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はてなキーワード: 部活とは

2020-01-10

過敏性腸症候群わたし

からお腹が弱く、今思えば物心ついた時から過敏性腸症候群だったのではないかと思う。

小さい頃、小学校5年生くらいまで外食をするのが怖かった。なぜなら落ち着いてトイレへ行けないから。

から(2.3歳の頃から)便秘下痢を繰り返し、お腹を壊すとなると1時間以上はトイレで苦しんでいた。

もし出先でお腹が痛くなったらどうしよう、という不安が余計に腹痛を煽る。お店へ着くや否やトイレへ駆け込み、一回の外食で3.4回はトイレへこもっていた。(だが、そういう時はお腹は痛くなるのに便は全く出ない)

トイレへ行くたび両親からはまたか大人しくしろと怒られる。それも相まってさらに私のお腹は痛くなるばかりだった。

だが、小学六年生からは親へ口答えもできるようになったり、自律神経が整ったのか外食へ出かけても腹痛を起こすことがほとんどなくなった。相変わらず便秘下痢は繰り返していたが、昔ほど酷くはなくなった。

だが、中学3年生の冬。卒業間近に悪夢が襲った。

ある授業を受けている時、突然強烈な腹痛が私を襲った。我慢しようとしたがシャーペンを握る手が汗でビチャビチャになりノートが濡れた。これはやばいと思い恥を忍んでトイレへ向かった。

だが、トイレへ向かっている途中で腹痛はすっと治った。

あれ?と思い再度教室へ戻り席へついた瞬間また猛烈な腹痛。

全身尋常じゃない汗が流れた。少しでも気を緩めば屁も身もでる、全身をガッチガチに硬直させ奥歯が割れるほど食いしばった。

だが、十数分も待たずして再度トイレへ。またしても廊下を歩いている途中で嘘みたいに便意がなくなっていく。

その日から地獄の日々が始まった。

幸い、卒業間近だったこともあり登校日も少なくなっていたのだが、試練は終わらない。

友人とバスで出かけようものなら1人だけ途中離脱。親と車に乗ってどこかへ行くこともできない。静かな場所や人が大勢いてなおかつトイレはすぐ行けない場所密室にいると強烈な腹痛に襲われた。

そのくせトイレへ向かう途中やトイレに座った途端すっと腹痛が何処かへいってしまう。

私は発狂しそうだった。というか発狂した、泣いた、わめいた。

ご飯を食べなくなり下剤を多用した。整腸剤も飲みまくった。

出すもの出せば仮にお腹が痛くなってもでるものがないと思ったし、食べ物を食べなければ便が作り出せないからだ。

そんなある日、私はこの腹痛の病名と出会った。

過敏性腸症候群

お前か!!!!!お前だったのか!!!とめちゃくちゃ感動した。

その頃はおそらくあまりメジャーものではなかったが、いろいろな情報ネットから手に入った。心療内科へ行き診断もしてもらった。

からお腹が弱いというのも原因だったのもあるが、私の場合は厳しい親も原因の1つだったようだ。

怒るとなるとかなり厳しく、また、小さい頃は虐待じみた教育を受けていたこともありよくお腹が痛くなっていた。

成長するにつれ親も私が手がかからなくなり昔より穏やかに接するようになり、私も生意気にも口答えができるようになったのでストレスが少しずつなくなってきたから腹痛の症状が出なくなったのかなと思う。

だが、受験シーズンになり、推薦で高校が決まっていた私は勉強をしていなかった。仲のいい友人は勉強に追われていたが私はのんびり過ごしていた。そんな私に友人は八つ当たりをよくしてきていた。

今思えば自分が行きたいと選んで塾へ行き、自分が行きたいと選んだ高校なのだから黙って勉強しろよとは思ったのだが当時の私はその子八つ当たりを頑張って受け止めていた。

また、入学予定の高校では部活で進学したのだが、今じゃあり得ないくらいの暴力蔓延している部活で、これからそういう環境に身を置くことに対しても強いストレスがあった。いくら覚悟を決めていても無意識に心に負担があったのかもしれない。

いろいろなストレスが少しずつ私を蝕んでいき、一番弱いお腹負担がかかったのだと思う。

卒業式の日は前日から絶食、お守りがわりに整腸剤を持って挑んだ。隣の席の友人には病気のことを話し、式中はずっと小声で話し合っていたおかげでなんとか乗り切ることができた。

高校入学後も、事前に学校側へ事情を話しており、なおかつ校風自由で友人みんなに病気のことを話したり、テストは別室でうけたり、本当に申し訳ないが授業中は寝ることによってお腹から意識を逸らした。(教室にいることもとても辛かったが、皆んなが病気を受け入れてくれているという安心感や、申告なしでトイレへ行ってもいいと学校から許しをもらっていたので、安心感が大きく眠りにつくこともできた)

高校一年生の夏、期末試験の時、初めて教室テストを受けた。

担任から「受けてみないか」と提案があり、無理ならすぐ保健室へ行ってもいいと言ってくれた。

テストが始まった直後、教室は一気に静まり返った。

心臓が痛いくらバクバク鳴っていた。手汗が出た。お腹も痛くなった。

だが、我慢できる。

それどころか、少しずつ、少しずつ腹痛が治まっていく。

気づいたらテストが終わっていた。

その日から私は腹痛で保健室へ行くことは無くなった。

あれ以来、普通の人よりもお腹が痛くなることはやはり多い。映画館で腹痛になり、楽しみにしていたメリーポピン●は1時間しか見れなかった。居酒屋へ行きすぐにトイレから出れなくなることもあった。

けれど、昔より悲観的じゃない。大人になるってこういう時とても便利で楽だなって思う。

昔みたいにビクビクしながら外へ出ることがなくなったのはとても心地いい。もちろん痛くなったら絶望的にはなるが。

あの高1の期末試験体験が私の勇気となっている。あの日、目の前がとてもキラキラして見え、あ、もう大丈夫だと心から安心したことは忘れない。

2020-01-09

anond:20200109132733

ワイも築30~40年のボロアパート住んでたやで

最初家族ですんでたけど他の人は進学就職でワイ一人しか住まなくなったやで

高校部活に籍だけ入れてたけどほとんど活動してなくて大学進学して中小メーカー就職したやで

anond:20200109132733

寡黙で誰にでも優しく、部屋は汚れている。

高校時代文科系部活

大学修士まで行った。最初就職は中企業で、3年後に小企業転職

結婚を考えた相手自殺した。

とりあえずこんな感じ。

2020-01-08

非モテ絶対に付き合う方法

中学の頃、クラス男子に机離されたりゴキブリって呼ばれたブス女だけど、告白されたこともあるし付き合ったこともあるし果てには結婚してしまったので非モテ男性孤独わからんな。ははは。あーあ。マインドはそっち側なんだけどな。いいですか、同じサークル部活オタク女子を狙いなさい、自己肯定感の低い子を狙いなさい、押せばオッケーしてくれる子居ますよ、周りにいるでしょう、自分と同じようなパッとしないボーイなのになぜか彼女を切らさないやつ。彼は押しが強いです。君が、地味でちょいブスだけど自分にはその魅力がわかる、かわいいなあって思ってる子、いるでしょ、いるかからないけど。その子偏差値で言うと50、もしかしたら60、つまり人気です。みんな、俺でも手が届きそうって思うから人気です、同じことを考えてます、激戦区です。前述した押しの強い彼と付き合ってます処女じゃありません。じゃあどうするのかって、君の眼中に入ってない、もっと地味で顔の良くない子…いるでしょ…その子です、その子アタックするのです。会社とか大学とか、わからないけど同じ集まりで色んな子に手を出すのは悪手です、あの子が駄目だったから次この子、だめです、もう噂になってます。噂になったらもう無理です。終わってますあなたと付き合うと女友達からわらわれるからです。あいつ私にも口説いてきたよwwwwwと笑ってます。同時進行もだめです、やるとしてもバレないようにしてください。じゃあどうするかって、友達のいない子を狙うのです。もしくは彼氏と別れたばかりの女の子いませんか、そこに付け入るのです。優しく話を聞くのです。入学入社サークル入部、新しい環境に入ったら早ければ最初の二週間で勝負がつきます、遅くとも2ヶ月、そのうちに異性として意識してることを匂わせるべきです。ちんたらしてるからぬいペニだのなんだの言われるのです。

2020-01-05

陽キャ

高校時代オタクをすこしだけ卒業していた。

すこしだけ、というのは、ううんなんて言えばいいんだろう。にわかオタクだったっていうか。

小学生のころから根っからオタクだったので創作したり妄想したりするのが好きだったんですけど、高校時代ライトオタクだったというか。漫画読むしアニメも齧ってたしニコニコ動画とかも見てたけど、そこまでヘビーなオタクじゃなかった。

なぜそうだったかって、勉強部活に明け暮れていたからなんですけれども。そこそこの進学校入学した自分は今思うとめっちゃ痛いんだけど高校デビュー(笑)したくてごりっごりの運動部に入ってた。

それまで文化系だったから、その部活では底辺だった。でも個人競技の側面のあるスポーツをしていたので誰かの足を致命的に引っ張ることはなかった。本当に良かった。

そこで同じ競技をしていた同い年の同級生が他にもうひとり居たんですね。男の子なんですけど。

端的に言うと、めちゃくちゃ陽キャだった。もう根暗自分からすると最初マジで怖くてびくびくしてた。

同じ種目だから練習も同じなんですけど、まじで同じ部活じゃなかったら関わることがなかった人種

の子最初一年部活さぼりがちでした。なんか勉強の方に専念したいらしくて。でも練習に顔出さない割にはもともとの運動神経が良くて部活の成績はそこそこ良かった……たぶんもっと練習してれば強くなっていたのではないかとおもう。

二年生になって、練習によく顔を出すようになった。たぶんなんか、その子のなかで気持ちが変わったんでしょうね。

毎日のように練習で顔を合わせるんですけど、怖いと思ってたのがコミュニケーションするうちにこいつ良いやつじゃん…ってなった。

の子めちゃくちゃイケメン(でも顔がこわい)で、一年生のときからお付き合いしてる彼女が居るんですね。で、よくその子のことを惚気られた。

しかもその惚気かたがめちゃくちゃ可愛くて、下世話な話とかじゃなくて、今度お花見に行く~とか、手作りのお弁当を作ってもらった~とか、なんかもうあまずっぱいんですよ。

ほんとうに好きなんだなあ~と部活の合間とか終わったあとに話を聞きながら、彼のようなひとのことをリアル風早くんと言うんだろうなと思っていた。(風早くんが誰か気になるひとはぐぐってくれ・・・

なんで急にこんな話するかっていうとツイッターで行きずりのオタクが「マジの陽キャはいいやつ」みたいな呟きしてるのが流れてきて。本当にそうだなあって思ったからなんですよね。

マジの陽キャマジでいいやつでしかない。

高校時代のこの友人もそうだけど、顔が良くて頭も良くて家庭環境もおそらく良いであろう子が、ひねくれるわけがないんですわ。

本当に良いやつだった・・・元気かな・・・もうずいぶんあってないけど。

2020-01-03

パワプロの楽しみ方

子供の頃にパワプロすごいやってた

去年 eBASEBALL の盛り上がりを見て PS2 以来の PS4 購入。それ以来パワプロしかしてなかった

子供の頃は学校先生とか部活メンバー名前サクセスしまくるのが好きだった

最近は贔屓のプロ野球チームがあるのでそのチームのタラレバを考えたり勝手ドラマを見るというマニュアルペナントに凝っていた

最近マニュアルペナントもある程度遊んだなという感じになって、急にやりたいことがなくなった

みんなパワプロどう楽しんでるの

2020-01-02

anond:20191229143945

C3部は、同時期の「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」やら「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い」と違って

本当に洒落にならないぼっちアニメからなあ

ヤバイという表現は確かにその通りだろう

序盤からデタラメなことを言っているようにしか見えない部長否定されることもなく信頼を集めていて、

ゆるふわ部活モノとしても描写が甘すぎないかと思っていたところが、

中盤で本当に部長は何も考えずに適当こいてたと明確になった上に、その部長を信頼していた主人公ある意味バカ正直に騙されることで

関係が決裂していくのはなかなかゾクゾクしたけれどね、個人的には

世の中の大半の人は、あんまり深く考えずにその場のノリで適当なことを言うことも多くて

発言矛盾があったとしても、咎められることもなく互いに仲良くやっていけるものなんだけど、

この主人公はそれが出来ないクソ真面目な人なのよね

から中学時代もそれが原因でぼっちだったし、高校でも同じ事故が起こってしま

八幡やもこっちと違って、こいつ本物だわ、という衝撃があった

決して楽しい作品ではないが、見る価値はあると思うんだよね

で、もしC3部見て疲弊した後は、「さばげぶっ!」でも見れば多少は癒やされるだろう

anond:20200102005816

仕事で直接役立つ技能取得に自分時間をどれだけ使うかは難しい問題だよね。

私で言えば、少なくとも名著とかに現を抜かすのと同じくらいの時間IT勉強をすべきなんだろうね。本当は。

でも、人間(私は)その時エンジンがかかったこしかやれないんだよね、、、

部活やめさせればその分勉強時間が増えるわけではない現象永遠につきまとうんだなと。

2019-12-30

みんなで怒るって楽しい

最近ネットフェミやらポリコレやら交通事故犯人やら、なんかよくわからんけど集団でプンスコするのがよく目立つ。

もちろん世間意識が変わっていってるって言うのもあると思うし、集団プンスコが一概に悪いとは言えないけど、みんなで団結して怒るってすごい楽しいんだよなー。

自分学生時代の話だけど、所属してた部活理不尽に廃部にされそうになった時、部員みんなで怒り狂って反抗しまくったのがめちゃくちゃ楽しかった。怒りでいっぱいだったんだけど楽しかったんだよな。絶対そういう気持ち集団プンスコしてる人がいると思う

2019-12-29

初めて一人で年を越す

今までは実家にいたり、帰省せずに下宿先でうだうだしてる部活仲間たちと集まったりしてたから、常に誰かしらと年を越していた

今年は帰省もせず、また誰にも大晦日の予定を聞いていなかったため意図せず(?)一人での年越しになる

なんか、それに今日の朝気がついてすごい不安やら、寂しさなどを感じた

これからますますこういう思いに嫌でも触れる機会が増えていくんだろうな

2019-12-28

大学4年間は充電期間だったように感じる

「だった」と言ってもまだ大学生なんだけどね。今4年生。

かなり内向的性格をしていると思う。友達は少ないがちゃんといる。趣味インドアだし、運動苦手で体力ない。あと陰キャ関係いかtwitterでたまにバズる友達のことは好きだけど、出かけるとすごく疲れる。誰かと遊んだ後は休まないと回復できない。」系のつぶやきを見るとすごく共感する。

高校生まではバリバリ部活をしていたんだけど、大学に進学したらなんだか疲れちゃって。部活はもちろんサークルにも入っていないし、バイトもかなり少なめに入れている。勉強は割と楽しくやっていたけど、研究室に泊まるような忙しい感じではない(そもそも文系だ)。そして、友達ともほとんど出かけない。人と比べたら相当引きこもっている方だと思う。でもそれが楽しい。家でごろごろネットサーフィン、時々ゲームして、空想を書き出したりした。(空想小説にしてみようとしたけど断念した。小説を完成させるって大変だよね。)

から空想はよくする方だった。大学に入って時間とある程度のお金自由になってから映画をたまに観に行くようになった(基本は1人だ)。エンディングのその後や「自分がもし○○だったら…?」「AとBが敵じゃなかったとしたら…?」なんてことをよく考える。ある時はピカチュウ冒険に行ったし、ある時はニュート・スキャマンダーの助手になった。

美術館博物館に行けば(もちろん1人だ)、絵画が描かれた時代に思いを馳せたり、展示されている道具を実際に使っていた人たちのことを思い浮かべる。平安も縄文明治も、フランスアメリカイギリスもひとっ飛びだ。

と、まぁ自分は4年間こんな感じで基本引きこもってゲームとかネットとかして、たまに出かけて(友人らのキラキラしたInstagramからは目をそらしつつ)、ごくまれ友達と出かけてそれなりに楽しくやってきたわけなんだけど…

どうやら両親がすごく心配しているらしい。どうしよう。快適なごろごろライフがやりにくくなってきた。最近何かと「○○行かない?」とか「○○ちゃんと出かけなくていいの?」とか「彼氏とか…モニョモニョ」って言われるようになった。やっぱり親としては心配なのかな?

あーあ、気兼ねなくごろごろするなら漫喫行かないとダメかなぁ…。お金ないんだよなぁ。

痴漢という文字男性差別だ!

"漢"は主に男を指す言葉である

>>古代北方少数民族漢族と称し、その男子を'漢子'と称していました。後世そこから転じて男子を漢と呼ぶようになる。

少し昔の話だが、田舎高校生1年生だった俺は、人気の少ないバスに乗って帰宅していた。

一番後ろの席で、部活帰りだったこともあり、汗まみれのジャージ姿でうとうとしながら眠っていた。

ふと気付いたら、20代前半くらいのスーツ女性が隣に座っていた。

いまでも覚えている!俺はうとうとしながら隣に座ってきた女性肩に寄りかかっていたのだ。

小声で、わ!ごめんなさい...!と俺が言ったのを覚えている。

一瞬びっくりしたけど、相手もびっくりしただろうなぁとか思いながら、また眠りかけていたその時だった。

男性諸君ならわかると思うが、俺に、眠勃起現象が起きていたのだ。

16歳の勃起、そらもうビンビンだ!しかジャージから丸わかりなのだ

ごめんなさい...!とまた小声で言って、鞄で隠した。足を組んだ。また足を組み直した。勃起を隠すための最適なチンポジに移動させようとしているのだ。

恥ずかしさと眠気で、顔をそらして必死に寝てるふりをしてやり過ごそうとしていた。

そうこうしていると、女の人がそっと俺の手を触ってきた。覚えている!嬉しかった!興奮した!

俺は必死眠いフリをしながら、”これは俺の意志じゃありませんよ?”と主張しつつも、触れてきた手を握って、女の人も握ってきて、握り返して、またそれを握り返して、くんずほぐれつ状態になった。

そんな状態から、女の人は俺の手を自分股間誘導していったのだ!触ってもいいんだよ?と言わんばかりの誘導だ!興奮した!俺は、はじめて大人の女性股間を触った!湿っていた!触れば触るだけ湿りが、濡れに変わるのを感じた!興奮した!灰色の俺のジャージにも我慢汁でシミがついていった!

”触っていいんだよ?”って小声で言われたのを覚えている!

一生懸命触った!興奮した!理性が保てない!うおおお!永遠を感じた!

そんなこんなしてたら、バス目的地についたのか、女の人は、”ありがとね”と小声で言って立ち去っていった。

***

さて、本題に戻ろう。

いまでも覚えているが、翌日学校友達に”逆痴漢にあった!”と鼻息荒く何回も説明したものだ。それから数ヶ月、馬鹿みたいにそのバスに乗った!(田舎から2時間に一本も走っていません)高校生の俺にとって、バスに乗るのは疲れた時だけの贅沢だったかお金にも困った!

そして、現代

”逆痴漢”、”痴漢”という文字列違和感を覚えた。

なぜ”漢”ベースなのか?!

痴漢という文字男性差別だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!11111111

自分の両親が生ハメ中出し経験済みでショックを受けた

とにかくショックだった。

父は母に対して中出ししたことがあると、確かにそう言った。

しかも無理やりではなく、母の了承を得てコトに至ったと言う。

これは珍しくお酒に酔った父から聞いた話だ。

いや酔っていても思春期の息子にそんなこと話すなよ、と思ったが、それよりとにかくショックが大きかった。

父も母も公務員で真面目な両親だった。

なぜそんなモラルのないふしだらなことをしたのかと思い悩んでしまった。

ゴムを付けずに挿入し、中に出したほうが気持ちがいいから?

いや、一時の快楽のためにリスクを犯すような愚かな親ではないはずだ。

わりと家族間の距離は近い方で、父は私に「そのときがきたらゴムつけろよ」と言われたこともある。

まだ私は彼女がいないので、いつも面倒くさそうに「彼女いねぇ」と返していた。

そんな父親自分コンドームを付けなかったこともあるというから驚きだ。

高校生にもなると友達彼女エッチの自慢をしてくるようになる。

ただ当然コンドームはつけているようで、同級生は「生でしたい」だの「ゴムがきつい」だの言っている。

先日、部活の先輩は「生でやった」と部活のみんなに自慢していた。

ただ当然外に出したようで、話を聞いていた他の同級生や他の先輩も羨ましそうにしていた。

コンドームではなく、女性側のピルという方法もあるが、費用面と通院の手間があるため、まだまだコンドームよりは一般的ではないと思う。

それだけ私の中でコンドームを付けずに挿入し、そのまま中で出すというのはありえないことなである

AVの中の遠い話で現実には起こり得ない事象だ。

ここでさらに衝撃的な話がある。

なんと父親危険日に膣内で精子をぶちまけたようである

完全な極悪人だ。

安全日だからってコンドームを付けずに挿入していいわけないのに!

危険日にそんなことを・・・

本当に頭が痛くなる。

私という子供が生まれて真面目になっただけで、私が生まれる前はそんな危険で淫らな遊びばかりしていたのだろうか・・・

そういえば生ハメも中出しダメって聞くけど、どうしてダメなんだろうか。

2010年代アニメ総括(個人の感想です

個人の感想です

アニヲタ歴は22年くらい?

 

魔法少女まどか☆マギカ

私はアニヲタとしては00年代世代で、攻殻機動隊ハルヒが印象的だったんだけど

その様相がガラッと変えたのがまどマギだった

とは言えあそこでどっぷりハマったのは当時学生だった子達だと思う

90年代00年代経験してきたアニヲタ的には多分「なんかバズったね」程度だったのではないか

 

まどマギは色んなものをもたらした

オリジナル深夜アニメでここまでいけるという前例

・3話で驚かせるとか、10話でひっくり返すという構成

・絵柄とストーリーギャップ

百合

映画資金回収

 

珍しく企画勝利した作品であり

それを当てにして上手くいかなかった作品も多く生み出した

個人的TV版は非常に熱狂したんだけど、映画版をまだ積んでると言う程度ではある。見なきゃ・・・

 

ただこういう衝撃系作品って類似作品を出しても上手くいかないイメージが有る

実はエヴァもそうなんだよね、20年に1個くらい爆発する感じ?

 

化物語シリーズ

調べたらアニメ化一発目が2009年夏らしいが、そのブーム2010年代を彩ったと言って良いと思う

実はこれも途中で止まってるので語る資格がないんだけど、ふれないわけにもいかない作品でもある

といってもこれは西尾維新新房昭之節が極まった作品であって、他のアニメへの影響はほとんどないかもしれない

オンリーワン

普通に世界が完結してて普通におもしろ

 

主人公がひたすら語る作品といえば、ハルヒ物語シリーズが思い浮かぶけど他にあるかな

 

そういえば、ネットでの話題性に比べて円盤の売上がかなり高かったのが特徴的だったね

 

進撃の巨人

これもオンリーワン系だと思う

大変面白いけどそんな売れると思わなかった系でもある

2010年代は「面白いけどそれマイナー系だよね(ジャンプでやるようなタイプじゃない)」というのが正当に売れた10年だと思う

私の趣味に近づいた感じなんだけど、私みたいな奴が買ってるのかもしれない

 

鬼滅の刃

面白い上にアニメクオリティが非常に高かった

2010年代はとにかくクオリティ向上が目についたと思うが、その集大成のように思えた

 

あと2010年代らしいと思ったのは主人公性格

とんでもなく善良なあたりが現代日本っぽい

昔はもっと「根はいいやつだけどヤンチャ」とか「根はいいやつだけどスケベ」とかそういうのが多かったと思う

 

プリパラアイドルアニメ

本当はアイドルアニメでまとめるべきなんだが私がちゃんと見ていないせいでまとめられない

 

アイカツ! 2012年(みてない)

ラブライブ 2013年(みてない)

ろこどる 2014年(見た)

プリパラ 2014年(見た)

デレマス 2015年(みてない)

SHOW BY ROCK!! 2015年(見た)

ゾンビランドサガ 2018年(見た)

バンドリ 2018年(みてない)

Re:ステージ! 2019年(見た)

まだまだある!

 

2010年代は確実にアイドルアニメブームになっていた

もちろんAKBという文脈があったからではあるんだけど

アニメフォーマットが作りやす

3DCGの強みを最高に活かせる

スポ根文脈があるから、いい話にもできるし女子ウケも狙える

声優アイドル化、産業構造の変化

 

みたいないろんな絡みで猫も杓子もアイドルアニメだったと思う

私はドルオタではないしライブには興味がなかったが、最先端3DCGで踊るアイドルには目を奪われたし

それに負けじと手描きで挑むのも面白かったし

スポ根要素が強いストーリー結構楽しめた

というかプリパラで何度か泣いた

 

探偵オペラ ミルキィホームズ

調べたら放送2010年だった

何気にこれもいろんな影響を撒き散らしてる気がしてならない

2010年のシュールギャグと言う感じのアニメでした

 

このアニメ声優アイドルの方で影響が強い気がするが、私はそこら辺疎いので語れない

個人的には「森脇監督ふでやすかずゆき」という最狂タッグがプリパラという女児アニメミルキィホームズ再現したのが衝撃だった

ちなみにふでやすかずゆきはゴチうさもやってたりする

10年代で崇拝するスタッフの一人になったのは間違いなく

ふでやす脚本回ではコメントで「ふでやすwww」と草をはやしている(これは私だけではない)

 

シドニアの騎士宝石の国BEASTARSなど

2010年代3DCGアニメーションが普通に放送される時代となった

ようやくと言う感じ

3DCGを省力化のためにつかうというよりは、表現の幅を増やすために使っていたのが印象的だった

場合によっては一部を作画にするというのもあったらしい

楽をすることなど考えておらず、クオリティをがるために戦略的に省力をしているようで、頭が下がる

 

そもそもアニメ業界全体で、気づかないうちに3DCGが使われているらしい

3DCGは旧来の方法と融合したようだ

 

gdgd妖精sてさぐれ!部活ものけものフレンズケムリクサ

「誰が」と言う部分を語るとわけわからなくなるので、手法について語ると

一見すると品質の高くないように見える(MMDのような)3Dモデル使用してアニメを作る手法

2010年代はこれがかなり伸びた(広まったわけではない)

この手法の強みは何より制作期間の短さにあって、できるだけ少人数でアニメを成立させるならどうするかの局所最適解のように見える

素早く作れることで何度も内部でバージョンアップを重ねることができ、面白さ向上に繋がってると言う話はなるほどと思った

アジャイル開発だ

 

こういう少人数制作の流れはあまり無いんだけど

異世界かるてっとの制作所も最近注目している

あれはソシャゲアプリキャラを動かす手法と同じだよね?

 

けものフレンズ

上のラインからやはりけものフレンズは浮いてる

SNS考察し合う前提で色々仕掛けておくたつき監督流には唸った

 

ちなみにけものフレンズは私が2010年代にハマったアニメ5指の中に入ると思う

初動で増田に5つくらい日記を書いて伸びたのが懐かしい

 

ゆるい百合アニメきらら

けいおん2009年初出、ひだまりスケッチ2007年初出、ゆるゆり2011年初出らしい

その流れを組んだゆるい百合アニメは明らかに2010年代全盛期だったと思う

もはや一つのジャンル文化形成してしまった

 

2014年にご注文はうさぎですか?が出た前後あたりから、明確にきらら系を意識されるようになったと思う

おおよその雰囲気として

ほとんど女キャラしか出ない

・故に男女間の恋愛話に発展しない

友情や行き過ぎた愛情はある

・緩めのギャグ

・落ち着いた雰囲気

 

みたいなものがあると思う

見ているのは9割くらいが男性で、どうやら癒やしを求めているらしい

かくいう私も難民だけど

 

2010年代特に流行ったのはここあたりか

ゆるゆり2011年)

きんいろモザイク2013年)

のんのんびより2013年)

ご注文はうさぎですか?2014年)

NEW GAME!2016年)

ゆるキャン△2018年)

 

実際にはこの3倍位の数にはなる

 

桜Trickcitrus

ゆるくないガチ百合アニメもちらほら出てきた

緩いほうが人気らしいが、私はガチ大好物

 

ゆるキャン△ふらいんぐうぃっち三ツ星カラーズ

女だらけのアニメと聞くと、普通はお色気路線だと思うだろうが、それだけじゃ説明がつかないアニメがちらほら出ている

重要なのはもっと別のところにあるのかもしれない

こういうのを並べてみて気づくのは、大抵何か趣味地域の紹介アニメであることが多いと思う

たまたまかもしれないけど

 

テコ入れ回って果たして本当にテコ入れ回なのか?

 

侵略!イカ娘

イカ娘2010

面白くないけど可愛い」などと揶揄されて結局成功したので

かわいいは正義だということが証明された

 

私に天使が舞い降りた、うちのメイドがウザすぎる!

これだけポリコレが極まった2010年代において、真正からロリコンアニメをやる流れがあってちょっと笑った

ただ昔と違って、一個メタ構造になっていて、1人大人がいることが多い

ロリアニメではなく正しく「ロリコン(でギャグやる)アニメである

ただ可愛いとかじゃなくて構造的に成立してるのがなるほどと思った

示し合わせたわけでもないのに、この2作品構造がかなり似ているのも面白い

 

ここにロウきゅーぶ!天使3Pを入れるかどうかは迷う所

 

ヤマノススメゆるキャン△ダンベル何キロ持てる?といった趣味アニメ

話を作るに当たって下地にするものというのがある程度戦略的パターン化されて行った

その中で趣味フォーカスをあてた作品が目立ったと思う

10年以上前ならアニメの主役は「世界を救う」みたいな話で、趣味雑学アニメでは脇役だったと思うが

2010年代は明らかに主役のポジションにそういう趣味雑学作品があったと思う

おっさんがやってそうな趣味女の子がやるだけでおっさんは喜ぶようだ

(ちなみに「世界を救う」から趣味アニメ」の間に「部活アニメ」が挟まると思う)

 

そしてこういうのが流行るとどうやら世間でもプチブームが来るらしい

これはアニメ火付け役なのか、火がついたかアニメをやったのかどっちなんだろうか?

 

ガールズ&パンツァー咲-Saki-

咲は初出が2009年だった

 

両方とも大ヒットしたために単体で文化っぽくなっているが

これらも「主に男がやってる趣味女の子やらせよう」の系譜

  

いろんなマニアック知識スポ根に落とし込んでいったのは非常にうまかった

 

ソードアート・オンラインアクセル・ワールド

xRを題材にしてるあたり2010年代らしい

類似品がかなりあったなかで一番成功したのでは?

私は2期までしかみてないんだけど

00年代ラノベ系譜を受けているので、今見ると少し懐かしい感じがする

2012年頃の中二病の受け皿になったのは間違いない

 

なろう系、Web小説系、Web漫画

触れるには荷が重い、そして私に語れる気がしない

特になろう系

 

ジャンル内で色々なアイディア蠱毒をやった結果、驚くほど面白い作品が出てくることもある

 

魔法科高校の劣等生最初楽しみ方が全くわからないまま見ていたが、ニコ動で見ていたら最終的になんか楽しくなっていた

 

この素晴らしい世界に祝福を

腹抱えて笑った

確かこれでなろう系の印象が変わった

色々な出来事イレギュラーに思えるんだけど、コメディとしてみれば割と基本を踏襲してたりするので異世界転生に先入観を持っていたのは自分のほうだと気づいた

 

オーバーロード転生したらスライムだった件

これだけじゃないんだけど

主人公魔王サイドとか、悪役というのが目立っていたと思う

そんなの昔からあると言われそうだけど、精神レベルで悪役というのは昔はそんなに無かった気がする

 

(ここにはたらく魔王さま!や、まちカドまぞくを入れるとよくわかんなくなりそうだけど)

 

シュタインズゲートゾンビランドサガ

宮野真守が演じるだけで面白い

2010年代声優の影響力も強く感じた

 

キルラキル

TRIGGERすげーってなった作品

すごい爽快感だった

 

ピンポンモブサイコ100ワンパンマン

これ一緒に語ると怒られそう

漫画だとこういう描き方あるけど、アニメのようなチーム制作ではきついでしょっていう作品結構すごいクオリティで仕上げてきた年代だと思う

愛と執念と労力を感じた

 

メイドインアビス、ゾンビランドサガ

2010年代死生観まで考えさせるアニメが目についた

そしてここらへん、題材としてはマイナーになりそうだったのに一個突き抜けて人気作になったのが意外だった

視聴者の年齢が上がってるのかも?

 

死生観の流れで行くと少女終末旅行なんてのもある

 

ジョジョの奇妙な冒険魔法陣グルグルおそ松さんセーラームーン

2010年代は、リメイクアニメ成功した10年だったと思う

昔はリメイク作品がそこまで成功するイメージがなかったんだけど、2010年代はかなり安定していた

おそらくスタッフの中に純粋に少な人がいたから?

といっても上手くいかなかった作品もチラホラあるんだけど

 

その他、触れていないもの

SSSS.GRIDMAN

非常に面白かったけど、特撮が一ミリもわからないので何も言えん

 

プリキュアアイカツなど 見ていない

ロボ・メカガンダム系 ほぼ見ていない

映画系 ほぼ見てない

BL ほぼ見てない

ソシャゲ系 見てない

 

他にも触れていないものが多いな、触れたいけどどう捉えるか難しいもの

ゴールデンカムイ

Dr.STONE

いぬやしき

悪の華

魔法陣グルグル

ワンパンマン

監獄学園

本好きの下剋上

てーきゅう

弱虫ペダル

銀魂

・斉木楠雄

約束のネバーランド

神のみ

・僕ベン

 

2010年代の特徴まとめ

クオリティの向上

3DCG実用

アイドルアニメブーム

百合アニメブーム

SNSオンデマンドという時代背景

 

こんな感じかな?

クオリティの向上により「背景が主役」みたいな落ち着いた雰囲気アニメも作れるようになったと思う

女性向け・BLアニメも台頭したはずなんだけど追ってないかわからん

あと個人的にはニコニコ動画アニメが見れるようになったのが大きな変化だ

コメントを見ると伏線の取りこぼしや背景の遊びなどに全部気づくことができるので楽しい(代わりにネタバレを踏むが)

 

2010年代に縮小したもの

ラノベ

ギャルゲ

 

2020年代の予想

なろう系、百合系、部活系は結構食いつぶしていると思うのでそろそろ縮小しそう

アイドル系はもう少しで食いつぶしそうな感じがする

流行り廃れはあっても全体的にボリュームが全体の変化は感じないかもしれない

  

3DCGが使える会社が増えてきたので、そっちはまだ伸びそう

というか半分くらい置き換わるかもしれないね

 

中国から何か予想外の動きが来そう

2019-12-27

死ななきゃいけない

転職して1ヶ月

今日仕事納め

適応障害?みたいな激しい気分の落ち込みと

切迫する希死念慮自殺念慮はなくなったけど

今は年始仕事初めまでには死ななきゃなって思ってる

小学生の頃から常にメンタル問題があった

劣等感、友人との不和、進学した際の新たな環境への不適合

中2のときは同じ部活の同期や後輩とすれ違いが起きて半年以上一言も喋らなかった

誰にも相談せずに表面上は普通に過ごしてたけど、毎日自殺するか相手を殺すかどっちかっていう心理だった

その後関係回復し、高校には進学したが、高1のとき学校勉強がまったくわからず、定期テスト前日に家の風邪薬全部飲んだけど死ねなかった

https://anond.hatelabo.jp/20170830220835

未来のことを考えるとメンタルが病むことがわかって、このときくらいから将来の夢とか長期的なビジョンとか考えられなくなった

たまたま好きな科目があったか勉強して文系大学に進学できた

大学ではゼミも入れず単位だけとって卒業して、特に勉強した気がしなかった

100社以上の就活

https://anond.hatelabo.jp/20150829234225

の上、親の意向で決めさせられた新卒で入った会社

http://anond.hatelabo.jp/20160119225411

パート自分のいるところで陰口を言われ病んで

https://anond.hatelabo.jp/20190703101028

辞めた

そして今回の転職後の鬱

自分メンタルの弱さにもあきれた

どうせどの職場にいても、みんなに優しくしていただいても鬱になるのだろう

将来の夢とか長期的な展望がないから、今年はそれを何としてでも埋めるために旅行結構行ったが、もう行きたい場所がなくなってしまった

どうモチベーションを持てばいいのかわからない

正社員でとってもらったのに

他人より偉くなりたい欲求

他人より稼ぎたい欲求

他人に教えたい欲求もない

こんなんじゃどこで働いてもダメだろう

非正規雇用でもいいが親が許さないか死ぬしかない

会社の先輩が嫌い

嫌いで嫌いでどうしていいのか分からない。

同じ部署の直属の上司なんだけど、まじで嫌い。

配属されてもうじき1年だけど、日々嫌いを更新していってる感じ。

新卒で入った会社で、指導係みたいな感じだったのがその先輩なんだけど、まず教え方が下手くそすぎる。

こっちは社会人経験ないけど、ないからこそ「もっとうまい教え方ないんか?」って感じがずっと続いてる。

例えば、一回もやったことない仕事のやり方を聞くと

自分で考えてやってみて」って言われる。やってみるもなにもねえ…って状況なのに。

こっちが「いや…」ってなってると、「失敗も経験のうちだから(笑)」みたいなこと言われる。

まあ、言ってることはわかる。わかるけど右も左も分からん状況でその『失敗』に価値ありますかね。

ある程度経験積んだ上なら分かるけど。「今???」って思っちゃうのは私がおかしいのかな。

それで案の定失敗すると「そんなやり方じゃなくて、こうやったほうが効率いいでしょ」とか怖めに言われる。

じゃあ最初にそう言ってくれればよかったんじゃない?

私がその先輩にとって初めての後輩らしいんだけど(嫌いな先輩も新卒で入ってて7年目とか)、事あるごとに

「いや、俺も後輩指導するの初めてだから」って言ってくるの何?

そんなこと言われても、他に聞ける人いないんですけど。

第一今まで学生の時に部活とかで後輩に指導とかしてこなかったのか?それの応用みたいなもんじゃないの??

更に無理なのが、私もいる場所で他の部署の人に「女子だし、接し方難しいっすよ~(笑)」みたいなこと言ってたやつ。

仕事に女も男も関係なくないか?ていうかそれ本人の前で言う時点でセクハラなのでは??

セクハラみたいなこともずっと言われてるし、気にするだけ無駄からスルーしてるけど、

たまに「あっこれってセクハラ(笑)」って言ってくるのもやめろ。

それ言ったからってセクハラセクハラにならないと思ったら大間違いだからな。


1週間に20回くらいは辞めてくれないかな~~って思ってる。まあ辞めないだろうけど。

年末年始でなにが嬉しいって、その先輩の顔を見なくて済むのが一番うれしい。

早く仕事納めたい。

2019-12-26

自分本名が変わるということ

本名が変わることになる。

まずは名字、そして名前も。

名字が変わる可能性は考えなかったわけではない。

厳しい仕事帰宅途中や、休日に家でぼんやりしている時に

誰かが私を連れ去って、そしてそこに嫁ぐことになり相手のことだけをシンプルに考えて過ごす生活になればいいのに

というようなシチュエーション妄想することはあった。

昔話のお姫様のように。20代後半の男が。単なる現実逃避として。

万が一そうなれば名字は変わることもあるかもしれない。

しか名字自体はどこにでもある学年に一人はいるような珍しくないもので、

積極的に守っていきたいというような愛着が私にはなかった。

また、高校まで育った地元長男が家を継ぐというのがまだそれなりに概念として残っているような田舎だけれども

私は次男であり両親的にも問題ないだろう、と思っていた。

さて、現実である

大学で都会に出てきた私はそのまま大学時代の住居から通える会社で働いていた。

大学時代はバイトもせず、サークルも入らず、平日は家とキャンパスを往復し

休日も家で本を読むかインターネットをしていた私は

異性と付き合う努力、機会を完全に放棄していた。

人間はいきなり蛹から蝶にはならないし、なれない。

環境を変えるか自分意識を変えなければならない。

社会人という環境の変化はあったが私の気質そのままであった。

会社の同期の一人は大学サークルの後輩と付き合っていた。

別の一人は会社の先輩に連れられてキャバクラなどによく行くらしい。

また別の一人は街コンによくでかけ、そこで知り合った人といい感じとのことだった。

結果というアウトプットがほしければまずは社会インプットするしかないと会社の先輩は言っていた。

その先輩は常に6人ぐらい彼女がおり、流石にインプットし過ぎだとは思った。

私もなにか動いたほうがいいのかもしれないが、まず最初の一歩がわからない。

そんな私を心配する両親から電話があった。

地元の名士の長女とお見合いをしないかとの連絡だった。

友人に相談し、そして最初の一歩として動くことにした。

全く知らない相手というわけでもなかったのが、飛び越えるハードルの低さにつながったのかもしれない。

その2歳年上の彼女は、中学高校さらには高校の時の部活も私と同じだった。

しか中高生の2歳差というのは最大学年と最小学年という最も離れた存在であり

実際はそこまで繋がりもなく数回話したことがある程度だった。

色々あったが、アウトプットは婿入りして結婚ということになった。

まずは婿入りするので名字が変わる、つまり私はフグマスオから磯野マスオになる。

今の仕事は辞め、義父の仕事を手伝い、数年経てば社長を引き継ぐことになる。

その際に屋号も引き継ぐことになる。つまり本名が変わる。

今まで数十年フグマスオとして過ごしてきたのに、

数年の磯野マスオ生活を経て、磯野波平という存在になる。

自分の子供か、他の誰かに引き継ぐまでは。もしくは死ぬまで。

歌舞伎みたいなものだ、と他の事例に従って自分を納得させようとしたが

でも彼らは小さい頃からその世界に関わっていたからむしろそれを自然に感じているはずで

私の急な変化とは異なるのではとも思った。

今まで単なる識別子としてしか扱っていなかった名前について

こんなに真剣に考えることなんてなかった。

人間想像できない出来事に動揺したのかもしれない。

思ったより自分名前愛着があったのかもしれない。

単純に急激な変化についていけないだけかもしれない。

私のマリッジブルー

無能の人

高校以前

私は比較好奇心が強い子供だったと思う.小さい頃から親になんでなんでと訪ねては疲れさせていた.小学生の頃,調べ学習が大好きだった.調べ学習時間では,その時間が始まるといてもたっても居られなくなり,先生の言うことを聞かずに行動して怒られたりしていた.

中学生の頃は,物になぜ色がついて見えるかを調べた.それを調べている時はとても楽しかった.階段状に並んだタイルの総数を考えたり,N次元空間に置かれた立方体がある視点から見える最大の面数は何か疑問に思ったりしていたこともあったっけ.

母親は欲しい本はなんでも買ってくれた.ラノベ宇宙の本を買ってもらった.雑学の本も好きだった.ブラックホールが発生してから蒸発するまでの話に私はとてもワクワクした.

私が友達なんていらないと思うようになったのは,中学生の頃,同じクラス女子が原因だった.彼女は手下にできそうな私を見つけて,私を支配下に置いた.私はそれ以来人間不信のような状態になった.

私が自尊心がないのは両親の不仲が影響しているようにも思う.父親が帰ってくるたび毎日家がピリピリしていた.母親は私が中学3年生の頃家出してしまった.その時は毎日泣いていた.学校休みがちになった.父親料理ができないから,コンビニ弁当ばかりだった.その頃,母親浮気していたと思う.私はとても寂しかった.人生は結局一人なのだと思った.

けれど,母親は結局,私を別居先のアパートにいさせてくれた.学校をサボって,会社をサボっている母親映画を見た.映画のシーンでセックス描写があったときに後ろから目隠しをされた.母の手は暖かくて,なんだか嬉しかった.

高校時代

高校受験の時は,親に経済的負担をさせるまいと,確実に合格できる公立商業高校情報処理科を受験した.

高校では友達を作らないようにしようと自分の殻にこもった.入学直後,女の子がお弁当を一緒に食べようと誘ってくれたが断った.友達になろうとしてくれた人の誘いはほとんど断っていた.

けれど,部活には入部した.商業高校だったもの科学への興味があったため科学研究部に入ったのだ.

生物ドクターを出た先生顧問だった.高校2,3年生の頃は水生生物調査が主な活動だった.部活顧問は「お前はドクターまで進学した方がいい」と助言してくれていた.

この頃も,宇宙の本を読んでいた.その本は量子力学に関する奇説を扱う本だった.この宇宙は,あらゆる状態分岐に応じて,並行して無数に存在しているという説もあった.今生きている私というのも,無数に存在する宇宙のうちの一つの認識している自我しかないのかもしれないと思った.宇宙にとって私とはエネルギーの濃淡の揺らぎ,またはセルオートマトンの点滅.私が生きていようが死んでいようがどちらも美しくなりたつ宇宙に思いを馳せた.

大学受験では,文系高校から理系大学への進学は難しかったが,やはり理学への興味が尽きなかった私は,理系へ進学することを決断した.高校では数学はIとIIしかやっていなかったため数学受験勉強は独学で行なった.私はひどく頭が悪いわけではないけど,かといって大して頭がいいわけではないから,低い偏差値大学の推薦入学だったけど,それでも苦労した.

何回か,母の前で自殺するふりをした.反抗期からか,勉強ができないストレスか.ある日,母に他の男の気配を感じた.当時の私はそれがたまらなく許せなかった.死んでやる,といって包丁を持ち出して,自分首に突き立てたりした.本当は死ぬつもりはなかったけど,別に死んでも構わないとも思っていた.

大学時代

高校で,中学生の頃いたような人間には出会わなかったので,大学では友達を作ろうと思った.

また,研究に対して大きな憧れを持っていた私は,すぐに研究室に配属を希望した.その教員は快く迎え入れてくれた.3年生の頃には,先輩の卒論を手伝うほど知識がついていた.今思えば,あの頃が最も楽しく知識を身につけていたと思う.授業でも良い点を取ろうとか考えてなかったので,授業を聞かずにオリジナル(?)のアルゴリズムを使って手書きボロノイ図を書いたりして自由に楽しんでいた.外部発表もしたし,卒業論文特に苦労もなく書き終えた.この頃,「ゲーデルエッシャーバッハ」という本に出会って,その本に魅了された.

大学院 (修士時代

いつからか,「論文を出さなければならない」,「自分は周りと比べて劣っている」,という考えにとらわれるようになった.体調的にも良くなかった.学部の頃からカフェインの大量摂取昼夜逆転生活慢性的睡眠不足運動不足栄養不足などが祟ったのである.締切前になっても全く焦りが働かなくなった自分に気付き,おかしいと思って心療内科に通院し始めた.修士論文も提出しなければいけないのに全く取りかかれなかった.学部の頃からお世話になっていた指導教員ではないO先生がそんな私を見かねて,一緒にLaTeXを書いてくれた.一応提出はできたけど,修論発表を終えた後は悔しさで泣いた.

大学院 (博士時代

それでも私は博士へ進学してしまった.修士の頃からドクターは進学しようと決めていたし,エネルギーの低くかった私は,判断を変えるほどの力がなかったのかもしれない.正直,そんな覚悟博士をやっているのは日本でも私ぐらいなのだろうと時々思う.幸い,修士から学費生活費は奨学金授業料免除アルバイトで何とかして親に頼らずにいられた.

博士の間はずっと,健康を取り戻すために時間を使ってしまった.カフェインを断ち,夜更かしを辞め,休日は一切休むことにして,睡眠を十分にとり運動もして,という生活を送った.論文よりも睡眠運動を優先した.O先生博士の間もずっとメンタリングしたりしてくれた.なんとか学会論文を2本書いたが,卒業要件でもあるジャーナル論文が完成しない.とうとう何もできないまま3年生になってしまった.

現在: 自分について考える

O先生に,成果という葉にとらわれず自分という根を大切にしなさいと教えられた.成果にばかり気を取られていると自分エネルギーが朽ちてしまうというのだ.確かに思い当たると思った.そもそも自分ってなんだっけ?と思った.ドクターには,「自分」が必要なのだ.でも私はそれがなかったのだ.目の前の成果だけしか考えていなかった.

自分はなんのためにドクターをやるのだろう?一瞬,救済を必要とする人や弱い立場の人のためになりたい,と思ったけど,本心からそう思っているか自信がない.ひとまずそう思うことで安心したいと思っているだけかもしれない.自分とは,ちょっとした好奇心を満たすのが好き,それだけだった.

私はなんのために生きているのだろう?私は高校生の頃からセルオートマトンの瞬きにしか過ぎない人生などに,意味を見出すことはできなかった.

死の淵に立てば,生きる意味が見出せるかもしれないと思った.服薬自殺病院巡りをして薬が準備できるのに時間がかかりそうだし,飛び降りは失敗した時が怖いと思った.死ぬときは失血死か,首吊りかどちらかにしようと思った.結局,なんとなく気が進まなくて,自殺の手筈を整えるのはできなかった.

文系先生に生きる意味相談したところ,その先生四諦八正道の考えを教えてくれた.確かに考えても意味はないのかもしれないが,考えるのをやめることは難しかった.

哲学科の先生にも訪ねた.私の考えはニヒリズムに分類されることがわかった.達成することに意味がある,後世に何か残すことに意味があると見出すのはナチュラリズム と呼ばれるものらしい.私はどうもその考えはしっくりこなかった.その先生ニヒリズムの考えを持つ中島 義道という哲学者を教えてもらったので,後でその人の本を読んでみようと思う.また,哲学の入門として,図書館にある,哲学雑誌現代思想を読んでみることを勧められた.

現代思想出会った

現代思想12月号は巨大数特集だった.2chの「一番でかい数を書いたやつが優勝」スレから始まった日本巨大数ブーム歴史や,ふぃっしゅ数小林銅蟲(パルの人)の漫画が載っていた.11月号は確か,反出生主義についてがテーマだったと思う.

まだちゃんと読んでないけれど,あぁ,私はこういうものを読みたかったのだ,と幸せを感じた.

私は毎日,贅沢ではないけれど,質素暮らしていけるだけのお金があって,現代思想とかを読めればそれだけで幸せなのだと悟ったのだ.

これからについて

諦めずにドクターを取得するのか,ドクターをやめて就職活動をするのか,決断しなければならない.

私は毎日研究室のデスクに座っては,ぼーっと研究以外のことをして時が無情に流れていくのを待っている.

こんな私が社会に適合できるのかどうかわからない.これから私は一体どうすればいいかからない.

私の名前漢字で書くと、必ず読みを間違えられる。

キラキラネームじゃないけれど、普通に読んだら別の読み方になる名前って言えばいいのかな。

子供の頃、私は『いい子』だった。

親や先生に褒められることが好きで、どちらかといえば大人しいタイプ

ある日、売店で購入しなければいけない文房具があったが、すっかり忘れてしまっていた。

休み先生と一緒に売店に行き、文房具を購入。

先生マジックを手に取り、ひらがな名前を書いてくれた。

ご察しの通り、間違った名前を書いてくれたんだ。

その時、今までそれなりに懐いていた先生をまるっきり信用できなくなった。

『いい子』でいる努力は薄れ、宿題も後回しにするタイプになったのだ。

ちなみに、名前を書いてくれた文房具先生の前では笑顔「ありがとう」と「忘れててごめんなさい」を言い、友達や親に見つからないように泣きながらこっそり公園ゴミ箱に捨て、翌日新しく購入し、自分の汚い字で名前を書いた。

また、中学生ときに歯の矯正をしていたのだが、

通常の診察とは別に矯正治療日曜日に行ってくれる、田舎には珍しい歯医者だった。

当時ソフトテニスクラブに入っていたので日曜は当然部活である

月に1~2回、日曜日は「歯医者なので休み、又は遅刻します」ということを律儀に伝え、毎日部活に明け暮れていた。

ある日、歯医者治療スケジュールが決まったので、いつものように職員室へ行き、顧問に伝えると「日曜日にやってる歯医者がどこにあるか知らんけどね」と言われた。

アホな私は律儀に「あ・・・、ここから車で40分行った先の◯◯の方にあります」と答え、職員室を後にしたのだが、よくよく考えてみると嫌味を言われたことに気づいた。

その時の言い方や雰囲気にずっと引っかかりを覚えていたが、基本自分の中では『いい子』でいるのでまさか先生にそんな悪意?を向けられるとは思っていなかったため気づくのに数日かかった。

その後、部活サボるようになり、何度も部活仲間に声をかけられたが無視して、最終的に辞めたのだった。

高校は出席日数ギリギリ卒業し、大学は行かずフリーター、今は正社員で細々と生きている。

最近仕事で「人に相談するのは苦手?」と言われたことをきっかけに上記経験を思い出した。

相談できる相手がいたら・・・、なのか、はたまた上記経験で上に立つ人を毛嫌いするようになったのかはわからない。

2019-12-23

anond:20191223090815

行かなきゃいいじゃん。

「あの人は葬式に来なかった」とか延々と言われる環境なの? 部活同窓会的なものとかで?

仮にそうなったとしても「都合が悪く行けなかった」で済むでしょ(弔電?知るか)

完全に記憶自分から消し去ればいいじゃん、そんなやつ。

嫌いな人の葬儀

というのは、行かなければならないだろうか。

嫌いな人、というのは、高校時代部活顧問だ。

私の高校時代はここ10年以内の話なので、ちょうど体罰だとか、体育会系だとかが問題視され始めたころの話だ。世間煽りを受けて謹慎も食らった人だ。私が告発した。

顧問昭和体育会系体現したような人だった。

暴言暴力。厳しくすることで人を縛ろうとする。ステレオタイプのど真ん中を行っていた。

もうこのご時世には生息できないだろう典型的な人だ。

まあこの度、正真正銘亡くなったのだけど。病気だったらしい。

風邪なんて甘えだ。引くやつが悪い。

なんて言って、高熱でへたり込んだ私に怒鳴り散らした人も、病気には負けたらしい。あっけないことだ。

容態が悪かったこから一度しぶとく生き返ったかと思えば、コロッと亡くなった。

電話で聞いたときは「へーそうなんだ」と、友人に恋人ができた報告のようにどうでもいい感想を述べた。

私が部活大会で優勝した時も、

「お前の優勝はどうでもいい」

とバッサリ切り捨て、私より弱く成績の低い先輩後輩(こういう驕りが嫌いだったのだろう)を褒めたたえた顧問だ。

まさか私に悲しんでもらえるとは思っていないだろう。いや、傲慢だったから、真意はわからないし、わかりたくもないけれど。

それの意趣返しをするつもりはないが、私もあなたの死はどうでもいい。

とはいえ、聞くまでは悲しんだり、ショックを受けるかなと思っていたので、自分でも薄情だなと思った。

から葬儀の日程を聞かれたけれど、電話確認することもなかったから、わからないと答えた。

すると、落胆されたのだ。私が顧問を今でも憎み嫌っていると知っている親が。私だって落胆した。親に。

お葬式やお通夜というのは、故人を悼みたい人のために開かれると思っている。

なので私が参加するのは間違いなのだ

とはいえ、私の所属するコミュニティ田舎のもので、流石に参加しないととチクチク言われるのだ。

私が死んだとき顧問は来てほしくなかったので、私も参加したくないのだけれど。

参列した場合くそ笑んでしま可能だってある。

ああ、こんなことなら、恋人の一人でも作って、クリスマスなので行けませんと言える空気を作っておけばよかった。

なんてことを考えてしまうくらいだ。

もういいか行きたくないで通してしまおうか。

さようなら顧問。大嫌いな人。

私はあなたが亡くなって清々しい気分だ。

2019-12-22

同じ部活内のモテ格差

A男は高身長イケメン武士のようにストイックで寡黙でエヴァンゲリオンが好きで頭がいい。黙ってるだけで女が寄ってくるモテモテで彼とセックスしたい女が山ほどいて、A男の家に何かと理由をつけて行く女が後を絶えない。

B男は普通身長ブサイク。パワー型コミュ障で、周囲を白けさせる。この間もろくに話したこともない部内一の巨乳の女になぜかアクセサリープレゼントする形でいきなり告白したが断られ、逆ギレしてさらに周囲の顰蹙を買った。

C男は低身長ブサイクコミュ力権化で、留学生白人美女と数年来ラブラブなのに、今もモテモテ。この間同じ授業で同じグループワークをしたら、俺この作業やっとくよ!と一番めんどくて厄介で誰もやりたがらない作業笑顔で引き受けてくれて惚れそうになった。

2019-12-21

anond:20191221173713

趣味が合うから飲みつつ話したいだけの女や懐かしい部活の同期にヤリモクされても困る。そういうのは男女ともによくない。

ただの遊びなのに

吐き出し

大学体育会系所属してる。

日本一になる!ってみんな頑張ってる。

しか自分は頑張れない。だって部活楽しいから入ったわけだし。日本一になるために入ったわけじゃない。

けど、部内では日本一を目指すために頑張れない奴はダメな奴だ、やめるべきだ、悪だみたいな考えが蔓延ってる。そんな考え方の中で生きていると、楽しいだけで部活をしている自分ダメ存在に思えてくる。辛くなってくる。劣等感自分を襲って、自分存在価値がなくなったような気がして。こんな自分がいても迷惑なだけじゃないかなんて卑下して。部活は楽しくても、どんどん苦しくなってくる。

冷静に見ると、ばかみたいだなあって思う。

だっていくら自分たちが真剣日本一を目指してる!って言ったってただの遊びだ。ただの素人スポーツだ。野球サッカーみたいなメジャースポーツでもないか仕事にもできない。お金はもらえないし、応援してくれてるのは保護者OBとごく一部のスポーツ好きな人だけ。誰のためにやっているわけでもない。ただの遊びだ。

体育会系からサークルとはちがう!一生懸命取り組んでるから遊びじゃないんだ!とかい言い訳もある。しか学生本来何よりも頑張るべきは勉強であって部活ではないんだ。世間から見たら、親の金義務教育でもなんでもない大学に行かせてもらって、バイトも他の学生よりせずにスポーツに打ち込んで、勉強もろくにしていない学生なんだ。控えめに言っても、良い学生ではないんだ。まあ就活ではうまくいくかもしれないが。体育会系好きな会社って多いから。

しかし、みんなただの遊びってことを忘れている。目標に向かって頑張れる人が偉いと思っている。だから部活に対して時間を使いまくれって言うし、部活に対して真剣になれって言う。そんでみんな苦悩する。アホみたいだ

違うんだ。部活楽しいだけでいいんだ。だって遊びなんだから。気を楽にして取り組めばいい。なのに何故そんなに自分を追い詰めるのだろうか。どうして頑張れない人を追い詰められるのだろうか。ただの遊びなのに。

追加

辞めたいわけでも嫌なわけでもないけど、自分自分の首を絞めて、苦しんでる人多いなあと。自分も含めて。逆に、周りを締め上げて苦しむ人もいるなあと。ただの遊びなので気を楽にして部活に取り組めばいいんだよ。気を楽にして楽しんで一生懸命やればいいんだ。

2019-12-20

社会における自分価値

自分は間違いなくコミュ障である。だから社会における自分価値を「有能である事」としてきた。

自分で言うのもなんだけど、昔から幸い人よりも地頭や要領が良かった。

小学校の時、仲間内で同時期に始めた習い事で一番成績やランク(段位や進度など)が上である事が殆どだった。

中学校の時、クラスで一番成績が良かった。部活レギュラーだった。

高校生ぐらいになるとネット世界に出る事を覚えた。凄いなと思ったものを真似してみたらすぐに成果物は出来てそれなりに見てもらえた。

大学生になってバイトを始めると、やはり仕事を覚えるのは早くて、店のエースだと持て囃された。

新卒会社入社すると、すぐに同期で一位の成績になって、近年稀にみる逸材だとか噂された。

なので人生都度都度、褒められてきた。

増田さんは〇〇が出来るなんてすごい!」とか「増田さん本当に頼りになる!」とか「増田さんのお陰で〇〇が出来た!」とか「増田さんが皆のお手本になってね」とか。

有能でいればそれだけでコミュニティへの所属を許された。

褒められて気持ちいいってのもあるのだが、それ以上に自分はここに居て良いという事に安心していた。

だが、小学校から……いやそれより前、生まれてこのかたコミュ障が治らない。

先天的陰キャなのである。要領は良いのに、悲しい事に人間として基本的ダメだ。

コミュニケーションといっても、業務的な報連相をするのは超得意科目だ。

だがとにかく雑談が出来ない。所謂友達との会話が出来ない。

友達いるっちゃいるけど、類が友を呼んでるので友達も大抵コミュ障おひとりさま属性だ。

いつもどこかの段階で、気付いたらなんだか浮いた存在になってる。

同期には成績では勝っていても、人間として確実に敗北している。

特に一生かけても勝てる気がしないっていう、コミュ力の化け物みたいな子がいる。

どうしてそんなに上手に会話が出来るのか。こんなコミュ障とも上手く会話をすり合わせて溶けるように会話が出来るのか。

会話テクニックと優しい気遣いの出来る性質が相乗効果を起こしている。こんな風になりたいけどなれない。

自分他人に与えられるメリットは「有能さ」でしかない。

コミュ障なのにこれで「役に立つから」という理由でそこに居場所を作ってもらえる。

だけど有能でなくなったら、上手くいかなくなったら、自分コミュニティからきっと切り捨てられてしまうんだろうなといつも思う。

いつ、この社会から脱落するんだろう。

それが恐ろしくて、今日も頑張って足掻いている。

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