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はてなキーワード: 征夷大将軍とは

2019-03-08

日本民主主義は向いてない説

やっぱ幕府政治が一番なんだって

とりあえず新日本幕府の初代征夷大将軍として安倍晋三を任命する

2019-01-05

悲報】ワイ源氏末裔なので征夷大将軍になれない

くっそ徳川

源氏僭称しやがって

2018-08-19

日本人は2種類の人種が混ざって出来た民族らしい。

1つは、氷河期末期にマンモスを追って、バイカル湖方面から日本列島に入ってきた縄文人(旧モンゴロイド)と呼ばれる人種

こちらは白人(コーカソイド?)とも混血しているらしい。

縄文人日本列島にやってきてから1万年後(紀元前10世紀から紀元3世紀中頃)、2つめの人種が、中国大陸から朝鮮半島経由で日本列島侵入してきた。いわゆる弥生人(新モンゴロイド)と呼ばれる人種

日本民族は、上記の2つの人種が、7:3の割合で混血して出来た民族らしい。

(もちろん、弥生人が7、縄文人が3。)

ちなみに、7:3の割合なのは本州人だけで、沖縄琉球民族や、北海道アイヌ民族縄文人割合が多いらしい。

以下、本州弥生人割合が多い理由

弥生人日本列島に来てから殺人件数が倍以上に増える。(土地を巡って争いが起きた?)

・初代征夷大将軍が毛人(縄文人)を北海道に追いやった(後のアイヌ民族)

アイヌに関しては、日本列島を追われてようやくたどり着いた北海道も、明治時代に、本州人に荒らされるから本当に可哀想

弥生人よ、もしくは、中国系人よ、今こそ日本列島先住民に返すべきではないだろうか?

2018-07-31

anond:20180731021123

嘘乙。中世日本流動性を欠いてなお400年も政権継続したぞ。

全体的におかしいすぎる。

中世日本

これは何年代を指すか。一般的には、土地領主が発生し地域ごとに支配を行っていた時期を中世と指すことが多い、日本では鎌倉室町までを指すのが一般的(諸説あります)。鎌倉室町時期に400年続いた日本全土を支配的に統治した政権はない。

流動性を欠いて

諸説あるが、体制的な市場ではないにせよ、中世鎌倉中期ごろからなど諸説あります)には、すでに抽象的な市場経済は存在していたとする説が今では一般的増田のいう「中世」が、『400年も政権継続』という言葉から推測して江戸時代だと仮説をしても、すでにトラバにある通り幕府公認の米相場先物取引市場)すらあり市場経済が形成されていた。

400年も政権継続

これを上記のとおり江戸時代と推測して、教科書的な年号で、大政奉還(1868)マイナス徳川家康征夷大将軍になった年(1603)しても、265年間しかない。さらに、この江戸時代中、文字通り265年間安定的政権継続した、と言うのは少々雑ではある。前半40年近くは幕藩体制が固まりきっておらず、後半は100年近く攘夷だ討幕だなんだかんだとやっており、政治体としての徳川家はあるものの「継続してよかったね」と思うほどの政権があったかというと微妙だったりする。

2018-07-27

anond:20180727125714

天皇認証(征夷大将軍)を求めてた組織だよ

自分らが日本キングになる野望があるんだ

となれば書類を出す出さないは国民が決めた法律などでなく自分らが自前で決めることだ

2018-07-18

無償ボランティアばかりが人間性や細かい部分を問われ高給公務員は不問

情報を出さないから何をやってるのか不明

一部分の演技してそうな都合のいい部分だけ報道

身分制社会

江戸時代

安倍晋三征夷大将軍だった

2018-05-23

首相はもう何やっても無敵なんだから、開き直って行き着くところまで行って欲しい

いきなり戦争始めるとか、いきなり皇帝だとか征夷大将軍になるとか

危険分子だと思われて外国攻撃されて欲しい

増田幕府開府されたら誰が征夷大将軍に任命されるの?

俺?

2018-03-24

anond:20180324000132

天皇家の間でも、派閥争いが起こったってことでしょ。宗教は、武力経済力以外の方便だな。科学・知力がない時代だったのだよ。

鎌倉幕府だって征夷大将軍って権威付けを力でもぎ取ったんだしさ。

2018-02-22

anond:20180222154124

最初征夷大将軍坂上田村麻呂とか?

あと神武東征だとか、ヤマトタケルノミコト(のもとになった人)なんかもそういった役割果たしていたのでは。

日本場合狭いし、なんだかんだいって進軍不可能土地ってそうそうないけど、アフリカは広いし砂漠とかジャングルとかあって侵略できなかったのでは。

2018-01-07

やっぱちゃんとしてないとダメなんだよね。

おじさんになって一番思うのは、やっぱしちゃんとしてないと言いたいことを言えないんだってこと。

例えばさ、こんな口語体うんこみたいな知識を書くとするじゃん?

でもさ、昔のどっかのお偉いさんが四文字熟語とかでさ、古典とかひっぱってきてさ、

かっこよく賢そうに達筆で額なんかにして飾ってたとかだったらさ、

座右の銘だーとかいってたらさ、なんかすげえ良いこと言ったみたいにかっこいいじゃん?

でもさ、「やっぱしちゃんとしてないと言いたいことを言えないんだよー」って

酒金女に溺れたおっちゃんが夕刊フジを読みながらワンカップひっかけつつ増田書いてもさ、

そこまで感動しないじゃん。

あとさ、黒塗りの怖そうな車に乗ってる粗暴そうなオジサマが「この代金おかしいやんけ」っていうのと

よれよれの長袖ポロシャツインしてる松方弘樹メガネのオジサマが「この代金おかしいやんけ」っというのとさ、

求める力が違いすぎるでしょ。

説得力に差がありまくるでしょ。

それって結局のところ偏見なわけよ。先入観っつうかさ。

あるのよねえ。

 

理想を持って希望に満ち溢れて社会を良くしていこうって、変えていこうってさ、”先入観をなくそう”とかね。

夢膨らんでる若者はさ、輝いてるよね。素晴らしい。

でもね、やっぱしいろんな意味でちゃんとしてないと、伝えたいことって聞いてもらえないのよ。

ちゃんとするってね、社会マナーを守るってことね。

マナーってのは、村のオキテってやつ。不文律の。

おじさんたちはね、そのオキテに逆らう恐怖を知ってるの。

みんな守りたいものがあるからね。ちっぽけなものかもしれないけど、それぞれが守る価値があると信じてるものね。

たか必死にオキテを守るし、守らない人から自分たちを守ろうとするんだ。

それって悪いことじゃなくない?みんなそうするのは利益があるからだしね。

自分を守ることの善悪めんどいから置いとくか。ここで大事なことはオキテ、逆らう、良くない。

 

まあ、だから、オキテやぶりをするなら、それなりにちゃんとしてないといけない。

ちゃんとするには、おおざっぱに言って2種類あって、難しい方法と、簡単方法がある。

難しい方から説明すると、みんなの「ちゃんとしたい」とか「守りたい」って気持ち

全部まるっとうまくすくい上げること。あんたらに悪いことしませんよーって納得してもらうこと。

これめっちゃ難しいけど、うまくいくとめっちゃ気持ちいから。いいよ。

簡単な方はね、これズルいんだけどね、脅かすの。嫌なことするぞーって。

もちろん最初から全部この方法を使うわけじゃなくて、こっちの方では嫌なこと我慢するから

あんたらはここで我慢してくれよ、みたいなね、別にこっち嫌なこと我慢するわけじゃないのに

嘘ついたりごまかしたりしてね、いじわるするの。そうするとね、お願い聞いてもらえるのよ。

後味悪いよさすがに。そりゃ酒飲むよね。歌っちゃったりするよね。

でも、話を聞いてもらうにはちゃんとするしかないんだよね。

難しい方法ばっかりしてたら体壊したり無理しちゃったりするんだよ。早死にしたりね。

から簡単方法もした方がいいのよ。

 

でもね、難しい方法をね、少しずつだけど簡単にしていくこともできるんだよ。

それはね、肩書とか、賞状とか、そういうやつをいっぱい持つこと。

そういう「ちゃんとした」ワッペンがついてるとね、いろいろ聞いてもらえるんだよ。

東大卒、とかもそうだし、征夷大将軍、とか、代表取締役共同COO、とか、フォロワー数4.8M、とか、

読モ?とかもだし、いろんな意味のワッペンがたくさんあるんだ。

分かる人にしかからないワッペンもあるしね。バイターモリモリ不死マラソンスプーン余裕でした><とかね。

からワッペンたくさん持ってる方がいいよ。ちゃんとしたやつ。ちゃんとしてる風でもいいよ。

ちゃんとしてる風なワッペン付けてると、ラジオ番組持ったり政権に入り込んだりできるよ。

余談だけど、自分らしく生きたいとか思ってるなら、自分と大切な人にだけ通じるワッペンを付ければいいよ。

生体エロウィキペディアでもいいし、セクシーソムリエでもいいし、

ちゃんとしたやつじゃなくていいよ。てきとーで。

そんで周りの友達がそのワッペン気に入ってくれたら、そのワッペンが好きになってくるんだよ。

まあその話はいいや。長くなってめんどいから

 

結局言いたいのはね、ちゃんとしてないとダメってことよ。

ちゃんとしたワッペン付けてるとか、体力か良心犠牲にするかしないと、

言いたいこと言えないから守りたいものを守れないってことですね。

明後日から仕事やだよー。

2017-09-18

とかく自称保守というのは中途半端なんだ

二言目には日本の伝統がどうとか言うが、たいていは単なる明治原理主義で、それ以前には遡らない

そこが面白くないのだ

もっとスーパー保守が出てきたっていいと思う

日本国憲法は押しつけだが、明治時代にしても、近代国家体制を整えなければ植民地にされていただろう

まり明治憲法からして外国の押しつけみたいなもの

あんなのは廃止して、もういっそ幕藩体制に戻ろう、征夷大将軍は俺だから

このくらい言うのが出てきたっていいじゃないか

2017-07-03

小池代表辞任ニュースブコメ情弱バカばかりで草も生えない

小池知事、「都民ファーストの会」代表を辞任へ:朝日新聞デジタル

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASK733SDSK73UTIL018.html

http://www.asahi.com/articles/ASK733SDSK73UTIL018.html

もうだめだ。はてなも完全に情弱バカの集まりだね。

2chやtwitterとなんもかわらん。むしろ下かも。

基本的情報を押さえてないで大威張りの情弱と、

別に難しくもない現在の情勢をまるで理解できてないバカ


きほん

都民ファーストの会は元から小池の秘書である野田数を代表にして今年1月に発足した政党です。

6月1日(だいたい都議選一ヶ月前)に、選挙の指揮のために小池が代表に就任しました。

7月3日、選挙が終わったので代表を野田に戻しました。

これは誰も隠してない事です。

このきほんを踏まえずに「騙された!」とか言ってるやつは単に情弱なだけ。


「野田が代表だなんて!」

You-me 小池さんが辞任した以上にあの人を代表に就任させたというバッドニュースにござりますよ 9 clicks

abracadabra321 野田数が党首ておもしろいな〜マジ右翼だろwww

もともと野田を代表にして発足した政党です。

お前等が知らないだ~~~け~~~。

情弱乙。

話にならん。

jyajyamaru1214 代表が野田数って…ネトウヨ総理にお灸を据えたら、ガチ右翼が出てきたのか

繰り返しまーす

野田は発足当初からの代表デース

今頃騒いでるお前等が情弱なだっけでーーーす

Josequervo 代表にまた野田とかマジで…。反自民都民ファースト投票して喜んでた人達に襲いかかった悲劇っつーか最早悲喜劇だな。

反自民は叶ったじゃねえか。

自民都議連を絶滅させてくれた百合子様とかばん持ちの野田様を拝めよ。

野田が嫌いなのに都民ファースト投票したんならそれはお前が情弱なだけだろ。

悲劇も喜劇もお前の頭だ。


小池都民ファ議員を見捨てた!」

k_oniisan ハシゴを外された‪都民Fの議員烏合の衆っぷりを遺憾なく発揮してくれそう。‬ 笑

aceraceae 梯子を外された人がたくさんいるかな。 政治 東京

これはバカの方ね。

はあ~あ?

何がどうハシゴ外されたんだよ。

食い詰め者も兇状持ちも民進脱北者小池様の後光でいきなり都議になれたんじゃねーか。万々歳だろうが。

事実婚女子アナやめて海外渡ってセレブっぽい生活でアガリと思いきや障害児産んで帰国して実家子育てしての臥薪嘗胆の日々送ってたプライド高そうな龍円愛梨もこれで人生一発大逆転だよ。今井絵理子と違って高学歴からもっとマシなこと言ってくれるよよかったね。

龍円に限らず都民ファ議員達は全員1日3回小池の方角に礼拝してるわw

ハシゴ外される」ってのはたとえば選挙前になっても小池が代表になってくれず

選挙で苦戦して落選していくとかそういう場合だろうが。

全員受かって、これから小池の衛星都議としてやっていくんだよ。小池にしたがい小池に恩返しする親子の仁義はこれからだ。

何がどうハシゴ外されてんだアホか。

小池都民ファから離れた!」

masamkur オリンピックとか、築地とか、まとまりそうに無いもんな、都フ議員

まとまらないわけねえ~~~~だろ!

もう都議会過半数小池様の衛星か盟友なのに何を言ってるんだ。

tikuwa_ore これはどういう意図?都議選都民Fに票入れた人って、大半が小池さんの活躍を信じて入れたものなのに、

真っ向からそれを裏切る形って酷くねえか?/野田数猪木さんに訴えられてる理由横領でくっそ笑えない。

小池百合子 都民ファーストの会 これはひどい 2 clicks

???

子分である都民ファ都議と擦り寄ってきた公明都議でなんでも出来るんだから

小池都知事の活躍はここからだろうが。

善政になるか悪政になるかしらんがここからスピード出るよ。

hoihoitea 何がしたいのだろうか。

何がしたいのだろうかってw

がっちり都政全部手中に納めてブイブイやるんだよ。


ねえ、なんでこんなに状況理解力がないの?

お前等はバカなのか低学歴なのか痴呆症なのかおしえて。


小池都民を裏切った!」

kamiokando それってあんまり都民のことを第一やと思ってへんやろ?

なんでやねん

過半数小池支持した都民のために都議会都知事が一丸になったパワーで小池の政策すすめていくんやろうが

shinichikudoh 何か目論んでそうだけどとりあえず支持者を騙してるような状況。とはいえ僕は都民ファースト投票した人に同情することはない。元自民と元民進が何人もいて公明と連携してる支離滅裂さを変に思わない方がおかしい。

から何をどう騙してるんだよ

小池が好きで都民ファに入れた有権者気持ちは1ミリも裏切られてないよ

都民ファパワーはみんな小池に集まって小池元気玉連打してくれるから見とけばいいだろ

おれはお前のバカさに同情するよ

あたまわるいといきてく苦労も多いだろ

anpo-sumeragi うーん。「小池都知事の党」だから投票した人はどう思うかね。

fankygoofy 小池さんが代表だったか都民ファーストの会候補投票した人もいると思うけど、、、

都民ファは全員で小池都知事の政策を支持して小池都政を推進していくためのロケットになるわけだから

小池支持者の願いどおりの都政が始まるんだろうが

何言ってんだお前等は

ほんとうに、脳大丈夫なの?

nakakzs 選挙直後なのに、その後継が選挙洗礼受けてない野田数氏ってどうなのよ。せめて議員から選ぶべきだろ。

名ばかりだったら事実上の院政だし、どっちにしても問題あるのでは。 政治 選挙 43 clicks

隠す気もなく院政にきまってんだろうが

寝ぼけんな

つか都民ファに入れてるやつは小池に入れてるんだから

院政しない方が裏切りだろうが

htnmiki 今回の大勝は「小池支持」の結果じゃないのかよwww 都民乙で〜す

乙はお前の脳みそだよwwwww

はあ~~あ。

こういうバカたちが全部死滅したら世の中もう少しはよくなるのにね。



「民進や公明が離れていくぞ!」

shibashuji 小池さん辞任より、野田数が代表って、民進鞍替え組や市民ネットは早速分裂しそう。 政治

ustam 都民ファーストの会の最初の仕事新代表を追放することかー。野田数が代表では、公明も離れざるをえないのでは?

kyo_ju 民進から庇を借りに行ってた人達は離党の口実ができてよかったんじゃね。 政治

小池にすがって小池パワーの傘に参集して来た奴等が離れる?w

アホちゃうか?

どういう認識力だとここまでアホ垂れな分析と予想が出来るのだろうか


つかさー

都民ファ候補達や脱北してきた元民進や擦り寄ってきた公明党が、このロードマップについて知らされてないと思うわけ?なんで?

もうこのへんはさ、申し分けないけども、

情弱とかバカとか超えて、あ、あんまりまともな仕事してこなかった人だなっていうのがわかっちゃうよね。

大勢を動かすとき段取りがどんなものかとか全くわからないわけでしょ。

おれも野田は頭おかしいと思うけど、野田の方がきみ達より仕事は出来るんだよね。よっぽど。

(ついでに、今回の小池の代表就任と辞任は

 別に内部的に知らされてなくても外部から見ても予測付く範囲のことでしかしてないんだけどね

 君達みたいな情弱バカにはわからなかったってだけでさ)



小池と自民はヤオ!」「小池は自民の別働隊!」

hyoutenka20 もともとの政治姿勢が反自民ではないし、都民ファ投票した層も多くは普段から自民党支持の人たちだろうから

特に遠慮すべき勢力はないし今後はなんでもありでしょ ほとぼりが冷めたら都議会自民党も与党化しそう

shoot_c_na ホンキで、自民と手打ちになる気がしてきた ニュース

hesocha そもそも自分の影響力を高めるために内田派と対立していたのだろ?目的達したわけだし、政権に擦り寄るに決まってんじゃん。

monochrome_K2 この判断は自民党の揺さぶりによるものであり例え代表を辞任しても党の参謀であることに変わりはないのだからネガティブに考え過ぎでは。

しろ問題にはあたらないみたいな対応より筋が通っていると思う 政治

なんやろねこいつら。

このへんは自民支持者も多いのかな。

よくもわるくも自民中心視点と言うか。願望入ってると言うか。

zonuzonu 小池もまた日本会議。自民と対立のふりしているだけ

zions 選挙目当てなのを隠しもしないとは。自民に離党届を出しただけで離党してないし、

戻って国政に挑む気満々じゃないか。反自民都民ファースト投票した人達はこれで満足なんですかね?

これはひどい 政治

この2人は陰謀論がかなり強烈にキマってるよね。

1人はアンチ自民でもう1人は自民支持かな。


zionsくんへ

選挙のための代表就任なのは最初から隠してないので

 今頃「選挙目当てだったとは!」とか言ってるお前が情弱なだけです。

・自民に離党届出してんだから筋通してるだろうが。

 離党届を受け取りながら小池の籍を除かない自民党が未練がましいだけじゃん。

 何でそれが小池責任なんだよ?

・自民に戻る?はあ?

 zionsは確か自民支持者だよね。ちょっと願望で夢見すぎじゃな~い?

 いまよりずっと万全だった自民を飛び出して一人で戦った奴が

 あの時よりだいぶズタボロのいまの自民に何で戻らなきゃいけないの~~~~??www

 もう小池ブランドだけで選挙に勝てるのに~~~~~???www

 むしろ自民に戻ったりしたらイメージ悪くなって損するだけなのに~~~~~?????wwww

・自民に戻る為に自民の籍が抜けてないってのも意味不明な説明だよね。

 一度離党したら復党できないわけでもないし。

 全部話が付いてて八百長してるなら尚更外部に疑われないようにすっぱり離党処理させたらいいじゃん。

 妄想にしたってストーリー支離滅裂すぎ。

 

 真面目な話小池が自民に戻るとしたら

 マジで自民が全面的に頭を下げて総裁の椅子を用意したときだろうよ。

 自民がそこまで思い切るには安倍がたおれて次の総裁もたおれるぐらい追い込まれときだろう。

 まあ自民もこのまま一直線に倒れたりもしないと思うがね。

 小池積極的に自民を攻撃もしないしな。何故か?

 民進系の下品な反アベ教達が目一杯下品な攻撃を勝手にやってくれるから

 小池下品イメージ付くことには手を染めずに静かに自民から剥がれ落ちてくるものを取り込めばイイのだー。

 


つかこ陰謀論コンビには現に小池によって自民都議連が大打撃受けてるのが見えないのかな。

これも全部自民党計画のうちなの?こえーよw

小池マジで自民と密に繋がってる別働隊だったら

ドン内田のマジギレとか安倍の狼狽とかもすべて計画上のお芝居で、

「2017年のこのあたりで一旦長期政権の膿が膨らむから

 2016年中に外に出ておいた小池さんがそれを食う。

 そして自民党の禊感が十分に達成されたところで翌年初に再度合流」

とかそういう数年越しの計画遂行してるってことだろ?

それだったらもう自民党強すぎるからアンチ自民の人達も全員諦めたらいいと思う。怖すぎるだろw


もう全然ついていけないバカ

qwertyuias 何がしたいのかわからん

kibarashi9 ほんとやり方が汚い。

kiyo560808 小池さんもずいぶん黒いな。。

お前の頭が悪いだけです

ただ小池自体はもちろん黒いです いまさらなにいってんだばーか

necDK こういうの防止するルール欲しいっすね

はあ?w

monobako2 普通、代表選するよね。

どこの普通だよ

勉強会から政党になったばかりでどうやって内部で選挙できるんだ

そんなんしたらそれこそ茶番だわ

marchrock 「東京の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」

お前の頭が悪いだけでーっす

outroad コレをワイドショーマスコミがどう伝えるか…好意的に伝えたら、ほんとにこの国のマスコミはアカンわ(;´Д`) 18 clicks

アカンのわおまえら脳みそだは(;´Д`)

shu-0820 大勝直後に辞任?!これは戸惑いますね。

都知事との兼任が厳しいのは分かるけれど、都民はなかなか納得できないのでは?

小池あっての都民Fと考えて票を投じた方も少なくないでしょうから。さてさてどうなる事やら。

リンク2017/07/03

戸惑うのも納得できないのもお前の頭が悪いから

なんかべらべら喋ってても中身が何にもなくて頭の悪さはよく出てると言う無様な奴

tikani_nemuru_M 政治不信投票行動無力感マックスにさせる力量はさすが! 

こうして有権者政治絶望することこそ、全体主義への何よりの地ならしであろう。 21 clicks

ね。

この規定路線のロードマップで「不信」とか「無力感」とか

僕は馬鹿でーーーっす!って言ってるだけ。

いっつも政治の話してるはてサの一味でもこれぐらい情弱バカなの。


圧倒的にマシな一部の人

yuichi0613 まあそうなるよね 選挙 政治 都民ファースト 小池百合子 5 clicks

ねえ。

普通の進行なんですけど。

こういうまともなブコメには全く星が付かない。

星ついてるのは理解力のないバカバカ丸出しなことギャーギャー言ってるブコメばっか。

kujoo 都ファ会議員の不祥事で足を引っ張られる前に離脱とは正しい選択でしょ。

運営より都政へ注力するという大義名分もあることだし。

まあ小池さん叩きたくても今の所ネタに乏しいからこんなんでも飛びつくしかないわな

いや小池の秘書が傀儡党首で

全員小池の威光だけで議席取ったような政党なんだから

不祥事起きたら小池に累が及ばないわけないだろ。

とはいえ子分の少ない人間が急拡大するには変な奴が大勢集まるのは覚悟でこれしかない。

秀吉みたいなもんだ。

sasanach 「都民ファーストの会」そのものから脱退したと勘違いしているようなコメントもちらほら。船長を辞めただけで、まだ下船まではしていない。

ちらほらどころかうじゃうじゃだろ。

バカばかりだよな。

いや、はてなでもここまで情弱バカが多いのかってびっくりしたわ。

下船も糞も、一蓮托生に決まってるじゃん。

橋下みたいに全部放り出して「政治家辞めます」なんてオプション小池には無いし。

uturogi_soy これで地盤は築いたし そろそろ好き放題やる気配がする

リンク2017/07/03

気がするじゃなくて確定なんだよなあ。

でも当たり前の情勢認識しててくれて嬉しいよ。

話の通じないキチガイ村で素朴に話の通じる人物にあったら天使に見えるよな。あの感じがする。

btoy 形だけ辞任すれば安心して院政をしけるし。都民ファースト小池氏の意向を反映させるだけの存在だし。何も変わらないから安心しよう。

うん。これだけなんだよね。

何言ってるんだろうねはほんとに。


まともな批判

hamukatumix そりゃそうだ。都議会与党の代表が知事じゃ座りが悪すぎる。

この、あたりまえの認識が、超少数派なのな。

つらみ。つらみってレベルじゃねえな。

キチガイしかいない話が通じない村に紛れ込んだみたいな気分だ。

それか重度痴呆老人施設とか危険な精神病患者の病棟とか。

type-100 都ファは別に支持していないが、建前だけでも知事と正当代表を分けるのは良いことでは。

うん。

マジで当たり前のことを当たり前にやってるだけなんだけど…

朝日新聞はこれ悪意を持って扇動しようとした記事なのかな?

さすがにそんなことないよね。

まさかここまで情弱バカがいて勝手に騒ぐとは想像してなかっただろう。

この件では朝日新聞は無罪だ。

quality1 「二元代表制等々への懸念があることも想定」←これ代表就任時からわかってたよね?おかしくないですか?

まあおかしいよね。

でもそのツッコミは6月の就任直後にすべきだったんだよね。

都知事小池都議会政党の代表も小池、おいそれぇ!もし都民ファ勢が過半数とったりしたら独裁やんけ!」

ってさ。

そして実際都民ファ勢が過半数を取ってしまった。

そしたら小池独裁丸出し過ぎる二代表制の形はさっさと解除したと。

アホ達は2周ぐらい遅れてて批判どころじゃないと。

グズどもがダウトすることも出来ないうちに小池カードが流し終わりましたって言うニュースなんだよなあこれ。

miz1972 安倍首相独裁とは片腹痛い。見せてあげますよ、真の独裁政治をね

過半数占めただけですぐ独裁者って言うのもどうかと思うがまあ独裁的なことが可能な勢力になったつーことだよな

はしご外した」「逃げ出した」とか言ってるトンチンカンバカに比べると

これでも比較的正しく現状を理解している賢者側だと言うね…


余談

kowyoshi 後任の野田数Wikipediaを見たらアントニオ猪木に訴えられているとのことなので、猪木と泥沼の争いをしているサイモン猪木らIGFの面々は野田と組もう。ケンドー・カシンの出番だ!(やめろ) 政治 選挙 東京 地方自治 17 clicks

おまえはちょくちょくプオタだけど結構ネタがふるいよな。

いまの新日やWWEは新たな黄金期来てるんだから見とけよ見とけよ~

taka37564 これあれだろ? 家康が早々に秀忠に将軍の座を譲ったやつだろ。政敵に奪われる前に自分の息のかかった者に譲って内輪で固定。

はい、小池の説明としても家康の説明としても間違ってます。

家康の将軍の座を誰が奪えたんだよ?言ってみ?

関ヶ原終わって、家康の政敵って誰だよw

賢そうに見えると思って適当なこと言ってるせいで却って無知」と「しったかクン」が丸出しだからな?

おめーが現代の政治にも過去の歴史にも全然詳しくないのはそのコメントだけでよーく分かったからもういいよ。


まとめ

都知事として新たに選ばれたのに自民都議連を始めとした古い都議会露骨対立姿勢出したわけ。握手も拒否するガキ爺とかね。

その時点で民意蔑ろもいいとこなんだがじゃあ都議選で白黒つけましょうとなって、小池要請した子分団体圧勝して都議会入れ替わったの。

なのでこれから本格的小池都政が始まるけど、独裁臭しすぎるから子分団体の代表は予定通り降りたの。

これだけの経緯と情勢を把握してない幼稚園児達に道理説くのも疲れるの。

まだもうちょい書いてたんだけど字数多すぎっていわれたからもうイイや。

増田字数制限なんてあるんだね。

superabbit 大阪と全く同じルートを辿っていることに草生える

そのうち、都民ファースト議員不祥事ポロポロ出てくるんじゃないの。

小池の是非はともかく、

根性ある奴が飛び出してきて自分の政党作って勝利すること自体を「大阪と同じ」でまとめられたら未来永劫政治改革なんか出来なくねーか?

こうやって雑に共通点あつめて「全く同じ」って言う奴知恵遅れの極地だからしんで欲しいよな

この論法の究極はちょっと誰かが大勝したら「ヒトラーと同じ」ってやるあれだがバカにも簡単理解できるのでバカの多い世の中ではヒットする

麻薬みたいなものなので法律で取り締まった方がいいと思う

あと不祥事は出ないわけないだろ 小池も織り込んでいるだろよ

追記

hungchang 代表は野田氏に「戻る」としている報道も多かったもんなあ。/ 大坂の陣以前の徳川家に政敵は数多くいただろうよ。

いねーよwww あの時点で家康から将軍奪えるやつを具体的に言って見ろよwww

関ヶ原勝利して天下は決まったの。そこで初めて征夷大将軍になったの。もう徳川の世です。大阪の陣は後始末です。

2017-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

『こののち、後白河法皇義経を重んじ、頼朝追討の命令を下したが、これに失敗すると、頼朝はその責任を追及し、逆に義経追討の命令を得た。さら頼朝義経をかくまっていた奥州藤原氏を滅ぼそうと朝廷に追討の命令希望したが、法皇がそれを拒否すると、1189(文治5)年に頼朝は追討の命令を待たず、大軍をもって奥州藤原氏を滅ぼした。ここに全国を平定し、その後、法皇死後の1192(建久3)年に頼朝は念願の征夷大将軍に任じられた。』

頼朝悪人っぷりがこれでもか!?というぐらい強調されています。”

あいつは自分の野望を実現するため、ときには法皇に逆らって圧力をかけたり、朝廷命令無視して独断専行する奴だった、ということを言いたげな記述です。”

  

悪人っぷり? あいつは野望実現のため独断専行するやつだったと言いたげ??

私にはとてもそうは、そこまでとは読めないのですが、...敢えてのミスリードなのですか?

2017-06-05

続・山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの続き。(文字数制限にひっかかったので分割します)

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

1183(寿永2)年、義仲軍は京都に入り、食糧不足もあって狼藉を続けた。京都にとどまった後白河法皇後鳥羽天皇即位させ、寿永二年の宣旨頼朝東国での支配権を認めるとともに、義仲軍の乱暴ぶりを口実にして頼朝上京要請するなど、政治力の強化につとめた。しかし、頼朝東国支配を固めるために鎌倉を動かず、かわりに弟の範頼・義経上京し、1184(元暦元)年、二人は義仲を打ち破った。

義仲が京都乱暴狼藉を働いたという記述があるのは、意外にもこの教科書だけでした。

兵糧不足のまま進撃して首都占領しても、どうせ軍規が乱れて略奪しまくるぞというのは、日中戦争における南京事件南京大虐殺)のことを言いたいのかなと思いましたが、それは深読みのしすぎかもしれませんね。どうなんでしょう?

  

また、これは下記の引用部分になりますが、頼朝が初めて上京したタイミングがいつだったかを明記しているのは、この教科書だけだと思います

(この点はとりわけ山川の『詳説日本史』が最悪です。頼朝西国での平家追討の仕事をすべて弟の範頼・義経らにやらせ自分はその間ずっと鎌倉にひきこもって地盤を固めていたという基本的事項すらも把握できない書き方がされているんです。)

頼朝挙兵以来、北条氏三浦氏などの東国武士たちと主従関係を結んで、彼らを御家人として組織した。そして1180(治承4)年、御家人の統率と軍事警察担当する侍所を設けて、有力御家人和田義盛別当長官)に据えた。さらに1184(元暦元)年、一般政務をつかさどる公文所(のち政所)と問注所を開設し、実務に優れた下級官人らを側近にして職務を分担させるなど、支配機構の整備を進めた。

頼朝後白河法皇要請を受け、範頼と義経平家追討を命じ、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏を滅亡させた。後白河法皇頼朝権力拡大を恐れて義経を重用し、頼朝の追討を命じたが失敗した。逆に頼朝は、親鎌倉派の公卿九条兼実藤原兼実)らを朝廷重要政務担当する議奏につかせ、反鎌倉派の貴族追放し、義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた。さらに1189(文治5)年、頼朝義経をかくまったことを口実に藤原秀衡の子の泰衡を攻め、奥州藤原氏を滅ぼした。こうして頼朝東国西国の多数の武士御家人として組織しながら、主に東国支配確立していった。

1190(建久元)年、頼朝挙兵後はじめて京都に入り、右近大将に任命され、後白河法皇没後の1192(建久3)年には、法皇の反対で就任できなかった征夷大将軍に任命され、名実ともに鎌倉幕府が成立した。」

当然ながら『詳説日本史』にも、侍所政所問注所地頭というキーワードは出てきますしかし、治承・寿永の乱とは別項に記述されているため、時系列が分かりづらくなっています

それに比べて、この教科書歴史の流れの中にキーワードを配置しています。だから時系列に即してこれらの言葉意味理解することができるはずです。

  

結びが「名実ともに鎌倉幕府が成立した」という記述になっているのも、味わい深いです。

鎌倉幕府の成立が何年かという論争を垣間見ることができます名目的には1192年に幕府が成立したと言えるが、実質的にはそれ以前から幕府政治機構ができあがっていたというニュアンスを含ませているのでしょう。

  

  

  

あとは、上記引用中の「義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた」という記述が最高にクールです。

一般には1185年、義経の捜索を名目にして守護地頭が設置されたとされていますし、国ごとに置かれた役職地頭ではなく守護だと暗記している人が多いんじゃないでしょうか?

例えば山川の『詳説日本史』はそうなっています。それによると、頼朝は1185年に「諸国には守護を、荘園公領には地頭を任命する権利」を獲得したとされています守護は「おもに東国出身の有力御家人から選ばれて「原則として各国に一人ずつ」任命され、「大犯三箇条などの職務を任とし」て国内御家人を指揮統率し、とくに東国では在庁官人支配することで「地方行政官としての役割も果たし」ました。いっぽう、地頭は「御家人のなかから任命され、任務年貢徴収・納入と土地官吏および治安維持」です。「頼朝は主人として御家人に対し、おもに地頭に任命することによって先祖伝来の所領の支配保障したり(本領安堵)、新たな領地を与えたりした(新恩給与)」わけですが、このことが御恩と奉公関係となって封建制度の基礎となりました。

  

ところが、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)によると、ここの説明がこれとまったく異なります。私が先に引用した項では、1185年の出来事として守護の設置には言及せず、地頭の設置だけが記述されていますしかもその"地頭"は国ごとに置かれたものだとされているのです。

私は最初にこれを読んだとき、わけがからなくて混乱しました。それでがんばって自力で調べてみて(独学なので苦労したナァ)ようやく理解できたのですが、1185年の文治の勅許守護地頭が置かれたとする『吾妻鏡』の記述には疑いがあり、実はこれがかつて学者の間でも論争になったテーマだったらしいのです。

1960年石母田正が新説を発表したのですが、おおざっぱに言うと、新説では、この時点で置かれたもの守護地頭ではなく、地頭(国地頭)だったとしています。それはわれわれが普通一般に知っている地頭(荘郷地頭)とは異なり、一国を統括する強大な権限を持つ存在です。この国地頭はすぐに廃止され消滅しましたが、守護前身となりました。

三省堂教科書は、次項でそのことが説明されています頼朝がはじめは国ごとに"地頭"を派遣して荘園国衙領のいずれからも兵糧米を徴収させていたこと、そのやり方がひどすぎたから反発を招いて、以後は"地頭"に代わるものとして守護を置いた、という記述になっています。またこれに続いて、頼朝は「荘郷地頭と呼ばれる地頭を任命し」、平氏没官領や謀反人の所領跡で「年貢公事徴収治安維持に当たらせた」としています

このように、三省堂教科書では、「国地頭」と「荘郷地頭」をはっきりと区別しているのです。

  

実教出版もこの新説を採用していますこちらも合わせて読んでおくと、国地頭のことが大変よく分かります東京出版は本文の記述が旧説に拠っていますけど、欄外では国地頭が惣追捕使とならび、守護前身として存在していた話をちょこっと説明しています。これらの教科書は「国地頭」論争の成果を取り入れており、学問的に誠実だと思います

それに対して山川の『詳説日本史』は旧説を採用し、1185年に守護地頭の設置が認められたとする断定的な記述になっています。これが他の教科書とのあいだに無用矛盾を生じさせているのです。私と同じようにこの点につまづいて、困惑してしまった高校生が少なからずいるんじゃないでしょうか。

  

なお、山川参考書『詳説日本史研究』にもこの新説の紹介はありません。同社『日本史B用語集』には「国地頭」という用語掲載されていて、そこでは一応説明がされているんですが、あたかも国地頭が荘郷地頭前身だったと思わせるような記述です。

地頭(じとう)⑪:1185年、頼朝要請後白河法皇諸国公領荘園地頭を設置することを認めた。当初は1国単位荘園公領支配する国地頭を設置したが、まもなく平家一族の所領として没収された平家没官領と謀反人跡地に限定した荘郷地頭となった。しかし、公家寺社の強い反対で、一時縮小、承久の乱後に全国化した。任務土地管理年貢・兵糧米の徴収治安維持など。

地頭⑤ 荘郷地頭

  

山川出版日本史B用語集』より

ですが三省堂実教出版東京書籍教科書によると、国地頭はむしろ守護へと発展的解消を遂げたという記述なんですから、『日本史B用語集』のこの説明とはやはり若干の矛盾が生じています

「国地頭」を教科書に載せている上記の主要3社の文脈に従うなら、この用語独立の項目として取り扱うか、せめて「地頭」の項目じゃなく「守護」の項目にいれて取り扱うべきじゃないでしょうか。

  

(追記 これはインターネット上の情報なので私は未確認ですが、現在は『詳説日本史』にも国地頭掲載されているそうです。近年改訂されたんでしょうか。

予防線として言っておくと、私は高校日本史Bを履修しなかったし、大学歴史学勉強したわけではありません。高校時代文転して受験するかと生半可に考えていて(結局やめたけどね)、興味本位教科書を読んでみただけの素人です。

さいしょの方でも書いたとおり最新版教科書を持ってません。はてブでバズっていてびっくりしましたが、このエントリ専門家レベルのものとして受けとるのは、恥ずかしいのでやめてください。

再追記。id:HRYKtbykさん、確認をしてくださり感謝。)

  

  

  

(追記2

複数教科書を読み比べすることで、『詳説日本史』を読むだけでは見えないポイントが浮かび上がってきます

『詳説日本史』では、前九年合戦後三年合戦のところで、「これらの戦いを通じて源氏東国武士団との主従関係を強め、武家棟梁としての地位を固めていった」とあります。これが後の頼朝挙兵につながるわけですが、それは時代を経てからのことだから教科書のページが離れすぎていて、この関連が把握しづらくなっています

ここで例えば山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)のような他の教科書と読み比べてみると、『詳説日本史』がこの簡潔な一文を通して伝えたかったことを理解することができるのです。(上述参照)

  

つぎは例えば、貫高制・石高制を見てみましょう。

『詳説日本史』によると、戦国大名性格は次のように説明されています戦国大名は「新たに征服した土地などで検地をしばしばおこなっ」て、それにより「農民に対する直接支配」を強化しました。そして国人地侍を取り込むため、貫高制を導入しました。これは戦国大名が彼らを「貫高という基準統一的に把握」して軍役を課す制度でした。それでここからすこし時代下り、別のページで豊臣秀吉太閤検地説明しています太閤検地により石高制が確立しました。それは「荘園制のもとで一つの土地に何人もの権利が重なりあっていた状態を整理」し、「一地一作人」を原則とするものです。農民は「自分田畑所有権を法的に認められることになった」わけです。

このような記述だけでも表層的な理解はできると思いますが、実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)は、貫高制について「荘園の複雑な土地制度は貫高に組み込まれ大名統一的な国内政治を推進」するものとしています。『詳説日本史』ではせいぜい石高制と荘園制の関係しかからないでしょうが、本書はこのように貫高制と荘園制の関係を明示しているのです。

この視点を最もわかりやす記述しているのが、三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)です。本書は貫高制、石高制、荘園制の全部を一つの項目に入れて記述しています。それによると、秀吉太閤検地を行い、「戦国大名の貫高制にかわって、それを発展させて全国に広げた石高制」を導入、その結果「荘園制を完全に崩壊させ」ました。このポイントを把握しておけば、中世から近世への社会の変化を、土地一元的支配確立荘園制の衰退・消滅という視点で見ることができます。本書の特徴は、貫高制・石高制をともにこの視点から語っていることと、しかもそれが荘園制を「完全に崩壊させ」たと言い切っていることです。

ちなみに、東京書籍日本史B』(日B 004)では、石高制を「近世封建制体制原理」と書いています。これがまったく新しい制度であることを強調しつつ、近世という言葉を使ってその射程を江戸時代にまで広げているのです。)

2017-06-04

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

山川出版の日本史いかに凄いかについて情熱的に説明する」

http://blog.tinect.jp/?p=40198

はてなブックマークの人気記事だったので開いてみたのですが、驚くほど中身のない記事でした。

これ、おっさん居酒屋でしゃべっているレベルですよね??

『詳説日本史』を引用するなり参照するなりして、具体的にどこがどうすごいかを語ってほしかったです。

僕も10代の頃はあれが本当に理解できなかった。けど今ならああい教科書が作り続けられる理由がよくわかる。物事を語るにあたって、中立を維持しようとするとなると、事実しか語れなくなるのである

ストーリーというものは、基本的には何らかの価値観を元に構築されるものである日本民族いかに優れているかという視点で歴史を分析すると、それは右翼的な記述にならざるをえないし、平等であろうとすれば、それは左翼的価値観を元に記述せざるをえなくなる。

客観的な記述がされている、左右に偏向していない、中立だからすごいゾ、という感想には呆れ果てました。

いったい全体、どこが情熱的ですか? 教科書を読み返さず、いい加減な記憶をもとに語っても、多分これくらいのことは言えると思います。 

  

クソ記事を読んでしまい、あんまりにもムシャクシャしたので、私が自分で『詳説日本史』を引っ張りだしてきて調べました。

例えば「源平の騒乱」という項目は、次のように記述されています

平清盛後白河法皇幽閉し、1180年に孫の安徳天皇を位につけると、地方の武士団中央貴族・大寺院のなかには、平氏の専制政治に対する不満がうずまき始めた。この情勢を見た後白河法皇皇子以仁王と、畿内に基盤を持つ源氏源頼政は、平氏打倒の兵をあげ、挙兵を呼びかける王の命令(令旨)は諸国の武士に伝えられた。

これに応じて、園城寺(三井寺)や興福寺などの僧兵が立ち上がり、ついで伊豆に流されていた源頼朝信濃の木曾谷にいた源義仲をはじめ、各地の武士団挙兵して、ついに内乱全国的に広がり、5年にわたって騒乱が続いた(治承・寿永の乱)。

平氏は都は福原(現・神戸市)へと移したが、まもなく京都にもどし、畿内を中心とする支配を固めてこれらの組織に対抗した。

しかし、畿内西国を中心とする養和の飢饉や、清盛の死などで平家の基盤は弱体化し、1183年(寿永2)年、平氏北陸で義仲に敗北すると、安徳天皇を報じて西国都落ちした。やがて、頼朝の命を受けた弟の源範頼義経らの軍に攻められ、ついに1185年に長門の壇の浦で滅亡した。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

ここには明らかに編者の歴史観と、因果関係説明が詰め込まれています

  

まず、平清盛後白河天皇幽閉したこと、安徳天皇即位させたことは、この教科書では「平氏の専制政治」と評されています

当時の人たちがそう感じていたのか、それとも教科書の編者がこの評価を下しているのか、どちらなのか判然としませんけど、ともかく本書はこの評価にもとづいて記述がされています

  

次に、この「平氏の専制政治」が地方の武士団中央貴族・大寺院の不満につながって、 以仁王源頼政はそういう情勢を見たので挙兵したと書かれています

これはまさしく因果関係に言及しているわけです。

  

このように、教科書は単なる事実の羅列ではありません。歴史に対する評価因果関係がしっかりと述べられているのです。

そこにどういう学問的な裏付けがあるか、歴史学に無知な私はよく知らないです。あのブログ記事ではそのへんの話を説明していると思ったのですけど、まったくの期待外れでしたね。

  

なお、この教科書とおなじ編者がつくった参考書『詳説日本史研究』(山川出版社)によると、次のように説明されています

治承・寿永の乱は、一般には源氏平氏の戦いといわれている。しか歴史学的にみた場合、この全国的な動乱を単に源氏平氏勢力争いとみるのは正しい理解ではない。以仁王挙兵以降、軍事行動を起こすものが相次いだ。美濃近江河内源氏若狭越前加賀の在庁官人、豪族では伊予の河野氏・肥後の菊池氏である。彼らはあくまでも平氏の施政に反発したのであって、はじめから源氏、とくに源頼朝に味方したわけではない。彼らの背後には在地領主層があり、在地領主たちは自己の要求を実現するために各地で立ち上がったのである

彼らの動向をまとめあげ、武家棟梁となる機会は頼朝以外の人、例えば源義仲源行家、あるいは平宗盛にも与えられていた。頼朝が内乱に終息をもたらし得たのは、彼こそが在地領主層の要望に最もよく答えたからである。この意味で幕府の成立は、時代の画期ととらえることができる。

教科書である『詳説日本史』では、これがたった一文にまとめられているのです。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

こういう史観が妥当なのかというのは、私にはちょっと分からないんですが、この点を強烈にプッシュしているのが『詳説日本史』の特徴と言えるでしょう。

他の教科書を読んでみても、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)を除き、この史観はあまりプッシュされていないと感じました。

  

【参考文献】

山川出版社『詳説日本史』(日B 001)

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

東京書籍日本史B』(日B 004)

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

桐原書店新日本史B』(日B 011)

(このエントリは上記7冊を参照しています。いずれも平成22年ごろ購入。)

  

  

  

余談:教科書の読み比べ

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

伊豆に流されていた源義朝の子・源頼朝も、妻・北条政子の父北条時政とともに挙兵して南関東を掌握し、10月には源氏根拠地鎌倉に入った。頼朝は父祖以来の結びつきを背景に、三浦千葉上総氏などの有力な東国武士主従関係を結んで御家人とし

頼朝の挙兵が、東国武士との「父祖以来の結びつき」を背景にしていたものだったということは、他の教科書ではなかなか分からないと思います

三浦千葉上総という武士名前が沢山出てくるのもおもしろいですね。(三浦氏名前が出てくる教科書は多いですが、それはこの時点ではなく幕府成立後、十三人の合議制か、宝治合戦ときに唐突に登場します。)

[寿永二年十月宣旨から義仲滅亡までの]この間、鎌倉の頼朝は没収した平氏の所領(平氏没官領)を法皇より与えられ、経済基盤を固めていった。また御家人を統制する侍所を設置し、その長官である別当には和田義盛を任命した。これに加えて、行政裁判制度を整えるための公文所(のちに政所)・問注所がおかれ、その長官にはそれぞれ京から招かれた朝廷の役人である大江広元三善康信就任した。前後して、義経軍らは一の谷・屋島平氏を追い、1185(文治元)年に壇ノ浦平氏を滅ぼした。

[]は引用者註。

この教科書の特徴は、幕府の政治機構の形成過程を、治承・寿永の乱の進行に併記していることです。

鎌倉幕府の成立が1192年(いいくに)なのか、1185年(いいはこ)なのかという論争は、世間でよく知られているぐらい有名になりました。どちらが正しいかは諸説あるとしても、ただ一つ言えることは、どこかの時点でいきなり幕府が完成したというわけではありません。治承・寿永の乱が続いていた期間に、徐々に幕府の政治機構が形成されたのです。この教科書はその史観が反映されています

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

北条時政の援助によって挙兵した頼朝は、東国武士たちに支持されて、富士川の戦い平氏を破ったが、その後は鎌倉にとどまって、東国地盤を固めることに専念した。これに対して平清盛は一時、都を福原神戸市)に移して態勢を立てなおそうとしたが、まもなく京都に戻り、1181(養和元)年に病死した。一方、義仲は1183(寿永2)年、北陸方面から急進撃して、平氏一門を京都から追い出した。しかし、義仲は後白河法皇対立したので、法皇は同年、頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め、義仲追討を命じた。頼朝は弟の範頼・義経らを上京させて、義仲を討たせた。範頼・義経さら平氏追討に向かい、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏一門を滅ぼした。

この教科書歴史用語の詰めこみを回避しているようで、内容は簡単、文章としても平易です。

上記引用でも分かるとおり、「頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め」という記述があるくせに、寿永二年十月宣旨というキーワードがありません。治承・寿永の乱、一の谷、屋島の戦いなどは年表に記載されていますが、本文中に記載なし。養和の飢饉、平氏都落ち安徳天皇を伴ったことも言及なし。

というわけで受験生には不向きですが、他の教科書にはない特色もあります

  

鎌倉将軍に尽くして家人となった武士のことを、鎌倉御家人といった。鎌倉御家人になる目的は、将軍面接して(見参)、先祖伝来の所領を承認してもらい(本領安堵)、さらに勲功のあった者は新たな所領を恩賞としてうける(新恩給与)ことにあった。

教科書の中では唯一、桐原書店けが「見参」を掲載しています。これは鎌倉幕府の権威の構造がどういったものであったかを知るための手がかりになるかも。

(他の教科書ではこの用語がないどころか、「将軍面接して」という説明も省かれています

  

["新恩給与"についての註]

土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権を与えられるのが普通で、そのおもなものが地頭職であった。

これは「職の体系」のことを言っています。他の教科書とは違って、地頭をあえて「地頭職」と見なす視点を紹介し、その意味するところを簡潔に説明しているのがすごい!

所有権が重層的に重なりあっていたというのは、中世土地支配構造を知るうえで一番大切なポイントだと思います

なお、山川出版の『日本史B用語集』には「職の体系」という用語は不掲載で、かわりに「職」の項でそれを説明しています

職(しき)②:一般に職務に伴う土地からの収益とその職務自体を指す。荘園場合、有力者への寄進が何回も積み重なり、下記のような複雑な職の改装秩序を生じた。

本家職①、領家職②、預所職②、下司職②、荘官職①

  

[引用者註:丸の数字はこの用語を掲載している教科書の数]

山川出版『日本史B用語集』より

この説明は悪くないと思いますが、桐原書店は「土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権」のことと明記しているので、その方が的確です。

しかも、いかんせん、『日本史B用語集』は「職」の用語説明を「院政期の社会文化」のページに掲載しているので、これと鎌倉時代の地頭職との関連が全然分からないです。そして「鎌倉幕府の成立」のページにある「地頭職」の用語説明は、次のようになっています

地頭職(じとうしき)⑤:職とは役職に伴う権益意味。地頭職は御家人が地頭に任命されて認められた兵糧米の徴収や免田(給田)経営などの権利

  

山川出版『日本史B用語集』より

これは間違っていませんけど、この説明を読んで、重層的な土地支配構造があったことを理解できますか? 絶対に不可能ですよね?

せめて「職」「地頭職」という用語同士を紐付けて相互参照させてほしいです。ふざけんなってかんじです。

  

さて、桐原書店教科書に話をもどすと、欄外にこういう豆知識も載っています

幕府とは、近衛府の唐名であるが、転じて近衛大将の居館のことをいった。のちには近衛大将とは関係なく、武家政権意味する語となった。頼朝は1190年に上洛し、右近大将に任ぜられたが、まもなく辞任した。

[ふたつの源頼朝像]

Aについては南北朝時代武将とする説もあり(伝・藤原隆信筆,京都神護寺蔵)、Bも注目されるようになった(山梨甲斐善光寺蔵)。

とてもユニークですね。受験には使えないかもしれませんが、知っておいて損はないです。

  

  

  

東京書籍日本史B』(日B 004)

養和は平氏政権が用いた年号で、これを認めない頼朝の支配する関東では、ひきつづき治承の年号が用いられた。

網野善彦著作『東と西の語る日本の歴史』に、たしかこの話があったと思います

他の教科書には載ってませんが、ピンポイント東大入試に出題されました。

  

源氏鎌倉の関係は、源頼信のころに源氏氏神となった石清水八幡宮を、前九年合戦の際、子の頼義が相模国由比郷に勘請して鶴岡若宮八幡宮前身)を建設したことから始まった。鎌倉は前面に海をもち、三方を山にかこまれた要害の地で、切通によって外部と結ばれていた。

鎌倉という土地をこれだけ情熱的に語っているのは、東京書籍教科書だけです。

上記引用とはまた別に、「コラム 武家の都鎌倉経済流通」というのも掲載されています

東大入試では、「院政時代から鎌倉時代にかけての京都と鎌倉都市の発展」について論述させる問題が出されたことがありますが(1990年)、この教科書はその答案を書くうえで非常に役立つものだと思います

  

  

  

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

こののち、後白河法皇義経を重んじ、頼朝追討の命令を下したが、これに失敗すると、頼朝はその責任を追及し、逆に義経追討の命令を得た。さらに頼朝は義経をかくまっていた奥州藤原氏を滅ぼそうと朝廷に追討の命令希望したが、法皇がそれを拒否すると、1189(文治5)年に頼朝は追討の命令を待たず、大軍をもって奥州藤原氏を滅ぼした。ここに全国を平定し、その後、法皇死後の1192(建久3)年に頼朝は念願の征夷大将軍に任じられた。

頼朝の悪人っぷりがこれでもか!?というぐらい強調されています

あいつは自分の野望を実現するため、ときには法皇に逆らって圧力をかけたり、朝廷命令無視して独断専行する奴だった、ということを言いたげな記述です。

  

それはともかく、奥州藤原氏を守ろうとした法皇朝廷側と、それを潰そうとした頼朝の厳しい対立がわかるのは、この教科書だけでしょうね。

両者のぴりぴりした緊張関係が伝わってきます

関西にある政権東北地方を使って、関東独立の動きを牽制するというのは、日本の歴史において繰り返し出てくるパターンなので、この視点を漏らさず記述しているところはアッパレ

  

  

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

平氏安徳天皇を奉じて西国に落ちていったが、後白河法皇は京都にとどまり、新たに後鳥羽天皇をたてて政権を維持した。法皇は義仲には平家追討を命じるいっぽう、頼朝には上京をうながして、京都の義仲に対抗させ、武士たちをたがいに牽制させて政局の主導権をにぎろうとした。しかし頼朝は、東国の安定に意をそそいでみずからは鎌倉を動かず、弟の範頼・義経を上京させて、1184(元暦元)年、義仲を討たせ、源氏一族の長となった。ついで義経らは、その当時勢力回復して都にせまっていた平氏を一の谷・屋島などの合戦でやぶり、さらに翌1185(文治元)年にはこれを長門壇ノ浦に追いつめて滅亡させた。

この時代に2人の天皇が同時に存在していたとする視点を取り入れているのがナイス

都落ちした平氏はそのままあっけなく滅んだわけじゃなくて、京都にいる天皇とは違う天皇を奉じて勢力を盛り返していたのです。

どちらの天皇が正統かというのは、つまるところ結果論にすぎません。この教科書はそんな歴史観に基づいて書かれています

  

ちなみに、この教科書の編者は、大半が関西教育機関に属する人たちみたいです。後白河法皇平氏を主軸にした書き方は、編者の関西びいきが反映した結果なんでしょうか。(笑)

例えば奥州合戦について、「奥州進撃のために頼朝は東国だけでなく西国武士もひとまず鎌倉に動員し、これを機会に国ごとに御家人組織の整備をいっそうすすめた」とありますさら西国御家人東国御家人とどう違うかを説明しているのもおもしろく、この教科書関西中心っぽい史観は独特です。

  

  

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

……って、おい!? 増田がここで文章を掲載できなくなったんだが??

せっかくこの先が本番なのに、文字数の上限なのだろうか。

つづき→http://anond.hatelabo.jp/20170605001028

2015-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20150613224827

つの時代のどの殿なのかはっきりさせないと。

征夷大将軍クラスも「殿」

国主クラスも「殿」

藩主も「殿」(藩の大きさは1万石から百万石まである

江戸時代以降の藩主クラスの殿は、転勤ありの世襲地方公務員幕府から命令で部下を引き連れて転勤していた。

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