最近、というかずっと以前からファンタジー世界を脳内で作り上げることが日常になっている。
昨日は、そのファンタジー世界から数千年経って、改めて作り上げられた文明が現代社会に近くなりファンタジーも廃れてしまった世界の中で魔術師同士が戦うというラノベ的な空想をして、「あぁ!じゃあファンタジー世界の主人公だった奴を後半に敵キャラとして出せばいいじゃん!」とか脳内で盛り上がっているところで仕事場に着いた。
現実逃避の一環で、自分の中で作り上げられている世界を再考していっている。異常だ。
仕事の方はどちらかといえば単純作業が多いので、頭を使うというより、機械的に作業をこなすことの方が多い。
なので気付いたら日が落ちているということも多く、帰宅すれば肉体的疲労に苛まれる、汗臭いのを嫌うのでシャワーを浴びた後は殆ど布団の上である。
このファンタジーを文字に起こしたいんだろうな、とは思っている。しかし、身体はもう付いてこない。
脳内で終わりかけているのだから、もうその時点で俺のこのファンタジーやラノベ的空想は終焉を迎える。今度想像するのはどんな世界なのだろう。そして、そのどれも形作らずに消えていくのだろう。
なんだか昔見たビビアンガールズの作者みたいな死に方しそうだなぁとは思う。しかし最悪なのはビビアンガールズすら手元にないまま死ぬことが確定していることだ。出来ても謎の文書がノートパソコンか、メモ帳かから見つかったりするぐらいだろう。
あらゆる貧困を抱えた馬鹿というのはこういう死に方をするのがザラなんだろうな。私にはパソコンやインターネット環境があったからまだ言葉に出来たのだろうけれど。それでも、発想したものも貧困であれば行動も貧困そのものだ。
「明日に影響するんじゃないの?」とかそういうことを考え出してしまうのはもう物作りをする諸段階から作業から崩れ去っている。こんな場で愚痴を吐く様に自分を否定している。
物作りは常に行っていかなければならない。そうしなければ、物の仕組みを理解しなくなるからだ。
物作りは絶対にやり遂げなければならない。そうしなければ、途中でやめるこ
絶対に迷ってはならない。迷わず行けよ、行けばわかるさ。ってのは筋肉馬鹿の一言じゃない。先を歩いて失敗を経て成功した人間の言葉なんだ。
だけど、なんだか進めないんだ。ここ数日、数年、生まれてこの方。