャニーズショップにも足繁く通った。
また、当時はK2やA2、N3と言った掲示板全盛期でもあり、登下校時には毎日のように掲示板を見て楽しんでいた。アタス子とか覚えてる方いますか?
そうして、青春を嵐と共に過ごした私は事務所担寄りのオタクへと変質し、生き甲斐は松本潤、ひいては嵐となった。
時は過ぎ、高校卒業、大学入学、大学卒業を経て上京、就職、転職をし、嵐にめちゃめちゃ注力しているわけでもないが、やはり生き甲斐は潤くんであった、2019年1月27日。私は目の前が真っ白になった。
その頃にはもう嵐が大好きで仕方がなく、彼らがステージの上でキラキラした衣装を身につけて歌っているの見ると反射的に泣く程度にはクソデカ感情が育っていた。
あの日はちょうど埼玉での泊まり込みの出張最終日で翌日の朝に帰京し、事務所作業の予定だった。
出張中の移動は主にレンタカーなので、休憩に立ち寄ったセブンイレブンの駐車場で私はあの速報を見た。その日の仕事は22時半頃までだったが常に泣きそうな中、ふと緩んでしまうと泣いてしまう状態で仕事をした。
仕事が終わり、宿泊先のホテルに入った途端、封を切ったように、涙が出た。
その日は日曜日。翌日は月曜日である。つまりNEWS ZEROに櫻井翔が出るのだ。
最早、どうしたらいいのかわからなかった。人はショックすぎることがあると頭が真っ白になるというのは本当なんだと体感し、また泣いた。
一人で過ごすことはできなくて、28日の夜には私用で上京していた友達に、ZEROまでの時間、飲みに付き合ってもらった。
そして泣きながら見たZEROで櫻井翔は言ったのだ。有働さんに「復活はあり得ますか?」と聞かれた櫻井翔は答えた。「あり得ます。」と断言した。希望だと思った。
翌29日はちょうど仕事が休みだった。朝起きてまた泣いた。ボーッとつけていたワイドショーでその類の報道が流されまた泣いた。あの3日間は生まれた時以来、人生で一番泣いた日だったのではと思う。
私はやば目のオタクなので、潤くんが結婚した時など、嵐に関してショックな出来事があってもダメージを軽減しようと、常からイメージトレーニングをしていた。例えば、潤くんの婚約発表、披露宴、結婚記者会見、おそらく50年以上先にはなるだろうが一番辛い告別式などである。
ただその中で何よりも想定していなかったことが活動休止であった。嵐として5人が並ぶ日が来なくなるなど、微塵も考えていなかったのである。
そこから私の虚無の日々が始まる。多くの方もそうだろうが、私は辛い時には音楽を聞いたり、推しを見たりすることが多い。
しかし、今その辛い原因は他でもない私の生き甲斐なのだ。潤くんを見たところでまた泣いてしまう。嵐の曲を聞いたところでまたさらに泣く。
後押しして欲しい時にはファイトソングを聴き、辛いことがあればHappinessを聴いた。夏を感じた日にはSummer Splash!を聴き、気持ちの整理がつかない時には、感謝カンゲキ雨嵐を聴いた。
嵐によって開けられた穴は、他では代替えできないほどに大きなものだった。
嵐がSNSを始め、サブスクを解禁した時もそれはそれで嬉しかったが、やはり辛かった。
2021年なんてこなければいいと思ったし、もう全てがどうでも良かった。
嵐が活動休止する2020年12月31日までは前を向いて生きようと思っていたが、それ以降は本当にどうなろうが、どうでも良かった。
いくら櫻井翔が明言してくれたところで、希望があったとしても、やはり不安は拭えず、生き甲斐が例え一時的であっても無くなることの恐怖が強かった。
日を追うごとにその感情は強くなり、2021年以降の自分が全く想像できなくなった。
この頃は本当にたくさんの人に心配をかけたと思うし、ジャニオタでもないリア友からLINEやリプをたくさんもらった。今思うと、とてつもなく申し訳ない。
そんな風にカスみたいに生きていた時でも嵐がテレビに出ていれば当然見る。そうやって見ていた、あれからちょうど10ヶ月後の 2019年11月27日。その日放送のベストアーティストで私は天使に出会う。
当時、Jr.について詳しくは知らないものの、ジャニオタの端くれとして1月にSnow ManとSixTONESがデビューするらしいというのは知っていた。が、しかし私が知っていたのはSnow Manはラウールという単語のみで、 顔と名前が一致していたのは、B.I.shadowであった SixTONESの松村北斗と髙地優吾のみであった。
そんなほぼ無知な私が見たのは、D.D.のコココガチャで魅せ方をよく熟知した、金髪の、足の長い子だった。一目で目を奪われた。こんな子がいたのかという衝撃は凄まじく、やっとラウールという名前と顔が一致した私は、個性的な9人のメンバーに引っ張られ急転直下のスピードでSnow Manに落ちていく。
当時のSnow Manはデビュー前であり、未来があって、輝きに満ちていた。
楽しいと思った。嵐が決めたことや嵐を決して否定するわけではないが、後ろを向けば期日が見えていた推し事と、先が続いているような感覚を得られる推し事はやはり大きく違った。
もし、嵐が出ないのであれば見ることができないと思っていた2020年のカウントダウンコンサートも、それ以降の歌番組も、Snow Manが出るならば見ることができると思った。
全く見えなかった私自身の未来も同時に見えたような気がした。
そして友達に誘われ、Snow Man目的で見た素顔4で私はまた出会いを果たす。
私はディズニーが好きでパークに行きたくて上京した。そんな女なので当然ミュージカルも好きである。そしてTravis Japanの夢のHollywoodは非常にツボな曲であった。
楽曲と衣装が好きだなあと思いながら見ていた夢ハリで、センターの子がいきなり「みんなで一緒に〜!!」と会場に向けて煽り始めた。煽ること自体はおかしくもないが、その煽りの後に続いたのはコールアンドレスポンス等ではなく、タップダンスであった。タップダンスを!?みんなで一緒に!?!?と私は大層混乱した。混乱しながらもこれがきっかけでTravis Japanのダンス動画等を見るようになる。
今の時代は非常に素晴らしく、ジャニーズJr.のオリジナル楽曲でさえもYouTubeのジャニーズJr.公式チャンネルに上がっていたりする。しかも定点カメラのダンス動画だって上がっているのだ。すごい。
そこで私はTravis Japanがダンスに特化したグループだということ知った。
統率の取れたシンクロダンスや、ジャンルの幅広く取り入れられている振り、そしてしっかりと身についている歌唱力や、耳に残る歌詞に心奪われた。
そして来たる外出自粛期間。例に漏れずテレワークとなった私はTravis JapanのYouTubeの動画を全て見た。第一印象が「みんなで一緒に〜!」だった宮近海斗くんは時々ボケるのが可愛らしい、ダンスばりうまなリーダーだと知った。他にも才色兼備でたまにボケるのがまたかわいい川島如恵留くん、何をしてもかわいい上に自分で「俺かわいいから」と言って憚らない七五三掛龍也くん、顔が小さく手足が長いのにヒモ気質な中村海人くん、ボケ役なのにリアコ枠でふとした時にとてもかっこいい吉澤閑也くん、独自の感性をしっかりと持っているかわいいお顔の松倉海斗くん、魅せる時は魅せるのにちょっとおバカでかわいい松田元太くん。
そして思う。私、この子たちはちゃめちゃに好きだわ…と。
ところで、ジャニーズはブログをやっている。会員登録をし、月額料金を払えば所属タレントのうち、ブログが開設されている子のものは全て読めるのだ。ありがたい。
そこで嵐やSnow Manのブログを読んでいた私は、当然のようにTravis Japanのブログ、とらまるを読むようになる。
Travis Japanは甲乙つけがたいほどに7人全員が好きだと思ってしまい、いわゆる箱推し状態である。なのでとりあえず全員のブログを読む。当たり前である。
ブログを読み進めているうちに、川島如恵留くんの文面に興味をそそられるようになった。
如恵留くんの展開するアイドル観、勉強観、その他全てにおいて、人間として尊敬に値すると強く感じた。
さて、皆様は7月27日現在の最新の定期更新分は拝読済みだろうか。
最新の定期更新分で如恵留くんはこう書いている。
「貴方が辛い時に、生きていきたいと思える理由の一つに、僕らの存在が力になれたら」
それを読んだ時、ラウールやSnow Manに会えるまで2021年なんてクソだと思っていたこと、Travis Japanに会うまで全てがどうでも良いと思っていたことを、恥じた。
また、如恵留くんがそう言ってくれるなら2021年以降も生きようかなと思った。
結局生き甲斐だった嵐の穴は大き過ぎて、ひとグループじゃ埋められず、Snow ManとTravis Japanのふたグループに出会うまで埋め切ることはできなかったけれど、私は今とても楽しく生きているし、来年以降も楽しく生きることができるのだろうなと思う。
ラウール担として恥ずかしくないよう、ずっと二の足を踏んでいたダイエットにも取り組むようになったし、如恵留くんを見習って勉強をしようかなという気持ちにもなっている。
アイドルって本当にすごい。
私はきっと来年もアイドルを追うことができるのだろう。本当に楽しい。
アイドルによって開けられた穴はアイドルによって塞ぐことができるのだと体感した。
今現在も嵐、Snow Man、Travis Japanともに色々なことがあるし、このご時世、グループの存続に関して全く持って問題ないなんてことはなく、薄ぼんやりした不安を抱きながら日々を過ごしているけど、スノトラの16人に出会えるまでのことを考えると、なんてことはないなと思う。
毎日が楽しく、笑顔で過ごせる。私は今日もアイドルに生かされ、明日もアイドルのことを想うのだ。
嵐に色々あってから本気で死ぬことも考えたが、本当に生きていて良かったと思う。ありがとう、Snow ManとTravis Japan、そして嵐。本当に大好きです。
大橋和也くんがきになる。
私はもともと現関西デビュー組の担当をしていたので存在は知っていた。funky8の子だよね!くらい。
Jr.担なんてって思っていた。
現担当にズブズブとハマり見かけることも気にすることもなくなっていた。
オタク特有のあるある、なにわで選ぶとするなら誰?の問いに対して、わたしは藤原丈一郎くん!と答えていた。
実際見に行ってみると、そこには苺谷星空くんという最強エンターテイナーがいた。
前どこかで配信してた?ばりのトーク力、明るさ、おもしろさ、天然さ。すっごい素敵な人なんだって知った瞬間。
苺谷星空くんのいちファンとして、通知があればラジオ感覚で聴きに行くようになってたし、8.8では目の前にリフターで上がってきた大橋くんに対して、苺ちゃーん!なんて言ってた。
たまたま偶然が重なって、2020年1月の関ジュの京セラドームに入ることになった。関東Jr.の名義だったけど、席はアリーナでセンステまで3席程の遊びに行く!にしては近すぎた席。
そこで目にしたのはこれでもか!ってくらいライブを楽しんでいる大橋くんの姿。そんなに楽しい?って聞きたくなっちゃうほど。ずっと動いて跳ねて、笑って喋って踊って。目が離せなかった。
それから大橋くんの出演しているまいジャニ、なにわ結成前、結成後のライブ映像、引っ張り出せたものは全部出して見た。
小さい頃からダンスがうまいこと、思い切り歌っているハイトーンボイスの歌声はとっても聴き心地がいいこと、funky8の時の姫キャラ、何も考えていないようで一番周りが見渡せていること。
まだまだあるだろうけど、今まで知ろうとしてなかった大橋くんのことたくさん知った。
大橋和也くんが気になる。すごく気になる。
振替公演、楽しみだなあ。
先に言っておくが、私は自担を溺愛している。
Q.スキルが低いとは?
自担、Jr.時代からダンスが下手でいじられているが正直10年以上下手なままだぞ。
成長はしているし当時より確実に上手くなっている。
そして、本人もそれを認識している。
いや、直らないんか?これは。
でも残念ながら私はダンス経験など無いので何が下手、とかは言えないのだ。しかし、これはわかる。君は周りに比べたらたぶんあんまり上手ではない。
自担、グループ内ではとりあえずバラエティ班ということになってはいるが…。
ただ、本人がダンス下手キャラで笑ってる時点できっと直す気は無いんだろうなと思う。つらいな。これもエゴです。
ちなみに、顔もグループ内では割とイケメンキャラではない。私は自担なのでもちろん1番好きなんですけど。
わたしはなぜこのブログを書いているのだろうか。もういまさらわたしが口出しすることでもない。それでも今日が記念日ということに気づいてしまった。気づいてしまったのだからしょうがない。しょうがないことにしてほしい。
今日は、すこし特別な日なのだ。ほんのすこしだけれど。2年前までだったら、かなり特別な日だった。
うれしくて、ふわふわして、気持ちが浮いて、地に足もつかなくて、そんな日だった。だって、あなたたちの誕生日だから。あなたたちが生まれた日だから。あなたたちに名前がついた日だから。
ジャニーズJr.という世界は、このブログを読んでいる人が思っている以上に厳しいし、わたしたちが思っている以上にシビアだ。ジャニーズJr.に、約束などない。
たとえば、次のコンサートが終わると同時にグループが消されることもあるし、昨日まであったグループが突然消滅していたなんてこともある。酷いときはコンサート中に解散が発表される、なんてこともあった。正確に言えば「様々なグループから色々なジャニーズJr.を選抜してのデビューを発表した」になる。解散が発表される、とは少し違うがまあ同じようなものだ。ジャニーズJr.とは、そういうものだ。
わたしはそれを去年の1月に知った。知識としてそういうことがあったことは知っていたし、実際に突然干されてそのまま全員で退所していった一部始終も見ていた。5人グループが6人グループになったところも見ていたし、名前が突然変わったところも見ていたが、まさか自分がその当事者になるなんて思っていなかった。わたしはあの日、突然渦中の人物になった。大好きだったグループの、愛していたグループの突然のメンバー加入発表。増員発表。
ジャニーズJr.に「絶対」がないことは知っているつもりだった。覚悟もしていたつもりだった。でも、だけど、それは「つもり」でしかなかった。心のどこかで(そんなことが起こるのは人気のあるメンバーだけだし、デビュー路線にのったグループだけだ)と思っていた。はっきり言ってしまうと、わたしが応援していたひとは人気というわけではなかった。アンチはいないけど、ファンも少ない。そんなひとだった。グループとしてもデビュー路線から少しずつ外れ、舞台班としての道が見えていた。わたしは当然そちらに進むものだと思っていたし、ファンとして最低なことを言うと舞台班になることを祈っていた。一年に一度大きなツアーがあるだけなんてわたしには耐えられなかった。毎月毎月会わないと、生で見ないと息ができなくなってしまうのではないかと錯覚するほど毎月現場があったからだ。
あぁ、わたしはなんて馬鹿なんだろう。こんな記事を書くのだからと、久しぶりにあなたたちのプレイリストにしたのが間違いだった。想いのつまった曲が流れ始めてしまった。つらいなぁ。だいすきだったんだ。愛していたんだ。わたしがかけられるだけの時間もお金もかけてきたつもりだった。それじゃ、不満だったのか。まぁ、当然か。生活がかかっているわけだし、いつまでも「アルバイト」のようなジャニーズJr.という不安定な立ち位置で満足なんかできないだろう。「正社員」に近いデビュー組を目指すのは当然だ。
あなたたちは、この曲をどんな気持ちで歌ってくれたの?歌詞に自分たちの名前を入れて、ペンライトは誰のメンバーカラーでもない白にして、おたくが踊れるような振りにしてくれた。涙を浮かべて歌ってくれたあの景色は嘘だったの?
涙で滲む約束は、あなたたちで果たしてほしかったのに。人数が変わってしまったら意味がなかったのに。もう少しなんて言わなくたって、ずっとそばにいるつもりだった。手を離したのはどちらなんだろうか。まあ、当然わたしなのだ。だってまだそばにいる人はたくさんいるのだから、わたしがあの増員に耐えられなかったのはわたしの責任なのだ。わたしが悪い。
「気持ちが強すぎた」なんてそんなことは口が裂けても言わない。わたしが単純に聞き分けの悪いお子ちゃまだった、それが正解なのだから。
ただ、わたしの生活にはあまりにもあなたたちが入りこみすぎた。四季折々共に過ごしてしまったから、春にも夏にも秋にも冬にもどの季節にも思い出がある。いまだに聞けない音楽がある。行けない劇場がある。言えない言葉も聞きたくない言葉もたくさんある。
だけど、時間というものは残酷だ。出来事というものはその瞬間に記憶になる。記憶は思い出になり、思い出はいつか薄れてなくなっていく。そういうふうにできているのだ。なんて残酷なのだろうか。あなたたちと過ごした思い出も、苦しんだあの日々も、ぜんぶいつかは消えてしまう。たとえ今は結成日が忘れられていなかったとしても、だ。間違いなくいつかは消えてしまうだろう。
だけどなかったことにはしないでほしい。腫れ物を扱うように当時を振り返らなくなるのはやめてほしい。わたしの大切な日々であり、消したくない青春なのだ。
6という数字に縛られるのだろうか。
6人組のアイドルグループに羨望の眼差しを向けなければならないのだろうか。
どれも答えはわからない。わたしがどれだけ見ないようにしたとしても、わたしの周りにはあなたたちのファンがたくさんいるし、テレビにだってたくさん出ている。
デビューとはこういうことだ。見たくなくても目に入ってしまう。聞こえてしまう。今まで、わたしがどれだけ好きだと叫んでいても見向きもしなかった友達が「かっこいい」「好き」と言っている。掌を返したように何人も何人もだ。あの日わたしに「かっこいい人だれもいないしJr.とかガチすぎてこわいよ」って引き気味に言ってきたあの子でさえそのうちの1人なのだ。興味も持たなかったくせに。
だけど、この「今」を彼らは望んだ。彼らは願った。わたしが願っていない未来を、彼らは願っていたし、わたしが嫌な今を、彼らは喜んでいる。そういうことだ。彼らの望むこれからは、わたしの望まないこれからだ。彼らに必要ないのはわたしのような人間だ。そんなこと1番わかっている。だからファンと名乗ることをやめた。無理矢理別の人を好きになった。
もし今、似たような状況の人がいたとしたら無理矢理別の人を好きになるのはおすすめしない。好きだったのに。大好きだったのに。そんな風に思いながら生活からそのひとを切り離したおたくの成れの果てがこのわたしだ。
春になれば春の思い出で泣き、
夏になれば夏の思い出で泣き、
秋になれば秋の思い出で泣き、
冬になれば冬の思い出で泣き、
そんな風に考えてしまう自分に、簡単に泣いてしまう自分に、こんな文章を綴ってしまう自分にうんざりする。わたしは、こんなわたしが嫌いだ。すごく、すごく嫌いだ。自分で自分の首を絞め続けて、感傷に浸って、悲劇のヒロインぶっている、救いようのないほどの馬鹿で阿呆な自分が嫌で仕方ない。
だけど、たぶん簡単には変わらない。何年間も毎日あなたたちのことを考えて生きてきた。言葉では言い表せないほど、愛してきた。そんなに簡単にわたしの中から消えてもらっては困る。かけてきた時間もお金もそれなりな、わたしの大切な青春だから。
だから、何年も何年もかけて悲劇のヒロインから一般人になれればいい。いつかあの日々を笑って話せたらいい。「好き」と決してかえってこない片思いに似たような日々に浸ればいい。この傷が時間によって癒されてしまうまでの期限付きだ。
わたしのなけなしのプライドでグループ名もタレントの名前も出さなかったけど、ここまで読んでくれた誰かが理解できるように書けているのだろうか。降りてまで迷惑かけたくないから出すつもりもないが。
タイトルまんま。ジャニオタなら一度は聞いたことがあるであろう「列」の話です。
SNSに書くな触れるなの御触れをされましたが、あんな気持ち悪いもの二度と行くか知らねえと思ったので今後あの文化が根絶されればいいなという思いでこれを書いています。
某内輪向け舞台が上演されている期間中、それなりに仲良くしてるフォロワーから突然「列には行きますか?」というラインが送られてきた。
もともとジャニーズに明るくなかった私は「列」とはどういったものか分からず「列ってなんですか?」とそのまま質問返しをした。そのフォロワーは懇切丁寧に列の意味を教えてくれた。まさか私が「列」を知らないとは思っていなかったらしい。
「列」とは、ジャニーズ特有の出待ち文化のことである。多分主にJr.にある文化のことで、毎回あるわけではなく、決まった日に終演後列を形成して目当てのタレントの有難いご講話を聴くらしい。それを聴いたとき、学生時代の同期が言ってたやつのことかな? というにわかな記憶と繋がり、まあ公式ではないとはいえ運営が黙認してて本人に迷惑かかってないならいいかな……と軽く考えてフォロワーと一緒に行くことを了承した。
毎回かは知らないが、そのときは「列」へ並ぶにはある程度の条件があった。
「その日の公演のチケットの半券を所持していること」「目当てのタレント宛の手紙を持参していること」それから「携帯電話の電源をその場で切ること」「録音・録画は絶対にしないこと」「一言も発してはならないこと」など、正直もう細かいことは覚えていないが少なくともそれくらいは言われたように思う。それらを指示してきた女性たちはスタッフの名札を首から下げていたが、ただのファンであることは明白だった。のちにそれが仕切りおばさんと蔑称される古参オタクたちであると知った。地下ドルでいうTOみたいな感じなのかな。
私が行った日は偶然自担の列がある日で、それすらもランダムであることに驚いた。そういう意味で、私は運が良かったのだと思う。偶然仲良くなったフォロワーが列が作られる日を割り出せるほどジャニーズの文化に詳しい人物であり、何故かその方から列に誘われるほどの信頼があって、たまたまその誘われた日に自担の列が作られた。もう二度と行くもんかとは思うが、そう思える機会を得られたのは貴重だ。
劇場を出ると、帰宅しようとするオタクに混じって「○○くんの列はこちらです!」の叫び声が聞こえた。あんなに分かりやすいのかとドン引きした。それらを聞き分け、まず仕切りおばさんに半券を提示し、自担宛の手紙を回収される。携帯電話の電源を切ってあるかの確認、列の後列に並びされる。20分ほど沈黙を強要され、その間仕切りおばさんたちの読み上げるやらかし行為の注意喚起を聞き続ける。正直、そんな注意喚起をするくらいなら半分オフモードの自担と接触するような闇文化は即刻やめるべきだと思うが、一方でこの文化がやらかし行為の抑制力にもなっているのかもしれない、とも感じた。
大体並び始めて30分が経ったところで、さらに列が整えられ、自担が現れた。他のオタクが帰った後の劇場前は異様なまでに静かで、沈黙を強要されているオタクたちは自担が挨拶をしてくれても黙りこくるばかりで気持ち悪かった。自担は慣れているのかそれを気にも留めず、手紙の入った紙袋を受け取り、15分ほど今回の舞台の話や近況を話してくれた後、脈絡なく解散! と言ってその場を去った。オタクたちはその後仕切りおばさんたちにより劇場から遠い道まで誘導され、1キロ近く歩いた後解散の運びとなった。
オタクの前でぼそりぼそりと話してくれる自担はやっぱりかっこよかったけど、こんなん相手に話しなきゃいけないの可哀想だなあと思ってしまった。もちろん「こんなん」には私自身も含まれている。自担が「○○って〜だよね?」などと話しかけてくれたとしても、我々は口を開いてはならないので頷くか首を振ることしかできない。察しているかもしれないが、自担はおそらくオタクが話してはいけないことを知らないのではないだろうか。私が覚えている限り、三度ほどこちらに何らかの問いかけをしており、内一回はイエスノー以外の回答を求められた。もちろん誰も答えはしなかった。
お話が終わった後、オタクたちは仕切りおばさんの誘導により横断歩道の前で信号待ちをしていた。その近くでは、自担と同じグループのメンバーたちが、自分のファンに向かって何かを話している様子が窺えた。別に見る気はなかったけれど、黙って前だけを見て並んでいるにはあまりにも信号が変わらなかったので、ふとそちら側に首を動かしたときだった。
「あなたは○○くんのファンなんだから、他の子のことを見ないでください」
仕切りおばさんのこの一言で、わたしは胸の内に飲み込んでいた「気持ち悪い」という感情を抑えきれなくなった。気持ち悪い。じっと黙ったまま、息を潜めて自担の話を聞き入るオタクたちの異様さも、仕切りおばさんたちの偉そうな空気感も、そしてこんなところに軽い気持ちで来てしまった自分自身も。
自担のことは好きだけど自担のことだけが好きなわけではないので(あくまでもDDではないが、私は自担がメンバーと仲良さそう過ごしている姿を見て好きになった)ここにはオンリー担しか来ちゃいけないんだなと思ったし、私はこの文化に触れちゃいけなかった。あの人たちは自担が私たちに向けていた冷たい目線をどう捉えているのだろう。好意的に見えているのかな。マチソワを終えて時刻は午後8時半を回った劇場前。一刻も早く帰りたいだろうにオタクの相手をするために引き留められ、オタクたちが劇場前を去るまでは帰れない。その上、じぃっと黙ったままギョロリとした双眸を向けてくる自称「自分のファン」たちに向かって何を思って話をしてくれるんだろう。わたしにはこれが正しいことだとは到底思えなかった。仕事の一環だと言うには酷すぎる。
誘ってくれたフォロワーの手前楽しかったと口にしたが、全く楽しくなかったし、もう二度と行かないし行きたくないし、今後誘われても絶対に断る。ちなみにこれは昨年9月の話なので、昔はそういう文化が、という次元の話ではない。
自担はもうこの気持ち悪い文化から離れられるはずなので、今後何かがありうっかり「列」に遭遇してしまっても「列」で自担と顔を合わせることはないが、現在掛け持ちしている自軍のメンバーがラジオでうっかり口を滑らせて列文化について話してしまったのを聴いてかなりげんなりしたので、さっさと潰れろクソ文化という気持ちでこれを書いている。 「受け取りの話ですか?」じゃねえんだよなあ。その返しをして列の話を広げてしまったのが掛け持ち先の自担というのがまた切ない。
某献血ポスターの件でまたあちこちが燃えているけれど、フェミニズムについて両陣営がよく理解していないまま戦争しているなあ、と考えていたらふと学生時代に書いたレポートを思い出したので供養しようかと思う。
これは「ポルノグラフィの法規制」に対してのフェミニズム的観点がテーマであって今回の件とは必ずしも直接は関与しないが色々なところが補助線として使えるのではないかと思うのでもし議論の整理に何らか役立てば。
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1. 問題設定
本レポートでは、ポルノグラフィとその法規制について、いくつかの観点から検討する。ポルノグラフィは、フェミニズム運動の中でリプロダクティヴ・ライツやセクシュアル・ハラスメントなどと並んで一定の地位を占めてきた。一方で、その規制は、日本国憲法21条や米国憲法修正1条にいう表現の自由と正面から激突するものでもある。本レポートにおいては、日本国憲法の射程に限定しつつ、これらがいかに衝突するものであり、どう分析されるべきかを簡単に整理することを目標とする。
最初に検討されるべきは、規制の対象たりうるポルノグラフィがいかなるものと定義されるかということである。もちろん、いかなる性的な描写もポルノグラフィであって規制の対象たりうる、という立場自体は不可能ではない。しかし、表現の自由が強く保障されることを前提としたときに、容易には首肯しがたい立場であるということは言うまでもない。表現の自由への制約は可能な限り小さくなくてはならないというのが前提であるとすれば、規制の対象となるべきポルノグラフィもそれ自体また狭く定義される必要があるであろう。
まず、一般的なポルノグラフィの定義について俯瞰する。いわゆる四畳半襖の下張事件において、「わいせつ性の判断に当たっては、文書全体としてみたとき、読者の好色的興味に訴えるものであるかどうか否かなどの諸点を検討することが必要で、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、チャタレー事件で示したわいせつ三要件に該当するといえるかどうか判断すべきである」という判断がなされており、わいせつ三要件(通常人の羞恥心を害すること、性欲の興奮、刺激を来すこと、善良な性的道義観念に反すること)をベースとしたうえで、社会通念に照らして文書等のわいせつ性が判断されるという判例を構築している。
判例の立場は、わいせつ性が前面に出ているのか否かという観点を取り入れることによって性的な対象を扱った作品であっても、芸術的価値の高さなどに応じてわいせつ物該当性を認めないという形で一定の制約を設定しているといえる。ここには、表現の自由との緊張が見て取れる。つまり、本来は性的表現であっても、直接他者に危害を与えるものでない限り、国家によって自由を制約されるべきではない。しかし、わいせつ該当性があるならば、例外的に規制することが許されるとしていわゆる定義づけ衡量を行ってわいせつ図画を規制しているものであるといえる。
一方で、Andrea DworkinやCatherine McKinnonはポルノグラフィをいかに定義したか。それは、実際に彼女たちが起草した反ポルノグラフィ条例に見て取れると考えられる。ミネアポリス市の反ポルノ条例第三条 は、「ポルノグラフィとは、図画または文書を問わず、写実的に描写され、性的にあからさまな形で女性を従属させるものであり、かつ次の各事項の一つまたはそれ以上を含むものを言う。(1) 女性が人間性を奪われた形で、性的な客体、もの、または商品として提示されている、(2) 女性が苦痛や辱めを快楽とする政敵対象物として提示されている、(3) 女性がレイプされることに性的快感を覚える性的対象物として提示されている、(4) 女性性が縛られ、切りつけられ、損傷を加えられ、殴られ、または身体を傷つけられた性的対象物として提示されている、(5) 女性が性的服従の姿勢で提示されている、(6) 女性が、その身体の部位……に還元されるような形で示されている、(7) 女性が生まれつきの娼婦として提示されている、(8) 女性がモノや動物によって挿入された状態で提示されている、(9) 女性が、貶められたり、傷つけられた李、拷問されたりする筋書きにおいて、汚らわしいものないし劣等なものとして、または出血したり、殴られたたり、傷つけられたりして描かれ、かつそれらの状態を性的なものとする文脈の中で提示されている」と詳細に定義している。最高裁判例の打ち立てた上記の基準と比べるとこれは、はるかに明快である。
ところでこの二つの定義には、その明確性を超えて、根底的な部分でのポルノ観の相違が明々白々と見て取れる。これは、ポルノ規制を日本において考える際にも重大な差異であると考える。
最高裁におけるわいせつ概念の定義は、三要件を用いたその定義から明らかに、社会的性道徳、善良な性風俗といったものを保護の対象としている。つまり、過度に扇情的なポルノ作品が市場に氾濫することで、社会を成り立たせている道徳基盤が破壊されることを防ごうという目的である。いわゆるチャタレイ事件の控訴審における判決理由中の「かゝる文書が猥褻文書として排除せられるのは、これによつて人の性慾を刺戟し、興奮せしめ、理性による性衝動の制御を否定又は動揺せしめて、社会的共同生活を混乱に陥れ、延いては人類の滅亡を招来するに至る危険があるからである」という文章は、まさにこの懸念がわいせつ文書を規制するべき理由であるということが念頭に置かれているものであると考えられる。
ミネアポリス市ほかいくつかの都市で起草された条例は、こうした目的のもとにポルノグラフィを規制しているのではない。それは、McKinnonらの論文や、また、条文そのものから明白である。ここで、ポルノグラフィはまさしく「女性差別」そのものとして認識されている。
ポルノグラフィは、女性を隷属させ、性的に対象化objectificationするものである、とラディカルフェミニストたちは考える。つまり、「ドウォーキンはいう。『女性の従属においては、不平等そのものがセクシュアルなものにされる』。マッキノンも次のように述べている。『ポルノグラフィーは女性の不平等をセクシュアルなものにする。それは女性の不平等をセクシーなものに仕立て上げる。それは、言葉の最も広い意味で、支配と服従をセクシュアルなものにする』」 。
ここで、ポルノグラフィに対する定義が、二方向のアプローチを有しうることが示されている。つまり、ポルノが消費されたときに、社会が倫理的、道徳的にどのような影響を受けるかという観点と、道徳的観点を一切取ることなく、ポルノの中で女性がどのように扱われているか、またポルノを消費する男性が女性に対してそれを再演することでどのような危害が生じるか、という観点である。
Millの提示した危害原理を素直に適用する限り、後者の観点の方が規制の根拠としては明らかに優れている。前者において、明白な危害は存在していない。先に引用した人類滅亡論などは、まさしく論理の飛躍であろう。一方で、後者のアプローチをとるならば、それが証明される限り、実際の危害が生じていると言える。これは、いかに表現の自由の価値を絶対視し保護するとしても、しかしそれを規制する十分に強力な根拠たりえる。次章では、ここで主張される危害について検討する。
ポルノグラフィが「危害」を有するものであるならば、それは表現の自由を主張してもなお規制に当たることは言うまでもない。表現の自由に対して強く保護を与えることを主張したアメリカのOliver Wendell Holmes Jr.判事であっても、満員の劇場で「火事だ!」という嘘を叫ぶことをいかなる表現の自由も保護しないと明言している 。また、実際にポルノグラフィが一般的な危害を生ぜしめないとしても、上記の条文を見るに、発生しうる危害から逆算的にポルノグラフィが定義されており、これは限定列挙であると考えるべきであろう。
もっとも、注意しなくてはならないのは、ここで挙げられたものは、危害を「創作」したものまで範疇に含まれることである。つまり、女性が傷害を受けるという「現実」の存否にかかわらず、そうした創作は、ポルノグラフィとして定義される。そうした映像が、現実における傷害と必ずしも一致しないことは、あらゆる劇作の前提である 。そして、実際に生じた傷害については、こうした条例や法律にかかわらず民事上、刑事上の責任を負わしめることが可能である。
危害がどの広さで認識されるべきかということについては、確定的な見解はいまだ存在しないものと考える。元来はMillのいう危害原理、すなわち身体的な危害を指していたものであるが、現代的にはこれを精神的(に深刻)な不快の限度にまで拡大した不快原理offense principleと言われるものまで提唱されている 。もっとも、身体的な危害については明確で客観的な基準の定立が可能である一方で、主観的な不快およびその深刻性については、客観的な判断が困難であり、現行の法システムに馴染むのかという点で深い疑義がある。
ラディカル・フェミニズムの主張する「危害」がそうしたグラデーションの中でどこに位置するものであるかは、詳細な分析を必要とする。McKinnonの言明する危害は、ポルノグラフィはそれ自体性差別であり、それによって女性が従属化されるということである。そして、そのポルノグラフィの撮影において、また、ポルノグラフィが再演されることによって、女性は「縛られ、殴られ、拷問され、貶められ、時には殺される場合さえある。あるいは、単に犯され、使用されている。視角ポルノに映し出されているあらゆる行為のために、女たちは実際に、縛られ、切りつけられ、焼かれ、猿ぐつわをはめられ、鞭うたれ、鎖でつながれ、肉吊り棒や木からロープで吊り下げられ、あるいは、……放尿させられ、排泄物を食べさせられ、ウナギやネズミやナイフやピストルで貫かれ、喉の奥までペニスで侵され、血や泥や糞便や精液で汚される。……ちなみに、膣にペニスが挿入されるという意味での性交は、そこでは副次的なテーマに過ぎない」 。すなわち、ポルノグラフィは、男性の女性に対する性欲そのものが充足されるためのものではなく(それは副次的なテーマに過ぎない)、もっぱら女性に対して暴行を加え、二級市民化することによって従属せしめることが目的とされ、そのためのプロパガンダとして成立しているものであるとされる。「ポルノグラフィは女性憎悪の純粋蒸留物であり、女性の経験の中でレイプ、女性殴打、近親姦、強制売春と結びついている。そのことを考えるなら、ポルノグラフィを擁護して発言する自称フェミニストがいったいいかなる道徳的・政治的原則にもとづいているのか、とうてい理解することができない」 と彼女は断言する。
実際にこれらが物理的危害として発生しているのならば、それは全く看過することのできない危害そのものであり、規制はされてしかるべきものである。しかし、これらは実際の刑法典、民法典の規定によって補足可能ではないか? という疑問が生じてくる。McKinnonはこれに対して、現実にそうした摘発がなされていないことをもって実質的に法は存在せず、それゆえ国家及び社会がポルノグラフィを公認していると見做される旨主張する。
McKinnonの熱烈なポルノ批判に対し、Drucilla Cornellはポストモダン・フェミズムの立場のもと、一定の距離を置く。「私たちは、ポルノグラフィの生産に対してとられるべき法的行為=措置を、ポルノグラフィの配給に特化してとられるべき行為=措置から区別すべきである。私は、この区別が、ポルノワーカーを含めた女性たちが、人格となるプロジェクトを引き受けるのに十分なだけ自己を固体化していく、というフェミニストの目的に根本的に寄与すると主張する。この産業の女性たちを連帯に値しない不幸な犠牲者として扱うことは、彼女たちの基本的な尊重を拒絶することである」 という言葉は、ポルノワーカー女性について、「ポルノグラフィに出演している女性の多くは、子どものときに性的虐待の被害者であった。……自宅から性的虐待を逃れて都会に出てきた子どもたちは、そこでヒモに拾われ、レイプされ、殴られ、麻薬づけにされ、売春やポルノグラフィに従事させられるのである。ポルノグラフィに出演している女性の多くは貧しく、たいてい教育を満足に受けていない。ポルノグラフィが存在している社会は、女性が経済的に不利な立場に置かれている社会である」 と記述するMcKinnonらを批判の対象としている。Cornellはさらに、「私は二つの特殊フェミニスト的な理由から、ポルノグラフィの規制を法律に過度に頼りすぎることに対して懐疑的である。第一に、反差別法の基礎としてステレオタイプな女性性を強化すべきではない。言い換えると、キャサリン・マッキノンの仕事のように、女性を「ファックされる者 fuckee」か犠牲者に切り詰めたうえで、そのような存在としての女性に対する保護を要求するような、文化的にコード化された女性性を促進するような法はいらない。そういうわけで私は、マッキノンやアンドレア・ドゥウォーキンのそれのような、ポルノ規制の適切な法的手段としての市民権条例案を拒否する」 と言う。
私は元デビュー組担だった。今の自担を好きになったのもリア恋してしまったのも本当にここ数年の出来事だ。(これから書く内容ずっとイタい)
某関西のデビュー組は彼らがJr.の頃から応援していてデビューしたときはそれはそれは嬉しかった。だけど、デビューしてからの日を追う事に彼らは事務所からあまり推されていないこともあからさまに分かるようになったしそれはそれでと彼らは上に上がろうとせず開き直っていた。だから、冷めた。
なんでこんなグループになってしまったんだろうと思ってもキリがない。降りるか降りないかバカバカしい話だが真剣に悩んでいる時思い出すのはJrの頃からどこの席にいても私を見つけてくれてファンサをしてくれる元自担のこと。私が入る公演ほぼ全て周りに同担がいるのに私にだけファンサをしてくれる。ヲタクのお友達や連番してくれた方には「認知されてるんじゃない?」なんて言われたりしてとても楽しかった日のことを思い出す。(とんだお花畑だけれど)けれど次第にその思い出が何故かくだらない、無駄だった。と思うようになった。あぁこれは完全に元自担に気持ちがないなと。そんな時に小学生くらいから関西を中心に推してきた私が当時唯一カッコイイと思っていた今の自担が干され(?)時期を経て某ジャニーズJr内のユニットに入ったと知った。昔のような少し女の子みたいな見た目雰囲気からは一変20歳目前だった彼はとても男らしくなっていた。
そこからは早くて、彼のことを調べ漁った。調べれば調べるうちに今までの自担は私との年の差が6歳から9歳はあったのが急に3歳という身近な年の差に変わった。どこからか渇きでる期待で完全にリアルに恋しちゃってんじゃんみたいな。
最近好きになったやつが同担拒否なんておこがましいと思いつつ身体は完全に拒否反応。前の自担も同拒だったから自分がどうなってしまうのかくらい分かっていたから現場には行かなかった。(いいように言ってるだけで学生だから行けないってのもちょっとある)ちょっと別の話をすると私の親はある職業のそこそこのお偉いさんでいてまぁ過保護だからバイトはさせてもらえない代わりに親のお金で現場に入ったりグッズ買ったり。それを親が喜んでしてくれるから願ったり叶ったりで感謝もしてるし何かあると怖いからってバイトをさせてくれないってだけなんだけどそれ説明してんのに親金でジャニーズに貢いでるのダサいだとか親不孝だとか言われるの胸糞悪いよね?まぁ働いてる方が偉いんでしょうけど、こちとら親の了承ありけりなんで首突っ込まないでって感じ。私ばっかり自担にファンサ貰えるからって色んなとこ掘り出して僻まないでよっていうある子への愚痴なわけなんだけども。
それでいて時は流れ(?)もっと彼のことを知りたいと思い始めたのが情報垢。1回デビュー組推してた時やってたけど人間関係疲れるから嫌いだったのに麻薬みたいに戻ってきちゃった。手持ちなんてデビュー組の出回り多いものくらいしか持ってないしそもそも情報垢の方怖くてどう動けばいいかわかんないしそもそも未成年の学生が安易に繋がれる世界じゃない。分かってるんだけどな〜。
そうやって情報垢使ってるうちにとある情報垢さんが自担の女関係のばら撒きをしますなんて企画をやってて、だけどなかなかその垢が動かないし傷つくのが怖かったから何も言わずにログアウト。今もどこかでさまよってる私の情報垢。(多分また作って戻るんだろうな〜)
日に日に彼への好きという気持ちが大きくなって勝手に自棄になって病んで泣いてを繰り返してる間に最近自担の彼女?オキニ?の匂わせが話題になった。
結局自演だかだったらしいけど嘘だとかいう噂がまた流れるまでの恐らく2日間しんどすぎてご飯も度が通らなかった。Twitterで『デビューするって言ったのに彼女いるんだ』みたいなツイートを何回か見たけど確かにそうだと思ってしまった。8.8のJr祭り私は見事落選して積む気力もなく家で配信見てたけどJr界のツートップがデビューを発表して自担のグループがまだこの2グループに並べてすらなかったんだなと思ったら悔しくて涙が出た。苦しくて悔しくて悲しかった。そのあとの自担のダンスにも悔しさやってやろうっていう気持ちが現れてたし、彼のブログにも固い決意が見られてた。なのにこんな大事な時期に匂わせするような女と付き合う普通?って。しかも情報垢で知り得た情報ちょっと違くてあれ、なんで?っていう困惑で体調を崩した。
だけどやっぱり嘘だったみたいで、信じていられなかった自分を逆に攻めたよね。ほんと忙しいのか暇なのかどっちなんだろ私。
結論何が言いたいかって言うとリアコは想像以上につらい。同担のファンサ情報にいちいちヤキモチ妬いてイライラしないといけないし、女関係流れてきたらそれもそれで苦しまなきゃいけないし。ましてや未成年の地方在住には繋がろうたとて無謀な話。
だから今は我慢。20歳になったらいくらでも関係者と飲みに行けるようになるし情報垢だって自分が優位に立てるようになるはずってことを信じて今は未成年という行動範囲に苦しめられながら生きていこうと思う。
最後に
たまに、話したことも無く顔見知りですらない蟻みたいに大量の女が男性に歓声を挙げてかっこいい可愛いなって言ってるのが気持ち悪いと感じることがある。(自分もその中の一人だけど)馬鹿みたいに騒いでそんなことをしてるからジャニヲタは気持ち悪いなんて言われてしまうんだろうなと思う。だけど、よく考えりゃあジャニヲタって話したことも顔見知りでもない男性のために努力して可愛くなってってとんでもない一途でたくましい人たちなんじゃないかな。
自担と繋がったら繋がったで辛い日々が待ってるんだろうけどリア恋している私にとっては自担と繋がってあわよくば付き合うことがゴールだから頑張るしかないって話でした。
今回のテーマは率直に身バレが嫌な内容なので匿名を利用しました
ただこの記事は、Twitterなどで呼びかけられている「規定外団扇禁止」・「ヒール禁止」といった内容ではありません
むしろ、規定外・ヒール・盛り髪(ヘアメ)している側の意見ですのでマナー違反拒否の方で見たくない方向けではないです
私が本格的にJr.のライブに行くようになったのは高校生になってから
その前からも行っていたけれど親のお金だし遠慮していた部分が大半で、高校生になってバイトして、
チケットが外れれば積みも多ステもした
現場には少し上のお姉さんが団扇より大きな文字団扇、10㎝以上はあるヒール、
髪の毛はくるくるしていて可愛い、今思えば憧れだったのかもしれない
それからインスタやTwitterで繋がった系統の合う友達といわゆる「量産型オタク」になっていた
ライブの参戦服として買ったevelynのトップスやミニスカート、ROJITAのワンピースも
気づけば参戦服ではなく友達と”オタ活”する時、普段着にも化していたし髪の毛もロールMIX巻きもそれらしくなっていた
他にも回っていたが主にここに通っていた
そしてここ最近よく言われることがある
”治安が悪い”
そう見えるらしい
更には、
とも言われた
・ヒール
・盗聴、盗撮
・同担同士が仲良くない
と言われた
確かに思い当たる節はあるけどイコール治安が悪いとは感じなかった
この嵐
その中に
「○○くんが規定外干した、えらい」
「○○くん規定外に構ってた、注意してよ」
この2点もちらほら
その考えが間違っていると私はおもう
できないならそこら辺歩いてる黒服に言って注意してもらえばいい
黒服に何回も注意されて退場になった人結構見てるから効果的だよ
不満いうだけで、終いにはタレントに擦り付けて、
じゃあ自分で何か変えようと動いたのか
良い思いしてるの?」
その気持ちが優先してるんだと思うけど
アイドルに注意させて、その子が陰で悪く言われるの黙って見ていられるのかな
逆の立場を考えた時、人が密集していてその中で
まして照明が無差別に当たっている中で、瞬時に判断するのは難しいと思う
ここだけの話、今回のSummer Paradiseでアリーナ・スタンド共にの最後列から最前、立ち見こそはいらなかったが良席~埋もれまで入ったが
だが周りの環境に恵まれたのか大きく団扇を挙げてパフォーマンスが見えなかったことなんて一度もなかった
むしろ自担が来たら一緒に呼んでくれて、ペンライトの色を変えてくれたり、
親切にしてくれた覚えしかない
が、それを注意しないタレントを名指しで叩くのも
注意したタレントを讃えるのも違うだろう
紫耀くんを認識したのは、2017のJOHNNYS' YOU&ME ISLANDだ。
私の小学生の頃からの付き合いの親友は事務所担とも言えるほどのガチのジャニオタで、幾度となく推しの映像を見せられたり何かと協力させられたり夜通しその魅力について語られたりしていた。
しかし私の食指が大きく動くことはなく、情報局って本当に変な名前のファンクラブだなネーミングセンスな、くらいで、コンサートには付き合いでたまーに入っても舞台は行ったことがなかった。
同行者がキャンセルになった回で彼女に連れられて行った夢アイだが、そのオープニングで紫耀くんがフライングで挨拶する演出があった。
サラッと書いているがかなりの衝撃だった、まさに度肝を抜かれた。
イケメンが…?吊るされて挨拶してる…???どういうことなの…。
後ろにはたくさんの若い子が蜂の巣みたいにぎっしり詰まってて(ジャニーズマンションと呼ばれていることを後々知る、ネーミングな、)展開も演出もトンチキ…もとい奇抜で、本当にカルチャーショックだった。
そのあとも「吊るされて挨拶の彼」が気になって仕方なくて目で追っていくと、身体能力の高さ、単純な動きでも分かるダンススキル。
親友のガチの防振(8万、3回払い)で覗くと幼いのか男っぽいのか掴めない顔。
えっ……?かわいい…!そしてかっこいい!吊るされて挨拶の彼…!なのにトンチ…奇抜!
前述の親友は筋金入りのジャニオタで、受験があろうが彼氏が出来ようがうまく(ゴリ押しとも言う)愛をジャニーズに注いでいた。
かたや私は学生時代ミーハーにダフトパンクから入りダンスをかじって所謂パリピとなり、暇さえあればクラブに1人でも通い、筋トレを崇拝し、大型フェスも1人で余裕ウェイの全く可愛げのない女になっていた。
なので「吊るされて挨拶の彼」…紫耀くんを応援するようになってからというもの、ジャニーズ、その特殊性と文化に衝撃を受けまくっている。
何度となく語られてきたことだろうが、以下新規の戯言と思って読んでいただけたら幸いです。
これは親友からなんとなく聞いてはいたものの、SNS等でその概念を肌で感じて驚いた。
とにかく新しいファンは大人しくしておく、ファン歴が長いほど強くて、なにかと新規のくせにとかだから新規はとか、逆に古株はこれだからとかそういうのが飛び交っていた。
ちょっとぉ〜あんた生意気なんだけど、放課後体育館裏来いよ!1年がしゃしゃってんじゃねーよ!
の世界じゃん。
コンサートでは量産系とかいってあんなかわいいお洋服着てたりしてるのに…。
ジャニオタはお菓子研究会のフリした体育会系マインドなのでは?とこの辺で気づく。
・供給量の多さ
これはもう、ジャニーズがダントツなんじゃないかってくらい。雑誌、CM、歌番組、バラエティ、舞台にコンサート、これだけでは収まらず、webやブログ、youtube、そこにリリースが挟まってきたらオタクは休む暇がない。
そりゃあこれだけ供給されたら日常生活がオタク中心になるよなと感じざるを得ない。
以前は基本週末にクラブに行き、推しの海外DJなんてほんっとたまにしか来ない私からしたらありがてぇありがてぇと言うほかない。
奥さんのジャニーズ愛が原因で離婚したという話を聞いたことがあるんだけど、あながちありえなくもないなと思って震えた。
やはりこれが一番、もうありとあらゆる売り出し方、やりかたに白旗、完敗、両手を上にあげて降参、である。
Jr.になりたい男子が何万といて切磋琢磨しながら成長し、根性と実力と才能を兼ね備えた極々一部の人たちが表舞台で活躍できていると思うのだけど、こう書くと天上人であるし実際そうなのに、そう感じさせない戦略は本当にすごい。
時に学校の先輩、近所の幼馴染、ペット感覚のかわいい弟、まっっったく己の人生と交わることのない彼らなのに、ふとした瞬間にそう錯覚させるのだ。
おそらくきちんと練られたインタビューの内容、誌面では絶妙なバランスでプライベートを想像させ、リア恋とかガチ恋なんていう言葉もある。衝撃の世界。
出どころが定かではない目撃情報やアイドルが付ける新しいアクセサリーひとつで女子たちはキャァアアア!!となり、共演女優のSNSに特攻、アップされた画像を検証、一喜一憂、すごいとしか言えない。(正直引いてる)
紫耀くんが朝の情報番組で指輪をしていたことが発端となりSNSがザワザワしていたことが数ヶ月前にあったが、それの回収の仕方が白旗500枚だった。
彼はファン向けのブログで、プライベートなLINEで使うような砕けた文体で 騒ぎすぎな、等とさらっと否定したのだ。
……彼氏じゃん。
何あの指輪!見たことない!ねぇ誰かとお揃いなの?えっ、なんでもない?ファッション?なら、なんで隠すみたいにしたの!?ねぇ!答えてよぉ!
ていう彼女のやきもちを、圧倒的な顔面のパワーと包容力溢れる言葉で言いくるめて最終チューでもして(してない)唇ふさいで黙らせる彼氏じゃん。
言っとくけどあれ、LINEじゃないから。ガチガチ公式のブログだから。画像も彼氏からの自撮りじゃないから。
分かってるが絶妙すぎてLINE感が拭えない。(永瀬くんのもそうだ)
そしてそのたびに癒される女子。落ち込んでもすくわれ、上がったり下がったり、胸キュン、少し(錯覚)遠い恋、まさに青春のそれ。シーブリーズの世界。
彼らが指一本動かす、笑顔ひとつつくる、そのたびに何億が動くと言っても過言ではない世界、その中心にいるめちゃくちゃ遠い遥か遠い人なのに、この精神的近さ。
…すげえよ、ジャニーズ。
他にもたくさんたくさんあるんだけど、もう今2477文字なのでいい加減もうやめておく。
5年前ぐらいまで頭おかしいジャニヲタだった者です。訃報で話題になっているので、当時ジャニヲタとしてどう考えてたかなーと思い返してみた。
こんな感じで、自己矛盾が自然に同居してる状態で安定していました。
ここまで書いて思ったが、好きなタレントの世代によって捉え方はすごく変わるのかもしれない。じいさんも流石にここ10〜20年ぐらいは精力尽き果てていたのだろうし…
私は関西ジャニーズJr.が好きだ。
そんな関西Jr.のメンバーが、比較的行きやすい愛知で舞台をやることが決まった。初演を観に行けなかった私はこの機会を逃すわけにはいかない!と愛知公演を観に行くためチケットを取った。
舞台を本当に楽しみにしていた。しかし、私の観劇の記憶は、近くにいたマナーの悪い奴のせいで全てぶっ飛んでしまった。
なぜマナーが悪かったのか。
その公演には関西Jr.の人気メンバーと最近卒業した元関西Jr.が見に来ていたのだ。
大阪は仕事があって見にこられなかったのかな?遥々愛知まで来た2人に対して何も言うことはない。素晴らしいことだと思う。
でも2人が来たことで、私の近くにいた奴は最悪の観劇態度になってしまった。
まず幕間で2人が見学に来ていることを知ると、騒ぎ始めて何度も後ろを振り返り始めた。この時から、何か不穏な気配を感じ始めた私。「うわ、こいつ二部が始まってからも騒ぐかも」と嫌な予感がした。
予感的中。
二部が始まる直前、何度も後ろを振り返り、隣の連れと話し始め、挙げ句の果てには泣き出したようだった。(おえーーーーー)
舞台の明るいナンバーの時は隣としゃべるしゃべる。明るい曲調だからってお前が喋っていい時間ではねぇからな!!!お前の声が響くんじゃ!!!
おまけに暗闇の中、スマホを何度もつけたり消したり。ライトがチカチカ視界に入って気が散って仕方がなかった。観劇中にスマホを見ないって常識じゃないの!?!?
何やら文字を打っていたようで、Twitterに見学情報でも一早く流したかったのかなと予想。それか盗撮か?
他にも鞄をがさがさやる、水をぐびぐび飲む、鼻水ずるずるやる、前のめりになる、もう観劇マナーで悪いとされていることのオンパレード。
逆によくぞここまで悪い態度で観劇できるな??
私はストーリーに全く集中できなかった。隣の方は余計に辛かっただろうな。隣じゃなくても相当目障りだったし。
本当に劇場が暗転すると、光がついてるだけでも目立つし、目障り。それに小声で話しているつもりでも、皆が黙っている環境では響くし、雑音でしかない。
なぜ小一時間ただ黙って座っていることができないのか?
そもそもお前は何を観にきたの?舞台を観にきたんじゃないの?主演の2人の頑張りを見にきたんじゃないの?見学目当てなの?見学が来なかったら興味がないの?
ていうかそもそもお前は、見学に来た2人のことさして興味ないだろ!!!だけどたまたま近くの列にいるから騒いでただけだろ!!
注意をしようかとも考えた。でも隣というわけではなく距離があったし、自分が声を出すことで舞台の雰囲気を壊したくないという思いがあってできなかった。
それに、態度悪い奴は学生ぽかったけどどんな奴か分からない。変に目をつけられるのも嫌だし、そんな基地外と関わり合いになりたくなかったというのが正直本心かも。
座席も列の真ん中で、中抜けしてスタッフに言いにいくのも行きづらくて、二幕はどうやればそいつを追放できるかずっと考えていた気がする。結局できなかったけど。
そもそも劇場にいるスタッフは巡回とかしないんだな?!普通しないのか!?松竹座のお姉さんの素晴らしい取り締まりに慣れてるから、スマホの光が明らかに目立ってるのに注意しに来ないスタッフにも腹が立った。
見学目当ての奴の態度は、舞台を壊す。周りにいる他のお客さんの思い出も壊す。
害でしかない。
もう本当にお前のせいで、楽しみにしていた舞台の記憶が怒りしかないわ!!チケット代弁償しろ!!
以上が、(周りの)席運のなかった私の体験。怒りを吐き出せて少しスッキリした。
前置きが長くなってしまったが、そもそもジャニーズが見学に来る限り、一定層は民度の低い奴がこういう態度を取ってしまうことは充分に考えられる。
ジャニーズJr.の場合、先輩や仲間の舞台を見学に行くことは貴重な勉強の機会だ。正直見学と重ならなければ、こんな思いをしないで済んだのかもしれないと思ってしまう部分もあるけど、見に来るJr達は全く悪くない。
じゃあ今後どうすれば見学がいる時でも、マナーが守られる雰囲気を作ることができるのか。
偏見かもしれないが、地方ほど見学に沸き立つ気がする。都会の人は芸能人いてもそんな見向きもしない的な理論で、地方だと普段見られる機会が少ないから、見学にも騒ぐのかなと。
だけど、例えば関ジュの場合大阪公演に見学目当てで申し込んでることもありそうだし、大阪だから騒がないってことはないか。たまたま民度が低いのが集まってるだけなパターンもあるか。非現実。
見学でギャーギャー騒ぐ奴とか、マナー悪い奴って大抵1人ではないイメージ。連れがいるから気が大きくなって、少しぐらいという気持ちが加速してマナーを守らなくなるのかなと。全く理解はできないけど。
だけどこれは民度の低い一部の話だけで、マナーを守っている人には何の関係もない。非現実の極み。
よく帝国劇場とかの関係者しか入れない小部屋みたいなところなら、おたくに気づかれずに静かに観劇できるのかな。でもその部屋でも見つける奴いるもんね。どうしようもないか。そもそもJr.だって普通に観劇したいよね。ほんとお疲れ様ですわ。
⑤雑誌・webなどで観劇マナーについてJr.から呼びかける。
これはもうやってくれているJr.もいます。それでもわきまえない奴はどういう脳神経してるの??
舞台が始まってからも後ろ振り返る奴のことはしつこくdisってほしい。
きちんと注意を呼びかけるJr.は私の中で好感度爆上がりするなぁ。
⑥劇場スタッフが巡回し、マナーの悪い客がいたら注意してもらう。
これが1番現実的か。中々客同士では言いにくいことでも、スタッフの言うことだったら聞いてくれるかもしれない。なんならスマホ触ってる奴なんて退場させてほしい。
(松竹座のスタッフさん達いつも素晴らしい声かけをありがとうございます。やっかいなおたくもいる中でご迷惑をかけてばかりだとは思いますが、これからもお世話になりたいです。)
約1年前デビューしたグループのあるメンバーのヲタクをしていたが、私はデビューをきっかけに亡霊になった。これは亡霊から担降りまでの過程。
前身の3人ユニは好きだったが特に箱推しという訳ではなかった。
私は自担しか興味ないタイプだったから、いくら至近距離に他メンが来ようがずっと自担を追ってるような自担至上主義だった。
そしてもう一つの3人ユニはメンバーもそのヲタクも嫌いだったから、デビューして合体したことは自分にとって結構苦痛であった。
自担のアンチは結構いたし、自担自身がよく別の亡霊に叩かれてうんざりしていたのに、自分が亡霊になるとは思ってなかった。
もう一つのユニとはJr.の頃も現場がよく被ったり一緒に活動することは多かったが、あくまで別のユニだったから平気だった。
しかしデビュー後はそういう訳にもいかないから、どうしてもその苦手なメンバーのことを視界に入れなければならなくなった。
そうなると純粋に自担の応援ができなくなった。応援しててもどこかモヤモヤした気持ちがあるのだ。
ずっと3人が良かった、これならデビューしない方が良かった、3人コンやってくれ、6人になってからマイナスでしかない…こんなことばかりを思っていた。
そして私はこのグループのファンの対象から外れたことを理解する。
しかしながら私は自担にかなり依存してたし、自担が生きがいで生活の中心でもあったからなかなか離れるに至らなかったが。
離れられたのはデビュー後の変化についていけなくなったことと他に応援したいと思えた人が現れたから。
Jr.時代は物理的距離も近く頻繁に現場があるから最低でも月一、多い時は毎日現場に通っていた。
私は現場主義だから、生で自担を見られる機会が減ったことで自担依存は軽くなった気がする。
降りられた後は本当に心が穏やかになった。
しかし今の自担は正直デビューは無理だろう。そうなるといつか自担は辞めるだろう。自担が退所したら自分はどうなるのだろう。
今更ながらデビューおめでとうございます。デビュー決定した時、嬉しさと複雑さで半々だったなー
本当に沢山笑顔にしてくれて、沢山幸せをくれてありがとう。あなたを応援できた日々は楽しくて仕方なかったです。
今ではキラキラした思い出です。
正直私は掛け持ちが嫌いです。それはきっと自分が数人を推せるほど器用な性格ではないのと好きな人ができてしまったらその人以外見れなくなってしまう性格だからだと思います。勿論例外はあります。少し矛盾してますが2グループなら許せるんです。例えばJr.なとで推しはこの人だけどこの人とのコンビが好きだなぁとかあるじゃないですか?そして自分の推しだけがデビューしてしまってJr.に残ったもうひとりを応援する、みたいな。そういうのは大丈夫何ですけど3グループ(3人)とかになってくるともうそれはDDに入るのではないんでしょうか。私の友達(以降Aちゃんと記載します)はデビュー組2グループの掛け持ちです。私はJr.を推しているので何とも思っていなかったのですが、私がJr.の話をし過ぎたり動画をあげ過ぎた所為かある日いきなり「私○○くん好きかもしれない」と言われました。(推しは被っていません)初めはJr.の良さが分かってもらえた嬉しさが勝っていたのですが。その子は3グループの掛け持ちになりました。そしてJr.専用のアカウントまで作りました。でもデビュー組にもJr.にも湧くAちゃんを見ていると「所詮Jr.は3番目」なんて思ってしまい、Jr.の話をして欲しくないとまで思います。その子自身はもの凄く好きで仲も良いのですがJr.の話になると拒否が出ちゃいます。AちゃんがJr.を好きになった日現場が決まったら一緒に連番しようと誘われていました。でも私の名義が当たった時Aちゃんはこれに行かなくても他のグループがあるから好きな人には会える。それなら私と同じ一途な子と一緒に連番したいと思うようになりました。Aちゃんを嫌いな訳じゃないし今まで通り遊んだりはしたいけどJr.の現場は一緒に行きたくないです。私は心が狭いですか?
私は今を輝く関西ジャニーズJr.のひとりに夢中になっている。今年に入ってから急に関西の波が来た。何故だかは分からない、でも今まで干されていた関西かやっと世間からのスポットライトを当てられた。物凄く嬉しい事だった。1月の後半頃急に関西ジャニーズJr.のRIDE ON TIMEの密着が決まった。ツイッターでは「嬉しい」「キンプリの流れに乗れてる」そんな風に書いてあった。私もそう思った中のひとりだった。
2月8日第一回目の放送。私は胸を弾ませながらしっかりと視聴した。関西らしい雰囲気、関西ならではの家族感が伝わってきて微笑ましくなった。次回も楽しみだな、早く来週にならないのかそう思った。
2月15日第二回目の放送。やっと観れる、今回は推しが多く映るかな。そう思いながら放送時間になるのをそわそわしながら待った。案の定私の推しが映るのは多かった。可愛いなそう純粋に思った。エンドロールと共に流れた次回予告の映像。誰かが怒られている。そこから雲行きが怪しくなった。私の心もザワザワしていた。
2月22日第三回目の放送。やっとあの場面の真相が分かる。心の奥にあるザワザワをスッキリさせたい、そう思いながら見始めた。その場面がやってきた。3人が怒られている。そしてその中に私の推しもいた。怒られていた内容は彼らの練習に対する意欲についてだった。私は単純に「やらせ感」が見えた気がした。どうせ番組側が起承転結を求めてるのだろう。きっと台本があるのだろう。そう思った。でもどんな形でも怒ってくれる人がメンバー内にいてよかったねとも思った。そして怒られてすぐそれぞれに行動を起こし始めた3人を見て感動した。放送を見てスッキリした私はそのまますぐに寝た。次の日いつも通りに起きてツイッターを開いた。一番に目に止まった推しの名前。皆んなが私の推しの事を話していた。なんだろうそう疑問に思ってすぐ検索を掛けた。名前を打ってすぐ、横に「やる気」「態度」と書かれていた。半分状況に追いつけないまま私はその文字をタップした。タップした瞬間並ぶ私の推しに対しての不満、いや大半が悪口だった。怒られた後楽屋から出てくる3人を写した場面についての話。どうやら私の推しの態度が悪かったらしい。私はそれを見て「たったそれだけの事で」と最初はそう思った。でも時間が経つに連れ段々ヒートアップしていく彼への意見。私は2つのツイートに怒りを覚えた。1つはいつもダンスにやる気がないと言うツイート。これに関しては怒られた話とは全く関係がない。確かに彼はスカしたダンスをする。けれどそれは大先輩からの意見をしっかりと活かして健気にそれを守っているからこそのダンスだ。それを知らない他グループから「やる気がない」そう思われるのは正直覚悟していた事で仕方ない事だと思っていた。けれどそれをツイートしていたのは彼のファンだった。彼のダンスの理由を知っているはずなのにどうしてそんな事が言えるのか。意味が分からなかった。2つ目は彼が出てくるとき舌打ちをしていたと言うツイート。私はすぐに見直した、何度も何度も巻き戻した。けれどそんな事実はなかった。どうしてこんな嘘をつかれなきゃいけないのか。腹が立った。それと同時に悔しくもなった。そして3人の中の2人(此処ではA君B君と記載する)A君は楽屋から出てくる態度が物凄くよかった。側から見た私でもそう思った。でもB君と私の推しはさほど変わらない態度だった。それなのにネット上に名前が乗るは私の推しだけ。自分の推しを褒める為だけに彼が利用されていた。「B君は○○より態度悪くないよね」なんて比べられた。普段からチャラい彼だからこそ此処まで偏見を持たれるのか。正直自分の推しを煽てる為だけに彼が非難されている。その事実が私にとっては精神を不安定にさせる材料でしかなかった。いつの間にか頬に伝う雫。その雫は止まる事を知らなかった。この涙は悲しい涙、みんなはそう思うかもしれない。そして私以外に泣いた彼のファンが流した涙は悲し涙だったのかもしれない。けど私の涙は悔し涙だった。その日私は学校を休んだ。一日中泣けばこの悔しさは消えると思った。何も変わらないのに。思った通り何も変わらなかった寧ろ悔しさは募った。編集側の悪意までも感じた。彼への非難は止まらない毎秒毎秒誰かが彼を悪く言う。ついには彼のファン、私たちの事も悪く言われた。「○○のファンは甘すぎる」私は疑問に思った。何処が甘いんだ。確かに彼には悪い部分が無かったとは言い切れない、けど普段の性格からの偏見を持たれて思う存分叩いて自分の推しを煽てて楽しんでいたのはお前らだろ。それに対して私たちが意見を言うのは許されないのか。頭沸きすぎだろ。そう思った。それは何日間も続いた。
そして迎えた3月1日最終回放送日。彼への偏見を持たれたまま始まるストーリー。そしてメンバー2人が遠くへ行ってしまう。私の感情はごちゃごちゃだった。そして終わったRIDE ON TIME。結局番組は何を伝えたかったのか。私にはそれが分からなかった。今まで観て来た番組の中で一番意図が掴めなかった。
その夜私は彼が初めて雑誌の丸々1ページをひとりで飾った時の文を読んだ。そこに書いてあった彼の「グループの否定的な意見を背負うのは自分」その言葉に余計胸が苦しくなった。顔が良いから運良くグループに入れて運良く此処にいるなんて言ってる人もいたが、いつ消えてもいつ干されてもおかしくない。数が多いが故埋もれるJr.もいる。そんなジャニーズJr.の中で彼が此処まで来たのは、スポットライトを浴びる事が出来ているのは確実に彼の努力があっての事だ。もちろん私如きの人間が彼の努力を分かっている。そんな偉そうな事を言う気はない。だけど努力なしではどう考えても此処まで来る事は出来ない。それは関西ジャニーズJr.を見てきた全員が分かっているはずだ。私の推しは偶に儚く脆い表情を浮かべる時がある。何を思っているのか分からない。けれど彼の中にはなにか強いものがある。それだけは分かった。メンバーとの別れ、泣きながらも必死に最後まで歌い切った。お客さんにぎこちないけど笑顔を見せ続けた。そして自分のグループを「家族は俺が守らないとダメ」なんて言い切る彼は必ずここから成長する。しないわけが無い。私はそんな彼を見守っていたい。一緒に成長して行きたい。誰が何と言おうと所詮私は自担至上主義だ。偏見を持たれる事がこれから先も他のメンバーよりも多いと思う。でもその度に泣いて欲しい。悔しい思いをして欲しい。弱みを見せて欲しい。マイナスな事だらけじゃ無い。泣いた君は強くなれる。誰よりも強くなれる。いつか彼が輝けるステージへ。私にはそう願う事しかできない。