はてなキーワード: 引き起こしとは
現政権である安倍政権を批判する人達は外交、経済、福祉…様々なスタンスから現行政権の政策に不満を持ち、どうにかしたいと思っている。
そして、その「どうにかする」という目的のために「安倍政権をとりあえず下ろそう」という手段を掲げている人たちが殆どだ。
もちろん安倍政権が倒れればそれでいいというスタンスの人もいるが、その人達は今回の主役ではない。
今回取り上げたいのは目的のための手段として現政権打倒を掲げる人たちだ。
この人達の問題点は、プレゼンや自己表現がとにかく下手くそであることだ。
「目的」をろくすっぽ提示しないのに、「目的」である「現政権打倒」の妥当性ばっかりプレゼンしているのだ。
これは何故だろう?
こういう時、大抵人間は「全員同じ目的を持っているし、みんな望みは一緒だろう」と思っている。
目的が大抵「みんなで幸せになりたい」とかそういう普遍的な目的なので、説明するまでもないと思っているからだ。
何故ならば、この人達が説得したい相手は、この人達がいい人か悪い人か知らないからだ。
現政権を批判する人達からすればなんて失礼な話だと思うかもしれないが、
基本的に日本人は「知らない人についていってはいけない」という感じで、赤の他人を盲目的にいい人だと思ってはいけないと子供の頃から教育されるので仕方がない。
そうなってくると、その人が今している行動やその場で軽く確認できる範囲から普段の振る舞いを予測し、その人がどういう性質の人なのかを予測して真意を探るしか無い。
そこで相手の目に飛び込んでくるのは、「妥当安倍政権!安倍政権は悪い!」といった事を熱心に強調している人だ。
何のためにそれを強調しているのかを見ようと思っても、タイムラインや投稿は「安倍政権を倒そう!」だらけなのだ。
そうすると、この人は
「本当は別の目的があって、その手段として安倍政権打倒を掲げている人」
ではなく
「とにかく安倍政権を倒せばいいと思っている人」
に見えてしまう。
本気で安倍政権を倒せばどうにかなると思っている人には悪いが、そういう人は通常、「正義感に酔っ払って正常な判断ができない面倒な人」場合によっては「なんかに影響されたバカ」「頭がおかしい」という判断を下される。
膝を突き合わせて話せば理解し合えるだろうが、話し合いの前にその判断を下されているので、話し合う前に誤解を解く必要がある。
日本人は大抵話し合いがヘッタクソなので「なぜ手段が正しいのか」を一生懸命プレゼンしてしまう。
やばい人だと思われているのに、その誤解を説かずにそのヤバイと思われている原因を一生懸命補強している形になるので、「本物のバカ」だと思われてしまうのだ。
そしてお互いに「話が通じない」と誤解したまま溝が埋まり、仲間内で傷をなめ合ってエコーチェンバー現象を引き起こしてどんどん手段が過激になったりそのうち手段が目的化して、
これは現行政権を批判している人だけではなく、安倍政権擁護派の人、フェミニストの人、愛国者の人、など全ての意見を持つ人に言えることだ。
「自分にはこういう目的がある」ということをしっかりプレゼンすればいいのにそれを疎かにしてしまうばっかりに敵を増やし、自分は過激になっていく。
「相手からどう見られているか」によって自分の発言の意味が変わることを自覚し、自分を正確に理解してもらわないとまともな議論などできない。
自分の意見を理解してほしいなら、どういう目的を持っているのか、何故その目的なのかをはっきりとお互いに理解すべきだ。
そして、勝ちに行ってはいけない。
勝ちに行くという事は、勝利のために大義や目的を妥協することになる。
それでも勝ちたいというのであれば、あなたは大義のために動いているのではなく、自分の快楽のために正義や他人を利用していることを自覚すべきだ。
目的や理想のために、他人の視点を利用して自分の手段の妥当性や問題点を把握し、より優れた意見を導き出す。
これが議論だ。
目的をきちんとプレゼンしないということは、話し合いが議論ではなく争いから始まる可能性を引き上げるということになってしまう。
意見や思想を洗練させずに争った所で、洗練されていない意見が勝つだけで、良い意見が残るわけではない。
昨今のインターネットへ明るい者であれば「分散SNS」を知っているだろう。
各々のユーザによって個別のサーバが相互接続し合うことによってSNS網を構築し、中央集権であるTwitterやFacebookの代替として確立されたサービスのことだ。
日本では一時期、分散SNSの実装の1つである「Mastodon」が話題となり、その意義を明確に理解したユーザや、ビジネスチャンスを見出した企業が参入した。
「Mastodonは自分に合わない」「Mastodonは流行っていないのでTwitterに戻る」などの理由で一時期よりはアクティブユーザが減ってしまったが、少々の誤解のある人も居るようなので、最後の方でこの点についても言及したい。
そのMastodonを創始した「Eugen Rochko」氏の提起が分散SNS内で紛糾してしまっている。
So Gab has decided that their own code that they spent $5M of investor money developing is so unsalvageably bad that they're going to use Mastodon's code instead, with the added bonus of leeching off of our apps (with Gab apps being banned from app stores)
This is an early warning to fellow admins to be vigilant and domain-block them on sight, when/if they appear (unconfirmed whether they intend to federate), and to app devs to consider if blocking Gab's domains from their app is necessary.
すべてを翻訳するのは面倒なので要約すると「Mastodonクライアントアプリ製作者はGabのドメインブロックに協力して欲しい」という提起だ。
Gabは早い話がTwitterと同様の2016年に創始されたマイクロブログ系SNSだ。
Gabは言論の自由や表現の自由が尊ばれ、あらゆる発言や表現が許容されるSNSとして成立した。
ここまで聞くと大変素晴らしいSNSのように思えるが、実は「あまりにも自由すぎた」ためにAppleのAppStoreやGoogleのPlayStoreからアプリが排除されてしまうという事態を引き起こした。
何故ならばGabは自由のためヘイトスピーチすらも許容し、北米でユダヤ教礼拝所の襲撃予告に使われてしまった。
そう、Gabは自由すぎたために北米のAlternative Rightの巣窟となってしまったのだ。
ここまで聞けばEugen Rochko氏は正しい。2大スマートフォンプラットフォームにさえ排除されたGabを擁護するのは非常に難しい。
そんなことは分散SNS界隈は全員がと言って良いほど理解している。GabはEugen Rochko氏から非難を受けても仕方がないと皆が思っているのだ。
しかし、何が問題なのかと言えば「MastodonはAGPLを冠している」からEugen Rochko氏の発言は問題とされ紛糾してしまった。
「Richard Stallman」氏が「GNU宣言」を提唱して以降、数多くのFLOSSな成果物が公開され、数多くの情報技術者がそのFLOSSで育ち、日々FLOSSで業務を行っているからこそだ。
GNU宣言は個人の自由は最大限に守られるべきだとし、個人の選択は最大限に尊重するべきだとしている。
AGPLはGNU宣言に影響されたソフトウェアの利用・配布・改変などに関するライセンスだ。非常に自由なライセンスとして知られる。
GNU宣言はIT界隈で一種の聖典として扱われ、IT界隈でリベラリストが育つ土壌となっている。
MastodonはそんなAGPLを冠して開発されており、GabはMastodonをフォークして新たなSNSを立ち上げると宣言した。
Eugen Rochko氏はGabがMastodonをフォークすることへ不快感をあらわにし、フォークすることすらも自由であるはずのMastodonからGabを閉め出そうとしたのである。
それへ対して自由を尊重する分散SNS界隈は当然ながら「待った」をかけたというのが事の顛末である。
イスラム国(ISIS、ISIL)はMastodonと同じくAGPLライセンスで開発されている分散SNSの実装の1つである「Diaspora*」へ参入を表明したことがある。
この件も、分散SNS界隈では紛糾したが、AGPLにはイスラム国のようなテロ組織が利用することを禁じるような条項はないので、IT界隈のリベラリズムはイスラム国のDiaspora*参入を許容した。
分散SNS界隈が取れる選択は「各々の分散SNSサーバの管理者が個人の選択としてイスラム国Diaspora*サーバをドメインブロックすること」くらいなのだ。
これほどAGPLとは自由であり、IT界隈の多くは確固たるリベラルなのである。
だからこそMastodonでは絶大な影響力を持つ創始者たるEugen Rochko氏が「GabをMastodonクライアントアプリがドメインブロックしないとアプリストアからアナタのアプリが削除される可能性がある」というような脅迫と取れるような発言してはいけないのだ。
Eugen Rochko氏自身がMastodonをAGPLライセンスと決めたのであれば、Mastodon開発はAGPLに基づいて運用されなければならない。
Eugen Rochko氏ができる発言は、Mastodonの本家サーバ(デモサーバ)としても知られるEugen Rochko氏自身が運営する「管理者としてmstodon.socialはGabをドメインブロックする。そして他のMastodonサーバおよびMastodonクライアントアプリがGabをドメインブロックするかどうかは管理者・開発者の自由に委ねられる」くらいなもの。
Eugen Rochko氏のGabへ不快感を持つという意志は尊重されなければならない。だがしかしMastodonへ関わる開発者を扇動してはならない。
分散SNS界隈はGabを擁護しているのではなくAGPLを擁護しているからこそ、Mastodonの偉大な創始者であるEugen Rochko氏の発言は紛糾してしまった。
Eugen Rochko氏の発言は結果としてAGPLの自由を脅かす発言となってしまったのだ。
Twitterで自由の権利に関しての話題が紛糾することがままあるが、分散SNS界隈が抱える自由の権利の問題はこの段階まで来ている。
MastodonはActivityPubプロトコルというものに基づいて、Mastodon以外の分散SNSと相互コミュニケーションを取ることができる。
このActivityPubプロトコルで形成されるネットワークをFediverse Network(日本語では連合ネットワークと翻訳されることが多い)という。
つまり、アナタが利用する分散SNSがFediverse Networkへ参加していればSNSの種類が違ってもコミュニケーションについては問題ないわけだ。
例えばもしMastodonが完全に廃れてしまい開発が止まっても、Fediverse Network自体はFediverse Networkへ参加する分散SNSが存在する限りFediverse Networkが消滅することはない。Mastodonが消えるだけなのだ。
もっとわかりやすい例を出そう。Fediverse Networkは早い話が「SNSの形態を取ったE-Mail Networkと似たようなもの」なのである。
アナタがMastodonアカウントや他の分散SNSアカウントを取得するということは、GMailアカウントやYahoo!メールアカウントを取得することへほぼ等しい。
ここまで言うと察しの良い人は段々と気付いてくる。
「もしかしてメールのネットワークが完全に消えてなくなるとは考えにくいように、分散SNSのネットワークも消えてなくなるとは考えにくい?」と。
メールは流行る流行らないという段階ではすでになく誰でもいつでもメールアドレスは取得できるので一種のインフラのようになっているが、分散SNSもほぼ間違いなくそのようになる。
分散SNSアカウントは誰でもいつでも取得できるので、その参入者数はメールのように時間をかけてゆっくりと増え続け、気付けばインフラのようになっているというのが分散SNSのネットワーク特性なのだ。そうなるように設計されているから。
Mastodonが流行る流行らないという部分は問題にするべき部分でなく、というかFediverse Networkの設計上で見当違いな心配なのだ。
要は「分散SNSってメールみたいなものなのね」と早期に気付いた人は早い段階で分散SNSのアカウントを取得したし、それにまだ気付いてない人は分散SNSアカウントの取得が遅れているだけということだ。
おそらくは現在分散SNSアカウント未取得でも、将来的に流行するWebサービスがFediverse Networkへ何気なく対応していて、気付かないうちに分散SNSを使えるようになっているということが発生すると思われる。
DoCoMoの携帯電話を持っただけでiモードのdocomo.co.jpメールアカウントが付いて来たように、流行りのWebサービスに登録したら分散SNSアカウントが付いて来るだろう。
先月の18日。
うちで飼っていた大切な猫が入院した。
2日間飲まず食わずだったため、脱水症状と他にも病気を引き起こしていたようだ。
19日の朝お見舞いにいくも、入院した当初よりも凄く苦しそうだった。
昼に病院から「急いできてください」と連絡があり、病院に着くと心臓マッサージの最中だった。
その後5分もしないうちに、天へと旅立っていった。
この3年7ヶ月毎日一緒に生きてきた。
家で仕事をしているから仕事中も横にきたり、足元にいたりと、いつも仲良くしていた。。。
いつも一緒にいた。
僕は犬・猫どちらも飼った事がなく、特に好きという感情がなかった。
妻に対しても「飼うのは良いけど、世話はおまえがやれよ」と、今思えば酷い事をいえたもんだと。
当然ながら毎日見ていくうちに、愛が芽生えてくる。
最初は妻に押し付けていたトイレの片付けや、お風呂に入れたりと、自分の子供のように育てるようになった。
今年の4月には、仕事部屋にもキャットタワーを置くようにした。
猫を飼った事がある人はわかると思うが、寝てる姿は最高にかわいい。
他にも話せる事はいくらでもあるが、ここらへんで終わりにしようと思う。
僕は亡くなった猫ちゃんのためにも、今まで以上に愛を込めて育てていこうと思う。
だから、亡くなったあの日から毎日泣いていた、泣かない日はなかった、でも泣くのは今日で終わりにしたいと思う。
本当にありがとう。
長文すまん。
人口自然減、出生率1.42というニュースを見てて思ったのだが、金銭的障壁以外にもSNS上の情報による意識の偏向ってのも十分あるんじゃないのか、と思ってる最近。
というのも つい先日、自分にも子供が生まれたのだが、嫁側の周りの反応を見てると、それをトリガーとして夫側の会社の不遇やら、ダメ夫の愚痴を突然リツイートし始めて、「大事に育ててください」みたいな雰囲気を遠回しにアピールし始めるわけよ。
これさ、子供が生まれた側から見ると「いや、当たり前でしょ、お前らに言われんでもそうするわ」という感情しか生まないのはどうでもいいとして、未婚がこんなツイートばかり目にしてたら、「結婚って大変だね、出産なんてとてもじゃないけど」みたいな感覚に陥らない?
自分自身、パソ通の頃から「ネット」という概念と向き合ってたが(年齢は察しろ)、結婚するにあたって、いや嫁と付き合い始めるにあたってネットの意見なんて微塵も参考にしなかった。基本的にネット上の意見ってのは、愚痴を主体としたネガティブ意見がマジョリティであって、幸せハッピーを演出するマイノリティは嫉妬される対象でしかない。人は愚痴という概念に共感を覚えやすいうえに、幸せを勝ち取った者たちの不幸は蜜として吸い取るから、当然といえば当然なのだけど。
そういう本質的な部分をなんとなく感じていたので、結婚、出産に至るまでの過程を思い返してみると「ネットで言われてる愚痴なんて、実生活上における愚痴の数パーセントも無いんじゃね?」というのが実際のところだった。
ところが、未婚の立場からネットの情報を鵜呑みにしてると考えると、これらのネタがあたかも夫婦生活の8割を超えているかのような雰囲気で描き出されているわけで、そりゃ落胆やら失望しか感じないわな。
いや、当然、実際に8割を超えている愚痴だらけの結婚生活になっている人間もいるかもしれんが、それはパートナー選びに失敗したお前らの責任だろう?と突っ込みを入れたいわけで、そんなのは無視をしても良いレベルの情報だとは思う。
そういう中で、うちら夫婦の間では「ネット上には愚痴を書かない」という鉄則を作った。確かに愚痴を書けば馴れ合いによる癒しが得られるのかもしれないが、ネットという特殊媒体では情報が不特定に拡散していくわけで、それらが負の感情しか生み出さないというのを過去の経験上から判っている。それらが未婚者に対して「結婚なんてメリットを感じない」という感情を植え付けていくのを過去の例から痛いほど感じているからだ。
特に女性側ってのは、これを無条件に信じ切ってしまう節があるらしく、かといって幸せハッピーを演じると嫉妬の対象になり、陰でたたかれる存在になる、という状況らしい。(嫁側意見)
これらの実態を踏まえると、SNSが台頭することによって馴れ合いが増長され、友達「と思われる」関係から拒絶されないために不幸情報を振りまくことで、周囲が先のステージへ進めなくなる、というジレンマを引き起こしているのではないか?と思い始めた。実際のところ、「うまくやっているファミリー先輩方」を見ていると、ネット上での情報公開を止めてしまっている事が数多い。何かを書くことで周りの曲解が始まる、というのを薄々感じているのだろう。
結局のところ、「家族」というコミュニティが生まれた時点で、本来は「新しいコミュニティ」へ移行するのがベストなのだろうが、それを出来ない世代というのがいわゆる現状なのではないか。そしてその世代が関係を保ち続けるためのツールがSNSであり、そのツールの方向性が「馴れ合い」になってしまっている、という実態が今の出生率を弾き出している要因の一つなのではないか、と感じたりするわけで。
今回は、透析をする上でのメリットとデメリットについてを患者視点から綴ってゆきますね。
透析をすることのメリットはただ一つー「腎不全死」にならない」の一点だけ。
若い人で言えば、まだ透析を初めて5〜10年くらいであれば仕事の両立が可能です。
しかし、慢性的な貧血な上、年々、体力も消耗し、多くの人は9時〜17時でフルタイムで働くのは非常に難しい状態になります。
反対にデメリットを上げれば、きりがありません。
(1)健常者と比較し、常に慢性貧血状態なので階段の昇降ですらしんどい状況=常に体のだるさを感じる。
(2)食事制限ーカリウムの取りすぎは心不全を起こす可能性が大なので、果物や生野菜摂取、チョコもほぼ禁止。
果物は缶詰か、生野菜は水に浸してカリウムを抜き、茹でたり炒めたりして可能な限りカリウムを減らして調理。
バナナやイチゴやトマトなどパクパク食べると、急性心不全に陥り、心臓が止まりますよ。ホントの話!
過度なタンパク制限ー肉や魚類、ジャガイモ、サツマイモなど根菜類などの食材はタンパクを多く含み、同時にリンを多く含むため、かなり制限がかかります。
肉をしっかり食べられない=血や肉、骨にならないので、日増しに痩せていきます。
じゃあ、何を食べればいいの?って話になりますよね。
まあ、管理栄養士から徹底的に栄養指導されますので、守るも守らないも本人次第でどうぞ。
ちなみにアメリカでは透析患者の食事制限の必要性に懐疑的な医者もいるとか。
確かにそう思います。過度の食事制限がより体を弱らせることになるからね。
月に1回くらいは羽目を外してもいいけど、くれぐれも暴飲暴食禁止で自己管理。
(3)水分制限。透析を開始すると1〜3年を過ぎるとほぼ尿が出なくなるので、当然、水分摂取の上限があります。
透析患者の概ね1日の水分摂取制限量は200〜300cc、多くても500cc程度が限度です。
〜あなたは、ペットボトル1本分(500ML)で1日を過ごせますか?
お酒が好きな人などは1日、50ccくらいで我慢ですね。多くて100cc。
ラーメンなどの麺類、味噌汁、スープなど汁物も数口を口に注ぐ程度。全部飲むと1日分の水分制限料を簡単に越えてしまうよ。
この”水分コントロールが実に厄介”で、水分が取れないと喉が渇くので、必然的に透析患者さんは、「氷を口に含む」など工夫して、喉の渇きを
潤す習慣を身につけなかればなりません。(夏場は本当に地獄。)
=なぜ、水分制限をしなければいけないのか?=
〜透析患者は尿が出ないため、口からとった水分が排出されないが故に、身体中がむくみ、心臓や肺に水が溜まってしまい、あっという間に肺水腫や心うっ血といった呼吸困難を引き起こしてしまうから…。
呼吸困難症状が出てくると、横になって呼吸することができなくなります。
起坐呼吸と言って、座った状態でしか呼吸ができなくなり、苦しくてどうしようもない状況に陥るのです。そしていずれ死に至ります。
(4)塩分制限ー塩分の取りすぎは高血圧のもと。腎臓は血圧をコントロールする機能もあるので、患者は極力塩分を抑えた食事にしなければなりません。
概ね1日の塩分の摂取量は5グラム程度。因みにカップヌードル等はまる1カップ食べると塩分が10グラム以上含まれているので厳禁!
梅干しも塩の塊と考えなければいけません。
どうしても薄味の食事に慣れるしかないので、我慢できない方は高血圧を併発し、脳梗塞の発症のリスクが高いと言わざるを得ません。
さらに糖尿病人症の場合は足の切断、失明など更なるリスクと闘いながらの人生となります。
(5)決められた服薬の厳守。ー腎機能が落ちると、尿が出ないので、体に排泄物が溜まります。
透析によって濾過をするわけだけど、薬によって排便とともにカリウムやタンパク質、リンなどを排出させるのが一般的な治療になっています。
その他にも甲状腺ホルモンを安定させるお薬や降圧剤が必要なので、毎食の薬を飲むだけでも1日の水分量を使ってしまいます…。
〜あなたは、ちゃんとお薬を間違わずに、定時に守って飲めますか?
さらっと簡単に取り上げてもこれだけのリスクが年を重ねるごとに合併症として現れる可能性が高いです。
なお、透析年数が長くなればなるほど、患者さんには様々な合併症が起こりうることを知らない国民が多すぎることもかなり問題なので、次回に続きを書きます。
恨まれてない?というのは、今日ファミレスで後ろにいた若者たちが
「年金糞すぎ。俺たちの金をなんで老害の生活資金に充てがうの?」など言っていた。
まぁそれくらいなら理不尽だもんな、気持ちはわかると感じていたんだが…。
その後の会話が恐ろしかった。
見た目からして若者たちは暴力なんか簡単に振るいそうな感じだった。
こんな子たちにも恨まれてて、大丈夫なんだろうか…と心配になる。
とはいえ、彼らが年金ホントに払ってるの?と疑いたくなるような容姿ではあったのだが。
見た感じ、本気で怒ってたようだし払い続けているのかもしれない。
年金はね、自助しろとかそういう言葉を吐き出す前に搾取をやめないと本当に暴動が起きるよ。
たまにあちらこちらで爆破予告なんかあったりするけど、冗談が冗談じゃなく本気でやってくるような人たちも現れてしまうかもしれない。
若者だけじゃないが国民の首を絞めて金を吐き出させる行為は、あまりにも暴政すぎる。
自助を勧めるならば、今搾取している年金を自助に充てがうようにさせるべきだと思う。
言いたいことは分かるけど「数学的に曖昧さを排除した文章」とやらが絶対に曖昧さを排除できないことはすでに証明されているし、そもそも「曖昧さを排除」しはじめたような何のイノベーションも期待できない言語からは使い手が離れていくので、言語としてはやがて滅びる。
だから、そんなことより目指すべきは、多義的な文章。アホにはアホなりに、賢い奴には賢いなりに届いてノックアウトする文章。でもって、両者に影響して書き手の狙った結果を上げる、それだけでなく、反響を呼びそれ以上の効果まで引き起こしたら、それが最高の文章。
好例が「保育園落ちた、日本死ね」。あれは見事だった。https://anond.hatelabo.jp/20160215171759
愉快犯が組織票で入賞させた、俺たちのアイドルマスターを汚したって嘆いてるオタクにすごい既視感があったんだよね。これ女性ジャンルの人気投票に嫌がらせでモブを1位にして喜んでる男オタクの被害者じゃん!て。夢見りあむが3位になったことにキレてるオタクの中には今まで女性向けジャンルがそういう嫌がらせに憤ってることをバカにしたり冷めた目で見てた人も含まれてると思うけど、自分達がされる側になってみてどうだった?りあむちゃんこれから声がついて曲も出てイベントも開催させるし嫌でも目に入るね。楽しみだね。
まあ外部がちょっかい出してきてきてる今までの女性ジャンルの投票と違って、りあむの3位入賞はりあむ自身のキャラ造形の面白さとか一部Pの選挙に対する不信感とかアイマス内部の要素が引き起こした完全内輪の問題だろうから比べるものではないんだろうけど、それはそれとしてこの件に関してめちゃめちゃ怒ってるオタク見るのすごい楽しいです。りあむのキャラ的に怒りすらりあむっぽいwってネタにされて面白がられるだろうし怒りのやり場が無いよね。自分の負の感情が笑われるのって辛いでしょ。今まで同じことをされてきた人達が少なからずいるってこと忘れないでね。
結構前に3D美少女が簡単に作れると話題だったVカツをいまさら触ってみた。
気づいたら半日経っていたレベルで面白かった。美少女を作り出したり(今回は模写だけど)、自在に3Dモデルが動かすのは面白い! プリセットされたモーションで視点をマウスでグリグリ変えると「すごい、そこに居る」って感じがする。
仕事で使っている3DCADより操作性が良かったので、作りながら時々スカートの下からのぞき込んだりしてみて幸せ。以前モンタージュみたな2Dのキャラメイクで好き放題にパラメータをいじったら、いまいち萌えない属性キメラが誕生してしまった。それで、キャラクターデザインって難しいんだなあということを身をもって知った。だから今回はお気に入りのキャラを模写することから初めて見たんだけれど、やっぱり生き物(かわいい)を作るのは難しい。顔の輪郭とか目とかパラメータが多すぎて、お手本のキャラと3Dの何が違うのかわからなくなった。
うーん、美少女がゲシュタルト崩壊してしまった。目のパラメータの多さを見て、目は口程に物を言うということなのだなと思い知らされた。胸の大きさと体形のパラメータを見たら肉体に対する熱いこだわりみたいなものを感じたし、言語化しずらいけどけど体形って実は個性が宿るんだよなあと痛感。
それで、パラメータを変えてたら身長や足の長さを滑らかに変えてお姉さん体形からお子様体形までスムーズに変えて一番かわいいポイントがあるんだなとわかった。3Dで身長が変わる系の変身やったらおもしろそうだな。3Dだと高身長ガッシリお姉さんに見下ろされる視点も華奢な低身長妹をゼロ距離で見込む視点も自在なので、そこがいい。
「隣の吸血鬼さん」のソフィーというキャラを模写したつもりだった。しかし、出来上がったものはソフィーちゃんのコスプレをしたちんちくりんな女の子になってしまった。服装は黒ワンピ+パンストで、控えめ体形に銀髪で赤目で若干ジト目気味というキャラは一見簡単なように見えて難しすぎた。髪型も服装ももうちょっと自由度が欲しかった。完コスしたのにイマイチ再現度の上がらないコスプレイヤーを見たときのコレジャナイ感を味わえたのでお得と思うことにした。つぎはもうちょっと特徴がハッキリしたキャラでリベンジするかな。
モデルを作った後は着せ替えしたりモーションで動かしたりしてみた。いろいろと衣装を変えてみると、やっぱ美少女は何着てもかわいいわと当然の感想を感じた。さらに、プリセットしたモーションでキャラを動かすとやっぱ美少女は何してもかわいいわと当たり前のことを思った。エアギターのモーションがあって声出して笑ってしまった。モーションには女性っぽい動きと男性っぽい動きがあり、その違いを見ると面白い。美少女3Dモデルに男性っぽい動きをさせると、「こんなにかわいいのに中身オッサンなの!?」感があって胸が熱くなる。黒ワンピの美少女に大きな剣を持たせて躍動的なモーションをつけると、マジでかわいい。後ろから見ると美少女に守られたい願望満たされますよ、いっそもう切り捨てられたいレベルですよこれ。
ちょっと半日かけたのは、美少女のゲシュタルト崩壊を引き起こししまってやりすぎだったかなと思う。でも、やっぱ自分の思い通りの3Dモデルが画面上でグリグリ動いて、下からのぞき込んでみたりしたら楽しい。モーションがついたらすごくかわいい。もうね、つくる過程が癒し。
今後もチマチマとキャラを作って、最強にかわいいキャラをつくっていこうと思う。
次の宿題は、
まえがき
今回、このような長文を書くのが久々である為、
0.はじめに
読者の皆様方、私はアイドルマスターシンデレラガールズ(以降デレマス)にて、
今回の総選挙(人気投票)の中間発表を含め、過去一度も圏内入りをしてないアイドルだ。
一部の声有りアイドルの担当から苦行や修行僧と思われているであろう立場の者である。
その私がこのような文を執筆したのは、
昨今話題になっている「夢見りあむお気持ち表明」の流行が理由だ。
今回「お気持ち表明」が流行した事に対し、私は「今更なのか、」と感じているのだ。
よって、本文では私が本当にお気持ち表明をしたかったタイミングから現在までの流れを
読者と共に追って行きたい。
1.黒白の実装
当時私はデレマスの新アイドル7人実装予告に対し、肯定派であった。
新しいアイドルによってデレマスに新しい風を起こすこと自体は悪いことと思わなかったからだ。
新しいアイドル達は皆ボイス無しであり、一年以上の活躍を重ね、多くのファンの評価を得て、
そんな悠長なことを考えている筈がなかったのだ。
私達に突き付けられたのは恐ろしい情報の波だった。
これは数々のアイドルが多かれ少なかれ辿ってきた
地道な努力、地道な評価獲得、その報酬としての声、その報酬としての歌、
それら全てを否定する行いだった。
私はすぐさま気持ちが怒りに塗れた。
当然だ、
お前達はピエロの役割を良く演じてくれた、と言われたような物だ。
距離を置くと言っても、完全に離れるには全てが遅く、
深みから浅瀬に移動する程度ではあったが。
さて、このタイミングが私にとっては
事実、炎上は中規模に発生し、デレマスを知らない外野にも情報が流れたと言われていたらしい。
炎上は運営担当P(運営擁護派)と呼ばれる者達に押しつぶされてしまった。
私達はその段階で墓の下に潜るべきだったのだ。
墓の下でゆっくりと茶をすすり、
余生を満喫していた私に突き付けられたのは
私は口に含んでた茶を吐き出すかのように驚いた。
オーディションのタイミング等を考えれば当然と言えば当然なのだが、
それでもまさか4人も声付き歌付きになるとは想像だにしていなかったのだ。
しかし、そこに待っていたのは「黒白よりはマシ」という
マシだと?声付き歌付きという要素が問題なのに
その時私は怒りすら沸かなくなっている自分に気が付いた。
その時私はデレマス及びそれを取り巻く環境に「呆れ」を覚えていた。
私はデレマスプロデューサーから、デレマスを知る人間に変わっていた。
運営の無茶な行動は更に続いた。
ピックアップアイドルvs非ピックアップアイドルの戦いの場所でもあった。
ガチャブーストとは、総選挙券の入手条件の一つにガチャの購入に近い要素があり、
しかも初の恒常SSR二つ同時ピックアップでだ、しかも新スキルを装備してだ。
ガチャブースト、及び新スキルの性能によりセールスランキングが大きく伸びたと聞いている。
墓の下にいた私はもはやギャグか何かにしか見えない露骨な行動に
笑いさえ起きていた。
一応炎上は起きていたらしいが、
黒白予告の時期よりはマシだったらしい。
許せない人が去っただけなのだ。
さて、時系列を順番に追ったところで、
本題である夢見りあむについて触れていこう。
私は夢見りあむに対し、悪い印象はあまり多く持っていなかった。
むしろ、りんご・鮫・りあむ(新キャラ七人のうちの声無し3人)
の絡みは好きな方である。
しかし、今にして思えば、りあむに比べてりんごと鮫はもう少し流行って欲しかった
という寂しさは当時から感じていたと思う。
ともあれ、ここで話すべきは私を含め、
お気持ち表明者の数割は夢見りあむに大きな憎悪を抱いていたわけではないのだ。
そんなあやふやな状態が次のような出来事を引き起こしてしまった。
私は画面の前で「呆れ」「滑稽」「怒り」「悲しみ」の4つの感情に支配された。
りあむが3位に行くことはおかしくなかった。
しかし、そういったバズった者勝ちを私は認めたくなかった。
その時の私はその結果に納得してしまった、自分の努力を笑ってしまった。
そらそうなる、私は結果を追いながらつぶやいた。
そしたらどうだろう、どこからともなく、りあむに怒りを向ける者達が現れ始めた。
「りあむは実装して日がたっていないのに」
その流れに呆れを通り越して笑っていた私はまた呆れた。
「なぜ今更、黒白の実装タイミングで怒るべきだっただろうそれならば」と。
おそらく、この言葉を聞いたお気持ち表明者は言うだろう、それとこれとは話が違うと。
そんなわけがない、新参者に歌うべきだったアイドルの席を取られたという事実は何も変わらない。
これは黒白で怒らなかった君らが平和ボケしてただけだ。
デレマスは黒白の予告の日に壊れていたのだ、夢は終わっていたのだ。
まとめ
長々と話してしまったが、要点は以下の通りだ。
・黒白の予告時点でデレマスを離れなかった時点で全てが遅い
・黒白の時点で夢は終わっていた
以上を持って、私のお気持ち表明を終了させて頂く。
つたない文章で申し訳ないが、これで怒っている者達の怒りが覚め、
私の居る墓の下に来てくれることを願うばかりである。
最後に
ミスには目を瞑って欲しい、
内容に触れないということだけは避けてほしい為である
長い間鬱状態で苦しんでいたけど、野菜を摂るようになったら嘘みたいに回復した。どうやら俺は鬱ではなく、低血糖症によって精神障害を引き起こしていたようだ。
鬱だけではなく、幼少期から悩まされていた慢性的な下痢も改善されたし、心の奥底から勇気と希望が湧き上がってくる。なんなんだこれは。
これが野菜の力なのか。なぜもっと早く教えてくれなかったんだ。
躁転したわけではなく、24時間平常心でいられるようになった。躁状態だと途轍もない多幸感に包まれたり、はたまた鬱状態だと死にたくなったりするけど、今はそんな症状もない。
躁転してないって言ってるでしょうが。俺は鬱じゃなくて低血糖症による精神障害を引き起こしていたわけだから鬱でも何でもなかったわけ。変な難癖をつけられても困るんだけど。
それと「なんで野菜で低血糖症が治るの?」っていうコメントがよく目に留まるけど、野菜を摂ることによって低血糖症の「食後に血糖値が急激に上がって空腹時を下回るまで急激に下がる、ずっと低い値で推移する、乱高下を繰り返す」という3つの典型的な症状を防ぐことができるようになったわけ。低血糖症は「血糖値を調節できず、安定した血糖値を維持することができない」病気だからね。それくらい調べてくれ。あとは知らん。
腸管には多様な微生物が大量に住み着いており、これらを総称して腸内微生物相という。腸内微生物相は、特に代謝や免疫の発達において、宿主に重要な恩恵をもたらすが、微生物相と宿主の関係が乱れると、炎症性腸疾患やメタボリックシンドロームと総称される肥満関連疾患群など、多くの慢性炎症性疾患に結び付く。腸管を微生物相から守る第一の障壁は腸管表面を覆う多層構造の粘液で、これによって腸管内壁を覆う上皮細胞は、大部分の腸内細菌と安全な距離を保つことができる。つまり、粘液と細菌との相互作用を破壊する薬品は、腸内炎症が関わる病気を助長する可能性がある。従って、加工食品に広く使われている乳化剤(洗剤に似た性質の分子で、in vitroで細菌の上皮通過を促進する作用を持つ)が、20世紀半ば以来の炎症性腸疾患の増加を促進しているとの仮説が出されている。今回我々は、一般に使われている2種類の乳化剤、カルボキシメチルセルロースとポリソルベート80が、比較的低濃度で野生型マウスに軽度の炎症と肥満/メタボリックシンドロームを引き起こし、これらの疾患の素因を持つマウスでは重度の大腸炎になることを明らかにした。乳化剤が引き起こすメタボリックシンドロームは、微生物相の侵害、微生物種の構成の変化、炎症促進作用の上昇につながる。無菌マウスを用いて糞便移植を行ったところ、このような微生物相の変化は、軽度の炎症とメタボリックシンドロームの発生に必要かつ十分な条件であることが示された。軽度の炎症につながる宿主–微生物相の相互作用の乱れが、肥満やそれに関連する代謝作用を助長するという見方が最近出てきている。今回の結果は、この見方を裏付けるものであり、さらに、乳化剤の広範な使用が、肥満/メタボリックシンドロームや他の慢性炎症性疾患の社会的な増加要因の1つとなっている可能性を示唆している。
今、残業中なんですけどもうデスクで涙をこらえるのに必死で何もできないので気をそらすためにも自分の話を書きますね それぐらいは許される職場なんです。いいでしょう。私がすべて悪いだけの、きっといい職場なんです。
私は小学校と中学校、合計で五年間ぐらい不登校(保健室登校)でした。原因はなんだろうな。今考えてもわからないんですけど、とにかく行けなかったんですよ。なんでだろうね。
面倒くさかったんです。たぶん。鬱かなってちょっとだけ思ったりもしたけど、でも、私は当時からオタクで、ネットで動画とかを見て笑ってたからただの甘えだったのかもしれない。徹頭徹尾、甘えているだけの人間なのです。小学校の三年か四年から二年ぐらい通えなくて、六年生で復帰したけど、中学校一年でまた行けなくなりました。勉強ができないわけでも無かった。昔から地頭は良い方で、ただ集中力は無かった。何事も長く続けられなかった。極度の面倒くさがりで、家事も何も一切できなかった。
両親は、学校に行きたがらない私を叱ることもなく、いろいろ考えてくれました。なんたらスクールみたいな不登校児の集まるところに連れて行ってくれたり、カウンセラーが居る部屋に週数回だけ通うように調整してくれたり。
結果としては、私は自分の中でなんで教室に行けないかわからないまま中学の三年間を過ごして、そのまま都立のチャレンジスクールっていう学校に進学しました。都立高校で、定時制。
そこには私みたいに理由もなく学校に行けなかった人って全然いなくて、病気だとか、働かなくちゃいけないから夜間で通うとか、親が離婚してから生活が変わって学校に行けなくなったとか、たくさん理由があったんです。私はなんで自分がここに居るんだろうってちょっと思ったりもしたけど、未だに仲よく遊ぶ友達ができたのもここでした。
でも高校はやっぱり三年しかなくて、私は大学に行くことにしました。良いなと思った大学を目指して、母がこのころ癌になったのに無理して私に英語の家庭教師までつけてもらったけど、受かりませんでした。その年だけ倍率が平素の三倍ぐらい高かったんです。なんでだろう。
結局私は担任の先生の勧めで、少し遠いけど私なら絶対入れる私立大学の文学部に入ることになりました。試験はびっくりするほど簡単で、これなら中学生時代の私でも入れるな、と思いました。教科は現代文だけでした。
でもこの大学で、私は今でもたくさん遊びに行く友人ができたし、その一人は先日入籍もしました。おめでとう。
大学は面倒くさいこともたくさんあったし、さぼったりもたくさんしたけれど、たぶん楽しかったんだと思います。バイトを始めたのも大学に入ってからです。最初は友人の勧めで飲食で働いていたんですが、給料未払いで数か月で辞めました。
次に私が応募したのは、カードゲームのショップでした。ちょうど流行ってたんです。シャドバなんて出る前で、ハースストーンは一部の人しかやってないし、MTGはオンラインが全然無かったころの話です。私はろくすっぽカードゲームなんて知らないままそこに面接に行って受かりました。
仕事はたぶん楽しかったです。結局二年半ぐらいやったのかな。みんなオタクだったし、嫌な客もいたしわかんないこともいっぱいだったけど、それでもバイトって責任もなくて気楽だったし、本当に楽しかったと思う。
その時直属の上司だった男の人とは今でもなんだかんだ年に数回会って、二人で飲んだり二回ぐらい日帰り旅行したり誕生日ディズニーしたり一緒にコンサートいったりします。私たちの関係は何なのか、こうやって書きだしても未だによくわかりません。良い友人なのかな。友達以上恋人未満の関係、結構好きです。気楽だし。いい関係ですよね。
そして私はバイトと遊びと勉学と文化コンテンツで日々を過ごしました。三人しかいないゼミでひいこら卒論を書き、その間に就活をしました。
私の父は大きな会社でそれなりに能力もあって、管理職ではないけれど責任感のあるポストについています。そんな彼と日々話をしたりしているうちに、私もこの業界にしたいな、と漠然と思っていたので、そこを受けてみることにしました。一応ほかにも数社受けました。
受かったのは二社。もう一つは金融系の会社で、少し怖くて辞退しました。その時私は卒論が楽しくて、就職の方がたぶん大事なのにそんなこと全然考えてなかったんだと思います。
そうして弊社に決めました。もうゼミ以外には大学に来る予定なんてなくて、バイトばっかりしていて、オタク趣味にお金を使いたかった。早く就活を終わらせたかった。
もともと視線恐怖症なのもあって、沢山の人がいる中で自分をアピールしたりすることが怖かったのかもしれない。
私は卒論を頑張って(学部で優秀賞をもらいました)、大学を無事卒業して、弊社へ入りました。
入ってから、ああ、結構体育会系というか、業種のくせに古臭い企業だな、と思った事は事実でした。けど、父が言うにはこの業種の中小はみんなこんなものだという話だったので、特に気にしませんでした。自分にマメさが求められる事務職は向いていないと思っていたからです。
それでも今の部に配属されて、訳の分からない言葉はいっぱいだし、教えてくれる先輩の一人は私に教える片手間ずっとグラブルをやっていた。もしかしたらグラブルをやっている片手間私に色々教えてくれたのかもしれない。
今のオフィスは、弊社の大口顧客(元請け)がほぼほぼ占めているビルです。
私は二年間、同じプロジェクトで、ワーカーホリックの上司の下で仕事をしました。
上司はイエスマンだから無茶な仕事をいっぱいもらってきちゃうし、自分がワーホリだからほかの人も同じぐらい働けるとか思っていたし、謎に有り余る体力で飲み会とかにも大体参加していましたが、怒らないし、わからないというとある程度は聞いてくれたりするし、たぶんとってもいい人でした。私が生意気言っても怒りませんでした。ただ彼自身は毎月残業60時間とかいってるワーホリでした。いまでもそうです。
それでもそのプロジェクトは楽しかったです。つらいこともたくさんあったけど、愛着もありました。
なんだか身体がおかしいな、と思ったのは去年のどこかぐらいからだと思います。去年は忙しい月が数回あって、残業が40時間を超えるぐらいの月が飛び飛びに数回ありました。
昔から起きるのが早くて、朝五時とかに起きちゃっていたんですが、三時ぐらいとかに起きちゃうようになりました。
私はスマホ依存症に近いものがあって、何かあるとすぐスマホを見ちゃうんですが、それのせいもあったのかもしれません。睡眠の質がきっとどんどん悪くなっていきました。
プロジェクトは今年の春が大詰めで、みんなピリピリしてたし、急な雑務も増えました。
視界が一瞬真っ白になって、風呂場の椅子に座りこんだと気が付いたときには、身体のいろんなところが強くしびれていました。特に強かったのは手で、勝手に力強く握りしめられていて動かせませんでした。
母を呼びました。母は全裸で浅い呼吸をしながら手を強く握りしめている私のことをひどく心配してくれました。父も風呂場の外にはいてくれて、状態を調べたり、スポーツドリンクをくれたりしました。
その日は固まった手で何とか飲み物を飲んで、少ししたら回復しました。
でも、結局数日たってからも体調がすぐれず、午前半休を取って病院に行きました。
あのしびれの正体も知りたかったからです。結果は「抑うつ状態から過呼吸を引き起こしたのでは」ということでした。
お医者さんには産業医面談を受けるように言われました。私は素直にワーホリ上司へそのことを話して、午後に出社しました。
休憩スペースで面談をしました。診断の詳細、そして産業医面談というものを受けるかどうか。
受けるなら俺から上に言うよ。そういわれて、少し困りました。プロジェクトが本当に大詰めだったからです。私はその時まだ二年目のぺーぺーでしたが、そんな私でももしいなくなってしまったら困るかもしれないと思ったからです。結局上司はそのあと産業医面談の話はせずに、春からの仕事の話をされて終わりました。
その週の金曜日、私はどうしても体調がすぐれず、うまく動けなくて、会社を休みました。
私自身が、どうしてこんなにストレスを感じているかがわからなかったからです。それが仕事のせいなのか、無意識にプライベートでため込んでいたのか(その時ちょうどフォロワーとちょっとトラブルがありました)、単純に満員電車がストレスなのか、わからなかったからです。
翌週、私のところにやってきたのは課長でした。
「別に産業医面談を拒否するわけではないし、受けたいなら調整するんだけど」彼の言葉はこう続きました。「俺たちの権力より上だから、部署移動とかを指示されたら逆らえないしなあ……」
課長は私が部署を移動することになってしまった場合の人間リソースの低下を懸念していたのです。
「とりあえず、今月は今のプロジェクトを頑張って、春以降もう一度相談します」私は言いました。
もしかしたら、本当に私が居なくなったことでこのプロジェクトにクリティカルな何かが発生してしまうかもしれない。それが嫌だったのです。課長が明言してしまうことで、それが私のせいにされてしまうのも嫌だったのです。
薬を飲んでいれば出社はできました。なぜか倒れたときから咳が止まらないけれど、風邪が長引いているのだろうと思いました。
私は抗不安剤と睡眠導入剤を内科でもらっていたので、薬がなくなった時についでに咳止めの薬をもらいました。
咳止めとして飲んだ抗生剤と私の相性が悪かったのかもしれません。私は朝の満員電車の中でお姉さんに助けてもらい、途中の駅で降りて、でも歩けなくて、駅員さんに車いすに乗せられて詰め所みたいなところの長いすに横たえられ、母親が来るのを泣きながら待っていました。
母は病気です。私が高校の時からずっと治療しています。手術もしました。私なんかよりもずっと大変なのに、毎日ご飯を作ってくれて、こうして迎えに来てくれるのです。私は親不孝者でしたが、母が迎えに来てくれたので、駅から外に出ました。その日は散歩をして、会社を休みました。
体調の悪化が治りません。毎日薬を飲まないとうまく動けません。
それでも日は回るので、春から新しいプロジェクトに参画することになりました。すでにある程度進んでいるプロジェクトは初めてでした。
私はわからないなりに、以前の経験と知識を使って頑張ろうと思いました。そのプロジェクトの上長は先日面談をした課長でした。
参画してから一週間ほどした日、私は唐突に課長に仕事の依頼を受けました。
この業種において、一から自分で作ることは大して難しくはありません。今のプロジェクトの様子確認も兼ねて、大丈夫です、やります、と言いました。
どうやら課長のその認識が根本的に間違っていたらしいと知ったのは、その週末のことでした。
どうやらそれは、私が触ったことのないソフトを触って、すでに動いているシステムに「絶対にミスをすることなく」仕様追加をするというものでした。
私は困惑しました。だって自分が触ったことのないものを「ミスなく」と言われても困ります。練習ができません。経験もありません。
しかも、それは私一人でやるという話でした。ベテランの技術者が後ろについてくれると言いましたが、彼は他の仕事で忙しく、週に一回、数時間様子を見てくれるだけでした。
彼がとっても忙しいのは知っていました。だから仕方ないとは思いました。上長に聞いていた話と全然違っても、もう請けちゃったと言われたら若手にはどうすることもできませんでした。
元請けからはことあるごとに「絶対にミスは許されない」と言われました。私は状況の調査から始めました。
手順書や設計書は用意されていました。ただ、前任の会社が中途半端に撤退していたため、それが正しいかどうかの調査から始めなければなりませんでした。
けれど、私が触ったことのないソフトウェアの設計違いを、どうやって見つければいいのだろう。それはとっても疲れることでした。
上長はいつもなぜか忙しそうで、私が疲れたとか、産業医面談の話についてを問いかけることは憚られる雰囲気でした。半分炎上していたのかもしれません。プロジェクト未経験が私含め半分以上を占めていた上に、その中で唯一構築経験があった私が一人での仕事に回されてしまいました。
ポテンシャルって便利な言葉ですよね。とりあえずそう言っておけば良い感をひしひしと感じます。絶対失敗できない仕事を依頼されたなら、失敗しない人を連れてくればよかったのです。
私はそれでも何とか資料を調べて不明点を上げ連ねて、ベテランと上長との進捗報告に参加しました。訳が分からないことだらけでした。たくさんのことを言われましたが、すでに集中力が平時の半分ほどしかなくなっていた私にとって、それは呪文のようでした。半分ぐらいわかりませんでした。わかったふりをしました。
産業医面談に行けなかったので、有名な精神科のある病院の予約を取りました。その時にはもう、睡眠導入剤がないと眠れない生活になっていました。
新しい病院で、紹介状は無いんですとだけ伝えて診察を受けました。睡眠導入剤のほかに睡眠安定剤をもらいました。でも、睡眠安定剤を飲んだら昼間もものすごく眠くなってしまったので、二回しか飲めませんでした。結局抗不安剤と睡眠導入剤だけを今でも飲んでいます。飲まないと眠れないし、仕事に行けないからです。
このころから、ホームで電車に不必要に近づいてしまうようになりました。(私が使っている路線は都内なのにホームドアがないのです)無意識でした。私は死にたいのかな、と思うようになりました。
転職をすればいい、とか、周りの友人は言っていましたが、どう客観的に見たって私のメンタルが弱いだけの甘えなので、私が悪いのです。昔から私が社会や親に甘えているだけなのです。その自覚があったし、転職はとっても怖いもののように思えて仕方がありませんでした。だって自分には実力がないのです。転職活動で落とされることも怖かったです。評価されないことは、訳の分からない仕事を一人でやらされることと同じぐらい怖いことでした。
今日も偉い人たちを交えての打ち合わせがありました。私はやっぱり、「絶対にミスできない」ということを念押しで言われました。それならなぜ、ソフトウェアに触ったことがないたかが三年目の私がその仕事をしなければならないのかがわかりません。他の人にも仕事内容の相談ができません。調べても全然出てきません。他のメンバーはいろいろみんなで相談しながら前に進んでいるのに、私は自分が一つわからないことがあるだけでそこに立ち止まってしまいます。解決策がわかりません。どうすればいいかわかりません。集中力がなくて、どうすればいいかもよくわからなくなってしまいました。
少し、辛いな、と思いました。
別に残業が数百時間だとか、あまりにも激務だとか、そういうことはありません。家族はとっても優しいです。私はきちんと笑えています。両親はたくさんのことに関して理解もあります。母は自分の身体も悪くて病院に通っているのに、私が精神科に行くとき一緒についてきてくれました。
部長も課長も主任もワーホリですが、きちんとしてはいると思います。中小ですが、それなりに長く続いている、頑張っている会社です。
だから、私があまりにも社会に甘えているだけなのです。私が弱くて、今まで甘やかされてきたから、ちょっと普通なぐらいのところに来ただけで耐えられなくなっているのです。
それは悪いことだと思っています。だって私が弱いのが悪いんです。甘えなのです。でも、強くなる方法がわかりません。
どうしてこうなったんでしょう。生まれたときから弱かったのでしょうか。私はどうすればいいのでしょうか。何が悪かったのでしょうか。仕事ができないことが悪いのでしょうか。
薬を飲んでいるとお酒が飲めません。友人との飲み会も、友人が気を遣って飲み放題プランを外してくれます。気を遣って一緒にソフドリを飲んでくれようともします。
優しさが申し訳ないです。私が弱いだけなのに。私が弱くて薬を飲んでいるだけなのに。
仕事が嫌いなわけじゃありません。色々考えて、正解を導き出せたときや、トラブルを解決できた時はとっても楽しいです。
ただ、たぶん、もう一人だけいたら、こんな気分になっていなかったのかな、とは思います。自分にとって、「絶対にミスできない」一人きりの仕事が、案外つらいのでしょう。ゆとりなのです。弱いのです。世間様に甘えているから仕方がないのです。責任を一人で負いたくないのです。「わからない」と隣に相談する環境が欲しいのです。
会社の最寄りの駅にはホームドアがありません。今は想像するだけだと思ってはいますが、段々と黄色い線の向こうを歩いていってしまって、いつか飛び込んでしまったら、と思うととても怖いです。それも、私が弱いからなのでしょう。
生きたいです。オタクは楽しいし、ちゃんと毎日笑っているし、友人もいい人がいっぱいいます。でも、いつまで生きればいいのか、よくわかりません。勝手に涙が出たり、ベッドから動けなくなってしまいます。
私よりもっとつらい人はそれこそ数えきれないほどいるはずなのに、どうして自分はこんなにも弱いのか。どうしたら強くなれるのか。
なんで生きてるのか、わからないのです。
それを吐き出したかっただけなのです。
数年に1回レベルで出るんだけど、今まで口内炎が外の唇にでただけだと思ってた。いつも数日で治るし、ちょっと痛いって言うのも憚られるレベルの痛みしかないし。
でもこれ感染時には即気付けないし、一度感染すると神経節にひそんで根治しないらしいしちょっと怖いね。昔は性器ヘルペスとは違うウィルスだとされていたらしいけど、今は40%くらいは1型単純ヘルペスウィルス(昔から口唇ヘルペスの原因とされてきたもの)が性器ヘルペスを引き起こしているらしいとのこと。
幸い(?)、今はセックスパートナー居ないし伝染す可能性はあんまないだろうけどなんかこわいね。いつ頃から感染してたのかもわかんない覚えてない。親からかもだし付き合ってた彼女からなのかも?めんどくさいウィルスだなぁ