はてなキーワード: 悲鳴とは
・ずいぶん久しぶりに書く、約一ヶ月ぶりだ
・文面での一人称を私に変えてみよう
・根性焼きいじめの画像、頼むから修正や編集して放送していただきたい。正直言って悪いが見るに耐えない、申し訳ないがぞわぞわしてグロテスクに感じる。
・グロテスクといえば、グロテスクが好きだった女子の事を思い出す。真剣に嬉々として語っていたけど、あれはあれで彼女なりの友好度が高い証なんだろうなァ。自称コミュ障だったけど、
概ねそれには私も同意。
・でもなんだか釈然としないんだよなァ、コミュ障っていうか、ちょっと普通とは違う悪い意味で癖のある人間ていうのは周りにちょっと寛大な人間がいて、
自分が批判されない環境を見つけると、さも真 人間の様に擬態してみせるんだよなァ
病気とか障害とかならまだ許せるんだけど、そういうずるくてよく分からないような人間て社会的に抹殺されるべきだと思うんだわなァ まァ、ほっといても死ぬのかな
・何で遊戯王に2ヶ月で10000円も使ってんだ私は、お金は持っているとなくなるというけど、本当にそうだなあ、カードは一ヶ月1000円までにしましょ。
・ちょっとIT関係の仕事って本格的にオワコンなのかねぇ、ネットだけじゃなくてリアルでも悲鳴が聞こえるところを見るとIT業界ってのは「俺はガッツがあるし、向上心もあるから他人とは違う」
的なスタンスで乗り込んでっちゃいけない気がするんだよねェ。う~ん。
需要があるっていうのも単純に人の回転率が早いだけだし、一見高給に見えても実態はネェ・・・。
・好きなことを仕事にしちゃいけない、出来ることを仕事にしなさいってのは多分8割がた正しいと思うわ
好きなことって時間的拘束や条件付きの制約がないからこそ好きだって思えるんであって、それがあったら多分嫌いになってしまうんだと思う。
まァ、私は特別勝負ごとに情熱が持てないのもあるとおもうけれど、
勝たなきゃと思うスポーツ大会より休み時間とか放課後公園とかでやる何気ないボール遊びが好きなようなもんじゃないかなあ
ゲームのバグチェツカー?テスター?がゲームに飽きちゃうのもたとえになるのかな?
・最近、カップルに対する敗北感がとてつもないんだよなあ、別に死ねとか思わないよ、リア充爆死しろとか言って罵る気持ちにもならない。
ただただ敗北感、自分もああいった異性との付き合いが出来ないことに敗北感が漂う。
なんというか、多分私の深層心理の中には「いいとしして恋人なし=異常者」というのが根付いてしまっているみたいだ。
恋愛カースト?恋愛戦争?の敗北者であることを自然と実感していく、異性と付き合うっていうのは他人の人生への過度な干渉または、責任の共有、請負だと
思ってるから、出来ているひとは人間として正直うらやましい。すごいと思う。
最近なんて本気で「私が恋人を作れない、作らない=私以外の男に恋人が出来る確率が上がる=私以外の男女が幸福を享受出来る=恋愛ボランティアの実現じゃないか?」
なんて下らないことまで考えている始末。
そもそも、こんな動機だから恋人を作ろうと思わないのかもしれない。
異性に大して嫌悪感を持っている私がその嫌悪感を持っている相手にそうとは悟られずに愛してほしいなんて、身勝手な話だ。
それに多分もう告白とか馬鹿馬鹿しぎて私にはなァ、そもそも付き合ってはみたものの自分から振ってしまうのがなんだか相手に申し訳なくて自分からは振ることができなかったし
なんだか常に気を使っている状態でなんだか息苦しかった印象しかないんだよな。
この先、よしんば付き合う機会があったとしても
多分セックスも気軽に出来ないだろうな、なんだか処女を自分で使ってしまうのが相手にとって自分の価値を下げることにつながるとか思ってしまうし
非処女ならって言っても、そんな自分ごときに体の安売りしてほしくもないしなあ
私の場合、他人に厳しく、自分に厳しくというよりは自他共に評価が著しく低い人間なんだよな、現実ではなんとか隠してはいるけれど。
・あと結局流行りの細身体型でアスリートならば、もしくは自分のことをチヤホヤしてくれる人なら誰でも好きになるように思えてしまうんだよな、私から見た女性諸君は
まァ、結局偏見持ちですわな
・志が高すぎる人は苦手です、普通な人が良
http://anond.hatelabo.jp/20120806013304
結論を言うと彼とは職業を理解できないということでもう別れた。だからこうして書いてる。
とあるSNSのオフ会で知り合ったのでお見合いとかみたいに身分証明があるわけでもないから、
豚の頚動脈を掻き切って血抜きして失血死させるそうです。
どうやるのか気になるならネットの動画でも見てみて、それが真実だから、って言われて見た。
とてもじゃないけど最後まで見ていられなかった。
豚が悲痛な悲鳴をあげていて、数人がかりでそれを押さえ込んで首にナイフで切れ込みを入れて血を絞り取っていた。
それでもまだ豚は生きている。
彼に触られそうになるたびその映像がよみがえってきて、鳥肌が立った。
こんなんじゃセックスするなんてとても無理だ。
親の実家でも卵をとるための鶏を飼っていたけど自分たちで〆て殺したりはしてない、と親から聞かされていた。実際見た覚えはない。
自分でやるのは嫌だけど、たとえば結婚して姑から料理の腕前を見せてみなさいといわれたらやると思うし、すぐ慣れると思う。
鶏〆て殺すのは・・・それ「だけ」を仕事にしてたら多分受け入れられないけど、それ「も」仕事のひとつにしている、ぐらいなら許容できる。
シロアリ駆除業者は問題ないけど、同じ駆除業者でも、ネズミやハクビシンやいたちを素手で殺している人とは付き合えない。
実際追い詰めたネズミを槍で突き殺したり、火であぶり殺したり、水攻めして殺したりする業者もいるらしい。無理。気持ち悪い。
ゴキブリや蚊やハエや蜘蛛を叩き潰したり殺虫剤やゴキブリほいほいで殺すのは全く問題ないし自分もじゃんじゃん殺す。
民家の前や住宅街に出没したクマを人間を守るために銃殺する猟友会は許容できるけど、
鹿やウサギや狐や鳥を食べるためであっても娯楽で狩猟するハンターはだめ。
食べるための魚を釣るなら、釣る過程を娯楽として楽しんでいても、抵抗ない。
蛇やワニの皮剥ぎとってる人は、気持ち悪くはあるけど、食べるためのお肉を採るついでに皮も剥いでるだけなら問題ないかな。
牛殺す人と付き合うのも無理。イルカとか鯨狩ってる人も無理だ。
犬猫殺しはたとえ食べるためでももう体が拒否反応起こす。その人の顔見ただけで吐くと思う。
魚のお頭は何とも無いけど、爪がそのまま残っている鳥の足の焼き物を食べるのはちょっと気持ち悪いし(中華圏で普通に食べられている)、
鳥や豚の丸焼きも食べられない。
鳥のお頭がそのまま売られていたら目を背けるだろうし豚や牛の頭が置かれてたら悲鳴をあげて走り去ると思う。
許せるものと許せないものの間にラインはある。でもどんな根拠でそのラインが引かれているのか、わからない。
動物実験は、医療の発展というという大義名分の下単なる虐待行為も多々行われているのだろうけど、
基本的に人間や動物の病気や怪我を治療するのに役立つ研究ならば、行為者を忌避する感情は起こらない。
なんでこう思うのかわからない。でも抗えない。
別にそういう職業に従事している人たちが同和だ部落だということから嫌だというわけじゃない。
この手であんなおぞましい行為をしている、殺生をしている、と思うと、なんかどうしても気持ち悪いのだ。
1・動物を殺すこと、
殺害自体や血や断末魔の声等々に
2・「自分では出来ないけれど必要な事」を社会の他者にアウトソースするのも悪いことじゃない。
標準より特別無責任な態度でもない。
差別って言うのは、
無理矢理合理化しようとする時に産み出される。
例えば〇タなんていう設定を生み出して、
(奴等は前世から穢れてるので穢れた仕事をするように生まれついた)
(奴等に仕事を与えてあげてるだけなのだから私はホワイトハンドで肉を受け取る)
「でも拒絶感が抑えられないんです」
というのは大変正直に気持ちを語っている。
このどこに差別がある。
感謝している。
申し訳ない。
でもキモい(もしくは怖い)。
私には出来ない。
とか言い出す人が居たらそれは阿呆です。
視界に入ったとき「ウグッ」となるし動悸が早くなる。怖い。
この体の反応は差別じゃない。
だが理性でそれを抑え込んで当人に少しでも嫌な反応を見せない、
これが差別をしないと言うこと。
同じ場面で
これは修行が足りないとか肝っ玉が小さいと言う事であって、やはり差別とは違う。
特に後で「悲鳴を上げたりして悪いことをしたな」と反省してるならそれはもうしょうがない。
「彼が悪いとは思ってない」
これはどこも差別じゃない。
この二人はすぐに別れて、それぞれもっと相性の合う相手見つけてセックスすればいい。
ケースや単語の暗記ばっかりで自分の頭で考えたことある奴がすごく少ない。
話にならない。
いじめで人を殺し損ねた。
ある時はとっくみあいになって目を潰すつもりでケリを入れたし、
ある時は舌を噛み切らせるつもりで頭突きをかました。
殺すつもりだった。
だけど彼らは大したケガはしなかったし、おかげで僕は「少年A」にならず、
今はいじめなんてなかったかのような、平穏な暮らしをしている。
そう、僕はいじめられていた。
解決?
少なくとも、いじめられている事実をできるだけ僕のプライドが傷つかないように公表して、
親になんて恥ずかしくて相談できないし、解決にならない。
今でもそうだが、昔から口べたな僕は、
もし先生に「○○君らにいじめられています」と言ったとしても、
その後どんな言葉を続ければ、この苦しみが理解してもらえるのかわからなかった。
ちっぽけな自尊心と、無理解への恐怖は、相手と同じ、いやそれ以上の暴力として発揮するしか突破口がないと思った。
いじめといっても、マンガやニュースで出て来るような葬式ごっこやら上履きが消えたり、
学校は楽しかった。それなりに仲のいい友達もいて、でも一部に暴力を奮ってくる奴がいる。
たしかに「じゃれあってくる」奴もいた。彼らのことは僕も嫌いじゃなかった。
たまにイラっとくることもあったが、たしかに彼らは僕と遊んでいたし、
彼らなりの愛情表現として寝技をかけてきたりヘッドロックをかましてきたりした。
それとは違って、サディズムめいた、小動物を殺さない程度にいたぶりたがるような、
「俺はお前より上なんだ」と自尊心を確認するために暴力をふるってくる奴らがいた。
当時はそんな言葉はなかったが、「スクールカースト」は非常に意識していた。
AランクからいじめられるBランクの奴を、Cランクの僕はAランク同様見下していたが、
僕はBの彼、Mのことが嫌いだったので(自慢話が多いMは多くの人から嫌われていた)、
やたら僕を見下す発言をしてきたのは、そうやって高い自尊心を癒していたのだろう。
ノースサウス・ポジションというよりは、お互いの足が顔に位置する態勢になった。
その時、お互いが抵抗をやめるはずもなく、頭に血が上っていた僕は、
「これは事を大きくするチャンスだ」と、彼の顔――目を狙って、かかとで思い切り蹴りつけた。
今思えば、狙うのは鼻でもよかったはずなのに、目だった。
目を潰すくらいのことをしなければ、僕が今まで受けてきた痛みとは釣り合わない、そう思っていた。
しかし幸か不幸か大したケガはせずに、部員の誰かが仲裁に入って、やめることになった。
どっちが勝つというケンカではなかったが、
「MがF(僕)に負けた」と誰かがからかい半分言い放ったのは、Mの自尊心をまた傷つけただろう。
これもやはり部活中で、スクールカーストでは最下位に当たるSと僕が、
どういう流れか対決させられることになった。
今思い出してもあれは気持ちが悪かった。
部員全員が輪になって僕とSと囲い、二人の対決を見守る。
背後からヘッドロックを決められたときに、精一杯僕は彼の口を目がけて頭突きをした。
これも歯を折るとかではなく、舌を噛み切らせることを明確に目的にしていた。
流血沙汰になって先生に知られれば、この見物人たちも「加害者」として裁かれるはずだ。
これは僕とSとのケンカではない。
部員が仕組んだ、自らの手を汚さずにサディズムを満たす卑劣な行為なのだ。
結局これも、Sが少し脣を切るくらいでおさまって、
あとは先生が来たのを気に、何事もなかったように部活が続けられた。
中三の秋だったか、自習の時に加害者二人に学校中を追い回され殴られ、
初めて先生に泣きついて、いじめの事実をようやく把握してもらった。
その後僕に暴力をふるわなくなった。
それを先生が見ていたのだが、「あんなあぶないことして!」と僕には怒って見せたが、
溺れさせようとしていた本人たちに注意することはなかった。
僕がそれまで断続的に、いろんな奴らから受けていた暴力はいったい何だったのか。
今となっては、僕がいじめられていた原因はなんとなくわかる。
そのわりに生意気な所があって、反抗してくるから、ますますいじめたくなる。
Twitterで見た発言だが、「いじめられる側にも原因はあるが責任はない」というのは、
いじめられっ子として非常に納得がいく。
そしてMやSを見下していた=いじめていた僕としても、非常に納得がいく。
ナマイキ。
俺より弱そう。
なんかムカつく。
殴ったあとの反応が面白い。
猫をかわいがっていて、つい嫌がる反応を見たくて抓ったりする。
それと同じだ。
お前より上だと主張しあう。
僕はあのとき、取り返しのつかない怪我を彼らにさせていればよかったんだろうか。
「少年A」になり損ねた僕は、この春入学する我が子がいじめられたら、どうすればいいのだろうか。
僕に似た息子は、きっといじめの相談なんて親に出来ないだろう。
いじめの現場を密かに録音しても、それを聞かれるなんて嫌がるだろう。
だからせめて、彼の行き場のない怒りを学校のテレビにぶつけろとでも伝えようか。
「もしいじめられて、堪えきれなくなったら、テレビを椅子でぶっ壊せ。
そしたらお父さんはすぐに駆けつける。
人に怒りをぶつけて怪我をさせたら、お前が嫌な思いをしてしまう。
人を怪我させたら大変だけど、学校のテレビくらいならいくらでも弁償してやる。
たった10分、15分の休み時間や、部活の時など、先生の目の届かない時に、
だから先生、お願いだから、いじめを無視して手を汚さない「加害者」にならないでくれ。
見て見ない振りだけはやめてくれ。
元「少年A」を増やさないために。
楽業界をダメにしたのは「レコード会社」じゃなく「アーティスト」だろ
http://anond.hatelabo.jp/20120623023851
反論キター!と、思ってテンション上がったけど、反論がバカ過ぎて残念だ。とはいえ、とても重要なことを気付かせてくれた。それについても書く。まずは反論から。
アイドルの曲が消耗品だって? ちゃんと現実をみてるか? AKB48が2010年の8月に発売した「ヘビーローテーション」が、年を越した2011年に何枚売れたか知ってるか? 12万枚以上売り上げて年間ランキングの52位だぞ。当然、握手券なしでだ。
消耗品という意味を理解していない。ちゃんと読んで理解してほしい。おれが言ってんのは「10年後、20年後も売れるか?」ということだ。それについては、以下の増田が書いているから読んでくれ。
http://anond.hatelabo.jp/20120623033908
あなたは「自称アイドル」ならば、世間でもアイドルとして通用すると思っているのか?
評価というのは本人がするもんじゃなくて、周りがするもんなんだよ。世間一般にはビートルズはロックバンドで通っているだろ。現に2010年にClassic Rock Roll of Honour Awardsにノミネートされているだろうが。AKBを何度も引き合いに出して悪いが、彼女らがロックグループですって言っても通じない。それと同じだ。うん、前の記事でも書いたけど、別にAKBは嫌いじゃないよ。彼女らは彼女らで頑張りゃ良いと思う。
日本という国において、「音楽」が「芸術」であったことは一度もないんだよ。いつだって「娯楽」だったんだ。大衆娯楽なんだよ。
いや〜、本当バカだね。まず、芸術は娯楽の延長なんだよ。逆に言うと、娯楽から派生していない芸術なんてないんだよ。音楽だって娯楽。絵だって娯楽。小説も娯楽。じゃあ、娯楽が芸術化する要因は何かというと、それは技術だ。アート(芸術)の語源はtechné(テクネー)やars(アルス)といい、それは「技術」として訳される。それが技術的に素晴らしいものだったり活動を広義の意味でアート(芸術)と呼ぶようになった。
で、日本という国において、「音楽」が「芸術」であったことは一度もないというならば、日本が音楽を評価したことは一度もないのか?
あるだろ。近代で言えばレコード大賞。過去はよく知らん。しかし日本の伝統音楽が残っていることを考えると、「技術的に優れている」と評価されたから伝承されてんだろ。
安室奈美恵が売れたのは、曲そのものが良かったということと、安室奈美恵の歌唱力とダンスだろ。安室奈美恵の曲を手がけた小室哲哉は、本当にすごいアーティストだよ。書くの面倒だから、Wikipediaの記事をコピペする。
業界人の評価
「小室さんの影響で邦楽の低音域を拡張されたことによって日本向けだからと遠慮する必要がなくなった」(GOH HOTODA)[62]。
「小室君は日本人の耳・メロディライン・転調・アレンジ・リズム感・ビート感を教育しちゃった」(坂本龍一)[† 18]。
「昔は入って行けなかった領域にも、コンピューターを使ってどんどん入って作っていく。本当に奥行きが深い」(森進一)[66]。
「コードの解釈がすごく独特なのに、明るい響きであり、踊りながら歌うのにピッタリ」(マーティ・フリードマン)[67]。
「小室さんは、リズム感覚でいって、最後にメロディの良さを置いている。それがすごくオシャレだなと思う」(YOSHIKI)[68]
「東洋人が好むコード進行が全くなく、アジア人には聞き慣れないものを大胆に取り入れて、それをヒットさせていた。それが不思議だった」「ヒップホップをやりながらもきちんとピアノで曲を書いている」「電子音楽とバラードの両方を行き来できている」「抒情的なバラードの感性とダンス音楽の感性の両方を兼ね備えている」(J.Y.Park)[8]
「テレビ等で流しづらい音楽をたくさん世に出したことで後々のミュージシャンがやりやすい様にしてくれた」「コンピューターで人間味の部分を消そうとしても、小室さんが鍵盤を弾いているパートは絶対に加工できない・真似できないな、と思う」(中田ヤスタカ)[69]
小室哲の曲は単に「娯楽」の領域を越えた「アート」だ。「分かる人には分かり、分からない人も楽しめる」という素晴らしいアートだと思う。それに加え、安室奈美恵の歌唱力とダンスがミックスされ、大ヒットした。いま安室奈美恵ほどの歌って踊れるアーティストって、どれほどいるんだろうね。
CDが売れない昨今、安室奈美恵の「Checkmate!」というアルバムは33.6万枚売れた。まぁ、確かに昔ほどは売れていないが、それでも上位の売上げだ。しかも安室奈美恵はデビューして20年経つが、上位の売上げを維持している。これはなぜか?
それは安室奈美恵というアーティストが消耗品じゃないからだ。「アーティスト」としての技術を着実に身につけていったから、未だに根強い人気あるのだ。
これ、売れなくて悲鳴を上げているのは、アーティストじゃなくてレコード会社やその周りなんじゃね?ということ。アジカンもテレビに出れば売れるということは分かっているだろう。でも、出ないということは「別に売れるために音楽をやっているわけじゃない」という理由ではないだろうか。それに宇多田ヒカルがPVを全部公開したり、アルバムを勝手に出されてTwitterでキレているのをみると、「あっ、こいつもう売れなくて良いんだな」と。他に例を挙げるとすれば、GLAYは控訴を起こしてまでレコード会社を離れた。このことを考えると「アーティスト」は「好きな音楽を作りたい」という当たり前の原点回帰をしているだけじゃね?
そう考えると「音楽業界の衰退」は長期にわたって売れる「アーティスト」を無視したビジネス至上主義による自滅ということになり、「アーティスト」が好きなおれにとってはなんとも「ざまぁwww」な話だったりする。
ただ、一昔前に比べて「アーティスト」を探すのが面倒になったけどね。だけど、それも今の時代Groovesharkとか使えば、良い「アーティスト」は簡単に見つかるようになったから、さほどアーティストの発掘に困ってはいない。
だけど、やっぱり実際にそういうアーティストがどう思ってるのかは気になるところだな〜。「昔も今も売れていないアーティスト」じゃなくて、「昔は売れていたけど、今は昔ほど売れなくなった」というアーティストの意見が聞きたい。GLAYが増田に書けば良いと思うw
・4年間でマニフェストを実行する → ■嘘■ マニフェストに無い売国法案を全力で推進
・子供手当てを出します → ■嘘■ 廃止へ、扶養・配偶者控除も廃止
・埋.蔵.金を発掘します → ■嘘■ ありませんでした、増税が埋蔵金です
・公共事業9.1兆円のムダを削減 → ■嘘■ 削減は0.6兆円だけ、仕分けで削る庶民の年金
・天下りは許さない → ■嘘■ 1年間で天下り4240人、出戻り前提の在職中天下りおkに
・企業・団体献金禁止 → ■嘘■ 3年間は容認、とうとう自民党の総額を超える、極左暴力集団と在日からも受け取り
・公務員の人件費2割削減 → ■嘘■ 先送り、年金機構公務員に戻します
・増税はしません → ■嘘■ 消費税増税、タバコ・酒税を増税、相続・内部留保の二重課税強化・新設、所得税増税・環境税導入も検討
・赤字国債を抑制します → ■嘘■ 過去最大の赤字国債、国債発行額が税収超す終戦直後以来の異常事態続く
・クリーンな政治をします → ■嘘■ 違法(故人・外国人)献金と脱税、現職議員逮捕に辞職も離党もせず
・沖縄基地は最低でも県外に移設→ ■嘘■ 県外断念どころか普天間固定化
・内需拡大して景気回復をします → ■嘘■ 執行停止した麻生補正、亀が復活させた以外何もせず、無能
・コンクリートから人へ → ■嘘■ 道路整備事業費が608億円増
・高速道路は無料化します → ■嘘■ しません、政権交代直後に馬渕が嘘暴露
・ガソリン税廃止 → ■嘘■ そうでしたっけ?フフフ
・消えた年金記録を徹底調査 → ■嘘■ 年金記録を回復する必要性は薄れたby長妻
・医療機関を充実します → ■嘘■ 外国人医師の診療を可能にする制度改正検討
・農家の戸別保障 → ■嘘■ 政府米買入れ廃止で米価暴落、農家悲鳴TPPで壊滅
・最低時給1000円 → ■嘘■ 大幅先送り
・消費税は4年間議論すらしない → ■嘘■ 消費税は22%にすべきだby菅
・年金を事務費に流用しない → ■嘘■ 2010年度に2000億円流用
次の選挙の票はどこへ行くか?
例の身内の件なんですがブコメもトラバも血縁の自分より優しくて何かホロリ。ありがとうございます。
しかし問題は緊迫しておりまして、というか既にタイムリミット切っちゃって逆に時間制限が無くなった分ずるりずるりとゆっくり泥沼に浸かっていくような感があるんですけれども、かいつまんで言うと人嫌いの身内はニートからの自殺ルートとかに少しずつしかし確実に引き寄せられているような状態なんでございます。
話がマジにイヌだったならイヌ飼ってるおうちを避けて避けて避け抜いて生きていくすべもありましょうが事が人間なので始末が悪いです。メシが食えない。
そも何が一番まずいってそりゃ本人の意志の固さ、というよりは鈍さ?
こう、何と言うんでしょうか、ぼんやりどろりと目玉が死んでて瞼を半分かぶったままで肉をつまんでつねっても悲鳴も上げないみたいな状態になってるようなとこがあるんですよね。
ちょっと前は風が吹いただけで針で突かれたみたいにぎゃあぎゃあ言ってるみたいな時期もあったんですけど。
で
見てると憎々しくなんだよねこれが。
本人もたぶんしんどいんだろうけど。自分も同じような沼はまったことあるんでわかるっちゃわかるんだけど。
わかるはずなんだけど何だろうかしらこの嫌悪は。サカナ的なぬるぬるひんやり生臭い何かのように思えてくる。身内が。
体温とか情とかで通じあったり何かを共有したりできないような気がしてくる。
抱いててやれとか書かれてて正直たじろいだ。え、なんで?
いや抱いててもいいよ。身内だもん。血つながってるもん。だから別にいいけどいいんだけどなんかやだ。
どっちかっていうともっとちゃんとしたい。ちゃんと白黒つけたい。論理で掻っ捌いて三枚に下ろしたい。
三枚に下ろしたらサカナ死ぬかもしんないけど、でも抱いてたらサカナ腐るじゃん?
腐った魚とか最悪じゃん。
人妻が好きだ
先輩が好きだ
年上のお姉さんが好きだ
一足先に大人になった年下が好きだ
ビッチが好きだ
寝取られが好きだ
二股が好きだ
サークルクラッシャーが好きだ
この地上で営まれるありとあらゆる童貞×非処女の恋愛が大好きだ
年月を重ねた童貞の妄想が非処女の何気ない行動で吹き飛ばされるのが好きだ
期待に胸を膨らませた童貞の夢がばらばらになった時など心がおどる
元彼の数を聞いて悲鳴を挙げた童貞を、中絶歴を教えてなぎ倒した時など胸がすくような気持ちだった
恐慌状態の童貞が必死に冷静なフリをしている様など感動すら覚える
敗北主義の童貞達を恋愛話で吊るし上げていく様などはもうたまらない
泣き叫ぶ童貞達が私の振り下ろした手の平とともに
金切り声を上げるコンプレックスの刃でばたばたと薙ぎ倒されるのも最高だ
哀れな童貞者達が雑多な性知識で健気にも立ち上がってきたのを
#象の足
見つけないで欲しい。たった一人で逆上がりをする細い腕の、規則正しく失われてい
った憂鬱と。まだ失われていない真っ昼間に、これから失われる夢の続き。押入れ。
幽霊。原っぱ。糸電話の向こうから叫ばれ続ける”たとえば世界がなかったとしても”
という声に耳を塞いで、待ち続ける、待ち続け、失われ続ける、続けた、続けていた。
待ち続けて、待ち疲れ、青い空を見て涙が出た。何かを殴りつけた。読むことのない
手紙を燃やした。草むらに横倒しになった巨大な冷蔵庫を前に、立ち尽くすことしか、
できなかった。
消えていく輪っかと
現れる独り
消えていった人の
ぼやけた横顔
消えていかない海に
追いつかない時間
#追いかけっこ
障子に開いた五つの穴の、そこに当てられた四人の目の。何を見て、何を見ようとし
て。「不安なの?」と誰かが言った。押入れの中から声がした。震える体を抱きしめ
ようとしてくる人がいて。それでもひたすらに独りだった六畳間の、中吊り棚に立て
かけた、気象衛星の鉛筆デッサン。指先が痙攣し、はぐれ、引きちぎられ。破れた人
差し指から海が広がる。見覚えのある海岸線に、燃え上がる袈裟姿の坊主。もつれる
足に指し貫きが引き摺られ、砂の城がそれに巻き取られる。波の打ち寄せる音だけが
鮮明に聞こえる。悲鳴は隠される。波は多くを攫い、やがてそこには誰もいなくなる。
何も見えなくなる。
喉もとに
纏わりついた
途方のない痛み
うっ血した首筋
窓を叩きつける
冬の土砂降り
底冷え
#十二月
2010年。かくれんぼの日。六本指で生まれなおした真っ暗な午後三時に、手紙を書い
た。寝巻きのまま、口笛を吹いて夜になった。一つの真っ暗が終わってまた別の真っ
暗がやってくる。手紙を書き終えることはできない。くしゃくしゃになったPPC用紙
からこぼれた言葉、が、角膜に焼きつき。”天井に人型の染みができて、やもりの見
る夢、バイオロイドの見る夢、もう一度だけ話がしたい、黙って取り残されたのも、
本当にもう手探りで、びっくりするくらいに遠く、押入れの戸締りが、夏になったら、
弱弱しく
手を繋いだ
聾だったのに
片耳を塞いで
生きる、ということ
生きている、という
その
#大赤斑
人に差し向けた人差し指に鬼やんまが止まり、失われていったものはもう一度失われ
る。人を指していた自分の指に突き刺される。逆上がりをしてひっくり返った景色と
ひっくり返らなかった世界。何もかもが悲しいのは”それがそこになかったとしても”
という声を枯らしてしまったから。待ち続け。待たれ続け。待たされ続け。目の前で
大口を開ける坊主の、かき消された叫び声。両目を覆った十一本の指。その隙間から
ちらちらと覗く青い空が、鮮やか過ぎて、恐ろしく、涙を流し、殴られ、手紙を書き、
書いては、燃やす。伸び縮みする宇宙膜に手を伸ばし、広がりの切れ端に俺は飛び込
む。
先週あたりから突然目に痛みを感じるようになって、眼科に行ってみたら『強膜炎』と診断された。
それでいくつか目薬を出されて、まめにさしていたんだけど、今日病院行ったら「結構重傷ですねー」とか言われて、大学病院に行くことに。(『ぶどう膜炎』にレベルアップしたらしい)
それだけでも結構修羅場なんだけど、大学病院で何人かの先生に診断を受けたところ、もう点眼薬が効かない状態まで目の炎症が進んでいるとのこと。
先生「ここまで炎症がひどいと、目に注射しないとだめですね。注射すればよくなりますから」
心の修羅場の風速が一気に嵐に変わった。血の気が引いた。
目に注射?!まじ?!まじで?!
俺「あ、あの痛くないですかね…」
そうだ、麻酔が効いてるんだから大丈夫だ!と自分に言い聞かせるも、心拍数は上がるばかり。
そらから別室に呼ばれて、ベットに寝かされた。看護婦っぽい人に「どっちの目ですか?」と聞かれたので「症状があるのは右目ですけど…」と自信なさげに答えたが、看護婦さんは先生に確認する様子はなし。確認してくれー!と心の中で悲鳴を上げてたら、先生がきた。注射を打つのは先生らしい。
といわれて、強制的にまぶたを開いておく器具をつけられる。恐ろしいことに注射針が見える程度には視力が残っていた。
(絶対瞳が動く!)(というか、針を直視したら絶対に逃げる!)と恐怖心がピークに達して頃にその時はきた。
先生「上向いててください。目薬さしますね」と目薬を2~3滴。
緊張でガッチガチになりながら必死で下を向いていると、目に何かが刺さるのがわかった。麻酔が効いているのかあんまり痛みはない。下を向いているせいで、視界に注射器が映ることはなかった。
「下向いててくださいな-」と言われながら、たぶん1分ほどで注射は終わった。
その後、ガーゼを渡されて目を押さえながらしばらく寝た後、再度問診・採血をやってその日の治療は終了。
ガーゼが取ってみたら血の涙…をイメージしていたけど、うっすらピンクになってるぐらいで出血の形跡はほとんどなかった。
だた赤いゼリー状の物体がガーゼについてて、注射したところの目の組織に思えて怖かった…
いまのところ注射が効いたのか、痛みはだいたい収まったように思う。
右目の視界は白濁してて失明するかもしれないという不安はあるけれど、目の注射の恐怖を乗り越えられた安心感でなんとかなる気もしてる(何の根拠もないけど)
国民に等しく医療を提供する--。そんな理念に基づき、1961年に創設された「国民皆保険」から50年。だが、かつて世界一とももてはやされた日本の医療は、疲弊著しい。右肩上がりの成長期はとうに過ぎ、公的保険は低迷する経済にじわじわむしばまれている。節目の年に、「安心」が失われつつある現実を各地に追った。【鈴木直、山田夢留、山崎友記子】
◇長年の「裏技」容認
「6500万円ですね」。札幌市の建設業社長(62)は、社会保険労務士からそう言われて目をむいた。
全国建設工事業国民健康保険組合(工事業国保)で起きた1万人超に及ぶ無保険問題。厚生労働省は昨年9月、無資格で同国保に入り、保険料を逃れてきた事業主らは「時効限度の過去2年に納めるべきだった医療と年金保険料を払う」との清算方針を決めた。6500万円は多い時で30人を雇いながら原則個人事業主の同国保に加入していたことへの「代償」だが、社長は「冗談じゃない」と吐き捨てるように言う。
事態を招いた責任は、一義的には工事業国保側にある。組織拡大を競い、「保険料が減るから」と次々無資格者を誘ってきた。札幌市の左官業の男性(56)は「法人でも大丈夫」と言われて入った結果、今や無保険だ。
それでも社長は30年間、国から一度も指導を受けてこなかった。冬場に建築が減る北海道では、12月に従業員を解雇し4月に再雇用する慣行がある。「常用雇用扱いでなくとも可」。社会保険事務所は社会保険の加入不要とも示唆したという。一部社労士は「裏技」として指南し、厚労省も黙認してきた。
それが昨春、無資格問題が報道され、国は手のひらを返した。社長は昨年末、全従業員を解雇した。しかしなお、6500万円の納付義務は両肩に重くのしかかる。
時効にかからない2年分全額を払わせる清算案は、1人65万円かかる。「公平」を重んじる長妻昭厚労相(当時)の意向が反映された。事情に詳しい民主党議員は「とても払えない。現場を知らない長妻氏の置き土産だ」と批判してきたが、この間同省は「当事者の話し合い」を求めるばかりで調整から逃げ続けた。
無謀な解決策を示しておきながら、事態がこう着するや傍観に転じた厚労省の責任は重い。札幌市は病気の無保険者に一時的な同市国保への加入を認め、協会けんぽ移行後に医療費の返還を求めることを模索するが、移行のメドは立たず、医療費は市の持ち出しとなりかねない。それなのに厚労省は見解を示さず、地方に任せている。
工事業国保の辰川弘敬常務理事は8月3日、監督官庁の東京都から届いたメールに青ざめた。文面に「協会けんぽは過去の医療費を元加入者に請求させる」とあったためだ。
工事業国保が負担した過去2年分の無資格者の医療費50億円は協会けんぽが払う--。この厚労省の清算案に関し、同国保は元加入者が同けんぽへの移行手続きをすれば直接同国保に医療費が払われると解釈し、厚労省もそう認識していた。
ところが協会けんぽ側は違った。個々の元加入者に医療費を請求してもらい、元加入者を通じて同国保側へ返還するつもりだった。「工事業国保は非を認めず、移行手続きも進んでいない」。幹部間にそんな不信感があるためといい、1年が過ぎた今も一円も支払われていない。
「1万人を超す元加入者に今から連絡などできない」。同国保の悲鳴に社労士の内山晃衆院議員(民主)が間に入り、10月末から事態は動き始めたものの、移行手続きを終えた3970人分、19億円の支払いに見通しがついたに過ぎない。
◇「例外」国保に特権批判
工事業国保は左官職、芸者ら同業種ごとに165ある国民健康保険組合(国保組合、343万人)の一つ。国保組合は、単独事業主などの条件を満たしていれば加入でき、その場合は国民健康保険(市町村国保)など一般公的保険には入らなくてもよい。歴史的経緯から、61年の国民皆保険導入後も「皆保険の例外」(厚労省幹部)として存続してきた。
国保組合には公費負担(負担率43%)がある。市町村国保(同50%)並みながら「医師国保」「弁護士国保」など高所得層も混在し、特権視されてきた。建設系も03年に一般の医療費窓口負担が3割になった際、2割に据え置いたところが多く、通院医療費をゼロとしてきた組合もある。09年秋、こうした税金の使われ方が財務省の意向で事業仕分け対象に浮上した。
ただ、けがのリスクが高く、低所得者も多かった建設職人は長らく公的保険から排除され、やむなく仲間で身を寄せ合ってきた。今も「けがと弁当は手前持ち」との意識が強い。建設職人で作る全国建設労働組合総連合(全建総連、約64万人)の勝野圭司社会保障対策部長は「ひどかった建設職人の社会保障を自分たちで勝ち取ってきた」と主張する。
選挙の際、同総連は集票マシンと化す。その成り立ちも相まって、与野党を超え政治との結びつきが深い。
「建設国保は何が何でも守る」。仕分け開始直前の09年10月21日。民主、自民両党から共産党まで与野党幹部が顔をそろえた全建総連定期大会で仙谷由人行政刷新担当相(当時)はそうあいさつし、拍手を浴びた。結果的に、国保組合への補助金は仕分けから外れた。
それでも、無職の人や非正規雇用労働者の急増で「原則」の市町村国保が疲弊する中、「例外」の国保組合には廃止論も相次ぐ。10年秋には仕分け対象となり、厚労省は国庫負担を削減する法案を用意している。
国保組合廃止について厚労省幹部は「私有財産を奪うに等しい」と話すものの、中長期的には衰退するとみる。単独事業主でも税制上有利な法人なら入れず、加入者は減る一方と踏んでいるからだ。
日本の医療保険制度は1927年、工場労働者らを対象とした健康保険が最初。42年に会社員らの健保と統合、今の制度につながっている。一方、農民向けには38年に国民健康保険(国保)が始まった。ただ、56年当時で人口の32%、約3000万人が無保険だったとされ、政府はこれらの人を国保に加入させるため61年に国民皆保険を導入した。
現在は、民間企業の従業員は勤め先が設立した健康保険組合か、会社に健保がない人は全国健康保険協会(協会けんぽ)に入る。
健保組合は設立に700人以上が必要とあって、大企業が多い。保険料率の労使の負担割合を社員が半分を超えない範囲で自由に決められ、出産一時金(42万円)の上乗せや保養所など、特典のある組合も多い。
協会けんぽは中小企業中心。保険料率(労使折半)は都道府県ごとに違う。健保組合同様、病気で休んだ際の傷病手当金はあるものの、上乗せ給付はない。不況で健保組合を解散する企業の受け皿ともなっている。
一方、自営業者や無職の人、一部の非正規雇用労働者は市町村が運営する国保に入る。保険料には地域間格差があり、最高の北海道猿払村(年間13万3682円)と最低の沖縄県伊平屋村(3万907円)では4倍以上の開きがある。事業主負担もない。
現在、医療費の窓口負担は原則一律3割だが、皆保険導入前、90%以上の国保は5割だった。当時の健保は「ゼロ」が多く、02年度まで2割だったのに比べると差がある。国保には上乗せ給付や傷病手当金もない。
それから、私は、一般の人と全く違う暮らし方をしてきたので、うらやましいとか、レベルを超えてます
就職飾がどういとかどころではありません。
私は、事実を書いても妄想をされても仕方ないというのを、客観的事実として受け入れるしかない状況で、ここでもよくそんなきめ付けをされました。
私は、何度も書いてますが、キチガイじみた行動を、私に対し取る親によって仕事上のコネから、違法な方法で精神病院に入院させられ、そこから逃げて自分で暮らして着ました。
あなた、こういう状況で、親と遭遇するのが怖くないんですか? 悲鳴を上げるほど怖い目に遭った事はありますか? そういう時どうするんですか? 悲鳴を上げないんですか? 悲鳴を上げれば助かるかもしれないのに、そこであきらめるんですか?
あきらめてる部分があるのかもしれない だから人にまで言うのかもしれない ちょっと何かの認識がおかしいんじゃないかと思う
あそこを救いにする人は、働かないという強い意思を持った幹部と、それをネットで見ているひつじ要員みたいな人に別れてるようにも、見える。 ひつじの人たちは、働かないんじゃなく、働けない人が多いんじゃないかと思う。 精神的問題や体の調子など いろいろ
何かが足らない状態で、あきらめてるから、余計に何かを訴えてる人が、うっとうしく感じるのではないかと思う
友達が全く実際にはいなくても、ブクマのお気に入りお気に入られは、たくさん居る人もいたし そういうもんなのかなと不思議だったけど、 何か独特のものがあるのかもしれない。
ん~・・・
開発側と言ってるのが、どんな部署を指してるのかわからないけど…キャリアに関しても~とか言ってるから、端末側の開発かな?
とりあえずスマホのインフラ周りな開発者視線でいうと、スマホを持ってるのは会社から支給されてる一部の人だけ。
自分達が作ってるインフラが悲鳴を上げ続けてるのをみてるから、増えにくい。
そもそも無茶やってることは理解してるもの。
iPhone ユーザはちょびっと増えてるけど、なかなか開発対象のスマホユーザは増えてこないよ。
それでもね、インフラの現場はトラフィックを捌ききるために奔走してるよ。
現状の契約者数とトラフィックを見ながら回線の割り当てを考えてるよ。
今年は地震や大雨といった災害が多くて、その対策にも力を入れてる。
もちろんすぐにはユーザから分からない部分だし、今日明日で増強できる部分でもない。
でも、プロジェクトは動いている。
失敗は許されない。
もっとも、その意識を持って無い同僚は、さくっとクビ切られてるけど。
ひとつのミスでユーザに多大な迷惑がかかり、続いて膨大な損害金が発生する…という職場にいることさえ考えられない人たちだったから、同情もない。
(一応、レベルに応じて注意→警告→厳重注意といったプロセスは踏むよ。直らない人がほとんどだけど…)
とか声高々に宣言してるけど、パケットを使わないならパケット関係の契約をするのがおかしい。
契約しても、使用量に応じて段階的に支払いができるだろ。
男が身体で選んで、セックスで仲直りできるカップルって、そんなに良い関係かな?
昔壁の薄いアパートに住んでた時、隣の部屋のカップルが喧嘩のたびに仲直りのセックスしてたんだけど(喧嘩から仲直りセックスまで全部音が筒抜け)
そのうちだんだん喧嘩の頻度が上がってきて、だんだん喧嘩の激しさの度合いも上がってきて、
最終的には物を投げる音と壊れる音がして、女の「イヤー!」「助けてー!」「殺されるー!」という悲鳴と、男の「ごめんなさいごめんなさい」という泣き声が聞こえるようになってたよ。
(このあたりでうるさくて嫌になって引っ越したからその後どうなったか知らない。)
確かに隣人の女はスタイルが良いしセックスの相性も良いようだったから(あの声からして…)、男の方が手放せなくなってるっぽかった。
聞く限りでは先に声を上げて喧嘩をふっかけるのはいつも女の方で、それなのに一方的に男に謝らせたりするような難有り女みたいだったけどそれでも男は離れられなかった様子で。
共有廊下で時々すれ違う隣人の男はどんどんやつれていってるように見えた。
これが仲直りセックスするカップルはろくでもないなと思った経験。
セックスをして他のダメな所は全て目を瞑るって、とても不健全な関係に思える。
「被曝しているという認識はまったくないまま沢水の簡易上水道を飲み煮炊きしていた。避難してきた人の炊き出しもした。3月20日になって水から300ベクレルが出たと聞いてびっくりした」「私たちはもうたっぷり被曝してしまいました」
なんだかな。
勇気を出して抗議活動を始めた村民の方々の言葉が、ちゃんと人々の耳にとどくだろうか。どうもあんまりメディアにとりあげられている感触がない。
自戒を込めていうなら、わたしたちの身体性はもう多分に問題があるのではないか。
鷲田清一先生が『悲鳴をあげる身体』の中で村上龍さんの『ラヴ&ポップ』冒頭、女子高生の語りを引くくだり(p. 152)。
NHKで『アンネの日記』のドキュメンタリーを見て「心がグシャグシャになった」彼女はもう翌日には「完全に平穏になって、シャンプーできれいに洗い流したみたいに、心がツルンとして」しまう。
感情が持続しない、持続しないから刹那的な快楽を追い求めていく。
あるいは、その持続不可能性への焦りが、周りの人、同じ社会にいきる人々のことを忘れさせてしまう。
この感じ。
震災のこと、また原発のこと、もうなんかみんな遠い昔のことのように「ツルンとした」心で眺めているようなそんな雰囲気を感じる。
本当に「今」おこっている悲しみを私たちはまっすぐに受け止められているだろうか。
僕は幸い被災を逃れたし、放射能の影響も受けえない場にいる。
でも、でも同じ日本人としてどうにかしたいと思う。そしてこの気持ちをちゃんと持ち続けないと。
どうして彼女は分かってくれないんだろうか? どれだけ時間を費やし、言葉を重ねても、彼女に届かない。
その事実に僕は悲しくなり、泣きたくなり、感情が酷く高ぶってしまって、思わず怒鳴ってしまった。
「お前に何が分かるんだよ!」
僕が大声を出すこと自体があまり無かったので、彼女は狼狽した。感情の波が防波堤を超えてしまて、
なんだか僕は止まらなくなって、彼女に近づいて肩を掴んだ。彼女はまるで見知らぬ暴漢に乱暴されたかのごとく悲鳴をあげた。
僕は驚いて、彼女の口を手で塞ごうとしたら、勢いが強かったのか、あるいは無意識にそうしたかったのか、彼女の頬を手のひらが音を立てて打った。
よろめいて、そのまま彼女は倒れてしまう。僕を見上げて、自分が何をされたのか信じられない顔をしている。僕はもう駄目だった。
何十分かの後、彼女は虚ろな眼差しで天井を見上げている。服はぼろぼろで、体中に痣や擦り傷が散らばっている。彼女を殴打し、蹴り、
暴力の勢いのまま押し倒して、レイプのように犯してしまった。いや、実際にレイプだったのだろう。
彼女の性器は赤く腫れて、中から僕が放ったばかりの精液が垂れ流されている。避妊具を使わないセックスは初めてだった。彼女は妊娠するのだろうか?
プログラムを理解させるには?のブックマークコメントを読んでいて。
ブックマークコメントの中に、「資格」とかのコメントがいくつかあった。
既に情報処理試験とかあって、いろんなIT系資格があるのだけど、プログラマーやってる人なら誰でも感づいているとは思うが、資格など何の役にもたたない、という事で。高度情報処理資格を持っているからと言って、プログラム(その他設計やコンサル)が出来るとは限らず、逆に何の資格も持っていないのに、すばらしいプログラムをする人がいる。
まぁ、これら既存のIT系資格にある一定の目安にはなるとは思うけれども、万能では無いのも確か。昨今の不況、ITバブル崩壊で、IT系資格の資格手当が真っ先に削られたのも、記憶に新しい(弊社だけかもしれないが)。
雇う外注のソフトハウスから派遣されて来た人など、だいたい15分も話せば、どのくらい出来るか、使えるかは判断出来る。これは資格では計れないものだ。
仮に、弁護士や行政書士、医師など、士制や免許制はどうだろうか?
車の免許はどうだろう?
プログラマーはどうだろうか?
例えばトイレ。水を流すのに、最近のトイレは、リモコンでスイッチを押すと水が流れるが、あれ、プログラムだよね。
例えば炊飯器。米と水を入れて、スイッチを押せば、ご飯が炊きあがるが、これもプログラムだ。
車。ハイブリットや低燃費車が走っているが、あれは電子制御で動いている。
ロケット。アポロはファミコンにも劣るコンピュータで月まで行ったが、プログラムだ。
先日の中国の高速鉄道の事故も、ATCプログラムのミス(?)による事故だ。
先日の$oftbank携帯の通信障害は、故意に仕組まれた通信障害だった。
どこにでもプログラムは入り込んでいるし、そのプログラムによって、便利になっている反面、人命をも奪い、都市機能を麻痺させる事も出来る。
なんでだろう?
介護について考えてみよう。
ヘルパー資格や介護士とかいろんな資格が必要だが、世間一般的には、ワーキングプア、もしくはそれに近い悲鳴が聞こえてくる。
なんでだろう?
資格や免許を持っていても、それが収入や時間に反映されないいい例だと思う。
「プログラマー」「SE」と名乗るのは簡単だ。「漫画家」「小説家」と名乗るのと同じように。なんだったら、名刺の名前の上にそういう肩書きを書いておけば、「プログラマー」であり「SE」である。
漫画家・小説家と違うのは、漫画家や小説家は「売れなければただの無職」という事だ。あっという間に食えなくなる。自分、アシスタントをやっていたし。アシスタントでは、ちょっと食っていけなかった(アシスタントと作家自身は違うが、それなりに間近で見てはいるわけで)。
プログラマーやSEが個人事業種の人達だったら、その通りになるだろうけど、多分、半分以上の技術者は、どこぞの会社に所属しているサラリーマンだと思う。もちろん、これはこれでメリットがある。営業や経理・総務・庶務等が他の人に分担されている事や、会社などの福利厚生も使えるから。
逆に「金の切れ目が縁の切れ目」が使いにくいというのがある。同僚が失敗したり行方不明・自殺等というのはこの業界日常茶飯事だが、そのリカバリーは必ず誰かがやらなければならない。そして不思議な事に、それをやる人間は決まっている。失敗したマンガや小説を他の作家がリカバリーする、というのはあり得ないのにね。
資格制度・免許制度が万能とは言わないが、有効かどうかと言われると、自分には判断出来ない。しかし、前述したとおり、非常にクリティカルなモノを作る場合も有り、無資格なのはそれはどうだろうか?とも思う。
プログラマーやSEがミスすれば、都市機能は麻痺し、人が死に、医療器具が動作せず、電力が起きず、このインターネットすら動かない。TVもラジオもダメ。第1次産業以外のほとんどが停止する事になる。
そんなクリティカルな仕事なのに、この士農工商穢多非人の非人のような扱いを受けるのは何故なんだろうか?
経営者や管理者からみれば、次から次へとターゲットが蛆のように沸いて出てくる職業であり、使えるだけ使って、あとは使い捨て、という業界だし。
一度、プログラマーやSEは自分のやっている仕事がどういう事なのか、考えてみた方が良いのでは無いだろうか?
考える事は出来ると思うよ? だって、「完全動作する事を常に考えている」のだから。それが過失・故意にでも動かなかった場合、どういう事になるかは、簡単に想像出来るよね。
絵描きや小説書きや楽器演奏や作曲は、小学校の頃、学校で習うから、分かると思うんだけど、【今の現役世代以上】のプログラマーやSEは、小学校で習わなかった。この差が非常に大きいのだと思う。
どんな無能な経営者や無能な管理者だって、「自分が絵を描けない・難しい」というのは、自分で分かる。なぜなら、義務教育時代にやっていたから。ところがプログラミングやSEはどうか。やってないから分からない、わけだ。
あと、拍車をかけているのが、どこかが発表している「情報技術者何万人不足」という発表。この時点で「質」が考えられていない。そこへ、程度の低い派遣業が入り込んで、エライ事になる。そもそも派遣とは、受け側に技術が無いからその手助けに赴くものであって、人身売買では無い。先日も弊社で「組み込み系の低いレイヤーの部分を作るC言語(かなりアセンブラ寄り)が出来る技術者」を要求したのに、実際ソフトハウスから派遣されてきた人間は「C言語のポインタという概念も知らない」技術者だった(どうやら、Windowsの統合開発環境上においてC#だったら使える、というレベルだったようだ)。もちろん、そんな人員を使えるわけ無いのでその場でお引き取りを願った。こういう、「質」や「ベクトル」に関係無く「頭数」だけでどうにかなると思っている奴らが非常に多い。日本の(少なくとも情報系)派遣や客先常駐の考え方は、間違っていると思う。
そう考えると、ある一定の基準として、質やベクトルを明記する必要はあるのかもしれない、と思う。それが労働時間や賃金に反映されるかどうかは分からないが。
アメリカの信用格付けが1ランク下がったということでこの週末は持ちきりだった。そして週が開けた今日、日本、欧州、米大陸、と、朝が訪れるのが早い順に市場は軒並み2%〜3%程の下げ幅を記録している。
こうした市場についての個人的な見解として、以下の2点を挙げたい。
この2点を考えると、市場というものはアメリカの信用格付けが上がろうが下がろうが(下がったほうが格段に早いが)将来必ず破綻する。それが数週間先か数百年間先かは分からないが、市場に出回っている仮想通貨を補填できるほどのお金の創出は無理ゲーにもほどがあるし、そもそも市場自体が自転車操業をしていて借金は膨らむばかりなのだ。
これが日本のバブルと同様にばちんと弾けたら一体どうなるのか、私には想像もつかない。
この市場崩壊をなるべく穏やかに迎えるためにはどうすればいいのか、ちょっと考えてみたいと思う。
はい、いきなり無理ゲーキタ - .∵・(゚∀゚)・∵. - ッ!!。けれどもこれだけは最低限乗り越えないと、金融危機によって餓死者が出る。こうなると生活の根本どころか国が崩壊するのも冗談ではなくなってしまう。というか今その局面にある国はあるんだろうなぁ。
エネルギー資源の安定供給もどこの国であってもクリアしなければならない課題。数年毎に見直しをするという条件付きでもいいので、ガッチリ固定レートで取引したいところ。レートを決める交渉は当然難航するだろうけど、固定レートは産油国にとっても必ずしも悪い話ではないはず。
共産主義者かって突っ込まれると思うが、今自分の出費の中で住む場所の確保に使っているお金が何割を占めているか、そしてそれが失われたときに再起がほぼ不可能であることを考えると、このような形で本当に最低限のライフラインを守ることには意味があると思う。
と、ここまでやると投機先がかなり絞られてくるので、生活の安定感の強化と共に市場の縮小も出来ると思うのですがどうでしょうか?市場の縮小というのは単純に不景気を指すからわざわざそれを目指すのは馬鹿かもしれません。けれども、私には未来永劫市場が拡大し続ける未来というものが信じられません。その肥大した市場が破綻したときに起こることというのも予想できません。であるのならば、みんなが損をする状況になったとしても市場の破綻に備えた体質を作ることは急務に思えるわけです。
ご拝読、ありがとうございました。
この市場の借金が行くところまで行ったら、戦争も含めて何が起こるのかわかりません。単に不良債権のババ抜きゲームで負ける人が出るだけ、という意見も分かります。けれども戦争にしろデフォルトにしろ、一握りの敗者にすべての責任を押し付けてその悲鳴を(∩゚д゚)アーアーきこえなーいしてまた新しいゲームを始める、というのは倫理的にどうなの?と思うのです。
http://d.hatena.ne.jp/islecape/20110801/yome
上の2つのエントリーなどで、有名ブログ「中国嫁日記」が差別的かどうかという話題が妙な盛り上がりを見せているようで。とはいえ、この手の議論の常として、互いに感情論を飛ばしあうだけの、ぐだぐだな結末になっているようですが。
少なくとも今回の議論に限り、ここまでぐだぐだになった原因は問題提起側、すなわち「嫁などという性差別的な言葉を使うとは何事か!」と言い出した側にあります。なにしろ、嫁という言葉を再三再四あげつらっておきながら、なぜ「嫁」という文字の使用に問題があるのか一度も説明していないのですから。
たったこれだけの「自分の感覚」をよりどころに、あれだけの長文を書き上げ挙句社会まで語ってしまうと言うのは、その壮大な構成力に賞賛を贈らせて頂くより他にありません。その果て、このブログ主さんは
しかしそれにしても、前述のTogetterの ものの役に立たなさはどうしたことでしょうか。「これが差別なんて、なにを考えているのか」という自身の感覚の披瀝や、「こういう人は他人を差別するために機先を制して自分が差別と言っているだけ」という主張に熱心な人が多いのですが、 …(途中略)… だいたい未来にむけて記録すべき思考の痕跡とも思えません。「当時」の大衆の程度を知る材料にはなりますかね。
と嘆いておられるのですが、そりゃ「嫁なんて言葉はけしからん!」という「自身の感覚の披瀝」に過ぎないtwitterに対して、客観的かつ論理的な反論を要求するのは無茶というものでしょう。自分が見えていない人間とはよくよく怖いもの無しのようです。
しかし折角なので、ここではその無茶への挑戦をしてみたいと思います。上のエントリーの中国嫁けしからん!嫁は差別!精神が疲れる!という切なる悲鳴に対して、どこまで客観的な「反論」をなし得るのでしょうか。単純化のために、ここでは内容については一切議論せず、「中国嫁日記」というネーミングの是非だけを考えましょう。
さて、客観的と言うからには、ここで「俺は嫁って別に差別的じゃないと思うけど」と張り合ってみても意味がないのは明らかです。ここで必要なのは中立的な第三者の視点であり、そして私の手元にはこれ以上は望み得ないくらいに客観的な視点があります。広辞苑と新漢語林。要するに辞書です。
広辞苑によると、嫁は
(1) 息子の妻
(3) 結婚の相手としての女。嫁した女。妻。
(4) 「嫁が君」(ネズミ)の略
とあります。二番目の意味から、まず中国嫁日記の嫁の使用法が間違ってはいないことが分かります。まだ新婚さんみたいですから。さらに漢語林を引くと、
とあります。恐らく、嫁という字が一部の人たちから忌み嫌われる理由の一部がここにあります。家の従属物的な意味合いを感じ取って、それが性差別であるという論法のようです。とりあえず事の是非は置いておいて、代替語についても調べておきましょう。
妻: かんざしに手をやり、髪を整え飾る女性のさまから、つまの意味を表す。
奥: 貴人の妻の称。貴人の居室。大切にすること。など多数の意味を持つ。室も同義。
婦: 女+帚。帚はほうきの意味。ほうきを持つ女性、家事に服する人の意味を表す。転じて、一家の主婦。一家の切り盛りをする女性。または子の妻。
細君: 細は小さい、かぼそいことを示す字。愚妻などと同じ謙譲表現。ただし、最近は細にこまやかという意味もあるせいか、他人の妻をいう語に用いられることが多い。
他にも連れ合いとか家内とかありますが、もう十分でしょう。妻というのはなかなかに色っぽい文字で、言葉自体には結婚関係を表す意味合いがないのが嫁との違いです。ちなみに、夫も大人が冠を付けている様をしめすだけの文字なので、夫妻という言葉は男女という言葉と解字上はあまり差がありません。一方で生活感が溢れまくっているのが婦の字で、家政婦や助産婦など、女性が多く働く職業にこの文字が使われるのも、事の是非はさておき自然と言えるでしょう。
奥・室は、元々家の神を祀る場所を意味したこともあって実にエレガントな言葉で、自分の配偶者を「奥さん」と呼称する人もいるようです。しかし、元は貴人の妻を表す表現である以上、日本語表現としては非常に据わりが悪い。そもそも、定義から言えば自分が貴人と言うことになってしまいます。配偶者は実に中立的ですが、3文字を費やした挙句に性別も分からないというのは、法律用語としては便利でも本のタイトルとしては問題外です。
こうしてみると、本のタイトルとして使い物になりそうなのは嫁か妻かの2択と言うことになりそうです。この2つの文字が決定的に違うのは、嫁には「移動する」という概念が強く存在する点です。生家から夫の家へと。だからこそ、嫁に来る、嫁に行く、という表現はあっても、妻に来る、という表現はあり得ません。責任転嫁に嫁の字を当てるのも同じ理由からでしょう。中国嫁日記というのは、中国からやってきた奥さんが異文化の日本で楽しんだり悪戦苦闘したり、旦那さんと新婚生活をエンジョイするのを描く日記です。ならば、単純に中国人の配偶者であることしか意味しない中国妻よりも、「中国から来た嫁の日記」とするほうが遥かに適切でしょう。
もちろん、このように語を連ねずとも、常識的な日本語感覚を持つ人にとっては、中国嫁日記の方が据わりが良いというのは直感的に明らかなのですけれども。
さて、問題の差別性の有無についてですが、今回の騒動でひとつ明らかとなったのは、「嫁という言葉は差別的である」と思う人とそうでない人が両方存在すると言うことです。どちらかといえば、差別的と感じない人の方が多いようにも見えます。ここからは私個人の主観になりますが、嫁が嫁ぐ「家」の概念が過去数十年で大きく変わったためであるように思います。昔は女性の嫁ぐ先は夫の実家であり、夫の親兄弟との同居を意味しました。ここでの家は正に「夫の家」であり、「妻の家」にはなりえません。ついでに、義理の親兄弟の世話まで任されることも多かったわけで、妻にとってはなかなかにストレスのたまる環境であったことでしょう。この状況下で「嫁」という言葉にネガティブな意味合いが生まれるのは無理からぬ事かも知れません。
しかし、核家族化の定着すると、花嫁が嫁ぐ「家」には夫と妻の二人しかいません。この「家」を夫の家、と考えるのには無理があります - この「家」はふたりだけのものなのですから。多くの日本人にとって、この「家」に嫁として嫁ぐこと自体は、特にネガティブな意味を持たなくなって来ているように思います。もちろん、女性であるが故のディスアドバンテージがこれで消えたわけではないでしょう。しかし、それはもはや「嫁」であることのディスアドバンテージではなくなってしまったのです。
こう考えると、嫁にやたらと苦痛やら疲労やらを感じてしまう人たちは、非常に古い「家」の概念の持ち主なのかも知れません。運悪く嫁がこき使われる大家族に生まれてしまったとか、時代遅れのフェミニズムの教科書(そんなものがあるのかは知りませんが)にかぶれてしまったとか、そもそも核家族化が進む前に生まれたお年寄りであるとか。どちらにせよ、嫁の字を見ただけで辛い思いをするというのは、同情に値する境遇であることは間違いありません。嫁でこれなのですから、女に帚の婦を見た日には心臓発作でも起こしかねない。全国津々浦々の結婚式場で「新婦入場です」のアナウンスがかかるたびに、その言葉の差別性をこんこんと説き起こし説伏する。その果てにしか彼らの心の平穏はあり得ないのです。彼らフェミニストの想像を絶する試練の日々を、私は涙と共に見守りたいと思います。
今年と去年、夏の過し方はどう違う?こう尋ねられたら、「今年は節電のために冷房をつけず窓を開けている」という人は多いのではないだろうか。
かくいう私もそうである。そして、私が住まうマンションの、私の部屋の真上の世帯もそうだった。
少し前、いよいよ暑さも本格化して、就寝時も網戸にするようになったところ、目覚ましよりも2時間早い7時に目が覚めた。暑さのせいではない。上の部屋の小さな子どもが絶叫していたためだ。月曜日のことだった。
絶叫は、困ったことにその後たっぷり10分は途切れず続いた。暑いわ蒸すわ睡眠時間は足りないわ、という状況で聞く子どもの絶叫は、なかなかに不快指数が高い。そして、同様の状況は金曜日まで休みなく続いた。
「子どもの絶叫ってどんなの?」と思われた方もいるであろう。「そんな大したもんなの?お前が神経質なんじゃないの?」と思われた方も。ここで簡単に階上の子どもの絶叫について説明したい。それはまさに絶叫で、恐怖映画でしか聞けないような類の、「きぇー」ど「ぎゃー」の間を取ったような金切り声である。ボリュームは極めて大きい。持続時間は短くても10分、平均20分程度、いちばん長いときは45分ほど続いた。驚くべき体力だ。合間合間に母親の「○○ー、やめなさーい」という低いテンションの注意が入る。その後数秒は声が止むが、基本的に注意は成果を上げない。走り回る足音も結構に響く。
虐待ではないようなのだけが救いだが、どうにもうるさい。集合住宅で生活する上での騒音の上限を、遥かに超えている。
金曜の買い物帰りに、同じ階に住む若い女性と会った。挨拶を交わすと、彼女は眉根を寄せ声を潜め、「あの…お子さんの声、凄くないですか?」と尋ねてきた。「そうですよね、私もう毎日睡眠不足で…」と苦笑すると、彼女は苛立ちと疲れを滲ませながら、「私きらいなんですよ、子ども。ほんとイヤで。もう限界なんですよ。これって我慢すべきなんですか? 私が窓閉めたり耳栓したりしろっていう話なんですかね?」と吐き捨てるように言った。
絶叫は次の土曜日も容赦なく響き渡った。私は7時に目が覚めた。シャワーを浴びて汗を流し、もう一度ベッドに入る。今日くらい、目玉が溶けるほど眠りたい。もうフラフラだ。せっかくの休みに…などと思いながら眠り、そして子どもの絶叫で目が覚めた。その時は訳がわからず、自分が24時間眠っていたのかと思ったが、時計を見るとベッドに入ってから1時間も経っていない。思わず舌打ちし、ウィークデーはバタバタして成せなかった不動産会社への電話をすることに決めた。
昼ごろ電話した。電話口で名前と物件名を告げた瞬間、「恐れ入りますが騒音の件ですか」と尋ねられた。担当氏いわく、今日になって何件も苦情が入ったらしい。小さな子どものことだし、と気後れしていたが、週末まで睡眠を妨害されては我慢ならない、と何人もが話していたという。ちなみに苦情は私で何件目ですか?と何気なく聞いたら、5~6件目とのこと。部屋数が15もないマンションとしては異例の数だ、よほどひどい状況だろうから午後に早速調査に行く、という担当氏の話を聞き、すこしほっとした。
階上の子どもは出かける気配もなく、順調に騒いでいた。不動産会社が来たときだけすごく静かだったらどうしようかとの心配も、まったくの杞憂だったようだ。
午後3時ごろ、「だって子どもなんですよ!」「他の部屋が何時に起きるかなんて言われても知らないですよ!」「じゃあ節電節電言ってる中でうちだけ冷房つけろっていうんですか?うちだけ冷房代払うんですか?」といった内容の女性の金切り声が聞こえた。不動産会社が来たのだなと思った。それにしても、あれだけの騒音にクレームがつかないと考えていたのなら凄い話だ。そもそもあの子どもは、歌うでもなく喋るでもなく、悲鳴だけをあげ続けているって…大丈夫なのだろうか。前にすれ違ったときは4歳くらいに見えたけれど。母親はなんか…ナチュラルっぽいスタイリングのわりにトゲのある雰囲気の女の人だったな…などとぼんやり考えていたら、浅く眠っていた。そしてその眠りは、階上から聞こえた「何であたしだけ…!」という凄まじい叫び声と、力いっぱい窓を閉める衝突音で破られた。
それからは静かなものだった。叫び声は聞こえるが、今までを10としたら1か2程度のボリューム。突き刺さるよう鼓膜を攻撃してきた音の質も、くぐもってマイルドになっている。これなら眠れる。それがただただ嬉しかった。
それからしばらく経った今、階上からは相変わらず、小さくくぐもった音で叫び声が聞こえる。前とは違う点は、母親の金切り声が聞こえるようになったことだ。たまに、父親の声らしきものも。
「子どもが嫌いだ」と話していたご近所さんと顔を合わせたとき、彼女は話していた。あの騒音のおうち、お母さん凄いこわいんですよ。すれ違うと睨んできたり。この前挨拶したら、なんか知らないけど鼻で笑われて。意味分かんないですよね。私が怒られてんの?はぁ?っていう。むしろご迷惑かけてすみませんとか無いわけ?みたいな。なんか完璧こっちが悪者だと思われてるっぽくて。
私(あるいは私たち住人)は、きっと母親を追い詰めたのだろう。いま、子どもへの虐待に発展する可能性を考えると恐ろしい。
では、私は不動産会社にクレームを入れるべきではなかったのだろうか。私が窓を閉め耳栓をすれば万事丸く収まったのだろうか。もしかしたら、階上の子どもは情緒や発育に何かしらの障害があるのかもしれない。母親はギリギリのところで子育てに奮闘しているのかもしれない。しかし、その母親に「目が覚めるほどの騒音を立てないこと」を期待するのは間違っているのだろうか。