はてなキーワード: 知性的とは
知性的な殺伐とは異なる、すべてを否定する態度に包まれた酸のような世界。
はてな匿名ダイアリーも、はてなブックマークも、2chまとめも、Yahoo!コメントも、twitterも、人の多いところでは必ず投げ込まれる小さな憎悪と、増幅された負の感情の蓄積、それらが呼び寄せる反応の度合いの強い人間たち。
反射的に毛を逆立てて叫ぶ人間の渦があちらこちらに出現していて、案内人も存在しないままに、無防備には進んでいけない世界。
一方で、まるで毒などなにもないかのように振る舞う現実世界は、病的なほどに清潔な世界のみを認めている。
まるで分裂症のようなこの世界は、インターネットの世界の反作用として生じて、お互いの方向へ純度を増しているようにも見える。
性欲が強すぎてそもそも女性の他の部分が見えてない増田みたいな人って多いよね
倫理的な側面、知性的な側面、様々な価値観で尊敬できるっていう女性は沢山いても、自身の欲求が強すぎておっぱいとかしか見えてない。
別に性欲だけでなく、何かが渇望してる人って(金とか健康とか食欲とかね)そもそも視野が余りに狭くなっていて物事を正しくなど判断はできない。
ものすごくお腹減ってる人はミシュランの審査員には妥当じゃないし、経済的困窮者は男=ATMになっても仕方ないだろうし、なかなか癌が治らなくて辛い人に病院レビューなんて偏りすぎて意味ないだろう。
で欲望の余り現実を歪めてみる、これ自体を客観視した方がいい理由としては。
実際に問題じゃない他者のせいにしていい人遠ざけてしまったら後々辛いのは自分だよと思うんですよね。
それなりにいい年になると思うのは、自分の人生で会えるいい人って有限だよと言うこと。
不特定多数の利用者がいるにも関わらず感情的な論法に流されにくく、
各々が好き勝手な内容で日記を書くのでリーダーが発生しづらく利用者がイナゴ化されにくい。
そこに様々な意味が持たされるため客観的には興味があるということ以上には反応が読み取れなく、
それが賛同とも否定とも一概には判断できず、一考の価値があったり問題として己の中で考慮に値するという意味付けも見受けられる。
MMORPGで例えると各々が基本的にソロプレイ前提のゲームで、
情報交換・アイテム交換のみできる仕様という印象(そんなゲームないと思うが)だ。
協力を強要しないので各々が自分の利を考えるし直接的でない間接的な話題・問題にも当事者から話を聞くことができる。
祭りだとかなんだとか、盛り上げ役がいてそれに乗っかることしかできない某ch型の掲示板よりも何倍も知的だと感じる。
そもそも書き手が面白い、興味を持った文章を書かないとブクマもらえない、という意識が知性的な言動を心掛けさせている傾向がある。
ただレスをもらえばいいという安直な考え方の掲示板には無いものだろう。
何が言いたいかというと毎日面白いやつの真似して(それもだんだんレベルが下がってきた)
下らない、つまらない同じこと繰り返すようになってしまった某ファッションアングラな掲示板から出てきて、
インターネットだからこそマイノリティの受け皿となってくれるような場所が掲示板であるべきだと強く思い、願う。
初めて利用したのはガンダムVSジオンのゲームの個人サイト掲示板だった。
電話回線でインターネットしていたころだ、みなコテハンを名乗って当たり前の風潮であったからに、
各々が人格と個性を主張するのが当然だったし自分の発言に責任を持ったりレスポンスに真正面から返さないと失礼だと思われる時代であった。
2.某ch時代
最初は様々なジャンルを用意していて驚いたということと匿名であること、罵詈雑言が目立ったことにも驚いた。
意味のわからないワードとAAというそれぞれに掲示板特有の文化があることを学ぶ。
画像でのやり取りが気軽にできムフフな画像を収集できるため、頻繁に訪れるようになる。
画像を共有し合いお互いで趣味を楽しむ、知らない作品への見聞を広めるメリットというものを知る。
意味不明なスレッドの乱立や行動的即効的な活動が多く見られ、そのエネルギーに当てられてよく訪れるようになる。
当初はネトゲやネタスレでお世話になったが、時間が経つと質の悪い二番煎じや知能の低い利用者・子どもであふれかえってきたので飽きてしまう。
MADにハマる。
それだけであり、それだけで十分であったが二番煎じが増えて、飽きた。
作品に対する独自的な解釈や天邪鬼体質からくるぬめっとした反応、
強い性癖へのこだわりやコラージュの量産(カタログを利用した祭り)等が新鮮であった。
しかし、世代交代が激しく利用者の質も時間と共に大きく推移する、
有職者と無職者の意識格差が大きい、文化を維持しようとするがゆえに排他的になり、
排他的な部分だけが維持されネタは二番煎じを繰り返すようになったため興味を失う。
特に近年ではマジョリティがマイノリティを排他する流れになり感情的な動向が目立つ。
新しい文化の出現はもう期待できないだろう。どこにエキサイティングが残っているのやら。
7.はてぶ時代
今。
今の話に通じる前段であるダイヤモンド構想なんて就任直後から発し続けとるし、自衛権関連の安保法制懇とか野党含め10年以上前から議論し続けてきていた奴だよね(議事録もあり)。これより慎重にって話であれば、あと20〜30年はかかるかもね〜……
というか、そもそもが今回の安全保障関連の改正って、普通の軍事同盟(例えば露中の軍事同盟で出来る事)に比すれば、軍事同盟0.37→0.47へのアップデートといった、まだそんな事「しか」出来ないのかよ…って危ぶむ話になる気がしてしまうのだけれど。
後は、「日本は結局アメリカの犬でしかないんだ〜」的な雑感が右からも左からも聞こえるけど、むしろ「番犬様として当面は使っとけ…」が昭和の保守さんらの心持ち(占領はされたが今に見ておけ)だった気がするんですが(実際、総理答弁で大平さんだったかが口滑らしてるw)、今は全く逆になってしまっているなと。
その上で、インド・オーストラリア・フィリピン・その他アジア諸国との連携『も』強める為に考えられていたのが、今回の法案の本来の骨子にあって、むしろ集団的な安全保障への依存度を高める事で、米依存からの脱却を図ろう…といった趣旨もあるわけですが。
僕も同類で自己嫌悪てきなところが大きいような気がするんだけど、最近ブコメを読めなくなってきた。
はてブ民の嫌なところは、自分は知性を持ってるんだぜ!騙されないんだぜ!と喚き散らして全て否定から入るところ。ちょっと前の2ちゃんに近い。過半のコメントは知性のあるフリをした、その実反射神経のみで書かれた反知性的なもの。想像力も論理的思考も放棄してる。
別に馬鹿なコメントはさほど嫌いなわけじゃないけど、そうならそうで賢こぶらないでほしい。いやらしい。まだツイッターのほうが潔いわ。
Excelスクショが生産的じゃないのなんて誰だってわかるだろうし
それに対しての批判を自分の所属してる組織であることのSIerの批判と勘違いし、
ひいては自分自身への批判と勘違いして「SIer叩いてるやつはシステム無しで生活してみろ」とか言ってる人なんなの。
その上でタンポポワークみたいなのを叩いてるだけだろ。
一周回ってSIerに所属してる人ってやっぱり(察し)ってなりそう
そのやり方がつらいならそのつらさの原点にどんな問題があるかって議論をしろよ
仕方ないんだよ!つらいけど必要なんだよ!って叫ぶんじゃなくて。
人材流動性の欠如だよ残念ながら大手SIerは簡単に人切れないところ多いし
単純作業に関しては単純作業しか出来ない人に仕事を与えるために
(勿論一旦大量のドキュメントを納品するその枠組みをつくってしまうと合理的な組織に対する競争力になりうる。
例えばある公的機関の納品においては某拝承社のドキュメントをもとに基準が出来上がっていて
それをもとに某拝承社から出向してきた職員が別の会社の納品物をチクチク叩くっていうのが常態化している為、
Excelスクショを作れるような企業じゃないと新規参入が困難になっている。
公的機関だから一般競争入札にも関わらず目に見えない障壁になっている。)
顧客が求める場合もあるけど、その顧客もバカじゃないし個人の背負える以上の責務
が発生しない場合は作り手に非合理な作業やってもらう必要はないだろう。
(そういう意味では、顧客の側も大企業的組織である事も問題。)
画面系のテストは例えばSeleniumとかで自動化し、顧客にも
Excelスクショのエビデンスじゃなくて自動化されたテストコードの方を納品すべき
納得・理解出来ない顧客はシステム発注する資格が無いという雰囲気を醸成すべき
Excelスクショを肯定する輩はExcelスクショしか出来ないからポジショントークしているんだ。という雰囲気を醸成していくべき。
自動化出来るほどの単純作業しか出来ない人は仕事がなくなるかも知れないけど、
東なんとかさんが昔セカイ系ってジャンル分けを言い出してオタクを批判したらしい。
セカイ系とは、社会構造をすっとばして個人の間の関係がそのまま世界の行く末に直結する物語で、
『ほしのこえ』、『イリヤの空、UFOの夏』、『最終兵器彼女』がその最たるものらしい。
どの作品も好きな自分としては、なんとも釈然としない感情を持っていた。
でもこれ、異世界に召喚された青少年が、その世界のお姫様と一緒に世界を救う話を作りすぎて、
なーんか子供っぽいし、現実世界で同じ事やったら大人っぽくね?
と思ってやってみたってだけの話なんだよね。
そんなくだらない話を大仰に取り上げて、ゼロ年代の精神構造がなんのかんのと空論作っちゃったわけだ。
最近では彼は日本は反知性主義だとかなんとか言い出したらしい。
いや、お前が知性的でないってことがバレて、誰も相手にしなくなった状況を、
まー、ちゃんちゃらおかしい話だよ。
・俺がカントの考えが重要だと感じた原因の一つには、幻覚、妄想、感覚異常が伴うという狭い意味での精神病的な状態になったことがあり、
その記憶が残っていて、そのときの行動を恥じており、そのような状態に二度と陥りたくはないと思っているからってのもあったかもしれん。
たとえば、人間の知性的直観の否定という考えは、精神病状態での啓示を受けた感じを警戒する態度によって腑に落ちる感じがしたのかもしれない。
また、体系的な精神病的な妄想を警戒する態度があったからこそ、理性批判が重要だと感じたのかもしれない。
・カントの考えには精神科の薬みたいなところがあるのかもしれん。
かつて自傷他害の恐れのある状態になったことのある人が、そうならないように薬をちゃんと飲んでいるように、
未だ大学生にすらなっていない青二才というのは百も承知だが、さっき絶対矛盾的自己同一性の概念に目を通した時はかなり衝撃を受けた。
「何を言っているか全くわからんぞ」って方向の衝撃。良く噛み砕けばわかる、かもしれない・・・?
ブッ飛んだ事を考えやがる。そこに至るまでのプロセスを教えて貰いたい。
レッテル張りとか見苦しい詭弁への逃亡とか、片手落ちの主張とか、そもそも感情論でしか物を言わない事例等を「知性的、客観的じゃない」と悪く言えば見下してたんだが、「そういうお前は知性的なのか?」って言葉が叩きつけられるような時間だった。
俺の知性レベルが低いのか・・・もしや俺は中二病にかかっていただけではないのか?有名な著書を読んでみよう。とか思ったのが甘かったな。今から解読タイムに移る。でも確実に不適当な認識になるよな・・・。自分が恥ずかしい限りだ。
思いて学ばざれば則ち殆しとはよく言った物だが、学んで理解できなかったのは俺の少ない人生経験の中でも始めてだったぜ。
ふと思ったことをメモ。理論なり参考にして演繹的に書くわけじゃないので、まあ反論なりいただければ是非読ませていただきます。
さて、結論から言うと以下の考えのコアは「嫌いな人といかにして距離をおくか」ということ。嫌いな人、までいかなくても苦手な人、ウマが合わない人くらいでもいいです。
自分の人間関係における考えとして、人生を楽しく生きるには嫌いな人なり苦手な人とは極力付き合わないこと、というのがあります。人によっては周りの感情に気を使いながら~とかとかあるけどそんなの気にしながらじゃなくて気の合う連中と好きなこと言ってる方がよっぽど人生の充実度高いっすよ。経験則的なところなんですけどね、自分自身も努めて友人の数を増やそうと、八方美人外交てきな態度をとってた時期がありまして。よくわからない価値観に頷いてみたり、おもしろくもない話に全力作り笑いしてみたり、やりたくもない呑み会の幹事やらされたりなどなどなど。
で、今はと言うと自分の価値観全面に出してすきなように生きてます。友達って呼べるのなんて片手ぐらいだったりするかもでその他表面的な付き合いだったりするけど今のがよっぽどいい。気を使わなくていいからラク。
どうなんですかね、多分そこらへん男女だったりで違ったりするのでなんとも言えないけど。ちなみに自分は男。
・一つ大事かなと思うのは、割りとどの人を好んで、どの人がそうでないかを公言してしまうことかなと。(※もちろんさすがに本人には聞こえないレベルで)共通の友人なんかにもこいつとこいつはあまり合わないというのを把握しておいて貰えれば、会合も上手く調整されてその場の変な緊張も緩和されて実に有意義な会合になります。
・もう一つメモにしておきたいところは相手がこっちが嫌ってると知ってても近づいてくる場合。婉曲的なアプローチだけでなく、直接拒絶した態度をとっても気づかれなかったり一方的な好意を示してくる人種もいます(本当に)こういった人の場合はもう共通の知人を通してそれとなく自分がその人のことを嫌ってること(ないし良くは思ってないこと)、そして場合によってはその共通の知人を通してその自分が嫌っている人に距離をとってもらうように言ってもらうこともありなのかなと。ここまで言っても態度が変わらない人っていうのは少しオトナの対応がとれない、あまり人間的には成熟度の低い人なのかなと思うところなので、周りに相談を持ちかけるような形で軽い村八分的な雰囲気に持っていくのが有効かなと思います。ここまですれば相手も態度を選ばざるをえないので。
以上、あくまでメモなのでご参考に。最近はSNSなんかも出てきて人間関係がほんとうに面倒になってきたなあと思います。で、前提にあるのは方針として嫌いな人とは付き合わない。(もちろん自営業の人で仕事上要面的な付き合いを切らないほうがよいこともあるし、割りと神経が図太くて些細なことが気にならないタイプの人はむしろ広く友達を募ればいいと思います。)ここ、はてなとかネットが好きな人って割りと価値観がリベラルだったり干渉嫌いだったり一人の時間が好きだったりする人が多そうですよね、そんな人とか、またさらに知性的だったりプライドが高いタイプの人なんかだと絶対人に合わせてる生活ってのに無意識に疲れてるはずなので、人間関係の取捨選択は思いの外有効ですよ。
※ここで注意が必要なのは「人と距離をおく」ことが必ずしも悪いことではない、ということですね。自分もらくになるし、そういう場合往々にして相手も気を使っている場合が多いです。また既に書いたように周りもその緊張関係を読み取っていることがしばしば。なので後ろめたい気がしても実際にこういう態度を採用してみるとラクになることがあるので、自分のケースだとどういうふうに取り入れられそうか考えてみてはいかがでしょうか。(もちろん、嫌いな人を安易に前切りしてはいけません、必要な人間関係もあるので。)
結果に関してさすがに責任は負いかねますが自身で考えてよりよい人間関係を築きたいものです。他にも気をつけていることなんかあれば是非一筆ください。
テレビがネットより優れているトコロ または15万件の苦情に見るネットの可能性
http://d.hatena.ne.jp/mizuiro_ahiru/20110725/p1
ただ「怠惰を許容する」コンテンツや仕組みを作っても流行らない。
家に帰ってまずTVをつけるような人は、
人生観を変えるような良コンテンツより「他者とコミュニケーションする為の素材」としてのコンテンツを求めている。
「昨日の○○みた?」
「面白かった~」
「でも、あのシーン、あれヒドくない?」
「分かる分かる!」
こんな風に、考察ではなく、感想を述べ合うに終始する会話を生み出すコンテンツこそ、彼らにとっての正義。
「でも、あれって実は○○が××なんだぜ」なんてことを言うのは、事実であれ、無粋の極み。しらける。
要は、TV好きは、考察ができないほど薄っぺらなコンテンツを好む。
これは“したり顔で会話をぶち壊しにくる知識人”の介入を防ぐためで、
仮に、ある程度知性的なコンテンツであれ、その情報は多くの人が既に知っており、
そこから更に踏み込むことは、コミュニケーションにおいて、それほど重要ではない。
TVが提供しているのは「怠惰」ではなく、「そこはかとなく会話を楽しむための素材」だ。
だから、チャンネル数は限られていて、そうすることで、より多くの人間が同じチャンネルを見る可能性を高めている。
TVをみる人にとって大切なことは「知的好奇心の充足」ではなく「共感」だ。
グリーやモバゲーが提供しているものも、勿論「怠惰」ではない。
そこで提供されているのは「知識人(思い込み含む)が付け入る隙のない新しい世界観」と「コミュニケーション機能」だ。
皆が同じ目線で語り合える場を提供したのが成功しており、みな積極的に情報を取りに行っている。TVも同様だ。
つまり、知識人が「面白くない!」と感じるコンテンツや仕組みこそが、意外にも、今後ネットで爆発的に流行る。
なぜなら、知識人の締め出しに成功しているからだ。
そして、大きくなった会社に、これらは作れない。
大きな会社には頭でっかちの知識人しかいないからだ。
中小企業の皆さん、
まだまだチャンスはありますよ。
※ちなみに、「怠惰を許容しつつ」というのも、とっても大事。ただ、それだけではダメ。
こういう半知性的な人間が誰かを批判しているというのも滑稽だ。
まさかこれが反論になるとでも思っているわけでもないだろうし、そこまで頭が腐った人が世の中にいるとは思えない。
と「半」知性的な人が言っても仕方がないぜー