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はてなキーワード: 水子供養とは

2020-05-30

彼女妊娠した

俺32歳 一人暮らし 会社員

彼女18歳 大学1年 親が若干モンスターペアレント 親はシンマザ アプリで知り合った

付き合って3カ月。まだお互いの親には存在は言ってない。というか彼女の年齢もあるのでしばらくは言えないと思ってる。

彼女生理が来なくて心配で、検査薬を使ってみたところヒット。危険日4日前ぐらいにたまたましたら、それがあたったみたい。

彼女と落ち着いて話して、タイミングが今ではないこと、大学生活を棒に振らせたくないことなから、辛いけど下ろすのは仕方ないねとなった。現在妊娠5周

本当は双方の親に正直に言ってごめんなさい下ろしますと言いたいが、彼女自身が伝えたくないと言ったのもあって、親の承諾がなくとも下ろせる産婦人科に行こうと思ってる。

色々教えてほしい

保険適用せずに病院で手術した場合彼女の家に連絡は本当にいかいか

・18歳以上は未成年でも親の承諾なしで下ろせる病院へかかろうと思うが、ググるとその病院はやめといたほうがよいと書く産婦人科医もいる。実際どうなのか

妊娠週が早いので、吸引するのが一般的みたいだが、手術の失敗などあるのか

彼女心のケアはもちろんするが、水子供養するのが一般的

2019-11-14

anond:20191114112351

OK追記2を見た。

そこまでしっかり定義してたなら嫁さんの想像不足だな。

とはいえ、嫁さんの身体の決定権は既に嫁さんにあるのは間違いない。

できる事は少ないが下記を伝えて想像して貰ったらいいかも知れない。

1.約束が違う事とそれで結婚続けても到底幸せにならない事。

2.シングルマザー貧困子供貧困になる事。

3.自分達の財力では経済的に2名を養うのは難しい事。

4.必ず水子供養をするなど自分がしてしまった事を後悔し続ける事を伝える事。

それでも生む。というのなら残念だが頑張るしかない。

というのも、どんな条件であれ生まれ子供は君の種だ。

倫理的に君に責任がある。

その選択を決めた伴侶を選んだのも君だ。

当たり前だけど、子供が君と嫁さんのルール付なんて知った事ないからな。

嫁さんに子供が身ごもった時点で君の決定権から外れるし、別の倫理っていう

君が見落としていた関数干渉してバグを起こしたのだと思うしか無い。

まぁ、一定の同情の声をかけるなら君も倫理を甘く見すぎたし、嫁さんも想像不足だったねって話で終わりだ。

子供を含む君等家族に幸多からん事を祈ってるよ。

2019-01-04

流産した結果性癖をこじらせた話

https://anond.hatelabo.jp/xavier_89/20181116

このエントリを書いた者です。

反応くれた人ありがとうね。すごく励まされました。

あれから確定診断を受け、水子供養をして、あとは流産の手術を受けるだけだったのですが、手術の前日に自然流産。手術嫌だって言いまくっていたからかな。察して出てきてくれたのかな。いい子すぎんか?

自然流産とはいえ死ぬほど痛かったです。キツめの生理痛のような痛みと言われたけどほぼ陣痛マジでのたうち回った。

流産したことはめちゃくちゃ悲しいし今でも夜思い出して泣くこともあるんだけど、決して悪いことばかりでない。

表題の通り新しい性癖の扉を叩くことになりました。

推しの、妊娠出産話が見たい。

前のエントリでも触れましたがわたしオタク腐女子です。推しは男です。

あっ、気持ち悪い自覚はあるんですよ。生きててすみません

男は妊娠しない?ちょっと黙っててもらえませんか。

うっかり子宮のある男性いるかもしれないじゃないですか推しもうっかり子宮がある男性なのかもしれないじゃないですか。男女どちらも妊娠する世界線があるかもしれないじゃないですか

いやだって、見たくありませんか。

自分とは違う命が胎内に宿ることに戸惑い、悩み、最終的に受け入れて腹をくくって産む決意をする推しを。

つわりでひどい吐き気に悩まされ、潤んだ瞳で嘔吐する推しを見たくありませんか?わたしは見たい。

いや流産しといて何言ってんだって感じなんですけど、妊娠出産てほんとすごく人を成長させるんですよ。心身ともにほんとにたくさんの変化があるんです。内側から母親にさせられるんですよ。望む望まざるとにかかわらず、半ば強制的母親意識が芽生えるんです。ホルモンってすごいですね(小並感)

まさか俺が妊娠?と驚きからまりつわりで苦しみ「もういやだ」と我が身を呪い、「こんな自分母親になる資格などない」と自らに失望し、それでも順調に育つ我が子のエコー写真に励まされ、少しずつ妊娠を受け入れ出産に望むその推しくんのその姿を、愛おしそうにお腹を撫でるその姿を、わたしは見たい。

切迫流産危機を乗り越えてほしいし、時にはマタニティブルーで言い表せない不安に打ち震えて涙してほしい。命の誕生を通して成長する推しカプたちを見たいんですよ。

わたし音楽も好きで、よく推しカプのイメソンとか考えるんですけど、最近は全てのラブソング推し妊娠を祝福する歌に聞こえます。もはや病気です。

推しがゆったりめのガウンなんか着てた日には「安定期に入った!!!!!!」と叫びます

ニッチ性癖なのはわかっています

読みたいのは自分だけかもしれない。

でも推し妊娠楽しいよ。楽しくない?

これを伝えたくて最近また筆をとりました。

10年くらい読み専でしたが通勤中に執筆できるようにBluetoothスマホキーボードも買いました。

人生絶望することばかりじゃないよ。

2018-11-16

稽留流産した話を聞いてくれないか

誰にも言いたくないし認めたくないから始めてだけどここを使うよ。

国語なんて長らく触れていないし、普段ツイッターランドおたく村の住人だからハチャメチャに読みにくいと思うけど了承いただきたい。

ほんと吐き出したくてしょうがなかったんだ。

文字通り、妊娠9週目で稽留流産していることが発覚した。

妊婦健診の日だったから、血圧体重、頸部細胞診ののちにエコー

婦人科診察台、あれほんとにエッチだなって思いながらぼんやりしてたけど、普通の診察室に戻るように言われ、ベッドに横になるように指示を受けた。

「ああ今日健診の日だし、わたし採血でよくぶっ倒れるって言ってたこと覚えてくれてたんだな」くらいにしか思わなかったけど、横になるなり「お腹を見せてください」と言われて言われるがまま、腹を晒したんだ。だらしないお腹

もともとスリムな体型ではないけど、つわりが7週か6週の終わりに少しずつやんで、わりとなんでも食べることができてたか体重右肩上がりだったから余計にだらしない。

ジェル?を塗って先生エコー機械をあてる。そのときは「え〜〜?赤ちゃん本当にいるのかわかんないな〜〜」って笑ってた。

先生赤ちゃんを探し当てて「わかりますか、これが胎嚢で、ここにうつってるのが赤ちゃんです。」と指し示してくれた。

5週で点だったものが、6週で心音確認できて、9週できちんと人型になってて感動すら覚えていたわたしはこのときはまだまだ理解してなかった。

先生が言いにくそうに続けた。

「あのね、●●さん…すごく、小さいんですよ、胎児の大きさがね。いま9週だと思うけど、それにしてはとても小さい。7週目いくかいかないかくらいしかない。」

まじ?こんなにお腹出てるのに?

じゃあこの腹の肉はなんぞ?ただの脂肪なのか??

まだまだ理解してないわたし

「え〜〜、2キロも増えたのに(笑」

「…心臓エコーを見る限りでは、動いていませんね。確認できないです。」

えっ。

心臓、動いてないの?それってどういうこと??わたし心臓も止まるかとおもった。待って。

6週めまではちゃんと生きてましたよね。

出血だってしてないよ。

お腹はたしかに時々チクチク痛いけど、耐えられないような痛みはないよ。

まってまって先生、それ以上言わないで。

十中八九稽留流産だと思います。」

けいりゅうりゅうざん。

それ、ほんでよんだことある

わたしはいアラサーで、30代にほど近い人間流産確率は全妊娠の15パーセントくらいって何かで読んだ。

つわりがぱたりとやんだとき心配から病院にいこうかなって旦那相談した。

「本当に心配だったら病院行こうか」と言ってくれた。

先人たちは「流産ときは何かしら兆候があるよ」と教えたくれた。

「そっかあ、じゃあ特に痛みもないし大丈夫だな(^^)v」と思った自分を殴りたい。かわいそうなわたし赤ちゃん。いつから止まってたのかな、心臓

きっと苦しかったね。

確定診断は来週になるそうだけど、9割がた稽留流産とみて間違いないそうだ。

誤解しないでほしいんだけど、稽留流産母体に何かしら問題があるわけではなくて、受精卵側の染色体異常がその原因の多くを占めている。

誰にでも起こりうるものなのだ

からわたしの日頃の行いが悪かったわけでも、旦那ダメだったわけでもない。

そう、誰も悪くない。

誰も悪くないかメチャクチャしんどい

誰も悪くないから結局自分を責めるしかできない。

初めての正常妊娠だった。

前の月に生理が来たときは、多分化流産だったか生理痛が半端なかったし、10日以上遅れてきたか期待値も上がっててしくしく泣いてた矢先の妊娠だった。

染色体異常かあ。

人間感情閾値を超えるとうまく反応ができなくなるらしくて。思わず先生に「マジっすか」って聞き返してた。

…もうちょっとかに聞き方あったと思うんだよな。

「そうですね」と先生

聞きたくない。流産とかつわりとかここ数ヶ月ずっとそういうの読んでたからそのあとの処置は知ってる。でも聞くことをやめられない。

「今後の、その……処置は……どうすればいいですか」

なるべく冷静に冷静に声を出したつもりだったけど、処置という言葉自分で選んだくせにそこで涙が止まらなくなった。

そっかあ。流産だもんな。お産じゃないもん、処置なんだよね。

産んであげられなくてごめんなさい。

稽留流産場合自然流産と違って流産兆候が見られないままお腹の中で胎児が死んでしまう。

から胎児自然に中から出てくるのを待つか、中絶手術と同じように子宮から胎児を吸引してしまうか、どちらかの選択を迫られる。

わたしはどちらにせよ、この子とはもうさよならしなくちゃならないのだ。


たった3ヶ月、数週間だけの妊婦だったけど、心身の変化はとても楽しかった。

まだ妊娠経験していないひと、自分乳首の色を覚えておいてください。びっくりするくらい黒くなるし、 ものすごく大きくなるよ。しか後生そのまま。写真かに抵抗がなければ記録として残しておいてもいいかもしれない。

わたし乳首、もうピンクになることは一生ないんだな、って思うと大人階段を登ったような気がする。別に自慢の乳首じゃなかったけどさ………。

4週目で妊娠に気づいたのだけど、そのときはまっったく自覚がなくて、でもフワフワして夢見心地で、でも同時にどうしようもなく不安だった。わたしお母さんになれるのかしらって。

わたしはもともと家庭環境が複雑で、母親のことを全くと言っていいほど覚えていない。祖父母はいたけど。

から母親というものイマイチ理解してないような気がしている。

でも6週めあたりから、なぜかメチャメチャにお腹の子が愛おしくなって、何が何でも産むぞ〜〜!!みたいな気持ちになって毎日お腹に話しかけまくった。母ちゃんもう疲れたよ〜〜、とかいまめっち電車揺れたけど大丈夫〜〜??とか。

ホルモンの分泌とかなのかな、内側からも外側から母親になるんだなという感じだった。

こうして文章にしていたらだいぶ落ち着いてきたけど、それでもやっぱ手術は怖いし、血が苦手だから出血がたくさんあるのは無理無理の無理だし、かといって赤ちゃんをこのままにしておくわけにはいかないしで、正直まだ受け入れられないでいる。

昨日も旦那ふたりワンワン泣いたし、のちに子どもが生まれても、できなくて子どものいない人生選択をしたとしても、今回妊娠した子のことは絶対に覚えておこうと思う。

まだまだ受け入れたくないけど、たった数週間だけでもこの子母親になれてよかった。

12月は繁忙期でハチャメチャに忙しくなってしまうので、それまでに手術を受けて、暇を見つけて水子供養に行こうと思います

さようならありがとう

顔も性別もわからないけど、あなたは紛れもなくわたし旦那の子です。

天国では染色体なんてきっと関係いから、すくすく育ってほしい。

2017-08-06

人工妊娠中絶を受けた話(数年前) ※追記訂正あり

https://anond.hatelabo.jp/20170805221741

ホットエントリーに入っていた上記を読んだ。

自分体験と違った部分と、その数年後に結婚出産して分かったことを書く。

中絶費用手続き

自分全身麻酔20万円。全麻じゃないクリニックはもっと安かった。手続きではパートナー同意必要だったが私の場合パートナー海外にいたので代筆で通した。

麻酔

手術前日の夜からシールのようなパッチのようなものを腕に貼った。麻酔の効きを良くするためだった気がする。

・手術

当日、1つめの麻酔で夢うつつ状態になり、その状態で手術台まで連れて行かれる。そこで本格的な麻酔。その時には無意識に恐怖心が沸いて抵抗した記憶があるが、身体を抑えられて麻酔が入ると瞬時に意識を失った。あとは目が覚めたら処置が終わっていた。

身体への負担

術後に意識が戻ってから猛烈な吐き気めまいがあった。全身麻酔だと吐き気が出る人がいるらしかった。目が覚めてからおそらく1時間くらいは病院で休ませてもらったが吐き気がおさまらず、病院近くのカフェで休んで(たぶんこれも1時間ほど)、ようやく帰れる感じになった。(記憶曖昧で、どれくらいの時間で落ち着いたかは定かでない)

術後の吐き気以外だと、排尿時に陰部がものすごく染みた。その痛みで、「ああ自分は手術したんだ」ということを改めて実感した。

・その後の心境

各々の状況によってかなり異なると思うが、自分にとっては処女喪失の時の感覚と似ていた。体験する前はものすごく重大で怖いことと思っていた、最中はあっという間に終わった、終わった後は痛みがあったがそのうち痛みも引いた、そしてそのことは誰も気付かずにいつもと同じ日常に戻る、でも自分の中の何かは確実に変わった、と。

ちなみに、なぜ手術をしたかというと、愚かにも避妊に失敗してしまたからだ。当時の彼氏はちょうど仕事海外に行ったばかりで1年は戻って来ない、自分はまだ社会人2年目で結婚出産も早すぎると思っていた、かつ当時の彼氏結婚する決意も持てなかった。それなのに彼氏が出立する直前の行為避妊に失敗した。結局、彼は予定より早く帰国し、その後一緒に水子供養に行った。その数ヶ月後、別れた。

・数年後の妊娠出産

中絶から数年後に別の男性結婚し、妊娠した。産院では妊娠回数と分娩回数を聞かれる。妊娠経験があり分娩経験がない=流産中絶ということになる。私は夫や自分家族には中絶のことを絶対に知られたくなかったため、過去妊娠回数は誤魔化した。もちろんネットでも色々調べた。中絶経験は診察で医師にバレるのか、申告内容は秘密にされるのか、等々。ネットでは様々な意見があった。多かった意見は、経産婦かどうかは絶対に誤魔化せないが妊娠初期での中絶は分からない、申告内容は秘密にしてもらえる、という意見だった。しかし私は申告しなかった。それでも妊婦検診などでは全く問題なかった。実際に分娩間近となった際、私の産院では、再度妊娠回数と出産回数を確認された。最後最後に申告すべきかどうか一瞬迷ったが、やはり、隠し通した。結果、それは正しい判断だったと思う。

何故なら、産院から出された出生証明書妊娠回数と出産回数の記載があったからだ。(追記:すみません訂正します。出生証明書記載されるのは妊娠回数ではなく22週以降の死産を何胎か書くようでした。トラバのご指摘ありがとうございました)

産院の出生証明書自治体への出生届の提出に必要だった。我が家は私の入院中に夫が出生届を提出しに行ったため、正直に申告していたらそこでバレる可能性があった。危なかった。(追記:出生証明書には死産記載のようなので、堕胎はバレないということですね。産後数日でのヘロヘロ状態だったため早とちりした模様…。勇んで勘違いの内容を書いてお恥ずかしい)

中絶経験があって、それを隠して出産するか迷っている人の参考になれば、と思う。

終わり

2016-07-20

日本フリーセックス伝統!とかドヤってる人はどうかしてる

だったら、昔の日本人男性はそんなに他人の子どもを育てたのか?

と疑問に思ったが、よく考えたら大半の人は農家なんだから

子ども=働き手が増えるわけで、奥さんが他人の子をはらんだらむしろラッキーだったんだろうな

どのみち遺産は長子が継承するわけで、最初の子自分の子である確証はほしかっただろうが、

それ以降の子どもはソルジャー扱いで誰の子でも良かったんだろう

ただ、世界的な小氷河期飢饉が連発した江戸時代の後半は、

随分と嬰児殺し&育児放棄問題になっていたらしい。水子供養って実はそれ関係なんでしょ。

フリーセックスの結果、子どもが次々と生まれた瞬間に殺され/捨てられていたとすると、

近代化以降の禁欲化は、西洋キリスト教)の影響だけじゃなくて、

明治政府富国強兵策=人口増加制作の影響もある気がする。

まれたからには殺すな → 殺すくらいなら産むな、的な流れね。

ただ、大正時代ですら産婦人科付きの子殺し業者が捕まっているので

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B0%E3%81%84%E5%AD%90%E6%AE%BA%E4%BA%BA

実のところ明治大正になってもフリーセックスの慣習は残っていたのかも

そう考えると、とてもじゃないが前近代の性倫理を諸手を挙げて賞賛する気も起きないし、

日本フリーセックス伝統!とかドヤってる人もどうかしてる。

2016-01-29

手術して一ヶ月経過した

http://anond.hatelabo.jp/20151211212703

これを書いたものです。

ありがたいことにたくさんコメントを頂き、励まされたので、蛇足だと思うが術後1ヶ月の簡単な経過と心情を記しておきます

・術後~1周間

次回の診察まではとにかく大人しく寝ておいて家事はなるべくするな、と言われたので、夫と相談してトイレシャワーと食べるとき以外は寝床で過ごす生活

体は元気で、心配していた気持ち悪さもなく、処方された子宮伸縮剤を飲んだあと2時間ぐらいは軽い腹痛があるぐらい。

ご飯作るくらいはできるかなあと夕食の準備をしていたら怒られたので、仕事終わって帰ってきた夫にしてもらう。

寒い地方なので湯船に入れないのが結構きつかった。次の診察で何事もなかったら入れるときいていたので待ち遠しさがあった。

それと同時に、精神的なダメージがあった。思っていた以上だった。

手術終わった日は痛みに怯える日々から開放されて、少し楽になったかなと思ったのだが、ふとした瞬間に涙が出る。

TV赤ちゃんが映ったのを観たその時はそれほど感じなかったのに、その後30分くらい経った後バカみたいに泣いたこともあった。

水を飲みに台所に立った瞬間大泣きしたり、正直涙腺がおかしくなったのではないかと思った。

突然泣き出す私にびっくりしていたであろう夫が、落ち着くまで抱きしめて背中を撫でてくれたのはありがたかった。

泣きながらどこかでしょうがなかったことなのになんで私は泣いてるんだろう、増田に手術のことを書いた後は少しすっきりして大丈夫だと思ったのに、と冷静になる自分もいた。

今までの人生自分意志関係なく泣き出すことはなかったので、やっぱり流産というのは精神的なダメージがすごいのだなとわかった。

・術後~2週間

1週間後の診察では異常なしと診断され、ホッとした。何度やっても慣れなかった内診もこれでしばらくお別れと思うと少し気が楽になった。

また、先週から以前患っていた不眠の症状がひどくなり、睡眠導入剤(マイスリー)を処方してもらった。

子どもを作るにあたって断薬したのに悔しい。

その日は近くの日帰り温泉施設に行って久しぶりに大きい湯船に浸かった、気持ちよかった。

子作りは生理を1度見送ってからね、と言われたのだが、少しお休みすることに。

この週の土曜日に、手術が決まってからいこうと決めていた水子供養にも行った。

自分特定宗教を信じてはいないのだが、この日を境にして突然泣き出すようなことはなくなり、宗教というのは心の支えにもなるのだなあと初めて肌で感じた。腹痛でトイレにこもったときに神頼みはしたことはあったけどw

少しずつ家事を再開して、普段の日常へ戻っていく。

・術後~3週間

何故かこの時期になって体調を崩した。風邪のような症状で、鼻水と咳が止まらない。熱も37.5前後

以前扁桃炎を2回やっている私は、体調不良になるとまず喉の痛みが強くなるので、医者である友人の勧めもあって耳鼻咽喉科受診

心配していた扁桃炎ではなかったが、原因不明アレルギー症状と風邪ダブルパンチですっかり参る。

アレルギー剤も鼻水止めも気休めになりやしない!今月病院にお世話になりっぱなし。

ようやく家事ができるまでに回復したのに寝込んだので、夫には申し訳なかった。年末年始にはなんとか帰省できた。

術後1ヶ月程度

術後4週間と5日目に生理がきた。以前の診察で異常なしとはいえ、生理くるまで少し不安があった。

何度か「稽留流産 生理 こない」でググったくらい。

実際私は生理が不順で早ければ28日、遅いと50日来ないときもあって以前はピルを飲んで周期を安定させていたのだが、今回はそういうわけにもいかず。

流石に1ヶ月半来なかったら病院行かなければ…と思っていたところで、いつも重くて嫌な生理痛もなんだか嬉しかった。

家庭の事情であと半年子どもを作らない予定だけれど、ようやくここで1歩踏み出せた気がする。


最後

前回の増田とくらべて私事と心情ばかりなので、客観性はないものですが読んでいただきありがとうございました。

たくさんの流産体験記を読んでいて、私は覚悟できているか精神的なダメージもそこまでひどくはないだろうと思っていたのですが、そんなわけでもなかったようです。

それでも心構えがあったおかげで、今は家に供養台を作って毎日お世話したり、自分を甘やかすことで回復できました。

コメントを読んで励まされたのももちろんです。改めてありがとうございました。匿名性が高いここで吐き出すことですっきりしました。

2015-08-15

水子供養呪い

先日、飲み会の帰りに水子供養寺院の前を通った。

12年前わたしの水子もここで供養をしたことを思い出した。

最初クリスマスお盆など2年ほど通い、

あとは2月になると毎年思い出すという程度に薄れていた。

ふとした瞬間のフラッシュバックで、

またドーンと暗い気持ちになったのでここで少し吐き出したいのです。

その頃私は20歳大学生避妊をしていたが、

中で、あれまぁーという状態になり、

急いでモーニングアフターピルを飲む処置をした。

私は子供が嫌いだった。

母親は一番したの弟を常にイラナイといい、

私が家事をしないと殴った。聞き分けの良いリカちゃん人形になりなさいと言われ続けた。

母親家事もせず不倫をしてその相手の子供が出来たが堕ろした。

まぁ色々あって子供という存在が恐怖でしかなかった。

しかし、できてしまったのだ。

わかった瞬間、こりゃ守らないといけないな、

誰に何という言われようと産まなきゃなーと思った。

不思議な事に本気でそう思った。

彼氏には産むとだけ告げて電話を切り、

母親に報告した時、「あら、女の子だと良いわね」といった。

その瞬間、私は恐怖を感じた。

この女にわたしと子供支配される!

彼氏は産まないでくれの一点張り

私がお産をしたとき周囲は旦那が駆けつけるてるのを横目に

私には支配欲の強い母親につきそわれるのかと思うとこれまた恐怖だった。

産婦人科に行き、

産みますか?という問いに、私は何も返事をする事ができなかった。

どうしようと悩んでるうちに流産してしまった。

妊娠が発覚して1週間後の事だった。

少しホッとしてしまった。

同時にわたしのような所へは産まれてきたくなかったんだなと悲しくもなった。

私は供養をしたと同時に呪いもかけた。

私に産むなといった彼氏には、

子供なんか一生出来るなデブやろう!

彼女に2回子供を堕ろさせた弟にも一生子供なんかできるなバカ男!

と、呪いをかけた。

母親とは縁をきった。

あの寺院の前を通って

私は産婦人科で産みますか?と聞かれたときの事を思い出して、

何も答えなくてごめんなさい。と、あの頃のようにまた苦しい気持ちになってる。

当時の彼氏も弟も母親もどうやら子供はいないが幸せ暮らしているらしい。

マジで呪われろ。

2014-06-08

居なくなったあの子と、祖父と、夢の話。

こちらのエントリ(http://anond.hatelabo.jp/20140607133805)を読んで、わたしが経験した少し不思議なことを思い出した。トラバするにも失礼なほど自分自身の話になってしまうので、最初に…元増田の心と身体の健康と、来るべき未来家族幸せをお祈りしています。珍しいことじゃないとか頭では分かっていても辛いものは辛いから、どうかご無理なさらずに。

オカルト注意というほどではないけれど、苦手な方はそっと戻るボタンで。

私も数年前、元増田と同じ経験をした。

突然やってきて凄く驚いてそれ以上に喜んだ一ヶ月間。初めてのたまごクラブとか買ってきちゃって、なんだかマタニティマークを付けるのにも照れくささよりクワクが勝っちゃって。「次回の検診で心拍を確認しまから母子手帳貰ってきてくださいね」と言われ、喜び勇んで貰った母子手帳には、一ヶ月後「稽留流産」の文字が記載されただけだった。心拍が確認されなかったのだ。

あの時の気持ちを思い出そうとすると今でも息苦しくなる。何だかお腹がすーっとしてしまったような、不思議喪失感。昨日まで一方的にだけどずっと側にいて話していた人がいなくなっちゃって、寂しくて悲しくて、手術の後随分経っても気がつくとはらはら泣いていたりした。

わたしも元増田と同じで水子供養はしなかった。水子にしてしまうと、何だかそれで終わってしまう気がしたから。短い間だけど、わたしを親にしてくれたあの子にまた来て欲しいと切望していた。

話は少し飛んでしまうが、流産から数ヶ月後に祖父が亡くなった。寝たきりにはなったけれど、頭はしっかりしていてわたしの妊娠をとても喜んでくれていた優しい祖父。そんな祖父を悲しませたくなくて、流産のことを言えずにいるうちに云ってしまったことが後悔のひとつであった。

その祖父の四十九日を迎える頃、ある夢を見た。

夢の中で、祖父は生き返っていた。何だ、やっぱりじいちゃん死んだなんて嘘だったんだ。抱きついて抱き締められて、温かく大きな手で何度も頭を撫でてもらった。じいちゃんもう死なないでよ、そばに居てよ? 祖父がニッコリ笑ってくれたのを覚えている。

場面はいきなり変わる。壁に一枚の絵が掛かっている。明るくて楽しそうに道の真ん中で踊る人々。その両脇を彩る鮮やかな木々の緑が目に飛び込んでくる。綺麗な絵…そう眺めていると、わたしの横をすっと駆け抜けてひとりの女の子が絵の中に入っていってしまった。「待って!だめだよ、そっちに行っちゃだめだよ!」わたしの声は女の子に届かないようで、絵の中の道を踊りながらどんどん進んで行ってしまう。「行かないで、そっちはダメなの!」何故か分からないけど必死叫び続けるわたしの横には今度は祖父が立っていた。「いいんだよ、あっちにいっても。大丈夫から心配しないで」祖父はまたニッコリ笑ってわたしにそう言った。

うわーん、と声をあげて泣きながら目が覚めたのはこの夜が初めてだった。幽霊は居るかもしれないし居ないかもしれない、そんな程度にしかオカルトは信じていない。でもこの夢だけは、祖父が自分あの世に行くときに一緒にあの子も連れて行ってくれたと、そしてそれを知らせにきてくれたのだと、だいぶ身勝手解釈だけれど夢の中での祖父の手の温もりが素直にそう信じさせてくれた。

現在のわたしはというと、歯磨きを嫌がる二歳児との追いかけっこを毎晩繰り広げている母ちゃんになった。あの夢から半年がすぎて妊娠した子は、家ではヤダヤダばかりだけどお友達にはどうぞと玩具を譲れる(ようになってきた)、母ちゃん自慢のやんちゃで優しい女の子に育ってくれた。

の子があの子かもしれないし、違うかもしれない。あの子はまだあっちで再出発の準備をしているのかもしれない。水子供養しとけばもう少しはやくあっちに戻れたのかもしれない。ぐるぐる考えは巡るけれど答えはない。ただいつかこの子が大きくなったときに、居なくなったあの子と祖父と夢の話をしてみようと思う。

なにその話気持ち悪い、とか言われたら母ちゃん立ち直れないから反抗期に話すことだけは止めておこう。

2014-06-07

突然やって来て、あっという間に去ってしまった話

結婚3年目。30代前半。

最初の頃は、子供のことも言われたりしたけど、最近ではタブーな話題と思われてたのか、何も言われなくなっていた。

私自身、子供が欲しいかと聞かれると欲しい気もするし、でも子供そんなに好きじゃない気もするし、よくわからなかった。なにより、夫婦二人の生活が楽しくて十分幸せだったし、そういう意味では、子供という新たな要素が加わることで今の暮らしが変わってしまうことを恐れていた。

子供が欲しい、と自信を持って宣言できない心境ではあったけど、風疹予防接種受けたり、葉酸サプリ飲んだり、「その日」が来たら後悔しないようにと色々やっていた。

そして「その日」が突然やって来た。

しばらく前から体調を崩していて、一度病院に行って薬飲んだけど回復せず、もう一度病院に行こうと考えていた。最近測り始めた基礎体温がずっと高温で、問診票の「妊娠していますか?」の項目に、確信を持って「いいえ」に丸できないのはなんか嫌だ、と思い、市販の検査薬で検査。結果は陽性。

自分でも全く予想していなかった喜びに有頂天になり、帰宅した夫にうきうきしながら報告した。夫もとても喜んでくれて、次の日二人で有給をとって産婦人科へ。産婦人科も、二人で調べて決めた。エコーには楕円形の袋が写っていた。先生曰く、「4週くらいだね」とのこと。

それから、夫と色んな話をした。「立ち会い出産したい?」とか、「里帰り出産せずに、こっちで産みたいんだけど、できるもんなのかな?」とかとか。

でも、その楽しさも数日しか続かなかった。

急にお腹と腰が痛くなって、出血が始まった。

病院に駆け込んだら、全部流れてて、処置必要もない、とのこと。先生は「これは防ぎようがないし、何が悪かったっていうものでもないからね」と慰めてくれた。今回はたまたま妊娠していることを知っていたけど、知らなかったら毎月のこととして普通に過ごしていただろう。先生にも言われたし、私もそのとおりだと思う。でも、もう私は知ってしまったあとなんだよね。もう嬉しくて嬉しくて、喜んだあとなんだよね。

自分妊娠をこんなに嬉しく思うと予想してなかったから、妊娠したことも、それか嬉しかったことも、夫が喜んでくれたことも嬉しかった。だから、嬉しかった分だけ落ち込んでしまって、上司にことの次第を話して2日ほど仕事を休ませてもらった。

水子供養した方がいいかな、と調べたりもしたけど、赤ちゃんが突然やって来て、あっという間に去ってしまったことがまだ受け入れられない。お寺のHPには、赤ちゃん手紙を書いて持っていけば供養してくれると書いてあるけど、まだ書けない。遠くにいってしまったことを認めたくないんだろう。すぐにまた私のところに戻ってきてもらいたい、と思っている。

白鵬関の奥さんのことをネットで知った。奥さんを守ろうとした白鵬関が非難されたことも。5ヶ月なら、死産になるのかな。奥さんのショックは大変なものだと思う。想像もつかない。でも、きっと夫婦で、家族で、支えあっていけるだろう。

私も、夫と二人、またいつか来てくれるだろう「その日」を新たな気持ちで待つことにする。今回のことをきっかけに勉強して知ったこともたくさんあったこと、何より「あ、私も妊娠するんだな」ってことが分かったことは大きな収穫だった。また来てね。今度は10ヶ月ちょっとのんびりしていってくれるととても嬉しい。


(追記)

「世の中にはありふれたこと」と思いながらも、自分の気持ちを整理したくて書いた文章を読んでくださって、なおかつ優しいコメントをくださった方々、本当にありがとうございます。嬉しかったです。

心優しい皆さまの日常が、安らぎと喜びに満たされますように! もう満たされてるよって方は、溢れてあなたの隣にいる人を満たしますように。

私も、ずっと寄り添い支えてくれている夫に感謝し、彼の日常が安らぎと喜びに満たされるように、また、いつでも「その日」を迎えられるよう、努力を続けます

2014-06-02

http://anond.hatelabo.jp/20140602012233

親の罪悪感に付け入って戒名料を巻き上げた、この件に関わった僧侶は、

今なら「悪徳僧侶」ということになるのかも知れん。

単純に、たたるから水子供養しろ、とかいうなら「悪徳僧侶」ということだろうけど、この場合水子嬰児扱いに、というケース。

位の高い戒名貰うために

と書いたのには一応理由がある。

親御さんが嬰児として戒名貰ったというのは、もちろん人によって考え方は千差万別だが、何らかの思いがあったのではないか。

例えば、現世に生まれたら毎日子どもの世話が出来ただろうというのと同じように、墓参りなり何なりと好きなようにできるだろうとか。

水子の墓は先祖代々と分けちゃったりするので、ちゃんと先祖代々の墓にいれてやりたい)

あるいは、現世としては不遇な結末であり葬式も行えないが、来世ではそれなりに幸せになって貰えるようにと少しでも位の高い戒名を。

とにかく何らかの思いで、罪悪感や喪失感に対して行える方法の一つが嬰児扱いの戒名だったかもしれない。

年老いた母に今さらそんなことを尋ねて苦しめるつもりは毛頭ないが、

直接聞くのが嫌だけども気になるってことだろうか。

聞かないなら、上に挙げたような可能性を考えて、そうかもなというところで50%ぐらいの満足を得て欲しい。

聞くにしても、予備知識として留めおいた方がいいと思う。

ウン十年前の自分自身の考えであっても、今の自分から見て納得できない事なんて山ほどあるだろうし、

ましてや血が繋がってても他人、男と女経済状況や生活環境が違うとなると、真相を聞いて「ウンウンそのとーり」とはならんだろうから

また、苦しませるというマイナスな方向でなく、プラマイゼロなり、少しでもプラスに持って行きたいとすれば、

自分はこれこれこうで幸せだとか、少しぐらいそういう話の種は用意しておいて、

その時の思いが今に繋がっているんだという話の軸を意識しておいたらいいのではないかと思う。

2014-06-01

妻が中絶するまで

まさか自分がこんなことをさせる側になるとは思わなかった。

・経緯

結婚から結婚後数年はセックスの頻度も多いほうだったと思う。最近は回数は減ったものの、週に1回以上はしていた。コンドーム射精の時に使うだけで、挿入は生でするのが基本だった。(自分勃起時間が短いので、コンドーム装着中に萎えしまうことが多く、ついついそのまま挿入してしまっていた)

それでも妊娠することはなく、お互いに「不妊なのではないか?」と思うほどであり、ここに油断があった。あるとき我慢出来ず、中で出してしまった。

妊娠発覚から中絶決断まで

から生理が遅れていて、検査薬を使ったところ反応が出たことを聞く。驚いたが、父親になることを覚悟した。しかし妻は中絶希望した。理由は二つ。現状では仕事との両立が難しく、退職も簡単にはできない状況だということ。また準備した上ではない妊娠では、精神的及び肉体的な負担考慮しておらず、子供健康状態にも不安があり、母体ベストな状態で産みたいということ。

自分はすべてを万全な状態で産むことなど出来るはずはないわけで、中絶による母体への影響も考慮して、産むという選択肢はないかと提示したが、妻の意思は固く、自分が産むわけではない以上無理やり産ませることは無駄だと思い、最終的には中絶に賛成し、産婦人科受診した。

中絶決断の時に感じたこと

中絶させた際に思ったことは「次の妊娠ができなくなり、あのとき子供をもてばよかったと後悔するかもしれない」「母体ダメージがあるかもしれない」「子供をもったとき、生まれなかった子供比較してしまうかもしれない」「出産前とはいえこれも一種の殺人なのでは」ということだった。

インターネットで調べた限りでは、中絶による次回妊娠への影響ははっきりせず、母体への影響もほとんどないとのことだった。

将来の子供のことや殺人への恐れは自分が受け入れれば済むことであり、これも愚かな自分への罰であると考えることで受け入れた。

産婦人科

妊娠検査薬の反応が出たすぐに産婦人科受診し、中絶希望を伝えたが、エコー撮影したところまだ早すぎてはっきりわからないということで、次週の受診を指示された。保険が効かないため、受診料金は約一万円だった。

翌週の診察で、妊娠が確認された。できるだけ早い中絶手術を希望し、翌週の手術が決定した。手術の代金は約二十万円、これは最低額で妊娠の週数によりさらに高額となるようだった。(どうも前日準備が必要ななく、麻酔医が常駐しているとかで相場より高額らしい)

双子場合も高額となり、ある週数をこえると手術は不可となるということだった。

受診した病院男性入場不可であり、男性の役目は妊娠承諾書サインをするのみだった。

・手術当日

時間程度で終わった。時間全身麻酔のため、その準備と回復ほとんどで、実際の手術はかなり短時間だと思われた。母体は無事だった。麻酔のため手術直後は顔面蒼白だったが、歩いて帰宅でき、数時間後には食事できるまでに回復した。

・妻の状態

手術後二週間後経過したが、まだ出血継続している。取り残しで再手術の可能性も低くはないとのことで、診察は手術後一週間後に一回目行ったがその際は問題なしだった。

次回の診察は手術後三週間後に行うらしい。

妻の様子は手術前も手術後も変わらずあっけらかんとしている。しかしこれが内心の想いを押し殺したものなのかはよくわからない。支えねばと思っている。

中絶させる側に自分がなるなど、想像もしなかった。すべては自分の愚かさのためであり、人生の都度思い出し後悔することになるだろう。

しかし同時に、すぐに忘れてしまう可能性もあると思っている。それにこんなことを匿名ダイアリーに書いてしま自分自身はやはり異常なのではないかとも感じ、不安になる。

殺人ではないかなんて考えていたくせに、少し時間がたてば立ち直る、それが人間の強さであり愚かさだと思わなくもない。クズだと思われるだろうが。

あと、水子供養なんかは今のところなにも考えていない。供養することで救われたように思うくらいなら呪われるなり、一生悔やみ続けるべきだと思うからだ。ただこれも数年、数十年後には変わるのかもしれないと思う。

自分自身を棚に上げて恐縮だが、こんな行為をさせる人が少しでも減ればと思う。

ちゃんと避妊していれば防げたかもしれず、無駄母体危険晒し自分は責められてしかるべきだ。ただ、コンドームを常につけるのは当然だがそれでも妊娠確率ゼロではないセックスする以上妊娠中絶の可能性があるわけで、そのことを念頭に置いてほしいと思う。

自分自身の愚かさのためだが、同じことを繰り返さないために、そしてこんな行為をさせる人が少しでも減るように、反省と共有の意味も含め匿名ダイアリー投稿しておきたい。

※ちなみに病院によると「実は中絶が多い年代40代以上、妊娠しないだろうと思った中年夫婦というパターンが多い」とのことだった。

2012-09-14

http://anond.hatelabo.jp/20120913144559

誰もそんな事言ってないと思うが? あなたが誰かがそういう発言をするんだと思いたいと思うからそう読むのでは?

常識的に考えれば、普通高齢出産でも高確率ではダウン症なんて生まれない。という事を前提に。ダウン症であれば、育てるか育てないかはよく考えて

水子供養含め 罪の意識には一生さいなまれるというという事も含め よく考えなければいけない。

というのはどこの世界でも常識。だが、その確率は実に35歳では1%を切り、本人の遺伝子にもよるが高くはなく、35歳程度(依然と1%未満)でダウン症のことを気にして産まない

というのは、20歳でダウン症のことをきにして産まないのと同じようなものから、気軽に産みなさい。 

遺伝子検査をして、なってから考えることであり40歳以後(4%に近づいていく)とは違う。というのは大前提だろ。

という文脈であることは 常識を持って判断すれば リスクが低いんだから生むことを前向きに考えて欲しい。という事であるというのはわかると思うんだが。

TPOがあって話していることを一般論として持ち出すからおかしくなるんだろ。

 

常識的に考えて、そうじゃない奴がいると判断したあなた環境をこそよく見なおして欲しい。常識的に私の周りにはそんな人間はいいから、そういう発想になる事自体びっくりだよ。

そういうのは50歳の人に ダウン症になっても堕胎があるから大丈夫だよ と言った時にいえ。

俺もあいてが50なら、リスク説明をもっとするし、以前に医者リスク説明をするだろ。だが、その時でもどうするかは、あくまでも、その家族の問題だ。

 

文章を読んで世の中には ひどい発言をする奴がいると読むか、 あぁ、勇気づけようとしているだけだ と読むかは 読む方の教養の問題だ。もっと常識教養を身に着けてTPOをよく読んでほしい。

ただまぁ・・・堕胎は本人が一生 罪の意識にさいなまれる なんて 『『わざわざ言わなければならない時代に成った』』んだなぁとは思った。気をつけるよ。

2012-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20120413224301

まり生命の発達段階に応じて謝罪のあり方を決めればいいんでね?

2010-07-21

親に内緒堕胎した。

親に内緒堕胎手術を受けた。まだ知られていない。

正確には去年の8月11日だったと思う。8月の初頭が誕生日で、去年の誕生日に20歳になった。

から、親に何も知らせる事無く一人で同意書を書いて、出した。

相手の欄に書いてくれる人は居なかった。もう捕まらないんだろうなあ、と諦めている。

五週目の赤ん坊だった。検査薬を買ってみたら2本の線が出てたので、「妊娠したな」と思って病院行った。

妊娠されてらっしゃるのは確実なんですけども」と言われたけれど、ああ、としか思わなかった。

「多分、今、五週目だと思うんですけど」と言うと、丸い円盤のようなものを取り出して確認した後(あれで周期を判断するのかな?)

「詳しいですね」と驚いたように言われた。それくらい知ってる。ググった。

赤ん坊が出来ても別に驚かなかった。覚悟はしていたので、慌てなかった。

でも毎日のように本を読んだり、Web情報収集したりしてた事に、その時初めて気づいた。

それから膣に棒のようなものを突っ込まれて(結構痛い)、エコー検診。どこに胎児が居るか全然からなかった。

堕胎します」と言うと、「分かりました」と言って簡単な手術の説明をされた。

とりあえずその日に同意書を貰って、銀行貯金を下ろした。一人で上京して仕事してるので、お金はあった。

初診料、検査費用も含めて15万円だった。高いのか安いのか分からない!

家に帰って同意書を書いた。書きながら不思議だった。

普通妊娠したらもうちょっと感情的になるものだと思ってた。

だってそうでしょう。人間一人分(二人分か三人分かも)の命が掛かっているんだから

でも、全然実感が沸かなかった。体の具合が悪かったので病院へ行って、「処置」をする。それだけ。

望まぬ子どもが出来たら泣き喚いて、絶望するものだと思ってた。

思い悩んで、泣きながら決断するものだと思ってた。

でも、全然泣かなかった。悲しいとすら思わなかった。子供が居るという事実は把握したけど、愛情も沸かなかった。

折角出来た大切な子供なのに殺すなんて! とも思わなかったし、

誰とも分からない、名前も知らない奴の子なんて憎い、死んでしまえ!とも思わなかった。

不思議で、静かな気分だった。怖いくらいに淡々としてたと思う。

ただ、何の感情も湧いてこないのを見て、「私は母親にはなれないな」と思った。

母親って、物凄く子供に対して感情を傾ける生き物だと思う。

から私はまだ、母親にはなれないんだ、と思った。(成人しておいて"まだ"もクソもないけれど)

一生なれないのかもしれない。

数日寝たら、堕胎手術の日だった。

堕胎手術は日帰りだったけど、前日は何も食べないように、と言われていた。

その頃には悪阻が始まっていた。甘い香りだけで吐き気がした。男性加齢臭だけで吐いた。

当日の朝も、何も食べていないのに、死ぬほど具合が悪かった。

途中の駅で降りて、トイレに駆けこんで吐いた。

何も食べてないから気分が悪いだけだと思っていたけれど、黄色い胃液が沢山出た。凄まじい味がした。

病院に着いて、同意書を渡して、着替えた。看護婦さんに下着と生理ナプキンを渡した。

看護婦さんが同意書を見て、「先日成人されたんですね」と言った。「ええ、つい先日です。だから、よかった」と答えた。

相変わらず何とも思わなかった。

分娩台に両足をかけて、腕に点滴をされた。先生に「宜しくお願いします」と言ったら、点滴の管に注射を打たれた。

麻酔だったみたいで、数呼吸の間に意識が吹っ飛んだ。

起きたら病院のベッドに寝ていた。ナースコールで看護婦さんが来て、処置をした。

膣の中にガーゼが詰められていたので、それを抜かれて、少し背中をさすって貰って、数時間眠った。

途中で飛び起きた。痛い!生理痛なんて笑える位の激痛だった。

看護婦さんが「痛い?うん、痛いね…」と言いながら背中をさすってくれた。ベッドの上で転げまわっていた。

エコー写真、頂けますか?」と尋ねたら「出来ますよ、後で渡しますね」と言われた。

水子供養にはエコー写真を使うと、どこかで読んだことがあった。する気は特に無かったのだけど、言ってしまった。

その後1時間ほど休んだら落ち着いたので、受付で代金を支払って、外に出た。受領書と一緒にエコー写真を渡された。

下腹部が痛かった。駅まで歩いて、また電車で帰った。

家に帰って、Yahooの記事で、赤ちゃんエコー写真を見た。妊娠初期から臨月まで、沢山の写真があった。

何となく貰ったエコー写真を取り出して、同じ時期のものと比べてみた。いた。分かった。本当にちっこい、白ゴマみたいなの。

じわりと画面がぼやけた。悲しくないと思っていた。馬鹿らしいと思っていた。

子供に執着出来ない自分なんて、母親になるのは無理なんだと思っていた。これでいいと思っていた。

何も間違った事はしていないはずだった。私には関係ないと思っていた。母親なんて、自分とは遠く離れた存在なんだと思っていた。

けど、もう、駄目だった。

ぼろりと涙が出た。一晩中泣き続けた。翌日になっても、ずっと泣いていた。


結局その後1年経って、私は何がしたかったのか、何であの時泣いたのか、もう分からないくらいのボンヤリに戻った。

未だに不思議だと思う。何で泣いたんだろう。

ただ、悔しかっただけかもしれない。何で私ばっかりが。何でこんな目に。何でこんな痛い思いを。

それとも、やっぱり悲しかったのかもしれない。自分の子供だから自分母親になりかけていたのかもしれない。

でも、今でもやっぱり、分からない。もうどっちでもいいと思う。

結局あのエコー写真は、ケースの裏側にしまいっこみぱなしだ。たまに取り出して、眺める。

やっぱり、分からない。

最近久し振りに実家に戻り、自分母親を間近で見て、無性に泣きたくなった。

ごめんなさい。

ごめんなさい。でも、死ぬまで言わずにおく。


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2011.09.13 追記

今年の8月で22歳になった。何も感じないと思っていたけれど、違った。

最近は他人の出産育児経験子供の話をとても聞きたくなった。

出産経験をまとめたサイトを読んでいると、心から「おめでとう」という気持ちになる。

そして同時に涙が止まらなくなる。

堕胎した時、本当に何とも思わなかった。

ただ淡々と書類を書いて、父親の欄も適当に書いて、

そしてインターネット病院を調べて、電車に乗って、手術して、そして帰ってきた。

子供愛着も、未練すらも無かった。無い筈だった。

今になって、それがじわじわと効いてきているのが分かる。

外で子供連れを見掛けると、どうしても目で追ってしまう。

自分母親も、こうして私を育ててくれたのだろうか。

なら私も、ああしてあの子を育ててあげられたんだろうか。

10ヶ月も大事大事に腹の中で可愛がって、愛して、育児教室に通ったりして、

出産の時は、愛する旦那さんに手を握って貰って。

あの日、手術を待っている時、待合室に若い夫婦が居た。

奥さんの隣に旦那さんがいて、旦那さんは奥さんにずっと話しかけていた。とても幸せそうだった。

でも、その時は何とも思わなかった。

今年になって子宮病気になり、また産婦人科に行く機会があった。

待合室に座っていると、また数人の妊婦の方を見かけた。

一年前と同じだった。あの時のように、旦那さんが付き添っている夫婦も見かけた。

一人で来ている母親も、旦那さんと一緒の奥さんも、笑顔

その瞬間、一気に目が覚めた。

これが、普通なんだ。

妊娠をしたら病院に来て(心配して旦那さんが付いてきてくれる人もいるだろう)、先生から説明を受けて

両親にも報告して(そして喜んでくれるんだろう)、そして幸せで、笑って、おめでとう、おめでとう。

そういうのが普通なんだ。

その時初めて理解した。これが普通なんだ。妊娠するというのは普通、とても幸せな事なんだ。

じゃあ、あの時の自分は何だったんだろう?

隣に夫となる男もおらず、誰にもおめでとうと言われず、笑えない、全てを一人で済ませたあの時の自分は。

そしてそんな私におめでとうとも言われず、ありがとうとも言われなかった、あの子は?

そう考えたらたまらなくなった。家に帰ってから泣き続けた。

あの時の自分の判断が間違っていた、とは思っていない。

当時未成年、親の後ろ盾も、夫になる奴もいない、仕事はどうなるか分からない、経済的にも精神的にも問題だらけだ。

罪悪感は無かった。無かった筈だった。今でも正しい判断だとは思っている。

でも、涙が止まらなかった。

からなかった。ただ申し訳なかった。それと同時に、とても羨ましかった。

当時は産めるはずもない、育てるのも無理だ、経済的にもどうしようもない、親にも言えないと思っていた。

から一人で調べて、全て一人で済ませた。誰にも言わない、なんてこと無い、ちゃんと出来る。だから大丈夫。そう思っていた。

でも、皆はそうでは無かった。おかしいのは自分だった。

こんなの、少しも大丈夫じゃなかった。

結局、あの後私は見事に検査で引っかかり、どうも不妊に近いものになってしまったので

恐らくあんな思いは二度としないだろうと思う。

不幸になる機会も、幸せになる機会も失った…と思えば、案外こんなものかもしれない。

男に関しては警察に届けようとした。努力はした。でも、思い出すだけで吐き気と震えが止まらなくなる。なので諦めた。

願わくば、これ以上被害を出す前に死んでいて欲しいと思う。

親には堕胎した事も、不妊になるらしい事も、結局話していない。

これでいい、余計な心配なんて掛ける必要はない。そう思っている。

当時も色々と頼りなかった私だが、去年から本格的に仕事を始め、何とか軌道に乗ってきた。

何人かに告白された。全て断った。

全てを話す気力も、そんな勇気も無い。一生一人でいい。

かわりに在宅の仕事なので、しばしば姉の子供の面倒を見ている。とても可愛い


あれから成人し、収入も増えたので、保険証の種類が変わった。

子供エコー写真は、保険証に挟んでずっと持っていた。

けれど、新しい保険証にはそれを挟む所が無い。

つい先日帰郷した時、お寺でエコー写真を渡し、水子供養をして貰った。

もう3年。やっと、やっと供養してあげられた。

ごめんなさい。本当にごめんなさい。

ここまで聞いて下さって有難う御座いました。

2009-06-11

http://anond.hatelabo.jp/20090610131247

 こんな会社舐めてやる

 昨日、久しぶりに死にたいと思った。

 17時の定時が迫り、当番の女子社員が皆の湯呑みを回収して洗い始める。だが俺の机の上には湯呑みが残ったままだ。

 ここまで露骨に嫌われて俺「オワタ」と思いながら便所の個室で出会い系アクセス

 「今夜泊めてくれる人探してます。お礼はします」

 これは、と思った。

 すぐにメッセージ送信。すぐに返信。

 「写メも、先に下さい」

 経験上、他人の写真を送ってもロクな事がない。素直に自分なりに奇跡の一枚を送付。

 

 5分。10分。返事がない。

 誰かが便所に入ってきた。その誰かは小便が終わると、便所の電気を消して出て行った。

 俺、便所の暗闇で一人ぼっち

 何度もセンター問い合わせする携帯の画面だけが明るい。

 

 席に戻り、女子社員が皆帰ったのを確認してから自分の湯飲みを洗う。

 背中で週末の飲み会の話が聞こえる。俺はそんなの誘われてない。

 「やべ、聞こえたかな? 」「いいんじゃね? どうでも」

 ああそうさ。いいさ、どうでも。俺なんてな。

 そうだ、こんな会社、舐めてやる。

 女子社員の机も椅子ロッカーも靴も何もかも、舐めてやる。

 なんなら部長カツラの下のツルツル地肌も舐めてやろうか。

 まずは恵理子、今日俺の湯飲みをスルーしたお前の椅子からだ。

 

 恵理子の席に座り、引き出しを開けてみる。

 小さな子を胸に抱いた、女性の像。10センチぐらいの。

 これ、水子供養のだよね。

 

 恵理子の机はね、開けると水子供養の像が出てくるんだよ。

 びっくりするよね。

続きはWEBで!

-->>http://texpo.jp/texpo_author/profile/vbcXp66zVjg=

2009-01-10

http://anond.hatelabo.jp/20090110165755

魚拓とるの面倒なんでそのままこぴぺするけど、元記事みたら Google Adsence がこんなになってて笑った笑った。

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女が落ちる連絡の取り方mind-set-for-mail.com

メールの返事すらもらえなかった男が 好きな女性を落とした連絡の取り方

水子供養 東京 常性寺www.josyoji.jp

地蔵堂にて水子供養を 毎日随時行っております。

本寿院(東京ネット供養111.or.jp

水子供養の大切さを説くお寺 秘密厳守 読経供養5千円 自宅供養可

2008-09-22

http://anond.hatelabo.jp/20080922100745

増田を読んで、ふと思い出した。

知り合いの50半ばのおばちゃんがいるんだけど、

いきなり水子供養とかしだした。

そのおばちゃんはかなり性格キツくて、嫁の悪口とか無関係な私にも生々しく愚痴るからあまり好きじゃないんだけど、

子供おろした事なんて、ずっと忘れてたのに、

この歳になってあの時の自分が「殺せ」って言った声が聞こえた」

とかなんとか、私に話した。

理由とか詳しくはわかんないけど、もう結婚して家を出ている子供の前に中絶をしたっぽい。

そういえば、おばちゃんが「自分が悪かった」的な言葉を口にしたのって、

初めて聞いた気がする。

そんな話聞くような間柄じゃないし、返事もどういえば良いか分からなかったけど、

普段嫌なおばちゃんがしょんぼりしてつぶやくのを見て、おばちゃんにも色々な過去があったんだよなぁ…としみじみ思った。

という出来事があった三ヵ月くらい後に、おばちゃんが顔真っ白になって怒ってた。

なんでも、息子ん家に子供できたけどおろすことに決めたらしい。

理由は経済的な問題と、嫁さんの体調が悪いから、だそうだ。

おばちゃんは「嫁が悪い」「あんな女と結婚したからだ」と何時もの調子で罵ってた。

理由の半分はアンタんとこの息子やないんかい、と思ったが、勿論何もいえなかった。

(その後どうなったかは無論聞いてない)

若い頃のおばちゃんと、今のおばちゃんは同じなのか似て非なるものなのか。

ちなみにおばちゃんが水子供養に精を出していたのはあの時だけだった。

2007-07-09

出産の恐ろしさを聞かされて育った私

http://www.stellaworks.info/blog/2007/07/post_131.html

出産にまつわる話なので、ナマナマしいのがだめな方はご勘弁を。

祖母は助産婦をしていて、小柄な人だった。

自分の初のお産、臨月を迎え陣痛が来た時、祖母の骨盤常人よりもあまりに狭くて、

胎内の子供の頭が、骨盤を抜けることができないとわかった。

お産婆さんは母体を守るために赤子の頭を潰し、殺して、引きずり出したのだそうだ。

頭を、と訝しがる小学生の私に、生まれたて赤ん坊の頭は親指でぐいと押すと、

簡単にべこんとつぶれてしまうのだ、と祖母は言った。

70年前の、電気も通わぬ医者もいない山村の話である。

その後は産み月を迎える前に、胎児が大きくなりきる前に、

なんとか胎児を引っ張り出すという方法で祖母は5人の子を産んだ。

その当時にどうやって早期出産ができたのか詳細は不明だ。

祖母の長女である叔母もまた、祖母の細い体型と骨盤を受け継ぎ、

臨月を迎えた時には、やはり自然分娩は無理だと言われた。

なので、大変な思いをして帝王切開で従姉妹を産んだ。

時代が時代なら、従姉妹もまた死にながら産まれることになったのだろう。

祖母の次女にあたる私の母は体型こそ堂々たる安産型だが、私を産んだあと流産をしている。

有名な山寺へ詣でた時、水子供養の蝋燭を買って点し、熱心に拝んでいた姿が忘れられない。

流産を経てまた子を授かった時は、大層神経質になっていて、わざわざ遠い病院まで通っていた。

大丈夫、あの病院先生は上手で有名だから大丈夫、そう言いながら。

飼っていた犬も、猫も、初めての出産の時は不器用に苦しんで仔を産んでいるように、私の目には見えた。

出産とは、恐ろしくて、命がけの行為なのだ。

それを何度となく聞かされて育った私には「案ずるより産むが易し」とはとても思えない。

職場に、もう6ヶ月は過ぎたであろう妊婦の人が働いているのだが、

正直その人のそばを通るのが怖くて仕方がない。

仕事を一緒にする機会もあったが、強いことを言うと何か差し障りがありそうで、ろくな修正も提案もできなかった。

本人は気丈で、快活な方なのだが、それだけに綺麗に膨らんだ腹部が怖くて、

なんかあったらどうする! 早く休んでくれ! とずっと念じている。

自分も結婚して数年が経つのだが、まだ怖い。理屈じゃなく怖い。

そして恐怖ゆえに、自分が子を持っても大丈夫じゃないか、と判断できた時にはじめて避妊をやめようと思う。

自分が丸々何年か子供にかかずらっていても支障のない経済力がほしいし、

なにしろ性格が30代とは思えぬくらい子供なのでもうちょっと成熟したら……

とかなんとか、言い訳をして、しまくって、恐怖から逃げ回っている気もする。

おうじゃのつるぎと、ひかりのよろいと、ゆうしゃのたてと、てっかめんが揃わないと、ゾーマは倒せないと思い込んでいるかのような。

恐怖を打ち砕くのが先か、年を取るのが先か。

子供を持たないという生き方もあるだろうし、

いざ子供家族に迎えよう! と思ったら不妊だったりとかで、縁がない可能性もあるだろうけど。

 
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