遺伝的に知能が高かったりすると中卒人生に向いていないのかもしれない。
ヤンキーで進学する気がない
などを筆頭に、親が宗教にハマッっていたり人格障害で荒れていたりすると小学校すらちゃんと通えていなかったりもする。
成人してある程度自由を得ることで、やっと人並みの努力ができる状況になる人もいる。そんな人はとりあえず根性がある。
根っから性格が破綻していなければ、常識がなくても世間に揉まれて最低限身につくし、コミュニケーションだって人並みに取れるようになる。
そこまで行って軌道修正できた後におかしな方向に進む人もいる。バランス感覚を身に付けることが出来なかったタイプ。
経験と知識が著しくアンバランスなのが自然体で、それを自覚する機会と縁の薄い生き方をしている。
学歴コンプを原動力とした知識欲なのか、あれこれインプットしては物事を拡大解釈する。その先には自己完結。
そして、それを仮説にとどめるブレーキが緩い。
学歴コンプがなければ、知識を糧にしようと背伸びして人と摩擦を起こしたとしても、「頭がおかしい」のような事を言われるだけだと見えない評価の予想ができるけど
学歴コンプが強いことで「中卒であることを馬鹿にされている」と受け止める部分があり、反発心と妄執で更に知識を求める。
知識欲が自己啓発やスピリチュアル、心理学に向かうと手が付けられなくなったりする。
「それらは多くの人が年頃に一度は興味を持ったりするもの」という観点が無いのか、救いを求めて手を出しているからか特別視していたりする。当人は特別視はしていないつもりで。
そういったものの危険な面を表面的に理解しつつも、経験が伴っていないため安全装置的なカンが鈍く深みにはまる。
学歴コンプを跳ね除けるべく努力した先が、頭でっかちの理想家。
ボキャブラリや見聞きしただけの観点ばかり増えてしまい、いわゆる『自分の考え』はほぼ空論
社会や他人の問題に対して、知的な振る舞いで問題視することが趣味になり、そうして自身の負い目を間接的に慰める。
「言う側」に立つことで精神の安定を保っているのかもしれない、エゴが肥大することを代償にして。
不都合な実態を他人の目から隠しても、自身はそれと常に付き合っている。
そうして、言行不一致による矛盾が増えては誤魔化すことを繰り返し、普通なら感じる限界の先に行くと巧妙な開き直りを思いついてしまう。
それは麻薬中毒者が幻覚の規則性を見抜いた錯覚のようなものだけど、乏しい経験に加わる「発見という経験」は正解に感じやすい。
そんな狂った感性を生産的な方法で昇華する手段、職業的なモノサシでも持っていないと、次のステージに進んだことにも気づけない。
良かれと積み重たものは、妄執に振り回されて行った一夜漬け的な努力の塊で、そこから生み出されるエピソードが