はてなキーワード: 私事とは
ハイパーハードボイルドグルメリポートで触れられた、ゴミの処分地に住んでる14歳の子供を見て、俺はどんな気持ちで対峙すればいいのかわからなくなった。
資本主義にいくら中指を立てていても、こういう状況に対して自分ができることはゼロだ。募金なりなんなりあるだろうと思うかもしれないが、そんなことはまったく関係ないし、なんなら無駄だ。できることはゼロだ。そこに立たないとそもそもスタートすらできない。
俺はただの人間で生活者で自分の生活を成り立たせていくことで精一杯だ。世界にある矛盾をずっと甘んじて受けながらも自分の快楽を追い求めてる。たまに贖罪されたくって、赦してほしくってそれらしいことを話したりするけど、お前なあ、そんなことで何かが変わるだなんて一瞬でも思うなよ。ずっとずっと違和感だけが俺のありもしない尻尾を引っ張る。つれえなあ。
俺の生活は俺だけの責任で行きたいんだけど、まあ、みんなも知ってる通り「生きる」ってことに他者が関わらないことは一切ない。これはまじでそうだ。仕事をする、飯を食う、歩く、何かを見る、お店で話をする、風邪にかかる、なんでもいいんだけど、世捨て人はいないってことだけは言い切れる。他者ってのをあなたが人間に固定していない限りは。
俺は人が好きだ。人と関わることが大好きで、延々くだらない話をお酒飲みながら(最近はハイボール、前までは発泡酒)ずーっとどうでもいいこと話していたいし、仕事でも私事でも相手の好きなところをずっと話していたい。もちろん、一乗寺の疎水が実はサイホン式じゃなくなったのけっこう前なんすよとかそういうなんの役にも立たないことも。
役にたつって死ぬほどくだらねえなって思い始めたのはいつくらいからだったんだろう。そもそも役に立つってなんなんだろうか。我らは、どういう家庭状況かに関わらず、今、楽しいかそうでないかに関わらずおしなべてすべて、「生まれてきたくて生まれたんじゃねえ」ということはもちろんそうだと思っていて、ここに反論ある人はいないと思ってるんだけれど、それはあってるかな?生まれてきたくて生まれて来た人いるなら、連絡くれる?
前提だけが先行していて、その中でじゃあ、選べって言われて、そんなのまじで無理ゲーだと思ってるのが40年近く生きてきた俺の結論だ。
いや、不惑とかそういうことついつい自分も言いたくなるけど、その不惑は諦めって言葉と何が違うのかな。俺にはまったくわからんよ。書き出しから全然話が変わってしまっている。申し訳ない。何を言いたいのかは俺も全然わからない。これから生きていく意味なんてみんな持たなくていいと思う。でももっと考えたい。どうしたら自分が心地よくなるのかとかを。
で、その前提になってしまっている、なぜかこの土地に生まれてしまったことよる、いや、土地もそうだし、どういう家庭環境に生まれてしまったかによってそもそも多くのことが決まってしまうのに、それに対して俺らが生きてる社会はあまりにも無慈悲じゃないか?働かざるもの食うべからず以前の話をしないとどうにもできないじゃない。
俺らは搾取されている。それは、国家というものがあるからだ。でも、国家を完全に否定できないのは、それがあることで社会的弱者(弱者という言葉はひどい差別用語なのでなるべくなら使いたくない、が、意味合い的にもそうだし通りやすさもあるので今は使う)を救えている側面もある。でもそれができないならそもそも国家なんて必要なくないか。今、それができているか?不勉強ですまないが、西欧国家が作り出しただろう、民主主義、資本主義が世界に行きわたった結果どうなってる?それが今目の前に広がっている景色なんじゃないのか?
答えはない。ごめん。でも、一番最初に持ち出した少年の覇気のない目のことを私は忘れられない。し、私は彼のことを助けられないし、助ける気もない。私はわたしのことで精一杯だ。
なんだよこの世界とずっと思うけど、何もできない自分の状況に反吐をもらしながらでも忘れねえとしか言えない。大きいことは言えないし、何もできることはない。
でも。忘れることは一番の悪だ。それ以上に悪なのは、善意のふりをしてこの世界中のことをつなげてしまったインターネットだ。知っちゃったら、無関係でいられないじゃないか。
元カノを結婚式に呼ぶのってどんな神経なんだ。「おめでとう!」ってなる要素ある?
「オマエ ワタシ フッタ」の3語文でこっちの感情説明できるんだけど。
呼んできたのは大学時代同じサークルだった元カレ。私を含むサークルの同期に声をかけたらしい。
彼とは2年くらい付き合ってたけど「彼女として見れなくなった」って振られた。
頭お花畑女子大生だった私は「卒業して、2~3年働いたらこの人と結婚するんだ~」って思ってたからほんとに振られた時はショックだった。振られた次の日の面接(就職活動中だった)は目パンパンで行った。
明らかに目がパンパンで「私は昨日大泣きしました」って顔に書いてあるような女でも、喋る内容がおかしくなければ通るんだ、と少し面白かったとともに、何も面接の前日に振らなくても。とも思った。
という諸々の嫌な思い出をラインが来た途端思い出してむちゃくちゃ不愉快になった。
もう数年前のことだし、彼のあとに私にも新しい恋人ができたことはインスタで相互フォローだから多分分かってると思う。それにしても呼ぶなよ。
まだ好き!とかじゃなくて、シンプルに自分を傷つけた(少なくとも別れを突き付けられた側であるという点で)人間が、人生最大の晴れ舞台にお祝いしてもらえると思って呼ぶ能天気さが私には信じられない。
というか、むしろ縁起悪いな、とかならない?自分が振った女。呼ぶなよ。
別れてから(特に自分が振られた側なのに)相手の幸せを願う(笑)ことができる人って嫌味じゃなくすごいと思う。心が広いっていうか 許す心があるっていうか……。
私はその域にはまだ至れません。
「結婚しました!」といえば、大学を卒業してから2年以上動いてなかった、元バイト先の年の近い子たちのグループラインに
「お久しぶりです!私事ですが結婚しました!これからは2人で協力して幸せな家庭を作っていきます!またコロナ落ち着いたらみんなで飲みに行きたいね!」
というラインが投下されて、1日誰も返信しなくて、1人がおめでとう!スタンプを送ったらみんなスタンプを送りだしたのは笑った。(私も便乗してスタンプだけ送った)
2年も関わってない相手に、俺通信を送って、思ってもいないみんなで飲みに行きたいね!を送って祝ってもらえると思うって、幸せな人だなぁって思った。
元カレといい、結婚をすると「自分が相手からどう見られるか?」が欠如して、幸せで頭がいっぱいになるのかな。うらやましいなぁ。
非常識な子ども連れに対して「常識まで生み落としてきたんか?」という揶揄がありますけど、同じようなのの結婚バージョンはないのかな。
私が結婚してればこの2つの話は「え~!おめでとう~!」って心の底からなったのかもしれないと思うと自分の器の小ささに惨めになる。
ラインって相手の反応を限りなく期待してるよね。 ツイッターとかインスタとか、「反応したい人だけ反応できる」ところで報告すればいいのに。
自分のことが大好きなのか、私が捻くれてるのか、なんなんだろうなぁ。
一応書いておくと、仲のいい友達の結婚はほんとにおめでたいと思ってるし、自分のことのように嬉しいと思っています。好きでもない人からの結婚したよ!ライン、みなさんはどうですか、反応に困りませんか。
でも私が数年後、自分だけ結婚してなくて30とか越えて友達の結婚を心の底から祝えなくなったら……。と思うと、仲の良い子には早くみんな結婚してほしいです。(わがまま)
もちろん元カレの結婚式には行きません。私という存在が彼にとって縁起悪いと思うし、本当はめでたいとも思ってないのに3万も出せないよ。
行きたくない結婚式には「わ~おめでとう!結婚式、行きたいのはやまやまなんだけど職業柄ごめん、コロナの関係で無理そう……」って断れるからそこだけコロナに感謝してる。
そもそも先生の著作物も論文や海外サイエンスメディア・読み物どころか
『日経サイエンス読んだ上で要る?』っていうレベルの薄い内容だしな
『ノーベル賞科学者ブライアン・ジョセフソンの科学は心霊現象をいかにとらえるか』だけだわ。面白かったの
オリンピックも反対です(キリッ とかやっておきながら、小山田氏はあかんでしょとかやりながら、
物忘れが激しいのかTVの仕事が大切だからなのかは知らないが、とにかく、すぎやん・ドラクエには触れない
https://news.yahoo.co.jp/articles/ad175bf24ac7a93398a85a73bb29411e8a333dcd
本当に心底どうしようもない人だな。彼の中で小山田氏といったい何が違うのか?
そもそも論なんだけど、先生は何のために実名と所属組織を公開してSNSで発言してんの?って話
そしてアレな発言をしてもなんやかんやみんながお目溢ししてるのは先生の偉業()にひれ伏してじゃないです
すべての人に発言権があるものの、結局『だれが言ったか?』の肩書きが最重要視されるから
気持ちを代弁してるくれることを期待してるんだよ
するつもりがないのならやめたら良いんじゃないですかね?実名と所属組織を公開してSNSで発言するの
別に私事を発信するのに実名と所属組織を公開する必要性なんかないでしょう
ああ?他人に期待するな?
じゃあ偉そうに能書きをたれて周りが忖度してくれる職業にすべての人がなれば先生は満足でしょうか?
分業はやめるのであらゆることは自分でやってね、まずネットが使えなくなるけどね
あのさ、
笑っちゃいけないけど、
本当にまるで漫画みたいにマットに人型の穴が空くんじゃないかってぐらい綺麗にべちーんって落ちるのを見ると
なんかシュールというか
走馬灯のようにそれを両輪にして走るぐらい
シュールだわ。
夏の思い出ね!ってやかましわーい!って
選手には気の毒だけど
マンボナンバーファイブの曲にあわせて再生逆再生してみたいところだけど、
本当に選手には気の毒ってのは思ってるんだけど
あれはシュールすぎるわ。
まあそれはともかく、
自分用のを一台新しいせんぷーきを慎重に購入したの。
でもなんで
よく分からないぐらいに
みんなが困ってるだろうからって
扇風機を持ち寄ってくれて、
一人の銃士が3台持ってきた計算になるわよ。
おかげで私の買ったセンプーキは未開封のまま無駄になってしまいそうだけど、
自宅か実家に置くことになるかも知れないわね。
滝のことを瀑布っていうとなんか格が上がるというか、
クーラーが直る前は本当に直前を目前するぐらい40℃に上がって
午前中に修理に来てくれてよかったわ。
おかげで午前中は
私給湯室でかき氷屋さん始めたのよ!
昨年おいて使って余っていた、
3種類ぐらいあればかき氷屋さんとしての箔がつくでしょ?
でも給湯室にある氷じゃすぐに品切れになっちゃったので、
隣の部署の人にコンビニでロック氷買ってきて今すぐに!って氷を調達してきて、
6杯売れたのよ!すごくない?
そのうち2杯は私が味見した分だけど、
ちゃんと入れ物の容器も「氷」って書いてある、
いわゆるみんなが知っているかき氷屋さんのあのポピュラーなカップで入れてシェイブ氷を盛ってるやつよ。
みんなイキフンでかき氷を食べてるのねって思ったわ。
お味噌汁を飲むお椀にかき氷を入れてもなんかイキフン出ないじゃない。
6杯も売れたのよって我ながら思ったわ。
本当はクーラーが直らなかったら今日は1日私はかき氷屋さんをやるつもりだったけど、
瞬く間に午前中に直っちゃったので、
惜しまれつつも
私あれもやりたかったのよ、
閉店10分前に蛍の光を流して閉店アピールする今もうすぐ買って!閉店するから!ってやつ
おかげで私の夢である
そう思った走馬灯のあのスクリーンにかき氷の絵を描いてのせてみる夏の思い出よ。
私の走馬灯の1ページが増えたわ。
うふふ。
毎日これで飽きない?って言われるけど飽きないわよ。
だって美味しいんだもん。
どっちかって言うと同じ物が長く続いてもいいタイプなので
使っている1リットルのボトルじゃ生産と飲む量とで追いつかなくて
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
全国の愛鳥家・鳥吸い・おへんたいの皆様、はじめまして。
いきなりですけど、急にお出かけ+宿泊をしなければならないこと、ありえますよね。
そう、お出かけとお泊りは突然にやってきます。
そんなとき、どんな準備が必要になるのか、私が少しばかりの経験から気をつけていることを書いてみようかと思います。
たかだか1年ばかり文鳥を育てただけのヒヨッコ飼い主ではございますが、ひょっとしたら何かの役に立つかもしれません。
特にまだホテル泊などなさったことがない方にとっては損はないのでは?とも思います。
あと、「何で増田?」と思ったそこのアナタ、リテラシーがバレます。
一般常識のある普通の人は「増田」と言われても何だかわかりませんよ、たぶん。
1 キャリーに慣れてもらう
2 慣れたグッズのスペアを入れておく
3 滞在先では?
の三本立てになりそうです。
1.キャリーに慣れる
では本題… と、その前に。
そもそも文鳥さんとの暮らし方について、これはもう色んな考え方があるので、「よそはよそ、うちはうち」ってなことになりそうですが、「ある程度、人間の生活にも順応してもらうしかない面もあるよね」といううちのやり方は、ひょっとすると結構「スパルタ」に見えるかもしれません(遠方にいて、10歳になる先輩文鳥をきっちり育てあげた家族からは、「るぶらんをとにかく甘やかそうとしている」と笑われておりますが)。
ご気分害された方はどうか、そっとブラウザを閉じるなりスマホぶん投げるなりして、どうか溜飲を下げていただけますよう、切にお願い申し上げます。
で、あらためて本題ですが、なんと言っても急なお出かけで慣れないキャリーでは文鳥さんもパニックですので、普段から慣れておいてもらうに越したことはありません。
日向ぼっこや通院などで慣れている場合は心配ありませんが、もしできれば何かの折に一晩くらい寝てもらうとか、キャリー滞在時間を伸ばすのを試してもらうとより良いと思います。
これも私事ですが、仕事柄今年は出張が増えてしまっただけでなく、じつはコロナ禍で人がいなくなったのを幸い、雛のときから挿し餌のためにるぶらんをチョイチョイ職場へ連れて行ったりもしていました。
というわけで我が家の文鳥は私に出逢ったがために幸か不幸かキャリー慣れしてしまったわけでした(何ならフゴ時代から車に揺られていた)。
で、夜連れて帰ったときには無理に起こすと怒ったりもするので、その場合にはそのままキャリーで寝かせてしまうこともあります。
こうしたわけで、キャリーに毛布をかけて長時間休むことができるようになり、急な長時間移動の練習になる、という副産物的効果が得られたのでした…。
自然災害や停電などで万が一避難しなければならなくなったときの準備にもなる、とかいぬしは自分に言い聞かせて罪悪感を薄めています。
ちなみに普段、短時間の移動では某ミニマルキャリーSを使っていますが、長時間の場合には某Mを使います。
毛布をかぶせておくと静かにじっとしているので、移動中だとあまり大きさは関係なさそうではありますが。
このように「あ、毛布が来たから移動だな」と納得してもらえるかどうかが、けっこう重要なポイントなのかもしれません。
2.慣れたグッズの準備
キャリーに慣れてもらえたら、次はできるだけ快適に過ごせるようにしてあげたいところです。
当然、「普段使い慣れたグッズを入れる」ということが思い浮かびます。
が、急な移動だとあれこれ準備している暇がない!ということになりかねません。
ですので普段のスペアという意味でも、いつもと同じ餌入れ、水入れ、パーチ、おもちゃなど、可能な範囲で揃えておく、何ならあらかじめキャリーに設置しておくと楽チンです。ネジ止めのパーチなんか、いざ出かける前に付け替えようとすると意外に面倒ですから。
さらには、外してみたら汚れが気になる!とか、ありそうですよね。っていうか、あります(涙)。
またペレットに慣れた愛鳥さんなら、新幹線の隣の席とかホテルの床とか、あちこちにシードの殻をぶん投げなさってくれなくて済むので、そうでなくても肩身の狭いかいぬしさんの気が少し楽になるはずです。
ごはん関係で言うと、小さいプラスチック容器もいくつかあると小分けにできて便利です。
「大好きん」の入ってるフィルムケースとかですね(世代がバレるよ)。
移動を考えるとガラス瓶より少しでも軽い方が良いです。
袋状のジップロックも良いけど、スプーン使った方が良いかな…とか気になる人はやっぱりトントンできるちっこいプラスチック容器です。
3 他に何があったっけ…
そうそう、最後にホテル滞在です。文鳥さん一羽なら静かだし一泊くらい…ゲフンゲフン。
いやいや、もちろんあらかじめ可否をうかがいましょう。大きな声では言えませんが、かいぬしは一度、旅館で仲居さんに気づかれてしまったことがありました。ごめんなさい(汗)。
「かわいい」と言っていただけたのは幸いでしたが、運が良かっただけですので…。
エアコンの多い滞在先、やはり気になるのは乾燥でしょうか。これは喉の弱いかいぬしさんと共通のtipsが役に立つと思います。
よく聞くのはバスタブにお湯を張って、加湿器代わりにするという手です。
やりすぎると部屋が結露しすぎたり、ホテルによっては禁止事項になっていたりするので気をつけてください。
旅館ではたいていタオルハンガーがあるので、少し多めに濡れタオルをかけて湿度を調整するという手があります。
もちろん予約時に禁煙ルームをお願いするのは言うまでもありません。
…以上、ざっと思いついたのはこれくらいでしょうか。
備えあれば憂いなし。
理由として一番大きいのはこれで
別にセリーナ・ウィリアムズだとアンディ・マレーだとか錦織がラケット壊そうが割とどうでもいいんだけど、
大阪なおみだけがダメなのは、彼女が反差別などの公正さ・正義の政治を訴えかける政治活動家でもあるから。
議会の議員なんかそうだけど、本人自身に極めて清潔さを求める風潮が存在している。
政治家の仕事には本来何にも関係ない、私事の家庭事情なんかも清潔であるのが必須で、不倫なんかは致命傷だし。
当然、大阪選手の主な活動のテニスのプレイにも「政治家としての清潔さ」を求められるので
エヴァと仮面ライダーを痛烈に批判していた荒木飛呂彦なんだが、その荒木が大嫌いな庵野が次やるのが仮面ライダーという。このなにか偶然とは思えない感じ。
全く私事なんだけど個人的に荒木作品って絵の芸術性は認めても、話自体はそれほど面白いって思ったことがない。基本的にマッチョイズムで、ヒーローがピンチに陥ったら常に冷静でなければならないという謎美学がある(まあ逃げる主人公も中にはいるけど)。だから無慈悲な敵を見つけた場合、他作品では許せないこいつ、という態度になるのに対して、荒木作品ではかなり突き放した態度で敵に望む「こいつ……! 人を実験台と考えてもなんとも思わないやつだッ! 感情を押し殺しているとか、そういうタイプじゃあない。生まれつき「そういう」やつなんだ。出かける前の朝食みたいに人を殺せるやつだッ!」みたいな長考が入る。その数秒で作戦練っちゃったり。
逆に庵野の場合苦しいを通り越して鬱になっちゃって、目標に向かってスイッチオンするだけの人が登場する。どっちが人間心理に近くて共感しやすいかといえば、圧倒的に庵野。ジョジョなんて窮地に陥ったときに計算機のように頭脳がフル回転するだけで稀有な存在ですよ。あんなの。共感できるわけがない。まあ実体験として窮地になるとそうならざるを得ないんだけど。ただ心情としては庵野のほうが理解しやすい。荒木いわく戦いはカラッとしてなきゃならないらしいけど、戦う時点で楽しいわけ無いでしょと俺は思う。だから戦うのがつれーなあ、という仮面ライダーは哀愁と共感性があるわけで。
これは同人誌を出したことのある腐女子が、他人の炎上に乗っかって自己顕示欲を満たすチャンスを伺い、隙あらば自分語りをすることで「誰かが大事にしている文化は安易に否定しないようにしよう」ということを自戒も兼ねて訴える文章である。
2021年3月29日、Vtuberのさくらみこ氏が、動画内でBL同人誌を作者の許可なく紹介し、その際の態度が作者へ敬意を払っているとは到底思えないものだったとして多くのオタクの不興を買い、炎上した。
私は脳直Twitter女なので、即座にブチ切れ許せないとツイートをかました。
しかし何事も事実を見つめないまま、尾ひれのついた情報に踊らされてぶち切れまくるのは良くない。
阪神パッケージのばかうけを6枚食べ、レモンティーを3杯飲んで頭が冷えた私はとりあえず現場を見に行くことにした。
現場である元動画は削除されていたので、該当箇所の切り抜き動画を見た。
結論から言えば、イキった中学生の腐女子が友達の家でお菓子を食べながらしゃべっていたことが、そのまんまインターネットに投稿されてしまったんだなというのが正直な感想だ。
友達の家という閉鎖空間でやっていれば数年後あたりに「なんてことをしてしまったんだ」と気付くようなことが、Youtubeに投稿されてしまったせいで全世界に公開され、結果として作者を傷つけ大炎上してしまったんだな、と。
インターネットと考えの足りない人間が組み合わさると不名誉な方向でTwitterトレンド入りという花火が打ちあがるのだな、と現代の恐ろしさを改めて感じた。
ここまで考えたところでふと、私は思った。
私は果たして、彼女のように一度も誰かの大切にしている文化を馬鹿にしたことはないのだろうか?
今回の配信で彼女にスパチャを投げるリスナーのように、誰かの大切にしている文化を馬鹿にするようなコンテンツで笑ったことが、一度もないと言い切れるのだろうか?
私事になるが、私はギャンブルが嫌いだった。父が無職で家に常に金がなかったこともあり、人を貧乏に突き落とすギャンブルのことも、貧乏を承知でギャンブルに金をつぎ込む人のことも嫌いだった。
だからある人から競馬が好きだとかパチンコが好きだと聞かされると、その人のことがどれだけ好きでも「当たらないものに大事なお金をつぎ込む変な人」と軽蔑せざるを得なかった。
しかし最近のウマ娘 プリティダービーの流行に乗って見かけた一つのツイートで、私の価値観は大きく変わった。
『馬、ウマやったから解ったんだけど、あれ、馬券を買う事自体が『推しへの課金』の側面を持ってて、なんと『推しに課金して推しを現地で応援すると推しが勝って金が増える』という夢のシステムを搭載していて「そりゃハマる人はハマるわ」って感じがする。』
https://twitter.com/ebleco/status/1375028099289522176
私は勝手に、馬券を買う人は単純に順位を当ててお金を手に入れることだけを目的に買っているものだと思い込んでいたから、競馬にそういう側面があることを全く知らなかった。
そこからTwitterに流れてくるゴルシの珍奇行動漫画やハルウララ有馬記念アタックに触れるうちに興味が湧いてきて、インターネットで競走馬のことを調べるようになり、王者と称される馬にも勝てなかった馬にも、皆等しく生涯のドラマがあったことを知った。
そして競馬への造詣を深めていく中で、競馬という一つの文化を知ろうとも理解しようともせずにただひたすら嫌い蔑んでいた自分を恥じた。
「他人の文化を知ろうともせず土足で踏み入って否定し、馬鹿にする」という意味合いでは、ウマ娘に出会う前の私の思考と行動は、作者に無許可で同人誌の内容を読み上げ大笑いしたさくらみこ氏と本質的には何ら変わりない。
私がこの文章のタイトルを「誰の心にも""さくらみこ""はいる」としたのは、まさにそういった意味である。
今回の騒動は感情的な側面に限らず複合的な問題を孕んでいるだろうが、その中で特に腐女子が大いに怒った点に関しては、彼彼女らが大切にしている「作品を作る行為は素晴らしい、作品を作る人は大事にしよう」という文化を踏みにじったのが原因だと私は思う。
確かにさくらみこ氏の行った「作者に無許可で内容を公共の配信で読み上げ、その直後に大笑いする」といった行動は、客観的に見ればとてもではないが作品や作者に対して敬意を払った態度とは言えないだろう。
その行動に対して怒りが抑えられないのも、勿論分かる。私とて現場を見に行く前に脳直激怒ツイートをした感情的な人間だ。
けれども、「自分は他人の大事にしてる文化を馬鹿にしたことなんか一度もありません」という顔をして今がチャンスとばかりに彼女を叩きまくるというのは、自分のことを棚上げしているようで見苦しい行いではないか、と思う。
断っておくが、私はさくらみこ氏を擁護したいわけではない。ただ、彼女の行動をきっかけに自分も同じようなことをしていないか振り返ってみないか?と、呼びかけてみたかっただけなのだ。
どの界隈にも、そこに属する人たちが大切にしている文化がある。それが自分の目にはどれだけ異様なものに映ったとしても、その背景を知らずに否定するような人間にはなってはいけない。
異なる文化の中身に触れようとも知ろうともせず、一つの文化を否定したことのある人間として、人は簡単に否定に走ることを嫌という程知っているからこそ、今回の一件は改めて己の振る舞いを身につまされるような事件となった。
違う文化を肯定するのは難しいかもしれない。でも、馬鹿にするのはやめよう。それぐらいなら、誰にだってできる。
私もそう在れるよう、努力し続ける。そして私がその志を忘れ誰かを傷つけたら、石を投げて目を覚まさせてほしい。
おしまい。
ぼちぼち高校受験も始まり、今年も「定員内不合格」という不思議な言葉がささやかれる季節となりました。
すごく不思議じゃないですか?定員内不合格という言葉。まるで「定員に満たないなら全員受からせろ」「定員内は全員合格」と勘違いされているような気がします。
じゃあなんで試験するのか。定員内なら試験するだけ無駄じゃないですか?
法律では、障害を持っている人もそうでない人も「その能力と状態」に応じて教育を受けることができます。
でも、足し算引き算がままならないレベルで高校を卒業する学力があるかという問題があると思います。
赤点連発で単位不認定で留年とかあると思います。マンツーマンで指導を望むのは、ちょっと先生がかわいそうに思います。
入って終わりじゃないんですが、どうにかして無理やり卒業しそうです。でも卒業後の進路も学校の先生が探すんですかね。
支援学校ならいろいろ特性に合わせた進路指導ができるでしょうが、普通科高校の先生にそのようなノウハウがあるとは思えません。
卒業後のことも含めて考えているのでしょうか。
私事ですが、中学の同級生に知的障害の方がいらっしゃいましたが、まあ割とひどいことをされました。
詳細は割愛しますが「二度と障害者と同じクラスになりたくない。勉強して勉強して絶対にそんな人が来ないような高校に入って、二度と同じ空間で勉強したくない」と強く思う事件に会いました。
多感な時期にちょっとだいぶきつかったです。そういう経験をした人間なのでインクルーシブ教育というものが正直好きではありません。
なんで十分に訓練された教員がいる支援学校じゃなくて普通科高校に行きたいのか理解できません。
そしてテストの点数が足らないから受からないということを受け入れないのも理解できません。
障害者だから勉強できなくても普通科高校に入れろ、って「健常者」が勉強できない場合はどうするんでしょうか。障害者はテストがダメでも受からせて、健常者は落とすのなら、それは逆の差別ではないでしょうか。
勉強をしてもしなくても高校に入れるなら、普通の生徒は勉強しなくなると思います。この定員内不合格という言葉は、障害者の方には適切な教育環境である支援学校に行くという選択をしなくさせ、それ以外の生徒は勉強しなくなるという、とてもよくない言葉のような気がします。
Vtuberの渋谷ハルがAPEX配信中に死体撃ちされて、死体撃ちしてくる選手が解説者で呼ばれてるときに触れたくないって言って炎上した件。
解説者として関わるときに私事でのもめ事持ち込むなとかで揉めてたやつ。
渋谷ハルだけが解説者なわけじゃなくて、人を呼び込める解説者として渋谷ハルが選ばれてたりするんだから運営に言えよ。
特に渋谷ハルが解説してるFFLはFENNEL主催なんだから越権行為だーとか言ってたデスセイヤは元所属していたFENNELにあいつ使うなって言えばいいと思う。
・FPSだとまだ死体撃ちが盤外戦略として一般化されてないんだから色々言われて当たり前やん
格ゲーでの屈伸煽りがある意味精神攻撃として一般化されてる状態までいってないから当たり前だよね
youtuberとか配信者の人達はバッドマナーとか言われる行為しようが、どんなプレイスタイルでもファンがつけばそれが正義だけど
スポンサーがついて運営されているプロチーム所属の人は、いくらプレイが上手かろうがあれは配信スタイルであって本心ではないピエロですと言おうがスポンサーからの印象が悪かったらやめたほうがいいんじゃね。
PCメーカーとか、周辺機器メーカーとかは比較的色んなチームのスポンサーになってるけれど、他の業界のスポンサーは見込みづらいよね。
賞金だけで運営していきますみたいなチームがあったらある意味どんな行為しても許されると思うけれど。
サッカーでいうところの素行が悪いイブラヒモビッチとかスアレスとかバロテッリみたいな選手のように、印象悪いけれどとてつもないパフォーマンス出しているからチームメンバーが嫌がっても監督が使うとか
強さゆえに素行の悪さも目をつぶるファンがいるから成り立つわけで。
(あとは、普段の素行の悪さが目立ってるがゆえにたまに良いことするとギャップでファン増えたり)
なんというかこの一件はまだFPS業界のプロチームの人もプレイが上手いやつが正義みたいなところから抜け出せてなくて、自分たちがかかわっているesportsの金回りとか
どういう構造で成り立っているのかわかってないあまあまな雰囲気を感じた。
残念ですねー。
最近になり長く子供部屋おじさん(以下「こどおじ」)をしてる人はかなり家庭環境に恵まれた人だと気がついた。
また親同士の仲が良くないと居心地が悪くなるので両親が仲が良いことも必要な条件だ。
最近までこれらは簡単な条件だと思ってたけど実際めちゃくちゃ多くの家庭がこれをクリアしてるとは到底思えない。
そして一緒にご飯を食べてる時に両親同士の喧嘩が始まることが月一くらいである。
そのためかなり激しい言い争いになる。
それが始まると直ぐに部屋に戻るとは言えそれを少しは耳にしてしまう。
本当に辛い。
いま転職活動をしていて成功すれば家を出ていこうと考えている。
子供部屋おじさんしたら親が喜んでくれるしな〜とか思ってたけどこっちの身が持たないわ。
よく離婚しないなぁ。
離婚するにしてもしないにしても自分のいない所でやって欲しい。
全国のこどおじは本当に恵まれてると思う。
思春期である。普通のプールに行くことを考えるだけでムラムラが収まらないのである。そんなさなかに、教科書や参考書の隅っこにビキニ姿の女性が踊っているのを見て、平常心でいられるはずがあるだろうか。
だいたい、カーニバル衣装のビキニのパンツ部分から下がっているふんどしというか前垂れというか、極限まで深くしたスリットみたいな、あれをみても平静ではいられない。たまにファンタジーものでもそういう名前がわからないけれどもふんどしというか、マーニャの踊り子衣装みたいなのがあるのだが、あれってめくったらどうなっているんだろ。鳥山明に聞いてみたい。
カーニバル、つまり謝肉祭とは、四旬節という物忌みの期間直前のお祭りであり、しばらくは肉料理が出なくなる。要するに遊ぶだけ遊んで翌日からは真面目にやる日、というわけだ。別の説によれば異教の祭りが起源であるのだが、どちらにしても現在ではキリスト教の暦と密接に関係している日である。ちなみに、この四旬節が明けて過ぎ越しが明けた日がイースター、復活祭に当たる。
ウィキペディアによれば、黒人と白人の音楽の混交から生まれた音楽・ダンスを指すそうである。もう少し詳しく述べると次の通り。
音楽としてのサンバはダンス音楽であり、19世紀の終わりごろブラジル北東部の港町、バイーア(現:サルバドール)で生まれた音楽が源流となった。当時のバイーアは、奴隷貿易によってアフリカから連れて来られた黒人が集められ、売り買いされた場所であった。その後、白人文化からの影響も受けながら1910年代に確立し、1930年代に普及と隆盛を迎えたそうである。内容も黒人の生活や人種差別から抒情的な内容も含むようになっていった。
ダンスとしてのサンバもまたバイーアに住んでいたアフリカ人奴隷の踊りが元となっていて、足や腰の動きを基本とし、ほとんど即興である。ポルトガルの文化と混交してリズムや踊り方が変化した。伝統的には音楽を演奏しながら周りで手を叩きながら輪を作って踊り、交代で人が中に入って踊るが、これをサンバ・ジ・ホーダ、サンバの輪といい、都会のサンバの進化にも影響を与えた。これは今や、ブラジルの文化的なアイデンティティとなっている。
現在のサンバショーでは現代の欧米のダンスを取り入れた振り付けだが、あくまでもサンバは基本的に即興の踊りが中心で、またその醍醐味であるそうだ。
なお、日本に初めてサンバが紹介されたときには知識が不足していたせいか、キューバのマンボと混同していたり、なぜかメキシカンハットをかぶっていたりと文化考証がめちゃくちゃで、冒頭に引用した語句のように、今でもこの誤解を引きずっている人は少なくない。マツケンサンバだってサンバとはちょっと違う。
Rio de Janeiro's Carnival Costumes Throughout the Years - ABC News(不幸にして画像はリンク切れ)
The History and Tradition of Rio Carnival Costumes - Bucket List Events
カーニバルの仮装はイタリアにその起源を持ち、その伝統はポルトガルにまで広まった。それが植民地のブラジルにもたらされた。誰が誰だかわからない、そういう楽しみであろう。
1930年まではブラジルの社交界の人々は平民たちの視線のなかで、豪奢な衣装や仮面を見せびらかして歩いていた。仮面は動物や悪魔の形をかたどったものや、イタリアに起源をもつ道化の顔もあった。
1930年以降、庶民もカーニバルに参加するようになった。しかし、当然のことながら高価な衣装は身に着けられないし、2月のブラジルは非常に暑い。そこで、明るい色を身にまとうことになった。カーニバルのパレードは1932年に端を発する。
そこから徐々に衣装の軽量化が始まった。1950年にはすでに男性は上半身裸、女性はビキニ姿になっていたことが確認される。水着のビキニが1946年に誕生しているので、非常に適応が早い。海以外でビキニ姿になったことを考えれば、全く持って革命的である。
1970年代になるとサンバ・スクールが組織化され、現代のように洗練され始める。この産業が衣装の豪華さを支えている。実際、テカテカビキニばかり有名だけれども、他のメンバーの極彩色の衣装は露出が少なくても見ていて楽しい。こうしたサンバ・スクール(エスコーラ・ジ・サンバ)は学校を名乗っているが実際は組織化されたダンスグループで、最大で4000人の規模にも達する。舞踏や衣装のスタイルに違いがあり、区別される。なお、ダンサーだけで4000人であり、衣装を準備する人やその他オーガナイザーは含んでいない。
また、同時期にサンボードロモ、つまりサンバを披露するためのエリアが作られる。ウィキペディアによれば、通常は、サンバ・スクールのパレードが展開できるほど長い空間を、観覧席が取り囲むような構造になっているそうだ。阿波踊りの会場みたいなものか。そして、リオデジャネイロのサンボードロモの場合、中央のパレード空間の長さは700メートルに及ぶとのことである。ブロコス、カーニバルのブロックもまた作られた。
現代では、ほとんどあらわになった胸に紐パン姿も散見される。英国のタブロイド紙がこうした乳首の露出やフェイクの乳首について記事を書いている。
今のところ、全裸は許容されていない。とはいえ、ルールを守らない人もおり、そのせいでサンバ・スクールが時折資格を剥奪されることさえある。そういう格好で踊っている人が見たければxvideosかpornhubをご覧いただきたい。野外で全裸になるのは露天風呂でもわかるように最高なので気持ちはわかるが、ルールは守りましょう。
Hyper sexual Carnival atmosphere has a dark side for Rio's women | The Independent | The Independent
ここで記者は、カーニバルのビキニの女性たちは過度に性の対象となっている、モノ化しているのではないか、と指摘している。つまり、パレードで疲れた男性たちを鼓舞するように休みなく踊り続ける半裸の女性、いわゆるボンキュッボンの「理想」的な体型で選ばれるサンバの女王たち。少年たちがサッカー選手に憧れるように、テカテカのビキニの女性に憧れる少女という構図。一見エンパワーメントされているようだが、実際は? しかも、カーニバルでは性暴力の数が圧倒的に増える。その場の雰囲気で強制されたキスだけでなく、強姦も含む。こういう空気を嫌ってか、カーニバルの期間は脱出する人もいるそうだ。
自分は、よその文化だから評価できる立場にはない。ただ、たとえば「理想」的でない体型の女性も選ばれたらもっと素敵になるかもしれない、と思うのだ。昨今、モデルの体型をやせ過ぎにするのはやめよう、という運動が起こっている。それに、いわゆる美人ではないしスリムではない女性が芸能界で活躍することが増えた。自分の好みではないが、とてもいいことだと考えている。貧乳でもいい、毛深くてもいい、ぽっちゃりでもいい。そういうメッセージが社会全体に広がることで、あなたはあなたのままでいいという空気を作ってほしい。あなたをあなたのままで尊重する、そうすることで暴力の少ない社会にしていきたい。
過度に性的な空気は似たようなイベント、ニューオーリンズ・マルディグラでも問題になっている。家族で過ごすイベントである側面もありながら、野外で全裸になる人も後を絶たないのだ。ブラジルから外れるので詳しくは述べる余地がないが、詳しくはウィキペディアを参照してほしい。
Child queen, U.S. stars to light up Brazil Carnival | ロイター
https://www.france24.com/en/20100215-controversy-over-child-performances-mars-rio-carnival]
あるいは、7歳の少女が躍る権利についても議論が巻き起こっている。子どもの権利を保護する団体が、彼女が性的に搾取されることを恐れたのだ。ハイヒールにビキニの大人たちのいる場はどうしても性的だし、40度にも達する気温は子供の身体に有害である恐れがある。同時に、踊りたいという子供の夢をかなえたい思いもある。日本でも、浅草かどこかで踊る小学生のビキニ姿をアップロードする者は後を絶たない。
ちょっと前まで子どもがすっぽんぽんで泳ぐのがかわいいとか言っていた時代だったかもしれないが、誰でも写真や動画が容易に拡散できるようになってしまった時代、そうもいかないだろう。僕たちは否が応でも自分の身体を性的だと意識せざるを得ないし、子どもが自分の身体を守るための性教育の必要性は高まっている。何も幼稚園児からセックスについて事細かに説明する必要はない。ただ、身体の特定の部位を覆い、むやみに他人と触りっこしないように教えて身を守れるようにすれば十分だろう。性教育とはセックスの知識だけではないのだ。
2月の祭りとしてはしないと思う。日本人は概して祭りが好きだし、海外の祭りを積極的に受容してきたが、イースターが定着するかどうかどうかという雰囲気であり、これ以上の祭りを受け入れるキャパシティは少ないのではないか。2月にはすでにバレンタイン商戦があるので、そこにねじ込むのは少々無理があるだろう。50年経てばパリピがホーリー祭りまでやり始めるかもしれないが。あるいは、8月の浅草サンバカーニバルや5月の神戸まつりのように季節をずらすかもしれない。大体ああいう格好をするのは単純に踊っているとめちゃくちゃ暑いってのもあるだろう。
私事だが、イギリス育ちの自分としては、日本に戻ってハロウィンやイースターがないのが当然だと思っていたし、寂しいとも思っていなかった。触れるとすればせいぜい、NHKの「えいごであそぼ」や国際交流の授業で言及されるくらいであった。ハロウィンやイースターを定着させようとする動きはごく最近のものだ。
それに反対するわけではないのだが、ハロウィンが終わって街の雰囲気がすぐにクリスマスになるのは風情がなさすぎる。米国ならクリスマスまでの間に感謝祭があるのでまだ11月を感じることができるのだが、日本ではそうもいかない。二十四節季を楽しんでいた先人のいる国とはとても思えないほどに大味だ。
商業主義との両立を考えるなら、11月にも何かイベントをやればいいのではないか。2月には豆まきとバレンタインがある。毎月2度のイベントをやれば、二十四節季めいていてまだいいのではないか。
今回はテカテカビキニが50年代にまでさかのぼることを示した。今後は、世界各国の祝祭の場における露出の自由、野外全裸、性的規範のゆるみについて調べるとともに、暴力を防ぐための対策についても調べていきたい。
まぁ単純にお金無いなら貧しいだろみたいな直感的な考え方もありますが、人によっては貧乏のどん底からでもいくらでも這い上がれたりするじゃないですが、そういう人は一時的にお金がないとしても人間として富裕層の一種であると考えられます。
自分が注意している点としては「稼ぐ」ていう言葉を使う人はだいたい一生ラットレースの中に沈んだまま、這い上がれないだろうなぁ
一時的に大金を手に入れることができてもそれ以上増やせなかったり、下手すれば使い切ったり余計多くの借金を抱えることになったりしてる感じがします。
まず「稼ぐ」という考え方が、資本主義の世界では奴隷の考えです。
わかっているかとは思いますが、資本主義は金(カネ)による奴隷市場です。
資本の無い人間に借金を背負わせて(あなたも奨学金借りましたよね?)その弱みを使って搾取します。
中には奨学金でさえ大変なのに自分から家を買って借金を重ねる人がいますね。借金をして高級車を買ったり家を買ったりするのはまさに、奴隷の鎖自慢ですね。俺はこんなに立派な足かせをはめているんだ、こんなに(借金が)重いんだぞ、絶対に動けないし労働から逃れられないんだ!えっへん!
ブラボー退路を絶って戦う様、なかなかに感動モノです。私は遠慮しますケド…。
もちろん勤め先の企業によって職種によって搾取の度合いは違います、比較的搾取が軽い場合もあるでしょう。でも、基本構造は同じです。
Aさんが裸一貫で年収500万稼ぐ間に、資産家何もせず、持っている一億円が自動で500万儲けをだします。
(一般的な投資によるリターンは年率7%とされていますが、文中は控えめに年率5%として計算しています。)
これは何が起こっているのでしょうか。どういう理屈でしょうか。
前述の例では労働で500万を稼ぎ出すAさんと、自動的に500万を生み出す1億円がありました。
資本主義の世界ではAさんと1億円は、同じ働きをします。つまりAさんの価値は1億円です。
どうでしょう、こう考えるとなかなかに「体が資本」っていう言葉の意味がしみてくるのではないでしょうか。
ここまではわかるでしょうか。当然年収を上げると、その人の価値が上がっていきます。
いま500万稼いでる人が5000万稼げる様になるには、10億円の価値のある人間になる必要がありますが、可能でしょうか。
例えば臓器を売ると一時的に年収は増えますが、そんな労働はいつまでも続けられません。
詐欺をするとかタピオカミルクティーを売るとか、一時的には稼げても安定するとは限りません。
一般的に労働だけで収入を増やすには限界があります。それは人間の価値を上げる方法に制限があるからです。
二倍の収入を得るためには二倍働けばいいです。可能でしょうか。人によるとは思いますが、まず間違いなく体を壊してしまうでしょう。
体を壊してまでお金が必要なのでしょうか?人によってはそこまでしてほしいかもしれませんが、わたしは御免被ります。
仕事の価値を二倍にするという戦略は可能でしょうか?会社が私の仕事の価値を鑑みて給料を二倍にしてくれるのです。ありえるでしょうか?
労働をする限り収入は絶対に増えない。という感覚が段々と肌感覚で分かってきたでしょうか?
儲かる仕事に付けば転職をすれば2倍3倍と稼ぎを増やすことができる!!
そういうふうにおっしゃりたいでしょうか。確かにそれくらいまでなら可能でしょう。
ではあらためて、頑張って稼げるようになった労働者と資本家を見比べてみましょう
一般的にはどちらが良いか決めるのは難しくなるかもしれません。
ですが、私に言わせれば断然何もせず500万手に入れてるほうが、良いです。
なにせ労働しなくても済むんです。一時的にA`さんみたいにお金を稼いで資産を増やすというのであれば問題はありませんが、
A`さんが1500万円すべてを消費してしまうようであれば、結局は「重たい重りを自慢できる奴隷」のままです。
そう思いましたか?安心してくださいあなたも、働かずにお金を得ることが出来ます。
もう一度思い出してください。
前述で私はこう書きました。「資本主義では金と人間の等価交換が行なえます」
であれば、年収5千円は人が稼ぐ必要はありません。5千円を稼ぐ人の価値は10万つまり、
M2なんですよ。
で、ありがちなことに投げ出して引きこもっていたんですよ
原因について言語化したくなくて考えないでおいたんですけど増田にならできる気がするので書きますね。
・今年はコロナの影響で3月-5月は学校侵入禁止だったんです。だから研究ができないから雑誌会をめっちゃやろうかということで月1本くらいやることになっていたんですね。本来は就活が終了した人から大体7月くらいにやるんですけど。
・ついでに自宅で就活をする必要があるではないですか。でもちっとも進まなかったんですよ。自宅なんて寝る用のスペースしか用意していないのに、部屋は妹と同室なのに、自己管理ができないからコアタイムがちがちの厳しめな研究室にしたくらいなのに、説明会も会場に行くのではなく自宅で好きな時間に見るようになってこれまた自己管理の必要性が出てきて、そもそも友達がいないし、まあこの辺は言い訳なのですが、ESが出せない出せない。うっかり期日を過ぎた企業が多数で、何とか出せた数社も締め切り数時間前に滑り込みだし、まあそんな感じでグダグダしていたんですよ。それを横目に数少ない友人は内定を決めてくるしね。
・とはいえ思ったよりも自己を律せられなかったなと思う。1月から発狂したように就活をしていて体力が無い癖にその体力の無さを認められず把握せず管理せず休みもほとんどなく体力的に疲れていたというのもある。コアタイム中に実験をサボって就活をしているというのが快感で、就活をしないのだったら実験をしなくてはならないというのが一応のプレッシャーではあった。これが急に無くなってサボろうと思えば私だけの不利益でサボれてしまうんだもの。
・そんな中雑誌会もしなければならないじゃないですか。私そんなに成績いい方じゃないし本当下から数えたほうが早いし有機化学も得意じゃないしでもまあ実験は好きだから研究室来たんですけど手を動かすのは好きだけど得意とは言っていないのですけど、
で、だからこれまで雑誌会は本当に締め切りのめちゃくちゃ前からゆっくりじっくりやるのが好きだったんですよ。でも就活(やっているとは言っていないが)の合間を縫ってやるのが本当に進まなくて。1つ目は締め切り1週間遅れで無理やり仕上げたけど自分の目で見てめちゃくちゃクオリティ低いし。っていうか普通雑誌会が出来たら発表する前に先輩や同僚に見せるのが慣例なんですけどそんな暇もないし。
・というかね、うっかりもうM2なんですよ。つまりね、後輩の面倒を見なければならないということなんですよ。でもここ2年で全然成長していないし本当成長が遅くて。正直私より後輩の方が普通にできるし。だから私に雑誌会の添削を頼んでも大したこと言えないと思うのよね。というか添削本当に苦手なんですよ。普通に頭悪いし本質を理解せずにパターン丸暗記の段階だから応用が効かないし。ああ私勉強できなかったんだな分かっていたことじゃないか。でもそうすると5人もいる後輩をもう一人の同期がほとんどすべて面倒を見ることになるじゃないですか。同期はまあ面倒見がいいし要領がいいし文句はめちゃくちゃ言いつつもやれると思うんですけどそれは申し訳ないし何より悔しいじゃないですか。でも私事実後輩の面倒を見るの得意じゃないしできないし苦手なんですよ。こう、できないのにできるふりをして無駄に高圧的に的外れなことをいう典型的な悪い上司ムーヴをしてしまうんです。まあ言い訳なんですけど。
(今考えると結果的に投げ出しているので後輩指導を同期に丸投げしていることになっている。意味がない。)
・で、二つ目のも無理やり仕上げたんですけど本当クオリティ低くて。というか2つくらい難しくて分からないけど調べ方が分からなくて。これを晒して後輩に笑われるのが怖くて。恥ずかしくて。
・で、提出を投げ出してすべての連絡を絶って引きこもったんですね。
就活もちょうどいいから投げ出して。推薦で行く予定だった最終面接も投げ出して(これは本当に、後輩に申し訳ない)、ほかもろもろ投げ出して。
引きこもっていた期間の行動や心理については、父が音読してくれたこのブログとほとんど同じである。どのブログだろう。探せなかった。
https://note.com/kazuaki3280/n/n95ea3a34bc06
私の現状を知った父に引っ張り出され無理やり研究室に行かせられているのが今日である。
・まあ今年の、同級生にありがちな就職は厳しそうだろうなというタイミングだから諦めもついたというのもある。
・正直私は今でも退学したい。恥ずかしい思いをする場から逃げ出したい。
ただこうやって当時の心理を言語化すると感じるが、本当に視野が狭いし、中島敦の「臆病な~」を送りたい状態だな。今もそうであることは否定しないが。
就活でハイになって、先輩もいなくなって、自分の期待値を上げたのが悪かったのかもしれない、敢えて悪者を作るとすれば。
・他の同僚に受け入れられるかという話ですが、みんな意外と優しいので私がヘラヘラしていたら受け入れてはくれるし排斥はしないと思うし、そこはあまり心配はしていないのだけど、普通に受け入れられた後に普通に研究を続けた後普通に研究とかのコミュニケーションでうまくいかなさそうでそれは心配。
・多分留年すると思うんだよね。前期の研究の必修の単位落としたし。
就活どうしよっかな、いっそ別の分野で文系就職をした方がいいのかしら。でも他にとりえもないしコミュ力が無いからこの分野(化学系のメーカー)で就職したいとM1の時に思ったのであって、文系就職の方が苦戦しそうな気がする。
でもなあ、研究室で私がうまくやれていたかというとそんなことないので、きっと雰囲気や求められている資質が同じな化学メーカーの研究職に行ってもどうせダメな気がするなぁ。
そこは迷わないと決め打って就活をしてきたんだけど、こうなった現状迷ってしまうな。じゃあ他の分野と言われても何、って感じだしな。どうやって調べたらいいかすら分からないな。就職イベントとかに行けばいいのか?インターネット苦手だな。
分かんない。どうやって決めたらいいのかわからない。自分で決めて自分で自分の責任を取るのが怖い。
・M2になってさ、できる人にならなくてはならないという思いはまあめちゃくちゃあったよね。そこは諦めたほうがいいんだろうなと言う思いは持つことにした。
・うちの研究室の5年前くらいの卒業生に似たように3年かけて卒業した先輩がいることは知っている。隣の研究室で私の2つ上の先輩に留年した先輩がいることも知っている。前例がいればいい訳ではないが、まあ事実として少しの安心材料にはなる。
・研究についてですが、そもそも個人テーマだし、ちょうど芽が出ないから他のテーマやりたいですと言っていた時期だったし、その意味ではあまり問題は大きくない。
12月に学会に行くと言ってしまっていたので、それをどうするかは教授と相談しなくてはならない。多分振り込みはしたが申し込み書類は書かずに投げ出したし事前のなんちゃらも何もしていないのでどうしたらいいのか教授と相談しなければならない。
・教授はいい先生だと思う。比較的手厚いし、生徒を気にかけているのは感じるし、私に心配のメールを送ってくれていることからもその辺は豆である。
ただ優秀な人には嫌われがち。管理したがりだし、厭味ったらしくはあるし。
・ただ事実として毎年のようにドロップアウトする学生が続出しているのは先生が可哀そうだなと思う。私みたいな学生をうっかり取ってしまって本当に申し訳ない。多分お情けで取ってくれたのは知っているし(私の年は偶然定員オーバーしていなかったから落とされなかったが他に人がいたら落としていたとは思う。似たようなことは取るときに言われた。)、本当はた迷惑な学生で申し訳ない。
母が言っていたが、だとしても取ってしまった以上卒業まで面倒を見るのは仕事なので教授の義務らしい。知らないがアメリカならとっくにクビなのではないだろうか。
その辺は日本の大学の古くて有り難い部分だと思って権利を行使するべきなのだろうか。定期的に頭の中の私が「私にそんな権利ない!やめるべきだやめたいし!」と叫ぶ。
でも父も母も口を揃えてやめるなと言うのでやめない方がいいのだろうな。
・せめて雑誌会をさ、クオリティ低いものを提出するか、せめて「間に合いませんごめんなさい次週でいいですか」の連絡くらいするべきよね。別に就活も投げ出して私生活も投げ出せば許してくれるわけではないから。先生は私がこんな感じなのは十分知っているのだから優しくも「無理そうですか?」というメールもしてくれいていたのだし。
当時は鬼の形相のメールに見えたが今読むと全然そんな事なくてむしろ優しい文面で驚く。
・最近、先生が、なよい学生が増えたから緩くなったよねと言われていて、その一翼を私も担ってしまったのが悔しい。
(悔しいと思う箇所がずれているとはよく言われる。これもそうなのだろうか。多分本当に悔しいことは他にあって、でも言えなくて、まだ言えそうなことになすっているような気がしている。)
・ねえそういえばこれファーストコンタクトを教授にしたけれどさ、普通は同僚の学生とか他の研究室の懇意にしている先生とかに相談すべきだったのだろうか。
もうちょっと書きたいことがあるのだけどまた書いて再投稿します。
【9/29 0時 追記】
とてもあたたかいコメントが沢山ついていて本当に驚きました。ありがとうございます。涙が出ました。