はてなキーワード: 大垣日大とは
絶対死人が出る。
ヨボヨボのお爺ちゃんじゃん。
もはや勇退が先かベンチで息を引き取るのが先かのチキンレースだよ。
ただ、選手達の夏の甲子園への憧れはとてつもないもので、あそこには小学校に入るか入らないかの時から夏の甲子園に憧れ続けた選手が800人以上集まってる。
そこに危険だからやめろなんて言っても誰も納得はしないんだよな。
危険だとわかってやらせるのが大人のやることではないのは当然だけど、大会の姿を変えることで選手達が悲しむのを知っててやるのもまた大人のやることではないからね。
少なくとも、全国高等学校野球選手権大会は今後甲子園でやることはないですと言って、強豪校を中心にほとんどの球児が納得してくれるような状況を作らないといけない。
まぁ、出来ることと言ったら夏の報道量を減らしてその分センバツや神宮大会の報道を増やして、それらの大会の形態も変えて、もっと夏以外の大会に憧れてもらうようにするしかないのかな。
春も夏も新聞社が主催してるんだから、そういう情報操作は得意でしょ?
まだ生まれていない、未来の高校球児が持つ高校野球全体への憧れや熱意の総量を減らさずに、異常なほどの夏偏重の考えをなくしていかないといけない。
100年以上続く歴史によって作られた強固なブランドイメージに立ち向かうのは容易いことではないけど、やる前からああだこうだ言っても意味ないからね。
みんなも夏の甲子園は危険だからやめろって言うなら、夏の価値を相対的に下げるために、もっとそれ以外の高校野球の話をしようよ。
先のセンバツ選考で、大垣日大と聖隷クリストファーが話題となっている。比較の結果落選となった聖隷クリストファーには各界から応援の声が多数寄せられているが、逆転での選出となった大垣日大には心無い言葉がこれでもか!と投げられている。
前提として、大垣日大は加害者ではない。センバツの選考は各高野連の選考委員が行っており、そこに大垣日大が入り込む余地は無い。自分の事を聡明であると思い込んでいる諸氏が「日大」繋がりで裏金を連想していようが、現状はただの妄想である。
しかし、各種SNSでは大垣日大"に"非難が集まっている。これはずいぶんとおかしい。「辞退しろ」「一回戦で大阪桐蔭に大敗すればいい(巻き込まれた大阪桐蔭も良い迷惑である)」といったものはもちろん、キャプテンの意気込みにまで批判が集まっているのは、どう考えてもおかしい。言葉を選ばずに言うと、本当に気持ちが悪い。
「英断」「大人の対応」「自分が当事者だったら」...大人達があらゆる表現を使って辞退を促していることに、なぜ違和感を持たないのか。私にはどうしても分からない。
東日本大震災直後の2011年3月に開催された春の選抜高校野球の第一試合の東北高校(宮城)VS大垣日大(岐阜)を思い出した。
震災直後の東北復興を背負った東北高校であったが、結果は7-0でボロ負けして終わった。
当時は「夢も希望もないのか」と大垣日大は叩かれていたが、私元増田は逆に試合結果について大笑いしていた。
大震災の後の試合ということもあり、世間の雰囲気・空気としては「何としても東北高校に勝ってもらって、被災地を元気にしてほしい」というものであった。
試合前の大垣日大高校には、試合にわざと負けろという電話がかかってきたとのこと。
監督や先生たちは生徒達に世間の空気をわからせないようにするものであるが、多感な高校生たちはやはり雰囲気・空気を感じ取ってしまうもの。
その雰囲気・空気に反発した大垣日大の選手たちは、日本中が注目している中で東北高校を完膚なきまで叩きのめしてやろうという気持ちになったのだろう。
終盤の6点差で盗塁するとか、明らかに世間に対する反発心の現れだったよね。
そのことを踏まえて、昨日の甲子園決勝の大阪桐蔭-金足農高の13-2の試合のことを考えてみたい。
決勝試合前から、新聞やテレビなどのメディアは金足農高一色であった。
「東北史上初の優勝なるか」「優勝旗が白河の関を越えるか」「全員地元の金足農高と、全国から有力選手を集めてきた大阪桐蔭」・・・。
大阪桐蔭の選手達からすれば、自分たちこそ優勝候補で注目されて当然だと思っていたのに、ポッと出の金足農高ばかり注目されている。
当然面白くないよね。
大阪人から見れば、東北の秋田なんて東京の植民地みたいな場所だから、怒りも数段上がることになる。
大阪人は東京自体には反発はしないが、東京の威を借る東北や甲信越の腰巾着に対しては本気で怒っているフシがある。