女の子の言う友達ってようするに「自分の利益になるように利用してもいい他人」の総称なんだよね。
自分と対等と認識してる相手には、自分のために相手を利用してる後ろめたさが多少あるものの
「自分も相手の役に立ってる」という思い込みで暗黙の契約関係を一方的に想定することでその気持ちを相殺する。
だからお互いに頻繁にお返しをしあったりして、対等なバランスを保つのにそれなりの努力をする。
自分より下の人間に対してはそんな気遣いは一切ない。自分が欲しいと思ったサービスは受けられるのが当然であって、それに対する見返りなど全く想定外だ。
このクラスは自分に奉仕する道具。「男友達」っていうのがデフォでこのクラスで、女の子は本能的に「男が自分に近づいてくるのは自分が好かれてるからだ→自分のほうが立場が上」という図式を瞬時に形成する。
ここでその「男友達」が「じつはきみのことが...」とか言い出そうものならもう大変である。
まず驚く。
これは、相手が自分をそんな風に思ってたなんて、という驚きではない。そんなことはお互い初めからわかっているのだ。
これは「道具がしゃべった!」というくらいの驚きだ。これはびっくりする。
つぎに裏切られたように感じる。
そもそも男がフラフラと自分に引き寄せられてきた時点で、相手もこの「見返りのない関係」に同意していたはずだ。
それが今相手は自分に何がしかの見返りを求めている。ちょっと待て。話が違うだろう、ということだ。「それは違反ですよ」と言いたいところだろう。
そして怒りが湧いてくる。
なにせ相手は自分より圧倒的に下の立場であるはずなのだ。それが自分に対して対等であることを主張している。
さらにこの男の「人間宣言」によって、自分は持駒である道具の一つを失う。自分の権利に対するりっぱな侵害である。なんなら出るところに出れるレベルだ。
何より腹が立つのは、この状況に対して自分に取れる効果的な手段は何一つないという現実を突きつけられることだろう。これは屈辱だ。
どっちに転んでも自分に与えられた選択肢は「自分の所有物である道具をひとつ手放す」というものしかない。そして自分はそんなことはしたくないのだ。
しかし自分は今選べる立場にない。ディレマである。いきなりこんな現実を突きつけられて怒らずにいられるだろうか。
自分の所有している道具が「自分は人間だ」といった結果、自分は絶対者という立場から一人の無力な人間へと格下げされたのである。
「友達じゃ駄目なのかな」というつぶやきの裏には、このような世の中の矛盾に対する憤り、自らの不幸を恨む気持ち、ついには自分の無力さにたいする苦い諦めの気持ちなどなどが、ぐるぐると渦を巻いているのだというお話。