自分は間違いなくコミュ障である。だから社会における自分の価値を「有能である事」としてきた。
自分で言うのもなんだけど、昔から幸い人よりも地頭や要領が良かった。
小学校の時、仲間内で同時期に始めた習い事で一番成績やランク(段位や進度など)が上である事が殆どだった。
中学校の時、クラスで一番成績が良かった。部活もレギュラーだった。
高校生ぐらいになるとネットの世界に出る事を覚えた。凄いなと思ったものを真似してみたらすぐに成果物は出来てそれなりに見てもらえた。
大学生になってバイトを始めると、やはり仕事を覚えるのは早くて、店のエースだと持て囃された。
新卒で会社に入社すると、すぐに同期で一位の成績になって、近年稀にみる逸材だとか噂された。
なので人生都度都度、褒められてきた。
「増田さんは〇〇が出来るなんてすごい!」とか「増田さん本当に頼りになる!」とか「増田さんのお陰で〇〇が出来た!」とか「増田さんが皆のお手本になってね」とか。
褒められて気持ちいいってのもあるのだが、それ以上に自分はここに居て良いという事に安心していた。
だが、小学校から……いやそれより前、生まれてこのかたコミュ障が治らない。
先天的ド陰キャなのである。要領は良いのに、悲しい事に人間として基本的にダメだ。
コミュニケーションといっても、業務的な報連相をするのは超得意科目だ。
友達いるっちゃいるけど、類が友を呼んでるので友達も大抵コミュ障でおひとりさま属性だ。
いつもどこかの段階で、気付いたらなんだか浮いた存在になってる。
同期には成績では勝っていても、人間として確実に敗北している。
特に一生かけても勝てる気がしないっていう、コミュ力の化け物みたいな子がいる。
どうしてそんなに上手に会話が出来るのか。こんなコミュ障とも上手く会話をすり合わせて溶けるように会話が出来るのか。
会話テクニックと優しい気遣いの出来る性質が相乗効果を起こしている。こんな風になりたいけどなれない。
コミュ障なのにこれで「役に立つから」という理由でそこに居場所を作ってもらえる。
だけど有能でなくなったら、上手くいかなくなったら、自分はコミュニティからきっと切り捨てられてしまうんだろうなといつも思う。
それが恐ろしくて、今日も頑張って足掻いている。
有能であり続ける限り、誰かに捨てられてもどこかで拾ってもらえるから大丈夫。 おっちゃんなんて友達一人もおらんかったけど、今までどうにかなってる。
人間にとって最も幸福感をもたらすものは人間関係 有能であることより他人とうまくやることを重要視してみれよ
それが出来ないから有能でいるしかないっていう話なのでは・・・
いや、捨てられないために有能でいなきゃとか言ってるから、そうじゃなくて第1を人間関係にしようぜってこと
そうやって無能だらけになって滅びゆく最中なのが今の日本なんだが
元増田です 人間関係を良くしたい!っていうのは2×年色々工夫して頑張ってみたつもりなんだけど、結局無理だったんだ。 数少ない友達はいるからそこはそれ以上求めないけど、社会と...
ううむ。これは切ない話ですな・・・。 他人と同調したり、共感したり、ということが、あまりに賢すぎて出来ない人は見たことがある・・・。 やはり、人から頼られるけれども孤高の...
元増田です 趣味のコミュニティはあるんだけど、やっぱりそこでも「有能さ」でしか属せていないね。 「増田さんは〇〇の事詳しく知っててすごーい!」とか「増田さんは〇〇が上手で...
楽しくないっていうか増田にいるくらいの性格の悪い陰キャなんだから有能さを鼻にかけまくってるんだろ そういうのはまともな人間はたいてい見抜ける
小さいことでいいから欠点を晒していけばいいんじゃない 今日足の小指をぶつけたでもなんでもいいけど 面白さがないとかじゃなくて、心理的に距離を感じられてるんだと思う
元増田です 中身がこの通りのクソザコメンタルなもんで、確かに怖くないように武装してるとは思う。 少し隙を作ってみるのも良いかもしれない。 試してみようと思う、ありがとう。
彼氏彼女の事情ってそんな話だっけ? あれはイケメンの話だったけど。