はてなキーワード: 部活とは
正解はちんちん。
ネクタイはタイピンで止めるので揺れません。考えすぎちゃったかな?
残念ですけどちんちんです。そもそも外付けのものを男性限定で縛るべきじゃありませーん。
あの女は「ブ―www間違いですwww正解はネクタイでした!www」と笑った。
それから俺はずっとその女に弱みを握られることになった。
でもその時からずっと(なんで?ちんちんが間違いと言い切れるのはなんで?ネクタイが正解と言い切れるのはなんで?)と思っていた。
中学生に上がっても俺は弱みを握られていた。
俺が女子に告白をすると、その女はその女子にその時の話をした。当然俺はフラれる。
俺はその女を呼び出して強めの口調で「やめろ」と怒った。昔の事をいつまでも出すな、と。
そもそもちんちんは間違いだと言える根拠はなんだと。ネクタイが正解だと言える根拠はなんだと。
その女は泣いた。わけが分からなかった。人に嫌なことしておいて何だその態度はと怒鳴って帰った。
その女は学校に来なくなった。
なのでその一部始終を見ていた奴らに俺は批難されて肩身は狭くなった。
そのことはずっと呪いとして俺を縛った。
同級生が来ないであろう遠くの商業高校に進学した。それでも話しかけてくれる女子が怖くなっていた事に気がついた。
暗い人間として部活のコンピュータサークルで3年間を過ごした。
そして進学、就職をして30歳になった。趣味だった習字をきっかけに付き合った人と結婚した。
もう地元には戻らないようにしていたが、それでもど田舎なので母は帰ってこいとうるさい。
親から連絡があった。
「○○家の○○ちゃん自殺だって。葬式あるから帰ってきなよ。」
あの女だった。
そんな事を思いながら筆を取り、普段よりも気を引き締めて欠席の手紙を書いた。
俺はもう勝手に首にかかっていたネクタイに縛られなくていいのだろうか。
私は幼い頃から自分は可愛くないんだと本気で思っていた。今考えてみれば父親が外国人のような顔立ちをしており、それに似ていた私は割と良い方ではあったのかもしれない。ただ、当時私はそれが嫌だった。
中途半端な奥二重、思春期特有の汚い肌。しょーもないベタさだけど好きだった男の子にそばかすのことをつっこまれて本当に嫌になっていた。こんな私なんて、と自己肯定感はどんどん低くなって、生身の人間と交流するのが怖くなってアニメや男アイドルに現実逃避してのめり込んでた。男性アイドルに夢を見まくっていたから、身近の男の子たちが苦手で、気軽に男の子とお話できる女の子たちが羨ましくて妬ましかった。それが小学生から中学生までの話。
中学3年後半あたりからある程度お化粧とかおしゃれに興味は持つようになった。アイドルとアニメは相変わらず好きなまま。高校生になってちゃんと美容室に行って髪の毛をボブにして、アイプチで二重にしてみたり、部活とチャリ通学で少し痩せたりもした。そうしてみるとある程度自分にもほんの少し自信がついた。相変わらず生身の男と話すことは怖かったし、こんな私なんての気持ちは消えなかった。それでも大変ありがたいことに2人の男の子に告白してもらえた。ハーフみたいで可愛い。そう言って貰えることが増えて、昔コンプレックスだったものが少しずつ自分の良さであることに気づき始めていた。時代の流れもあったのかもしれない。とはいえそれでも拗れた性格は治らず、アニメと男性アイドルに全てを捧げていた。そして大学生になって、YouTubeなどの動画でメイクや綺麗になれる方法が具体的に知ることができるようになった時代とかさなって、私もそれなりに綺麗になれるようになった。
小顔マッサージの仕方、美肌になる方法、眉毛の書き方、髪の巻き方、自然なデカ目にする方法、
何もかもを試してやった。
そうすると自分の顔まあいけるんじゃね?そう考えるようになって、男性とも積極的にお話するようになった。相変わらずアニメと男性アイドルは好きだったけど。でもアニメが好きな男性を好きになったから共通の話題があってそれもまた功を奏していた。気がする。他には授業中に私を見かけて話しかけてくれた後輩の子や、友達の紹介などでも出会いがあったし、合コンでは自分の顔のクオリティはある程度自分の及第点をクリアしていたから、顔を気にせずお話に積極的になれたし、コミュニケーションも取れていたから何人か声をかけられることもあった。それでも私の拗れた性格は本当にしつこくて、付き合えたところで私なんかよりもっといい人、可愛い人たくさんいるだろと本気で思っていた。結局上手くいかない、セフレ止まりばかりだった。私の美意識を上げてくれていたのは大学での出会いの為というよりは、アイドルに認知やファンサをもらいたいがためのものだった。大学生で時間だけは無駄にあったから、毎日1時間のウォーキング、ストレッチ、マッサージ、ヨガ、筋トレ、全身浴で体を温める、野菜中心の生活、何もかもに気を使っていた。
運動の効果もあってか、気持ちも前向きになったし、生理の諸々の辛さもなかった。同時にメイクの技術は上がっていく。それもこれもネットで情報が気軽に手元ですぐ見れる環境もあってこそでもあると思う。この時代に生まれてよかったなと今でも感じてる。
大学生の時は自分磨きの方法を模索して(勉強もちゃんとしてたけど)、外見における自分のコンプレックスの解消方法を見つけることが出来て、気持ちもポジティブ、もはや武器になるとすら思っていた。社会人になってその武器をフル活用して、職場の人やお客様にも綺麗な人と認知されたり、連絡先も聞かれたりして、本当に嬉しくて完全に自信になった。
同期に誘われた合コンで念願の彼氏もできた。趣味嗜好の理解があって、優しい人。今は結婚も考えていて、順風満帆とは言えないけど、楽しい毎日である。
自分の見た目をとても気にしていた過去は、究極に自信がなくて、凄まじいほどに自己肯定感が低かった。
こんな私なんて相手にされないから、恋愛なんて馬鹿げてる、と外見にかけるお金をアニメ男性アイドルに費やして現実逃避しまくってた。
そこから少しずつ自分のできることを懸命にしていったら、自分の顔が好きになって、余裕と自信が生まれて、コミュニケーションに積極的になれるようになった。コミュニケーションが取れるようになると、自分はこんなことも出来たんだって気づいてもっともっと自信がもてて、自分が好きになれる。そうなると、そんな自分のことを大切にしたいと思ってくれる人と出会えて、承認欲求がとっても満たされる。
あの頃そばかすで泣いていた自分に大丈夫だよと言ってあげたい。
そう本気で言ってくれる人に出会うために努力した自分をほめたたえてあげたい。
正直まだ気になるところはあって整形もする予定。ある種醜形恐怖症な感じもあるけど、現状である程度欲求は満たされてるから、何事もやりすぎないように気をつけないとなとは思う。
顔での差別が顕著だなと感じた余談。
職場の窓口に小さい女の子が親御さんと一緒に別々で来た時。1人目が橋本環奈ちゃんばりの可愛さの子で、もう1人が普通の子だった。環奈様似に対して私たちはテンションが上がって、窓口に置いてある飴を積極的にあげようとしたり、かわいいね〜と声をかけたりもした。その後に来たもう一人の子に対しては、親御さんの手続きが終わるまで特に何もしなかった。その一連の流れがあって、そのあと職場の人達と対応差に思わず苦笑してしまった。
逆の立場を私も経験したことがあって、お祭りの屋台に行った際に、前に並んでいたお姉さんに対しておっちゃんが「綺麗だからもう一本あげるね!」と言っていて、その次の私には無表情無言で対価に見あった分だけを正しくいただきました。悔しいと思う反面まあまあ切ない思いをしてややトラウマにもなったので、気をつけないといけないなと思った…
こんちは増田です。2019秋アニメもいよいよ終盤、みなさんの今期の覇権はどれになるんでしょうか。
私はなんと転籍が決まっていきなり4日後に研修ねって言われて、関西からはるか遠くの某所に缶詰になってしまいました。その関係で11月4週目以降の作品が未視聴となっています。録画はしてありますが、今期アニメを全て消化できるのは1月中旬くらいになるかな?
2019年秋アニメ
https://anond.hatelabo.jp/20191015132817
私の中では今期の覇権予定。異世界ケモナープロレスがここまで楽しい作品になるなんて想像もつかなかった。個性あるキャラクターも魅力的。唯一欠点としては、何度も登場する尻姫のケツ、これはさすがに引く。尻姫が可愛そう。(あれ?名前何だっけ?) さて、最終話どう持ってくるのかで覇権かどうか決まるぞ。
最初は本なんて作れるのか?大丈夫か?と、不安しかなかった作品。しかし、回を重ねるうちに家族やルッツとの関係性、ベンノさんなどの大人との交渉術、身食いには耐えられるの?とか、いつの間にか作品に引き込まれてしまっていた。マイン、なんて恐ろしい子! 名作劇場の血を引く作品ですね。2期(というか分割2クール?)も見ますよ。
毎回理珠りんを応援するためうどんを食べながら見るのですが、今期あまり活躍してないんじゃないですか? 不満です。まあ、どのエピソードも一定の面白さとクオリティがあるので全体的には満足ですが。あと、毎回全部を持っていく真冬センセは鬼か?鬼なのか? 主役を食うなよ。うどんでも食っとけ。
最初はまた鴨川デルタかよとか悪態をついておりましたが、ストーリー展開はお見事。ボードゲームを通じて人物に焦点を当てていき、その中にある弱さや葛藤をクローズアップする。それをみんな乗り越えていくんだよね。登場人物も適材適所でスキがない。やさしい世界にありながらも自分に厳しく接するキャラ。いい作品に出会いました。
Eテレのアニメってだけで敬遠していたんですが、見ておいてよかった。ギャグやテンポ、どれも秀逸。八話のクララにメロメロとか、久しぶりに腹抱えて笑ったよ〜。
わっほーわっほー。OPが楽しいアニメはいいアニメ。しかし、このアニメにシリアス展開は必要か問題が浮上。よかったとまあまあの間にいたのはこのシリアス問題があったから。私は話の構成に必要ならばあってもいいと思うのよ。けれど、今回はそうなってないのでお気楽展開だけでいい気がする。さらにこのアニメ、マイルの年齢詐称問題もあるよねw
2期決定おめでとう。ここまで来ると司ちゃんとの全面対決を見たいと思うよね。序盤のクソつまんねー展開とか悪態ついていたのに、毎回放送を楽しみにしている自分に変われるのが2クール作品のいいところ。ジャンプ作品だから信念を曲げない。多分そこに魅力を感じたんだと思う。2期楽しみにしています。
序盤にべた褒めしていたにもかかわらずこのあたりです。ま、2クール前半はこんなもん。最初に各探偵さんをクローズアップしていくんだと思っていたのに予想が外れた。切り裂きジャックが出てきたのでいよいよ話が盛り上がってくる(と思う)
序盤勝手に動いていたキャラクターが、進展するにつれて濃密に重なってきてすごい展開。さすがっす。ただ、私の中で獣人って「コメディ」なんだよな。だから、このキャラで真面目な話をされてもあまり入ってこない。草食と肉食の葛藤って話は、男女間や国家間とかに話を置き換え出来るのでそれならなあ。八話以降未視聴。見るかどうかは……
刑事物だからそこそこは楽しめると書いたものの、なんだか物足りなさが。エルフやバンパイアがいる世界なんだから、もうちょっと話を膨らませると思うんだけどなあ。私は毎回ベルちゃんに救われていますね。だって忍者ですから〜
なるほど。「つうかあ」でしたね。ジェットレース部分もゲームが発売されるのでルールが明確だし、そのあたりも楽しめた。正直おっぱいはなくても成立するので、無理矢理お風呂シーン入れるくらいなら無くてもいいんじゃないかと。中盤のジェットやってない場面での絡み方とか百合展開がちょっとくどいかなって思う。
ここまで来たら完走を目指します。
演出上のいいところはいっぱいあった。けれど、やはり話の複雑さについていけませんでした。すいません。あと、それに追随して話の世界観に没頭できないのでおいてけぼり感が半端ない。話を簡素にして削ったエピソードをスピンオフにしたり別の物語に……ってそれも無理っぽいか。
「かわいかった」しかない。ショートにそれ以上求めるのは無理なのか。
三話までは完璧だった。修羅場に続く修羅場。よく作者はこんな鬼畜展開考えつくなって思ったよ。思った。けど、その後が何だよう。三話でひととおり話が終わると四話丸々使って人間関係を完全修復するとかもったいなさすぎるよ。次のエピソードに移るための準備だとは思うけど、そこから評価は駄々下がりでした。
ダメな方のきらら作品って感じ。(きららではない。こいつは集英社) 全国大会出場はデフォルトとして、友情とかライバルとか、そのあたりをもうちょっと盛り上げてくれればまだ救いはあったけど。ただ、そういう作品でもないしね。正直盛り上げ方に苦労したんだろうなあって想像出来る。高橋龍也さんお疲れさまでした。
七話切り。1話目ラストに出てきた親父は一体何なんだ?そのあとの話は青春群像劇に傾倒していったのでむっちゃイライラする。物語の中で何を言いたいのか中心がブレているように感じたので申し訳ないが切った。部活の話だって試合して勝った負けただけで「それで?」って思った。内容がないよう。
予定通り三話切りしました。笑いのツボが私とまったく違ったのが原因。これはしょうがない。
昨年秋アニメはゾンビランドサガ・青ブタ・色づく世界の明日からなどの名作を輩出させましたが、今期はそこまでの大作はなかったものの、小粒でしっかりしたストーリーものが多かったような気がします。問題は万策尽きるものが非常に多かったこと。製作サイドは体制の見直し、経営者側は収益構造の向上を目指して欲しいですね。
2020冬は久しぶりに新作が40作品程度しかないんですよね。一時期60作品オーバーも公開されていた時と比べればかなり絞られました。またその時も増田で書ければいいかな
就職活動の時、自己分析をした。しかし、自己分析を通して発見したのは、「過去の自分が他人に思える」「自分の気持ちがわからない」ということだった。しかし、それらしいことを書いて出したらうまくいったので、「この感覚は私の生活上問題ではない」と判断した。
実家に帰省した時も同じような感覚に襲われた。昔自分が書いたものが他人のものに思える。高校に遊びに行っても、どこになにがあるかは覚えているのに、ここで3年過ごした自分を実感できない。
それは、私が自身の問題の根幹を成している過去をすべて否定し、目をそらしていたことのあらわれにほかならなかったのだと、今は思う。
浮気をして、恋人を傷つけた。私にとって、そばにいる人を何らかの形でどん底に突き落とすことは初めてじゃない。
何が恐ろしいかって、同じ過ちを繰り返すところだ。今度こそ大丈夫、私はまともになった、そう本気で思い込んでいた。それがすべて間違いだったと、こういう形しか気付けなかった。
このことを友人に話したところ、「同じ過ちを繰り返すってことはなにか必ず原因があるはずだ。なんでそうなったと思う?過去について考えたことある?」と聞かれた。
この質問は私にとって目から鱗だった。私は現状の問題を過去のせいにするのは、甘えで逃避だと思っていたからだ。だいたいのことは気合で乗り切る。つらくても明るく振る舞う。それが正しいと思っていたから、過去のことなんて、いつもいいことしか振り返らなかった。
「私は親に愛され、なにひとつ不自由なく育った。少し問題はあったけど、それを乗り越えていける家庭だったし、良いことを学んだ」
「私はパニック障害を発症したが、それを乗り越えることができた。そのため、パニック障害であったことは過去のことだ」
「私はかつて多くの人を身勝手に傷つけたが、今はもうしない」
「私は友人たちと楽しく生活することができる」
「私の人生は豊かで、今までの失敗はそのためにあった」
マントラを唱えるように私はこれらのことを刷り込んだ。後ろ向きになることは逃避・甘えであり、常に未来をよりよくするために過去は全て封印すべきだと思っていた。しかしそれが重大な過ちであり、結局は自身の抱える問題の根っこを放置して、腐らせていた。
私は過去の自分を強く否定して、現状の自分を肯定しようとした。その結果、過去と現在とのつながりが断ち切られ、自己の連続性を失った。
私は過去の自分に対して冷たい目線を浴びせ続けた。それが前に進むために必要な「自分に対する厳しさ」であると信じて疑わなかった。
カウンセラーさんはこう言った。「あなたは、過去の自分と同じ目に今遭っている人が目の前にいても、その人に対して自分の過去に向ける厳しさを同じように向けるの?しないでしょう?他人にしないことを自分にしてはいけない、自分の気持ちを抑えるから他人の気持ちにも鈍感になる。過去の自分を抱きしめてあげなさい」
抱きしめる?過去の自分を?抱きしめるに値しない、罪深い自分を?それがなんの解決になるの?
その瞬間、頭の中にはっきりとヴィジョンが見えた。高校生の自分。中学生の自分。小学生の自分。こんなことは初めてだった。
彼らの報われない思いが、私には耐え難かった。それは、私の根っこだったから。それを無視すれば、健常者としてやっていけるんだと思っていた。
小さい頃について、思い出すのは、お母さんが私のことを「かわいい」とたくさん言ってくれた記憶。でもそれは、珍しいことだったから心に残っていたのかもしれない。彼女は病に伏せっていて、感情の起伏が激しかった。私は、彼女は彼女なりに努力し、苦しんでいたから、あのとき優しくしてほしかった、と求めるのは彼女を否定するようで嫌だった。そんな感情を持つ自分は優しさにかけていると思っていた。
カウンセラーさんは「あなたの言う通り、お母さまは悪くないし、仕方がなかったことだけれど、あなたが寂しいと思った気持ちまでは否定してはいけない」と言った。まだ腑に落ちていないし、怖いからあまり考えたくない。
弟が生まれた。年の離れた、かわいい弟。私は弟の世話にのめり込んだ。自分の中で初めてわいた、血の繋がったまだ弱い存在へのとめどない愛情。それは劇的で、強烈だった。
そのとき子供なりに思った。「私は愛されるんじゃなく、愛す側なのだ」と。愛をもらう側じゃなく与える側の使命があって、こうなっているんだ、それはきっといいことだ、と納得した。弟は、ほんとうに、ほんとうに可愛くて、たまらなかった。
中学生の頃に、特発性過眠症になった。居眠りを繰り返してしまうが、成績は下げたくなかったので、勉強を頑張った。けれど、職員室で「そんな病気ほんとうにあるの?」と笑われた。意欲・関心・態度は最後までBだった。ジョーカー観た時、警察にそんな病気あるの?ってジョーカーが言われるシーン、その時のことを思いだして泣きそうになったな。
話は飛んで、あれは高校1年生の頃だった。突然私はパニック障害になった。ほんとうに、突然だった。過眠症は薬も処方されて改善に向かい、友達もできて、彼氏もいて、部活も楽しくて、とてもいい感じだったのに、急にすべてが壊れた。
母は私の発作を思春期特有の不安定さとみなし、「病院なんてとんでもない。寝て治しなさい」と言った。家にいてもずっと不安で逃げ場がなかった。
今なら、彼女がなぜそんなことを言ったのかわかる。自分と同じ運命をたどる娘を「異常」とみなしてしまえば、自分も異常者になってしまうから…だから彼女は悪くないんだ。彼女は精一杯やっていた。
でも私は、ほんとうは、とてもとても辛かった。誰も味方がいなかった。とうぜん高校生同士の恋愛なので彼氏もいなくなった。部活もやめなきゃいけなかった。友達とも接することができなくなった。なんで?とずっと思っていた。ようやくかかりつけの小児科でソラナックスを処方されたが、ずっと不安定だった。助けてほしい、助けがほしい。
私は、これらの気持ちを全て否定することになった。なぜなら、私はこの感情に振り回された挙句、過ちを犯したからだ。感情が暴走するから誤る。ならば、感情をなくせばいい。そう思った。それはある程度は上手くいったのだ。
パニックは昼夜関係なく何度も私を襲った。安心できる時間はひとつもなかった。私が助けを求めたのは、男性だった。性行為をしている間もずっと怖かったが、ひとりぼっちよりましだった。
「助けてあげる」と言われてついて行ってしまった。いけないことだとわかっているのに、やめられなかった。次第に、私はこの関係を肯定するようになった。生きるために必要なんだ、間違っていないんだ、と思い込むようになった。
そこから、私は人の感情を利用する癖ができた。「女」であることを供給すれば、愛されるんだ、と思った。小さい頃可愛がられたかった気持ちや、パニックで孤独だったこと、過眠症という理解されづらい病気も、すべて恋愛感情といフィルターを通してならどうでもよくしてくれるみたいに感じられた。私が弱ければ弱いほど、みんな心配してのめり込んでくれた。
私は当然まともな関係を築けなかった。急に嫌悪感を抱いたり、うっとうしくなったりして、相手を突き放した。悪いことだとわかっていた。私の行動は変わらなかった。
大学生になってうつ病になり、ますます生活が困難になって、当時の恋人にかなり依存して生きていた。生活能力は皆無だった。そのことで自分を責めた。やつあたりもした。彼に世話をされるたびに、「私が何もできないことを本当は馬鹿にしているくせに!」と泣きじゃくって困らせた。認知が歪んでいた。彼を突き放してまた複数の人間と関係を持ち、試し行為を繰り返し、失敗し、変わりたい、と何度も思い、変われなかった。
私は、これらのことに一番蓋をしている。不安定だった自分も全て蓋をしている。この経験をどうこう思う以前に、なかったことにしたがっていた。精神的に不安定な自分も、全て否定した。
だから私は変わらなかった。表面上はニコニコとしていても、ずっと影は付いて回っていた。「私は大丈夫、もうまともになった」何度も何度も思い込んで、実際それは、途中まではうまくいっていたように錯覚された。ほんとうはずっと、ゆがんでいたのだ。
うつ病が治って、しばらく安定していた。この間に、社会生活での困難はほとんど解決された。ようやくまともになってきた、と思った。やがて恋人ができた。弟に感じていた愛情に近いものがあった。なんでもしてあげたかった。でも、相手を大切にしていたつもりで、その根底にはやっぱり見捨てられたくないという気持ちがあった。
私は過去を笑い飛ばしながら話した。こうやってあったことを矮小化して、強い自分を示したかった。そんな自分に恋人が眉をひそめているのにも、私は気づかなかった。
浮気が発覚して、「化けの皮が剥がれた」と彼は私を表現した。その通りだった。私は元から人を愛せないのだ。無理をして軋んだ自分を埋めるように、酒を浴びるように飲み、過食し、そして再び不貞行為をした。私は何も変わらなかった。それどころか、より残酷な化け物に進化した。
人と親密になり、尽くしてやり、コミュニケーション能力を磨き、知識を貯め、あの手この手で、恋愛に限らず、すべての人間関係を求めた。たくさんの友達を作ってそばに置いた。とても満たされていた。
このことで、もっとも近しい人を最悪の形でどん底に突き落とす自分の加害性は、より際立つ結果となったと思う。
私はずっとずっと前から自分の加害性に気づいていたのに、愛されたくてそれを隠す努力ばかりしていて、加害性そのものをどうにかしようとは思わなかったのだ。勉強したり、化粧を覚えたり、流行りの歌を歌えるようになったり、接客でコミュニケーションを磨いたり、そういったことが正しい努力だと思っていた。違った。しかし、努力しているから大丈夫、私は治った。もうひどいことなんてしない。そう慢心した。
不安定な時は一瞬で滑り落ちるようで、気づけば元の木阿弥だった。
そういえば、「コンビニ人間」について彼と話した時に、意見が真っ二つに別れた。彼はあれをバッドエンド寄りの解釈をして、私はすばらしいハッピーエンドだと思ったのだ。あんなに素敵な話はないと思っていた。リトマス紙のように、私たちの住む世界がまるで違うことを、あの小説は示していた。
カウンセリングや友人との対話を通して、私にとても似た精神疾患があることを教えてもらった。17歳のカルテのスザンナと同じ病気。17歳のカルテを見た時は、スザンナと私は全然似ていないと思ったし、その時興味を持って調べてみた時も、こんな人もいるんだな、と思っただけだった。
真夜中のパーティのシーン、スザンナのカルテにはこう書いてあった。
「自己像 関係 気分の不安定。目標不明確 衝動的。自傷行為 カジュアル・セックス。反社会性と悲観的態度が顕著である」
どうしてこれをみてさえ、あの時の私は、これが自分と似てないと言えたんだろうか、何だか笑ってしまう。
それはやっぱり、自分とぜんぜん向き合ってなかったし、そもそも自分がなんなのかもわからなかったからだと思う。
実際のところにているだけで全然違うのかもしれないし、わかったところでなにかが解決することでもない。
ただ、私が住んでいる、この無限に先送りされる世界感は、どうしようもなく加害的で、ちゃんと生きるためにはそれなりの時間と、努力と、誰かの知恵が必要なタイプの問題だったということはわかった。それを矮小化して、根性論を自分に押し付けて、ひとりでやろうとしたから、私は自分の歩く道と、そこにたまたまいただけの罪のない人を焼き払ったのだ。
私は怖い。友達はいまでも私に寄り添ってくれるが、友達がわたしに「あなたの好き」と言ってくれる部分さえ、もしかしたら、こうした歪みや病理の表出でしかないのだとしたら?すべてがひっくり返ってしまう。私ってなんだろう。
私にチャンスはもうないかもしれない。チャンスがあったとして、それに縋る資格すらないのかもしれない。私はそれでも、まともに誰かを愛せる自分になりたい、と、まだ、こんなになってさえ思ってしまう。
くじけそうになったとき、自分がわからなくなった時に戻ってこれるように、増田にそっと流す。
対人関係、自己像、感情などの不安定性及び著しい衝動性の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。
以下のうち5つ(或いはそれ以上)によって示される。
1. 現実的に、又は、想像の中で見捨てられることを避けようとする 「なりふりかまわない努力」(見捨てられ不安)
2. 理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる、不安定で激しい対人関係様式
4. 自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも、2つの領域にわたるもの
(例:通常は2~3時間持続し、2~3日以上持続することは稀な、エピソード的に起こる強い不快気分、苛立たしさ、又は不安)
物心ついた時から周りより頭ひとつ分以上背が高く、小学6年生で170センチを超えていた。
小さな頃は年相応にセーラームーンやキティちゃんなど可愛いものが好きで、よく身につけていた。
だが、自分が可愛いものが似合わないのではないか、と気づき始めたのは幼稚園の時。
発表会で笠地蔵をやることになったのだが、その中に狐の役があった。
黄色いふりふりの衣装がとても可愛らしく見え、私はその役に立候補した。
だが、他にも複数候補者がおり、1人狐役を諦めなければいけない。
本来ならジャンケンなどで決めるのだが、そのとき私にはそれすら選択にはなかった。
なぜなら当時の担任直々に「狐役は諦めて欲しい」と言われたからだ。
衣装のサイズの問題や、おばあさん役の方がぴったりだからと言われた。
そのとき、ふと目の端に見えた狐役の子たちは皆平均身長でとても可愛らしく見えた。
そのとき私は「背が高いと可愛いものは選べないんだな」と思うようになった。
幼稚園児が考えることなのであまりにも極端だと今は思うが、己の顔立ちやそもそもの体型なども、幼いながら人より劣っていると気づいていたのだと思う。
それから少しずつ可愛いものに興味を示さなくなった。だって、似合わないものを身につけてもダサいだけだし、と。
気付いたら女らしさ皆無な子供に育っていた。
うぜぇ、だまれ、カスなど口走るなんとも可愛げのないクソでかい女の子が誕生していた。
また、中学でスポーツ系の部活に入ったことにより、髪の毛もベリーショートに切り、服のサイズもメンズ物しかなかったため、見た目はどこからどう見ても男にしか見えなくなった。
デパートなどの女子トイレに入ればすれ違うひとに驚かれトイレマークを確認されることは毎回のことなので慣れた。
最初は気のせいだと思っても、それは気のせいではなかった。
友達から「今あの人あなたなのとみてたよ、すごくびっくりしてた」と毎回報告されていたからだ。
(中途半端な田舎だからっていうのも1つの理由だったのかなと思う)
恋愛対象で見られることは皆無だったが友人としては仲良くやれていたので特に気にはしなかった。
少女漫画も少年漫画と同じくらい読んでいたし、こっそりと片思いもしていた。
けど、振り向かれることはないとわかっていたので告白も何もしなかったけれど。
そんなこんなで大学生になったある日。
見た目さえわからなければみんな私を1人の女の子として接してくれることにとても感動した。
それからは毎晩寝る前にいろんな人と話をした。
みんな優しくしてくれたし、声を少し高めに話すと可愛いと褒めてくれた。
今まで体験できなかったことが沢山体験でき、自尊心が満たされた。
今まで相手には身長のことすら言えなかったのにその人には話せた。
それでも引かれることはなく、魅力の1つと言ってくれた。
大学生になっても、私の服装は相変わらずでダボっとしたパンツにTシャツやパーカーばかり着ていた。
そのことを話すと、彼は
「なんで女に生まれたのに女を捨ててるの?」
と質問してきた。
「好きでその格好ならいいけど、女らしい服装をしたって良いんだよ」
「似合う似合わないじゃなくて、似合わせようとするんだよ」
と。
あ、と思った。
本当にあ、と。
可愛い格好してもいいんだ。
面長で重たい一重。
鼻も高くない。
その身長があるならモデルになりなよとみんな言うけど、頭身もないし腕も足も短い。
だから、女の子らしいは似合わないから、みんな変に思うから、楽なメンズ服に逃げていた。
そうなんだ、別にいいんだ。
それから少しずつ女らしさを取り戻していった。
といっても、完全に女として生きていけるようになったのは社会人になってからなんだけど。
田舎町から都会へ引っ越して、人の視線を感じることが少なくなったのも1つの要因だった。
ヒールの靴も痛いからあまり履かないけど、6センチのヒールを履いて出掛けたこともある。
少しずつ、少しずつ。
気付いたら前よりも女の子扱いされることが多くなった。
性の対象にすらみられてなかったのにそういう目で見られるようになる。
可愛いと言ってくれる。
髪の毛長い方が似合うよと言ってくれる。
もちろん、モテているわけではなくて基本的には友人としてしかみられないこともあるし、この身長にドン引きされることも多々ある。
けれども私は女になった。
ずっと女になりたかった。
ここまで拗らせるには他にもいろんな要因があって、自分に自信をなくして、自分を男に見立てることに逃げていたけど、もうそんな自分にはならないだろう。
当時部活で休みの日だろうと午前中は普通に学校まで行っていた。休みの日なのでJCの制服ではなくジャージで、そんな煽情的な格好をしていたわけではない。ぶっちゃけ私自身そんな可愛いとかいうわけではなくむしろもさい系で、似ている芸能人としてはよく山田花子と言われていた。
通学路には森があった。とはいえ、アスファルトで舗装された歩行者用通路がしっかり整備されていて、とはいえ木が生い茂った中を通るので夜は通らないようにと親から言われていた。
その歩行者用道路のある森を抜けたところ、1台の車が止まっていた。その辺に車が止まっていること自体はそんな不思議ではなく、車通りも多くない場所であるために路駐はよくあった。なので、通る際には誰かが乗っているとかなんてそんなに気にしていなかった。
通り過ぎてすぐその車が動いた。そして、私に横付けして中にいたおっさんが、
「ねえ、ここ見て」
と声をかけてきた。
その声を聞いて振り返った時点で私の負けは決まっていた。振り返るとそこにいたのは車に乗ったおっさん、ただしパンツは履いていなく股間のブツは丸出し。
当時の私はキスしたら子供ができると思っているとかに匹敵するほどの初心で、男のち○こなんて父親のしか見たことない。ただ、それがち○こで、それを見せているこのおっさんがヤバいやつだということだけは本能でわかった。
逃げ出すのに2秒もかからなかった。その辺りは人通りが少ないが、100mも走れば小学校だ。小学校ならパニックになっているJCに優しく対応してくれる大人がいるだろうと思い30mほどダッシュして突然冷静になり、車のナンバー控えないとと思い振り返った。
しかし、残念ながらゆっくりと車は路地の方へと姿を消していき、ナンバープレートにわの字が書いてあってレンタカーだっていうことしかわからなかった。
そのまま早足で小学校まで行くとスポ少か何かなのかお母様方がいて、事情を話すと警察に通報するとか大丈夫?とか優しく対応してくれた。中学校にも連絡してくれたみたいだった。似たような事例あったよね、みたいなのも言っていた。5分くらい慰めてもらって、私はそのまま中学校へ向かって、着いたら顧問の先生に偉く心配され、部活して家帰ってやっぱり親に心配された。
幸いなことにそれでトラウマになったとかはなく、普通の人として生活している。せいぜい、その後中学卒業まで防犯ブザーをしっかり鞄に括り付けていたくらいだ。見せられただけでよかった。
トラウマにならなかった故にあのおっさんがなんで露出してきたのだろうと思うことがある。なんであんな寒い日に、ジャージのもさいJCに、まさか自分が狙われるなんて思わなかった。
大人になって色々知ってからは、まあ今すぐ見せたいって思っていたのだろうし、JCなら誰でもよかったなかもしれないと思うようになった。それで許すわけではないが。
それよりも、通常なら不審者が出ればこんな人がいたから注意してくれと朝の会などで言われるはずのところ、翌日女の子が変な人に追いかけられたという私ではない誰かの被害の注意喚起だけされ、私の出会った露出狂の注意喚起がされていなかったことが腑に落ちなかった。別に露出狂に出会ったことを自慢したいわけではなかったが、なんとなく自分が目にしたものがなかったことにされたようだった。
N子という子がいた。
目がぱっちりとしていて可愛く、快活な子だった。
何のきっかけかは忘れたけれど
将来は声優になりたいと言っていた。
私はアニメも好きだったけど、絵や漫画を描くのが好きだったので
漫画家になりたいと思っていた。
N子はアニメから遠ざかり、制服のスカートを少し短くしたりしてオシャレになった。
その頃にはJ事務所のタレントや、恋愛話が共通の話題になっていた。
クヨクヨしてたらいかんよー」というようなことが書いてあった。
高校は別々だった。
お互い笑顔で「ひさしぶりー!」となって話をしたはずなのだけれど、
何の話をしたのかは覚えていない。
ただ、私が何か失礼なことをしてしまったのか
N子は急に不機嫌になり、男の子のスクーターに2人乗りで去っていった。
縁には賞味期限があるという一文を
ネットかどこかで見たけど、
今思えば、それが縁の賞味期限だったのだろうと思う。
ふと思い出したので、書き殴ってみる
2世学会員の話が増田や知恵袋に出てくると大体熱心なタイプの話ばかりで、こういう熱心な人たちばっかりだと誤解されたくないし被害被ってるので、悲しき2、3世側の話も聞いてほしい。
自分は3世。父方母方ともに祖父母が入信していて、2世の親同士が創価大学で出会い結婚したという超筋金入りのサラブレッドだ。
小さい頃から月一の座談会(地域の学会員の集まり)、少年部(小学生の集まり)、新年に行われる勤行会みたいなイベントをものをごくごく当然のものとして受け入れてきた。
そして小学1年生の頃、半ば強引に創価学園に入ることを母親に約束されて、中学受験をして創価中学に入った。ついに純血のスーパー創価人3の誕生だ。ジジババは大喜び。
学校では
・記念日的なものの日に式典(バカ長い卒業式みたいなの)を行う
・たまに信仰してる超大物(海外ハリウッド俳優やサッカー選手)がくる
ことがあったけどそれ以外は普通だった。
生徒のタイプはまちまちだが、本部職員の子供や学会で役職のついてる人の子供よろしく、入信している芸能人の子供など、ただ創価学園に入れたい!というパンピーの親とは別の創価的なハイクラスタの子供が結構いた。
聖教新聞が学生鞄に入ってるとか、大白蓮華(学会の機関誌みたいなやつ)昼休みに読んでるようなガッチガチなのもいたが、そうでもないやつとの割合が半々くらい。
なので入ったらゴリゴリの信者になるというような場所ではなかった。特に何の違和感もなく学生生活を送っていた。
けれど、高校生になってアルバイトをするようになり「得体の知れない何かの一部」というレッテルをはられる経験をしたことで考え方がガラッと変わった。
アルバイト入りたてのコミュニケーションの一部で、「高校どこなの?」と聞かれ「創価高校です」と答えた時に明らかに怪訝な顔をされた。
相手も人間なので、コミュニケーションを著しく変えることはなかったが、自分にとっては忘れられない体験だった。
自分もネットで調べたりしてたので体外的にどう思われてるかは知ってた。選挙の電話やばいとか入信勧誘されるとか。
でもそういう得体の知れないものという目線がまさか自分に向くとは思ってなかった。たまたま親がそうだっただけで、自分自身は何もしてないのだから。
でも知らない人にとっては「創価」という言葉を聞くだけで「うわっ」となってしまうものなんだなということをしっかりと認識したタイミングだった。
イメージだけでラベリングされてしまう何かを背負っているというのがとても苦痛に感じた。
就活、結婚いろんなものに響いてくる。親族には悪いけど、そんなに信仰してるわけでもないのに、嫌な思いをし続ける必要がなぜあるのかと。
このままエスカレーター式に大学まで創価に行ってしまったら、本当に全部創価になってしまうことに危機感を感じ、普通の私立の大学にいった。
創価大学に行かなかったことでジジババは露骨に悲しんだが親も何も言わなくなり、そもそも学会員と接する機会がほぼなくなったので、気負いすることもなくなった。
けれどもこれから結婚とかの話が出てくるとめちゃくちゃ話はややこしくなるのが目に見えていて辛い。
今いる彼女も、知り合いたてでfacebook見た時に友達が創価高校だらけで舌巻いたらしい。最近は自分の気持ちを知ってくれているので創価いじりしてくるくらいにはフランクになったが、「お父さんに行ったら絶対やばい」と言っている。
彼女には辞めてと言われるが、親からしたら「別に何も強制してないのにわざわざ辞めるの?」という感じらしい。
こちらとしては相手に迷惑かかるくらいなら辞めても全く構わないけど、自分側の親族とこじれるのも好ましくない。結婚とかを考え始める歳になるとこんなに辛くなるとは思わなかった。
こういう創価の家系に生まれたけど、信仰してない、してないのに創価ってだけで辛い思いをしている人は本当に沢山いる。
けどそういう人はそもそも隠したがるので、web上にも出てこない。だから全国の創価好き、創価を愛する者たち、創価を憎む者たち、全ての創価関係者に伝われっ!
兄が婚約して、彼女を連れてきた。兄は所謂地味メン。クラスの端の方で目立つことなく、真面目に勉強も部活もしていたタイプだ。部活では特出した実績は残せなかったが、成績は優秀。大学に行き、大手企業に就職した。
そんな兄が婚約したと彼女を連れてきた。美人で背が高くて、新垣結衣と綾瀬はるかを足して二で割った感じ。花が咲いたように笑い、控えめに話し、目を見て相槌を打つ。賢く、家族と仲が良く、良い香りがする。私の人生には関係ないと思っていた「光属性」だった。美人は性格悪いと言うが逆だった。美人だったら周りから愛されるし、愛されて育てば性格は悪くならない。
そりゃあ地味で結婚に興味も無かった兄も、結婚したくなるだろう。兄は背こそ高いが顔は普通だと思っていたが、彼女が隣にいると兄までイケメンに見える。誰がどう見ても美男美女カップルだ。
そして、私は腐女子だが兄の彼女に興味がある。話せば話すほど兄の彼女のことが好きになるし、抱き締めたくなる。兄の彼女を見ていると女の子はやっぱり可愛いんだと思う。一生守りたいという気持ちが痛いほど分かる。結婚して義姉になるのは嬉しいが、兄が連れて来て兄と一緒に帰る。この嫉妬に一生苛まれると思うとやるせない。
腐女子として生きてきたのに、兄の彼女の出現により急に世界が変わった。女の子を可愛いと思う、正直性的にも兄と彼女に興奮するが、同時に幸せそうな兄の彼女を見ていると自分も誰かに愛されたいと思う。
付き合いの長い女友達がいる。出会いは中学時代で、同じ塾に通っていた女子校の人だった。オタクで暗くて、でもオタクの友達とは楽しそうに笑っていた。部活が同じことに気付いてからは授業が終わった後に軽く話すことも増えた。
頭のいい子だったし、正直言って彼女と話すのは楽しかった。音楽の趣味がほぼ同じだったので、塾帰りに喫茶店で何時間も駄弁ることもあった(流石に親に怒られた)。ただ、自分のことを話しすぎるところと、モテたモテないの話ばっかりは微妙だった。ちなみにその塾は大学受験まで通っていたから、そのうち互いにCDを貸し借りしたり、何回もデートしたりした。
やがてお互い希望の大学に進み、彼女は新宿区の大学へ、僕は青葉区の大学へ進んだ。僕が研究室でド鬱になってるとき、何度も彼女に電話をかけた。彼氏ができたこと、セフレがいること、いろいろな話をしてくれた。あまり女性には縁のない生活だったので、ぼんやりと遠くなっちゃったなと思った。
彼女は文学部から院へ、僕は工学部から院に進んだ。こっちが男どもと酒を飲んだり雪合戦をしている間、彼女は男を取っ替え引っ替えして遊んでいたらしい。お互い研究が忙しく、共通の話題も少なくなった。年に一回電話するくらいの関係になった。
数年前、就職のタイミングで一緒に飯を食った。人生の半分以上を(距離感は絶えず変わったが)過ごした友人はかなり洗練されており、近寄りがたい雰囲気になっていた。最初は今付き合っている芸人の話や家に連れ込んだ後輩の話を延々と聞かされたが、次第に思い出話や音楽の話へと話題は移っていった。人間の核の部分は変わっていないようで嬉しかった。彼女は出身高校の国語教師になるようだった。先生になりたいと何度も聞かされた中学時代を思い出した。彼女とは翌朝まで話し続け、何事もなく解散した。酒とタバコのせいで頭が痛い。どんより曇った新宿駅で、きっともう会うことはないだろうねと話をした。彼女は頷いた。
先週末、彼女から連絡が入った。結婚したことも知らなかったが、どうやら離婚したらしい。日曜に2人で飯を食い、よくあるような話を延々と彼女は話し続けた。どうすればいいかわからなかったのでとにかく僕は聞き続けた。少し懐かしかった。ここからどう思考がジャンプしたかは自分でもわからないんだけど、一旦落ち着いたら彼女に交際を申し込もうと決心した。
ふと、死にたいと思う時がある。
私は高校生だ。
高校に入る時は、残酷なまでに楽しみだったことを、全て入学してから打ち砕かれたと思う。
楽しみだった部活動。放課後の寄り道。クラスで楽しく生活すること、そんな他の人から見たら普通な事が出来なかった。
部活では、いじめとしか思えないあだ名を付けられた。他の人はみんな、休みも充実している。さすが高校生、といったところだ。
友達が出来なかった。私の通っていた中学の人が少なく、仲が元々良かったような人がいなかったのもあるだろう。他のクラスメイトは、遊んでいるのに。
クラスには全く馴染めなかった。40人もクラスには在籍しているというのに、誰一人として、私に話しかけてくれるような人は、存在しなかった。
そのため、私は学校を休むことを計画し始めた。学校なんて、行く場所ではないのだろうかと。
そこには、中学のときの友達は、みんな笑顔で映っていた。「怖いから、Twitterとかをやりたくない」と言っていたあの子も、「勉強頑張ろうね」と言って、違うクラスへ行ったあの子も。みんなが、幸せそうだった。
部活動で一緒の子のインスタグラムのアカウントを知っている。その人の誕生日の日には、「みんなプレゼントありがとう」というような文字と、沢山のプレゼントが映っていた。
その日から、私はその人に話しかけられても無視するようになった。
私は、学校で友達から、プレゼントをもらったことがない。なのに、そのインスタグラムに上げていた写真は、私の目の前で撮っていたからよく分かる。
それは私にとって、いじめだよ。
親へ。
友達が居なくてごめんなさい。
遊びに行くような友達が居なくてごめんなさい。
勉強も出来なくてごめんなさい。
お手伝いも何もできなくてごめんなさい。
言うこと聞かなくてごめんなさい。
犬以下の人でごめんなさい。
ずっと、人間になれって言っていたよね。人間になるってどういうことなんだろう。
自分のやりたくないことをやらされたくない。それは私の個性を消すようなことだと思うから。
もうすぐ、私は死のうと思って過ごしている。
誰も、この世界には引き止める人もいないだろう。
自分は割と昔からすぐ筋肉が付くタイプで、部活中の軽い筋トレだけでそれなりにいい体つきにはなってた。
大学卒業後、アベンジャーズに憧れて、キャプテンアメリカみたいな持久力とバキバキの肉体を得ようと思って
初めは良かったが、1週間くらいでランニングは頭打ちになった。筋トレは3か月くらいで筋肥大しなくなった。
自分は胃が弱く、調子がいい時は食べられるが調子が悪い時は昼を抜いたりしていた。
それだとタンパク質が取れないので、毎日3食を強制するようにした。
慢性的に胃の調子が悪くなり、食欲も激減した。一杯食べれない、食べようとすると吐いてしまう。
筋肥大するには太りつつ筋トレをしなければいけないが、無駄に上がった代謝と、それに見合わない筋肉量で勝手に痩せていく。
体調も悪くなった。
ランニングも、自分は持久力が無いのがコンプレックスで3kmをタイムを計らずやっていた。
以前タイムにこだわった結果、胃液が悪くなり胃を痛めたからだ。
そして一回タイムを計ってみようと走ったら、全くタイムが縮んでなかった。
俺には才能が無いらしい。。。アベンジャーズ入れないっぽい