はてなキーワード: 不合格とは
https://x.com/3F9XXmF5o719520/status/1853012546229600401
これ、要は
「ビッグバン、銀河、星の進化、太陽、惑星、月、オーロラ・・・」の中から1つ選んで科学的な面白さを人に説明しろっていう問題。
よく言われる「理解の度合い」でも「人に説明できる(そして理解してもらえる)レベル」っていうのは最上級であって、完璧に近く理解できてないと説明できない。
(この試験の内容で難易度が低めなのは質疑応答が無い部分ぐらいだろう)
しかも誰でも知っているような内容だと恐らく試験としては不合格で、大学教育レベルで詳しい内容でないと合格できないだろう。
例えば一つ目の「ビッグバン」について選んだとして、留意点の1つ目にある
「ビッグバンに関連してあなたが興味を持っている特定の一つのトピックに絞り、それについてあまりよく知らない視聴者にも動画を見続けてもらうために、そのトピックについて簡単に解説する」
という部分、まずビッグバンに関する特定の1つのトピックを知っていないと書けない。
「ビッグバンは宇宙の始まりとなった現象で〜」みたいなのはビッグバンの話であって特定の1つのトピックではない。
「宇宙マイクロ波背景放射が発見されて〜」とかもトピックとしては弱い
「相転移によるインフレーション」とか「対称性の破れ」ぐらいをトピックしにしないと合格しないだろうし
試験のときにWikipediaを見ないでそれを語れるぐらいには知っていないといけない。
留意点2つ目の
「あなた自信が勉強したことや体験したことを具体的に紹介する」
という部分も、「試験対策として丸暗記しました」では絶対に不可能な部分で、日常的に科学的な興味を持って学習していないと書けない。
加えて3つ目の
「視聴者の多くが関心を持っていると思われることにそのトピックを関連付ける」
という部分があるので家に引きこもったオタクではなく、世間との接点を持って尚且つ専門性の高い知識が求められている。
「BTSのファンが1人いて、その人が他の人へ布教するような相転移を起こし、周囲にさらにファンを増やしていくのがインフレーション」
とかいう説明が必要になる(これだと落とされそう)のだが、そのレベルで普段から興味を持っていないと言語化できない。
毎日母親との嫌なことを思い出して辛いのでここに放流する。ネットに流せば少しは気持ちが薄れたらいいが。
ちなみに母親からまだ離れられていない。離れる計画の途中である。もっと早く離れればよかったと強く思っている。
母親に違和感を感じたのは10歳の時。クラスにプレゼントを渡したい男の子が数人いてその話をした。すると、○○君は遅刻するよ。○○君はテストの点数が悪い。など悪い点を挙げられた。余りにも驚いて混乱して何も言えないようになった。
それから人を好きになることは人に文句を言われる、評価されるものと思うようになった。
学校で異性と仲良くしてもし母親に何か言われたらと常に怯えていたし、恋愛話も興味ない振りをしていた。
勉強や趣味に打ち込んでいたが心の片隅では寂しい気持ちを抱えたままそのまま高校生になった。
それを見て母親と祖母はやった!うちで初めての快挙だ!これで玉の輿だ!と噂話していた。ものすごく恐怖を感じた。
今まで異性を家に呼ばなかった私はダメなのかとひどく落ち込んだ。
今思い出して書いてみるとすごく昔の考えに思えるが、筆者は平成初期生まれである。
母と祖母からは女性なんだから働かなくていいと言われたり、バイトが遅くなっただけでキレられたり、受験の合否をすぐしないだけでキレられたり(不合格なので悲しくて泣いていた)随分振り回されてきた。
しかし物は豊かだったため、学生の頃は周りからは親がおかしいとは気づいてもらえなかった。
社会人になり別に恋愛しなくてもいいかと思っていた。周りから恋愛してなくて変と言われるのは辛かった。だが、偶然にも同性を好きになることがあった。初めての出来事に自分でもかなり思い悩んだ。
その悩んでる最中に、祖父母に久しぶりに話をしたら会って1番にこの歳で結婚しないなんておかしいねえ!と言われ、何かが崩れていき祖父母の家には行けなくなった。
その後、祖父がかなり弱って入退院を繰り返して最期死ぬまで私は見舞いに行かなかった。
毎日母親から祖父の見舞いに行って。○○ちゃん(私)が子ども産むまで死ねないよって言ってるよ。と聞かされていた。
この時の私は一人暮らししようと転職した職場がブラック企業で鬱になり、家で休んでいるところだった。
苦しくなって情緒不安定になっている時、母親に部屋の隅まで追い詰められ、家が嫌なら出て行け!と怒鳴りつけられた。
もう何もやる気が出ない。希望も絶たれて家を出ようという気持ちも起きない。
鬱がどんどん悪化していき外に出れない食事も取れない日々が続いた。
貯金も減り親に相談した所、もしもの時や結婚した時のために貯金は使えない。と言われた。
今はもしもの時じゃないのだろうか?今生きることより結婚が大事なのか?
もう死のうと思い、首を絞めた。
結局死ねなかったが、首を絞めたことを医師に話すと入院になった。
入院中は母親は私の同級生に早く結婚して出ていって欲しいと言っていたらしい。
もう何が正解かわからなくなっていた。
高齢出産の年齢になった。
親の言う通りになるので、この先結婚もしたくない。
もし子どもができても、親のようになってしまうかもと恐怖がある。
ただ自由に生きたいな。
今は退院し、支援してくれる人が複数人いて一人暮らしへのサポートを受けている。
退院後は過去に言われて嫌だったことを母親に伝えている。例えば、突然お前は料理が下手だから餓死する一人暮らしなんて出来ない。など。
それを伝えても文句としか取られない。どうして謝って欲しいと期待してしまうんだろう。これが共依存なのかな。
ある人からこれからは自分の人生なんだから自由に生きよう!と言われるのだが、なんだかモヤモヤしてしまうのだ。励ましてくれていることはわかる。
でも私の今までの人生は自分の人生じゃなかったのか?制限されていたなりに、仕事や趣味は頑張ってきた。なんだかそれまで無かったかのような気持ちになってしまうのだ。
早朝から中国人が免許試験場に大行列…目的は“外免切替”のニュースについたブコメで気になるものがあった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.fnn.jp/articles/-/775482
「中国の運転ルールは日本とは全く異なる。例えば信号が青でも歩行者は優先されない。圧倒的な車優位ルールなの。本当に怖い事だ。」
というブコメが76のスターを集め、上位3位ブコメになっている。
どの国でも(実態は別として)ルールでは歩行者優先が当たり前だと思ってたので、中国が例外的に車優先のルールを採用してるとは聞いたことがなかったので本当か?と疑問に思い、調べてみた。
AFP通信の2017年12月3日ニュース 『車と人、どうしたら譲り合いできる 中国「歩行者優先」を強化』
https://www.afpbb.com/articles/-/3153624
「中国の運転免許試験に10月1日から、「運転手は横断歩道を通過する際や交差点を直進、左折、右折する際、優先されるべき車両や歩行者、軽車両へ道を譲らなければ不合格となる」という新たなルールが導入された」
「『道路交通安全法』によると、自動車は横断歩道を通過する際は減速しなければならない。歩行者が通行中であれば停止しなければならない、と規定されている。」
とのことで、中国の法律でもやはり歩行者が優先で、車が停止しなければならないルールとなっていて、上位ブコメにある「歩行者は優先されない、圧倒的な車優先ルール」なるものは存在しないようだ。
実態としては横断歩道で止まらない車が多いとの内容があるのも確かだが、それは日本も同じだし、
ルールである法律が守られてない実態を「圧倒的な車優先ルールがある」というのは全く不誠実で、不正確だろう。
日本の信号のない横断歩道(ルール上では歩行者絶対優先)に歩行者がいるときの自動車の停車率については、県別の調査結果があり(https://uub.jp/pdr/t/stop.html)、
AFP通信のニュースがあった2017年で見ると数%台の都道府県が多くものすごく酷い状態で、そこから取り締まりの徹底で少しずつ上昇しているが、最新の2023年では長野県は止まる車が80%と多いに対し、北海道、茨城、福井、大阪、佐賀、新潟県はいまだに20%台の車しか止まらないなど、地域差もある。
歩行者優先が徹底されているヨーロッパに比べれば日本は実態としてだいぶ歩行者優先が弱いといえるだろう。実態をルールと言ってしまうなら、「日本でも(一部地域では)圧倒的に車優先ルールなの」も成り立ってしまう。
(中国も2017年の記事で歩行者優先のルールを守らせるべく警察が取り締まり徹底とあるので、日本のように停車率が向上してると思われるが、最新の調査結果等は見つからなかった)
こういう調べればすぐにわかる誤りブコメがスター集めて上位ブコメになるの、なんなんだろうね。
こういう事実誤認、もしくは意図的なデマであっても、中国やロシアが対象なら指摘されずスルーされ、むしろ「そうだそうだ、中国は酷い国だ!(嘲笑」とはやしたてられるような雰囲気があるよね、はてブって…
会社の昇格面談に落ちた。せっかくの機会なので感じたことなどをメモしておく。
■自己紹介
・旧帝大理系の大学院を卒業し、日本人なら99%誰でも知ってる大企業に就職。社会人6年目の30歳。
・社内での勤務態度は評判が良く、言われた仕事はそれなりにそつなくこなし、期待以上の成果もあげてきた(と自分では感じている)。最近の若いものは飲み会にあまり来たがらない、と一括りにされるのがなんとなく気に食わないのもあり、飲み会など社内イベントの参加率は8〜9割くらい。
・部署ガチャの引きが良く、残業時間は少なめ(月10〜20時間程度)繁忙期はあるが、それなりに楽しく働いていた。
・ある一定の在職年数になると、上司から声がかかり昇格面談へのチャンスが得られる。評価項目は(独自フォーマットの)面談シート+人事との面談(30分程度)。
・最早組(同期の中で最も出世が早いグループのことを指す社内用語)以外はいわゆる出世コースから外れ、一度昇格面談へ落ちてしまうと追いつくのは至難の業。
・お偉いさん達は上記の評価システムや根強い年功序列制度をなんとか壊したいと考えているようだが、現行の評価制度にしがみつくベテラン老害社員たちにより古き良き年功序列制度の色が根強く残っている。
■面談について
・合格率は例年5〜6割程度。
・事前準備はそれなりにした(上司との複数回の面談練習、想定質問と回答の準備、暗記くらい)。上司からも「まあこれぐらい喋れてたら大丈夫じゃない?」と言われていた。
・当日の面談では7〜8割ほどは想定通りの質問内容。2割ほどの想定外の質問(おそらく毎年同じ面談内容だと対策が容易なので、毎年聞く内容を微妙に変えているものだと推定)にも多少テンパったものの無難な回答をできていたと思う。
・面談から1〜2ヶ月後に上司から「面談は不合格。また来年頑張ってほしい」とのメッセージがあり、落ちたことを知った。
・これまでの人生で試験と名のつくものに落ちたことがなかった(高校/大学受験、各種資格、運転免許など平凡なものばかりだが)ので、最初は何かの間違いかと思った。
↓
・自分よりも明らかに会社に貢献しておらず、話すのも下手な同期が面談をパスしていると知り、評価制度に疑問を感じた。具体的には以下の点が評価制度として微妙だと感じる。
→業務の内容について詳しく説明する時間がなく、その人がどういう業務をどう工夫して実施しどういう成果を出したのか、面談実施者は深掘りする事が出来ない。結果として、社内の花形部署、わかりやすい実績が出やすい部署へ配属されている社員が明らかに有利になる
(相対的にマイナー部署の場合は業務の内容説明から入らなければならず、個人のアピールが難しくなる)ほか、目を見て話す、声が大きいなどのノンバーバルな部分のウェイトが評価の多くを占めることになる。
→同時期に面談を受ける社員が多数いるため、後半の社員は面談の済んだ社員から質問内容などについて聞くことができ、社員間での不公平感が大きい(しかもそれらの行為は咎められるどころか、面談に通りたいなら当然実施すべきだし、前半に面談が割り振られてしまった社員は今年は運が悪かったね、と言われることすらある)
3.通常の業務が多忙な時期にも関わらず、面談対策と称して上司のスケジュールを確保し会議室にこもりっぱなしの社員は合格し、その尻拭いをして残業していた社員は面談に落ちる
↓
・上記のように現行の評価制度に問題があり、また自分がそれにより落ちたのだと仮定したところで、大きな組織を運営する以上現行制度より優れたものも思いつかず、また自分の会社員人生も好転しない。と考える
↓
■これからについて
・来年にはおそらく昇格面談の声がかかるだろうが、通常業務を疎かにしてまで面談準備をガチろうとは思わないだろう、というのが現時点での所感。
こういう「社内で出世するためだけの行為」に自分はやる気が出ないのだけれど、そういう面倒なことを考えずに素直に面談対策できる人間が出世していくんだろうなぁ、と考えたりもする。
・(自分と同等かそれ以下の業務量/内容の)同期と給与差が出るというのが精神的にもキツイので、会社への丁稚奉公的な働き方を諦めて、プライベートの時間をガッツリ確保するワークライフバランス重視型の働き方にシフトしていくか、副業をガチることでせめて給与面では同等以上になれば、などと考えている。なにかサラリーマンにおすすめの副業があれば教えてください。
2024/9/18の対局結果
王座戦 一次予選1回戦
9/18の対局で女流棋士3名全員が一般棋戦で勝利を収めた。同日に3名勝利はおそらく将棋界史上初の快挙だと思われる。
相手の棋士たちも全盛期は過ぎているとはいえ神谷八段・豊川七段は順位戦B級1組、安用寺七段はB級2組を経験してきた経験豊富な棋士だ。
(王座戦一次予選では先月福間も村田智弘七段に勝ち2回戦に駒を進めている)
女流棋士の現トップ層は一般棋戦の予選で当たるクラスの棋士には普通に勝てるレベルに達していると言ってよいと思う。清水中井らの世代ではそれすらも難しかった。
女流トップと言っても福間と西山だけじゃねーかという意見もまあ分かるが、昨日の対局で彼女らに並んで大島女流二段も棋士相手の初勝利を挙げたことはとてもポジティブな出来事だと思う。
確かに福間西山は女流棋士の外れ値かもしれないが、女流棋士全体のレベルも確実に上がっている。
福間(旧姓:里見)や西山は知ってるけど大島ってダレ?という人も多いと思われるので軽く紹介
名伯楽で知られる森信雄門下で奨励会を受験するも不合格。関西研修会で研鑽を積み、2021年に女流2級でデビュー。
昨年度は公式戦32勝9敗の好成績を挙げてブレイク。マイナビ女子オープンでは福間・加藤桃子ら女流強豪を連破して西山との初タイトル戦五番勝負に臨み0-3でスイープされたものの、今急速に力をつけている若手女流棋士の1人。
プロ将棋の世界において男女の棋力の違いは度々取り沙汰されるが、羽生善治九段らによると主要因は競技人口の差との見方が強いようだ。実際、6級から三段まである奨励会において、中七海三段が年齢制限で退会された今、女性会員は竹内優月6級(女流2級)ただ1人となっている。
奨励会を勝ち抜いて棋士になれる会員の割合が全体の1~2割とされる一方で、トップ女流棋士が一般棋戦予選で勝ち星を挙げているのであれば、男女の棋力差は現状性差よりも競技人口がボトルネックになっていると見るのが自然だと思う。
生物学的な性差がある可能性も否定はしないが、それ以上に人口差による影響が大きすぎるため、今はまだそれを語る段階に達していないというのが私の意見だ。
あ、先に言っておくと囲碁も囲碁でそれなりに男女差はあるからな。そもそも将棋棋士と囲碁棋士は別制度だから安易な比較には気を付けた方がいい
自民党総裁選でメディアがジャックされている今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。総裁選が終わると恐らく解散総選挙です。日々クソ忙しく働いて帰ったらメシフロネルの皆様方に、言うことを聞く政治家を作る投票のやり方を提案いたします。
ポイントは2つ
本来、政治家の仕事は減税することです。 増税は政治家が言わなくても、官僚が言い出します。逆に、官僚が減税を提案することは滅多にありません。 増税する政治家は、官僚の言葉を代弁する傀儡か、そうでなければ本気で増税を望んでいる馬鹿です。 「本当は増税に反対だけれど、どうしても必要だ」と言われても無視しましょう。 国民は「渡してある金でやりくりしろ」と言えばOKです。 十分に税金を払っているのに、まだ寄越せという精神的ヒモ男の政治家には投票せず、落選させて無職にしてあげましょう。
政治家は選挙の時に公約を掲げます。たいてい耳障りの良い事を言いますが、本当に公約を守っている議員はどれだけいるでしょうか。 あなたの選挙区の国会議員の名前を衆議院や参議院のサイトで検索してみましょう。 その議員が提出した法案や質問主意書、議会や委員会の議事録が出てきます。 公約を守るつもりがある議員は当然法案を提出します。関心のあることについて質問をします。 法案や質問の内容と、公約とを見比べましょう。やる気があるかわかるはずです。 (本当はメディアの仕事と思いますが、こういう地味な仕事を連中はやりません) 仕事をしている議員なら投票先として検討しましょう。 怠け者や噓つきは議員になっても数合わせにしかなりません。投票先としては不合格です。 働き者に投票し、嘘つきは落選させなくてはいけません。
昔の話
3歳児クラスで実習してた。
子供らは「つまんない」「よくわかんない」と言ってた。
遠足の帰りに子供らと当時放送されていた子供向けアニメの話で盛り上がった。
それを実習記録に書いたら先生に激昂された。
「なんのための遠足だと思っているんだ、遊びじゃない、ふざけるな!!仏様のお顔が穏やかだったねとか遠足に関わる話をしろ!!!ふざけてるのか、本当に常識がない!!!本気で先生になる気があるのか!!信じられない!!!」
当然実習は不合格だった。後に別の園で実習やり直したけど私には絶対先生なんて出来ないと再確認したから就職は全然関係ない方面に行った。
子供の気持ちに寄り添うっていうのを理解できない奴がやるもんじゃないよなって思った。
でも、あの遠足は本当につまんなかった。
理由としては単純で、ペーパーテストの結果があまりにも悪かったから。間違えた以前に、小論文書かされる系の問題についての知識が足りてなくて、時間配分もミスって、大問2〜3個全く書けてないみたいなことをしてたらまあそうなるわな、それでも希望者数的に枠はあるから大丈夫だろと思ってたらこれ。担当の教授に嫌われてもいるんやろなあ
バイトもサークルもめんどくさいからしないインターンも予定と被るしそもそも選考通んないからしないで就活から逃げるために決めてた院進学だから、正直進学できないことへのショックは薄い。ただ一緒に受けた同期へ不合格伝えんのがいたたまれない。「まあ基本落ちることないらしいよ〜」って言ってたの誰だよ!俺は基本から逸脱するほど頭が働かないバカということか?そう
合格者受験番号一覧的に内進者で落ちてるの自分一人確定なのも本当、、、俺死ね案件 全部自分が蒔いた種、というか蒔かずに水も何もやらずに適当に人生やってるツケが早々に来た
こっから先どうすればいいんだ、いやどうすればも何も大学一浪した時点で就職浪人の選択肢は無いから今年中に内定をもらわなきゃまずいんだけど、大手の就職先はもう募集締めてるし、やりたい業種職種も無いしでかなり詰んでる。とりあえずどうにか中小に拾ってもらえるよう大学の就職課に駆け込むけど今から入れる就職先ってヤバいのしかなくないか?
元増田です。
某早稲田9浪インフルエンサーの彼が東大院に合格する方法を1年間考えていました。
彼は、教育格差、特に地域間の教育格差の研究をしたいそうですが、それだと受からないと思います。
そんなことは他の研究者もやっていることです。
彼が大学院で研究すべきテーマは、ずばり「大学受験浪人は意味があるのかどうか?」です。
現役時に早慶不合格で明治に合格した人が、1年間浪人したら、早慶に合格することは十分にありえます。
1浪だと就職にも響かないから、浪人することができるなら浪人するのもアリです。
たとえば、次のケース。
B君は、現役時、早慶不合格、明治合格でしたが、浪人し、1浪で、早慶に合格しました。
学歴としてはB君の方が上ですが、では、ふたりの卒業後の就職先・年収に違いはあるのでしょうか?
MARCHレベルでは、上澄み層は過半の早慶生よりも就職先や年収で勝ちます。
もしかしたら、A君はそういう明治大学の上澄み層になるかもしれない。
卒業後の就職先・年収で、A君=B君となることは十分にあり得ます。
行動遺伝学では、歳を取るほど、遺伝(持って生まれた性質)の影響が強くなってくると考えます。
となると、浪人してワンランク上の大学に進学したとしても、卒業してしばらく経ったら、浪人しなかった場合とほとんど変わらない年収になるかもしれない。
あるいは、どういう人・条件なら、浪人した場合、社会的地位や年収が高くなるのか。
まだまだここら辺は分かっていません。(人それぞれと言える)。
だからこそ、分析モデルを組み立てて、データを集めて、何らかの結果を出したなら、面白い。
某9浪氏の知名度があれば、修士論文が出版社から本として出版されることもあるでしょう。
上記の研究をするのに、東大の教育学の院がふさわしいかどうかは分かりません。
社会学とか経済学のほうがいいかもしれないし、東大にこだわる必要も無いです。
別に東大の院でなくても、研究成果を出して、大学教授になれたら、「勝ち」だと思いませんか?
ちなみに、社会学では「体育会系学生の就活は有利かどうか」を調べて博士論文にしたものがあります。
『就職と体育会系神話 大学・スポーツ・企業の社会学』という本です。
この本の著者によると、体育会系の学生が就活で有利になるのは、「一流大学の男子学生がチームスポーツをしていた場合」に限られる。
との結論でした。
こういうのも、言われれば、まあその通りだと納得しますが、実際に調べてみないと分かりません。
共学高校→工学系大学→自動車業界と歩を進めてきた私にとっては、高校の部活の同窓会というのは男女比がほぼ5:5になる唯一のコミュニティだ。
大学に入って以来女子のほうが多い飲み会に参加した記憶などなく、仕事帰りに男女で居酒屋に入っている集団を見ると例外なく殺意を覚えたものだが今回ばかりは私がその男女の集団なのである。
そんな飲み会に参加できるのであれば、妻との交渉にて使ったHäagen-Dazsなど安いもの。
ただ一言だけ断っておきたいのは、私は決して浮気不倫等の社会倫理に悖るコトをしたいのではなく、ただ単純に旧友に会って話がしたいということのみであり、ついでに女子が多く場が華やかであれば尚良しというただそれだけのことである。
さて高校3年間、16~18才の所謂"青春時代"をともに過ごしたメンバーであるから、破局したカップルがいたり、叶わぬ片思いの相手がいたりと愛憎渦巻く飲み会であった。
元カップルが、現在全く別の相手と結婚していたりいまだ独身だったりするのであるから、それは破局したと言って差し支えないだろう。
全員アラサーであり、良くも悪くも大人なので昔の恥ずかしくも甘酸っぱい思い出を語るようなことはせず、もっぱら話題は結婚、出産、子育て、マイホーム、転職、近況が主な話であり、それぞれ自分の人生を歩んでいると思った。
マイホームとその予算。子育てと仕事との折り合い。転職と投資。今の日本を覆う諸問題は、眼の前の旧友たちにも例外なく振りかかっているようだ。
そんな中、私の元片思い相手は絶賛彼氏募集中という話を聞いた。
一番結婚から縁遠そうな私が結婚したので、妻との馴れ初めや結婚式の話をしていると、そのようなコトを言っていたのだ。
どうやらマッチングアプリを使ってはいるものの、なかなかいい人と巡り合っていないという近況とのこと。
それを聞いたときの私の心情というのが今回の文章の主題である。
温めの燗酒と炙ったイカをお供に私の舟唄を聞いてほしい。
その件の相手というのは高校の同級生で、入学したとき私の前の席だったのを覚えている。
どちらかと言うと明るいが奇妙奇天烈な性格で、典型的なオタク女という分類になるのであろう。
意識したきっかけは何だったか、はっきりとは覚えていないが確か魔法少女まどか☆マギカの映画化に際して、今度よかったら一緒に観に行かない?と(おそらく向こうにとっては)なんの気無しに言ったお誘いだった記憶。
女子からなにかに誘われるということはそれまでの人生で1度となく、胸が高まったというのだけは覚えている。
地元のイオンモールに2人で買い物に行ったことがある。私の人生初デートである。その時の目的もはっきりとは覚えていないが、確か何かしらのアニメグッズを買いに行くのが目的だったはずだ。
そこから約1年。同じ部活のメンバーとして練習をしたり、みんなでカラオケに行ったりという何気ない日常が続いていた。
その頃にはもう好きになっていたのであろう。
まどか☆マギカを観に行かないかという誘いは、そして果たされることになる。
201X年の12月24日。県庁所在地にある映画館にて映画を見に行った。
当時アマガミという恋愛シミュレーションゲームにハマっていた私は、クリスマスデートというのは絶対に抑えておきたい高校生活のメインイベントだった。
彼女にその気があったかは私は知らないし、知ることはないだろうがそれでも私にとってはデートだった。
親に出かけるといい、精一杯のおしゃれをして、なんとなく親には察され、待ち合わせ場所に向かった。
地元の駅で待ち合わせ、映画館に向かう間は私は緊張してあまり喋れなかったように思う。
映画を観終わって帰路をたどっている最中、私はどうやって告白するか、それだけを考えていた。
もう少し正確な表現を心がけるなら、おそらくその日は1日中告白することだけを考えていたのだろう。
恋愛シミュレーションに毒された高校生が、12月24日に映画館デートをしているのである。
意中の相手とクリスマス・イブに2人で出かければ、意識をするなという方が酷な話であろう。ましてや17才の青春真っ盛りの高校生であれば、恋愛脳であっても誰からも咎められはすまい。
だが私は結局言い出せなかった。
告白なんかできる雰囲気ではなかった。言えるタイミングがなかった。言い訳を挙げればキリがないが、要するに怖気づいて言えなかったのだった。
部活はまだ続いていく。告白して失敗し、気まずくなるよりはリスクを冒さずに現状維持することを選んでしまったのだ。
この選択は正しかったと15年たった今でも自分に言い訳を続けている。
年が明け、年度が変わり高校3年生になった。私は理系、彼女は文系なので違うクラスに。それは部活を引退すれば疎遠になるということだった。
インターハイが終わり、私の高校での部活は終わった。これからは大学受験に向けて各々勉強する時期である。
とはいえ、高校生活はまだ続いていくからイベントはある。文化祭や体育祭、球技大会などクラス単位で楽しむイベントはまだ残っている。
当然私も自分のクラスで、文化祭や体育祭など全力で取り組んだ。文化祭の出し物の打ち合わせで22時過ぎまでファミレスでクラスメイトと話し合いをして、追い出されたのはいい思い出である。
彼女と同じクラスで出し物ができる、文系クラスの友人を羨ましく思った。
私は英語が大の苦手で、このままでは英語が足を引っ張り不合格になるであろうことが予想されていた。
両親の方針で、地方でひとり暮らしをしてでも浪人は絶対にNGとのことだったので二次試験に英語のない地方の大学に目標を変えざるを得なかった。
詳しくは知らない(し、未だに彼女がどこの大学に行ったのかはよくわかっていない)が彼女は実家から通える都内の大学を受験すると聞いた。
2人の距離が、どんどん開いていくような気がした。
3月になり、私は地方の大学でひとり暮らし。彼女は都内の大学に通うことが決まった。4月になれば離れ離れである。
卒業式が終わり、付き合っているわけではないが彼女との別れが近づいてきた。
私は彼女が秋葉原のメイド喫茶と池袋のアニメイト本店に行きたいと言っていたのを覚えていたので、彼女をデートに誘ったのだ。
私は当日が楽しみだった。普段は見ない朝のテレビ占いなんかもみて自分の運勢を確認したくらいである。
そしてクリスマスの日にできなかったことを今日こそはとも思った。
何しろもう後が無いのである。月末には私は地方に行かねばならない。
都内でのデートは非常に楽しかった。私の青春の集大成と言ってもいい。
行く先々でカップルと見られるのは心地が良かったし、この時間が永遠に続いてほしいとも願った。
どうしても遠距離になってしまうし、現実的には厳しかったのも理解していた。
ただこれからが絶望的な以上、クリスマスのときのように比べる天秤がない以上、一兆分の一の可能性を信じたかった。
地方に引っ越しをした時が私の人生で一番寂しかった時期だろう。
知らない街、知り合いは誰もいない中で、選別に貰ったキーホルダーが失恋を常に思い出させた。
失恋から6年後、キーホルダーが壊れてくれたお陰で、私は青春と漸く決別できたのである。
同窓会で再開して、彼氏募集中のようであったとしても、私にはもう人生をともにする伴侶がいる。
今の妻と別れてもう一度青春を取り戻すべきであろうか?
それが不可能であり、すべきでないことは論じるまでもないであろう。
綺麗な思い出は綺麗なまま保管せざるを得ないのである。
せめても彼女に、佳き人が現れることを願う。
東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀は特別の存在であった。これは今の若い人には分からないであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からないからである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別に、インターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代を代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀、堀江貴文(ホリエモン)、西村博之(ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのである。ファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。
私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたものを網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信もほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレの古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。
東浩紀は71年5月9日生まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介の時代区分だと、虚構の時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。
東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市に引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親は金沢の出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組】東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼は新左翼。左翼よりバカ!」【真実と幻想と】)。
東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校の模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。
筑駒(筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブの高井麻巳子の福井県の実家を訪問したことであろうか。秋元康が結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代にうる星やつらのファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。
もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。
東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月)である。ソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫のノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。
東は、教養課程では、佐藤誠三郎のゼミに所属していた。佐藤は村上泰亮、公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在(2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文とグロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤のゼミに所属していたことから、学部時代に読んだのだろう。
東は94年3月に東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科を卒業し、同4月に東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文はバフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである。私たちの世代は三読くらいしたものである。博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。
郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッターで清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。
東の若いころの友達に阿部和重がいる。阿部はゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイを寄稿している。川上は早稲田文学の市川真人によって見出されたらしく、市川は渡辺直己の直弟子である。市川は鼎談「現代日本の批評」にも参加している。
東は、翻訳家・小鷹信光の娘で、作家のほしおさなえ(1964年生まれ)と結婚した。7歳年上である。不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー「東浩紀「批評家が中小企業を経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。
そして娘の汐音ちゃんが生まれる。汐音ちゃんは2005年の6月6日生まれである。ウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれた時間まで書かれている。名前はクラナドの「汐」と胎児用聴診器「心音ちゃん」から取ったらしい。ツイッターのアイコンに汐音ちゃんの写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分の写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館「世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。
96年、コロンビア大学の大学院入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試が残酷なのは、それが受験生を合格と不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生や家族に対し「おまえの未来は合格か不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢は無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。
2 ゼロ年代
東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年に刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である。
東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便的不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だから、サブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。
「いま批評の場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。
動ポモは10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから「動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモはフェミニストには評判が悪いようである。北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモは英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客の哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客の哲学」が3つと動ポモが圧倒的である(2024年8月3日閲覧)。動ポモは海外の論文でもよく引用されているらしい。
次の主著である「ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視を否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。
この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年生まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである。北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラを告発されたこともあるが、不発に終わったようである。結婚して子供もできて幸せらしい。
その頃は2ちゃんねるがネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃんを俎上に載せている。北田は「広告都市・東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーションが接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析の古典ではある。
東は宮台真司や大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本のジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である。動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。
宮台や大澤や北田はいずれもルーマン派であるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者の馬場靖雄(2021年に逝去)は批評空間に連載されていた頃から「存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文「正義の門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマンの社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの「社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。
佐々木敦「ニッポンの思想」(2009年)によると、ゼロ年代の思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義!日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダン”とは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。
佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代の思想の土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。
北田によると、東の「情報技術と公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術、工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会の批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。
佐々木「ニッポンの思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝「ストリートの思想」が出ている。文化左翼の歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代(佐々木の命名)から勢いが増していき、今や大学、メディア、大企業、裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。
非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり、本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田は消息が分からなくなり、小谷野も2017年頃から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年、教育學 Permalink | 記事への反応(13) | 17:44
ふわふわしすぎだろ
「パリ五輪のボクシングトーナメントに参加するすべての選手は大会の資格と参加規程、パリ2024ボクシングユニットが定めたすべての医療規定を遵守している。これまでの五輪のボクシング競技と同様に、選手の性別と年齢はパスポートに基づいて決定される」と、強調。予選でも適用されているとし、同じく昨年不合格となっていた57キロ級のリン・ユーチン(台湾)も含めケリフらは「2人は女子カテゴリーの大会で長年にわたり活躍してきた」との認識を示した。2人は東京五輪などにも出場しており、昨年の世界選手権での失格については「IBAによる突然の恣意的な決定で正当な手続きなしで突然失格となった」と、説明した。
出場を認めて声明も出してそれ以上何するの?
https://news.yahoo.co.jp/articles/5221faa3d730f605b40e2530aabb788f2527b66f
パリ五輪のボクシング女子に出場する選手が脚光を浴びている。イマネ・ケリフ(アルジェリア)は8月1日の66キロ級2回戦に、リン・ユーチン(台湾)は同2日の57キロ級2回戦に登場。ともに昨年世界選手権で性別適格性検査に不合格となり、出場権を剥奪された過去がある。しかし、五輪出場は認められ、X上の海外ファンは「信じられない」と反応
国際ボクシング協会(IBA)主催の昨年世界選手権でDNA検査を実施。ウマル・クレムリョフ会長は「彼らはXY染色体を持っていることが証明されたため、除外された」と明かしたという。IBAは同紙に対し「包括的な検討の結果、この決定を下し、競技の公平性と完全性を維持することを意図していた」と語っている。