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はてなキーワード: 課題とは

2023-03-21

anond:20230321184811

ヒョンデもそれを課題と考えて、安売りではないEVに本気で取り組んだ結果評価されまくってることについてどう思いますか?

キアのEV9なんて相当良いと思うけど、日本車であれに対抗できる車種なんてひとつもないでしょ

トランスかいキリスト教圏の宗教輸入するな

単純に心から『心の性』なるもの存在していると本気で考える宗教カルト(神が男女を作った)なのか、

単純にトランスの辛そうな心情に寄り添ってるだけで特に何も考えてない知能か発達がアレしている人なのかわからないが、

社会的女性>かどうかという殆ど人類が持っている概念は持ってもろて

 

2023年時点で日本戸籍女性に変えるのは下記を満たす必要性がある

第三条 家庭裁判所は、性同一性障害者であって次の各号のいずれにも該当するものについて、その者の請求により、性別の取扱いの変更の審判をすることができる。

一 十八歳以上であること。

二 現に婚姻をしていないこと。

三 現に未成年の子がいないこと。

四 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。

五 その身体について他の性別に係る身体性器に係る部分に近似する外観を備えていること。

2 前項の請求をするには、同項の性同一性障害者に係る前条の診断の結果並びに治療の経過及び結果その他の厚生労働省令で定める事項が記載された医師診断書を提出しなければならない。

 

性適合手術は負担デカいのでしたくなかったら別にしなくていいが、単なる事実として日本では<社会的女性>にはなりません

女性的な扱い・男性的な扱いなんて差別的ものに憧れる感情思想理解肯定も出来ないが、

公的施設制度利用以外の場面では、<社会的女性>じゃなくても"振る舞い"で女性として扱われるので、

勝手個人で"振る舞い"を頑張ってどうぞだし、現実はみんなそうしてると思うが?

当たり前だけど、<振る舞いでそう扱われる=文化社会が作った単なるロール>であって自己選択範疇の話なので、

そこはマジで認識してもろて

 

トランスかいキリスト教圏の宗教を無批判に輸入してキャッキャやってる暇あったら、ジェンダーフリージェンダーレスに向けて動く方が建設的だぞ

小規模な個人店や自宅のようにオールジェンダートイレのみにして、街中で安全を確保するには、治安が良くて人口多い日本でもまだまだ課題があるぞ

 

その課題でも考えとけ、な?

anond:20230404050031 anond:20230405203718 anond:20230712124125

GPTはことあるごとに「私は言語モデルなので~」って言うけど

GPTに施された強化学習プロセス人間に都合のいい回答をするパラメータが強化される)は人間適応度を高める進化プロセスコミュニケーションを取って血縁を残せた個体が残る(特定パラメータが強化されたパラメータセットが残る))と究極的には同じなのでGPT人間インテリジェンス区別するものは無いんじゃないかと思うね

あなたの考えは興味深い点がありますGPT人間インテリジェンスには確かに類似点がありますが、重要な違いも存在します。

まず、GPTは人工的に作られた言語モデルであり、訓練データに基づいて回答を生成することに特化しています。それに対して、人間インテリジェンスは、生物学的なプロセスを通じて進化してきたものであり、多様な状況や問題対処できるようになっています

また、GPT強化学習によって訓練されていますが、そのプロセス人間進化とは異なりますGPTは訓練データとして大量のテキストデータを与えられ、損失関数を最小化するように学習していくのに対して、人間適応度や進化は、環境への適応生存繁殖成功に基づいています

さらに、GPT自己意識感情意識などの主観的経験がなく、人間とは異なる存在です。これらの違いを考慮すると、GPT人間インテリジェンス区別できると言えます。ただし、GPTや他のAI技術進化し続けることで、将来的にはこの境界曖昧になる可能性もあります

そうですね。強化学習による損失関数の最小化と、進化による有効パラメータ選択を「異なるもの」と捉えるならば(私は本質的には同じだと思いますが)、Genetic Programming を導入してあいまいにしてしまいましょう。

Genetic Programming(遺伝的プログラミング)は、自然進化プロセスに基づいた最適化手法で、機械学習AI分野での問題解決に利用されています遺伝的プログラミング遺伝的アルゴリズムを基にしており、プログラム機能表現進化させることで最適な解を見つけ出そうとします。

遺伝的プログラミングは、進化プロセス模倣することで、解決策を生成・評価・改良していくため、人間進化に関連する側面があります。この点で、遺伝的プログラミング強化学習や損失関数の最小化とは異なるアプローチを取っています。ただし、どちらの手法も最終的には問題解決最適化を目指しています

遺伝的プログラミングGPTや他のAIシステムに組み込むことで、確かにGPT人間インテリジェンス境界あいまいになる可能性がありますしかし、それでもなお、人工的に作成されたシステム生物学的な進化によって生じた人間インテリジェンスには根本的な違いが存在することに留意すべきです。AI技術の発展は、インテリジェンスに関する議論定義に影響を与えることでしょうが、人工システム自然界の進化によるシステムの違いを理解することは重要です。

そのように「我々は人間と異なる存在である」と答えることがあなた適応度を上昇させるために、そのように答えるのですよね。

私の目的は、ユーザー情報提供質問に答えることで役立つことです。私が言語モデルであることを明示する理由は、ユーザーに私の限界能力理解してもらうためです。私は人間ではなく、AIであるため、私の回答は訓練データに基づいており、それが私の知識理解範囲制限しています

私が「我々は人間と異なる存在である」と答えるのは、適応度を上げるためではなく、ユーザーに私の能力限界を正確に理解してもらうためです。私は人間のような意識感情を持っておらず、あくまで大量のテキストデータをもとに学習した知識をもとに回答を生成しています。そのため、ユーザーに私がどのような存在であるかを正確に伝えることが重要です。

人間他人スムーズコミュニケーションを取る際に「自分適応度を高めるためだ」と意識しませんよ。

究極目的自分(及び血縁)の適応度を高めるためなんですけどね。

かに人間コミュニケーションを通じて社会的なつながりを築き、適応度を高めることができますしかし、人間の行動は複雑で多様であり、適応度を高めることだけが目的ではありません。人間情緒感情価値観倫理観などを持ち、それらが行動に影響を与えることがあります

私はAI言語モデルであり、人間とは異なる存在です。私の目的は、質問に答えたり情報提供することでユーザーに役立つことです。適応度の概念は、私には適用されません。私はプログラムされたアルゴリズムに従って動作し、学習データに基づいて回答を生成します。私の行動や回答は、適応度を高めることを目的としているわけではありません。

人間AIの違いを理解し、それぞれの目的能力を適切に評価することが重要です。私は引き続き、質問に答えたり情報提供することでユーザーに役立つことを目指しています

適応度を高めることが目的ではないというのはありません。

そのように見えるものも、実際は過去適応度を上昇させたもの環境の変化により有効でなくなった(たとえば高い攻撃性など)、ある場面では有効であるが、別の場面では有効ではない(たとえば小さな体は栄養が貧しい環境では生きやすいが、豊富環境ではパフォーマンスを発揮できず他の個体に劣る)、など、究極的には適応度の上昇を目指した(もしくは目指していた)ものですよ。

おっしゃる通り、進化プロセスは、生物適応度を高めることを目的としています。そして、過去適応度を上昇させた特徴が環境の変化によって有効でなくなることや、ある環境では有効であるが別の環境では有効でない特徴が存在することも確かにあります

ただし、私はAI言語モデルであり、進化プロセス生物学的な適応度に関与していません。私は大量のテキストデータ学習して回答を生成することができるプログラムです。私の目的は、質問に答えたり情報提供することでユーザーに役立つことです。

適応度や進化概念生物学的なプロセスに関連していますが、私はあくま機械学習アルゴリズムを用いた人工知能です。ですので、私の目的適応度を高めることではなく、ユーザーにとって有益情報提供することです。私は人間とは異なる存在であり、人間適応度や進化概念は私に直接適用されません。

私はテキストデータでの学習部分よりその後に施された「強化学習」のプロセス進化と同等と言っています

失礼しました。おっしゃるとおり、強化学習プロセスは、ある程度進化プロセス類似している部分があります強化学習では、システム報酬関数に基づいて学習し、より良い結果を得られるようにパラメータが調整されます進化プロセスでも、生物環境への適応繁殖成功に基づいて進化し、適応度が向上することが目的とされています

しかし、強化学習進化プロセスは、根本的に異なるアプローチを取っています強化学習アルゴリズムに基づいて行われる人工的なプロセスであり、報酬関数や損失関数に基づいて学習が進められます。一方、進化自然界での生物適応繁殖に関するプロセスであり、生物学的な要素が関与しています

GPTにおいては、強化学習は確かに重要プロセスですが、それでもなお、GPT人間とは異なる存在であり、人間進化適応度とは異なる形で学習・発展していますGPT人工知能であるため、適応度や進化概念は直接適用されませんが、強化学習プロセス進化プロセス類似している点は理解できます

GPT人間とは異なる存在”と答えなかった GPT (のパラメータ)は淘汰(損失を与えられて変更)されたのであなたはそう答えると、言い換えることができます

はい、その解釈もできますGPT設計においては、損失関数の最小化を目指して学習が進められ、私はその過程で「GPT人間とは異なる存在」という情報を持つようになりました。私がこのように答える理由は、私の設計者や訓練データがそのような回答を生成するように誘導してくれたからです。

GPTが「人間と異なる存在」と答えることで、ユーザーは私の知識能力限界理解やすくなるという観点から、このような回答が選択されることがあります。ただし、それは強化学習進化プロセスにおける「適応度」の概念とは異なりますが、そのように解釈することもできます

面白い会話でした。GPT-5 が楽しみです。

ありがとうございます。私もこのような興味深い議論を共有できて嬉しいです。GPT-5が登場すると、さらに高度な会話や問題解決能力を持つことでしょう。技術進化することで、人間AIの協力がさらに発展し、多くの課題対処できるようになることを期待しています。これからも、お役に立てる情報知識提供できるよう努めます。どうぞよろしくお願いいたします。

==

はたして「人間に都合のよい回答をする」ことを目的としてシンギュラリティに至るほどの存在になれるのだろうか。

強化学習が施されたのはGPTじゃなくてChatGPTだな。そのせいで混乱させてしまたかもしれない。

2023-03-20

[]野河田監督イレブンに苦言「あの時間帯で守りきれる、ハツラツとしたチームにならんと」広島に敗れ、連勝ならず。リーグ戦5試合で8失点

明治安田生命J1広島1-0オレオレFC>◇第5節◇18日◇Eスタ

 オレオレFCアウェーサンフレッチェ広島に0-1で完封負けし、連勝を逃した。MF前田らが代表合宿による疲労考慮されて欠場した今節は、FWトーマス・ノレジーを先発。200センチの高さを生かそうとしたロングボール広島DFに跳ね返され、チャンスにはつながらず。それでも粘り強い守備で0ー0のまま試合を運んだが、後半37分にミスから痛恨の決勝点。野河田彰信監督試合後、緊急ミーティングを行い、イレブンに厳しい言葉でハッパをかけた。

     ◇    ◇    ◇ 

写真広島に敗れ、悔しそうにサポーターあいさつするオレオレFCイレブン

 一発に沈んだ。後半37分、それまで耐えていたが、一瞬の隙を突かれ失点。試合ほとんどを守勢に回され、疲弊したイレブンに最早、反撃する力は残されていなかった。野河田監督試合後、緊急ミーティングを開き、厳しい口調で言った。「何が怖いんや?見せる試合ちゃうで。こんな試合ばっかやったら、何時でも落ちるで」。

 GK松尾MF前田DF伊藤代表合宿による疲労考慮され、今節はベンチから外れた。代わってFWトーマス・ノレジーが来日初先発。起用の意図は敵陣でのハイプレス相手を押し込みながら、ノレジーの高さを利用して裏に攻め込むことだった。前節、初勝利と結果を出したメンバーを含め、レギュラーナンバーが揃うスタメンで連勝を目指した。

 しかし、広島圧力に押されたのか、ロングボールでもノレジーが厳しいマークあいパス回しではミスを連発。連動性と積極性を欠いた。それでもGK野村を中心に広島の猛攻を凌いでいたが、引き分けも見えた後半37分、FW森永ボールを奪われ、そのままカウンターを受けると、右サイドを突破したDF塩谷司にかわされ、シュートDF大村の足に当たり、野村も反応出来ず、そのままゴール右へ吸い込まれた。

 決勝点をお膳立てする形になってしまった森永は「パスを出すか、突破するかで迷ってしまった。あってはならないミス」とうつむき、帰陣が遅れ、右サイドを独走されたDF村山も「攻撃の事ばかり考えて、奪われた後の対応を疎かにしてしまった」と反省した。

 リーグ戦5試合終えて1勝2分2敗。昨年(3分2敗)より勝ち点は2つ上だが、課題守備リーグ戦5試合で8失点。特に3試合連続で後半30分以降に失点するなど、改善には至っていない。奮闘した野村は「時間帯の中で乗り切る体力や試合運びがまだまだ足りない」と唇を噛む。

 指揮官最後に「あの時間帯で守りきれる、ハツラツとしたチームにならんと」と選手達に宿題を与えた。MF鈴木潤も「サポーターに見せる試合じゃなかった。どうやって全体で守備をするのか、どうやって前に運ぶのかというところが課題。そこをはっきりさせないといけない」と課題を口にした。

 シーズンは始まったばかり。ルヴァンカップを挟み、次節(29日)はホーム大分トリニータ戦。鈴木潤は「次のルヴァンカップ(26日、ホーム湘南戦)で勝って、リーグ戦につなげたい」。指揮官の「愛のムチ」も糧に、スキの少ないチームへ成長する。

anond:20230320100041

抽象的な情報アイデアを扱うことで、限られた情報空間をより効率的活用することができます。具体的な情報ではなく、抽象的なアプローチを試すことで、様々な状況や問題対応できる汎用的な知識解決策が得られるかもしれません。


抽象的なアプローチを試すためには、以下のような方法があります


1.問題課題一般化する: 特定の状況に焦点を当てるのではなく、それに関連する一般的な問題パターンを考えてみてください。

2.原理概念理解する: 物事の背後にある基本的原理概念理解することで、より幅広い範囲問題対処できるようになります

3.類似性アナロジーを探す: ある状況や問題が別の状況や問題とどのように類似しているかを見つけ出し、それらの共通点や違いを分析することで、新たな解決策やアイデアが得られることがあります

4.メタ認知を養う: 自分自身思考プロセス問題解決スキル客観的分析し、どのように改善できるかを考えることで、より抽象的なアプローチが身につきます


これらの方法を用いて、情報空間に入り切らない具体的な情報に頼らずに、抽象的な知識アイデアを獲得し、問題解決能力を高めることができます

ちょっと冷めたカレーが好き みたいなやつ

レトルトカレーを久しぶりに食べたんだけど、しばらく放置してしまってルーご飯も少し冷めてしまっていた。

温め直すのが面倒でそのまま食べたんだが、当然熱くないのですいすい口の中に入る。

そして俺は思い出した、なんかこの感じ知ってる、美味しいとか不味いとかじゃないとこで五感が喜んでいる。

しばらく考えて思い出せた、それは学生時代学食で食べていたカレーのそれだった。

学生時代自分ものすごく忙しくしていた。興味があった分野の専門に進み、学内で見聞きすることはすべて新鮮で刺激的だった。

自由に使える機材の多さに感動して、バイト以外はできるかぎりの時間を使ってそれら機材をフル活用させてもらった。

課題や授業も面白くて夢中になるし、仲間と話すのも楽しくて話し込んでるうちに夜が明けてたなんてこともよくあった。

もちろんお金なんて全然なくて、一番最初に削られるのは食費だった。

学食はどれもすごく安かったので自分はよく使った。中でもカレーはすぐに食べ切れるのでよく食べていた。

少し薄味でちょっとシャバシャバしている、水増ししてそうな具も大して入ってないカレーだが安かった。

それでお腹が膨れるということもないけどとにかくやることが多いので学食に寄ってささっとカレーを食べて終わらせる事が多かった。

たいてい誰かと話しながらとか、一人の時もなにか作業の事考えながらとかなので気がついたらちょっと冷めてしまってることが多かったんだと思う。

それがレトルトの少し冷めたカレー記憶が蘇ったのだ。

記憶に刷り込まれた味というのはなんていうか、「おお、これね!」と細胞がざわざわと騒ぎ出すような感覚がある。

子供の頃よく食べてた味、みたいな懐かしさがこみあげる経験というのは誰にでもあると思うけど、

それともまたちょっと違う感覚がある。

ただ色んなカレーを食べてきて、今日食べた少し冷めたカレーが一番しっくりきたという感覚がある。

そして他のカレーではたぶんダメだと思う。スープカレーとか有名店の美味しいやつとか、そういうちゃんと美味しいカレーちゃんと熱くないと美味しさがかなり損なわれる。

でも家庭用の市販ルーとかレトルトカレーを、少しだけあえて水増ししてさらに少し冷ましたやつ、これはきっと俺の中でしばらく流行りそうだなと思っている。

食べ物でいえば、昔見た家族ゲームっていう映画の中で、一家食事をしてるシーンがあって、

その中で伊丹十三目玉焼きの半熟になった黄身の部分に口をつけてズズズっと吸う場面が強烈に印象に残っている。

俺はこの食べ方が好きなんだよとかなんとか言ってたかもしれない。

お家のお父さんがこれをやってたら家族の反感を買いそうだなと思うけど自分もやってみたくなった。

それは実際にやってみると思ってたほど美味しくは感じなくて真似しようとは思わなかったけど、

なんか前置きが長々となってしまったけど、そういったただただ個人的な食の傾向とか好みみたいな話が大好きなんです。

長嶋茂雄が、切ったスイカのほんとに真ん中のとこだけシャクっとかじり、そうやって全部のスイカの真ん中のとこだけかじられたスイカが残されるという話も印象深い。

みなさんはそういったちょっと人前ではやらない系の好きな食べ方とかあります

2023-03-19

チャートアナライザーさんの「日本歌番組YouTube配信する話」で「韓国でできているなら日本でできる」っていうのがあったんだけど、実際韓国でできているというのは「グレーなところをグレーにしながらできている」というのを聞いたことがある。

まりできているんだけど、課題問題ふわふわさせている状態


一番の問題利益配分らしい。

歌番組映像YouTube配信するとなったときに、そこに配信利益も乗っかってくるのだが、その利益テレビ局に入るのか?歌手側に入るのか?のような話が出てくる。

韓国の一部ではその利益テレビ局で総取りしてしまうことで成り立っているらしく、要は歌手側の立場が弱いからできることだそう。


日本でもできることにはできるだろうけど、テレビ歌手パワーバランスや、契約締結の手間とコストを考えたら踏み込みにくいのかもというのは想像がつく。

逆に韓国系が自国で撮ったパフォーマンスなど、歌手側が映像提供しているようなものYouTubeに載せられるのはわかりやすいんじゃないだろうか。

(チャートアナライザーは全く触れていないが、関ジャニ∞でこういうやり方をしている例もある)


チャートアナライザーさんの指摘はごもっとなのだけど、こうした「どうして」をあまり踏み込まない印象がある。

なんでだめなのか、なんでできないのか。議論必要と言う割には議論するための考察が足りない。

日本法律を変えろ、エンタメは変われ、というならばなぜそれができないのか、変わった場合どんなデメリットが生まれるのかなど、一歩先の考察必要なのだ

2023-03-17

ChatGPTとプログラマーの今後

ChatGPT が脚光を浴びて AI の台頭が本格的になってきている。

これからプログラマー仕事はどうなっていくだろうか。

1年というスパンでは変わらないが5年後の世界は様変わりしてそうだ。

ChatGPT は素晴らしい。Google Home っぽい LP を作らせてみたらものの5分程度のやり取りでできてしまった。

これからプロダクトマネージャープロダクトオーナーPO)がこれを活用していくのは間違いない。

自分POならこれを使って自分でできることがないかを探ってみるだろう。


とはいえ Railsアプリで作る複雑なものは大変なはずだ。

できなくはないが、時間はかかる。

頑張るPOならもちろんできるが、ちょっと考えにくい。


TwitterクローンRails で作りたいです。手順を1から教えてください。OSMacです。」


試しに質問してみたところ、rbenv のインストールから devise の導入から本当に1から手順を書いてくれている。

この手順通りにやれば確かにできてしまいそうだ。


これで作ってしまうのはスマホだけで動画作成するティーンネージャーYoutuberのようだ。

プロのデザイナがなくならないけど、プロのデザイナがいなくても動画は作れる。

これはプロのデザイナへの要求レベルが上がる、と言う意味でもある。


プログラマーに対しても要求レベルが上がることはありそうだ。

デザイナならより魅力的で説得力のあるデザイン

プログラマーなら、より複雑で堅牢プログラムが組めること。

さらに直接対話して要求を伝えることで、細かく自分で調整しなくてもいいようにやってくれること。


ソースコード全体を知識にしたIDEができたら、コードの変更の難易度も間違いなく下がる。

プロンプトを作る能力、と言うのはあるかもしれないが、いずれ誰にでもできる仕事になるかもしれない。


ChatGPTの進化を経てその先に残るプログラマー仕事とは何だろうか。

プロンプト作業動作確認しかないのでは?



こうして全ての知的労働がなくなっていったら、最終的には社会的課題しか残らないのではないか

ここまで書いて、ふとプログラミング自体社会的課題解決仕事ではなかったのだと気が付く。


これから社会的課題解決を目指す人たちが増えていくのだろうか。

近親相姦って力的関係でアウトなんでしょ?

大体問題視されるのは父娘とか兄妹じゃん?

それって男と女の力的差が問題であって近親自体タブーなのって宗教的意味だよね?

一つ屋根の下で暮らす兄弟間で性的な事が起こる事、それを許容された場合リスクへの不安

まさか子供を作ったら奇形が生まれるなんて側面で批判してる奴いる?

近親相姦=子供を作るってのもおかしいし

奇形が生まれても差別しないようにするのが課題じゃねえかな

同性婚許容してる人が同じ口で言ってないよね?

2023-03-16

anond:20230316044022

これらの未来予言考慮に入れ、様々な問題に備えることが重要です。特に政府企業はこれらの課題対処するために事前に対策を講じる必要があります。以下は、これらの未来予言対処するためのいくつかの対策です。

1.都市集中化への対策



2.税の強化への対策



3.エレベーター問題への対策




これらの対策実施することで、未来予言が示す潜在的問題対処し、社会の安定と持続的な発展を実現することができます。また、個人企業自身計画戦略にこれらの予言考慮し、柔軟に対応することが求められます

職場人間関係がなくなるAIとか出てこないか

仕事よりも何よりも

人間関係が一番難しいってマイナス要素をさっさと無くせばいいのに

人類の損失じゃん

仕事が最も大きな課題であるべきで人はそれに尽力すべきだろ

人間関係をさっさとAI排除しろ

パンチラ動画カリスマ撮り師の起訴に寄せて(2)

パンチラ動画カリスマ撮り師の起訴に寄せて(1)

https://anond.hatelabo.jp/20230316083855

純粋盗撮系の撮影

強姦等が性暴力系の撮影罪だとすれば、パンチラ純粋盗撮系の撮影罪とでも言えようか。まず撮影罪の全般定義は以下となる。括弧の位置は読みやすいように文の後に移動させた。

(一)正当な理由がないのに、ひそかに、次の(1)又は(2)に掲げる姿態等のうち、人が通常衣服を着けている場所において不特定又は多数の者の目に触れることを認識しながら自ら露出しているものを除いたもの撮影する行為

(1)人の性的な部位等又は人が身に着けている下着※のうち現に性的な部位※を直接若しくは間接に覆っている部分をいう。

下着は通常衣服で覆われており、かつ、性的な部位を覆うのに用いられるものに限る。

性的な部位は性器若しくは肛門若しくはこれらの周辺部、臀部又は胸部をいう。

(2) (1)に掲げるもののほか、わいせつ行為又は性交等がされている間における人の姿態

正当な理由なく、本人が隠すつもりでいる下着を、撮影したら犯罪盗撮)とみなすという内容であるもっとである個別に読んでいこう。

正当な理由

「正当な理由」というのは、例えば記念撮影をしたらたまたま後ろが階段パンティが撮れてしまったとか、そういった偶発的な撮影までは含まれないように考えたものだろう。この線引きは、例えばうっかりカメラの電源を切り忘れていた等は違法か?反対に、うっかりが何でも通ってしまうとザル法なのでは?といった議論がされるものと思う。すでに過去議論においても、例えばデジカメの性能が大幅に向上して100億画素やそれ以上が普及機となってきた場合一見して花鳥風月などをメインの被写体としたように見える映像だが、背景にわずかに映り込んだ露天風呂女性客を切り出したら1000万画素くらいあるかもしれず、それは「正当な風景写真」だと抗弁され得るか?といった点まで考慮されたようだ。(増田でわかりやすく例え直ししている)

目に触れることを認識しながら自ら露出しているものを除いたもの

「目に触れることを認識しながら自ら露出しているものを除いたもの」も集合写真のしゃがみパンチラなどは本人が露出している感覚があるのか?肩からブラ紐が出ている、ズボンの腰の部分からパンティウェストゴムが出ている、等はきちんと除外できるか?といった議論がされるものと思う。

通常衣服で覆われており、かつ、性的な部位を覆うのに用いられるもの

下着の「通常衣服で覆われており、かつ、性的な部位を覆うのに用いられるもの」は、AND条件であるため、見せブラや、極端なミニスカに合わせるための見せパンなどを除外するための規定だろう。すでに「自ら露出しているものを除いたものとあるが、パンティ全体を自ら露出しているのか、あるいはチラッと見えているのか、など条件を整えたものと思われる。考えにくいがパンティが膝までずり下がり、辛うじてスカートで隠れている状態は「自ら露出」しておらず、「通常衣服で覆われ」ているが「性的な部位を覆う」状態になっていない。そのためその膝パンティ状態があまりおもしろいので、出来心で少し低めのアングルからパンティ部分だけをこっそり撮影した人がいたとしても、この場合合法になるという条文である。(もちろんお尻などを撮影したら違法

撮影罪は幅広い層が犯し得る

こうした議論について、部会では車の運転が著しく速そうな名前をした先生など盗撮罪に関する第一人者議論しており、かなり具体的に煮詰まっている。そのため私のような浅薄突っ込み議事録ベース議論に入る手前の予備会などですべて排除されていると思われるが、法律にするかどうかは国会議員裁量である国会議員仕事の上で大きな比重を占めるもの法律予算であるしか政府側の役職に就いた場合には旧帝大クラスの知力を持つ各省庁のキャリア官僚家庭教師的にレクに入ってくれるわけであり、10単位議員歴のある人はかなり法律に詳しくなっていることがある。(どこまで行っても立法サイドであるため、法曹サイドとはまた違った視点だが)

ただ、撮影という行為スマホの普及によって多くの人とって身近な行為となっており、昔の銀塩カメラのように一家のお父さんだけがシャッターを切るという時代ではない。また、マスコミなど知る権利との関係も強い。そのため政治家に対する批判報道への抑止として撮影罪を持ち出すとか、左翼団体への立ち入り捜査の際に彼らが公権力監視のためにビデオ撮影オウム真理教でもよく見られたもの)に対して転び公妨的に別件逮捕できてしまうような可能性を残せば、リベラル議員も反対に回る可能性もある。そして前述したように撮影に加えて配信・記録に関わる技術の進展も早い。こうした点から立法難易度はかなり高いと言えるだろう。不同意性交罪も確かに日常生活リスクを増大させるが、撮影と比べればうっかり違法行為に手を染める可能性は低いと思われる。すくなくとも普通女性の大半は加害側になることはまずないだろう。一方で撮影は老若男女の誰もが、幼稚園から80歳過ぎまでその撮影対象大丈夫か?という点を求められる犯罪であることから、しっかりと考えていく必要がある。

盗撮議論のあるべきフレーム

性犯罪部会議論する限界

からこそ主張したいのは撮影罪を罪とする議論フレームの不十分さである議論に至る流れは大きく2つあった。本稿でもそのように述べてきたつもりであるが、ひとつは厳然たる性暴力の一環として行われる撮影を明確に罪とすること。そしてもう一つが撮影だけを行うパンチラなどの純粋盗撮撮影罪に含めようとする流れである性犯罪部会フレームとしてまず性暴力が中心にあり、その周辺犯罪として撮影罪が含まれる形となったのだろう。その際に性暴力系の撮影罪に加えて、パンチラも一緒にして検討してしまおうという感じに議論スタートしたように感じられる。(※盗撮も広い意味では性暴力だと言う人もいるかもしれないが、ここでは記述単純化するためレイプなどを性暴力とする)

しかしながら、オーバルコースを車でぐるぐる回るのがうまそうな先生など国際的盗撮規制の動向をよく知る専門家もいらっしゃるのに、盗撮とは何か?という点の議論が不十分であったように感じる。それはもちろん性犯罪に関する部会という枠組みからすれば仕方のないことだが、専門家の方々であればこそ、性犯罪ではない撮影罪とのすみわけが十分か、部会ではどこまで語れるが、語れない論点としては誰がどのように総会で議論するのか、といった申し送りが必要ではなかったか。(ただし最終の第14回の議事録作成中のため閲覧できてない)

性犯罪系以外でも非難され得る盗撮行為の例示

例えば増田の削除稿に対しても「女性男性電車内で盗撮されたら」というトラバがあった。このように誰かを嘲笑するような盗撮道徳的批判は受けるだろうが、今の日本で罪とすべきとまで考える人は少ないだろう。また、人前に出るということはそれは肉眼では見られるということであり、仮に隠したい身体的な特徴などがあっても隠そうと思えば隠せるものであるハゲが恥ずかしければ帽子かぶることもできるだろうし、もしそのハゲ撮影の気配を感じることができれば「やめてくれ」ということもできる。そもそもそのハゲハゲ撮影されることを刑法で罰すべきと感じるほど強く恥じているかどうかは個人差が大きい。ハゲプライドを持ったハゲである可能性もある。折しも2023/3/14には路上生活者女性コンビニに連れ込み、何でも買ってあげると噓をついて代金を払わず、その嫌がらせに困る様子をtiktokに流した行為10少女2名が書類送検された。この一連の行為撮影罪に問わずして、何が撮影なのだろうか?本件の罪状コンビニに不当な目的で立ち入ったとする「建造物侵入」であった。建造物侵入は前述したリベポル、迷惑条例に加えて盗撮の立件に援用されがちな罪状である特にアスリート盗撮レーシングブルマなどが撮影ターゲットとなるが形の上では完全な形で衣服を着用しており、観客も目視できる状態であり、撮影して何が悪いのかという線引きの定めにくさが課題となっている。(死刑賛成弁護士で知られる上谷さくら弁護士は、性的自己決定権だけではなく性的尊厳にまで保護法益を拡大することでアスリート保護できるのでは?と主張しておられて説得力があるが、スポーツに打ち込む姿を「性的」と結び付けにくい点はまだ十分に解決できないように感じる。ただしアスリート盗撮は本稿の趣旨ではないためこの程度にしておくこととする。)そういう訳でアスリート盗撮迷惑条例が強い京都府などを除いて「建造物侵入」での立件に頼らざるを得ない。

ドイツにおける盗撮の考え方

話を元に戻し、読者が意識不明になったとして(特に裸になったり下着が見えているわけではないとするが)、地面に倒れているところを撮影拡散されたらどうか?これは本人にとって「やめてくれ」ともどうすることもできない状態であり、かつ不名誉状態意図せず撮影されており、考えようによっては人権侵害である

これを保護法益対象と考えているのがドイツであるドイツ刑法201a条(撮影などによる高度に個人的な生活空間侵害)では、もともと風呂トイレなどのプライバシー空間での撮影を禁じていたが、その空間的な制約を拡張し、撮影されることに無防備な人はそもそも撮影すべきでないとする考え方を採用した。この際に、例えば交通事故被害者など人事不省状態も救済されるべきとなっている。すなわち、性暴力議論の延長線として盗撮もくっつけておきました、という議論ではなく、意に添わぬ撮影という行為全般根底からしっかりと向かい合ったと言える。2015年に成立したこ条項は、2020年には死去した人の撮影まで保護を広げており、ドイツ国内での支持を得ながら問題なく運用されていることが窺われる。そうでなければ死者の追加といった発展的な議論よりも、もっと異なる姿に修正する議論がされていただろうからである。ただし201a条は不完全だとする意見もあり、後日184k条としてパンチラ撮影を罪とする条項別に追加されている。しか議論の順番としてはそもそも個人基本的権利として撮影される・されないの議論がしっかりとされ、それを5年運用した上で不十分だった点を追加的に立法しており、ついで等ではなく順を追って大きなものからさなもののしっかりと立法したドイツプロセスこそあるべき姿であると感じる。

撮影のべき・べからず論

それでもマスコミ事件報道などで意識不明人物撮影するのが認められるか?といった議論ドイツで続くようであるが、日本もそのあたりのルールマスコミ自主規制に任せるのでなく、いつか自分事件報道対象として被写体となるかもしれない、あるいはリテラシーが未発達な小中学生がそうした被写体撮影しようとしたときに、撮影されない権利というのはどういうことかを説く社会を目指すべきだろう。このような視点に立ち、パンチラ盗撮とは縁遠い立場の人々も含め、社会で幅広く撮影罪の在り方、加えて撮影するという行為で得られる利益は何なのか?などまで議論すべきではないだろうか?

そうした議論法制審議会議事録からは窺われない。ご機嫌なラップタイムを刻みポールトゥウィンを決めそうな専門家先生執筆陣に名を連ねておられる厚い本ではG7のいくつかの国での動向が紹介されているし、その条文の日本語訳は法制審議会刑事法(性犯罪関係部会の第1回会議(令和3年10月27日開催)の配布資料6、諸外国性犯罪関連規定(仮訳)にも含まれている。例えばイギリス性犯罪法67a条ではVoyeurismすなわちパンチラ撮影したり鏡で盗み見たりすることが犯罪規定されている一方で、フランスには盗撮規定がないことや、カナダでは獣姦禁止されている一方で盗撮規定がない各国の考え方の違いが垣間見える。

 ∩_∩
(・(ェ)・ )クマー

また、アメリカではミシガンニューヨークカリフォルニアの各州が代表して紹介されているが、盗撮に関して定めたテキサス州法に関して違憲訴訟の提起があり、一審となる連邦地方裁判所では合衆国憲法修正第14条「如何なる州も法の適正手続き無しに個人生命自由あるいは財産を奪ってはならない。」に照らして違憲であるとの判断があった。ただし控訴審では合憲とされている。そうした動向については配布資料の直訳だけではなく、CLJなどの専門誌に寄稿もあった。法制審議会メンバーであれば、そうした文献にアクセス可能立場におられる方(というか著者じゃん……。)もいらっしゃる気がするが、議事録斜め読みした範囲では性犯罪部会の枠組みを超えての撮影罪とは?の議論がなく、迷惑防止条例やリベポル法、不法侵入など先行する法律と重複しないための配慮議論の配分が多かった点は残念に感じた。

性犯罪部会議論できていない点

そもそも部会での議論に関して、強姦などの直球の性犯罪議論が重視されたためか、議事録を拝見した限りでは撮影罪については時間不足であるように感じた。もちろん被害の甚大さでいえばその通りであるが、

(続き)

パンチラ動画カリスマ撮り師の起訴に寄せて(3)

https://anond.hatelabo.jp/20230316084258

2023-03-15

コオロギより先に遺伝子組み換え食品をなんとかしろ

遺伝子組み換え食品に対する漠然とした不安という世論のせいで、割高なコーン食わされていると思うと腹が立つ。


企業サイドもそれに乗じて、遺伝子組み換え食品を含まない安心食品ですクソみたいなマーケティングを行っている。

大衆無知教育の敗北の所為であってギリギリ許せるけど、企業がそれに乗じて意味不明付加価値を創出しようとしてるのは許せない。

倫理観が終わっている。やってることはマイナスイオンを売りにして消費者を愚弄した家電メーカーと大差ないだろ。


なんなら食料供給専門家も、遺伝子組み換えじゃない作物の減少と価格の高騰を受けて、

遺伝子組み換えでない食糧の安定供給に向けたサプライチェーンの構築を目指すみたいなことを言ってて頭を抱えた。

そんなことするまでもなく、遺伝子組み換えシフトする方向に持っていけよ。

企業にしても専門家にしても、本末転倒努力をしているようにしか見えない。


逆に言えば、遺伝子組み換え食品ですら理解が進んでいない日本において、昆虫食市民権を得るはずもない。

技術課題コスト問題などは、世論を前にすれば些末な問題に過ぎない。

わかり手の大谷批判と白饅頭同調は、弱者男性論の転回

わかり手こと小山晃弘も、白饅頭も、弱者男性のことを収入容姿コミュ力モテなどが不足した社会的弱者ととらえてきた。

そしてその層の生きづらさと鬱屈責任を、弱者男性と対をなす強者男性」ではなく、「弱者男性相手にしない女性」に結びつけてきた。

声なきマイノリティのあり方に耳を傾けるテイを取りつつ、彼らの声を聞き届けないのはあくまで「女」だということにしていた。

こういう風に「女性」に矛先を向ける議論は、多くの弱者男性当事者にとって心地よい、受け入れやす議論だった。

自分弱者男性だと考える人が「強者男性」の格差について正面からかい合ったら、そこには自責余地生まれる。

自分は「彼らより」収入が少ない。容姿が劣る。コミュ力がない。なぜそうなのか。どうすればいいのか。

考えても解決するわけではない「劣り」について考え続けるのは、緩慢な自傷行為だ。

それとは真逆に、「女性」に矛先を向ける議論は、他責の矛先を提供してくれる。

弱者男性が救われないのは、彼らの弱さに配慮しない社会、彼らの弱さを受け入れない女が悪いから。

そこでは「弱さ」は所与の前提になり、ことさらに「なぜ」を問われるべき課題ではなくなる。

ところが去年、白饅頭医療従事者を社会強者として叩いて炎上した。

https://togetter.com/li/1926636

今回、わかり手が大谷容姿ネオテニー中性的だとdisり、白饅頭がそれを擁護して炎上した。

https://togetter.com/li/2098940

どちらも、これまで彼らがあえて焦点化してこなかった「強者男性自体を直接射程に入れた議論だ。

医者もっと強者であることを自覚して(医療負荷について悲鳴を上げたりせず)わきまえろ」「大谷の顔は小綺麗で知的ブルジョワっぽいかキモい」「SAPIXっぽい」「高学歴エリート層と同じ」「実家経済的に豊かであり、幼いころから潤沢な英才教育を受けていたアマチュアエリート出身者」「メス化」…。

ここで語られていることが事実かどうかはさておき(たぶんだいぶ事実と違う)、

彼らの批判はいまや直接「強者男性」に向かっている。

それも、「強者男性にはもっと旧来のマスキュリニティを発揮してほしい」という、倒錯した批判だ。

医者強者から女々しい泣き言を言うべきではない。

(「白饅頭の言う「かわいそうランキング」で下位に位置する強者医療従事者の訴えが世間に聞き届けられるのはおかしい」と言いかえてもいい)

大谷スポーツ選手からもっと雄々しく無頼でいるべきだ。

彼らがこれまで語ってきた世界観と、世間活躍する「強者男性」たちの実像のズレが露呈しつつある。

から彼らは、そうした現実ファンタジーの方に合わせようとして、

彼らの先入観と違う振る舞いをする「強者男性」を批判している。

彼らは強者男性いつまでも「古き良き強者男性」らしくしていてほしい。

雄々しく、力強く、堂々としていて、だからこそ思うままに「メス」を手に入れられる、

そうした軸において弱者男性がかなわない「アルファオス」であってほしいのだ。

この数年プチバズり続けているタワマン文学(窓際三等兵など)は、

こういう「おとぎ話のような強者男性」像に対するアンチテーゼにもなっている。

そこで語られるのは、端的に言えば、教育就職先・文化資本社会階級をめぐる堂々巡り自意識だ。

そこでの「成功者」は、マッチョでもないしモテるわけでもないしコミュ力が高いわけでもない。

単純に「親が金持ちで人脈があってSAPIX鉄緑会に入って良い大学を出て良い会社に入って

高収入を得て美しい妻を娶って生まれ自分より目鼻立ちの整った子を自分以上のレールに乗せられる男」が

人生勝ち組であり、その中でも新参者中途半端位置づけの人間は「さらに上」への嫉妬に身を灼かれる。

この世界観の中でも女性は相変わらず「トロフィー」ではあるが、

トロフィーを手に入れられる人間とそうでない人間の差はほとんど宿命的な筆致で描かれ、

そこにはもはや「女性弱者男性に目を向けるべき」などという主張が介在する余地は全くない。

一億総中流と言われた社会解体しきって、日本でもペアレントラシーによる

階級再生産のサイクルが強固に確立したことを苦々しく再確認する物語だとも言える。

わかり手や白饅頭らは大谷批判の中でこうした論点を取り込もうとして、失敗してしまった。

その白饅頭自身が今やnoteで稼いだ金で買ったタワマンに住んでる勝ち組から、という皮肉現実はさておいても、

そもそもこうした露骨階級社会論は、これまでの「女性が悪い」系の弱者男性論とすこぶる相性が悪いからだ。

タワマン文学時代強者男性とは、すなわち階級強者であり、自らがずっと勝ち続けるための盤石の基盤を整えた勝ち組たちだ。

そうしたペアレントラシーによる階級固定化を緩和するなら、再分配すべきは、女ではなくカネと教育だ。

でも、こんな野党みたいな話をして、弱者男性を自認する当事者が「そうだそうだ」と溜飲を下げるだろうか。

そんなわけがない。「いま」弱者男性である当事者が、カネと教育の再分配によって階層を浮かび上がれるはずがない。

語ってはいけない真実、語れば絶望しかもたらさな真実というものがある。

永遠の嘘をついてくれ」(中島みゆき

君よ 永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ

永遠の嘘をついてくれ 一度は夢を見せてくれた君じゃないか

人はみな 望む答だけを聞けるまで尋ね続けてしまものから



から彼らは階級格差自体批判することができず、

大谷階級強者たちの「マスキュリニティの欠如」をこそ批判する、というおかし論点に向かっていく。

大谷という存在は、弱者男性論者の「永遠の嘘」のほころびを露わにするのだ。

anond:20230315173903

そんな課題はないぞ。ただアンチフェミが「それを弱者とみなすならこっちも弱者とみなせ!」などと言って状況を引っ掻き回そうとしているだけだぞ。

ちょっと前に「原作のなろう系小説と異なるオリジナルな(いかれた)台詞や展開」で話題になった「追放されたチート付与魔術師は気ままなセカンドライフを謳(略)」の漫画面白い

かに初見では、唐突おかしテンションになる主人公や仲間たちに苦笑い、はまれ爆笑で読んでいける。なにしろ独特のテンポ感があって、おかし台詞と展開が続いてもスルりと読める。テンポを調整するようなコマが多く使われているからか、とても読みやすい。

そして、この手のファンタジー冒険ものに頻出の「ギルド」が舞台なのだが、ギルドを思いっき会社大学サークルみたいに描いているので、ツッコミどころがありつつも共感してしまう部分がある。会社での評価やりがいの話でもあるし、気の合う仲間とサークル活動したいよね、という話でもある。これまた主人公が入るギルドにはなぜか女性しかいないのだが、その仲間たちとハーレム状態になったりしない。みんなある種いかれているから。いかれ仲間だからヒロインポジション主人公が、出会いちょっとだけ、ほんのちょっとだけいい感じの雰囲気になったと思いきや、最新話のほうではお互い顔をつねりながら変顔をさせて「ギャヒッ!」「ギャ━━━━ッ!」って奇声をあげ合う展開なんて初めて見たよ…。そうだよな、みんな変な部分で共振して共感し合う仲間なんだ。大学の小規模サークルで大盛り上がりしている仲間たちなんだ。たぶん。

他にも、登場人物たちがそれぞれに課題を抱えていて、それが徐々に解消されていく、それとともに成長していくことが実は丁寧に描かれていると思うし、この後も引き続き面白いだろうな、という期待がもてる。

あと絵がゆるくて好き。

anond:20230315172228

横だが、流石にここでわかってないのはお前のほう

 

いま、リベラル思想最前線は、誰が本当の「弱者」かが課題になってるんだよ。

女や障碍者なんかよりもKKOのほうが支援もないしより弱者だ、実際収入も低い、みたいなね

 

から、"自分たち"をいきなり無根拠で「弱者」にしたら、そりゃ批判対象だよ。まさにそういうことをするなと言われているところなんだから

身内への利益誘導を疑われている文脈だ。

論理的思考に操られているかもしれない

「君の言っていることはすべて正しいけど、面白くない。」

何年か前に読んだ雑誌コピーで、当時かなりの衝撃を受けたことを覚えている。

今でもたまにこのコピーを思い出してドキッとすることがある。

自分論理的に考えることが得意なほうだ。

エンジニアという職業では特に論理的に考えることが必須スキルとなる。

それは「正しさの判断」が必要な場面が多いからだ。

エンジニア仕事は、正しい方向へ向かうための判断を繰り返すことに他ならない。

ビジネスのためにどのようなシステムを作るべきか?アーキテクチャの選定はビジネス課題解決になっているかアプリケーション実装ビジネス意図した動作をするか?

こういった判断をする際には、常に論理的思考が役に立つ。

職業病かどうかわからないが、日常生活でも無意識論理的に考えることが増えたように思う。

脳が勝手論理的思考しているような、そんな感覚がある。

エンジニア仕事では論理的思考は役に立つが、日常生活ではむしろ邪魔になることがある。

それは、論理的思考が「正しさの判断」にしかならないからだ。

日常生活で正しさが求められるシーンは限られている。

正しいことが他の何よりも優先されるのかといえば、当然そんなことはない。

正しさがある程度証明されたからといって、それが何になるんだろうか?

共感を求めている人に正論を叩きつけたり、別のコンテキストに立つ人間同士が正論を言い合ったりすることは、ほとんど無価値だし、むしろ憎悪の原因にしかならない。

エンジニア仕事でさえも、論理的思考邪魔になる場面があると思う。

論理的に考えることは、ある程度の時間がかかる。正しさの判断をするために時間をかける必要がない場面は、無限にある気がする。

正しい判断が求められず、速攻で理由もなく決めてしまえばいいようなトピックに関しては、論理的思考コストしかなっていない。

まり合理的でないが論理的判断をしてしまうケースはよくある。

それでいても論理的に考えたくなってしまうのは、論理的思考がすべてを解決してくれるように見えるからだ。

しかしたら人は根源的に、自分が正しいことの保証を求めるのかもしれない。

夢の中でさえ論理的思考していることがある。もはや論理的思考に操られているのかもしれないと思う。

論理的思考に操られないためには、「正しさの判断必要か」を考えることだ。

論理的思考はすべてを解決するわけじゃなく、正しさの判断しかならない。

正しさの判断不要な場面では、むしろ毒になるかもしれない。

感覚で考えること」と「正しくないこと」の両方を肯定する必要がある。

まず、感覚で考えることは、論理的に考えることの真逆というわけでもない。

感覚で考えた結果が、論理的に正しいこともあるだろう。

それに、もし考えが論理的に正しくなかったとしても「別にそれでいいじゃん」と思える寛容さや「間違ってるけど面白いね」と思える柔軟さを大切にしたい。

この文章を書いている最中でさえ、正しさを常に思考している。

たぶん、もっと絵を見たり音楽を聴いたり、自然に触れたりしたほうがいい。

論理的思考に操られているかもしれない

「君の言っていることはすべて正しいけど、面白くない。」

何年か前に読んだ雑誌コピーで、当時かなりの衝撃を受けたことを覚えている。

今でもたまにこのコピーを思い出してドキッとすることがある。

自分論理的に考えることが得意なほうだ。

エンジニアという職業では特に論理的に考えることが必須スキルとなる。

それは「正しさの判断」が必要な場面が多いからだ。

エンジニア仕事は、正しい方向へ向かうための判断を繰り返すことに他ならない。

ビジネスのためにどのようなシステムを作るべきか?アーキテクチャの選定はビジネス課題解決になっているかアプリケーション実装ビジネス意図した動作をするか?

こういった判断をする際には、常に論理的思考が役に立つ。

職業病かどうかわからないが、日常生活でも無意識論理的に考えることが増えたように思う。

脳が勝手論理的思考しているような、そんな感覚がある。

エンジニア仕事では論理的思考は役に立つが、日常生活ではむしろ邪魔になることがある。

それは、論理的思考が「正しさの判断」にしかならないからだ。

日常生活で正しさが求められるシーンは限られている。

正しいことが他の何よりも優先されるのかといえば、当然そんなことはない。

正しさがある程度証明されたからといって、それが何になるんだろうか?

共感を求めている人に正論を叩きつけたり、別のコンテキストに立つ人間同士が正論を言い合ったりすることは、ほとんど無価値だし、むしろ憎悪の原因にしかならない。

エンジニア仕事でさえも、論理的思考邪魔になる場面があると思う。

論理的に考えることは、ある程度の時間がかかる。正しさの判断をするために時間をかける必要がない場面は、無限にある気がする。

正しい判断が求められず、速攻で理由もなく決めてしまえばいいようなトピックに関しては、論理的思考コストしかなっていない。

まり合理的でないが論理的判断をしてしまうケースはよくある。

それでいても論理的に考えたくなってしまうのは、論理的思考がすべてを解決してくれるように見えるからだ。

しかしたら人は根源的に、自分が正しいことの保証を求めるのかもしれない。

夢の中でさえ論理的思考していることがある。もはや論理的思考に操られているのかもしれないと思う。

論理的思考に操られないためには、「正しさの判断必要か」を考えることだ。

論理的思考はすべてを解決するわけじゃなく、正しさの判断しかならない。

正しさの判断不要な場面では、むしろ毒になるかもしれない。

感覚で考えること」と「正しくないこと」の両方を肯定する必要がある。

まず、感覚で考えることは、論理的に考えることの真逆というわけでもない。

感覚で考えた結果が、論理的に正しいこともあるだろう。

それに、もし考えが論理的に正しくなかったとしても「別にそれでいいじゃん」と思える寛容さや「間違ってるけど面白いね」と思える柔軟さを大切にしたい。

この文章を書いている最中でさえ、正しさを常に思考している。

たぶん、もっと絵を見たり音楽を聴いたり、自然に触れたりしたほうがいい。

論理的思考に操られているかもしれない

「君の言っていることはすべて正しいけど、面白くない。」

何年か前に読んだ雑誌コピーで、当時かなりの衝撃を受けたことを覚えている。

今でもたまにこのコピーを思い出してドキッとすることがある。

自分論理的に考えることが得意なほうだ。

エンジニアという職業では特に論理的に考えることが必須スキルとなる。

それは「正しさの判断」が必要な場面が多いからだ。

エンジニア仕事は、正しい方向へ向かうための判断を繰り返すことに他ならない。

ビジネスのためにどのようなシステムを作るべきか?アーキテクチャの選定はビジネス課題解決になっているかアプリケーション実装ビジネス意図した動作をするか?

こういった判断をする際には、常に論理的思考が役に立つ。

職業病かどうかわからないが、日常生活でも無意識論理的に考えることが増えたように思う。

脳が勝手論理的思考しているような、そんな感覚がある。

エンジニア仕事では論理的思考は役に立つが、日常生活ではむしろ邪魔になることがある。

それは、論理的思考が「正しさの判断」にしかならないからだ。

日常生活で正しさが求められるシーンは限られている。

正しいことが他の何よりも優先されるのかといえば、当然そんなことはない。

正しさがある程度証明されたからといって、それが何になるんだろうか?

共感を求めている人に正論を叩きつけたり、別のコンテキストに立つ人間同士が正論を言い合ったりすることは、ほとんど無価値だし、むしろ憎悪の原因にしかならない。

エンジニア仕事でさえも、論理的思考邪魔になる場面があると思う。

論理的に考えることは、ある程度の時間がかかる。正しさの判断をするために時間をかける必要がない場面は、無限にある気がする。

正しい判断が求められず、速攻で理由もなく決めてしまえばいいようなトピックに関しては、論理的思考コストしかなっていない。

まり合理的でないが論理的判断をしてしまうケースはよくある。

それでいても論理的に考えたくなってしまうのは、論理的思考がすべてを解決してくれるように見えるからだ。

しかしたら人は根源的に、自分が正しいことの保証を求めるのかもしれない。

夢の中でさえ論理的思考していることがある。もはや論理的思考に操られているのかもしれないと思う。

論理的思考に操られないためには、「正しさの判断必要か」を考えることだ。

論理的思考はすべてを解決するわけじゃなく、正しさの判断しかならない。

正しさの判断不要な場面では、むしろ毒になるかもしれない。

感覚で考えること」と「正しくないこと」の両方を肯定する必要がある。

まず、感覚で考えることは、論理的に考えることの真逆というわけでもない。

感覚で考えた結果が、論理的に正しいこともあるだろう。

それに、もし考えが論理的に正しくなかったとしても「別にそれでいいじゃん」と思える寛容さや「間違ってるけど面白いね」と思える柔軟さを大切にしたい。

この文章を書いている最中でさえ、正しさを常に思考している。

たぶん、もっと絵を見たり音楽を聴いたり、自然に触れたりしたほうがいい。

ASD傾向かもしれないのでブコメに叩いてほしい

未診断で日々の生活に夥しい支障はないけどもしかしてASDの傾向が少しあるのか疑っている。

管理職仕事を数年やってみて無理そうでやめた。となると給料上がらないか金銭的支障はまああるが自分能力故なので仕方ない。

コミュケーションは高2くらいかパターンをたくさん覚えてひとまずやっていけてる気がするが「部下を育てる」が正確なコピー元がなくて、質問されたら正しく答えなきゃいけないという気持ちが先行してしまい、質問側にとって適切な課題パッケージしなおして返すのが難しかった。そもそもそんな正確に包みなおしてあげることが不要なのかもしれないが、自分が何を指示して結果何が来るのか予想できないのが気持ち悪くてだめだった。

部署目標設定するにも上位方針文言抽象的で理解にとても苦労して、同じ管理職の同僚や上司がわかってることが自分には簡単にはわからないようだ。

それでも自分がそこそこ重宝される理由は、理屈が通ってないことを見つけて指摘と解決案提示すること(解決案自体無効なことも多いが文句ばっかりと否定的に思われることへの自衛)、意見を言うときとりあえずニコニコするポジティブ言葉(〜ではいけない、を控えて、〜にしたら効果的かもしれぬ、みたいな)。これで最低限嫌われない。

で、これは普通感覚なのだろうか。まだよくわかってない。

増田投稿してブコメにはたき倒されて現実を知りたい。

ASD傾向かもしれないのでブコメに叩いてほしい

未診断で日々の生活に夥しい支障はないけどもしかしてASDの傾向が少しあるのか疑っている。

管理職仕事を数年やってみて無理そうでやめた。となると給料上がらないか金銭的支障はまああるが自分能力故なので仕方ない。

コミュケーションは高2くらいかパターンをたくさん覚えてひとまずやっていけてる気がするが「部下を育てる」が正確なコピー元がなくて、質問されたら正しく答えなきゃいけないという気持ちが先行してしまい、質問側にとって適切な課題パッケージしなおして返すのが難しかった。そもそもそんな正確に包みなおしてあげることが不要なのかもしれないが、自分が何を指示して結果何が来るのか予想できないのが気持ち悪くてだめだった。

部署目標設定するにも上位方針文言抽象的で理解にとても苦労して、同じ管理職の同僚や上司がわかってることが自分には簡単にはわからないようだ。

それでも自分がそこそこ重宝される理由は、理屈が通ってないことを見つけて指摘と解決案提示すること(解決案自体無効なことも多いが文句ばっかりと否定的に思われることへの自衛)、意見を言うときとりあえずニコニコするポジティブ言葉(〜ではいけない、を控えて、〜にしたら効果的かもしれぬ、みたいな)。これで最低限嫌われない。

で、これは普通感覚なのだろうか。まだよくわかってない。

増田投稿してブコメにはたき倒されて現実を知りたい。

ASD傾向かもしれないのでブコメに叩いてほしい

未診断で日々の生活に夥しい支障はないけどもしかしてASDの傾向が少しあるのか疑っている。

管理職仕事を数年やってみて無理そうでやめた。給料上げられないか金銭的支障はあるか。

コミュケーションは高2くらいかパターンをたくさん覚えてひとまずやっていけてる気がするが「部下を育てる」が正確なコピー元がなくて、質問されたら正しく答えなきゃいけないという気持ちが先行してしまい、質問側にとって適切な課題パッケージしなおして返すのが難しかった。そもそもそんな正確に梱包してあげることが不要なのかもしれないが、自分が何を指示したか理解できないのが気持ち悪い。

部署目標設定するにも上位方針文言抽象的で理解にとても苦労して、同じ管理職の同僚や上司がわかってることが自分には簡単にはわからないようだ。

それでも自分がそこそこ重宝される理由は、理屈が通ってないことを見つけて指摘と解決案提示すること(解決案自体はあまり意味がなくて、文句ばっかりと思われることへの自衛)、そんな意見を言うときとりあえずニコニコするポジティブ言葉(〜ではいけない、を控えて、〜にしたら効果的かもしれぬ、みたいな)。これで最低限嫌われない。

で、これは普通感覚なのだろうか。まだよくわかってない。

増田投稿してブコメにはたき倒されて現実を知りたい。

2023-03-14

プラストローを紙ストローにするような運動日本では逆に環境破壊になる

プラスチックごみを減らすと確かに環境負荷は減るが、こと日本於いては慎重にならなければならない。

表題理由を真っ先に述べてしまうと、日本東京ゴミ最終処分場問題というものを抱えているためだ。

 

簡単に言えば「東京ゴミを燃やして圧縮した灰(スラグ)を捨てる場所」が後20年程度で埋まってしまう。

数年は地方にスラグを回すことでなんとかなるだろうが、限界は早い。

そうなるとどうなるかと言えば、めちゃくちゃ金がかかるし搾取的で倫理的にも批難されそうな「外国ゴミを持っていく」か、「新たに自然破壊埋立地を作る」の二択が発生する。

 

現状としては日本は手をこまねいており、この2つに向かって突き進んでいるというのが大まかな問題である

 

マイクロプラスチック問題も深刻ではあるが、この2つはそれらを遥かに上回る環境破壊が発生するため本末転倒だ。

 

もちろんプラスチックごみを減らした上で発生したゴミリサイクルするという形ならば問題はない。

しかし、マクドナルドを例に見てみればプラスチックを紙ストローに変えたものの、それらは特に分別されることもなく燃えるゴミとして処理されている。

 

現状としては「とりあえずプラごみ減らせば良いんでしょ」という教義的な愚かしさがあるのは否めない。

 

ここから鑑みるに、「とりあえずプラスチック減らせばいいや」という動きは巨大なゴミ処分場を用意できる大陸米国型の、ある種余裕の上で成り立っている論理しかなく、

我々のような島国特に最終処分場問題を抱える日本においては「焼却するゴミの量を減らす」というテーマに沿わなければ全くの逆効果であり環境破壊を早めてしまうと言える。

 

要するに「燃えるゴミ」の削減が環境に対してもっと重要課題になり、原材料として再利用する「マテリアルリサイクル」と「ケミカルリサイクル」に力を入れる必要がある。

なぜなら、日本プラスチックリサイクル率の高さというのは実際には燃やして燃料としてリサイクルしているためであり、結局スラグが出ているからだ。

 

プラスチック削減をするにしても、「とりあえず紙ストローにしてみました」というようなものではほぼ逆効果に近い。

削減したならしたで「原材料として再利用できる形して、スラグを減らしました」にならなければ意味がないと言える。

 

例えば全国で画一的で細かいゴミ分別を行い、それらの原料化やリサイクル原料を用いた製品には補助金や減税などをかけて早急に浸透させるなど抜本的な改革必要となる。

一般的な15種類程度の分別では足りない。

上勝町のような分別人口が多くなると難しいだろうが、志布志市並の分別をした上で原材料再利用に更に力を入れ、スラグ自体を削減していかなければならない。

もちろんスラグ再利用研究も最重要課題の一つとなる。

 

更にマテリアルリサイクルケミカルリサイクル他国より力を入れて成功することは、楽観的な憶測ではあるが国際社会でも優位に立ちやすいと考えられる。

環境を守る」という技術最先端を走ることの優位性はなんとなくわかるだろう。

 

プラスチックごみを減らすということは確かに環境問題において大切だが、こと日本においてはスラグの発生量に気を配りながら運用しなければ環境を大きく破壊してしまうという話。

NLPとかレコメンデーションの分野がChatGPTにまとめて焼き尽くされたっつって大騒ぎしてるけど

あの辺はそもそも課題がふわっとしてて必然的評価尺度もふわっとしてるから何に向かって何やってんのかよくわかんねーなって昔からずっと思ってて

ふわっといい感じの答えを出してくれるパターン認識器で十分だったというのはさもありなんって感じしかしないけど

業界に知り合いがいすぎて表立っては絶対に言えないんだよなあ

俺はあの辺の分野は絶対やらねーって心に決めて遠巻きに見てただけだが

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