はてなキーワード: 知性的とは
https://anond.hatelabo.jp/20171112173034
(前回は従妹夫妻他紹介者も含めて複数人で会ったため)
相変わらず
・小顔
・細身
・色白
・落ち着いている
彼女で、今日のデートでさらになかなか知性的であることも感じられた。
なおのこと非の打ちどころがない彼女…なのは間違いないが、やはり「何かが足りない」という感触だけは変化がなかった。
そして何が足りないのか、言語化できないことも変わらず。
言語化はできないのだが、今までに人を好きになったときのことを思い返して、少しわかったことがある。
今までに好きになった人は、「何らかの自分好みの条件」を有していることに加え、「見るだけで、思い出すだけで、自分を虜にする/夢中にさせる要素」を有している人だった。
「見るだけで、思い出すだけで、自分を虜にする/夢中にさせる何か」とは、外見的な魅力はもちろん、頭がいいとか特技があるとか、外見以外の要素もあった。
それだけの大きなインパクトがある感情を自覚しなければ、人を好きになることがなかったのだ。
その人にはこの要素が欠ける…だからといって魅力がないわけではなく、上記の通り自分好みの魅力はたくさんある。
結局、来月に日帰りで隣県の某スポットまで出かける約束をして今日はわかれた。
このまま恋人として付き合っても、きっと落ち着いた関係が続くだろうとは容易に予測はできるが、それでもなお「何かが足りない」のである。
最近、部活動の顧問を強要される学校教員のブラック労働についてよく目にする。本当に嘆かわしいことだし、全ての先生達がどうか救われてほしいと思う。
そこでふと、自分が中学生だった頃の部活動を思い出してみると、ロクなもんじゃなかったなという記憶しかない。
大して強くもないのに毎日3〜4時間も練習し、少しでも休めば「サボってる」と烙印を押される相互監視社会で、コーチからは今ならモラハラと言われるような罵声を浴びせられ、たった1年早く産まれただけの先輩は「お前らも過去の私達と同じ苦しみを味わえ」と言わんばかりにコキ使ってくる。辛い、辞めたい、本当は美術部に入りたかったと親に訴えたら、「逃げるな、3年くらい続けろ」と言われた。
就職において、運動部経験がある人間は有利、と聞いたことがある。この、理不尽でインモラルで反知性的な「運動部」を肯定した、あるいは生き抜いた人だけが会社でものし上がれるとしたら、日本社会のクソな部分が延々と再生産されるのも頷ける。
最近、ニセ科批判とネトウヨの結びつき、みたいなのについてツイッターでよく見るので、思うところを書いてみることにする。
先に、俺の立場について書いておくと、もともとニセ科学批判クラスタにいる(た)人間である。以下、いろいろと書き連ねたような事情もあって、最近はニセ科学批判クラスタを批判的に言及することが多くなってきたが、やっぱり世界は科学だろう、という思いは変らない。
余談だが、ニセ科学批判クラスタを批判する人、というのがニセ科学勢力とか、トンデモ勢力というのは意外に成り立たない。そういう連中を自分が積極的にフォローしてないというのもあるかもしれないが、その手合いはまず自分たちに批判的な人がいることについて詳しく言及すること自体が不都合なので、あんまり触れないのではないかとも思う。クラスタの言説に詳しく触れながら批判する人というのは、何だかんだいって「ニセ科学は嫌い」寄りの人間が多いようだ。
あらかじめ書いておくと、自分の見解は、「ニセ科学批判とネトウヨは本来、つながらない」である。しかし、そう言い出す人がけっこういる、というのも理解できないではない。まして、「またネトウヨ連呼厨ガァー!」などと言い出す気にはなれない。なので、どうしてそう思われるようになってしまったのか、といういくつかの自分の思っている理由について書いてみようと思う。
なお、あくまで自分の観測範囲ベースなので、それ以上のエビデンスや統計的な根拠はない。ほしかったら基盤Bでも持って出直してきたら調べてやらんでもない。
ニセ科学批判とウヨの親和性、という問題が語られるようになったのは、やっぱり3.11以後が決定的である。いちおう、3.11以降について、特に放射能デマをめぐる後始末についていうなら、ニセ科学批判派がおおむね正しかった(細かいとこで間違いや軽口があったのは否定しない)というのは間違いないので、これはどんどん認めていくべきである。そして、その上で、致命的なレッテルを引き寄せる結果となったことについてもそろそろ考えるべきだと思う。
3.11直後にデマ批判をする人が、今となってはかなり信じがたい形で「ウヨ」と手を結んでいたのは確かだ。これはひとえに、デマの流布をほっておくことが人権問題になりかねない状況だったことによる。一例としては、ゴリゴリの左派な左巻健男が石井孝明をRTしていたことがあるくらいである。それは、個人的にそこはRTしなくてよかったんじゃないかと思うツイートだったが(別にどうしてもしなきゃいけないRTでもなかった)、しかし当時はそれでも連帯できるところは連帯しないといけない事情だったのも確か。とはいえ、そのRTを見てニセ科学批判派の中にいる自分でも嫌悪感を覚えたので、その外にいて、かつ左派寄りの人がどうとらえたかは想像に難くない。
元々、デマ批判を発信していた人には政治的には左派が多く、その中には、事態が落ち着いた今は左派クラスタのなかへと帰っていった人も少なくない。今となっては、「福島差別」について関心が高いアカウントというのの少なからず割合がただのウヨアカウントであり、人権問題に危機感を抱いて近づいてきたというよりは単に「ダシにしにきた」ことも明らかになりつつあるのだから、この時期のことについては、ちゃんと後処理をしておくべきではないかと思う。一方で、安易にウヨレッテルを張った側も、そのレッテルについて再検討する必要がある。
ニセ科学批判というのは多層的に発信される。最初の発信者、つまり、積極的に資料をあたったり文献をあたって、情報を発信していた人はもちろんいるにしろ、その人たちの話がどう広まっていったかといえば、メディアが広めた場合ももちろんあろうが、ツイッターなどネットではそれを再発信する人によって広まったわけだ。この人たちの中にも濃度がいろいろあって、「なんとなくRTした人」「そういう話を見たら積極的にRTする人」「RTして、自分でもそれをベースに意見をいったりする人」「それがさらにバズって積極的にニセ科学情報を集める人」とまあ、いろいろだ。
こうなると、ニセ科学批判クラスタといっても、もともとの「ニセ科学批判派」の声は流通する情報の割合的にはごくわずかということになる。
俺がやばいと思う層は、じつはこの水増しされた部分である。デマ批判が機能したのはこの部分あってこそなので、水増しという言い方は語弊があるのかもしれないが、しかし、ネトウヨとニセ科学批判がむすびつけて論じられることに責任があるのはこの層ではないかとも思う。
この層、とひとくちにいっても、いくつかある。
まあこれは文字通りの「ウヨ」層だ。前述の石井孝明とか、池田信夫なんてのもそうだろう。この亜種(1A)としては、ウヨというよりは「左派が憎い」というイデオロギーをかぶせていくケースもある。佐々木俊尚とか、伊藤剛あたりがそうだろうか。そうそう、伊藤剛と昔仲良し今は犬猿の仲の唐沢俊一も忘れてはいけない。君たちお仲間だよおめでとう。あるいは、こうやって膨らんだ層を客層にあてこんだ「御用文化人」というケースも亜種(1B)の一つだろう。いちえふの作者なんてのはそうだと思う。最初はけっこうまじめな信念を持って作業員のルポを始めたんじゃないかなー、とは思うのだが。
言っちゃあ何だが、科学は正義である。しかも、ある程度実証が積み重なれば、相対化しようがない正義だ。本当は正義とか正しさなんて一ミリも興味はないのかもしれないが、とにかく人を叩く根拠がほしいならず者にとって、こんな都合のいいものはない。しかも、人権問題としての問題意識までくっついている。人権なんて一ミリも興味がないのかもしれないが、以下同文。
正義の暴走がデンデンという人はネットによく転がっているが、あまりこの点には言及しない、どころかこの正義だけは振りかざすのが大好きだったりもする。彼らの心情は、よくわからない。
一昔前のメディアに流れる文章には、理系に対する嘲笑や偏見がいりまじったものというのが結構あった。それを見た理系人が、お前ら哲学で作った飛行機に乗れるのかよ、というような反発を持つのは想像に難くない。俺も昔はそうだったし。それは仕方ないところもあると思う。
ところが、ネットは理系の研究者がどっぷりつかっていたり、エンジニアがどっぷりつかっていたりする場なので、そういう人が意外にマスをもてる世界である。それはいいことでもあるんだけど、結果、「理系カルト」のようなものが出来てしまうという面もある。その結果、「文系」をバカにするようなアカウントが出来上がる。昔、科学ネタやアニメ談義が話が合うという理由で高専生や理系大学生をけっこうフォローしていたのだが、どうもこういう方向に流れていく人が多く、非難がましいツイートが増えた結果リムられたりリムったりブロックされたりが増えた残念な記憶もある。
これらの人が、放射能デマ批判、さらにはより広いニセ科学批判に群がったわけだ。どれもこれもあまり近づきたくないタイプである。
しかし、本来の意味でのウヨはこの中では(1)か、せいぜい(1A)までに限られる。それが全体のうちどれくらいの割合を占めるかというと、あんまり高くないと思われる。おそらく、悪印象のかなりの部分は(2)(3)に起因しているのではないか。(2)と(3)は、本来的にはウヨ思想とは関係がない。しかし(2)はそもそもモラルを欠いている層で、ネットイナゴといわれる集団に近い。そういう人が、ネトウヨ思想に親和性を持つのはまあ時間の問題である。(3)は正直因果関係を断定しづらいのだが、確かに自分の観測範囲では重なる人が多い。理系でもウヨ色の薄い人は理系絶対主義みたいなところには陥らない、みたいな雑な印象がある。
そうすると、本来は関係のない「ウヨ」と「ニセ科学批判」がセットで観測されるということが大量発生する。しかも、(2)(3)は人間性として最悪の、できればブロックしておきたいタイプだ。どこをどういじっても、ニセ科学批判がいい印象を持たれる展開がない。しかも、こういうアカウントに限って、やけにRTされる数が多く、ダメな方向にネットへ広がっていく。
(この部分追記)「冷笑系」と呼ばれるような集団がともかなり重なっている、というのもいくつかの反応で見かけた。これはもっともだと思う。特に(1A)や(3)あたり。
後出しじゃんけん承知で言うと、推敲前は言及していたのだけど、定義にやかましい人の怒りが二乗になりそうなのと、話がとりとめもなくなったのでなんとなく端折ってしまった。けれど、ニセ科学批判との関係について考える場合には、「いわゆるネトウヨ」より重要なカテゴリーかもしれない。
ネトウヨの定義というのは曖昧である。むしろ、厳密に定義したところで境界線附近の人間が大手をふって歩き出すだけなので、ある程度曖昧でいいと思う。ライトノベルの定義みたいなものだ。物語シリーズはラノベかとか三毛猫ホームズはラノベかと言ってる分には意味もあろうが、そこにかこつけて「聖書はラノベでは」とか言い出す奴はつまみ出せばよい。
しかし、世の中には問題児がいる。自分たちはつまらない理由でネトウヨ扱いされた、だからネトウヨを名乗ってトンチキなことを言い募ってやる!と言わんばかりの連中である。いまどき子供でももう少ししつけられていると思うのだが、そんないい大人がネットにはたくさんいる。被害者意識をこじらせているとしかいいようがない。本人はネトウヨ認定したほうが悪いと思い込んでいるのかもしれないが、申し訳ないが狂人の真似だと言い張って東大路通を走る人間は京大生でなければ狂人である。京大生でも狂人かもしれない。
菊池誠氏があんなふうになったのは、一つのきっかけはここにあると思う。しかし、年齢的にも知性的にも社会的立場的にも、責任能力を逃れられる人ではなかろう。自分の不始末は自分でつけていただきたい。きっかけのもう一つの原因(と俺が思ってること)は、次の項で述べる。
ジャンルは違うけれど、所謂「キモくて金のないおっさん」を名乗りたがるネット住民、についても似たようなことが言える。
ツイッターにはRTとかふぁぼという機能がある。ふぁぼはまあいいとして(最近はこれもTLに流れてくるようになったが)、RTは誰が何をRTはしたかが、ある程度分かる。
RTの基準は人によっていろいろだろうが、まあ第ゼロ近似としては「それに共感するんですね」だろう。直後のツイートで批判的に言及でもしておかないと、そう思われないほうがおかしい、と思う。
ここでめんどくさいのは、「それに共感するんですね」の「それ」はツイートの文章そのものであるかツイートしてる本人であるか、である。直感的には、前者だろう。後者は雑な見方に映る。ただ、発言を属人的に見ない、というのはけっこうなことに見えるが、発言主と合わせて文意を判断しない、ただの無責任な態度となることもある。見てる側が、いつも「こいつはどうしようもない奴だな」と認識していれば、それをRTする方も同類とみなされることもある。そんなのおかしい、という人もいようが、そういうものだ。
さてここで上のニセ科学批判情報の発信の話になる。発信者する側も、自分が発信した情報を受けて賛同し、意見を述べたり非難したりするツイートを自分のRTという形で放流するということをよくやる。別に発信者じゃなくてもやると思うから、ニセ科学批判に集まった人も、さらにそれをやるわけだ。
ところが、その放流元が「札付き」であった場合、それを「ニセ科学批判に賛同してくれた」という文脈だけで読んでくれる人は、あんまりいない。ごくふつうのアカウントなら、はいはい賛同者だね、ということになる。ところがそうじゃない場合は問題だ。そりゃあ、ツイート単体ではいいことを言ってるように見えたりするかもしれない。でもそれを、みんな属人的に見ないでくれるだろうな、というのはおめでたい。
でもまあ、そういうことが一度や二度あった、というだけなら、まあどうということもないかもしれない。しかし、これを長く繰り返し続けていくとどうなるか。
「お前はそういうやつなのか」で離れる人というのは離れられる側にとっても、分かりやすいし素直だ。だが、「お前のRTうぜえわ」で離れる人も出てくる。離れられた側は、もしかしたらなんだか事故にあったつもりになるかもしれない。自分はただ「賛同できるツイートを流しただけなのに」、と。
それもそうかもしれない。でもそれが繰り返されるうちに、クラスタ自体が、濃縮されてだんだん汚染されていく。そして、やり取りをする相手というのは、本人も気づかないうちに影響を与えていく。フィードバックされちゃうのだ。
2012年か2013年くらいまでは、きくまこ先生もそこまで変ではなかったが、その後加速するようにヘンな発言が連発されていくのは、こんな感じだったのではないかと考えている。
ニセ科学批判そのものを凶器として振り回す層というのが出来た結果、その印象がネットイナゴ、あるいはネトウヨと非常に近いものになってしまう。あとは災害が広がるのみだ。子宮がんワクチン、水素水、EM菌。本来ならネトウヨと関連付けられる要素なんてないものも、そのスジのアカウントが言及してはバズる、という光景は、「そこ」がイニシアチブを握っている、と認識されることになる。そうなれば、ウヨに批判的な人は近寄りがたくなる。もちろん、もともと発信元として活動していたような人は、自分が左派であろうと発信を続けるだろう。でもそこまで中心にいない人は、距離を置くか、あるいはニセ科学批判派の語り口に疑問を持つようになる。
このような先鋭化の過程で、本来なら近しいところにいるはずの、歴史修正主義批判や、反知性主義批判(本来の意味も、日本で独自に派生した意味もどっちも含まれる)との溝が深まっていくことになる。めんどくさいことに、これらの集団は原発や巨大科学のようなものには批判的で、甚だしい場合は放射能デマに一定の親和性がある人もいたりするので、頭が痛い。
よく、ニセ科学批判クラスタはこれらのニセ社会科学・ニセ人文科学の問題には無関心だと言われる。発信する側については実際には必ずしもそうではないアカウントも多いのだが、群がっている層については確かに無関心…… どころか敵意を持っている人が少なくない。理系人が多いので馴染みが薄いし慎重な態度でいる…… というのはなくはないのだろうが、どうもそれだけで済まないところがある。歴史問題や法律あたりに目をつけて観察していると、「馴染みが薄いからかかわらない」ではなく嬉々としてトンデモさんを引っ張ってきて何かつぶやいている、という光景を目にして頭を抱えることになる。
「Aを批判しているのにBを批判しないのはなぜか」はほっといてくれというのは分からないでもない。ただ、それは本当にたまたまのこともあれば、党派性を後ろに秘めてみて見ぬふりをする場合もあるので、けっこう一概には言いにくい論点である。状況証拠次第によっては、判断材料として持ちたくなる疑問であるのは確かだ。また、別にこういう「疑問」はニセ科学批判クラスタだけが受けるものではなく、左派がいちゃもんのように昔から言い立てられてきたことでもあるので、やはり状況しだいでこう問いたくなるのも当然だろう。
こんなことが続いていくうちに、ニセ科学批判クラスタは「身内」に甘い、というような見方もされてくる。そんなことないよ、と言いたいところだが、最近たまにはてブあたりに上がってくるニセ科学批判批判へのブクマコメントなど見ると、妙にニセ科学批判サイドへの批判を矮小化しようとする「ニセ科学批判者」のコメントが見受けられたりして「ああこの人もかあ」という気分になってくる。
先日ツイッターで問題になっていたのは、これのようだ。mika_berry氏というツイッタラーがリフレとニセ科学批判とネトウヨのつながりについて言い始めてそれにニセ科学批判派やネトウヨの定義が気になるタイプが反発して少し炎上のようになったらしい。
経済には明るくないので、具体的なところには踏み込まない。が、ニセ科学批判クラスタ、あるいはもしかしたら理系クラスタまで枠を広げてもいいのかもしれないが、けっこうな割合がいわゆる「リフレ」に近づいたのは確かにそうだなと思う。
ただしここも距離の違いはけっこうあって、単に「反緊縮」に近づいた人もいれば、はっきり「リフレ」に近づいた人もいる。俺も反緊縮については多分同意すべきなんだろうな、と思う。
なぜこういう動きが起きたかは分からない。単に、時代的に緊縮はもういい、という風潮だったのかもしれない。反緊縮は数字を勘定してイメージしやすい「ロジカル」なものだからという、もっともらしい理由がつけられるのかもしれない。それはわからないのだが、しかしこの「リフレに近づいた側」の少なからぬ人が、その後決定的にウヨに近づいていくことになる。
これも理由は分からない。反緊縮には賛同する、という程度の人は、あまりそっちへ動かなかったからだ。アベノミクスなるものがあったからといって、他の論点がいっぱいあるのだから、ウヨに近づく理由にはならないのである。むしろ経済で結果を継続して出せるように安定させるためにこそ、おかしな動きは徹底的に批判すべき、と思うのだが、なぜかそうならない人というのがいた。ニセ科学批判クラスタの外にもそういう人がやはり「なぜか」いて、新たな集団を作るようになる。リフレで経済的に豊かになることを期待するクラスタ、というよりは「政権を応援しマスコミを憎み野党のアラ探しをする」クラスタとなる。経済には明るくないのでよくわからないのだが、アベノミクスのような政策はほっとくだけだと企業が潤うだけだと聞く。こういう人が「再分配を求めるべき」「企業は給料をあげよ」というような動きをしたという話を寡聞にして聞かない。本当に経済が大事だと思っていたのか、いまいちよくわからないところがある。
昔ながらのニセ科学批判は、党派性から距離を置いているつもりの人が多い。これは「左派が多い」という、上で書いた話とも別に矛盾しない。もちろん、ノンポリもいる。俺だって党派がかるのは大嫌いだ。
それはいいんだけど、そうありたいと思うこととか、自分たちはそうだと思い込むことは、あんまり何かを担保してくれることではない。
ここ10年くらいのインターネットの歴史は、ノンポリが政治的な層、特にウヨに振り回される歴史だった。
1970年ごろの学生運動家だって、多くは本質的にはノンポリだったという話はよく聞く。でも、左翼運動の迷走についての責任を問われないかといえば、そんなことはないだろう。
俺が思うのは要するにそういうことだ。ニセ科学批判=ネトウヨというくくりは、なるほど雑だ。だけど、それを一笑に付せる無邪気さは、ちょっと俺には持てない。
マジ安倍内閣クソ。クズ。なにより公明党がウンコ。宗教信じてないけど、仏罰ってやつがあるならぜひともお願いしたい。吉川沙織議員の賛成討論がよくまとまっていましたが、国会は慣例と紳士協定でなりたっている、良識を前提とした運営をしてきました。今回の国会法56条3のように、「緊急を要する」みたいなあいまいな規定だって、国会の運営が、最低限の良心と対話で成り立ってきた歴史があるから許されてきたわけで、こういうことをやることは、国会の自殺といわれても仕方ないでしょう。なぜ国会があいまいな規定で運営されているのか。たとえば、なぜ国会議員が国会での言動で刑事罰を免除されているのか、よく考えてほしい。嘘つきは当然問題だけど、なぜ国会でそういうことを禁止する規定が無いのか、よく考えてほしい。良心にのっとって、自由に討論することを妨げないため、刑事罰を持って言論を萎縮させないためでしょう。専門知識を有した委員会での審議を尊重するのは、最低限のラインでしょう。なんでちょっと延長したら普通の手続きをとれるところを飛ばしてしまうんですか。秋野公造がつめられる映像が取られたくない?加計学園問題を追及されたくない?文科省の調査報告に注目されたくない?こんなくだらないことのために、与党議員が委員会採決すら放棄するんですか?
議院に付託された法案を委員会で採決することなく、与党が中間報告させる、という手続きは、国会を法案にスタンプを押す装置として考えている無教養で反知性的な安倍さんには大した話じゃないんでしょうが、明確な議会の否定行為です。記名投票だったので、あとで中間報告の動議の結果は見たいと思いますが、これに賛同した議員は全員落選してほしい。
ちなみに内閣府の調査するとか言ってましたけど、国会閉じてから出されても追及は当然甘くなるんで、関心が薄れた秋臨時国会、まぁギリゆずって閉会中審査やったとしてもあんま報道もされないから強引な論理がまかり通るんで期待するだけ無駄です。個人的な予想ですけど、
1.文科省で見つかった協議内容は事実だけど、藤原豊審議官が安倍の名前を騙っただけ。内閣府にも同じ内容の文書はあるけどそれ以外にはないから無問題説。
→生贄は藤原さん。
2.文科省で見つかった協議内容は虚偽で、藤原豊審議官は総理の意向などとは言っていない。文科省の役人が聞き間違えた。内閣府の文書は内容が異なる説。
のどっちかだと思います。文科省の誰かが実名告発する覚悟、ということでしたが、その人がただ文書の存在を見ただけの人だった場合は2を、その人が当事者だった人の場合は1を選ぶと思います。当然その人は内調がお調べになっているでしょうから、どういう立場で、どこまで責任を持って告発できる人なのか、というところに合わせてシナリオつくっとるでしょ。
金田法務大臣問責、松野博一文科大臣不信任、山本順三議院運営委員長解任と行きましたが、内閣不信任を出したので、あとの参院議長は出しても出さなくてもまぁ早いか遅いかだけです。
一応討論者の寸評。
真山勇一 50点
この人なりにがんばってはいるんだけど、まぁ人のよさそうな顔のせいか、いかんせん迫力がない。法務委員会でも西田昌司にいいようにあしらわれてたし、ピンチヒッターで来てる福山哲郎議員にも子供の使いみたいになってたのも残念。審議入りの際のせりふを使った皮肉はよかった。
反対
佐々木さやか 0点
何なのこのひとの討論。「国会でも法案審議で誠実真摯な答弁を行うなど国民のために尽くしてこられた」出だしから金田ほめごろしてんの?あんたほとんど金田に質問しとらんやろ。創価大学法科大学院ってやっぱり公明党がずーと法務委員長独占してきた恩恵なんですかね?頭パーなの?この人もそのうち法務委員長になるの?公明党マジで下駄の雪どころか、靴の裏のウンコ。
賛成
福山哲郎 80点
場慣れしてるなぁと。ここが大事だから聞いてください、ここも大事です、もう少しで終わりますって言いながらなかなか粘っていました。
反対
東徹 10点
民進批判して、与党の中間報告批判して、金田しっかり答弁しろっていってから反対、説得力ゼロ。きのうあれだけ切れた振りして民進批判したのにそのキレっぷりの半分でも与党に向けたらどうなの。民進はあんたの質疑を止めたかもしれないけど、アンタの時間を奪ったのは中間報告だよ。
賛成
山添拓 50点
マジメですね。若いし。間違ったこともいっていないし、法案の問題点はちゃんと指摘してるけど、印象に残るものでもなかった。ヨシキ、和夫の迫力を見習おう。
山本議運解任
半日でよくこの原稿書いたなってのがまずびっくり。書き起こしたいけどもういいや。専門性の高い委員会主義の意義、議会の慣例と過去の中間報告は野党委員長の場合と議員個人の決断にゆだねられた臓器移植法だけに限られていたこと、ヴェーバーやトックビルなどを引用して、安倍政権の手法がいかに民主主義的でないかを喝破するものでした。
ひげ 0点
「われわれは人気が高く人数が多いので熟議ができるのです」吉川議員の多数による専制の話聞いてた?一刻も早く選挙落ちて引っ込め。
白眞勲くん 80点
おちょくってんのかって言うノリで、本質的なとこは余り外さないところが相変わらず面白いですね。ちなみに宮崎岳志はくんくんの後継者になれるクオリティあるよ。こないだの本会議反対討論見事だった。個人的には、こういう落語家的ないやみは好きなのであります。
山下芳生 70点
体調が悪い中、野次を怒鳴り散らしていただきました。普段温厚な人が怒ると迫力が出る。
内閣不信任案
安住淳 90点
この人もやっぱり面白い。でも30分じゃ短いよ。もっともっといくらでもあげつらえるでしょう。私だって1時間は話せるよ。「いつから特定新聞の販売責任者になったのか」、「天皇退位法案が円満にまとまったのは総理がいなかったから」はよかったね。「二重国籍ー」って叫んでた与党議員のバカっぽさが目立ちましたね。
西村康稔 0点
党首討論も予算委員会集中審議やるんなら受けてくれるでしょ。「審議の途中に野党(維新)の質疑が残っているのに大臣の問責決議を出してきた」とかいう自爆はなんなの?おめーら審議の途中に審議どころか採決も省略動議してるじゃねーか。偽証罪告発まだですか?
泉健太 50点
安倍政権の不信任討論としてはまぁいい内容なんだけど、印象にのこらない。眠いのもあるけど。自分たちはこんなに賛成してきたっていう主張の必然性も良くわからない。でもこの人はまだ若いしこれからにも期待している。
伊藤渉 0点
こんな時間に本会議にいることはむなしくないのかっていってたけど、そら無力さはむなしいだろうけど、明日にしていいなら喜んで受けてくれたと思うで。政治主導を放棄する民進党とかいうてたけど、おまえんとこの法務委員長、一回目から政府参考人制度復活させとったからな。
志位和夫 70点
律儀に15分終わったのが不満。金田の治安維持法は適法とかいうマジ基地答弁から、参院で突然出てきたかくれみの議論、後半でさらに突然出てきた周辺者議論とかで、共謀罪審議の不十分さを的確な日本語で指摘するのはさすが。和夫の日本語力をわが国の首相にわけてあげてくれんかね。
正直言って、ただのウォッチャーとしてはこの国の議会に耐えられなくなってきてる。でもあきらめたらそこで試合終了なんで、野党の議員はほんと心折れそうになると思うけど、間違ってることは間違ってるって指摘し続けてほしい。フィリバスターに打って出なかったのは個人的には不満ではあるけど、何やったってどうせ通るんだから、正々堂々と非難するっていう選択肢も悪くはないとも思っています。今日何が一番悲しかったって、議会が自殺しようとしてる中で、テレビメディアがさもいつもどおりかのように「与野党の攻防が山場」とかいう紋切り型の表現で、この問題の重大性を訴えなかったところだったなぁ。わたしたちの議会を行政がぶっ壊そうとしてるっつーことが共有されない悲しさは与党支持者の皆様にはきっとわからないのでしょうね。テロ等準備罪の成立は見ない。おやすみ。
はてなや増田界隈の記事が上がってこないから、いいキュレーションサービスだ。
あの手の、価値観の衝突を見せつけられて悶々としたり、怒りが沸々と湧いてくるような記事。
あれがあると心を穏やかに保てない。それだけじゃない。
下手をすると、相手を説教・説得したくなって長文を書いては、冷静になって投稿せずメモ帳に保存するという行為に数時間使ってしまう。
PC使っている時はその手の卑しい記事をしょっちゅう見てしまうにもかかわらず、
Googleアプリには上がってこないあたり、はてな系を排除するような仕組みがあるからだろうね。素晴らしい。
Googleが無遠慮なヤツだったら、クソみたいなフィードで埋め尽くされているはずが、そこまでにはならない。
やっぱりGoogleは、「あなたは本当は高潔で知性的な人なんですよね、知ってますよ」と寄り添ってくれる善人だ。
むしろGoogleのおかげでケガレを払ってもらっている感じすらする。
いや、自分で無意識に「○○には興味がない」でフィルタリングしてる部分はあるよ、もちろんね。
それでもそれ以上に、健全寄りに気を利かせてくれているように思えてならない。
大別
3トランプを否定的にとらえた上でのトランプ支持者と断し、今後の日本を憂う
(前提として脱線→トランプは本当にそういった人々からしか支持されていなのか。トランプの良い面は全く見ないようにしているかのように見える。)
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htnmiki 良い悪いとは別に、この問いを無視することはトランプ誕生に繋がるよね。衣食足りて礼節を知る、貧すれば鈍する、理屈じゃない
同時にこのコメ主が貧して鈍じたとも言っているようにもとれる。
解決策を提示はしておらず、トランプの当選をネガティブと捉えている。
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rgbv お前らが結婚もできず子どもも作れず必死に働いてるのは外国人がいるせいなの?追い出したらトントン拍子に結婚できて子ども授かって給料うなぎ上りになんの??日本死ねって叫んだ方が健全なんじゃないの???
リベラルはバカが嫌いだ。バカ、特に合理的でないことや非論理的な事など。
コメ主の言ってることはただの逆恨みだ!と言っているが、嫌いという感情によって批判しているため、他のコメントによって感情によって批判したことを批判されている。
また、バカを掘り下げて精神的貧困や、貧困によって引き起こされる問題と捉えることによって庇護の対象として組み込もうというコメントもみられる。
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yunitaro 典型的認知の歪み。貧困から家庭を持てないならそれは経済政策の失敗であり行政の責任。責めるべきは政府であって外国人ではないし、明後日の方向へ抗議をしているから行政も変わらない
→リベラルからみたら全くもって正しい理屈だが、その実、対象者(精神的or知性的貧困者)の思考に即していないことを指摘されている
「責めるべきは政府であって」政府をどう責めるべきなのかを補足してコメ主と語り合ってほしい
→これに対する批判
netonlinejob ブコメの「経済政策の失敗であり行政の責任」とか言い出したら、外国人排斥政策を支持する政治家が台頭するだけだと何故わからないのだろう? 認知の歪みという指摘は逆ではない
→政治に転嫁した場合、己が(リベラル側からしたら間違った考えをもっている人間)がそもそも自分の考えが間違っているという前提に立たないだろうという当たり前の示唆。実際に思考実験するとおそらく正しい。
lcwin この意見を自己責任論とせずにうまく寛容とリベラリズムに沿ってゆるく導く発言をすることが今求められていることかもしれないんだよなあ。本当に難しい。
hanyan0401 「結婚も出産もしようと思えばできる」という自己責任論に、弱者男性、いわゆる「キモくて金のないおっさん」が、「金のないフィリピン国籍の妊婦」ほどには弱者として顧みられないという現実を垣間見ました。
augsUK ここに自己責任論なんだ。救うべき対象の選別をする権利が欲しい人が一定数いるなあ。さらに、救われない対象を叩くことを楽しむ人が主流派になってる。
→この人のを自己責任として切り捨てるのはちがうのではないかというリベラルの内省が垣間見られる。では自己責任とは、何が自己責任なのか。コメ主が置かれている現状がってことなのだろうか。おそらく違う。リベラルが自己責任として切り捨てるのは「知性のなさ」だ。自分は頭がいいと思っていて、バカは自分で改善されるべきものという思想が根底にあるのかもしれない。
kirifuu これを自己責任で切り捨てるのが今の日本の現実だからなぁ。セーフティネットと言っても難しいのだけど、あざ笑ったり叩いたりするような発言ではあるまいよ。
kasugano ここに自己責任論が出てくるの本当に地獄だよな。異性獲得弱者のオッサン相手になら何言ってもいいと思ってる連中がワラワラと湧いてくる
awkad まさに「キモくて金のないおっさん」問題。キモくて金のないおっさんは誰も哀れまないし、救われない。「自己責任だろ」を浴びせ続けられる。そしてどんどん歪んで沈んでいく
shira0211tama 問題切り分けるべきが正論かもだけど切り分けると自己責任論で各個撃破されるんじゃ? これだけ他を引っ張って来ないと辛いと言えないし、これだけ引っ張ってもボコボコにされる闇
dongdeng 弱者の味方を自称するリベラルがなぜキモい金のないおっさんに寄り添わないのかわからなかったが、人気のブコメを見ると差別を行なってる仮想敵に無条件に見下せるおっさんを置いてるからなのかなと思った
→確かに、、、どうやらリベラルどもには、救うべき対象者は、経済的に貧している人間であって、知性的、あるいは精神的に貧困している人間は救う対象にはなりにくいようだ。それはリベラルのアイデンティティのベースにの「批判」があるからかもしれない。そしてその批判の対象に知性的貧困をするのが手っ取り早いからだろう。
CelestialFire 努力すれば結婚できるなら誰も困らないんだけどな。普段は自己責任論を心底嫌ってるくせして、「キモくて金のないおっさん」には平気な顔して自己責任論を押し付けてくるリベラルのダブスタにはいい加減うんざり。
cloq 貧乏自己責任論者の頬を金でひっぱたいて黙らせろ案件
danaca この人を叩いてるはてブ民を見ていると、はてブ民は弱者の味方ではない事がよくわかるよね。はてブ民は「助けたいと思える綺麗で気持ち悪くない弱者」を助けたいだけで、決して弱者の味方ではない。
→ここでいう「気持ち悪くない」というところがやはりダブスタと言われる所以だろうし、リベラルの内包する自己矛盾かもしれない。
(先に断っておくが、彼はとても偉いと僕は思っている。これだけ批判されているのを認知しておいて、自分のコメントを消していないのだから)
dj_superaids 結婚もできず子どもも作れず、と必死に働いてるの相関関係が理解できなかった。かわいそうだな、とは思った。
→この指摘のとおり本来相関はない。だが文章の読み方を逆にしてある補語を補うと、「必死に働いているのに、結婚や子供を持てるほど稼ぐことができない貧困にある」
という彼の中では実際に因果が生じているのかもしれない。
しかし、フィリピン人を批判することと結びつけることで、知性的、精神的な貧困になった。なぜコメ主はそのような結びつけをしたのか。
kirifuu 結局救われる優先度の最下層に自分がいるって自覚がこの発言を生んでるんだろう。この発言を叩くのは簡単だがそれは割と社会として末期的だと思うね。
→このコメントの言うとおりだとすると、他の層が見えていない問題。これだと根深い
T_Tachibana 主 語 が で か い 。 金が無い事と結婚出来ない子供が作れない事はイコールじゃないって本当は気がついてるんでしょ。
crapman 一切同意できないがこの叫びの理由を考える必要はある。世代別の保有資産を見てもわかるけど、日本の若者世代は世界一相対的に金がない。世代間で分配が進んでないという叫び。だがフィリピーナにあたるのはよくない
→本当だとしたら興味深い話だ。
totoronoki あの人を救ったら次はおれの番だ、じゃないんだよな。他人が救われても自分は絶対に他人の手によって救われないという確信があるから露悪的になれる。
baikoku_sensei 弱者同士は連帯せず、自らの待遇改善より他人の改善を妬むのが現状。全体の格差是正より「俺たちを優遇しろ」の声を拾い上げ、扇動して支持を集めたのがヒトラーやらトランプなので、感情論を持ち込むべきではない
→慧眼なのに感情論を持ち込むべきではない、という結論ではなぁ。わかり合うためにはどうすべきかを提示してほしかった
tGsQqV この発言をした人が困っていることと、この外国人女性が困ることにまるで因果がない。 例えば、自分が別の理由で本当に困ったときに他人から難癖つけられて適切な手当てを受けられられなったら…なんて考えないの?
→実に正しくリベラルチックな考え方に見えた。
mamezou_plus2 子供作って生活保護受給すれば良いじゃん?何故出来る事をしないのに僻むのか?結婚も子作りもやろうと思えばできるよ?幸せかどうかや自分の基準を満たしてるかは別として。
→それは違うんじゃないか?社会を構成する一員として、自覚をもってる面があって、それだからこそのフィリピン人への妬みだとか恨みになってるわけで、それを取っ払えばいいじゃん?って言っちゃうと社会が崩壊するわけだから、彼の我慢が社会の安定に資するところであることは評価しなきゃ
2006年前後に激化した日本における鉄道好き文化の聖地・JR東日本での鉄道ファン同士の小競り合い。鉄道ファンの若者が集まる駅で、その鉄道ファンの排斥を呼びかけるヘイト集団が駅に押し寄せた。最盛期には100人規模の参加者がいたという。ギャル・不良系サブカルからの流れもあっただろう。
実際には、何十人ものヘイト集団が「お散歩」と称して鉄道オタクと押し問答を起こしたり、オタクとも何も関係なさそうな女子供におらつく動画や画像を見たことがある。
ここで彼らの最大の課題が見える。それは、仕組みを妄信し、仕組みの上に根拠となる反論のできないデータがあると(「データの不在」というデータも含め)、それに「可視化された存在」をすり合わせることで物事を確証するということだ。これは本当に反知性的な発想である。
鉄道ファンヘイトの場合は、まず日本型の保守主義構造という「仕組み」を過信し、その仕組みの上に鉄道ファンの社会性実績の不在というデータなきデータがあって、主張を裏付ける現実実態としてヘイト運動の大規模化を実現させたわけだ。しかし、彼らには最大の欠陥がある。
それは「サイレントマジョリティを知らないこと」である。世の中の多くの人は、鉄道ファンではないし、かといってヤンキーでもない。ましてや「私はミーハーです!」とデモを組んで主張してがなりたてることもありえないのである。
鉄道オタク叩きに躍起になっていたヘイト連中は、自分たちの閉鎖的なネット空間の「一般論」が事実であることの根拠にヘイト行為の動画を拡散した。しかし、駅の利用者などは、ヘイトにはドン引きだったはずだ。
一方で、地上波テレビに一気にサブカルが進出したのもあの時期だった。いわゆるオタク文化の大衆化がここに始まった。マスコミ関係者もまた「可視至上主義」に陥っていたのだろう。
ちなみに鉄道オタクの人口はある証券会社の調べによれば「オタク全体の3.8%(日本のオタク人口が5200万人)」だというようだ。あまりにも少ない。膨大なサイレントマジョリティの日本国民は、鉄道を好きでもないが敬遠もしないし、それよりはヤンキーのほうが敬遠されるもので、レイシストは裏社会と同じくらい危険で嫌いである。
たぶん炎上するとは思わなかったんじゃないか。ネット原住民空間には健気な鉄道ファンの話題は何一つ存在しないから、偏った反応だけが来ると。しかし現実には、普段可視化されることのないサイレントマジョリティが眠りから目を覚ますこととなったのだ。
「可視状態の過信」によるサブカル階層の失敗は今に限ったことではない。たとえばニコニコ動画などのネット原住民の中心空間には歴史カテゴリーにおいてヤンキーを肯定する動画がゴロゴロ転がっている。これらは当初はサブカルたちが礼賛コメントを書きまくっていたが、相模原やまゆり園事件以降は批判一色に染まった。
サブカルはロリコンだけでなく、ヤンキーをも好む傾向があり、とりわけヤンキーについては肯定派どころか推奨派なのである。普通の人間であればSMフェチのMじゃあるまいし好き好んで威圧たりしたくないわけで、一般世論と乖離している。しかしネット原住民空間自体が一般ではないのか黙認されてきた。
ところが、そのネット原住民空間が「ヤンキー排斥」「反ロリコン」を鮮明にしたのが相模原やまゆり園事件と千葉大生による女子中学生誘拐事件である。あの時期の前後に立て続けに相次いだロリコン・ヤンキーがらみの騒動もあって、反ロリコン・ヤンキー排斥世論が高まり、結果的に「礼賛一色」のコメント欄が一気に批判に染まったのだ。サブカルなんてネット原住民空間でも少数派なのだ。
そして反ロリコン・ヤンキー排斥の騒動さえ何ヶ月も前になった今こうした動画にはさらに上からかぶさるようにサブカルの「肯定論」が再び増えつつある。最近のトランプ炎上において支持者が強気の姿勢を変える気配がないのも、ロリコンやヤンキーと同じでほとぼりが冷めれば自分たちの主張を上塗りすることができるからだろう。
ついに千と千尋を超えた。
世界興行収入に限って言えば、これで日本一になったことになる。
元々日本アニメを評価している国で言うと、台湾等のアジア圏を除くとフランスが最も有名ではあるが
著名な映画レビューの雑誌なども満点を出すなど類をみない異常な絶賛状況でとてつもない事態に突入している。
「新海誠―ロマンティックな詩人」カイエ・デュ・シネマ ★5/5
「日本アニメ界の新星、ここに」エクラン・ファンタスティック ★4/5
残念ながらゴールデングローブ賞にはノミネートされなかったが
大学の部活をやめた。理由はいろいろある。在籍末期には、とても大学生の団体とは思えないくらい非知性的な集団になっていた。それが理由の一つ。
自分とは違う意見は「意味がわからない」で片付け、初めて見る意見は「面倒くさい」で済ませ、自分の思い通りにならなければ「だれそれのせいで話がこじれた」と言い振らす。
責任の一端は私にもある。大学生とは思えない水準だ、と思いながらも、あくまで彼らを大学生として扱った。独立して自分で考え調べ、自分の責任でものを言える存在として扱った。それがまずかった。大学生レベルではないんだから、大学生として処遇してはいけなかった。今日気づいた。
【目撃者】
海の向こうで反知性主義が始まったと嘆く人々がいる。
反知性「主義」?
すごいなあ、人間はいかなるときも、その日常生活でさえ、知性的な判断をするんだそうだ。
決して、衝動買いなんてしたりしないし、後輩にいいところを見せようと、奢ったりもしない。
僕には、かの国の新大統領が掲げる偉大なるアメリカというのが本国の人のようにピンとはきていない。
ただ、「感覚的に」わかるのは、あの時代のアメリカを、いい時代の自分たちを取り戻してくれる、と明言してくれた候補にすがりたくなったその人間的な感情だ。
人間は知性だけで動くはずはない。衝動買いもしたりするし、カっとなったり、かと思えば気前が良くなって人に料理や鞄を奢ったりするだろう。
それが人間だ。
「ありがとう」と愛しのあの子に言われたならば、つい破産の仕方をgoogle検索で探してしまう。
ただ、「ありがとう」と言われたくて。
アカデミズムの世界で、その知性を轟かせる先生方も、SNSではつい感情的になる。
今回、「知性」を信じた人々は、対になる概念を黙殺してしまった。
本当に知性的ならば、見落としなんてなかったかもしれないけれどね。
人間は自分の信じたいことだけを信じ、自分に有利な情報を仕入れ、確証バイアスで頭の中はフロートソーダさ。
僕は、昔から繁華街でバカをやっていた友人とカフェバーで、そいつを待った。
しかし、待てども待てども、来やしない彼女に業を煮やした僕らがウエイターを呼び止めようとしたとき、後ろの席から声がした。
「気づきなよ」
僕の記憶の中の彼女は(どちらかというと)美人顔でとても薄幸なオーラを醸していた。
僕と一緒に彼女を待っていた友人は、人違いだ帰ろう、と言った。
僕は、目の前の彼女の目(整った二重にタレ目でどちらかというとかわいい系だ)の奥に、鈍いものを感じた。
彼女は僕の手をとって、私の家に泊めてあげた恩を忘れたの?とのたまう。
ああ、こいつだ。
この恩着せがましい話し方。間違いない。彼女だ。
僕が、東京に来たばかりの頃、彼女に振られて、自暴自棄な状態で歌舞伎町で朝を迎えたことがあった。
ホストたちは僕に邪魔だ、うっぜーなと声をかけて、みんなして帰宅していた。
僕が道の真ん中から端っこに移動して、寒さに凍えている頃。
彼女は現れた。
泥酔していた僕は、彼女の家の廊下で倒れて、数時間経つと頭痛と吐き気と共に起きた。
便器と友達になった後、僕はお風呂を拝借して、置手紙をして帰った。
ヴィトンのバッグからは、睡眠薬や安定剤、精神薬に痛み止めが溢れ出ていた。
僕は、その光景を見て、みんな苦労して生きているんだな、と思った。
彼女は、当時キャバ嬢だったが、風落ち(風俗で働くようになることをギョーカイではそのように称す)して、その後、AV嬢になった。
僕が自暴自棄だった頃、僕は彼女に連れられて、ホストクラブに行った。
男の僕が行って楽しいのか、とは思ったが、思いの外、楽しかった。
ホストたちは、召使のように注文を取りに訪れ(跪いて御用聞きだ)彼女の横に座る。
そして、僕にも飽きないように話を振る。
僕は、好奇心が旺盛なのでギョーカイの話を聞くだけでも楽しかった。
彼女がドンペリやリシャールをぽんぽこ入れるので、どのテーブルよりも彼女への待遇は手厚く、そして連れてこられた僕もまるで、どこかの国の王子のように振る舞えるのだった。
僕は、その時思った。
理性や合理的判断は論文を書く時だけで十分で好きな人や頼れる人を探すのに、直感、感情、その発露を起源にして何故いけないのか、と。
楽しい毎日を望まない人々がいたら、なんだか、ロボットみたいだし、現実的でも、夢がなければ、きっと快楽の世界に溺れようとするよ。
ある種の人々は。
ついでに、胸の方も少し眺めた。
僕は少し思案した。(隠しておきたいのか?でも、真反対だからなあ、気づかないふりは……)
僕は彼女に言った。
「可愛く整形してもらったな。どこのクリニックだ。腕がいい。
でも、胸はパッドを詰めりゃいいんじゃないか。代わりに可愛いワンピースでも買うといい」
「君にはばれるか。500万でこれだから安いよー、シャンパン開けてたら、1000万以上なくなったのに笑」
僕と彼女の会話の間中、僕の連れは口をあんぐり開けて、小声で人違いに失礼だぞ、と言っていた。
(シーッ、静かに。愛は静寂に包まれて割れてしまうクリスタル)
僕は笑いながら
「あんたじゃなかったか、人を見た目で判断するのは良くないつったのは。
ついでだから、言っとくが正義の味方にでもなりたいんだったら、何をもってしても人を判断してはいけない。
人は等価値だ。例え、悪人でも愛すべき人間だ。そうだろ、正義の味方くん」
僕は、つい本音を口にしてしまったが、彼はそれを気にもとめなかったようだ。
どうでもいい。僕は、人を見た目で判断するが、その人物が同一かどうかを見た目以外で判断することができる。
見た目で人を判断しないと言っている人に限って、見た目で人を確認しているのはどうにかならんかね、全くw
彼女は
「足が朝から痛くて、つっちゃって」
「仕事か」
「単価上がって、万々歳よ、整形代の元は取れるよ。人は見た目だねえ、だって、私だって人を見た目で選ぶもん」
彼女のこういうあっけらかんとした本音で話すところは嫌いになれない。
公共の福祉や他人を害するのでなければ、シンプルに生きたっていいじゃないか。
「私、復讐する。だって、モテるようになったんだもの。金も稼いで、男をはべらかして、復讐する。あの頃の、自分に聞かせてあげるの。
シンデレラになったよって」
「いいぞいいぞ」
「まあ、この際、それもいい」
「ところで、君、私の意見に賛成しているのは、私が可愛いから?それとも私の意見が納得できるから?」
「難しい質問だ。ねえ、世界って複雑なんだよ。復讐のしがいがあると思わない」
「ポエマーはすぐポエる」
「ツンツンしたこと言っても、容姿が良ければ、言い返す手間がいらなくていいな」
世界は、整理されていない。
たくさんの人々がいて、たくさんの考えがあって。
相手の男は就活等で散々お世話になった40代の会社員。過去に彼女に対して好意を持ってアプローチしており、ブランドもの等も買ってもらうパトロンのような存在だった事もあるらしい。
俺と同棲し始めてからは、俺の存在を相手の男にも伝え、好意を持たれても恋愛関係にはなれない事は伝えているらしい。彼女は、相手の男には友人として感情しかなく恋愛感情は一切ないと言っている。今はプレゼント等ももらっておらず、数ヶ月に1度食事に行っているだけとの事。
これが本当かどうか、確認するといい。たぶん、本当だろう。
だとしたら、「別れない方がいい」と忠告しておく。
過去がどうだったかじゃない。これからの自分たち二人がどうかが問題だ。
ここで別れたら、のちのち、ずっと後悔するだろう。彼女に匹敵する女性は、たぶん現れないだろう。
相手の男と彼女との関係みたいなことは、長い人生ではしばしばあるんだ。
増田はそれが理解できないのだとしたら、たぶん非モテ人生だったのだろう。
長い人生で、最初に出会った一人だけを生涯愛し続ける、なんてことは、あまりない。
増田の彼女はたぶんその男性を(少し)愛したことがあるのだろうが、
その愛情を増田が捨ててしまうのだとしたら、あとできっと後悔するだろう。
増田は彼女が嘘をついているのではないかと疑う。今後も寝るのではないかと疑う。
それはある意味、仕方ないかもしれない。また、その可能性は皆無ではない。
彼女が増田を裏切っていないのに、増田が彼女を捨てたとしたら、
それはたぶん取り返しの付かない人生の大失敗となるだろう。
「たとえあとで裏切られてもいい。自分はこの女を愛する。だから信じる」
と思ったのなら、その言葉を彼女にはっきり告げるがいい。真っ正面で。
オマケで一つ言っておく。
「自分は愛されていないのかも」という疑心暗鬼が、真の愛情をぶちこわす。
どれほど愛しあっていても、疑心暗鬼があると、愛情はあっけなく壊れる。
トラバに答えておく。
彼女がその男性をいくらか思いつづけるということは今後もあるだろう。というか、きっと思いつづけるだろう。
だけど、それは、「寝る」というのとは違うよ。
相手の男もそれはわかっているはずだ。
まあ、恋愛経験の少ない男には、違いはわからないだろうけどね。
※ 特に、知性的な男女の場合には。(知性の低い男女を除く。)
これ実はみんなうすうす気づいてることだよね。
真に知性的なはてなユーザーは、この手のブコメホイホイな増田には決してブクマしない。
村民には「○○先生」みたいに慕われてる人でも(いや、だからこそ)、
アホだなと。お山の大将かと。「ネットはバカと暇人のもの」の体現だなと。
増田にブクマが許されるのはせいぜい、「日本死ね」レベルのものか、
「拘留された」みたいな体験談、カレーの作り方みたいな知識系、そんくらい。
長文オピニオンや愚痴はモノによるが、
だいたい偏った考えでレッテル貼りやマウントしてるやつばかりなので、
基本的には触れないのが正しい。
お前の好きなアイスに例えると
お前がチョコ味のアイスが好きで俺がストロベリーのアイスが好きで
それを食うために金出してアイスを買うのはお互い合理的行動なわけだ。
だがその後で味の違うアイスをそれぞれ選んだ上で、
相手の味がどれほど劣っているか、自分の選んだ味がどれだけ優れているのか、
こんな効用曲線で語ることができるわけがないことに必死で適用させようとしてるのがマジキチってんな。
好き嫌いっていうのは何をもってしても合理的な決着はできずに個人に集結する。
だから他人から無価値だと言われても生き続けないといけないし、
その理由を根本的に阻害する「ガキはいらねえ」理論は知性的でも何でもないっつってんだよ。
じゃあ今までガキを肯定することで成り立ってた社会の恩恵を受けているデカいガキのお前も今すぐ死ねって話。
だからその「自分にとっての合理性」こそが不合理性なんだと言ってるのに
なぜ自分と他人で合理的解釈の相違が発生するのかそこから必死で目を背けているのが笑える
それで知性的とでも思ってんのかな
個人の合理性と人間存在の合理性をごちゃまぜにしておかしいなと感じない脳みその人間が何言っても説得力ないよ
http://anond.hatelabo.jp/20160705180547
http://anond.hatelabo.jp/20160705182214
欲求・達成目標である動機にまで合理性・能率性の高いものを及ばせようとするんじゃないよって話。
子供がコスパ最悪と言ってる人間は人生設計においてその他の要素と較べて相対的にコスパが悪いという話をしてるのであってそれは子供を産んでるヤツも言語化していないだけでまったく同じように選択してる
ただ単純に効用曲線が異なるだけ
他人から客観的に「お前生きてても社会にとってコスパ最悪w」とか言われたら死ぬ覚悟があるんかい、と。
自分にとっての合理性と他人や社会にとっての合理性の区別がついてないバカだとあらためて紹介されてもやはりヒットラーの生まれ変わり気分のバカだとしか言いようが無いな
http://anond.hatelabo.jp/20160705183757
だからその「自分にとっての合理性」こそが不合理性なんだと言ってるのになぜ他者からみた合理性と自分の合理性が異なるのか?
自分がアイスを食いたいときはみんなアイスを食いたいに違いない!ってか統失だな病院に行け
何度言われても理解する気がないから理解できないんだな
というレッテル貼り
なぜ自分と他人で合理的解釈の相違が発生するのかそこから必死で目を背けているのが笑える
効用曲線で説明されてもそこから必死に目を背けて理解できない落ちぶれたバカに笑われてもさすがキチガイは論理立てて思考できないんだなぁとしか
http://anond.hatelabo.jp/20160705191017
相手の味がどれほど劣っているか、自分の選んだ味がどれだけ優れているのか、それを合理的に決着付けることなんざできるわけねえから。
おまえのような馬鹿のためにもう一度説明してやると「子育てのコスパが悪いは個人にとっての財1と財2を比較してコスパが悪いのだという意味」って話をしてるんだが。
そしてそれは子供を産んだヤツも同じ。
→「子供がコスパ最悪と言ってる人間は人生設計においてその他の要素と較べて相対的にコスパが悪いという話をしてるのであってそれは子供を産んでるヤツも言語化していないだけでまったく同じように選択してる」
こんな効用曲線で語ることができるわけがないことに必死で適用させようとしてるのがマジキチってんな。
このケースでは上記のとおり、個人の中での効用曲線で比較して語ることができる、そして他人と個人の効用曲線が同じだとは俺は一度も言っていない。むしろ異なると明言している。
→ただ単純に効用曲線が異なるだけ
好き嫌いっていうのは何をもってしても合理的な決着はできずに個人に集結する。
うんだから個人の効用曲線が他人とおなじだなどと一度も述べたことはないから。誰と闘ってるんだキチガイ。
だから他人から無価値だと言われても生き続けないといけないし、その理由を根本的に阻害する「ガキはいらねえ」理論は知性的でも何でもないっつってんだよ。
ガキを産んでる親も判断基準はおなじだから。対象が異なるだけ。おまえは社会のために子供を産みます!!という親から産まれたの?じゃあ今すぐ回線切って社会のためにバイトでも始めて働いてこい。
じゃあ今までガキを肯定することで成り立ってた社会の恩恵を受けているデカいガキのお前も今すぐ死ねって話。
子供を産むのが半強制だった社会など存在しないから産みたい親が勝手に産んでただけ
もしかして10人くらい子供作ってるだけで社会に貢献してるとか言い出しちゃうレベルの低学歴大ファミリーの無職なのかな?
自分の価値観を論理的に否定されて発狂しちゃうキチガイにガキだの死ねだの言われても笑いしか起こらないわw
http://anond.hatelabo.jp/20160705211058
さきの記事を読めばわかるように、バカが全く読み取れてないから引用を始めてやったのに分かってるもん!とかさすがキチガイだわ。
「人生設計において子どもがコスパ悪い」これがまず間違ってるから。子どもが欲しいっていうのは本能でありごくごく当たり前のこと。
自殺した方がいいレベルのキチガイくんは自他の効用曲線は違うということすら忘れたのか
おまえにとっての当然と他人にとっての当然は違うことすら理解できないキチガイがガキを産んでも社会の害だから産まないでくれる?
自己保存の欲望なんて子供以外にもいくらでも代替可能なのに人間レベルにまで達していないキチガイはヤって孕ませることしか脳内にないんだとよくわかるw
おまえのようなキチガイが子供を作りたがらない夫婦に向かって「貴様らは本能が壊れているイコール人間として義務教育を受けてこなかった」などとキチガイセリフを投げかけるんだろうなw
つーか人生設計できてるやつほど結婚して子どもいるんですよ。
自分の望ましい社会じゃないと望ましい他人じゃないとヤダヤダと叫んでる脳内ガキンチョのままの統失で家族ともども自殺した方がいいレベルのキチガイだとよくわかるw
さきのとおり効用曲線によって判断されているので結婚してようが子供がいようが自身の快楽とそれに伴うコストで判別してるだけw
子ども作れない原因は身体に無いなら精神病由来だから。
同性愛者や無性愛者への差別発言を平気でするキチガイは社会の害だという自覚もなく平気でこういうセリフを吐くんだなw
効用曲線の違いを認められず本能だの精神病だの平気で差別発言を繰り返すキチガイ一族は全員自殺して早く途絶えればいいのになw
あと子ども作らなきゃ貢献してない、なんてことも一言もいってないんですが。
じゃあ恩恵を受けてるだけだのフリーライダーであるかのように印象づけるかのようなことを言うのはやめようなゴミ
「もしも子どもを作らなければ他人の子どもを1人以上の命を確実に救える、豊かにできる、天才・偉人を教育できる」コスパで考えるなら財源で考えるならこういう論理的思考をするべきだろ。社会にとって子どもが必要ということに疑問を感じるならもはや議論する意味もないが、それを前提とするのであれば自分がどれだけ社会に存在する子どもを助けられるか救えるか産み育てられるかどうかがコスパの論点だから。
自殺した方がいいレベルのキチガイはさっきまでの議論も忘れたのか個人の合理性を基準として発せられたコスパというワードに違う文脈をくっつけて社会のためじゃないからコスパじゃない!と喚いたところでキチガイがまーた勝手に文脈変えてしゃべってるわとしか思われないからなw
全く子どもという要素に対して現代社会に生きてのうのうと恩恵受けているというのに干渉せず代償を支払わずにメリットだけをむさぼり尽して他人にコストを支払わせる、それはコスパいいんじゃなくて無責任な寄生虫だっつってんだよ。そんな特権階級に居座れるだけの社会貢献をしてないどっか這いずり回る虫の1匹が子どもを作り育てるというハードルさえ飛び越えようとせずに財源気にしてんじゃねえっつー話。社会貢献をもし否定するならその承認欲求も同時に否定しろ、二度と増田に書きこみするな。
>>あと子ども作らなきゃ貢献してない、なんてことも一言もいってないんですが。
子供から恩恵なんて一ミリも受けてないな。年金なんて受取の権利分は支払い済だから子供が~というのは的外れのキチガイだし、教育費用などは納税や労働してる時点で返してるわけだし寄生虫でもなんでもない。むしろ子供のために税金を支払わせたり保育士など社会的資源を公的な金で使ってる方が寄生虫。全額自分たちの金で払ってから財源や子供を産まないヤツに文句を言おうな。
http://anond.hatelabo.jp/20160706182111
自分が他人から社会から如何にして保護されているのか、それが国の財産であるということが全く理解できてない
具体性のない中傷、キチガイにとっては違うから違うんだもん!を匂わせるだけで反論した気分になれるらしい笑
何度も言ってるけど理性や合理性っていうのは非合理性の塊である本能を充足させるための道具にすぎんのよ
効用曲線によって判断するという言葉の意味を理解していればこんな発言は出てこない学のないバカが自分のお気に入りの価値観を否定されて発狂してるだけだとよくわかるなにひとつ反論なしのレッテル貼り中傷しかできないキチガイは自殺するほうが社会のためだぞ
計画性のあるやつは計画的に本能を充足させるやつであり計画的に子づくりするのなんて簡単なことですから
これってまさに子供を産むヤツは効用曲線を踏まえて考えてるという証明なんだが笑
自己保存の本能において対象が子供以外でも計画的に本能を充足させているだけ
http://anond.hatelabo.jp/20160705212614
B氏は「他人がしている子育てを、他人がコスパとやらで測ってどうこう言うのは間違っている」
自分の子育てに伴うコストや快楽を自分で想定した結果のコスパがどうかという話をしてるのに子育てをしてる側が自分はコスパの悪い子育てをしてるのかと勝手に傷ついて発狂してるなら自分にとっての幸せを信じられない可哀想なほどのバカだとしか思えんわな。もしくは現在しあわせを感じられなくて発狂してるならてめぇの選択の責任を勝手に人に押しつけんなって話だし。
叩かれる覚悟で書くけれど、結論から言うとあらゆるものに絶対の安全などないというのが科学の帰結である。
それを踏まえた上で、福島の人々を助けると思って農作物を食うのか食わないのかはあなたの勝手だ。私はというと特に気にしていない。気にしても仕方がないからである。
この国では、マイナスイオンや水素水でわかるように、基本的に科学的な知識というものが軽んじられてきた。
そのことの是非はともかく、知識の不足から来た両極端が、放射脳と放射脳叩きである。
放射脳といった時に定義がないのでまあよくわからないのだが、世の中には一部、「穢れ」の思想、あるいは小学生的な「**菌」のような考え方で、福島を忌避する人々がいる。当然ながら自然科学というのは原因があって結果があるので、こんなものはただの信仰に過ぎない。
一方で、誰かが「福島の農産物は怖い」とでも言おうものなら、憲兵のごとく飛んできて取り締まる人々もいる。これは、知性的な行いなのだろうか?
彼らが根拠としているのは、例えば全量検査の結果であったり、疫学的な調査であったりと様々であるようだ。しかし、そのどちらも、未だ安全を結論付けるには、時期尚早である。
もちろん私は安全でない、と言いたいわけではなく、単に「わかっていないのだ」ということを強調したい。「そんなことを言ったら福島で頑張っている農家のみなさんが可哀想だと思わないのか」と思われるかもしれないが、農家のみなさんが可哀想であるのと科学的な考え方は完全に別物である。あくまでも物事を客観的に見るのが科学であるからだ。そこには可哀想だのなんだのといった主観は、残念ながら存在しない。「神が創りたもうた」地球は世界の中心であってほしいが太陽の周りを回っているし、空気は透明だけれど分子が飛び交っている。全て同じことである。
科学は安全であると結論付けられないのと同じくらい安全でないとも言えないので、以下の理由を見てあなたが農作物を食うのは全く勝手である。大体が私自身そこまで気にしているわけではない。しかしそれは安全だと思っているからではなく、単に外食などをする以上、気にしても仕方がないから気にしていないのだ。
確かに、全量検査でCs由来のガンマ線が出ていないのは、Csの含有量が少ないことを意味している。しかし、それで十分だろうか?
原発で問題になる放射線と言われる粒子は、高エネルギーの光子(ガンマ線)、電子(ベータ線)、アルファ粒子がメインである。
この中でγ線は透過力が非常に高い。光子は質量0なので、、止まれないからである。逆に、α、β線は簡単に止まる。そのため、そもそもガンマ線以外の放射線は、全量検査できない。
さらに問題なのが、簡単に止まるということはそれすなわち持っているエネルギーを全てある一点に与えるということである。これは、間違って食ってしまった時に非常に危ないということを意味する。
しかしそういうと、例えば放射性カリウムのように、自然界にだって放射性物質はあるじゃないか、と思われるかもしれない。
しかしこれも全く反論になっていない。原発事故で出てきた放射線は、自然界には存在しない核種である。長い進化の中で、生物がK40のような物質に対する抵抗性を獲得していったとしても不思議でない。例えば生体のうち危険な場所にとどまらないようにするというような対策である。一方人工的にできた放射性物質は、化学的挙動がそもそも異なるのだから、生体が対応できない可能性がある。
さらに外部被曝に関しても、たとえば自然界にはそもそも線量の高い地域があることが知られているが、これも関係ない。そのような地域に長く住んでいた民族ならば、抵抗性を獲得できているかもしれないからだ。
はっきり言って、福島レベルに広範囲に放射性物質を撒き散らしている(現在進行形!)事故は人類史上はじめてである。
もちろんチェルノブイリなどもあるだろうが、現在の海洋流出や、初期対応、さらにヨーロッパ民族とアジア民族など、異なる点が非常に多く、それらを根拠に安全であると結論付けるのがどこまでもっともらしいのかは全く不明である。むしろ、今回の福島事故が、疫学的に非常に重要なサンプルなのだといったほうがしっくり来るだろう。
福島事故の疫学的調査でポジティブな結果が出ると門外漢がこぞって放射脳だのなんだのと叩いているが、これはまったくもって反知性主義の極みである。今まさに調査しているものの結果を知っているのは天のみである。人間は、そこまで偉くない。。
私は政治家でも宗教家でもないので、我々がどうすべきなのかということに対する答えを持たない。
50年後に21世紀の水俣病と言われているかもしれないし、単に一笑に付されているだけかもしれない。
大切なのは、我々一人一人が現状と科学の限界を正しく知り、後悔のないように行動するということであろう。
その上で食べて応援するかどうかは個人の勝手である。何度も言うが、私は気にしてもどうしようもないので気にしていない。
ちなみに任意の反論に反論できるので、私の主張に間違いがあると思われる方は根拠を添えてトラバして欲しい。もちろん本当に間違っていたら訂正しますよ。
詳しく解説してくれるところ悪いんだけど
よっぽど脳みそ筋肉でもない限り自分でもおかしいと感じるくらいイライラしてたら
イライラの原因が何か特定して問題を解消することで状態を解除しようと試みる
本当に相手や周りに非が無くてイライラしてたら周りの迷惑になり
男はそういう損得の計算は早いから「お前このままだと立場ヤバいぞ」という危機意識はすぐに働くよ
何も大した理由がないのにイライラしてるやつは男からみても異常者としてマークされる
男は性的に興奮した場合でも理性的な部分での計算は止めることはないよ
だからこそ様々なオナニー方法をあれでもかこれでもかと考え付いて男子高校生は試す
・・・ある意味男自身も性欲というモンスターに日々苦しんでいるんだよ
ある時から性欲解消が楽しいことでなくてノルマになってから男は股間にあるものを邪魔者だとさえ思うようになる
今する話でもないか
女性は理性と本能の仕切りができないから極端に影響されてしまうんだろうけど
ビデオ屋でAV選んでるおっさんや俺の眼なんて殺し屋のそれだよ
まさに生死に関わるからな
単に性欲を満たすまでの道程を女側が想像できないから急に狼になったかのような印象を受けているだけで
実際はそうなるまでに男はたくさん策を張り巡らせてきている
悪知恵がないと悪いことはできないんだよ