はてなキーワード: 矮小化とは
言わずと知れたこの件。
https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.mnWjGlvXk#.ibkRwGQev
今回の論点は、
である。パワーを使ってセクハラをする、あるいは、パワハラの手段の一つとしてセクハラを使う、というものを告発しているのである。
パワハラとセクハラが絡み合い、その根元はパワハラであるというものについての告発である。
これに対して過去の童貞いじり発言には、パワハラがほぼ存在しない。(中にはちょっとした名のある人の全体に向けた発言に勝手にパワーを感じ取ってしまう人たちもいるため、「ほぼ」とした。)
「筋が悪い。」
この筋の悪い批判は、論点と関係ない部分をあげつらって攻撃しているだけであり、過去に実際に童貞いじりがあろうとそれがセクハラであろうと論点に関係がない。
論点に関係ないのに、論点に絡めた文脈での「童貞いじりセクハラ批判」は、完全に別件であり、誹謗中傷となり、下手すると「ただの人格否定」まで落ちてしまう。
童貞いじりがセクハラかどうかは、「セクハラを伴う”パワハラの告発”」が落ち着いた後にカウンターとして別で行うべきなのである。
こういった批判は、時間が経てば自然といつもの「はあちゅうさんが嫌いだから、ことあるごとにdisっている人たち」にまとめ上げられて過疎化するはずだったのだ。
過疎化していくにつれ、まじめに#metooについてやセクハラを伴うパワハラについての議論が活発になったはずだった。
また、きちんと考えてから投稿する人間の中には、平日暇ではない人も多い。
土日にいろいろ考えを投稿しようと考えていた人たちが見る見るうちに話が変わっていって「あーあ。」となってしまったケースも多いだろう。
じっとしていればよかった。
ということだけだったのだ。
それができずに、はあちゅうさんからヨッピーさんまで釣れてしまったために、論点の中心から離されてしまった#metooもBuzzFeedもいい迷惑である。
そもそも、今回の件、まず勘違いしている人も多いし、もしかしたら本人も思い込んでいるのかもしれないが、
はあちゅうさんのやりたかったことは、本当は#metooを後押しするであるとか、社会的意義を感じて立ち上がるなんてものでは全然なかったはずだ。
彼女を突き動かしたのは、
「あの岸ってクズやろーに一発かましてやらなきゃ、もう、ほんとどうにも気が済まねぇ!」
という一言に尽きるのだろうと思っている。
言ってみればいじめられっ子が、8年越しでいじめっ子に強烈な一撃でぶちかましてやっただけなのだ。
学生時代は自分はやられるタイプではないと思っていたのに自分はいじめられたんだというやるせない気持ち、
少し離れればただのクズ行為をするおっさんだという事実、そんなもんに当時傷つけられた自分の若さ、バカさ、
今の自分ならあんなおっさんやり返してやれる力を持ったのにという自信、
そんなやつに当時ただ従って人を差し出したんだという強い後悔、申し訳なさ、
こんな気持ちが普段見えない奥底に渦巻いていて、ふとした時に、やっぱり自分は傷つけられたんだという事実が心に影を落としてふと苦しくなっていたのだと思う。
同時に、まあ、別に今はもういいんだけど。とも。
しかしこういった気持ちは、消え去るものではなく何かの弾みで顔を出し、膨らんだりしぼんだりするものである。それは、その人の名前を見たり聞いたりしたときフラッシュバックする。
そんななか、岸さんは4月についに電通から出資を受け自分の会社を立ち上げ、あげく本も出して世間に注目されてと、自分の無視できない場所にどんどんと顔を出してきた。
あんな奴がいまだにチヤホヤされて評価されている理不尽さ、ますますの調子に乗りっぷり、…もう、耐えられるわけがない。
証拠は残っている。自らの発信力はある。世間に広めるのに筋のいい媒体も協力してくれる。
つまり、はあちゅうさんの中で、仕返しをするのにメリット・デメリットを天秤にかけた結果、ついに圧倒的にメリットの方が上回ったから実行したというだけの話なのだ。
岸さんとは近い業界にいるとはいえ、仕事の方向性は全く違うから手を回されたとしても大きな影響はない。むしろ自分はこういったネット上の流れに乗って自分の道を切り開いてきた自負も実績もある。
対して、岸さんはもともと電通のクリエイティブで個人の名前を売っていたとはいえ、所詮狭い業界内で巨大企業の庇護の恩恵を受けて活動していた中、
ついに独立して本当の意味で個人の名前で勝負しなければならない非常に大事な時なのである。
その流れで本も出している。
また、一部上場企業である電通の出資も受け、社会的信用が死活問題となった時でもある。結果からもわかるとおり、こういったスキャンダルは致命傷となる。
通常、こういった仕返しを一発やってやった場合、正面から暴力を使った場合は、心情的には同情され社会的には許されつつ制度上の違反については(酌量される部分もありつつ)淡々と処罰が下り淡々と受け入れたりする。
他の手段をとる場合は、誰がやったかわからない方法を取るなどやや陰湿的な方法になるため、世の中にあいつが勝ったんだということを見せつけることが難しくなる。
代表例は、なんだろう、まとめサイトの「スカッと」タグあたりでも漁ってみてください。
どちらにしても「完全勝利」はつかみにくい。
そんな中、今回は、目的も支持されるものである上に手段も正当であり、めったにない完全勝利が見込めるチャンスがやってきたのである。
やらない手はない。
その仕返しの中心的役割を担う媒体として#metooとBuzzFeedを利用しただけである。
これはこれで全く問題ないし、むしろ#metooはこれを社会的にサポートする機能となるだろう。いじめをした人は正直どっかでやり返されるべきなのだ。
BuzzFeedにはそれを周知する媒体になれるという社会的意義もあった。
なお、追随している人で相手の名前を出さない人もいるが、#metooは相手の名前を出して実行した時に、よりあなたを守る効果が発揮されるということは頭の片隅に置いておいて欲しい。
最初、はあちゅうさんがこの件に関してはもう取材は受けないという宣言をされた時、「すごい!やり遂げるんだな!」とカタルシスに似たものを感じたものだった。
しかしその後の、余計なことから何から何まで発言しまくりの現状を見ると、たぶん上記のことは肌で感じてスタートを切っただけで、やった後の自分の動き方の想定まではあんまりしていなかったんだなーと残念に思った。
やはりどこまでいっても、本質は自分がかわいい女子大生ちゃん止まりなのだなと。
https://lineblog.me/ha_chu/archives/67293039.html
それに対して岸さんという人は、さすがメディアの頂点の会社で第一線でやってきただけあって、撤退の仕方が完璧である。徹底的に完全撤退。その後完全沈黙。兵法!
1.まず、勝ち目のない内容と認識するや、発表前に個別に謝罪。
https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.mnWjGlvXk#.ibkRwGQev
2.つぎに、発表されるとともに即謝罪。
それも改ざんの恐れがなく、最後まで通しで自分の主張を読んでもらえる自コンテンツのみで謝罪。
岸さん側の感覚に立ってあえて改ざんといっているが、謝罪メールを取材相手のBuzzFeedに送るとしたらどうなるか。
行間にたっぷりはあちゅうさんやBuzzFeedの見解を差し挟まれながら発表され、読者が読みながら大きく印象の誘導をされる恐れがあるのだ。
エビデンスのある部分、のちのちバレそうな部分は完全に謝罪し、ファジーでエビデンスが出なそうなところは否定してしっかり楔を打っている。(登壇をやめさせるように相談した経緯については、ついバレないだろうという希望的観測が出てしまったのだろうか。もう電通の庇護にないことを忘れてしまっていたのかもしれない。)
https://note.mu/kishiyuki/n/n363633a5776e
3.それでも沈静化の目がないと感じるや、代表取締役を即辞任。
(2017/12/29現在:今見たら会社ページが「2017年12月18日 代表取締役の異動(辞任)に関するお知らせ」だけになってる!まじか!まっさらに完全撤退。最初はまだ通常のいろんな会社情報が載ったままだったんだよ。)
いじめられっこの復讐の鉄則は「不意をついてピンポイントで大将に大ダメージを与え、ヒット・アンド・アウェー」である。
社会人としての戦い方で、せっかく大きな勝利を収めたのに、自らの自意識から、小さいながらもまたしても1つ負けがついてしまったのだ。
今回は力を持っているはずの自分が、自らの下手クソさで起こした敗戦である。
せっかく、消えはしないまでも大きな傷はスカッと仕返しして返せたのに、完全勝利で終われるはずだったのに。
はあちゅうさんの心の中に小さいシミとしてまたしても残ってしまわないだろうか。
最悪なのはヨッピーさんである。私怨の復讐を成し遂げた直後の「友達」が語る擁護の言葉には百害あって一利なしだ。
まず、内容云々ではなく、いくらもっともらしいことを言っていても「友達の発言」以上には聞いてもらえない。
それが正しいものだとしても(実際、筋として間違った話はしていないしちゃんとしたこと言ってるんじゃないかな)客観的に見ている人であればあるほど「友達の発言」をそのままでは聞かないし、聞くと泥仕合に引き込まれる怖さがある。今回はPCデポのケースとは違うのである。
鈴木一が石原に一発入れたあとに、スンシンがのこのこ出てきて「俺があいつ(石原)は間違ったことをしたからやったほうがいいって言ってやったんだ。トレーニング付けたんだ。」って出てきたら、
「お前、、出てくんなや。。」
って残念な気持ちになるはずだ。
一通り落ち着いてから、「近くで見ていた人として…」と語りだすくらいがヨッピーさんにできる援護だったはずだ。
インターネットの時間の速さの中で生きてきた人たちにとって、数週間黙るという行為はこちらが思っている以上に難しい、というか想像の範囲外の行為なのかなという感想を持った。
なお、ここから先は(いや、ずっとそうなんだけど)個人的な意見だから今後も好きなように続けていただければいいのだが、ヨッピーさんには基本的にオモシロ下品(今はどちらかというとオモシロ無礼かな)の世界で生きていてもらいたいのだ。もともと俺パンからのゴブ僕つながりでオモコロへと続いて読んでいった自分にとって、オモコロに書き始めた頃からヨッピーさんの記事は面白くて好きなのだが、自サイト等で長文で主義主張をするバージョンのヨッピーさんは全然面白くないと思っている。これ以上はやりすぎであると思っていることや、やる必要がないと思っていること、あいつがおかしいだろうということなど、書いている内容のバランスも悪くないし、よく考えられているし、そうだよね。同意するよ。と。
「でも、そんなことは知ってるんです。」
ヨッピーさんがそんなこと考えているのは知っているのだ。ヨッピーさんの記事を読めば、いつも、伝わっているか、誇張していないか、面白く作れているか、でもやりすぎていないか、人を傷つける笑いでないかというギリギリのところを自らに問い続けかつ読者にも問い、問いに回答があればそれを受け止めて、その視点を組み込んだり自分に問い直して組み込まなかったりしながらオモシロ下品(/無礼)な記事を作っていることは明らかだからだ。
長文で主張していることを考えていることなど、記事を読めばわかるのだ。だから完全に蛇足だと思うのだ。ヨッピーさんがTwitterでセクハラ発言をする相手だって、セクハラ発言に期待して絡みに来ている人たちなのは明らかなのだ。
フミコフミオさんはTwitterになると途端につまらなくなるから読まないのと同じように、ヨッピーさんがブログに長文を書いても読まないようにするだけだから構わない。
これはこっちの問題であって、本人に顔出しで文章で考えを書いて公開して、それによっていろいろなフィードバックを受けるメリットを捨てさせることまではしてくれとは言えない。どちらかというと本人のためには続けた方がいいことだろうとは思うので続けていただければと思う。
いちいちスタンスを説明されるのはこちらとしては面白くないが、やはりそこには、メディアの世界で一人の人間として顔を出して立ったことがない者にはわからないレベルのストレスとプレッシャーがかかり、説明する必要が出てくるものなのだなと感じている。
本来、今回のはあちゅうさんの告発は、スタート時点では非常に意義深く、社会に絶大なインパクトを与えうるはずのものだった。
なぜなら、
ということが言えるからだ。
高橋まつりさんがあのようなことになってしまった原因は、本当は「セクハラ(及び長時間労働)を伴う”パワハラ”」が原因だったはずだ。
原因を長時間労働に一本化され、1年かけて社会に対して働き方についての風向きを変えてきたが、それが大きくグルっと回って形を変えて返ってくるはずだったのだ。
実は人ひとり亡くなっていたのである。
#metooは今とは比べ物にならない大きなムーブメントとなっていたはずだったのだ。
もしかしたら周りで見ているだけしかできなかった人たちによる#hertooなども始まったかもしれない。(やり方については非常にセンシティブではあるが。。)
また、マスコミ業界・広告業界、その中でも特に当事者の電通は、傷の癒えないうちに二度目の爆弾を中心(今回は傍流ではないのだ!)に食らい、もしかしたら回復困難な処分が下される危険性すらあった。
二度目のダメージというものはでかい。墓所も傷の癒えないうちにガンシップの弾を食らった際には大きなダメージを受けていたことはご存じだろう。
これが、はあちゅうさんが悪手に悪手を重ねたことによって問題が歪曲、矮小化され、あさっての方角で炎上し、その間に本丸の火がすっかり鎮火してしまい、おそらくあちらの防御態勢もすっかり整ってしまったことだろう。
核弾頭で人を殴り、手が滑って足に落としているのを見せられた気分だ。
前述のように、はあちゅうさんは「あの岸ってクズやろーに一発かましてやらなきゃ、もう、ほんとどうにも気が済まねぇ!」という気持ちだけで動いているので、そこまでこちらの期待を負わされる謂われはないのだが、
自分のために#metooとBuzzFeedを利用したのだから、そのくらい#metooとBuzzFeedに見返りを与えてあげてもよかっただろうとは思う。つくづく惜しい。
ちなみに、童貞いじりについて、セクハラかといえば、まあセクハラだろう。(個人的にはどうでもいいと思っているが。)
これについては「あなたはパワハラにセクハラを混ぜられて辛い思いをしたかもしれませんが、仮にセクハラ単体でもいやでしょう?童貞いじりもセクハラですよね?」
という突っ込みをしてやれば、少なからず彼女にダメージを与えつつ、一部認めさせることもできたのではないだろうか。
いま彼女の中では「いつもの、話の通じない、頭のおかしい人たち、無視すべき存在、また人気があるから変なのに絡まれた」として十把一絡げにぽいっとされてしまっているのだ。
ここは良く考えずに脊髄反射してしまったあなたたちのミスですね。
なお、職場でパワハラをしたことがある人間には、「次はお前の番だよ。」という言葉を送っておくので震えて眠ったらいいと思う。
http://yoppymodel.hatenablog.com/entry/2017/12/21/172005
http://delete-all.hatenablog.com/entry/2017/12/21/190000
「誠実」だの「良かった」だの「冷静」みたいなコメントがゴロゴロー
……あなた方それ本気で言ってんの?
「誠実な文章」「冷静な文章」によく使われる漢字や言い回しが使われてるだけで、中身なんか全然伴ってないじゃん。
ヨッピーなんかよくもまぁあの程度の結論にだいぶ遠回りしたもんだね。
誠実と言うけど「誰の味方なのか」と言うスタンスを明確にしただけで
「何が『いけないこと』なのか」と「今誰がその『いけないこと』をしているのか」に触れるのを意図的に避けてるでしょ。
フミコフミオは本当にもう、外野どころじゃないよ……外野席飛び越えてスタジアムの外から聞き耳だけ立ててんのかってレベル。
「お前が言うな」的な流れに一部なっているとか言ってるけど、どう見たってその意見は主流にはなってないだろ。
いや、中には実際いるよ?「お前が言うな」って言ってるヤツ。
でもそんな一部のバカの意見をピックアップしたら、どんな重要な問題だって矮小化出来るじゃんか。
それって『#MeToo』と言うムーブメントの中でも、特にしちゃいけないことだってわかんないかな?
まぁよくあることだけど、とにかく皆さんも「誰が言ったか」に引きずられた評価をしてしまうことには気をつけようね。
あとヨッピーは「言葉って人によって受け取り方違うから、絶対なんてないよね」みたいな諦めの悪いこと言ってるけど
・今回、はあちゅう氏の告発により、岸氏の信用が地に堕ちると共に、はあちゅう氏自身に批判が集まり、結局、告発行動の趣旨が矮小化されてしまった。つまり、セクハラを許す構造は何に由来し、その構造が未だに維持されている業界は他とどう違っており、我々はどのようにその構造を解体したらいいのだろう?という議論の深まりには至らなかった。
・武器を持った通り魔が瞬間的に大量殺戮を行なうのを制止するのと異なり、日常的恒常的に行われるある種の性暴力は、単に悪い個人を排除すれば解決する問題では無い。それを許す(時にはそのような人を求める)ような土壌、構造が存在する限り、排除された権力の空白に他の誰かが座るだけだからだ。仕事が出来るキチガイは、どうせ星の数ほどいるのだから。
・このような構造、土壌を個人の力で解決することは非常に難しく、だからこそ誰かが声を上げ、人数のチカラ、ある種の動員を持ってして構造改革にまで持っていく必要がある。metoo運動に意義があったとしたならば、そのようなところだろう。
・しかし、結果として、そのような論点には目はあまり行かず、はあちゅう氏やよっぴー氏に批判が集まり「岸氏は非常に悪かったが、はあちゅう氏も同じ穴の貉的」な扱いを受けることになってしまった。
・この増田としては、よっぴー氏や深津氏が問題点として挙げていた「身辺が綺麗な人間で無いと告発出来なくなる」ことについてもう少し深く言及していきたい。
・一部では岸氏のセクハラ問題とは別に、はあちゅう氏の童貞揶揄問題があるのであって、それはそれこれはこれで批判すべきであると言う正論が主張された。確かにこれは全く別件の話なのであって、別の話としてはあちゅう氏が批判されることは妥当であるかのように思われる。
・しかし、問題はそんなに簡単なのだろうか?ここから人々はこう学習するのでは無いだろうか?「セクハラ告発をすると注目が集まり、その結果、告発に関係ある/ないを問わず批判が集まってしまう」と。そのように言うと、批判の妥当性を持ち出し、妥当な批判だから為されるべきである、とあなたは言うかもしれない。
・物事はそのように単純には割り切れない。告発者にとってみれば、批判が妥当であればあるほど、正当であればあるほど、謝罪や総括や反省をする必要性が生じる。告発による負荷が増えるのである。それは、別件であろうが何だろうが、告発を行なった結果、告発をトリガーとして発生したことなのであって「実質的な告発のコスト」として勘定される。告発者となる可能性がある人が、これらを予期し、結果としてそれをやめてしまうことは充分考えられる。
・それでは、果たしてそうした予期を防ぐために、我々は司法取引的に、告発者の全てを許すべきなのだろうか?いや、それもあってはならないし、単に受け入れられ無いだろう。はあちゅう氏のある種の価値観や童貞揶揄に対する批判はいつか為されるべきだった。
・ここでの落とし所は「いつか為される」こと、つまり、司法取引的に告発者の過ちを「全て帳消し」にするのではなく「一旦、この告発が行われたタイミングで過ちに対する請求(批判、反省や謝罪を求める行為)を停止し、しかるべき時と場所で行う」ような、タイムラグを作ること、あたりにあったのではなかろうか?告発のコストとして勘定されないように、すぐに批判を加えず、一旦留保するいう振る舞いである。
・その意味で言うと「はあちゅう嫌いだが(一旦置いといて)、告発は応援する」という態度は、実はかなり妥当な落としどころであった可能性が高い。しかし、よっぴー氏の擁護が「彼女の過ちをチャラにすべき」のように響いてしまった(意図はそうでは無かったようにも読めるが)のもあり、その遅延的な免罪も無くなってしまったように思う。
・無論、別の観点、例えばはあちゅう氏の発言や態度により、実質的な被害を被った人の立場からすれば、はあちゅう氏の過ちに何らかの配慮すること自体を許せない、許さないと主張するのも当然、正当な立場である。それが帳消しだろうが遅延だろうが関係ない、結果として、セクハラ告発のコストが上がろうが、それは別の話であって、自分には関係の無いことだ、と。
・ここで、我々はもっと当事者意識を持つべきである。問題はこのように複雑である。我々は例えば、どちらかの立場を選ばざるを得ない。
1)告発者の過ちに何らかの手心を加え、告発コストを下げて悪しき構造の解体への寄与にコミットする。
2)告発者の被害者にコミットし、告発者を批判し、反省を促す。実質的な告発コストは上がる。
・そう、我々は無関係では無い。我々がこのような件について言及するとき、批判するとき、それが本気であっても面白半分であっても、その件についての、なんらかの結果を左右してしまう。我々はいずれかの立場を助け、もう一方を挫くような、そのような当事者である。つまり、ある立場の人間を傷付ける者である。
・告発者は善人でなければならないのだろうか?やましい人達は、弱い人たちであることも多い。傷つく人達は、愚かな人たちであることも多い。素晴らしい人たちについて、我々は簡単に同情可能である。善人ついて我々はすぐに感動を覚える。善き人たちは、すぐに救われるだろう。善人たちとともに、そうでは無い、理解不能で、愚かで、同情し難い全ての他者を「人間扱い」するために、おそらく、人権はある。
ハラスメントというのは、特定個人または閉じた集団内で、反論や抵抗できない、またはしづらい状況で不快な発言や行動、強要等があり、それによって精神的、肉体的、物理的被害を受けるようなものを言うのであって、ネット上で不特定多数に向けて不快な発言をする程度のことをハラスメントと呼ぶのはハラスメントの拡大解釈である。この拡大解釈は、むしろ真のハラスメントの問題を矮小化することにしかならい。
例えば不特定多数の集団に対する誹謗や差別発言によってその集団が実際に社会的不利益を被ったのであれば、それはハラスメント問題として扱ってもよいだろう。しかし実際にはそのようなことはない。単に不快と感じた、という程度の問題だ。社会的な圧力を伴った強要、強制、また言動や行動によって業務や学業、生活の円滑な遂行を阻害するような問題とは切り分けて論ずるべきだと思う。
日馬富士の事件でも問題になったけど、飲酒した上でのトラブルって多すぎると思う。
適度にお酒と付き合うのなら問題無いけど、結局それで問題が増えるのなら酒なんて無い方がいい。
「酒の席のことだから」と事態が矮小化されるのも納得できない。
飲酒をしたうえでの犯罪をより厳しくするようにした方がいいんじゃないかと思う。
飲酒をしたうえで暴行したら暴行罪より刑が重い飲酒暴行罪って感じで。
同じように飲酒傷害罪、飲酒器物損壊罪、飲酒強要罪、飲酒恐喝罪、飲酒強制猥褻罪とか、いろいろ適用できる。
それで犯罪を抑止したほうがいい。
具体的な「教員を増やせ」「大学教員について落ち着いて研究できる長期契約を」「保育士を増やせ」「公立病院の医師を増やせ」であれば
広告業界の人です。
元電通のはあちゅう(伊藤春香)さんが、元電通のクリエイティブディレクターである岸勇希さんのパワハラを実名で伝えるという、勇気ある行動をしました。はあちゅうさんはインフルエンサーとして電通から仕事を直接的にも、間接的にも受けている可能性が高いので、仕事を失う(かもしれない)中でこの行動をとったのは素晴らしいことだと思います。
https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.rsZgEzAX9#.inw64Bypb
邪推になりますが、Newspicksでの特集が行われ、幻冬舎から書籍が刊行され、岸氏のメディア価値が高まるこのタイミングでの発表、Buzzfeedとはあちゅうさん(と背中を押したヨッピーさん)は、かなりの覚悟をもって周到に進めていた感じがします。私は働く一個人として、より本質的な問題解決が行われてほしいと感じています。電通を中心として、業界全体が良くなってほしいと思い、勝手ながら補足説明をさせてください。
広告業界の人としては、この領域にメスが入ったことに快哉を叫びたい気持ちでいっぱいです。なぜなら、広告業界はこうしたパワハラ/セクハラが横行しているから。そして、昨年の電通騒動で問題になったのは主に「長時間残業」であり、パワハラが問題として矮小化されていたから。
電通が発表している労働環境の改革は主に時短や働き方の弾力化がほとんどとして発表されています。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4015/
7月のクローズアップ現代でも、そのほとんどが働き方に関することであり、パワハラの文字は見えません。高橋まつりさんの問題に関しても、不適切な残業が原因としており、高橋さんのTwitterで確認できたような、パワハラやセクハラに関することは対外的な問題として受け止められているようには感じません。
しかし実際はこうしたハラスメントが横行しており、電通をはじめとした広告業界の中における「弱者」は大きな被害を受けているのが実態です。
広告代理店の仕組みは業界内にいないとわかりにくいかもしれません。様々な強者と弱者が存在し、さまざまなカタチでハラスメントが行われています。
今回の岸氏-はあちゅうさんの関係はこれにあたります。一般企業にも存在する関係性です。ただし広告代理店で特にこれが激しい理由は後述します。
多くの代理店社員は学生と関係することはありませんし、総合商社のように社員が採用に対して推薦するというような仕組みがないため、学生に対するセクハラは構造的には起きにくいのですが、一部の広告代理店の権力者は異なります。岸氏がBuzzfeedの記事で「カンヌ広告祭にインターンを連れて行った」という記載があります。(岸氏は直接的関与を否定していましたが)
広告業界は個人の力が強くなりやすく、かつクリエーティブはその中でも特権階級のため岸氏のようないわゆる「スタークリエイター」的な存在には絶大な権力が存在します。こうした権力者は採用に対して意見する力を持っている人もいます。こうした権力者は岸氏に限らず多く存在します。
https://twitter.com/UfG7GCzb7Oupjyz/status/942341326497923072
例えばTwitterで話題になっている博報堂で若者研究を行っている原田曜平氏なども似たような権力者でしょう。(真偽はわかりません)
電通、博報堂、ADKにはクリエーティブのインターン採用が存在します。こうしたインターン採用にまつわる問題は存在する可能性があります。Buzzfeedの記事にも記載がありますが、岸氏も「インターンで学生相手にやり過ぎたから、さすがに電通から切られたのでは?」という噂が本当かどうかわかりませんが業界内ではまことしやかにささやかれていました。
広告代理店はテレビ局や新聞社から広告枠を仕入れて、一般企業に販売しています。これが「代理店」と言われている理由です。基本的にはテレビ局や新聞社にとって広告代理店は「枠を買ってく売ってれるお客様」です。従って広告代理店の方がメディアより一般的には立場が上のように感じますが、テレビ局や新聞社と広告代理店は深い関係にあり、実情としては持ちつ持たれつです。事実、大手代理店にはテレビ局や新聞社の関係者が多くコネで採用されています。こうしたテレビ局や新聞社の役員や局長、部長クラスから、広告代理店の若手メディア担当は強烈なパワハラ/セクハラを受ける例が多いです。
(おそらくこうした問題は最後まで報道されないことでしょう。代理店同様に、マスコミも自浄作用に乏しい業界ですし、上述したような力関係で代理店側から訴えることは難しいので)
広告代理店において広告を出してくれる一般企業はお客様であり、クライアントと呼ばれています。つまり、立場は圧倒的に上です。広告代理店が広告を出す企業に対して強気に出ることはまずありません。これが長時間労働の温床になっていた「徹底的な御用聞き営業」の実態です。NOと言わないのですから、なんでも仕事が積み上がり、労働時間が増大します。
これと同時に存在するのが、クライアント企業のエグゼクティブからのパワハラ/セクハラです。持ちつ持たれつなメディアとは異なり、明らかに立場が弱いので、営業は厳しい立場にありパワハラやセクハラを受けやすい環境です。セクハラは言語道断ですが、難しいのは「パワハラと業務の注文」との境界線です。この狭間で多くの営業が心を病んでいます。
3と同様、この問題も明るみに出にくいでしょう。その理由は下記の通りです。↓
https://twitter.com/fladdict/status/942317902799060992
広告代理店は様々な業務を請け負うため、下請け会社を多数並行で使うハブ的な立ち位置になることが多いです。そんな下請け会社はクライアント相手と反対に、代理店から仕事をもらう立場ですから、立場が弱いです。つまりセクハラやパワハラが非常に起きやすい環境です。事実、代理店内では下請け会社へのパワハラやセクハラでの懲戒は多いです。(セクハラ/パワハラだけでなく、金銭の着服といった事件も存在します)
そもそもテレビ局などのメディアを含むマスコミという業界が、現代のネット隆盛まで実態が謎に包まれており、問題が表面化しにくかったことが大きいでしょう。結果的に自浄作用が非常に低く、問題が放置されていた現状があります。それだけでなく、人間対人間のトラブルが起きにくい産業構造であることも大きいです。いわゆるメーカーなどと異なり「代理業」が主であることから、自社の商品というものが基本的にありません。結果、人間が大きな変数として存在することになります。(コンサルなどと同様の産業構造です)そのため、人間関係が重要になりハラスメントが起きやすくなります。
様々なパターンがあり、広告代理店内には加害者と被害者が混在し、ある面では被害者が、加害者になることもありうる環境にあります。広告代理店内からハラスメントを根絶するためには、このすべてを是正しなくてはなりません。様々なハラスメントが起きやすい業界だからこそ、どの業界よりもハラスメントに厳しくなくてはいけないのですが、結果的にどんな業界よりも緩い・・・だからこそハラスメントがそこかしこで起きる、という実態があります。企業ガバナンスそのものを変える覚悟を持たなくてはならないのです。
今回の事件って話が進めば進むほど「10年前の時津風部屋暴行事件の続き」になってくな。
中間報告書なんだあれ。「かわいがり」って言葉使って、しかも問題の矮小化のために使って、それは明らかに筋が悪いだろ?
10年前の事件の結論は「『かわいがり』という言葉で私的制裁や暴力を日常化してた悪弊が背景にあって、このような風習は改らためなければならない」だろ。それを協会もみとめて謝罪して、再発防止検討委員会を設置しただろ?
10年後のいまここで「『かわいがり』指導なんでそこまで事件性はないですよ」って報告だしたら、十年前の反省は嘘だったしなんの進歩もしてない、それどころか問題がなんだったかすら理解してないって、そういうことになっちまうだろろ。まあ多分ほんとうにそう思ってんだろうけど、それでも、表面上の理屈だけでも取り繕う知能が協会にはないのか? バカか。バカなのか。
加害者は現役横綱の日馬富士、被害者は幕内力士の貴ノ岩である。
10針も縫合処置を受ける裂傷を負ったというのが事実であれば、
間違いなく重傷である。
「脳振とう、左前頭部裂傷、右外耳道炎、右中頭蓋底骨折、髄液漏の疑い」
「全治2週間」
「重傷と報道されていることに驚いている」
「このような診断書を書いた医師が「重傷と報道されていることに驚いている」と
発言していることに驚く」
のではないだろうか。
展開されてきたことに対して、私は異議を唱え、事実関係の重要な点を
精査するべきことを主張してきた。
重要な点は
貴ノ岩が日馬富士から暴行・傷害を受けたことが事実であるのかどうか。
そして、この事案について、
10月29日の段階で警察に被害届を提出していることも重要だ。
警察に被害届を提出した時点で、事案は刑事事件事案となるのであり、
事実関係の解明は、基本的に警察当局に委ねられるべきものである。
問題を隠蔽してしまおうとする体質を強く持っていると判断すれば、
問題処理を協会ではなく警察に委ねるとの選択は、当然のことながら浮上するだろう。
警察の捜査による事実解明を求めているのだとすれば、その真意は十分に理解できる。
現に相撲協会は警察からの連絡で、11月2日の段階で事実の概要を知りながら、
十分な事実解明をしないまま、
九州場所の開幕時点から、現場ではこの話題で持ち切りだったことを認めている。
九州場所が開幕する時点で、
この現実を踏まえれば、現体制の相撲協会が事実関係を「調査」したところで、
公平、公正な調査結果がまとめられる可能性はほとんど存在しない。
事実関係の解明を警察当局に委ねようとしているのは、当然のことであると言える。
事件発生に至る経緯についての事実解明も明らかにされる必要がある。
宴席で騒音が大きいなか、日馬富士が貴ノ岩に声をかけたことに気付かず、
これに日馬富士が激高して暴行に及んだということもあり得ることである。
しかし、仮にこのような経緯があったにせよ、
日馬富士が一方的に暴行に及んだとするなら、責任の所在は明確である。
また、素手以外にカラオケ通信機器でも殴打したことを認めていると伝えている。
これが事実であり、一方で、貴ノ岩が10針を縫うような重傷を負ったことが
事実であるなら、暴行傷害事件としての輪郭は、かなり明瞭である。
貴ノ岩の勝利は、「しまの掟を破壊する許されざる行為」と理解されるだろう。
今回の暴行傷害事件の背後には、この種の巨大な闇が関係している可能性もある。
警察の捜査に事実解明を委ねていることは正しい判断であると考えられるが、
日本の場合、警察・検察自体が歪んでいるという現実があるため、まだ予断を許さない。
日馬富士は逮捕されず、籠池泰典氏夫妻は逮捕、起訴され、4ヵ月にも及ぶ
不当勾留が維持されている。
このような暗黒社会においては、
この点はしっかり踏まえておかねばならぬ部分である。
私がこの問題を取り上げているのは、
マスメディアによる情報操作の分かりやすい事例であると判断したからである。
相撲の専門家でもなく、相撲自体を本ブログ、メルマガのテーマともしていない。
しかし、メディア情報が著しく偏り、それによって世論が誘導される危険がある、
あるいは現実があるという、この国の根本問題のひとつを考察する際、
26日朝に応急処置を受けて、予定されていた日程をこなした。
しかし、傷害の程度が重く、再度医師の診断を受けて診断書を受け取った。
その際に、再度診断書を書いてもらった。
診断書を偽造に近いかたちで入手してこれを公表したかのような印象を
植え込む報道を展開し続けた。
これらの情報を、あたかも真実であるかのように流布したレポーターが存在する。
その結果として、
事件が発生する経緯について、
このことを楯に取り、そのようなことを防ぐためにも
相撲協会は警察による事実解明を待って適正な措置を講じれば良いだけのことだ。
日馬富士が一方的な加害者であり、貴ノ岩は一方的な被害者である。
しかしながら、その警察・検察捜査に全幅の信頼を置くことができるかというと、
ここにも疑問符を付けざるを得ないところに、日本の悲しい現実がある。
時価が10億円は下らないと考えられる国有地が1億3400万円で払い下げられた。
財政法は国有財産を適正な対価なくして処分してはならないことを定めている。
この法律に反して、不正に低い価格で国有地が払い下げられた疑いがある。
安倍昭恵氏は公務員秘書の谷査恵子氏に指示して、財務省との折衝をさせた。
このような事実経過が存在したのではないかとの、強い疑いが存在する。
国会は安倍昭恵氏を証人喚問して、事実関係を明らかにする責務を負っている。
このような安倍昭恵氏による公開の場での説明機会がまったく設営されてきていない。
これらの問題について積極的に発言してきたのが籠池泰典氏夫妻である。
安倍首相にとって、極めて目障りな状況になった。
さらに、長期勾留され続けているという現実が生じたと考えられる。
籠池氏夫妻は、「詐欺」の罪に問われている。
しかし、事案の補助金不正を問うのであれば、刑法の詐欺罪ではなく、
補助金適正化法違反に問うべきであると、法律の専門化が主張している。
ところが、籠池氏夫妻は詐欺罪で起訴され、4ヶ月に及ぶ長期勾留を受けている。
逃亡の恐れも、証拠隠滅の恐れもない。
にもかかわらず、不当な勾留を続け、しかも接見交通禁止という措置まで
付けられている。
国会では予算委員会が開かれ、森友問題が取り上げられるであろう。
その際、籠池氏が在野で、さまざまな発言をすれば、
安倍首相には都合が悪いのだろう。
取り残されているというよりも、
引き戻しているのである。
国民の目をスポーツ観戦に振り向けることは極めて有効な手段になる。
安倍政権は、この視点から、スポーツ振興に大きな力を注いでいる。
NHKの放送事業を支える大黒柱として相撲興行を利用している。
もうさ、イラストだろうがアニメだろうがゲームだろうがどれもこれもみんなボインボインのまんまんチラッチラだらけで、男のおれからみてもアホみたいだなと思っちゃうわけよ
いや、エロはエロで別に見るからさ そんなにいらねーんだよそういうのは。
おまえらだって仕事中にずっと焼き肉の匂いがしてたらウザいと思うだろ?そんな感じなんだよ。別のことをしていて今は求めていないのに「ほぉ~ら おいしいよ~ おいしいよ~?」って焼き肉がずっとごり押ししてきたらウザいじゃん。
いや、こっからまじめな話、ほんとにそんな絵ばっかだとさ、アニメとかゲームがどんどん矮小化されていくんだけど作り手側にその意識はないのかな?
ああいうエロッエロな絵ばっかりのせいで「アニメはくだらないもの」っていう印象を、特に詳しくもない世間一般の人は持つんだよ
「アニメが好きです」というと子供だと思われるんだよ それがどんどん進んでるよ実際。
電車の中でアニメ動画観るのも恥ずかしいし 恥ずかしくないとか言ってるやつは気づいてないだけだよ、他の人がおまえを観て抱くイメージを分かってないだけ
いい加減この風潮終わってくれないかな
すっかりおっさんになってしまい、映画の出来・不出来を語り合う友人も周りにいないので、ネットに書いてみることにした。
ネタばれ多数。未見の人、傑作だと思っている人は読まない方がいい
結論を簡単にまとめると、映画的に正当な続編になっていても、あの時代設定のSF的な延長になっていないと思った。「メッセージ」は傑作だと思ったんだけどなー。
自分がブレードランナーを見たのは、初回公開時の16歳のころ。名古屋で「燃えよドラゴン」と2本立てだった。
ひとつは、地続きの未来がバラ色じゃないというビジョンを、明確に具体化したこと。
それまでの地続きの未来のイメージは、2001年宇宙の旅(1968年公開)とか2300年未来への旅(1976年公開)とかに描かれた、ピカピカのスゴイ科学の世界だった。
2300年未来への旅はディストピア映画だけれど、誰も見たことがない輝かしい世界を描くとき、ピカピカに描くのが当時は当たり前だった。
それに対して、文明が衰退した未来を描く映画やSF小説は、あくまで核戦争でという分断された未来に位置付けられていた(地球が燃え尽きる日:1976年公開、マッドマックス2:1981年公開)。
スターウォーズ(1977)やエイリアン(1979)で描かれ始めたように、スゴイ世界なのに汚い・ポンコツな世界が地続きで存在しているという、(当時にしては)画期的なビジョンがブレードランナーで完成した。
ブレードランナーの未来が暗い理由は、原作小説とは違い環境破壊のせいだった。いつも酸性雨が降っているという地球温暖化を先取りしたような設定。
そのために、人類の多くが宇宙に移住して、それでも残っている人々は人口過密の大都会で生き延びている。
自然破壊が進んで本物の動物がほとんど死に絶えていて、映画で登場する動物はほとんど全てレプリカントという世界だったんだよ。
もうひとつインパクトが強かったのは、レプリカント(ネクサス6型)の設定。人間よりも肉体的にも頭脳的にも優れているけれど、感情移入能力が著しく低いというあたり。
コミュニケーション能力に問題を持ち、常日頃から疎外感を感じている世界中のオタクの琴線を捉えたんだと思う。
ただし、ディガードがレプリカントではないか、なんてネタはディレクターズカットあたりが公開されるまで考えてもみなかった。
ビジュアル的には、現代の当たり前をひっくり返しているところがまるでなく、前作のインパクトに及ばない。
そして前作では、人間であるかないかに関係なく、自分の生命にジタバタすること自体が生きること、だったはずなのに。
今作では、誰かのため、大義のために生きて死んでのが人間という話になっていて・・・それって、非人間的な重労働を強いられるレプリカントの存在そのものじゃん。
そんなルールあったのか?隊員間の価値観の違いから、問題に対してどういった解決策を取るかで対立するなんてよくあるネタだったと思うが。
しかし日本のネットって「スタートレックを見てる」という層が全然居ないな。ある1つのジャンル扱いではなく
海外ドラマの1作品というレベルでしかファンがいない。SF小説のファンとかでもスタートレック見てるという
人の割合はそう多くはなさそうだ。
その理由というのはスタートレックはスペースオペラであってハードSFじゃないんでしょ、という誤解。
実際、スタートレックはワープで銀河内を移動するし、宇宙に住む知的生命体は少ない例外を除いてヒューマノイドだし、
FGOのパールヴァティに関してアメリカはネヴァダ州に居を構えるヒンドゥー教の宗教団体「USH」から抗議文が出され、議論(らしきもの)が起こったようだが、最初に広まったのがGoogle翻訳らしき日本語文ということもあり、基礎的な認識が食い違っているケース(そして食い違った認識のまま全力で殴り合いをするケース)を見かけたので今更ながら思いついたことを書き留めておく。今のところ他に置き場もないし…
訳は…使えそうなのが見当たらなかったので自分で訳したが、B2程度の私よりはマトモな訳が出来る人は沢山いるはず。
Upset Hindus urge removal of goddess Parvati from FGO mobile game where she is a “servant"
怒るヒンドゥー教徒は、モバイルゲームFGOから「サーヴァント」(※1)女神パールヴァティの削除を要求する
(※1:一般名詞としてのservantの意味で使っているかもしれないが、引用符の中に入っているので一応サーヴァントとする)
Hindus are upset at “Fate/Grand Order” (FGO) mobile role-playing video game, developed by Japan’s Delightworks Inc., for reportedly introducing goddess Parvati as one of the “new” servants; saying it trivializes a highly revered Hindu deity.
ヒンドゥー教徒は、日本のDelightworksによって開発されたモバイルRPG「Fate/Grand Order」(FGO)に対して立腹している。伝えられるところによれば、このゲームは女神パールヴァティを「新しい」サーヴァントの一人として追加したが、これは非常に崇拝されるヒンドゥー教の神を矮小化するものだからだ。
Zed, who is President of Universal Society of Hinduism, said that in this mobile game set-up, the player became the Master who summoned and commanded servants controlling their movements, including goddess Parvati; while in reality the devotees put the destinies of themselves in the hands of their deities.
USHの代表であるZedは次のように述べた。「現実において、信者たちは彼ら自身の運命を信仰する神々の手に委ねるものであるのに関わらず、このモバイルゲームではプレイヤーは「マスター」となり、女神パールヴァティを含むサーヴァントを召喚し、命令し、彼らの行動を支配する。」
Moreover, goddess Parvati depicted in FGO appeared more like a belly-dancer than the Hindu deity devotees were used to seeing, Rajan Zed pointed out, and termed it as incredibly disrespectful.
「さらには、FGOでは女神パールヴァティはヒンドゥー教の信者が慣れ親しんだ姿よりもよりベリーダンサー風の姿で描写され、これは信じられないほど冒涜的だ」とRajan Zedは指摘した。
Zed indicated that reimagining Hindu scriptures, symbols, concepts and deities for commercial or other agenda was not okay as it hurt the devotees. Controlling and manipulating goddess Parvati by the game-player was denigration. Goddess Parvati was meant to be worshipped in temples and home shrines and not to be reduced to just a “servant” in a video game to be used in combat in the virtual battleground.
Zedによると、「ヒンドゥー教の経典、シンボル、コンセプト、そして神々を商業的もしくはその他の目的において使用することは信者を傷つけることになる。ゲームプレイヤーが女神パールヴァティを支配し操作することは冒涜的である。(※2)女神パールヴァティは寺院や家庭の祭壇で祀られるべき存在であり、架空の戦場での戦いに駆り出されるような一介の『しもべ』(※3)のような存在に矮小化されるべきではない。」
(※2:ヒンドゥー教徒に対する中傷や嫌がらせ、という訳・解釈も見かけたが、denigrateは名誉を汚したり、重要性を矮小化すること(参考: https://www.merriam-webster.com/dictionary/denigrate)なので、対象は女神パールヴァティだと解釈した。ちなみに次の文の主語もパールヴァティ)
(※3:ここは文脈的には「サーヴァント」では意味が通らない)
Hindus welcomed entertainment industry to immerse in Hinduism but taking it seriously and respectfully and not for refashioning Hinduism scriptures, symbols, concepts and deities for mercantile greed. He or other Hindu scholars would gladly provide genuine entertainment industry seekers the resources they needed for their study and research regarding Hinduism, Zed stressed.
「ヒンドゥー教徒は娯楽産業がヒンドゥー教に没頭することは歓迎するが、それは真摯さと敬意を払い、商業的欲望のためにヒンドゥー教の経典、シンボル、コンセプトを再解釈しない限りにおいてである。私や他のヒンドゥー教の学者は、本物の娯楽産業の追求者に対し、ヒンドゥー教を研究し調査するのために必要な資料を喜んで提供するだろう。」とZedは強調した。
In this game, Goddess Parvati is shown as carrying Trisula (trident), which is her greatest weapon; while in reality Trisula is Lord Siva’s most powerful weapon. In the game, when Parvati is equipped with Nandi, it increases her performance; but in Hinduism, Nandi is Lord Siva’s mount. This kind of misinformation spreading creates further confusion among non-Hindus about Hinduism, Zed states.
「このゲームでは、女神パールヴァティは最強の武器としてトリシューラ(三叉槍)を手にしているが、トリシューラは実際はシヴァ神の最高の武器である。このゲームにおいて、パールヴァティはナンディを装備した場合に能力が強化されるが、ヒンドゥー教においてはナンディはシヴァ神の乗り物である。このような誤った情報はヒンドゥー教徒に対する更なる誤解を引き起こすことになるだろう」とZedは述べた。
使われ方と描写が問題だが、このケースにおいてはウェイトは「使われ方」の方が重い。
現実において、信者たちは彼ら自身の運命を信仰する神々の手に委ねるものであるのに関わらず、このモバイルゲームではプレイヤーは「マスター」となり、女神パールヴァティを含むサーヴァントを召喚し、命令し、彼らの行動を支配する。
...
サーヴァントの解釈云々以前に神がPCになるなんて(彼の)ヒンドゥー教のコンセプトに反するのでNG。ゲームに使用するのがOKならこういう書き方はしないはず。ここはスルーしてはいけないはず。
表現については、
ベリーダンサー風だからではなく、「(彼が想像する姿よりも)『より』ベリーダンサー風の姿」と言うのが問題なので、例えば「おっぱいを出している彫像もあるのに、それに比べればFGOは布を纏ってるしOKなんじゃ?」と思うかもしれないが、それは林檎の審査的にOKというだけで、おっぱいを出していない事が問題かもしれない。私たちが思う「セーフ」のラインと彼の思う「セーフ」のラインが大きく食い違う可能性もある訳で、こればかりは聞いてみないとわからないが。
「再解釈がNG」、そして上にも書いた通り神を操作するのがコンセプト的にNGなので、普通に考えると「削除要求」以外の何物でもない。英語版では名前を変えてヒンドゥー教関連の要素を全部削除する、という手段はあるかもしれないが…
The American Hindu behind BoycottAmazon: Rajan Zed’s crusades to save Hinduism
「BoycottAmazonを仕掛けたアメリカのヒンドゥー教徒:Rajan Zedのヒンドゥー教十字軍」
The one-man outrage industry is not new to controversy, or in creating controversies.
少なくとも彼が「怒っている」と感じる人はいる(このメディアの立ち位置については情報が無いのでノーコメント)
ちなみに何かしらの理由があって声をあげている人を見て「穏健だね」と評価するのは逆に失礼に当たらないだろうか…それは批判・要望の深刻さを過小評価することに繋がるから。
観測ポイントの一つとして、謝罪を要求しているケースは恐らく深刻。
www.rajanzed.org/upset-hindus-urge-valencia-firm-to-withdraw-lord-ganesh-crash-pad/
www.rajanzed.org/upset-hindus-seek-withdrawal-of-sydney-exhibition-showing-lord-krishna-smoking-meth/
www.rajanzed.org/upset-hindus-urge-sydney-mayor-to-disallow-exhibition-showing-lord-krishna-smoking-meth/
もっとヤバいのは謝罪+複数(&Zed氏以外の出所から)の声明文が来ているオーストラリアのCM(https://www.youtube.com/watch?v=f8kuoFGgj8s)
www.rajanzed.org/hindus-urge-blocking-public-funding-of-meat-livestock-australia-for-reckless-marketing/
www.rajanzed.org/3340-2/
www.rajanzed.org/upset-hindus-may-launch-boycott-of-australian-lamb-worldwide-if-insensitive-ad-continues/
www.rajanzed.org/upset-hindus-seek-ban-on-meat-livestock-australia-ad-showing-lord-ganesha-at-lamb-bbq/
とは言え、騒ぎ立てるほどではないが面白く思わない人が存在すること、そして国全体のイメージを左右する可能性があることは気に留めておいていいかも。
ちなみに、上のCMを見てあなたは正直なところどう思った?胸に手を当てて考えてみよう。あなたの抱いた印象が、いつの日かあなたに帰ってくるかもね。