はてなキーワード: ウィットとは
メディアクリエイターVS旧村民(?)の話って、
「ブログをあくまでも手段の一つとして扱っているか、ブログにこだわっているか」
みたいなことじゃなくて、他者との向き合い方の違いに思える。
少なくともコミュニケーションの方法が世代間で変わってきた、みたいな世代論で片付ける話ではない。
まず、メディアクリエイターを
「自身の人脈拡大またはマネタイズが最終目的に、その手段としてブログを活用している人」
を定義すると、他者の存在はあくまでも上記目的を満たすためのツールでしかない。
http://www.jimpei.net/entry/aiseki
「相席屋」というロケーションも、そこに登場する女性も、彼らを修飾するための要素の一つでしかなくて、そこにあるのは、仲間を増やすための「ぼく」を中心とした愉快な物語だ。
で、村民を
「はてなというツールに一定の愛着を持ち、自身の情報発信(意思表明)及び他者からの情報・意見共有を目的としている人」
と定義すると、他者の存在はツールの存在意義に等しく、他者からの干渉そのものを目的としているため、かなりウェイトが高い。
「ウィットに富んだ冗談が通じて、適度に大人な話もできる」という村民たちが好きだからここにいるという人たち。
例えば仲の良い友だちとはできるだけ対等な関係でありたいと考えるように、読者にも自身と同等の一発信者であって欲しいと考えるのが村民の特徴だと感じていて、増田というサービスで蠢いている人たちも「どうせ匿名なんだからもっと皆好き勝手に意見言えばいいのに」と思っていて、それはモヒカン族の鉞が親愛に満ちたコミュニケーションだったように、親愛を感じている友人と一緒に踊りたいだけというのが本心にあるのではないかと推測している。そもそも鉞に親愛とか無いけど。
比べると、メディクリの世界が自身を主人公とした楽しいRPGだったのに対して、村民の世界はただ友達がほしいという極めてリアルな嘆きの谷である。
村民の憤りや違和感の源泉はここにあるのではないかと考えていて、仲間ではない自分がアイテム扱いされていることや親愛なる人(ここでは村民)たちがアイテム扱いされていることは、普通に考えれば嫌だし気持ち悪いと思う。
マネタイズや自己啓発のためにブログというツールを活用することについて、それほど批判している人がいないのは、皆なんだかんだ言っても生きていく上でお金が大事だとわかるくらいには大人だからだと思うが、一方で何らかの批判が絶えないのはこういう「他者をアイテム扱いする姿勢」が気持ち悪いし、無礼だと映るからじゃないかと。メディクリからするとそんなつもりはなくても、そういう風に見えてることはもう少し真摯に捉えるべきで、これを「意識低いやつらの同調圧力」や「行動できないやつらの僻み」だとして否定するのであれば、他者をアイテムとしてしか見ていないことを証明することにしかならない。
まあそれが善か悪かは別の話だけど、少なくとも「自分とその仲間、あとアイテム」という世界観に賛同してくれる人は、想像力のないバカとビジネスとはそういうものだと諦観した商売上手な大人だけだ。
どこかのまとめサイトで「財布をひろってくれた女子と仲良くなろうとして「300万円入ってたけどどうしたの」ってギャグのつもりでいったらめっちゃ遠巻きにされるようになった」というグチがあったけど、自他の区別、言って良いことと悪いことの区別がつかない人は遠巻きにされます。
特に増田なんだけど、意味不明な事をいいだして会話が通じなくて話をしていて疲れる人がよくいる。
相手「ぜひ来てください。こちらの美味しいものをごちそうします」
私「お茶漬けとかたくさん食べさせてください!」
という意味不明な事を言いだして困惑していたら急に機嫌が悪くなった。まさか冗談なのかな?まさかね。「お茶漬けとかたくさん食べさせてください!」はありえないもの。ありえないわ。センス云々ですらありえないもの。
なんか「今どき京都でも慇懃無礼にお茶漬けを出す人なんていない」「私のことを口先だけでもてなすような人に見ていたのかと思って傷ついた」とボケも交えた突っ込みを入れたら機嫌が悪く。
他にもなんか冗談(?)が重すぎるというか、いちいちまじめに冗談を語ったり、そういうときには会話に言葉を選ばないといけなくてすごく疲れたりする。もはやそれは冗談、冗談なの?と言いたい。
なんていうか、もっとウィットに富んだ生き方した方が楽しいよって言いたい。
なんていうか、もっと知性に富んだ生き方した方が楽しいよって言いたい。
なんていうか、もっと人間性に富んだ生き方した方が楽しいよって言いたい。
今世間にはびこる「繊細ヤクザ」ってのもこういう冗談に対して繊細っていうかわかんないアウストラロピテクスの集まりなんだろう。
最後まで!読んでね♡
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特に女なんだけど、全然冗談が通じなくて話をしていて疲れる人がよくいる。
相手「ぜひ来てください。こちらの美味しいものをごちそうします」
私「お茶漬けとかたくさん食べさせてください!」
ということを冗談で言ったら急に機嫌が悪くなった。
なんか「今どき京都でも慇懃無礼にお茶漬けを出す人なんていない」「私のことを口先だけでもてなすような人に見ていたのかと思って傷ついた」とかなんとか。
他にもなんかこっちの冗談を真に受けすぎるというか、いちいちまじめに返される人とたまに会ったりして、そういうときには会話に言葉を選ばないといけなくてすごく疲れたりする。
なんていうか、もっとウィットに富んだ生き方した方が楽しいぜって言いたい。
今世間にはびこる「繊細ヤクザ」ってのもこういう冗談が通じないっていうかわかんない人種の集まりなんだろう。
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【追記】
よく聞けバカども。
お茶漬け云々という冗談は俺が考えたものじゃなく、ある有名なユーチューバーさんのコメントをパクったものだ!ワハハ
その人はとても人柄がよく、とても大好きな動画をいくつも上げる人だったんだが、説明したような冗談がわからない奴らがたびたび絡んできていて見ていて「面倒くさそうだな~」と思ったのでこのような話を書いたという次第だ。
バカどもめ。
最近、今井美樹ばかり聴いている。透明感のある伸びやかな歌声が好きで。
無料配信されていたライブ映像を見ると、素敵なたたずまいと笑顔!!
そばでTVを見ていた夫に
「決めた!私は将来今井美樹になるよ!!」と宣言したら
「あのさ・・・たまにはウィットに富んだ返し方をしてくれよ・・」と言うと今度は
「ウィットってどういう意味?」と返されたので彼との会話を諦めました。
って、そんな昨日の出来事をここに書いて、私は一体何が言いたかったんだろうと今考えてみる。
最近私は彼と会話らしい会話をしていないような気がする。
今度の休みはどうするとか、今日は子供がどうだったとか、そんな会話はもちろん日常してるけど。
改めて「この親戚一同が嫌いだなあ」と思った。
「〇〇ちゃん」「〇〇ちゃん」とまあみんなフレンドリーにしてくれる。
しかし彼等と心の通じ合う気分を持ったことが一度もない。
些細なことで笑いあって少し心が通じる、その程度のこと、
そういうのすらあの親戚達に対しては一度もない。
彼等なりに気を使ってくれてるらしい配慮はこちらには全然響かない。
彼等親戚同士のコミュニケーションを見てもぶっきらぼうぶっきらぼう、
あれでどんな風に心が通じ合うのか想像もつかない。
笑いのネタや話題も「誰々が〇〇した」ばかりで抽象的な会話やジョークは皆無。
(たまにしかいかない私にはその”誰々”の解説をしてくれるが、興味ないし知ったこっちゃない。)
「血が繋がっててもここまで絆を感じないこともあるんだなあ」
と毎度感心する。
そしてとっても居心地が悪い。
旅行で泊まる民宿でもあの親戚一同と一緒にいるよりはよほど心が休まる。
評論家の町山智浩は自分の田舎の親戚一同が嫌な奴等だったからという理由で
あの映画のことも「現実はクソなのに美化している」みたいに言って叩いていたが、
私は自分の親戚一同が嫌いだからこそあの映画に夢を見て満足した。
年に1、2回集まるなら十分楽しい親戚一同で
すごい智慧と慈悲のある家長がそれをまとめ上げてるファンタジー。
そこに少し緊張しながらも迎え入れられて一員になるあの話は楽しかった。
・映画批評サイト「Rotten Tomato」からまとめてみました。
観客支持率 :90%
批評家まとめ:ポール・ラッドのチャーミングな演技のおかげで、『アントマン』はその小さなスケールにふさわしい形でマーベル的スリルを観客に与えてくれる。もっとも、マーベルとしては最高クラスの傑作というわけではないが。
褒「『アントマン』は面白い。なぜなら、大作映画的なトリックを大作映画的な誇張表現なしに実現しているからだ」――メル・キャンベル(「ジャンキー」)
貶「害虫ってスタート地点がスーパーヒーローとしてキワモノだな、って以外になにかあるの?」――リチャード・ローパー(「シカゴ・サン-タイムズ」)
観客支持率 :85%
批評家まとめ:スタイリッシュで、ロックで、なにより楽しい。マシュー・ヴォーン監督ははしゃぎまくりの放埒さでもってスパイ映画の打ち上げに成功した。
褒「『キングスマン』は紳士にはオススメできない。この作品は、お下劣で血に飢えている俺らのための映画だ。遺漏なく完璧に練られた技巧で、邪悪なオタクたちを爆笑させてくれる」――ビルゲ・エビリ(「ニューヨーク・マガジン/ヴァルチャ」)
貶「ヴォーン御大の問題は、映画的技術としてのバイオレンス描写に一切興味を持っていないところだ。彼はバイオレンス描写を使っているのではなく、浪費している」――マノーラ・ダージス(「ニューヨーク・タイムズ」)
観客支持率 : 45%
批評まとめ: 面白みのないタイトルが中身の独創性のなさをよく表している。『ラスト・ナイツ』は手垢のついたファンタジーによる比喩表現の寄せ集めだ。ジャンル的な目新しさ、面白みもない。
褒「往時の作り手たちはラグジュアリーな息吹をジャンル映画に吹き込むすべを心得ていたものだ。もはやそんな大作はあまり観られなくなってしまったがね。私はこの作品が大好きだよ……欠点も含めて」――ジョン・ダーニエル(「スレート」)
貶「『ラスト・ナイツ』はこの上ないほど完全な駄作だ。とにかくダルくてからっぽで、disる気力さえ沸かない」――クリスティ・ラミーア(「ロジャー・イーバート・ドット・コム」)
観客支持率:55%
批評まとめ: 懐かしのクソゲーのようだ。『ピクセルズ』は「やりなおし」のコインを追加する価値もないし、そもそも25セントに値するかも疑わしい。
褒「まあ、80年代ネタてんこもりの内容は子どもにはウケないだろうけれど、それなりに面白いよ」――レイファー・グズマン(「ニュースデイ」)
貶「『ピクセル』にはウィットもなければジョークもない。よって言うべきことも何もない。ゲロだけはたっぷりあるけどな」――ジョン・セムレイ(「グローブ・アンド・メール」)
『ファンタスティック・フォー』(ジョシュ・トランク監督、10月公開)
観客支持率:21%
批評家まとめ:かったるい上にテンションも低い。『ファンタスティック・フォー』は必要なユーモアや喜びや色とりどりのスリルを欠いた状態で古典コミックを現代的に翻訳するという、あまりに痛々しい過ちを犯している。
褒「主演の四人――マイルズ・テラー、ケイト・マーラ、マイケル・B・ジョーダン、ジェイミー・ベル――は良いキャスティングだ。彼らのギークな理想主義はジョシュ・トランク監督の広い視野によく合っている」――ベン・サックス(「シカゴ・リーダー」)
貶「笑えるほどチープ。頭の悪さでは『未来惑星ザルドス』に迫るレベル」――クリスティ・ラミーア(「クリスティ・ラミーア・ドット・コム」)
『ジョン・ウィック』(チャド・スタエルスキ+デヴィッド・リーチ監督、10月公開)
観客支持率 :80%
批評家まとめ:スタイリッシュ、スリリング、めまぐるしいアクション。『ジョン・ウィック』はキアヌ・リーブスのアクション映画へのカムバック作として満足な出来だ。今後のシリーズ展開が期待される。
褒「完璧とはいえない。だが、(特にハリウッド製中規模アクションドラマとして)際立っている。先週の金曜のレイトショーを観てからずっと私の心に固く刺さりつづけている作品だ」――デヴィッド・シムズ(「ジ・アトランティック」)
貶「スタイリッシュな暴力映画、ってだけ」――ブルース・ディオンズ(「ニューヨーカー」)
『コードネーム U.N.C.L.E.』(ガイ・リッチー監督、11月公開)
観客支持率 :80%
批評家まとめ:『コードネーム U.N.C.L.E.』は面白げな仕掛けとスター俳優でなんとか平凡なストーリーをごまかそうとがんばった結果、全体としては本質のなさをギリギリ露呈せずにすんだデコボコアクションスリラー、といった趣に仕上がっている。
褒「ここまで誰得?って作品もそうそうないと思うけど、だからこそ、この映画が上手にリンボーダンス踊れていることにビックリした」――ウェズリー・モリス(「グラントランド」)
貶「見た目はいい(ガイ・リッチーはいつだって巧妙な映像作家だ)ものの、古いドラマのリメイクとしては圧倒的に受け身すぎ」――アダム・グラハム(「デトロイト・ニュース」)
僕には友人がいた、いや、今でも居るんだと思う、消息は知らないが。
中学が一緒だったが、彼はとてもウィットに富んだジョークを放つ男だった。
僕なんかではとてもかなわない人間だった。ここではAとしよう。
でも成績は悪かった、はっきり言って底辺だった。当時成績はそれなりだった僕が軽く教えればすぐに飲み込む。なのに何故だろう。
頭の回転は凄く速い。「かけあい」をしていてとんでもない発想からくる知性を感じる返答の連続だった。
ある日、遊びに来いよ、とAに誘われ、彼の家に訪問し、その疑問は氷解した。
ウォシュレットが普及し始めた時勢に未だ和式便所、小汚いハムスターの籠(エサやりわすれてたら共食いしてたよ、と彼は笑って語った)。
ああ、分かった。Aはそういうランクの人なのだ。Aは、というよりAの世帯は。
しばらくプレステ2のメタルギアソリッド2を遊んでいた時、インターホンが鳴った。ガス会社の人が来たらしい。
玄関先からAの母親の声が聞こえた。「あと3日で息子の給料が入りますので」と。
Aは確かにバイトをしていた。Aは笑ってこう言った。「俺がなんとかしなきゃな」。
彼は本当に頭の良い人間だった。風の噂では最近はパチンコ屋で働いているらしいが、地元を離れている僕としては調べようもない。
突如モテはじめると、
気が狂ったように女を食い散らかし始める。
と変遷していく時におこる現象で、
突如として輝き、スターダムに上っていく。
元非モテであった男達は、
そうしたモテはじめた状況を、
ただ一人の女性に捧げるということは稀で、
女が多数いることを選んでしまう。
彼らはそうした女を集めることに非常に長けている。
あくなき欲求で次へ次へと
また、こうした行動は、
復讐も兼ねているため、その女がどんなに傷つこうが
知ったこっちゃない。優しい言葉でつないで、
この手の男が落ち着くときは、
そこに至るまでひたすら辞めない。
聡明なる女性の皆様におきましては、
覚えていただけると幸いです。
①美人
顔がとても美人。
道行く人が振り返る。
一緒にいると歌ったり踊ったりしてた。
キャピキャピしていて一緒にいて楽しかった。
③肌が白い
肌が白くて美肌。
外見は完ぺきだった。
④技術職
⑤勉強家
勉強意欲がある。
専門分野はもちろん経済・法律・世界情勢・時事ネタにも強かった。
⑥俺が好きなものを好きになってくれる
⑦冗談に笑ってくれる
笑いのツボが合うというより、俺の冗談に笑ってくれる。
「ウィットに富んだ冗談で好き」と褒めてくれていて嬉しかった。
⑧社長令嬢
家にお手伝いさんがいた。
⑨「可愛い」と言ってくれる
俺のことを「可愛い」と言ってくれる。
⑩食に興味がある
唯一の共通の趣味だった。
星付きのお店に行ったり楽しかった。
①釣った魚に餌をやらない
付き合う前後で態度が異なった。
終始不機嫌な顔をしていた。
②結婚観の違い
「男が好きな女を養う。女は自由に生きる」が元カノの結婚観であった。
「一緒に協力して生きていく」が俺の結婚観であった。
この違いに気がつかなかったため、元カノの行動が理解できずに苦しんだ。
③家事をしない
家事は妻の仕事ではなく、お手伝いさんの仕事という認識だった。
「女なのに働いているからエライ」と思っているため反省も感謝もなかった。
④金銭感覚の違い
俺は中の下の家庭だったので、ギャップが大きかった。
⑤浪費癖があった
彼氏には父親と同様の経済力があるのが前提の生活だったので、すぐに共同生活に破綻が来た。
⑥「お金を使っている状態」または「お金を稼いでいる状態」以外は無駄な時間という認識だった。
家でまったりするとかは、受け入れられない人だった。
⑦酒癖が悪かった
⑧対等な関係でなかった
⑨元カレの話をしてくる
何回も元カレの話をしてきて嫌だった。
耐えられなかった。
⑩話合いができない
ヒステリーを起して冷静な話し合いができなかった。
自分の意見を強行して既成事実を作って、なし崩し的に目的を達成する手段を用いる人だった。
でも相変わらず美人が好きだ。
■本文。
今回プレイした『夜勤病棟』もそうなのだが、ダーク系の美少女ゲームの場合は、非日常的な体験を核としている以上、表層的には、プレイヤーから遠い存在でなければならない。無論、内面的には、闇の部分を共有させる必要性もあるのだが。
なので、ダーク系のゲームの場合、プレイヤーがダイレクトに投影できるような、無個性な主人公では駄目なのだ。もっとも、『河原崎家の一族』のように[覗き見る]ということに主題を置いたゲームは例外なのだけども、基本的に、背徳的な行為を行う、プレイヤーの代理人である主人公は、アクが強く、ウィットに富み、性的な超人だ。それは、恋愛系の美少女ゲームに於ける主人公像とは、鏡像的な関係にあると言えるだろうし、それは……フランス書院文庫や、マドンナメイトといった、既存のポルノ小説を支配する概念だったりもする。
そして、それらに共通する超人願望を、悪しきマッチョイズムと評する人もいるのだが、ポルノメディアは本来、男性原理が基盤となっているものだから、それを責めるのは、ちょっと違うような気もする……ポルノメディアとは、本質的に「そういうもの」なのだ。
そういう意味では、ゲリラ戦の天才であり、エロゲー界のチェ・ゲバラとも言える臭作さんは、まさに完璧超人だったんだけど、『夜勤病棟』の主人公である[比良坂竜二]の場合は、調教者としての天才的な手腕よりも、コミュニケーション不能者としての印象が先に立つ。性格が狡猾な割には、根が幼稚というか……ほとんど子供です。なので、キャラクターとしては、『好き好き大好き!』のラバーフェチな主人公に近いと思う。特定のイコンに対する執着……竜二の場合はスカトロジーへの執着が強いというあたりも似ているかもしれない。となると、ゲバラというよりはカストロかなあ(何を言ってやがる)。
まあ、感情移入するには紙一重の人物設定なのだが、実はこの落差がダーク系では重要だったりもする。個人的には、竜二となら美味い酒が飲めそうな気がするが。同病相憐れむ、といった感じか……。
ところで、竜二の場合は、歪んだ支配欲(自己顕示欲)の背景となっている、自分のコンプレックスに言及している箇所が、やたらと目立つ。例えば、恋に対する感情の変化は、ある意味で[お約束]と言えるが、同時に、[お約束]に対する違和感を描いているという面もある。
例えば、お近付きの印に花を貰っただけで、相手が自分に恋愛感情を抱いていると思い込み、その相手に恋人がいることが判明すると一転して、逆恨み的な復讐を誓う……という心の動きは、暗く、自己中心的な欲望ではある。しかし、子供的であるが故に、一定の共感を持つことはできる。けれども、非日常的な舞台&人物設定は、過剰な思い入れを抑える。結果、ダーク系な美少女ゲームで、最も重要な[紙一重]の感覚を上手く成立させているのだ。
そして、『夜勤病棟』という作品は、被調教者の心理描写に加え、調教者の心理描写にも踏み込んだことで、『雫』や『好き好き大好き!』といった作品の系譜で捉えることもできるだろう。もっとも、前出の作品に比べると、非常に明るめな印象はある。これは、従来のポルノ小説に於ける、エアブラシを用いたリアル系イラストレーションとは正反対な、淡くパステルカラー系なグラフィックを用いていながら、作品的には、ポルノ小説の世界観を骨格として援用していることに起因する。結果、一種の異化効果が働き、独特の雰囲気を醸し出している。
そして、前号の原稿でも書いた、マッチョイズムにもフェミニズムにも共感できなかった人々にとっての信仰……という要素が強い、前出の二作品と同じ文脈で語れるであろう要素を持ちながらも、『夜勤病棟』という作品は、従来の定型……つまり、マッチョイズム寄りの作品としても成立しているという、不思議な立ち位置のゲームだったりする。
無論、ポルノメディアとして捉えた場合は、こちらの方が正統であることは言うまでもないし、不思議な立ち位置を確保していることが、昨年あたりからの手詰まりな状況に対し、ちょっとしたヒントになるんじゃないかな……という気はするんだけど、どうなんだろうか……?
でもって、また、話がズレるんだけど、ダーク系とは逆に、恋愛系ゲームの場合は、主人公の意志がプレイヤーの意志と同一化し……シンクロ率を上げ、それが頂点に達したところで、何らかの感情を獲得し、それが[快楽]に繋がっている。つまり、涙を流すことが、射精の代理行為として成立するケースもある、ということだ。まあ、調教によって隷従させるのも、恋愛によって心の繋がりを構築するのも、繋がったことに対する快楽という点では大差ないような気もするのだが……。
だから、表面的な情念をノイズとして、削ぎ落とし、隠匿した、いわゆる村上春樹的な文体の方が、実は好ましかったりもする。この場合、隠匿された情念を追い求めることが、セックスと同じく、快楽を生み出す行為になるのだろう。もっとも、その文体で、えっちシーンを構築するのは難しいのだけど……。
何故なら、恋愛は情念を削ぎ落としても、ある程度は成立できるが、エロという部分を記号化するには限界がある。早い話、情念を削ぐと、色気も失せてしまうのだ。ただ、ポルノ小説という場所では、別の意味でフォーマットが確立されていて、記号的な表現技法として体系化されている。しかし、記号化したのは主に、表層の情念なので、両者を組み合わせると、水と油のような状態になってしまう。
これは、前々回で『夏祭』をレビューした際にも言及したが、恋愛系の美少女ゲームでえっちシーンになると、途端に主人公が饒舌になり、オヤジ臭くなるのは、親和性の限界を完全にクリアしていない証拠でもある。恋愛描写とセックス描写の食い違いが、萌えと泣きの二項対立を助長しているとも言えるし、逆に、美少女ゲームが、まだ進化の余地を残している証拠でもある。
さて、進化に関連することとして、美少女ゲームが持つ物語媒体としての構造については、一部のユーザーの間では、ファンサイトという形で研究されているが、主に[トラウマ]と[癒し]という現象にのみ、着目しているケースが多く、セックスという行為に介在する身体的な感覚や、その意味性については、やや軽視される傾向があるようだ。
ただ、これは作り手の側の問題でもある。しかも、意図的に言及を避けている作品もあるから、仕方が無い……という面もあるのだ。加えて、マッチョイズムとフェミニズムの類型的なイメージを排除しようとすると、同時に、性的な要素を排除しようとする力が、無自覚に働いてしまう……というのもある。
そして、フェミニズムの影響に囚われがちな、サブカル系のジェンダー化運動に比べれば、美少女ゲームを含めた、オタク向けポルノメディアの方が、思考の行動範囲は広いと言えるかも知れない。自由度が高い、とも言えるのかな……その分、目標が曖昧なので、途方に暮れたりもするのだけど。しかし、既存のジェンダー区分が持つイメージとは異なるものを構築する可能性、という意味では、共通しているだろう。
■畜生にも劣る総括。
萌え不能症気味の筆者は、センチメンタルな感傷や同情ではなかなか泣けなくて、むしろ、物語の流れにシンクロして感極まるって感じなんだけど、これって、結局、同じことなのかなあ……分からん。あ、あと、そろそろホームページ更新します……過去原稿もそろそろアップしないと……げふ。
http://anond.hatelabo.jp/20140421200127
いや違う。タイトルだけみてお前らが想像したようなのを求めているんじゃあない。
来週に彼女の誕生日がやってくる。そしてその日は、俺達が出会った記念日でもある。
ある春の日のこと。駅からめちゃくちゃ近いとある公園で、俺はのんびりと、桜の散らばる道を歩いていた――
そろそろ時間かな?と思った俺は、時計を見ようとポケットに手を突っ込んだ。だが無い。携帯が無い。それどころか財布もない。
まずい。全部バッグに突っ込んで、電車の網棚に忘れてきたんだ。春の陽気のせいで、ついうとうとしていたからだ。
スイカのカードと免許証がポケットのパスケースにある。残額は、たいして無いはず。役に立たない。クソッ。
その日は友達のツテで知り合った女性と初デートだった。早めに来てのんびりしていた俺だったが、待ち合わせの時間は刻一刻と近づいているはずだ。
お腹が痛くなったことにして、デートをキャンセルするか。いや、それはあまりも不誠実だろう。
財布を落としたことを正直に話して、今日のところはお金を貸してもらうか。いやいや。最初のデートという二人にとって大事なイベントでいきなり財布を落とすようなやつに、将来自分の家庭の経済的側面を任せてくれるだろうか。
アホか。いくらなんでも気が早過ぎる。俺たちはまだ付き合ってさえいないじゃないか。
兎にも角にも、まず連絡しなくては。
とっさに俺は、ベンチに座っていた話しかけやすそうな女の子に、時間を聞いた。
彼女は時間を答えた後、「どうかしたんですか?」と気にかけてくれた。
そして、にっこり笑う。
ベンチの隣をポンポンと叩いた。
……座れということらしい。
しかし気持ちは焦っていたので、情けないことに、隣の見知らぬ女の子に、すべての事情を話してしまう。
これから美人とのデートなのだが、相手は、ツンとした感じの美人で緊張していること。相当お金持ちっぽいこと。俺のジーパンにジャンパーの服装は見劣りしないか不安だということ。
連絡しなければいけないが財布をなくしてしまったこと。こういうときどうすればいいのかわからなくて困っていること。普段はこれほどマヌケじゃないこと。
でも基本的にはボンヤリしていて、そんな自分に自信がないこと。こんな甲斐性なしが、女性とデートして良いのだろうか、本当は帰って布団に包まって泣いているべきなんじゃないか。そう思っていること。
おとなしく頷きながら聞いていた女の子は再び、にっこり笑う。
そして上着のポケットから財布を取り出しお札を抜いて差し出した。1万円札を差し出した。
1万円札。
必ず連絡する。
約束した俺は、彼女が持っていた油性ペンで手首にアドレスを控えて、その場を後にした。
紆余曲折があって、俺の奮闘もむなしく、美人にはすげなく振られてしまう。
その原因は、かいつまんで言うと俺のコミュ力がなかった、終始ロレツが回っていなかった、ということだ(たぶん)。ジャンパーとか特に関係なく。
で、その後、公園の女の子と約束通りに再会して、話が弾んだ――「あの日は実はわたしの誕生日だったんですよ」「そうだったの?ゴメン!いやさ、おめでとう。お祝いにおごるよ!」その後デートを重ねて、彼氏彼女になって、俺リア充。
もとい、今に至る。かれこれ5年前の話だ。
前置きが長くなっちゃったが、俺は今、そんなこんなで知り合った、愛しの彼女への誕生日プレゼントを考えている。
いままで何度も機会があったが、大体において不評だった。
大枚をはたいてペンダントを買った。3ヶ月間、食費を切り詰めた俺が差し出したペンダント。
「ありがとう」と言ってにっこり笑顔で受け取った彼女は、それをそっと食卓に置いて、いきなりのしかかってきた。
で、グーの両手でボコボコ殴られた。まっくのうちー! まっくのうちー!
(「どうしてそういうことするの!!」と、その後1時間ガチ説教でした;;)
有給をとった俺達は、誕生日デートと称して、高原へプチ旅行に。
着いたら、まさかの雨。知ってるか? 高原で雨って、何もすることねーんだぜ? おまけに霧も出てくるし。何も見えないし(彼女が体調崩したので、その後も滅茶苦茶何もない)。
彼女は動物が好きなのだけど、アレルギーで飼えないらしい。ペットショップを通り掛かる度に、切なそうにしている。
それを誕生日の前の週に突然思い出した天才こと、俺。Amazonでネコの写真集を買ってあげた。これが大受け。
彼女は三日三晩ウットリながめた挙句、棚に飾った。今でも彼女の部屋に行くと、表紙の子猫がつぶらな瞳で俺を見つめてくる。
もっと何かこう……エッジが効いていて、ウィットに富んでいて、体重が乗っている(ボクシングはどうでもよい)、彼女がよろこぶ、イケてるプレゼントはないか。
というか、お前らって、夫とか妻とか、彼氏とか彼女とかに、普段どんな誕生日プレゼントあげてんの?
俺でよかったら聞いてやるよ?
どうかこの甲斐性なしに、ぜひ増田民の皆様の知恵をお貸しいただきたく、よろしくお願い申し上げたてまつり候(そうろう)。
注・本稿中のエピソードは一部大げさです。
昨夜飲みに行ったのだが、店に入った時には隣の団体客が既に出来上がっていた。
都内某所のこじんまりとした居酒屋。彼らは野郎だけ(10人くらい)の団体で如何にも楽しそうだなあと見ていたら、その中の年長者と思しきスーツをきた一見する誠実・温厚そうな男性が突然、
「ち○こーーーー!!!」
「ち○こーーーー!!!」
「ち○こーーーー!!!」
「ち○こーーーー!!!」
「ち○こーーーー!!!」
と叫び始めた。
小さい店内なのでほかの客の会話を掻き消すほどの大音量。
単純にパワフルなおっさんだなと思う一方で、
いい年したおっさんが全力で小学生レベルの下ネタを意気揚々と叫ぶ様はなんとも無様だった。