はてなキーワード: 真夏とは
真夏のある日、某有名チキンのファーストフードで一人でお昼食べようと思ってたんだ。
そしたら、後から、家族連れが何組か入ってきて、子供や旦那が空いてる席を全部ふさいでしまったんだ。
商品が出てきた頃には空き席なし。
「先に来てたのに」と思いつつ、店員に「席がなくなったんだけど、どうしよう」って言ってみた。
客同士で話して揉めても、後味悪いし、それ以前に、楽しみに来てるであろう子供をどかすのはかわいそう。
それに、自分も家族がいたら同じように、誰かを座らせてたと思う。
最後の一席が空いてる状況だったら、多分席取りのハンカチでも置いてたと思うけど、予想できなかった。
「テイクアウトにしますか?」って言われたんだけど、自宅も遠いし、暑いから外でも食べられないって言った。
結局、返金してもらった。
店としたら、一人で席をふさがれるより、家族で沢山食べてもらった方が儲かるんだよね。
家が遠いとか言ってる時点で、リピーターになる率は低いし。
数ヶ月急がしく、かなり髪がもっさり伸びてしまい、おおよそ数ヶ月ぶりに髪を切りに行こうと決心した。引っ越してきたばかりだから近くの評判とかよくわからず、安直にホッ○ビ○ティーを見てその地域の上位に出てた美容院の雰囲気がなんかよさげ~だったので行ってきた。
それがそもそもいけなかった!(ででん!
かなり伸びていたので、こちらの要望はツーブロック(しかし横の長さは残して欲しかった)で、あとは全体的に「ばっさり」という要望をした。
後は切っている様子を見ていけばいいなと思い、雑誌を読みながら切り具合を見ているつもりだった。
彼は、後ろからばっさばっさと切っていき、その途中どんな様子かがイマイチわからず・・・・・・
「様子がわからない」と伝えても、全く気に留めてくれず様子も教えてくれず、そのまま続行。
どうなってるかわからないまま高等部の作業終了、そして横の部分に流れて行きおなじくばっさばっさ切られていきました。
「あっ!」
気が付いたら、一番切られたくなかった横の長さが5~6センチを雑に切られてしまった後でした。
その時点で、まず苦言をしたのですが、彼は悪びれることなく、「もう切っちゃったので、もう片方もいいですね?」とばかり行って押し進めてきました。えぇー・・・・
高等部から髪の毛の多い客にわからないように髪の毛をばっさばっさするスタイルの人には初めて会ったのも衝撃で、横顔のバリカン入れたところもなんか妙に斜めな上、左右不統一。
それが高じて全体おぼっちゃまヘアーみたいに盛り上がっていてとても愉快なことになってる。
最初は横からぶん殴られたような宮城リョータ的だったのが、前髪は謎のぱっつんにされた為、どちらかといえば綺麗な北朝鮮総書記。
というよりは、まるでパイナップルの木かなにかか?(しかも、ちょっと萎れている)と思うような感じとなった。
好意的に考えるならば、これから日本は猛暑の真夏を迎えるので、これはそれに対する心優しい美容師による最大限の配慮かもしれない。
もし自分がこのまま南国に行けばきっとパイナップルの樹木として素晴らしい第2の人生も歩めるかもしれない。
そういう意味で新たな可能性を見出してくれた素晴らしいカットだったとも思いはじめてきた。
しかーも彼の素晴らしいセンスによるワックスを切った後にぺたぺたつけてしまえば、その萎れた葉っぱも見事に元気を取り戻します。こ、これは凄い!
「どうですか?」と聞かれて、自分の頭がパイナップルに見えるとはチキンの為さすがに言えず、皮肉に「おぼっちゃまスタイルみたいですね」と言った所、なぜか蛍原の例を出され「そんなことはない!そんなことはない!」としか言ってこない。
どうやら彼の中では、この世界には蛍原しかぼっちゃんヘアーはいないらしい。ふーむ、なかなか香ばしいぞ。全世界のぼっちゃんヘアーを愛する一部の皆、彼に対してもっともっと怒りを持っても良いぞ?
ここまできて、これ以上この人に髪を切られてはたまらないと思い、なにも言えず泣く泣く撤退。(言う人はこの場で言うんだろうなぁ)
帰ってから気が付いたこととしては、後ろの髪の毛が必要以上にすかれてしまっていて、まぁすいてる途中でやめて欲しいといったのですが止めてくれなかった。
つまり終始、彼の独自判断のままカットさせてしまった感がかなりある。つーか、自分の好みで客の意向を無視するって、それはそれでどうなのよ・・・・・・・・・
結果、元のボリュームの2~3割になってしまい、汗をかくとすごい状況になる。例えるならば、年のいった体調の悪い犬猫のありがちな毛の薄さのそれになる。
それを見て、流石に泣きたくなった。
カット代としてそれなりのお金を払ってるんだけどね、結果これか・・・・・・・・
以前、知り合いの女性で美容師に要望したよりもばっさり切られた、ありえない!という話を聞いたことがあり、正直その時は一体何を大げさな・・・・・・と思って慰めたことがあり、今回自分がやられてやっとその気持ちが真にわかった。
これ実際にやられてみると結構つらいですね。
まぁ自分は男性なので、髪型のおかげでそこそこ人気者になれました。さっきTwitterで頭がパイナップル宣言したら3件お気に入りされましたし、こんな貴重な体験の出来るお店(&美容師)と出会えた自分はある意味、幸せなのかもしれない。出会わなければ、さらにもっと幸せだったかもしれない。
<<教訓>>
新規の美容院に行くときに、美容師が必要最低限のカウンセリングしかしてくれないのならば、客側から率先してどうしてほしいかをしつこいくらい言わなくてはならないことを身をもって知る。
ばっさり切られた後からじゃ、なにもかもが遅い。髪の長い男性の方や女性の方は特に気をつけてるべき。
(ぐぐったら、男性美容師のほうが独断で暴走する割合が多いみたいね。それは知らなかった。良い勉強だったけど、鏡を見て高い授業料だったとつくづく思う。)
あとは上のものをそのまんまリク○ートなサイト経由で口コミしようとしたら、いろいろと引っかかって結果、凄く無難な表現になってしまったのが最後のオチかな。
ついさっき、こんなエントリーを見かけた。
私は淫夢を憎んでいる - はてな匿名ダイアリー
これは1年半ほど前に書かれた文章で、当時はまだ淫夢コンテンツが隆盛の頃である。それが今更になってTwitterで密かな話題となっていた。この文章を見た瞬間に「俺も持論を展開したい!」と子供染みた高揚感に襲われたので、一つ、書いてみる事にした。
その持論とはパンクロックと淫夢が根底では同じ現象であるというものだ。ただ、それを解説する為には、まず淫夢というコンテンツそのものについて考えなければならない。
ここで指すところの“真夏の夜の淫夢(以下、淫夢と呼称)”とは、2001年にコートコーポレーションから発売された「BABYLON STAGE34 真夏の夜の淫夢」とその他関連したゲイポルノビデオの内容を大手インターネット動画サイト「ニコニコ動画」に転載した一連のコンテンツである。そもそもは、プロ野球選手の多田野数人氏がこのビデオに出演したとされるスキャンダルが2002年の夏頃に週刊誌やインターネット等で報じられ、それを面白がった2ちゃんねるのユーザーがこれを「ネタ」とした事に始まる。要するに、このコンテンツはかなり息の長いものであり、その歴史は14年にも及ぶ事になる。
一方で、淫夢が日本に於けるインターネット文化のメインストリームに飛び出してきたのはごく最近である。例えば、ニコニコ動画で流行を発生される端緒となったMAD動画である「霊夢 so クッキー☆」が投稿されたのが2010年10月30日のことだ。流行の原因はひとえに萌え文化に食い込んだ事にある。当時流行していた東方Projectに乗っかり、馬鹿にするような形で、淫夢は知名度を上げた。そしてこの動画で淫夢要素として登場したのが通称「野獣先輩(役名:田所浩二)」である。最初にこの動画を見ると恐怖と嫌悪感を覚えることだろう。最初はアニメキャラのMADなのに、動画後半でガタイの良い野性的な男が突然喘ぎだすのだ。インパクトは大きいが、初めてこの動画で淫夢に触れた人間は到底笑う事ができないだろう。
そう、冒頭のエントリーでも言われていたように、淫夢のコンテンツは「人を遠ざけること」を以て成立していた。そして、同時に人気のコンテンツに対して「喧嘩を売る」ことも淫夢を支える原動力となっていた。ところで、冒頭のエントリーでは「理解されることを嫌う」という部分に主軸が置かれていたが、「風評被害」などの全方位爆撃と言われるような無差別の迷惑行為が行われる原因には余り言及されていない。そもそも、意味もなく「風評被害」を撒き散らしてコンテンツを占領する事は、淫夢の大きな特徴の一つである。しかしこれを単に「定型文を楽しみたいがため」であると考えるのは早計である。このような無差別の破壊行為を行う危険分子には一つ記憶がある。それは1970年代後半のロンドンパンクである。
パンクロックと言われて皆さんは何を想像するだろうか。まずもってハードコアなロックを想像する人が大多数であると思う。次にセックスピストルズを連想する人が多いだろう。ここでイギー・ポップを想像された方は私と趣味が合うので、酒でも飲み交わしたいところだ。それはさておき、パンクロックというのは至極曖昧な分類である。結論を言えばハードでメタルなロックは特にパンクではない。パンクロックとは、超絶技巧に進化しすぎたロックに対する反骨として、若者たちが楽器を取って破壊的な演奏をしたことに始まる。パンクロックは常に若者と共にあった。その中でもロンドンパンクとセックスピストルズはパンクの代名詞的に語られる事が多い。そして、今回淫夢のムーブメントと対比して語るのも、ロンドンパンクであり、セックスピストルズである。
パンクロックの特徴の一つとして、演奏が適当で、歌も酷く、歌詞は過激、という部分がある。最早そこに芸術性などなく、ただ単調な破壊行為のみが残る。そういう音楽である。そして、ロンドンパンク全盛期(のみならずパンクの曲)の歌詞を聞けば分かるが、その内容は全方位爆撃という言葉に等しい。そしてそれが流行した背景には当時の社会情勢があった。1960年代以降のイギリスと言えば「英国病(もしくは"Sick man of Europe")」と呼ばれる長い停滞の時代にあった。特に1970年代後半は労組の賃上げ交渉のために社会機能が混乱に陥り、それが更に深刻な影響をイギリス全体に与えていた。
淫夢の流行の端緒となったのは「霊夢 so クッキー☆」であるとの持論を先程展開したが、それでも淫夢がアングラの文化である事に変わりは無かった。淫夢が一般的にも受け入れられるようになったのは2013年か2014年ごろの事である。2014年の冬には女子中高生の流行語として「微レ存」(“微粒子レベルで存在している”という内容の淫夢用語)が取り上げられているなど、ある程度社会に影響を及ぼす立場に淫夢というコンテンツが進展している事が分かる。
参考:「Ameba」が2014年「JCJK流行語ランキング」発表 流行語1位は「ダメよ~ダメダメ」、「かまちょ」「KS」など新しいJCJK語も上位に 流行っていたモノ・コト1位は「壁ドン」
https://www.cyberagent.co.jp/news/press/detail/id=9551&season=2014&category=ameba
さて、2010年から2014年の間に何があったかと言えば、2010年ごろから尖閣諸島の問題が表面化し、更にGDPでは日中の順位が逆転、対中関係は政治的にも国民感情的にも急激な悪化の一途を辿った。2011年には東日本大震災とそれに伴う原発事故が起こり、それ以来日本社会に大きな影を落とした。2011年から2012年に掛けては円高が続き、日本経済は大きな不況に陥った。そもそもバブル崩壊以後の日本経済は停滞を続け、災害リスク、政治不信など、社会情勢はとても良好とは言えなかった。要するに、日本は英国病と何ら変わらない状況に陥っていた。(もしくは今も陥っている。)
当たり前だが、人間はそういう状況で不満を溜め込むものである。淫夢はそういった不満の捌け口となる「パンク的」なコンテンツとして、この頃から急激に勢力を伸ばしていった。淫夢というコンテンツが「人を遠ざける」事を絶対の掟とするのは、この攻撃的な性質と表裏一体である。そして、今度は「攻撃する事」そのものが淫夢の価値として利用されるようになった。
ニコニコ動画に於ける淫夢というコンテンツの裏にはニコニコ動画の運営に対する反骨精神が常に見え隠れしている。例えば「ニコニコ本社爆破シリーズ」や「ニコファーレ」を淫夢動画で占領するなどといった行為にそれは顕著である。ニコニコ動画では卑猥な動画は削除されるようになっている。淫夢を題材にした動画もそういった理由で削除される事が多く、「ホモコースト」と呼称されている。ここでのニコニコ動画の運営はある意味既得権益層として扱われている。そして、淫夢というコンテンツに集った人間を抑制する「大人」として常に反骨の対象となっている。この構造はロンドンパンクでも同じだった。有名なセックスピストルズも契約を中途破棄した大手レコードレーベルのEMIに対して中傷を加えるような楽曲『EMI』を制作し発売している。
かつては純粋に同性愛者に対する侮蔑の意味から成り立っていたコンテンツも、近年では方向性が変わり、日本社会全体に対する皮肉や激しい中傷が込められたものとなっている。
ロンドンパンクは一瞬にして終焉を迎えた事で知られている。例えばセックスピストルズはアメリカツアー中に解散し、それからロンドンのパンクブームは急激に終息へと向かった。結局はバンドメンバーの喧嘩別れなのだが、一般的には「セックスピストルズが時代に果たした役割は終わっていたから」と解説される事が多い。これは何を示すのか。
淫夢に目を移してみよう。2010年頃、ニコニコ動画で淫夢が流行りだしたとき、流入してきたのは所謂「はぐれ者」のような人間だった。彼らは「人に理解されない」という事を自覚している。そこでそれを逆手に取って、「絶対に理解されないコンテンツ」で活動する事にしたのだ。淫夢が隆盛すると、淫夢という荒削りだったコンテンツにも多くの優秀なクリエイターが参入してきた。彼らもまた社会のはぐれ者だったが、その技術力によって淫夢というコンテンツはニコニコ動画の中で確実に育っていった。そしてすぐにも一般的な人間にも受け入れられるコンテンツへと淫夢は成長した。
近年のアニメ文化にも同じ現象が見られる。元々深夜帯のアニメは「はぐれ者」の為のコンテンツだった。しかし、深夜アニメのコンテンツとしての成長とともに、十分一般大衆に受け入れられるようになってきた。しかし一方でそれは“古参”のオタクと新たにアニメを視聴し始めた人間の間に溝を生む事になった。近頃では、社会的に弱者というよりは立場の強い者でもアニメを見るようになったので、そういった人間の行動がオタクの内輪で問題になる事も多くなってきた。(ラブライブに関する騒動など。)
淫夢でもこれと同じ事が、より急激なスピードで起こった。淫夢は大衆化が進み過ぎて、比較的容易に理解されるコンテンツとなってしまった。動画のコメントにも「掟」を破るようなものが出てくる。また、淫夢動画自体も攻撃する側からされる側へと変化していった。そうなると、過激な作品を作る意味もなくなっていく。淫夢に関連する動画を作っていたユーザーは更に先鋭化した動画へと転向するか、もしくは全く違うコンテンツに乗り換える事を余儀なくされた。もちろん、動画を作る人間が残されたユーザーに居なかった訳ではないが、理解しがたい価値感から生まれる笑いを作り上げる事は難しくなった。現在の淫夢では、無意味な誹謗中傷を繰り返すタイプのコンテンツと、「現場監督」などの更に理解しがたいコンテンツへと興味が進展している。一方でコアな視聴者層の流出も止まらず、最盛期にはニコニコランキングのその他カテゴリ10位以内を常に占拠していたが、今では半分にも満たないことが多くなった。
セックスピストルズの解散理由であるところの「役割が終わった」とは、言い換えれば過激な事をしても面白くなくなったということである。自分自身がメインストリームに近づいてしまった事により、メインストリームに対する攻撃を加える事が最早できなくなった時点で、ロンドンパンクや現在の淫夢というコンテンツが終焉や衰退へと向かう事は規定路線であったということである。
攻撃的で人間を遠ざけるようなコンテンツは何も淫夢だけではない。2ちゃんねるの「なんでも実況板J」発のコンテンツには類似した攻撃性、特殊性を持ったコンテンツが多く存在している。一つは野球選手を題材としたカッスレなどの誹謗中傷を行うコンテンツである。もう一つは聞いた人も多いと思うが唐澤貴洋弁護士に対する一連の誹謗中傷である。どちらも淫夢より更に先鋭的であり、社会に与える影響もコンテンツの規模に比して大きい。後者は特に爆破予告やGoogleMapの書き換え騒動などで、社会に対して影響を与え始めている。
そしていずれも淫夢のコンテンツに集っていた人間とユーザー層が被っているという事が重要である。そして、これから淫夢と同様に勃興していく可能性を秘めている。それはつまり、淫夢というコンテンツはもしかするとこれから起こる日本社会全体に対する反抗的なムーブメントの始まりに過ぎないかもしれないということだ。淫夢というコンテンツは「因縁を付けて他のコンテンツを占領する」という重要な特性を発現し、それが日本のアングラなインターネット文化に与えた影響は大きい。
パンクロックが「タブーを無視した過激な表現」という点で後の様々なコンテンツに影響を与えたように、もはや淫夢というコンテンツが日本の文化に与える影響は無視できないものとなっている。冒頭の記事で「ニコニコ動画を滅亡させるもの」として記述されていた淫夢は、果ては日本を一種の意味で「壊す」コンテンツとしての役割を担う可能性がある。淫夢はニコニコ動画であり、日本でもあるのだ。つまるところ、今起きている淫夢というコンテンツの拡散はこのコンテンツに特有の事象ではなく、もっと巨大な社会的情勢の要請から来るものであるという事だ。
では、我々は次に何をすべきか。社会を食い潰しながら、次々と勃興しては衰退する攻撃的なコンテンツを前に、それをどうするべきか。淫夢の風評被害を広める人間が悪い訳ではない。唐澤貴洋に殺害予告をする人間が悪い訳でもない。そしてパンクロックを演奏した人間が悪い訳でもなかった。彼らに対して批判を加える前に、彼らに対して何ができるのかを考えてみてほしい。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
メディアを考慮しない、場違いなエントリが匿名ダイアリーで出たときに、ここよりも適したコンテンツを頭に書いて「○○でやれクソ雑魚ナメクジ」と返すテンプレだな。
明確な発祥元は不明だが、最もポピュラーなのは「真夏の夜の淫夢」に登場し、ファンから「淫夢くん」と呼ばれている動物の別称だ。
ここ匿名ダイアリーでは「雑魚」と漢字で使われることが多いが、淫夢の界隈では全部カタカナなので元ネタに倣うなら「クソザコナメクジ」だな。
なぜ漢字の部分が出てきたのかは諸説あるが、「発祥元とは微妙に違う意図で使うから説」、「匿名ダイアリーで初めてこれを用いた文言が『クソ雑魚ナメクジ』だった説」、「匿名ダイアリーの『クソ雑魚ナメクジ』こそ最初で淫夢はむしろパクり説」とか色々あるようだ。
いずれにしろ、明確な決まりはないようで「糞ザコナメクジ」でもいいし、「クソザコ蛞蝓」でも恐らくは問題ないんじゃないかな。
全部漢字にして「糞雑魚蛞蝓」とか、全部ひらがなにして「くそざこなめくじ」でもいいだろう。
「クソ」、「ザコ」、「ナメクジ」という、それぞれで蔑称として使われているものを3つも組み合わせるという強欲さと、語感の良さを兼ね備えていることから特定の界隈で人気の蔑称のようだ。
それにしても、「お嬢様部」とかの質問がきたときも思ったが、こういう元ネタとかって意外とあまり関心のない人が多いのだろうか。
「お嬢様部」にいたっては、はてなキーワードとかでも説明されているのだが、なんJ発祥なのを知らない人が意外に多くて驚いたなあ。
主に知能が通常よりも低いことや、そのさまを表す言葉だな。
「低脳」と書かれることもあるが、正しくは「低能」だ。
有名なのは、ジョジョ第5部のフーゴが放った「ド低能」だろうか。
後に差別的だとして修正され、現代だと「クサレ脳ミソ」というセリフになっている。
それを言われたナランチャのセリフも微妙に変わっていて、「何だと……低能って言ったな…~~~~殺す」から、「何だと……クサレ脳ミソって言ったな~~~~人を見下す言い方は良くない!」らしい。
そんなわけで、現代社会ではまず耳にするようなものではないが、もし言われたら「何だと……低能って言ったな…~~~~殺す」と返してみるのもいいかもしれないな。
クサレ脳ミソの場合は「人を見下す言い方は良くない!」と返そう。
ちなみに、対義語として一見ありそうな「高能」という言葉は、中国語とかではあるようだが日本語ではない模様。
真夏のうだるような日差しの下、ぼくは海沿いにある片田舎の町の片隅に立っていた。
目の前には長年の潮風にさらされ今にも傾きそうな小さな家がある。
「こんにちわー!」
できるだけ明るいトーンを心がけ、一度で誰が来たかを理解できるように玄関に向かって声を張った。
「開いてるよー」
隙間だらけの家の中から女性の声が響き、慌ただしい足音が近づいてきた。
「いらっしゃ、、、あら?ひとりかい?」
誰が聞いても明らかな様子で後半の声のトーンを下げながら、老齢の女性は答えた。
ぼくはそれにめげないように明るい声で答える。
「えぇ。仕事で近くまで来る予定があったものですから。せっかくなので。」
何やら複雑そうな表情を一瞬見せたが、彼女の腕はすでに紙袋に伸びていた。
そう促す姿の奥に視線を送ると、高齢の男性が不機嫌そうにこちらを見ようともせずに座っていた。
恐らくテレビにでも見入っているのだろう。
「そうしたいのは山々なんですが、まだ行かなくてはならないところがありまして。それに、もともと気を使って頂かないようにと連絡もせずに来たわけですから。」
そういうとぼくは妻から預かった封筒を目の前の女性、妻の母親に手渡した。
中には毎年手渡されるはずの妻とこどもたちからの手紙と、家族の写真が数枚入っている。
「なんだか今年は進学のこととか学校の行事だとかで何かと忙しいみたいで、、、」
あえて言葉の最後を濁すと、お義母さんは意味を悟ったのか残念そうにため息を付いた。
「慌ただしくて申し訳ないですが、お義父さんもお体に気をつけて!」
無駄だとわかっていながらわざとらしくトーンを上げて反応を伺ってみるも、やはりお義父さんは相変わらず同じ方向を向いたままだった。
ぼくはそそくさと妻の実家を後にした。
妻とお義父さんとは、ぼくらが結婚をする前からすでに仲が悪かった。
小さな釣り船屋を営む父親は家庭の中でだけ威厳を示そうとして、よく母親や娘に手をあげていたらしい。
稼ぎも安定せず家族が店に出て生活を支えている中、夕食の準備を急ぐ学校の帰り道で、ツアー会社に売り込みに出ているはずの父親が見ず知らずの若い外国人女性と仲睦まじく歩いている姿を目撃してしまったそうだ。
ところが、母親は驚いた様子も見せず、ただ「しょうがない」と一言返してきただけだったそうだ。
腑に落ちないながらそれ以上聞いても仕方がないと思った妻は、その日以降父親とは聞かれたこと以外話をしなくなってしまったらしい。
ただ、それでも毎年里帰りをしていたのは、お義母さんに孫達を見せたいのと、自分から相手につけ入れられる否を見せたくなかったからとのことだった。
せめてそれが家族の楽しい思い出になるように毎年あれこれとイベントを企画してきたが、とうとうそれも叶わなくなってしまった。
それを予算のせいだからと電話一本で済ませたくなかったのは、きっと妻のプライドなのだろう。
「昔みたく、ぼくが一人で行って手紙でも届けてこようか?」
ぼくがそう妻に告げると、妻は仕方なさそうにこういった。
「本当はみんなで一緒がいいんだけどね。パパがそういうなら仕方ないわ。」
社会に出て間もないころのまだ大した稼ぎのなかったぼくは、青春18きっぷで全国を旅をしながら写真を撮るのと釣りをするのが趣味だった。
そうして訪れた先で、ぼくは妻に一目惚れをしたのだ。
ローカル線を乗り継いでいけば日をまたいで次の日の昼前には到着する。そうすれば1綴りたった11,850円の費用で往復が可能だ。
妻は父親に余計な気を使わなくて済むし電話一本で済ませるという不義理な評価を避けることもできる。
ぼくは夏の小旅行を楽しむことができるし、家族から開放された時間を楽しむこともできるというわけだ。
ただ唯一、こどもたちだけは残念がるだろう。
「せっかく行くのだからこれで美味しいものでも楽しんで、ついでにこどもたちにおみやげでも買ってきてね。」
ぼくはこの人を妻に選んで本当によかったと、心から思った。
そんな美しい物語を夢想しつつ、ぼくは「ぼくだけ留守番してるからみんなで気兼ねなく楽しんできなよ。」とつまに告げたのだった。
ただし、これで一人の時間を楽しめるかというとそれは少し考えが甘いかもしれない。
なぜなら、そもそも旅行代金の高いお盆を避けるように組まれたスケジュールだったので、本来費やされるべき有給休暇は残念ながら持ち越されてしまうからだ。
もちろんそれを不幸とも思わないし、当然全てを受け入れるつもりだ。
私はセクシャルマイノリティを自認する高校生である。今日は、ただただ途方もなく疲れてしまったので増田に愚痴をこぼさせてほしい。たいしたことではないので、余計に申し訳ないのだが。
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そもそもの愚痴を吐くきっかけであり、そして、最大の悩みの種である。本当に、スルーが出来ない。
自身がセクシャリティを強く意識しているのもあってか、ネット上の些細なネタにもやもやとしてしまう。淫夢と呼ばれる同性愛を扱ったアダルトビデオへのいじり、腐女子に限らないネットユーザーのズレた発言、増田におけるホモオチ……。
考えだしたらキリがない。
こんなの差別じゃないかといいたくなるものは無数にあり、一方その度に感情を乱されても仕方ないともわかっている。そう。わかっている、が、必ずどこかもやっとしてしまうのだ。
それらが当たり前に受け入れられ、笑いとして溶けていく瞬間。周りに一切首を傾げる者がいないなか、一人異を唱えようとする己の気持ち。そのような無駄としかいえない流れを何度も繰り返す自分こそが嫌になってくるのである。
最近でも、Togetterで「島風くんとホモセした人の体験レポートがヤバ笑える」や「ビガロパイセン処女喪失レポ」 http://togetter.com/li/978098 などが話題に上がっていたが笑えなかったしいい話だとも思えなかった。
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話は変わるが、私はTwitterを利用している。
主にセクシャリティ関連を発言するユーザーをフォローし、自分もぼちぼち呟いている。といっても、フォロワーが雀の涙ほどもない弱小ユーザー。何をいってもなあと呟き頻度は低めだ。
私は、そのTwitter上でもやもやを正義感に置き換えている。
わざわざ差別用語で検索して叩くなどはしていないが、たまにタイムラインで目に入ったりすれば正義感まるだしに意見などをするのだ。
しかし今書いている愚痴もそれの成れの果てであり、またなんの為かさえもわかっていない。
名前は「RTしてホモにしようbot」https://twitter.com/rt_homo_bot
固定ツイートの「チノちゃん! 上の人はホモだから気をつけてね!」に始まり、「RTして上下左右の人をホモにしよう!」「RTして上の人をゴリホーモにしよう」など様々なツイートをしている。また、ホモ以外の言葉でツイートしているものもあるが、ホモよりリツイート数は少ない。
スルースキルのない私は、これを見てもう我慢が出来なかった。なにより、フォロワーが2000人も超えていることが理解できなかった。明らかに差別意識丸出しだと憤慨した私は、botの管理者宛にDMを送った。
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こちらのbotは、画像を加工し、キャラクターのふきだしなどに「この人ホモです」などのセリフをいわせていますが、これは明らかに差別的な意図があってそうされているのですか?
管理者「あなたの考えを一般的に"飛躍"と言います。差別を目的とする場合、差別が目的であることが明確である内容が当然発生すると思いますが、画像と定型文以外全くないはずです。差別に敏感なのであればより同性愛の方に差別的な発言をされている方を対象にすべきです。
差別はあなたのような無駄に敏感な方が発信源となるケースが多いのでよく理解しておいてください」
私「お返事ありがとうございます。
私の考えが飛躍とされていますが、その画像と定型文こそにホモフォビアが紛れていると私は判断したのです。
ホモは差別用語としての歴史があり、現在も侮蔑的な意味で使用されることが多い言葉です。もし管理者様がホモという言葉に差別意図がないとするなら、では何故わざわざ使用されたのでしょうか?
ホモでなくとも、これがハゲでもデブでもあっても、キャラクターが上を指差している様子は揶揄しているように見えます。
そして、ホモにしようという文面がツイッター上で同性愛者の目に入った時、差別だと感じる可能性がないと断言出来ますでしょうか。
そもそも、同性愛者となることは他者によってさせられるものではありません。このbotをリツイートする方は異性愛者だろうと考えられますが、それは異性愛者が同性愛者をネタにし、無意識に差別していることとほぼ変わりません。
その上で、管理者様が「ホモにしよう」という言葉を選択したその理由をお教え頂きたいです。
ご忠告ありがとうございます。また、DMのお返事に貴重なお時間を割いて頂きありがとうございます」
メッセージの内容について言及するつもりはない。尚、最後のメッセージは今日送ったものだ。
「そこまで強くこだわりをお持ちになられるのであればこの小規模なbot程度へのアピールではなくもっと大きなものへのアピールをされてはいかがですか?
あなたのその考えは誰にも届きません
拡大解釈をされる方のようなのでこちらも同様にさせていただきますと、今の世の中どんな言葉をとっても差別やハラスメントになります。ならあなたも同様に誰かの目に入ってそういった印象を持たれてはいけないでしょうから文字を発信すべきではないですね
そもそも差別というのは差別になるであろう対象の人ではなくあなたのような無関係なのに敏感になって勝手に大暴れする人が規模を広め無関係な人がバカにするキッカケを作るケースが多いと思われます。
もう1つあなたの考えをそのまま使わせていただくと、↑を使って異性愛者にしようといった内容にすれば異性愛者をネタにして笑いものにしよう差別しようという風に捉えられますでしょうか
差別をそこまで気にしない側の意見を率直に申し上げさせていただきますと、あなたのような人が一番差別対象となる方にダメージを与えています。
理由は上記に加え、頭のおかしい人がいるとあなたのような人にスポットライトが当たるからです。普通に過ごしていればいいんじゃないですか?
ホモという言葉がネタとして使われるようになったキッカケとして代表的なのは「真夏の夜の淫夢」でしょう。しかし同じような「ガチムチパンツレスリング」シリーズの出演者は日本人が作品をネタにしていることに感謝さえしています。
その2つを並べた時にどのような印象をお持ちになられますかね。
わざわざ自分でホモをターゲットにして差別しようと思うならこんなふざけた手段とると思いますか?ホモ以外のパターンを含めると思いますか?
あなたは視野が狭すぎます。その堅すぎる頭を1度ミキサーで粉末にしてゼラチンと混ぜてもう1度固形にしたらどうですか。
そもそもですが、異性愛者が同性愛者、自分は興味など全くないのにそういった対象で見てるかもしれない人と一緒にいるのは簡単なことではないでしょう。あなたも嫌いな人から好き好きって言われたら気持ち悪いでしょう。
住み分けをすることが重要なのであって受け入れろという押しつけは返って居場所を奪うだけです。
あなたのような人は水と油がきれいに分離してる中乳化剤を混ぜようとするそんな人です。
頭のお花畑に水やりするの忘れずに。
花が咲いてもいらないので持ってこないでくださいね。」
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色々と疲れた。
一時はDMの内容をTwitterで公開しようと考えた。しかし私のフォロワーは関心を示さないだろうし、セクシャリティで言論の立場に立っておられる方々もこんな小さなことには興味はないはずだとして止めた。
インターネットにはそれこそ無数にホモネタがあるが、私のように無駄に正義感を発揮してもおそらくなんの意味もない。自分のやっていることの無意味さにただ虚しくなっただけ。もう放置して、勉強に集中しようかと思う。
ホモネタって面白いかな。後輩が淫夢は楽しいっていうんだ、全然差別じゃないって。
私が間違っているのかな。
追記
増田を書いたことで、気づかないようにしていた自分の未熟さを強く感じさせられました。
小さなことを一つ一つ意識し、そのうえ力も知識も不足している今では意味がありませんよね。固執するのではなく、物事を広く見れるよう勉強に今は集中することにします。いい諦めになりました、ご指摘くださった皆様ありがとうございました。
ちょっと前に盛り上がってたけど、決着を見れないまま流れてしまったので自分(女)が思う理由を書く
自分が生理中にプールに入らなかったのは体が冷えるからというのが大きい
なんだその理由、大したことねーじゃんと思われそうだけど、体(特に腹部)の冷えは生理痛の悪化に繋がる
生理痛はかなり個人差があるものだけど、自分はけっこう重い方で、特に学生時代は鎮痛剤飲んで真夏でも腹巻きしてカイロ貼っても立ち上がれないくらい痛むときもよくあった
自分が通ってた高校は入学時点でプールがなかった(三年のときできた)のと、男女の比率が科によってかなりばらつきがあったので水泳の授業自体なかったので中学までの話
中学の頃は処女だったのでタンポンは怖くて使えなかった 非処女になってからはときどき使うけど、今でも入れるときはちょっと気持ち悪いし、入れた状態でプールには入りたくない
増田で盛り上がってたときに見てたらわりとなんでただの血なのに~みたいな書き込み見たけど、経血って赤ちゃんのための栄養が含まれているのでふつうの血と同じものじゃなくて膣分泌物とか酵素とかが含まれていて雑菌の温床になりがちだしにおったりもする ので自分は人のも自分のも気持ち悪いというか少なくともきれいとは感じないです
あれってお母さんの死について歌ってるよね。
薄化粧した朝
忘れぬ約束した
花束を君に贈ろう
愛しい人
どんな言葉並べても
今日は贈ろう
花束を君に贈ろう
愛しい人
どんな言葉並べても
君を讃えるには足りないから
今日は贈ろう
宇多田ヒカルがすごいのは、曲を悲しい場面にも幸せな場面にも適用できるように作れるところだと思う。
今までもそうで、陰と陽が混じって揺らいでるようなところが宇多田ヒカルの特徴だよね。
花束を君にも、結婚式でも流せるし、死んだ人を思って歌うこともできる。
桜流しでもそうだったけど、宇多田ヒカルがこんなに負の方向へエモーション振り切った楽曲をつくることって今までなかったと思う。
もとからダウナーではあったけど、悲しみっていうより切なさと癒しの歌が多かったから。
UHSCvol.2の頃からだけど、伴奏もだいぶ変わったよね。
打ち込みで電子的なものメインだったのが、ピアノとか弦とドラムっていう基本構成を崩さないようにやってるんじゃないかと思う。
そうすることで歌声も際立っているし、前みたいに楽曲のなかで声を楽器の一部みたいに使うっていう方向じゃない。
だから新曲二つとも、シンプルに「歌」っていうものの力強さを感じるよね。
ライブで歌っているのを聞きたいって思ったな、珍しく。
今までの宇多田ヒカルのトラックは、それ自体で完成された音源という感じだったから、これも新しさを感じる部分だと思う。
もしかしたら歌の強さ、メッセージを伝える強さみたいなものは、お母さんへの意識なのかもね。
フルで聞かないとわかんないけど
http://anond.hatelabo.jp/20160331150720
お坊さんをお呼びした家族葬(D.I.Y.葬)が総額42,360円で完璧に出来たお話
人によっては非常に役立つ、と言う話の一方で、批判もあるこの記事。
人の生き死にについては宗教観が付いてくるのでそれをどうこう言うつもりはないけれど、ブコメには「すごいけど、できそうにない」という声が多いみたい。
そこで、おじさんを2人看取ることになった田舎の貧乏農家の長男の俺がどうやって費用を抑えたか書こうと思う。
具体的に書かないと意味が無いので具体的に書く。表ブログの読者の方は誰だかわかるかもしれないけど、できたら黙っていてくれるとうれしい。
親父は8人兄弟で、そのうち3人は田舎にいるが、残りは都会に出て行った。
そのうち1人は早々になくなり、もう一人は癌で死亡、その時点で存命は6人、1人のおじさんは生涯独身を貫き、もう1人のおじさんは子どももいないままに早いうちに奥さんを亡くして、独り身だった。
俺の親父は次男だったが長男が都会に出てしまったので跡継ぎである。ただ長男が継ぐつもりだったので結婚が遅く、自分の歳の割には高齢だ。さらに俺はその長男なので、跡継ぎである。と言うことで、小さい頃から「親戚が困ったら、本家のうちが助けてやるんだぞ」と言われて育った。
育ったが、本家と言っても、昔なら山を守ってそこから得られる富で支える事ができたのだろうが、今となってはただのワーキングプアの貧乏農家であって、お金がない。
それで、あまり会葬者がいない葬儀を出費としては38万円ちょっとで上げた話をする。これには振る舞いや精進落としを含み、真夏でエアコンのない我が家で特に必要になったドライアイス代等も含まれるので、そこを省くとたぶん20万円ぐらいでできる。香典を入れると、収支はプラマイゼロでできた。
上の叔父の時は、叔父から突然「病院からどうしても親類の人に一緒に来てくれと言われた。申し訳ないが、来てくれないか」というのが始まりだった。が、すでに70を超えた親だけをいかせるわけにはいかず、同行、距離にして400キロほど運転して駆けつけると、記憶にあるよりずいぶんとやせた叔父がおり、医師の話を聞くと、やはり癌だった。ステージIII。
叔父はだいたい想像が付いていたようで気丈に振る舞っていたが、こちらは正直、当時22歳だった俺は何のことだかわからない状態だった。
叔父の「今まで1人で暮らしてきたんだから大丈夫」という言葉があったが、ほっとけるわけもなく、とりあえず手術をすることに。手術は後、病理検査が出たのだが、家族だけ医師に呼ばれ話を聞きに行くと、医師曰く、非常に悪性が高く、見えるところは取り切ったはずだが、砂のような癌ですぐに戻ってくる可能性が高いという。本人は癌と闘う気があるので、抗がん剤をやるが聞きづらい可能性もあると言うこと。
みてやりたいという意思はあったが、抗がん剤は周りの支えがカギ、と言うことは一番上の叔母が癌になったことがあったので知っていた。
支える事は、400キロも離れていると難しい。叔父の現在の在所に住み込むような金ははっきり言ってない。畜産はやってないにしても仕事はあまりほっとけるわけではない。
持病を持っていた叔父は保険にも加入できてなかった。蓄えはあったが、まとまった金と言うほとではなかった。
幸いにして発覚したのが農閑期ではあったのだが…そこで親父と医師と相談し、ありのままを告知して、その上で、最後は田舎に帰ってこないか、と言う話をした。
このような形で、叔父は人生のほとんどを過ごしてきた街ではなく、子ども時代を過ごしたとはいえ、あまり縁のある人のいない田舎でなくなった。そのため、会葬者などはおそらく家関係の義理しかかないだろうと想定された。
人生の最後で引っ越しをしてもらうなど蓄えもほとんど使ってしまっており、実は叔父からは通帳一式預かったのだが、ほとんどお金はなかった。
そこで、親と相談して、お世話になっている菩提寺に相談をした。
結果
合計37.5万円。
実際には告知することもなく小さくやったので、あまり人が来ないと思っていたら、叔父と幼い頃一緒だった同窓生などが、どこから知ったのか来てくれたりもした。また、葬儀場が当たり前になっていて、お寺で葬儀を行うことがなくなっていた(お寺はそもそもそんなに大きくないので)のだが、やはり雰囲気が非常に良く、お金がないなりにそれなりにできたと思う。
組合の方々は香典を持ってきてくれたし、また叔父叔母もお金を出してくれたので、当家の出費はほとんど無かった…と言うか、実は少しだがプラスになってしまった。
それはこの後の法事に回す事にした
実は病院で死亡宣告を受けた後、最初に相談したのは葬儀社ではなくお寺だった。地元では葬儀社を手配しても、葬儀社からまずお寺のスケジュールを抑えてくれと依頼されるので、先に葬儀社ではなくお寺に連絡をすることが常識だと言われていた。
今まで全部親がやっていたので、自分がかけるのは初めてだった。このときは借金をする覚悟を決めていて値切るつもりはなかったのだが、そのときに率直に「今からお金を借りに行ってくるが、今日は日曜日なんで」と言う話をしたら、お寺の方からアドバイスをいただいて、こういう形になった。
「最近はお困りの方が非常に多い。実は珍しい話ではない。家族葬という形で小規模にやると後で悔いが残ることや大変なことも多い。なにより、現世との区切りが上手くできない。
これは、仏様にとっても大変だが、後になって自宅にお線香を上げに来る方が絶えず来て困るという事になってしまうので、現世に残された者のためにもこういう形を勧めている」という事だった。
これは、ほぼ同じやり方を下の叔父の時にもやったし、そう言うつもりで注意をしていると、あちこちのお寺でこういう小規模な葬儀をやっている事に気づいた。
余所の土地でもできるかどうかはわからないが、宗教家というのは基本的には(あるいは、建前的には、と言ってもいいかもしれないが)困っている人をほっといたりしないので、相談するべきだと思う。
下の叔父は突然死だった。突然病院のコーディネータという人から電話があって、外出先で倒れて運ばれたが死んだと言う。
叔父も300キロぐらい離れた別の所にいる。が、なさけないこと最初に頭をよぎったのは、300キロも搬送したらどれだけ金がかかるのか、と言うことだった。調べたら下手をすると数十万単位でお金がかかるという。当然だがそんな金はない。
とりあえず親を公共交通機関で送り出しつつ、考えた。
実は元増田と同じようにレンタカーを考えたのだが、レンタカー屋になんとなく効いたところ「そのような用途は断っている」とのこと。他にもあるかと聞いたら「まず遺体の搬送を許しているレンタカーは無いでしょう」と言うことだった。曰く、遺体を直接禁止しているものではなくても、輸送に特別な規制があり許可が必要なものは断るという規定になっている場合がほとんどではないかと。
きっと元増田のように選択肢が多い都会ならばもう少しなんとかなったかもしれないけれど、やむを得ない。ただ、レンタカー屋の担当の方は「ただし、知らない場合にはお断りはしません」と暗に黙認してくれるようなフォローをしてくれてはいたのだが。
そこで、どうしたかというと、自前のトラックで迎えに行った。普段農作業に使っているものだ。まず、お寺に連絡をした後、先にお棺を出してもらって、それを荷台に載せ、動かないように詰め物で色々と詰め込んで、緑色のカバーを掛けて、トラックで迎えに行った。おじさん、すいません。
後から相談したところ、最後の手段として、赤帽的な小規模運送業者を手配するという方法もあると言うことだった。組織としてはリスクがあるので断ることがあるが、個人事業主が多いので、受けてくれる業者もあるらしい。ただその場合でも、荷主が診断書をもって同乗するというイレギュラーな対応になる。
故に頼み込むと専門業者の場合は数十万円かかるのが常識の距離でも、数万円で受けてくれることもあるらしい。ただこの場合は必ず心付けを渡すことを忘れないほうがいいと思う。人間として。
ただ、御布施については、前回余ったという事、それからこちらの叔父は病気療養でお金を使っていたわけでもなく多少はあると思われたので(確かめる時間はなかったが)、多めに出すことにした。
ただし、このとき、叔父が長年暮らしていた家の周辺の人々に何も通知していなかったことが失敗だった。
最終的に叔父の家に片付けに行ったとき、近所の方に声をかけていただき、話をしたら、叔父はきちんと近所づきあいなどもしていたようだった。また、引退して気楽な一人暮らしだ、と言っていたのだが、実は在籍していた会社からちょくちょくアルバイト仕事を受けていたらしく、そちらの方もあった。
その後、暮らしていた街で親しくしていた方や、近所の方、元の会社の部下の方などが遠い距離を墓参りに来てくれたりもした。葬式というのは、故人や親戚のためだけにやるものではなく、むしろ周りの人間と現世と区切りをつけるためにやるものだ、と言うことを実感した。
今回は利用しなかったが、自治体には大抵簡易な葬式のやり方を規格化して、「規格葬儀」あるいは「自治体葬儀」という形で定型化し、安価なパッケージにしてあることがある。それを利用すると言う手がある。
この場合、自治体に相談すれば基本的に利用できる。それが利用できる葬儀社の一覧があるので、そこで申し込みをする。どういった場合でも広く利用でき、規格化されているので交渉も必要が無い。檀家になっている寺院が無い場合、ネットでいきなり検索して怪しげな所を選ぶよりは、これの方がいいのではないかと思う。地域性も加味されているし。
ただし多くの場合
地元では遺体搬送が別で28万円。実際には10万円ぐらいでできるさらに簡易なプランもある場合があるらしかった。地元だと、28万のプランは表に出ていたが、10万円のプランについては一般には示していなくて、基本的に生活困窮者のためで葬儀社はほとんどボランティアになる、と言うことだった。
元増田にはエンゼルケア、と言うのが出てくるが、最後が病院で亡くなったため、病院側のターミナルケアに含まれていたので、追加でお金がかかることはなかった。
増田も自分でやったという事なんだけど、介護保険にはターミナルケア加算制度というのがある。これはいわゆる緩和ケアのことではなくて、患者が亡くなった後の遺体のケアと家族のフォロー一式の作業のこと。
おそらく施設の人に任せても施設はターミナルケア加算を受けられることもあって、追加で高額なお金を払うことなくやってくれたのではないだろうか。
これが死亡後に施す特別な化粧のことだったら話は違うけれど。
以上、何かの参考になれば幸いです。
葬式はすごく地域性が強いはずなので、そのまま適用しようとしないでください。普遍的に言えることは、何事もそうだけど立場的に中立的な発言が可能な人に相談すること。
例えば葬儀社に依頼したら、葬儀社の方は立場上、よほどのことが無い限り「うちは高所得者向けの商売だから辞めた方がいい」とか言えないので…。
僧侶や宗教家の人、自治体の担当者や、病院にはコーディネータとか、コミュニケータという患者や患者の家族のフォローを専門にしている人がいるので、そう言う人にお願いするという方法があります。
お寺との関係が肝かな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/aoi-sora
「ポイントは、お寺との関係だと思う。」ここで討ち死にのはてなー多そうだな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/atoh
ご想像の通り、うちではお金がないのはお金がないなりに、お寺様との関係はつないでいるというのはあるとおもいます。総代会には入っていて、負担金は払っているし、施餓鬼など季節によってある行事には必ず参加しているし、何回忌といったものも、和尚様の言われるようにやっています。
これは大変じゃないかと思われるかもしれないけど、まずそれが一つの宗教観だからというのもあります。
ただそれを置いといて言えることは、実はあんまり費用はかかっていません。これは地域ごとの相場があるけれど、施餓鬼料は5000円で、総代会は年間5000円程度。一年で1万点程度。実は毎年必要になるお金はこの程度です。ただし、これは我が家が腐っても本家なので、実際には施餓鬼、総代会の年間負担金は3000円が普通だそうです。これ以外に法事を行う年や、寺院の大規模改装なんかが必要になると色々とありますが…。
ではそれがずいぶん疎遠になっている場合はどうなのか、と言う場合ですが、お寺には過去帳という者があって全部記録があるので疎遠になっていても相談する価値はあるのではないか、と思います。あるいは、うちには菩提寺がない、わからない、と言うケースですが、こういうときはそもそも葬儀などから遠くなっていると思うので、まずは自分だけでやろうとせず誰かに相談した方がいいのではないかな…。ネットでは情報が出てきにくいけど、人は必ず死にますし、逆縁になっていなければ多くの子どもは親を2人見送るから絶対経験談を話してくれる人がいるはずです。
結局寺に負担かけるのな
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/kvx
もうめんどくさいから適当に書くけど、ちゃんと金払わない屑増やすようなことを次々に書くな。寺に負担かけるのは結局他の檀家に負担かけてることに他ならない。http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/dadabreton
これには言い訳のしようがありません。お寺様には大変感謝しています。でも、無い袖は振れないと言うのが正直な所で…。親とかの分はきちんと積み立ててはいるのですが、突発的な事態には借金するぐらいしか手がありませんでした。
そこで手をさしのべてくれたおっさまには本当に感謝しています。ただ、2回目の時は御布施は始めよりはたくさん払っています。相場よりは安いですが…。
葬儀屋が諸悪の根源なんだろうかな。そっちの言い分も聞きた
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/hiruhikoando
葬儀社の方がどう動いてくれたかが書いてなかったので追記をします。
葬儀社の方はこんな最小限の動きでも、きちんと葬祭ディレクターの方が付いてくれました。また葬儀当日は、お手伝いとしてお一人女性の方が付いてくれました。また、料理なども葬儀社から依頼しています。
儲からない仕事で申し訳ない、と葬祭屋さんには言いましたが、少なくとも問題は無いと言ってくださいました。まぁ和尚様に紹介してもらったので、断れないというのも、あるとは思うのですが。でも、費用は全部葬儀社に払っているので、赤字ではないのではないかと…。
個人的な感覚では、非常に公共性が高い仕事ですし、最短2日で葬祭道具から返礼品、料理まで全部そろえる態勢にはお金がかかると思うので、それほど暴利とも思ってはいません。
http://anond.hatelabo.jp/20160403011302
主語を自分にだけおいてください。「私はいらない」だけにして「他人も捨てろ」とか言うのはやめましょう。自分がそうだからといって他人も自分と同じだと決めつけるのはやめていただきたいです。多様な価値観があります。
その上で、
死亡→診断書→死体処理→搬送→保管→火葬→散骨
最短距離として、今回私が取れば一番シンプルに済んだのは、病院から連絡があったとき「引き取れません」と断るという方法があります。すると後は行政の無縁仏の処理のラインにそって公金で処理がされるはず。
正直、自分もそう言う選択肢が頭をよぎらなかった、といえば嘘になります。
「最初の記事では行動しない奴らが多くて、日本の寺、仏教(日本人の精神的な拠り所の1つ)を潰せないな。しょうがねー、もっと簡単なのも紹介しておくか」 「日本人の精神を潰すのは楽しいな、生きがいだぜ!」
http://b.hatena.ne.jp/entry/283953281/comment/hayato1999a
煽りにマジレスするのもなんなのですが、和尚様がこういう安いやり方で葬儀を提案してくださったのは、宗教を壊すとかではなく、全く逆ではないかなと思いますよ…。
私も、葬儀をきっかけに、その後のお寺の集まりのなかで、掃除とか Permalink | 記事への反応(3) | 18:54
冬やばかった。基本セーターとかアウターって洗わないから、臭いがたまってさあ大変。
外で仕事して、ふう〜って一息ついたら、臭ってくるから。全然一息つけない。
なんかね、頭にくるの。
ほら、香水プンプンさせながらレストランに来たり、真夏の満員電車に乗られたら、殺意わくでしょ。
ふざけんなよ、お前臭いんだよ!!何様のつもりだ!!ってね。そんな感じ。
マスクしても鼻詰まっててもご飯食べてても集中したくてもリラックスしてても、臭ってるこの環境。
腹たつって言うか、不毛だなと思うのが、発生元の本人は、臭いが分からないってことなんだよね。
だから、臭いんだよ、とか言われたり、避けるようなそぶりされると、ヒドイ!ってなるよね。で、同じワキガの人は、臭いが分からないから、ワキガどうし結婚できると思う。子供産まれて、子供もワキガで、親戚一同ワキガか臭い分からなくて、そうやって広がるファミリー。これはね、ワキガの人治らんし、減らないよ。
私は、エンピツの芯と腐ったネギを混ぜた臭いだと思うけど、ワキガの人はエンピツも腐ったネギも無臭なのかもね。
私はどうしたら良いのか分からないよ。取り敢えず、その人新婚さんだから、子を授かることを願うしかない。産休の間、私異動かもしれないし…はぁ。
あさイチ見てたら驚いた。小学生でもツイッターやっているんだってね。ツイッター。
私も高校生の時にやっていたけど、使い方わからなくて放置してたらいつの間に垢消されてたんだよね。
2010年代に入ってからはなんでもスマホ、スマホ、ツイート、ツイート、アプリ、アプリってテレビCMでもラジオでも言っているけどさ、あれってまじでうざいから。私はそんなにスマホいじりたくないし、かえってガラケーに戻したいくらいなんだよね。(ウェブサイトの閲覧に支障があるためスマホじゃないと困るのでスマホ使っているんだけれど)
そんなこんなで大人たちがわいわいしてると子供とその親もそれに便乗しちゃうわけなんだね。これが。
最近の若い親は赤んぼや幼児にタブレットやスマホ渡してアニメを見放題見させ、リズムゲームをさせ、さらには子供を叱るアプリを使って子供を叱るなんてこともしている。つまり親たちは自分たちではろくな教育もせずして、自分の言葉で子供を叱れないのだ。非常に馬鹿馬鹿しい。
次に小学生のほとんどが3DSなどのゲーム機を持つようになった。参考文献http://matome.naver.jp/odai/2139226226213102001
3DSは任天堂から発売されている携帯ゲーム機であり、ゲームソフトで遊ぶだけでなく、インターネットにつなぐことで様々なサービスを利用することが可能な「デバイス」である。勘のいい読者ならもうお分かりだろう。そうこれは単なるゲーム機ではないのだ。往年の白黒画面のゲームボーイのような。
例えば3DSをインターネットに繋ぐことによってウェブページの閲覧、有料音楽ダウンロード、ゲームの購入、さらにはYouTubeとニコニコ動画を視聴することも可能である。これらを使うことで「子供たち」だけで例えば局部の写っている写真をみたり、猥褻なチャットを読んだり、親のクレジットカードを抜き取ってまで音楽やゲームを購入する危険まで生じ得るのだ。また猥褻さや暴力表現に厳しいYouTubeやニコニコ動画でも修正されたアダルトビデオが運営の審査の目を潜り抜けるような形で視聴できるのだ。※1
※1ニコニコ動画では「真夏の夜の淫夢」や「レスリングシリーズ」タグがつけられたのような同性愛者向けのビデオ本編など多数ある。(局部等は修正済みだがそれでも卑猥または一部暴力的なものが大半)
そして中学生や高校生になると塾や友達付き合いの関係でスマホを持たせる親が増える。それに伴いラインを使って友達同士の連絡をとるようになった。
ラインはLINE株式会社が提供する短文メッセージをスマホ間で交換できるアプリケーションの名前である。メッセ―ジ交換以外にもインターネットを介した通話料無料の電話サービスもできるが特徴だ。ラインではメッセージが自分のスマホに届くと、音と振動でメッセージの到着を知らせ、送った側は相手がそのメッセージを読んだかどうかを知ることができる。
それが非常に厄介なのだ。例えば、AさんがBさんに送ったメッセージをBさんが読んだまま、BさんがAさんに返信をしないとそれがマナー違反になってしまう。これを若者たちは「既読スルー」と呼んでいるようだ。
想像してほしい。あなたが試験勉強や仕事をしている際に兄弟や友人から「この写真見てよw」とか「いま暇ー?今どこー?」なんていうメッセージが届くとしよう。こんな文章に返信をしようと思うだろうか。見るだけ見てさっさと各々のやることに集中したい人が大半だろう。
こんなことをしていれば友人関係を保つのはそう容易ではなくなるし、勉強だって疎かになる。ラインでしつこいような奴なんてろくな奴じゃないのに決まっている。いっそラインなんてやめちまえ。
最後に親たちへ。もしネットを子供たちに使わせるのなら、使う時間やウェブサイトの閲覧制限(フィルタリングソフトの使用)をあらかじめ決め、守れないようならゲーム機やスマホを没収しても全然問題ない。むしろ子供たちがネットの使い方をしっかり熟知出来るまでそれらを使わせるな。
1年後ぐらいに結婚式・披露宴をすることになったので、今までの参列経験で嫌だったこと箇条書きしていたら完全にやる気を失ってしまった。
参列して感動しないわけではないんだけどな、自分が開催するとなるとつい消去法的に考え始めてしまう。
ただながめるだけで終った
その後も一切連絡がなく悲しい気持ちに
結婚式参列で値踏みされるようで滅入りつついろいろ注意して向かったのに、かなりくだけた式で驚いたことが
旅行にいけなくなる
プライベートの予定がおじゃん
(子持ちもいるとなれば学校行事とのかぶりも考慮せねばならない…)
日本酒縛り、スポーツ縛りなどの趣味の演出しかやらない、知らんがな
いらない、重いと最悪
突然マイク向けられても困る