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2018-10-20

anond:20181020175355

高専入試首席合格したら3月中に連絡がきて、入学式で新入生代表挨拶やらされたことあったな

なおその後留年したもよう

2018-10-14

先輩、なんで死んじゃったんですか

先輩が死んだらしい。





らしい、というのは人伝てで聞いた話だから。けれどその人が誤った情報を出すとは思えなかった。

学校の内部の人から情報だったから誤った情報を流すとは考えにくいので、確実なのだろう。



まず先輩について話をしよう。高校が同じの1つ上の先輩だ。性別は男で、とても家庭に恵まれているんだという印象があった。

先輩と私は高校が同じだけの、ほとんど交友のない知人程度の関係だった。他の人と印象が違う点がいくつかあるくらい。

その一つとして、高校入学式在校生代表を務めていたことがある。とてもかっこよかった。何より、黒髪眼鏡で誠実そうな雰囲気で、率直に言ってしまえば顔がドタイプだった。結局、先輩はそれからちゃらちゃらした人とつるむようになって、髪を染めたことで失恋のような結果で終わった。

また、私と大学の進学先が被ったのだ。さすがに学科は被らなかったのだが、我が母校で進学したのは私と先輩の2人のみらしいので親近感に似た感情を抱いたし、少なからず話せるかなと期待していた。校内で同じボランティアに参加していたので、シフトが被ったら話してみよう、なんて考えていた矢先の出来事だった。



信じられなかった。たぶん19か、20だったんだと思う。誕生日も知らなかったからわからないけど。

学内アルバイトの当日に病気で、と聞いた。そのアルバイトには私も参加していた。寝坊した日だ。

入学したての時食堂で見かけたことがある。なんでその時に話しかけることができなかったのだろう。そういえば一度半径30m以内まで近付いたことがある。なんでその時に話しかけることができなかったのだろう――と悔やみ続ける。

しかし、結局私と先輩は知人程度の関係だったのだ。そう、私は知人の死にずっと胸を痛めている。

身近な人の死を体験したことがなかったからなのかもしれない。耐性がなかったからなのか、好きだった人の死だったからなのか、それはわからないけれどそのおかげですごく苦しい思いをしている。

そして私は、知人の死をきっかけに私は彼より頑張ろうだとか、ちゃんと生きようだとか、最低なことに「これを誰かに話したらどんな顔をするのだろう」なんて考えてしまたことすらあったことも悔い続ける。現在進行形で、そうだ。

そのたびに「死にたい」と、呟く。そして「彼が生きたかった人生無駄にするのか」と考え、また死にたくなる。本当に、糞みたいな人生だ。

なぜ先輩のことをこんなに考えているのかわからない。だって、もう関心なんてなかったから。もしかしたらなかった、は嘘かも知れないけど知人以上の感情を抱くことはなかったのだ。

それなのに、先輩に話したかたことが溢れるのはなぜだろう。先輩に、なんでいるのって笑われたりしたかった、なんて思うのはなぜだろう。

もっと、話したいことがあったのになんで死んじゃったんだろう。

今日高校友達と会った。久しぶりに昔話に花が咲いて、すごく楽しかったのだけど、先輩のことを話に出された。

Twitterでも見ないけど元気?」

全然元気じゃないけど言える雰囲気じゃない。死にたい。上手くはぐらかせたかな、ごまかせたかな。

あと、それでSNSを探したりエゴサしたりしてるのも屑の極みだ。本当に、先輩が生きればよかったのに。

そしてそういう嘘をついたことにすら、悲しみを覚える。死にたい

結局、4年間も無責任感情を先輩に押し付けている。半分あこがれだった、つくりものの恋も先輩の髪色のせいにした。そして勇気を出せず話しかけられなかったことを先輩が死んだせいにして、勝手に悲しんでいるのだ。

自惚れにもほどがある。私がしているのは、感情押し付けで彼にとっては迷惑以外の何物でもない。もちろん、彼の親族にもだ。

それがわかっているのになお、こんな感情は胸の内からまれてきて、その度に死にたくなるのだ。こんな汚い人間ならばいっそ私の方が先に死ねばよかったのに、なんて思う。それも失礼なのに。そして、その汚れを見ることすら失礼なのに。

こんな形で文字にするのも間違っているけど、こんな形でしかこの気持ちを解消できないのだ。こんな痛みを解消しようとするのも間違っているのかもしれない。そしてきっと私は明日もこう言うのだろう。


「先輩、なんで死んじゃったんですか。」と。

2018-09-28

キモイと言われる僕の友人

桜が気が早く散ってしまった頃に、電話が来た。

「暖かくなったし、飲まないか?」

「うーん、今週は予定があるから、来週はどうかな?」

いつも通りそう答えつつ、また何かあったのかなと思う。

仲間と会う時やこちから気分が乗った時でも一緒に飲んだりするが、彼から誘われる時は大抵そうだから

予定を合わせて、それじゃ、と電話を切り、付き合い長くなったなぁと思った。

彼とは高校時代からの友人だ。

入学式の時、母と少し早めのバスに乗ると彼と彼の母がいた。

同じ制服だったので、話もしやすかったのだろう。母は彼の母とすぐ打ち解けていた。

彼と僕とは、必ずしもそうではなかった。

話はしていたが、どうも上滑りしているところがある。そんな感触があった。

背は小さく、小太りで、話す度にキョロキョロする。けれども話す時は圧迫を感じる程こちらを見つめる。

話す度に身体を動かすものから距離感をどうしたものかと考えたことを覚えている。

そんな初対面だったが、クラスが同じだったこともあり、すぐに打ち解けていった。

部活などは一緒ではなかったが、昼食は弁当だったこともあり、よく一緒に食べていた。

彼は食事中よく話し、ほとんど僕が聞き役だった気がする。

正直食事マナーは余りよいものではなかった。

ただ、箸の使い方や食べる音のさせ方は育ちの良さを感じさせた。

そういう所に彼のアンバランスさを感じてはいたが、その時はさほど重要だとは思っていなかった。

彼が気持ち悪いと言われているのを聞いたのは、オリエンテーションが済んだあたりだったと思う。

女子が何の気はなしに男子評価をしている中で聞こえてきた言葉だった。

まだ当時はキモイという言葉一般的ではなかった。

それでも後から考えれば同様の感触彼女たちの言葉から感じ取っていた。

聞いた私は苦笑いしながら、話を流していた。

彼が小中といじめとまではいかなくとも、女子から嫌われていたことを聞いた。

彼はその頃から小太りで、背は女子よりも小さく、運動神経も良くはなかった。

そして出っ歯気味で、唇が厚いために、いつも唇を突き出しているように見えたのもあまり良くなかったようだ。

実際、有り体に言って、容貌としては良くはなかった。

よく心ない言葉を言われ続けたという。

そのせいで、女子に対する態度がおどおどしてしまうとも言っていた。

どうしても目を合わせられないと。

自信を持って話をすることができないと。

それがまた、気持ち悪いと言われてしまうようになっていったとも。

高校卒業し、大学になっても付き合いは変わらなかった。

ちょうど大学へいく為の路線が同じだったこともあるのだろう。

時間が空いた時、良く一緒に遊んだり話したりしたものだった。

彼は文化系サークルでそこそこ楽しくやっていたそうだ。

キモイという言葉はその頃流行り始めていたようだった。

彼は女子の先輩からキモイキモイと言われながらも、かわいがられているようだった。

ただ、彼自身はその言葉に対して思うことはたくさんあったのだろう。

時折、泣きながら愚痴を私に言っていた。

多分、大学の友人達には話せなかったのだろう。そういう対話関係性ができてしまっていたから。

から大学とは無関係の私にだけ、いつも愚痴を言っていた。

卒業して彼はそこそこの商社入社した。

それから2,3年は関係が遠ざかっていた。

お互い新人と言うこともあって、忙しかったのもあるし、会社が別方面だったと言うこともあるだろう。

ただ携帯を買った時、最初登録した友人は彼の名前だったのは覚えている。

付き合いもまた戻り始めて4,5年たち、彼から愚痴を聞いた。

セクハラ講習会で先輩としての講師をした時の愚痴だった。

後で後輩の女子が「あの先輩キモイよね、セクハラとか本当にしそう」と言っていたのを聞いたという。

その頃には彼はそれなりの貫禄も出ており、服装もそれなりのものをしていて、立ち振る舞いも商社マンとしてしっかりしていたものだった。

その分、背は小さくとも、おじさん風味が早めに来ていたのは事実だった。

彼はそれ以来、講師は断っているそうだ。

大なり小なり、彼はそういうことで愚痴を言っていて、僕はいつも聞き役だった。

やりきれなくなれば、一緒に酒を飲みにいく。

もちろん高校時代の友人ともいくが、二人きりで飲むのはもっと多かった。

彼の電話を受けて、私は最近見つけた新しいイタリアンの店に誘った。

店長一人で回している、普段使いするのにちょうど良い店だった。

開店当初から通っていることもあり、店長も店の常連も僕を仲間として扱ってくれていた。

彼と訪れた日、名前は知らない顔見知りの女性常連が酔っていた。

「あー、久し振りですー。あ、男二人ですか? キモーイ」と陽気に笑っていた。

僕は苦笑しながら、適当挨拶を交わし、店長に注文をすると「どうもすいません」と言われた。

僕は笑いながら、「よくあることですから」と答えた。

彼にワインを注ぐと、彼はじっと僕の方を見ながら、ぽつりと「だから俺、セクハラ反対なんだよ」と言った。

僕は何も言わず、ただ黙って、また愚痴を聞き始めた。

2018-09-21

腐り果てた保守の皆様に我が母校の校歌を贈る

自分はどちらかといえば左寄りの思想共感するものだが、高校は共学で手頃な偏差値私立高校自分学力で受かりそうな頃合いという意味)だと云うだけの理由國學院高等学校に進んだ。

神道文化学部とかを抱える大学の附属であってガチ保守校風だ。たしか校庭に皇族の誰やらが植樹した銀杏かなんかあった気がする。大学敷地神社があって何か行事があるたびに生徒会のやつやらが参拝させられていた。入学式の翌日に新入生全員が明治神宮に参拝する行事がある。中途半端に近いから徒歩で明治神宮に向かう。海外の人ががめっちゃ写真撮ってた。そりゃあ制服着た数百人のガキが外苑前から明治神宮に向かってぶわーっと行進してたら写真も撮るわ。あんなこと今でもやってるんだろうか。しらんけど。まあ、30年ばかり前の話ではあるけども、当時はそんな感じの学校だった。

が、昭和天皇がもう崩御だ、もうあぶねー、っていう時期に全国的文化祭やら体育祭やらが自粛される中で、「祭」はちょっと具合悪いから「文化発表会」に名前をかえて開催したような、わりと「頑張ってた」校風でもあった。真っ先に自粛しろよっていうね。

なお、共学に行ったはいいが、在学中に彼女はできなかった。

國學院高校校歌大学と同じで、ちょいちょい甲子園にも出たりしていた国学院久我山國學院栃木も同じ(はず)なので聞き覚えがあるな、という人も多いかも。大学サイトから聴くこともできる。

https://www.kokugakuin.ac.jp/assets/uploads/2017/03/000007625.mp3

特別愛校心があるわけではないし、高校の頃なんてそれほどいい思い出もない。今でいうところの「ブラック校則」的な理不尽校則に悩まされたりもした。

ただ、校歌はわりといい曲だよなーって思う。「古へ今の書明らめて国の基を究むるところ」とか、「外つ国々の長きを採りて我が短きを補ふ世にもいかで忘れむもとつ教は」とか、保守ってこういうことだよねー、って思ったりする。1番2番を踏まえての「祖先の道は見よこゝにあり子孫の道は見よこゝにあり」も良いと思う。

  見はるかもの みな清らなる

  渋谷の岡に大学たてり

  古へ今の 書明らめて

  国の基を 究むるところ

  外つ国々の 長きを採りて

  我が短きを 補ふ世にも

  いかで忘れむ もとつ教は

  いよゝみがかむ もとつ心は

  学のちまた そのやちまたに

  国学院の 宣言高く

  祖先の道は 見よこゝにあり

  子孫の道は 見よこゝにあり

作詞芳賀矢一

2018-09-10

anond:20180910113104

入学式やらで静かに座って校長先生お話を聞きましょう、ってのすら

抑圧だとか言う連中いるしな

2018-09-03

5歳児は毎年80人くらい亡くなっている

9月から3月までの7ヶ月で50人

なので

早期にランドセル販売するということは

入学式を迎えられなかった毎年50組もの親子の「位牌とランドセル」という深い悲しみを生み出すことになる

業者は金儲けのためにどれだけの涙を引き換えにしているか自覚したほうがよい

2018-08-08

暑い中で部活動やるだけで体力減るんだから大会の開幕式なんて必要ないと思う

終業式や始業式もわざわざ全校生徒集めてやらなくていい

運動会は止めるのが難しいなら開会式閉会式ぐらい簡略化してほしい

これを機に無駄ものを省いて子供負担を軽くしていくべきだと思う

震災の年は、入学式卒業式を短くするために来賓紹介がなくなった

効率的で良かったのに数年後また復活していたのが残念だった

来賓紹介なんてほぼ大人面子のためにやってるだけなんだから無くなっても良いのになぁ

2018-08-03

医者になれなかった(元)女子ぼやき

はじめに

大学(※1)の医学部入試問題について、どうしてもぼやきたくなった。

あくまでも個人意見ではあるが、随分と乱暴意見だとも自覚しているので、その所予めご了承ください。

あと、これは個人の雑感なので、読み易さは期待しないで下さい(※2)。

最後に、二重括弧で脚注付くって言うからせっせとつけたけど何故か脚注付かないので、手打ち脚注を付けました。もしもミスを見付けても、この間抜けについてはどうか(鼻で)笑って許して下さい。

※1:伏せる意味は欠片も無いが、様式美だと思ったので付けた。他意はない

※2:(意訳)クソ長ェ意味の無い文章が続くけど素人感想文だから許して下さい

増田について

ごく普通田舎(※3)生まれ田舎育ち。

基本的には親戚含め概ね一般家庭であるが、父親とイトコと義大叔父とがそれぞれ医者という、何故か不思議な縁がある。(※4)

タイトルの通り、本人の性別は女で、そして医者では無い。既に女子と名乗る年齢は過ぎたので、(元)女子コメント一言

※3:七大都市圏外に生息。県庁所在地ではあるが、当県には新幹線が通っておらず、未だに女子は親元にいて当然、みたいな思考がまかり通る程度の田舎

※4:何故か世代ごとに一人医者がいる。所謂、偶然の産物

ニュース(※5)についての感想第一声)

「まぁ当然じゃない?何で叩かれてるの?」

※5:伏せる意味は欠片も無いが、様式美だと思ったので付けた。他意はない(二回目)

増田医者になれなかった理由

入試を受ける許可が降りなかった』ので『医学部受験が出来ず』に『医者になれなかった』『元女子である

因みに偏差値は何とか足りてた。まぁ何とか、レベルだったのでもしかしたら国試に受からずに医者になれなかった未来もあるかもしれないが、そこは今は割愛する。

入試を受ける許可が降りなかった話

ただの自慢だが、高校二年の頃までは、随分と増田の成績は良かった(※6)。

高校一年までは、まだどうなるか分から模試の結果にも志望校にも何も口を出さなかった親が、二年最初模試の結果を渡した時、初めて話し合いの場、というものを設けられた。

結論から言うと、増田はその話し合いを経て『医学部を受けない』事を確定した、という話である。(※7)

事の次第はこうだ。

その模試の結果が返って来たその週末、『模試の事で話したい事があります』と親子三者面談が行われることとなった。

滅多に家に居ない父親がわざわざ昼から家に帰って来ての三者面談であったので、非常に緊張もしたし、内心『エライコッチャ』と思った。

先の通り、まだその頃(※8)は別段叱られる様な成績を取っていたと思っていないので、何故呼び出しを受けたのか分からない、という混乱もあった。

「こないだの模試の事なんだけど」と、母親が口火を切った。

「この志望校は、どういうつもりで書いたの?」

その時まで、得点偏差値といった所について怒られるものとばかり思っていたから、返答が「へぁっ?」という間抜け極まった返事になった。この面談が何の為に行われているのか、全く理解が追いつかなかったのもある。

娘の間抜けな返答にに、両親は特に叱るでもなく、母は言葉を重ねた。

増田あなた医者になりたいの?」

母の指先が示していたのは、志望校の欄に書かれた、地元医学部の欄であった。

「いや、そういう訳では…」

それまでのほほんと『まぁ今の偏差値ならこの辺りの学部書いとけばいいだろ』と志望校を書いていた増田は、母親言葉で『自分が本当に医者になりたいのか』という事を初めて、真面目に、考える事になった(※9)。

我が家勤務医であったので『実家病院を継ぐ為に、何が何でも医者にならなければならない』という家庭の事情も無ければ、『パパみたいにおいしゃさんになるのー!』みたいな可愛らしい夢も無く、『医者になりたいのか』という問いに悶々と悩んだが、すぐに答えが降って湧いて出る訳も無い。

いつまで経っても(※10)返答をしない増田に、母は再度口を開いた。

「じゃあ先に、私達の意見を、聞きなさい」

うろうろとテーブルの片隅に置かれていたコップの辺りで彷徨っていた視線をふっと上げると、母の強い視線に当てられた。残念ながらスローモーションにならなかったが、それでも随分と怖い顔をしていると思った。

「定年まで勤める覚悟が無いならば、医学部受験は認めません」

それまでずっと黙っていた父親は、やっぱり黙っていたけど、母の言葉追従する様にうんうん、と首を縦に振っていた。

※6:大見得を切った。自慢して歩ける程良くは無かったが、教師や親から叱られる程悪くも無かった

※7:(意訳)クソ長ェ意味の無い文章が続くけど素人感想文だから許して下さい(二回目)

※8:何の反動か知らないが、この話し合いの後一切勉強をしなくなったので、その後当然成績は真っ逆さまに落ちた。高校二年の頃まで、と書いたのはそのせいであ

※9:人生舐め過ぎである

10:とはいえ、今考えても三分も経っていない。カップラーメンは待てても娘の返答は待てないらしい

医者になるには、という話

両親の主張は、主に二点であった。

借金と返済の問題

医学部、それも国立医学部に入る、という事は、日本国民から借金をする(≒投資を受ける)と同義である

これは防大についても同じ事が言えるが、極論、医学部学生というのは『将来的には国益になる』と信じられているから、通常よりも多く『投資を受けている身分である

原資は何か?当然、国民血税である。その投資を受けた以上は、医者になったならば、労働を通して国民へ返さねばならない。

医学部に入って6年、専門を決め、安定した独り立ちをするまで更に数年。

10年近く投資を受けるのだから、同一年数は働かないと、その投資に見合った返済が出来たとは言えない。

最低でも46歳、そこまで働く気がないなら、税金泥棒になるのだと自覚しろ、と締め括られた(※11)。

資質問題

『どこでも眠れる』『すぐに眠れる』『すぐに起きれる』『寝溜めが出来る』の何にもかすっていない増田には向いていない。増田はどれも欠落しているか資質が無い。とばっさり切られた

何を想定しているか?無論、当直時、あるいは緊急時即戦力として対応出来るか否か、という事である

尚、緊急時には『有事』も含むからな、国立大卒なんだから当然、とも言われて、己の命の使い方も本気で考える羽目になった。

11:据わった目で『国益』という単語が出た時に、九州女性の腹の括り具合怖ェ、って思いました(感想文)。尚、両親は特定の党も支持していなければ、右の話も左の話もした事が無かったので、余計ビビりった

試みた細やかなる反論と、切り捨てられた回答

・私よりも成績の悪い医者が生まれるかもしれない(※12

→最低限の国資を通った以上、四十歳半ばで辞める優秀な医者よりも、定年まで働く普通医者の方が国益に勝る

看護師女性が大半だけど回ってる

→総数比を考えろ。数が少ないという事は、医師一人に対しての負担看護師比率分だけ上がると自覚しろ

別に定時で帰れる様な小さな病院に勤めれば良くない?例えばアルバイト医師(※13)とかさぁ

→甘 え ん な 阿 呆 (※14)

12自分がドベの成績で国試に受かるかもしれない、という思考を持たない愚かな小娘の僅かばかりの抵抗

※13:その当時、我が家の父は副業で日勤のアルバイト医師もしていたのでそういう発想に至ったのだが、若い頃はアルバイト医師として当直ばっかりしていた為、余計家に帰って来れなかったそうである。そりゃ人が居ない時間を埋める為のアルバイトであるんだから当然である

※14:地雷を踏んだ

終始大半を黙っている父親と、それを取り巻く家族の話

さて、以上の話は全て母親が話をした。

父親はずーっと『そうだぞ』とか『お母さんの言う通りだ』とか、合いの手しか入れなかった。

口下手、というのもあるが、彼は『父親ではない』というのが大きな理由である

一行で起こったこ矛盾であるが、彼は『生物学上における父親であるが『家族構築関係上における父親』でない、という人なのである

私が幼い頃、まだ医局という所は随分と力があり、若手医師の勤務先は医局の鶴の一存で決まる様なレベルであった。ペーペー医師である父は一週間の大半は家にいなかったし、弟は帰ってきた父親父親だと理解出来ず、抱かれた瞬間火の点いた様に泣いた、という古典的エピソードである程、家に帰ってこなかった。

ペーペーを脱しても主流医師でない(※15)父は、時には単身赴任も交えながら、随分と家から遠いあちらこちらの病院転々としていた。

結局、父親我が家根城に出来る様になる頃(※16)には子供達は反抗期を迎え、ちっとも父親として接していなかった父親は、子供とどんな話をして良いのか分からない、という状態に陥っていた、そんな時期がこの事件の頃合いである。

所謂、『仕事人間家族と関わって来なかったお父さんが定年を迎え、家族との接し方が分からない』という状態になっていた為、結果娘に何と言えば良いのか分からなかった、というやつである

彼がそうなった原因の一つに『田舎医者が少ない』という点がある。

圧倒的に『全体数が足りて無い』が故に、『一人当たりの当直数が多く』なり、またそういう人数が少ない病院ばかり転々としていた(※17)のも相まって、父親はいだって住まい病院です』みたいな生活を送っていた(※18)。

たまに家に帰って来て『今日はお父さんが帰ってきたから、家族四人で外食に行こう!』となっても、たった二時間もしない食事最後に彼のポケベル(※19)がけたたましく鳴り、家族団らんが解散になった事は数えきれない程あった(※20)。

当然、盆暮れ正月関係無く、少なくとも我が家帰省冠婚葬祭も含め父親を交えて一泊二日以上の旅行に行った事が無い(※21)。

そういう訳で、我が家は常に『母子家庭』と同等であった。何せ基本的家族行事に、父親はいだって居ないのである入学式卒業式も発表会も、父親がいた記憶が無い。

幸いにして母親専業主婦ではあったが、代わりに田舎ならではの『旦那(=増田父親実家の面倒』を見るという仕事はあり、最近流行り(?)のワンオペを当時より当然の如く強いられてきた。

別段その事については特に思う事は無かったそう(※22)だが、そういう母を間近に見ていながら『私の仕事の穴を他の人が埋めてくれれば良くない~?』みたいなニュアンス発言を娘が行った(※23)のは、流石に看過出来なかったらしい。

という事で、此処からは若干説経と、あと当初の想定通り偏差値について幾ばくかの説経が入ったので、ここで一端幕を降ろす。

※15:と父親本人が言っていた。本当の所は知らない

※16:医局の力が弱くなってきた事と、勤務先について本人の希望を汲んで貰える程度には中流層に入った頃合い

17:「していた」のか「させられていた」のかは、今はもう分からない

※18:一度だけ父がインフルエンザに罹った時に、『入院していい?』と聞いたら、師長さんに『(いつも病院生活してるんだから、)病気先生の面倒まで見たくありません』と断られ、そのまま家にいた母親に迎えの要請電話が来た(実話)

※19:少なくとも、私が小学校を上がる頃まではポケベルが主流であった

20とある店に行くと、なぜか謀った様に毎回毎回鳴るので、仕舞いには弟と『今日ポケベルが鳴るか鳴らないか』という賭け事(掛け金:翌日のオヤツ)をやっていた(※現金の絡む賭博行為違法です)

※21:いわんや海外旅行をや

※22:父と結婚するにあたり、ワンオペ育児を行う事になると重々言い含められ、了承の上の結婚だった、と後に語る

23自分の穴埋めをしてくれる人(=他の医師)を全力でバックアップする人間(=その医師家族)に対して軽視し過ぎであり、礼を失した態度である、というお怒り

後日談

その後、別日ではあったが、もう一度話をされた。

その時に言われたのは、

増田が本当に医者になりたくて且つ子供も欲しいなら、孫(=増田の子供(※24))が一人で留守番が出来る年齢になるまでは私がフォローする。私の体力が追いつかなくなったらシッター代も出す。だからそれも踏まえた上で、自分が『医者』になりたいのか、『母親』になりたいのか考えろ

・ただし、その場合増田就職は(地元)県一択になるだろうから、そこを前提に考えろ

田舎から出ていきたいと思うなら、専業主夫になってくれる男性結婚か、或いは子供を持たない夫婦二人暮らし選択する事になるが、家事労働を金で買うかのどれかだが、そういう考えに賛同してくれる相手は数が少ないと心得よ

医者になる幸せと、(増田)の人生幸せ(※25)と、よく考えてから志望校は決めなさい

そういう話をされ、『そこまでして医者になりたいか?』と考えた結果、以降増田志望校から医学部名前を書かなくなった。

24:結果として、母親の想定年齢を超えても増田は一人身だし当然の様に孫も産んで無い為、このくだりを書きながら無駄な気苦労をさせてすまない…、という気持ちで一杯である

※25:生活力の無さを見抜かれた上での発言であり、別に子供を産むことを推奨はしていない。30歳を超えたある日、電話口で母に『孫いなくてごめん』と謝ったら『子供なんて、居たら居た形の幸せがあるし、居なきゃ居ない形の幸せがあるんだから比較も出来ないし、(母)に謝る事ではない』と叱られた。本当にすみません

第一声について

此処まで書いてこんな事を言っても信じて貰えないだろうが、別段増田は『女性医者になるな』と主張したい訳ではない。

ただ、医者になりたいのであれば『自分が誰に投資をされたのか』という事を忘れないで欲しいし、その投資に対して最低限ペイをする気が最初から無いならば、その道は他に譲ってくれないだろうか。(或いは、現場医師ではなく、研究職といったルート選択するとか、兎角ペイを出来る道筋を立てて欲しい)

そして、医者の総数が少ない以上、途中で辞めてしまう優秀な医師よりも定年まで働いてくれる平々凡々な医師の方が有難い、と思う程に、医師の少ない地域があるのだ、という事実に少しで良いから目を向けて欲しい。

産休・育休をしても尚女性医師が長く働ける職場を、と言うならば、お互い様精神で、男性医師だって同じ様に休ませて欲しい。女性医師休みは認めろと声高に叫ぶならば、同じ様に男性医師にも同じ期間だけ育休を取得する権利を声高に叫んでくれ。

女性妊娠出産するから優遇されて当然でしょ!』ではなく、女性であろうが男性であろうが同じ様に当直を行い同じ様に休みを取り同じ様に昇給して同じ様に家族との時間を持てる様にと主張して欲しいだけである

が、現状、当然比較論ではあるが妊娠出産を機に投資に見合ったペイもせぬまま医者を辞める女性は多く、その穴埋めを男性医師が当然の如く行っている以上、男性下駄を履かせたり、女性を少なく取ったりしたって『当然だよなぁ』と思うのである

少なくとも、医者になりたいし母親にもなりたいの!と思うならば、実家フォローパートナーフォロー(※26)/民間(例:シッター)のフォローなど、両立出来るだけの道筋を立てられるかどうかを、一度考えてみて欲しい。

※26:我が家場合は『奥さんに丸投げ=パートナーフォロー』なので、真面目に女医を成立させるならで自分の代わりに家庭を全て回してくれる人を探す案をおすすめしたいし、現状それで男性医師の家庭は回っているのだから女性医師が真似ても上手く回る例なのでは?と本気で思っている

当該の迫害されている女性医者(或いは医学部志願女性)では無くて、けれど『女性差別だ!』と怒れる方へ

まずは一人一人が己の健康を顧みて、医師負担を減らす事で、医師仕事量の総数が減り、結果男女共に産休・育休を取りやすくする事を目指しませんか?

具体的には

・無茶なアルコール飲酒をしない(急性アル中患者を減らす)

・無茶な運転をしない(交通事故患者を減らす)

・日々歩く、と言った最低限の健康管理を行う(成人病リスクを下げる)

・(今のシーズンだと)熱中症予防をきちんと行う(急患の数も減らし、重篤熱中症患者を出さない)

予防接種を受ける(風疹騒ぎ、よもやお忘れではあるまいな…?)(※27)

健康診断を受ける(数年に一度脳ドッグオプションを付けたり、市町村区フォローしてくれるガン検診を受けたり、早期発見早期治療を目指す)

みたいな。

少なくとも、そういうフォローの仕方もあると思うので、ご一考頂ければ幸いです(※28)。

※27:予防接種については、医学的に受ける事も出来ない人(例:妊婦風疹ワクチン)もいるのだから、少なくとも飛沫感染・蚊を媒体にした血液感染系の予防接種医学的に問題が無いなら受けて欲しい。接触型感染である子宮頸がん、みたいな類のワクチン医師家族相談の上自己判断で良いと思うけど、少なくとも不可抗力他人うつしてしま可能性があるならば、皆で予防する、というのは基本的な事ではないか

28:これ、医者に限らず例えばサービス業に対しても同じだと思うのですが。と申し添えておく。お金も払わずサービスだけを求めるのを止めて、サービスに見合った対価を払うか、或いは対価を払いたくないのであればサービス求めないとか。まずは等価交換が基本でしょう?

おわりに

この間、実家に帰ったら父親にぼそりと『(増田)を医学部にやれば良かった』とか言われた。

オメェ、あの時散々反対したじゃねーかよ。と殴ろうかと思ったけどやめた。

属性医者』をようやく辞める事が出来た彼は、ようやく『属性父親』の練習を始めたばかりであり、目下家族との対話練習中なのであり、まだまだ足りない日本語(※29)をフォローし、行間を読む日々は続きそうである

※29:我が父は日本語も下手だし自力で読解出来ない文字を書く為、転々

2018-07-02

anond:20180702011310

育てた側が正解を知るときって育てた子の節目なんだよ

本当にそれが正解かどうかも解らないのに教えたり導いたりしないといけない

その答え合わせは入学式とか運動会とか就職とか結婚とか出産とか、そういう節目でやっと解る

ただ、別に答え合わせできる節目は大きな節目じゃなくても良い

長男が"お兄ちゃん"できているとか、次女が肩たたき券くれるとか、娘に今日は私が出すよと言われたりとか、息子に酒を奢られるとか、そういう小さな節目でも答え合わせはできる

ちゃん感謝してるなら自分のペースで良いか人生を歩んで、大なり小なりの節目を見せてあげな

きっと姉ちゃんはそれが一番嬉しいはずだから

2018-07-01

anond:20180630150652

40代女医麻酔科医です。子供いないので、あまり参考になるようなことが言えないかもだけど。

かに責任は重く、労働時間は長く、突然の呼び出しもあり、私生活に対しても社会の目は厳しい。

こんな状況で出産子育てなんてできるかという気持ちはごもっともです。

でもそれって女医だけの問題でしょうか?

社会全体を見れば、共稼ぎ世帯が増加したことで、男性育児参加は当たり前、育休収得も増え始めています

男性医師も少しずつ意識が変わりつつありますメジャー科の男性医師でも「子供入学式にために休みます」という人も珍しくない。

長期の育休を取った男性医師はまだ見たことがないのですが、制度上は問題ないんだし、そのうち出てくるんじゃないでしょうか。

今までの医師ロールモデルは「(家庭を顧みる必要のない男性医師私的領域まで犠牲にして働く」という昭和的なものだったのですが、

平成も終わろうという今、これを踏襲し続けなければならないわけがありません。

陳腐な言い方であまり好きではないのですが、「女性が(家庭を顧みなくていい)男性並みに働く」ではなく「男女ともに家庭を大切にしながら働く」。

正直男性医師だって休みたいし、家庭を大事にしたい人は多いんです。メジャーだって、これから時代医局員増やしたいならここらへんちゃんと考えてます

今後老年人口が増加していく中で、これ以上医者疲弊しない労働環境づくりは結構重視されてます

主治医制を撤廃した病院もありますベテランだって皆、もっと楽に仕事が回るようにしたいんです。

あなたに「メジャーに行け」という意味じゃなくて、「『出産子育てをする女性からできない』という考え方は、次世代への呪いになるからやめときなさい」と言いたいのです。


あと新専門医制度は悪い文明。一回滅びろ。一回と言わず永遠に滅びてろ。


最後ちょっと厳しいことを。

産後復帰しようとしたら入局後2-3年は、あなたの言うようにすべてを捨てて頑張ったほうがいい。そうしないとまともな産後復帰は難しいです。

復帰しても指導者監督下で簡単なことしかさせてもらえない→やりがいもなくなって退職というコースになりやすいです。

サブスペシャリティが得られるまで頑張ったなら、よいバイト先もまわってきてやりやすくなるのですが、そこに至るまでの年数がネックですね。

まー、意地悪な言い方ですが、夫が医師でない場合経済的理由からか復帰への意気込みが違います

正直「旦那さんが医師で入局1-2年以内に出産」ってパターンの子は、まず戻ってこないだろうなーと思って見てます

どうなるにせよ、医師という職業を続けるからには一生勉強なのです。

子供いるから・育休取ってたから」は労働時間制限にはなっても、医療の質を下げていい言い訳にはなりません。

子供がいて育休たくさんとってても、時間内の仕事の質が高く、医局内でも評価が高く後輩から尊敬されているような女医さんもいます

近くに良いモデルになるような先輩がいないのかもしれないけど、産休・育休取った女医さんのこと、あんまり低く見ちゃだめだよ。

「女が女を低く見る」構図は、ますます男性有利な状況を作り出すよ?

医療崩壊なんて、あなた一人の決断ぐらいでそんなに簡単に起きないから。自分のやれることをやるだけだよ。

(つーか、お若い方だからだろうけど、私ぐらいの世代だと今は「いったん崩壊した後の焼野原になんとか芽が生えてきた」という認識なんだけどねえ。)

2018-06-29

anond:20180629131539

せいぜい三十路までだろ

小学生入学式で孫いてもおかしくない年齢とか異常

2018-06-21

anond:20180621105711

めちゃくちゃ内向的美人の知り合いがいる

小さくうつってる写真でも男に見せたら九割がたがこの可愛い子誰?と食いついてくるレベル

でも死ぬほど内向的なので幼馴染達の居ない大学入学式リア充空気に耐えられず名前を呼ばれて返事できなかったトラウマとかで不登校になり引きこもってしまった

その後何とか持ち直し客の少ない珈琲店バイトを始めたらすぐに引き抜かれ正社員になりすぐに男を紹介されて専業主婦になった

内向的な人でも余程馬鹿じゃなければ幸せになるのに顔は絶大な効果があると思う

2018-06-14

anond:20180613231212

儀式儀礼は状況を受容するための伝統技法だよ

冠婚葬祭など大きな状況変化には、相応の大きな儀式が行われるのはそれ

歓送迎会入学式卒業式なんかもそういった儀式一種

茶番感を覚えて嫌がる奴がいるのは当然だ、意味はないからね

ただこれ、組織への異分子の混入の予防という意味では、割と効率が良いんだよ

これに従えない奴は、日ごろの上下関係や横の繋がりにもドライで、ともすれば反抗的になりがちだから

から、従わない奴がいるのは、儀式としては成功なんだよ

そいつ排除すれば組織が安定するって分かるから

2018-06-12

anond:20180612122604

俺が通った田舎公立小学校入学式卒業式国歌斉唱しなかった。国旗も端っこに下がってただけだった。

ところが自分卒業式君が代を歌うことになって、そこで初めて練習したんだ。歌詞意味解説する時間もあったりして。子供ながらに何だか大変なことが起きているみたいだ、と感じた。

で、卒業式当日、いつもはそこにない日の丸体育館ステージのど真ん中にデーンと掲揚されててビックリした。

いつもより心なしか厳粛に式が始まって、いよいよ君が代斉唱。ところがここで体育館の後ろの方からハンターイ!とか叫んでるオッサンやらババアが湧いて出てきて、これまたどこから湧いてきたのか警察官がそれを静止していた。

騒ぎは一瞬の出来事だったので、そのまま式は時間通りに終わったんだけど、なんだか大変な卒業式だったと記憶している。

ま、そういう地域もあったんだぜ。

2018-06-04

専門学校教員してたけど

全日制以外の高校卒業、もしくは高認学生

中退率が全日卒業学生に比べて高いよ

ひどいのになると集団の場が苦手とか言って入学式だけしか来なかったのもいた

社会に馴染めないというのはそういうことなんだろう

2018-05-31

anond:20180531125644

なるほど!入学式母親が来ないと変だけど説明会父親だけでもおかしくないもんな???

2018-05-27

入学した高校風習が異常すぎる

僕が入学した高校は、この地域では有数の進学校で、100年余りの伝統で知られている…というのが僕が聞いた前評判だった。

ところが、入学した途端に奇妙で恐ろしい風習さらされ、ひどく困惑している。

入学式の翌日、体育館で全学年がそろった歓迎会のようなものが開かれた。伝統であるゆえか、歓迎会に限らず、どんな集まりでも校歌斉唱する。

当然僕は、入学したばかりだから校歌歌詞など覚えているはずもなく、なんとか上級生が歌うのについていこうとした。しかし、上級男子の一部が、無駄に声を張り上げて歌うため、うまくついていくことができなかった。(今思うと、一年生が歌を聞き取れないように、わざとそうしていたのではないかと思う)

なぜそこまで声を張り上げるのか腑に落ちないまま、会は終りを迎え、二・三年生は退場し、なぜか一年生だけが体育館に残された。

生徒会役員自己紹介が終わった直後、閉じていた体育館の扉が突然激しく開いた。見ると、腕を組んだ上級生が二十人ほど中に入ってくる。上級生たちは、一年生を囲むと、いきなり口々に怒鳴り始めた。僕は状況がうまく理解できないのと、もとから小心者であるのとで、動悸が止まらなかった。

僕も恐怖のあまり興奮気味だったので、詳しくは覚えていないが、簡単にいうと、「なぜ歓迎会とき校歌を歌っていなかったのか」というようなことを怒鳴り声で言われたのだった。そんなことをいわれても、まだ入学から24時間も立っていないのに…と思いつつ、僕は恐怖でおののいていた。とにかくひたすら怖かった。

5分ほどその状態が続いて、ようやく上級生は去っていった。

それから約一週間たち、ようやく少し学校生活になれてきたある日のことである。その日は、朝から、「今日はあの人たちが来る」と話題になっていた。僕は昼休みになると、急いで昼食をかきこみ、「あの人たち」の到着を待った。

「あの人たち」は、突然教室乱入してきた。そして、一週間前の体育館と同じように、集団で僕たちに怒鳴り散らした。そして、僕たちのうち何人かを指名して、「なぜこの学校に来たのか」と質問してきた。当てられた人は、震えつつも、「伝統に憧れたから」とか「進学校から」といったことを答えるのだが、そのたびに、上級生たちは集団で責め立てたり、机を押し倒したりする。(あとから聞いた話によると、このときは、何を答えても責められるそうだ)僕はその異常な光景に恐れおののいた。しばらくして、「放課後に全員揃って屋上に来るように」と僕たちに伝えて、彼らは教室を出ていった。

僕は、怒りが抑えられなかった。なぜこんな不条理がまかり通っているのか。なぜ先生は誰も止めないのか。そんな気分で、いっそのこと上級生の命令無視してさっさと帰ろうかとも思ったが、そんな雰囲気ではなかったので、結局みんなと一緒に屋上に行くことになった。

屋上に続く階段の前で整列して、一同震えながら待っていると、上級生が来て、入れと指図された。僕たちは階段を登り、屋上に並ばさせられた。

しばらく僕たちを責め立てたあと、ひたすら校歌を歌わされ続けた。声が大きい人は座らせられるだが、あまり声の大きくない僕はずっと座らせられなかったので、涙ながらに歌い続けた。こんなことをされるために入学したわけではなかったのに。僕は一体何をしているんだろう。そんな思いで、延々と泣きつつ歌い続けた。

炎天下の中、それが一時間ほど続いて、ようやく終わった。上級生たちは、態度を一変させ、カジュアルな態度で、みんなを集め、「お疲れさまでした」といって、自己紹介を始めた。それが終わると、ようやく帰された。

僕はもはや放心状態で、そのまま家に帰った。

今でも頻繁にこう思う。なぜあんなことをさせられなければならなかったのだろう? あれになんの意味があったのだろう? これは伝統を笠に着た「いじめ」ではないか? と。

また、こんなことも思う。例えばクレーマー気質金持ちの親が保護者の中にいて、自分の子供がされたことに腹を立て、学校を訴えたりしたらどうなるか…と。この風習にはなんの正当性も、教育的意義もないから、もしかすると裁判で負けるかもしれない。そうなったときに、学校責任を取れるのか? コンプライアンス意識がまったくないのではないか

僕の入った高校は「国際人育成」のようなことをスローガンに掲げている。後輩や部下を怒鳴り散らすような人が、世界通用するだろうか? 僕は運動部ではないので、この種の「いじめ」はもうないが、一部の運動部では学校施設の利用を新入部員だけに禁じたり、あるいは怒鳴り散らしたりといった「いじめ」が行われていると聞く。(皆が「いじめ」と認識しているわけではないが、僕はそう思うのだ) そのように後輩をいじめることになれた人は、社会人になっても、後輩をいじめることに抵抗を感じないのではないか。僕の高校では、皆忙しすぎて、いじめをする精神的余裕もないと聞くが、学校体制の中にいじめが組み込まれているのなら、同じことだろう。学校が、いじめをする人材の育成場所になっているように思えるのだ。

2018-05-11

卑怯

大学に入って一か月、ずっと思ってることがある。

周りの奴ら、講義中もうるせえ!

おまえら喋っててええんか?ここ大学だけど職業訓練校やぞ?仕事できるんか?

教授も注意してくれや、って注意しない教授から喋ってんだなお前ら。こりゃ一本とられた。

喋ってるやつら、お前らは卑怯もんだよ。

なんでって「この教授は怒る」「この教授は怒らない」なんていやらしいそろばん弾いて喋ってっからだよ。

もっと言うとさ、学校にとって自分たちが客だって分かってんだろ。

いやらしいよな!

あいつらが就職して、社長の訓示とかでおんなじ態度取るかっていったら取らねー

なんでって会社やめさせられるからな、学校はやめさせられないからナメてんだろ。

社長教授も目上の人だと思うよ俺は、だからおんなじ態度取るべきジャン。

なのにあいつらは今日も弁舌がはかどっていらっしゃる。何しに大学きたの?

うちの学部中退率6割って入学式で言ってたな、もう6割がだれかってのは見えてるよな!

俺はお前らの教授でもなけりゃ親でもないから怒ってなどやらん。

注意しない教授もお前らを矯正できない。

そして唯一矯正させられる可能性のある「怒る教授」の前じゃ、お前らは蚊より静かだ。

からお前らが自分で気づくしかないんだよ。がんばってくれよ。

そうでなきゃ早くやめちまえ!

2018-04-23

小中高一切家庭学習せずに関関同立に受かった男の話

突然ですが、皆さんには趣味や好きなものはありますか?

私は、現在関関同立に現役で通っている一年生です

関関同立とは、関西私立大学偏差値が55~65の大学頭文字をとったものです

関東で言うMARCHの少し下のレベルです

私は小学校のころから学校が好きではありませんでした

主な理由宿題です

授業で一度やっている内容なのに、なぜ家でまたそれをやらなければならないのか、という疑問があり、宿題をほぼやってきませんでした

夏休みの宿題をやったことはありません

常に先生から怒られ続けていました

小学校4年生になったころ、父親自分パソコンを買ってもらいました

「これから社会必要から」と父は言っていました

そのころからそれを使って動画をみたり、mixi黒歴史を作ったり、ニコ動臭いコメントをしたりしていました

そして、ある日、海外ゲームが目に留まりました

Minecraftです

今でこそ誰しもが知るようなゲームとなっていますが、当時は動画投稿界隈ぐらいでしか見かけず、友達にも知っている人はいませんでした

悪いことに、当時の私はそのゲームを割って(違法ダウンロードプレイしていました

ただ、その割るという行為自体簡単ではなく、数多の悪質な広告が渦巻く海外サイトに行き、正しいダウンロードリンクを探し、ダウンロードしなければなりません

そのせいでせっかくのパソコンウイルスにかかったりもしました

ただその中で英語動画を見て必死プレイしようとしていました

中学1年生になり、お小遣いをもらうようになってはじめに買ったものMinecraftでした

当時は今のようにコンビニカードを買ってコード入力すれば遊べるようになる、というものではなく

公式サイト英語表記で、Google翻訳を使ってようやく買うことができました

さて、正式版のMinecraftを手に入れた私はMODに手を出し始めました

ここで言うMODとは追加要素のことで、海外ゲームにはよくある自分ゲームの要素を書き換えたり、追加することができるものです

MODを入れるためには複雑な手順を踏まねばなりませんでした

解説サイトなどもありましたが、情報更新が早く、追いついていませんでした

新版のもので遊ぼうと思ったら英語で書かれた海外フォーラムを読まねばなりません

英語なんて中学でようやくまともに学び始めたものなのでまともに読めるわけがありません

それでも私は読み続けました、MODを入れて遊びたいがために

するとなんとなく意味理解できるようになってきたのです

単語ゲーム内に出てくるので知っていますから問題文法です

文法パターンである、とその時に理解しました

そこから英語に興味を持ち始めます

中学生になっても宿題嫌いは変わらず、3年生の時の担任にはその生活態度の悪さから伝説の男」と呼ばれていました

さらにその上授業態度も良くなく、ずっと友達と喋っていたので平常点は低かったです

3年生になって進路を決めなければならない時には「成績が低くて行ける高校ない」と言われ、高校選択肢はかなり狭かったです

私は英語に興味があったので英語を重点的に勉強できる学校に行きたかったのでいろいろ調べました

いくつかの学校オープンキャンパスに行き、「この学校いいな」となった高校があります

その高校通信制をメインとしており、週5日通コースも有るという少し変わった高校です

その高校に決めた理由は「授業の3分の2が英語の授業である」というところです

ちなみに偏差値は38です、あってないようなものでしたが

その高校通信制をメインにしている、ということもあり不登校いじめ経験者が多くいました

入学式が終わって数ヶ月経つ間にクラスの2割がやめていきました

そんな中私は純粋英語勉強したくてそこを志望していたので、変なやつという扱いではありました

私の宿題嫌いは高校生になっても一切変わりません

宿題基本的にやりません

家に帰ってすることは動画を見るか、ゲームをするか

その頃にはパソコンの扱いにも慣れ、様々なゲームで遊ぶようになり、その中にはもちろん海外のものも含まれていました

キャラクターたちは英語で喋り、チャット英語で行われています

私の中で、ゲームをやりたいか英語勉強し、ゲーム英語勉強する、という循環が生まれていました

高校入学時には300点だったTOEIC卒業時には810点となっていました



英語ができると受験において恐ろしく有利です

私立大学には公募推薦入試というものがあります

これはTOEIC〇〇点、や平常点平均〇〇点以上、といった足切りを設け、小論文面接で合否を決定する入試です

英語ができればこれで受験できる学校は多いですが、他の教科ではほぼありません

私達は偏差値の低さも相まって、普通受験など到底できません、英語以外の教科はほとんど勉強していませんでした

クラスで3人だけがセンター試験を受け、一般入試の道を選んでいます

そして私は関関同立のうちの一つの公募推薦入試を受けることにしました

幸いTOEICの点数だけはあったので応募資格は満たしています

書類だけの1次試験を通過し、いよいよ面接となります

面接では自分を一切偽らず、全て正直に話しました

英語勉強する理由を聞かれた際には「ゲームがしたかたから」と答えました

結果は合格、晴れて関関同立に現役で通うこととなったわけです



さて、ここまで長々と自分語りをしてきたわけですが、結局何を伝えたいか

それは「好きなことを武器にできれば無類の強さを誇る」ということです

私の場合ゲームでした

ゲームで遊ぶうちにいつの間にか英語が身についていました

勉強、という形こそとっていませんが、英語は結局身についたわけです

高校時代300から810までTOEICの点数を伸ばした訳ですが、特別勉強はしていません

ただ、海外Youtuber動画を見て、海外ゲームをやっていただけです

ただ、私の場合はその量が異常でした

中学時代からほぼ毎日学校から帰ってくるとすぐパソコンの前に座り、5~7時間ほどしてから眠りについていました

勉強せずともそれで身につきました

勉強している」という意識で机に向かい問題を解いたり単語を覚えたりするようなことは私はできません

「遊んでいる」という意識英語を聞き、動画を見ることなら何時間でもできました

趣味や好きなことはありますか?という冒頭の疑問に戻りますが、なにもこれはゲームに限った話ではありません

スポーツが好きなのであればその関連の情報はたくさん目にすると思います

〇〇選手が大活躍!✕✕選手骨折!といった情報はそこら中にありますが、海外選手情報英語のまま見たことはありますか?

海外拠点とするものはもちろん海外のほうが情報は早いです

もちろん翻訳されたりもしますが、されないものも多く、されていたとしてもそれには「翻訳された」というノイズが入るので必ず正確、という訳ではないのです

情報の速度と正確性を求めるなら英語をそのまま取り入れるほうが格段に良いです



私が関関同立合格した一番の理由、それは

自分の好きなことのために貪欲であった」からです

2018-04-21

上司が有能過ぎて吐きそう

子ども入学式卒業式に参加するどころかPTA会長から積極的学校イベントに参加するし

休日家族PTA仲間とキャンプに行ったりするし

妻の代わりに二人の娘の弁当まで作る

 

その分仕事がおろそかなのかというと上司がいなくなったら絶対回らなくなるくらい持ってる範囲が大きくて

もし普通にこのまま定年でいなくなったらサービス運営出来ないレベルだし凄い有能

それでいて誰かに威張り散らすこともなく自分上司も定時で帰れる

 

俺はと言うと自分のことで精一杯でまだまだ勉強しなくちゃいけないことも多くて

結婚なんて考える余裕も無い…そもそもできないとも思っているけど

上司は俺が来たおかげで残業が減ったと言ってはくれるがどれだけ貢献出来ているんだろうか…

教師仕事増えてると言えば

今時の学校個人情報云々の為に、事前に子供写真公表しても良いか承諾を取るんだけど、

いざ公開不可とした場合はどう対応するか、と言うと

そういう子が映っているかどうか目視でチェックして映ってる写真を外す、と聞いて

うっわ面倒くせえー!!と思った。

恐らくそういう意識高い親はほんの僅かしかいないからそれで成り立つんだろうけど

大勢いたらチェックなんてし切れないよなあ

そういや入学式やら始業式やらの時にマスコミ取材に来てテレビで流す、って事もよくあるけど

あれも事前に不可になってる子は映らないよう注意してたりすんのかね

適当に映してるようにしか見えないけど

って事は不可にするような親はほぼいないって事なのか

2018-04-15

教師視点

生徒は一度限りの学校生活教師である私にとってはルーチンワーク

「これは何度目の入学式か...」

そう思うと、ループもの主人公みたいで面白い

生徒は有限の時を生きる、私は定年までの悠久の時をいきる。ときどき有給を取る。

入学から卒業からなんて、一瞬のようだわ...」

そう思うと、教師が生徒を見つめる眼差しエルフ人間に見つめるものに似てきて面白い

2018-04-12

職場九段下なんだが今日武道館東京大学入学式らしい

未来日本を背負って立つ人たちだ

彼らも公文書改ざんすることになるのかな

2018-04-11

入学式で心をやられた件

子供高校入学式に参加した。

暗い体育館で始まるまでずっと待ってた。

式が始まり

退屈な話を聞いているうちに

なんで俺こんなとこにいるんだろうと思った。

式とか大嫌いだったじゃないか

学生時代の嫌な思い出がフラッシュバックする。

なんで嬉しがってわざわざ学校に来てるんだろう。

式の後、教室に移り

担任先生から学校生活についての説明があった。

その中で

規則を守れない場合は厳しく指導します。

とあった。

まるで自分が言われているようで

ああ俺ってやっぱり学校向いてないわ

と思った。

次に中学入学式

知ってる先生が元気なかった。

事情を知っているので

大丈夫かなと思ったが一応スピーチはしていた。

その後の記念撮影でも元気のない微笑で写っていた。

先生も大変だな―と思って

こっちも更に鬱になった。

なんかもう、しばらく式には出たくない。

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