はてなキーワード: 知性的とは
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191101-00000014-jct-ent
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191101-00000014-jct-ent
自分が先に知ったのは、「とくダネ!」での小倉智昭に関して、フジテレビ系列の北海道ローカル局で、主にスポーツ番組を担当しているアナウンサーのツイート。
https://twitter.com/Tossy526/status/1190060850876256256
個人的には宮根誠司も小倉智昭も大嫌いで、画面から消えて欲しいと願っているが、気になるのは、共に風景に関して言及している部分。
そもそも、言いがかり以外の何物でも無く、知性のかけらも無く、こういった発言をする人間が、物知り顔でテレビに映っていること自体に憤りを抑えられないが、札幌案が浮上してからこれまで表だって指摘されていなかったことを、別々の局の情報番組で同じようにコメントしているということは、どうも裏があるように思える。
製作サイドに共通の情報源があるのか。だとしたら、それがどこなのか。
どっちにしても、さも自分が知識人であるかのような顔をして、浅はかな発言をする人間がメインパーソナリティをつとめるような番組は無くなって欲しい。昔なら井戸端会議のネタで治まり、箸にも棒にもかからず無害だったかもしれないが、その井戸端会議がインターネットを通じて増幅される時代。こういった番組が反知性的な言論を強めていることを、メディアに自覚してほしい。
昔から思っているんだけど、同意してくれた人が今までいたためしがない。それどころか人非人であるかのように扱われることも多い。そこで増田でみんなの意見を聞きたい。
同性愛者だから云々とかいうのは一切ない(と自分では思っている)。一言でいえば、彼(彼女?)の行動はどれも「美しいもの」を持ってきて「ほら、美しいだろ?まともな人間ならこれは美しいと思うんだ」と見せつけて回っているように思えて、暴力的に思えてしまうのだ。もちろん、彼はマイノリティとして権威に挑戦しながら今の立ち位置を獲得してきたわけで、彼の行動を責めるとかは一切なくて、むしろ今まで大変なこともたくさんあっただろうにえらいなあとは思っているし、何なら4, 50代以上の世代が彼を好むのも理解はできるのだ。しかしながら、それこそ「若者の右傾化」みたいな話なのかもしれないが、今や彼が『神聖ニシテ侵スヘカラス』な「美しさの権威」になってしまっていて、どうも反発心を感じる(ちなみに増田は20代)。いくつか具体的な点を挙げてみる。
ずいぶん昔のテレビ番組であるが、美輪氏を嫌いになった一番の理由はこのオカルト番組。もう一人のコメンテーターの江原啓之氏は胡散臭い自称霊能者であり、言ってしまえば大川隆法や麻原彰晃みたいな新興宗教家と大差ないように思える。その番組中で、美輪氏は江原氏と一緒になって、出演者の芸能人の後ろに守護霊がみえるだのオーラがどうだの箸にも棒にも掛からないような反知性的なことを放言していた。同時期にやっていた細木数子の番組と比べこの番組はどうも耳当たりのいいことばかり言っていたので、世間に受け入れられていたのだろうが、上に書いたようになんだかどうも価値観の押し付けじゃないかと感じていた。
別に土方がどうのという話をするつもりはなくて、これもどうも「美しさ」の押し売りのように聞こえてしまう。「土方」がいじめられる理不尽さを歌ったのに最終的には「機械の世の中」で「エンジニア」になれてよかったねえというのはどうなんだろうかとか、残念なことではあるけれど「貧しい土方」の子が「何度かグレかけた」にもかかわらず「高校も出」、特にこの時代に、学力的にも金銭的にも周りの理解の面でも(貧しさというのは奨学金など情報にアクセスできないということでもある)「大学も出」ることなど現実問題ありうるだろうかとか思ってしまう。いや、もちろん創作なのはわかっているし、人々がこの歌詞を感動的だととらえるのも理解できるんだけど、どうも「感動を呼び起こすパーツ」を寄せ集めた、養殖物の感動であるように感じられてならないのだ。
こういうことを言うたびほんとに「お前がサイコパスなだけだ」といわれ続けたんですけど、どうなんでしょうねえ…
おそらく、10年以上前とくらべて私は明らかに右傾化している。もともとはもっと中道左派よりだったと思う。いまは多分、中道右派寄りだろう。もちろん、安倍さんアホやなぁ、統計不正はまずいなぁ、と思いつつも、なんだか強く糾弾する気が起きないのである。まあこのまま自民党でいいんじゃない?と思う。そんな些細な問題より、おしどりマコを擁立する立憲民主党には、何が何でも滅びてもらわないと困る。サイエンスに対する重大な挑戦だからである。
なんだろうこのわたし右傾化問題。科学者は通常リベラルなのでは?
たぶんこれは、はてぶをいつも読んでいるからなのかなぁと思いつつある今日この頃なのである。
はてぶは、やはりだいたい二極化の傾向がある。
ネトウヨはバカっぽい。だいたい田舎のヤンキーみたいな家族と地元大好きな人たちからなるマイルドな主流派と、引きこもりの過激派からなるだろう。後者はともかく、前者は幸せな人たちだとは思うんだよね。
はてサは怖い。大勢は、色あせた服を着て、帽子を目深にかぶって、眼鏡の奥には焦点の定まらない瞳が見えるような、デモ隊によくいるような人のイメージ。そして正義の名の下に、悪を糾弾する闘争を行う。たぶん、50年前にはそれで良かったと思うんだけど、いまの先進国化した日本では、もっと清潔でスマートな方がいいと思うんだがなぁ。とはいえ、当の50年くらい前の時代感のある文書を読むと、あの時代の反体制派は、あの時代の中で、割とスマートだった部分もあるように感じるんだ。もともとアピアランスに興味がない、というよりは、単にout-of-fashionedなのかねぇ。あとはなんか、少数派だがオピニオンリーダーである、妙に怖い目をした、歯の抜けた白髪の学者さんとか。全体的に知性的なイメージだが、その知性を鼻にかけている感じ。
はてサのほうが描写が細かいが、そのように、私も私をはてサ側だと自認していたしよくわかっているつもりだったのだが、最近、どうにも、あの強烈な罵倒的な口ぶり、そして、反科学主義(私から言わせればこれは知性に対する挑戦そのものだ)が許容できなくなってきた。
自分は政治活動をして人生を終わりたい気は毛頭なく、個人として幸せに生きていたいわけなのだ。そうすると、前者の方が魅力的ではある(引きこもりは除く)。
これでいいんだろうか。
当方理系の学者であるが、海外の会議の後のバンケットとかで、向こうの人と会話している分には、なんだかシャレオツにリベラルな会話をしていてなんだか楽しいんだけどね
トランプと安倍は同質だろうに、海外ではトランプを笑い、国内ではまあ安倍でいいんじゃない・・と言っているわけだ。
自己矛盾である。だけど「アベガー」の反科学主義にはもうついていけないんです。
自己分析中ではある。
このどうでもいい私文書を最後まで読んでしまい、貴重な時間を無駄にしてしまった皆様にはお詫びいたします。どこかに吐き出したかったのだ(実生活ではリベラル寄りの発言をしています)
そして「ネットのイキリオタクの民度が低いのは自明」ではない。
そもそも「ネットのイキリオタク」の定義が定まってない以上、何が自明だよ。
DD論って使いたいだけじゃん、フェミもオタクも二元論の大きな主語相手にバッシングするのバカだからやめろって話してんのよ。
ネットのイキリオタクの民度が低いって話だろ、男のオタクだって話じゃないじゃん。
男はやってない、女はやってるって二元論がそもそも知性的じゃないからやめなって話してんのわからんの?
DD論って使いたいだけじゃん、フェミもオタクも二元論の大きな主語相手にバッシングするのバカだからやめろって話してんのよ。
太田や伊集院がある種の人たち(自分も含む)から愛されているのは、バックボーンにある弱者体験を忘れずにそして大切にしているところだと思う。
このブコメ読んでわかった。
全然太田や伊集院に同調出来ない(面白くない、膝を打てたことがない、神経が丸太ン棒のように太く粗雑にしか感じられない)ので、
この2人が「ある種の人たち」の鬼瓦のような扱いを受けていることに反発を感じるのだ。
これは自業自得の所もあるというか、
はっきり言えば太田光や伊集院光やその信奉者達を見下してるのだ。
こいつらセンスも頭もすっごい悪いなと思ってる。
でもこれはどうしてもそう思うので、そこに嘘をつくことは出来ない。
「ある種の人たち」のマスもセンスが雑で頭が悪い人達なので、そこには入れない。
自分は社会的に追い詰められてないので別にその輪に入れなくても痛痒ないけれども、
太田や伊集院に頷ける程度のマス「ある種」はその輪の外の「ある種」のことなんかもちろん考えないし。
いろんな人からやたらにイタい奴認定で嘲笑されるZeebraが
「中二病」という言葉が垂れ流す害毒について提唱者である伊集院に本気で怒ってた時も
移住員の取り巻きたちがみんなでZeebraに嘲笑石を投げてて、話としてどっちに理があるかなんて展開にすらならず。
女はトロフィー、アクセサリー扱いされることは忌み嫌うくせに、外見レベルの向上(自動的にトロフィー、アクセサリーとしての価値も上がる)に余念がなく、その変化に気付かれないことに不平不満を述べるというのはいささか自分勝手であると感ぜざるを得ない。
表現のしかたや程度の差こそあれ、男は誰でも「トロフィー」「アクセサリー」を手にしたいものなのだよ。
手にした自分と価値ある相手を、どこまでも誇りたいものなのだよ。
「女をわかっていない」などと憤る女ほどな。
それは媚びることでもなんでもなく、上手に生き抜くための女の知恵であり知性である。
そしてそのような知性的な女こそ、男どもが最も好むタイプなのだ。
こんなにも価値のあるトロフィーワイフってすばらしいと思うのだが、どうも多くの人はマイナスの意味で用いているようだ。
単にトロフィーを手にすることができた男が、トロフィーとしてまんまと社会的地位や経済力に溢れた男をつかまえられた女が、妬ましくて創り出しただけなのではないかという気さえしてくる。
解せぬ。