はてなキーワード: 疲れ目とは
最近ADHDと診断された30代東大卒男だが、わかる。問題はバックレるかどうかじゃなくて、「成功する可能性」だけで満足できてしまうこと。
実際に成功するかどうかは本人の幸福にとって問題じゃないんだよ。だからといって、一般の人が思う「失敗を怖がっている」とか「プライドが高い」とかも完全に的外れの大間違い。
「まだチャンスがあると思える」事の方が、実際にチャンスを生かして成功することよりも、自分の幸福にとって、ずっと重要なんだよ。
失敗しまくっているから、失敗しても自分の人生がそこまでは悪くならないと知っている。成功体験がないのが問題でもなく、何回も成功した経験はあるが、大して嬉しくなかった。ADHDは報酬系にも問題があるから、成功時の「得した」感が普通より低い。だから、実際に成功したか失敗したかよりも、「成功する希望があるか」「成功する可能性があるか」といった期待感を持てるかどうかの方が、本人にとって生きる上でずっとずっと重要なんだ。「成功する可能性」の期待感だけあれば、希望を持って生きられる。「成功する可能性」が生きる希望なので、「成功する可能性」の期待感の喪失を避けることが最優先になる。
バックレれば、「バックレなければ成功したかどうか」は誰にも永久にわからない。だから、「成功した可能性」は残る。「バックレなければ成功したかも」と思える。「バックレた」のは自分の行動だから、自分で決められる。
つまり、「バックレる」ことによって、「成功したかどうかの決定権は自分が持っていたんだ」と思うことができる。「やれば自分も成功したかも」と思える。繰り返しになるが、「失敗を怖がっている」のとは全く違う。「自分にもチャンスがある」と思えなくなることを避けているのであって、たとえ失敗しても「またチャンスがある」と思えるのであれば全く問題ない。
たぶん、君が努力して手に入れようとしたものを手に入れる直前で手放してしまうのは、こういう理由だ。努力すると、同時に、「同程度の努力をもう一度行うのは不可能」という感覚も増す。最後の最後で、成功をつかみかけて万一失敗したら、「同程度の努力をもう一度行うのは不可能」と知っているので、「自分も成功したかも」とは思えなくなる。期待感を持って生きられなくなる。本人の幸福にとって重要なのは、結果ではなく期待感。なので、期待感の方が優先され、直前でバックレる。そうすれば、「もう二度手に入れる事が不可能なものを失った」とは思わなくて済む。自分の人生に不可逆的なダメージを負った、とは思わなくて済む。「自分がバックレていなければ手に入れられたはず」と思えるし、「人生に不可逆なことはない、未だ何も失っていない」と思い続けたまま生きられる。
で、どうすればいいか?わからん。結局、「幸福の感じ方」の問題、感性の問題。成功すること自体よりも、チャンスがあると思えることの方がはるかに重要。
自分の場合は、バックレる直前まで何もせずにいて、直前から努力して当たって砕ける…というタイプだったので、現実世界でも最低限の幸福は手に入れられた。
若いうちはそれで何とかなる。20代まではね。一般の、普通の「失敗した人」に紛れて暮らしていける。多分、元増田より年上だからアドバイスするとしたら、一般向けの「失敗を怖がるな」とか、その手の自己啓発のようなアドバイスは基本、役に立たないと思った方がいい。直すなら自問自答したり、ちょっとでも成功したら贅沢したりしてよいとかルールを作ったりして、「成功すること自体による幸福」の方を、「チャンスがあると思える期待感による幸福」より重要に感じられるようにするしかないと思う。それは、一般の人が行うやり方とは似て非なるものになると思う。
追記:
「合格しているのに手続きしない話はこれでは説明できない」という意見があった。また、「回避性パーソナリティ障害」というのがあるというのも初めて知った。
「回避性パーソナリティ障害」については読んだけど、要するに人から批判されることを徹底的に避けるという話で、「合格しているのに手続きしない場合」を説明できないことについては回避性パーソナリティ障害説も同様だと思う。
「合格しているのに手続きしない話」は、おそらく、「合格そのもの」が成功なのではなく、「合格したことによって他人からの自分の評価が上がる/幸せになる」ところまでを「成功」だと無意識に認識しているのだと思う。そう考えれば、上と同じ「成功する可能性を維持したい」説で説明できる。元増田の資格(危険物取扱者乙4種?)は、自分は分野外なので正確には知らないが、少なくとも弁護士や公認会計士のような難関資格の類ではないことは確かだろう。つまり、合格して手続きしたところで自分の評価が上がったり、自分の生活がよくなるとは限らない。せっかく合格して手続きしても、「成功」と思えるような外的評価が得られないかもしれない。そうなると、やはり、「成功する可能性」は失われる可能性がある。「手続き」しなければ、「成功する可能性がある」状態は保持できる。だから、元増田にとって、「手続きする」のは億劫だからやらないのではなく、そもそも「損するかもしれない行為」、自分が幸せに生きるために必要な「成功する可能性」を不可逆的に毀損するかもしれない行為。だから、無意識のうちに手続きしたくない、そんなのありえない、と思ってしまう。例えて言えば、近視の人がレーシック手術を受けるのと同じだと思う。高い確率で目がよくなるが、低い確率で疲れ目のような症状が出るかもしれず、角膜削るので一度手術すると絶対に元には戻れない。だから、近視の人でも皆がレーシック受けるという選択をするわけではないことは理解できる。これと同じ。
追記2:
別に元増田の原因が「これだ」と決めつけているわけでもなく、元増田自身がこの仮説で納得するかどうかもわからない。そもそも、元増田がADHDかどうかもわからないし、発達障害かどうかすらわからない。ADHDだが、この話は自分に全く当てはまっていないと思う読者もいるだろう。ただ、結局のところ、発達障害かどうかはキレイに分けられるわけではなく、中間段階があるもので濃淡のある連続的なもので、万人が少しはもっている傾向が極端に現れて生活に支障をきたすのが発達障害、というのは、おそらく学術的にも正しい言説だと思う。
元増田と自分の症状の両方を説明できる、現時点で一番合理的な仮説と自分が思えるのが「可能性を実現より重視してしまう」説だというだけ。自分も一年前は全然違う仮説を持っていたし、単に「失敗を恐れているだけ」なのではないかと思って自分を追い込んでみたこともあるが、どれも、自分の先延ばしにして直前になってやり始める症状をうまく説明できなかった。別に失敗してもクビになるとかキャリアに大きな影響を及ぼさない場面でも、「できるだけ良いものを」と思うと先延ばし癖が出るのが自分の症状。
この「可能性による期待感を結果より重視する」説だと、選択肢が多いければ多いほど幸せになるはずだが、そうはならない。多分、選択肢が増えすぎることを忌避する傾向(選択選好)も、普通の人と同様、同時に持っていて、これも考慮しないといけないのだと思う。スーパーで同じ「プリン」というカテゴリのものを、様々な種類のものをたくさん仕入れすぎると、結局迷って買う人が少なくなるというアレだ。自分の場合は、選択肢が少なくても、場合によっては選択肢が1通りしかなくて、それを行うか行わないか選ぶだけでも、「その選択肢を実現するか実現しないかを自分の好きに決められる状態を維持したい」ということになり、結局最後の最後まで決定権を行使しない。なんにせよ、何かが実現してしまうと、その何かが「実現しなかった」という可能性は0になってしまうわけで…実現しないことが後々プラスに働く可能性もあるような場合、なるべく、実現しない選択肢に後から切り替えられるように、最後の最後まで決定をしない傾向がある。自分の場合ね。多分、元増田も、そのあたりまでちゃんと考慮して、「可能性による期待感を結果より重視」以外に、もう1つ2つ仮説を立てないと、ちゃんと現象をうまくモデル化できないと思う。
追記3:
ブコメにいくつか返信。
ある。元増田がその一人になるかどうかはわからないが、「先延ばし」症状に真剣に悩んでいて、この記事を読むことで症状が緩和される人が一人でもが出てくるなら喜ばしい。
音楽と同じで、何が刺さるかは人それぞれなので、合わない人が人がいることは想定内。だが、読んでもらわないと仕方がない。注目度を上げるためには、「東大卒」を出した方がよい。
それが鼻について気に食わない人も出てくるだろうが、そういう人は自分の「先延ばし」症状で真剣に悩んだ経験がないのだと思う。
本当に先延ばし症状に苦しんでいるのであれば、書き手が東大卒だろうが高卒だろうがそんなことはどうでもよくて、自分の症状の一部に当てはまる部分があるかどうかを必死に考えるはずだから。
>それを世間一般に「失敗が怖い」「プライドが高い」と言うのだ…
そうそう、この手の分析を開陳すると、「それを失敗が怖いというのだ」という反論をする人が必ず出てくる。結論から言えば、この手の発言は単なるマウンティングだと思っている。
1)仮に、世間の一部に「失敗が怖い」=「可能性からくる期待感を結果より重視すること」を常識だと思っている人たちがいたとしても、これほど「腑に落ちた」というブコメがつくということは、明らかのその常識は一部の限られた人たちの常識であることは否めないだろう。自分の常識が皆にとっても常識だと思うのは間違いだ。
2)「失敗が怖い」から、「バックレ」までの間を説明してくれ。先延ばしにしたりバックレたりしたら確実に失敗するのだから、「失敗が怖い」とその時点で矛盾するだろう。
3)「プライドが高い」の「プライド」とは何か、定義したうえで、「プライドが高い」となぜ先延ばしやバックレにつながるのか、説明してくれ。
4)少なくとも自分は、「失敗が怖い」とも「プライドが高い」も、自分の先延ばし症状を改善するうえで役に立たなかった。真剣に「失敗が怖いのだろうか」と思って、失敗したらどれぐらい損をするのか多少強引にでも金額に換算し、失敗しても大した損にはならないと分かっている場面でも、先延ばしは発生した。「プライドが高いのだろうか」と考えて、実際に自尊心を低く保つように努力してみたこともあるが、先延ばし症状の改善には全く役立たなかった。「失敗が怖い」も「プライドが高い」も、結局、本人の症状改善につながらないなら分析として意味がないんじゃないか?
自分も経験したが、結局、この手の発言は、先延ばし症状を持っていない人間が、極端な先延ばし症状を持っている人間を一般的な「弱さ」と結び付け、自分より格下に位置づけると同時に、惑わせて先延ばし症状の改善を遅らせる効果しかない。極めて悪質で卑怯な類のマウンティングだと思う。例えていえば、食べ物のアレルギーのない人間が、食べ物のアレルギーを持っている人間に対して、アレルギーの存在自体を知ろうともせずに、「そういうのを、世間一般には食わず嫌いというのだ」と言って、歪んだ善意で説教するのと同じ。赤ん坊に蜂蜜与えて殺しておいて、「自分は悪くない」というジジババと同じだよ。何もいいことがない。
先延ばし症状に10年以上苦しんできて、いろんな人からいろんな事を言われたが、結局、アレルギーと同じで、症状を持っている人間がそれぞれ対処法を見つけて対処するしかないのだよ。
医者の反応もアレルギーと比較すると分かりやすい。重篤で生死にかかわるようなアレルギーには医者は真剣になって対応してくれるが、軽度なら医者は一般的な注意をするだけ。
精神科医も同じで、今にも自殺しそうな患者をたくさん抱えている中で、先延ばし症状で困っている人間なんて、軽度の話だから大して真剣に対応してくれない。だから、本人が自分で対処法を考えるしかないのだよ。
追記4:
「見通しが立たないこと自体、不確実性自体を避けていると考えた方が説明がつきやすいのでは?」という意見があった。その可能性は自分でも考えたし、確かにその傾向はあるが、その仮説だと、そもそも成功するかどうかわからない資格試験とか大学受験とかスポーツ大会とか、そういうものに参加すること自体を極力避けようとするはずなので、何かに挑戦することそのものを避けないとおかしくなる。元増田も自分も、何かに挑戦すること自体、挑戦への入り口自体は、特に精神的葛藤なしに行えている。また、不確実性を忌避する傾向は普通の人にもある程度ある話なので(大学受験で滑り止めを受けるとか)、不確実性を避ける話は関係していると思うが、「不確実性を避ける」だけでは説明できないと思う。
追記5:
「不成功防衛」のキーワードも何回か見た。要するに、「成功しないことで自分を守る」という話のようだけど、結局、何をしたら「自分を守る」ことになるのかよくわからないし、自分の何を守っているのかも人それぞれ。なので、何にでも当てはまってしまうように見える。フロイトをひいて解説しているものもあるが、フロイトは今日のような統計科学としての心理学が発達する前の人だし、あんまり信用できない。
人間が何を幸福と思うのか、リスク回避の傾向がどの程度あるのか、などは、統計が発達した後、行動経済学で心理実験を通じたよく調べられている話。この記事に書いたことも、その辺の書店に売っている、プロスペクト理論の話にヒントを得て書いた。ちゃんと考えれば、意思決定の仕組みが定型発達と先延ばし症状のある人で、意思決定の仕組みがどのように違うのか、少数の器質的なハイパーパラメタの値の違いで説明できるように思う。
追記6:
「では、どうすればいいか?」については、言及すると、「自分にはそれが合わなかった」という人がワラワラ出てくるだろうから、意図的に放り投げて最初から言及しなかった。とりあえず、自分自身について書くと、今のところ一番有効だったのがスマホのマルチタイマーアプリ。5分とか7分とか、そのレベルまでやることを細分化して、とりあえず目先のことを1つ終わらせる。
ただ、現状の不満は、どのタイマーアプリも「時間を測っていない瞬間」が存在すること。これによって、すぐにタイマーを回し忘れて、気が付いたら膨大な時間が過ぎている。とりあえず、「何かタスクをやっている」「休憩している」の2つでいいから、ボタンを押すとタイマーが切り替わると同時に時間計測を始めて、「時間を測っていない瞬間」が存在しないようなタイマーアプリを誰か開発してほしい。ストップウォッチより、何も入れないとデフォルトで5分とか15分とか計測時間が自動的に設定されるタイプのタイマーの方が自分には効果的だった。あとは、スマホのある場所が職場か自宅かぐらいはスマホなら取れるので、その辺も考慮してくれるとなおうれしい。
追記7:
「東大卒と名乗らなかったら、こんなにコメントつかなかったのでは」は、自分もそう思う。増田は、「東大」の名前を効果的に出せるので良い。ハンドルネームでも本名でも、名前を出している状況で東大卒と名乗ると、必ず反感を持って個人的に粘着してくる人が現れるので、自分から東大卒を名乗ることは基本的には難しい。
「じっと近距離を見つめている(同じ眼筋がずっと緊張している)」
「作業に集中してまばたきが少なくなる(目が乾く)」
「明るいものと暗いものを交互に見る(瞳孔の拡縮が頻繁に起きる)」
といったあたりが挙げられる。
つまり、エディタの背景色を変えるくらいなら、こまめに休憩を取るほうがずっといい。
黒背景を見続けた直後に白背景を見ると強烈に眩しく感じるのは、黒背景で瞳孔が拡大しているから。
おそらくこれで「普段は気付いてないだけで白背景ってこんなに眩しいんだ」と勘違いする人が多い。
実際には多くのアプリケーションやウェブサイトは白背景のほうが多いのだから、
エディタだけ黒背景にするとむしろ「明暗を交互に見る」ことが増えると思われる。
明るすぎるディスプレイで目が疲れるのは確かなので、
ただし暗すぎてもダメ。
この春で夫が歯科技工士を辞めた。
歯科技工士は就職一年目での離職率が高い。6割だったか8割だったか。
夫の離職理由もこれに当たる。
(在職中にやれと言われるかもしれないけど、長時間労働だから平日に面接受けるなんて無理)
歯科技工士が低賃金なのは、歯科医師(歯科医院)を経由しないと注文を取れないから。
歯科医師に高額のマージンを取られるから歯科技工士の取り分が減るのだ。
外国には「デンチュリスト」という歯科技工士の資格を設けている国が多い。
「デンチュリスト」の資格を持った歯科技工士は患者を診察して直接患者から注文を取れる。
だから歯科医師にマージンを払わずに労働に見合った報酬を受け取ることができるらしい。
ないと注文が取れない。
「もっとマージンを下げて下さい」と歯科医師に頼めばいいと思う方もいるだろう。
しかし、歯科医師と歯科技工士は対等でないどころか、圧倒的な力の差が存在する。
週刊誌で読んだ話だが、ある歯科技工士が歯科医師に「報酬の取り分を歯科医師5:歯科技工士5にして下さい」(これは『厚生大臣公告』の内容。公告なので強制力はゼロ)と頼んだら、周囲の歯科医師全員から取引を断られた。
業界から干されてしまったその歯科技工士は妻子を残して自殺してしまった、という話だった。
歯科技工士は、取引先の歯科医師に適正な技工料を頼んだら干される。
そういう仕事。
技工料が低いため、歯科技工士は大量の注文を取る。
歯科技工士の平均年収は400万円らしいが、これは人口の多いベテラン歯科技工士の稼ぎが高いからだろう。
20代30代
夫も年収は多い時で(20代の時)300万円を越えた程度だった。
年収200万円台は、20代30代の歯科技工士には普通にあり得る。
本当かよと思うならネットで東京の歯科技工士の求人を調べてみて下さい。
15時間後なんて日もよくあった。
夫は体力と忍耐力があったから長く続いた方だと思う。
しかしそういう男性でも、働いているうちに疲れ目や頭痛を起こす。
夫はまだ大丈夫だけど、座り仕事だからいつ腰痛を発症するかも分か
らない。
歯科技工士以外の職業にも言えることだけど、長時間労働が続きろくに休息や休日も取れないと、いずれうつ病になる。
夫はうつ病になる前に辞めた。
しばらくは働かずに体調回復に専念して欲しい。
夫によれば総入れ歯の技工士の報酬は5000円、銀歯の報酬は1300円らしい。
「作るのに時間がかかるのにこの報酬じゃ割りに合わない」と夫が言っていたのは確か。
現職の歯科技工士の人口は減り続けている上、歯科技工士の養成所(専門学校や大学)に入学する学生数も減っているらしい。
無理もない。私は夫の過労を隣で見てきたから、未来ある若者に歯科技工士は勧められないもの。
実際には夫よりも更に長時間働かざるを得ない技工士もいるらしい。
「1日12時間労働なんてどうってことない」と言う人もいるだろうが、1日何時間働けるかは人による。
12時間でもOKという人もいれば8時間でも辛いという人もいる。
体力的には12時間労働OKでも家族と過ごす時間を持ちたいからという理由で、1日6時間労働で済ませたい人もいる。
10年後、20年後に日本から歯科技工士がいなくなっていてもおかしくない。
歯科技工士の得る技工料が安すぎる現状、
歯科医師との圧倒的な力の差、
歯科技工士は保育や介護同様、人材不足の職業であるにも関わらずマスコミが取り上げることすらない。
夫は、マスコミが過酷な労働実態を取り上げたりネットで話題になったりするぶん介護や保育の方がマシに見えると言っていた。
日本から歯科技工士がいなくなったら、入れ歯も銀歯も矯正ワイヤーも外国からの輸入に頼ることになる。
外国産が悪いとは言わないけど、日本の歯科技工士の技術力の高さは海外から高い評価を受けている。
ブラックな労働環境をこのまま放置すれば、世界から高い技術力が一つ失われることになる。
だから歯科医院は競争が激しい事、技工物から高いマージンを取らないと経営がやっていけない事は想像がつく。
しかし、低賃金で長時間労働というブラックな労働環境に耐えかねて他職種に転職する歯科技工士が相次ぐ現状、これが続けば歯科医院の経営も危うくなるだろう。
外国産の技工物で医療の質や患者の満足度を維持できればいいが、そうでなかったらどうなるか?
(しかし夫から最近聞いた話によると、歯科医師がCADや3Dプリンターを使って医院で銀歯や入れ歯を作れるようになるかもしれないらしい。
歯列矯正のワイヤーはそれではまだ作れないらしいけど。
機械で済むようになったら歯科技工士という職業は日本においては絶滅寸前になるかもしれない)
歯科技工士の労働問題は、立場の違いをこえて考えて欲しい事ですし、マスコミによってもっと全国に知らされるべきとも思っています。
少し前の出来事になる。
僕は自宅で勉強ができなかった。
昇進に必要な試験のため、勉強しなくてはならないのだが、どうしてもテレビやPCやスマホに気を取られ捗らないのだ。
幸い、近くの図書館に自習スペースがあるので、少し前から休日はそこに通いつめていた。
休憩中に色々な本を読むことができるのも良かった。
思い返せば、大学受験の頃もこうして図書館の自習室で勉強に励んでいたものだった。
今の僕は、あの頃の自分が思い描いていたような人物になることができているのだろうか…。そう考えると、いっそう勉強に身が入るのだった。
しかし、僕の仕事は結構忙しく、その上休日は全て試験勉強に充てていたため、しばらく体が休まるときがなかった。
少し睡眠不足になっていて、ぼうっとすることが増えていた。
そうでなければ、あの日、図書館に行った帰り道であんな事態に巻き込まれることはなかったのだろうと今になって思う。
***
その日の夜、閉館の音楽が流れるのを耳にすると、僕は参考書やノートを鞄にしまって立ち上がりエレベータへと向かった。
(図書館はある建物の高層階に位置しているので、出入りにはエレベータを用いなければならなかった)
図書館で思い思いの時を過ごしていた僕を含む老若男女が狭い箱に押し込まれ、地上で吐き出された。
外は当然ながら真っ暗だった。街の明かりが疲れ目に染みて、僕はあくびをかみ殺した。
その時だ。後ろから声をかけられたのは。
「なんだ、来てたんですね。声をかけてくれれば良かったのに」
最初、その言葉が僕にかけられた言葉だとは気が付かなかった。何しろ、知らない女性の声だったから。
肩を叩かれてびっくりして、僕はその人を慌てて振り返った。
誰だ?
まったく見たことがない女だった。年は多分大学生くらい。長い黒髪が色白の肌に映えている、地味な雰囲気の女だった。
僕があっけにとられていると、彼女はちょっと笑って僕の手をちょっと握って、駅まで一緒に帰りませんかと言った。
彼女は僕のことを知っている、でも僕は彼女のことを知らない。まったく知らない。
もしかして、僕らのどちらかが若年性の痴呆症だったりするのだろうか?脳が疲れていて、頭がうまく回らなかった。
「風邪引いてますか?ちょっと声が変じゃないですか?」「お腹すきましたね」「ちょっと痩せました?ちゃんと食べてますか?」
など、女がときどき投げかけてくる質問に生返事を返しながら歩いている間に駅についた。
僕は、あの図書館から徒歩10分の場所に住んでいる。電車は使っていないのだ。
けれどもなんとなくの流れで一緒に改札を通ってしまった。
そればかりか、反対のホームに向かうため、図書館を出たときからずっと握っていた手を名残惜しそうに離して小さくバイバイをした彼女が
少し淋しそうではかなく見えたから、僕は踵を返してまた彼女の手を握り、同じ方向に向かう電車に乗ってしまった。
僕は何をやっているのだろう?
「明日、仕事お休みなんですか?」嬉しさで口元が緩んでいるのを隠し切れないらしい彼女が僕に聞いてきた。
今日は土曜日で明日は日曜日だから、それは間違いなく真実で、だから黙って頷いた。
行ったことのない方面へ向かう電車、窓の外を流れる見慣れない景色、そして横には知らない女。
何もかも非現実的だった。
窓ガラスに映る僕達二人の姿を眺めながら、多分これは夢だろうなと僕はその時初めて思い当たった。
そう考えれば何もおかしいことはないし、どうせならこの状況をとことん楽しんでやろうと思った。女は地味だが笑うと可愛かったし。
そういうわけで、彼女のアパートに到着してドアを閉めるとすぐに押し倒して、そのまま彼女が気絶するまで滅茶苦茶セックスしまくった。
その女は着やせするタイプのようで、ものすごくエロい体をしていた。
気持ちよかった。
次の日の朝、女の悲鳴で目が覚めた。
目を開けるとあの女が居たが、昨日とはちょっと違っていた。けっこう度が入った眼鏡をかけていた。
「あなた誰なんですか」怯えた顔をしていた。
「それはこっちの質問だ。君こそ誰なんだよ」僕は言った。「僕の手を握って家まで連れてきたのは君じゃないか」
彼女は混乱していたので(僕もだが)、落ち着くのを待ってから昨日の話をした。
とても驚いて、青ざめた顔をしていた。
事の顛末はこうだ。
彼女には昔付き合っていた年上の男がいて、別れた後もしばしば連絡を取り合っていたが、最近は途絶えがちになっていたそうだ。
その男と彼女はかつて、図書館に来てお互い自分の用事を済ませ、帰りにデートしたりしていたらしい。
彼女はまだ、その男のことが好きで、それでそいつに便利屋扱いされていたようだ(色々な意味で)。
(写真を見せてもらったら、なるほど、その男は背格好や顔立ちがなんとなく僕に似ていた)
前の日(つまり僕がお持ち帰りされた日)、彼女は目が痛くてトイレでコンタクトを外し、その際にうっかり水で流してしまったが、後は帰るだけだしと裸眼で過ごしていたらしい。
それで、僕とその男とを見間違ったのだった。
事情がわかると、彼女は半裸のまま、色んな液体がカピカピになったものを体にこびりつけたまま、土下座して僕に謝った。
「そんなに謝ることないよ、僕がちゃんと言わなかったから悪いんだ。ちょっとぼうっとしてて訳がわからないまま来ちゃったのはこっちだし、それに…」
「それに?」彼女は、擦り付けていた頭を上げ、黙ってしまった僕に尋ねた。
何でもない、と僕は言った。何を言おうとしていたんだろう。そうして、彼女をじっと見つめている自分に気が付いた。
***
それから何となく一緒にお茶を飲んだりごはんを食べたりするようになり(もちろんセックスはなし)、
彼女(社会人だった)と僕はなんと出身大学も学部も同じ、好きな本が同じ、食べ物の趣味が合う、などが判明した。
一緒にいると心地よくて、割と可愛くて、何よりあの夜のことが衝撃的だったので
いつのまにか好きになっていた。
あんなことをしておいて可笑しいかもしれないが、二人とも奥手だったため、
初めて出会ってから正式に付き合うまでに一年間の時間を要した(もちろんその間セックスはなし)。
図書館に通っていただけで、彼女もでき、それから試験でそれなりに良いスコアもとれて無事に昇進できた。
たまにはこんなすごい幸運もあるのだなと思った。
このことを思い出して書こうと思ったのは、彼女の本棚からアルバムが出てきたからだ。
彼女はその時、夕飯の買い物に出ていて、僕は好奇心からついそれを見てしまった。
前に付き合っていたというあの男の写真も混ざっていた。処分し忘れたのだろう。
久々に見ると、僕に本当によく似ていた。
それらの写真は七葉あり、彼女が前に見せてくれたものを除き、なぜか全て少し離れたところから撮られていて、ほとんどが横顔だった。
そのいくつかの写真の中で、彼は僕が持っているのと同じシャツを着ていた。
なかなか興味深いとは思いませんか?
自分もほぼ、同意見です。喫煙者が・・・では無く、非喫煙者が、休憩時間までデスクワークする事の危険性に関してです。集中力だけでなく、多くの人が、気付いて無いのですが、PC作業を持続して行うと、疲れ目、肩こり、腰痛の原因に成ります。しかも、「いつもの事だから」なんて言ってるから、重篤な病気にも気が付かず、体調をこわし、仕事が出来ない体に成ります。
例えば55分作業して、5分休憩しないと、若いからとか、いつもとか言って最終的に体調をこわします。
自分は、仕事上そんな調子が悪く成った人に沢山会いました。マッサージ屋さんで、1日しか持たないのが、いい例です。
自分は、調子を元に戻すことは、すごく難しいと話して、納得してもらってます。
それと、タバコは害になる。お酒は良い、と言うのは、間違いです。お酒は、ほどほどなら身体に良い場合が有りますが、夜の繁華街を見て下さい。犯罪の宝庫ですよ。
飲酒により、気持ちが大きくなり、お酒の席で飲酒強要(パワハラ)、異性に手を出す(迷惑行為防止条例違反)、道路にはみ出て歩く、もしくは、寝る(道路交通法違反)、飲みすぎて吐く(器物破損)、飲んで、喧嘩になる。(暴行障害)、飲んで車の運転(飲酒運転)、その挙句人を跳ねる(殺人)。
これでも、お酒は良いと言えるのでしょうか?
さて、加齢した。なので、加齢による気づきでも書いてみよう。
まず肉体だが、これは思ったよりガタ来ない。知り合いのおっさんによると50歳超すとやばいそうだ。ガタが来ないといっても個人差もあることだし、なにより継続してずーっと体力その他は落ちていくので、あまり自覚しなくて済んでいるだけという可能性が高い。朝がきつくなったりとか徹夜がだめになったりとか、まあいろいろあるんだけど、継続して朝がきついんだとそれが日常の一部になるんで「まあ、そういうもんか」と思って行動するようになったりもする。
体力のなかでは瞬発力がいちばんやばい。体を支えられるかと思った無理な体制で膝がかくっと行ったりとか、しゃがんだ状態から立ち上がってダッシュでどこかかけつけるみたいなときに、あれあれ?みたいな感じで下半身がいうこときかない。
でもまあ俺が運動不足すぎることもあるので、これほんとはある程度継続して運動してればそれほど気にならないことなんじゃないだろうか。
肉体関連でいちばん明確にガタ来てんなーと思うのは、歯。40歳越したらほんとは定期的に歯医者通わないとだめだねこれ。あと歯周病の恐怖な。このあいだドラッグストア行ったときに、ディスプレーで「五十代が歯を失ういちばんの理由は歯周病」とか言ってて、いまんとこ俺は平気だけど、その兆候は随所にあって、そろそろ歯医者通い始めようとかなーと思ってるとこ。
あと老眼な。俺は40歳越してからようやく来た感じだけど、いまのところはさほど気にならない。文庫程度なら読めるのもそうなんだけど、Kindle買って以降は、ふつうに文字の大きさを調節できるので読書に関して問題はまったくない。これも遠からずどんどん進んでいくんだろうが、字のほうもそれにあわせてどんどんでかくできるわけなので、まあとうぶんは戦えるでしょう。疲れ目のほうはいかんともしがたいけど。
というわけでですね、40歳になる前にできることは、歯医者通いと体力の維持です。軽い筋トレやってある程度散歩とか自転車乗ったりしてれば充分に四十代五十代も戦えるんじゃねーかと思います。
あとは精神的なもんですよな。最近どこかの増田で「新しいアニメとか見るの億劫」みたいなの見かけたけど、あれは確かにありますな。感情が動くのが面倒っていう。生きるのがつらいとかだるいとか、まあ理由はいろいろあるんでしょうけども、つまり「自分以外の人間がたくさん存在するこの現実というもの」との大小さまざまな軋轢がストレスとして蓄積していくわけですよ。年食ってくると「自分の及ぶ範囲」みたいなのがわかってきて、その範囲内での自分のふるまいってのもある程度は定型化してくる。そうすると自分の存在そのものが定型化してくるわけで、その状態でも充分に金稼いで食ってくことがある程度は可能になるわけですよ。つまり「変わらない」ことがいちばんストレスない方法になってくる。
安定してるってのは、別の側面から考えれば、自信があるということでもあります。人間黙って寝てると死ぬわけで、メシ食ってかなきゃいけないんで、四十代まで生きてるってのは生きるためにさまざまなことをしてきたということです。つまり「ただここにいる」ということが自信の根源になったりするわけですよ。ほら、おっさんって基本的にうざいじゃないですか。死んでないってのは生きてるってことで、生きてることに関して成功者なんですよ。「だから」自分は正しい。正しいっていっても、別に全能の神であるっていう自信まで持ってるわけじゃないので、正しさを脅かすものには鋭敏なんですよな。つまり、自分の正しさを否定するものを否定する。最近、与謝野訳の源氏物語読んでるんですけど、源氏物語にも出てきましたよ、若者叩き。あと源氏の君が平安レイパー伝説GENZIすぎて引いた。若紫の思春期ボディそんなにすごいのか。すごいんだろうなあ。
なにかを否定しないと成立しない正しさって、実はそれ正しくないじゃないですか。生きるためにいろなことをしてきたってのは、実は正しくないこと、後ろめたいこともしてきていて、それゆえに否定が必要なんですよな。おっさんのうざさっていうのは、そういう部分にも起因してると思いますん。
そうやって、なんだ、適応ですか? 適応してきたにしても、それはそのおっさんが生きてきた時代にあわせて適応してきたわけで、その後もアップデートを続けるなら、不断に自分の正しさとやらを疑いつづけなきゃいけない。それは十代や二十代の人たちが社会とやらいう巨大なものと向き合ったときに、社会が悪いのか自分が悪いのか、あるいはもっと別の悪いことがあるのか懊悩したりするように。主観的には「ただ生きている」というだけで成功者の立場にいるおっさんが、疑うことを続けるのはえらいつらいことではあります。ひとつの価値観、文化にくるまれて生き、死んでいくというのは幸福のひとつのかたちであると司馬遼太郎は言ってましたけど、その意味ではグローバル化ですか? そういう世界に生きているということは不幸の源泉なのかもしんないです。いまや日本人を共通して覆う価値観みたいなものもかつてと比較すれば希薄になってきていることですし。そういう意味ではおっさんがうざいことはある意味でしょうがないことなのかもしんないです。
ただ思うんですよね。この年齢になってみて。
俺も思考が柔軟じゃなくなったり、新しいものへの食いつきが悪くなってきたり、ガハマさんは肉体にしか興味もてなくなったり、いろはすに振り回されていいように扱われたいなあと思うようになったり、いろいろするわけなんですけども、それって、たとえば肉体が衰えていくのと同じように不可避なことなのかなって。俺は同年代のおっさんの知人があまりいないのでなんともいえないんですけど、インタビューしてあるいてみたりしたいですよね。本当に自覚もなく、なんとなく現状あるような自分になっちゃったの?って。そして現状ある自分がもっとも正しいと思ってるの?って。
そんなことはないはずなんですよ。これじゃよくないと思ってること、こうなりたいと思ってること、いろいろあるはずで、あとは死ぬまでそのままだからしょうがない、こういうもんなんだって思ってるだけなんじゃねーのか。
まあ他人のことなんでね、それを変えろとかいうことは俺にはできないんで、あとは個人の趣味の問題かなーと思います。たとえばスクールカーストみたいなものがテーマの一部として内包されてるラノベに新鮮な共感を持つこととかはもうできないはずで、そりゃ学生だったのが30年近くも前の話だからあたりまえのことなんですよ。でもだからってガハマさんがえろいことを否定する必要はまったくない。ああガハマさんの肉付きのいい太ももが汗だくになってるところに腕突っ込んだり抜いたりしたらすごいだろうなあとか妄想する余地は残されている。
そういうことだと思うんです。
どういうことなんだろう。
帰宅ラッシュに遭いたくないから、という理由でサービス残業という名の時間つぶししてる人っておられませんか。おられますよね。いてください。
サービス残業は悪である。それはまったく正しい。一方で、最近身をもって知ったのは、帰宅ラッシュのすさまじさね。
世の中色々な人がいる。仕事をさっさと切り上げる人、派遣やアルバイトの人、時短勤務の人、会社に戻る人、これから働きに出る人。夕方の電車にはきっといろんな人がいると思うんだけど、たぶん割合多いのは帰路につく人々だろうと思う。
それでね、毎朝死にそうな思いをしてなんとか出勤してですよ。帰りも同じくらいの人の塊に揺られるのってつらいんですよ。
途中で降りて2本くらい電車見送るの珍しくないもんね、個人的に。
帰りを1時間〜2時間遅らせることで、少しでも快適な空間を得られるのであれば。ましてここが日本で「遅くまでがんばってんな」的な、あわよくばちっちゃいプラス要素的ななにかが、疲れ目の先にかすかに見えてしまうのであれば。
サービス残業という名の暇つぶしをしてしまいますよ。明日でいい仕事を無理矢理やっちゃったりしてね。
家庭もない、帰っても勉強するわけでもない、立派な趣味があるわけでもない人間なんかからすると、
夕方の電車のなかにいるかもしれない、小さな子供が家で待っているお父さん、早くご飯を作ってあげたいお母さん、デートに胸おどらせる若い男女に、せめて私一人分の空間を差し上げたいと考えますよね。卑屈ですけどね。
とにかく、朝のラッシュもそうだけど、帰りのラッシュもなんとかしていただかないと、この病は簡単には治らないんじゃないかと思う。