はてなキーワード: 一言とは
絵を描かない連中が永遠に理解してくれないから、屋上屋を架すことになった。いい加減理解してくれ。
少しでもデジ絵を触ればわかるんだが、生成AIで出力しただけの画像は、見ればもうAI産だとわかる。なんもしてないんだなって。こいつ何も考えてないってわかるんだよ。手が3本生えてるとか、髪がめちゃくちゃとかじゃなくて。もうコンテキストがない。わかるかなぁ。
絵を描くときには基本的に目的があって筆をとってるわけ。そうすると、何処を描き込んで、どこを描き込まないかっていう、気圧の差っていうか、そういうのが産まれるわけ。
これは絵を描くことが楽しいバーサーカーでも同じ。そういうやつはだいたい、普通はそんなことまでやらんってことをしてくる。こいつやりおったって。そういう、画面の向かいのニンゲンの意思が伝わってくる。何を伝えたいのか、なんとなく伝わってくるわけ。これはなにも高尚なメッセージじゃなくても、「金髪のチャンネー最高!」とかでもいい。本当に何でもいいが、おれたちはそのメッセージと、メッセージの伝達方法の工夫を楽しみにネットの絵を見てるわけ。
でも、生成AIから「出しただけ」の絵はそうじゃない。そういうのはもう気圧がめちゃくちゃ。おまえこの絵のどこを見てほしいの?何を伝えたくて書いたの?何もわからない。その結果、おれたちはどうでもいい天井のシワを見つめて、お前たちが伝えたいのはこれなのか……?っておそるおそるプロフを見に行って、やっぱAIじゃねーか!ってなる。全く無駄な行為だったわけだ。そこに意図なんてなかった。誤解したおれが悪かった。そんなことを繰り返した結果、絵を見た瞬間に「それが生成AI産なのか」がわかるようになった。
最近はもう「その雰囲気」を感じ取っただけで見るのをやめてる。昔から知ってる神絵師だけをフォローして、新しいメッセージを、たまにしか降ってこない甘露を、延々と待つようになった。pixivをディグるのはもうやめた。イラストを凝視しても得られるリターンが担保されないので、虚しいからだ。
リターンがなければ、無視すればよろしい。それが黄金則だ。絵師と生成AI絵師は別世界に棲み分ければ良い。実際、生成AIにもメリットと独特の良さがある。それは認めるところである。
だがしかし、絵師には絵師なりの理由があって、今日まで生成AI許すまじと論争を続けている。ある問題があるからだ。
それは、生成AI丸出し、なんのコンテクストもない画像が、何故か一部民衆に受容されつつあるということだ。
他の、著作権がどうのという問題は、絵師が共通で抱えている嫌悪感のすり替えに過ぎない。無視したいが、なぜが周りの民衆が無視しないから、何かの理由を付けて批判せざるを得ないのだ。
冒頭で、審美眼がないと言った。それは一部の生成AI絵師もそうだが、何よりあれを「手書き並のクオリティ」と持て囃す消費者層を形容した言葉だ。
少しでも絵を触ったことがあれば、生成AIのファーストインパクトは「へーすごいね。でも仕事にはならないな。すげーおもちゃだ」だっただろう。それなのに一部の消費者層は、これを大変有り難いと言わんばかりに使い始めたわけだ。
おい待てと。これのどこがいいんだと。じゃあお前らはいままで俺たちが描いたもののどこを見てきたんだと。
当然、嫌悪感を抱く。だが、「だってそれ生成AIで出しただけじゃん!」と伝えても、彼奴等は首を傾げるばかり。
最近は、どうみても実写丸出しの自称「アニメ」がニュースに載った。何より驚いたのは、あれにゴーサインを出した報道陣である。絵に対する恐ろしいまでのリテラシーのなさだ。あれのどこが良いと思ったのか、まるで理解できない。仮にもアニメ制作会社と関係のある会社の振る舞いがこれかと、閉口したものだ。
どうせ伝えても伝わらない。そのうち、この嫌悪感を「そういう層」に伝わるような問題点にすり替えて問題を論ずるようになった。やれ著作権が、権利が、そういったものに。
だが、それらは理論上は手描きでも可能で、AI独自の問題じゃないということは、誰にだってわかる。だから平行線なのだ。
この感覚は、なかなか伝わらないらしい。だから、比較的広い層に伝わりそうな類例を持ってきた。
機械翻訳もまた著しい発展を迎えた界隈である。が、機械翻訳だけで全てが事足りるとは思っていないはずだ。
これはアカデミックに属したことがあればわかるが、英語の論文を機械翻訳して読む、という行為にはまったくの意味がない。著者が伝えたい事実を、機械翻訳は考慮しないからだ。そのうえ、業界の慣習を無視した翻訳がなされるので、その翻訳された文章に意味はない。なんとなく読んだ気になるだけだ。
小説もそうだ。ハリーポッターでもなんでもいい。あれらの「機械翻訳版」と「訳者監修の日訳版」どっちを手に取るか。当然後者だろう。
そうした現状にあるのに、海外製品の公式ドキュメントは多言語翻訳版を機械翻訳によって作成する。「機械学習により作成されたため、不正確な場合があります」と但し書きを付けながら。
これはビックテックであっても例外ではない。訳者を雇う金はありながら、正確な訳を提供しない。
なぜか?日本語話者なんてよく知らないし、どうでもいいからだ。
それでも有り難がる連中がいる。英語を読めない層だ。そんな不正確な日本語読んでる暇があったら英語勉強した方が早いよと伝えても耳を貸さない。それで満足している層に恐怖する。機械翻訳版を読んで何かした気になっているニンゲンの、その感性に恐怖している。それは天井のシミなんだって。そこに別の人間が伝えたかったメッセージは存在しないんだと、伝えても伝わらないことに恐怖している。
というわけだ。
現在抱えている嫌悪感のその本質は、「メッセージ性も何もない破綻した絵を持て囃す連中の審美眼が信じられない」ということになる。
さらに恐ろしいのは、彼らが生成AIの発達とともに、その審美眼と理性を失ったわけではないということだ。
彼らとて、三歳児の落書きと、絵の修練を積んだ人間の描いた絵の区別はついていた。だから、絵師たちは自分たちが絵に込めていたメッセージが市井に伝えられているのだと信じることができた。それを感じ取ってくれているからこそ、自分は市場に支持されているのだと信じることができた。
が、今は違う。
生成AIから出しただけの画像と手書きとの区別もつかない連中がいるのだと知ってしまったからだ。
だから、自分の支持者の中にそんな「肯定派」がいないか魔女狩りもしたくなる。それを肯定する気にはなれないが、その絶望は理解できる。
そうせざるを得ないのは、少しでも正気に戻ったら「生成AI丸出しの画像のクオリティでいいなら、おれたちこんなに心身削って絵を描く意味ないじゃん」と気付いてしまうのを避けているからだ。
高精細なイラストなんていらなかった。市場がそれを求めていなかった。顧客は、一分で生成された「なんかよさげな画像」に吸い寄せられていく。なんだよ。それでいいなら、おれたちこんなに描かなくて良かったじゃん。
そして、この価値観が行き着く先は、「誰も作品に込めたメッセージを理解してくれない」「誰も自らの磨いた技術を評価してくれない」という絶望の世界だ。
それが繰り返されれば、当然続ける意味もなくなる。そして現在の伝統的製法によるイラスト制作技術は失われ、生成AIによる模造品が市場に氾濫することになる。廃業なんて話じゃない。業界自体の喪失だ。絵にメッセージを込めるという行為時代が廃れるのだ。
急に暑くなったせいで風邪引いてるうちに4月も3週目になってしまった。相変わらず本数が多すぎる。
OPからポプテピっぽいギャグ枠かと思いきや流石にポプテピほど無茶苦茶ではなかった。
ギャグ枠としてそれなりに面白かったとは思うので叩きまくられてるのは原作勢の期待が高すぎたのかね、「メディアの違いを理解せよ」案件なのだろうけど難しいね。
みたいな感じで眺めていたが、某動画を見てようやく理解。確かにこれは別物だし、これを期待されると厳しい。
BWセールの時に原作全巻纏め買いするかちょっと悩んでしまってスルーしたが買っておくべきだったか。
異世界メシ枠。
最初めっちゃ重い始まり方をしたのにメシ食う話になっていくのってちょっとどうなの?妹を助けるんじゃなかったの?と思っていたのにクール終盤では「愉快なダンジョングルメアニメなのに急にシリアスになった!」と思ってしまうのだから人間は適当。
マルシルかわいい。癒される。
妹を助けて綺麗に終わってめでたしめでたしと思いきや2クール構成だった。
メシものっぽい装いに半ば騙されてしまったけど実はこれやっぱり割と重めとかシリアスなのでは。
原作全巻買ってみた。
1話で麻雀ネタを出しまくった時点で「あ、もうこれ麻雀やらないやつだ!」と理解。予想通りほぼ麻雀はしない雀荘ゆるふわ女子高生ライフもの。
謎のなかよしコミカライズでは再現不可だったキャラクター原案:春場ねぎの絵をアニメではきちんと再現したのは偉い。
自分は麻雀ルールよく知らないので麻雀ネタはあまりよく分からなかった。
バディ物、人造人間であるネアン、ネアンに組み込まれたアシモフコード、同族殺し、特撮ものみたいな変身、と色々面白そうではあったけど、美味しい原材料を詰め込んでも美味しい料理ができるとは限らないよねという作品。
横文字独自用語は覚えにくいし、殆ど説明もしないし、アニメだけ見て設定周りの話を理解するのはちょっと厳しくないですかこれ。
キャラクタもテーマも設定も欲張り過ぎた感がある。2クールで上手くやれば令和のキディグレイドになれたのかもしれないけど、どうも無理矢理1クールにしてこうなってしまったぽさがある。
小物界の大物みたいなラスボスはあまりに安っぽすぎるし、最後のオチが昔のハリウッド映画みたいなのはどう評したらいいのか。お巫山戯要素のつもりなのか本気なのかもうちょっとわかりやすくして欲しい。
興味半分で視聴し始めて最後まで見たものの距離感バグってる系イケメンこと逸臣さんのホストみたいな言動(偏見)が無理でした。どうしても心の中のアーニャが「こいつ嫌い」って騒ぐ。
頭ポンポンはイケメン無罪でギリ許すとしても、女の子を夜中に外に呼び出すとかどうなんだという。桜志くんでなくても怒るわ。
これは割と賛否両論ではと感想サイトを見て回ったものの「胸キュンです!」「ドキドキします」みたいな感想が目に付いたので、なるほどこれが男女差…!と納得。
なおabemaのコメ蘭では桜志くんが大人気、しかし幼馴染みは必ず負けるのが宿命。まあ桜志くんは戦う以前に三角関係すら許されず、完全に蚊帳の外で何も知らないうちに敗北していたのだが。バナージ…悲しいね…。
ただ桜志くんも一応大学生なはずなのに、悪意すら感じるほどに精神的に幼い造形なのはもうちょっと何とかならんかと。
「素直になれない幼馴染み」が許されるのは高校生まででしょう。
案外面白くなってた枠。
前シーズンまでをちゃんと見たような見てないようなという感じで見ていたけど十分面白かった。
実力を隠すやれやれ系主人公に見えてただのサイコ野郎。誑かしたヒロイン達に刺されるとまではいかなくとも罵倒される展開になって欲しい。
衣笠トモセコンビって、エロゲだと面白そうに見えていまいちという印象だったのでちょっと見直しました。
なのでコミカライズ全巻買ってみた。
悪役令嬢ではなかった枠。
悪役令嬢要素はほぼなくどちらかといえば最強枠の亜種で、本来のヒロインを助けて乙女ゲー本来のシナリオを遂行させる感じ。
もうちょっと盛り上げるとかできそうだったと思うのでちょっと惜しい。
EDで主人公と一緒に歌うキャラはてっきり親友とか相棒とかみたいな扱いかと思ったら全くそんなことは無く出番も本当にチョイ役で、しかも歌の内容は王子の1人を思う歌という聞けば聞くほど「一体なぜ??」と思わせてくれる曲。主人公の合いの手がやる気無しなのも含めて妙にクセになる。
1話からハードモードでドシリアス、個性豊かな異能力バトルもの。
やたらキャラ紹介に時間を割いていたので2クールかと思ったら1クールだった。
こういうのは連続2クールでやって欲しいけど2期あるんだろうか。
タイトル通りもふもふなでなでする癒やし枠なんてなかったシリーズ構成:赤尾でこ枠。
幼女に異世界転生してもふもふなでなでするはずが終盤、もふもふの里に攻めてくる人間達と戦うことになり戦いが終わった後に敵である人間側の打ち上げに参加する主人公のメンタル一体どうなってるの…。
「もふもふなでなでするために」なので現状がもふもふなでなでしてないのは正しいのだが、もうちょっとこう。
悪役令嬢だったけど処刑されたら異世界転生して外科医になったら今度は事故死して元の世界に異世界転生して色々邪魔されつつもお医者さんを目指すという話。
処刑されるほどの悪役令嬢だったという割には、具体的にどんな悪行を積んだのかははっきりせず。
医学監修は入ってるっぽいけどガチ医療ものではなく、手術とかはかなりマイルドな描写。これでK2みたいなのやっても面白いと思うのだけど。
しかし医学ネタだからか、この世界観でこの医学レベルは有り得るものなのか?みたいな感じがしてしまう。医学の歴史をよく知るわけでも無いのに。
以前に「彼女が公爵邸に行った理由」を見たとき、「(韓国では)女性主人公が自分の人生を切り開いていく話が人気で流行っている。ただしその世界観や社会については詳しく設定されない傾向がある」という話を見たのだけど、これもそう感じなのかなと。
などと思いつつ漫画の試し読みを見たら「地球ではない違う世界」と堂々と書かれてて驚いた。アニメじゃそんなこと一言も言ってなかったじゃん…。
突然異世界ダンジョンへ行けるゲートが現れた世界で最弱ハンターしてた主人公が覚醒して最強オレTUEEEEを目指す話、だと思う。なお女性キャラは空気。
グローバル展開を意識してるのか作中の標準語はどうやら英語っぽい(でも街並みは日本っぽく見える)。
そのせいか表示されるウィンドウが悉く英語表記でしかも一瞬なので読めないものが多い。サブタイトルすら全て英文。
一部字幕が付いたりもしたが、「視聴者に読ませたい文字列」と「視聴者が読む必要がない文字列」の区別をあまり付けられてないのだなあ感がある。
タイトルだけ見ると汎用なろう亜流みたいな雑さを感じるけど見る限り割とよく死にそうになってるので実は俺TUEEEEEE感はそんなに無い。
なので素直に英語タイトルの「Solo Leveling」の方がいいと思うが、最近の流行りからすると目立たず埋もれてしまうのかもしれないのでこの辺は難しそう。
公式サイト https://sololeveling-anime.net/ 背景のキービジュアルを見ると「主人公が2人いる」とか「未来の自分が現れる」とか、そういう系統を想像していたのだけどなんと僅か数ヶ月(?)入院していただけで右から左に変わったという。
完全に別人じゃん!!というツッコミも織り込み済みなのだろうが、変身とか魔法的なやつで変えたとかでええやんと思ってしまう(流石にこの豹変を「入院中に身体を鍛えた」だけで乗り切るのはパワープレイにも程がある)
あまりこういう細かい(?)ところはあまり気にされないのだろうか。
ところでハンターの報酬はパーティでの貢献度に応じて分配されるみたいな話があった気がするけど、最弱ランクであった当時の主人公が毎度ケガを負いながら命がけでハンター稼業やっていたのか割と謎。金が必要なら普通に就職した方が稼ぎはいいのでは…?
一体何を見させられてるんだ枠。
お隣の天使様みたいなのかと思ったら天使様は告らせたい、これが天使と悪魔の恋愛頭脳戦!みたいな話(だいたい合ってると思う)。
原作全巻買ってみた。
これが噂に名高い指輪物語、ではないシリーズ構成:赤尾でこ枠。ちょっと平成っぽいOP好き。
一応ラブコメ感もあって良いのだけど可もなく不可もなし…ぐらいの印象。どうしてだろ。
いかにも続きは2期でみたいな終わり方だったのが尾を引いてる?
取りあえず原作全巻買ってみた。
あまりの予想外な展開は面白かったけど申し訳ないが1話で離脱してしまった。
1期はシンプルに面白かったと思うんだけど、2期キャラが増えるとややこしい話になりうーんってなってしまうのは何故なのか。
異世界転生賢者とあっちこっちしたり異能力バトルしたり商人やったりする話。ていうか異世界もので主人公が商人やるパターン多い気がする。
色々要素を詰め込んで面白そうには見えるのだけどちょっと嵌まらなかった気がする。
かわいそうなのは抜けない枠。
1話は絵が綺麗なだけで初見勢置いてけぼり、その後段々話が分かってきたらちょっとハードモードが過ぎていてかわいそうなのは抜けないになってしまった。
一応異世界転生(?)の亜流っぽいが転生してきた奴の声は一切聞こえず、主人公がセリフを代弁する形。
「え?『○○○○が×××』って?」みたいなセリフってDLsiteの音声作品じゃん…とかどうでもいいことを気にしてしまった。
終盤辺り、周囲がただ主人公を賞賛するだけのようなよくない空気になってたのが残念。
いわゆる追放ざまあ系ぽいが追放要素はフレーバー程度、メインは最強タンク主人公が迷宮攻略なのでタイトル自体は一応正しい。
戦闘シーンは非常に単調で、スキルで挑発して攻撃を受けて跳ね返すが基本パターンで応用パターン無し。
ラスボスにだって通用してしまう挑発スキル、実は最強タンクではなく挑発こそが最強なのでは?
戦闘シーンでは静止画の作画レベルを保てないと判断したのかまるで止まってるかのように見える。
EDの最後に主人公の隣に居るキャラは毎回変わってるという指摘がabemaのコメ蘭であった時にコメ民全員驚いていたのが印象的。
毎回見ていたはずなのに全く誰も気付かない怪現象…!
異世界転生(召喚)してきて主人公だけ治癒魔法使いでした、だけど治癒魔法使いは…みたいな話。
ギャグ枠だと思ってたのに重いシリアスぶっこまれると温度差で風邪を引いてしまう。
ちっともスローライフしてない枠。途中まで2期ものだったと気付いてなかった。
1期の評判はどうなんだろうと感想サイトを見てまわるとやや低評価気味だったものの放送当時の実況系サイトだと大好評、というかツッコミどころが多くて面白かったっぽい。
やべー勇者を打ち倒して意外と順当に良い感じにまとまって終わってめでたしめでたし。
「最強」「異世界」「チート」のいずれかの単語がタイトルに含まれていると途端に期待値が下がるのだけど、3つも揃うと逆に面白くなる枠。
これは最強なろうチート系作品に対する皮肉というか当て付けというか、最強チートを極めたらこうなるよねという作品。
殆どのキャラにちゃんと名前が設定されていてご丁寧に表示されるものの、関係なく即死させられるのでもはや死亡フラグですらある。
ボケをかます主人公にきちんとツッコミを入れるヒロイン、そして普通のアニメなら2、3話使いそうな内容でも1話どころかAパートで消化してしまうようなテンポの速さで頭空っぽにして見るには最高。
ギャグはこういうのでいいんだよこういうので。
北海道ネタとギャルで1クール乗り切ってしまった。先輩の出番が少なすぎる。
これはこの後、面白くなるやつではと思って原作全巻買ってみた。
1話見た時点で「面白いとは思うが食い物拷問ネタみたいなのばかりで1クール持たせられるのか?」と疑問を抱いたがただの杞憂でしかなかった。
ギャグ時空だから好き放題できる利点を最大限に活用していて、城外のシーンで出てくる世界観が何故か現代日本にしか見えないのはツッコミどころであるはずなのに何度も見てると違和感無く受け入れてしまってるしむしろ平和に暮らしている魔王軍が何故国王軍と戦ってるのか謎で仕方ない。
BWセール時に全巻セットを買い忘れたのは失態だった。
何がどうという訳では無いが、盛り上がりも盛り下がりも特にしなかった薄い印象。
リアルタイムに見れなかったのでまとめて視聴。OPの曲と映像の合い具合が素晴らしい。
前シーズンの続きなので最初から面白い、周りは基本善人、丁度いいところを上手い具合に突いてくれるラブコメ枠として大変優秀。
ギャグ無しシリアス展開、魔術言いつつ割と拳で解決気味。前後編の短編構成でエピソードを重ねていくやつって何か好き。2クールでやって欲しかった。
美術史家のハインリヒ・ヴェルフリンは、イタリアのルネサンスの絵画と建築に具体化された古典的な美の概念について考察している。
イタリア ルネッサンスの中心的な考え方は、完璧なバランスです。この時代は、建物と同様に人間の姿においても、それ自体の中に静止している完璧なイメージを達成しようと努めました。あらゆる形態は自己存在する存在へと発展し、全体が自由に調整され、独立して生きている部分にすぎません…。古典的な作曲のシステムでは、個々の部分は、たとえ全体にしっかりと根付いていても、一定の独立性を維持します。それは原始芸術の無政府状態ではありません。部分は全体によって条件づけられていますが、それでもそれ自身の命を持つことをやめません。観客にとって、それは分節、つまり部分から部分への進行を前提としており、それは全体としての知覚とは非常に異なる操作です。
古典的な概念では、美しさは、比例、調和、対称性、および同様の概念に従って、統合された部分を配置して一貫した全体を形成することで構成される。
これは西洋の原始的な美の概念であり、古典および新古典の建築、彫刻、文学、音楽のどこにでも体現されている。
アリストテレスは『詩学』の中で、「生き物、そして部分から構成されるすべての全体が美しくあるためには、部分の配置に一定の秩序がなければなりません」(アリストテレス、第 2 巻)と述べている。
そして形而上学では、「美の主な形式は秩序、対称性、明確性であり、数学科学は特別な程度でそれを実証しています。」(アリストテレス、第 2 巻)
アリストテレスが示唆しているように、この見方は黄金分割などの数式に要約されることもあるが、それほど厳密に考える必要はない。
この概念は、とりわけユークリッド原論などの文書やパルテノン神殿などの建築作品に例示されており、また彫刻家ポリクレイトス (紀元前 5 世紀後半から 4 世紀初頭) の正典によって例示されている。
カノンは、完璧なプロポーションを示すように設計された彫像であるだけでなく、今では失われた美に関する論文でもあった。
医師ガレノスは、この文章の特徴として、たとえば、「指と指、すべての指と中手骨、手首、そしてこれらすべてと前腕、および前腕と腕」の比率を指定していると説明している。
その論文で身体のすべての対称性を私たちに教えてくれたポリュクレイトスは、その論文に従って人間の像を作り、論文と同様にその像自体を正典と呼んだ作品でその論文を裏付けた。
古典的なテキストにおける「対称性」の概念は、双方向の鏡像関係を示すために現在使用されているものとは異なり、より豊かであることに注意することが重要。
それはまた、古典的な意味で美しい、物体の特徴である部分間の調和の取れた測定可能な比率の一種にも正確に言及しており、道徳的な重みも担っている。
たとえば、『ソフィスト』 では、プラトンは高潔な魂を対称的であると説明している。
古代ローマの建築家ウィトルウィウスは、その複雑さと、適切であるがその根底にある統一性の両方において、中心的かつ非常に影響力のある定式化における古典的な概念を体現している。
建築は、ギリシャ語でタクシーと呼ばれる秩序と、ギリシャ人がディアテシスと呼ぶ配置、そしてギリシャ人がエコノミアと呼ぶ比例と対称、装飾と配分から構成されます。
秩序とは、作品の細部を個別にバランスよく調整し、全体としては対称的な結果を目指して比率を配置することです。
プロポーションは、優雅な外観、つまり文脈の中で詳細が適切に表示されることを意味します。これは、作品の細部がその幅に適した高さ、その長さに適した幅である場合に達成されます。一言で言えば、すべてが対称的な対応関係を持っているときです。
シンメトリーは、作品自体の細部から生じる適切な調和でもあります。つまり、与えられた各細部が全体としてのデザインの形に対応することです。人間の身体と同様に、キュービット、足、手のひら、インチ、その他の小さな部分から、リトミーの対称的な性質が生まれます。
アクィナスは、典型的なアリストテレスの多元主義的な定式化で次のように述べている。「第一に、誠実さ、あるいは完璧さです。何かが損なわれていると、それは醜いからです。次に、適切な比例または調和があります。そして明晰さもあります。明るい色のものが美しいと呼ばれるのは、このためです。」(『神学教典I』)
18 世紀のフランシス・ハッチソンは、この見解を最も明確に表現していると思われることを次のように述べている。
「したがって、体の均一性が等しい場合、美しさは多様性と同じです。そして多様性が等しい場合、美しさは均一性と同じです。」 (Hutcheson)。
ハッチソンは続けて、最も美しい対象として数式、特にユークリッドの命題を挙げる一方で、次のような普遍的な物理法則によってその根底にある巨大な複雑性を持つ自然を熱狂的に賞賛している。
「美しさはある、と彼は言います。アイザック・ニュートン卿の計画における重力がそれである」(Hutcheson)
美とは部分間の特定の比率の問題であり、したがって古典的な概念に対する一連の非常に説得力のある反論と反例が、エドマンド・バークの著書「私たちのアイデアの起源についての哲学的調査」で与えられている。
植物界に目を向けると、そこには花ほど美しいものはありません。しかし、花にはあらゆる種類の形とあらゆる種類の性質があります。それらは無限に多様な形に加工されます。 …バラは大きな花ですが、小さな低木の上に生えています。リンゴの花はとても小さいですが、大きな木の上に生えています。しかし、バラもリンゴの花もどちらも美しいです。 … 白鳥は、自白すると美しい鳥で、首は体の他の部分よりも長く、尾は非常に短いです。これは美しいプロポーションですか?私たちはそれが事実であることを認めなければなりません。しかし、首が比較的短く、尾が首と体の残りの部分よりも長いクジャクについてはどう言うでしょうか。 …人間の身体には、相互に一定の比率を保っていることが観察される部分がいくつかあります。しかし、美しさの効果的な原因がこれらにあることを証明する前に、これらが正確に見出されればどこでも、それらが属する人は美しいということを示さなければなりません。 …私としては、これらの比率の多くを非常に注意深く検討したことが何度かあり、多くの主題においてそれらが非常に近い、あるいはまったく同じに保たれていることがわかりました。それらは互いに大きく異なるだけでなく、一方が非常に美しい場合には、 、そしてもう1つは美しさから非常に遠いです。 …人体のあらゆる部分に好きな比率を割り当てることができます。そして私は、画家がそれらすべてを観察し、それにもかかわらず、もし望むなら、非常に醜い人物を描くことを約束します。
「お前の持って産まれた臭いはマジでキモくて耐えられないと皆が思ってるから、化膿覚悟で手術しろよワキガマン」←なんでこれがセーフになると思ったの?
私がそばを通ると「クサッ・・」と言いながら鼻を抑えるポーズが流行っています。
席の後ろを通り抜けるときに「クッセ・・」と陰口を叩くのが大ブームです。
私の近くにあるパーティションの後ろから「マジヤバイッショ」「wwwww今本人が来たらどうすんすかwwwwww」「いや悪いのはアイツでしょ。こっちは被害者」「ちょwwwwwマジで危ないから巻き込まないでwwwwww」といった話し声が月に何度もします。
死にたくなるぐらい辛い。
何が辛いって、この程度の腐れ脳みそ共と一緒に働いているのが辛いのです。
奴らは聞こえるかどうかギリギリの声で「くせ・・・」と呟くことによってさも「一言申してやった」「本人に伝えてやった」「巨悪に一矢報いてやった」「職場の廃棄物が自殺する日を1日早めてやった」といった類の『偉業』をなしたかのようにイキっているわけです。
これがとても気持ち悪い。
小声で誰に向けているのかも分からない中身のない罵倒なんて10000回呟いた所で問題解決には繋がりません。
せいぜい私が遺書を書くとき、弁護士を通して職場を訴える時に加害者として名前が挙がるぐらいでしょう。
ただ思いつきで「くっせー」と言われたってこっちはどう対処したらいいのか分からないのです。
新しく試したデオドラントが全く効いてないのでしょうか?それともいつもよりはマシな匂いになったので「あれ?マシになるってことは対策できるの?じゃあ言ってやるけどまだまだ臭いよ?」と伝えたいのか、こちらには全くわかりません。
ただただストレスばかりが蓄積され、それが脂汗として腋から飛び出すたびに、更に臭いがキツクなっていくだけです。
私のワキガは体質なので変えようがないですが、ストレスを減らすことで薄めることは出来ます。
貴方がたはそこにストレスをかけることで状況を悪化させている。
それなのに自分では「これでアイツがワキガを治したら、一言物申してやった俺の勇気の一手が勇者の一歩かぁ・・・」と妄想逞しいなクソ馬鹿野郎なわけです。
本当にな、お前らな、臭いに文句があるなら本人にハッキリと伝えろよ。
どういうタイプの臭いなのか、どれぐらいの強さか、どういう時に強くなるのか、デオドラントグッズの変化による影響はあるのか、そういった情報を教えてくれよ。
お前らみたいな卑怯者はどうせこっちが「すみまえん。私が臭いんですか?」と聞いたらそれまでの横柄な態度を引っ込めて「いえいいえいえ増田さんは全然そんなことないですよ」と首を振って、こっちが見えなくなってから「アイツやっぱ自覚はあるんだな・・・」「それなのに治さないんすねえ・・・」「今のって、「臭くない」って言質を取りに来たのかな」「マジ卑怯だわー」「これでアイツがこのままだったらウチらが「臭くない」と言ったせいになるの?」「げー最悪ー」「ほんっと心までプンプン臭ってくるような奴だよね」「ねー」とか盛り上がっちゃうんだろ?
はーマジ死ねよ。
お前らさ、もしも自分や子供が「目が2つあって鼻が1つなんてキモすぎ!手術して目は1つにして鼻を2つにした方が良いよ!そのキモい顔を見ているだけでこっちの元気がなくなっちゃう!」って言われたらどんな気分になるよ?
それに対してこっちは「まあ言っても伝わらねえだろうな・・・想像力のねえ馬鹿には。人間1つ2つ生まれつきのコンプレックスはあるだろうに、そっから派生して他人の痛みを理解するための知性がねーんだな」と諦めて粛々と変なクリームをワキに塗って生活してるわけですよ。
壊レコの意味間違ってるし
箇条書き一つ一つの内容はそれぞれ独立していて決して同じことを言ってるわけじゃないから、的外れな比喩用いている点もろくに読んでいない証拠だよな
てかそんな棘のある言葉の返しされるような不愉快なことを言ったつもりはないのだが何を怒っているのだろうか。
箇条書きの内容にしてもそれで怒るのも理解できないし。お前やお前の属する属性をけなすようなことは一言も書いてないはずだが。
いい大人になってから反抗期が来て、今年の年初から家族(・親戚全員)と一言も話したくないという状態が続いている。
両親は私を育ててくれた。教育にお金をかけてくれた。でも、恨んでいることがいくつかある。まとまりがないが、自分が嫌だったことを書いていく。
東大に入れなくてごめんなさい。実際私は勉強の仕方が適当かもしれない。でも私、東大を目指すなんて1度も言ってない。それに10歳そこそこの子供にそんな呪いをかけないでほしかった。
「親戚の言う通り、東大にはやっぱり入れなかったね。」
お父さん、お母さん、東大に入れなくてごめんなさい。でも、そもそも私は東大を受験すらしていない。それに親戚も両親も誰も東大なんて出ていない。自分が東大に入れていないのに、なぜ子供は東大に入れると思うんだろう。
祖父母には慶應こそが素晴らしい大学だと子供の頃から言われていた。祖父母は慶應卒の芸能人のことはすごく応援している。特に幼稚舎から慶應の人のことは無条件に評価している。
おばあちゃん、慶應に入れなくてごめんなさい。でも、うちには慶應の医学部に行くお金はないよね?
私の両親はいつも学歴の話ばかりする。年がら年中夕飯のときに東大合格者数の話が話題に出る。名門中学の情報にも詳しい。
「あなたの高校、3年前と比べて偏差値が2上がって、○○高校より高くなったわよ。」
両親が顔も見たことのない友達の進学先を何度も何度も聞かれる。「分からない」と言うと「仲いいんだから、分からないなんてことないでしょう。」と言われる。本当に分からないのに。
「○○くんは△△銀行に内定したらしいわ。」「○○ちゃんは××製薬に内定したの?すごいじゃない。」
お父さん、お母さん、ごめんなさい。私はお父さんとお母さんが望むような大学には入れなかった。キラキラした就職をすることもできない。
母に言われた。
「○○ちゃんは地元の公立高校から塾なしで慶応大学らしいわよ。コスパがいい人っているのね・・・。それに引き換え、うちは。これだけお金をかけてMARCHだったら目も当てられない。」
お母さん、コスパの悪い子供でごめんなさい。でも、私は子どもの時気づいたら学習塾に入っていた。中学校のときも、私は数学の塾には行かなくていいと主張していた。私がコストをかけるよう頼んだわけではない。思わず腹が立って言ってしまった。
「お母さん、コスパがいい子供っていうのは遺伝子がいいんだよ。結局遺伝子の差じゃないの?」
私は両親より学歴は劣っていない。コスパは悪いかもしれないけれど、ジェネパはそんなに悪くない。
ようやく歩けるようになった頃から公文式を始めて、毎日プリントを5枚解いた。それでも両親に言われた。
「○○ちゃんは1日10枚プリントを解くらしい。もうXXレベルなんだって。」
公文式に加えて、小学校低学年のときから両親が買ってきた「トップクラス問題集」など高難易度の問題集を解き始めた。週末に時々テストも受けた。
週末は泣きながら問題集を解いていた記憶がある。映画に連れて行ってもらったある日、両親の想像していたよりも学習の進捗が悪かったようで、めちゃくちゃ怒られて泣いた。
小学生の頃は両親によく叩かれたり蹴られたりしていた。
鍵をなくした等仕方がない理由のときもある。でも、お母さんも鍵をなくして、家の鍵をすべて交換していた記憶があるけれども。
私は挨拶をしたのに、親がそれを見ていなくて挨拶をしていないと思い込んで「挨拶をしろ」とめちゃくちゃ叩かれたとか
工作教室で「AかBを作る」という指示で、私以外みんなBを作っていた中で私だけAを作っていたら「人の話を聞け」とめちゃくちゃ怒鳴られて叩かれたとか
中学受験のときのことは思い出したくない。小6の夏休みは1日中毎日家でも塾でも怒鳴られ続けて本当に辛かった。親が机を叩きながら怒鳴っているのに対して「ここのところ毎日こんな感じね」と離人症のような状態で思っていた。怒った親が机にバンバン叩きつけたせいでベコベコになった過去問で勉強するのは辛かった。
結局、1番難しい学校には入れなかった。お母さん、立体図形が分からなくてごめんなさい。
中学2年生の8月下旬に夏休みの宿題をやっていないことがバレてめちゃくちゃ殴られて蹴られたのが最後の「教育虐待ぎみ」エピソードである。
夏休みも残り2週間以上あったし、なぜそんなに怒られないといけないのか私には分からなかった。深夜にお父さんに部屋の隅まで追いかけられて顔を何発も叩かれたり殴られたりして、お腹も何度も蹴られた。
正直なところ、初潮が来るか来ないかという頃の子供のお腹を「宿題をしていない」という理由で何発も何発も蹴るのは、人間としておかしいのではないかと私は感じた。
お母さんも止めなかった。
お母さんはお父さんのことを「優しい」と言ったが、私には理解不能だった。気分にムラがあり「機嫌が良いときがある」というのが適切な表現である。
「お前はダメ人間だ」「中学校をやめさせるぞ」「お父さんはあなたのスポンサーなんだから言うことを聞きなさい」
いろいろ言われた気がする。せっかく中学受験をがんばって入った学校をやめさせられたくなかったから、そこからすぐに表面上は宿題を終わらせた気がする。
観察の課題があって、都会育ちの私は苔なんてどこに生えているのか分からなかったから、適当な苔の絵を描いて提出した。あとからネットで検索したら苔のすがたは私が描いたものとは全然違っていた。
その後、殴られたり蹴られたりすることはほとんどなかったけれども、最後まで両親は私が勉強以外のことをするのを嫌がった。私の勉強以外の側面には興味がないようだった。もし勉強が得意でなかったら両親の私への愛情はゼロだっただろう。私は両親にとって勉強以外価値のない人間なのに、中途半端な学歴でごめんなさい。
大人になってから、教育虐待をされた子供が親を殺した滋賀と佐賀の事件の話を両親にした。
「うちはそんなことがなくて、優しい両親で良かったね。」と言われた。自覚がないのかと愕然とした。
「私は自分の子供に中学受験をさせたくない。」と言った。「私たちがあなたに勉強を強いたっていうの!」と怒って、私のいないところで泣いていたらしい。
私の両親はおまけに過干渉だった。スキンケアをしたり髪を整えたりすると「色気づきやがって」と言われた。だから、今でもおしゃれができない。
親の目の前では自分の好きな娯楽いっさいを楽しむことができなかった。親の好きなワイドショーやらクイズ番組やらを見るだけの休日。
高校の初めまでは定期的に必ずケータイチェックがあり、親にLINEの友人1人1人を指さして「これは誰だ」と聞かれた。様々な閲覧履歴やファイルもすべて見られた。年賀状もすべて検閲されていた。
高校生まで私はほとんど自分の使えるお金がなく、バイトも禁止されていたので、スタバにいる高校生が理解できなかった。電車に乗る距離を徒歩で移動することでなんとかお金を浮かせてブックオフの100円の本を買ったりコンビニコーヒーを買ったりするのが楽しみだった。
未だに実家に帰ると誰とどこに行って何時に帰るかを報告しなければならない。
でも、お父さん、お母さん、そこまで干渉したのに、私は小5からFC2を見て、中2から金融商品を買っていた。意味なかったですね。
両親は私のことを育ててくれて、話していて楽しかったこともあった。教育にもたくさんお金をかけてくれた。
両親にはこれまでの人生で様々な苦労があったことも分かっている。苦労が多かったから子供への愛情の注ぎ方が分からなかったのかもしれない。それでも頑張って育ててくれたことは伝わっている。
でも、今は距離をおきたい。
今年の年初、親が能登半島地震の被災者に差別的な発言をしたときに、もう私の心は限界を迎えてしまった。これ以上、親の言うことは一切聞くことができない。理想の子供を演じることはできないし、親孝行もできない。今の私には親の価値観が歪んでいるように感じられる。歪んだ価値観が自分に伝播するのが怖いので、親とはもう一言も話したくない。お父さん、お母さん、親不孝な子供でごめんなさい。
もう20年以上前の話なのに、昨日親を殺されたかのように新鮮な憎悪をぶちまけるオタク達を見ていると、そりゃ私が5年前、当時のTwitterで一言迂闊なことを言っただけで、メールアドレスから、実名、電話番号、住所まで暴かれたうえで殺害予告を受けてアカウントを閉鎖したにも関わらず、当時の棘や5chのログを頼りにメールアドレスを特定して未だに嫌がらせメールを送ってくる奴が絶えない訳だと思った。一度でもオタクから敵認定されたら一生憎まれ続けるんだな。はぁーみんな死ねばいいのに。
変えたいとか一言も言ってないんだが
2024/4/14、ソフトバンクに3タテをくらい、その前にロッテに2タテをくらっていて、5連敗。すでに僕の心は折れていた。
僕は西武ファン。高3の頃から見始めて、今が28の年だから、ちょうど10年。リーグ優勝も最下位も味わったけど、ちょっと今年は異質だ。
負けること自体が直接的な原因ではない。去年はBクラスで、その前は3位。その前は生まれて初めて体験した最下位。負けることに免疫がないわけではない。もちろん勝ってほしいんだけど。
それよりしんどかったのは、今年からFAで移籍した「山川穂高」選手。
ではない。
山川穂高を叩く西武ファンを叩く他球団ファンのSNS上でのやり取りにうんざりしている。
元凶はもちろん山川選手だし、僕も一連の騒動にはすごく腹が立った。FA流出には慣れている西武ファンでもさすがにしんどかった。
ちなみに僕たち西武ファンが怒っているポイントは、出て行く時の態度だと言うことは、西武ファンと野球を少しでも見ている方なら理解いただいていると思うのでここは割愛する。
対ソフトバンクの初戦、もちろんブーイングの嵐だった。もちろんそうだろう。僕は現地にはいけていないが、必ずブーイングはすると思う。
それを見た他球団ファンが、「これだから西武ファンは、、」みたいなことを書いているのをたくさん、たくさん見た。ソフトバンクファンならまだしも、他の球団のファンまで言っていた。
あんた達に何がわかる?
あんたたちの贔屓チームの看板選手が不貞行為で1年間試合に出ずに、ファンになんのコメントも残さず、2年前にFAで行くというルール外の噂が流れて実際にそうなって、ソフトバンクの移籍会見まで顔を見せず、フェニックスリーグで若手の出場機会を奪ってるんだぞ?
そんな西武ファンの気持ちを知らずに上っ面だけの情報で叩いて、小馬鹿にして、YouTuberが金の食いぶちにして、最終的に野菜が出てきて、マジでふざけんなよ。いい加減にしろよ。
あと「これだからXXファンは〜」と、母数を大きくする発言は本当に気をつけた方がいい。これは西武ファンも含めて、12球団のファン全員だ。
本当に野球大好きだったよ。でももうしばらく観るのやめるわ。辛いわ。Twitterの野球アカウントも閉じた。野球に関するYouTubeチャンネルも全部登録解除した。顔出ししてやってるYouTuberの方々に罪はないんだけど、一旦距離をおく、、
西武の選手を覚えて、パリーグセリーグの選手覚えて、ドラフトの日は有給とって見て、今年は地元の大学から村田くんが西武にきて大喜びして。西武の優勝を見たいなって思ってたけどさ。もっと紳士的に楽しみたかったよ。もっとポジティブな意見が飛び交ってて欲しいんだよ。開いたらなにファン同士がレスバしてんだよ。キショいんだよ。お前らが何言っても勝敗になんの影響もないんだよ。お前らの一言で順位が変わるんか?自惚れんなよ。今回のことではないけど「デッドボール当てちゃってごめんなさい」とかもめっちゃ変だぞ?お前が当てたんか?
大好きなチームをただ応援しろよ。ファンの力は大きい。もちろん大きいんだけど、全然小さいからな。
自球団の勝利を喜ぶより、嫌いなチームの鼻を折ることで満足してる方が多すぎないですかね。Twitterがもうめちゃくちゃカオスだなって思ったよ。
ファンあっての野球っていうのはめちゃくちゃそう、間違いないんだけど、履き違えまくってるよ、みんな。
だから今年は力入れてみないことにするよ。とか言って、見てるんかもな。どうだろうな。
父親にしろ母親にしろ、「子供が何よりも愛おしくて、何よりも大事」ということについてはあまり反論も無いかと思う。
もちろん自分の子供をないがしろにしてネグレクトするような親もいるが、圧倒的多数の家庭では男親にとっても女親にとってもやはり自分の子供が1番可愛いし、特別な存在なのである。なんなら「子供が救われるのであれば、自分の命もいらない」みたいな人も沢山いる。
つまり、
この条件は大多数の家庭で成立するはずだ。
そして次。
2.離婚したら今の日本では特別な事情がない限り女親が親権を持つ
これも事実である。ネグレクトや何かしらの障害など特別な事情がない限りほぼ女親が親権を持つのが今の日本である。母親が不倫して離婚騒動になったのに、親権まで持っていかれて父親が自殺してしまうような事例もある。
この、1.2の条件が組み合わさるとどうなるかと言うと、「どんなにヤバい嫁でも離婚できない」という状況が産まれるのである。
増田の奥さんは結婚と同時に退職しその後専業主婦という名のニートを2年続け妊娠・出産。
出産後働かないのは良いとしても、朝は低血圧を口実に起きてこず、子供の送り出しを増田が行い、午前中いっぱいは昼寝しているかNetflixを見ているかである。自分の昼ごはんはウーバーイーツで全部済ませ、家事といえば晩御飯を作るくらいであとは全て増田と近所に住む実母と家事代行任せ。
実家が近いため、増田が出張会食その他で夜居ない日にはこれ幸いとばかりに実家に子供を預けて友達と飲みに出たり、そこそこの頻度で独身の友人と海外旅行に行くなどし、習い事も送り迎えは全て増田。
苦言を言うとすぐ喧嘩になり、子供を連れて実家に立て篭もることを繰り返している。
でも、こんな状況でも離婚するとなると母親に親権を持っていかれてしまうのが日本なのだ。「そんなこと言うなら離婚しよう。親権は渡さないからね」の一言で、父親はもう、何も言い返せなくなるんだよね。だって、離婚したら親権を取られちゃうから。子供と離れたくないのであれば、どんな母親であろうと我慢して結婚生活を続けるしかないのだ。
増田の会社はいわゆる大手企業で平均年収1,000万を越えるような会社なのだけど、同僚は専業主婦の奥さんに財布を握られていて、月の小遣いがランチ代込みで3万円である。
新入社員が入ってくる今頃の時期は頻繁に飲み会も発生するし、そういう場合は大抵どこの会社でも新入社員から会費を取らないのが普通だと思うが、その同僚は「言っておくけど、俺はお前ら新入社員より貧乏なんだからな。月の小遣い3万円だぞ」と言って笑いを取っている。
そんな風に見かけ上は明るく振る舞っているけど、実際のところは何度も何度も離婚を考えているらしい。ただし話し合いになると相手がヒステリーを起こし、「離婚」と言うカードを見せびらかしてくるのでもう何も言えない関係になってしまったそうだ。「嫁にはもう何の感情もないけど、子供が大きくなるまでは諦めてる。中学生くらいになったら離婚しようかな」と自嘲気味に笑う。
「ヤバい旦那」のエピソードはSNSに頻繁に流れてくるけど、「ヤバい嫁」のエピソードがそれほど流れてこないのは、単純に「旦那」側は仕事その他で忙しく、発信してる暇すら無いからである。可視化されていない「ヤバい嫁」は相当数存在するはずだし、増田のように「離婚したいけど子供を人質に取られてて離婚できない」と言う世帯が日本には何十万、何百万とあるのではないかと思っているのだけど、共同親権が一般化し、「離婚後の親子関係がどうなるかは全て母親のさじ加減」という現状が改善されたら嬉々として離婚を選択する家庭が爆増するのではないかと思っているし、早くそうなって欲しいと願っている。
現状では子供を人質に取れる母親にパワーバランスが偏りすぎてるんだよ。こんなのめちゃくちゃだよ。
【追記】
「なぜ父親単独親権ではなく共同親権を求めるのか」という部分について。
そりゃあ増田ひとりで育てあげられるなら自分ひとりで育てたいよ。
でも仕事がある。増田の会社は書いた通りそれなりの大企業で収入も高めとはいえ、仕事はそこそこハードだ。
時短勤務にしたら収入が激減するだろうし、収入の低下を受け入れて時間の融通がきく仕事に転職したとしても子どもに相当な我慢と負担が発生するのは目に見えている。
そしてこれも本文に書いた内容で少し読み取れるかもしれないが、奥さんは実家が太いのだ。
義理の父親は経営者で現役で働いており、専業主婦の義母は甲斐甲斐しく奥さんの世話を焼いている。
増田が奥さんと喧嘩して実家に転がり込むのを喜んでいるフシもある。
奥さんが気軽に「じゃあ離婚ね」という言葉を口にするのは「離婚しても自分は大丈夫」という自信があるからだろうし、それは事実そうなのだ。
子どもの面倒は義母が見るし、お金は義父からいくらでも出て来る。都内に、夫婦では持てあますサイズの一戸建てがある。
問題があるとすれば父親のいない家庭で母親は留守がち、義父と義母に育てられるような環境で子どもがちゃんと育つのか、という部分で、
それが増田を離婚に踏み切らせないひとつの大きな問題なのだけど(もうひとつは増田が子どもから離れたくないこと)、
一言で済むことをダラダラ書くな
中学の入学初日、クラス全員の自己紹介(1人ずつ立ち上がって名前と趣味等の一言をいう、みたいな)をやった。中学受験をするタイプの学校だったので、ほぼ全員が別々の小学校から来ていて、全員アウェーみたいな状況である。
Aは、立ち上がって名前を名乗ると、しばらく無言になった後、泣き出した。(多分、この辺で先生とか周りの席の子が声掛けしたんだろうけど、それは覚えてない)少し落ち着いてからAは、泣きながら「名前からもわかるように、私は、在日韓国人です。小学校では、それで嫌な目にもあってきました。どうか、人種で嫌うようなことはしないでください」と言った。
当時の私は本当に世間を知らない馬鹿な12歳だったので、在日韓国人差別があるという認識がなかった。それどころか、Aの名前を見ても「珍しい漢字だなー」くらいしか思わなかったし、ましてや国名とは紐づかなかった。
その知識レベルでいきなり号泣されたものだから、びっくりして、Aは小学校でとても大変な思いをしたんだな…と受けとめた。
学校生活が始まってから、Aと私は部活も交友関係もあまり被らず、「同じクラス」程度の認識だった。
それでも人となりくらいはわかるもので、常に歯に衣着せぬ物言いをするAが、私は苦手だった。だから交友関係もあまり被らなかったんだろう。
決定的だったのは家庭科の調理実習だった。その日のメニューに粉ふき芋があり、家事の手伝いも疎かにしていた私は、何も考えずにじゃがいもの茹で汁をシンクに捨てた。熱湯のままである。
大きな音に驚いて、もしかしたらやってはいけないことをしたか?と思った瞬間、別の班からAが飛んできて、まくし立てた。
「あなた、熱湯をそのまま流したの!?信じられない!!配管が傷むから流しちゃ駄目じゃない!そんな事も知らないの!?常識がないんじゃない!??」
Aの言うことは間違ってはいないし、リカバリのしようもないので、ごめんなさい、と謝るしかなかった。
けど、熱湯を流すなと事前の注意も受けていなかったし、やってしまったことを同級生にここまで悪しざまに罵ることもなかろうよ、しかもわざわざ別の班から来てまで、と思った。
(今思えば、Aは家庭科部だったので、調理実習のときに教師の補佐としてクラス全体に気を配るように言われてたのだろう)
以来、Aは、私の中で「あまりかかわらないクラスメイト」から、「嫌いで関わりたくないクラスメイト」になった。
そうすると、思い出すのは自己紹介のことだった。
「私はA個人を見てAが嫌いだが、ほぼ絡みのないAを嫌いだと口外したら、人種差別をしたと思われるのだろうか」
調理実習の件を知らない相手が聞いたら、私は、「嫌う要素のない(嫌うほどの付き合いもない)のに一方的にAを嫌っている」わけである。
その後もAとは交友関係が被ることがなかったし、1年のとき以外に同じクラスになることもなかったので、Aが嫌いだと口外することも、Aの印象が良くなることも悪くなることもなかった。
だから、余計に答えがなくて、春が来るたびに思い出す。
そして同じく12歳だったAが入学初日に背負っていたプレッシャーは、あの気の強いAが見知らぬ同級生の前で泣き出すほど重かったんだろうなと思い至る。
答えがあったところで、Aと私は今後会うこともないだろうし、Aのことが嫌いだったなぁという思い出も覆らないだろうけど。