改めて「この親戚一同が嫌いだなあ」と思った。
「〇〇ちゃん」「〇〇ちゃん」とまあみんなフレンドリーにしてくれる。
しかし彼等と心の通じ合う気分を持ったことが一度もない。
些細なことで笑いあって少し心が通じる、その程度のこと、
そういうのすらあの親戚達に対しては一度もない。
彼等なりに気を使ってくれてるらしい配慮はこちらには全然響かない。
彼等親戚同士のコミュニケーションを見てもぶっきらぼうぶっきらぼう、
あれでどんな風に心が通じ合うのか想像もつかない。
笑いのネタや話題も「誰々が〇〇した」ばかりで抽象的な会話やジョークは皆無。
(たまにしかいかない私にはその”誰々”の解説をしてくれるが、興味ないし知ったこっちゃない。)
「血が繋がっててもここまで絆を感じないこともあるんだなあ」
と毎度感心する。
そしてとっても居心地が悪い。
旅行で泊まる民宿でもあの親戚一同と一緒にいるよりはよほど心が休まる。
評論家の町山智浩は自分の田舎の親戚一同が嫌な奴等だったからという理由で
あの映画のことも「現実はクソなのに美化している」みたいに言って叩いていたが、
私は自分の親戚一同が嫌いだからこそあの映画に夢を見て満足した。
年に1、2回集まるなら十分楽しい親戚一同で
すごい智慧と慈悲のある家長がそれをまとめ上げてるファンタジー。
そこに少し緊張しながらも迎え入れられて一員になるあの話は楽しかった。
まちだともひろももう失脚だよ 喜べ
町山だろ いま生放送やってたけどなんかおじいちゃんぽくなってた。 腕が細くて顔に生気がなくて。 進撃の心労で老けこんだんかな。