2019-04-11

受け身人間の苦悩

私は対人関係において受け身人間だ。

小さい頃から引っ込み思案で、小学校中学生高校大学大学院(修士で別の大学に行った)の入学式では、また新しく人間関係を構築しなければならないのかと胃が痛くなった覚えがある。

友達を作るのも、友達でい続けるのも得意ではない。今まで関係が続いている友達は三人くらいしかいない。私からも誘わないとと思うのだが、迷惑がられたらどうしようと思うと連絡ができなくなる。

好きになった人に告白したこともない。気持ち悪がられたら立ち直れないからだ。告白してきてくれた人と、断りにくくて付き合い、私がやっぱり好きになれなかったり、向こうが愛想をつかして別れる(このパターンが多い)ということを何度か繰り返してきた。

この記述でわかるように、私は自分が傷つくのが怖くて、自分が一番大切で、自分気持ちとか存在とかを度外視して人にぶつかっていくことができない。

なぜ受け身なのか。それは育ってきた環境が大きいと思う。

まずは親の影響だ。これはかなり大きいと思う。ただし、それで親を恨んではいないし、むしろ好きだ。彼らは友人がほとんどいなくて、社交性もあまりない。家族全員がいわゆる陰キャである

それから、私は空気全然読めないのだが、多分そのせいで小中高といじめに遭った。田舎の閉鎖的な環境だったから逃げ場がなかった。

そうして、人間関係において受け身消極的人間ができあがった。

周りにいる社交的でぐいぐい距離を詰めていける人を見て、あんな風になれたらなぁと羨むけど、彼らとは育ってきた環境が違うのだし、無理して真似してもストレスになるだけだとも思う。

心のどこかで、私は子供の頃受け身人間養成コースに在籍せざるを得なくて、彼らはきっとそうでなかったのだから、いまは私が受け身で彼らに積極的になってもらってもいいじゃないか、これは辻褄合わせなんだ、などと思っているのだ。

しかし、よくよく考えてみると、これは

子供の頃恵まれ貧困の中満足な教育も受けられず過ごしたのだから金持ちで十分な教育を受けた「持てる者」からちょっとぐらい色々なものを奪ったっていいじゃないか、辻褄合わせだ、

という犯罪者思考回路とまったく同じだ。

そう思うと、やっぱり今からでも変わる努力をしなきゃいけないような気がしてくる。でも、コミュニケーションを頑張った日は酷く消耗して、次の日が休み場合日中寝込んでいたりするので、精神的肉体的負担が大きい。そのうち慣れるのだろうか。でも本当の自分と大きく外れた振る舞いをして頑張るのは何だか間違っているようにも思えるのだ。


まとまらなくなってきた。私はどうしたらいいんだろう。

  • 当たり前なんだけど、やったことないことやると疲れるよ。慣れたら平気になるからだいじょうぶ。増田のなりたい増田にもうなり始めてるよ。

  • いいんだよ、変わらなくて 理想はあるかもしれないけれど、もし現状が居心地良いならそこが君のあるべきところ 俺も受け身体質だからわかる ただ、俺の場合は手助けしてくれる表面...

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