はてなキーワード: 入学式とは
金メダルの祝賀会と入学式をごっちゃにしてるのがアホなんだよなあ…
スポーツであっても、例えば大きな大会へ向かう選手団の祝賀会で
そういった話が出るのはおかしくはないだろう。
もしその頃に「子育て終了した親を祝え」ってなら、大学入学式じゃなくて高校卒業式だよな…
つーか子は親べったりで親がいなけりゃ受験も出来ない、って前提なら
大学生活だって親いなけりゃ出来ない(ほとんどの学生の学費や生活費出してるのどうせ親だし)んだから
入学式で親祝ってどうすんの。「親はこれから学費大変だけど頑張ってね」って方がまだ分かる。東大でする事じゃないだろうけどな。
東大生どころか、その親でも式典の最中にスマホで遊んでるアホがいた…
https://note.mu/hirotakai/n/n7e4d16fb2257
入学式の主役は当然、新入生だ。
幼稚園の卒園式の祝辞なら、保護者向けに「これで子育ても一つの区切り、お疲れ様でした」ってな内容が入るのは分かるよ?
入学式や入社式、4月はえらい人からありがたいお言葉を聞く季節ですね。
他人に傲慢さについてお説教しているのをメディアやインターネットではどうしてもたくさん見かけてしまいます。
そんなとき私がどう反応するか感じてみました。
・傲慢な人が何を偉そうに言っているんだと怒る
・私がこの人を傲慢だと思うのは間違っていると自省する
私は上からいろいろ都度組み合わせているのかもしれないと感じました。
「入学式の最中にスマホでtwitter実況していた東大生に不評」なのってバイアスかかりまくってないか…
「東大生でも式典の最中にスマホで遊ぶアホがいるのか」って感想の方が先に出る
耳で聞くのと文章を読むのの違いもあるだろうしね
耳で聞いた方が理解しにくいし、最初の東京医大の女子差別の話題になった時点で
フェミガーになって後は聞いてないアホが多かったんだろうし
(スマホいじってるなら元々ろくに聞いてないんだろうしさ)
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_06.html
学問や学説にも流行りがあります。主流の学説に乗って論を進めると、批判のリスクは減らせるかもしれません。流れに乗るのは楽なことです。しかしそれでは本当の意味での学力は身に付きません。ブレイクスルーも生まれません。たとえ一般に受け入れられている考え方であったとしても、絶えず自分の目でその拠り所を検証し、納得できなければ受け入れない勇気が必要です。乗るか乗らないかは自分の学問的良心に依り、責任を以て判断する、それが「知のプロフェッショナル」としての矜持ではないでしょうか。これは学問だけではなく、世の中の全てについて言えることだと私は思います。
これ例えば世の中の大半の学識者が褒め称えているような学説でも、統計的な計算方法や論拠の細部におかしいところがあると感じれば即座に受け入れなくともよく、検証の対象としてもよいという意味なのだろうか?
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 93 | 23455 | 252.2 | 61 |
01 | 67 | 14143 | 211.1 | 47 |
02 | 43 | 4724 | 109.9 | 60 |
03 | 22 | 3029 | 137.7 | 76.5 |
04 | 11 | 1149 | 104.5 | 32 |
05 | 8 | 398 | 49.8 | 46.5 |
06 | 18 | 3940 | 218.9 | 54 |
07 | 28 | 5744 | 205.1 | 60 |
08 | 39 | 6432 | 164.9 | 78 |
09 | 55 | 7548 | 137.2 | 60 |
10 | 62 | 8232 | 132.8 | 78 |
11 | 46 | 12941 | 281.3 | 57 |
12 | 93 | 10069 | 108.3 | 52 |
13 | 92 | 7449 | 81.0 | 36.5 |
14 | 67 | 11837 | 176.7 | 40 |
15 | 106 | 8187 | 77.2 | 39 |
16 | 103 | 13835 | 134.3 | 37 |
17 | 97 | 10531 | 108.6 | 27 |
18 | 60 | 7618 | 127.0 | 48 |
19 | 75 | 9133 | 121.8 | 66 |
20 | 104 | 10849 | 104.3 | 46 |
21 | 68 | 5813 | 85.5 | 45.5 |
22 | 79 | 9436 | 119.4 | 47 |
23 | 62 | 10018 | 161.6 | 55 |
1日 | 1498 | 206510 | 137.9 | 48 |
祝辞(33), 赤い悪魔(12), 上野千鶴子(40), 悦び(3), 総長(4), スピーチ(33), 平成30年度(4), 入学式(17), NAND(3), 嘆願(3), icsFiles(3), component(3), afieldfile(3), 東京大学(20), 東大生(27), 法学部(13), 東大(49), 診察(6), 頭が悪い(10), 性差別(7), 公正(5), 報わ(7), 権限(8), 入学(15), ロリ(11), ヘイトスピーチ(8), 絶賛(9), 医学部(9), 合格(12), 自分語り(6), 各種(6), PM(16), 統計(16), ヤクザ(9), ブサイク(9), 男子(13), 数学(11), 文系(9), AM(12), ジェンダー(8)
■平成31年度東京大学学部入学式祝辞は名文か /20190413013400(16), ■ネットの「サイゼリヤは美味い」みたいな風潮 /20190412104456(15), ■バカにされたので増田で吐き出す /20190412195859(14), ■現役東大生だが上野千鶴子の祝辞はゴミだと思う /20190413114026(11), ■日本語がおかしい /20190413004658(10), ■数学の言葉の意味が理解できない /20190411221341(10), ■フィクションにおける人物の歯並びが気になる。 /20190411233827(9), ■今のTwitter治安悪すぎ&Twitter民の民度低すぎ /20190413171247(7), ■野菜はめんどくさいんだよ /20190411194500(7), ■権限を持つと人は偉そうになってしまう /20190411195215(7), ■財布がパンパンになる理由 /20190411125708(7), ■俺にも遂に猫型ロボットがきた。 /20190413005221(6), ■ /20190413163739(6), ■女性差別を語る奴 /20190413201945(5), ■フェミニストは環境が同等なら男女に能力差はないと本気で信じてる? /20190413120020(5), ■上野千鶴子の祝辞を絶賛する流れがどうしても腑に落ちないので書いておく /20190413062427(5), ■何が何でも上野千鶴子スピーチを悪いものにしようとする人たち /20190413190447(4), ■上野千鶴子の祝辞が素晴らしいという話だけど /20190413201014(4), ■異性に私物を貸す行為 /20190412025023(4), ■育成要素はゲーム性を阻害する /20190413205815(4), ■映画館のマナー /20190413000029(4)
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ほら、言ったそばから相手のことを「上野だから批判してる」と決めつけてる。
男女関係ないなら男子生徒サゲも女子上げも要らないだろ?そしたらいい加減な統計ゴッコの不備を突かれることもなかった。
あれは上野にとって必要な部分で、むしろアレこそ主題だったのだ。長々と語ってるしな。
そしてアレを「普遍的に感動させる」って言ってる辺りも、ナチュラルに批判者を「普遍的」から排除してるね。
上野千鶴子が田嶋陽子と同レベルの男憎しのクソフェミおばさんだと思って馬鹿にしてきた人にとっては
東大の入学式でしたスピーチが世間的に絶賛されてるのって耐え難い苦痛なんだろうな
中には服装がどうとか髪の色がどうとかでスピーチ内容に触れずに人間性を避難するような人もいるし
自分はこれまで正直上野千鶴子にはあまりいい印象はなかったけど、あのスピーチは本当に素晴らしいと思った
むしろこれまでちょっと嫌な感じの人と思ってきた印象を覆された気がした
それまでさんざん馬鹿にしてきた人も素直に良かったところは良かったと認めればいいのに
あ。これを期にフェミニストが勢いづかれると困る人か
今見たらブクマ数3000…うえっ?ってなったわ
昔は1年に3~4記事がブクマ数1000超えだったような記憶なのだが(ソースなし)
今年に入ってすでに1000超えの記事を10以上見ているような気がする(個感)
そりゃあ「はてなの会員が多くなったから、自然とブクマの総量が増えるんじゃあないの?」って考えが思い浮かぶけど、
はてなってそんなにサービス会員が増えたっけ?そんなに伸びしろのあるSNSだっけ?
みんな同じ話題をそんなに見たがるのかなあ
ツイッターとかのリツイート文化が広まったせいなのかもしれない
本当にみんな、そんなに「みんなが騒いでバズっている出来事に乗っかりたい」人たちだけなのか、ってい疑問に思うわ
この現状に、同じ東大の式辞が逆に刺さる
「実際、最近の世界情勢を見渡すと、何が真実かよりも、何が多くの人々の感情を揺さぶるかということがより重要視されている」(平成30年度東京大学卒業式 総長式辞 より)
東大入学式の祝辞で著名なフェミニストである上野千鶴子がスピーチを行い、その内容についてインターネット上では賛否の声が上がっている。
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html
個人的な感想を端的に言うと、内容の正否以前にわかりづらい部分があって、ときおり彼女が何を主張しているのか理解できない部分があった(私だけだったらすいませんでした)。インターネットの皆さまは内容を理解した上で議論しているのだろうか?まあ実際のところはこのようなスピーチを真面目に読む人暇人なんぞは少数派だろうから、雰囲気で流し読みしてあーだこーだと感想を言っているのだろう。それはいいとしても、このスピーチでは、いかに東大生の頭がいいと言っても口頭ではロジックを理解できずに混乱してしまったのではないだろかと心配になる。
「女性学のパイオニアとして」の章は著者の自分語りであるし、「変化と多様性に拓かれた大学」と「東京大学で学ぶ価値」の章は良い雰囲気の一般論なのでこれらの章に特に理解が難しい点はない。問題なのは、女性学生差別にまつわる内容が記述されている「女子学生の置かれている現実」の章であり、その中でも特に理解が難しく、思わず男性差別的なのではないかと脊髄反射してしまいそうなパートは、第3パラグラフである。以下では、同パラグラフの読解を行うので、私と同様に一読してわからなかった人、特に男性差別的に感じた人は読んでほしい。
事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。まず第1に女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。第2に東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。今年度に至っては18.1%と前年度を下回りました。統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。2016年度の学校基本調査によれば4年制大学進学率は男子55.6%、女子48.2%と7ポイントもの差があります。この差は成績の差ではありません。「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。
このパラグラフはいきなり衝撃的なトピックセンテンス「事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。」で始まる。おまけにサポートセンテンスの中には「男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験している」という主張が入ってくるので、恐らくこれを口頭で聴いたら「上野千鶴子はとりあえず男が馬鹿だと言いたいのか?」と感じてしまう可能性がある(実際にTwitter上ではそのようなリアクションが少なからずみられる)。さらに、冒頭で「女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高い」と言っておきながら、サポートセンテンスでは「統計的には偏差値の正規分布に男女差はありません」と真逆のことを言われて、読者(聴衆)は混乱の極致に達する。しかし、このパラグラフの本意はそうではない。鍵は、この前にある第2パラグラフにある。
女子学生が男子学生より合格しにくいのは、男子受験生の成績の方がよいからでしょうか?全国医学部調査結果を公表した文科省の担当者が、こんなコメントを述べています。「男子優位の学部、学科は他に見当たらず、理工系も文系も女子が優位な場合が多い」。ということは、医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、なんらかの説明が要ることを意味します。
つまり、著者はひとつ前の第2パラグラフで、「医学部以外の女子の入りにくさは1以下で、医学部が1以上であることの理由をこれから説明するよー」と宣言しているわけだが、実際に次の第3パラグラフで説明されるのは、前者の「なぜ女子の合格率は(医学部以外において)高いのか」ということに対する理由だけだ。この宣言と実際のズレが、まずもって2パラと3パラの繋がりを分かりづらくしている。
それを踏まえて第3パラグラフのトピックセンテンスである「事実、各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高い」を解釈すると、これは実はかなり曖昧で、「受験生全体としてみたときに女子の方が偏差値が高い」という解釈(A)と「ある大学の受験者プールをみたときに女子の方が偏差値が高い」という解釈(B)の両方が必要となる。このトピックセンテンスの意味の曖昧さが、続くサポートセンテンスとの繋がりを不明瞭にすることで、このパラグラフの読解を困難にしている。しかしながら、これらはいずれも、「なぜ女子の合格率は男子に比べて高いのか?」という第2パラグラフの問いに対する明確な解答となっている。
では、このトピックセンテンスの解釈(A)、(B)を前提として、そのあとに続く3つのサポートセンテンスの内容を読み解いていこう。
①「第1に、女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。」⇒要は、女子は余裕を持って受かる大学を選ぶため、ある大学の受験者プールで見たときに女子の方が偏差値が高い、という話なので解釈(B)を支持する内容。
②「第2に、東京大学入学者の女性比率は長期にわたって「2割の壁」を越えません。(中略)統計的には偏差値の正規分布に男女差はありませんから、男子学生以上に優秀な女子学生が東大を受験していることになります。」⇒これも①と似たような話。男子の方が相対的に下方の学力の学生まで東大を受験するため、平均的にみれば女子東大受験生の方が偏差値が高いということ。解釈(B)を支持する。なお、ここでいう偏差値の正規分布とは、「東大受験する/しない」「大学受験する/しない」という条件を一切つけない高校生全体の分布の話をしていることに注意しよう。一方でトピックセンテンスの「女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高い」は、これらの条件を付けたときの条件付き確率分布の話をしている。ここもわかりづらいポイント。
③「第3に、4年制大学進学率そのものに性別によるギャップがあります。」⇒要は、学力順に大学受験をするとしたら大学進学率の高い男子の方が下方の学力の学生まで大学受験をするため、平均的にみれば女子受験生の方が偏差値が高いということ。これは受験生全体の話なので解釈(A)を支持する内容。
以上の様な形で、一見意味不明にみえる第3パラグラフも、落ち着いてよく読んでみればしっかりと論理的な構成になっている。では、結局のところ上野千鶴子はこのパラグラフで何が言いたいのか?私の理解は次の通り。「女子学生は、性差別の抑圧の結果として、浪人のリスクをとって上位校を目指したり、東大生になろうとすることが忌避され、その上そもそも大学進学率が低いことから結果的に大学合格率が高くなっている(除く医学部)。」つまり、女子受験生の偏差値が高い(⇔合格率が高い)というのは性差別による抑圧の結果なので、上野千鶴子はそれをポジティブに捉えてはいないということになり、男性差別的な意図とは真逆であるということがわかる。
以上、誤読しそうな一章第3パラグラフの読解を、ややスピーチを擁護しながら行ったが、以下ではこのスピーチに対する批判的な私見も+αで少し書く。
まず1パラグラフ目について。
その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。もし不公正であれば、怒りが湧くでしょう。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。文科省が全国81の医科大・医学部の全数調査を実施したところ、女子学生の入りにくさ、すなわち女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は平均1.2倍と出ました。問題の東医大は1.29、最高が順天堂大の1.67、上位には昭和大、日本大、慶応大などの私学が並んでいます。1.0よりも低い、すなわち女子学生の方が入りやすい大学には鳥取大、島根大、徳島大、弘前大などの地方国立大医学部が並んでいます。ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。
たしかに東京医科大では女性差別的な入試不正が行われていたのは事実だし、ここに列挙されている私大についても不正をしている可能性はある。それ自体は何らかの形で是正されていくべき問題であることは同意。ただ、私はこのパラグラフで拭えない違和感を覚えてしまう。それは、東大理3にもこの議論を敷衍している点と、「地方国立大医学部が並んでいます」という記述である。
当たり前だが、どれだけ男女平等に選抜してもこの男女合格率比率は1を超えたり1を下回ったりしてフレる。奇しくも彼女自身が記述している通り、「鳥取大、島根大、徳島大、弘前大」では1を下回って、女性有利の結果となっているのだが、これは単なるフレであると考えられるので、彼女は「これらの大学では男性が差別されている」とは主張しないだろう。にもかかわらず上野千鶴子は、断言はしないものの、この比率が1.03しかない理3に入試不正の話をつなげる訳だが、これは誰しもが感じる通り、さすがに無理筋である。1.03という差はどれほどなのか考えてみよう。理3女子の合格率が概ね25%だとすると、男子の合格率は25.75%であり、わずか0.75%ポイントの差でしかない。つまり、100人受けたときに1人未満の合否の差が発生するということであるが、これは統計的に有意な差たりえるだろうか?もちろん私は実際の分布についての情報を持たないので統計検定は出来ないが、理3受験者数の少なさ(標本の少なさ=この比率のフレも大きい)まで含めて考えれば検定するまでもないと思う。こんな微妙な差を以って、東大理3の入試においても男女差別が存在しうることを仄めかす様な物言いをするのはいかがなものか。
また、些末過ぎて私しか感じないかもしれないが、「地方国立大医学部が並んでいます」という記述にもなんとなく違和感というか、いやらしさを覚えた。彼女がわざわざ先ほどの4校を持ち出して、「地方国立大医学部が並んでいます」と記述した理由は何なのか。うがった見方をすれば、「女子は地方のless prestigiousな大学に追いやられ、東大理3を含む首都圏のprestigiousな大学は差別により入れない」という印象を明確にしたいがために、これらの地方国立大医学部を拾ってきて並べたように思える。しかしながら、もしも彼女がこの様な印象操作を図ったとすれば、それはやや牽強付会にみえてしまう。なぜなら、理由は2つあって、そもそも地方国立大の方が医学部が多いということと、加えて、(平成30年度入試のデータではあるが)帝京大学や北里大学、東京医科歯科大学医学部医学科、東京女子医科大学(当然)、自治医科大(首都圏か微妙だが)、など首都圏の大学でも女性有利の結果となっている大学は存在しているので、地方国立だけ取り出してみせるのはいささか正当性に欠けるように思えるてしまうからである。(ソース:http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/09/10/1409128_002_1.pdf)
もう一つ、東大生によるレイプ事件に言及した第6パラグラフをみてほしい。
東大工学部と大学院の男子学生5人が、私大の女子学生を集団で性的に凌辱した事件がありました。加害者の男子学生は3人が退学、2人が停学処分を受けました。この事件をモデルにして姫野カオルコさんという作家が『彼女は頭が悪いから』という小説を書き、昨年それをテーマに学内でシンポジウムが開かれました。「彼女は頭が悪いから」というのは、取り調べの過程で、実際に加害者の男子学生が口にしたコトバだそうです。この作品を読めば、東大の男子学生が社会からどんな目で見られているかがわかります。
具体的に「どんな目」でみられているか上野千鶴子は言及しないが、文脈からいえば、「他大学の女子を頭が悪いからと見下していて、彼女らをレイプしてもいいと考えている異常な選民思想を持った人々」と解釈できるだろう(この解釈は行き過ぎだろうか?否、これが男女差別の文脈のスピーチのおいて、レイプ事件と関連した東大"男子"学生のイメージとして語られた以上、性的加虐の意味は必然的に含まれている)。「彼女は頭が悪いから」という作品はたった一冊のフィクション作品であり、しかもモデルとなった事件もおよそ東大生一般に当てはまるようなものとは思い難い。そこに描かれた東大男子像を持ってして、お前らはこう見られてるから自覚しろ、と彼らを脅迫する行為はいくらなんでも行き過ぎであろう。少なくとも私は普通の東大生男子たちが、もしかしたらうちに秘めたエリート意識ぐらいは持っているのかもしれないが、それを以ってレイプに及ぶ様な集団だとは思っていない。世間が東大男子のことを選民思想レイパーだと思っている、と本当に言いたいなら、アンケート調査で統計をとってみてはいかがだろう。統計は大事です、それをもとに考察が成り立つのですから。
https://anond.hatelabo.jp/20190413013400
それらを知りもしないはずの上野氏に「環境のおかげだったこと忘れないようにしてください」などと言われる筋合いはないだろう。
まさに「自分達にはどうしようもない事柄に関して責め立てられている」ように感じさせているのがこの祝辞の1つのキモだと思う。
東大の入学式はどうやら今年も武道館で行われたらしいが、入学式より前にもろもろの歓迎を受けて、「武道館で入学式とかすげえ」とかふわふわとしている新入生からしてみれば、祝辞(おそらく退屈な祝いの言葉が知らないひとからだらだら聞かされるのだろう)に全くらしくない言葉を聞かされるわけだ。「何だコイツ」ってなるだろう。異物との遭遇だよね。そういう意味では、この祝辞がいきなり医学部入試不正の話から始まるのは、違和感を置く意図が感じられて好ましかったりするが、まあそれはヨイ。
異物と出会うのは誰か。
とあるが、この祝辞は少なくとも、新入生の8割を占める「男子学生」に向けられたものであることは間違いないんじゃないかと思う。たとえば、「彼女は頭が悪いから」に言及したところで、
という言葉が出てくる。これは東大の男子学生はどうだ、ということではなくてあくまで「どんな目で見られているか」という話だ。もちろんそれは「大きなお世話」で「知りもしないくせに」であって、基本的には「自分達にはどうしようもない事柄」だ。東大生のうちある程度の割合は、所謂中高一貫の男子進学校から入ってくる。これは彼ら個人から見たときに「自分は特別である」という認識よりもむしろ「トップではない」自分を認識する時間のほうが長かったことを意味している。地方公立小中→県トップの進学校とずっとトップであった学生とはまた自己認識が異なるだろう。彼らからすれば彼らは「ふつうの人」で、それは誰にも否定できないものだと思う。だから、やはり上野千鶴子の祝辞は理不尽ないちゃもんであり、何割かは「怒り」(これはこの祝辞のキーワードのひとつになっている)を覚えただろう。
そして、上野千鶴子はこの祝辞の中で彼女が「怒り」によって駆動されてきたと語っている。自分語りも混じっているようにも聞こえる。「息子は大学まで、娘は短大まで」のとことかね。上野千鶴子は1948年生まれの富山の田舎出身らしい。ほぼ同じ世代の人間(まあ俺の母親なわけだが)を知っているが、彼女は京大ではなく東京の女子短大に行って田舎に戻ってきて結婚して子供を産んだ。頭の回転が速く人当たりも好い方で、女子短大を選んだ理由はわからないがもしかしたら「娘は短大まで」があったのかもしれない。
理不尽なもの、異物をまず最初にぶち当てられる。「なんで?」は怒りでもあり、知ろうとする好奇心にも接続される。この祝辞内ではまた、その感覚は学問(「知」という形状)に広がっていくと実例が請け負っている。学びの場への「ようこそ」(初回の講義)としては、やはり名文なのではないだろうか。
↑ソースはここhttp://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/09/10/1409128_002_1.pdfで、六年間の推移が1.17→0.76→1.31→0.95→1.04→1.04でその平均が1.03なので仮説検定をすれば有意でない、すなわち平等とわかる数値なんですが、なんでこんなに持って回った言い方するの?
↑こっちのセリフだわ
↑ここまでの話をまとめると、私立大医学部ではどうやら不正な入試が行われているが東大では医学部はじめ全ての科類で平等な入試が行われている。ということなんですが、これはもはや私大の医学部の問題(もちろん背景にもっと大きな差別問題はあるのだろうが)で、東大の入学式の祝辞の一発目に持ってくる話題としては不適当では?
↑ここ統計データを示せよ。なんで女子が差別されてる話は具体的な数字出しまくったのに女子が優れている話は具体的な数字出さないんだよ。
↑これどういう意味だよ。偏差値の平均は女子の方が上ってさっきお前が言ったんだろ。
↑なんで親の性差別って断言してるんだよ。統計どこ行ったんだよ。
↑並列された三つの主張から導き出される結論は何だよ。ちゃんと言えよ。
↑てか普通に考えたら 第一:女子は安全志向 第三:親が性差別している を要因として 第二:東京大学入学者の女性比率が二割以下 が発生してるって話になるだろ。なんで並列なんだよ
↑「娘の翼を折らないようにしてきた」という父親の事例を挙げて得られる結論がどうして「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」なんだよ。
↑どうやって?
↑どんな目で見られてるかちゃんと言えよ。マイナスイメージ持たれてることはわかるが、それが実情に反して不当ということならレイプ事件の話持ち出す意味がわからないし、そのイメージが正しいと言いたい(文脈的にこっち)ならそれは性への圧だろ。
↑男子サークルって書き方からして完全に男子を悪者にしてるけど他大学の女子が競争相手を減らすために東大女子を入れないようにしてる可能性だってあるだろ。性差別か?お?
↑その原因が東大内の性差別という意味?だったらこんな時代性が交絡するようなデータじゃだめだよね?
↑これを祝辞で喋る意図が明確になるように主張のギャップを埋めて欲しい。
↑これ普通に気になるな
↑後述の話を先取りするけどお前のは恵まれた環境のおかげじゃなくて努力の成果なのかよ。
↑そこ断言するの流石に祝辞としてダメだろ。毒親から逃げて東大来たやついるけどそいつにこれ言えんの?
↑これはまあそういう意見もあるよね。
↑恵まれない人を助けることに繋がらない学問やっちゃいけないの?ブラックホール撮影しちゃだめ?ニュートリノ観測しちゃだめ?
↑「環境と能力に恵まれた東大新入生はそれを恵まれない人々(=弱者)を助けるために使いましょう。」と述べた後で「弱さを認め生きましょう、フェミニズムは弱者が弱者のまま尊重されることを求めます。」と締めるの、結局東大生に弱者であって欲しいのか弱者を助ける存在であって欲しいのかが見えてこない。弱者を助ける存在もまた弱者で、だから他の弱者に助けてもらいましょう。ということなのかな?全員弱者なら女子受験生の話をした意味は?
↑まずこの弱者って特に女性を指してるの?だとすれば女性は謂れなき差別を受けていてそのために被害を受けているという話だったよね?てことは女性は謂れなき差別を受けたままで尊重されるべきってこと?意味不明じゃない?
総評として、全称記号と任意記号の恣意的な混同によってデータを自分の都合のいいように改変して使用する、統計学ひいては学問を完全に馬鹿にした祝辞であったように思える。思想としてのフェミニズムであればこのような「過激な」スピーチにより注目を集めるのも一つの作戦なのだろうが、この人は「学問としてフェミニズムを修めている人間」として「これから学問を修める3000人の東京大学新入生」にスピーチしたわけで、その内容としては甚だ不適当だと言わざるを得ない。
はっきり言って、こんなものを褒めそやす人間は、たとえそれがどれだけメタ的な視点からの評価のつもりでも、科学の世界を脅かすありふれた権威主義の愚か者の集団に含まれる一人にすぎないと言えよう。
東大入学式における上野千鶴子氏の祝辞について、思いついたことを書いてみたい。
「がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください」
上野氏の祝辞の中の一文であるが、環境要因について言い始めると社会は混乱してどうしようもなくなるのではないか。
確かに上野氏の言う通り、全てが公正・公平な社会であることが建て前になっていたとしても、環境要因で決まることもあるのだろう。
この理由を「女は努力が足りない」「男の方が頭がいい」と裁定するのは現実的ではなく、女子は東大に行きにくい環境的な要因があると思う。
弱者に耳障りがいいこと言ってるからはてなウケしてるんだと思う。
でも実際は東大入学者のプライドを上手にくすぐるものであって、下民があれ聞いて入学式の場でよくぞ言ってくれたとか喜ぶのはなんか違う気がする。
よっこらせ。ふう。どれどれ。きょうのはてなブックマークの出来はどうかな。
まずはいつものように総合カテゴリを覗いてみよう。ほう。一位は東京大か。うわわびっしりだな。2292もブックマークが付いているのか。コメントの味はどうだろう。うん美味い。なかなかまったりとしていてそれでいてしつこさを抑えている。とはいえ大半が東大の新入生でもないくせによくもまあ頑張ってコメント残せるよ。まあでも祝辞の内容は印象的なことを言っているのだろうなあ。入学式ってなんかめでたいし。本日のブクマ数一位もむべなるかな。東大の他には何か面白そうなものなさそうだな。全部どうでもいいものばかりだ。
いつもはここで学びカテゴリに移るところなんだが。うーん。ちょっと趣向を変えて今日はおもしろカテゴリでいってみるか。ダブルクリック、と。どれどれ。ふむふむ。げげっ。一位はtogetterじゃん。うっわ最悪だよ。なんかあれわざとらしくて苦手なんだよね。740ブクマもあるけどちょっとこれはいただけないなあ。端によけておこう。うーん他にはなんかないかなあ。おっ。これよさそうじゃん。「川沿いを散歩するヤギ」っての。デイリーポータルは毎度幸せそうな記事を書くなあ。恐れいった。どれどれ。ふぉっふぉっふぉ面白いなあ。コメントの味も上出来だ。
ふう。ま。今回はこんなところかなあ。ほかにも良さそうなのがあるけどあんまり採りすぎると次に生えてこなくなるかならなあ。また時間をおいて覗いてみるか。
まず最初に。
私は上野千鶴子という人をさっきまで全く知らなかった。
「これまでの上野千鶴子の言動に反感を持っている人は素直にこの祝辞の良さを受け取れない」
というようなものがあって、まぁそういう人達もいるのかもしれないが、
私はこの人に思うようなところがあるわけでは決してない。
さて、入学式祝辞に関してであるが、東大入学式では毎年とても素晴らしい祝辞が送られていると思う。
特に去年(平成30年度)のものは強く印象に残っていて、ふと内容を思い出すことがある。
しかし当時(そして今も)、これが話題になることは全くなかった。
まぁ世の中には名文があふれているので、全ての名文が必ずしも脚光を浴びることはないのは当然だが、
今年の祝辞に感動したと言っている人達は、去年の祝辞を読んでも同じようにこれ見よがしに賞賛してくれただろうか?
どうも当の新入生の中に、上野氏の祝辞に文句を言っている人達がいたらしい。
私はただの部外者だが、確かに読んでいて多少イラついてしまった。
1. 新入生は受験という枠組みに従って入学しただけであり、不正入試だの女子教育だの言われても、彼らにはどうしようもないではないか。
むしろ「じゃああなたがなんとかしてくださいよ」と感じてしまっても不思議ではない。
なにせ言っているのはウィメンズ アクションネットワーク理事長なのだ。
もちろん、上野氏としては、氏一人で出来ることには限界があり若い世代の意識を変えていくことで、
より長期的な視点でも社会を良くしていきたいという気持ちがあったのだと思う。
しかし新入生にそのような意図が伝わるような話の運び方だっただろうか。
なにか「自分達にはどうしようもない事柄に関して責め立てられている」ようには感じなかっただろうか。
2. 上野氏は
「あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。
ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。
そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。」
と述べている。
しかし、それは赤の他人から釘を刺すように言われなければならないことだったのだろうか。
受験を突破した本人が「環境のおかげでした」と自発的に思えるのならそれは良いことだが、なぜをそれを強要しようとしたのだろうか。
新入生それぞれに彼らなりの「環境」がある。
なかには努力が公正に報われない思いをした、またはしている人達もいるのではないか。
それらを知りもしないはずの上野氏に「環境のおかげだったこと忘れないようにしてください」などと言われる筋合いはないだろう。
「女子学生の合格率に対する男子学生の合格率は(中略)ちなみに東京大学理科3類は1.03、平均よりは低いですが1.0よりは高い、この数字をどう読み解けばよいでしょうか。
と述べており、私はこの部分を読んだ時、純粋に心の底から、その数字をどう読み解けばよいのかがわからなかった。
そして上野氏は、それを読み解いてくれることも、考察することも結局なかった。
「統計は大事です」というのであればせめて「1.03」という数字が統計的に有意なのかどうかだけでも言及してほしい。
ちなみに調べてみると、理科3類の合格者数は毎年100人前後であるようだ。
上野氏が「1.03」という数字をどこから引用しているのかは不明だが、これを「1.0よりは高い」と評価することにはたしてどれほどの読み解きがあるのだろうか。
入学式の祝辞とは新入生に向けた言葉であるべきだと私は思っている。
しかし、今回の上野氏の言葉が真摯に新入生のことを考えたものだとは私には受け取れなかった。
もちろん人によっては「何か」は得られたと思う。
しかしそれは「聴き手の意識次第ではどんなスピーチでも良い点を見つけられる」程度でしかない。
卒業して数年のOG。タイトルの「東大の植民地」は、大学合格時に塾の先生から言われた言葉。
今年の東大入学式の上野千鶴子による祝辞がTwitterで流れてきたので読んだ。その中でも、
「東大には今でも東大女子が実質的に入れず、他大学の女子のみに参加を認める男子サークルがあると聞きました。わたしが学生だった半世紀前にも同じようなサークルがありました。それが半世紀後の今日も続いているとは驚きです。この3月に東京大学男女共同参画担当理事・副学長名で、女子学生排除は「東大憲章」が唱える平等の理念に反すると警告を発しました。」
という箇所に色々と思い出すことがあったので吐き出す。
やっぱり私が入学した時にもそういうインカレサークルが少なからずあった。新歓で渡されたビラに、男子は東大のみ、女子はうちの大学やほかの女子大の学生で構成されている、と明記してあるのだ。当時ピカピカの大学一年生だった私は死ぬ程ムカついた。だって「自分たちより劣った存在が欲しい」と言って、そういう都合のいい存在として自分たちを見ているのだ、としか思えなかったから。
特に記憶に残っているのは、「部長」の他に「女部長」なる役職が存在するサークルだ。もし男女それぞれでまとめ役が欲しいんだったら、「男部長」「女部長」とすればいいのに。東大男子でなければ、ちゃんとした「部長」にはなれないのか、と愕然とした覚えがある。高校も女子校だった私にとって、それは初めて身近で目撃した女性への差別だった。
もちろんインカレサークルの全てがそういう形態をとっているわけではなく、東大女子もいれば他大男子もいる、というようなところもたくさんあったけど、私としては男女混合のサークルに入ると「女」としての役割を果たすことを期待されるんじゃないかと思えてしまって、結局学内の、女子しかいない小さなサークルに入った。
一番腹が立ったのは、うちの学生自身が、そういうサークルに平気で入り続けているということだった。ふだんジェンダーがどうの女性の活躍がどうの言ってるのは結局建前だったんかい。同期にも「女子大だと出会いがないから」と言ってインカレサークルに入った人がたくさんいた。私が感じたような違和感は、野暮なもの、世間知らずなものだった。みんなそんなこと気づいていなかったのか、それとも気づいていたけど無視していたのだろうか。いずれにしても、友達が入ったサークルをdisることになるので、私もこのことについては蓋をして、やがて忘れていった。
今回の祝辞を読んで、(あれは「東大女子がサークルに入れないこと」にフォーカスした発言だけど)私の感じていたことは決しておかしいことではなかったのだと言ってもらったようだった。あの時ほとんど誰にも言えなかった気持ちをやっと外に出せるような気がして、こうして増田を書いている。
今年の新歓はどんな感じだったんだろう。祝辞に「女子学生排除は「東大憲章」が唱える平等の理念に反すると警告を発しました。」とあるから、少しは改善されていたらいいのだけど。