はてなキーワード: サヴァイヴとは
人間様に向かって「努力不足じゃないですか???」だとぉ~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!
生まれて数年の若造が!!!!氷河期を乗り越え必死に今日までサヴァイヴしてきた俺の人生を「結果が出るかは努力次第だったと思います」だとぉ~~~~~~!!!!!!!!!
ブラックに入ったのは俺の企業研究不足で!!!!ホワイトに入れなかったのは学歴不足で!!!!!とにかく俺の人生が上手くいってないのは「努力が足りない」からだと!!!!!!!!!!!!!!!!!
貴様ごときに何が分かるんじゃんじゃじゃ~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ネットで盗み見た知識で世界のすべてを知ったきになってる「DE真実」中高年みたいなクソガキが~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ループがノベルゲー、特に美少女片っ端からドラマチックに殺しまくれるエロゲに向いている設定だからとか?
それはそれとしてまどマギ、ハッピーデスデイとか普通に沢山あるよね。
pixivのループ物の所にあった作品貼っといたから女の子がループしてる奴は何作品あるか数えといて。
https://dic.pixiv.net/a/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97%E3%82%82%E3%81%AE
■ゲーム
Undertale
インフィニットループ 〜古城が見せた夢〜
グノーシア
惨劇RoopeR
Death End re;Quest
永遠の七日
Fate/hollowataraxia
マジカミ
アメイジング・グレイス -What color is your attribute?-
3days〜満ちていく刻の彼方で〜
パンドラの夢
新しいきみへ
一ノ瀬家の大罪
運命の巻戻士
EDENSZERO
サマータイムレンダ
ノスタル爺
火の鳥異形編
Persona4_the_ANIMATION
魔法少女まどか☆マギカ
魔法陣グルグル
めぐる未来
UQ_HOLDER!
SSSS.GRIDMAN_NOVELIZATIONS
七回死んだ男
槍の勇者のやり直し
ループ7回目の悪役令嬢
仮面ライダー4号
仮面ライダー龍騎
仮面ライダーディケイド
最高の教師-1年後、私は生徒に■された-
ハッピー・デス・デイ
サヴァイヴなんて何年前の話をしてるんだ……
まとめ
・ヒヤリハットは本当
・敗戦処理の手札を握っておければなんとかなる
それでも何とか昼には収まったわけですよ。
それでまあスカしてみたわけです。
ムニュッ
となったわけですな。
慌てず騒がず身体を揺らさずトイレの個室へ行ってみると、大さじ2杯ぐらいのしおからっぽいものがパンツの上になんとか留まっていたんですわ。
落ち着いて周りから包み込むようにペーパーで取り去って、落ち着いて残りを出し切ってからケツを丁寧に拭き、ロッカールームに向かいました。
帰り支度を始めるにはまだ早い時間だったのでロッカーは空いてて、パンツを脱いでるところを見つかる心配はなかったということになりますね。
実は私、夏場は外回りで汗グチョになったときのために替えの下着を常備しているのです。
それにささっと履き替えて、下着を入れていたビニールにパンツを移してカバンにポイでこの件は終わりなのです。
いやはや用途は違いますが「いざという時に備えて常備しておく」というのがこれほど効くとは思いませんでしたよ。
仕事でも人生でも必要なのは、なにかあったときに咄嗟に切れるカードがあることですねえ。
持ち駒が沢山あれば王手をかけられてもなかなか詰まないということです。
そもそもの話は私の油断が原因ですね。
昼には出し切っていたと思っていたのが間違いだったわけですね。
サメ映画で言えば沖から泳いでビーチまで来た所で「ふー……助かったぜ」と座りこんでしまったばかりにビーチングかました鮫に食われたようなものです。
これはもう自分が悪い。
まあ10回中9回ぐらいは本当に終わってるのかも知れないのですが、1000回やって999回安全だったかと言われると全然そんなことはないわけです。
今回はプリッとですみましたが、一歩間違えればケツからナイアガラが吹き出して床に足跡を残していたリスクもあるわけですよ。
ゲリをしたあと12時間は透かしっ屁をしてはいけないという教訓を得ました。
ピンチを乗り越えたと思ったときこそ、まだピンチが続いてると思って油断しないことの重要性。
日頃から準備をしていれば想像とは別の形でそれが助けてくれる可能性。
人生においてサヴァイヴするための秘訣はまさにこの2つではないでしょうか?
安全確保は油断せず、準備をしっかりすること。
(他の公的制度は税金たくさん収めてる人ほど損するのばかりだよね。貧乏人による諸々のフリーライド然り累進課税然り)
(国に利益をもたらせないクソ自治体はバブバブ言ってないでちゃんと自分で金を稼ぐ意識を持って欲しいよね)
(目先のコスパばかり優先して大量生産品ばかり消費して、国際競争力のある名産品が作れなくなったら国は衰退するよね)
・税収の再分配が出来る
(首都圏なんて結局は経済的な構造だけで金を沢山得ているわけだけど、それを説明してもバカだからどうせ理解できないし直接奪い合って貰うしかないよね)
(国がどうせお金くれるぐらいの感覚で地方行政を運用していた状態から、自分たちで産業を維持して金を稼ぐって意識が強くなるのはいいことだよね)
(ふるさと納税でどれが伸びているかのデータが集まるから、お役所としてもどこを優先的に伸ばせば良いのかが分かるね。自力でサヴァイヴ出来ないこどおじ産業はもう今の時代は消えてもらおうね)
(今までは地方税の使い道はお役所とお友達だけが決めていたけど、国民がそれを指定できるようになったね。これも全て「自動的に巻き上げる」から「能動的に寄付する」に変わったからだよ。良い変化だよね)
思ったよりあるね。
ふるさと納税全面反対派の人達ってこの辺を全く考えて無さそう。
特に一番最後の「国民が税金の使い道について自分たちで指定する機会を得た」っていうのは結構大きいと思うんだよな。
ふるさと納税反対派の人は「肉貰えればどうでもいいからこんなん市長おまかせ一択でしょ~~~」って秒でポチってそう。
違うんだよなあ。
俺さ、このシーンが名台詞(笑)として引用されるのずっと嫌いだったんだよ。
ガッツがあの場でイシドロに言いたかったのは「俺達の戦いはもう始まっちまってるんだからやるしかねえだろ」ってこと。
でも実社会において多くの人はまだまだ訓練を受け続ける時間があったり、そもそも戦場って呼ぶしか無いような場所に行く必要なんてない生活をしてる。
その中で「こんな状態で戦場に突っ込んでも死ぬだけだよなぁ……」って人に対して「達人にでもなってからか?」ってドヤ顔でレス返す奴らが本当に嫌いだった。
討ち死にするってわかりきってて、それでいろんな人巻き添えにして大惨事にしてどうすんだよと。
プログラミングにしたって創作活動にしたってあちこちで誰でも参加できるような大会やイベントが開かれてる。
そこで自分の力を試してから『戦場』に行けばいいじゃないかと。
一部の世代にいる『未経験でIT入ってブラックサヴァイヴで成長した』みたいなタイプの人とかの生き方はやっぱ基本的には「悪手」でたまたま成功した人が生存バイアス無視してそれを正解だったと言い張ってるだけに見えるんだよな。
たとえばITなら未経験でいきなり入っていく前に競技プログラミングの世界である程度揉まれておくことは出来るじゃん。
確かにそこで学べるものって仕事とはまた別の技術も多いんだけど、そもそもの基礎体力みたいな所は共通してるし、そこがどこまで足りてるのか、足りてないならどう鍛えるのかぐらいは『実戦』の前に学んでおけと思ってしまう。
「いきなり実戦に突っ込んでいって周りに迷惑かけまくりながらも必死に成長」が最適解みたいに言う人いるけど、完全に間違ってると思う。
そのやり方は大迷惑の元だよ。
まずは模擬戦を何度もやって手応えをつかんでからにした方がいい。
達人になるまで待つ必要はないけど、半人前にもなってないのに入っていっちゃいけない戦場は沢山有るよ。
そういうのに人を平気で送り込もうとする「気の長ぇ話だな?」名台詞引用がマジで俺は大嫌いだった。
本当に嫌いなんだよ。
そもそもイシドロってあの段階でも生存能力においては既にかなりの物を持ってるわけで……その前提を平気で無視するんだよね。
なんつーかあそこでガッツがああ言ってるのって「そんなにビビんなくても生き延びてそのうち強くなれるよ。俺の(鷹の団とかでの)経験上、お前みたいな奴はそうそう死なねえんだ」って気持ちっつーか評価があるわけじゃね?
清廉なこころのあり方と幻想的な描写、というイメージで語られることが多い作家だと思うが、まだあまり作品を読んだことがない人で、このぐらいの理解でいたら、損をしていると言いたい。
宮沢賢治の良さは他にも、観察眼を突き詰めると対象への愛情とともに冷徹さを伴う好例のような、少し寒気がするほど容赦のない描写や、人を食っているとしか思えない異様な会話劇があって、これはサンドウィッチマンの文字起こしされた漫才を読んでいるのと同じくらい笑える。みんな読んだらいいと思う(『気のいい火山弾』『毒もみのすきな署長さん』がおすすめ)。
…
さて『ツェねずみ』だ。
これも宮沢賢治の短編で、ある種の人間とそれが引き起こす不幸のことを、他の文芸作品では触れた経験がないぐらい明らかにしており、衝撃だった。
…
ツェねずみは要領が悪い一方で欲が深く、性格がねじ曲がっているので、誰かから親切を受けても、「もっと自分のためになるように優しくすることもできたのに、それを怠った」という考え方をするため、みんなから死ぬほど嫌われていた。
本来なら恩を受けた時点でプラス(という表現もアレだが)のはずが、工夫次第でもっとプラスにできたはずのことを、そうしなかったので実質マイナス、というのがツェねずみのロジックだ。
ツェねずみが自分の理屈をどう考えているのかは書かれていない。
宮沢賢治がここに意識的に言及していないのかはわからないが、明示されていないことが実に効果的だと思う。俺は、「最初は自分でもムチャな理屈だと思っていたが、言い続けているうちに世の中がこれで渡れることがわかったので、次第に正気を失ってきた」と読む。
…
そんな中で、唯一ツェねずみに優しく接するものがいた。「鼠捕り機」だ。
宮沢賢治の作品では、物体でも機械でも平気で人格を持って話し始めてしまう。木の柱だとかバケツだとか、そういうものだ。
他の物体がツェねずみに嫌気がさして付き合いをやめていく中、鼠捕り機だけはツェねずみと仲良くしようとする。
その理由は、鼠捕り機が(宮沢賢治の時代でさえ)人間社会にはもう不要、という扱いになっており、邪魔者とみなされていたので、鼠捕り機も他に親しく付き合える相手がいなかったからだ。
鼠捕り機は自分に仕掛けられた魚の頭やハンペンを、あえて罠の扉を閉めないことで、ツェねずみと交流を持つ。本来的には殺される者と殺す者という構造であったはずが、ねずみの強欲(と狂気)、鼠捕り機の孤独によって、いびつな友好が成立する。
…
悲劇は、ツェねずみの尊大さに制限がかからなかったこと、そして、鼠捕り機の忍耐が特別優れていたわけではなく、通常の寛大さしかもたなかったことで生まれる。
ツェねずみは、相手が機械の本分を放棄して食べ物を与えてくれているという、ある種の奇跡が自分に起きていることに気づかない。この幸運をどん欲に消費し、さらに良い物を鼠捕り機に求める。相手をののしることさえする。
あるとき、鼠捕り機はののしられて一瞬われを忘れ、罠の扉をおろしてしまう。ツェねずみは閉じ込められ、お互いは本来の、殺される者と殺す者の関係に戻る。
…
鼠を殺さない鼠捕り機、という存在は非常に奇妙だ。まともに生きにくい変わり者であると同時に、現代社会風で言えば「意識が高い」「キャラクターが立っている」という考え方も、できなくはない。
ただ、自分が変わっていることを自覚して、それを生きる上での背骨にしてやっていこうとすると破滅が起きる。
変わり者は、自分が変人だと知ると、まるでこれが一種の才能と考えたくなりがちだが(個性が重視されるはずの現代ではなおさら?)、実際は関係がない。世の中的には本当はなんの意味もないことだ。
なので、「変わり者として生きていこう」という目標は基本的に破綻するさだめにある。
社会からは、なんでもいいから普通にやってくれ、と要求されるし、より強大な理由としては、変わり者自身の中にもちゃんと「普通」の部分があるからだ(鼠捕り機でいう罠としての本分)。
社会と自らの内側の本性によって、人間は結局、まともに生きていかざるを得ない。鼠捕り機でいえば、優しかろうが意識が高かろうが、罠は罠らしく獲物を殺して生きていくしかない、ということだ。
…
対象が親しい人間でも漠然とした世の中全体でもいいが、基本的に自我というのは、幸運をあり得ないものとして感謝するのをおこたりがちで、むしろそれを平時のベースとして、さらに豊かなものを求めようとする。
要求する相手が生身の人間だろうと、社会という概念だろうと、いずれにしてもこんなことはいつまでも続かないので、いつか破綻を迎える。
自分の望むものが度を過ぎていたので客観的には不幸でもなんでもないが、こういう「幸福を幸福として認識できないバグ」が心理に埋め込まれていることが、別の意味で「不幸」ではあるかもしれない。
…
おそろしいような気がすることとして、ねずみと鼠捕り機のカップリングは、ある種の人間関係として、友人・恋人・家族同士の間で、思いのほかこの世で多く起きているような気がする。
たぶん社会のあちこちで、「自分には特別な才能があるから少し変わった生き方でもやっていけるし、罠としての本分を超克して目の前のねずみと生きていける」と錯覚した鼠捕り機と、「まあこれぐらいは相手に要求しても飲むだろう」と思い込んだねずみが、ある日双方のブレーキとアクセルをぶっ壊して悲劇を生んでいる。
また、俺が自分で感じたように、一人の人間の中にも、ねずみと鼠捕り機の両方が住んで同居している場合がある。宮沢賢治の『ツェねずみ』を、俺は『気のいい火山弾』と同じでサンドウィッチマンとか千鳥の漫才の台本とおなじくらいのつもりで読み始めたが、人間の本性と世界との関わり方の運命的な破滅についておそろしく冷徹に書かれていて感嘆した。すげえと思う。
…
難しいのはねずみと鼠捕り機の関係で、鼠捕り機は自分の忍耐が切れて相手をとって食ってしまう前に相手から距離を置いた方がいいと思うが、人間という存在の希望も美しさも、鼠捕り機が自分の本性を乗り越えたり、周囲から押し付けられた役割を放棄して世の中を意識的にサヴァイヴしていくことで描かれがちだということで、実際それに成功した人は素晴らしいと思うし、この辺は正直どうにもならんのかな、と思っている。
ルックバックがバズり散らかして、藤本タツキの名前の通りがよくなったことを勝手に喜ばしく思っているところである。
さて、この「ルックバック」であるが、タイトルに何重もの意味が込められていることは、バズり散らかし作品に真っ先にいっちょ噛みしたいパーソン、および俺が一番藤本タツキのことをわかってると思いたい後方腕組み彼氏面パーソンに任せるとしよう。
藤本タツキの前作であるチェンソーマン、このタイトルの連載であるが、チェンソーの悪魔でもなく、デンジくんでもなく、チェンソーマンがタイトルだ。今回の「チェンソーマンは何故『チェンソーマン』というタイトルだったか」という表題であるが、最初からこの表題でなんか書こうと思ったわけではなく、チェンソーマンの考察をしていたら、「チェンソーマン」というタイトル、なんも知らん人からみたらB級にもほどがあるこのタイトルに込められた想いに関しての妄想が膨らんでいた。そこにルックバックという弩級の、しかもタイトルが芸術的な読み切りが出てきてしまったので、書かずには居られなくなった。
以下、私の誤読発表会であること、誤読発表会に過ぎないことを甘んじて受け入れる。
なお、完結済みのチェンソーマンのネタバレは一切避けない。ネタバレを気にする人は絶対に読んではいけない。
まず、主人公のデンジはずっと「普通の生活」への憧れ、パンにジャム塗って食うことに憧れを抱いていたほど貧しく、その日その日を必死でサヴァイヴしてきた。第1話でその憧れを手に入れたデンジと同じような放心感と、第1話を読んだときの私の放心感はきっと近いものがあった。
その後、デンジは上がり続ける「普通」のレベルや、望むものが手に入った時の「こんなもんか……」という失望、望むものをぶち壊された、ぶち壊した絶望などを通し、考えなければならないことが増えすぎた結果、「なんにも考えずに生きてえ」「マキマさんの犬になりてえ」と思うほどの生活になることができた。なってしまった。そりゃそうだ、さんざん死ぬ思いして、せっかく手に入れた「普通の家族」も、あっというまに終わりを迎えてしまったのだ。それも自らの手によってだ。裏ではマキマさんが糸を引いていたが。
このあたりのテーマは、岸辺とクァンシの会話の中でも明示されている。幸せに生きるには無知で馬鹿のまま生きること。「自分」の考えなど持たないほうが幸せだということだ。
最終決戦、デンジはマキマさんに「あんたの理想の世界にクソ映画はあるのかい」と問う。「無い方が良い」と答えるマキマさんに、明確に敵対するデンジ。この成長っぷりだ。完全に「少年漫画の主人公」だ。
直前のコベニちゃんとの会話で、嫌なことがない人生なんてない、という「普通」に気づくのだ。
作中の悪魔には名前がない。○○の悪魔、という概念でしかない。マキマさんも、チェンソーマンと呼んではいるが、デンジくんでもなくチェンソーマンでもなく、「チェンソーの悪魔」にしか興味がないのだ。これは作中でほぼ明示的に示されている。マキマさんは徹底的に、チェンソーマンの中のチェンソーの悪魔という概念にしか興味がないのだ。デンジくんだからではなく、「チェンソーの悪魔の拠り所」としてしか興味がない。典型的な悪女である。えてして悪女は魅力的で、私もコロッと騙された質の人間はあるのだが、とんでもない奴だ。好き。
ここのズレなんだよ、ここのブレなんだよ。チェンソーマンというキャラクターのペルソナをかぶりたいデンジと、チェンソーの悪魔を支配したい(またはチェンソーの悪魔に支配されたい)マキマさん。他人が作った、他人が求めるキャラクターになりたいデンジと、他人を恐れて全てを支配したいマキマさん。クソ映画も映画なりと、ゴミみたいな感情も人生なりと受け入れたデンジと、ゴミみたいな感情になるなら無いほうが良いとしたマキマさん。
これは藤本タツキファン、ファイアパンチファンにとっては「また」なんだよ。また演技と、狂言と、ペルソナの話なんだ。デンジは目的=自らの欲望に関して嘘は付かないし、付けないのだ。自らの欲望に嘘を付くくらいならデンジという個、ゴミみたいな人間であるという個を捨て、民間のヒーローである「チェンソーマン」になる、なれる、なりたいヒーローなのだ。朝からステーキ食いたい、彼女がほしい、「悪いことだとわかってるけど」5人10人ほしい、たくさんセックスしたい、「だから」チェンソーマンになりたい。デンジくんは、チェンソーの悪魔でもなく、デンジでもなく、誰かの望んだチェンソーマンになりたいのだ。だからこの作品は「チェンソーマン」なのだ。
フェミは負け組女じゃなく(底辺からみれば)勝ち組イージーモード女が娯楽でやってるのが多い。
真の負け組(貧乏かつブス)はそれどころじゃなく、寄生先探すのに必死だからな。ネットでフェミ活なんてやってられるのは学歴か寄生か何らかの方法で食ってける女だけ。金持ちはそういないが、中卒ブスでそんなこと言ってたら生きてけないからガチで詰んでる奴もいない。
モテなくて絶望してフェミになるルートってそうそう無いんだよ。絶望して自棄になって手段選ばなくなれば、体を差し出すにいたりそうすればよっぽどじゃなきゃ相手がいるから。最低限の承認欲求は満たされるわけ。
じゃあフェミは誰で何が不満でなるかっていえば「私の好きな男が振り向かない」「振り向いたけど本命じゃなく遊ばれた」「仕事はあるけどもっと男並みに出世したかった」層。最低限の承認欲求だけじゃ満足できない、けして底辺じゃなくむしろ多少はちやほやされた経験のあるが故にもっと好待遇を寄越せと思える高望み女。たまにガチで酷い目(性虐待とかDVとか)に遭った人々もいるけど、それだってまだ被害者の中で余裕がある層。ガチの底辺女は社会に物申すどころか「今のDVだけど一応定収入はある彼氏か優しいがバイト暮らしのネトゲの男どっちを選ぶかはたまたセクハラ義父のいる実家にとりあえず身を寄せるか」みたいなサヴァイヴして生きてる。尊厳がどうのとか言ってられない。
つまりガチの底辺女は学もモラルを保つ環境も与えられなかった売春女で、フェミは売春を選択肢にいれる必要が無い(たとえ今無職だとしても支援みつけて生きて蹴る)強者女。AV女優を可哀想!騙されてる!と言うフェミが、女売る以外の選択肢無くてそれ取り上げられたら生きていけない売春女から仕事を奪おうとしてたりするだろ?あれは真の弱者である売春女の生き残る手段をつぶして、食ってはいけるが精神的に満たされないフェミが自己満足する搾取構造なわけだ。フェミが「女は性的消費される客体ではない!」って誇り高く宣言する為に、生計を奪われる売春女のなんとあわれなことか。昔の貴族がドレスをしつらえる為に重税を課されてやせ細る平民並みの理不尽さである。むしろ「平民なんか知ったことか!」「女なんかオ⚪︎コするだけの道具やんケ、何ムキになっとんねん」という貴族やクソ男の方が、そんな酷いことをしといて「私たちは弱者女性の為に戦ってる!」というフェミよりなんぼか潔いとすらいえる。
フェミは負け組女じゃなく(底辺からみれば)勝ち組イージーモード女が娯楽でやってるのが多い。
真の負け組(貧乏かつブス)はそれどころじゃなく、寄生先探すのに必死だからな。ネットでフェミ活なんてやってられるのは学歴か寄生か何らかの方法で食ってける女だけ。金持ちはそういないが、中卒ブスでそんなこと言ってたら生きてけないからガチで詰んでる奴もいない。
モテなくて絶望してフェミになるルートってそうそう無いんだよ。絶望して自棄になって手段選ばなくなれば、体を差し出すにいたりそうすればよっぽどじゃなきゃ相手がいるから。最低限の承認欲求は満たされるわけ。
じゃあフェミは誰で何が不満でなるかっていえば「私の好きな男が振り向かない」「振り向いたけど本命じゃなく遊ばれた」「仕事はあるけどもっと男並みに出世したかった」層。最低限の承認欲求だけじゃ満足できない、けして底辺じゃなくむしろ多少はちやほやされた経験のあるが故にもっと好待遇を寄越せと思える高望み女。たまにガチで酷い目(性虐待とかDVとか)に遭った人々もいるけど、それだってまだ被害者の中で余裕がある層。ガチの底辺女は社会に物申すどころか「今のDVだけど一応定収入はある彼氏か優しいがバイト暮らしのネトゲの男どっちを選ぶかはたまたセクハラ義父のいる実家にとりあえず身を寄せるか」みたいなサヴァイヴして生きてる。尊厳がどうのとか言ってられない。
つまりガチの底辺女は学もモラルを保つ環境も与えられなかった売春女で、フェミは売春を選択肢にいれる必要が無い(たとえ今無職だとしても支援みつけて生きて蹴る)強者女。AV女優を可哀想!騙されてる!と言うフェミが、女売る以外の選択肢無くてそれ取り上げられたら生きていけない売春女から仕事を奪おうとしてたりするだろ?あれは真の弱者である売春女の生き残る手段をつぶして、食ってはいけるが精神的に満たされないフェミが自己満足する搾取構造なわけだ。フェミが「女は性的消費される客体ではない!」って誇り高く宣言する為に、生計を奪われる売春女のなんとあわれなことか。昔の貴族がドレスをしつらえる為に重税を課されてやせ細る平民並みの理不尽さである。むしろ「平民なんか知ったことか!」という貴族の方が、そんな酷いことをしといて「私たちは弱者女性の為に戦ってる!」というフェミよりなんぼか潔いとすらいえる。
フェミは負け組女じゃなく(底辺からみれば)勝ち組イージーモード女が娯楽でやってるのが多い。
真の負け組(貧乏かつブス)はそれどころじゃなく、寄生先探すのに必死だからな。ネットでフェミ活なんてやってられるのは学歴か寄生か何らかの方法で食ってける女だけ。金持ちはそういないが、中卒ブスでそんなこと言ってたら生きてけないからガチで詰んでる奴もいない。
モテなくて絶望してフェミになるルートってそうそう無いんだよ。絶望して自棄になって手段選ばなくなれば、体を差し出すにいたりそうすればよっぽどじゃなきゃ相手がいるから。最低限の承認欲求は満たされるわけ。
じゃあフェミは誰で何が不満でなるかっていえば「私の好きな男が振り向かない」「振り向いたけど本命じゃなく遊ばれた」「仕事はあるけどもっと男並みに出世したかった」層。最低限の承認欲求だけじゃ満足できない、けして底辺じゃなくむしろ多少はちやほやされた経験のあるが故にもっと好待遇を寄越せと思える高望み女。たまにガチで酷い目(性虐待とかDVとか)に遭った人々もいるけど、それだってまだ被害者の中で余裕がある層。ガチの底辺女は社会に物申すどころか「今のDVだけど一応定収入はある彼氏か優しいがバイト暮らしのネトゲの男どっちを選ぶかはたまたセクハラ義父のいる実家にとりあえず身を寄せるか」みたいなサヴァイヴして生きてる。尊厳がどうのとか言ってられない。
つまりガチの底辺女は学もモラルを保つ環境も与えられなかった売春女で、フェミは売春を選択肢にいれる必要が無い(たとえ今無職だとしても支援みつけて生きて蹴る)強者女。AV女優を可哀想!騙されてる!と言うフェミが、女売る以外の選択肢無くてそれ取り上げられたら生きていけない売春女から仕事を奪おうとしてたりするだろ?あれは真の弱者である売春女の生き残る手段をつぶして、食ってはいけるが精神的に満たされないフェミが自己満足する搾取構造なわけだ。フェミが「女は性的消費される客体ではない!」って誇り高く宣言する為に、生計を奪われる売春女のなんとあわれなことか。昔の貴族がドレスをしつらえる為に重税を課されてやせ細る平民並みの理不尽さである。むしろ「平民なんか知ったことか!」という貴族の方が、そんな酷いことをしといて「私たちは弱者女性の為に戦ってる!」というフェミよりなんぼか潔いとすらいえる。
今までの著作でマニュアル的に書かれていた「できないことをできないでいいので、できることでサヴァイヴしていきましょ」と言う趣旨ではなく
俺だってできないことには悩んでるんだ、というエッセイだった。
「がんばらない練習」をしているphaのはなし。他の人は応用できないかもしれないけど、俺はこんなふうにやってきたよという。
phaが受け入れられたのは経済の縮小傾向・緊縮財政・自己責任のなかでどれだけ楽をできるかという部分も強いと思うので
一概に評価はできないんだけど、ガツガツやる人も出来ない人も、お互いできることをやれば良いという諦念の話のような気がする。
「生き残れないやつは死ね」ではなく「なんとか楽な感じで生き残る方法を無理せず考えていこう」という方向性の提示。
お気軽に読めるエッセイなので別にphaのファンとかじゃなくてもウルトラ退屈なときに気軽に読んでみるのにはちょうどよいと思った。
何年か前に新卒採用をもらってサラリーマンになったのだが、向いていなかったと判断したので今夜上司に辞表を出すことを連絡しようと思う。実名のブログに赤裸々に書くと親が哀しむのでここに書く。
理由は「いい加減睡眠7時間の生活にケリをつけて休みたい」とか「思ったより金がない」とか「掲示板で論争がヒートアップしたあと明け方までバトルを続けられる生活に戻りたい」とかもあるのだが、根本は「生きていくのは好きだけど仕事をするために生きるのは好きじゃない」ということに尽きる。
俺は自分の部屋に閉じこもるのが好きで、子供のころから股間を掻いていた。小説だったり漫画だったり、RPGツクール製のでリョナゲーでシコったり形態は様々だ。シコり終わったらウェブを回ったり友達とスカイプしたりはしていたが、特に勉強をするつもりもなく、余った時間は寝ていた。そんなある日、気まぐれに新卒採用にでも送ってみようかと考えて就活した結果、まさかの内定獲得。いつの間にか社会人になっていた。
その後卒論を書いたものが幸い卒業になり、嬉しいようなものもあれば嬉しくないものもありという感じで生きてきたのだが、最近自分の限界を感じるというか、会社に向かうのが本当に苦痛になってきてしまった。
社会人デビューすると、学生のように自由に生きることはできない。億り人やスーパーハカーくらいの大御所になれば生きたい人生を生きたいように生きれるのかもしれないが(でも億り人も市場の変動にはやきもきすると言っていたっけ)、俺クラスの新卒だとそうはいかない。こちらが非常識と思ったものを強要されることもあるし、ときにはまるで違う報告書に魔改造されることもある。こちらが全く誠実と思えない上司の方便を入れないと判子を押さないと言われることもあるし、そうやって無理やり通したたものが無事にすめばまだいいが、本社による調査で二週間詰められたりりする。もちろん嘘を交えての問題先送りはサヴァイヴにて必要なプロセスだし、正直に書いたものが承認を通らないのは俺の実力不足のせいだが、一方でこういう生活を続けていて社会人を続けていく理由がよくわからなくなってきた。
よくビジネスマン向けの自己啓発として「お前は仕事がしたいのか、給料が貰いたいのか」というものがあり、「仕事がしたい」人のほうが社会に向いていると言われるが、俺は逆だと思う。「給料をもらいたい、社会的地位を手に入れたい」という人のほうが、社会人をするにははるかに向いている。彼らは上司の意見をきちんと取り入れ、報告内容を忖度し、顧客との接待飲みすらエンジョイし、貪欲に生き残り続ける。そうやっているうちに強固な人脈を持つ社会人に化けたりする。俺のように「自己実現をしたい」だけの人間はそういうモチベーションがないので、自分が正しくないと感じる方向に改竄をしてまで資料を出すという動機がない。やりたい事をやって生きていられればいいのだがこれは天才戦略で、凡人がやると居場所を失って死ぬ。そしてただの凡人だった俺は、社会人として死ぬのだ。
というわけでこれから上司に順次連絡してこのエントリを見せようと思う。これからはネトゲにでも一日の大半を使って、だらだら貯金を使い尽くして死のうと思う。両親には謝りたい
東浩紀の呼びかける選挙棄権って、いわばサボタージュ・ストライキの呼びかけだと思うんだよな。
与党もひどいし野党もひどいし、解散に至る流れと解散されてからのゴタゴタはマジでどうしようもない。
にもかかわらず選挙が行われたなら国民はそのひどすぎるゲームに参加しなきゃいけないとされてる。
なんでそんなひどいゲームへの参加を強制されなきゃいけないんだ?
っていうか俺たちがそのゲームにいやいやながら参加するから、ゲームが行われるんじゃないか?
だったら降りちまおう。参加者がいなくなればゲームは成り立たなくなるだろう。
たとえば企業がひどい経営をして、抗議も無視される時に、労働者がそれでも仕方なく働き続けるようじゃ企業はひどい経営をやめない。
しかしストライキをすれば仕事が立ちいかなくなるので、企業は言うことを聞かざるを得ない。ストに対し給料支払いを止めてくるかもしれないが、そこは根競べだ。肉を切らせて骨を断つのだ。
そういうストライキと同じことを政治でもやろう……ってのが東浩紀の意図に感じる。
だが、そう、問題なのは、この政治というゲームは国民が参加しなくなっても成り立ってしまうことだ。
一般企業の経営ならば労働者がサボタージュをすれば回らなくなるのに、国家の経営は国民がサボタージュをしても一向に問題なく回せてしまう。
むしろ国家経営者にとってはその方が都合がいいくらいだったりする。
ではどうしたらいいのだ。このひどい政治ゲームに、システムに、組み込まれ続けるしかないのか。そこから逃げ出したり、システムに有効な異を唱えることはできないのか。
恐らく、その通りだ。参加し続けるしかない。
このクソなゲームに従ったままで勝ち、それにより状況を変える力を得るしかない。
ロッキーや、カイジのように、八百長じみた卑怯な試合と分かっていながら参加し、全力を出し、相手を追い詰め、喝采を浴び――だがロッキーと違い、その上で勝たなければならない。
ロッキーは結局負けて、それでも人間的満足を得たのでしたみたいな感じだったが、それではだめだ。勝ったはずなのに結局儲けをもらえないカイジでもだめだ。
「勝つロッキー」になる必要がある。或いはドニー・イェンが演じたイップマンとか、ノーホーマー・ノーサヴァイヴ編のニンジャスレイヤー。
そんなの現実にできそうか?
さあ……。
いちおう、幾つか抵抗したい人のための案を考えてみた。全部で五つ。
まず、現在の選挙ゲームに参加することを甘んじて受け入れた上でのプランは二つ。
でも政治的既得権益がない人間が出馬して勝てるか? 落ちる上に選挙活動費用がかさんで生活ブッ壊れるのでは? 死では?
第二に、ヤバそうな候補者、政党に入れて受からせる。共産党とか日本のこころとか幸福実現党とか?
これはストライキに近い。骨を切らせて肉を断つ。ヤバい奴らが力を持てば任期中ヤバい政治をされて国民はボロボロになるが、それと引き換えに今の主要政治家に危機感を持たせることができる。はず。はずっていうか民主党政権はまさにそういう効果が生まれるはずだったんだけどなんかあんまそうなってないらしいのは何でなんですかね。
第三、一般的な意味でのストライキをそのまんまやる。ただし超大規模に。国民みんなで勤め先に行くのをやめる。
「国家の経営は国民が参加しなくても回る」とか書いたけどそれは政治的な意味で合って、経済的な意味でなら国民が参加しないと回らない。
GDPも株価も落ちまくって凄いことになり、政治家は焦るはず。みたいな。
第四、子供を作るのを止めるし、引きこもる。はてなで言うところのサイレントテロ。
でもこれは効果が出るのがじわじわ過ぎる上に国民にとっても致命的すぎて、肉を切らせて骨を断つっていうか両方ただ死ぬ。
はてブではしょっちゅう言われる「そこまで不満があるなら国外に行けよ」。
だが実際、これは日本の政治ゲームへの参加を本当に放棄する数少ない方法ではある。
まあでも、東浩紀的なスタンスを極力保ったままでやるなら、明らかにアレな政党への投票を呼び掛ける、とかがまだ少しは意味があるかなあ。
それも、ただどこかへの投票を呼びかけるんじゃ、全然意味がないしインパクトもない。
それじゃ選挙に前向きに参加する普通の政党支持者と同じように見えてしまって、この選挙自体への抗議であるという意図が人々に伝わらない。
だから呼びかけは、たとえばこうだ。
「これはいわゆる普通の政治活動ではない。私は○○党を全く支持しない。ここはデタラメな政党だ。自民なり希望なり立憲民主の方がまだマシだ。
だが、その上で○○党への投票を呼び掛ける。これは、最悪な経緯で行われる現在の政治と選挙への、ストライキとしての投票だ」
みたいなね。
あとマック赤坂とか外山恒一とかみたいなのに声かけて政党つくってこれをやるとか。
東浩紀さん、或いは誰でもいいけど政治にうんざりしてる人、次はそういう感じでどう?
「今回の選挙、くだらなすぎる」 投票棄権の賛同署名を集める東浩紀さんの真意とは?
http://www.huffingtonpost.jp/2017/10/09/hiroki-azuma_a_23237074/
これが「国難です」 "600億もかかる政治家の人間ドラマ"を見たかったのか?
https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/kita-kokunan?utm_term=.xaDBzvaRb#.gyOXBvM9r
岡井ちゃんがはじめて私たちの前に姿を現した2002年6月のハロモニを
当時20歳だった私は、一人暮らしのワンルームマンションの14型のテレビデオでぼんやりと見ていた。
8歳の岡井ちゃんはアイドルとは無関係に思える「カントリー・ロード」をたどたどしく歌っていた。
その姿はどうしても有名になりたい才気あふれる特別な女の子というよりは、
大人が笑ってくれたり褒めてくれたり叱ってくれたりすることがうれしくてしょうがない、
ただの人懐っこいひとりの子どもというように見えた。
私はハロプロキッズに対して得体の知れない忌避感と哀れみを感じた。
あんなにもかわいい子どもたちにも関わらず、なにかマズいことが起きているという直感は
それをどういう言葉で表したかは人それぞれだが、ネット上ではそれなりに共有されていたように思う。
ただ、彼女たちが成長し魅力を増していく過程のなかで、それは杞憂だったと誰もが手のひらを返した。
私もその一人だ。
ところで、「今2016年にアイドルになろうとしている15歳くらいの女の子」がいるとして
(それに何を感じ、どう行動するかは個人差はあれど)
私やこれを読んでいるあなたと大きく違わないのではないだろうか。
どうしたって突き付けられる事件が多すぎる。
そしてそこに無頓着なのは私だけではなかったのではないかと思う。
モーニング娘。がブレイクする1999年まではアイドル冬の時代と言われていた。
諸説あるだろうが、その始まりをおニャン子クラブが解散する1987年とするなら
もはやその連続性のなかでアイドル文化を捉えられる人たちはきわめて少数になっていた。
多くの人々が祝福し、「CAN YOU CELEBRATE?」が日本中の結婚式で歌われた。
ジャニーズでも20代になれば結婚してアイドルのまま家族を持つ時代がやってきたのだと誰もが思った。
そのようなおおらかな空気の中でモーニング娘。が女性アイドルを復活させ、岡井ちゃんはオーディションに合格した。
意志をもってアイドルになった、というより気づいた時にはなっていたというほうが近いのかもしれない。
ハロプロが女性アイドルに再び春を呼び戻した頃も、恋愛は絶対的な禁忌ではなかった。
週刊誌報道はスルーされ、ファンのため息がなにか風を起こすようなことはなかった。
今とあまりにも違う。
その時代の空気の変化の中に一番最初に巻き込まれ傷ついてきたのが
実は℃-uteであるということはもっと知られてもいいと思うし、
℃-uteのファンでも忘れてしまっている人もいるのではないだろうか。
詳しくは書かないが、ファンや事務所の締め付けが厳しくなる中で
実績のある先輩たちはある種の図太さを見せながらサヴァイヴしていったが
℃-uteのメンバーはいきなり力尽きるように表舞台から次々と姿を消していった。
℃-uteやBerryz工房のことを、きれいな空気のなかで大切に育てられ
人生の大半をアイドルに捧げた純粋性の高いエリートであるように言う人は多い。
長い時間をかけて深く引き裂かれてしまったのもまた彼女たちなのではないだろうか。
そして、岡井ちゃんやまいまいや梨沙子のような、本当に幼い頃からキャリアをスタートさせた子ほど、
その欺瞞を合理化するような術をいまだ持てず、混乱の中にいるのではないだろうか。
「今2016年にアイドルになろうとしている15歳くらいの女の子」や
ここ数年でアイドルを好きになったファンたちとは見えている世界があまりに違うのだ。
舞美ちゃんのブログの更新を待っている間、夢幻クライマックスを何回も聴きながら
岡井ちゃんにとって「強くなりすぎた」とはどういうことなのか、
なにが舞美ちゃんを「さみし」くさせているのか、私はずっと考えていた。
サクリファイス、エデン、サヴァイヴと同一作者のロードレース作品を読んだ。いつ買った本だったか思い出せないけど、新潮の帯が結構憎い。そりゃサスペンスとかミステリーの要素がラストにあるけれど、これらの作品の本質はそこじゃねえだろうと言いたくなる。季節の企画だから仕方がないといえばしかたがないのだけれど。
ともあれ、これらの作品(サクリファイスとエデンは長編、サヴァイヴは短編集)は、タイトルがストレートにテーマとなっている青春スポーツ小説だった。プロのスポーツ選手が抱いているであろう心情が丁寧に描かれていたし、ロードレースという競技自体も過不足なく魅力が書き表されていたと思う。
主要な登場人物はみんな自転車で走ることが大好きな酔狂者ばかりだった。自転車で走ることが好きすぎるから勝ちにこだわるし、エースのために尽くそうとするし、薬物に手を出してしまったりする。根底にはどうしようもない業があるんだなあって思った。そこまで心酔できる対照を、自分も見つけたい気がする。怖いけども。
シリーズを通して重要な立ち位置にいたのが石尾という人物だった気がする。主人公になる短編があるわけじゃないんだけど、この人こそ自転車狂としての素質が一番現れてたんじゃないかな。そんな人物が一作の目のサクリファイスでなした役割を思うと、次代に繋げようとする意思に触れた気がしてじんわり胸に来るものがある。無骨で何考えてるのかわからない人物が抱えている思いが最後のほうで顕になるのって好きだなあ。
あまり話題にはなってない作品なのかもしれないど、これってかなり面白いことしてると思うんだよね。
女の子が艦船に乗って戦うみたいな、いっけんガルパンの亜流みたいに見えるんだけど、実はぜんぜん違うのです。
ガルパンの物語構造は、基本的にスポ根的なドラマツルギーに基いていて、ラブライブ!とかとほとんど同じです。
要は、「努力、友情、勝利」のジャンプメソッドmeets美少女なわけ。
ガルパンは戦車を、ラブライブ!はアイドルを素材にして美少女スポ根を展開してるわけで、その先祖はトップをねらえ!あたりかな?
で、ハイフリなんだけど、これって冒険小説的ドラマツルギーなんだよね。
アリステア・マクリーンとかギャビン・ライアルとかの古き良き冒険小説。
不可解な敵や、限定された状況下でのサヴァイヴとかまさにそんな感じ。
これで、内輪に裏切り者とかいたらまさに古典的冒険小説な展開だよ。
はるしにゃん君がセクハラやら暴言やらで話題になっている。長らく彼をヲチしてきた者として、これから彼をヲチする者のために、彼の人物像を紹介するよ。
殻辺(@hallucinyan)さん | Twitter
もともと彼は立命館の経済だかに通っていたアイマス好きのオタクで、東浩紀や宮台真司への憧れを募らせながら、ゲンロン界隈に溶け込もうとがんばっていた。そういえば昔はハルシナと名乗っていたな。
むりゃかみゆうとは (ムリャカミユウとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%80%E3%82%8A%E3%82%83%E3%81%8B%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%86
むりゃかみゆう@非公式(@muryakamiyuu)さん | Twitter
https://twitter.com/muryakamiyuu
ゲンロンの前身にあたる合同会社コンテクチュアズのマスコットキャラクター、むりゃかみゆうをモチーフに女装なんかやってた頃は、彼にも可愛げがあった。
ニコニコ動画に歌ってみたなんか上げちゃって、東浩紀への目配せがいじらしい。
組曲『あずまん動画』 - ニコニコ動画:GINZA
で、彼はそのままゲンロンのホモソーシャルで姫をやってりゃよかったものを、欲っ気を出して同人誌の編集を始めてしまった。
Amazon.co.jp: イルミナシオン: 松本 卓也, 黒瀬 陽平, 上祐 史浩, 佐藤 雄一, 有村 悠, はるしにゃん, 藤城嘘: 本
この『イルミナシオン』所収の「イルミナシオンは愛を求めて」は、はるしにゃん君が不幸な家庭で育ち、エヴァにハマり、友人の自殺を経て、童貞卒業への闘志に芽生え、デリヘルで失敗し、メンヘラ女を食い漁るようになるまでを描いた自分語りで、彼の批判者はまずこれを読んでおいたほうがいいよ。
これは劣化版『超人計画』みたいなもので、はるしにゃん君も「滝本竜彦の劣化コピーのごとき実存」とか自分で言っている。
これだけを見るとゲンロンに擦り寄っていた哀れなオタクがなんか覚醒したっぽいというだけの話だけど、覚醒した彼は『イルミナシオン』の刊行と前後して、アニメ批評にちょっかいを出すようになった。
杉田悠の「『けいおん』の偽法――逆半透明の詐術」という論考に準じて、はるしにゃん君はブログに「けいおん!の「内面」について」という記事を載せた。今は削除されちゃっているけど、ブコメから雰囲気は伝わってくる。っていうかなんで削除しちゃったんだろうね。そんなに批判されたくなかったのかな。
けいおん!の「内面」について - A Mental Hell’s Angel
http://b.hatena.ne.jp/entry/hallucinyan.hatenablog.com/entry/2012/07/25/200631
で、この記事に、泉信行や岩下朋世なんかの『ユリイカ』系の漫画研究家たちが反論を加えたことでちょっとした論争がおこった。
はるしにゃん君によると、日常系・空気系アニメである「けいおん!」には内面がなく、むちむちとした身体性によってそれが覆い隠されているんだそうだ。
その結論に至るまでの不備を指摘されているわけなんだけど、泉信行が「研究と批評は違う」みたいなことを言っちゃったせいで、はるしにゃん君は「じゃあ批評は適当でもいいじゃん」みたいなスタンスをとってしまった。これは良くないよね。
泉信行は「研究と批評は違う」とは別に「たとえ研究のような厳密性が求められない批評であっても、媒概念不周延の誤謬には注意しようね」ということを主張している。これをはるしにゃん君はガン無視し、杉田悠に助けを乞うた上、俺が批判に応えてやってるのに、みたいなことを言い出した。
当時、杉田悠が寄稿した『アニメルカ』を中心に「アニメブロガー総合スレ」というスレがあったんだけど、はるしにゃん君の大立ち回りはそこそこ話題になった。
953 :名無しさん名無しさん:2012/09/14(金) 22:52:30.49
・テンプレ
@sugita_u 生活上のストレスとかあるんでしょうけど、礼儀って素朴に重要なんじゃないですか
@sugita_u 僕は杉田悠さんがアニメルカの中では相対的に優秀だと思っています
@sugita_u 僕はあなたの原稿をトゥギャッターで乗り越えました
@sugita_u 少なくとも、擁護しようとした立場の人にいきなり「カチンと来た」「仲間だなんて思ってくるな」という発言したことを謝罪する気はないんでうすね。それは失礼です。その失礼が謝罪によって解消されるか病院の薬で解決されるか、ということでよろしいですね
@sugita_u 僕としては優しかった頃、余裕のあった頃の杉田さんが好きでした。でも変わられてしまった。しかしそれが良い展開に向かう可能性もある。僕は杉田さんの幸福を数年間祈って来ました。
@sugita_u 疑問なのはどうしてそう喧嘩腰にしか喋れないんですか。「カチンと来た」「仲間だと思わないでくれ」もそうですが。人格障害だと認めますか?
892 :名無しさん名無しさん:2012/08/31(金) 23:37:02.97
こういう奴は裏では嫌われてるって自覚ないまま消えていくよ
人の褌で相撲を取ろうとしておいて、なかなか図々しいね。でも、そこがはるしにゃん君の可愛さでもあるんだ。
https://twitter.com/hallucinyan/status/230988133540458497
僕はディベート部の部長だったので、議論と喧嘩の区別をつけています。今回の議論で僕はいずみのさんに悪印象を持ったりはしていません。むしろマンガ論の沃野の広大さを教えてくださって感謝しています
http://togetter.com/li/349401#c643714
「虐待される美少女ブヒィィィすっぽんぽんブヒィィィ」と同人誌で萌えサカッた後、「いやこれは『実在性』を剥ぎ取られた『キャラ』に『身体性』と『精神性』を『補完』する『試み』に興味を抱いたわけで」などといった「普段の僕は頭いいんです」アピールで己の「ゲスな身体性」への言い訳をするのが現代の哲学や評論であるのなら、ンなもんさっさと死ねばいいのに、と思いました。
散々な言われようのはるしにゃん君を擁護しておくと、「けいおん!内面論争」での「内面」は「ポストモダン的成熟」の有無によって判断されるもので、一般的な意味での「内面」とは別物なんだよね。でも、その辺りを理解できなかったラノベ天狗なんかはいつまで経ってもグチグチ言ってるみたい。
じゃあ「ポストモダン的成熟」って何だよって話だけど、やっぱり意味不明なんだよね。定義を明示せずに言葉を振り回しているところが、いかにも批評家くずれっぽくて微笑ましいね。
さてさて、はるしにゃん君はその後も批評をがんばり続けてきた。と同時に、メンヘラを食いまくってきた。
はるしにゃん君のメンヘラの食い方は、「俺はメンヘラなんだよぅ~つらいにゃんつらいにゃん~」ってメンヘラを引き寄せ、「君はラカンも読んだことがないの?ザコ?」みたいなことをいって罵倒し、依存させるって感じかな。想像だけど。
そうやって彼はメンヘラ女を集め、ヤりまくり、一方で、彼女たちを批評で救うみたいなスタンスのもと、同人誌を作っていった。
ところが、メンヘラはメンヘラだから、適切な治療を受けなければ死んでしまう。
はるしにゃん君の仲間で、一緒に同人誌を作っていたメンヘラ神は、メンヘラであることをコンテンツにしていくうちに、自殺してしまった。
メンヘラ神の死は、それはそれは多くのメンヘラに影響を与えたんだけど、ウェルテル効果というまではいかなかった。
でもまあ、メンヘラを集めてコンテンツ化していたはるしにゃん君は、メンヘラ神を死に追いやった一因として、散々な批判を浴びることになっちゃった。かわいそうに。
そのせいか、はるしにゃん君はしばらく燻っていたんだけど、2014年の秋ぐらいから元気になってきたみたいなんだよね。
彼の文章も、東浩紀やら宮台真司やら千葉雅也やらに褒められるようになってきた。よかったね。
で、また最近は批評をやってるみたいだ。
あれこれ思想家を引用してるけど、言ってる中身はシンプルっていうか、一般的な意味での内面がないのはご愛嬌。まだセカイ系とか言ってて、まさしくゼロ年代の亡霊だ。
東浩紀の『存在論的、郵便的』『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』『動物化するポストモダン』について - Togetterまとめ
東浩紀についてなんか、かなり熱心に語っている。
ちなみに東浩紀自身の言説には内面がないどころか、自己矛盾の塊だ。
で、はるしにゃん君の文章をいくつか読めば分かるけど、彼は思想家や哲学者の名前をジャブジャブ出しまくって権威付けを図ろうとしているよ。
けれど、本人が何か新しいことを言っているわけでもなくて、権威付け以外の何かに発展している例は今のところ見当たらないし、そこはがんばって欲しい。しんかい35と正面衝突してくれないかな。
さて、はるしにゃん君の権威付けは、複数の哲学者や社会学者が共通して言っていることを抜き出して言い換えることによって成り立っている。
はるしにゃん君が「ルーマンはラカン以下」なんて言っちゃった時は、ルーマン研究者の酒井泰斗がげっそりしていたよ。
https://twitter.com/contractio/status/197244430338633729
前者は「似てるよね分析」と呼んでいますが、後者はなんと呼びましょうかね。
RT @sskyt: 「Aは……Bと……似ている!」とか「Aは……Bを……読んでいた!」みたいな研究て全然興味持てないんだけど。
https://twitter.com/contractio/status/197247900085002240
組み合わせると、「昔の人Bが言っていたXは 最近Aが言っているYに似ているのでB偉かった」のようなかなり高度な主張が可能となる。
https://twitter.com/hallucinyan/status/547789378999681024
ルーマンの言ってることって大概ラカンが述べてるしラカンを超えてる部分があまり見当たらないというのが個人的な見解で、じゃあ「ポストモダニストより社会学者から引用したほうが叩かれにくい」という政治的効率性以外の点でルーマンの卓越性ってどこにあるんだろうって思っている
https://twitter.com/hallucinyan/status/547790901955670016
そしておそらくオートポイエーシスもコンティンジェンシーもシニフィアン連鎖や対象aの問題であり、そして後期ラカン的なサントームや、男女間のセクシュアリティの差異、大文字の他者の享楽についてルーマンが叙述できているかといえばできていないと思う
https://twitter.com/hallucinyan/status/559584058137538560
単にルーマンがつまんないって言っても面白くないから「じゃあラカン先生のどこを超えてるんですか? どこも超えてないでしょ?」って煽ってるのわからないのかわかったうえでなにも言えないのか
https://twitter.com/contractio/status/559588003417296896
煽ると何が面白いんですか。
https://twitter.com/contractio/status/559588541454233600
「どっちが強いですか」で語る現代思想。
https://twitter.com/contractio/status/559590072593309698
「つまんない」場合の対処は、面白い読み方に変えるか 読むのを止めるかのどっちかではないですかね。
はるしにゃん君は「越えてる」「越えてない」で思想家を語るのが好きなんだ。すぐにブロックするところは、師匠の東浩紀譲り。
そんなこんなで、批評をがんばっているはるしにゃん君は、同時にホストとしてもがんばっているみたい、と思ったら、最近言及してないし辞めたのかな。
その代わりに、イベンターやら何やらでがんばっているみたい。高円寺のカフェバーでいろいろやるみたいだよ。
ところが、はるしにゃんの努力を邪魔する連中が現れてしまった。
成上友織, はるしにゃん君の暴言・差別発言について
これは、はるしにゃん君と交友があったセイジョウ君からの批判だ。
はるしにゃん君の言葉を用いると、彼の言動を理解できない者は「ザコ」であり、彼に疑問を呈する者は「アスペ」であり、彼に反発する者は「ボダ」になる。
そして、はるしにゃん君はその広範な知識と、お得意の言い換えによって批判を封殺しようとしたよ。
メンヘラとレイシズムについての所感と応答 - A Mental Hell’s Angel
http://hallucinyan.hatenablog.com/entry/2015/02/07/134950
まず第一に私は大学で精神病理学を学んでいた。もちろんクラインもラカンもドゥルーズも読んだうえに、さらにアメリカのDSM的な診断マニュアルについても目を通している。そして最新の精神療法についてもサーヴェイしている。
大学で精神病理学を学んでいたからといって、学位を持ってるわけでもないのだから、別にはるしにゃん君の言動は正当化されないんだけど、はるしにゃん君は批判者に病識があるという一点のみで批判を潰そうとした。批判の内容についてはほぼ耳を貸そうとせず、俺はメンヘラと正しく交流しているから、って理由で自己正当化を図っている。
そして私は単に批判しているのみならず、いわゆる弁証法的行動療法であるとかメンタライゼーションといった理論と療法については高額な医学書を大量に購入してサーヴェイしているし、また、それを人口に膾炙させるために活動しているつもりである。
でも、実際。
メンヘラ神は死んじゃったよね。
はるしにゃん君に全く落ち度がなかったってわけじゃないだろう。
っていうか何でメンヘラと交流するんだろうか。やっぱりヤレるからなのかな。
精神医学の知識をばら撒き、メンヘラとセックスするメリットを享受しておきながら、メンヘラを批判し、メンヘラを善導しているから俺はオッケーってどういうスタンスだよ。メンヘラとセックスできることがメリットなのかどうかはさておき。
さらにさらに、はるしにゃん君の行く手を阻むものは次々と現れる。
はるしにゃん君は2月11日に、マネージャーを務めるカフェバーで「インテリイケメンツイッタラーによる一日限定ホストクラブ」というイベントを開催しようとしていた。
明らかにメンヘラを集めて搾取しようというイベントだけど、さっきの「メンヘラとレイシズムについての所感と応答」によるとはるしにゃん君は「私としては一方で啓蒙的にコンスタティヴな文章を書き、他方でパフォーマティヴには「ボダはあまり私に関わらないで」といったパフォーマンスをせざるをえない。」らしい。ホストイベントにボダ来るだろうし、キャストもボダっぽいじゃねーか。
で、はるしにゃん君はイベントのキャストの知人友人にセクハラを働いていたみたいで、団結したキャスト達にそれを暴露されてしまったようだ。
ところが、このキャスト達ははるしにゃん君からドラッグを貰っていたようで、はるしにゃん君にそこを突かれると逆らえないようだ。
便乗して、同人関係ではるしにゃん君と揉め事があったホリィ・センがはるしにゃん君を批判しようとしたけれど、私怨だし、アスペだしで不発に終わってしまった。
きっとはるしにゃん君のセクハラは事実だろうし、暴言を取り消すつもりはないようだし、そして自ら公言しているように彼はドラッグをやっている。
だから、彼を批判したければ、その3点を攻撃すればいいというのに、批判者はザコばかり。
だからはるしにゃん君は怒っている。
はるしにゃん君の論法は、ジャーゴンに次ぐジャーゴン、パラフレーズに次ぐパラフレーズ、そして脈絡なくホストクラブやドラッグの話を持ち出し、相手の理解が追いつかないところが一点でもあれば封殺するというものだ。
宮台真司譲りのこの論法をどうにかできる人が現れるまで、ヲチを楽しみたい。
http://twitter.com/hallucinyan/status/562904272363614208
【無限への飛翔 集合論の誕生 (大人のための数学 3)/志賀 浩二】を読んだ本に追加 →bookmeter.com/b/4314010428 #bookmeter
http://twitter.com/Back0126/status/562961572063375360
@hallucinyan こうやって、数学にいい加減な哲学かぶれが生まれると思うと感慨深い 数学に関しては、じっくり真摯に読むことをお勧めします
http://twitter.com/Back0126/status/562975033807884289
@hallucinyan おお、ブロックされた その程度か
http://twitter.com/Back0126/status/562978566921793538
@hallucinyan 高校数学を勉強したからと言って、集合論を含む専門的な数学を斜め読み程度で理解できるといういい加減な考えをバカにされてるわけです
http://twitter.com/hallucinyan/status/562971657800024064
馬鹿はすぐにソーカルがどうとか言い出すが、そもそもお前どの程度ソーカル読めてて理数的に優秀でそのうえで人文社会科学への理解あるんだという話。
http://twitter.com/Back0126/status/562978789643550720
@hallucinyan ソーカルの言明程度なら、大学数学をきちんと理解していれば誰でも理解できますよ わからないんですか?
http://twitter.com/hallucinyan/status/562972324442681344
日本におけるサイエンスウォーズでは浅田彰と山形浩生の位相幾何学問題があったわけですが、それも浅田は間違っていなかったという形で終焉を迎えましたし、彼もそもそも経済学部でゲーム理論やっていたわけです
http://twitter.com/Back0126/status/562979281123684353
@hallucinyan しかし、浅田氏が理解していたわけではない、概ね菊池先生のフォローによるものだ、という考えが一般的なようですね
http://twitter.com/hallucinyan/status/562972928057561089
hallucinyan:そして日本において最も早くソーカル事件を紹介したのもポストモダン系の人間でありそして一定以上はきちんと真摯にそれを受け止めたように思われる。
http://twitter.com/Back0126/status/562979357300641793
@hallucinyan え?
http://twitter.com/hallucinyan/status/562974083143704578
そして「××は間違っている!」とばかり声高に言いたがる奴は大概自分から生産的なことを言えないので、きちんと内容のあること言ってその次に批判すると良いんじゃないかと思います。当事者含めた全員のために。
http://twitter.com/Back0126/status/562980233218109441
@hallucinyan 間違っていることを間違っていると指摘することは、当人が生産的かどうかと無関係に指摘していいんじゃないですか?少なくとも、真偽の判定が比較的易しい数学においては
http://twitter.com/Back0126/status/562980757292191744
@hallucinyan というわけで、とりあえずこの辺りでやめておきましょう 貴方が数学に関していい加減なことを言わない限り、今後リプライしません
http://twitter.com/Back0126/status/562981991889784832
はるしにゃん(@hallucinyan)という人物が、数学をいい加減な理解に基づきいい加減に発言しているということが、概ねはっきりしたようだ
ディベート部と同じで、高校数学をやっていたからって乱暴に数学を語っていいということじゃないけど、はるしにゃん君の勢いは止まらない。