はてなキーワード: ノートパソコンとは
まだ起訴前なんで、特定される情報はぼかすけど、気の毒に同じ車両に乗ってた人なら判る程度にちゃんと書く。
ちょっと前の金曜日、会社帰りに帰宅の為に会社最寄駅から電車乗った。
会社最寄駅は始発の駅で、タイミングが良いと並んでても座れる時がある。
混みそうな時間帯にも関わらず、幸いにも端っこの隣の席に座ることが出来た。
出発まで5分ほど、背負っていたリュックを膝上に置き、スマホで技術系ブログなどを漁る。
インターネット中毒なのか、外界の景色が見えなくなる程に熱中して読んでしまう時がある。その時もそうだった。
電車が動き出したのは覚えてる。後、隣の人が若干臭かったことも。
始発駅から1つ目の駅を出た頃、隣に座っていたおっさんが動いた。
一瞬そっちを見るが、立つのか伸びをしているのかと判断して、視線をスマホに戻そうとするその横で、振りかぶって返ってくる肘。
まさか、電車で全く知らん人、ましてや無害だろうと判断した人からの突然の攻撃に備えられるはずもなく、目で追えていたものの、顔面にクリーンヒット。
考えさせてくれる暇も与えられず2発目。
突然脳天を揺さぶれ、顔面にモロにくらい、茫然自失、戦意喪失。
おっさんは更に立ち上がり、殴り始める。
引く周りの乗客。
一通り殴って気がすんだのか、平然と座る男。
俄然高まる緊張感。
その後は、おっさんから引き離す様に立たせて、間に入ってくれた果敢な男の人に全てを任せ、立ち上がり再び威嚇するおっさんが取り囲まれ、駅のホームに取り押さえられる様を他人事の様に見てた。
犯人が暴れてるので、取り押さえ男衆に混じり4人掛かりで抑え、警察に引き渡す。
殴られて顔腫れてるわ、もみくちゃにされて片目のコンタクト失くされてるわ、後頭部の鈍痛がある中、警察官の尋問で、待たされ続ける。
取り敢えず早く病院行きたかったのに、やっと出てきた警察官渋る渋る。
自分で呼んだ方が良いよとか言われたが、上司が応援にきてあっさり承諾。なんじゃそりゃー。
取り敢えず、CT異常なし。
この時点で、23時過ぎ。
一昔の前のアイドル風な風貌に、マル暴で鍛えられた静かな迫力。
不器用にノートパソコンに調書を書いてくれ、2時過ぎまで対応してくれた。
途中、長過ぎてもう適当で良いよーと思ったり、感謝はしつつも調書もAmazonレビューポエム的な、拘りがあるのかなーとか思ったりしてた。
2時半頃、調書も被害届けも書き終わり、送ってくれることに。
本部長さん、今朝5時から働いてるのに、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。本当にありがとうございました。
警察官や刑事さんも、みんな言ってたが、本当に死んでしまえと思った。
あと、何にも出来なかった、やられた後に反撃さえ出来なかった自分が情けなくて、何か本当に悔しい。
最近、というかずっと以前からファンタジー世界を脳内で作り上げることが日常になっている。
昨日は、そのファンタジー世界から数千年経って、改めて作り上げられた文明が現代社会に近くなりファンタジーも廃れてしまった世界の中で魔術師同士が戦うというラノベ的な空想をして、「あぁ!じゃあファンタジー世界の主人公だった奴を後半に敵キャラとして出せばいいじゃん!」とか脳内で盛り上がっているところで仕事場に着いた。
現実逃避の一環で、自分の中で作り上げられている世界を再考していっている。異常だ。
仕事の方はどちらかといえば単純作業が多いので、頭を使うというより、機械的に作業をこなすことの方が多い。
なので気付いたら日が落ちているということも多く、帰宅すれば肉体的疲労に苛まれる、汗臭いのを嫌うのでシャワーを浴びた後は殆ど布団の上である。
このファンタジーを文字に起こしたいんだろうな、とは思っている。しかし、身体はもう付いてこない。
脳内で終わりかけているのだから、もうその時点で俺のこのファンタジーやラノベ的空想は終焉を迎える。今度想像するのはどんな世界なのだろう。そして、そのどれも形作らずに消えていくのだろう。
なんだか昔見たビビアンガールズの作者みたいな死に方しそうだなぁとは思う。しかし最悪なのはビビアンガールズすら手元にないまま死ぬことが確定していることだ。出来ても謎の文書がノートパソコンか、メモ帳かから見つかったりするぐらいだろう。
あらゆる貧困を抱えた馬鹿というのはこういう死に方をするのがザラなんだろうな。私にはパソコンやインターネット環境があったからまだ言葉に出来たのだろうけれど。それでも、発想したものも貧困であれば行動も貧困そのものだ。
「明日に影響するんじゃないの?」とかそういうことを考え出してしまうのはもう物作りをする諸段階から作業から崩れ去っている。こんな場で愚痴を吐く様に自分を否定している。
物作りは常に行っていかなければならない。そうしなければ、物の仕組みを理解しなくなるからだ。
物作りは絶対にやり遂げなければならない。そうしなければ、途中でやめるこ
絶対に迷ってはならない。迷わず行けよ、行けばわかるさ。ってのは筋肉馬鹿の一言じゃない。先を歩いて失敗を経て成功した人間の言葉なんだ。
だけど、なんだか進めないんだ。ここ数日、数年、生まれてこの方。
はじまりは大学生になってから。一人暮らしになったのをいいことに、新品のノートパソコンで昼夜を忘れてエロいサイトを見まくった。まあこれは10代の男としてはよくある話だと思う。
その後、働くようになってからは規則正しい生活をするようになって、エロサイトとはほどほどのお付き合いになった。
分岐点は結婚して自宅で自由にそういうものを見られなくなったことと、大画面のスマホに変えたこと。
自分の職場は特性上、スマホは比較的自由にいじれる。またパーテーションがしっかりしているため画面を覗かれる心配は少ない。
最初はちょっと艶めかしい二次絵を見ていただけだった。それがだんだんエスカレートして、完全な18禁サイトを見るようになった。これが止められなくなった。
エロサイトの情報は膨大で、すぐに流れてしまう。それを仕事の合間合間に惰性で追ってしまう。もちろん自慰行為に及ぶわけではないので見ているだけ、時々お気に入りの画像があると保存する程度だ。おそらく1日計2時間くらいはそういうエロ絵を眺めていると思う。
これから子どもが大きくなったら親のスマホをいじってバレるかもしれないし、一応周りを気にしてはいるが公共の場で画面を覗かれるかもしれない。でも自分の意思で止められる気がしない。
追記2:
結局、電車内携帯通話反対派の人は、私に死んで欲しいんでしょ?あ、何言ってももう無駄だから。私は、あなた方は私に死んで欲しい人たちで、私の死体を見て嘲笑う人たちだと思いますので、そこのところよろしく。
この国、ルール違反を犯した人間には、自殺するまで容赦なくリンチするから、怖いわー。あんたらで、日本背負って頑張ってねー。自分は、もう飽きました。何を提案してもダメ、ルール違反した人間は決して許されない。どうせ許してくれないなら、別に死んでも文句言うなよな。
追記:
座りながら電話したことに引っかかってる方が多いみたいだが、航空券のe-ticketをノートパソコンで表示して航空会社に伝えないといけないので仕方がなかった。まぁ、それでも、そういう人は、そんなお前の仕事の都合しらねぇよ、お前が自殺すればすべてすむんだよ、と言いそうだが。何を言っても私にも落ち度があったことには変わりはない。私はどうすればよかったのか?電車内で謝罪のために身を投げて自殺すればよかったのか?
航空券五万円は緊急に入らないとか、電車内での通話を禁止しようと考える人たちは、私に同情しないということだから、私の自殺を歓迎しなければならない。私がクビをくくって死ぬ姿を見て笑わなければならない。笑わなかったら、その人たちは自己矛盾しているぞ!さぁ笑え!俺の死体を見て笑え!迷惑をかけないように、電車に飛び込むのではなく、クビをくくって死んでやるからさぁ笑え!
本文:
数日前、出張の飛行機に事故で遅れそうになって、電車内から携帯で直接航空会社に連絡して次の便に振り替えてもらおうとした。マナー違反であることは分かっていたが、航空券5万円ぐらいがこの電話にかかっている。仕方ない。優先席ではない席に座り、意を決して電話した。
なかなかお客様センターに繋がらない。ようやく繋がって事情を話し始めると、隣に座って眠っていた50代男性に2〜3回小突かれる。挙句に、電話をかけてない方の俺の耳元に、大声で「うるさい!!!」と、怒鳴り始めた。俺の話していた声は、そんなに大きくないはずだを少なくとも、俺と同じ席に俺の前に座っていた中高生女子(立っていたもう一人とぺちゃくちゃしゃべっていた)に比べれば。
仕方ないので席を立って、ドア近辺に移動すると、今度は若い乗務員が通りかかり、俺の電話に気づいた。携帯の利用をやめるように俺に話しかけてくる仕草を見せたその途端、咄嗟に、受話器から手を話し、「航空券の予約を取り消さないといけないんです!この電話に数万円かかってるんです!お願いします!お願いします!お願いします!」と頭を下げながら頼んだ。すると、「すぐに切ってくださいね」とだけ言って、立ち去った。
まぁ、今回の飛行機は、結局、時間内に空港にたどり着けてなんとかなった。
しかし、電車内の携帯通話禁止マナーについて考えさせられた。相手がいれば車内で話すことは禁じられていないのに、明らかに同じぐらいの声量でも携帯で話すことは認められないのは、なぜか?このマナーのせいで、本当に必要な電話も含めて、車内では一切通話できなくなり、かえってトラブルが増えているようにしか思えなくなってきた。
今回は出張だったから、最悪、自分がクビになれば済んだ。だが、例えば、「親が危篤で運ばれた病院がわからず、ちょうど聞いている最中」とか、そういう緊急時だったらどうするのか?通話を注意した人が、一生、「お前のせいで親の死に目に会えなかった」と非難されればいいのだろうか?
当然、そんな極端な例は例外だろう、という声が聞こえてきそうだが、よく考えてみると、車内通話には例外を許す規定がない。優先席なら「お体の不自由な方」と言った曖昧な表現で、若者だけど心臓病、みたいな例外的なケースも許すようにしている。女性専用車両にも、介護要因の男性や保護者に同伴された小さな男の子は入れる。車内携帯通話だけ、「通話はおやめください」で終わりで、一切の通話が禁止されているように見える。
そこで、車内携帯通話禁止でも、「緊急の場合を除き」という1フレーズを入れて、例外的なケースに対応できるようにすることを提案する。もちろん、緊急でないのに「緊急だ」といって世間話をし続ける輩が出てくるのは分かっているが、理由を問わず一律禁止の現状よりは、客同士が携帯通話で口論を起こすトラブルを防げるのではないか?
実際、調べてみると、車内携帯通話で口論になり、非常ボタンが押されて電車が遅延したとか、取引先からの電話をきれずに、車内で他の乗客から殴られたサラリーマンとか、注意する側が極端なために事件に発展した事例が多く見られる。これ、全部、「緊急の場合を除き」という一言を入れて、抜け道を作れば、注意した側も「勝手に緊急じゃないと判断したお前も悪い」と責任をとらせることができるのでは?
ニコニコ動画のトップページ上部の「その他」をクリックすると出てくる「ニコニコ実況」というサービスがある
通常のニコニコ動画と同様に、コメントが流れテレビ番組の実況をすることが出来る
具体的な使い方としては、テレビの前にノートパソコンを置き、ニコニコ実況の画面ほ開いて実況する。という形になる
人気番組であればコメントも多く、テレビの新しい楽しみ方となる
更に願望を言えば、パソコンや、スマホやダブレットでも、テレビを表示しつつ実況コメントも見れるようになったらいいなと思う
そろそろ、画面の上にコメントを流す、いわゆるオーバーレイ表示をテレビ業界も許可して欲しい
確実にテレビを見る人は増えると思う
現状は下品なコメントも多いので、一般人にはハードルが高いかもしれないし、酷いコメントもあり人を傷つけてしまう場合もあるが
体験したことがない人には、一度試してもらいたいし、なんとか上手いことテレビ実況が楽しめる世の中になってほしいと思う
Apple Watchを使っている奴が馬鹿なのではなくて、Apple Watchを使っているユーザーの中にいるとある馬鹿に煽られたので書く。
俺は機械式時計を昔から使っているが、その馬鹿が「腕時計なんて携帯があればいらないだろ」と一方的に突っかかってきていて鬱陶しかった。
携帯を見れば問題ないと思っている人にとって腕時計は必要ないものだ。そしてそういう人はたくさんいるだろうし、彼がそう思うのは全く否定しない。
そいつが馬鹿なのは、その主張にもかかわらずApple Watchを買い、お世辞にも使いやすいとはいえないインターフェースで、メールとかの通知を必死に読もうとしていることだ。
諦めて携帯出せよw
その馬鹿のことはともかく、Apple Watchのおかげで機械式腕時計も注目度が上がってきて嬉しい限りだ。
せっかくここまで読んでくれた人に、俺の「主観的な」機械式腕時計の良い所と悪い所を挙げてみたいと思う。
機械式腕時計は電池がいらない。充電もいらない。ゼンマイを巻けばすぐに時計が動き出す。これが一番大きなポイントだ。
久々にクオーツ時計を使おうとしたときに、電池がなくて使えなかった経験をした人は多いのではないだろうか。
USB充電式の時計だと、充電忘れなんて日常茶飯事だ。携帯ですらたまに忘れるのに、さらに充電が必要なアイテムを増やすのは辛い。残り容量を気にして生活するのも辛い。
機械式だと、リューズと呼ばれる横のゼンマイをチャチャっと巻くだけですぐに動き出す。
自動巻きの機械式腕時計ならば、腕につけているだけで自動的にゼンマイを巻いてくれるので、腕に着けている限り巻き直す必要もない。
すぐに動き出さないという難点はあるが、ソーラー時計も似たような特性があるので、毎日ゼンマイを巻くのが面倒な人は、自動巻きかソーラー式が良いだろう。
自分はメインでは手巻きの機械式時計を使っていて、それをつけている時は夜寝る前に巻いてから寝ている。USBよりはよほど楽だし、一日の最後に時計を巻くのは楽しい。
機械式時計は時間が狂う。超精密な時計であっても、月に15秒くらいは狂う。
クォーツ時計もその程度は狂うのだが、携帯電話や電波時計などはいつも正確な時間を指すので、それらに比べると明らかに時間が狂う。
機械式時計には「トゥールビヨン」と呼ばれる、重力の影響を可能な限りキャンセルして時間を狂わせなくしようとする機構もあるが、それでも機械式である以上狂う。
なので機械式時計を使う以上、時刻を合わせる必要がある。自分の時計は1ヶ月で1分ほど狂うので、1ヶ月に1回くらい合わせているが、この頻度をどう判断するかは人それぞれだ。
特に、ラッシュアワーとかの乗り換えで秒単位を認識しながら行動している人にとっては、電波時計やスマートウォッチ(Google WearやApple Watch)を使ったほうがいいだろう。
機械式時計にSiriはついていないが、それでも日頃必要になる機能は大体ついている。
一番よくあるのがデイト、すなわち今日が何日かを表示する機能だ。外回りとかで入館証明を書かされたりするとき、デイトがあると便利である。
高価なのになると永久カレンダーと言って、30日31日の判定はおろか閏年までしっかり対応してくれる。安いやつは月初に自分で合わせることになる。
次に、好きな人が多いクロノグラフ。乱暴に言うとストップウォッチ内蔵腕時計だ。これは機能よりも見た目の格好良さで好まれることが多い。
ワールドタイマーは、海外とのやりとりの多い人には便利だろう。時差のある国の時間も同時にわかる機構だ。2国だけの場合もあれば、複数の国の時間が一気にわかることもある。
自分は仕事で日本以外に海外二拠点とやりとりが必要なことがあり、その時にはワールドタイマーの腕時計を着けているが、大変重宝している。多分スマートウォッチより見やすいと思う。
ミニッツ・リピーターという、時代遅れの機能も人気だ。光が一切ない夜に時間を知りたくなったことを想定して、今が何時何分か音で知らせる機構である。
今のご時世、電気のつかない暗闇なんてものはそう滅多にないので実用性はほとんどないが、ゼンマイ式なのに音を出せるその複雑な機構のファンは大変多い。
これらの機能はみな電池式の時計でも可能なものばかりだが、機械式のメリットを享受したままこれらの機能が使えるのが嬉しい。
機械式時計ならでは機能もある。ドレスウォッチは薄型がフォーマルだが、機械式だと電池の厚さ以上に薄いフォーマルな時計もある。(充電型だともっと薄いものもあるにはあるが)
スケルトンの時計も電池だと格好わるいだろう。ミステリークロックの腕時計版、ミステリーウォッチなんてものは、スマートウォッチでは到底実現出来ないだろう。
こういった機能はもう自己満足の世界かもしれないが、電気を使わずカラクリだけでこういった機能が実現出来るのに魅力を感じる人は多い。
実際の所、今まで挙げてきた色々な機能は、ソーラー式の電波時計を買えば大体まかなえる。
ソーラー式の電波時計は、充電の必要もなく、常に正しい時刻を刻んでくれる。そして機械式時計に比べればまだ安い値段で買える、大変良い選択肢である。自分も1本持っている。
それに比べて、機械式時計は高い。ちょっとしたものでもノートパソコンくらいするし、50万円くらいの時計もたくさんある。数百万から1000万円超えも高級時計のラインナップに普通に並ぶ。
機械式時計は大体3年に1回オーバーホールに出す必要があり、そこで費用がさらに発生することもある。色々と高くつくのだ。
一方、機械式時計の価格の大きなメリットの一つとして、価値が落ちないというものがある。ノートパソコンは10年も経ったら間違いなくゴミだが、高級な機械式時計は50年くらいは余裕で動作する。
結婚生活でずっと身につけて欲しいという思いから結納返しの定番商品であるし、親から子供に自分の使っていた時計をプレゼントするのも機械式時計ならよくある話だ。
生活を一緒に歩む、気持ちを込めた道具としての腕時計、という側面は、機械式時計ならではのものだと思っている。
これを読んで、機械式時計もちょっといいな、と思う人が出てくれたら嬉しい。ソーラー電波がいいなと思ってくれても嬉しい。やっぱりApple Watchいいじゃん、でも結構嬉しい。
息子の担任は板書をしない。
どうしても何か手書きする必要がある場合は、ペンタブのようなものを使う。書いたものは電子教材が映るスクリーンに表示される。
「できるだけメモはPCでとってください」とは言うものの、紙と鉛筆を使うことも認めている。
もっとも、ほとんどの児童は授業でノートパソコンを使っている。
支給品でも5万円で買わされた端末でもない。児童というか親兄弟の私物だ。
「古いPCでもお下がりでも良いです」、「キーボードと液晶とマウス(トラックパッド)がついているものにしてください」、「購入する場合は『新品で一番安いノーパソ』を買ってください」と、学期始めの保護者会でアナウンスがあった。
それに新品を買っても3万円程度で済む。
塾代よりは安いし、学校で使わなくなったら他の用途に回せば良い。ノーパソは潰しがきく。
一応OAタップが教室の各コンセントから伸びており、随時充電できるようになっているが、利用する児童は少ないという。
プロセッサに負荷のかかる作業をしないからだろう。また、替えのバッテリーを持ってきている子もいる。それに体育や音楽の時間は使わないから、勉強中にバッテリーが切れることはまずない。
電子教材は授業前日までに担任の自宅サーバーからダウンロードしておくきまりになっている。忘れた子は当日に友達からUSBメモリーなどを介して"借りて"いる。
教室にネットワーク設備は無いが、授業中のネット利用は認められている。
モバイルWi-Fiルーターやスマホのテザリングで分からない言葉を調べたりしているようだ。
シャイな子はメールで担任に質問し、随時メーラーをチェックしている担任はその場で回答するらしい。
担任の話が面白いから、授業中ネットやゲームで遊ぶ子供はいないそうだ。
しかし話す内容の密度が濃く、ついつい聞き入ってしまう。スクリーンに映し出される教材も目を引く。
聞くところによると、担任は職にあぶれた博士出だという。文科省の大学院重点化政策も悪いことばかりではない。
また、計算ドリルや漢字の書き取りといった反復学習を授業中にすることはない(宿題には出す)
計算問題の解き方は授業中教えるが、「単純作業を学校でやるのは税金の無駄」というのが担任の言である。
閲覧するだけの教材はすべて電子データだ。他方、書き込みが必要な問題集やテストはペーパーである。
本当はすべて電子化したいらしいが、使い勝手の良いサービスがまだないらしい。
しかし子供というものは面白いもので、担任が言わずとも紙の教材をスキャンして電子化している子がいるという。紙のドキュメントの管理がいかに煩雑か、子供でも分かるのだ。
ところで私が「電子黒板やタブレットを導入する予定はないのですか?」と担任に伺ったところ、「公共事業をするつもりはありません」との言葉が返ってきた。
新しいスマホを買おうかと思ったが、代わりにモバイルノートパソコンを買った。
満足している。
スマホをダラダラいじる時間がなくなり、可処分時間が大幅に増えた。
RSSリーダーに流れてくるニュースソースをチェックしていれば何も問題ない。
ニュースキュレーションサービスは2ちゃんまとめサイトに毛が生えたまがい物である。
また、スマホみたいに「ポケットからさっと出す」ことができないから、限られた時間に集中して作業するクセがついた。
「ポケットからさっと出す」ことはできないが、11.6インチで1kgを切るような端末なら持ち運びに不自由しない。
もっと小さなモバイルPCもあるが、キーピッチのゆとりを考えると11.6インチがジャスティス。
私が買ったモバイルノートPCの価格は税込み30233円。ハイエンドスマホの約半値だ。
通信費も安い。
データ通信はPocket WiFiを使っている。
高速通信が月10GB使えて月額税込み3085円(端末割賦金込み)
旧イーモバイルLTEプランで、月10GB超えても数Mbpsは出るから重宝している(帯域制御はあるが速度制限がないのだ)
ヤフオクで105度数×10枚を4800円(送料込み)で買った。
受電はSMARTalkの留守電を利用する。
留守電が録音されると、すぐ留守電の音声ファイルがメールで送られてくる。
なお、留守電を保存するのも聞くのも無料で、基本使用料もない。
留守電音声ファイルがメールで届くたびに公衆電話から架電するのはやや面倒だが、公衆電話を探すサイト( http://service.geospace.jp/ptd-ntteast/PublicTelSite/TopPage/ )を使えば無問題。
マザーテレサじゃあるまいし
親だって人間だもん、見返りが無きゃ愛せないってのは正論だよ、多分
不慮で出来た子供とかさ
育ててみれば可愛げが無いとかさ
色々不備不満はあるとおもうんだけどさ
多少さ、出来たって分かって産もうって思ったくらいの情があったらさ
子供の事、褒めてあげてください
あと、時々抱きしめてやるといいかもしれない
当然な事言ってんじゃねぇよ馬鹿毎日褒めちぎっとるわって奴はもう読まなくていいよ
多分クソ長いしくだんねーから
そうじゃないなくて時間があるならまぁ付き合えや
お前がどんな風にどんな親に育てられたかとか知らないし、考慮できないから言及しないけど
子供ってさ、親にされたこととか言われた事、思ったより覚えてるんだよね
お前に覚えがあるか無いかは知らないよ
少なくとも俺は覚えてるし、なんでか案外忘れられないんだよ
転んだ時に泣かなかった偉いねーって褒められたこととか
代わりに作ってって言われたカレー良くできたねって褒められたこととか
無言で首絞められかけたこととか
悪いけど何もないならあんたのことなんて愛してあげられないって言われたこととか
お前も俺の事を馬鹿にしてるのかって怒鳴られたこととか
あんたが居るからお母さんはこの家にいるのよって言われたこととか
小学校の天体観測で、なんでか一人だけノートパソコン持ってきて星座のサイトみせてくれたこととか
ゲームなんて買って来たら蹴り壊すって怒鳴られたこととか
結構親としてどうなのって疑問が尽きない感じの親ではあるんだけど、なんでか嫌いになれないし
どっかで野垂れ死にしちまえなんて、間違っても思わないし
もしも自分の何かを差し出せばそれを保証してやるって言われたら、多分俺は大体の物を差し出せるんだと思う
腕とか足とか、金とか、まぁ命とか言われても困るけど
それで家族が納得してるなら、いいかなって思うのよ
でもね、時々ものすごく憎いと思うことがないって言えばうそになる
俺さ、あんまりまともに褒めて貰った事が無いのね
覚えてないだけかもしれないし、だとしたら物凄い失礼な話なんだけどさ
上に書いたみたいに、転んで泣かなかった時とか、カレー上手に出来たとか、
手放しで褒められたことって十回くらいしかないのよ
ふと気づいて、すげー死にたくなった
俺、褒める価値も無い奴なんだー
衝撃だよね
思春期まっただ中 変な万能感でたぷたぷしてたところに、驚愕の事実
俺は親に褒められる程の価値も無い奴らしい
それまでは成績などという数字では表わせない価値が自分にはあるはずだとか考えてたのに
両親っていう恐らく最も身近な存在ですらその価値を見出してくれていないよー
丁度受験前で親もカリカリしてた時期にそんなこと言ったの今となってはホント馬鹿だなって感じなんだけど
俺もその受験の当事者だったし 自信とか自認とか承認欲求とかあった訳ですよ
親の回答がこちらです
「褒めろって言うけど、お前は褒められるだけのことをしていない」
まじかよー 確かに数学3点だけどナイーブになってる受験生にそんなズンバラバッサリ言うんじゃねぇよー
流石に更なるショックを隠せなかったよね
そっか つまり俺は今までの人生、ずっとずっと、褒められるだけのことをしてこなかったのか
十数年 そこそこ手を抜いてはいたけど、それなりに人並みでやれることはやっていたつもりだったが
ちなみにそのあと現代文と古文で学年一位取っても褒められなかったからね
まぁ褒めて貰えねぇわけですよ 23点とかやべぇしな
流石にその辺りで、「あ、うちの親褒めるの無理な人なんだな」って気づいたんだけど
ちゃんとそれなりに大事にしてもらってるよ
産んでもらったし飯も食わせて貰ったり一杯世話掛けたし一人部屋も貰ったし学校にも行かせて貰ったし
習い事もいくつかさせてもらったし本や漫画も買って貰ったし下らん映画に付き合って貰ったりもしたし
服や布団で困ったことはないし文房具やノートだって切らしたことはないし今だって沢山心配して貰ってる
でもさー 今の世の中の何が世知辛いってさ
ちょっと辺りを見回すと「模範的な家族」みたいのがいっぱいあってさ
どんな家にもそりゃ大小ほころびや至らないところはあるんでしょうが、
家族はどんな時でも助け合うとか
親は身を挺してでも子を守るとか いつくしむとか 愛するとか
なんかそういう綺麗なものが当然みたいに転がっててさ
それと自分を見比べてみて、あれってなる子供がどれくらいいるんだろう
あれっ、もしかしてオレんち何か変じゃね?
いつくしむとかあんまり無くね?
「お前は最高の息子だ」とか
えっその台詞で救われるの?
じゃあ多分一生そんなことは言って貰えない俺は一生救われないの?
そっかー救われねぇのかー
じゃあ生きてる意味あんのかなー? なんて子供は思ったりするわけだよ
別にね、親に認められなきゃ生きてけないとかそんな甘ったれたこと言ってるわけじゃないよ
成人してんのにいつまで親の昔の事をって言われたらぶっちゃけぐうの音もでねぇし
でも、少なくとも俺は親にとっとと死ねとか縁切ってくれとか言えないしさ
じゃあ親が死ぬまでどうやってもそこそこ付き合ってかなきゃいけないわけでさ
俺はいいのよ もう何か慣れたし
でも俺が慣れてたって親は俺に慣れてくれないしさ
残念ながらあなた方の子供はあかん奴ですつったってそんなん認められないのまぁ分からんでもないし
何でお前はそんななんだって言われても俺はどうしようもないし
そんなに育てたのアンタらじゃねぇかとはちょっと言えないし
稼ぎはまだ無いけど、そこそこ自活できるように頑張ってる、つもりで
それだけじゃダメなのかよ無茶振りすんな とか、さすがに畏れ多くて言えないし
残念ながら俺は頭が悪いのね 厨二こじらせてるともいうんだけど
人の顔は覚えられないし、便所掃除の方法も覚えられないし、指示語を読み取れないし
冗談の意味がわかんねぇし、応用が効かないし、いまいち他人に感情移入が出来ないし
そんなだから実家帰ってきてもあまり上手に家事の手伝いやらは出来ないのよ
多分店先に立つようなバイトも無理だなってんでそれなりに仕事を選んでんのよ
親はお前それやべぇよって思ってるみたいなんだけど
俺はそんな深刻な事だとは思ってなくてさ
だって親にもまともに褒めて貰えなくったって俺はこの歳まで生きてきた訳で
今更他人にどう思われても別に死にはしないって分かっちゃってるわけですよ
そんなだから、時々なんでアンタはそんななんだと泣かれては申し訳ねぇなぁと思うんだけどさ
長くなってきたし何言いたいか分かんなくなってきたから纏めるんだけど
もしもここまで読んでくれた人で、
親になろうとしてたり、今進行形で親やってるよって奴いたら、
子供をちゃんと褒めてやってください
何にも無くても、多分探せば一個くらいはあると思うから
転んで泣かなかったとか、ちゃんとドアが閉められたとか
ちょっとでも成績が上がったとか、嫌いなもの頑張って食べたとか
ごめんちょっと思いつかないんだけど
何でもいいから、褒めてやってください
多分それがお子さんの何かをちゃんと築きます
別に叱るなっていう訳じゃないし、猫かわいがりしろとも言わんよ
変に増長するような褒め方も良くないんだろうし
その辺お前らの良心に任せとく
でも褒められるところを探すのは止めないでください
褒められなかったガキは多分、俺みたいになるし、そういうガキは親を泣かします
お前らも泣きたくはないと思うからさ
後、どんなに身体が大きくなっても、子供が嫌がらないなら抱きしめてやってください
もしも「俺も全然親に褒められなかったし、お前よりずっとヤバかったけど子供はきちんと育った」みたいな奴がいたら
俺はさ、多分子供は作らないつもりなのね
褒め方がね分からないのよ
もしも子供が出来たら、俺みたいな奴には勿論なってほしくないから
きちんと褒めてやって、駄目なことはちゃんと叱って、どうしても駄目なことはきちんと受け入れてやって、
ってすっげぇ妄想したんだけどさ
どうやって褒めてやればいいんだろう、何て言ってやればいいんだろう
褒めて、でも一言付け足して、みたいなことをしてしまって傷つけてしまったらどうしよう、とかね
虐待は繰り返すって言うけどアレマジなんだなってびっくりしたわ
これは駄目だ 時代が回るだわこれって思って
だからさ
もしも子供がいるならさ、もしもその子にちゃんとした子に育ってほしいなって思うならさ
一杯褒めてやってください
もしもお前が褒められないなら、お前の代わりに褒めてやれる人を探してください
旦那さんでも、奥さんでも、義母でも義父でもお前の両親でも、兄妹でも
出来れば家族が良いけど、無理なら近所のおばちゃんとかでもまぁ、いいから
お前はちゃんとそこそこ生きてていいんだぜって教えてあげてください
ここまで読んでくれてありがとう
暇なの?
追記
なんかすげー反応色々ありがとう
予想以上に一杯あって正直どんびきしてるんだけど、暇な奴多いみたいで俺はちょっと嬉しかったです
長いのはほんとすまんな
あと障害とか病気とかアドバイスとか有難いけど俺のことより自分の事に専念してくれていいよ
こっちはこっちでなんとかやってくんでそっちもがんばれ
DELLでOSの入っていないノートパソコン買って自分でOS入れるのが一番いいね。
日本はマイクロソフトの縛りがきつくてOSなしのノートパソコンは売ってないけど、アメリカのDELL通販サイトなら安くていいスペックの機種が買えるよ。
英語キーボードは使えばすぐ慣れるし。
シンガポールとかそういう英語圏でもスペック落としてOSも入れてないような日本メーカー製のパソコンあるし、そっちでもいいかも。
ただ、そこまでしてパソコン要るか、っていう。
ノートパソコンメーカーの皆さんは早く変なプリインストールソフトウェア入れて動作重くしたり情報流出させたりするとパソコン自体からユーザが離れるって気づいたほうがいいと思う。
せっかくなので、通信メディアの個人史を書いてみたい。自分のブログでやっても良いのだが、わざわざ誘導するのも申し訳ないので増田で書くことにする。あと、前半部分は「通信メディア」の話ではない。
ぼくが初めてパソコンに触れたのは小学校4年生のころだった。当時、既に型落ちだったNECのPC-6001を買ってもらったのだ。当時はまだ「パソコン」か「マイコン」かで名称が統一されていなかった時代でもある。記録媒体はカセットテープ。ゲームをするためにはまず、何十分もかけてロードをしなくてはならない。あとちょっとでロード完了というところでエラーが出たりすると泣きそうになった。
市販のゲームは高価だったので、ぼくは当時の多くのパソコン少年と同じく、雑誌の載っていたプログラムをよく入力していた。姉の使っていた譜面台にパソコン雑誌を乗せ、そこに掲載されたプログラムを延々と入力していく。もちろんミスが多発する。エラーが出ると雑誌とにらめっこをしながら、どこが間違えているのかを必死で探す。デバッグがすべて完了するころにはゲーム自体に飽きているということもよくあった。
当時はまだ、パソコンのメーカーがそれぞれの独自の規格でPCを開発していた時代だった。しかも、同じメーカーのパソコンであっても機種が違えば互換性がないことが多かった。だから、NECのパソコンのソフトがシャープのパソコンで動かないのは言うまでもなく、PC-6001はPC-8001よりも新機種であったにもかかわらず、後者のプログラムは前者では動かない。パソコン雑誌で他の機種用の面白そうなゲームプログラムを見ては悔しい思いをよくしていた。移植をする技術はぼくにはなかった。
その後、中学校に上がると、ぼくのパソコンはPC-8801mkII FRになった。名機と言われたPC-8801mkII SRの後継機だ。記録媒体は5インチのフロッピーディスクになり、一瞬でセーブやロードができるようになった。ただし、中学生にとってフロッピーディスクは高価な代物で、500円で10枚入りという安売りのものを愛用していた。ちなみに、安いディスクだとドライブに入ただけでシャカシャカシャカシャカ…という音がする。仲間のあいだでは「シャカシャカディスク」と呼ばれていた。
せっかくの新マシンではあったが、やはり用途はゲームだった。雑誌に掲載されるプログラムも徐々に高度になり、マシン語を使ったものも多かった。01 C3 AA 90…みたいな文字列を果てしなく入力していく作業はかなりの苦行で、エラーが起きると手に負えなくなることも多く、挫折ばかりしていた。
なお、当時はすでにパソコン通信が始まっており、PC-VANやアスキーネットなどの大手もすでにサービスを開始していた。当初は音響カプラという装置を使っていたのではないかと思うが、詳しくはわからない。ぼくにとってパソコン通信は遠い世界の話で、雑誌でたまに見る程度のものだった。
中学3年生になり、高校受験を控えたぼくは、何を思ったかパソコンで受験勉強をしようと思いついた。受験RPGなるものをN88-BASICで作ろうとしたのだ。街を歩いているとモンスターに遭遇する。そのモンスターが出してくる問題に正解すれば、プレイヤーは経験値を稼げる。最終目標は名門ナダール高校への合格という、ゲームと勉強の両立を目指したものだった。結果はまあ、書く必要もないだろう。世の中にそんな都合のいい話はないのである。
高校に入学すると、ぼくの関心はパソコンから遠ざかっていった。部活が忙しくなったほか、当時のバンドブームにのってギターなどを始めてしまったからだ。無論、このあたりはぼくの黒歴史になっている。
ちなみに、ぼくとほぼ同年代の英国人ライター、スティーブン・プールには『トリガー・ハッピー』(2001年)というテレビゲームの歴史を扱った著作がある。この本を読んでいると、高校時代にゲームから離れてバンドをやるところまでまったく同じだった。ここには国境を越えた何かがもしかするとあったのかもしれない。
しかし、大学受験を前にして、ぼくは再びパソコンに向かい始める。3年前に挫折した一大プロジェクトである受験RPGの製作にふたたび乗り出したのだ。アホだ。予備校の夏期講習を受けながら、頭のなかで構想がどんどん膨らんでいった。
技術は全く進歩していなかったが、根気だけはついていた。ゲームの目標を大学合格に切り替え、パソコンのメモリの少なさに苦労しながら様々なアイテムやイベントまで用意した。しかし、言うまでもなく受験には全く何の役にも立たなかった。大学受験が始まる数日前、ほんの気晴らしのつもりで始めたドラクエ3を受験日程がすべて終了するまでにクリアしてしまったのが悪かったのか、1年目のぼくは受験に失敗し、浪人生活に突入したのである。
1年間の辛い浪人生活を経て、ぼくは東京の私立大学になんとか滑りこむことに成功した。入学式当日、知り合いの誰もいないキャンパスを一人で歩いていると、同じく新入生とおぼしき一団が歩いていた。彼らの一人が「あいつのポケベルの番号、いくつだっけ?」と言うのを耳にしてぼくは衝撃を受ける。東京の学生はポケベルを持っている!ぼくにとってポケベルというのはサラリーマンのためのツールであって、普通の学生が持つようなものではないと思い込んでいたからだ。
入学式の時点でグループができているということは、彼らはおそらく付属校か東京の進学校の出身者のグループだったのではないかと想像する。この時点ですでに情報メディアの利用をめぐってかなりの格差が生まれていたのかもしれない。
いずれにせよ、その後のぼくの生活にやはりポケベルは無縁だった。女子高生のあいだでポケベルが流行っているというのも別世界の話題だった。女子高生の妹がいる友人によると、メッセージが来るとすぐに返信しないと仲間はずれにされかねないということだったので、それはそれで大変そうだと思ったのを記憶している。
その一方で、大学に入学してから、ぼくは固定電話と大変に仲が良くなった。一人暮らしを始めたこともあって、友人とよく長電話をするようになったからだ。コードレスではなかったので、硬い床に寝転がりながら何時間も話をした。「いやー、今日はよく話したよね。ところで、いったい何を話していたんだろうね」などと会話を振り返り始めることで会話がまた長くなるという、まったく生産性のないことをよくしていた。ただ、こうした長電話はぼくに限った話ではなく、わりと一般的に行われていたのではないかと思う。一人暮らしの寂しさを紛らわせるうえで固定電話は重要なツールだったのではなかろうか。
あるとき、風呂にお湯を張っていると、たまたま当時好きだった女の子から電話がかかってきたことがあった。話しているうちに浴槽が一杯になった。コードレスではないので電話をしたままではお湯を止めにいくことができない。だが「お湯を止めてくる」と言えば、電話を切られてしまうかもしれない。そのため、浴槽からお湯が溢れるのをただ眺めながら会話を懸命に続けていたことを思い出す。
ぼくが「インターネット」という言葉を初めて聞いたのは国際政治の授業だった。大学2年生のころだったから1994年のはずだ。日本でもインターネットの商業利用は1992年にすでに始まっていたが、パソコンに関心を失っていたぼくには全く無縁の話だった。大学のパソコン室でタッチタイピングは修得したものの、授業で履修したC言語はあっさり挫折した。数学が果てしなく苦手だったぼくは、理解できない数式をパソコンに解かせるという作業について行けなかったのだ。
大学2年生の終わりごろ、ゼミの選考があった。メディア系のゼミを志望したせいか、志望者には新しいもの好きが多かった。面接の待機場所では多くの志望者が携帯電話を持ち、お互いの番号を交換していた。衝撃的な光景だった。彼らは無意味に相手を電話にかける遊びなどをしていたので、単に見せびらかしたかっただけかもしれない。
しかし、ぼくが携帯電話、というよりPHSを購入したのは大学4年生も終わりに差し掛かったころだった。1996年から1997年にかけて携帯電話・PHSの普及率は25%から46%に跳ねがっているが、こうした指標では若者が先行しがちなことを考えると平均的か、やや遅いぐらいではなかったかと思う。
当時は街のいたるところでPHSの安売りをしていた。今川焼を売っている店でさえ扱っていたぐらいだ。PHSを1年ほど使い、その後はドコモの携帯電話に切り替えた。通話が途切れやすいという難点はあったものの、PHSのほうが音質は良かったのではないかと思う。
他方で、大学3年生になると、ぼくは再びパソコンに関心を持つようになった。1995年、ウィンドウズ95が発売された年である。「インターネット」という言葉が急激に人口に膾炙していった。大学のパソコン室で友人に電子メールを送るようにもなった。当時はメールが来るだけで嬉しかったものだ。ブラウザはまだモザイクを使っていた人が多かったのではないかと思う。しかし、当時のぼくはまだブラウザという概念を理解していなかった。周囲のひとが「モザイク」という言葉を口にするたび、それはエッチな何かなのかとあらぬ妄想に浸っていたのだった。
ともあれ、エプソン製のノートパソコンを購入し、自宅からインターネットに接続するようにもなった。大学の授業でホームページを作ったという友人に刺激を受け、自分でも卒業の直前ぐらいに朝日ネットでホームページを立ち上げた。いまでもそのアドレスにはぼくのホームページが置いてあるので、もうかれこれ20年近くになる。先日、インターネット・アーカイブで自分のページを探してみたところ、16年ぐらい前まで遡ることができた。若気の至りというのは本当に恐ろしいものである。
もっとも、ぼくの目線からすると、当時のインターネットはそれほど面白いものではなかった。今ほどに情報が充実していたわけでもなく、それを探すためのスキルもなかった。ぼくにとってインターネットよりも面白かったのがパソコン通信だった。当時、すでにパソコン通信の時代は終わりつつあったはずだが、それでも見知らぬ人たちとやりとりをするのが面白くて仕方がなかった。もちろん喧嘩も多く、罵り合いをなんとか仲裁したいと思いつつ、結局はうまくいかないということばかりだった。
ぼくが参加していたのは朝日ネットのフォーラムだが、恐ろしいことにいまでもログインすれば当時のログを見ることができる。「ネット上からはとうに消え去ってしまったはずの今なき父親の情報が、パソコン通信のログに残っていることを主人公が発見する」というフィクションを考えていたのだが、興味のあるひとは使ってみてください。
その後、パソコン通信は急速に退潮し、インターネットの時代が本格的にやってきた。ネット上で怪しい情報が飛び交うサイトがあるということを最初に教えてくれたのは知人だった。言うまでもなく「2ちゃんねる」である。それ以前にも「あやしいわーるど」や「あめぞう」といった掲示板はあったはずだが、それらはぼくの全く知らない領域の話だった。
…と、ここまで書いて力尽きた。ここから先は特筆すべきこともあまりないので、唐突ではあるが、このあたりで終わろうと思う。ずいぶんと長くなったが、最後まで読んでくれたひとは果たしているのだろうか…。
Windowsマシン: http://kakaku.com/item/K0000724586/
Chromebook: http://www.amazon.co.jp/ChromeBook-Celeron2957U-11-6%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%81-ChromeOS-C720/dp/B00QSUGUTQ/ref=sr_1_1?s=computers&ie=UTF8&qid=1420349948&sr=1-1
スマホ・タブレット市場が飽和するなか、モバイルノートが新たな市場として開拓されるに違いありません。
きっと電博が『モバイル女子』、『ギーク女子』とかふざけた文句で喧伝するでしょう。
神も右翼も恐れず『伊勢神宮に行って彼氏を作ろう!』と女性誌が書き立てるご時世です。資本主義の凶暴さを甘く見てはいけません。
およそ1kg前後。1kg切る端末もあるよ!
A4,B5クラスなら持ち運びがラク♪ B5ならアタシのバックにも入っちゃう!
およそ3万円前後。ミドルクラスのスマホと同程度かそれ以下のお値段。
Skypeやハングアウト使えばできなくもないけどちょっと不便……
でも、リリース当初『電話ができないiPhone』と叩かれていたiPadが普及したから、モバイルノートもきっと流行る!
どう?
ほらほら買っちゃいなよYOU!
IT勉強会、正確には勉強会の事前説明会and懇親会に参加してきた。
全く勉強していないし、コードも書いていないけれども、勉強になったと思う。
事前説明会ではない、その後の懇親会でだ。
今まで思い立ったように参加する勉強会で、
ピンバッジを戴いたり、無料のペットボトルのお水は貰えたけれど、
真の意味で持ち帰ることができるモノは少なかった。
元より、思い立ったように参加する専門外に関する勉強会、しかも50人から参加するような
大学講義を思わせる座学形式で、ノートパソコンにタイプしたメモは、
当日を過ぎて読み返すことは少なかった。
ふーん、へー。ホッテントリに上がった分野外の技術トピックを読み流すのと
さほど変わらない行為。正直、2、3日もすれば忘れていた。
懇親会には元より興味がなかった。
Google Developer Dayという古いイベントで
たくさんのひと、交換しながら歓談を弾ませる人たちを見かけた時の、
ついていくとも合わせることも出来ないというとほうに暮れるような
気持ちが長く引きずっていたから。
懇親会で、キラキラした人たちと目を合わせたくなかった。
今日、説明会が終わった後、懇親会に参加しようと思ったのは単なる気紛れだ。
そんな雑念が、いつもならさっさと帰る足をその場に留めさせた。
Android開発を学びたいという目的に燃えるいつもの自分なら
すぐに立ち去ったであろう。
自尊心はそれを許容するくらいは収まってた。
ぼっちな状況に陥った自分を絶対に許さないと思えないぐらいには。
さて、周りを見渡すとある程度グループは出来ていて、もうぼっち真っしぐらだった。
テーブルに後から座っていた参加者とは2, 3言葉を重ねたが気づいたらいなかったし。
コップを持って、3人くらい歓談しているグループの後ろで頷きを返したり、
ピザを取っていいかと声を掛けたり、、そんなことですでに出来た人の輪に入れたら苦労しない。
中の方の島に置いてしまった荷物をこの場で取って立ち去ることとどっち、どっちがいいか、
それだけの気持ちで頑張るも心が折れかけた時目が合った。
一人がいた。
「どうして参加しようと思ったのですか。」
グループワークで同じ就活生に鉄板文句で無理に沈黙を破ろうとやせ我慢をしていた
学生だった自分に切り替わるスイッチの音を確かに自分は脳裏で聞いた。
ひとりで全て出来ます、的なフルスタックエンジニアが書くブログなどから受け取ったトーンと、
普段業務でJavaで堅実な仕事をしている人から聞いた耳朶を軽く打つ調子の違いを悟ったとき
もうどうにでもなれと言葉を重ねつつ、司会が終会を切り出すまで
話しこむ内に内心戸惑いを覚えずにはいられなかった。
何で今まで参加してこなかったのだろう?
参加して、その場限りの関係を終わる度に捨て去っても、
上手く質問を切り出せなくてかいた恥をいつまでも捨てられなかっただけ。
この歳になってまだ自分は幼いままだ。
だが、頑張れば大人と呼ばれる真人間に近づけるのではないかなと
少しだけ希望がいだけた。
先方には迷惑かもしれないけど、差し支えなければまたお会いしたい。話を聞きたい。
懇親会に参加して、押さえつけていた箍が今、大きく弾けそうだ。
父親はかれこれ30年近く海外に単身赴任していた生粋の仕事人間だ、
それなりの企業の取締役として新聞にも載ったことがある父親は、バリバリ働き、たまに家に帰ってきても仕事の話しかできないようなタイプだ。
しかし、父親参観日であるとか誕生日であるとか運動会であるとか。
どんなに地味なイベントであっても、父親は必ず日本に帰ってきて、私達子供と一緒の時間を過ごしてくれた。
仕事の話しかできない父親との会話は困難を極めたが、家のことを大切にしてくれていることはとても素晴らしいことだと思う。
社会人10年目になった今でも自分は当時の父親の年収の10%以下の年収に過ぎないことからも、早々居ない父親だと自慢に思っていた。
そんな父親が一年前に父親が定年退職をしてか、常に日本に居るようになったのだが、非常に良くわからないところでキレるのだ。
私が休日に遅い朝食を食べていたら、食卓の横のフローリングが少し濡れていたのだ。
父親が「ん? さっきその辺拭いたけど、どうした?」と聞いてきた。
拭いたにしては水たまり状態だし、寝ぼけてコーヒーでもこぼしたかな、と「コーヒーこぼしたっぽい」と言うと、父親が「いいよ、俺が拭こうか?」と言ってくれた。
なんで自分がこぼしたコーヒーを父親に拭かせるんだ、と言うことで、「良いよ自分で拭くよ」と言ったら思いっきりキレられた。
「なんだ! 俺は家の掃除もするなってことか!」
仕方ないので拭いてもらったが、とても居心地が悪い朝食になってしまった。
あるいは先月の話だ。
設定の問題か、タブレットがネットに接続できなくなった時に、母親が私に相談したところ、そこでもキレられた。
「なんだ! 俺だって元エンジニアの端くれなのに俺に相談もないのか!」
ちなみにネットワーク設定はキレている父親を尻目にルータを再起動しただけで直った。
かと言って、話しかけてもキレられる。
我が家にはノートン先生とウィルスバスターが両方入っているゴミみたいなノートパソコンがある。
母親が父親が帰ってきたタイミングでちょっと設定見直そう、と「このパソコン最近重いけどなんとかなりそう?」と父親に聞いたところ、
「なんだ! そんなことまで俺が考えないと行けないのか!」とキレられていた。
私がクリーンインストールした。
そんな日々に疲れきって、今日、耐えきれずに「何がそんなにイヤなの?」と聞いてみた。
「自分は家族の役に立ちたいとずっと我慢している。なのになんで家族は自分を蔑ろにするのか」という旨のことをやっぱりキレながら言われた。
愕然とした。
私達は父親が解決できそうなレベルのちょっと困ったことを探し出し、とてつもなく遠回しに「ああ困った困った」とアピールし、父親がそれに気付いてその問題を解決し、「やっぱり父さんがいないとうちはダメだねハハハ」と褒め称えるしかないのか。
家の中でもそんな息苦しい生活をしなければならないのか。
5年くらいかなあ、使い出して。
とうとうローカルディスクDが反応しなくなった。
まったく想定していないし、「外付けHDDにバックアップしとけよ」ってのも意味が分からなかったけど、確かにこりゃなあ。
あ~あ。もう手に入れられない同人のPCゲームのデータとか、俺の歴史っつーか、いろんなレポートとかも全部ローカルディスクDにあったから、へこんだわw
ローカルディスクCのダウンロードフォルダがでかくなって、そんでローカルディスクDが100Gくらい余ってたから、そっちに放り込もうとしたんだけど、なんか進んでないから、もう一回放り込もうとしたら、両方とまって。面倒くさくなったから中止したら、ローカルディスクDがぶっ壊れた。
ローカルディスクCだけは余裕で動くからやっぱローカルディスクDだけが壊れた。
ウイルスの可能性もあるのかな。
なんつーか、いろいろその後検索してなるほどなあって思った。
なんでウイルスソフトやバックアップすんのか分からなかったけど、こういう感じで死ぬわけかw寿命が5年くらいらしいね、HDDって。
父親が組んで送ってくれたやつだから、ぜんぜん分からないけど。
グラボとか分からないけど、エロビデオ見てゲームプレイしてもまったく重くなかったから、たぶんいいんだろうな。
分からないけど、分解してローカルディスクDだけ新しいの突っ込んだら直るのかねえ。
つか、スマートフォン、ノートパソコン、ipad、デスクトップPCとこんだけ持ってると毎年壊れるけど、今年はスマホとデスクトップPCとノートパソコンの3つが死んだなあ。
パソコン業界は、物持ちにエネルギーかけてくれw壊れにくいHDDとか。
ソニータイマーみてーなのやめてほしいわw
あ~あどうすっかなあ。アルバムが消えたみたいでいやだなあ、final data recoverとかもローカルディスクDに関連付けられてるからダウンロード厳しいし。
皆、毎日飯代の500円と700円の間で四苦八苦してるのに、PCだと、20万でミドルスペックだとか、10万で家庭用とか、っていうけど。
PCって安いとあんまり使えないんだよなあ、ワードが使えなかったりっていう産廃パソコンだし、俺のPCは。
数年前に、母親が、「ネットがしたい」と言うのでノートパソコンを買ったことがあったのだが
たまに使う程度で、その都度、知識が振り出しに戻り、教える方法も大変だったし、結局殆ど使うことはなかった
そんな母親にスマホを持たせたところ、クックパッドでレシピを見て料理を作ったり
LINEで友達とメッセージをやりとりしたり、ネット見てどっかの作品展の情報知って出かけて行ったりと、思った以上に使えてた
スマホは、タッチパネルで直感的に使える上に、文字入力も携帯と同様に行える、常に手元にあり気軽に使えるというところがいいんだろう
※追記。バッテリー内蔵スマホカバー。アレは駄目です。端子部分がイカれて本体ごと死にます(実体験)。
昔は流行ったのに今はてんで使われてないのはそのせいです。
そろそろ出てくるはずだと信じていた。しかし、出てくる気配がなくて非常にがっかりしている。
そして出てこない理由がわからない。なぜなら薄さよりもバッテリー持ちの方が重要だからだ。
スマホに重視することのアンケートの第1位は必ずバッテリー持ちだ。
スマホの満足度ランキングでは信じ難いことに富士通がアップルを抑えて1位になっている。これの理由も「バッテリー持ち」だ。
実際、富士通の最新スマホは3200mAhものバッテリーを搭載している。iPhoneの1.5倍以上だ。
メーカーは薄さに力を入れているが、消費者が薄さを重視しているというアンケートは見たことがない。
iPhone6は6.9ミリ、iPadAir2は6.1ミリ、デルの新タブレットは6ミリ。それでももはや世間の反応は冷たいの一言だ。
むしろ「折れそう」「持ちづらそう」といったネガティブな評価のほうが多いくらいである。
ネット上の評価だけでなく、自分の知り合い達に聞いてみてもおおむね そんな感じである。
ほとんどの人はスマホやタブレットの薄さには満足しており、これ以上薄くなってもどうでもいいというレベルなのだ。
同じことは軽さにも言える。これ以上軽くてもしょうがないというのが正直なところだ。
レビューでは「たった30グラムの違いだが持ち比べると違いがはっきりわかる」とか書かれる。しかし普通の人は持ち比べたりはしない。
今のスマホは多くの普通の人の声を無視し、一部のマニアからの「もっと軽く、もっと薄く」という声に応え続けているように思える。
ノートパソコン業界でマニアの声に答えつづたソニーが立ち行かなくなっているのはご存じのとおりであり、
一方で、そういった要求には「ほどほどに」応え続けてきたレノボやASUSやデルは今でも好調なのもご存じのとおりである。
一方でスマホのバッテリー持ちに満足している人というのはリアルでもネット上でも出会ったことがない。
ガジェット好きという立場上、スマホやタブレットの購入に関する相談を受けることも多いが、決まって聞かれるのは「バッテリー持ち」だ。
性能とか機能とかも聞かれるが、ほとんどの場合「もちろん搭載してる!」「もちろんサクサク!」になる。機能や性能には大差はないのだ。
バッテリー持ちこそスマホに残された最後のブレイクスルーであり、バッテリー持ちが最強の端末こそ世界が待望しているものなのだ。
薄さ軽さには皆が満足しているのであり、バッテリー持ちは皆が不満に思っている。
であれば「薄さ軽さを多少犠牲にしてでも、バッテリー持ちを改善するべき」なのだ。
iPhone4の厚さは9.3ミリ。この厚さでいいのならiPhone6は余裕で倍のバッテリーを搭載できる。
他のAndroidだって1.5倍程度のバッテリーを搭載できるはずだ。
ソニーでもシャープでもサムスンでもどこでもいいので、そういった端末を出して欲しい。
Xperia Firebird、とか、Galaxy Stamina、とか、AQUAS LongLongLife、とか、そういうモデルを出して欲しい。
最初は特殊モデルでしかないかもしれないが、間違いなくそれがメインストリームになる。
初代GalaxyNoteを最高のスマホと言ってはばからなかった俺が言うんだから間違いないよ。
GalaxyNoteがファブレットの流れを作り、ついにはアップルがiPhone6Plusを出したように、超大容量スマホがメインストリームになる。
重くて分厚くてもいいので、超大容量バッテリー搭載のスマホを作って欲しい。
GalaxyNoteだって最初はあんなクソでかいスマホを誰が使うんだって言われてたんだ、
それどころか初代iPhoneすら当時はデカすぎる重すぎるって言われてたんだ。
もしスマホの企画担当の人がこれを読んでいるのならお願いがある。自分の心に正直に向かい合おう。今自分が使っているスマホの何が不満なんだ?
本当に薄さが不満なのか? 本当に重さが不満なのか? 本当にスペックが不満なのか? 本当に音質が不満なのか? 本当に画質が不満なのか?
はっきり言おう。不満なのはバッテリー持ちのはずだ。画質やスペックなんて満足しているはずだ。もはやあら探しのレベルなはずなんだ。
もし、本当に本心から、バッテリー持ちには満足していて、それよりも薄さやスペックや画質に不満がある、というのなら文句は言わないさ。
VAIOがたどった道を再びたどるが良いさ。茨の道ではあるが、それはそれでマニア受けするのは事実だし一つの道ではあろう。
でも、そうでないなら、ぜひともバッテリーを(薄さ軽さを多少犠牲にしてでも)改善して欲しい。
今までの「薄くなくちゃダメだ、軽くなくちゃダメだ、」という強迫観念から自らを解き放って欲しい。
何よりも日本のスマホメーカーがアップルや中国勢に勝てるとしたらそこしかないんだ。
アップルは薄さにしか興味がないし、中国勢は安いスマホは作れても省電力ではてんで後れを取っている(実体験)。
バッテリーを2倍搭載した超タフネススマホ。これこそ世界が求めているもので、かつ日本にしか作れないものだ。
何よりもソニーに期待している。XperiaUltra、あんなGalaxyNote信者の俺でもドン引きの化け物スマホを作れるお前ならできる。お前にしかできない。
快適さでアップルに勝とうなんて無理なんだ。無謀な戦いを挑むのはやめるべきなんだ。それよりもバッテリーだ。
俺達にいつまで毎日スマホを充電する生活を強いらせるつもりなんだ? 見ても区別がつかないくせに解像度がそんなに重要なのか?
付属の安っぽいイヤホンで台無しになるくせに音質がそんなに重要なのか? 外出先からリモートでカクカク動作のPS4を遊ぶのはそんなに楽しいのか?
絶対に違うはずなんだ。今解決すべきなのはバッテリー持ちで、バッテリー持ちは薄さ軽さを多少犠牲にしてでも改善して欲しいくらいに不満のあることなんだ。
どうか、素直な心で本当の不満に気がついて欲しい。以前のアップルは「管理の面倒臭さがパソコンの不満」であることに気がついたからこそ管理が簡単なiPhoneを作れたんだ。