はてなキーワード: 一言とは
年末年始で帰省したけど暇なのでみんなが好きなWeb記事を教えてほしい。
古くても新しくてもオッケーで。
「ドラゴンボールはフリーザ編で終わってたら名作だった」とかのたまう輩に鉄槌を下しブウ編がいかに最終章として素晴らしいかを力説するための覚え書き
https://adenoi-today.hatenablog.com/entry/20150608/1433757131
"ブウ編は摩訶不思議アドベンチャーだったドラゴンボールが徐々に大人の世界になってしまった落とし前を付けるための物語"という視点で行われる考察は目からうろこで時に泣きそうになった。
亀仙人の教えで締めるのも見事。
これ読んでからドラゴンボール読み返してますますベジータが好きになること間違いなし。
100日間おなじ商品を買い続けることでコンビニ店員からあだ名をつけられるか。
https://note.com/mutekiinc/n/n773f51e01077
誰もが一度は考えた事があるだろう「コンビニで同じものを買い続けてるけどあだ名つけられてたりするのか?」を実際に実行してまとめた記事。
予想に反して?ハートフルなストーリーで作者の人柄もあるのかコンビニ店員さんとの会話が小気味よく楽しい。
出てくる店員さん全員好きになりそう。
呪いが解ける日
https://note.com/lens/n/nb7d499187ec1
自分は特に"呪い"がかかってるわけではないが読んでて涙が出てきた。
https://omocoro.jp/kiji/233185/
オモコロだとこれが一番好き。
「クイズって知識ゲーでしょ?」と思っていたけど、無理ゲーに論理的試行で挑み答えを導きだせるのは凄すぎる。
Twitterで「うんち出たぁ!」でバズってしまった結果どうなったかをまとめた
https://kenichi1351.hatenablog.com/entry/2021/12/13/162452
人はなぜいつまで経ってもうんちネタが好きなんだろうね。
2chで15年かけて969まで育てたスレが荒らしに埋められた
https://amino774ml.hatenablog.com/entry/2018/06/29/160758
小学校からの腐れ縁のオタク仲間で、それぞれ住んでるジャンルは全然違ったけど沸った想いをお互いに語り合い聞き合い、インターネットミームでゲラゲラ笑ったりした。一緒に旅行に行ったり、同人活動を手伝ってもらったり、しょうもないネットの記事をLINEに送りつけてだらだら下らない話をしたりしていた。
ただ自分はアホだからたまに何か失礼だったり不快なことをやらかしてしまって、その度に相互フォローのアカウントでエアリプみたいにぼかして愚痴られてるのが昔からしんどかった。
しんどかったけど、こんなアホのポンコツ人間とこんなにも長く仲良くしてくれていい奴だな、自分が悪いな、またやらかしてしまったな、いつも申し訳ないな、優しいから直接言えないんだろうな、とずっと思ってた。
コロナ禍が始まった年だったか、自分の推しが大変なことになって、すごく精神的に荒れてた頃があった。
大変だから何とか応援したい+見納めになるかもしれないタイミングだった。だから元親友を今までイベント事に誘ったことは多分ほぼ無かったかもしれないけど、その時はよかったら今度有料配信があるから観て欲しいって誘ってみた。けど観れたら観るわ(観ない)で、当日は自分の推しの映画だか配信だかを見ていた。
あっちの推しのイベントや遠征にも付き合ったのに、こっちの推しには、推しが大変だって話してたのに付き合ってくれないんだと思って、それが結構ショックでTwitterで思わず愚痴ったら、それがド地雷だったみたいでまたTwitterで愚痴られた。
それについては結構長いこと愚痴られて、やっちまった感で申し訳無さと自己嫌悪で結構しんどくて、お詫びに誕生日祝いも兼ねてプレゼントをあげてとても喜ばれたけど、謝罪に対しては「いやお前の推し知らんのよ」って言われたのもまたショックだったし、その後も愚痴は止まらなかった。
以前はルームシェアでもするか、老後は一緒の老人ホーム入ろう、なんて言ってたのに、突然家を買うみたいな話をしだして、態度も一気によそよそしくなった。
謝ったから許されるとは思ってなかったけど、遠回しに独り言みたいにぼやかれるよりハッキリぶつけてもらいたいと思って、ビビりながらクソ長文LINE送ったけど「別にお前のことじゃないけど、誤解させたなら悪かった」「Twitterで愚痴られるの気になってたって言う割に、自分はこないだそういうツイートしてたよね^^」みたいなことを返された。
こんな人だったっけ?と思った。
それから、私が悪かったなと思った。
私は期待し過ぎてたんだと理解した。
いつも私の推しなんか別にいいよって10年以上言ってたのに、いきなり見てくれって何だって話だし。そもそも顔がどうしても覚えられないってずっと言われてたのに。その時元親友の推しもコロナで大変だったのに、自分本意だったなって反省した。
元親友の推しジャンルは自分からは好まないものの、親友の好きなものだから知りたいし喜んでる親友を見たいと思っていた。でも友達だから必ず付き合う必要も無いし、断るという選択肢あったのにそれを選ばなかったのは自分だった。
「何かあるなら直接言ってくれ」は、嫌な思いをさせた側のエゴでしかない。Twitterも私が誤解してるだけならフォロー外して見なければいいだけだ。
ただこれは私の悪意が含まれるけど、もしこの場は誤魔化されただけで、実は本当に私の愚痴だとしたら、本人が見られる場で「はぁ〜嫌な思いしたな〜いやお前のことじゃないけどね?」と繰り返し発言する神経が分からないなとも思った。
だからとりあえずTwitterのフォローを外した。相互フォロー必須の鍵垢にしてたから申し訳ないけどブロ解した。一言も言わなかったけどフォロリムご自由にって書いてあるからまあいっかと思った。自分のことじゃないとしても、もう元親友の愚痴を見たくなかった。
あまりのよそよそしさで、もう元親友は私のこと嫌いなんだろうな、もう遊ぶこともないだろうなと思い込んでゲームのフレンド登録も消してしまった。
まあ腐れ縁だし遠い将来に来たる訃報くらいはなと思って、LINEだけは一応残した。SNS一つ残ってれば連絡は取れるし、今までもLINEでよくやりとりしてたし。
もしかしてこのことでまた何か呟くかなと思ってTwitterを覗きに行ったら、やっぱり私の愚痴を話してた。「おっ向こうからフォロー外したかw助かるわw」なんて言ってた。
最終的に「私は何もしてないけど突然友達にTwitterで暴言吐かれた。後から謝りたいと言われた」「元々変な子だったし付き合いも長いからまあいいよって返したけど、結局その後Twitterもゲームもブロックされた。LINEもブロックされてるかもしれない」「多少モヤったけど、自分でも驚くくらい感情が動かなかった」「私のことを大事にしてくれる友達を大事にしていこうと思った」みたいなことをツイートしてた。
ああ、これが本音かぁ。そうだったんだ、今まで長らく本当にごめんね。でも本当にそんな人だったんだね、今まで気づかなかったよ、ごめんね。
昔から変な奴と思いながらも付き合ってやってたのに、いきなり地雷踏まれたらそりゃあ不快で嫌いになるよなって納得した。
今まで一緒にゲラゲラ笑ってた思い出も全部パァになるくらいどうでもよくなったみたいだし、そこまでになったら私ももう関係を取り戻すのは大変過ぎる。
冷静に考えれば黙ってフォローを外すなんてとても乱暴で、ともすれば強いショックを与える可能性のある行為だったと思う。でも何も感じなかったそうだし、変に断ってから外すとそれはそれでめんどくさかっただろうから、結果的にこれで良かったなと思った。
本当に他意は無かったのに私が勝手に気にし過ぎてグルグルしてるなんて精神的に不健全だったし、向こうからしたらどうでもいい奴が視界から消えたし、お互いにとってこれがベストだったに違いない。
きっともう二度と連絡し合うことは無いんだろう。「達者でな」ってツイートに心の中で、お前も元気で暮らせよ、いつか線香あげさせてくれたら、もしくは線香あげに来てくれたら嬉しいよと返しながら、晴れやかな気持ちでTwitterの検索履歴から元親友のアカウントを消した。
それから1年半くらい経って、突然連絡が来た。
遠慮がちに腰低く「連絡見るのも嫌かもしれないけど、良かったら忘年会でも」みたいな連絡が来た。
正直ねずみ講かどこどこに投票してくれみたいな話かと怪しんだけど、私のことが嫌いを超えて無関心になってたのに、どういう風の吹き回しなんだろうと思った。以前元親友のことを相談していた友達には止められたけど、応じてみた。クリスマスも近かったから、元親友の好きな食べ物を手土産に買って行った。
実際会ったら全然ねずみ講じゃなかった。腰が低かったのは直前にクソ長文LINEが残ってたから気を遣ったそうだ。
仕事で鬱になってしまって、死ぬことをふと考えた時に、死ぬまでにやりたいこととして私に会いたいと思ったらしい。
一方的に切られてもショックを感じないくらいどうでもいい嫌いな人間に会いたくなるなんて、鬱はやっぱり怖い病気だなと思った。自分もなったことがあるが、食が細くなったり不眠になったりで体力が削られることで余計に弱って考えや行動がおかしくなるから仕方ないなとは思った。
あと友達を増やすにはどうしたらいいかと相談された。元親友にとって私は「友達を大事に出来ない人間」「いきなり暴言吐いてくる変な奴」なのに、どうしてわざわざ会って訊くんだろうと思った。
私を含めて友達と言える人はすごく少なくて、でも私以外の友達には遠慮してしまって物寂しさを感じてるらしい。自分なりに友達に配慮して、大事にしてて偉いなと思うと共に、どうして大事にされてないと感じる私がまだ友達扱いなんだろうと内心首を傾げた。
色々不思議だったけど、鬱はどうしても一定ネガティブになるから思考の壁打ちは大事だし、自分なりに答えて、後は昔みたいに最近ハマってるジャンルの話とかして、よいお年をって解散した。手土産は素直に受け取って帰っていった。
まずプラスのパターン。これは「何かを投じてる」という意識が無く、ただただ楽しい・快と思える状態。
次にプラマイゼロのパターン。これは例えば「あの人すごいめんどくさい(=精神でマイナス)けど、高いご飯奢ってくれる(=金銭でプラス)んだよな」「あの人暴力振るう(=体力でマイナス)けど、一緒にいると幸せ(=精神でプラス)」みたいな状態。
最後にマイナスのパターン。これは「こんなに○○してあげたのに、ちっともお返ししてくれない」「本当は○○したいのに物足りない、寂しい」など、自分の投資に対してリターンが少ないと明確に感じている状態。
例えば同級生、同僚だとか同じコミュニティにいたり、妊婦仲間とかライフステージが同じだと、時間や精神が自動積立されるから関係性が維持しやすくて、逆に同じじゃない場合は維持したいなら自分から積極的に投資しにいかないといけないし、相手も自分に投資したいと思っていてくれないと成立しない。
あと精神に関してはFXとか暗号資産みたいなもので、突然高騰したり暴落したりする。一番不確定要素がデカい。先の例で言うDV彼氏みたいな、客観的には大損でとっとと手放した方がいいのに、本人にとってはリターンがすごくて手放せなくなる、みたいなこともあるから、ちゃんと自分の状態をメタ認知していかないと危ない。
更に人間関係は、アップデートをかけ続けていかないといけない。
もちろんしなくてもいい・必要としない関係もあるけど、例えば学生から社会人になる、結婚をする、子供ができる、みたいなライフイベントは、その人の暮らしがガラッと変わる。暮らしが変われば連絡の取り方だけじゃなくて、その人のトピックスもボキャブラリーも変わってくる。
人間関係ってどうしても現状に甘んじてアップデートをあまりかけないけど、例えば「独身同士の付き合い」があって、ある日どちらかが結婚・出産した場合、「独身と既婚子持ちの付き合い」に変えられないとどこかで破綻する可能性がある。
そういった時に「これからも仲良くしたいんだけど、連絡は独身時代みたいな感じだと迷惑にならないかな?」「もしよかったら子供の話してもいいかな?子供連れて遊んでもいいかな?」みたいな一言を投げかけられるか=アップデートをかけにいけるかが結構大事だと思ってる。
こういう明確なライフスタイルの変化はまだわかりやすい。環境とか置かれた状況、時間の流れで生まれた小さな小さな変化の積み重ねによって実はお互い色々変わっているのに、それに気付けていないパターンは結構重篤なのにきっかけが無くてアップデートがかけにくい。
そして人間関係はここまで語った内容に加えて、縁や運、偶然というものもあると私は信じている。様々な要素があるからこそ、出会って3日で入籍するようなカップルもいれば、数十年来の付き合いがある日突然終焉することもある。高齢者になって恋が芽生えることもあれば、若くして運命の出会いによってプロの道へ歩み出す人もいる。人間関係は面白くも難しくもあって、それらを感じて一喜一憂しながら生きるのが、高度なコミュニティを形成して暮らす生き物の醍醐味なんじゃないだろうか、と私は考えている。
自分の法則で言えば、我々は最初はプラスの関係だった。それは間違いない。
しかしいつのまにか「お互い嫌なところを感じながらも、一応楽しいから」というプラマイゼロの関係に成り下がってしまったのを自覚しながらも、そのまま漫然と維持してきてしまったツケを払ったんだと思う。
私が勝手に期待という莫大な精神を一方的に投じて、一人で損が出た時の一言で、相手の精神を大暴落させてしまった。
私も優良銘柄だと思って保有してたけど、長期的に続いていた地味に痛い損失にふと目がいってしまって、もうこんなに暴落してるから、今から挽回するにはかなりの投資が必要になるし、元々損失のある銘柄にそこまでのリソースを割く必要も感じない。これはポートフォリオに積極的に残しておいても仕方ないと考えてしまった。
向こうも長期的に小さく小さく不快が積み重なっていたからこその大暴落だったんだろうし、アップデートをかけずにいた古いままの我々はもうとっくにガタがきていて、たまたまあの時の私の一打がきっかけになっただけの、必然の結果だったんじゃないだろうか。
向こうにとって今の時点で私からどういうリターンがあったのか分からないけど、忘年会の席であの時の話はほとんど出なかったから、向こうとしては過去のことには蓋をしてアップデートをかける気は無さそうだった。
破綻したものを再構築するのはとても大変だし、仕事や生活、他の友達との付き合いで忙しいから、私としても助かった。とりあえず鬱は本当に怖い病気だから早く寛解するといいなと思う。
読み返すといやに卑屈で、それでいて根に持った文章になってしまった。根に持つ以前に、数十年の付き合いだったから後ろ髪を引かれた部分はあって、「人生の大半を過ごした友達だからこそ」、「私の期待を分かって欲しかった」「何が嫌だったのかちゃんと理解させて欲しかった」「あの時のことを腹割って話して、わだかまりを無くしたかった」みたいな気持ちがやっぱりあったんだと思う。
でも関係の年数そのものに価値は無い。これも所詮「過剰な期待」だし、時間も経ってしまったから流石にもうどうでもいい。記憶の経年劣化で私も、きっと向こうも、都合の悪いことは忘れて、被害者意識だけが強まっているようなレベルまで塩漬けにしたものに、腹を割って話すような大規模アップデートは相当しんどいものになるに違いない。
だからもういい。めんどくさい。何考えてるんだろう本音はどうなんだろうどうせ後でツイートするんだろうってグルグルするの疲れた。あの日の帰り道もきっと何かツイートしてたんだろうなと思ってしまう。この気持ちを訴えたところで「それは申し訳なかったけど、その場ではダメなとこ気付けないんだね^^」なんて言われるに違いない。
もし仮にものすごい相互の努力の果てに無事アップデートできたとしても、疑心暗鬼は多分一生拭えない気がする。
そう。散々偉そうに持論を垂れておいて、結局のところ私は久しぶりのコンタクトで、忘却の彼方にあった遺恨を思い出してしまったから、これを綴っている。書きながらネガティブ感情を反芻してしまった。あの時感覚的に捉えていたことを、書き綴ることで言語化して、あの時よりも強くはっきりと再認識している。
人は楽しかった思い出よりも嫌な思いをさせられた記憶の方が残る。今はもうありし日の思い出への後ろ髪よりも、根に持つ気持ちの方が強くなってしまった。この増田は、ただの被害者意識と、エゴの塊から来る、自分のしでかしたことを棚上げした八つ当たりの怨嗟だ。
それを心の内に留めておけず、隠れてインターネットに吐瀉物を撒き散らす自分の何と幼稚なことか。そんな自分を吐き切って、これを限りにもうこの2022年に置いていく。きっと元親友も、自分のことは本来ならとっくに置いていっていただろうから。
辛い時に思い出してくれたのは嬉しかったけど、無事寛解した暁には今度こそブレずに、トラウマにまでなる思いやりのない非常識な私のことなんて早く忘れて、自分のことを大事にしてくれる友達と仲良くしていって欲しい。
増田自身が『らしき者』と注釈しているように、ネタで支持者あるいは敵対者っぽく振る舞っている可能性がある以上、特に何かをする必要性は一切ないでしょう。
何か別の理由でその人を特定できたとすれば、仲間として一言かけてやるくらいのやさしさはあって然るべきものだと思うが、それも別に他人が見ているところでやる必要もない。
自殺未遂と自殺は繋がりのあるものだって事を言ったんだろうけど、じゃあそれらは同じものって事になるか?ならんだろ。
自殺と自殺未遂を同一視して勝手に読み替えてたから自殺する事と自殺未遂は別だって言ったの。安楽死に関する言及で自殺未遂者の事は疎外すべきだなんて一言も言ってない。
死ぬ苦しみと死にかける苦しみが別かどうかはまあやってみないと分からんかもね。別じゃないかどうかも死人に聞かないと分からんけど。それは要するに未知の苦しみって事なので、人は未知の苦しみに対して怖くなるよねって話にはあまり影響しない。それに近い場所にあるあくまで別の既知の苦しみやらが加わるにせよ。
人がどう死のうがどうだって良いというのは「個人的な考え」です。全体を踏まえた上での結論ではありません。
お前は自殺未遂者の方を向きすぎ。
と表現しています。また、「不快な」とかぎかっこ付きで表現している微妙なニュアンスもご理解ください。
人間を性的対象として描く表現そのものが問題だと言うなら、対人性愛を許容する社会システムそのものの方がよほど問題があるはずですが、それらは批判されることの無い聖域にあり、そこに非対称性があるという話です。
12月29日の深夜1時。僕は彼と電話しながら家の前を流れる川沿いを歩いていた。低い声で大好きだって言われた。でも、もうバイバイだとも言われた。分かっちゃいるけど寂しくて、月並みな表現だけど胸に巨大な空洞ができてしまったみたいだ。
あぁ、寒い。
僕は20歳の春に彼と出会った。僕はあまりにも女性にモテなかったから、ムカついて男同士の出会い系アプリに登録していた。姉の影響でBLを読み漁っていたし、なんなら夜は男同士のビデオを使ったりしていたから、きっと男も問題なく好きになれると思っていた。でもアプリの中の人たちは揃いも揃って性に奔放そうだったから、物凄く嫌だった。僕は半年ほど誰と会うことも無かったが、そんな中で初めて会ったのが彼だった。
彼は一個下で芸術系の大学に通っていた。僕自身も絵を描いたり曲を作ったりするから、芸術的な能力が高い人はすごく好きだ。それに加えて、彼の外観は僕のどタイプだった。身長は僕より13cmも高くて、体格もぽっちゃり気味。まん丸な輪郭に穏やかな瞳。すごく可愛かった。たぶん彼以上にタイプな人は、後にも先にも男でも女でも現れないという確信があった。それほど好きな見た目だった。
最初のデートではカラオケに行った。どんな曲を歌ったかはあまり覚えていないが、ユーミンのひこうき雲やルージュの伝言を歌ったのは確かだ。
「不安な気持ちを抱えたまま 街はDingDong遠ざかっていくの」
彼はちょっと古い曲が好きだった。ちょうど僕の親世代が好むような曲だ。そういうセンスも、なんだか芸術家っぽくてかっこいいなと思った。
カラオケルームの小さな個室の中で、隣り合って座ったり立ったりしながら歌っていた。小さい個室といっても別にそんなに接近する必要もないのに、膝や腕が触れ合ったりしてドキドキした。僕は思わず彼の大きな膝に頭を載せてみた。柔らかいお肉が僕の頭部を包み込む。すごく、すごく幸福だった。
カラオケ屋の近くに公園があったから、しばらくそこで座って話していた。うっすら寒い春の夜、公園には僕たち二人だけ。膝枕だけじゃ物足りなくなってしまって、僕は手を繋ごうとした。でも断られてしまった。なんで。好きになっちゃうから。いいじゃん。だーめ。そんなやりとりをした記憶がある。ちょっと脚色してるかも。でも別にいいか。だって、思い出はきらきらしている方が良い。
初デートが終わっても僕の興奮は冷めなかった。全く冷めなくて、毎日彼のことを考えていた。ゲイの友達軍団に彼のことを自慢して、きゃーきゃー騒いだりもしてた。僕はいつの間にかモテない男子大学生から、初恋のJKみたいになっていた。好き好き大好き、早く会いたい。脳みそは彼一色。
二回目のデートでは、僕の実家に彼を呼んだ。別に親に紹介するとかそういう話ではなく、ただお泊りがしたかっただけだ。大学の後輩です、とか適当に言っておけば女の子を呼ぶよりもずっと簡単だ。同じ布団に入ったら、「男二人なのに、そんな狭い布団で大丈夫?」と母親に言われた。大丈夫というよりもむしろ、なんて僕は胸の内でにやにやしていた。
ハグをして初めて、彼は僕よりずっと大きいことを身体で理解した。肉厚な腕やお腹は熱を帯びていて、僕は食べられてしまうんじゃないかと思った。事実として、食べられそうになるくらいに責められた。あんなに熱い夜は初めてだった。
この日から彼の対応はおかしくなった。明らかに僕に冷たくなったし、大事な話をしようとしてもあしらわれる。会いたくてたまらないのに予定を合わせてくれない。何故なのか全く理解できなかった。だって、あんなに可愛いって言ってくれたじゃないか。付き合うんじゃなかったのか。
僕は泣いたりブチギレたり、とにかく感情が不安定になった。それを全部彼にぶつけた。でも適当にあしらわれる。たまに僕の話に乗ってくれることもあって、その日は落ち着きこそすれど数日すればすぐに不安に苛まれた。この時期は辛くて苦しくてたまらなかったし、あらゆる友達に「そいつはクズだ」「早く忘れろ」「許せない」と彼のことを非難された。でも、きっと彼は僕のことが好きなんだという謎の自信があったから、友達のアドバイスには従わなかった。彼のことを信じたかったんだ。
彼が中高生の頃に付き合った彼女の話をされたことがある。彼女には「何を考えているか分からない」と言われたことがあるらしい。僕も、彼が何を考えているのか全く分からなかった。彼は僕と違って男性しか愛せない人だったから、彼女のことを気持ち悪く思ってしまうこともあったようだ。僕は、僕だけはそんな彼を理解してみたかったんだ。僕にならできるって信じていた。
そして、三回目のデートをすることになった。場所はソラマチ。日付はどのメモにも残っていなかったから分からない。最高だ、めちゃくちゃデートっぽい。実際、デートは最高だった。ソラマチに立ち並ぶ店はどれもおしゃれで、彼の隣で眺めているだけで楽しい。スカイツリーのてっぺんから見る夜景はすごく綺麗で、心なしか彼もかっこよく見えた。
でもね。
これで会うのは最後だよって。
訳が分からなかった。何度も聞いた、なんで?って。でも彼が提示する理由は僕には理解できなかった。確か、今は付き合わない方が良いとか言ってた気がした。それって全く回答になってない。納得できないし、意味不明。それでも彼を引き留める方法なんて無かったから、僕は彼を見送りながら半蔵門線で呆然としていた。最後にささやかなプレゼントを渡そうと思って買ったハンカチは、ついぞ渡すことはできなかった。
僕の彼への愛情はキレイに逆転して、深くどす黒い憎しみになった。
僕は彼のことを忘れようと必死に努力した。ありとあらゆる友達に相談し、恋愛映画を観て、新しい男と会ったりした。この頃に上映していた「愛がなんだ」という映画にはバリ共感MAX100%だった。
でもね、一年経っても二年経っても忘れられなかったし、ずっと好きだった。なぜかというと、彼はたびたび僕に連絡を寄越してきたからだ。元気?とか、やほ、とか、特に理由なく突如メッセ―ジが送られてくる。もう本当に意味わからない。このせいで僕は彼を忘れることができなかった。この辺りで僕は、「きっと彼は寂しい人で、僕を使ってインスタントに自分の欲求を満たしているんだ」ということに気付き始めた。でも、別にそれでもいいから彼と話していたかったんだよ。
僕はいつの間にか男遊びが好きになっていた。だって、特にデメリットなく人と会えるし、気持ちいい。たまに虚しい気持ちにもなるけれど、でも別にそんなの大した問題ではなかった。たまに変な人と出くわすこともあるけれど、でもそれは笑い話のネタに使えるからむしろ一種の楽しみになっていた。ただ、好きだと思う人は一人もいなかった。上手い、とか可愛い、とかでもう一度会いたい人はいたけれど、好きになる人は一人もいなかった。
その後、ひょんなことから僕には彼女ができた。なかなか可愛くて絵が上手な子だった。この子とのストーリーも非常に濃厚なのだが、それは割愛するとして。僕に初めて恋人ができたおかげで、僕の中に巣食う恋愛コンプレックスは綺麗さっぱり消滅した。自分でもびっくりするくらいには、今までの自己嫌悪がどうでもよくなった。それと一緒に彼への憎しみも浄化されて、後に残ったのは彼のことを好きだったというきらきらした思い出だけだった。自分の心変わりは自分でも衝撃的で、物凄い感動に包まれた。
彼女とはあまりうまくいかなくて、数か月で別れてしまった。でも、自分の考えが大きく変わる非常に大事な経験だったと思う。一個目の大きな変化は、自分に自信が持てたこと。巨大なコンプレックスが無くなった影響は計り知れない。二個目は、過去の自分への嫌悪だ。昔の僕は、自分の中の好きという気持ちに任せて相手のことなんてこれっぽっちも考えていなかった。だからモテなかったのだ。好きな相手がいたら、好いてもらうために相応の行動が必要に決まってる。それにやっと気付かせてくれたのは、最初の彼女だった。
未だに彼からちょくちょく連絡が来ることがあったから、一連の出来事を彼に報告した。そして僕は、もう彼への憎しみは無くて前向きな気持ちで好きでいられるようになったことも伝えた。僕は彼のことを忘れることが不可能だと体で理解したから、好きだという気持ちを素直に自分で認めてあげて、それとうまく付き合って生きていくことに決めたのだ。
ちょっと補足すると、僕は彼女と付き合っている間だろうと、彼が好きだという気持ちは薄れなかった。でも、このことは彼女に報告した上で大丈夫だという判をもらっているし、人を好きな気持ちはどう努力しても理性で支配できることではないと思っている。大事なのはパートナーを不安にさせないことだと思っていて、それ以外の人間に好きだ抱きたい抱かれたいと思ってしまう気持ちを責めるのはお門違いではないだろうか。
さて本題に戻ると、彼は僕に彼女ができたことを祝福してくれた。彼の方にも彼氏ができたようだったが、あまり充実している様子ではなかった。恋人ができたら嬉しくてたまらないものだと僕は思うのだが、彼の方は何か裏がありそうな様子だった。僕は彼と久々に会っても依然として好きだなー、なんて思っていた。ただし、初めの1年間のような執着心は綺麗さっぱり消えていた。
もう、僕の心はすっかり平和だった。
後から知ったことだが、彼の方は全くそんなこと無かったようだ。
僕に二人目の彼女ができた。中学時代からのTwitterのフォロワーで、実は同じ大学に通っていたことが判明してから仲良くなった子だ。この子のことは本当に大好きだ。早く同棲したいし結婚したいし死ぬまで一緒にいたい。でも、まだ付き合って数か月しか経っていないから、そういう話はゆるやかにしかしていない。とはいえ、僕と彼女はベストパートナーなのではないだろうか、と自惚れてしまうくらいには相性が良いし大好きだ。
しばらくしてから、僕の頭に彼の顔が浮かんだ。結婚したいほど大好きな彼女ができたこと、報告するべきかな。いやでも、別に連絡するほどでもないか。いやいや、きっと僕の話を聞きたがっているんじゃないか。いやでもでも…
そう思っていた、昨晩。
彼から連絡が来た。
文面はこうだ。
「やほ」
二文字。二文字である。彼はこういうやつなのだ。案の定彼は僕に会いたがっていて、六本木まで来いと言われた。このとき、深夜の22時半だ。彼はこういうヤツだし、僕は僕でこう言われても大喜びで会いに行くようなヤツだった。でも、今の僕には非常に大事なお嫁さん候補がいる。不倫はダメだ。だから僕は断った。
正直、気持ちは揺らいだ。だから、彼女に報告をして、軽く𠮟ってもらった。こんなことをしている僕はダメなヤツだが、黙って不倫して後から大騒動になる人々に比べたらよっぽどマシだと思う。僕に自分の欲望を正しくセーブできる自信なんて無いから、情けないけど全てをあけっぴろげにすることでしか対策ができない。
この晩、僕は彼に未だかつてない態度を取った。先述したように、少し前の僕は深夜だろうと彼に呼び出されたら喜んで向かうような人だった。でも昨晩の僕は、彼の誘いを素直に飲まなかった。六本木までは行けないが、実家に来るのならいいという条件を出した。それくらいならただの男友達でもする範囲だろう。このレベルなら特に問題ない、という合意も彼女と取れているつもりだ。
でも、彼は遠いからと言ってぐずりだした。確かに僕の家は六本木から遠い。そう思うなら今晩会うことはできないから、会いたいならまた別日に会おうという提案をした。でも、今晩じゃなきゃダメらしい。何が言いたいのかよく分からなかった。会いたいという気持ちは一致しているはずなのに、根本的な何かがすれ違っているみたいだった。僕に請い願う彼の姿は初めて見た。なんだかみっともないとすら思ってしまった。
結局彼は自分の家に帰っていった。そして、駅を降りてから電話をした。ただ、彼曰くこれは最後の電話らしい。別に最後になんてしなくていいのに、なんて僕は思っていたけれど。彼は不器用だから、そうでもしないとうまくできないのだろう。
最後の電話が始まった。スマホ越しに何度か車が通過するブゥーンという音が聞こえてきた。僕も感傷に浸りたい気分だったから、いそいそとコートとマフラーを着て外を歩きながら電話することにした。それはもう寒くてたまらなかったけど、これからする話にはこれくらいの寒さが丁度いいだろうという謎の予感があった。
その最後の電話で、僕は気になっていたことのほとんどを聞くことができた。
やはり、彼は今の彼氏と順風満帆とは言い難いらしい。彼の彼氏は将来女の子と結婚したいようで、最近親戚からの圧力が苦しいのだそうだ。子どもや結婚といった話題で躓くのはゲイカップルのあるあるだ。その話題で話し合いを進めるうちに、彼はどうして自分はこんな人に優しく接しなきゃいけないんだろう、と思ってしまったのだそうだ。そして人を愛することの意味や理由について考えた挙句、ひたすら真っ直ぐに自分のことを愛してくれた唯一の男、つまり僕のことを思い出してしまったのだそうだ。
それを聞いて、僕は笑った。笑いながら嬉しいよと応えた。少し前の僕なら、照れていた。でも僕は笑っていた。僕が彼に向ける感情は、もはや彼の言うような真っ直ぐな愛情とは違う何かになっていたんだろう。
そういえば、この一か月くらい前に「愛がなんだ」をもう一度観た。あのころ共感できたはずの主人公には全く共感できなくなっていて、鬱陶しい敵だと思っていた女の方を魅力的に感じてしまった。僕の感情構造は、いつの間にか様変わりしていた。
僕のことが気になるなら、あと何か月か早く言ってくれればよかったのに。僕はもう売り切れちゃったんだから。なんて、ひどく調子に乗ったことも口にした。すると、彼も彼でびっくりするようなことを言った。
最初に会ったときからすごく可愛いと思っていたし、大好きだった。
でも。
信じられなかった。
自分が肯定されて愛されることが、自分の中ではあり得ないことだった。
だから、大好きだったけどわざと酷い態度を取ったり、そっけなく接した。
僕は大爆笑した。
だって、おかしいじゃない。好きなのにそれを伝えないなんて。両想いなことが分かってるんだから、それを隠す理由なんて一つも無いじゃん。付き合えば良かったじゃん。全部言えば良かったじゃん。そうしていれば、二人が苦しんでいた時間はずっと充実したものになってたのにさ。
馬鹿すぎて、大爆笑した。あいつは馬鹿野郎だと常々思っていたけど、予想よりずっとアホだった。バーカ。あと1年早く言えよ。臆病者。小心者。メンヘラ野郎のホモ野郎。ずっとカッコつけてた癖に気が小さい。図体ばっかりでかい。バカ。バカ。バカ。
僕は近所の川の前で大爆笑した。誰もいないあぜ道に僕の笑い声ひとつ。アーハハハハハッハッハ!冬の冷え切った空気が僕の吐息で温まる。今夜はなんて良い夜なんだろうと、僕はご機嫌だった。
彼は話し続けた。自分の人生の中では人に愛されることなんて異常事態だったと。顔も中身も全部好きだと言われても、全く信じられなかったと。それに早く気付けば良かったと。何度も何度も傷つけて苦しい思いをさせて、申し訳なかったと。
こういう話をされたら、もっと僕も悲しんだり怒ったりするのが相場だと思うけど、僕はひたすら笑っていた。ずーっと意地っ張りだった彼がこんなに素直に喋っているのが、余りにもおかしくてたまらなかったのだ。または、僕が彼を好きな気持ちがすっかり整理されてしまったせいで、もう何を言われてもときめいたり苦しんだりすることが無くなってしまったのかもしれない。
確かに僕は未だにずっと彼のことを好きなのだが、でもこれはたっぷりと諦めを含んだ"好き"なのだ。どうせ彼は僕のことなんて好きじゃない。どうせ僕は彼と付き合えない。どうせ彼は寂しがり屋で、それを埋めるためにしか僕と合わない。でもそんなことは全部了承した上で、好き。恋をしたときのドキドキとは程遠い何かなんだ。
この"好き"は一体何に例えるべきなんだろう。MOTHER2のネスがポーキーに向けていそうな感情に近しいかもしれない。こんなヤツでも許してあげなきゃいけないよな、みたいな感じ。
さて、衝撃の真実。彼は結局のところ最初から最後までずっと僕のことが好きだったのだ。でも、今の僕には彼女がいる。なんなら彼は奪ってやりたいとすら思っているらしい。でも僕のことを傷付ける羽目になるのは本意ではないから、これで完全に別れてしまいたい、ということらしいのだ。
僕はなんだか納得いかなかった。仲が良い人と関係を切るなんて意味不明だ。僕は彼女を大好きでいながら、彼とも普通の友達としてやっていけそうだった。でも、彼はそうではなかったんだ。僕と会ったらハグやキスじゃ物足りない、絶対に抱いてしまうのだそうだ。僕としてはハグまでならまぁセーフかな、と思うがそれ以降は断固拒否だ。その気持ちの激しさの差が、最後の電話の理由だった。
結婚式をするときは呼んでね。いやでも、二人っきりになったら襲っちゃうかもしれない。なんて大馬鹿発言をされてから、電話を切るときがやってきた。僕は最後までこの顛末に納得はできなかった。理屈は分かるが、素直に飲み込むことなんてできなかった。複雑な顔をする僕のことなんていざ知らず、彼は一言呟いて電話を切った。
大好きだったよ。バイバイ。
おっせーよ。クソ。
乳がん手術した者から言わせてもらうと「絶対にやめろ」の一言しかない
豊胸手術って将来的な乳がんの可能性考慮した場合デメリットしかないよ
自治体の乳がん検診断られる・豊胸手術した人を扱える技師や医師が少ない・まともな乳腺外科医には嫌がられて余所いってと言われる、等いろいろ
ただでさえ外科医の数少ないのに乳がんは患者数がめちゃくちゃ多いし
あとね、体にメス入れるって多分奥さんが思ってるよりきついよ
一言でいえば「浜のドン」こと藤木幸夫氏のサッカー嫌いの結果である。
この解説記事が詳しいが、昔から藤木氏はサッカーを親の恨みがあるレベルで嫌っている。
https://news.yahoo.co.jp/byline/oshimakazuto/20210824-00254809
記事によると1年半前にこんな発言を少年野球大会の開会式で発している。
「戦争の終わったあと、日本はなんのスポーツを選んだと思いますか?野球を選んだんです。よその国は何を選んだのか?サッカーです。サッカーはヨーロッパの国が、侵略の道具に使ったスポーツです。足が痛くても腰が痛くても手が痛くても『監督痛いです』と言ったら引退。野球は監督と選手が対等な立場で話し合える」
「私はサッカー(のW杯決勝)を横浜でやったとき、市長に『サッカーのW杯をやるような無様な横浜は嫌いだ』といいました」
「戦後すぐにサッカーでなく野球をやったから日本はこうなっている。サッカーをやったら今、私は懲役に行っているでしょう」
メルコという外資系のリゾート会社があり、カジノ構想はこの企業を中心に進められていた。
そのメルコが、2019年からJリーグ、横浜F・マリノスの背中スポンサーについた。
カジノはワールドワイドな娯楽なので、サッカーチームのスポンサーになる事を通じて知名度を上げていくのは普通の行動だ。
この時、野球のDeNAをスポンサードすると言う選択をしていれば、状況は大きく違っていた。「違っていたであろう」ではなく、「違っていた」。
サッカーチームを通じてカジノ構想を進めると言う行為を藤木氏が指をくわえて見てるわけもなく。
とにかくカジノ構想が潰れてメルコが居なくなれば、という狙いで山中氏を立てて支援した。
その結果、横浜市長選は山中氏が勝ち、カジノ構想は消滅、メルコは撤退(マリノスからも撤退)。
山中氏は選挙で出した公約を何一つ果たしていないなど市政で何の結果も出していないが、藤木氏とすればカジノ構想が無くなればあとは野となれ山となれなのでそれで充分なのである。それは横浜市民は市長選の前から知っていたはずなのにバカじゃねーの?としか言えない。
またマリノスについては藤木氏からにらまれる立場になってしまったため、他のスポンサーも減少している。実際、2019年と比べてスポンサーの数は2割減り、ユニフォームの背中下スポンサーについていた神奈川県内企業も今年限りで撤退が決まっている。スポンサードしているが、それを公表すると藤木氏から睨まれてしまうため非公表にしている企業の話も聞く。マリノスはこの4年で2回優勝したが、良い成績を挙げれば挙げる程藤木氏の機嫌を損ねてスポンサーが集まりづらくなるという悪循環が起きている。
理性は二の次。ごはんを食べるようにセックスがしたい。家庭にまったく不満がなくても不倫をしてしまうただのチンパンジー。不倫相手との腹上死が一番怖い。
パートナーに愛想を尽かされてセックスレスを嘆く。自分か犯した過去を反省する気は毛頭なく、「知らないうちにセックスレスです」と宣う粗大ゴミ。たまに家庭を顧みず暴走型の不倫に走る。
【愛に飢えたメンヘラ】
家庭が崩壊している。精神的なつながりを求めており、セックスよりもデートがしたい。不倫に対して謎の絶対的自信をみせている。沼にはまると関わる人すべてを不幸にしてしまう厄介なメンヘラ。
つらい幼少期だったり、ガバガバな性教育で作り出されたモンスター。確実に貧困。パチンコ、タバコ、酒の3コンボ。旦那もIQが低い。
誇れるものが何一つないため、自分と結婚した女に価値を見いだしたいだけのアホウドリ。そのコンプレックスに気づくことはなく、NTRは性癖の一言で終わらせてしまうその様はまさにアホ。
総じて運命に落ちる回数が多く、精神年齢が低い。離婚に行き着くパターンがもっとも多いのだが、再離婚になる確率が高いことすら考察できない。悲劇のヒロインを演じるのが得意。
よほど異臭がするとか服が毛玉だらけとか社会的にダメそうだったら指摘したほうがいいかもだけど、女性はプライドもあるだろうしし基本言わなくていいと思う。多分激務で若干セルフネグレクト気味では(経験済み)。
・連絡のレスがめちゃくちゃ遅いorない
・SNSでみる限り自炊せずウーバーや外食ばかり、または過度な飲酒や食事が見られる
この辺に当てはまってきたら、友人として「仕事お休みしたら?」と助言するのはありだと思う。
でも私は精神的に参っている知人を救ってあげようと偉そうに仏心を出したらものすごい依存・束縛されてしまいこちらまで病みかけたので、自分の精神・生活が安定しているのが大前提で踏み込みすぎないのが吉だと思うよ。ドライな意見でごめんね。
あとこれはADHDの自分が激務でしかばね状態で、特性上楽しみなもの予定でも遅刻したり化粧が間に合わなかったりが多く、当時の彼氏に振られた一言だったからギクッとした。(今は服薬して全くないです)
@fstora
このところ文系への風あたりが厳しいですが、絶対に人文科学(社会学・哲学・文学・歴史学)を生贄に差し出してでも俺たち社会科学(経済学・経営学・法学)は生き残っていこうな。
https://twitter.com/fstora/status/1607202975029825537
まず女性の社会学者はいらないです。全部デタラメで税金チューチュースキームを擁護しています。上野千鶴子から不正に加担しているのは免れようがない。
というわけで社会学者はまじでいらない。
あとジェンダーとかもいらないです。これもでたらめでなんら学問と関係がない。インチキです。
ロシアはなぜ勝っているのか?
https://note.com/jano66/n/naf5e6188b4cd
何故なら、食料の供給が少なくなったのは最近の話ではなく、ロシアのドンバス特別軍事作戦が始まる前の話だから。具体的には2020年から生産量が落ち込み始めた。新型コロナのパンデミックによって経済が鈍化し、その後の回復が必要な時だったんだ。
アメリカの金融・経済機関は大量に紙幣を刷って国民に配る事しか解決策が見つからなかった。
我々ももちろん紙幣をいつもより多く刷ったが、ロシアは期待する結果が得られるように、もっと慎重に正確にやるんだ。マクロ経済指標やインフレ指数などを注意深く見ながらやるからね。
少なくともプーチンは大変優秀な国際マクロ経済学者です。しかし、それにはブレーンがいます。どうせ信じないから書かないけど。女性です。
ポール・クルーグマンもアメリカの経済政策は間違っていたと言っているので、アメリカの経済学者は存在してる意義のない間抜けばかりです。
ロシアが勝利する第2の要因がヨーロッパが緑の党とかグレタみたいなデタラメをやって食料はない、ガスはない、石油はないという地獄に陥りました。
これもロシアは何もしなくても勝ってしまいます。これも経済学者がいたからです。
アメリカには一人も経済学者はいないので、英語の本なんて読んでも意味はないし、アメリカの大学にいかないと出世できないシステムがあるそうですが、そういうのも有害です。
これには日本人が全くできない「外交」が関係しています。外交ができないから日本人は武器を振り回すわけです。だから程度が低いわけです。
これもジェンダーとか社会の進歩と何一つ関係がないばかみたいな事をやっているから、全くレベルが低いわけです。いらないのですね。有害です。極めて有害です。国を滅ぼします。
少子化がこの30年間解消していないでしょう?だからジェンダーとか男女共同参画は全く意味がありません。大仏殿でも建てたほうがマシです。
AVのほうがよほど文化や人の幸せに貢献しています。学者は何一つできませんでした。とくに社会学者はマイナスです。なんの意味もない。知る限り唯一の例外は宮台先生くらいでしょう。
まともな学者だからああいう目にあったわけです。日本はジェンダーのおかげで馬鹿になって本当に大事なものがわからなくなっているのです。
どうもQR決済のときは通常レジで処理するようだが、それセルフの意味あるか?
こっちは一言も喋りたくないんだが。
あとセルフレジにクレカを通したあと、わざわざ支払いボタンを押さなきゃいけない。
しかもどっちもめちゃくちゃ不便ってわけじゃないのがムカつくよな。
さっさと帰りたいのにどうでもいいことで二回も引き留められる、っていう不快感があるんだよな。
しかも、一番サポート体制がマシなPixelシリーズの最近のヤツでやっと3年なんだよね。
もっと売れてる投げ売り端末なんか3年すら遠く及ばないし、セキュリティパッチも最低限になる。
古い端末に最新OS入れても遅くなるだけ、みたいな惨めな言い訳がよく聞こえてくるけど、そこの判断の自由はユーザーに渡さないのかよ。
不自由なiPhoneはサポート付きで最新OSにアップグレードする自由(半強制)を提供してるよ?
投げ売り端末作ってる会社に碌なサポート期待できないのは分かるが、Pixelはメジャーバージョンアップ保証もセキュリティパッチと同じ5年ぐらいはサポートしたらいいのに。
ただ、Appleの方は「最低5年保証します」なんて一言も明言してないので、保証期間を明言してるって点だけはAndroidの方が比べようもないほどマシなんだよな。
「沼」とは、シャイニー薊というフィジーカー(ボディビルダーの一種らしい)が考案した、
ボディビルダー用のメシである。が、ダイエット食としても優れている。
その特徴は一言で言えば、「乾物や野菜で最大限かさ増ししたお粥」だ。
お粥ではあるが、米はほとんど使わない。いくら食っても、食っているのは実質ほぼ水なので
俺の場合、ダイエットに取り入れてから(他のダイエットと併用してではあるが)2kgほど減量した。
ちなみに他のダイエットも、カロリー制限や食物繊維、低GIなど食事改善によるものがメインで、
炊飯器に具材をいれて炊くだけで作れる。具材は、さすがに手間ゼロで用意するのは厳しいものの
調理の手間は多少ちぎるくらいで包丁はほとんど使わない、または皆無。
自分にとっては、弁当をレンジで温めたりレトルトカレーをご飯に盛ることは「そこそこ複雑な調理」なのだが、そんな自分でもなんとか作れた。
これがでかい。世の中のダイエット食、特に食物繊維系の食事は「胃に入ると満腹感が出る」というものが少なくないため、
大して食ってないのに満腹感だけが出る。これはこれで悪くないのだが、
満腹感だけを脳にインストールされたような感じがしてどうも座りが悪い。
一方で「沼」は、ローカロリーなぶんあくまで物量で勝負するため、文字通り腹いっぱい食える。
たくさん食えようが栄養があろうが、まずいものは食いたくないのが人間だ。
ご安心あれ、「沼」の通常レシピは日本人(と多分全人類)が大好きなカレー味なので、
日本人である限り無限に食えるようになっている。流石に毎日カレーを食うのは厳しいが、
美味いしいくらでも食えるくせにローカロリー。これが、沼が究極のダイエット食と言える理由だ。
これでもかというほど水を足し、粥を超えて泥状になるまで調理をしている。中には調理後にさらに水を足しているものもある。
増量のためだろうか? しかし、量以上に食感は大事だ。顎を動かさずに食えるというのは、胃の満腹感のみならず
脳の満足感にも悪い影響がある。
そこでこれから紹介するアレンジレシピでは、あえて粥ではなく炊き込みご飯という形態にこだわり、水気を抑えたものを紹介している。
これは適当に作れるという利点の裏返しでもあるのだが、巷の「沼」のレシピは具材の分量が「適量」で済まされているものばかりだ。
しかし、ほんとうに適量でいいのだ。どんなに間違えても、最後はカレーと炊飯器がなんとかまとめてくれる。
それでも、最初のうちは加減が分からず戸惑うだろうと思う。後のレシピではその点も注意した。
前述した通り、沼は分量がでたらめでもなんとかなる。カレーを信じろ。
このレシピも、「適量」だと困る奴のためそれなりの分量を書いているが、米以外は全部目分量とアドリブで作っている。
ちなみに3合炊きのレシピだ。
慣れてアレンジに自信がついたら0.5合以下でもいい。
元レシピのささみに代わり、たんぱく源、兼、米の代用として使っている。俺はそぼろタイプのものをキロ単位でまとめ買いしている。
沼にかぎらず、そぼろ型大豆ミートはひき肉の代用として、麻婆にパスタにラーメンにとあらゆる料理に混ぜて使える便利な奴だ。
オートミールをそのまま炊飯すると、これまたデロデロの糊状になって風味がよろしくないが
大豆ミートのつなぎになるかと思い少量混ぜている。不要かもしれない
俺はシイタケがあまり好きではないので、5mm~1cm大に小さくちぎっている
ここまでちぎれば風味が紛れて分からなくなるし、シイタケ自体はかさを増すためには無視できない
わかめはかさ増しには優れているが、食感が悪いし風味が合わない(ワカメが入ったカレーがあるか?)。
代用としてひじきを入れる。これも口に入れると結構カレーと風味がかち合うが、食感はまったく殺さずにカレーと合うのが良い。
市販のルーを、溶けやすいように細かく刻んで具材に混ぜる。普通は1でいいが、自信がないときや好みに応じて1.5ブロック入れる。
説明不要のダイエット食。沼とは相性がいいので、小さい短冊にするか細かく刻んで入れる。
これもアドリブofアドリブで、何をどれだけ入れてもいいのだが一例を挙げる
元レシピではオクラを入れていたが、俺はオクラも嫌いなので代用にピーマンを使っている。
種を取り千切りにする。
全部ジャーにいれたら、水を普段の3合炊き分入れて普段通り炊けばいい。
炊く前と炊いた後に軽く混ぜるとベストだが別にやらなくてもいい。
味は普通にカレー味の炊き込みご飯。米を0.7合しか入れてないのに、きっちり3合分炊けるからすごい
食ってもしっかり歯ごたえがあり、かさ増しした感覚が全くない。
沼はローカロリーではあるが、ゼロカロリーではない。当然、カロリーを相殺するほど大量に食っては意味がない。
少なくとも、沼を食った食事では他に余計なものは食わない、間食はとらないといった配慮が必要だ。
沼は美味いし量もあるので、この縛りはそこまで辛くはない。
さらに言えば、ダイエットを沼に頼らない、頼りすぎない配慮もいるだろう。
俺の場合、ダイエットがつらくなってきたが好きな物を腹いっぱい食いたい、そんな時に
チートデー(ハメを外して好きなものを食っていい日)に対する準チートデーのようなものとして、
緩衝材というかチートデーの先延ばしというか、そういった体調や満足感の調整に使っている。
上のレシピでは外せないのが米、カレールー、干しシイタケあたりで、大半がその場のアレンジで何とかなるものだ。
包丁を持つ気力がなければ乾物と冷蔵庫の残り物とルーをぶちこんで食う前に溶け残ったルーを混ぜればいいし、
それでもアレンジに失敗しないためのポイントがあるので最後に紹介する
葉物を入れても、どうせ水気が出た後は体積が激減してしまう。
葉物はあくまで風味付けや食感付けと割り切り、どうせ野菜を入れるならかさを稼げる根菜をメインにする。
逆に言えば、少々口に入れてもカレーを殺さないものなら何を入れてもいい。カレーを信じろ。
タイトルそのままの内容なので閲覧には注意されたい。一部の人にはつらい記憶を思い出させてしまうかもしれない。女性視点の体験記は数多くある一方で、男性視点のものは少ない。妻が妊娠すると男性も覚悟を決める。しかし、(過去の自分も含めて)何が起こり得るかはぼんやりとしか想像できない。稚拙ながらも自分の体験と後悔を書き残しておけば、その解像度が上がるかもしれない。そう思い投稿する。
分娩室。妻につながれた医療モニタが歪なサインカーブを描いていた。正確にはサイン波の絶対値のような概形でゼロ区間が長い。波形がピークに近づくにつれて妻のうめき声が大きくなる。これが陣痛発作だ。間欠的な小休止を挟みつつ、数分おきに発作が起こる。モニタの値が妻の痛みを表している。全力で妻をサポートしたいなら、助産師の動きを脳裏に焼き付けて、完全に模倣すればよい。一挙手一投足に意味がある。プロの動きを邪魔しないように、分娩室の俯瞰映像を想像して立ち振る舞う。男性は手が大きいので、より効果的にさすることができる。胎児の心臓が止まっていると分かったのは、6時間前のことだった。
妻がついに妊娠した。待望の我が子で、出産月のコントロールなどとうに諦めていた。妊娠後の検査は全て正常、胎児の推定体重は発育曲線のど真ん中。妊娠週数を横軸としたグラフに推定体重を書き込み、発育曲線なる2本の曲線の間にあれば正常とされる。何も定量的な説明はなかったが、胎児の体重はおそらく正規分布に従うので、上下の発育曲線は平均±数σを表しているのだろう。曲線の離れ具合から、発育が進むにつれて分散が大きくなると読み取れる。ちょうどそのど真ん中で、初めての我が子は順調に育っていた。早々に名前をつけて、膨れ上がった妻のお腹に毎日のように話しかけた。
無痛分娩に興味があった。背骨と脊髄の間にあるわずかな空間に麻酔薬を注入して分娩にともなう母体の苦痛を軽減する。一定のリスクはあるが、メリットが大きく上回る。無痛分娩のためには麻酔科医の予定を抑える必要がある(※後で知ったがこれは産院によるらしい)。出産予定日は3月末だった。つまり、無痛分娩を選択することで子の早生まれが確定する。ひょっとしたら4月生まれになる可能性もある。そんな淡い期待を胸に、私たちは自然分娩を選択した。
私は3月生まれであることがずっとコンプレックスだった。早産の早生まれ、背の順は常に先頭、鬼ごっこではいつも鬼、50m走のタイムは肥満児より遅く、ドッジボールではただの的、組体操のピラミッドでは頂上から落ちて何度も死ぬ思い。身体的・精神的な発達の遅れに由来する傾向は「相対年齢効果」と呼ばれ、特に男子の場合は生涯賃金の観点で一生の足枷となる。これは歴然たる統計的事実として知られている(ちなみに、女子もしくは学力上位の男子ならばこの呪いの例外となる。興味があればGoogle Scholarで検索してみてほしい)。子の幸せを願う親として、自分と同じ思いをさせてはならないという使命感が、自然分娩の選択を後押しした。
出産予定日に陣痛が起こり、病院に着いてから胎児の心臓が止まっていると分かった。1週間前の検診では何も異常がなかったため、その間のどこかで突然死したことになる。我が子の突然死。目の前の現実を受け入れられず、ただただ夫婦二人でむせび泣いた。
分娩室。妻から我が子が押し出されてきて、一瞬の静寂が広がる。子はすぐに医師がどこかに連れて行ってしまった。分娩室は静まりかえっている。蘇生の可能性はゼロ。突然、遠くから赤ちゃんの元気な泣き声が聞こえてきた。我が子の声ではない。不快な、怒りに近い感情が湧き上がる。元気な泣き声がナイフのように心に突き刺さる。どうしてうちの子は。心に深い闇が広がる。妻の一言で、自分が強い嫉妬の感情を抱いていることに気づかされた。「向こうの子は無事に生まれて良かったね」妻はいつの間にか、すべてを受け入れていた。
妻と私、そして布で丁寧に包まれた我が子。一晩を一緒に過ごすことになった。「かわいいお顔を見せてくれてありがとう」口ではそう言いつつ、顔が明らかに赤黒く変色し、傷ついた皮膚から血が流れているのに言葉を失った。病室に来る助産師達はしきりにスキンシップや沐浴を勧めてくる。私はこれが全く理解できなかった。腐敗防止のために徹底的に冷やされている我が子を触り、その金属的な冷たさを感じるだけで心が締め付けられる。おくるみの下にはきっとドライアイスがあるのだろう。定期的に交換してくれている。なぜ進んで苦しい思いをする必要があるのか。言語化できない恐怖感があった。あまりにも触らないためか、助産師が手形と足形を取ってくださった。このとき抱いていたのは恐怖感ではなく、エゴ由来のただの現実逃避であったと後に気づく。
役所での手続きは事務的には簡単で、精神的には苦痛でしかない。病院で受け取った死産届に記入し、役所に提出すると火葬許可証が発行される。予め出生届の記入方法を調べていた。死産届の様式が出生届とほぼ同じであるのに気づき、スムーズに記入できたが、子の名前を書く欄はない。様式からも現実を突き付けられた。火葬業者によっては、代理で届けを出してくれるらしい。
火葬場では地獄のような時間を過ごした。大人と違って赤ちゃんの棺はとても小さい。100サイズの段ボール箱とちょうど同じくらいの大きさだ。棺は私が運んだ。今でも100サイズの同じくらいの重さの段ボール箱を持つと当時の記憶がフラッシュバックして涙が出る。火葬後のお骨上げはただただ拷問のようだった。赤ちゃんの骨は割り箸のように細く脆い。頭蓋骨は割れたプラスチックの破片のようだ。「産道を通るために赤ちゃんの頭は形が変わるようになっている」という知識が目の前の現実と急に結びつく。赤ちゃん用の骨壺はすぐには入手できない。仕方なく、急ぎホームセンターで入れ物を購入した。「こんなのでごめんね」
我が国における年間の自然死産数は約8000程度で推移している。その他、新生児死亡や乳児死亡も含めると、毎年約1万人を超える赤ちゃんが旅立っている。これほどまでにつらく悲しいことがあるのかと、絶望に打ちひしがれていたが、同様の絶望は人知れずそこら中で起こり、大きな悲しみを背負っている人達がたくさんいることを知った。死産を繰り返した人、出産で妻と子を同時に失った人。つらい経験をした家族達が集まって語り合う自助グループが数多くあり、「グリーフケア」という名称で様々な取り組みやビジネスがなされている。関連書籍も多く(「産声のない天使たち」「誕生死」等)、図書館には必ずあるだろう。供養の方法は複数あり、水子供養の場合はずらりと並んだ小さな骨壷を目にすることになる。「天国で友達たくさんできるかな?」
ポジティブに捉えると、妻と一緒に同じ苦難を乗り越えたことで、お互いの心の結びつきが一層強くなったように思う。妻との関係性が、これまでにない、かけがえのないものに変化した。妻の人柄や屈強なメンタルに、改めて敬意を抱いた。
後悔は二つある。
第一に、無痛分娩を選ぶべきだった。出産が遅れるほど分娩リスクは高くなる。無痛分娩であれば、出産予定日よりも前に強制的に分娩させられるため、リスクが相対的に低いのではないか(正確には医師に相談されたい)。本事例では、出産予定日の1週間前には無事であったため、無痛分娩であれば死産を避けられていた可能性がある。「4月生まれになるかも」などという勝手なわがままで我が子を間接的に殺したのでは、という自責の念に駆られている。
第二に、我が子ともっと向き合うべきだった。完全に冷え切った子に触れるのには勇気がいる。スキンシップや沐浴を勧めてくる助産師がサイコパスのようにさえ思えた。これは完全に誤りである。夫婦水入らずで、最後の姿をまともに見られるのは、このタイミングしか残されていない。火葬したら骨になってしまう。家族写真・手形・足形・遺骨だけでいいのか。せめてスキンシップだけでも、精一杯向き合って、家族の思い出を作るべきだった。
皆さん、心優しいコメントをどうもありがとうございます。お察しのとおり、子が旅立ったのはコロナ禍前です。ちゃんと言葉にできるようになるまで、事実を客観視できるようになるまで約2年半かかり、同時に、受容が進むにつれて記憶が薄れるのに気づき、一気に書き出しました。的確なご指摘が多く、勉強になると同時に、自分自身の認知の歪みにも気づかされ、励まされました。
本記事へのトップコメントはこちらからご覧になれます。つらい思いをしている方が、少しでも前向きに、励まされることを願っています。https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20221225220743