はてなキーワード: 入学式とは
私は在学中の卒業間近というところで進路や卒論や自分の存在価値に行き詰った。
家を出られなくなった、電話線を抜いたりもした、3年ほど家と近所のスーパーやコンビニを往復する日々。
心も体もよれよれになりながらもなんとか今まで社会で生かしてくれている親や世の中には苦しみもあれど感謝している。
知っている東大生や東大院生の中には国家のために働いている人もいれば、誰でも知っている大企業で働いている人もいる、
中退した人もいれば、会社を興した人もいれば、結婚してパートやっている人も、消息不明になった人もいる。
入学式の日はキラキラしている、そして色々な出会いと別れもあるだろう、順風満帆な人生かもしれないし、荒波にもまれて難破する人生かもしれない。
今年は入学式ないわ
子供が新小1なんだけど、用具の名前付けがありまして。筆記用具やら教科書やらノートやら。それ自体はまあ普通で、幼稚園の時にも名前付けはありました。
ただ「さんすうセット」。これがいけない。なんだこれ。拙者たちの時分には無いものでした。サイコロ、おはじき、時計の模型、etc…。色々ござる。1枚ずつに120までの数字が書いてあるカードとか。「けいさん棒」なんてのもある。綿棒くらいの大きさの棒が100本ほどござる。そして「けいさんかあど」、これも多い。2+3など簡単な計算が書いてあるカードで180枚くらい。
数がそれほどではないけど細かい物もある。おはじき、プラスチック製硬貨、得体の知れないマグネットブロック「すうずぶろっく」(訛りだろうか?)。
諸々入ったさんすうセットですけども、これらの名前付けってのが全部に対して必要である。全部?それってどういう範囲での全部です?いや、全部。全部?全部だ。
ひえー。手書きで?いやまさかまさか(笑)。文明の利器、名前シールがあります。楽天等でさんすうセット専用のものが売っております。大変便利、名前がプリントされた大小のシールが約800枚入りでございます。これが文明でございます。いやいやいや。800枚ってお前。800枚入ってるって事は800個に貼るって事だぞ。馬鹿かこれ。しかも名前シールにピンセットも付いてくんの。サービス良いね。いやいやいや。ピンセット付いてくるってお前。ピンセットが必要な作業って事だぞ。文明の辿り着いた場所がこれかよ。
このさんすうセットを入学式の日に渡される。3月中渡しの学校もあるらしい。しかし我が子の通う学校は入学式渡しである。すなわち馬鹿である。これを授業始まる日までにやれってか。アホってか。共働きの家とかどうすんのこれ。できないでしょ。できんの。やれる?やれるのか、おい。専業主婦の存在を前提とした悪しき時代の遺産とかなの?でも昔こんなん無かった…。無かった…。
うちより大きい子の居る家から噂には聞いてたけど、ダメでしょこれ。いかんでしょ。そのくせ終わっちゃったら「いやあ、あれは大変だったねー」レベルの思い出になってしまうやつでしょ。こういう恨み骨髄まで達さない癖に大変な一回きりの作業って、改善もされないから一番ダメなやつでしょ。
アホ。やりたくない。今しろ。今どうにかしろ。350枚くらい名前シール貼った。半分いってないの?ア…ア…ア…(絶望の表情)
大体これ各家庭一つずつ所有する必要あんの?クラスの備品にすりゃ良いんじゃないの。学校所有にして必要な時に貸し出しゃいいでしょ。と思って検索したら10年前既に通過した道だったわ
http://www.asahi.com/edu/tokuho/TKY200906010225.html
ただ通過してるわ。通り過ぎてて何も変わっとらんわ。殆どの家庭が一度しかやらないので廃止ムーブメントが盛り上がらない。私は現象になりたい。毎月末に各家庭のさんすうセットの名前を消して回る現象になりたい。そうすれば皆気付くであろう。目覚めるのです。
あとついでに、欠席の連絡もちょっと前に噂になった例のアレである。朝、近所の家に連絡帳を託して学校に持って行ってもらうシステム。電話連絡は不可。なんだー。幼稚園だとアプリで連絡できて楽だったんだけどこれコミュ障の親子どうすんの?いや他人事みたいに言った。うちがどうすんの。名前シールも貼れない大人が朝からまともなコミュニケーション取れます?ほんでPTAからの配布プリント見たらベルマーク貼る係がいんの。あ、これもはてブで見たことある。何時間も掛けて0.5円のシール分類したり台紙に貼ったりします?良かったらうちのピンセット使います?マジかー。これも現実だったかー。私立校だと違うんかなー。なんかこう、私立だと凄いのあんじゃないの。そもそも電車通学の私立小なら連絡帳託すシステム無理だし。例えば電話で欠席の連絡が可能だったりする画期的な…。ひっ、これが格差社会!
小さい頃から引っ込み思案で、小学校、中学生、高校、大学、大学院(修士で別の大学に行った)の入学式では、また新しく人間関係を構築しなければならないのかと胃が痛くなった覚えがある。
友達を作るのも、友達でい続けるのも得意ではない。今まで関係が続いている友達は三人くらいしかいない。私からも誘わないとと思うのだが、迷惑がられたらどうしようと思うと連絡ができなくなる。
好きになった人に告白したこともない。気持ち悪がられたら立ち直れないからだ。告白してきてくれた人と、断りにくくて付き合い、私がやっぱり好きになれなかったり、向こうが愛想をつかして別れる(このパターンが多い)ということを何度か繰り返してきた。
この記述でわかるように、私は自分が傷つくのが怖くて、自分が一番大切で、自分の気持ちとか存在とかを度外視して人にぶつかっていくことができない。
まずは親の影響だ。これはかなり大きいと思う。ただし、それで親を恨んではいないし、むしろ好きだ。彼らは友人がほとんどいなくて、社交性もあまりない。家族全員がいわゆる陰キャである。
それから、私は空気が全然読めないのだが、多分そのせいで小中高といじめに遭った。田舎の閉鎖的な環境だったから逃げ場がなかった。
そうして、人間関係において受け身で消極的な人間ができあがった。
周りにいる社交的でぐいぐい距離を詰めていける人を見て、あんな風になれたらなぁと羨むけど、彼らとは育ってきた環境が違うのだし、無理して真似してもストレスになるだけだとも思う。
心のどこかで、私は子供の頃受け身人間養成コースに在籍せざるを得なくて、彼らはきっとそうでなかったのだから、いまは私が受け身で彼らに積極的になってもらってもいいじゃないか、これは辻褄合わせなんだ、などと思っているのだ。
しかし、よくよく考えてみると、これは
子供の頃恵まれず貧困の中満足な教育も受けられず過ごしたのだから、金持ちで十分な教育を受けた「持てる者」からちょっとぐらい色々なものを奪ったっていいじゃないか、辻褄合わせだ、
そう思うと、やっぱり今からでも変わる努力をしなきゃいけないような気がしてくる。でも、コミュニケーションを頑張った日は酷く消耗して、次の日が休みの場合一日中寝込んでいたりするので、精神的肉体的負担が大きい。そのうち慣れるのだろうか。でも本当の自分と大きく外れた振る舞いをして頑張るのは何だか間違っているようにも思えるのだ。
まとまらなくなってきた。私はどうしたらいいんだろう。
うーあー、ぼぼぼぼ(挨拶
追加で1人増えるのは知ってる。でも入学式ではそいつに2人付いてて、学校判断でもう一人通常学級から回したのかと思った。
入学式なんて教師は立ってるだけだから、式だけの措置かもしれないか。
猿のせいで狭い教室で生活させられてるんじゃないってわかったよ。
ぼぼぼぼ(感謝
そろそろ卒業式ラッシュも終わり、新しい生活に右往左往してる頃だと思う。
入学式の最中も「うー、あー」とか「ぼぼぼぼぼ」とかひっきりなし。
校長の挨拶の最中もPTA会長の挨拶の最中も鳴りやまぬBGM。
そいつ自身は特殊学級だし、クラスメイトとはそんなに交流しないから、普段はあまり問題無いとは思うんだけど!
・同級生は今後3年間式の最中はやつの雑音を我慢し、奴に合わせる事を強要される。
・その学年だけクラスが一つ少ない。おかげで教室はギチギチ。人数が少ないだけかもしれないが、
もしかして奴に付き添うわなければいけない教師が出てきて担任の数が足りなかったか?
あと、あんなチンパンジーみたいなのが付き添いがいるとはいえ野放しで学校内にいる状態で問題は起きないのか?
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 47 | 9709 | 206.6 | 31 |
01 | 28 | 4282 | 152.9 | 50 |
02 | 15 | 2162 | 144.1 | 35 |
03 | 3 | 213 | 71.0 | 35 |
04 | 6 | 5393 | 898.8 | 129.5 |
05 | 7 | 245 | 35.0 | 25 |
06 | 16 | 1873 | 117.1 | 92.5 |
07 | 20 | 3429 | 171.5 | 66.5 |
08 | 44 | 4157 | 94.5 | 41.5 |
09 | 82 | 6359 | 77.5 | 39.5 |
10 | 107 | 10353 | 96.8 | 39 |
11 | 129 | 11845 | 91.8 | 46 |
12 | 143 | 8661 | 60.6 | 29 |
13 | 120 | 6443 | 53.7 | 31 |
14 | 103 | 10440 | 101.4 | 45 |
15 | 106 | 10093 | 95.2 | 35 |
16 | 115 | 10327 | 89.8 | 36 |
17 | 116 | 13590 | 117.2 | 39 |
18 | 125 | 10450 | 83.6 | 35 |
19 | 107 | 12465 | 116.5 | 40 |
20 | 74 | 8467 | 114.4 | 53 |
21 | 102 | 12617 | 123.7 | 41 |
22 | 99 | 15637 | 157.9 | 47 |
23 | 115 | 13645 | 118.7 | 40 |
1日 | 1829 | 192855 | 105.4 | 39 |
エックスキースコア(6), 4月8日(6), テクテク(3), 茶漬け(3), ガヤ(3), ソビエト(3), 推定無罪(15), 肖像(4), 紙幣(13), 正装(3), 着払い(3), 司法(11), 京都(21), ベーシックインカム(6), 誇り(9), 技能(5), 鳥(7), 告知(5), 被る(5), チビ(4), 重なっ(4), 看板(8), 投票(17), 5000円(6), 吸う(6), 銭湯(7), 犯し(7), 働か(10), 新(14), AM(12), PM(12), 逃げる(12), 知能(8), 実態(8), 地方(21), 安倍(10)
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泣くほどさみしい。
死すら願うほどに。
命すら生み出したいほどに。
臨月を過ごし、無事出産。そして床上げ、実家から自宅へ帰った。新幹線でも数時間の距離。
実家の父母とは仲も良く、みんなで旅行に行くような関係性で、今回の里帰りもとても楽しく過ごし存分に甘えさせてもらった。
可愛い我が子と、喧嘩もするが大好きな両親と、日々の暮らし。幸せだった。
30代にもなったのに大人になりきれないのだろうか。両親と離れるのが死ぬほど辛い。
旦那と暮らせないことよりも実家を離れるほうが断然寂しい。誰にも言えないが、旦那が迎えに来る日は本当に嫌で嫌でしかたなくて、事故にでも合ってくれたらまたこのまま実家で暮らせるのにと本気で考えたし、今でもその思いは、脳の引き出しの割りとよく使う棚にきちんとしまわれている。
3人目は考えていないし、万が一出来たとしても、長く里帰りすることなどは到底無理だろう。上の子には学校もあるし、ヤンチャな時期の子供を2人も抱えて里帰りすることの気苦労を想像するだけで胃が痛くなる。
数年前の話だが、1人目の里帰り終了時も例に漏れず、帰宅後は1ヶ月ほど毎朝泣いていた。
朝起きたら母がいて父がいて、おはようと声をかけて、ニュース番組にツッコミを入れながら朝ごはんを食べる。そんな和やかな時間は失われた。
旦那は早朝に仕事に出かけてしまうため、言葉の通じない赤子と二人きり、誰の声もしない朝を迎えるたびに涙が溢れた。
でもその時はまだ未来に夢があった。
「2人目を産む時はまた帰れる」
愛しい葬儀屋に会うために、身内を殺す女の話を思いだす。
産後はホルモンバランスがこれでもかと崩れる。毛は抜け、肌は荒れ、情緒はゼリーで出来たジェンガのように脆い。
この辛く寂しい気持ちも、そのホルモンバランスの悪戯だとわかっている。現に1人目を産んだ時は寂しさを少しずつ忘れることができたし、旦那と子供の3人暮らしを楽しく過ごせていた。
でも今、今、
この瞬間に死ぬほど寂しいのだ。
殺したいくらい辛いのだ。
怖い夢を見て、母のベッドに潜り込む我が子のように、寂しさから逃げて実家の屋根の下で安心したい。母のぬくもりに包まれて再び眠りにつける我が子が羨ましい。
今、結婚する前にタイムスリップすることが出来たなら、全力で止めるだろう。
さみしいつらい。
さみしい、つらい。
現実にこんな話をする子持ちのおばさんがいたら皆引くだろう。しかも涙まで流し、世間的にも私から見ても「出来た旦那」の命すら惜しまないと語るのは異常だ。匿名でしか吐露できないこの気持ちを、文字に起こすことで少しでも捨てたかった。(が、実家への慕情を確認し募らせる行為にしかならなかった。)
人間は忘れていく生き物だし、あと1ヶ月も経ってホルモンバランスが落ち着けばこの気持ちも緩和されるだろう。
でも私はきっと思い出す。
流れる晴れた空を見つめながら
孫のおむつを替える母の手を
眠る孫を見つめる父の横顔を。
孫と手を繋いでコンビニへ行く父の背を。
今後、子供が成長する節目のたびに
夜に布団の中でそっと泣くだろう。
入学式を終えたその足で、ランドセルを背負った孫を見せに行きたかった、などと思うのだろう。
さみしいつらい。
さみしい、つらい。
遠距離でも、両親が揃って元気に生きているだけ幸せなんだと自分に言い聞かせている。
次に会える日を指折り数えて待っている。
私が思う最良の人生を夢見ている。
3月までは保育所に行っていたが、私は在宅ワーカーだし、息子は大人しい子だし、なんとかなるかなぁと思って4月からは学童に行かず家にいる。
が、なんともなっていない。
とりあえず春休みの目標は毎日学習プリント1枚、小学校まで一緒に一往復する、自転車で公道を走る練習をする、スクラッチでゲーム作り、
これを一通り午前中に一緒にやって、午後からは私は仕事、息子は1人遊びにしようと思ってたんだけど、当たり前に午後までかかるし、夕方ごろに終わったとしても私もヘロヘロで仕事にならん。
学校まで子供の足だと往復1時間かかるし、息子は自転車にハマって隣町まで行きたがるし…家のとなりのコンビニまでもわざわざ車で行く親には辛いぜ
まぁ、息子は楽しそうだしあと1週間体に鞭打って頑張ろう。
これは、ずっと私が胸の内に秘めておこうと思っていたものだ。
でもやっぱり誰かに知って欲しくて、残しておきたくて、書く。
きっかけは高校生の時のクラスメイトにJr.の公演に誘われたことだ。
当時はジャニーズ、というと周りの女の子たちが黄色い声でお話しているデビュー組のグループのことしか知らなかったが、仲の良かったA子にJr.のメンバーについて教えてもらい参戦した。そしてそのうちの1人のJr.くんに目が引かれ、それ以来応援するようになった。
大学ではジャニーズJr.を応援していることは公言していなかったが、次第と類は友を呼んでジャニオタの知り合いができた。
また、その頃にA子がTwitterを始めたので、私もTwitterを始めてネット上でもジャニオタの繋がりができた。
そしてジャニーズには多ステ、積み、録音・録画、入り待ち・出待ちの文化があることを知った。
正直、知りたくなかった。本当に知りたくなかった。
大学で仲良くなったB子は多ステする子だった。私も2人で参戦するところを4枚で申し込んで2枚と2枚で交換して入るようになった。そんなある日のことだ。
「今度のチケット増やそうかな。」
B子はチケットの転売サイトを見ていた。転売サイトの存在も都市伝説だと思っていた私は、公演のチケットが定価の倍以上の値段で売買されているのにとても驚いた。
「そんなに驚くこと?みんなやってるよ。」
B子は私にそう言った。
私は、定価以上でのチケットの売買に抵抗があった。そのことをB子に伝えた。B子は私の話をしっかり聞いてくれてから言った。
「私は小さい頃から(某デビュー組)のチケットが高額で転売されてるのを見てきた。だからバイトができるようになったら、いっぱいチケットを買っていっぱい会いに行くのが夢だったんだ。毎日遅くまでバイトをしているのもそのためだから。」
B子にもう少し詳しく聞いてみると
・定価以上で転売をすることもあり、その売上で年会費を支払ったりチケットを増やしたりしている。
とのことだった。私は他人事だと思っていた転売を仲が良かったB子がしているのをどう受け止めていいか分からず生返事をしたのを覚えている。
それがC子の口癖だった。
何のバイトをしているか詳しくは聞けなかったが、おそらく夜のお仕事だろうか。
ものすごく可愛い上にメイクも服装もオシャレな子で、いつも担当からもらったファンサを自慢していた。そして、担当とも直接繋がりがありブランド物をプレゼントしているとも聞いた。
ネットではファンレターなんて返って来ないぐらい人気者らしいC子の担当も、C子のファンレターには絶対に返すのだという。こんなオタクが世間にはいるのか…と思った。
また、いわゆるDDで複数グループを掛け持ちしているD子もいた。
D子は複数のファンクラブに入っているのでCDや雑誌は買わないことにしているらしい。
そんなD子にはある日「◯月◯日の公演って参戦した?よかったら音源あげるよ」と言われた。
他にも「◯日の映像あるよ!あと入り出も撮れたの!」と言われた日もあった。
どうやら情報アカウントというものをしているようで、私が応援しているJr.が通っている学校の入学式などの行事はツテを使って観覧しているらしく「行事のときのJr.くんの写真いる?」とも言われた。
私はそこまでするオタクがいることに驚きを隠せなかったし、全ての提案を丁寧にお断りした。
Twitterで知り合ったE子は、良席しか入らない子だった。
「わざわざ遠征しているし良席に入りたい。ファンサも認知も欲しい。」
私とE子は同じJr.くんを応援していた。Jr.くんはE子を認知していて、固定ファンサというものがあるらしかった。
また、E子は自分が入らない公演も申し込んで当たったら転売しているという。
「この前は1枚30万円で売れたよ!4連で120万円(笑)」
E子はチケットの売上で毎年ジャニーズへの収支をプラマイゼロどころかプラスにしているらしかった。
私は価値観の違いにしんどくなって、静かにTwitterを閉じた。
私は彼女たちと関わるうちに、どうJr.を応援すればいいのか見失いそうになった。
辛かったのはB子もC子もD子もE子も気が利いて、明るくて友達の多い、良い子たちだったこと。(話も面白く、Twitterでもフォロワーが多い子ばかりだ。)
おそらく彼女たちからすれば、彼女たちの応援方法はごく当たり前のことであり常識の範囲内なのであろう。私自身、もし幼少期からジャニーズを応援していたらそのような思考、価値観に辿り着いていたかもしれない。
でも私は、定価以上での取引はしないで今に至る。
沢山のジャニオタに「なんで積まないの?」と言われた。
その答えがやっと分かった。私は、定価以上の取引に罪悪感を覚えてしまうからだ。罪悪感があるとJr.を応援するのが楽しめなくなってしまうと思う。だから、積まない。
転売しないのも、録音・録画、入り待ち出待ちをしないのもそう。
B子、C子、D子は雑誌やCD、DVDをほとんど買わない。今はネットですぐ流れてくるからだと思う。でも私は財布の紐がゆるくついつい買ってしまう。そして、意味なんて無いだろうなと思いながら半信半疑で雑誌のハガキを出し、テレビ局に感想を送る。
みんなはチケットで稼いだお金で買った高級ブランドのカバンを使っている。私はせっせとバイトしたお金で身の丈にあったブランドのカバンを買って使っている。もちろん服も全部プチプラだ。
なんで私だけお金に困っているんだろう、と自分がバカらしくなる日もあった。
私はファンサももらったことがない。ファンレターも返って来たことはない。もちろん認知もされてない。ないない尽くしだ。
こんな私が応援する意味なんてないと分かっていても、なぜか辞められなかった。Jr.くんのことを嫌いにはなれなかった。
結局、自分が楽しめる方法で続けて行くのが1番だという結論になった。
ジャニーズ事務所のアイドルが今までこれだけ発展してきたことには、高額転売やその他の文化があることは否めないと思う。つくづく私はジャニーズのオタクをするのに向いていないと痛感する。
公演には当たったら入る。当たらなかったら定価譲渡を探して、見つからなかったら入らない。
私からすれば転売は勇気のいることだから、それを当たり前にするみんなの度胸が羨ましいと思うこともある。でも、しない。
私は、私が汗水流して稼いだお金で、お金を払いたいと思う。これは私のわがままだ。
ただJr.達も思春期の男子であり、積んでまで会いに来てくれる女オタクがいることは寧ろ喜ばしいことなのかもしれない。
行けなくてごめんねと思うのは皮肉だろうか。
たしかにジャニーズ側からすればファンの1人や2人いてもいなくても一緒だろう。それが1対Nの商売というものだ。
それにジャニーズたちは私の低い時給で稼いだ給料よりもたくさんの給料をもらっているのだろう。それで身なりを整えたり趣味を充実させたり貯金する以外にも、可愛い女の子達と密かに遊んでいるのだろうということぐらいは想像し得る。
(恋愛は人生を豊かにすると思うので、私は否定的に捉えることはできない。しかし可愛い女の子と淫らに遊ぶくらいなら、本当に好きな子と恋愛して欲しい…と個人的には思うがアイドルという道を選んだ以上、難しいのかもしれない。)
それでも私は、ジャニーズ達が日々、自分のパフォーマンスを高めるための努力をしていると信じている。
そして1日のうち1秒でもいい。ファンのことを思ってくれているなら、これ以上幸せなことはないだろう。
これからも私はこれらの文化を受け入れられず、にわかのままでいると思う。
以前は他のジャニオタに嫉妬してしまうこともあったが、今は「これでいいや」思うようになった。
いつまで続くかわからないが、これからもJr.くんのことはマイペースに応援すると思う。これが〝応援〟なのかどうかも、私にはもう分からないのだが。
チケット転売規制法が成立となり6月には施行されることになった。
多くのジャニーズの公演が多ステや積みの文化で成り立っている。もしかすると、どこのエンターテイメント業界でも、そうなのかもしれない。
昨今話題の教員のブラック労働について「さもありなん」と思う部分と「お前らわざわざ余計な仕事作ってないか?」と思う部分と両方あるので書いてみる。あくまでも個人的見解だけど。
1. ムダな「○○だより」が多すぎる。
「学校だより」を月一回ぐらい出すのはまぁいいとして、他にわざわざ「学年だより」を作っているのを見ると「お前らアホか」と思う。まぁ 学年によって読める文章のレベルが違うと言われればそうなんだけど、ほぼ保護者のために作ってるようなもんなんだから同じ学校に何人も子どもを通わせている保護者からすればただの迷惑ではないかと思う。運動会直前の号なんか「いよいよ運動会」とかいって6学年ほとんど同じ内容だ。バカげてないか。しかも全部紙ベース。
なるべくまとめられるものは学校だよりに凝縮して、遠足とか社会科見学とか学年によって内容が違うものだけ「しおり」とかで内容を周知すればいいだろうと思うんだが。
たぶん「保護者に学校での子どもたちの姿を見てもらう」のが目的なんだと思うけど、頻度が高すぎる。保護者が土・日休みとは限らないし、そんなに頻繁に学校に来られるほど暇な人ばかりではない。当然教員の業務も増える。いちおうその分代休が取れる仕組みになってはいるのだが、一週間あたりの勤務時間が労基法の規定を越えるし、教員以外の職種だと「半日だけ働いてその分を他の日に振り替える」制度自体がないから、出勤したら他の平日に代休を取ることになる。が、そう簡単には休めない。完全になくせとは言わないけど、せいぜい一学期に一回ぐらいで良いんじゃないかと思う。
入学式、卒業式などが控えているとやたらと校内の飾り付けに力を入れる。が、来賓や保護者の受付やスムーズな誘導など、イベント運営の基本的なところをあまり考えていない。
いちおうイベント終了後に職員に反省点を紙に書かせて集めたりするんだけど、その反省点が翌年に生かされない。卒業生や新入生の通路をきれいに紙テープとか紙の花とかで飾るのはほどほどで良いから、スムーズに人を誘導して然るべき場所に然るべき人が座れるようにしようよ。
教員というのは学校を異動することはあっても、だいたい毎年同じようなイベントをやって生きていく人種のはずなんだが、そのわりに学習能力がなさすぎないか。「あんたたちアホなの?よくそれで子どもに勉強なんか教えられるね?」と思う。
なお、入学式のときは「○○ちゃん、入学おめでとう。先生たちはあなたと会うのを楽しみにしていました」みたいなメッセージカードが新入生一人一人に用意される。細やかといえば細やかだが、それを転入してきた教員やその他の職員(当然大人)に対してやるのは小さな親切大きなお世話というものだ。そんなものよりイベントをスムーズに運営することの方が重要だろうと思う。
その他にも「6年生を送る会」を3部に分けて卒業式以上の時間をかけてやるとか馬鹿馬鹿しいところを数えあげればキリがないんだけど、長くなってしまったのでこのへんにしておく。昔より保護者の目が厳しくなり、学校に期待されることが増えて教員の仕事が大変になったのは分かるんだけど、上記のような現象を見ていると「あんたら自分で自分の首絞めてるんじゃない?」と冷たい目付きで見てしまう。
「コミュ障が婚活マッチングアプリで出会い別れるまでの一部始終」(anond:20190106214218)という日記を書いた者です。
前回の日記を通じて、自分の経験を文章に落とす作業をしている間はすごく気分が晴れるということに、生まれて初めて気づきました。文章を褒めてくださる方もいらっしゃったので、調子に乗ってもう1本、投稿してみます(読み手を選ぶ内容なので、さほどブックマークはつかないと思いますが)。また、前回の日記では、あたかも僕が恋愛経験・コミュニケーション能力以外の点において完全なる真人間であるかのような印象を与えてしまったので、ちょっと彼女に対してアンフェアだったな、という懺悔の思いもあります。
●
僕が中学生・高校生時代に、人生で初めて好きになった方の話をしたいと思います。
僕が通っていたのは、中高一貫の男子校でした。所謂進学校で、有名大学進学率がKPIになっている、勉学を重んじる厳しい校風でした。
中学校の登校初日。入学式を終えた新入生は、疲れた足取りで初めて行く自分の教室へ向かっていました。殆どの生徒はお互い初対面なので、会話もまばらでした。1人で居ても目立たなくて良いな、ずっとこのままなら良いのに、などと思いながら、僕は人の波から少し外れたところを歩いていました。
廊下の角を曲がった時、僕は斜め前を歩いていた同級生の1人に気づきました。サラサラなストレートの髪に、小さな顔、大きな瞳、長い睫毛。人生で見たことのある誰よりも格好良い男の子が、そこには居ました。
これが、一目惚れか、と、冷静に思ったのを、はっきりと覚えています。
彼と僕は同じクラスでした。彼は、才色兼備な人でした。文武両道で、サッカーが趣味。優しい性格で、愛嬌があり、話は面白く、友人も多い。笑顔がキラキラしていて、王子様のように見えました。過去を美化し過ぎだと言われるかもしれませんが、アイドルグループに所属していてもおかしくなかったと思います。クラスで文化祭に出店した、大して美味しくない割高なタコ焼きも、彼が声を掛けた女子学生は全員買ってくれました。
僕は、絶対に彼には自分の心の内を明かさない、と決めていました。傷つくのが怖かったのもありますが、彼の人生劇場の登場人物として、僕はあまりに分不相応だと思ったからです。僕は、彼が僕を抱きしめ、名前を呼びながら優しく髪を撫でてくれることを想像し、時に嗚咽しながら床に就きました。僕の人生は泣いてばかりです。今思えば、この時の涙の理由も自己憐憫でした。努力を放棄し、自分で自分のことを追い詰め、思考停止して悲劇のヒロインを気取り、自身を慰めて、精神的な安寧を得るのが日課になりました。幸せと虚しさが入り混じった複雑な気持ちで、彼と時空間を共有できない夜をやり過ごすことしか、できませんでした。
僕は「好きな人の好きなものを好きになる」タイプでした。彼があるアイドルのファンだと聞けば、プロフィールを暗記し、出演するテレビ番組を観ました。彼がよく口ずさんでいた洋楽アーティストのCDは全部借りて聴き、歌詞まで覚えました。そうして仕入れた話題で彼に話しかける勇気もないのに、です。
ある日僕は、彼と彼の友達が教室の窓辺で繰り広げる雑談に聞き耳を立てていました。彼は、塾で出来た初めての彼女とファストファッション店に行き、お揃いのトレーナーを買ったと、少し恥ずかしそうに、しかしとても楽しそうに話していました。僕は彼に彼女ができていたことさえ知りませんでした。完全に狼狽しました。彼は彼女のことが好きで、僕が知ることのできない存在であるその彼女は、僕の見たことのない彼の表情を知っているのです。結局、その日は何もやる気が起きず、トイレに籠って残りの授業をサボってしまいました。泣き腫らした顔を誰にも見られたくなくて、放課後、日が沈んだ頃に個室を後にしました。親には怒られましたが、何も言えませんでした。
でも、サボってばかりいたわけではありません。むしろ勉強には必死で取り組んでいました。彼と同じクラスになるためです。入れ替わりの激しい特進クラスを6年間ずっとキープし続けたのは、とうとう彼と僕だけでした。彼は文系コース、僕は理系コースでした。本当は彼と同じコースに進みたい気持ちもありましたが、無理して高い授業料を払ってくれている両親の顔を思い浮かべると、人生を棒に振る可能性のある決断をする勇気は出ませんでした。それでも、少しでも多く彼と同じ空気を吸っていたくて、受験に必要のない文系科目まで、教頭に頼み込んで時間割の許す限り履修していました。ただ、残念ながら僕の学力は彼に遠く及ばず、別の大学に通うことになるのは自明でした。最終学年になって勉強のモチベーションを失った僕の成績は、急に翼を失った鳥のように落ちてゆきました。教師全員にひどく心配されたのを良く覚えています。
高校3年の1学期の席替えで、僕の席が彼の後ろになりました。夏休みまでのたった数ヶ月だけですが、世界中の誰よりも彼と一番物理的に近い場所を占有できる喜びで、胸がいっぱいになりました。居眠りの振りをして机に突っ伏し、いつの間にか仄かに甘い香りを纏うようになっていた彼の背中に近づきました。息をするたびに、彼と一体化してゆくような、幸せな気持ちが溢れました。放課後、憶えた匂いだけを頼りに、彼と同じ香水を探しました。塾を休んで、お店を何軒も梯子しましたが、結局見つけることはできませんでした。
ある授業の小テストで、僕が酷い点数を取ったことがありました。回収の号令が掛かり、自己採点した答案用紙を、前の席に座る彼に恥ずかしそうな顔で差し出すと、彼は僕の眼を見て「可愛い」、と言いながら、優しい笑顔で受け取ってくれました。どういう意味を持つ言葉なのか、しばらく理解できませんでした。その声色は、今でも耳にこびり付いています。辛いことがあった時に、何度も、何度も心の中で反芻して、その度に涙を流し、頬から耳まで真っ赤に染めました。
彼が僕の気持ちに気づいていたのかどうかは、卒業するまで、ついに分かりませんでした。
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この日記は、彼の好きだったEric Claptonを聴きながら書きました(この日記では固有名詞を一切出さないという自分縛りがあったのですが、これだけ例外にさせてください)。自分の中で強く記憶に残っているエピソードを集めてみたのですが、結果として完全なる狂気という印象になってしまいました。常にこのような変態行為に走っていたわけではないことだけ、申し開きをさせてください。この時期にできた数少ない友人の一人とは、年に一度、母校の文化祭に行く間柄を保っています。
彼とは、高校卒業以来、一度も会っていません。大学に進学すると、僕は別に男性が好きだったわけではないのだということに気づきました。ただ、6年間、彼という重いアイロンを掛け続けた心の折り目はなかなか消えず、随分とひねくれたまま大学生活を送ってしまいました。
客観的に読み返すと、僕は本来的には恋愛依存体質で入れ込みやすいタイプなのかな、と思いました。これをコントロールできるようにしないと婚活中に精神を病みそうですね。
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この日記をどうしても書きたくなったもう一つの理由は、前の日記の「彼女」が、3次元ボーイズラブ小説の執筆をこよなく愛していたからです。彼女は、本当に親しい人にしか言えない秘密だと言って、4度目のデートで僕にその趣味を打ち明けてくれました。彼女に僕の経験を伝える機会はついにありませんでしたが、あの時僕が彼女の良き理解者として振舞えたのは、中高時代の彼との思い出があったからこそでした。
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ブックマークコメントを読ませていただきました。「まともな人かと思ったらヤバい奴だった」みたいなことを云われるのではないかと心配していたのですが、杞憂でした。お薦めしていただいた漫画も面白そうなので読んでみようと思います。あと、「明治の文豪が書きそう」とあって笑ってしまいました。読書量の少ない人間がそれらしく文章を書こうとすると、学生時代に読んだ著名な本にしか影響されていないことが透けて見えてしまうものですね。僕は「こころ」が好きでした。この日記が遺書にならないよう精進します。
馬鹿な恋だった。恋といえるかもわからない。私はまだ高校生で、思春期にありがちな思い込みとか憧れを恋情に取り違えてるだとか人付き合いに慣れてないから感情の整理がついていないのだとか、そういう理屈付けなんていくらでもできてしまえる。
私は今すごく落ち込んでいて、突発的にツイッターで見かけた匿名ブログを思い出してここに登録してこんなものを書いてるくらい気持ちが混乱しているから、きっと文章もぐちゃぐちゃで長くなると思う。時間泥棒。ごめんなさい。
よくある話。相手は同性だった。高校一年の時、本当に最初。入学式の列に並んでいるときに私から話しかけた。振り向いて、その目の大きいのと日に焼けた肌とポニーテールがかわいいのと、一目でころんと恋に落ちてしまった。
声が掠れてて低いこと。背が私より13センチも低いこと。誕生日もこっそり知ってる。同じ中学で絵が上手くて、メガネで華奢な幼馴染によく甘えている。好きな人にはスキンシップが激しい。ズケズケとものを言って、態度がはっきりしている。そこが、可愛くてしかたなかった。
高校一年の時の私は、正直友人がいなかった。グループには居たけれど、ギャルを気取る中間グループでなんとなく馴染めなかった。放課後、バスで皆が話してる中ひとりでうつむいて携帯をいじってるのも嫌で、図書室でぼんやり過ごして、部活のある生徒以外はほぼ帰宅したであろう頃合いに帰る。なんかもうひたすら中学の頃に戻りたかった。親友と遊ぶ約束でも取り付けようかな。そう思ったとき。
「あ、ばいばい!」って、バスケ部のマネージャーだったあの子が声をかけてくれた。
彼女と私は同じグループじゃない。あまり話したこともない。私がただ一方的に見てるだけ。
幼馴染に甘えてる姿に嫉妬した。私があの子だったらいいのに。クラスメイトの女の子にも寄りかかっていた。私があの子だったらいいのに。私と仲良くなって欲しかった。ろくに会話したこともないくせに。会話に耳をそばだてて誕生日とか好きな漫画とか把握して、本当、一歩間違えればストーカー。自分でもキモいと思う。
でも女なんてこんなことよくあることで、女友達の女友達に嫉妬とかは私だって何回もあった。だからもう、本当にこの気持ちがなんなのかわからない。ぐちゃぐちゃ。便宜上、恋って呼んでるけど、混沌としててわけがわからない。認めたくない。
高2になってクラスが離れた。それでも選択授業が一緒で、机が近かった。すこしだけ、週に二時間しかないその授業の間。私は彼女と話せた。同じ趣味を持っていたから、ちゃんと話すことはできたしそれなりに会話も弾んだと思う。
ただ私が勝手に緊張してしまって変な応答をしてしまって、どうにも上手くいかなかった。
高3。またまた選択授業がかぶった。彼女と話すのに緊張しなくなった。ううん、緊張するけど、その緊張にも慣れてきた。
このあたりから、じつは私のこの感情は恋ではないのでは?と思うようになってきた。緊張が消えたから。女が女に恋をするなんておかしいから。世間一般だと偏見はよくないって言われてるし、皆それに賛同するけど、それが身近になったら話は変わってくるでしょ?
彼女に、初めて誕生日プレゼントを贈った。賞味期限切れのゴディバ。ゴディバなんて重いけど、賞味期限が近かったのと従業員割引で500円だった。だからいいかなと思って、贈った。彼女は笑いながら受け取ってくれた。
九月。文化祭は忙しくて会えなかったけど、体育祭では話しかけられた。私はこのとき初めて、ツーショもどき(彼女は写真嫌いなのに、私が無理やり写真撮った。光が差し込んでるしちょっとブレてる)を手に入れた。彼女と好きな漫画の話をした。幸せだった。
10、11。最高に幸せ。今までで一番よく話した。私の誕生日にくれたのはアニメのグッズを手に入れるために買ったコンビニのチョコだったけど、それでもいい。嬉しい。私の受験の時には頑張れって言ってくれた。うれしい。しあわせ。
12月は特にない。飛んで今。きょう。始業式。
「あけおめ。3学期もよろしく。今年もよろしくはしない。高校卒業したら縁切る。ラインもブロックするから」
そんな感じの内容の、笑いながらの冗談。冗談。私も「薄情だなぁ」って笑った。かなしい。かなしい。悲しくてしかたなかった。
彼女の発言に傷ついたのもある。ああ、高校を卒業しても友人でいたいと思えるほどの仲じゃないんだなって。冗談だとしても。
ううん。冗談じゃない。本当だろうなと思った。彼女が私のラインをブロックしようがしまいが、私と彼女の人生が交わるのはあと一ヶ月だけだ。
そんで高校を卒業して、大学生になって忙しくなっていつのまにか一年とか二年くらい経ってて、ふとあんな子いたなって思い出すだけの存在になるんだ。それも、私の方がきっと強く鮮烈に覚えているんだ。彼女はきっと、私のことを忘れる。思い出しやしない。
悔しい。悲しい。意味がわからない。泣きたくてしかたないのに、誰にも話せない。
あのときばいばいって言ってくれて嬉しかった。本当に嬉しかった。
横からしか見たことなかった笑顔を、真正面からみれて嬉しかった。
掠れたハスキーな声が好きで、笑うと普段より高くなる声が好きで、私よりずっと低い身長がすきで、すきで、サバサバした性格もすきで、好きなのに、なんかもう怒りに似た感情すらでてきて。
私は馬鹿な恋をした。距離を三年かけて縮めて、三年後にリセットされて終わり。馬鹿だった。可能性があったら告白するのに。縁を切らせてやらないのに。忘れさせてなんてやらないのに。
でも私は彼女の好きなタイプを知っている。天然でおっとりした、声の低くて運動神経抜群の男の人。正反対。くそったれ。
友情だったらよかったのに。尊敬を取り違えてるんだったらよかったのに。私が彼女の幼馴染だったらよかったのに。
私が女でよかった。
全身脱毛と倦怠感に苦しまされた抗がん剤治療をのりこえようやく迎えた一人娘の入学式
俺は写ろうとおもわなかったが娘と妻が手を引いてくれた
みたいな話よくみるじゃんハナホジ
会社Aは会社Bの教材とカリキュラムを使用して「プログラミング教室」をしている。
いわゆるフランチャイズ。よくある話です。
しかし、「教室の先生」になるためには会社Bで「講師認定テスト」を受けるか、そのテストを実施できる社員(B社に一定期間内部出向していた社員)にテストしてもらわなければならない。
私は「テストを実施できる社員」になるためにB社に内部出向する予定だった。
(A社の社員だけどB社に勤務する形)
勤務先はB社からは「希望は一切受け入れられない」と言われていたが、A社からは「とは言ってもうちの社員だし山手線圏内って言ってあるから」と言われた。→それなら引っ越しはしないと言った→引っ越したら?とは言われた
A社内定承諾後、社宅引越しの案内が届くとの連絡があったが全く来ない。(勤務地も決定していないが)引っ越すつもりもなかったので後々メールしたら「他の内定者は実家暮らしのようでみなさん引っ越さないと思ったので書類送付しなかった」と来た。
ちょっと怪しいな?と思った。
労働条件通知書をくださいと言ったら労働条件はB社の方に合わせるので、と言われてB社で面接した時にもらったスライドが再度送られて来た。(採用ページに書いていた程度の内容)
怪しいな?と思った(とはいえもう2月くらいで就活できる状態じゃない。)
入社式と研修のお知らせが2月3日に突然来た。3月25日から仕事が始まるらしい。入社は4月1日だとばかり思っていた…
2/4に勤務地決定通知が来たが勤務地決定通知(勤務地決定とは言っていない)だった。
(結局B社の勤務地がわからないのでA社の横浜支部所属ですよ程度の通知書)
遠方から両親が来てくれることになっていた。
両親がこっちにくるのは入学式以来なので次の日とか案内できたらなと思っていたのにほぼ直前になって希望は打ち砕かれたのであった...
3/25 研修
3/26 入社式
その後は研修...
研修は都内でもそこそこ近くの教室だったのでとりあえず通うのは大丈夫だった。
とはいえB社の偉い人(B上司とする)が癖の強い人で本当に大丈夫かな??という気持ちで研修を受けていた。
子供たちにプログラミング()を教える立場になるので、B社のカリキュラムの理解、子供への対応、教え方などの研修があり、最終日に実技試験()とペーパー試験()を受けてどちらも合格した人だけがメイン講師になれる...みたいな説明をされたけど人手が足りてないのか研修も受けてないバイトさんが授業を普通にやってるらしい。
A社の新卒私含めて4人、B社の新卒2人(バイト・講師経験あり)、B社中途1人、B社学生バイト2人(講師担当経験あり)で研修を受けたが実技とペーパーどちらも合格したのは私だけだった。
会議と言っても数字報告と夏休み期間のイベントの目標数発表だった。
驚いたのは少しでも予定の数字が下がろうものならB上司がその先生が何も言えなくなるまで責めたこと。
いびる、責める、無言の圧力。「もう貴方は知りません。」などなど。
社会ってすごいなあと逆に関心した。
私は研修でのテストに唯一一発合格したためかなぜかB上司に期待の新人としてお気に入り登録されたよう。
配属発表ではB上司の教室(山手線圏外)と、山手線圏外の教室(私メイン講師担当?)と、山手線圏内の教室で、圏内の教室はまさかの週一シフトだった。
配属の後はイベントの会議役割決めなど。同じ内部出向組で女性が1人いたのだけどその子はすぐ役割が決まった。
私は最初、メイン担当教室の先生の引き継ぎになってたのに、B上司に無理やりB上司が担当のイベントに入れられた。
そしてなぜかイベントのバス手配とポスター作りと予約取りなど全くよくわからない役割を決められてしまった。
(バスの手配方法、ポスターの素材その他諸々教えてもらえなかったので大変不安だった。昨年の資料をくださいと言っても特に渡せる資料はないと言われた。周りの先生もいかにB上司の期限を損ねずに会議を終わらせるかで必死で忙しそうだった。私は置いていかれていた。)
最初は研修が分かりやすくて好きな先生の卓だったので良かったが席替えでB上司の真ん前にされた。
そしてB会社の新卒と私ともう1人の女性と中途の男性に目標を発表させる雰囲気に。
目標=◯◯を頑張りたい みたいな話かと思っていたら 「新規○人入会させて上半期で全体○人にします」って言わないといけないらしく?新人全員意味もわからず担当の先生が耳打ちしてくれた数字を喋る機械になった。
酔った勢いで他の先生たちが話していたのを聞いてみると結構「夜の仕事をしていて、結婚したいのでまともな職に就くために会社に拾ってもらった」という方がいて「結婚式には必ずB上司と社長を呼ぶ」みたいな話もされて辛くなった。
今日から各教室で普通に業務するらしい。(研修は教え方とカリキュラム研修しかなかったから突然先生やれ、教室長だと言われてポカン)
各先生は各先生の業務で忙しすぎて私たち新人にはノータッチだった。
午前は完全に放置されていたので担当教室の先生にコピーの仕方とか今日の授業について教えてもらった。
担当の地区の「神」のような先生が上司にお気に入り登録されている私を心配してありとあらゆる資料が詰まったGoogleドキュメントを共有してくださった。
と見せかけて、出社、退勤を社内メーリスで流さないといけなかったらしく(聞いてない)、B上司から(朝顔を合わせたにも関わらず)「新卒の皆さんは本日無断欠勤ということで良いんですか?(威圧)」的なメールが全社員宛に届いていた。(嫌味は全社員に公開するらしい)
先生に聞いたところ、仕事量が多いし授業もあるし毎日残業数時間は当たり前。社内でB上司への悪口グループができているようだった。
そして直後に「新卒社員+B上司」の謎の「新卒監視グループ」が作られた。
ここで私のメンタルが限界になったのでA社の上司に「ここでは絶対にやっていけない、A社の別部署か横浜支部で働かせてくれ」といってA社の上司(前年度B社に出向経験)もあそこは異常だからしょうがない、ということで次の出勤日から横浜勤務になりましたとさ。大感謝。(そして私の勤務時間が往復5時間になった)
業務内容は午前中に入会書類の整理など、事務系の仕事をして午後から各教室に移動してひたすら授業(立つ・声を張る)。または10キロ近いチラシを持ってポスティング。
幸いA社の人たちは明るく優しい人たちだったので「楽しい」という感覚を持って仕事ができた。
「(完全ではない)週休2日」という話は知っていたけど6連勤1日休み3連勤、7連勤1日休み4連勤とか普通に入れられる。
なぜ長期連勤の後1日休んで連勤できるのか?というお気持ちだったが人も足りないしそれが社会なんだなぁ(多分間違ってる)と思いながら働いていました。
8時に家を出て23時に帰ってくる感じ。
5月下旬、生理ながらも授業してたら今までにないくらいの血の量が出て早退した。(夜用生理用品してるのに10分経たずに漏れてくるくらい血が出て死ぬのかな?ってなった。)(出血過多)
6月下旬、家についた途端全て嫌になったのと体が痛いのとで「マジで死ぬ3日前」みたいな状態になったので急遽休みをとらせてもらって病院に行ったりした。整形外科に行って先生にとりあえず1週間休めと言われたので1週間休む。
7月下旬、引っ越し決行。通勤時間は片道40分になり少し希望を持ち始める。
しかし諸々のストレスで8月上旬に謎のめまいが多発、駅のトイレで吐いたり異変が起き始める。
膝も痛くなり歩けないほどの痛みがあったりもしたがとりあえず仕事していた。
だましだましやっていたが本当に限界がきて同居している婚約者に相談したら「養うの余裕だしとりあえずそこから離れた方がいい」と言われ9月に仕事を辞めました。大感謝。本当にこれはラッキーだった。
なぜそんなにストレスが溜まったかというと、「周りの情弱がすぎる。」だと思う。
1年先輩社員はExcelの行内改行ができず、十数年先輩の上司もExcelで連番を入力することもできなかった。(ググるという発想があまりないらしい)
入会書類は紙で、印鑑が押されていないところがあればお客さんに電話して印鑑押しにきてもらわなければいけなかった。
新規開講の教室がほとんどなので数百枚の紙を処理。領収書的なのも全て手書き。
出社報告退勤報告はLINEで報告した後に月末に紙に出社日数分の判を押し、本社にFAX。その後紙を郵送。交通費などの経費精算も全て手書き。それも本社に郵送。
出社の時間帯も日にちも同部署社員で全然違うので休みだろうと休みじゃなかろうとLINEは鳴り続ける。(たまに自分宛のも来るし、上司が休みの日も上司でないと判断できない事があると連絡しなければいけないのが心苦しかった。)
FAX初めて使った。
割と色々な情報をGoogleドライブで共有していたので(そういうことはできるのかと関心したけど)「(出勤簿なども)データ化してドライブで共有かメールで送ったら良いのではないか」と聞いたら「メール(Gmail)だとどこで盗み見られるかわからないから。」と一蹴された。
FAX番号間違えた方がえらいことになると思うんだけどなあ…と思った。
Slackとかそういうの使いませんか?と言ってみたが「貴方ができても他の社員のリテラシがないので導入コスト考えてね。貴方が1人でそれを導入して他社員も教育できるならやれば?」とのこと。
面倒なので流石に放置した。
そして各教室にWi-Fiはなかった。全て有線。しかも個人用PCはない。部署で2つの社用ノートPCを使っていた。
Wi-Fiがない理由も「セキュリティ強化」らしい。でもPCのパスは至極単純なものでパスワード知らなかったけど違う部署のPC借りて仕事したりできていた。
その社用PCにはWordとExcelは入っていたがPowerPoint、Illustratorは存在しておらず、各イベント用のポスターや掲示物をWordで作らされるという拷問を定期的に受けていた。もちろんWindowsなのでメイリオを使うしか無かったが皆さんポップ体がお好きなようだったので創英角ポップ体に一生分お世話になった。あと100行くらいのExcel開くだけで3分くらいかかる弱すぎるPCなのもストレスだった。
情報リテラシ皆無な講師陣がプログラミング()を教えるのに不安があったがとうとうそれが現実になった日があった。
先輩の担当する授業で「生徒の誰1人として作品が完成しない(動くはずのものが動かない)」ということがあり、それが原因で1人退会した。
聞いたところ、ただモーターを一旦逆回転させて位置を調整してリスタートしたらよかっただけだったらしい。
私はその「動かなかった」授業の次の授業を担当させられ、前回の授業と今回の授業を一度に終わらせるという完全な尻拭いをさせられた。(入社2ヶ月)
ここで、私がここにいて私にメリットはあるのか?という気持ちになった。
生徒募集の体験会も担当したが、営業担当の先輩が、子供の父に「他のプログラミング教室との差は何か、ここでは何が学べるのか」と質問されていた。先輩は用意された営業トーク以上のことがわからなかったようで、私がそのお父さんの相手をして気に入られて「貴方のような先生にレッスンしてもらえるなら」と入会を獲得した。(結局私の担当クラスにはならなかったのでごめんなってなった)
生徒が使うPCも弱い共用PCでBluetooth接続に最高30分かかったりして、せっかく早く組み立て終わったのに接続できなくて授業ギリギリになってやっと接続できる、みたいな状態になってかわいそうだった。
(10人分くらいの機器を繋げた履歴があると一度繋げたことのある端末でもなかなか繋がらくなった。端末の履歴を消すと一時的に復活したりしなかったり謎だった)
ということが毎授業あるのでPCも変更してほしいと相談したら「繋がらないわけじゃないんでしょ?」とのことでそのままだった。
5月から私の直属の先輩(「動かなかった」で授業を終わらせた方)との行動が増えてこれも結構なストレスだったと思う。
来年度からは直属の上司(主任)が本社に行って先輩が主任になると思うから、相談ごとはなんでも一旦先輩を通さなければならないというルールができた。
私より授業できないのに主任になっちゃうの?年功序列?LINEで個人で繋がってるんだし上司に聞かなきゃいけないことも先輩通すの二度手間では…
その先輩はいわゆる「文系()」と呼ばれるタイプの方で全く情報系の話は分からない代わりに恋愛系のことをたくさん話す人だった。
一緒の時は先輩の恋愛事情を聞かされる毎日。婚約中の彼氏が浮気をしていたとか、でもそれは私に構ってもらえなくて寂しいからなんだなって思ったら許せてきた、私には共感できなかった。
その先輩は目先のことしか考えられないようで、「別部署と共用のプリンタ用紙の在庫がなくなった(こっちの営業の人がたくさん使っていたらしい)」時、別部署の人からこちらが責められた(その別部署もどうかと思う)のだが、今すぐ授業に向かわなければ間に合わないという時間帯なのにも関わらず「私たちがA3用紙を半分に切るから」と本当に切り始めそうになったのはビビるというか呆れてしまった。
私たちに拠点がなく、学童保育をしている部署と共用で建物を借りていた。学童保育ももちろんA社の事業。
こっちの部署も賃料を払っているのだがどうしても学童の社員は私たちに対して口調がいちいち責めるような口調だった。
そして、授業をした時に1人お休みの子がいたのだが、後からその子の父親から「息子が少し遅れて行ったのだが、学童の先生と目があったにも関わらず鍵を開けてもらえず、やむなく帰ってきたのだがどういうことだ」との電話がきた。
授業の部屋と玄関の間にドア一枚あるため授業が始まるとこちらのスタッフは玄関を見られない。
そのためそちら側を使っている学童のスタッフに対応してもらうしかなかったのだがしてくれなかったらしい。
「あと、学童側のスタッフがあからさまに教室側の生徒に冷たい」と生徒が話していたらしい。
上司に相談したが「同じ会社とはいえ別会社のような関係なので協力も強く要請できないので今回は報告だけする」「あくまで悪いのは遅れてきた生徒、というスタンスで対応する」とのことだった。
同じ会社で隣で仕事しているのに足の引っ張り合いをする、お客様のことを優先的に考えてサービス改善できない(ビジネスといえばそうだが切り詰める所が違うと思う)、先輩との雑談で新しい知識が増えることもなく、ただ自分たちの現状の物を(アップデートもせず)いかに良いものに見せかけられるか、ということしかできない。自分が大学で得たものは全て会社の社員のレベルまで落とさなければならない。
ということがずっと溜まりめまいが始まり適応障害と診断され、鬱も再発してきて眠れない、家事もできない、絵も描けない、PC触れない、という症状がで始めたので辞めました。
会社を辞めると「職を失いました」という証明をするために会社から受け取らなければならない書類がいくつかありました。
・離職票 (退職後10日前後で会社から郵送されなければいけない)
・健康保険・厚生年金保険資格喪失連絡票 (退職日前にもらえるはず)
この3つですがどれも会社側から自動で送られてくることはありませんでした。(本当は連絡入れなくても送られてくるべきもの)
いつまでたっても来ないので辞めたのに上司にLINEして(LINEしか連絡手段がない)離職票と保険資格喪失連絡票は手に入りました。
源泉徴収票はこの時も送られてこなかったがまぁ年度末にはくるだろうと思っていました。(こなかった)
確定申告ギリギリになってもこないので会社のお問い合わせメールから連絡したら、「給与事務課に直接電話してください」とだけメールがきて、電話かよ…と思いながら電話してみたら「辞める時に源泉徴収票が必要だと言われなかったので送りませんでした(しょうがないから送ってあげます)」という感じでまじでギリギリに送られてきた。(困る)
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20181125-00105367/
で「教員の給与が保護者の平均給与の約2倍」と言われていた上に結構なスターを貰っていて驚いたので書いている。
父が公立小学校の教師をしていた。今は定年退職済みであるが、最後は副校長(教頭)にまでなった。
その際に自分が一人暮らしをすることになり保証人として年収を記載してもらったのだが、ワープアの自分からしたら結構な額をもらっていた。
けれど父の労働時間などを考えるとあまり多いとは言えない額だ。
平日は勤務先が然程遠いわけではないのに夜10時に過ぎに帰ってくることが普通で、家族で食卓を囲むことは滅多になかった。
土日も日直だったり地域スポーツクラブの指導に行ったりしていてほぼ家にいなかった。
たまに家にいると昼まで寝てゴロゴロとしていたけれど、それも仕方がないものであるし、父が家にいるだけで外出しなくとも嬉しかった。
近年職場の男性が「子供の卒業式・入学式だから」とおやすみをもらう機会に何度か遭遇している。
時代は変わったな、と思う反面、我が家では絶対に無理なことでもある。
つまりは「普通の保護者の給与よりも高いかもしれないが同じ時間だけ働いた人と比較すると貰っていない方である」という結論である。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20181125-00105367/
で「教員の給与が保護者の平均給与の約2倍」と言われていた上に結構なスターを貰っていて驚いたので書いている。
父が公立小学校の教師をしていた。今は定年退職済みであるが、最後は副校長(教頭)にまでなった。
その際に自分が一人暮らしをすることになり保証人として年収を記載してもらったのだが、ワープアの自分からしたら結構な額をもらっていた。
けれど父の労働時間などを考えるとあまり多いとは言えない額だ。
平日は勤務先が然程遠いわけではないのに夜10時に過ぎに帰ってくることが普通で、家族で食卓を囲むことは滅多になかった。
土日も日直だったり地域スポーツクラブの指導に行ったりしていてほぼ家にいなかった。
たまに家にいると昼まで寝てゴロゴロとしていたけれど、それも仕方がないものであるし、父が家にいるだけで外出しなくとも嬉しかった。
近年職場の男性が「子供の卒業式・入学式だから」とおやすみをもらう機会に何度か遭遇している。
時代は変わったな、と思う反面、我が家では絶対に無理なことでもある。
つまりは「普通の保護者の給与よりも高いかもしれないが同じ時間だけ働いた人と比較すると貰っていない方である」という結論である。