はてなキーワード: 部活とは
昔からお腹が弱く、今思えば物心ついた時から過敏性腸症候群だったのではないかと思う。
小さい頃、小学校5年生くらいまで外食をするのが怖かった。なぜなら落ち着いてトイレへ行けないから。
昔から(2.3歳の頃から)便秘と下痢を繰り返し、お腹を壊すとなると1時間以上はトイレで苦しんでいた。
もし出先でお腹が痛くなったらどうしよう、という不安が余計に腹痛を煽る。お店へ着くや否やトイレへ駆け込み、一回の外食で3.4回はトイレへこもっていた。(だが、そういう時はお腹は痛くなるのに便は全く出ない)
トイレへ行くたび両親からはまたか、大人しくしろと怒られる。それも相まってさらに私のお腹は痛くなるばかりだった。
だが、小学六年生位からは親へ口答えもできるようになったり、自律神経が整ったのか外食へ出かけても腹痛を起こすことがほとんどなくなった。相変わらず便秘と下痢は繰り返していたが、昔ほど酷くはなくなった。
ある授業を受けている時、突然強烈な腹痛が私を襲った。我慢しようとしたがシャーペンを握る手が汗でビチャビチャになりノートが濡れた。これはやばいと思い恥を忍んでトイレへ向かった。
だが、トイレへ向かっている途中で腹痛はすっと治った。
あれ?と思い再度教室へ戻り席へついた瞬間また猛烈な腹痛。
全身尋常じゃない汗が流れた。少しでも気を緩めば屁も身もでる、全身をガッチガチに硬直させ奥歯が割れるほど食いしばった。
だが、十数分も待たずして再度トイレへ。またしても廊下を歩いている途中で嘘みたいに便意がなくなっていく。
幸い、卒業間近だったこともあり登校日も少なくなっていたのだが、試練は終わらない。
友人とバスで出かけようものなら1人だけ途中離脱。親と車に乗ってどこかへ行くこともできない。静かな場所や人が大勢いてなおかつトイレはすぐ行けない場所や密室にいると強烈な腹痛に襲われた。
そのくせトイレへ向かう途中やトイレに座った途端すっと腹痛が何処かへいってしまう。
ご飯を食べなくなり下剤を多用した。整腸剤も飲みまくった。
出すもの出せば仮にお腹が痛くなってもでるものがないと思ったし、食べ物を食べなければ便が作り出せないからだ。
そんなある日、私はこの腹痛の病名と出会った。
お前か!!!!!お前だったのか!!!とめちゃくちゃ感動した。
その頃はおそらくあまりメジャーなものではなかったが、いろいろな情報がネットから手に入った。心療内科へ行き診断もしてもらった。
元からお腹が弱いというのも原因だったのもあるが、私の場合は厳しい親も原因の1つだったようだ。
怒るとなるとかなり厳しく、また、小さい頃は虐待じみた教育を受けていたこともありよくお腹が痛くなっていた。
成長するにつれ親も私が手がかからなくなり昔より穏やかに接するようになり、私も生意気にも口答えができるようになったのでストレスが少しずつなくなってきたから腹痛の症状が出なくなったのかなと思う。
だが、受験シーズンになり、推薦で高校が決まっていた私は勉強をしていなかった。仲のいい友人は勉強に追われていたが私はのんびり過ごしていた。そんな私に友人は八つ当たりをよくしてきていた。
今思えば自分が行きたいと選んで塾へ行き、自分が行きたいと選んだ高校なのだから黙って勉強しろよとは思ったのだが当時の私はその子の八つ当たりを頑張って受け止めていた。
また、入学予定の高校では部活で進学したのだが、今じゃあり得ないくらいの暴力が蔓延している部活で、これからそういう環境に身を置くことに対しても強いストレスがあった。いくら覚悟を決めていても無意識に心に負担があったのかもしれない。
いろいろなストレスが少しずつ私を蝕んでいき、一番弱いお腹に負担がかかったのだと思う。
卒業式の日は前日から絶食、お守りがわりに整腸剤を持って挑んだ。隣の席の友人には病気のことを話し、式中はずっと小声で話し合っていたおかげでなんとか乗り切ることができた。
高校入学後も、事前に学校側へ事情を話しており、なおかつ校風は自由で友人みんなに病気のことを話したり、テストは別室でうけたり、本当に申し訳ないが授業中は寝ることによってお腹から意識を逸らした。(教室にいることもとても辛かったが、皆んなが病気を受け入れてくれているという安心感や、申告なしでトイレへ行ってもいいと学校側から許しをもらっていたので、安心感が大きく眠りにつくこともできた)
担任から「受けてみないか」と提案があり、無理ならすぐ保健室へ行ってもいいと言ってくれた。
心臓が痛いくらいバクバク鳴っていた。手汗が出た。お腹も痛くなった。
だが、我慢できる。
それどころか、少しずつ、少しずつ腹痛が治まっていく。
気づいたらテストが終わっていた。
あれ以来、普通の人よりもお腹が痛くなることはやはり多い。映画館で腹痛になり、楽しみにしていたメリーポピン●は1時間しか見れなかった。居酒屋へ行きすぐにトイレから出れなくなることもあった。
けれど、昔より悲観的じゃない。大人になるってこういう時とても便利で楽だなって思う。
昔みたいにビクビクしながら外へ出ることがなくなったのはとても心地いい。もちろん痛くなったら絶望的にはなるが。
あの高1の期末試験の体験が私の勇気となっている。あの日、目の前がとてもキラキラして見え、あ、もう大丈夫だと心から安心したことは忘れない。
中学の頃、クラスで男子に机離されたりゴキブリって呼ばれたブス女だけど、告白されたこともあるし付き合ったこともあるし果てには結婚してしまったので非モテ男性の孤独はわからんな。ははは。あーあ。マインドはそっち側なんだけどな。いいですか、同じサークルや部活のオタク女子を狙いなさい、自己肯定感の低い子を狙いなさい、押せばオッケーしてくれる子居ますよ、周りにいるでしょう、自分と同じようなパッとしないボーイなのになぜか彼女を切らさないやつ。彼は押しが強いです。君が、地味でちょいブスだけど自分にはその魅力がわかる、かわいいなあって思ってる子、いるでしょ、いるかわからないけど。その子は偏差値で言うと50、もしかしたら60、つまり人気です。みんな、俺でも手が届きそうって思うから人気です、同じことを考えてます、激戦区です。前述した押しの強い彼と付き合ってます。処女じゃありません。じゃあどうするのかって、君の眼中に入ってない、もっと地味で顔の良くない子…いるでしょ…その子です、その子にアタックするのです。会社とか大学とか、わからないけど同じ集まりで色んな子に手を出すのは悪手です、あの子が駄目だったから次この子、だめです、もう噂になってます。噂になったらもう無理です。終わってます。あなたと付き合うと女友達からわらわれるからです。あいつ私にも口説いてきたよwwwwwと笑ってます。同時進行もだめです、やるとしてもバレないようにしてください。じゃあどうするかって、友達のいない子を狙うのです。もしくは彼氏と別れたばかりの女の子いませんか、そこに付け入るのです。優しく話を聞くのです。入学、入社、サークル入部、新しい環境に入ったら早ければ最初の二週間で勝負がつきます、遅くとも2ヶ月、そのうちに異性として意識してることを匂わせるべきです。ちんたらしてるからぬいペニだのなんだの言われるのです。
すこしだけ、というのは、ううんなんて言えばいいんだろう。にわかオタクだったっていうか。
小学生のころから根っからのオタクだったので創作したり妄想したりするのが好きだったんですけど、高校時代はライトなオタクだったというか。漫画読むしアニメも齧ってたしニコニコ動画とかも見てたけど、そこまでヘビーなオタクじゃなかった。
なぜそうだったかって、勉強と部活に明け暮れていたからなんですけれども。そこそこの進学校に入学した自分は今思うとめっちゃ痛いんだけど高校デビュー(笑)したくてごりっごりの運動部に入ってた。
それまで文化系だったから、その部活では底辺だった。でも個人競技の側面のあるスポーツをしていたので誰かの足を致命的に引っ張ることはなかった。本当に良かった。
そこで同じ競技をしていた同い年の同級生が他にもうひとり居たんですね。男の子なんですけど。
端的に言うと、めちゃくちゃ陽キャだった。もう根暗の自分からすると最初はマジで怖くてびくびくしてた。
同じ種目だから練習も同じなんですけど、まじで同じ部活じゃなかったら関わることがなかった人種。
その子は最初の一年は部活さぼりがちでした。なんか勉強の方に専念したいらしくて。でも練習に顔出さない割にはもともとの運動神経が良くて部活の成績はそこそこ良かった……たぶんもっと練習してれば強くなっていたのではないかとおもう。
二年生になって、練習によく顔を出すようになった。たぶんなんか、その子のなかで気持ちが変わったんでしょうね。
毎日のように練習で顔を合わせるんですけど、怖いと思ってたのがコミュニケーションするうちにこいつ良いやつじゃん…ってなった。
その子めちゃくちゃイケメン(でも顔がこわい)で、一年生のときからお付き合いしてる彼女が居るんですね。で、よくその子のことを惚気られた。
しかもその惚気かたがめちゃくちゃ可愛くて、下世話な話とかじゃなくて、今度お花見に行く~とか、手作りのお弁当を作ってもらった~とか、なんかもうあまずっぱいんですよ。
ほんとうに好きなんだなあ~と部活の合間とか終わったあとに話を聞きながら、彼のようなひとのことをリアル風早くんと言うんだろうなと思っていた。(風早くんが誰か気になるひとはぐぐってくれ・・・)
なんで急にこんな話するかっていうとツイッターで行きずりのオタクが「マジの陽キャはいいやつ」みたいな呟きしてるのが流れてきて。本当にそうだなあって思ったからなんですよね。
C3部は、同時期の「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」やら「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い」と違って
序盤から、デタラメなことを言っているようにしか見えない部長が否定されることもなく信頼を集めていて、
ゆるふわ部活モノとしても描写が甘すぎないかと思っていたところが、
中盤で本当に部長は何も考えずに適当こいてたと明確になった上に、その部長を信頼していた主人公がある意味バカ正直に騙されることで
関係が決裂していくのはなかなかゾクゾクしたけれどね、個人的には
世の中の大半の人は、あんまり深く考えずにその場のノリで適当なことを言うことも多くて
発言に矛盾があったとしても、咎められることもなく互いに仲良くやっていけるものなんだけど、
この主人公はそれが出来ないクソ真面目な人なのよね
だから中学時代もそれが原因でぼっちだったし、高校でも同じ事故が起こってしまう
八幡やもこっちと違って、こいつ本物だわ、という衝撃があった
「だった」と言ってもまだ大学生なんだけどね。今4年生。
かなり内向的な性格をしていると思う。友達は少ないがちゃんといる。趣味もインドアだし、運動苦手で体力ない。あと陰キャ。関係ないか。twitterでたまにバズる「友達のことは好きだけど、出かけるとすごく疲れる。誰かと遊んだ後は休まないと回復できない。」系のつぶやきを見るとすごく共感する。
高校生まではバリバリ部活をしていたんだけど、大学に進学したらなんだか疲れちゃって。部活はもちろんサークルにも入っていないし、バイトもかなり少なめに入れている。勉強は割と楽しくやっていたけど、研究室に泊まるような忙しい感じではない(そもそも文系だ)。そして、友達ともほとんど出かけない。人と比べたら相当引きこもっている方だと思う。でもそれが楽しい。家でごろごろ、ネットサーフィン、時々ゲームして、空想を書き出したりした。(空想を小説にしてみようとしたけど断念した。小説を完成させるって大変だよね。)
元から空想はよくする方だった。大学に入って時間とある程度のお金が自由になってからは映画をたまに観に行くようになった(基本は1人だ)。エンディングのその後や「自分がもし○○だったら…?」「AとBが敵じゃなかったとしたら…?」なんてことをよく考える。ある時はピカチュウと冒険に行ったし、ある時はニュート・スキャマンダーの助手になった。
美術館や博物館に行けば(もちろん1人だ)、絵画が描かれた時代に思いを馳せたり、展示されている道具を実際に使っていた人たちのことを思い浮かべる。平安も縄文も明治も、フランスもアメリカもイギリスもひとっ飛びだ。
と、まぁ自分は4年間こんな感じで基本引きこもってゲームとかネットとかして、たまに出かけて(友人らのキラキラしたInstagramからは目をそらしつつ)、ごくまれに友達と出かけてそれなりに楽しくやってきたわけなんだけど…
どうやら両親がすごく心配しているらしい。どうしよう。快適なごろごろライフがやりにくくなってきた。最近何かと「○○行かない?」とか「○○ちゃんと出かけなくていいの?」とか「彼氏とか…モニョモニョ」って言われるようになった。やっぱり親としては心配なのかな?
>>古代の北方少数民族を漢族と称し、その男子を'漢子'と称していました。後世そこから転じて男子を漢と呼ぶようになる。
少し昔の話だが、田舎の高校生1年生だった俺は、人気の少ないバスに乗って帰宅していた。
一番後ろの席で、部活帰りだったこともあり、汗まみれのジャージ姿でうとうとしながら眠っていた。
ふと気付いたら、20代前半くらいのスーツの女性が隣に座っていた。
いまでも覚えている!俺はうとうとしながら隣に座ってきた女性の肩に寄りかかっていたのだ。
小声で、わ!ごめんなさい...!と俺が言ったのを覚えている。
一瞬びっくりしたけど、相手もびっくりしただろうなぁとか思いながら、また眠りかけていたその時だった。
男性諸君ならわかると思うが、俺に、眠勃起現象が起きていたのだ。
16歳の勃起、そらもうビンビンだ!しかもジャージだから丸わかりなのだ!
ごめんなさい...!とまた小声で言って、鞄で隠した。足を組んだ。また足を組み直した。勃起を隠すための最適なチンポジに移動させようとしているのだ。
恥ずかしさと眠気で、顔をそらして必死に寝てるふりをしてやり過ごそうとしていた。
そうこうしていると、女の人がそっと俺の手を触ってきた。覚えている!嬉しかった!興奮した!
俺は必死に眠いフリをしながら、”これは俺の意志じゃありませんよ?”と主張しつつも、触れてきた手を握って、女の人も握ってきて、握り返して、またそれを握り返して、くんずほぐれつな状態になった。
そんな状態から、女の人は俺の手を自分の股間に誘導していったのだ!触ってもいいんだよ?と言わんばかりの誘導だ!興奮した!俺は、はじめて大人の女性の股間を触った!湿っていた!触れば触るだけ湿りが、濡れに変わるのを感じた!興奮した!灰色の俺のジャージにも我慢汁でシミがついていった!
”触っていいんだよ?”って小声で言われたのを覚えている!
一生懸命触った!興奮した!理性が保てない!うおおお!永遠を感じた!
そんなこんなしてたら、バスは目的地についたのか、女の人は、”ありがとね”と小声で言って立ち去っていった。
***
さて、本題に戻ろう。
いまでも覚えているが、翌日学校の友達に”逆痴漢にあった!”と鼻息荒く何回も説明したものだ。それから数ヶ月、馬鹿みたいにそのバスに乗った!(田舎だから2時間に一本も走っていません)高校生の俺にとって、バスに乗るのは疲れた時だけの贅沢だったからお金にも困った!
そして、現代。
なぜ”漢”ベースなのか?!
とにかくショックだった。
しかも無理やりではなく、母の了承を得てコトに至ったと言う。
いや酔っていても思春期の息子にそんなこと話すなよ、と思ったが、それよりとにかくショックが大きかった。
父も母も公務員で真面目な両親だった。
なぜそんなモラルのないふしだらなことをしたのかと思い悩んでしまった。
いや、一時の快楽のためにリスクを犯すような愚かな親ではないはずだ。
わりと家族間の距離は近い方で、父は私に「そのときがきたらゴムつけろよ」と言われたこともある。
まだ私は彼女がいないので、いつも面倒くさそうに「彼女いねぇ」と返していた。
そんな父親が自分はコンドームを付けなかったこともあるというから驚きだ。
高校生にもなると友達が彼女やエッチの自慢をしてくるようになる。
ただ当然コンドームはつけているようで、同級生は「生でしたい」だの「ゴムがきつい」だの言っている。
先日、部活の先輩は「生でやった」と部活のみんなに自慢していた。
ただ当然外に出したようで、話を聞いていた他の同級生や他の先輩も羨ましそうにしていた。
コンドームではなく、女性側のピルという方法もあるが、費用面と通院の手間があるため、まだまだコンドームよりは一般的ではないと思う。
それだけ私の中でコンドームを付けずに挿入し、そのまま中で出すというのはありえないことなのである。
ここでさらに衝撃的な話がある。
完全な極悪人だ。
安全日だからってコンドームを付けずに挿入していいわけないのに!
危険日にそんなことを・・・
本当に頭が痛くなる。
アニヲタ歴は22年くらい?
私はアニヲタとしては00年代世代で、攻殻機動隊やハルヒが印象的だったんだけど
とは言えあそこでどっぷりハマったのは当時学生だった子達だと思う
90年代、00年代を経験してきたアニヲタ的には多分「なんかバズったね」程度だったのではないかな
・百合
(個人的にTV版は非常に熱狂したんだけど、映画版をまだ積んでると言う程度ではある。見なきゃ・・・)
ただこういう衝撃系作品って類似作品を出しても上手くいかないイメージが有る
実はエヴァもそうなんだよね、20年に1個くらい爆発する感じ?
調べたらアニメ化一発目が2009年夏らしいが、そのブームは2010年代を彩ったと言って良いと思う
実はこれも途中で止まってるので語る資格がないんだけど、ふれないわけにもいかない作品でもある
といってもこれは西尾維新+新房昭之節が極まった作品であって、他のアニメへの影響はほとんどないかもしれない
主人公がひたすら語る作品といえば、ハルヒと物語シリーズが思い浮かぶけど他にあるかな?
そういえば、ネットでの話題性に比べて円盤の売上がかなり高かったのが特徴的だったね
これもオンリーワン系だと思う
大変面白いけどそんな売れると思わなかった系でもある
2010年代は「面白いけどそれマイナー系だよね(ジャンプでやるようなタイプじゃない)」というのが正当に売れた10年だと思う
私の趣味に近づいた感じなんだけど、私みたいな奴が買ってるのかもしれない
2010年代はとにかくクオリティ向上が目についたと思うが、その集大成のように思えた
とんでもなく善良なあたりが現代日本っぽい
昔はもっと「根はいいやつだけどヤンチャ」とか「根はいいやつだけどスケベ」とかそういうのが多かったと思う
本当はアイドルアニメでまとめるべきなんだが私がちゃんと見ていないせいでまとめられない
SHOW BY ROCK!! 2015年(見た)
まだまだある!
・3DCGの強みを最高に活かせる
・スポ根の文脈があるから、いい話にもできるし女子ウケも狙える
私はドルオタではないしライブには興味がなかったが、最先端の3DCGで踊るアイドルには目を奪われたし
それに負けじと手描きで挑むのも面白かったし
というかプリパラで何度か泣いた
何気にこれもいろんな影響を撒き散らしてる気がしてならない
このアニメは声優アイドルの方で影響が強い気がするが、私はそこら辺疎いので語れない
個人的には「森脇監督+ふでやすかずゆき」という最狂タッグがプリパラという女児アニメでミルキィホームズを再現したのが衝撃だった
ちなみにふでやすかずゆきはゴチうさもやってたりする
ふでやす脚本回ではコメントで「ふでやすwww」と草をはやしている(これは私だけではない)
2010年代は3DCGアニメーションが普通に放送される時代となった
ようやくと言う感じ
3DCGを省力化のためにつかうというよりは、表現の幅を増やすために使っていたのが印象的だった
楽をすることなど考えておらず、クオリティをがるために戦略的に省力をしているようで、頭が下がる
そもそもアニメ業界全体で、気づかないうちに3DCGが使われているらしい
「誰が」と言う部分を語るとわけわからなくなるので、手法について語ると
一見すると品質の高くないように見える(MMDのような)3Dモデルを使用してアニメを作る手法だ
この手法の強みは何より制作期間の短さにあって、できるだけ少人数でアニメを成立させるならどうするかの局所最適解のように見える
素早く作れることで何度も内部でバージョンアップを重ねることができ、面白さ向上に繋がってると言う話はなるほどと思った
アジャイル開発だ
SNSで考察し合う前提で色々仕掛けておくたつき監督流には唸った
ちなみにけものフレンズは私が2010年代にハマったアニメ5指の中に入ると思う
けいおんが2009年初出、ひだまりスケッチが2007年初出、ゆるゆりが2011年初出らしい
その流れを組んだゆるい百合アニメは明らかに2010年代全盛期だったと思う
2014年にご注文はうさぎですか?が出た前後あたりから、明確にきらら系を意識されるようになったと思う
おおよその雰囲気として
・故に男女間の恋愛話に発展しない
・緩めのギャグ
・落ち着いた雰囲気
みたいなものがあると思う
見ているのは9割くらいが男性で、どうやら癒やしを求めているらしい
かくいう私も難民だけど
・ご注文はうさぎですか?(2014年)
実際にはこの3倍位の数にはなる
女だらけのアニメと聞くと、普通はお色気路線だと思うだろうが、それだけじゃ説明がつかないアニメがちらほら出ている
こういうのを並べてみて気づくのは、大抵何か趣味や地域の紹介アニメであることが多いと思う
たまたまかもしれないけど
これだけポリコレが極まった2010年代において、真正面からロリコンアニメをやる流れがあってちょっと笑った
ただ昔と違って、一個メタ構造になっていて、1人大人がいることが多い
ロリアニメではなく正しく「ロリコン(でギャグやる)アニメ」である
ただ可愛いとかじゃなくて構造的に成立してるのがなるほどと思った
示し合わせたわけでもないのに、この2作品は構造がかなり似ているのも面白い
話を作るに当たって下地にするものというのがある程度戦略的にパターン化されて行った
10年以上前ならアニメの主役は「世界を救う」みたいな話で、趣味や雑学はアニメでは脇役だったと思うが
2010年代は明らかに主役のポジションにそういう趣味・雑学作品があったと思う
おっさんがやってそうな趣味を女の子がやるだけでおっさんは喜ぶようだ
(ちなみに「世界を救う」から「趣味アニメ」の間に「部活アニメ」が挟まると思う)
そしてこういうのが流行るとどうやら世間でもプチブームが来るらしい
これはアニメが火付け役なのか、火がついたからアニメをやったのかどっちなんだろうか?
咲は初出が2009年だった
両方とも大ヒットしたために単体で文化っぽくなっているが
いろんなマニアックな知識をスポ根に落とし込んでいったのは非常にうまかった
私は2期までしかみてないんだけど
00年代のラノベの系譜を受けているので、今見ると少し懐かしい感じがする
触れるには荷が重い、そして私に語れる気がしない
特になろう系
ジャンル内で色々なアイディアで蠱毒をやった結果、驚くほど面白い作品が出てくることもある
魔法科高校の劣等生は最初楽しみ方が全くわからないまま見ていたが、ニコ動で見ていたら最終的になんか楽しくなっていた
腹抱えて笑った
確かこれでなろう系の印象が変わった
色々な出来事がイレギュラーに思えるんだけど、コメディとしてみれば割と基本を踏襲してたりするので異世界転生に先入観を持っていたのは自分のほうだと気づいた
これだけじゃないんだけど
そんなの昔からあると言われそうだけど、精神レベルで悪役というのは昔はそんなに無かった気がする
(ここにはたらく魔王さま!や、まちカドまぞくを入れるとよくわかんなくなりそうだけど)
すごい爽快感だった
これ一緒に語ると怒られそう
漫画だとこういう描き方あるけど、アニメのようなチーム制作ではきついでしょっていう作品を結構すごいクオリティで仕上げてきた年代だと思う
愛と執念と労力を感じた
そしてここらへん、題材としてはマイナーになりそうだったのに一個突き抜けて人気作になったのが意外だった
視聴者の年齢が上がってるのかも?
2010年代は、リメイク系アニメが成功した10年だったと思う
昔はリメイク作品がそこまで成功するイメージがなかったんだけど、2010年代はかなり安定していた
SSSS.GRIDMAN
非常に面白かったけど、特撮が一ミリもわからないので何も言えん
映画系 ほぼ見てない
BL ほぼ見てない
ソシャゲ系 見てない
他にも触れていないものが多いな、触れたいけどどう捉えるか難しいもの
・悪の華
・監獄学園
・銀魂
・斉木楠雄
・神のみ
・僕ベン
・クオリティの向上
こんな感じかな?
クオリティの向上により「背景が主役」みたいな落ち着いた雰囲気のアニメも作れるようになったと思う
(女性向け・BLアニメも台頭したはずなんだけど追ってないからわからん)
あと個人的にはニコニコ動画でアニメが見れるようになったのが大きな変化だ
コメントを見ると伏線の取りこぼしや背景の遊びなどに全部気づくことができるので楽しい(代わりにネタバレを踏むが)
・ラノベ系
・ギャルゲ系
なろう系、百合系、部活系は結構食いつぶしていると思うのでそろそろ縮小しそう
アイドル系はもう少しで食いつぶしそうな感じがする
流行り廃れはあっても全体的にボリュームが全体の変化は感じないかもしれない
というか半分くらい置き換わるかもしれないね
転職して1ヶ月
適応障害?みたいな激しい気分の落ち込みと
中2のときは同じ部活の同期や後輩とすれ違いが起きて半年以上一言も喋らなかった
誰にも相談せずに表面上は普通に過ごしてたけど、毎日自殺するか相手を殺すかどっちかっていう心理だった
その後関係は回復し、高校には進学したが、高1のとき学校の勉強がまったくわからず、定期テスト前日に家の風邪薬全部飲んだけど死ねなかった
https://anond.hatelabo.jp/20170830220835
未来のことを考えるとメンタルが病むことがわかって、このときくらいから将来の夢とか長期的なビジョンとか考えられなくなった
たまたま好きな科目があったから勉強して文系の大学に進学できた
大学ではゼミも入れず単位だけとって卒業して、特に勉強した気がしなかった
100社以上の就活
https://anond.hatelabo.jp/20150829234225
http://anond.hatelabo.jp/20160119225411
https://anond.hatelabo.jp/20190703101028
辞めた
そして今回の転職後の鬱
どうせどの職場にいても、みんなに優しくしていただいても鬱になるのだろう
将来の夢とか長期的な展望がないから、今年はそれを何としてでも埋めるために旅行に結構行ったが、もう行きたい場所がなくなってしまった
正社員でとってもらったのに
こんなんじゃどこで働いてもダメだろう
嫌いで嫌いでどうしていいのか分からない。
配属されてもうじき1年だけど、日々嫌いを更新していってる感じ。
新卒で入った会社で、指導係みたいな感じだったのがその先輩なんだけど、まず教え方が下手くそすぎる。
こっちは社会人経験ないけど、ないからこそ「もっとうまい教え方ないんか?」って感じがずっと続いてる。
「自分で考えてやってみて」って言われる。やってみるもなにもねえ…って状況なのに。
こっちが「いや…」ってなってると、「失敗も経験のうちだから!(笑)」みたいなこと言われる。
まあ、言ってることはわかる。わかるけど右も左も分からん状況でその『失敗』に価値ありますかね。
ある程度経験積んだ上なら分かるけど。「今???」って思っちゃうのは私がおかしいのかな。
それで案の定失敗すると「そんなやり方じゃなくて、こうやったほうが効率いいでしょ」とか怖めに言われる。
じゃあ最初にそう言ってくれればよかったんじゃない?
私がその先輩にとって初めての後輩らしいんだけど(嫌いな先輩も新卒で入ってて7年目とか)、事あるごとに
「いや、俺も後輩指導するの初めてだから」って言ってくるの何?
そんなこと言われても、他に聞ける人いないんですけど。
第一今まで学生の時に部活とかで後輩に指導とかしてこなかったのか?それの応用みたいなもんじゃないの??
更に無理なのが、私もいる場所で他の部署の人に「女子だし、接し方難しいっすよ~(笑)」みたいなこと言ってたやつ。
仕事に女も男も関係なくないか?ていうかそれ本人の前で言う時点でセクハラなのでは??
セクハラみたいなこともずっと言われてるし、気にするだけ無駄だからスルーしてるけど、
たまに「あっこれってセクハラ?(笑)」って言ってくるのもやめろ。
それ言ったからってセクハラがセクハラにならないと思ったら大間違いだからな。
1週間に20回くらいは辞めてくれないかな~~って思ってる。まあ辞めないだろうけど。
年末年始でなにが嬉しいって、その先輩の顔を見なくて済むのが一番うれしい。
早く仕事納めたい。
本名が変わることになる。
誰かが私を連れ去って、そしてそこに嫁ぐことになり相手のことだけをシンプルに考えて過ごす生活になればいいのに
昔話のお姫様のように。20代後半の男が。単なる現実逃避として。
万が一そうなれば名字は変わることもあるかもしれない。
しかし名字自体はどこにでもある学年に一人はいるような珍しくないもので、
また、高校まで育った地元は長男が家を継ぐというのがまだそれなりに概念として残っているような田舎だけれども
大学で都会に出てきた私はそのまま大学時代の住居から通える会社で働いていた。
大学時代はバイトもせず、サークルも入らず、平日は家とキャンパスを往復し
社会人という環境の変化はあったが私の気質はそのままであった。
別の一人は会社の先輩に連れられてキャバクラなどによく行くらしい。
また別の一人は街コンによくでかけ、そこで知り合った人といい感じとのことだった。
結果というアウトプットがほしければまずは社会にインプットするしかないと会社の先輩は言っていた。
その先輩は常に6人ぐらい彼女がおり、流石にインプットし過ぎだとは思った。
私もなにか動いたほうがいいのかもしれないが、まず最初の一歩がわからない。
全く知らない相手というわけでもなかったのが、飛び越えるハードルの低さにつながったのかもしれない。
その2歳年上の彼女は、中学高校、さらには高校の時の部活も私と同じだった。
しかし中高生の2歳差というのは最大学年と最小学年という最も離れた存在であり
実際はそこまで繋がりもなく数回話したことがある程度だった。
色々あったが、アウトプットは婿入りして結婚ということになった。
まずは婿入りするので名字が変わる、つまり私はフグ田マスオから磯野マスオになる。
今の仕事は辞め、義父の仕事を手伝い、数年経てば社長を引き継ぐことになる。
歌舞伎みたいなものだ、と他の事例に従って自分を納得させようとしたが
でも彼らは小さい頃からその世界に関わっていたからむしろそれを自然に感じているはずで
私の急な変化とは異なるのではとも思った。
単純に急激な変化についていけないだけかもしれない。
私のマリッジブルー。
私は比較的好奇心が強い子供だったと思う.小さい頃から親になんでなんでと訪ねては疲れさせていた.小学生の頃,調べ学習が大好きだった.調べ学習の時間では,その時間が始まるといてもたっても居られなくなり,先生の言うことを聞かずに行動して怒られたりしていた.
中学生の頃は,物になぜ色がついて見えるかを調べた.それを調べている時はとても楽しかった.階段状に並んだタイルの総数を考えたり,N次元空間に置かれた立方体がある視点から見える最大の面数は何か疑問に思ったりしていたこともあったっけ.
母親は欲しい本はなんでも買ってくれた.ラノベや宇宙の本を買ってもらった.雑学の本も好きだった.ブラックホールが発生してから蒸発するまでの話に私はとてもワクワクした.
私が友達なんていらないと思うようになったのは,中学生の頃,同じクラスの女子が原因だった.彼女は手下にできそうな私を見つけて,私を支配下に置いた.私はそれ以来人間不信のような状態になった.
私が自尊心がないのは両親の不仲が影響しているようにも思う.父親が帰ってくるたび毎日家がピリピリしていた.母親は私が中学3年生の頃家出してしまった.その時は毎日泣いていた.学校も休みがちになった.父親は料理ができないから,コンビニ弁当ばかりだった.その頃,母親も浮気していたと思う.私はとても寂しかった.人生は結局一人なのだと思った.
けれど,母親は結局,私を別居先のアパートにいさせてくれた.学校をサボって,会社をサボっている母親と映画を見た.映画のシーンでセックスの描写があったときに後ろから目隠しをされた.母の手は暖かくて,なんだか嬉しかった.
高校受験の時は,親に経済的な負担をさせるまいと,確実に合格できる公立の商業高校の情報処理科を受験した.
高校では友達を作らないようにしようと自分の殻にこもった.入学直後,女の子がお弁当を一緒に食べようと誘ってくれたが断った.友達になろうとしてくれた人の誘いはほとんど断っていた.
けれど,部活には入部した.商業高校だったものの科学への興味があったため科学研究部に入ったのだ.
生物のドクターを出た先生が顧問だった.高校2,3年生の頃は水生生物の調査が主な活動だった.部活の顧問は「お前はドクターまで進学した方がいい」と助言してくれていた.
この頃も,宇宙の本を読んでいた.その本は量子力学に関する奇説を扱う本だった.この宇宙は,あらゆる状態の分岐に応じて,並行して無数に存在しているという説もあった.今生きている私というのも,無数に存在する宇宙のうちの一つの認識している自我でしかないのかもしれないと思った.宇宙にとって私とはエネルギーの濃淡の揺らぎ,またはセルオートマトンの点滅.私が生きていようが死んでいようがどちらも美しくなりたつ宇宙に思いを馳せた.
大学受験では,文系の高校から理系の大学への進学は難しかったが,やはり理学への興味が尽きなかった私は,理系へ進学することを決断した.高校では数学はIとIIしかやっていなかったため数学の受験勉強は独学で行なった.私はひどく頭が悪いわけではないけど,かといって大して頭がいいわけではないから,低い偏差値の大学の推薦入学だったけど,それでも苦労した.
何回か,母の前で自殺するふりをした.反抗期だからか,勉強ができないストレスか.ある日,母に他の男の気配を感じた.当時の私はそれがたまらなく許せなかった.死んでやる,といって包丁を持ち出して,自分の首に突き立てたりした.本当は死ぬつもりはなかったけど,別に死んでも構わないとも思っていた.
高校で,中学生の頃いたような人間には出会わなかったので,大学では友達を作ろうと思った.
また,研究に対して大きな憧れを持っていた私は,すぐに研究室に配属を希望した.その教員は快く迎え入れてくれた.3年生の頃には,先輩の卒論を手伝うほど知識がついていた.今思えば,あの頃が最も楽しく知識を身につけていたと思う.授業でも良い点を取ろうとか考えてなかったので,授業を聞かずにオリジナル(?)のアルゴリズムを使って手書きでボロノイ図を書いたりして自由に楽しんでいた.外部発表もしたし,卒業論文も特に苦労もなく書き終えた.この頃,「ゲーデル,エッシャー,バッハ」という本に出会って,その本に魅了された.
いつからか,「論文を出さなければならない」,「自分は周りと比べて劣っている」,という考えにとらわれるようになった.体調的にも良くなかった.学部の頃からのカフェインの大量摂取,昼夜逆転の生活,慢性的な睡眠不足・運動不足・栄養不足などが祟ったのである.締切前になっても全く焦りが働かなくなった自分に気付き,おかしいと思って心療内科に通院し始めた.修士論文も提出しなければいけないのに全く取りかかれなかった.学部の頃からお世話になっていた指導教員ではないO先生がそんな私を見かねて,一緒にLaTeXを書いてくれた.一応提出はできたけど,修論発表を終えた後は悔しさで泣いた.
それでも私は博士へ進学してしまった.修士の頃からドクターは進学しようと決めていたし,エネルギーの低くかった私は,判断を変えるほどの力がなかったのかもしれない.正直,そんな覚悟で博士をやっているのは日本でも私ぐらいなのだろうと時々思う.幸い,修士からの学費や生活費は奨学金や授業料免除,アルバイトで何とかして親に頼らずにいられた.
博士の間はずっと,健康を取り戻すために時間を使ってしまった.カフェインを断ち,夜更かしを辞め,休日は一切休むことにして,睡眠を十分にとり,運動もして,という生活を送った.論文よりも睡眠や運動を優先した.O先生は博士の間もずっとメンタリングしたりしてくれた.なんとか学会論文を2本書いたが,卒業要件でもあるジャーナルの論文が完成しない.とうとう何もできないまま3年生になってしまった.
O先生に,成果という葉にとらわれず自分という根を大切にしなさいと教えられた.成果にばかり気を取られていると自分のエネルギーが朽ちてしまうというのだ.確かに思い当たると思った.そもそも自分ってなんだっけ?と思った.ドクターには,「自分」が必要なのだ.でも私はそれがなかったのだ.目の前の成果だけしか考えていなかった.
自分はなんのためにドクターをやるのだろう?一瞬,救済を必要とする人や弱い立場の人のためになりたい,と思ったけど,本心からそう思っているか自信がない.ひとまずそう思うことで安心したいと思っているだけかもしれない.自分とは,ちょっとした好奇心を満たすのが好き,それだけだった.
私はなんのために生きているのだろう?私は高校生の頃から,セルオートマトンの瞬きにしか過ぎない人生などに,意味を見出すことはできなかった.
死の淵に立てば,生きる意味が見出せるかもしれないと思った.服薬自殺は病院巡りをして薬が準備できるのに時間がかかりそうだし,飛び降りは失敗した時が怖いと思った.死ぬときは失血死か,首吊りかどちらかにしようと思った.結局,なんとなく気が進まなくて,自殺の手筈を整えるのはできなかった.
人文系の先生に生きる意味を相談したところ,その先生は四諦八正道の考えを教えてくれた.確かに考えても意味はないのかもしれないが,考えるのをやめることは難しかった.
哲学科の先生にも訪ねた.私の考えはニヒリズムに分類されることがわかった.達成することに意味がある,後世に何か残すことに意味があると見出すのはナチュラリズム と呼ばれるものらしい.私はどうもその考えはしっくりこなかった.その先生にニヒリズムの考えを持つ中島 義道という哲学者を教えてもらったので,後でその人の本を読んでみようと思う.また,哲学の入門として,図書館にある,哲学の雑誌の現代思想を読んでみることを勧められた.
現代思想12月号は巨大数の特集だった.2chの「一番でかい数を書いたやつが優勝」スレから始まった日本の巨大数ブームの歴史や,ふぃっしゅ数,小林銅蟲(パルの人)の漫画が載っていた.11月号は確か,反出生主義についてがテーマだったと思う.
まだちゃんと読んでないけれど,あぁ,私はこういうものを読みたかったのだ,と幸せを感じた.
私は毎日,贅沢ではないけれど,質素に暮らしていけるだけのお金があって,現代思想とかを読めればそれだけで幸せなのだと悟ったのだ.
諦めずにドクターを取得するのか,ドクターをやめて就職活動をするのか,決断しなければならない.
キラキラネームじゃないけれど、普通に読んだら別の読み方になる名前って言えばいいのかな。
子供の頃、私は『いい子』だった。
親や先生に褒められることが好きで、どちらかといえば大人しいタイプ。
ある日、売店で購入しなければいけない文房具があったが、すっかり忘れてしまっていた。
ご察しの通り、間違った名前を書いてくれたんだ。
その時、今までそれなりに懐いていた先生をまるっきり信用できなくなった。
『いい子』でいる努力は薄れ、宿題も後回しにするタイプになったのだ。
ちなみに、名前を書いてくれた文房具は先生の前では笑顔で「ありがとう」と「忘れててごめんなさい」を言い、友達や親に見つからないように泣きながらこっそり公園のゴミ箱に捨て、翌日新しく購入し、自分の汚い字で名前を書いた。
な
通常の診察とは別に矯正の治療は日曜日に行ってくれる、田舎には珍しい歯医者だった。
当時ソフトテニスクラブに入っていたので日曜は当然部活である。
月に1~2回、日曜日は「歯医者なので休み、又は遅刻します」ということを律儀に伝え、毎日部活に明け暮れていた。
ある日、歯医者の治療スケジュールが決まったので、いつものように職員室へ行き、顧問に伝えると「日曜日にやってる歯医者がどこにあるか知らんけどね」と言われた。
アホな私は律儀に「あ・・・、ここから車で40分行った先の◯◯の方にあります」と答え、職員室を後にしたのだが、よくよく考えてみると嫌味を言われたことに気づいた。
その時の言い方や雰囲気にずっと引っかかりを覚えていたが、基本自分の中では『いい子』でいるのでまさか先生にそんな悪意?を向けられるとは思っていなかったため気づくのに数日かかった。
その後、部活をサボるようになり、何度も部活仲間に声をかけられたが無視して、最終的に辞めたのだった。
高校は出席日数ギリギリで卒業し、大学は行かずフリーター、今は正社員で細々と生きている。
行かなきゃいいじゃん。
「あの人は葬式に来なかった」とか延々と言われる環境なの? 部活の同窓会的なものとかで?
仮にそうなったとしても「都合が悪く行けなかった」で済むでしょ(弔電?知るか)
というのは、行かなければならないだろうか。
私の高校時代はここ10年以内の話なので、ちょうど体罰だとか、体育会系だとかが問題視され始めたころの話だ。世間の煽りを受けて謹慎も食らった人だ。私が告発した。
暴言に暴力。厳しくすることで人を縛ろうとする。ステレオタイプのど真ん中を行っていた。
もうこのご時世には生息できないだろう典型的な人だ。
風邪なんて甘えだ。引くやつが悪い。
なんて言って、高熱でへたり込んだ私に怒鳴り散らした人も、病気には負けたらしい。あっけないことだ。
容態が悪かったころから一度しぶとく生き返ったかと思えば、コロッと亡くなった。
電話で聞いたときは「へーそうなんだ」と、友人に恋人ができた報告のようにどうでもいい感想を述べた。
「お前の優勝はどうでもいい」
とバッサリ切り捨て、私より弱く成績の低い先輩後輩(こういう驕りが嫌いだったのだろう)を褒めたたえた顧問だ。
まさか私に悲しんでもらえるとは思っていないだろう。いや、傲慢だったから、真意はわからないし、わかりたくもないけれど。
それの意趣返しをするつもりはないが、私もあなたの死はどうでもいい。
とはいえ、聞くまでは悲しんだり、ショックを受けるかなと思っていたので、自分でも薄情だなと思った。
親から葬儀の日程を聞かれたけれど、電話で確認することもなかったから、わからないと答えた。
すると、落胆されたのだ。私が顧問を今でも憎み嫌っていると知っている親が。私だって落胆した。親に。
お葬式やお通夜というのは、故人を悼みたい人のために開かれると思っている。
なので私が参加するのは間違いなのだ。
とはいえ、私の所属するコミュニティは田舎そのもので、流石に参加しないととチクチク言われるのだ。
私が死んだときに顧問は来てほしくなかったので、私も参加したくないのだけれど。
ああ、こんなことなら、恋人の一人でも作って、クリスマスなので行けませんと言える空気を作っておけばよかった。
なんてことを考えてしまうくらいだ。
私はあなたが亡くなって清々しい気分だ。
A男は高身長のイケメン。武士のようにストイックで寡黙でエヴァンゲリオンが好きで頭がいい。黙ってるだけで女が寄ってくるモテモテで彼とセックスしたい女が山ほどいて、A男の家に何かと理由をつけて行く女が後を絶えない。
B男は普通身長のブサイク。パワー型コミュ障で、周囲を白けさせる。この間もろくに話したこともない部内一の巨乳の女になぜかアクセサリーをプレゼントする形でいきなり告白したが断られ、逆ギレしてさらに周囲の顰蹙を買った。
C男は低身長のブサイク。コミュ力の権化で、留学生の白人美女と数年来ラブラブなのに、今もモテモテ。この間同じ授業で同じグループワークをしたら、俺この作業やっとくよ!と一番めんどくて厄介で誰もやりたがらない作業を笑顔で引き受けてくれて惚れそうになった。
吐き出し
日本一になる!ってみんな頑張ってる。
しかし自分は頑張れない。だって、部活楽しいから入ったわけだし。日本一になるために入ったわけじゃない。
けど、部内では日本一を目指すために頑張れない奴はダメな奴だ、やめるべきだ、悪だみたいな考えが蔓延ってる。そんな考え方の中で生きていると、楽しいだけで部活をしている自分がダメな存在に思えてくる。辛くなってくる。劣等感が自分を襲って、自分の存在価値がなくなったような気がして。こんな自分がいても迷惑なだけじゃないかなんて卑下して。部活は楽しくても、どんどん苦しくなってくる。
冷静に見ると、ばかみたいだなあって思う。
だって、いくら自分たちが真剣に日本一を目指してる!って言ったってただの遊びだ。ただの素人のスポーツだ。野球やサッカーみたいなメジャースポーツでもないから仕事にもできない。お金はもらえないし、応援してくれてるのは保護者とOBとごく一部のスポーツ好きな人だけ。誰のためにやっているわけでもない。ただの遊びだ。
体育会系だからサークルとはちがう!一生懸命取り組んでるから遊びじゃないんだ!とかいう言い訳もある。しかし学生が本来何よりも頑張るべきは勉強であって部活ではないんだ。世間から見たら、親の金で義務教育でもなんでもない大学に行かせてもらって、バイトも他の学生よりせずにスポーツに打ち込んで、勉強もろくにしていない学生なんだ。控えめに言っても、良い学生ではないんだ。まあ就活ではうまくいくかもしれないが。体育会系好きな会社って多いから。
しかし、みんなただの遊びってことを忘れている。目標に向かって頑張れる人が偉いと思っている。だから、部活に対して時間を使いまくれって言うし、部活に対して真剣になれって言う。そんでみんな苦悩する。アホみたいだ
違うんだ。部活は楽しいだけでいいんだ。だって遊びなんだから。気を楽にして取り組めばいい。なのに何故そんなに自分を追い詰めるのだろうか。どうして頑張れない人を追い詰められるのだろうか。ただの遊びなのに。
追加
辞めたいわけでも嫌なわけでもないけど、自分で自分の首を絞めて、苦しんでる人多いなあと。自分も含めて。逆に、周りを締め上げて苦しむ人もいるなあと。ただの遊びなので気を楽にして部活に取り組めばいいんだよ。気を楽にして楽しんで一生懸命やればいいんだ。
自分は間違いなくコミュ障である。だから社会における自分の価値を「有能である事」としてきた。
自分で言うのもなんだけど、昔から幸い人よりも地頭や要領が良かった。
小学校の時、仲間内で同時期に始めた習い事で一番成績やランク(段位や進度など)が上である事が殆どだった。
中学校の時、クラスで一番成績が良かった。部活もレギュラーだった。
高校生ぐらいになるとネットの世界に出る事を覚えた。凄いなと思ったものを真似してみたらすぐに成果物は出来てそれなりに見てもらえた。
大学生になってバイトを始めると、やはり仕事を覚えるのは早くて、店のエースだと持て囃された。
新卒で会社に入社すると、すぐに同期で一位の成績になって、近年稀にみる逸材だとか噂された。
なので人生都度都度、褒められてきた。
「増田さんは〇〇が出来るなんてすごい!」とか「増田さん本当に頼りになる!」とか「増田さんのお陰で〇〇が出来た!」とか「増田さんが皆のお手本になってね」とか。
褒められて気持ちいいってのもあるのだが、それ以上に自分はここに居て良いという事に安心していた。
だが、小学校から……いやそれより前、生まれてこのかたコミュ障が治らない。
先天的ド陰キャなのである。要領は良いのに、悲しい事に人間として基本的にダメだ。
コミュニケーションといっても、業務的な報連相をするのは超得意科目だ。
友達いるっちゃいるけど、類が友を呼んでるので友達も大抵コミュ障でおひとりさま属性だ。
いつもどこかの段階で、気付いたらなんだか浮いた存在になってる。
同期には成績では勝っていても、人間として確実に敗北している。
特に一生かけても勝てる気がしないっていう、コミュ力の化け物みたいな子がいる。
どうしてそんなに上手に会話が出来るのか。こんなコミュ障とも上手く会話をすり合わせて溶けるように会話が出来るのか。
会話テクニックと優しい気遣いの出来る性質が相乗効果を起こしている。こんな風になりたいけどなれない。
コミュ障なのにこれで「役に立つから」という理由でそこに居場所を作ってもらえる。
だけど有能でなくなったら、上手くいかなくなったら、自分はコミュニティからきっと切り捨てられてしまうんだろうなといつも思う。
それが恐ろしくて、今日も頑張って足掻いている。