2017-12-10

嫌なら見るな・読むな”の罪

嫌なら見るな・読むな”という言葉をよく見かける。

この意見ある意味で正しい。

作品が嫌で嫌で仕方ないのに、何の生産性もない誹謗中傷粘着質に続けるやつは、

さっさと病院にいけばいい。

一方で、私はこの言葉膾炙たことで生じる・または生じるであろう弊害が、

恐ろしくも憎い。

弊害とは何か。

正当な道理のある意見批判封殺するための手段に、この警句を用いる輩の発生である

輩はつまり信者揶揄されるもので、作家作品を退廃させ、堕落させ、

文化の先鋭的なきらめきを貶める俗物にして最低の悪性。

ある作品を語る際、人は往々にして下のいずれかのカテゴリーに柔らかく属する。

批評・・・作品の良し悪しを根拠を以て説明評価を定める。

感想・・・作品好き嫌い根拠の有無に関わらず語り、主観的評価を定める

批判・・・作品改善点や嫌いな点を根拠を示して説明し、作品あるいは作者に諫言・あるいは低い評価提示する

誹謗・・・作品あるいは作者を根拠を示さず、あるいは根拠すら捏造して貶める

誹謗を除き、批評感想批判はあるべきものだ。

批評作品の良さも悪さも根拠のもの論理説明される高度な作品への知性的愛情だ。

感想も良い。好き嫌い自由に語ること。それは大いに大事にされるべき一人ひとりの感性だ。

批判。さて批判はどうか。私は批判誹謗に巻き込まれ大いに疎外されている事象をあまりに多く見すぎた。

私はこれが許せない。批判とは作品という刃に打ち込まれる鍛冶師の槌であり、

時に作品の強度を高め、時に実用に耐えない刃を折る、厳しくも愛ある鍛刀技術だ。

なぜ愛があるか分かるか?それはそうだ、根拠を以て作品の未熟さや改善点を提示するなんて、

愛がないとできる訳がない。

さて、そのような批判に対して、実に多くの人はこの言葉を投げかける。

"嫌なら見るな・読むな"と。

批判と誹りの区別もつかない敬虔なる信者が、ただ良い評価だけを貰えれば良いというクリエイター堕落した願望が、

批判作品を育て、作り手は更に良い作品を作る、という厳しく果てしなく尊い循環の連鎖を阻み、

その結果、ただ賞賛けがまれユートピアのようなディストピアが生まれ

その強すぎる光の影には知性の欠片もないアンチ誹謗中傷が渦巻き、

作品を愛する知性ある批評言葉を発する賢人は、静かに筆を置くのである

  • 叩くために作品を見るような人格障害タイプの人と真っ当に批判したい人は分けて考えたいけど そのへんうまくわけるのが難しいんだよね

  • 「批判とは作品という刃に打ち込まれる鍛冶師の槌であり、時に作品の強度を高め、時に実用に耐えない刃を折る、厳しくも愛ある鍛刀技術だ。なぜ愛があるか分かるか?それはそうだ...

    • 批判するんなら読者をやめろ

      • 批判に必要なのは、適切な知識や論理的で冷静な思考力・判断力。愛はかならずしも必要ないということが分かっただろ?

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