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はてなキーワード: 悲鳴とは

2011-06-20

不思議なんだけど。彼女は昼食を食べている途中でそう切り出した。不思議なんだけど、最近よく同じ夢を見てしまっているんだ。

へえ。どんな夢なんだろう。私は購買で手に入れたサンドウィッチを飲み下してからそう尋ねてみた。

変な夢なの。彼女は箸を置くと、困ったような悲しんでいるかのような表情を浮かべて力弱く微笑んだ。とっても変な夢でね、いつもいつも、その時間帯に受けなければならない授業に出席できない夢なんだ。

決まって授業に遅刻してしまった場面から始まるのだというその夢は、確かに奇妙で意味深な内容を伴っていた。彼女には寝過ごしてしまったとか、気分が優れなくて少し体調を気にしていたとかいう具体的な理由があるわけでもなく、出し抜けに授業が始まってしまった学校廊下を歩かざるを得なくなってしまっているのだという。

わたしはね、出なければならない授業のノート教科書参考書と筆記用具を腕に抱いて、一人ぽっちのまま、惨めな気持ちでとぼとぼと静かすぎる廊下を歩いているの。恥ずかしさとか後悔は全然ないんだけど、ただひたすらに辛くて苦しくて悲しい気分になってるの。

それはまた面妖な夢だね。相槌を入れると、彼女はまた萎れかけた向日葵のような笑顔を浮かべた。スーちゃんもそう思う? まあ、私なら少なくとも辛くも苦しくも悲しくもならないと思う。そうだよね、どうしてわたしは夢の中でそう思ってるんだろうね。

それは本人にしかからない類の問題だった。答えに一番近いはずの彼女がわからないのだから、私になんてわかるはずがない。黙したまま紙パックのジュースを飲み始めると、でもそれだけじゃないんだよね、と彼女が続きを口にした。

わたしはね、夢の中でまっすぐその時間帯に受けなければならない授業がある教室に向かっているんだ。サボろうとか逃げちゃおうとかいうことを考えもせず、じっとリノリウムの床に眼を落としたまま、脇目もふらずにその教室に向かっているの。それで最終的には目的教室に辿りつけるんだけどね、こう、ドアをスライドさせてね、びくびくしながらも懸命に勇気を振り絞って視線を上げてみると、時間を飛び越してしまったみたいに、その教室ではもう次の授業が始まってしまっているということに気がつくの。英語なら英語化学なら化学。わたしが抱えていたノート教科書とは全く別物の、わたしとは関係の無い別のクラスの授業が開かれてしまっているの。

わたしは夢の中ではこれっぽっちもお呼びじゃないみたいなんだ。そう言って彼女は少しだけ俯いた。追いつけないんだよね。何をしても。何があっても。結局どこにも行けないんだ。搾り出すような声は紛れもなく小さな悲鳴だった。

でも、夢なんでしょ。現実じゃあり得ないことでしょ。私はできるだけ、それがなんでもないことであるかのように口にした。気にすることないよ。気にしないほうがきっといいことであるはずだよ。

でも、この夢、結構堪えるんだ。暗く沈んだ声で彼女は口にする。いつもみんなに置いていかれてしまうんだもの。どれだけ繰り返しても、どれだけ身がつまされそうになっても、わたしが望む空間には絶対に辿りつけないんだもの。それにね、朝起きると、汗がすごいんだ。ベタベタしてて気味が悪いの。

堪ったもんじゃないんだ。彼女は諦め卑屈になってしまった敗北者のごとくいびつに笑った。嘲笑だった。彼女自身はまるで悪くないはずなのに、自分自身のことを嘲り貶して一笑に付したのだった。

しばらく私はなんと返事をしたらいいかからず迷った。励ませばいいのか、同情すればいいのか、あるいは突き放してしまったほうが彼女を思いやることに、優しさになるのかどうか。重たい沈黙が流れこんできて、更に焦ってしまった。残っていたパンを食べきった。ジュースを三度口に含んだけど、あまり味がしなかった。

ちらりと上目遣いに彼女を覗いてみると、箸を手に持って食事を再開していた。動作は緩慢で、なるほど最近妙に元気がなかったのはこの夢があったためなんだと確かな確証でもって納得することができた。

紙パックをじゅこじゅこいわせてジュースを飲みきり、私は一言だけ、大変だねと彼女に話しかけた。顔を上げて、うんと頷いた彼女の表情は、内心どこかほっとしているようだった。

ちょっとだけね。かなり、大変なんだ。そう言って屈託なく砕けた彼女の表情には、今にも崩れ去ってしまいそうな脆い矜持が滲んでいた。

やっぱり、私は何もできない、できるはずがなかったのだ。

その揺るぎない事実をありありと突きつけられて、私は少しだけ鼻の奥がツンとした。

そうなんだ。うん。ま、あまり気にしすぎないことだよ。スーちゃん、それさっきも言ってたよ。そうとしか言い様がないんだから仕方がないよ。ふふ、それもそうかもしれないね

食事を終えて、私は窓際に設置された横に長い業務用のストーブに、彼女はすぐ側の椅子に腰掛けた。私は窓の桟にもたれかかってぼんやりと外の景色を眺めている。ちっとも動かない雲とか誰もいないグラウンドなんかを、頭を空っぽにして見下ろしている。

きっと隣で彼女は、おしゃべりに興じたり忙しなく教室から出入りしているクラスメイトを見ているんだと思う。ちょっとだけ淋しそうな、羨望の色を帯びた眼差しで、彼らのことを見守っているのだろう。

でもね、と言って彼女は夢の話を切り上げる際にちょっとだけ付け足しをした。でもね、もう絶対にどんなに願っても足掻いても辿りつけないのだとするのならね、いっそのことそこに辿りつけなくてもいいような気が、最近はするんだ。どこにも行かないまま、この場所に留まったまま私の時間を過ごしていたほうがいいようなね。何かにつけて、今はみんな早過ぎるんだもの。ついて行けなくたって仕方がないと思わない?

苦笑を浮かべた彼女に、私は何も答えなかった。そんなこと言っていられないよと思いつつも、やんわり苦笑を返しただけだった。

ぼんやりと窓の外に広がる景色を眺めてみる。グラウンドに動くものは見つからず、ぽっかり空の真ん中に浮かんだ雲は動かないままだった。

2011-06-16

http://anond.hatelabo.jp/20110616224116

けいおんファンからすると、けいおんはみんなが仲良しなのがいいんであって、

キャラ同士が競争したり誰かを蹴落とすようなイメージはいらない。

アイマスならいいのかもしれないけど。

アイマスファンもほとんど同じ感性だったか

アイマス2でギスギスと嫌な感じの競り合いや虐めが実装されて

ファンがみんな悲鳴を上げたし同人アイマスワールド楽しんでた人達も大量離脱した

2011-06-13

傘の端から滴り落ちる雨粒を見やりながら、ぼんやりとAのことを思い出していた。ぼってりとした雨雲が犇めき合う季節になると、彼は眉間に深い渓谷を刻んでしきりに舌を打ち鳴らしていた。

至る所で蛙が鳴き声を上げている。あの日も同じだった。夥しいほどの蛙が、姿も見せずあちこちで喉を震わせていた。

あの日、Aはいつにもまして苛立っていた。いつになく舌打ちの回数が多かったし、形相までもが歪み始めていたのだ。

家路を共にしていたわたしは気が気ではなかった。狂おしいほどの不快感というものを、生まれて初めて目の当たりにしていたのだ。両目が釣り上がり、眉間はもちろんのこと鼻筋にまでしわを寄せたAの容貌は、この世のものではない黒々とした悪意に乗っ取られてしまたかのようだった。

なんとかしなければならない。少し後ろを歩きながらわたしはそう考えていた。早急にAの不快感を発散させなければならない。いつその矛先がわたしに向くかわからなかったのだ。

梅雨空の下、わたしは沈黙たまま歩き続けた。つかず離れずAとの間に一定の距離を保ったまま進み続けて、不意に先生の話を思い出したのだった。

それは先生子供の頃に行っていたという遊びのことだった。パン、と弾けるのだという。ひどいことをしていたものだと、先生は苦笑交じりに語っていた。

わたしは先をゆくAにおずおずと話しかけてみた。ねえ、蛙に爆竹を仕込んでみない。

声を聞きピタリと立ち止まったAは、しばらくの間前を向いたまま立ち尽くしていた。やがてゆっくりと振り返ると、わたしが口にした言葉意味が掴めないといったような表情で虚ろな視線を寄越し始めた。わたしはそのとき意味もなく愛想笑いを返した。だけに留まらず、沈黙に耐えられなくなった末、その背中押し出ししまった。

よくわからないけどさ、イライラしているんでしょう。だったらやってみようよ。嫌いな蛙を懲らしめてやろうよ。

本当に、その程度の思いつきだったのに。

わたしはAの眼の色が変わっていく様をまじまじと見つめてしまった。

それも、そうだな。

ぞっとするほど酷薄な表情を浮かべたAがそう言った。彼のものとは思えないほどに冷え切った声色だった。わたしは思わず鳥肌の立った二の腕を抱いていた。ねっとりとした暗黒色の感情が、形をなしてAの背後に立ち込めているかのようだった。

わたしは今すぐにでもその場から立ち去りたくて堪らなかった。とてつもなく嫌な予感がした。「絶対を破ってしまった後ろめたさ」のような感情が、怒涛のごとく押し寄せてきていて呼吸をするのが苦しかった。

今なら当時わたしが呑み込まれた感情が何であるかがはっきりとわかる。あれは呆れるほどに純度の高い恐怖だったのだ。生理的本能的な原始の恐怖。それが驚くべきほどの奔流となってわたしに流れこんだのだ。お陰でわたしはその場からぴくりとも動き出すことができなかった。Aと向き合ったまま、両足が地面に縫い付けられてしまっていた。

にっ、とAが笑った。

何も言わずに再び前を向いたAは、歩き出しながらわたしに指示を出した。ありったけの蛙を捕まえて公園まで待ってきてくれ。口調は穏やかそのもので頼みを聞いてもらうときのそれに近かったものの、内実その根底には逆らいようのない高圧的な意図が宿っていた。反故にすることなど、できるわけがない。恐怖に支配されたわたしの首はほとんど自動的に頷いていて、わかったと端的な服従の誓いまで口にしてしまっていた。

絶対だぞ。

念を押されたわたしは、帰宅するや否やプラスティック製の小さな水槽を抱えて再び雨の町へと飛び出した。

蛙を捕まえなければならなかった。一匹や二匹では足りない。胸に抱えた水槽から溢れんばかりに捕まえなければならなかった。そうでなければ、どうなるかわからない。どこかたがが外れてしまったような様子のAが、何をしでかすともわからない。

かえるかえるかえる。わたしは死に物狂いで蛙を探し続けていた。大きいものから小さなものまで、見つけたら片っぱしか水槽に突っ込んでいった。かえるかえるかえるかえる。まだ足りない。まだ足りない。全然足りない。

ただ、恐慌状態にあったわたしは少しだけ運が良かった。Aが指定した公園には小さな溜池とそこに向かって流れる側溝があって、そのため草むらや生垣の中から途切れることなく蛙を見つけることができたのだった。加えて、その年は例年になく蛙が以上発生していた。わたしの右手は次から次へと蛙を捕まえていった。

十五分くらいで水槽の半分ぐらいが蛙で埋まった。随分な量だった。抱える左手が重たくて辛かったことを覚えている。しかしながら、それでもまだ蛙が足りなかった。こんな量じゃ満足してもらえないと思い込んでいた。

狂おしいほどの強迫観念だった。ストレスからくる吐き気まで催していたと思う。Aという圧倒的な恐怖に苛まれていたわたしは、グロテスクな体を所狭しと寄せ合った蛙たちの上に、捕まえていたのと同等かそれ以上の蛙を詰め込んでいった。

それからもう二十分ほど探し続けて、わたしはようやく水槽の蓋を閉じた。見れば、限界まで詰め込まれた蛙が壁面に抑えつけられながらもぞもぞと動いている。腹を向けていたり、背を向けていたり。ある蛙は押し付けた眼球が潰れかかっていたし、最初の方に捉えた蛙にいたっては、底のほうで身動きも取れないまま胃袋を吐き出しているようだった。

わたしは右手に傘を左手水槽を抱えたままAが来るのを待っていた。早く公園に来て全てを終わらせてほしいと願う一方で、どうかこのまま絶対に来ないでくださいと望まないわけにはいかなかった。

雨は途切れることなく傘を叩き続けていた。根こそぎ集めたつもりだったのに、依然として蛙の鳴き声は四方八方から鳴り響き、傘に反射して頭上からも降り注いでいた。

どれほどの時間立ち尽くしていたのだろう。じっと足元に落としていた視線を持ち上げたわたしは、雨にくすんだ公園入り口に現れたAの姿を目にすることになった。ドクンと心臓が脈打つ。血流が速くなって、外気が急に寒くなったように感じられた。

Aはゆっくりとわたしの方へ歩み寄ってきた。手には買い物袋。大きな大人用の傘を差して、これから行う行為にふさわしい服装であるかのような暗い色の服に着替えていた。ただ一点、スカイブルー長靴けが場違いに目立っていた。そこだけが異質なまでに邪気がなく、わたしは急にぞっとしなくなった。

たくさん集めたな。Aはわたしが抱えた水槽を見下ろして満足そうに言った。十分過ぎるくらいだ。思う存分楽しめる。にやりと歪んだ笑みが目の前に広がった。喜んでもらえたから、取り敢えずはほっとすることができたから、わたしも笑顔を返そうと思った。けれど、こちこちに強張った表情筋はぎこちなく伸縮することしかできなくて、声さえ口に出せなかった。

やるか。Aは素っ気なく口にした。わたしは命令を受け取ったロボットのように水槽の蓋を開ける。蛙を一匹取り出すと、彼の右手に手渡した。洗練された無駄のない無機質な動作だったと思う。蛙を受け取った彼は、買い物袋の中から小さなダイナマイトを取り出し、無理やりこじ開けた蛙の口に詰め込んだ。

がそごそと左手に持った薄いビニール袋を騒がせて、取り出したライターをわたしに差し出す。

点けてくれ。両手が塞がってて、何も出来やしない。

わたしはこくんと頷いて彼に従う。ライターを受け取り、石火をジャリジャリならして、揺らめく小さな炎を作り出した。

やろうか。そう、彼が言った。わたしはまたこくんと頷いて、そっと導火線に火を近づけた。

シュッと小気味いい音が聞こえて、細かな火花が飛び散った。Aはすぐさま蛙を放り投げた。

口の中に爆弾を放りこまれた蛙は、降り注ぐ雨の中、カタパルトみたいに宙空へ飛び出して、緩やかに下降していきながら、途中で、唐突に、弾けた。

乾いた音だった。蛙は空中で四散した。緑色の体から、予想もしていないほどの赤をまき散らして、四肢と臓腑をズタズタに引き裂かれた生命は、何の理由もなしに爆散したのだった。

べちゃり、と砕け散った血肉が地面を穿つ音が聞こえた。前にも増して雨は強く振り続いているのに、その音だけはしっかりと耳まで届いた。

べちゃり。

わたしは隣に佇むAに眼を向けた。

彼は声を上げず、身動ぎもせずに、じっと散り散りになった蛙の残骸を見つめていた。異様なまでに見開かれた瞳孔は、直前まで意思を持っていたはずの残骸を網膜にさんさんと焼き付けているようだった。

ぽっかりと半開きになった口に微かな笑みを浮かばせていたような気がする。その口元にだけ笑みを浮かべて、Aは食い入るように死体を眺めていた。自らの行為に心から耽溺した怪物のようだった。

ゆらりとこちらに向き直ったAは、もう一回やろうぜ、と言ってきた。わたしはこくんと頷くと、再び蛙をAに手渡した。それ以外に選択肢がなかったのだ。ライターに火をつけて導火線に近づけた。

蛙が弾けた。何匹も何匹も爆ぜて死んでいった。殺されたのだ。Aとわたしは殺戮を繰り返していた。雨降る公園が血肉に染まり、地表を覆う水たまりまでもが真っ赤になり始めても、わたしたちは蛙を殺し続けていた。

途中から爆竹を使うのが面倒になったらしいAは、おもむろに残りが半分前後になった水槽に手を突っ込んだ。そのまま躊躇いもなく手を握る。ぐーぱーぐーぱーと、ハンバーグをこねるかのように蛙たちを握りつぶしていった。

惨劇にわたしは小さな悲鳴を上げた。抱え込んだ水槽の中で生々しく蠢く蛙たちがいとも簡単に圧死していくのである。Aが右手を開閉するたびに、ぐちゃぐちゃと凄惨な音が鳴り響いた。ぷちぷちと気泡が潰れるような、密に詰まった組織が圧迫されて破裂していく音が断続的に聞こえてきていた。

わたしは水槽の中の地獄をじっと見下ろしていた。眼を閉じることができなかった。背けることも。かと言って、Aと視線を合わせることも怖かった。Aが目の前にいたから、ただじっと耐え忍ぶことしかできなかったのだ。目撃者として、共犯者として、わたしは蛙が死にゆく様子をありありと見せつけられなければなからかった。

水槽からは生温かい臭気がねっとりと立ち上ってきていた。時折血肉が勢いよく噴き上げて、わたしの服に付着していった。胃が痙攣を繰り返す。喉の奥から逆流してきた酸っぱいにおいが生臭さと入り交じって、如何ともしがたい臭気を醸しだす。滲んだ涙でわたしの視界は霞み始めていた。鼓膜には、依然としてミンチをこねる水っぽい怪音がこびりついている。

とうとう堪らなくなって、わたしは水槽を手放してしまった。地面にぶつかって、どろどろに潰された真っ赤な流動物が地面に広がっていく。中にはなんとか生き残っていた蛙が数匹残っていた。彼らは変わり果てた同胞の海から這い出すと、懸命に逃げ延びようと地面を跳ね始めた。

その一匹一匹を、Aは踏みつぶして回った。何度も何度も足を振りあげて、全体重を掛けて踏み躙った。ぐりぐりと擦りつけられた蛙は、すり鉢にかけられたかのごとく原型を留めない。それが蛙であったという事実さえ蔑ろにしながら、Aはわたしが捕まえた全ての蛙を、一匹残らず殺し尽くしてしまった。

わたしは公園から逃げ出した。Aのいないところへ行きたかった。走って、走って、全力で走って、全身水浸しになりながら家に帰った。しばらくしていから傘を忘れてきてしまったことを思い出したが、取りに戻ろうなんてことは考えられなかった。

その日わたしはほとんど一睡もできなかった。雨はなおも振り続いていて、蛙の鳴き声はそこかしこから聞こえてきていた。

翌日。Aはどこにもいなくなっていた。

あの日の出来事は、いまでもわたしを縛り付けている。蛙が苦手で仕方が無くなってしまったし、雨が振るたびにあの水槽から沸き立っていたにおいを思い出すようになってしまった。

けれど、それも当然の報いなのかもしれない。結果としてAに加担し、わたしの蛙を殺しまくったのだから。恨まれて当然なのかもしれない。

梅雨になるたびに、意味なく奪われる命のことを考える。供養し、謝り続けようと、心に決めている。

そうでもしなければ、わたしは何時まで経っても悪夢から解放されないのだ。

傘に遮られた視界の端には、今でもスカイブルー長靴が立ち続けている。

2011-06-01

http://anond.hatelabo.jp/20110601232911

日本秘境100選に選ばれた場所で車のない生活をしてた俺がいますが。

生鮮食品通販しにくいから、よくドジョウとかとって食べてた。

ネットダイヤルアップで56kだったし、ケータイも通じなかったけど、なけりゃないで暮らせた。

若ければ原付自転車でなんとかなるけれど、歳をとると絶対無理だと思った。

だって、まともに検査できる病院に行くのに片道20kmくらいあるんだもん。

働く場所学校は10km以内にあったけど、10km圏内にある病院って小さな診療所みたいなのだけだったし。

通院はキツイ

通院するってことは体が悲鳴を上げてるってことだし、20kmは無理。

2011-05-03

ふぁぼられる女子力を磨くための4つの心得「物語途中でベントされる主人公をアピールせよ」等

こんにちは特撮マネジメントを専攻しているエビオスです。私は年季もDVDもありませんしマジキチですが、特撮に関してはプロフェッショナル。今回は、ふぁぼられる女子力を磨くための4つの心得を皆さんにお教えしたいと思います。

 

1. あえて8~9世代前の仮面ライダーアメリカで40億かけてリメイクする

あえて8~9世代前のライダーを使うようにしましょう。そして祭りの会場で好みの男がいたらガードベントをして、わざとらしくそこにいたお前が悪いといじってみましょう。そして「あ~ん! お前の悲鳴を聞かせて欲しいですけどぉぉお~!」と言って、ブラットバレットに「試練に勝つ?」と言わせましょう。言わせたらもう大成功。「仮面ライダーとか詳しくなくてぇ~! ウイングナイトをベントされるように言われてるんですけどぉ~! そこにいたお前が悪いんですぅ~! ぷんぷくり~ん(イライラするんだよ)」と言いましょう。だいたいのイマジンはケータロスをいやがる習性があるので、古かったとしても8世代前の555が次にリメイクされるはずです

そこで男が「友だちだ。飯でも食うか?」と言ってくるはず(言ってこない空気が読めない男はその時点でベントしてOK)。そう言われたらあなたは「なんかなんかぁ~! 最近オーメダルが人気なんでしょー!? あれってどうなんですかぁ? 単体じゃ遊べないため、ガイアメモリと比べるとさすがに手を出しにくいのが一般論ですけどわかんなぁぁああい!! 私かわいそーなコ★」と返します。すると男は「004弾でしょ? 005弾はまだ出てないよ。本当に良くわからないみたいだね。どんなのが欲しいの?」という話になって、次の休みの日にふたりでガンバライドデートに行けるというわけですあなたのTPが高ければ、男がガンバライド筐体を買ってくれるかも!?

 

2. Twitterでクァーメンライダードゥラゴンナイwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwトゥゲザーウィーキャンファイッザファイレッツラーーーイwwwwwwwwwwwwwwを使うとふぁぼられる

「ユキャンネバストッワントゥアンスリーwwwwwwwwwwwライフゴーズオンエニティンゴーwwwwwwwwクァーメライダオーズwwwwwwwwwwww\ティリーン/」とか「ハカセうぜえ」などを表現する「クァーメンライダードゥラゴンナイwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwトゥゲザーウィーキャンファイッザファイレッツラーーーイwwwwwwwwwwwwww」をコメントに入れると、Twitter男性ユーザーは「なんかこの子カワイイなぁ」や「ベントしてあげたいかも」と思ってくれますインターネット上では現実世界よりもイメージが増幅されて相手に伝わるので 「クァーメンライダードゥラゴンナイwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwトゥゲザーウィーキャンファイッザファイレッツラーーーイwwwwwwwwwwwwww」 を多用することによって、男性あなた可憐女の子しい勘違いしてくれるのです。そういうキャラクターにするとほぼ絶対にゼイビアックスにふぁぼられますが気にしましょう。

 

3. とりあえずウイングナイトには「えー! これでゴールは見えたな!?  俺は天国お前は地獄♪」と言っておく

ゼイビアックス城などでサイモン捜査官が杉田に話すことといえばウイングナイト話やベントの話ばかり。よって、非特撮クラスタにとってどうでもいい話ばかりです。でもそこで適当に「ありがたき幸せぁ~?」とか「よくわかんないですけど君は赤ちゃんからやり直せ」と返してしまうと、さすがのゼイビアックスも「この女ベントだな」と気がついてしまいます。裏切りがバレたら終わりです。そこは無意味テンションをあげて、「えー! なにそれ!?  ゼイビアックスの片腕に帰りかえりさきたい♪」と言っておくのが正解。たとえ興味がない話題でも、テンションと積極性でその場を乗り切りましょう。積極的にバトルクラブ選手権を開いてくれるゼイビアックスブラッドパレットは弱いのです

アドベントされたんじゃなかったっけ?」と言われたら「タイムベントした」とか「トリックだよぉ」、「『戻らない!』なんて言ってない」と言っておけばOKです

(文=特撮マネジメントエビオス嬢)

2011-04-07

 紙インキ&ビデオテープ不足は、コンテンツインフレ解消する絶好のチャンス

 紙インキが不足して雑誌書籍出版に黄信号が灯り、

 放送事業者用ビデオテープ不足してプロダクション悲鳴を上げる。

 

 しかし、あえて言えば、

 「通常人が24時間365日掛かっても、とても消化しきれないだけの

  新規書籍コンテンツや新規映像コンテンツが量産(悪く言えば濫造)される

  『コンテンツインフレ状態』を解消するいいキッカケ」じゃないか

 極端に言えば、雑誌の発行点数が10分の1になっても、

 「読みたいものがない・・・イラッ!」という人は、どちらかと言えば少数派では?

 多数派は、「雑誌点数が減っても、別に関係ない」な感じではないか

 1ヶ月内に雑誌は数百点は出てるだろうが、

 雑誌好きでも1ヶ月内に読破する点数は数十点程度、一般人なら数点程度。

 となると、雑誌点数が10分の1になっても、「雑誌好きでも全部読破がやっと」という状態。

 映像など、BSチャンネルだかCSチャンネルだか、最近ではネットTVとかWiiチャンネルとか

 濫造されているが、「チャンネル数が10分の1になっても、全部見るのは不可能である

 

 だから、あえていう、「雑誌書籍映像も、10分の1になっても世の中さほど困らない」。

 この背後には、「頼みもしないのにYoutubeブログコンテンツをタダで供給する一般ピーポー」の存在がある。

 となると、雑誌でメシ食っている人の10人に9人、映像でメシ食っている人の10人に9人が

 失業することを 意味するが、それでいいのではないか

 かつて地方公共事業地方雇用を支える重要職場だったが、

 東京マスコミが「税金無駄遣い、社会の役立たず」として公共事業カットし、失業者となった。

   

 であれば、社会的に必要性がない

 「雑誌でメシ食っている人の10人に9人、映像でメシ食っている人の10人に9人」をクビにして、

 再教育してもっと別の「社会的に意義がある分野」に再配置した方が有意義ではないか

http://anond.hatelabo.jp/20110407065241

俺が110番に通報するのは「殺す」「助けて」みたいな物騒な言葉、あとは悲鳴が聞こえてきた時かな。

なぜなら「殺すと言って人を恫喝している男がいる」「助けてという声(悲鳴)が聞こえてきた」のように、緊急事態を強調できるから

相手をはっきり示した上での「殺す」って言葉掲示板で書いても捕まるんだし、

「助けて」という言葉が出てきたら他人に助けを求めているし、悲鳴普通に緊急事態だからどれも通報していい案件だろう。

あとさ、民事とか刑事とかの判断は別に通報する人が決める事じゃないから気にする必要ないんじゃないか

増田の遭遇したような揉め事場合、「ふざけんな殺すぞ」みたいな声が聞こえてきてたら俺なら通報してる。

2011-03-28

食品の安心安全デマが怖すぎる

食品から放射性物質が検出されたニュースと「水洗い」の安心デマ

ホウレンソウ 水洗い、煮れば汚染低減:茨城新聞ニュース

日立市の露地ホウレンソウから基準の27倍の放射性ヨウ素同5万4100ベクレルが検出された

(略)

放射線医学総合研究所は「今回の放射能濃度はいずれも通常に摂取しても健康に影響のないレベル野菜から検出される放射性物質は表面に付いただけで、洗う、煮るなどで汚染の低減が期待できる」と説明した

こういう記事を見ると、まるで、ほうれん草ヨウ素131の54100Bq/kgという値が水洗いで落ちるかのように錯覚する。このところ出ずっぱりな池上彰番組でも水で数回すすげば葉物野菜ヨウ素131の値が落ちることをわざわざ実験で説明していたりする。これで安心だ。そう思う人も多いだろう。

しかし実際には検出された値は水洗いした後の検出値。3月18日付けの通知でいきなり変更。

「緊急時における食品の放射能測定マニュアル」に基づく検査における留意事項について http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000015ksm.html

野菜等の試料の前処理に際しては、付着している土、埃等に由来する検出を防ぐため、これらを洗浄除去し、検査に供すること。

なお、土、埃等の洗浄除去作業においては、汚染防止の観点から流水で実施するなど十分注意すること。

緊急時における食品の放射能測定マニュアル

3 測定試料の調製

(1) 食品中のI-131、Cs-137 放射能測定のための試料前処理法は、放射能測定法シリーズ24「緊急時におけるガンマ線スペクトロメトリーのための試料前処理法」(平成4 年)*6に準じる。

(略)

*6:試料搬入時の注意点、試料の前処理法(葉菜等については試料相互間の汚染を防止するため水洗いはしない)、試料の保存方法等が記載されている。

放射能測定法シリーズ24「緊急時におけるガンマ線スペクトロメトリーのための試料前処理法」

④前処理を行うにあたり、試料相互間の汚染を防止するため、葉菜類水洗いをしない

原発爆発で放射能拡散が懸念される中、安全の為に厳格に手続きを定め作られたマニュアルがたった一つの通知で骨抜きにされてしまう。おそろしいのは新聞サイトでは全くこのニュースが無い。「水洗いすればいいよ」って安心させる為の情報しか出さない。怖い。未確認だけど、タマネギ皮剥いて検査していいって話もある。

食品衛生法の既定の「放射能暫定限度」を無視した「基準がないから暫定基準値が必要だ」という安心デマ

第6条第2号

第6条 次に掲げる食品又は添加物は、これを販売し(不特定又は多数の者に授与する販売以外の場合を含む。以下同じ。)、又は販売の用に供するために、採取し、製造し、輸入し、加工し、使用し、調理し、貯蔵し、若しくは陳列してはならない。

(略)

2.有毒な、若しくは有害物質が含まれ、若しくは付着し、又はこれらの疑いがあるもの。ただし、人の健康を損なうおそれがない場合として厚生労働大臣が定める場合においては、この限りでない。

放射能汚染された食品の取り扱いについて http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001558e.html

食品衛生法の観点から、当分の間、別添の原子力安全委員会により示された指標値を暫定規制値とし、これを上回る食品につ

いては、食品衛生法第6条第2号に当たるものとして食用に供されることがないよう販売その他について十分処置されたい

なお、検査に当たっては、平成14年5月9日付け事務連絡「緊急時における食品放射能測定マニュアルの送付について」を参照し、実施すること。

(略)

放射性ヨウ素 (混合核種の代表核種:131I)

 飲料水 300 Bq/kg 牛乳乳製品 注) 300 Bq/kg

 野菜類 (根菜、芋類を除く。) 2,000 Bq/kg

放射性セシウム

 飲料水 200 Bq/kg 牛乳乳製品 200 Bq/kg

 野菜類 500 Bq/kg 穀類 500 Bq/kg

 肉・卵・魚・その他 500 Bq/kg

ウラン

 乳幼児食品 20 Bq/kg 飲料水 20 Bq/kg

 牛乳乳製品 20 Bq/kg 野菜類 100 Bq/kg

 穀類 100 Bq/kg 肉・卵・魚・その他 100 Bq/kg

プルトニウム及び超ウラン元素アルファ核種 (238Pu,239Pu, 240Pu, 242Pu, 241Am,242Cm, 243Cm, 244Cm 放射能濃度の 合計)

 乳幼児食品 1 Bq/kg 飲料水 1 Bq/kg

 牛乳乳製品 1 Bq/kg 野菜類 10 Bq/kg

 穀類 10 Bq/kg 肉・卵・魚・その他 10 Bq/kg

これらが設定された経緯はこのように以下のように説明される。

暫定基準値って何? 放射性物質の特性と食品平均摂取量で設定

ただ、今回の厚労省の基準は、食品の安全基準を定めた食品衛生法に、放射能の基準がないために取られた緊急措置。

そっか、今まで無かったけど、今回出来たから安心だ。こう思うかもしれない。だが、少なくとも放射性セシウムについては輸入食品に対して食品衛生法に基づく、放射能暫定限度適用されている。

放射能暫定限度を超える輸入食品の発見について(第34報)

 旧ソビエト連邦チェルノブイリ原子力発電所事故に係る輸入食品中の放射能濃度の暫定限度は、ICRP(国際放射線防護委員会)勧告、放射性降下物の核種分析結果から、輸入食品中のセシウム134及びセシウム137の放射能濃度を加えた値1kg当たり370Bqとしている。

過去にどんな外国産食品がどれくらいの数値で輸入できなかったかも分かる。

H13.11.8 乾燥ポルチーニヤマドリダケ) イタリア 36.1kg 成田空港 418Bq/kg

しかし、今回飲み物以外の放射性セシウムの基準値は370Bqから500Bqになった。ゆるい基準になってしまっている。「セシウム134及びセシウム137の放射能濃度を加えた」値と単なる「セシウム」という点でもユルくなっている(最大2倍の差?)。当然ながら、ここでも引用される「緊急時における食品放射能測定マニュアルの送付について」は既に「水洗い」通知でユルユルである。なのに、こういうことは何も新聞サイトには書かれない。安全と思わせる為だけの情報が書かれる。

そもそもプルトニウムって東電です検査できてないのに、本当に検査するの?ていうか、体内に入って大丈夫なの?

緊急時の基準なのにもっとも厳しい基準という安心デマ

かいことは分からないが、今回の基準値は「緊急時」の「基準値」らしいしかし、マスコミでは以下の様に説明される。

農作物、規制値超え次々…産地悲鳴「数値厳しすぎる」

この指標は国際放射線防護委員会(ICRP)の最も厳しい基準を基にしている。

放射能拡散しちゃったから、緊急避難的な一時的な基準であるのに、「最も厳しい」とはどういうことなのか?ICRP由来の370からICRP由来の500になって「最も厳しい」とはどういうことなのか?「最も厳しい基準値」とアナウンスすれば安心するかもしれないが、これが緊急避難的なものである説明も、いつまでなら影響無し(どうやら事故後1年限定というものらしいが)という説明も無い。

そもそも今回適用された暫定基準値は平成22年8月原子力安全委員会が定めたもののようだが、以下のような文脈で設けられたもの。

原子力施設等の防災対策について

(3) 飲食物の摂取制限に関する指標

(略)

そして、これらの核種による被ばくを低減するとの観点から実測による放射性物質の濃度として表3のとおり飲食物摂取制限に関する指標を提案する。

なお、この指標は災害対策本部等が飲食物の摂取制限措置を講ずることが適切であるか否かの検討を開始するめやすを示すものである

提案である目安を書いておいたので、検討してくださいね、だ。そのまま決定してしまたから輸入食品の方が安全な基準になってしまっている。プルトニウム食べてもいいよ、になってしまっている。食べ物が入らない被災地はともかくとして、一体全国のどこで餓死しそうな程、食べ物が無い地域があるのか?文字通り腐るほど政府備蓄米があるのに、何故基準緩和してまで危険食品流通させる必要があるのか?

まとめ:水洗いトリック+2種類のセシウムを加算トリック+緊急時を隠したトリック+さらにまだまだ基準値は緩和させますよ?

これだけ怖い基準が決まってしまったのに、新聞テレビはずっと安全安心の厳しい基準を唱えて、更にユルユルにさせるべく「農家がかわいそう」と連呼する

「規制値緩和」を緊急要望 野菜の風評被害で1都7県知事

食品衛生法による暫定基準値は「国際的に見ても非常に厳しい」とし、「食品安全委員会による食品健康影響評価を早急に実施し、この結果を踏まえて(新たな)基準値を定める」

どんだけ下駄を履かせるんだよ!こえーよ!もう何を信じていいのか分からない。笑われてもいいから、安全なものがいい。

2011-03-15

1日目

その時、私は書店にいた。仕事は3時から始まる。

業務の前に書店に寄ることが、半ば習慣化していた。

買いたい本を片手に持って、レジへ向かう。

人の声の重なりのような、妙なざわつきを感じる。

地面が揺れていることに気づいたのは、その後だった。

一昨日の余震だろうか?それならばすぐに収まるだろう。

生まれて初めて体験する激震が、我が身を、そして店全体を揺らしたのは、そんな甘い考えが脳裏をよぎった瞬間のことだった。

平成23年3月11日午後2時46分の出来事である

本を買うより、身の安全の確保が第一だ。

左手に持つ本を放り投げ、私は出口を目指して駆け出した

棚の高い場所から、多くの本が勢い良く吐き出されていった。

店を出る瞬間に、視界の片隅だけに見えていたものだけど、その光景は良く覚えている。

職場はすぐ近くにある。職場へ向かおう。

激しく揺れ動く地面と同様に、あまりにも落ち着きのない思考が私を動かしていた。

だけど私は運が良かった。ガラスが割れる軽やかな音に気づけたから。

目の前で、ガラス造りの街灯が落ちて地面に砕け散った。

あと数秒、私の走りが早かったら、危なかったかもしれない。

まずは身の安全の確保だ。最優先事項にやっと気づいた私は、元々いた書店入り口近くにある金属の柱にしがみつく。

建物の近くにいては倒壊に巻き込まれるのではないか、という考えもあったが、倒れそうには見えない外見のビルであったし、何よりも、屋根があった。

何かが落ちてきても、屋根があれば最悪の事態を免れることが出来るだろう。

一息ついて油断した、その瞬間を見逃さずに追撃するかのように、それはやってきた。

もっとも、どんな覚悟も、あれの前には無意味だったと思う。

視界に入るもの全てが揺れ動いていた。地面が左右に揺れる、というのを視認したのは初めてだったと思う。

地鳴りと悲鳴が重なる。震度表には「立っていられないほどの揺れ」という表現があるが、まさにそれであった。

銀色の柱にしがみつき、身体を支えること以外、何も出来なかった。

勇気ある人は、危険な位置にいた女の子たちを比較的安全な場所へと誘導していた。

その後、ガラスの街灯がまたひとつ落ちた。ガラスの破片が散らばったけれど、気にしている余裕はない。

私は死ぬのか、この世は終わるのか。本当にそう思った。

長い、長い、私の体感では3分ほど、実際はもっと短いだろう(これを書いている時点では正確なデータがないのです)、

だけど長い地震が終わって、私の思考はまた落ち着きのないものへ切り替わっていた。

そうだ、職場に行かなければならない。

揺れが収まり、身動きが取れることを確認すると、私は職場ビルへと向かった。

本震があって間もなく、仙台市内全域は停電となった。

エレベーターは動かない。12階立建てのビルの3階に職場はある。

階段の壁は一部が崩れ、破片がそこらに落ちていた。非常灯がなかったので、昼と言えど薄暗かった。

それは階段だけではく、各階でも同様のようであった。日の光が差し込むだけ、階段よりは明るかった。

ドアを押しあけ、オフィスへ入るとほぼ同時に、余震が襲いかかった。あの本震の直後の余震である。実際にどれほどの震度の余震だったのか、これも現時点ではわからないけれど、本震と同じくらい強いものに感じた。

「危ないから入ってきちゃ駄目!」と悲鳴に近い声が私に掛けられたけれど、入ってきてしまったものは仕方ない。

オフィスの中にいた他の方々とともに、私は机の下に身を隠した

自ら飛び込んできた私はともかく、朝から働いていたオフィス内の人々は、突然の、しかも未曾有の大きさの地震を受け、憔悴しているようだった。

それから階段を降ってビルを出て、一度は近くの小学校へ避難したしかし、地域の方々の避難が最優先であるため、解散の命令が出るまで、私たちは歩道で待機していた。

その間も余震はまるで容赦しない。地面が揺れる、街灯や電線が揺れる。大きな看板地震で壊れていて、たくさんの人が携帯電話写真を撮っていた。

本震の最大震度が7と聞き、やっぱりね、とか、宮城県沖地震かな、などという話題が上がった。少量ながら雪が降り始めて、とても寒かった。

地震保険の話があった。我が家には適用されるのだろうか。いや、それよりも我が家は無事か。

携帯電話操作して、自宅に電話をかけるも、繋がらない。当たり前のことだった。

それからしばらくして、今日のところは解散、ということが上司から伝えられた。私は家まで歩いて帰ろうとしていたけれど、同じ方向に住まいがある同僚がいたので、家の近くまで送っていただくことになった。

車道は当然のように渋滞していた。加えて、一部を除いて、信号も動いていない。

仙台市中心部から郊外へ移動しようというのだから渋滞に巻き込まれるのは致し方ないことだ。30分で100メートル移動出来たかどうか、ということもあった。

正直に言えば、自宅まで徒歩で戻った方が、早く家についたかもしれない。しかし、車で送って頂いて本当に良かったと思う。

そう思う理由はいくつかある。ひとつは、複数の人とともに移動することによって、不安や恐怖と言ったものを少しは紛らわせたということ。また、車にはラジオが搭載されているから、最新情報を確認することが出来たのも大きい。外気を遮断し、暖をとりつつ移動出来たというのもある。被災直後から仙台市内には断続的に雪が降り、吹雪くことさえあったから。

最終的なマグニチュードが8.8であるという報道を聞き、私たちは笑うしかなかった。この地震で亡くなった方が出るかもしれない、という話題にもなった。これを書いている今現在、確認されている死者は1000人以上であると聞いている。ここまで多くの方が亡くなってしまうとは、あの時、思いもしなかった。

移動中、私は家族が心配でならなかった。特に、自宅にいるであろう、母。我が家は築25年の木造住宅である。自宅が倒壊してしまったのではなかろうか、それに母が巻き込まれてしまったのではないか、心配で心配で溜まらなかった。

同乗している同僚は、2歳のお嬢さんを心配していた。夫の実家に預けているのだが、連絡が取れないのだという。

私も母との連絡は取れない。「頼りがないのは良い証拠」であるという、この場にはまるでふさわしくない故事を信じるしかなかった。

被災直後であるから携帯電話は全く役に立たない。それはとうに承知していても、家族の安否を確かめたいというのは当然のことだ。電話はとても繋がりにくかったが、幸い兄との連絡はついた。それから機械に疎い家族が見るかどうか分からないが、災害伝言板に書き込みをしておいた。

車に乗っていても、余震は我が身に伝わる。窓から見える外では、多くの人が歩いていた。結婚式最中だったのか、よそ行きの格好のまま避難する人、スーパービニール袋を被る人、クリーム色のカーテンを纏う人、様々いた。

1、2時間も経つと、日が傾き、徐々に日の光が失われていった。明かりがあるのは車ばかりで、どの店、どのビル、どの建物も真っ暗なままだった。唯一、警察署だけは明るかったけれど、自家発電装置はいつまで持つのだろうか。

これだけの巨大な地震であるにも関わらず、高層ビルの倒壊がなかった、このことはすごいことだと思う。

しかし、それは外見の話だ。どこも大なり小なりの被害を受けていて、壁が崩れたり、窓ガラスが割れたりするのは当たり前、水道管が壊れて、水が溢れだしている家もあった。

時間半ほどの時間を掛けて、自宅の近くまで送って頂いた。ここからは、歩いて帰ることになる。

外はやはり寒かった。実際の気温だけではない。街のどこにも光がない。駅の近くにある大きな交差点、そこの信号は機能していたけれど、他の信号は依然光を失ったまま。これまで車で通り過ぎてきた光景と同じく、街のどこにも灯りはなかった。

この夜の空は、山中で見るもののようだった。星座が確認出来るくらい、綺麗な星空。あまたの星がいつもと同じように、黒のキャンパスの上で煌めき、瞬く。暗い街並みといつにも増して美しい夜空を、私は生涯、忘れないと思う。

さて、この地震では、かなり多くの方が避難所での生活を余儀なくされている。

我が家はかなりましな状況であるということを、ここで記しておく(こうやって被災最中に手記らしきものを書いている時点でお察しの方も多いだろう)。

何せ、不自由なことは多いものの、自宅で生活が出来ているのだ。現在、これを書いている3日目の朝も、白いご飯を食べ、暖かな野菜スープを飲み、ゆで卵まで頂くことが出来ているのだから

時間かけて自宅まで戻ってきたが、電気はついているはずもない。もしかしたらみんな、避難所にいるのかもしれない。あるいは……。

最悪の事態を思い浮かべながら、玄関を開ける。ただいまと誰もいないかもしれない家に声をかける。返事はすぐに戻ってきた。

家族全員茶の間にいた。みんな、無事だった。そのことに安堵の息を漏らしつつ、私は茶の間に入った。

意外なことに、茶の間は暖かだった。捨てるつもりでいた石油ストーブを物置から持ってきて動かしていたのだ。停電していても暖が取れるのはありがたかった。さらに、ストーブの上にやかんを置けば、時間はかがるがお湯が湧く。パンを置けばカリカリに焼ける。外は氷点下にまで冷え込む中、石油ストーブで外から身体を暖め、お茶で内からも暖める。とても幸せなことだった。これを呼んでいらっしゃる皆様には、是非一家に一台、石油ストーブの購入をお勧めする。

家の中には、父、母、兄、それに近くに住む親戚の小母さんがいた。小母さんは、この地震で誰とも連絡が取れず、また誰も帰ってこないという。家の中は地震家具が散乱しており、中にはとても入れない。一人でいるのも不安である。そのため我が家に来たのだという。

自宅へ帰って来た頃、時刻はもうすぐで8時を迎えようとしているところだった。こたつの上には大きな蝋燭が立てられていて、その脇にラジオが置かれていた。懐中電灯もあるにはあるが、あまり明るくないので、部屋全体は照らせない。そのため、トイレに行く時等、移動する際に使われていた。

そういえば、自室に小さなライトがあるのを私は思いだした。いつだかにゲームセンターUFOキャッチャーで取ったものだ。おもちゃに近いが、電球はなくLEDなので、大きさの割には強い光を出す。

本棚が倒れたため、本で埋め尽くされ、足の踏み場がない部屋へ行く(自室の荒れ方がまた素晴らしかったので、出来ればお見せしたいところであるが、この時既に携帯電話の電池が切れていた。残念である)。机の引き出しの中にライトはあった。スイッチを入れると、白い光が散乱した部屋を照らした

また、その時の私は、黒いタイツストッキングと随分冷える格好をしていた。荒れ果てた部屋からジーンズを引っ張りだして着替えた。ついでに、タオルケットと毛布を茶の間へ持ち出した

茶の間に戻り、ライトで辺りを照らしてみせると、蝋燭や懐中電灯よりも広い範囲をより明るく照らせたので、当座はこのライトで部屋を照らすことになった。裸火がなくなり、火事可能性が低くなったのでひとまず安心した

余震は断続的に続いていた。これを書いている今もそうだが、大小の関係なしに、何度何度地震に遭っていると、いつも地面が揺れているような感覚に襲われる。恐怖が完全に拭われることはなく、むしろ大きい余震があるたびに増大していった。

地震当時、各々が何をしていたかを話した

母は、少し昼寝をしようとしていた時に地震に見舞われたそうだ。これほど大きな地震であれば、逃げることをまず第一に考えそうなものだが、母は42型の液晶テレビが倒れないか心配だったらしいテレビを支えつつ、近くの柱にしがみついて、本震を耐えきったそうだ。

兄は仕事をしていた。オフィスの中にあったパソコンは全て倒れて使えなくなったそうで、しばらくは仕事にならないだろう、それどころか解雇されるのではないか、と心配していた。

父もまた、仕事をしていた。スーパーでカゴ集めのパートをしている父は、地震の瞬間に店内にいた。これは危ない、と思い、しかし出口からは遠い場所にいた父は、普段は閉じられたままのガラス張りのドアをこじ開けて外に出たという。後から聞いた話によると、父の勤務地のスーパーは、天井が落ちてしまったそうだ。

ラジオから聞こえてくる男性の声が、この地震による被害の状況を伝える。泉区で家がひとつ倒壊した、壁に挟まれて死んだ人がいる、火災が発生した津波で何もかも飲み込まれた……。いつもの夜のラジオなら、軽やかな音楽や楽しげに話すDJの声が漏れてくるのに、今宵は厳しい現実と、それを乗り越える手段が、無機質に流れ出ているだけだった。

私が自宅に帰宅して、1時間ほどして、親戚の小母さんの娘さんが帰ってきた。

この時、電話はまともに使えなかったが、メールインターネットならば使用可能な状態にあった。

機械音痴しい小母さんは、メールを打てない。私が代わって、娘さんに「小母さんは我が家にいる」との内容を打ち、送信したところ、娘さんはすぐに我が家に駆けつけた。それまでは近くの避難所を当たっていたらしい

娘さんの勤め先は、長町にある。我が家仙台市泉区に位置しており、長町とはかなりの距離がある。娘さんは同僚の方から自転車を借り、ここまで帰ってきたのだった。それまでに1時間半の時間を要したそうだ。

午後の10時頃に、小母さんの旦那さん、つまり小父さんが帰ってきた。小父さんは地震発生直後に車に乗ったのだけど、ひどい渋滞に巻き込まれて、この時間に帰ってきたのだという。実に7時間もの時間をかけての帰宅だった。

先にも述べたが、被災はしたものの、我が家はかなりましな方だった。屋根瓦が吹っ飛んだり、壁に多少のひびがはいったりはしたけれど、とりあえず住める状態にはあったのだから停電していて茶の間以外は真っ暗だし、ガスも当然止まってはいるけれど、この時点水道は使用できた。トイレも流せる。これだけで、精神に随分と余裕ができた。とは言っても、時間が経つにつれて水圧は低下していき、2日目の昼には断水になってしまうのだけど。

しかし、断水前に風呂に水を貯めておけたのは良かったと思う。おかげで、今のところ、トイレの水には困っていない。流石に大しか流せないので、そこらへんの節約は必要だ。

とにかく、電気とガスが使えないのが痛い。そうは言っても、ライフラインが回復するまでは今ある環境で耐えるしかない。母に菓子パンを食べるように勧められたが、遠慮して、お茶だけ飲んでいた。……皮下脂肪が厚いので、少しの間飲まず食わずでも耐えられる。

夜の11時を迎えたところで、両親に就寝するように言われた。どうせ、余震が続いて眠れないので、次の日の夜明け、6時50分頃まで起きているつもりだったが、せめて横になるように、と言われたので、茶の間の畳の上に体を横たえた。今夜は座布団が枕の代わりだ。寝転がり、目をつぶるだけで、少しは休むことができる。

形だけの就寝をし始めて1時間。日付が変わった後、ふと母の携帯電話を見てみると、2、3時間前まであった電波がなくなっていた。メールネットならば使えたのに、それすら出来ない。ラジオ以外の情報獲得手段がない。ニコニコ動画ユーストリームNHKの放送をしている、とラジオは伝えていたけれど、そんなもの役に立たない、と思った(もちろん、まだ電池のある携帯電話等を持っている人には重要なのだと思うけど)。ちなみに、家に帰ってきた時点で、私の電話の電池は切れてしまった。

日の出まであと6時間ラジオは伝える。どうか日の出まで、希望を持ってと。ラジオは伝える。現実を。荒浜に、200から300の遺体が流れ着いたとの報を聞き、涙が頬を伝った。

3時か4時になった頃、NHKラジオ音楽を流した。2曲流れて、1曲は確か「カノン」だったと思う。そのおかげがどうかは分からないが、私は少し、眠ることが出来た。余震がある度に起こされはしたものの……。

 

長い、長い夜を過ごしているうち、私はひとつ思いついた。

被災している最中から、忘れないうちに、体験談を記しておこうと。

携帯電話は使えない。iPadは不向きだ。だから今、pomeraを使って書いている。我が家にて、単4電池を使う懐中電灯等もなかったから、こうやって書いている。

これは被災してから2日目に書き始めた。現在荒削りながら、被災当日のことを書き終えて、5日目である。出来れば電気が繋がった3日目のことまで書いて、増田に上げられれば、と思う。私なんか、とてもとてもましな方だったけれど、千年に一度とも言われる天災体験談は書いておかなければならないと思った。……エゴイストで申し訳ない。

また、普段は趣味小説のようなものを書いているので、そのような表現があり、読みにくい箇所も多々あったかと思う。このことについてもここでお詫びする。

私が住んでいる仙台市泉区とあるところでは、3日目で電気が繋がり、4日目で携帯電話の通話及びメールが使用可能に、そして現在、5日目の朝にネットが復旧した

ガスと水道は未だ使用不能。ライフラインが完全に復旧するまで、一ヶ月はかかるそうだ。

しかし、命があるだけ儲け物である。生きていれば何とかなる、との言葉を信じてみようかと思う。

2011-03-07

ミンス党地方組織の無理解

http://www.yomiuri.co.jp/election/local/2011/news/20110307-OYT1T00698.htm?from=main1

を読んで思ったんだけど。

工作員小沢工作員岡田工作員前原工作員も仙石工作員蓮舫工作員ルーピィ鳩山

その他ミンス党工作員たちは、国のため、国民のためにしっかり働いている。

問題は地方組織がどっちを向いているかなんだろう。

国や国民が「日本国」「日本国民」という齟齬があるから、辛かったり、悲鳴を上げたりになる。

自分の党にとって「大事な国や民は誰か」が明確だったらぶれずにやっていけるはずだ。

いまさら「日本国のため」とか「日本国民のため」などとおためごかしを言い出しても誰も信じない。

今回の事件での前原工作員の「我が人生に一片の悔いなし」という態度と表情を見習うべきだろうね。

2011-03-05

口を動かす事を怠けているとこうなる

散歩をしていると犬が吼えてきた。

よくあることなので無視していると尻に衝撃があり、前のめりに倒れてしまう。

立ち上がって背後を見るとロープを首から垂らしたかい犬がいた。

小学生の頃、下校途中に近所の悪評高い凶悪な犬に追い掛け回されて以来、犬という生き物が苦手になので、

正直こいつはやべぇよとびびりまくっていた。

犬の首には首輪があり、首輪にはロープがついている。という事は飼い主がいるだろうし、恐らく散歩の途中なのだろう。

辺りを見渡たしてみるが、それらしい人影はない。ペットを飼うものとしてのマナーがなってねぇよとうんざりした気持ちになり、その場を離れようと歩き出したが、何故か犬がついてくる。

ロープに付属している金属がアスファルトと擦れてちゃりちゃりという音を鳴らしている。

俺は平静を装っていたが、しか背中には嫌な冷たい汗が流れているのを感じた。

なんなんだ? 

この犬は? この状況は? 俺の何がこの犬を刺激した? 興味を惹いた?

緊張感が高まり、もうこれ以上は耐えられないという地点まで来たところで、女性の鋭い、悲鳴にも聞こえる声が響いた。

驚いてそちらを向くと、かなりの速度で駆けてくる二十代後半ぐらいの女性が見えた。犬も女性の方へと走っていった。飼い主と飼い犬の再開である

女性が屈んで犬を抱きしめる。犬も飼い主の女性の頬を大きな舌でベロベロしている。

よかったよかったと胸を撫で下ろし、俺はその場から立ち去ろうとしたが、背中に「待って!」と声をかけられる。

えっ・・・と思い、振り返ると、女性が厳しい視線でこちらを見ていた。

他人の敵意や悪意には人一倍敏感な俺なので一瞬で狼狽した

女性が口を開いた。

「どうして人の犬を連れていたんですか?」

違うよ! その犬が勝手に俺に体当たりをかましてきたんだよ! ついてきたんだよ!

弁明しようとしたしかしそこは人付き合いが死ぬほど苦手なニートである。口が動かない。全身が熱くなって、

落ち着きがなくなり、視線が泳いでしまう。どう見ても挙動不審である女性の目つきは今や犯罪者を見る目そのものだ。

はまます焦る。怯える。怖がる。身体が小刻みに震えだす。

やっと口を開いて、言葉を発する事に成功する。

「じじじぶんはかんけーぃねぃですぅ・・・」

成功ではない。大失敗である。俺は泣きそうになった。というより、視界が涙で滲んできたし、

「あああああ、あの、その犬が勝手に・・・」と言う声は擦れ切っていた。

もう耐えられなかった。俺は回れ右をすると、駆け出した女性の「あ!」という声が聞こえたが、もちろん無視し、

立ち止まらず、とにかく走った。曲がり角を見れば曲がった。障害物があれば、その影に隠れるようにして走った。

犬が次の瞬間にも先ほどのように背中体当たりしてくるのではないかという恐怖心が足に更に早く動かさせた。

 何分ぐらい走ったのだろうか。気づくと立っていられないほどに疲労していた。俺は座り込んだ。すると自分の口から変な声が漏れた。「うっ・・・うっ・・・」それは自分でも抑えられなかった。嗚咽である

 何でこんな事をしているんだ。なんであの女性にちゃんと説明できなかったんだ。逃げ出さずに、

理路整然と言葉を紡げばきっと厳しい視線は穏やかなものになった。疑いは晴れた筈だ。

 なのに・・・なのに・・・俺はまともに口を利くこともできず、変な気持ち悪い声で言い訳し、挙句の果てにはまさに犯罪を指摘された罪人そのものの如く、その場から遁走した

 いい年して何をやっているんだ・・・。もう大人と呼ばれるべき年齢なのに。

 犬が悪いんだ・・・犬がきたから・・・犬が勝手についてきたから・・・。

俺は疲れた身体を無理やり立ち上がらせ、どうしようもないほど惨めな気持ちを抱えながら、誰の目につかないように、女性と犬に見つからないように、隠れながら、潜みながら、自分の家へと帰った。

2011-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20110202211456

しかし実際は持てる者が(ほとんど)全てを持ってるよね。

それはその通りだが、その事と、東大生・情報操作能力因果関係は0ではないものの、強固である。ということでもない。

むしろ、東大官僚 や 東大大企業ルートは そこに行こうと思ったら 簡単そうに見えて実は競争激化で厳しい道の1つだろ。

頭のいい奴同士で殴り合ってる、超ハードモードだよね。

むしろ、東大は、 平均以上で安定化のルート。 積分したとき人生幸福度は大きいと思うけど、 持てる者という程でもない。

なので、元増田の文章は、うっかり楽なルートと思って険しいルートに入ってしまった悲鳴にすら聞こえる話であって、それ以外ではないなぁと。

2011-01-27

ギャップ萌えは最強の恋愛方法

大学生だがバイト先に2人の理系女子大生がいる。

一人は見た目も中身も理系。話してても全然男子慣れしてないのが分かるし、頭の中は数字だらけという感じ。

もう一人はそれなりに可愛くて、雰囲気は文系のおとなしい子。

先週の打ち上げで解剖の話になった。最初の子は普通にカエルとかは解剖できるし、普段も授業でやっていると言っていた。

問題はもう一人の方だ。その子は専攻が生物はないのに、話していたら「解剖したい!」と言い始めた。

普通文系のおとなしくて可愛い子は生きてるカエルなんて解剖できないし悲鳴を上げて逃げそうなものである

しかし、まさにその雰囲気を象徴するこの子が解剖したいと思ってたとは正直ショックだった。

俺は自分がドMということもあるが、あん手袋をして、ピンで体を固定して麻酔注射を打ってメスをいれるなんて出来ない。

その子と話してから、俺は一気に惚れてしまった。

今は毎日自分がその子に解剖されている事を妄想しながらオナニーしている。

2011-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20110102214809

捕まえられるのなら話は簡単。ゲージに入れて閉じ込めておけばいい。

うちには兄から回ってきた猫が3匹いる。最初のうちには懐かなかったが、今は私の顔を見るとゴロゴロいうようになった。私は兄に「飼えなくなったのたら保健所に連れてけ」と言った。「殺生なんてとんでもない」と母が連れて帰ってきて、高齢のため面倒がみられず私がずっと世話をしていた。といっても、餌やってトイレ掃除するだけだが。それでも生き物だから毎日世話は必要でかなりな負担だった。

母がウィルス脳炎にかかり、記憶障害認知障害を抱えて戻ってきた。24時間見守っていないと何をしでかすかわからない。私は両親と同居はしていないので、2軒の家を駆けずり回って猫の世話と母の世話と両方はきついのだけれど、他ならぬ母が殺生を嫌がったのだから保健所行きにしたら母の精神状態が悪くなるだろうと思って頑張って飼っている。

この間、どうしてもやりたいことがあって、母を連れて家に戻った。3匹の猫を見て母は悲鳴を上げた。「きゃああ。ばっちいばっちい。いやいやいや」

誰のために猫の世話をしていると思ってるんだ、この女。思わず首絞めそうになったよ。

ちなみに、その3匹は私以外の人間は警戒するから寄ってこない。

保健所行きがしのびないのなら、顔を見るたびに、何か投げつけてやればいいんじゃないか? 寄って来ない猫に引っかかれるわけがない。

2010-12-29

http://anond.hatelabo.jp/20101229095918

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010122700728

同市は中選挙区時代の旧衆院東京7区に含まれ、いわば菅直人首相の「お膝元」。千葉県松戸市議選、茨城県議選に続く惨敗となり、党内には「このまま統一地方選を迎えれば最悪だ」(都連関係者)と悲鳴が出ている。

西東京市都心部近郊のベッドタウンで、現在衆院東京19区に含まれる。首相地元東京18区の隣で、4年前の前回市議選では、民主党候補5人全員が当選。今回は7人を擁立したが、公認候補の得票総数は前回より約1200票減った。

地方議会選でも連敗中。

2010-12-13

眼にて云う

だめでしょう

とまりませんな

がぶがぶ湧いているですから

ゆべからねむらず血もでつづけるもんですから

そこらは青くしんしんとして

どうも間もなく死にそうです

けれどもなんといい風でしょう

もう晴明が近いので

あんなに青空からもりあがって湧くように

きれいな風が来るです

もみじの若芽と毛のような花に

秋草のような波を立て

焼け跡のある藺草のむしろも青いで

あなた医学会のお帰りか何かは判りませんが

黒いフロックコートを召して、こんなに本気にいろいろ手あてもしていただけば

これで死んでもまずは文句もありません

血が出ているにかかわらず

こんなにのんきで苦しくないのは

魂魄なかばからだをはなれたのですかな

ただどうも血のために、それを云えないがひどいで

あなたの方から見たら

ずいぶんさんたんたるけしきでしょうが

わたくしから見えるのは

やっぱりきれいな青空と、すきとおった風ばかりです

  • 眼にて云う

 

なんだかんだ、と

時間ばかりは、どうしたって、過ぎていきます

僕の心は、どこかに、留まったままのようだ

一体何処で、油をうっているのか

わかりようもありませんが

不思議とあせりもしないものです

つまり、まだ、Nikonあいておりません

いま、部屋の悲鳴から、察するに

外は大雨のようだ

降り出す前に、僕は帰路につけました、これはきっといいことだろうと思う余裕はまだ、ある

家へ帰ると、インターネットで買っておいた、カメラバッグが届いている

次の現場はまだ決まらない

心の平和も、宣言するには、心許ない

何が足りなくて、何が満たされているのか、わからない

しかし、そのどれもが、なんとも小さいこである

こんなことばかり、恥も知らず

語っているから、誰だって思うだろう

暗かろう、哀しかろう、寂しかろう

しかし存外、そうでもない

この渇きと、飢えが、跡形もなく消え去ったとき、僕はきっと死ぬのだろう

どうも、満ち足りないから、前へ、上へと歩んでいける節がある

からといって、この渇きと飢えを、楽観視もしていられない

何年も昔、秋の夜だったか

日付がかわって、間もなく

唐突に、一通のメールが、きた

そこには死にたい一言書いてあった

彼女がそう言う理由は知っていた

長年付き合った彼に、別れを告げられた

彼女が、少しずつ、しかし確かに、形作っていた、結婚という夢も崩れた

日常から生まれる

あらゆる苦しみから、寂しさから

逃れる希望を、彼女は、そこにみていたのだった

いつでも

天真爛漫に、誰よりも幸せそうに笑いながら

苦しんでいた、彼女

それをみせないのは、強さからはなく、孤独を知っていたか

そして僕が、そのメールを、冗談に受け取れず

彼女の家へ向かったのは

それを薄々、感じていたか

彼女に限って

まさかことに及ぶようなことはないと分かっていたが

教えてあげたかった

絶望を前にした

どんな論理も、言葉も、無力になる

そんな時は、もっと直接的に、感じられるものじゃなきゃ、心は救われない

それは時と場合によって

傍にいることであったり、行動であったり、継続であったり

色んな形をとりはするが、どれも

やさしさや、隣人への愛とよばれるものだと、僕は思っている

それが為になるのか、何かの役にたてているのかはわからないが、しばらく彼女の傍にいることにした

僕よりも多くの経験を重ねてきた人であることに間違いはなかったが

それでも少しは役に立てたと、今でも思う

あの時、彼女がみている、生きている小さな世界

彼女が、僕たちが、生きられる、大きな世界の何分の一でしかなかった

その人の小さな世界で、ほぼを占めていた

何かが、なくなってしまったのならば

当然、心に穴はあくだろう

もし誰かに甘えることで、仮に、少しでも

大きな世界に、希望を持てるのなら、証明したかった

それも可能ならば、友情でもって

何故なら、残酷なことに

人が、死にたいと思うくらい絶望に面しても

大きな世界は、それを受け入れてくれているような気がしたから

いくらでも、生きられる場所を、用意してくれているように思った

しか彼女に、そんな残酷希望を言うには、躊躇われる

から地道な方法で、示すしかなかった

一人ではないこと

楽しいことは、まだ残されていること

少しの間でも、忘れられること

それがだんだん、長くなっていくこと

言葉いがいの何かで、教えてあげたかった

例え、生きていることに意味を見出せなくても

死を選ぶのは、いや、自分を傷つけるという行為が、答えになるわけではな

失ってからはじめて気付くものは、たくさんあるし、それが自分じゃ洒落にもならない

から、うしろむきな僕が、いつまでたっても見つけられない

生きる希望は、それはそれで、よいのかもしれない

しかしそう楽観視するには、人生には、苦しみが溢れすぎている

から、この世界がきっと用意してくれているであろう、居場所を探す力だけは残しておかなくてはならない

渇いている心が、飢えた頭が、ある限りは、より善いものを求めて、歩いていく、力になるだろう

道中は、弱音ばかりで、幸福音色を聴かせることなどできないかもしれない

しかし、満ち足りていないのなら、前へ進める

小さなことで、満ち足りぬ自身をいずれ、誇れる日がくるかもしれぬ

それが、希望を追う、力になるだろう

そしてまた、目の前の絶望にも、溺れぬよう、抗う力になるだろう

そうすれば、溺れかけているように思える、この頭の中からみても、

 

やっぱりきれいな青空と、すきとおった風ばかりです

2010-12-10

そうなんだけどさ…

12月12日、末尾に追記。

とある多世帯住宅の話をしよう。

ほどほどに広い敷地の中に、そこそこの歳の兄弟が、それぞれの家族と暮らす二軒長屋形式の住宅が建っている。

兄弟は、あまり親密な関係にはない。

それぞれの世帯には子供がいる。

一方は小学校高学年相当、重度の自閉症を背負って生まれてきた男の子だ。食欲が旺盛で、小学校高学年相当にして、体重

はや70㎏に近い。手加減なしに階段に足を踏み下ろすその振動により、夜中の二時にいきなり棟続きの家で棚からものが落ち

たりする。体形限定だがイメージ的にジャイアンを思ってくれれば間違いない。奇声を上げ、庭で丸出しで放尿し、二階

ベランダからいきなりものを投擲し、庭石に植木鉢をたたきつけてかち割るなど、問題行動もときおり見られるが、基本的には

温和しいよい子だ。ジェントルジャイアン君。いや、バンドじゃなくて小説の方。

鉄道オタク嗜好があるらしく、五歳当時、事情を知らぬメーター検診員などが高い位置に増設されていた門の閂を掛け忘れた

千載一遇の好機を捉え、旅立った武勇伝を持っている。彼は四時間後に、隣接自治体で自由を満喫しているところを保護され

ている。この一件以来、敷地の門は常時施錠、メーター検診等は住人立ち会いの状態で行なわれるようになった。

もう一方の世帯には三歳年下の女の子増田娘がいる。

増田の実環境に無謀なほど近いにもかかわらず、安い国産TVドラマのようなうさん臭いセッティングだ。

増田本人は甥であるジェントルジャイアン君については気の毒に思いつつ、正直なところかなりもてあましている。

どう接すればよいのか。

放尿するためにズボンを下ろしかけた状態のとき行き会えば、ジェントルジャイアン君は大変素直に制止を聞き入れてくれる。

一度、数秒タイミングを逸した際は、便所への移動と放尿、逐次的に実施すべきふたつの作業が同時進行となり、大いに困惑

させられたが。

一時は仰天させられた二階からの突発的な器物投擲や植木鉢の破砕も、負傷者が出るまでもなく、徐々に収まりつつあるように

見えるし、過去数年は全裸の庭徘徊も、少なくとも増田の知る範囲では発生していない。

深夜の鳴動も、実害はほぼないし放置しておけばよい。ここが賃貸で、相手が赤の他人であれば、一月もしたら血相替えて怒鳴り

込むだろう、とも思ってはいるが。

増田地元、最寄から二・三駅ほどのところに、とある知的障害者更生施設がある。比較的軽い障害を負った通学者の中には単独で

通学しているものもいた。増田大学の頃から数年にわたり、最寄からおそらくこの施設へと通学する、とある『地元有名人』が

いた。流れのままにガニメアン君と呼称する。

--有名な理由?簡単だ。思春期に入ったガニメアン君は、ホルモンの命じるまま、己の欲求充足を試みるのだ。

あまりにもストレートに。

帰宅途中、身長170㎝、体重90㎏程度と大柄な(種族的な特性?食欲に規制が一切かからない所為か? - 聞くのが憚られるので

ここで書いてしまうが)は、数時間掛けて駅からの家路を辿る道すがら、ふさわしい交際相手を見出すと、まっしぐらに接近、躊躇

なく交際を申し入れるのが常だった。下は小学三年、上は今風の表現であればアラフォーと、ガニメアン君のストライクゾーン

かなり広く、選好みもしない一方で、玉砕するとすっぱり諦める潔さも持ち合わせていたため、トラブルもさほど起きなかったようだ。

ごくまれに、数メートルから意味不明言葉を発しながらドスドスと足音粗く近付いてくる、目付きがいささか覚束無い大男を

見て、悲鳴を上げる女子中学生なども見受けられたものの、高校生以上の"交際相手"であれば初見でも難なく対処できたし、中学生

でも一度遭遇してしまえば次から大丈夫だった。ただ、小学生はいささか荷が勝つようで、増田自身、何回か彼に"お断り"をした

経験があるし、周辺の当初三校、後に増設されて四校となった小学校PTAあいだで物議を醸したとも聞き及んでいる。

--ふぅぅ…

障害者施設建設計画で町内会反対運動』の記事についての侃々諤々を読んで、なにやらネガティブな想念がこみ上げてきたのを中和しようと、不自然きわまる文体でやってしまった俺の負けだ。普段の状態に戻す。

障碍者施設反対自体については、別に意見を表明しようとは思わない。生暖かく見守っていた地元の気分も体験してるし、身内に障害者を抱えた人々の苦境と負担も、充分に理解しているからだ。

以上を踏まえた上で、

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.ehime-np.co.jp/news/local/20101208/news20101208221.html

ごセイケツに人非人どもを高所から切って捨てている各位には聞いてみたいことがある。

多額の銀行ローンを背負って一世一代の家造りをしようと思った場所で、自分の娘が、例えば体重差二倍くらいの全裸の、まあ要するに変な人に追い回される可能性が、わずかばかりでもと判った場合、各位は当然今のようなごセイケツなスタンスを貫いて、率先して入居するのだよね?家族にも当然言い含めて。

-------

まぁ、大体の想像を裏付ける結論が出たようなのでネタあかしをさせていただく。これは、憂さ晴しと推測を裏付けるための、大変ヒトの悪い実験を兼ねた記述だった。

前半。うちは現在座敷牢化しており、子供の出入りに不自由だし、ジェントルジャイアン君は実際にかなり迷惑なことをしたりもする。うちの娘のためには、明らかに良くない。

しかし、「ふぅぅ」以前の部分では「もてあましている」「どう接して良いのか判らない」「困惑させられた」「仰天させられた」という俺本人の感想を除き、「基本的には温和しいよい子」「玉砕するとすっぱり諦める潔さも持ち合わせていた」という肯定的な記述を織り交ぜた上でネガティブ記述を極力排して全て事実に即した記述を心がけた。

俺本人の感想は、ごく自然なものだと思う。当たり前だ、俺には彼が理解できないし、下げたズボンびしょ濡れにしながら指示に従ってくれるなんて誰が思うか。それに目の前に突然トミカとかが落下すれば、大抵の人間は仰天する。それとも、俺を差別者扱いしてる人、こういうの平気?

後半のガニメアン君については、同じく子供から見れば明らかに巨大で威圧感がある。おまけに、彼に抱きつかれそうになれば、小学生は泣いて当たり前だと思う。PTAで騒ぎになるのだって当然、ならない方が変だ。地元が生暖かく見守っちゃダメなのか?

しかし、これについてもネガティブフレージングは一切していないつもりだ。

こんなしち面倒臭いことをしたおかげで大変消耗したわけだ。にもかかわらず、ブコメを見ると、当たり前のことを感情抜きで書いている記述のはずなのに脳内補完して、そこに差別見出している人が一部見受けられる。トラックバック増田にはほぼそういう傾向が皆無なのにも係らず。これは、増田の読解力の方が高い、ということなのか、そのほかの誤読した人がこれといって見受けられないことからも明らかなように、俺の大嫌いな『差別レーベル愛好批評家』各位の読解力だけが傑出して劣っているからなのか、どっちかなんだろう、きっと。

それとも、障碍者についてはたとえ事実であろうが、不利なことを一切書くのはまかりならん、とかいうものすごい基準なのか?

今後の参考のため、魚拓http://megalodon.jp/2010-1212-2322-16/b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20101210153318作成の上で

これにてサンプリングを終了したい。

最後に、サンプリングにご協力いただいた各位には厚く御礼申し上げるとともに、うらの真意まで読み取っていただいたWhat_a_dudeさん(考えてみて欲しい障碍者施設が充実し、偏見が解消されなければ、兄弟世帯や娘も含めて我が家の負担は今後も増え続けるのやぜ、俺が自分の馘締めてどうする)、満点回答を提示してくださったWintermuteさんほか、文意をきちんと把握できておられた方々に敬意を表したい。

これマジ?

88: スケート(関西):2010/12/09(木) 09:51:16.92ID:oq0qQoezO

>>15

●4年間でマニフェストを実行する。

外国人参政権夫婦別姓など、マニフェストに無い法案を全力で推進。

子供手当てを出します。

→満額支給断念。

また、地方が負担(国籍不問=在日、出稼ぎ外国人が母国に残して来た子供にも支給、養子でもok)。

埋蔵金を発掘しま

埋蔵金は あ り ま せ ん でした

公共事業9.1兆円のムダを削減。

→削減は0.6兆円だけ。事業仕分けはタダのパフォーマンス化。

 事業仕分けの会場代(4日)で1200万円、机・椅子代1362万円

天下りは許さない。

→郵政三役天下りさせた。

公務員人件費2割削減。

→法案を再来年以降に先送り。

天下り先も無くすと更に肥大化

増税しません。

扶養控除、配偶者控除の廃止。

タバコ税、酒税増税

相続税内部留保課税、消費税所得税増税検討

環境税導入も検討

《《注:子ども手当の財源の一部は、扶養控除の一部廃止と配偶者控除の廃止でまかなわれることになっている。

子ども手当てがあれど扶養控除・配偶者控除の廃止により税負担の増加が問題になっている。》》





96: スケート(関西):2010/12/09(木) 09:52:49.93ID:oq0qQoezO

>>15

暫定税率を廃止します。

→維持しました自動車取得税自動車重量税軽油取引税、揮発油税地方道路税)。

赤字国債抑制します。

過去最大の赤字国債を発行(総額44兆円)。

クリーン政治しま

鳩山小沢北教組違法献金脱税 現職議員逮捕議員辞職も離党もせず。

沖縄基地最低でも県外に移設

→県外移設断念。「『最低でも県外』は民主党公約はなく、私自身の代表としての発言」(鳩山)。

《《基地問題についての流れは↓↓

国外・県外要望→断念。

徳之島要望→断念。

普天間要望→現在進行中。

いずれも県民の支持は得られずゴリ押し。》》

内需拡大して景気回復します。

デフレ進行、景気対策補正予算の執行停止。

CO2の25%削減表明、鳩山不況突入

コンクリートから人へ。

道路整備事業費が608億円増(民主の弱い選挙区へ)。

ホワイトビーチ埋め立てに一兆円。

八ッ場も無駄に1年凍結後再開

高速道路無料します。

→土日1000円やめて値上げします。





102: スケート(関西):2010/12/09(木) 09:54:23.71ID:oq0qQoezO

>>15

ガソリン税廃止。

→そうでしたっけ?フフフ。

消えた年金記録を徹底調査。

→「年金記録を回復する必要性は薄れた」(長妻)。

結局うやむやのまま。

医療機関を充実します。

日本医師免許を持たない外国医師の診療を可能にする制度改正を検討

農家の戸別保障

政府米買入れ廃止で米価暴落農家悲鳴

●最低時給1000円。

→実現時期「2020年までに」大幅先送り。

消費税は4年間議論すらしない

消費税増税検討中

年金を事務費に流用しない

2010年度に2000億円流用。

2010-11-25

彼女が死んだ話を受けて

http://anond.hatelabo.jp/20101125170955←このURLクリックすると、「彼女が死んだ話」という日本語で書かれた、小説らしきものが読める。

思うところは人それぞれだろうから、僕もこれから彼女が死んだことを書き綴ろうと思う。

僕は生まれも育ちも同じ県で、地方の市立小学校に通い、そのまま市立中学校に進学した。

僕は、友達がするから、という薄い理由で吹奏楽部に入り、黒いから、という浅い理由でクラリネットを選んだ。オーボーは先に取られた上での、消去法だ。金も銀も好きじゃない。だいいちあすこの喇叭は緑青がびっしりで、磨きに失敗して管体は凸凹し、リペアに頼らない修復をしたおかげかバルブがありえない方向に曲がっていた。それでもあれは死んでないらしく、バズィングを終えた後マウスピースを填めて息を吹きこむと、ぼへーという気のない音が部室に響いた。

さて、吹奏楽部には定期演奏会というものがある。いわゆるおけいこの成果を、街の皆様方にアピールしようというわけであるしかしそれは建前であり、実際のところは街のお店から広告費をせびり、部員家族うちで盛り上がろうという、極めてクローズな発表だ。広告主もたかだか三年むすこむすめがその部活に在籍していたというだけで、今後十数年、あいや数十年集られることになるとは、まさか夢にも思わなかったに違いない。

定期演奏会はまじめなコーナーとふざけたコーナーの二種類楽しめる、ニコイチのようなものだ。先述したよれよれの金属体が、ぼえーとむせぶ、ゆるゆるなたいこが、どぅゎんどぅゎんと悲鳴をあげる。ニコイチでオトクな気分になろうとしても、こんな音では身内とて地獄であろう。

その定期演奏会では大抵、三年生のひとりひとりがソロのようなものを任されるのであるソロのようなもの、というのは厳密にはソロではない、みんなで吹くところを無理に一人で吹かせたり、挙句には前に立たせて、キュプーと吹かせるのだ、たまったもんではない。足りないならば音楽の加工さえ厭わぬとは、正に儀礼、避けては通れぬというものだ。

では、実際私はどうだったか

クラリネットは全体で10人からなるが、なんとその10人分を私一人に押し付けたのだ。一人で10人分の仕事をしろ、というのである。どんな馬力だ。

だいたいクラリネットというのはそんなに音を重ねても重ねた人数だけ音が増幅されるわけではない。いや、重ねただけ共和せず、うわあんうわあんという不快な耳障りばかりだけが気になるようになるだろう。そんな楽器なのだ、クラリネットというものは。

それを一人で吹けというのだ、ありがたいことじゃないか

というわけで、私は一人で揚々とステージの前に立ち、バックバンドのきちゃない演奏に合わせて、これまたきちゃない、でも聴きやすい演奏をしたわけだ。

で、その時にどうやら僕に惚れてしまった後輩がいたようで、演奏会が終わってから告白され、付き合うに至った。これが10年前のことである

これは先日の話だが、その彼女葬式を執り行なった。喪主彼女の兄である彼女白血病で亡くなり、僕にはどうすることもできなかった。来年には結婚しようという、ながい交際も一区切りするかしないか、といったところだ。

彼女は高校、大学と付き合いを重ね、別な学校に行っても、別な地方に進んでも、毎日の便りは欠かさなかった。彼女にだけはディジタル年賀とは別に、葉書に依る絵と言葉を惜しまなかった。どうやら親にはバレていたようで、手段を変えてくれとメールで痛切に頼まれたものの、僕はそれをしなかった。思えばある意味常識に欠けた配慮だった。

彼女の容態が不安定になったのはつい一昨年のことであるが、大学回生で、卒業論文を控えていた僕はそれでも彼女の見舞いに時間を割いた。夕日を背景としてこちらを向く彼女は美しい彼女の一挙手一投足が僕の人生の肥やしとなっていたのは言うまでもない。

しかしもう彼女はいないのだ。僕も先月親会社倒産の憂き目に遭い、わずかばかり用意された最後賃金を受け取り、それでなんとか首の皮一枚繋がっている。先に逝った彼女は僕に死んじゃダメ、とムチャクチャ約束をさせた。彼女のために生きるというのもわからないでもないが、僕は僕だ。僕のやりたいようにやる。

そこで早速駅から降り、歩いて十分とかからないおっぱいパブというところへ足を運んだ。彼女は胸が平均的で、乳首が大きく、吸いついていたとき、揉んでいたとき誠に幸せだったのだが、そのパブは誠に僕のささやか幸せを叶えてくれた。

バカヤロウ、満たされれば誰でもいいのか、と言われるかもしれないが、けしてそういうことではない。あくまで僕のイマジンを促進してくれるために通うのであり、眼をつぶったとき、そこにいるのは間違いなく彼女なのだ。脱線などしようものか。バカヤロウはお前というものだ。

明日もまた通いたいのだが、どうしようか。指名しようかしまいか。悩むところである人生は愉快だ。

2010-11-12

んじゃ自分を伸ばしたい子供は生卵をぶつけるべきなのか…

そんでその真意を受け止める気がない大人たちによって

学習環境が悪いから改善という結論はもらえずに

できない子というレッテルを張られてより生温い劣悪な学習環境

放り投げられるのですね分かります

ほんと、自分が受けている教育に憤懣やるかたない子供

どうやって悲鳴をあげるべきなのかねえ

http://anond.hatelabo.jp/20101112171744

2010-11-06

私はとある理由で、同窓会にはまだ生涯で1度しか出席したことがありません。特に先日、私が過去に遭遇した教育現場の生臭い話をした中学時代の同窓会には、一生出席しないと思います。

最大の理由は、いじめを行ったほうも私を脅迫した教師も、『そんなこと無かったかのように』にこにこ笑っているのが我慢ならないから。

担任は確信犯ですが、いじめっ子のほうは中学だけでも約二年半ぐらい、私や私以外の人間いじめ続けました。

その場でいじめっ子の彼にさりげなく「いやあ、お前にはいじめられたからなぁ」と話を振って帰ってきた台詞がこれ。

「えっ? そんなことあったっけ?」

「いやあ、あん時は若かったよなぁ」

すべて「若気の至り」で完結していました。いじめられた方は恐怖と怒りと怨念記憶とともに人生を歩むことになりますが、いじめた方は真実何も覚えていないか、そもそもいじめをしたという自覚すらありません。少なくとも私にいじめを行った人物についてはそうでした。

「ふざけるな!」と怒りのあまりにわめき散らしてその場を凍り付かせても良かったのですが、その場は笑顔をキープして、二次会は避けました。もっとも、笑顔の下で表情筋がこわばっていたのを、今でも覚えています。

ちなみに彼のよくやったいじめは、「授業中、板書している先生の目を盗んで前の席の生徒の背中を殴りつけ、悲鳴をあげさせて授業を中断させる『遊び』」というものでした(授業中の教師は基本教科書か黒板しか見ていない)。

彼にとっては単なる一過性の『娯楽』だったので、1年前のお笑い芸人ネタ視聴者が覚えていないように、彼もまったくいじめについては記憶していません。せいぜい、「若い頃はやんちゃだったな」程度の認識。私は何をされたか具体的にここで書けるほど覚えていますが、これが実際の加害者被害者の温度差なのではないかと思います。

ゆえに、あえて言います。自殺しても無駄死にだと。

いじめられっ子の究極の自己主張は、実名を記載した遺書を残しての自殺である」という、報道なども含めた現在の状況(というか雰囲気)は、いじめられっ子に対しては何ら利しません。むしろいじめられっ子に「自殺すれば声が届く」と勘違いさせ、自殺を促すことになりかねません。

本当に知らしめるべきは、十年後二十年後の同窓会で私が遭遇したいじめっ子の姿であり、脅迫に荷担した担任教師の笑顔であるべきだと思います。そう、彼らはいじめなど無かったことにして笑顔同窓会に出席しているのです。

まあ学校ぐるみで「我が校にいじめなど無い」と、いじめられた方に言い切った学校に所属していたわけですから、彼らにとっていじめなどん無かったのでしょう。ただ、当時私はその『遊び』のお陰で、背中が痣だらけでしたが。

だから、いじめを受けている子供たちに言いたい。

『死ぬな』

2010-10-11

初音ミクのNYフィルムコンサート動画

 初音ミクニューヨークでのフィルムコンサート撮影した動画ようつべにいくつかアップされていた。ただの上映会の割に観客のノリがいいのはいかにもアメリカ的。私が見た日本フィルムコンサートでは、客はおとなしく黙って見ているだけで、上映が全部終わった後にパラパラ拍手が聞こえてきたくらい。でもアメリカじゃ曲が終わるごとに拍手と歓声が沸き起こっている。

 曲にあわせて客が手をたたくシーンもいくつもあるし、時には一緒に歌っているアメリカ人の声が聞こえたりする。特に大歓声というか悲鳴が聞こえたのはレンの登場シーンで、このあたりは現地からTwitterで伝えられた通りだ。以下に動画を紹介しよう。

 まずハジメテノオトからProject Diva desu.を経てワールドイズマインまで。ミクが出てくるシーンで歓声が上がる。

http://www.youtube.com/watch?v=-DtG1Hsn8ss

 ワールドイズマインの途中からえれくとりっく・えんじぇうまで。

http://www.youtube.com/watch?v=Ggzz8gEAE10

 次々と衣装を変えるメドレーのシーン。ぽっぴっぽーの人気が凄い。

http://www.youtube.com/watch?v=j1y9V712c9o

 巡音ルカJust Be Friendsから初音ミクの消失へ。これまた客の反応がいい。

http://www.youtube.com/watch?v=HgA17dfvQdI

 初音ミクの消失

http://www.youtube.com/watch?v=nemNTVEJ83Y

 鏡音リンとレンの右肩の蝶。大音量(観客の上げる悲鳴)注意。

http://www.youtube.com/watch?v=J4AISbwOIHA

 ストロボナイツ

http://www.youtube.com/watch?v=cEELGH3L8FM

 ビデオの客の「アンコール」から愛言葉まで。アメリカ人も一緒になってアンコールと言っている。

http://www.youtube.com/watch?v=C-sfgmVs5d0

 メルト

http://www.youtube.com/watch?v=D3dkO-ixd_Y

 ニコ動でもメルト動画がアップされていた。客が手をたたき、一緒に盛り上がっているのが分かる。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm12396101

 動画を見る限り、ニューヨークフィルムコンサートは成功だったと言っていいんじゃないだろうか。アメリカ人の「とにかく楽しもう」という姿勢が見事に表れている。

2010-10-02

http://anond.hatelabo.jp/20101002161930

だから凄い変化が起こってそこらじゅうの業界ビジネスモデル崩壊しちゃって悲鳴上げてるんだよ

2010-08-31

僕は世界を変えることが出来ない

自分の無力さを体感する

俺はいったい何のために行動しているのだろう

俺はいったいどこに向かっているだろう

俺はいったい誰のために生きているのだろう

そんなことを取りとめもなく考える

いつだってそうだった

俺には生きる理由が必要だと思っていた

小学校の時から俺はそんなことを考えていた

いつもそんなことを考えて考えて考えて考えた

でも小学生の分際でそんなことがわかるはずもなかった

そして当然そんなことを考えていたせいでまわりから暗いやつだと思われた

だっていつだって悩んでいたんだ!

俺はなんのために生きているのか,そんなことを考えないやつの気が知れなかった

みんなの頭はなんて平和なんだって思っていた

いつだって俺は悩んでいた

俺はなんでここにいるのか

俺はなんでこんなことをやっているか

俺はなんで夜になると枕を濡らすのか,下唇を噛んでいるのか

毎日毎日俺はそれを繰り返していた

そんなことを続け結局高校生になった

俺は小学生の頃から何一つ変わっていなかった

俺は,考えた

そして考えることがしだいに苦痛になってきた

考えれば考えるほど心が痛くなった

心がいたいなんて単なる例え話だと思っていた

でも違った

実際にいたい

締め付けられるように痛い

心には痛覚があったんだ

痛みは危険信号

心が悲鳴をあげていた.実際に

ある日この気持ちを紙に書いてみようと思った

専用のノートを買い専用のシャーペンで今の自分の心の叫びをそのまま綴った

想いが剥き出しの心から俺の右手に伝わる

いつの日だったか

心が本当に痛くなると俺の右手までもが痛くなるようになった

紙とぺんと俺の右手,そして俺の心

そのすべてが一本の線で繋がってたんだ


でも,書いても書いても俺の現状は一向に変わらなかった

俺は,いったいどうなってしまうんだろう

悩みに悩んで高3の春,俺の心は限界だった

俺に出来るのは教科書の問題を解くことだけ

ただひたすら数学の問題を解いていた

答えがほしかったんだ

嘘でも偽りでもないそして明確な唯一つだけの答えが

解けない問題に常に苦しめられていた俺には数学の問題はとても容易く,そして唯一自分で解決することの出来る問題だった

俺はわかりやすい答えを求めていた

もっとわかりやすく生きるべきだと思った

そして俺は長くいた自分の居場所から,自ら去ることを決めたんだ

さようならをしよう


俺は長くいたあの場所にいくことをやめた

俺はなんだか抜け殻になってしまった

俺はそこでやっとわかった

俺は支えられていた,あの場所に何年もの間守られていたことに気づいた

俺はそのときの後悔は今でも胸の中に残っている

「今まで出会えたすべての人々に,もう一度いつか出会えたら,どんなに素敵なことだろう」という歌詞が頭から離れなかった

そこから俺はどんどん変わっていった

今までの俺はいなくなってしまった

まるであの場所にすべてを置いてきてしまったみたいだった

俺は世界で一番黒いココロを持ってしまった

誰よりも残酷になれる気がした

自分最愛の人を世界で一番憎むように

それまでなかったドスグロイ負の感情が俺の心に充満していた

世界で一番大好きだったのに,なんで俺はそのひとを悲しませてしまったんだろう

世界で一番自分が憎かった

その場所にいたたくさんの人たちを俺は泣かせてしまった




男失格

そうだ俺はどうしようもない人間なんだ

どうせ俺にはなにも出来ない

俺は,もう会いたくはない

俺は,ただ逃げることしか出来なかったんだ

それをせめて戒めてほしかった

でもそれすらかなわない

だって俺のほうからいなくなったのだから

俺はあのひとたちになにも恩返しをすることができない

俺はなにひとつあの人たちの手助けをすることができない

もし

核戦争を未然に阻止したとしても

巨大な隕石から自らの命と引き換えに地球を救ったとしても

目の前の車に轢かれそうな子供を助けた代わりに植物状態になったとしても

俺はあのひとを守ったことにはならない

俺のしたことにはなんの意味もない


オレハセカイヲカエルコトハデキナ















よし,もう帰って寝よう

2010-08-30

200歳の幽霊戸籍なんかより、土地登記幽霊所有者の方がはるかに問題

http://d.hatena.ne.jp/satohhide/20100827/1282918092

土地登記簿にも明治江戸時代の人いっぱい生きていそう」

今回マスコミは「戸籍上200歳が見つかった」とはしゃいでいるが、

実は社会上重大なのは、戸籍の不備問題より、土地登記簿所有者の不備の方がよほど「重大」である。

死亡届の提出は「義務」だが、相続登記は「義務」でないゆえに、

田舎二束三文土地だと、手続料の方が掛かってしまう」ので、

そのまま放置、という事案が相当ある。

感覚論だが、地方田畑山林なんかでは、2割程度は「所有者は明治のまんま」と思われる。

で、登記簿上は「明治の所有者のまま」だが、実態は2~3代下の世代が「相続しているハズ」となる。

こうなると下手すれば「相続人100人以上」になって、

「そもそも、相続人自身、その土地相続していることを知らない」という状態になってしまう。

これが一番怖い。

二束三文の間であれば、まだいい。

問題なのは、「社会がその土地を必要とする場合」、つまり道路公共事業土地収用の

局面において「誰が所有者なのかすらわからない」という状態で、

「そのまま収用が遅延する」というのが一番怖い。

http://www.hrr.mlit.go.jp/library/kenkyukai/h19/pdf/h/h_04.pdf

山古志村災害復旧工事に携わった湯沢砂防事務所の悲鳴

>「多数相続や共有地の処理が用地処理の隘路となる場合が多いため、

> 例えば一定期間相続登記放置されるような場合には、固定資産税納付者等に

> 相続人を限定するような特別措置が検討されてもよいのではなかろうか。

> 現時点の登記簿上の権利関係が継続されれば、半世紀後には中山間地における

> 事業着手は相続処理のために不可能になることが予想される。」

実際、自分不動産関係者)のところにも、

相続登記放置による公共事業進行への障碍」の事案が数多く集まっている。

マスコミは、「200歳の戸籍」のような、実社会には何の影響も及ぼさないような事案の

報道を行う前に、地方公共事業の隘路になっている相続放置問題に

調査報道シフトすべきでは?

しかも、閉鎖戸籍については「80年経過すれば廃棄」とされているので、

このまま行けば、「相続人が誰なのか特定不能」となる危険性が高い。

最悪の場合公示による土地収用手続きになるのだろうが、手間と費用が恐ろしくかかり、

公共工事スピードが一気にトーンダウンしかねない。

相続者不明によりやむなく土地収用手続きに入ったと思われる事案

http://124.146.182.228/pdf/0808000029.pdf

とりあえず、自分HPにこの問題をまとめておいた。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/7891/law/49.html

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