はてなキーワード: 軽蔑とは
ニュース見てて、女子中学生監禁した人が誰かに似てるなあ似てるなあと思ってたら
ああそうだ。だいぶ昔に辞めてった奴に似てるんだ。
各局がこぞって使用してるあのアップ写真。見れば見るほどよく似てる。
なんつうのかね。顔のパーツのひとつひとつや容貌そのものはあまり似てないんだが、その奥から滲み出すものが凄く似てるっつうのかな。
いやー思い出すなあ。
求人も出してないのに偉いさんのコネで無理矢理入社してきた、兼業社家のそれも跡継ぎですらない予備。
ハッキリ言って歓迎されてなかったね。手ぇ足りてたし。しかも、入社前からアレコレ既に噂を聞いてたんだけど、
まだ資格取ってる最中の見習いでありながら地元での実習中に反抗、コネで入れてもらった別の土地の神社でも反抗。あと何社かリピート。
そんで、おハチがわざわざ遠方のこちらに回ってきたという話だったわ確か。
とはいえ、「下馬評が最悪とはいえ、実物を見て判断しなきゃフェアじゃない」と思ったから。
いざ入社してきたそいつの態度を見て判断しようと思ったんだけど。
やってきたのは渡り中間みたいに尻軽にあちこち転々としてただけでロクな仕事も任されてなかっただけの、もう若いとは言えない年の奴で、しかもどういうわけか“経験豊富”をアピールしてた。
斯界もまた生え抜きが評価される世界だ。お前がそのチンケな経歴を誇っている相手のお歴々は、上にそんなナメた態度なんざ一切取る事なく長期間勤め上げている方達なんだけど?と言いたかった。立場の勘違いも甚だしい。
それでもなお、「意に染まぬ遠方に来させられて傷ついているのだろう」と、務めて好意的に迎えていたのだが。
神社入ってきた奴がまず最初にこなす仕事もまともにやりゃしない。境内の一番遠い箇所の早朝清掃。率先しての受付。率先しての祈願奉仕。朝拝準備。雑用。肉体労働。
仕事をまともに覚えない。ひたすら自分のやり方でやりたがる。一体何を仕事の本質と思ってるのか知らないが、とかく伝統を受け継がない。
十歳くらい年下の指導役(そいつからすれば先輩)に仕事を普通に押し付ける。まあこれは新卒上がりの指導役がヘタレの風見鶏なせいだが。
もちろん神社というのは信仰や伝統を護持する関係上そう甘い組織じゃないから、見るに見かねて先輩や上役やらが注意するも、
スネるわゴネるわおどけるわ、でその場その場をやりすごし、指導すらまともに受け入れない。結果的に仕事覚えられなくて困るのはそいつ自身だったんだが。
人の言いなりになるのが死ぬほど嫌いなのによく前職が勤まったもんだが、もちろん組織人として下命に服さねばならない局面なんていくらでも巡ってくる。年功序列、上意下達。斯界の鉄則だ。
で、人の命令に従わざるを得ないときは、面従腹背。背任背信。陰口三昧。
あまつさえ職員間の対立構造を裏で煽って激化させ、対立者それぞれに相手への悪口を吹き込みつつ怒りを煽るだけ煽って、自分だけは味方ですよアピール。まるで密告社会みたいなのを作ろうとしてたっけ。
そのやり口もえげつなかったなー。
まず、幾つになっても口さがない巫女連中と神職の悪口で盛り上がり、距離を縮める。
やたらに反抗心を煽るだけ煽って、軽率な巫女連中に小さな反抗を繰り返させる。
巫女の突然の態度変化から、神職達もバカじゃないから巫女と新人との間に敷かれたラインにやがて気付く。
で、年だけ食ってて経験豊富気取りで、仕事覚える気もする気もない新人に対する指導。まずはその鋭鋒を一旦、鈍らせる。
新人に対する当たり前の干渉が止んだ一瞬の隙を突いて、上役それぞれに、個別に接近する。
方法は同じ。二人きりになるタイミングで、別の上役への敵意や体制への不満を煽る悪口で大盛り上がり。互いにけん制しあうように仕向ける。
粗暴な奴なんて日ごろからうまく誘導しておいて、機会があれば、自分の気に入らない奴に暴力振るわせたりとかしてたっけ。
もちろん上役達もバカじゃないから新人の小ざかしい動きには当然気付くんだが、さあ事ここに至ればもう手遅れだ。
指導神職たる上役達は新人の育成に力を注ぐのが常だから、互いの確執はさておき、ひとまずこの新人をこれまでの神職達と等しく育成しようと思い直していた様子は幾度も見受けられた。だが既に、個々人がそうは思ってもなかなか言い出せない状態に陥っていたらしい。
なにせこの腹芸ばっかり得意な新人は、ちょっとキツイ事を言えばすぐにスネ、別の上役に自分の悪口を吹き込みまくり煽りまくり余計に仕事をやり辛くさせるだろうという事がもう誰の目にも見えているからだ。
上役達はそれこそ何十年と同じ職場に勤めてきている地元の人間だから、そんな人間同士で揉めたくなんかない。
結果、自ら煽った上役同士の牽制を利用する形で新人への教育は止み、先輩諸氏も指導役も上から命じられたはずの新人教育を行えば上から理不尽な攻撃が飛んでくるという謎の事態に命令遂行を断念し、こうして今ここに、誰からも教育されないバカが一人爆誕するわけだ。
さて。斯界ではしばしば、命令の理解よりも服従そのものが求められる。
神職連中は昨日から受け継いだものを明日に渡す、詰まるところはそれだけが仕事だからだ。
神社はただ黙って伝統を受け継ぎ、形を変えずに次代へ受け渡せばそれでいい。意見も感想も改善案もその一切を差し挟む必要はない。
服従を求めるのは、指導が厳しいのは、単純に、先人の伝えてきた伝統を踏みにじる事の重大さを本当に自覚させる為のものでしかない。
だが、肝心のその指導をはねのけるようではこの先に何ひとつ学べることなどありはしない。
伝統の重みを嫌う人に伝統を背負わせようとしても無駄な事だ。伝統とは歴史の重みそのものなのだから。
少なくとも私はそう思ったので、奴を業務に関わらせることはしなかった。
業務上同じ係にいくつか名を連ねていたし、これまでの新人には自分が教わったやり方をそのまま受け継ぎ、なるべくメインで業務を担当させてきたが、コイツにはやらせるだけ無駄だと思ったし、そもそも何より態度が無礼過ぎたため神社の外の人に関わらせる事すらできなかった。損失を招く未来しか想像できなかった。
仕事のやり方も教えてもらえず、仕事もなく、手の空いて暇でしょうがないバカは、なぜか先輩達の仕事の評論を始めた。もちろん下っ端としての業務は放棄したままだ。
比較的相手してくれる先輩に対しては、献策や改善案の提示も始めた。
無論いずれも、責任取らなくていい立場のバカの提示する案だから、地に足の着かない無責任な計画ばかりだった。もちろん採用されない。
困り顔で会話に応じ深甚の感謝を述べていた先輩方の表情が印象的だった。
ま、こいつも神社を転々としているだけあって、肝心なところで脇が甘い。
上役にだけいい顔をしているだけでは、この均衡状態は長持ちしないという事に気付いていなかったのだろう。
さて、こいつが風に吹かれる風船みたいにあっち行ったりこっち行ったりするのを決めているのは、コネの大元である、さる偉いさんだ。
偉いさんもまあ、自分が押し付けた面倒な人材の動向なんてのは気になるわけだ。勝手に顔を潰されても困るから。
で。たまたま折良く動向を訊ねる相手が私だったという事が、きっと分水嶺となったのであろうと思われる。
まあ私もお偉いさんの前だし礼儀と節度を守った返答しかしなかったが、向こうは訊きたい事だけは訊けたような苦い顔をしていたからなあ。
さて、知らないところでまた勝手に動き出す自分の運命も知らず、こいつはどこまでも俗物だった。
巫女に手を出すなと奉職時に言われたはずが速攻で手を出し、用意してもらってた社宅に連れ込み半同棲、年単位でイチャイチャ。
それだけ派手にやってて、しかも責任も取る素振りすら見せなければ、流石に近隣の住民達の口の端にものぼってくるのが当たり前だよなぁ。
最後は周辺住民の噂になった事を問題視されて、二人揃って辞めてった。
辞め時にわざわざ親が来て、本人のいないところで職員一同に向かって深々と頭を下げ、はっきりと口に出して許しを請うていたくらいだもんなぁ。
しょうもない理由で辞めてくゆとりは多いけど、あそこまで、年取った親に頭下げさせて「どうかお許し下さい」なんて台詞言わせた奴は後にも先にも見た事ないわ。
宮司である親父さんがそうやってずっとペコペコ頭下げて守り続けてきたものが何かなんて、軽蔑こそすれ、あいつは一度も真面目に考えた事すらないんだろうなぁ。
跡継ぎじゃねえんだったら、気に食わない事ばかりなら斯界からとっとと出て行けよと。社家の恥だわ。
たまたま折良く次の転任先が探されていたおかげでまた転任していけたようだが、しかしなんとまあ因果な事に。
その転任先も「巫女に手を出し即日クビになった奴が出て人手不足だったから」という理由で人を探していたのであった。
先で何が起こるか、どう迎えられるかなんて想像が付くし、つくづくどこまでも因果応報という言葉の付きまとう奴だと思う。
しかしまあ、「巫女に手ぇ出したから神主クビにしたんだけど人が足んなくなったから、ヨソの神社で巫女に手ぇ出してちょうど問題になった奴がいるんでそいつ転任させるねー」でよく通るもんだ。何で誰も怒んないのかねぇ。
さて。
女子中学生監禁の犯人の写真を見て、上記の奴によく似通ったものを感じたわけなんだが。
ニュース番組では「監禁ではなかったのではないか」「自由がありすぎて監禁されていたとは言えないのではないか」などという報道もよく見る。
報道を見て受ける印象もまた、どっちだかわからないな、と確かにそう思える。
しかし、
奴が仕事するどころかそれを否定してむしろ仕事の本質を破壊・解体しにかかっていたように、
それと似通ったものを感じるこの犯人もまた、ぱっと見、監禁とは言えないようなソフトな共同生活を送っていたように見えてもその本質は、実態は、監禁以上の恐ろしい精神支配やマインドコントロールや恐怖の植え付けを被害者に対して行っていたのではないだろうか。そのような疑念を覚える。
もちろん擁護する余地だっていくらでもあるんだろうが、きっとその場にいないとわからない事も沢山あって、
それは無論被害者しか語り得ない内容な上、また人に信じさせるのはとても難しい事柄のような気がする。
このエントリのように。
http://www.bloglifer.net/entry/yagi-log
もはや何をどう書いたところで炎上スパイラルから逃れることは不可避な
それでいておそらく当の本人は屁とも感じてないと思われる
この男まだブログ始めた時につるんでたっていうのか師事してたっていうのか
「おかげで自分もPV増えました!お金稼げるようになりました!」と
よりによって「かみじょー」と「ととっち」だぜ?
分かる奴には分かるよな?
ケンカするなら本気でこいや!俺は逃げも隠れもしねえぜ!と豪語して
本気でケンカ売ってきた猛者たちにビビりまくってケンカ買うどころか
最初は威勢よかったのにねこきっく先生の陰にひたすら隠れまくり
それもバレてさらに炎上して弱虫認定されちゃった「ととっち先生」
この二人にブログ書くノウハウ(笑)とやらを教えてもらってんだから
http://www.jimpei.net/entry/blog-why
3人の名前が出てくるけど見事に炎上大好き炎上上等な奴ばっかりじゃん
こいつらの名前出して「界隈」なんてくくったら
他のまっとうにマジメにブログやってる人たちに失礼じゃねえの?
炎上させてなんぼの奴ら
炎上したらヒャッホーイな奴ら
奴らはただ喜ぶだけだよ
それでも集中して2時間観ていられない。
ADHDというわけではないよ。受験も就職もそつなくこなして今までやってきた。
ただ映画を見ていると、この2時間を実益に繋がらないことに費やしていて大丈夫なんだろうかと思う。
休みの日にのんびり映画を観ることなんて無駄だと馬鹿にするだろう。
そんなくだらない奴らに出し抜かれたら自分の価値観にケチがついたようで不愉快だ。
だからこそ、奴らがちっぽけな自己顕示のため即物的に勉強を重ね年長者を欺こうとしている時に
こんな牧歌的な時間の使い方をしていていいのだろうかと不安になる。
多分正解があるのだとすれば、何事もそつなくこなして、
その上で自分の知識欲を満たすために勉強し、なおかつ余暇の充実も意識してそこんとこ両立させることだろう。
自分の感性に自信をもって、好きなことを時間使っていいのは本当に意識高い人だけなんだよね。
でもそんなこと考えたこともないような無邪気な顔して
小汚い顔をさらにくしゃくしゃにしているオタクみたいな生き方もありなのかな、
なんて時々考えちゃってさ、とうとうやばいとこまで来てるね俺。
イラスト描いたりしててセンスいい人は普通にリア充だなと思うだけなんだけど、
Twitterで仲間とギュフフ的な会話ばっかしてたりニコ動とかに出来が荒い何かをアップしているような奴見たときに
上記のようなもどかしさを感じてしまうんだよな。
この物語では、ある女子高生が監禁されるにとどまらず陵辱の限りを受けますね。
逃げようとしたところで見つかって余計ひどい目にあい、それから逃げようという心をおられ半年以上にわたって性的な被害を受け続ける。
その後なんとか救出されるものの、話は終わらない。
可哀想なことに被害者の女性はなぜ逃げられなかったのかということを追求するマスコミによって陵辱の被害にあっていたことを暴露され
なぜかそのことによって学校の男子からは性的な目でみられ、女性からは軽蔑の目で見られる。
ついに学校の男子からレイプされることになっていまい、精神が壊れて結局社会復帰に失敗してドロップアウトし、家族ともぎこちなくなって失踪し
場末の風俗で出会った主人公にその時の体験を語る、みたいなおらこんな嵐が丘は嫌だ的な話。
で、この女子高生が元々は美人ですごい明るくて人気モノだったんだけど、学校で追いつめられていく時にだんだん目から光が消えていくのが悲しかったね。
ところでなぜ逃げられなかったのか、についてはいろいろいう人がいるけれど私は北九州一家連続殺人事件において、最後の最後で逃げ出した少女が本当にすごい。
あと今回の女子中学生については過剰に擁護するのもどうかと思う。
監禁事件として取り扱うべきなのかどうかも怪しいかなと思ってる。
なのでinumash氏始め、オタクがーとかなんとかそういうところで盛り上がるのは真相が明らかになってからにした方がいい。
乙武さんの不倫騒動読んでて、長年のモヤモヤを解決しなくてはと思い立った。
私は大学に入った18歳で付き合った彼と22で結婚して24の時離婚した。
24歳の時、結婚してから気づけばずっと不機嫌だった彼の携帯には、出不精の私が是非いきたいといった夏祭りに行く約束と前回の行為についての感想が誰か、別の女性に対して書いてあった。
(のちにわかるがキャバ嬢の彼女は私と同じ名前だった。まあこれは余談です。精一杯の強がりです。
私は故郷に帰って、とにかく明るく振舞った。
変なのに引っかかってバツついちゃったwwwwwwwwwって
ほぼ専業で新卒就職もしてなかったもんだからこの先の人生設計考えるのに必死で他はなにも考えてなかったんだと思う
28歳になり、すこし落ち着いて思う。
不倫してる友達に怒る自分。既婚者からの求愛を軽蔑し糾弾する自分。
本当に怒ってるの?
不倫は、社会として断罪されるべき?それとも個人の生き方として許容されるべき?って。
彼とは結局10年弱かかわってきた。正直、幸せになる道を見つけたのならそれはいいことだと思う。
おそらく彼は私のメンヘラ的なそういうところで追いつめられて(途中で薬を飲み始めた)
でも、私、本当救われないなーとも思う。
彼に求められることがうれしかったのもあるけど、いわゆる義実家の奥様的辛酸を味わいつつも
彼の絶対の味方でいた。つもりだ。
ただその後無一文で放り出しの憂き目にあって
私はいまだに独身で子供もいないが 彼は2児の父親だ。綺麗な奥さんと安定した収入。幸せなSNSを書ける人生を送っている。
新入社員で入社した彼を必死こいて支えたのは私だという自負は醜いと思っているけど
じゃあ私は? 収入が低いのも私の能力が低いせいで間違いない。
でも結婚してくださいって彼が顏真っ赤にしてティファニーの指輪持ってきたとき
私は私のすべてを彼のために、と狭いアパートで誓った。
不倫ってどうなんですか。
実際は互いの需要が合わさったWinWinの関係なんじゃないの?
片や一般人の視点からでキモい連中を軽蔑して満足する嗜好が満たせれば、片やそんな連中とは違う真実を知る選ばれた自分みたいな嗜好を満たせているし、主観であんな狭量な連中と一緒にされたくないと思っている層がいれば、同じく主観であんな何も持ってない連中と一緒にされたくないと思っている層がいる。更に共通すると皆悪い出来事の原因を自分に近い要素になんか求めたくない上に、自分が向ける偏見には甘くなるし、そのくせ好きに叩ける相手がいれば嬉しいからそれも欲しいってこともあるわけで。
たまに軽く憂うような意見があっても双方特に大きく変わることのないまま年々続いてるのも、結局これはこれで双方満足した関係なんじゃないのかと。
良くも悪くも「一般人」を逸脱してる位置をオタク自身も自ら望んでるから強く変えようとする流れにはならないし、逆に偏見を助長しかねないような行動でも気にせずしちゃう。そして報じる側もそれは望むところだから、これ幸いと取り扱って煽って満足するという構造。
マスコミの多数が何かの拍子に本気で利益を見出すようになるか、オタクの多数が何故か相手と同じ一般人になりたがるか、はたまたより多数の大衆に飲み込まれるかなり、どこかが急変して本当に均衡が崩れるまでは結局安定してこのまま進んでいくんじゃないかと。
http://blog.kaerucloud.com/entry/tattoo-wedding
オレはタトゥー好きか嫌いかと言われたら「どちらでもない」けど、するかしないかと言われたら「しない」かなあ。それは「嫌い」に分類されるのか。それなら「何を思いますか?」って聞かれてることにして感想言うけど、まあ「心底どうでもいい」だわ。
あのさー。アフリカで唇に皿入れたりする民族がいるじゃん? 東南アジアに首伸ばす民族とか居るし。そういう人らの結婚式見るのと同じような感じ。「ステキだなーって思わないの?」って。まあ「別に」だよ。
もう少し丁寧に言うと「ああ、そういう文化なのね」って思う。批判とか軽蔑とか、全然ない。ただ「そういう文化なのね」っていう感じ。正直言うと「一瞬ギョっとする」よね。そんで、奇異なものを見る目で見てしまうくらいは、正直勘弁してほしい。けど、もともと「ある文化に慣れた人の中でも、より一層他との差別化を図って行っているような装飾」である以上、初見の人間が一瞬固まることくらいは想定しておくべき範囲内のことだと思うんだよね。ちょっとギョっとする。で「別に」と。それ以上の感想を求めると、もう暴力だと思うんだよね。どういうことかって、もう少し説明する。
豚を調理する文化もあれば、豚を穢れたモノとして遠ざける宗教に基づく文化の人もいる。牛を調理する文化もあれば、牛を神様としてあがめる宗教に基づく文化の人もいる。後者の人に、前者の人が「ほら美味しいよ」って言うのって、どうなのかなあ。「ああ、それは美味しいのかもね。あなたのではね。」って言うのが最大限の譲歩だよね。ハッキリ言って「見たくない」のが本音じゃないかな。それに対して、いかにも「美味しい、って言わせよう」ってやり方で感想を求めるのは、もう文化的デリカシーが欠如してるなって思うし、場合によったらソレって暴力の域だよね。
肌の上に装飾をする文化の人もいれば、「何もない・清らかな肌」を美しいと感じる信仰を伝統的に受け継ぐ人もいるわけ。
入れ墨アレルギーの人に頭っから否定されたタトゥー愛好家は、そりゃ確かに腹立つとは思うんだわ。「このガラパゴス狂信者奴」って。けど、後者の人にタトゥー見せつけて「どうよ」ってやるのも、やっぱ同じ位暴力的だと思うんだわ。で、双方が無理に布教しようとすれば、結局戦争になるほかないわけ。それってあんまりイイコトじゃないと思う。
だから、まあ平和的に棲み分けましょうよって。要はそういう話。宗教的問題について「話し合えば分かり合える、説得できる」なんてそんなん夢物語(ふぁんたじー)ですよ。残念ながら、人間はまだそこまで進化してない。というか、それが/それこそが『人間』なんだと思う。
自分なんかに構ってくれる人間は絶対に良い人間だから・・・教師基本みんな好き・・・嫌な奴もいるけど
あの先生もとい大天使にもう毎日会えないのかと思うとマジで悲しくなる・・・
まず・・・自分は今まで生きてきた中でいい思い出がひとつもない
なぜなら自分の失態やミス、失言、場にそぐわない行動諸々を思い出していかに自分がバカでアホかを思い知らされるからだ
だから友達や家族と旅行に行ったことも遊びに行ったことも思い出ではあるがもう思い出したくないいやな思い出になっている。だから友達からもらった写真は一度も開けたことがない。勇気がなくて開けられない。手紙、年賀も一度読んだらタンスの奥にしまって二度と見ない。
・・・捨てないのは、自分がいたという証明になるからで・・・結局わがままなんだ・・・
ええと、かの大天使先生とはそういったいやな思い出がない。本当によい思い出しかない
放課後にずっと面接練習に付き合ってくれたり、話を聞いてくれたり、忙しいだろうに、相当自分のために時間を割いてくれた。
そして、なにより、自分をバカにしたり、軽蔑するような素振りをいっさい見せなかったのだ・・・そうとう面倒でアホな生徒だったにもかかわらず。
私は誰かが自分をバカにしていることがすぐわかる。ふとした瞬間に今自分をバカにしているんだな軽蔑しているんだなと驚くべき精度で感じ取る。他人の怒ったり喜んだりなどはわからないくせに・・・
でもその大天使先生からはそれを感じなかった。常に一生徒として私のためを思って接してくれていた。少なくともそういう素振りだった
他愛のない会話も議論も全部面白かったし楽しかった。無理して好かれようとしなくても楽しい会話が続いた。たまにめっちゃ叱られたが厳しいとは感じなかった!!まあ自分が悪かったし・・・
そういうときに友達と話すと安心したが・・・でもやっぱり友達には迷惑かけたり面倒かけた思い出があるので素直に懐かしめない。
大天使は最後にあなたは先々悩むだろうからそういうときは来なさい。と言った。驚きすぎて涙も出なかった。
恐らく、先生はそう言うと私が意地でも来ないということを見越して言ったのだと思う。
人付き合いが嫌な先生が・・・すなわちコミュ障ぎみの先生がそんなことを卒業の日とはいえ言ってくれるとは・・・感動しすぎて死ぬかと思った
これからも思い出はいやなものになっていくだろうし、今までと同じように大半の人間を信用せず生きるだろうが、数少ない純粋に頼れる人ができたことに、とても喜んでいる
中学のときに死ななくて本当によかったと思っている。辛い時に思い出せる人間ができるというのはほんとうにほんとうにありがたいことだ!
追記:
ああ・・・いざ大天使先生を訪ねたときに、邪険にされたらと思うとぞっとする・・・
そんなことはないだろうけど・・・
でも、信頼している人に裏切られたような気持ちを抱くというのは誰にでもある話だ
先程、いっとき険悪だったが、今では仲が修復したはずの両親の、醜くて冷たいいやみったらしいやりとりを見て、ああやっぱり安心しちゃいけないんだと思った・・・
絶対のゆるぎない信頼をおくことほど危険なことはないのではないかと
愛しあい子供をもうけたふたりが、10年後に恥ずかしげもなくいがみ合い、貶めあい、子供に互いの悪口を吐くこと
困ってどうしようもなくなって、万策尽きて、いざ頼る人がかの大天使だけになったとき、それが一番危険な状態なんだよ・・・
ある大人に頭でっかちだと言われた。だけど、だったらどうすればいいんだ?
何も考えずに楽観的に考えることができないから悩んでいるのに!!!そんなこと言われたって、何の解決にもならないんだ!!!
だから、今のところ、少なくともあの大天使先生は私のことを考えてくれているということにしておきたい
やっぱり大天使は教養があり、偏屈で、自分と少し通ずるところがあり、ものを教え、信頼に足る、素晴らしい人物なのだから
あなたはまだ若い、果てしない未来があるんだから。と言った先生
え、でも先生にも未来はあるでしょう。と言ったら、わたしはもう短くなりつつあります。と事実を述べた先生
しばしば自分の能力の低さとかバカさアホさに絶望するが、未来があるんだと無理矢理にでも思うと楽になる。先生が言っていたことなんだからと。
先生に報いる方法は、自分がやりたい方面で満足の行く結果を残すことだ。
そして、頼れる人を増やしていきたい
きっと何十年もかかるだろうが、生きていればきっと見つかるはず。夢に向かって生きていればきっと大丈夫
朝のニュース見てたら徳島の若手市議が「若者施策をやりたいけど、選挙で勝つことを考えると、どうしても年寄りの話を聞かないと勝てないんだよね」と魂の本音を言っていた。
老人は強い。なんでかって、彼らを蔑ろにすると、「今までお国のために尽くしてきたのに……」とくどくど言われ、最終的には「ほな、国はわしらに死ねというのか。」と言われてしまうからだ。そう言われると、どうしても怯んでしまう。
「いや、そういうことを言うつもりは……」
「一緒や。それがなくなったら生活できん。生活できんかったら死ぬ。」
しかし、だ。
実に浅ましい。
二言目には「国に殺される」とか言って喚く老人たちよ。素晴らしく見苦しい。
たとえ、富と名声を手中に納めていてもだ。
私は断固として軽蔑する。
もう、文化としてはなくなっていると思うが、かつてイグルーに住んでいたイヌイットは、子どもが生まれると、年長者が静かにイグルーを去ったのだ。イグルーの定員が決まっていたからである。
こういう人でありたい。
会社の同僚にも心を開けないしどう切り出していいか分からないので、ここで書かせてくれ。
書かせてください。
明日が発売日のももクロ(ももいろクローバーZ)の新しいアルバムがとてもよいのです。
買ってもらってもオレには一銭も入らないのでYouTubeででもいいので聞いてみて。
昔はこういう趣味の押しつけを教室でやってる同級生を心の底から軽蔑していたんだが反省している。
心の奥底で何だよお前ら口開けて喋んなよとか思ってた。酷いことを考えていたものだと思う。
自分がいいと思ったものを素直にいいよと言い合えるくらいの友達は人生に必要なんだな。
今さら新しい友だちは作れないから。モニタを見ながらキーボードを叩くのが関の山だ。
本当に曲がいいんだ。
いや、オレの耳がおかしいだけかも知れないし、オレは死んでいるのかも知れない。
でもみんなを信じたい。
読んでくれて本当にありがとうな。
ここまで読んでもらっただけでも本当にありがとう。
各々好みがあるわけで雑談の中で漫画が話題になった程度の状況で
自分の趣味をぶっこんで相手のテンションが上がると思うほうがおかしい。
サーティーワンアイスで「俺はこの味が好きだ!どう興味湧いてきたでしょ?」といっているようなもので
そんなんじゃ何を持ってそれを良しとしているかなんて聞き手には全くわからないのだ。
おそらくこういうアプローチをとる奴は「何それ?どこがそんなにいいの?」と理由を聞かれることを期待している。
「テラフォーマーズがおすすめ」といえば「どういう漫画なの?どこが面白かった?」という返しがくるものだと思い込んでいるし
下手をすれば聞き手がそういう返しをすることをマナーだと思っているのかもしれない。
しかし聞いている方からすればよほど親しかったり魅力を感じる人でない限り
自分の生活にさして関わりがないだろうし知って愉快な気分になる気もしないからだ。
聞いているだけなら別段不快でもないが、くだらない物に対してわざわざ興味がある素振りをする義理はない。
どうもコミュ障の気のある人は自分の好みをひけらかすことはあまり良くないとかんがえる傾向にあるように見える。
実際嫌がられるのは、素直に「自分はこういうものが好きだ」とか「こんな話がしたい」とストレートにいえばいいものを
自分に注目が行くように仕向けるためや否定されることを避けるために
自分の気持ちを吐き出すことが目的になってしまい聞き手への配慮がおざなりになってしまうことだ。
この二つを履き違えてマニアックな話をすれば煙たがられるという思い込みを生み出しているのではなかろうか。
ただただ最近読んだテラフォーマーズの面白さを共有したかっただけなのだろうと思う。
前々からウォーキングという行為とこれを勧める人間を軽蔑しているのだが、
ではウォーキングと水泳という二つにおいてこの心象を分け隔てる要因はなにか。
それはウォーキングに比べて水泳は、目的意識を保持しやすい行動だからだ。
まるっきり経験のない状態から初めたなら、100mどころか5m泳げるかどうかも定かでなく、
時間をかけてそれなりの距離を泳ぐというだけでも、技術や経験値が必要になる。
そして人間の欲深さからなのか、練習してようやく泳げるようになれば新たな目標が生まれる。
なのでだと思うが、マロリーから「そこに山があるから」という名言を引き出した問いのような
無粋な雑念が頭から離れなくてもあまりぶれることなく僕は続けられている。
うまくおだてられさえすれば4〜5歳の子どもでも完遂できるウォーキングとはそこが違う。
ウォーキングは手軽さから、僕からすればどうしても慣例的なものになっていくような気がしてならないのだ。
その感覚は速く読むことにこだわる故に、
小説を読む時でさえ持ち前の速読術を駆使してしまう人を見た時と似ている。
とりあえず何にでもこれを当てはめようとしているような大味さとでもいうのか。
何も僕はウォーキングという行為自体が嫌いなわけではないのかもしれない。
歩くという行為に魅力を感じて楽しんでやっているならいいが、
「健康に良さそう」だとか「頭がすっきりする」という効果に期待を寄せるばかりで
内実ウォーキングという行動そのものにはさして興味がないのではないかと思わせる態度に
どうしても違和感を感じざるえないということなのかもしれない。
これまでものの勢いで何回か
ウォーキングを推奨する輩は間抜けくさいという趣旨のめちゃくちゃな投稿を行い
その大体は「ケチをつけるな」、
「御託を並べず自らもやってみたらどうか」というものばかりで
どうもウォーキングという行為自体の楽しさをそこから読み取ることはできなかった。
兎に角やってみてその魅力に気がつくことはあるかもしれない、
しかしウォーキング自体の魅力を発見することを無視した動機のうえでやれというのなら、
結論から言うと、布屋で2メートル5600円の布を断れずに購入し、「あ、私マルチ商法とか笑えないな」と気付いただけの話です。
=====
変な宗教に勧誘されそうになったり、所謂「自己批判」をしかけられた分けではなく、相手はただ布を売ろうとしてきただけなのですが、それすら断れなかったことにショックを受けたので文字にすることで冷静になりたかったのと、
買いたくない布を買うに至るまでのプロセスがテレビやネットで読む「洗脳」のプロセスによく似ていると感じたので、同じような状況に立ったときに思い出して貰えればと思い、初めての増田投稿をしました。
ちなみに2メートル5600円は、布の値段としてはちょっと高いぐらい。
上を見ればキリが無いが、主婦が結構奮発して買うぐらいの物だろう。
布自体は悪い物では無いけれど高級品と言う分けでも無く、老夫婦が趣味でやっているようなお店なので、友達相手の商売ならまあそんなものかなって言う商品。
ただ私はその時その店で何かを買うつもりは無かったし、
お財布事情もその店の想定する顧客では無いと自覚したうえで、もしかしたら掘り出し物が見つかるかもって軽い気持ちで入った。
何度か入ったことがあるお店で、私を囲って最終的に布をレジまで持って行った店主のマダムも悪い人では無いのだと思う。
そう、相手は腰の曲がったお婆さんだった。
ピンクのツイードのジャケットに千鳥格子のスカートで、喋り方もちょっとハイカラなお婆さん。
店員も客もマダムも合わせて四人しか居なかった。みーんなお婆さん。
対して二十代の私が物理的に逃げることは簡単だった。
それなのに、2メートルの白い布を手にちょっと茫然としながら「自分は洗脳される側の人間かも」と恐怖した理由もそこにある。
私はメートル千円未満の安い布を探していた。
火急の用では無く、購入する店にも目星を付けていた。一週間後にはその店の近くを通るので、その時に買えば良いや、ぐらいの気楽さ。
件の店はタイトルでは「手芸屋」と書いたが細かいことを言うと布専門店で、最初は寄る予定も無かった。
私が用があったのは、同じ複合店内の百円均一だ。
と言うか、そもそも買い物をする予定もなかった。
100円均一だって、図書館に行ったら、休館日だったので、手持ち無沙汰になってしまい無理矢理作った用事だった。
ともかく入ってしまった複合店の中で、二店は同じフロアにあり、エレベーターを上って最初に目に入るのが例の布屋なのだ。
高級な布を見るのは楽しいし、時々端切れを買ったりして少し好きなお店だった。
そう言えば白い布探してたんだよな、もしかしてちょっと良いのが安くなってないかな。
ちらっと覗くと、白い布に「1000」の値札がついている。「2800」に打消し線が入っている上に、だ。
お得じゃん!
早速近づいて手にとってみて、がっかりした。
ベルベット素材だったのだ。
でもベルベットが千円なんてちょっとすごいな、冬だからかな、なんて触っていたら、見たことのある─一度レジで話をしたこともある─店主のお婆さんが話しかけてきた。
「良い布でしょう、ベルベットって言ってね、宝石の名前もついてるくらいで、良い布なのよ」
(ちなみに宝石の名前、がどこから来ているのかネットで軽く検索しただけでは分からなかった)
元々店員さんと話すのは苦手では無い。
手触りが気持ちいいですね、なんて言いながら、買うつもりが無いことを、次のように伝えた。
「でも私、スカートを作りたいんです。白い麻とか綿とか…これじゃちょっと違うかな。」
「スカート!良いじゃない。
タックを入れてこう…(手でストンと落とす)いうのも良いでしょう?」
耳が遠い分けでは無いのだが、お年寄りや若者それぞれにあるゾーンみたいなもので時間軸がちょっと違う。
その時その時の自分の世代が正常だと思ってしまうが、今は分かる、十代もちょっとおかしい。
二十代なんて全然若いと思っていたが、いざ突入してみると十代が怖い。
世代の違う人との会話を二人三脚に例えるなら、予期しないタイミングでブレーキをかけたりダッシュしたり、とにかく息が合わないことが多い。
勿論、他の世代からすれば私は「鈍くさい奴」「足の踏込が甘い」とか、いろいろあると思うけれど……
……脱線した。
とにかく、ちょっと話を聞いてもらえないことが分かったけれど、その時はまだ何とかなると思っていた。
勿論千円を超える布を買う気も無かった。
もう一度ビロードが想定と全く異なることを伝えると、マダムは違うコーナーに私を連れて行った。
黒い壁や間接照明とならんで布が飾られている、明らかに高額商品のコーナーだ。
白い綿や麻、混合を探していて、千円のビロードが予算に沿わないと伝えているのに、マダムが手に取るのは四千円五千円の柄物の布ばかり。
あれこれ話を広げていくマダムに、ちょっとやばいぞ、と気付き始める。
挙句に六千円の織物を手に取り、一万五千円が六千円になっている、これが一番お買い得だ、ちょっとそこ(鏡の前)に行って当ててみたらどう?とか言い出す。
もっと高い布もそのお店にはあるのだが、それまでマダムが手に取ったり指さしたりした中で一番高い布を「お買い得」と言って勧めてきた所に、マダムの狙いは親切では無く何かを買わせることにあったと思えてならない。
その後も再三「予算に合わない」と繰り返して、何とかその場を移動しても、相変わらず四千円五千円のコーナーをうろうろするマダムと、私。
この時私はへらへらしていて(癖なのだ)、
会話も
「綺麗ですねえ、見てると欲しくなるけど、高いなあ」
などと肯定から入っていたので、端から見たら購買に積極的な客に見えたかもしれない。
自分のこの態度にも、最終的に断りきれずに買ってしまった要因があると思う。
その後も「どこかの学生さん?」と聞いておいて、別段安いものを見せてくれるわけでもなく、こちらの予算も無視でとにかく買わせようとする。
何度か逃れられた、と思って安い生地のコーナー(一応キルトとか子供向けの柄物とかも置いてあった)(とは言え、そこに置いてある生地もセールになっていることは滅多にない。本当に、冷やかしと同然でとりあえず入ってみただけだった)に行こうとすると、一度は離れる。
けれどすぐに声をかけてきて、「これなんかどう?」と、また良いお値段のコーナーに引き戻され、結局安いコーナーには一歩も入れなかった。
マダムの言葉選びは、いっそ見習いたいところがたくさんあった。
「気安い布も見させて」と苦笑いする私に、三色並んだ布を指して「これなんかもねえ、お値打ちよ。」と百八十度違う言葉をかけてくる。
「へ?ええ、ああ、でもちょっと予算がね。」驚きつつも、なんとか会話を続けようとするのを遮って、
「ええっと、カーキかな。でもちょっと素材が…」
「ねえ、良い色よね。」
と、とにかく相手に選ばせるのだ。
選んだらそれを褒め、自分が手に取った商品は良いですね、と言わせるのだ。
こう言うときに「そのヒラヒラ下品で好きじゃないわ」なんて言おうものなら、「若い子にはそうかもね。じゃあ、こっちはどう?ツイードで大人っぽいわよ」と他の布を出したことだろう。それとも、フリルのついた他の布を持ってきたかもしれない。
実際、最後まで私の希望─白色、麻や綿、千円未満─に一つでも沿っているものを持ってくることは無かった。
そうして私が指差したカーキ色の布を手にすると、マダムはおもむろに言った。
「これにする?」
唐突なその言葉に、ちょっと血の気が引いた感覚が、この記事を打っている今も残っている。
散々「他の布も見るね」と言っては頷かれ引き戻され、一度も自分のみたい物を見ていない。
まだ私は物色すらしていないのに、しかもその布を聞かれたから褒めこそすれ、明確にあることを伝えている計画に照らし合わせる前から、何故、いきなり購入になるのか。
私がどんなスカートを作りたいかおばあさんは聞いてもいない。
しかも散々伝えている「どんな布が買いたいか」に、その布はかすってもいない。
上品なカーキがテカるシャンブレーを片手にレジに持っていこうとするおばあさんにそこはかとなく恐怖した。
この時「この人話が通じないんだ」と恐怖したのが、第一段階だと思う。
洗脳の段階だ。
はっきりノーと言ってその場を去れば良いじゃないか、と思う人もいるだろう。
出来なかったのか?と呆れられれば、私はその人の前では自分を恥じてしまうだろう。
実際、出来たと思う。
自分より弱いおばあさんだったから強く断れなかったのかもしれないし、
へらへらするのが身に付いていて、愛想の悪い態度をして誰彼構わず嫌われたくないと思ってしまうのが、私の悪い癖でもある。
それに、5600円だ。
数十万じゃない。
ハッキリ払えないと言うのが嫌だと言う、妙な虚栄心もあったと思う。
私は普段からまめに洋裁なんかをする人間では無く、知識も低いのに知ったかぶりをしてしまう所があって、この時もなんと言うか見栄を張ろうとしていた。なんとか取り繕って逃げようとしていた。
色々な要素が混ざり合って、最終的に、「向こう見てきますね」と言って逃げようとした私におばあさんが別の布を手にして
「もう、これにしましょうか」
に負けてしまった。
本当にこの時は怖かった。
今も、思い出すと怖い。
しゃがみこんで、泣きそうになりながら、それでもなんでか笑って、なんとか逃げようとあれこれ言ってみるけれど、「何メートル必要なの?」「二メートルです」と答えてしまい、二メートルだと言ったそばから「それならシャツもね、作りたくなるのよ。三メートルあれば足りるかな…ちょっと計算しましょうか」と言われ、「あの、スカートに二メートル必要なんです。シャツには足りませんよね」と言う声が震えそうになったのを抑えてしまった。
結局おばあさんはレジに立っていた店員さんに「三メートルね」と言うので「二メートル!二メートルでお願いします」と訂正しなければならず、最後まで話を聞いてくれなかった。(「これにしましょうか」と言って手にした布もグレーで、他に四色ある中からどれが良い?と言いながら、なぜか頑なにグレーを持っていこうとしていた。もしかしたらグレーが高かったのかもしれない。私は「自分で」白を選んだ。)
この時私は切られた布に申し訳なさすら感じて、一割引に「ありがとうございます」、それなのに(店側がカード会社に売り上げから何パーセントか手数料を支払わなければいけない)クレジットカードで支払ってしまってすいませんとまで言った。
これも、私の癖だ。
レジでも毎回「ありがとうございます」と言い、車の前を通るときは例え相手が無理に横断歩道に乗り込んでいても反射的に頭を下げてしまい後で一人で勝手に悔しくなったりする。
悪いことではないと言ってくれる人もいるだろう。
けれど、今回ばかりはそうは思えなかった。
この癖も、悪徳商法などの洗脳にかかりやすくなる要素の一つだと自覚したからだ。
ここからは、どうして自分が「洗脳されやすい人間」だと自覚したのか、書いていきます。
1.まず一つに、最後まで─そして今でも─私は「断ろうと思えば断れた」と思っていること。
これは、「断ろうと思えば断れた」のに断らず、「自分で選択した」のだから、決断した「自分が悪い」と言う結論を引っ張ってきます。
自己評価が最低になり、何もかも自分が悪いと思い込むと、「被害を受けた」という判断も下せなくなってしまいます。
今回、私の相手は腰の曲がったおばあさんでした。
先にも書いた通り、逃げようと思えば方法はいくらでもあったのです。
それに、5600円も「被害」と言うには大げさな額に感じられます。
何より、私には支払い能力があったのです。これで生活がおろそかになるわけではありません。
これぐらいなら「仕方ないか」と思える「被害」と、「自分が決めたこと」は自分で責任を負わなければならないと言う負い目から来る「自分が悪い」という自己否定。
この二つのせいで、私は(こんな記事を書いておいて何ですが)おばあさんを悪役に出来なくなります。
「買いたくないものを買ったと嘆いているけれど、相手はおばあさんだったんでしょう?無理やり拘束されたり脅迫された分けでもないのに、大げさだよ。人のせいにしてるだけでしょ」
「本当に買いたくないなら、走って逃げればよかったんだ」
「他にも買わないために出来ることはいくらでもある」
「結局、本気で嫌だったわけじゃないんだよ」
今回は布で済みましたが、これが悪徳商法だったらどうでしょう。
額もそんなに高くありません。
あなたが参加した企業家のためのセミナーやIT系によくある「仕事を効率よくこなすための三つのフロー要点」のような、ネットの有名人の講演会で、パソコンを使った遠隔講義に誘われるかもしれません。
日用品なら、高くても数万、遠隔講義なら物理的に囲いこまれるわけでもなく、いつでも逃げられる。
契約しなきゃ帰ってくれそうに無くて怖いし、よく聞く何百万の詐欺事件よりはマシかな、と契約してしまうかもしれません。
けれど、一度契約してしまえば最後、自分を責める後悔が始まります。
今回のことで痛感したのは、「詐欺は金額ではない」と言うことです。(詐欺とまで言ってごめんね、マダム。もう二度と行かないから許してほしい)
あんなにテレビやネットで詐欺や洗脳のニュースを見聞きしていながら、「騙された」ことが辛いのです。
マルチ商法は、買わせた相手のこの気持ちの隙間につけ入り、「元が取れるよ」と売る側に回して「被害者」を「加害者」に変える悪徳商法です。
傷付いた自尊心を補おうためにしたことが、加害者になることでさらに傷付き、負の連鎖を引き起こすことになってしまうのです。
話は戻りますが、先に書いたように、「恐怖」が洗脳の第一段階ではないでしょうか。
相手に話が通じない、もしくは暴力の可能性を示唆されることで、自分が無力だと感じる。
そうなると、なるべく穏便に逃げたいと考えるようになります。まだ逃げたい・この場には居たくないと考えます。
しかし、拒否できなかった自己嫌悪から自分を責めることになり、自信を無くしてしまう。
2.次に、結局「ノー」と言えなかったことだ。
これに尽きるけれど、こんなにショックを受ける程買いたく無い物に、「ノー」と言えなかった奴が是が非でも自分たちの住む沼に引きずり込もうとしているマルチ商法や洗脳を拒否できる分けねーべ。
これは一日経った今もちょっと泣きそうなぐらいショックだった。
まず、店員さんに押し切られて買うと言う経験が無かった。ファースト。奪われた。
それまで店員さんって言うのはひたすら褒めてくれるのをスルーすれば着合わせを一緒に考えてくれたりするちょっと気分良くしてくれる人だと言う認識で、お仕事だから失礼なこともしないし、怖いなんて思ったことも無かった。
けれどマダムは違ったのだ。
考える隙を与えずにガンガン来られたら、そりゃパニックにもなる。
「ごゆっくりどうぞ~」
は、あくまで相手の気遣いで、彼等が売るのは商品そのものでは無くて「豊かな生活」「楽しい買い物の時間」でもあったりするからだ。
お店で気分を害して買い物をしても、悪評が広まれば客も減り、商品も売れなくなる。そんな方法を取ってまで売る物では無く、「ちょっと考えてみます」と言った客は接客を止めるラインでもあったりするからだ。
あの手この手で私たちの思考能力を奪い、言いなりにすることが目的だから。
そこに来て店員さんや通りすがりの人の前ですら「物分りの良い振り」をしたがる私の性格。
「卒なくこなしている」ように見られたい見栄があって、無愛想な態度を取ったりして働く人に敬意を払っていないとかマナーを知らないとか、軽蔑されたくないと思ってしまうのだ。
マダムは私の話を一切聞いてくれなかったのに、いちいち声に振り返り、返事をし、話を聞いてくれない人の話を聞いて何とか会話しようとする私は、そりゃ良い鴨だ。
向こうはこちらの話など聞いていない。
考える時間も与えられず、パニックになり情報が遮断されて追い込まれた中で、頷くしか選択肢が無いと思い込んでしまう。
マダムは悪い人では無いと思う。
半分は天然で、半分は故意だっただろうけれど、それも悪意からでは無く、引き際を知らない人だったのだと思う。
比べるのは嫌だけれど、私の祖母も私の話を聞かない。
一緒に料理店に行くと、いくら私が要らない、食べられないと泣きそうになりながら断っても、自分が子供時代のひもじい思いをした辛さから良かれとどんどん料理を注文し、挙句自分が食べられなかった分を私に「食べれるでしょう」と差し出す。
今はもう必死に粘ることを覚えたが、中学生のころはガチ泣きをしながらご飯を食べたことも、何度かある。祖母は私が泣いていても、見えていないのか全く悪気が無く「食べれるって」と言う。
あっ、こりゃダメだ…。
また脱線した…。
もういい、なんだか書けば書く程自信が無くなって行く…強く生きていきたい…。
…えっと、それで、結局「マダムも悪い人じゃない」と思っている時点で、私は相手を完全に否定して切り離すことが出来ていない。
これが信用していた友人だったらどうだろう。
もう立ち直れない…。
長々と書いておいて、とりとめもなく終わってしまい申し訳ないです。
失ったのはたかだか五千円ですが、受けたショックは一日引きずって消えませんでした。
このショック和らげるため、自分のために一気に書いたので、矛盾やほつれがいくつかあるかもしれません。すいません。
タイトルで「洗脳」とまで書いたのに、結局洗脳された分けでも無く、マルチ商法に怯える妄想に始終し「洗脳」って何ぞや、と思った方もいるかもしれません。
私も簡単に「洗脳」について引用を載せた方がこの記事も書きやすいかな、と洗脳の手順とかを検索してみたのですが、「洗脳はこうしてできる!」「洗脳は簡単に見破れる!」みたいなあんまり仰々しく強気の記事が多くて「どっこいどっこいだな…」と疲れてしまいました。
おススメはテレビ番組「しくじり先生」の辺見マリさん回です。あれ分かりやすかったよね。
この記事を読んでちょっとでも感じた恐怖を追体験し、「もしかしたら私もそういう所あるかも」等と自衛の一助になれば幸いです。
それでは。
小さい頃、俺は神童と呼ばれていた。
村のみんなからも一目置かれ、両親の誇りだった。
いずれは都に行って、立派になって、村のみんなを助けてやりたいと思っていた。
こういう場合、熊には決して背を向けず、ゆっくり後ずさりするのが鉄則だ。この村の人間なら誰でも知っている。
ところが俺は、恐怖のあまり何も考えられず、全速力で逃げ出したのだった。
熊は興奮し、全力で俺を追いかけてきた。
相撲でもかけっこでも村一番だった俺でも、山道で熊から逃げ切れるわけはない。
40歩ほど走ったところで、熊に追いつかれ、熊に叩き倒された俺は、今にも俺を殺そうとする熊の息を感じていた。もうダメだと思った。
熊が悲鳴をあげたのはその時だった。
熊の頬から熱い血が滴り落ち、俺の腕に当たった。その先に光っていたのは、爺ちゃんの草刈鎌だった。
「逃げろ!」
爺ちゃんの声。
そこから先は、よく覚えてない。思い出すのが嫌で、誰にも言わないようにしているうちに、本当に忘れてしまった。
わかっているのは、俺は生きて山から村に戻ってきたこと、爺ちゃんはそれ以来、帰っていないということだ。
家の手伝いもせず、母ちゃんが作ってくれるご飯を食べる以外は、畳の上で天井を見上げていた。
村のみんなが俺を軽蔑している。
俺は爺ちゃんを見捨てた卑怯者だ。
俺は何もできなかった。
頭皮がズキズキして、俺の頭の中から何かが出てくるようだった。
一週間後、痛みがなくなった。
さらに一週間後、あいかわらず天井を見上げていた俺は、頭の表面に硬いものを感じた。
手で触ってハッとした。
「角だ」
–––1000年前、この村を鬼の大群が襲った。
力にも数にも勝る鬼の大群に、村の戦士たちはなすすべもなく、たった2日間で長老が降伏に同意した。
村は10年に一度、鬼に生贄を捧げることと引き換えに、鬼は二度とこの村に攻め込まないという和平条約だった。
鬼に捧げる青年は、時が来ると頭から黒い角が生えてくる。鬼の一族の印だ–––
俺はこの話を、小さい頃によく爺さんから聞かされた。
毎年春に担がれる御輿は、祭りの最後に村のはずれにある社に備えることになっている。そうすると、10年に一度、社に備えた御輿は跡形もなくなくなり、次の年のための御輿作りが始まるのだ。
俺は、生贄になるのか?
翌朝、俺の角を見て母ちゃんは泣いていた。
こんなもの俺がとってやると、父ちゃんは言った。1000年も前の鬼との条約なんて知ったことか、と。
俺は考えさせて欲しいと言った。
4ヶ月が経った。夏になり、御輿の準備が整い始めた。
母ちゃんは毎晩のように泣き、父ちゃんは角をとってやると繰り返し言い、俺を説得しようとしていた。
「みんなの役に立ちたい」
父ちゃんと母ちゃんの前で、俺ははっきりそう言った。
「角は取らない。俺は生贄になる」
本心だった。
この3年間、俺は役立たずだった。死んだ方がマシだと思っていた。死ななかったのは、ただ勇気がなかったからだ。
御輿に乗って、10年後、鬼に取られる。そうすれば、俺はやっと、役立たずじゃなくなるんだ。
俺には他に何もない。
御輿に乗れば、村を守れる。
御輿に乗れば、みんなの役に立てる。
御輿に乗れば、俺は、俺に戻ることができる。
どうすればいいのだろう。何も知らなかったことにして家に帰ったらすぐに寝たいと思った。
でも最寄の駅に着いたら体に悪いことがしたいと思いお腹が空いているわけでもないのにマクドナルドを買って帰った。
そして弱いお酒をこんこんと飲み続け、テリヤキバーガーとポテトをすべてたいらげた。
最後にお見舞いに行けてよかった。
あまり仲良くないおばさんが「手を握ってあげな」と言ってくれたのが嬉しかった。
私は手を握った。まだ温かくて、私の綺麗な手はおばあちゃん譲りなのだと改めて思った。
死んでしまったのは母方のおばあちゃんなのだが、大学を卒業してからのここ4年くらいずっと文通をしていた。
年に2回くらいは一人で会いに行っていた。
年明けから入院していて、その直前までLINEやメールをしていた。
マジコンが話題になってて色々思い出したが、他じゃあ言えないしここで吐き出す。
ウチはゲーム嫌いでゲームに金は出さん!っつー母のせいでゲーム類は一切買って貰えなかった。それでも親父にゲームがやりたいポケモンがやりたいとねだりまくっていたら、ある日父は自宅にあったPCでポケモンができるようにしてくれた。親父はすごいと思った。
他の奴らはGBでやっていたし、通信ができないという致命的な差はあったが、それまで一切「自分のポケモン」を育てられなかった俺にとってそんなことは些細な差だった。母と喧嘩しながらもメチャクチャ遊んだ。
当然だけどポケモンだけで済むハズは無く、親父に次はあれがやりたいこれがやりたいとねだり倒した。
64のものは駄目だったが(今思えば容量的にもスペック的にも無理があったんだろう)GBのものはだいたいどうやってかPCでできるようにしてくれた。たまについでにと見知らぬソフトも一緒に入れてくれたりもした。
GBがGBCになってGBA時代までそれは続いて、最終的に遊べるソフトの数は数百以上になっていたと思う。
何時頃からかは覚えていないが、少なくともDSがブームになる前だ。
その頃から親父はPCに新しいソフトを入れてくれなくなった。確かその頃に、エミュレーターや割れの違法性が改めて問題になったんだったと思う。
俺も相変わらずゲームはプレイしていたが、成長して自分で稼いでゲーム機くらい買えるようになっていたから気にしなかった。GBAもDSも実機を買った。ゲーム自体も一時期より熱が冷めて、ネットを見ている事のほうが多くなった。
ネットをうろつくようになり、俺は"割れ"の存在を知った。同時に割れ厨の存在も知った。とくに話題に上がっていたのはエロゲーの割れで、割れ厨のぶっとんだ理論は嘲笑の対象になっていた。
俺も笑ったが、でもそこで気付いた。これ親父じゃん。
親父は凄くもなんともないただの割れ厨だった。しかも自分が割れ厨なだけでなく、無知な子供にも片棒を担がせるような人間だったんだと感じた。
今思えばゲーム嫌いな母とポケモンポケモンと騒ぐ俺の板挟みになった結果だったんだろうと割り切れるが、当時は割と本気で親父に失望した。いや、今も完全には立ち直りきれてない。
当時の権利意識ならこんなもんかという反面、物事の良し悪しもわかんねーガキに何させてくれてんだよ、という恨みの気持ちもある。
親父の親切心のお蔭で今でもゲームを買う時罪悪感が湧く。改めて文章にしてもやっぱ俺なんにも悪く無えじゃんと思うが、まだ割り切れない。
だからつまり手軽な気持ちで子供にマジコン渡してる親はもう少し考えたほうがいいよ。
権利意識が薄い大人に育つのも大問題だけど、逆にそこらへんしっかりした大人に育った時の自己嫌悪と親への失望は凄まじいゾ!将来コンテンツを作る側、「正規で買ってください><」って言わなきゃいけない立場に回るとさらに罪悪感半端無いゾ!
ゲームなんて年1,2万の出費じゃねーか。その程度の金額のために子供にこんな罪の意識を植え付けないでくれ!
17:22追記。
大雑把に20年くらいって書いたが、正確には覚えていない。ポケモンブームの時期だからそんなもんだと思うんだが。
俺が小学校低学年の頃。自分でゲーム買うようになったのはバイト初めた高校から。
ダウンロード自体が違法になったのが2010年って事だが、その随分前に完全に手を引いてたな。
親父のやってた事は窃盗そのものだと俺は考えるが、法的にはセーフなラインを守っていたようだ。
これだけボロクソに書いてるけど、親父は軽蔑する部分も尊敬できる部分もある肉親だ。毒親だとは思っていない。
俺が言いたかったのは親父のクソさや恨み節でなく「割れを子供に与えた結果として、こういう方向に子供が逆噴射して親への信頼が損なわれる事もある」って事だが上手くまとめられなかったようだ。ごめん。
時代が違うっつーのは理解してたつもりだったけど、ブコメの「おじいちゃんが戦争で人殺してたら殺人鬼扱いするか? 」で少し気持ちの上でも納得できた。ありがとう。
死にたい。思考を止めたい。消えてなくなりたい。俺という存在を最初からなかったことにしたい。なんでこんなことになった?何かが間違っている。おかしいだろう。こんなことは、あっちゃいけないはずなんだ。
事の起こりは数ヶ月前。20年来の付き合いの悪友が電話をかけてきた。その時俺は家で焼き鳥をつまみにビールで晩酌していた。いつもはメールのくせに珍しく電話なんてかけてきて、なんだろうと思った。どうせくだらない話に決まっていた。あれに出なければよかったんだ。
奴は勢い切って言った。ハゲ始まったおでこの下に目ん玉剥きだして、ビックニュースに大興奮のキモい顔面がありありと目に浮かんだ。通報モノだったに違いない。
『魔女先輩』とは中学時代の1コ上の先輩で、すさまじい美人なのに、よく言えばエキセントリック、悪く言えばキチガイな奇行と相まって、学校の有名人だった女に勝手につけたアダ名だ。直に話したこともない、俺の初恋の相手だ。
洋菓子みたいな語感の芸名を教えてもらって、ネットで検索したらすぐに動画まとめが出てきた。もう20年近くも顔を見てなかったが、サムネイルだけで彼女だとわかった。独特の勝気な目つき、そのままだった。流れるような黒髪、長くなっていた。美少女は見事な美女に育ったらしかった。
奴が言うにはデビューは9年も前で、元同級生の間ではとっくに常識になっていたらしい。それを今まで知らなかったなんて、俺たち、まじで二人ぼっちだな、なんてホモくさいことを言い合いながら、俺は電話を切った。そして、瞬間、俺はプライベートな空間にいた。一人になった。パソコンの画面にはきらびやかなサムネイル。青春時代の憧れだった先輩の、あられもない姿が映っている。
一度ブラウザを閉じた。ついでにパソコンの電源を切った。トイレに行って小便を出して、ビールの残りを全部開けた。散らかった8畳間を無駄にうろちょろした。食いさしのポテチの袋を足にひっかけて中身をぶちまけた。
パソコンの電源を入れなおした。起動を待っている間に焼き鳥も平らげた。ついでに床にぶち撒いたポテチも拾って食った。罪悪感とも高揚感とも違う何かがへその下に溜まっていた。
震える指でおっかなびっくりブラウザを立ち上げ、検索窓にさっき聞いた女優の名前を打ち込んだ。唐突に高校生だった時に親父のパソコンでエロ画像を検索した時の事を思い出した。誰も居るわけがないが周囲や背後を確認して、検索ボタンをクリック。どうしようもない背徳感。さっきのページを見つけ、居もしない誰かに心の中で言い訳をしながら動画の再生が始まるまでの数秒感に、心臓が6回大きく脈を打った。
最初のインタビューの場面だけで勃起した。中学のころの面影を残した、大人になった彼女がそこにいた。くりっとした挑戦的な瞳。黒くしなやかな長髪。華奢な体格。胸は大きくなっていた。最近ではオナニーもルーティン・ワークになっていたというのに、その動画だけで3回抜いた。
それからは彼女ばかりでオナニーするようになった。ネットで動画を漁ったのは初日だけで、翌日からはDVDを買い揃えた。デビュー作から順々に。計算してみると、デビュー当時は22歳のはずだが、18歳の現役大学生というプロフィールでデビューしていた。
普段は気にも留めないインタビュー部分も、食い入るように見た。俺は彼女について、少しずつ知っていった。初体験は中学生の時、同級生と。経験人数は50人超え。性感帯は全身。クリ派。休みの日は3時間に一度オナニーする。中絶経験あり。今までにしたことがある一番の変態的プレイは彼氏の友達と宅呑みしてて女体盛りからの乱交。
最初はアイドルのイメージビデオみたいな内容だったが、年季が入るにつれだんだんとハードな内容が増えていった。潮ふき。初アナル。出血。許可無し中だし。浣腸。乱交。SM。全身ぶっかけ。100人斬り。最新作は喪服の未亡人モノだった。熟女というキャッチがついていた。
彼女は俺の中学のヒロインだった。学校中の男が彼女に恋をしていた。彼女は凛とした美少女だった。女だてらに生徒会長をやっていた。ハードル走の選手で、学校で一番足が速かった。しかも成績も良くて、まさに完璧なお嬢様だった。
だけどなぜか魔術にハマっていて、放課後に空き教室を占拠して勝手に怪しげな儀式を執り行っていた。それでついたアダ名が『魔女先輩』だ。タロットや星占いは可愛い方で、床に魔法陣を描いたり、一度、鶏を殺して生き血を使った儀式を行って問題になったことがあった。
彼女らは日がな、何やら哲学的な議論に明け暮れていた。その集団に混ざっていく勇気はなかったが、俺はそれを隣の教室のベランダから、聞き耳を立てて聞いていた。抜けるような青空だった。俺は彼女の事が好きだった。
『魔女先輩』について、忘れられない思い出がある。その日もいつものようにベランダに身を潜めて教室内の会話を盗み聞きしていた。夏休み前の初夏の日差しの下で、汗をぶったらしながら、息を殺して部屋の中の様子を伺っていた。部屋の中には男女が5、6人はいたと思う。声だけしか聞いていないからはっきりとは分からないが。彼らの前で魔女先輩は高らかに宣言した。
ことさらに男女を強調するのに、思春期の俺はいかがわしい何かを予感した。先輩らは教室の窓とカーテンを閉めきって中で何をしているのか見えないようにした。廊下側の扉も鍵を閉めて中を見えないようにしていたようだった。何が始まるのか、俺は全神経を集中して聞き耳を立てた。
音が聞こえた。衣擦れ。どよめき。裸足の足音。「みんなも脱いで」先輩の声。何かをしゃぶる音。「見たことある?」肉と肉の打ち合う音。男子生徒の唸り声。女生徒のすすり泣き。「血を集めて」
いつもと様子が違う。なにか、いけない事をしているというのが分かった。興奮。胃袋がひっくり返るような興奮。同時にひどい汚らわしさも感じていた。今すぐここから立ち去るべきだと思いながら、その実、体は石のようになって動かない。狭窄した視界の中で、先輩の艶めかしい声だけがはっきりと聞こえていた。
オンナの声だった。今では先輩達は人目をはばかるのも忘れて、本能のままに声を上げていた。その声を聞いているうち、俺の中に何かが降りてきて、そして過ぎ去った。青臭い臭いが鼻についた。射精していた。手で触れたわけでもないのに。これが俺の精通だった。汚れた、と思った。
濡れた制服のズボンを前に呆然としていると、がらっと窓が開く音が聞こえた。驚きのあまり心臓が飛び出すかと思った。心臓がバクバクと脈打った。400m全力疾走の後のようだった。息もできなかった。誰が窓を開けたのかは分からない。『儀式』の終わった先輩達が、片付けを始めたのだ。逃げなければと思ったがぴくりとも動けなかった。『儀式』を盗み聴きして、射精までしたと知れたら。考えるだけで全身からおかしな汗が噴き出した。怒られるか、軽蔑されるか。自分の置かれた状況が、涙が出るほど汚らしかった。
結果的には何もなかった。臭いや気配で俺の存在はバレていたと思う。誰のものか、ぺたぺたと裸足の足音が遠ざかっていった時の安心感は、言葉では言い表せない。片付けの終わった先輩たちはそそくさと教室を後にしたようだった。脱力した俺はそのまま、日が沈むまでベランダに死体のようにうずくまっていた。その日から俺は盗み聞きをやめた。
さて、そんな彼女が俺の初めての相手になった話をしよう。俺は女に縁なくずっと今まで童貞だったが、なんとなく彼女の作品を作っている制作会社のホームページを眺めていると、汁男優の募集がかかっていることを知った。別に彼女の作品のための募集とは書いていなかったが、軽い気持ちで応募してみることにした。俺は運がいいのか悪いのか当選した。
撮影は平日だったが、有給を使って会社を休んで制作会社へ向かった。身分証を見せて控室に通されると、パンツ一丁になるよう言われ、服を脱いだ。控室では同じようにパンツ一丁で待機する男達が20名ほどいた。なんというか、出荷前の養豚場の豚のようだった。スタッフから汁の出し方について簡単なレクチャーがあった。
この期に及んでも、俺はなんてことなく思っていた。不思議なほどに、これが俺の初めての女性経験になることに思い至らなかった。うまくできなかったらどうしようとか、自分の性行為を撮影される不安もなかった。やがて男達は撮影用の部屋へ通された。
彼女は眩むような照明の中、マットの上で男に組み敷かれていた。白くか細い肢体を投げ出して。虎のような喘ぎ声を上げてイキ狂っていた。男の物とは違う、むせ返るような臭気がこもっていた。
男達は働き蟻のように整然と列をなして彼女の中に精を放っていった。彼女はその全てを受け入れていった。すぐに俺の番が回ってきた。
彼女の前に立った。男と女の、殴りつけるような臭気。肌の上に粒になって浮いた汗。白く浮き上がる手足。飲み込まれるような黒髪。目と目があった。磔にされた天使のようだった。
ふと見ると、画面越しでは気づかなかったが、うっすらと手首にリスカの跡があった。
俺は鉛のように重くなった性器を彼女に挿入した。これが初めての挿入だったが、思いの外スムーズに彼女の中に入っていった。彼女の熱い胎動が俺を包み込んだ。
彼女と一体になっている間、俺の脳裏には中学校のベランダで盗み聴きした彼女の言葉がよぎっていた。
『語りえぬものについて沈黙するのは知性の方法論に対する隷属』ですか?
『デカルトが分離してしまった物質と魂を融合させる、グノーシス主義の実験』はどうなりましたか?
光が見えた。
時間にしたら数秒だったのだろう。性器を引き抜くと、俺の精子が他人のそれと混じり合いながら彼女の中からこぼれ出た。それだけだった。
そして気が付くと俺は家に帰ってきていた。ポケットに汁男優の謝礼の3000円が入っていたから、近くのコンビニでビールとつまみの唐揚げを買ってきて、泣きながらこれを書き上げて今に至る。死にたい。