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オレはタトゥー好きか嫌いかと言われたら「どちらでもない」けど、するかしないかと言われたら「しない」かなあ。それは「嫌い」に分類されるのか。それなら「何を思いますか?」って聞かれてることにして感想言うけど、まあ「心底どうでもいい」だわ。
あのさー。アフリカで唇に皿入れたりする民族がいるじゃん? 東南アジアに首伸ばす民族とか居るし。そういう人らの結婚式見るのと同じような感じ。「ステキだなーって思わないの?」って。まあ「別に」だよ。
もう少し丁寧に言うと「ああ、そういう文化なのね」って思う。批判とか軽蔑とか、全然ない。ただ「そういう文化なのね」っていう感じ。正直言うと「一瞬ギョっとする」よね。そんで、奇異なものを見る目で見てしまうくらいは、正直勘弁してほしい。けど、もともと「ある文化に慣れた人の中でも、より一層他との差別化を図って行っているような装飾」である以上、初見の人間が一瞬固まることくらいは想定しておくべき範囲内のことだと思うんだよね。ちょっとギョっとする。で「別に」と。それ以上の感想を求めると、もう暴力だと思うんだよね。どういうことかって、もう少し説明する。
豚を調理する文化もあれば、豚を穢れたモノとして遠ざける宗教に基づく文化の人もいる。牛を調理する文化もあれば、牛を神様としてあがめる宗教に基づく文化の人もいる。後者の人に、前者の人が「ほら美味しいよ」って言うのって、どうなのかなあ。「ああ、それは美味しいのかもね。あなたのではね。」って言うのが最大限の譲歩だよね。ハッキリ言って「見たくない」のが本音じゃないかな。それに対して、いかにも「美味しい、って言わせよう」ってやり方で感想を求めるのは、もう文化的デリカシーが欠如してるなって思うし、場合によったらソレって暴力の域だよね。
肌の上に装飾をする文化の人もいれば、「何もない・清らかな肌」を美しいと感じる信仰を伝統的に受け継ぐ人もいるわけ。
入れ墨アレルギーの人に頭っから否定されたタトゥー愛好家は、そりゃ確かに腹立つとは思うんだわ。「このガラパゴス狂信者奴」って。けど、後者の人にタトゥー見せつけて「どうよ」ってやるのも、やっぱ同じ位暴力的だと思うんだわ。で、双方が無理に布教しようとすれば、結局戦争になるほかないわけ。それってあんまりイイコトじゃないと思う。
だから、まあ平和的に棲み分けましょうよって。要はそういう話。宗教的問題について「話し合えば分かり合える、説得できる」なんてそんなん夢物語(ふぁんたじー)ですよ。残念ながら、人間はまだそこまで進化してない。というか、それが/それこそが『人間』なんだと思う。