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2022-01-12

anond:20220112113014

コインロッカーベイビーズみたいに物心ついてない頃に眠姦されとるかもやで

キリストを消し去ろう

父には兄弟姉妹が多い。

まりそれは祖父母がいっぱいセックスしたということだ。

種付け膣出し孕ませセックスでいちゃらぶしたということだ。

私が物心つくころには祖父母は亡くなっているが、アルバム祖父母の姿をみるたびにニヨニヨしてしまう。

私はその程度のカプ厨です。

若者よ、膣内射精しよう。 おじいちゃんのように。

若者よ、受精しよう。 おばあちゃんのように。

産めよ増やせよ血に美智代。

私がたどり着いたときには美智代さんは血だまりの中に倒れていた。

このような命令を出したキリストを私は許さぬ。

キリストを信奉して美智代さんをこのようなめに合わせたキリスト者を許さぬ。

私はキリスト教をこの世から消し去るまで戦い続けることを誓った。

2022-01-08

やっぱ子育てって物心ついたくらいからの訓練が重要なんだな

独身KKOから関係ねーけど

エクセル世界トップ 学生大会日本高校生初 北九州の高2

MOS世界学生大会エクセル部門世界1位になった八幡高2年の中園愛美さん=北九州八幡東区の八幡高で、2021年12月23日午後1時35分、宮城裕也撮影

 2021年11月にあった米マイクロソフト社のパソコンソフト操作技術を競う「マイクロソフトオフィススペシャリストMOS世界学生大会2021」で、福岡県八幡高(北九州八幡東区)2年の中園愛美あみ)さん(17)が、表計算ソフトエクセル部門世界1位となった。日本高校生同大会で世界の頂点に立つのは初めて。「目標に向かって努力を続けたから本番で実力を発揮できた」と喜んでいる。

トロフィーを手にする中園愛美さん】

 大会には108カ国の高校専門学校大学生20万人超の学生エントリーし、11月9~11日の決勝戦には各部門合わせ33カ国の160人が出場した。新型コロナウイルスの影響で初めてオンライン実施され、エクセル部門は3時間半の間に、操作の正確性や、データ収集分析し図表などを用いてリポート作成する技術を競った。

 「誰もがパッと見て伝わる資料作りを心がけている。ここまで準備したか大丈夫と思い不思議と緊張はなかった。高校生自分体験を交えた視点が良かったかもしれない」と中園さん。

 小学校の頃からパソコンインストラクターの母が勤める教室に立ち寄り、自然パソコンに親しんだ。小学6年の時にタイピングの早さと正確さを競う「毎日パソコン入力コンクール」(毎日新聞社など主催)の全国大会で優勝し「努力する楽しさをこの時に学んだ」と振り返る。

 八幡高に入学直後、1週間ほどの入院新型コロナウイルス感染拡大による臨時休校部活動に入りそびれた。部活に励む同級生がうらやましく「自分も頑張れるものを」と21年春、マイクロソフト社のパソコン資格認定試験に挑戦し合格した。その試験合格者は世界大会に出場できる。「世界舞台に力を試すことなんてめったにない。チャンスを逃して後悔したくない」と出場を決意した。

 学業と並行して毎日1時間大会対策を重ねて多くの関数グラフパターン習得し、トップに輝いた。「将来はまだ決まっていないがスキルを生かして人の役に立つことができたら」と新たな希望を抱いている。【宮城裕也

2022-01-07

将来の夢「YouTuber」を見て悲しくなる理由

幼稚園とか小学校低学年とかならまだしも、物心ついた年代がそう書いていると悲しくなる。

やれ、今すぐ、登録して動画あげるだけで今すぐにでもなれるだろ。

これが「ヒカキンみたいな」YouTuberだとか「お金を稼げる」YouTuberだとかVTuberとかなら今すぐやれるものでもないし将来の夢でもまあ……って感じだけど、

すぐになれるものを将来の夢にするな。

夢見る暇があったら試して見ろと思う。

そりゃ登録者が伸びなかったり最悪ネットオモチャになったり痛い目見るとは思うけど、

学業を疎かにしない範囲で遊べると思うんだよ。

目線で考えてもさ、上手くいかなくて早い段階で飽きたりしたほうが将来的にメリットあるわけだし。

やらかし燃えたところで本名さえ出してなければ顔出ししてても問題ないだろ、ガキの頃と大人になってからの顔って案外違う。

スマホ買ってもらえないとかなら夢になってしまうとは思うけどね。

あといますぐなれないパターンでも「ゆたぽんみたいになりたい!」なら殴ってでも止めると思うけどね。

2022-01-06

バトル展開、非科学的な異能設定、中世ヨーロッパ風の世界観

これらに1つでも当てはまる要素があった時点でその創作物を一切受け入れられなくなる。物心着いた頃から大人になった今までずっとそう。


って友達がいて衝撃受けたんだけどこういう症状が生まれる原因ってなんだろうか?

精神疾患とか発達障害一種だったりするか?

HUNTER × HUNTER勧めて苦笑いで断られたのをきっかけに判明した。


そいつは、むしろ漫画ゲームアニメというコンテンツ自体はむしろ好きなタイプだ。

でも上記の要素に触れる作品はもうその時点でアウト。

バキとかジョジョとかドラクエFFFateなんか一生手に取ることはないだろうと言っていた。

ちなみに漫画ゴルゴ13ラストイニング映画グッドフェローズアイリッシュマンアニメSHIROBAKOプラネテスが好きらしい。

追記

さっき訊いてみたら幼稚園時代からもうアンパンマン大っ嫌いだったって言ってた。

近所の友達の家に集まった時に夕方になるとアンパンマン視聴タイムが始まるのが耐え難い地獄だったらしい。

その時代創作物ノータッチだったのか?と尋ねたら

あぶない刑事をとにかく見てた。

あと親兄弟が録画してた『カイジの作者原作北大路欣也主演のサスペンスドラマ』とか

上川隆也主演の少年犯罪者を更生させるドラマ』のビデオとか

役所広司主演の第一勧銀総会屋事件映画』のDVDとかを繰り返し見てた」

と。

2022-01-02

ゲームを「消費」してしまっていることへの自己嫌悪

最近ゲームを購入する前にネットクリア時間を調べるという事をするようになった。クリア時間が100時間を超えるものだとその時点で買うのを躊躇ってしまう。こうなった原因は高校時代とあるソシャゲに1500時間費やしてしまい、思い描いていた高校生活とは違ったものになってしまたことへの後悔から来ている。昔からゲームしろ小説しろ、一つのコンテンツに熱中すると他の事は疎かにしてしまうのだ。それも日常生活に支障が出るレベルで。だからハマるのが怖い。自分物心がついた頃からゲームと一緒だったし、その頃はプレイ時間など気にせずに満足するまでプレイしていた。だが今はゲームを楽しむのではなく、「消費」するために購入しているようで自分が嫌になってしまう。ああ、時間を気にすることな純粋ゲームを楽しみたい。

漫画ゲームって面白い

物心ついてから社会人5年目までは漫画ゲームを楽しめてたと思う。

でもそれ以降興味を持てなくなってしまった。

しかし先月まるまる休暇を得ることができたのがキッカケでまた興味を持てるようになった。

休暇の半分は体を動かす遊びに、もう半分はゲーム漫画に使った。

すごく楽しい日々だった。

電子書籍を買いまくって読みまくった。

ゲーム機も買って、数タイトルだが朝から晩場でずーっと飽きずにやってた。

でも映画ドラマアニメなど他の娯楽はまだ消費してない。

どんどん消費していく。

でも明日から仕事だ。

またやる気を失ってしまうんだろうか。

2022-01-01

若者向け……?

昨日の紅白で、ドラクエ・鬼滅・エヴァのコーナーがあった。

鬼滅の刃は直近のブームアニメだし、まごうことな若者向けだったと思うけど、ドラクエエヴァって若者向けなのかなあ。

ドラクエって俺が物心ついたときにすでにあるし、エヴァ小学生のころ。その俺がもうオッサン自覚しだして久しい35歳なんだから、直撃世代は40前後だろう。

アニメゲームは全て若者世代のモノという偏見なのか、この辺の世代は何歳になっても若者のつもりでいるのか、どっちなんだろうね。

2021-12-31

あなたの体に、両親の血は1滴も入っていない」

これこそネットの力が発揮すると思うけどな。

https://nordot.app/844522079794642944?c=39546741839462401

墨田産院の跡地周辺を歩く江蔵智さん=東京都墨田

 下町の風情を残す東京都墨田区の住宅街を、60代ぐらいの男性を探して訪ね歩く人がいる。江蔵智さん(63)だ。生まれた直後、産院のミスで別の赤ちゃんと取り違えられ、そのまま育てられた。両親と血のつながりがないという衝撃の事実を知ったのは約17年前。そこから独りで膨大な行政資料を調べ、取り違えられた可能性のある家庭を1軒1軒回り、生みの親と、自分を育ててくれた両親の本当の息子を探し続けている。(共同通信=典略健佑)

 ▽取り違えの発端

 日本高度経済成長へと歩みつつあった1958年4月10日、都立墨田産院で男の子が生まれた。この子を仮にAさんと呼ぶ。前後して同じ産院で生まれたのが江蔵さんだった。

 

赤ちゃんのころの江蔵さん

産院では通常、母親は1日2回ほど、授乳の際に新生児室のわが子と顔を合わせる。ただ、Aさんの母は母乳が少なく、看護師が代わりにミルクを与えていたたため、わが子の顔を見る機会はほぼなかったという。

 出産から4日ほどたった頃、看護師が「へその緒が取れた」としてAさんの母の元に連れてきたのが、江蔵さんだった。「取り違え」の発端だったとみられる。

 Aさんの母も父も江蔵さんをわが子と信じ、そのまま退院した。父は名前を「智」と決め、出生届墨田区役所に提出。長男として育てられ、その後に生まれた弟と共に台東区暮らした。

 ▽「家族の誰とも似ていない」

 「巨人の王や長嶋に憧れた野球少年で、やんちゃ子どもでした。でも、父とはそりが合わなかった」。江蔵さんがおだやかな口調で幼少期を振り返る。父は都電運転手。厳格な面がある一方で気性が荒くなる時もあり、物心ついた頃から対立した。

 お盆正月に親戚の子どもが集まると、大人たちに「おまえは家族の誰とも顔が似ていない」とよく言われた。江蔵さんにとっては、今も忘れられない言葉だ。「確かに自分だけ顔立ちが違うな」と幼心に思ったが、それ以上深く考えることはなかった。

 中学卒業後は家を出て、浅草おしぼり店で住み込みをして働いた。その後は建設作業員やトラック運転手貿易関係など仕事転々としたが、時代高度経済成長期のまっただ中。食いぶちには困らなかった。

育ててくれた父親(右)と子どもの頃の江蔵さん

 10代の頃からモータースポーツが大好きで、車のレースにも参加していた。好きが高じて30代で中古車流通関連の会社設立仕事に明け暮れ、両親と会う機会も少なくなっていった。

 ▽親子としてはありえない血液型

 転機は1997年、39歳の時だ。病院嫌いだった母が体調を崩し、初めて血液型検査を受けてB型と判明した。父はO型で江蔵さんはA型。親子では考えられない組み合わせだ。念のため他の病院でも検査したが結果は同じだった。

 「ありえないよな」。江蔵さんの問い掛けに、両親も訳が分からないといった表情を浮かべた。当時はまだDNA型鑑定は一般的ではない。鑑定機関に問い合わせたが「300万円かかる」と言われた。その頃見た新聞には「実の親子でも、遺伝子上の原因で血液型が合わない場合がある」という内容の記事が載っていた。

 約7年後の2004年、福岡市仕事拠点を移した江蔵さんは、かかりつけのクリニックで家族血液型について話した。すると話を伝え聞いた九州大法医学者が「研究のため調べたい」と持ち掛けてきた。DNA型鑑定も無料ですると言われ、両親と血液提供した。

 ▽「あの看護婦かしら」

 約2週間後に会った法医学者は、おもむろにこう語った。

 「あなたの体に、両親の血は1滴も入っていません」 

 衝撃を受け、すぐに母に電話で伝えた。電話口で母は「えーっ」と言ってしばらく絶句した後、こんな言葉を口にした。「あの看護婦かしら…」

 母が語った話はこうだ。墨田産院では当時、沐浴などで新生児を運ぶ際、看護師がかごに入れて頻繁に移動させていた。ただ、母から見た産院は明らかな人手不足。どこかで取り違えが起きていてもおかしくはない―。母の話を聞きながら、江蔵さんは頭が真っ白になったという。

 すぐに真相を確かめようと思ったが、都立墨田産院は15年以上前に閉院していた。東京都担当部署電話し、対応を求めたが拒まれたという。墨田区役所や法務局も訪れたが、らちが明かない。江蔵さんと両親は、都に実親の調査損害賠償を求める訴訟東京地裁に起こした。

育ててくれた母親(左)と子どもの頃の江蔵さん(中央

 ▽「過失は重大。人生を狂わされた」

 05年の地裁判決は「真実の親や子を見いだすため、手を尽くしたいとの心情は察して余りある」と理解を示した一方で「請求権消滅する除斥期間(20年)を既に経過している」として訴えを退けた。

 江蔵さんは控訴。すると06年の東京高裁判決正反対結論を導く。「時効は成立していない。過失は重大で、人生を狂わされた」として都に計2000万円の賠償を命じた。都は上告せず、判決は確定した。

 上告しなかった理由について、当時の石原慎太郎都知事は「本当に痛ましい話で、総合的に判断した」と述べたものの、江蔵さんが求めた出生情報の開示については「(取り違えられた)相手方人生にもかかわる。行政としてできることに限りがある」と、事実上の拒絶をした。

 ▽60人の候補者、誰ひとり拒まず

 それでも諦めるわけにはいかない。江蔵さんはその頃、既に自力で生みの親を探し始めていた。自宅がある福岡市から時間を見つけては飛行機東京に通い、墨田区役所で住民基本台帳を閲覧し続けた。区の住人は当時約33万人。そこから自分と生年月日が近い人の氏名と住所をメモした。

 半年ほどかけ、約100人ピックアップし、レンタカーで1軒ずつ回り始めた。事情を伝えた上で「血液型だけでも教えてほしい」とお願いすると、見知らぬ人の突然の訪問にもかかわらず、誰ひとり江蔵さんの調査を拒まなかった。

 反対に「俺も同じ立場なら一生懸命探すかもしれない」「会えることを願ってます」と言われ、励まされた。60~70人分を調べたが、該当する人はいなかった。

 

墨田区が開示した「戸籍受付帳」。個人情報の部分は黒塗り

 ただ、住民基本台帳には限界がある。新たな転入者の情報は随時追加される一方で、転出者の情報は削除されてしまうためだ。江蔵さんが探し始めるまでの四十数年間に転出した可能性は、低いとは言えない。

 ▽該当者は黒塗り100人の中に

 頼みの綱は、墨田区が保管している「戸籍受付帳」だ。自分の生年月日に近い戸籍受付帳を開示するよう請求したが、区はプライバシー理由に、個人情報を黒塗りした上で開示した。それでも、黒塗りされた該当者の人数は分かる。約100人。彼らの戸籍情報さえ分かればたどり着けるはず。江蔵さんはもう一度司法の力を求めることにした。今年11月、都に実親の調査を求める訴訟東京地裁に再び起こした。

 育ててくれた父は、約5年前に他界した。折り合いの悪かった父は常々、実親を探し続ける江蔵さんを見かねて「今更、もういいんじゃないか」と言っていた。だが、死期が近づいた頃には「まだ見つからないのか」と気に掛けるようなことも言ってくれた。

 ▽「産んだ子どもに会えるなら、遠くからでも」

 

東京都に実親の調査を求める訴訟を起こし、記者会見する江蔵さん=11月5日、東京都

 その父と自分の間に立ち、陰ながら調査を見守ってくれた母(89)は、苦しい胸の内を最初訴訟に提出した陳述書で明かしている。

 「私も生んだ子どもがどうなっているか、見届けたいし、会いたいです。でも見るだけで、声はかけられないと思います。向こうの気持ちもあるでしょうから。会えるものなら、遠くからでも見てみたいです。その気持ちには変わりありません」

 母は今、認知症を患い高齢者施設にいる。江蔵さんが語り掛けると、にこやかな顔を見せるが、会話の内容はもう理解できていないという。

 「せめて一目でも生みの親に会いたい。取り違えは東京都責任なのに、なぜ協力してくれないのか。もし判明しても、相手側に面会を拒まれるのなら諦めます。でも、調査さえしないのはおかしいと思いませんか」

 江蔵さんの闘いは終わらない。現在は幼少期に墨田区内にあった小中学校の卒業アルバムや住所録を集め、地道な調査を続けている。

アラサー社員上司に呼び出される。

貸し借りした本について楽しく話していたはずだったのに、雲行きが怪しくなった。

つの間にか「あなたは本をよく読むから早く結婚しろ」という趣旨の話に変わっていた。文脈行方不明である

あなたのところは両親の仲がいいでしょう」

なるほど、そう来るか。

「まあ一般的夫婦だと思います

「そうでしょう。あなたを見れば分かる」

頭を殴られたみたいだった。

一般的な、の後に(熟年離婚しかけの)というカッコ書きがあることを目の前の上司は知る由もない。 両親の仲は私にとっての地雷だ。

周りを見下し、気に入らないことがあればすぐに大声を上げて物に当り散らし、時には食器を投げつけてきたり叩いてきたり、自分の兄妹の子(私からしたらいとこ)と私たちの頭の出来を比べて「あんたはバカだね」と言い続けたモラハラの父。ヒステリックで四六時中私たちに父の悪口を垂れ流して、「結婚するなら絶対別居婚よ」などと自分ができもしないことや父への恨みを私に託し続けた母。今でこそ年の3分の2程度別居して一応は落ち着いてるけど、本当に、何で結婚したのかも離婚しないのかも不思議で仕方ない夫婦

物心ついた時には怒鳴り合う声、時折物が壊れる音が我が家に響くのが当たり前の毎日だった。いつ両親が喧嘩を始めるかと怯えていた、伝書鳩ピエロケアイカーの私。今でもその当時のことを思い出すと心臓バクバクする。あと、今も男の人の怒ってる大きい声は過剰に怖いし、いつ力がこちらに向くか分からいから深い関係になるのも結構怖い。

幸い、お金に困ったことはない。しかし『居心地のいい家』は知らない。

結婚は本当に幸せなのか?

これまで生きてきた中で、幾度となく考えてきた。

自分だけでどうにもできないことゆえに、幸せにも不幸にもなり得る。それが長い間かけて出した答えだ。

両親と同じ轍を踏むのは嫌。加えて誰かと家族になるだけの心の余裕はない。とにかく自分お金を使うのが大好きで、ついでに休日趣味が忙しくて時間の余裕もない。

高校生の頃、母に「なぜ離婚しないのか」と尋ねたことがある。「あんたが大学に行けないし、お父さんが死んだ時にあんたたちにお金がもらえないかもしれないじゃない」という理由だった。子どもに関するお金はそうだけど、おそらく専業主婦ゆえに金銭面の不安があって離婚できなかったのだと悟った。同時に、もし子どもを産んで離婚してシングルで私が受けたのと同等の教育を施せるだろうかと考えたら、率直に難しいと思った。その時から私の人生設計子ども存在はない。

世の中、金だ。頼れるのは自分の稼ぎだけ。

から、私はワンマン社長ブラック会社で3年も薄給に耐えて、ひとりで生きていけるだけの職に就けた。

今の会社に入ってすぐの頃、お金が安定した今なら過去を上書きして“一般的幸せ”にありつけるのではと思い、何度か婚活に参加してみた。無駄を省きたいから備考欄に「子ども不要」と書いた。話す度に、子ども存在人生設計にないのとその理由を思い起こしてしんどくて、参加を止めた。

ひとりであれば自分幸せにするだけでいい。きちんと相手を思いやる余裕ができれば、いつか隣にパートナーがいる暮らしもいいと思う。ただ、やっぱり今の私はそれが難しいので、自分に使いつつ甥っ子になるべく遺しつつ、ちょっとでも助けになればいいと、ひとり親家庭子どもへの支援をして自己満足に浸っている。

トラウマに触れられたせいかマスクの下の口元が引き攣る。窓から差し込む陽射しは暖かいのに、指先が冷たい。

目の前の上司は「○○さんはどうだ?シュッとしてていい男だ」と、私を他会社から来ている未婚の人とマッチングさせようとしている。話を聞くに、どうやら、その未婚の社員と「誰々はどうだ?」「派遣先の人とだと色々あるので」というやりとりがあったらしく、それに対してぶつぶつ言っている。

ここで私の地雷をぶちまけたらこの話は終わりになるんだろうか。いや、まともに話すのが2回目の人に私の育ちの悪さは知られたくない。

ぼんやりする頭を必死に動かして受け流していたら、私が結婚するまで言い続けるなどと言い出した。こんなのがこれからずっと続くとか無理だ。前の会社だかの女性にも言い続けて30後半になって結婚したとかどうとか言ってるけど、無理。というか、本社だかの人間と話してる時に『今はそういうのハラスメントから』と言われたけどなあとか、ハラスメント自覚ある分余計タチが悪い。

「今は自分以外のことを考えて受け入れるだけのキャパティはないので」

どうにかそれだけ言い返したら 、「何を言ってるんだ。いいか、私はあなた説教してるんだ」とさらに“説教”された。

「失敗を恐れてるんだ」決して成功とは言えないロールモデルを見て育っているのに、恐れないことなんてできるの?

だんだん考えるのがつらくなって、とにかく早く終わってほしくて、「ありがとうございます」とか「そうですね、たぶん自分ではなかなかそういう気持ちにならないので」とか、意味のわからないことを口走っていた。全然ありがたくない。思ってもいないこと言うなよ、私。

閻魔の前で裁きを受ける罪人の気分になってきた。吐きそう。

少しして上司用事があるとかで解放された。地獄のような30分だった。貴重な昼休みが飛んでいった。

自席に戻ってからはぼーっとして仕事が手につかなかった。夜に寝ようとしたら昼間の出来事が浮かんで涙が出てきて、しばらく寝れなかった。

それから何となく毎日トゲトゲした気持ちを抱えて過ごしてきた。

年末に今年のあれこれを思い出しているうちに、トゲトゲを跳ね除けて怒りが込み上げてきた。しかし怒りをそのままぶつけるのは具合が良くないように思う。だから気持ちの整理も兼ねてメモ代わりにこれを書いている。

何も知りもしない人にプライベートにずけずけと踏み込まれたことはすごく不愉快だ。

自分にとっての幸せ他人にとっても幸せとは限らないのに、その価値観押し付けられたことも不愉快だ。

何で職場仕事以外のことで説教されてるんだ。

何で仕事以外のことで職場で落ち込まなくてはいけないんだ。

年が明けてもう一度同じようなことがあったら、はっきりと「プライベートことなのでこれ以上は触れないでほしい」と言い返す。

それでもあれこれ言われたら、私の育ちに関することを話してもいいと思えるような信頼している直属の上司相談する。

これは私の決意表明だ。

2021-12-28

太い実家で引きこもってる自分の話

いつも、ちょっとだけ人より出来が良かった。

足が遅いのとアトピー以外で人にコンプレックスを抱いたことはなかった。

幼い頃の写真を見ると、親からめちゃくちゃ愛された子供に見える。物心つかない頃から遊園地旅行や、色んなところに連れて行ってもらっていたようだ。高校生までは毎年夏にはキャンプや父方の実家九州に連れて行ってもらってた。

家はそこそこ裕福寄りで、持ち家もあるし、相続予定の土地もあるし、奨学金もなしに大学も出た。

それでも父が嫌いだ。尊敬出来ない。

理不尽で気まぐれで、常に顔色を伺ってご機嫌を取らないとすぐ怒鳴る。

子供の頃は「こんなに怒られると言うことは自分が悪いのだろう」と思っていたが、13歳を越える頃には「いや、こいつの言ってることが無茶苦茶なだけだ」と思うようになってた。

父と仲がいいと思ったことは一瞬たりともない。父に本音を話したことは一度もない。介護をしたくない。葬式を出したくない。

気まぐれで「受験料は自分が認めた一校分しかさない」などと言い出したり。

それ以外の無茶苦茶も重なって本命校が受けられなくなったり。

お前は馬鹿馬鹿だと罵るくせに親戚に私の偏差値を自慢したり。

アトピーいじめられストレス性の胃腸炎を患い、結果的不登校になった私を、三和土に引きずり出して「明日から学校に行くから許してください」と言うまでビンタしたり。

それを全部忘れて「お前はいじめられても頑張って学校に行ってた。えらかったな」と言ったり。

父なりに私を愛してはいるのだと思う。

ある犯罪被害に遭った結果、通常の社会人生活は送れなくなった私のために、父は独立して会社を作った。日常ルーティンさえしていればそうそう食いっぱぐれない会社だ。

何の興味もない仕事である。でも私のために作られた会社なのだから、私が継がねばならない。

幸い、人よりちょっと出来がいいのは継続していて、根幹業務も総務もIT関連も、ほぼ全部自分が取り仕切っている。

会社に入って10年。「そろそろお前がこの会社のことを考えておけ」と言われた。

じゃあ、言わせてもらおう。

この会社が建った後、近くに鉄道の駅が出来ることになり、地価は年間15%上がり続けている。そしてこの仕事は八割リモートでこなせる仕事だ。出来ればこの会社実家を潰しビルに建て替えたい。一時的現金は無くなるが10年で投資額は回収出来るし、両親の老後資金は確保出来る。建物相続するにしても、ローンが残った状態の方が有難い。

そして、私が別の場所マンションなりを購入し、その中の一室を事務所に割り当て、基本はリモートワークにしたい。現状、主力社員無駄遠距離から通勤しており、彼の家の近くか中間地点にオフィスを移したい。

ともかく、今の家は売るか建て直したい。

と言うか、実家の離れを改装した私の住処がひたすら不便なのだ。部屋数は多いし広さも十分あるのに水回りがクソ過ぎる。台所にはガスもなく、冷蔵庫廊下にあって、何故かワンルームユニットバスがついていて、洗濯機置き場がない。洗濯は、毎回実家まで持って行っている。

(※ちなみにこの改装は、全て父が勝手に執り行った。さらに言えば、最初台所どころか風呂トイレもなく、「外階段を使って実家までくればいい」と言っていた。ふざけんな。慢性胃腸炎で週に三日は下痢してるって言ってるだろうが。)

10年、この環境でやってきたのだから自分の好きなように建て替えるくらい許されるだろう。

そう言ったら目を白黒させていた。どうやら彼は、私がこの家を大層気に入ってると思っていたらしい。

文句を言わなかったから」

言ったのに聞き届けなかったんじゃないか。「せめてトイレだけはつけてくれ」と言った次の日に、勝手ユニットバス発注していたのだ。

「そんなことは考えていなかった」「今のは聞かなかったことにする」

考えろと言ったのはそちらだ。

リモートワークと言ってもこの情勢が続くとも思えない。まだお前の考える時ではない」

なるほど。じゃあ、私はこの件については放棄する。勝手にしてくれ。

「そうは言っていない」

考えるなと言ったのはそちらだ。

「考えなくていいとは言っていない」

何がしたいんだ、お前は。

久しぶりに大声で喧嘩した。

彼はそう言う人間だ。私のために金や労力は使うが、それに対して私が100%望み通りの反応をしないと否定してくる。

パソコンが動かないから見てくれ」と言われて、彼の想定外解決法を提案すると拒否する。そう言うタイプ人間だ。

自分しか興味ないのだ。だから不登校の私を殴ったし、泣きながら学校に行った私は、彼の中で「父の叱責を受け止め、強くなった我が子」に改変されてたのだ。

いつもはストッパー役になる母もいない状況で、私と父は延々とヒートアップしていく。

双方、無駄に頭が回り口が立つので、口喧嘩に決着がつかない。親子なせいか論理の組み立て方も似ている。

ずっとずっと言いたかたことを言ってしまたかった。勢い任せで言ってしまたかった。

「そんなに気に食わないなら、実家玄関で首吊ってやってもいいんだぞ!!! どうせ死のうとしたのは二度や三度じゃないんだから!!!

言いたくはなかった。自殺未遂に取り乱した父と母の顔はよく覚えてる。家を二回も買い替え、それぞれ多額のリフォームを行い、私が死ぬまで家に引きこもって過ごせるようにしたのは、間違いなく「我が子に死んでほしくない」という親の愛だ。

知ったことじゃない。

そんなもんはどうでもいい。

お前らの身勝手押し付けなんかどうでもいい。そんなもんはいらない。この世界から逃げたかった。

でもお前らが死んでくれるなと何度も言うから、そのためにいくら金を積んでも惜しくないと言うから

「じゃあ、仕方ないから、親の金が無くなるまで生きててやろうかな」と思っているだけなのだ

我慢して、お前らの愛情を受け止めてやってるだけなのだ

父はすんっと黙り込み、罵り合いは終わった。

きっと彼とは死ぬまで理解し合えない。彼は私に何の興味もないくせに、私のことをひどく愛している。

そんなものはいらなかった。私が苦しいつらい悲しいと泣くのを理解してほしかった。

2021-12-25

ひとりのおばあさんがクリスマスに死んだ。

そのおばあさんはクリスマスに生まれクリスマスに死んだ。

生前からそれが口癖でもあった。

わたしクリスマスに生まれたけど、死ぬときクリスマス死ぬと思う。

何かと予言いたことを言ってそれがよく当たる人だった。

これから日本は貧しくなる一方なんだからそれをよく考えてから動きなさい。

そんなことを日本凋落がここまでとは予想されていなかったバブル崩壊の頃から言ってたらしい。

の子はなかなか結婚しないけど〇〇才には結婚するからそれほど心配しなくてもいい。

孫の顔を見せるために母と一緒に訪れた帰りに、やっぱり当たったよね、

と母にそのことを言われるまで忘れかけていた中学生の頃のエピソードだったが確かにそのとおりになった。

斎場が思いもしないような場所なので、2度聞き直した。

時節柄、家族葬でとばかり思っていたから余計にだ。

まりに不相応な場所に思えたから尋ねようとしたら先回りして母が答えた。

お前らが物心ついた頃にはあれだったけれど、

ひいおばあさんは〇〇で〇〇だから〇〇していてる関係

たくさん人が来るからさな会場では出来ないのよ。

マジか!?あのババアそんなんだったの!?

そういえばかなり薄っすらだけど、曾祖母ちゃんの家で遊んでたとき

おつきの人に何人も囲まれたおじいが来ていたことが記憶に残ってる。

へーそうなのかあ、親類のことだからって何でもわかってるわけではないんだねえ。

でも何で教えてくれなかったのだろうか?

絶対に言うなと言われていたから。

けど、死んだら葬式場所のことで理由を聞かれるからそのときには教えていい、と言ったらしい。

嘘みたいな話過ぎて怖い。

あいいや。

とりあえずメリークリスマス、バアちゃん。すごくきれいな顔してるよ。

2021-12-23

anond:20211223171928

ブコメに返信させてくれや

「beed 最初は誰もが死刑賛成からスタートするはずっていう、自分価値観しか物事を見ない考え方はやめた方がいいと思う。僕は消極的死刑反対派だけど、覚えてる限り物心着いた時からだわ。」

自分の独特な価値観ならそうだけど、少なく見積もって9割以上に当てはまると思うから、むしろ大多数の人の価値観でしょ。逆のこと言ってない?自分のほうがはるかに独特なんだから、そこを説明してくれないと。



「sbiw0829 本当の最初最初中学高校の授業で話題に上がったときクラスの大半が存置派で、単純に逆張りしたいと思ったのがきっかけ。そのうちに人権冤罪他国の状況や具体的な執行方法について学んで、明確な廃止派に」

→これはよく分かる。どこにでも逆張りしたいやつは表れるからね。思春期なんだね。別に死刑廃止理屈なんてあって当然だし、逆に存置する理屈もある。好き嫌いに後付けで理屈をつけて正当化するっていう一番よくあるやつだな。まあ、理性的ではないと思うけど納得。




「rdetfhku 「人権」という言葉を知ったのがきっかけ」

→これが一番分からんのだよな。人権価値尊重すればするほど、それを奪った罰は重くなる必要があるでしょ。けど、死刑を越える罰は作れないわけでそこの矛盾をどう解決してるんだろうか。凶悪犯罪はやったもん勝ち?

2021-12-19

今日、湯船に浸かりながら自分の中の希死念慮について考えてた

なんだか死にたい気分っていつでもうっすらあるよなあって

物心ついた頃から、具体的には小学校になったこからずっと死にたい

本気の何かじゃないし具体的な理由もないから本当に死にたいわけじゃないんだけど、生きてて楽しいんだけど、なんか死にたい

こういう感情って皆あるのかなーって

明日とか、誰かに聞いてみようかなーって

同い年の有名人自殺したときに「あ〜この年齢はたしか死にたいよなぁ」って謎の共感をしてしまたことがあって、それなりに時間が経ったはずだけどひきずってんなーなんて一人苦笑して、風呂から出た

そのタイミングでこのニュース

もう布団の中で安定してるはずだけど、頭がグラグラしている

寝ろ、私、寝ろ

何も考えずに寝ろ

明日は何もかも忘れて起きろ私

2021-12-12

ママ友子どもの話をするとき

我が子を貶さず、しかし、自慢話にはならないように、子どもの話をママ友にするにはどうすればいい?

母が「ウチの子なんてダメよ!田中さん(仮名)のお子さんはすごいわね!」と話しているのをよく耳にして、自己肯定感なく育ち、とてつもなく生きることに苦労してきた。

大人になって聞いてみたところ、そんなの適当世間話本心なんて話さなものよ!と言われて悔し泣きした。

物心ついた頃からずっと希死念慮に苦しめられていたのに、、笑えない。親嫌い。

だけど、確かに我が子自慢もしづらいよなあと今は思う。かといって貶すようなことを言えば、私みたいな悲劇が起きる。

いっそママ友なんていらないか!とも言えないしな。うーん。

2021-12-11

誕生日ケーキが銀チョコだった

チョコ知ってる?

表面にチョココーティングされてて中に生ぬるい生クリームもどきが入ってる菓子パンだ。エクレアの出来損ない、みたいなやつ。

それが誕生日ケーキだった

もちろん、いつもじゃない

一回だけだ

物心つく前だから、多分9才か8才ぐらいのころの誕生日

実家自営業やってる

当時、お金のやりくりが大変だったらしい

誕生日なのにプレゼントもなくて、ごちそうといっても手料理ちらし寿司だった

酸っぱい白米ばっか喰わされて、そのあと楽しみしてたケーキが銀チョコだぜ?

でも両親はすっごい笑顔でさ、馬鹿みたいに笑ってんの

つられて俺も笑うんだけど、なんで笑ってんのか分からいから終いにはムカついてさ

そんなのいらねぇ!って言おうかと思った

でもなんとなく言えなかった

チョコを皿に乗せて、挙げ句の果てには蝋燭まで立てて、ギャグかよ、コントかよ、って今にして思うけど当時は大真面目で火を灯してバーステーソングまで口ずさんでさ、

なんだよこれ…って思いながら火を消した。

あのときの銀チョコの味はなんとなく覚えてる。

それで今日スーパーに行ったら銀チョコ一個70円で売ってるを見た。

思い出したら、よくわからんが泣いた

2021-12-10

俺の歯が6本ない話や、男性特権性の話とか

現実で口に出すには惨めすぎる話なのでここで吐きます。長くなるし普通の話だけど。

俺は30代も後半に差し掛かる中卒男性で、低賃金でせこせこ働いてる。職業は伏せるがまあ正直あんまり胸張れる感じじゃない。

俺は歯が6本ない。奥の方が5本と前歯が一本ない(正確に言うと最近やっと前歯だけ最低限治せた。分割払いだ。このままなんとか他も治したい。)

なんでそんなことになってしまたかと言うと、もちろん自分が悪いよなってのはそうなんだが、環境の影響もデカイ。なんと両親も歯がないのである(!)

なかなかの貧乏かつ常識や学がなく、あと高齢出産ってのもあって、ある程度物心つく頃にはもう父親全然歯がなかったし、母親ボロボロだった。今思うと両親の歯をみがく間隔がおかしかった。なんか2週に1回くらいサーッとみがいてペッで終わり。なんと歯みがきを教えられた記憶もない。ブラシ自体はあったんだけど、やはりとくに毎日やることもなく。自分も同じようなペースで磨いてた。

もちろん学校で教わってはいたんだけど、家の環境がこうだと、なんか大丈夫なんじゃって、というか歳とったら普通なくなるもんなんでしょみたいな、今考えるとマズイことを本気で思ってた。

思春期真っ盛りの間だけ口臭が気になりだしてある程度磨いてたけど、誰にも会わない連休なんかはすぐサボってたし、社会に出て毎日ヘトヘト状態になってからはまた以前の習慣に戻り、ボロボロになってしまった。

これは若干まずい言い方だとも思うが、会社女性が1人もいなく(拒否してた訳じゃないんだけど、いわゆる3K仕事なのもあってか求人出しても女性から応募がこない)のでモテたい的な欲望が消えてしまったのもデカイ。

歯の話がムダに長くなってしまった。他の話もしよう。まだまだ惨めな(でもありふれてるかも)話が続くよ。

俺は、中卒っていうとなんかヤンキーっぽいけど実は逆のおとなしいやつで、しかもすごくガリガリで低身長で、顔も悲しいことに残念なやつで、運動神経も悪く、友達がいなかった訳ではないけど子供の頃からずっとイジられたりバカにされたり、それをやや踏み越えたようなこともされる側だった。あまりにも弱そうだったからか、男性だけでなく女性から暴力(本人は暴力と思ってなかったかもしれないが)を振るわれたり「男なんだから耐えろ」「男のくせになよなよしてて情けない」みたいなことを言われたりもした。

殴り返したことはない。というか度胸がなかった。上記経験からミソジニー的な考えを持った時期もあったが、他人に吐き出したりはしなかった。これまた度胸がなかった。今となっては、SNSでまずい言説をばらまくようなことをしなくて良かったなと思っているが。

でもある程度大人になってからも、たまに話すたびにイジられるのが苦痛になってその頃の人間関係全部切ってしまった。少し後悔してる。我慢するか、もっと上手くやればよかったのかもしれない。

学歴就職の話も手短にしよう。上に書いたように、うちはなかなか貧乏だった。父親転職を繰り返した末に職人に落ち着いた人で学がなかった。母親も似たような感じ。勉強社会の仕組みやお金のことを教えてもらったことは一度もない。

一応ショボい高校ならいける程度の学力は当時あったのだが(今思うと先生が立派だったのだろう)

両親から「金がないのでできれば高校に行かないで欲しい」と申し訳なさそうに言われた。

「仕方ないし、授業料免除とかして貰える学力がない自分も悪い。」と思って就職した。今思うとバイトしまくったりしてでも根性で行きゃよかったかな〜とも思う。

1回転職したんだけど、やっぱり「高卒以上」が大量に目に入るのは絶望感が凄かった。あとなんかやっぱみんな楽しそうだったから。まあここら辺は実際どの判断が正しかったのかよく分からない。

ながながと身の上話をしてしまった。申し訳ない。

こっから先が本題、いや本題というよりは苦しみを吐き出したいというだけなんだけど。

簡単に言えば、Twitterに流れてくる

男性特権性」にまつわる言説の一部(あくまで一部だってことは強調したい)を見るのがキツい。

正確には

男性として産まれ育った時点で下駄を履かされており、その特権性を自覚して解消に向けてコミットせよ」という言説がキツい。

無視する時点で加担しているということであり、それはよくない」という言説がキツい。

もちろん「男性として生まれ育った時点で履かされる下駄」という格差は確実にあることは否定しようがない。

同じ学歴なら女性の方が賃金低いとか、なんなら高卒男性より大卒女性の方が賃金低いとか、社会立場が偉い人が男性ばっかだとか、いろんな暴力やを受けるリスク女性の方が高いよねとか、性的視線に晒されやすいって話とか、他にも色々まあ普段様々に指摘されている通り(この話の時点で反発する男性もいることは分かるが、俺は彼らの味方ではない)

しかし同時に自分のような立場からすると、男女の問題が確実にありそれが深刻であるのと同時に、他にも、金やら容姿やら生まれ場所やら、無数の格差が、「○○として産まれた時点で履かされる下駄」があるように見える。同じように深刻に。

そして個々の人生の様々なケースの重なりで下駄の長さなんて簡単にひっくり返るじゃないかと思ってしまう。

男女問わず、様々な特権性を俺より享受してる人ばかりじゃないかと思ってしまう。

俺は「男性として産まれた時点で履かされる下駄」は確かに持っているのかもしれない。でも中卒っていう別の重りがのしかかってるし、他には笑えるくらい何もない。

高校学費を出してくれる」

バカにされないくらいの容姿身体の強さで生まれる」

歯みがきの世話をよくしてくれる」

程度の下駄すらない。

この状態で、全て俺より持ってるような人(女性なら「男性として」の下駄以外の全てを俺より持っているような人)から

特権性を自覚せよ。無視するのは加担だ。」と言われて、疲れた脳みそを回して、そうです私は特権をもっていますと表明するのは単純に辛すぎる。惨めすぎる。

もちろんそれが問題に加担しているというのは事実かもしれない。でもこの世界にはあらゆる格差差別問題があり、「無視するのは加担」と言っている人含めそれら全てに対応できている人なんていない以上

「みんなそれぞれ色んなことを無視しつつ加担しつつ再生産しつつ、自分の興味のあることについてできる範囲で関わったり抗議したりする」

ということしかできないんじゃないか。それしかありえないし、みんながやってることも実際はこれじゃんと思ってる。

混同されそうだから言うけど、フェミは男のことにも声を上げないのか!的なクソな話ではない。男性のつらさみたいな話でもない。俺がした話は男性特有の話ではない。

繰り返しになるが

みんな多かれ少なかれ、ある自分属性で損して苦しんだり、逆に自分属性で得した上で無視したり加担したり再生産したりしている中で、そしてそれら全てに対応できている人なんていない中で、ある問題コミットしていない人を批判できるのか、あるいは批判するとしてもかなり慎重に、少なくとも一斉掃射は成り立たないのではという話。

それとも

「私は全ての差別格差に反対します。」的な文言をどこかで使ったりさえすれば、それで全て対応したことになりそれぞれの持つ様々な特権から免罪されるのかな。

それで同じふるまいをしない人を怒れるようになるのかな?

分からん

書いててぐったりしてきた。どんどん乱文になっていてすまない。もう終わる。

ずっとやられる側しか経験してない。損する側しか経験してないし、人を傷つけたこともたぶんあんまりない。たぶん俺の人生はこの先、きっと我ながら気の毒な終わり方をする。

この状況で責められるのかって、やっぱ思ってしまう。「男性」以外、あるいは「男性」含め全てで俺より高い下駄履いてるような人らに。

今行ってる会社に俺みたいなやついっぱいいる。お互いこんな話しないけど。俺も周りの人も普段はみんな「自分が悪い」って思ってる。でもたまにはこういう気持ちも吐きだしたかった。見てくれた人ありがとうございます最後駆け足だけどもうしんどいので、さようなら(なんか死にそうな感じになっちゃったけど普通に生きます。)

追記

文章のお褒めの言葉と中卒への疑いが何個か来てるので説明しますが、俺ももう30歳代後半なので働き出してからの方が人生長いです。

要するに、だいぶ大人になってからですが、なんとなく背伸びして少しだけちゃんとした本とかを読むようになって、多少それっぽい言葉を使えるようになったというだけの話なのです。ここまで長いのは初めて書きましたが。

あと、東浩紀さんのゲンロンの放送(本もですが)なんかはたまに見ていて、もし俺の文がある程度成立してるように見えたなら、彼やゲンロンに登壇した学者さん作家さん達の話し言葉の影響が大きいかもです。はてなじゃ評判悪いし、Twitterで言ってることとかも含め全てに同意してる訳じゃないですけど、本だけだとなかなか理解しきれない俺みたいな奴にある程度難しい話を届かせてるのは凄いと思います最近だと人類学小川さやかさんが登壇した回が良くて……

話が脇道にそれましたが、まあこういう大人になってから色々知って、でもなかなか間に合わないってのもこれまたありふれた話というか。結構そういう人はいると思います。そっから大逆転したような人しかなかなか表に出てこないと思うので、変に見えるかもしれませんが。

※一個だけさら追記

小説挑戦はもちろん無理ですが、ヒルビリーエレジーってのは読んでみようと思います

2021-12-08

anond:20211208222701

たぶんだけど、子育てって現実的にはかなり向き不向きの差が大きくて、ネットに溢れる怨嗟子育てにあまり向いてない性質の人たちがそれとは知らずに子育てを初めてしまたことによるものなんじゃないかなって思う。

特に物心ついた頃から優秀で通ってきて子育てを始めるまで「向いてないことに取り組む」経験が全く無かった人たちというのが結構いるような気がする。見てる感じ。

2021-12-06

ここ数年の新人がどうしても電話を取りたがらない

話を聞くと「誰からかかってくるかわからない電話をとるのが怖い」とのこと。

そりゃそーか。

物心ついた時からマイスマホ世代だもんな。

昼飯とかを一緒に食いながらさらに話を聞くと「取り次ぎだけのために取るの意味あるのか」と言う。

たし🦀

来年、社用携帯契約更新があるから通話定額にして固定電話取っ払うプラン出してもらおうかな。

2021-12-03

世界大戦はもはや歴史である

はてなー世代的には「戦後50年」という感覚がまだ頭にあるんじゃないかな?

祖父母体験している世代

しかし今は実際には76年経ってる

平成元年まれ=今32歳の祖父母が大体80歳だから

もう若者祖父母戦争の頃物心付いていない

若者にとってもう戦争歴史の中の話だ

関ヶ原の戦い明治維新鬼滅の刃世界大戦は等しく歴史コンテンツなんだ

ただ日本の平均年齢が48歳で1973年まれくらいで、彼らにとって戦争は地続きであるので、どうしても日本全体の感覚として「戦後」が脱せていない

もういい加減いいだろう

戦争世代もあと10年でほとんど亡くなる

そろそろいいだろうマジで

2021-12-02

anond:20211202143225

なんだ10歳か。学校行け学校タブレットから書いてる?

まりZ世代は、2021年現在の年齢にして10~21歳となります

物心がついたときからすでにデジタル技術が発達しており、インターネットオンライン世界に慣れ親しんでいるという点が特徴です。Web検索を巧みに使って情報収集をし、主なコミュニケーションSNSで行うなど、ライフスタイルの中心にデジタル技術存在していることが分かります

2021-11-30

anond:20211130225853

家族を思いやることができない自分本意な人間性問題

まあそうなんだろうなあと思う。かと言ってどうしようもないんだよなあ。脳味噌をいじってくれるならいいけど、そうでないなら家族に尽くすことに喜びを覚えよと言われても無理だしな…。

あるいは経済力問題お金自己管理出来ない成人の面倒をみるって常人経済力では出来ない

伯母は叔父の面倒みるのに数千万ぶち込んでる

金ないなら面倒を無理してみようとせず行政支援団体に任せた方がいいぞ

フツーに養育手帳貰えるはずだし

それもそうなんだろうな。物心つく前からトラウマなのか自分でも信じられないくらいこの件について何も考えられないんだよな。最近はそれでも中長期的にどうにかしていかないといかんということでまず精神科に通ってみたりしているが。。

2021-11-29

祖母宗教

うちの家族とある宗教に入信していた。全国的に展開している宗教だが、名前を聞いてもパッとイメージできる人も少ないと思う。カルト寄りな宗教というわけではなく、教祖の教えは割と真っ当なものだったように思う。祖母が熱心な信者だったが、祖父と両親も毎日のお祈りなどは欠かさなかった。そして僕も物心ついた頃からお守りのようなもの24時間365日肌身離さず着けているよう言われ、毎日夕飯の前にお経?のようなものを唱え、両親や祖父母の言いつけを守り教祖のありがたい教えを聞いていた。子供の頃はそれが当たり前だったし、どの家でもそうしているものだと思っていた。

両親には「うちは貧乏から」と言われて育った。誕生日クリスマスプレゼントがまとめられ、お小遣いや毎年のお年玉の額には常に不満を持っていたような気がする。もちろんうちより貧乏な家庭は他にごまんとあっただろうし、今思い返せばそこまで生活不自由を感じたことはなかったと思う。しか子供ながらに不満に思っていたのは年に一度もらえるお年玉よりも毎月両親や祖父母が宗教団体にしていたお布施の額の方がはるかに多かったことだった。そしてその少ないと感じていたお年玉すら祖母にはお布施するように言われたことがある。祖母いわくお布施をするとそれが何倍にもなって返ってくるよということだった。

祖母家族よりも自分自分よりも宗教を優先する人だった。毎月もらっている年金はほぼ全て宗教につぎ込み、毎月県外の総本山に足を運んでいた。家のローンで家計が苦しいのもわかっていながら家にお金を入れることは一切なかった。幼い頃は祖母のことが好きだった。宗教では色んなイベントをしていて、そこによく連れて行ってもらっていた。うちでは旅行なんてほとんど行くことはなかったが、総本山に連れて行ってもらった時は旅行気分で本当に楽しかった。何千人という人が祈りを捧げていて、子供ながらにスケールの大きさに感動したこともあった。しかしいつからか、何もかも宗教を優先して家族のことを顧みない祖母のことが嫌いになっていった。

僕は中学になる頃、思春期真っ只中だった。例に漏れ反抗期を迎え、その頃は前述のお布施のことに気付いた時期でもあった。夕食の前にわざわざ見ているテレビを消してお経を唱えるのが嫌だった。学校で着替える時に同級生にお守りのことを聞かれるのが嫌だった。年末はいつも唱えるお経が長くなるのが嫌だった。祖母教祖の話を絡めて説教されるのが嫌だった。祖母や両親は宗教の教えに従っていれば必ず幸せになれるよと言った。お守りを持っていれば守ってもらえる、病気も治ると言った。僕は思った。うちは貧乏お金がないのに本当に幸せなのだろうか?貧乏だというなら、宗教をやめてお布施しているお金生活費に回したほうがよっぽどいい生活ができて幸せなのでは?お金が全てではないと思うが、お金持ちの家の方が確実に幸せだ。

高校生になる頃、僕はお守りを押し入れの引き出しの中にしまい、身につけるのをやめた。学校帰りに友達と遊ぶようになり、夜中まで帰らないことも多くなった。夕飯前のお経も参加するのをやめた。お布施の入っている箱から数万円抜いたりすることもたびたびした。祖母はそんな僕とほとんど口を聞かなくなり、顔を合わせるたび嫌みを言うようになった。僕はますます宗教が大嫌いになった。

そんな僕も祖父のことは大好きだった。昔から本当に優しくしてくれたし、毎年年末には二人で2000ピースほどの風景写真ジグソーパズルを作り、祖父の部屋に飾っていた。中学になる頃までは毎年欠かさずやっていて、今年は祖父がどんなパズルを買ってくるのかと毎年ワクワクした。高校生の頃、思春期ほとんど話さなくなってしまった時に亡くなってしまったのであの時はもっと話をしておけばと本当に後悔した。祖父が亡くなった後、祖母邪魔からと言って飾ってあったジグソーパズル祖父私物もすぐに全部処分してしまった。その頃から僕は早くこの家を出たいと思うようになった。

その後は高校卒業し県外の大学に通うため実家を出た。自由になって実家のありがたみを感じたが宗教についての価値観は今でもあの頃と変わっていない。信者たちはそれぞれ宗教を拠り所にする理由があるのだろうが、僕にはやはり必要ないと思った。大学卒業して地元に戻ったが、家族で僕だけは宗教に参加しなかった。

20代半ばで結婚してすぐの頃、祖母が亡くなった。その頃はもう実家を出ていて祖母にもたまにしか会うことはなかったが、祖母最後まで教祖の教えを口にしていて、死ぬことは怖くないよと言っていて本当に幸せそうだった。教祖の教えに「肉を食べると凶暴になる」みたいなのがあった気がするのだが、祖母はそれをみて肉は一切口にしなかった。しかし結局それが根本的な原因の病気で亡くなったんだと聞き、なんとも言えない気持ちになった。遺産はなかった。祖母の通帳の中身もほとんど0に近かった。

しかし、祖母葬式には本当にたくさんの人が来た。ほとんどが宗教関係者で、みんな口を揃えて「祖母には本当にお世話になった」と言った。それを聞いて僕は改めて祖母はたくさんの人に愛されて幸せだったんだなと実感することができた。

僕は現在30代になり子供もできて思うのが、たとえ子供だろうと選択する自由はあって然るべきだということ。宗教を信じるも信じないも個人自由だが、押し付けたりすることは絶対にいけないことだと思う。たとえそれが自分の子供であっても、子供意見尊重しないといけないと改めて感じた。子供の頃の体験は僕に、自分にとって何がベストなのかを常に考え行動することの大事さを教えてくれたように思う。

2021-11-27

大好きな愛犬を安楽死させました

タイトルの通り、20年近く一緒に過ごしてきた愛犬を安楽死させました。2ヶ月と少し経ちますが彼のことを考えて毎日涙が止まりません。少しでも自分気持ちに整理をつけられればと思い、はてな新規登録し筆をとってみました。彼との出会いからまとめていこうと思います

彼との出会い2002年の2月

物心つく頃から過ごしてきたオンボロ社宅が取り壊されることになったのでペット可新築マンション引っ越しから数ヶ月が経った頃。

せっかくペット可なのだから落ち着いたら犬を飼いたいね、とワクワクしながら家族で話していました。その当時は"どうする、アイフル〜"のCMが大流行しており母と私は、飼うならチワワでしょ!とチワワ推しだったはずなのだ夜遅くに母のコートで包むように抱かれながら我が家にやってきた仔犬はミニチュアダックスフントでした。生後2ヶ月のブラックタン

まれて初めて仔犬を見た小学校低学年の私は、そりゃーもう可愛がりたくて仕方がなかった。

しかし両親が彼を連れて来たのはブリーダーさんとのやり取りに時間がかかったこともあり22時を過ぎており、私はもちろん小さな彼もお布団に入る時間だったため寝るよう促す母に「連れてくるまで抱っこしててずるい!」「わたしもその分抱いて寝る!」などと悪態をつくも、一緒に寝たらケージで寝なくなるからダメだと言われ興奮する気持ちを抱えながら一人で寝ることになりました。

(翌朝、鳴いてて可哀想だったからという理由で彼と一緒に寝ている兄が発見された)

初対面したその日はスキンシップを取ることがほぼ出来ませんでしたがその後は勿論一緒に寝たり、名前決めで一悶着あったり、チワワ喧嘩を売って敗走したり、食欲旺盛で人間ご飯すら虎視眈々と狙ったり、参観日で留守番させたらケージ内に大を撒き散らしていたり、ここには書き尽くせないほど様々なことがあり、退屈しない日々が続きます

共働きの両親や、部活や塾バイトで帰るのが遅い兄達。いつでもすぐそばにいてくれる彼の存在はとても大きなもので愛する弟でした。

2017年の2月。兄達はとっくのとうに家を出て、両親と私、彼の4人暮らし。私の出勤時に、眠っている彼を置いて買い物ついでに両親に職場まで送ってもらい、お昼休憩の時にiPhoneをチェックすると母から連絡が。

電話して話を聞くと、買い物が終わり家に帰るといつも走ってお迎えに来るはずの彼が居ない。珍しいと思い探すと私の部屋の隅でか細い声で彼が鳴いており、そのまま動かず様子がおかしかったのでかかりつけの動物病院にいったところヘルニアと診断されたとのこと。症状は重く、紹介していただいた隣県の専門医での手術を決めました。

当時14歳だった彼が全身麻酔に耐えられるか不安でしたが手術は成功し、リハビリをして多少フラつくものの介助もなしに歩けるようになりました。(後ろ足の筋肉が弱り前足の筋肉が強くなり逆三角形のムキムキ体型になって先生も笑ってた)

そして、家族の不在時にヘルニアになったため、今後は家には常に誰かが居るようにしました。

ヘルニア以外には手術することもなく、車に轢かれてもほぼ無傷だったという過去もあり我が家では無敵の犬と呼ばれていた彼ですが、2020年の冬頃歯が痛むのか食事しながら鳴くことが増えました。かかりつけで歯周病との診断を受けましたが高齢なので抜歯も難しく投薬のみとなりました。

父が亡くなり、かかりつけではなく、家の近所の動物病院に通うことも増えました。そのまま年が明け、20歳の誕生日には何をしようかと考えていた2021年の6月。歯を痛がる頻度が高くなり近所の動物病院にも不信感が募ってゆき、かかりつけの病院へ行くと歯石が口の中に当たっていることがわかりました。

麻酔なしでチョチョイと歯石を取ってもらいこのまま薬を飲ませて様子を見れば良くなるかと思いきや、次の受診時には歯石が当たっていた箇所が小さなさな黒い腫瘍になっていました。

その腫瘍は癌の一種メラノーマでした。大学病院に紹介してもらったり、顎の骨が溶けていたので胃瘻の手術をしたり、藁にもすがる思いで治験を受けたりしましたがみるみる彼の病状は悪化していきますトイレに行くことも寝返りも打つこともできない彼のすぐとなりに母と並んで眠り、1時間半おきに彼の悲しい声で目が覚める。

その度に寝返りを打たせたり、撫でてみたりしながらまたうつらうつらとする日が続きます

大きくなった腫瘍のせいで目も閉じられなくなり、てんかんの発作も起きはじめ、ついには腫瘍が喉に転移し呼吸も荒くなり落ち着いて眠ることもできなくなったため酸素室をレンタルすることにしましたが、2、3日もすると酸素室に入りたがらなくなりました。

酸素室に入れるとロクに動けない体を無理矢理動かして鳴くのです。

酸素の量は減りますが背に腹は変えられないので酸素マスクを口元に持っていきますが、顔の向きを変えて嫌がりますご飯を吐くようになりました。

1日中目も虚ろで、苦しそうに鳴く彼。

母が、これ以上呼吸も出来ずに苦しむのならば、と。かかりつけに電話をして、安楽死をお願いしました。

いつも行っていた公園カートでお散歩して、タクシーに乗り病院に。

最初の鎮静剤を打たれる時、少し身を捩って嫌がる彼を見て、病院では泣かないようにしようとしていたのに涙が溢れ出てきました。

目が見えてるかもわかりませんが最後まで視界に入りたかったので診察台の上に横たわっている彼とずっと目が合うようにしていました。

そして処置が終わり、彼は見ている限りではとても穏やかに息を引き取りました。

帰りは30分以上かかる道を彼と母と私の3人で帰りました。相変わらず9月の半ばだというのに暑くて暑くて汗と涙と鼻水でグシャグシャです。こんなに暑くなければもっともっと散歩行けたのにね。

家に着き、母は何度も彼を抱きしめていました。私は力の抜けた彼の体を抱きしめることが怖くて、横たわっている時に撫でることしかしませんでした。そのうちに死後硬直が始まり、抱きしめておけば良かったと後悔するのですが。

2日後、兄にも見守られながら彼は骨になりました。

寝ている父の頭に粗相したり、兄の局部に噛み付いてぶら下がったり私達の躾が行き届いていないトンデモ馬鹿犬の部類に入る彼ですが本当に可愛い子でした。大切な家族でした。

そんな子を自らの意思で殺しました。

会いたい、寂しいと思う度に殺した癖に、とも思ってしまます

でもやっぱり会いたいです。あのキラキラな瞳で見つめられたい。美味しそうにご飯を食べるところが好き。お散歩してる時の後ろ姿が可愛いクリクリ耳毛を触りたい。お尻をもみもみしたい。肉球香ばしい匂いを嗅ぎたい。また海にも川にも山にも行きたい。そんな思いでいっぱいです。

まさかこんなことになるとは思っていませんでした。天寿を全うして老衰で亡くなると思っていました。今年の誕生日も一緒にお祝いできると思っていました。

大切にしてきたつもりでも全然足りていませんでした。彼から一言恨み言でも聞けたら楽になるのにな、なんてズルいことを思ってみたりも。

私はこれからも彼の命を奪ったことに責任を持ちながら、その重さを負いながら生きていくしかないと思っています

何にもまとまっていませんがそろそろ終わろうと思います

ここまで読んでくれる方がいるかわかりませんが、もし読んで下さったならありがとうございます

2021/12/21追記

たくさんの反応いただいていたみたいで驚きました。

一番初めについたコメントを見て、まあそりゃそうだよな、と思いそれから確認せずにいたら思っていた以上に暖かい言葉をくださる方が大勢いらっしゃって……。今更にはなりますが全て読ませていただきました。涙がドバドバと溢れ出て大変汚い顔面になりましたが、本当にありがとうございます

一部父について触れている意見がありましたが、意図的に省きました。予期せぬ父の死だったので母も私も心が砕けそうになり、更に翌年には祖父が亡くなるも葬儀に出ることも叶わずまた心がバッキバキ!…なんて事もありましたがその時の悲しみや苦しみを書くことは本筋ではないし、長くなりすぎると思ったので。でも、その辛い時に彼にたくさんたくさん助けてもらったので書いても良かったかもしれないですね。

で、なんでここを覗いたかというと先日とある出来事がありまして。

彼を失った時に苦しかったので新たにペットを迎える気は更々無かったのですが、たまたま寄ったペットショップで彼に瓜二つな子と出会って目を奪われてしまいました。いやいやそんなまさかと思いながら誕生日確認すると彼の命日の次の日で。母と二人でショーケースの前で号泣。彼の生まれ変わりなんだとしたらまた辛くてもいいから一緒に生きていきたい、と思ってしまいました。生まれ変わりなんてあるか知らないですけど!!!!!!!!

というわけでした。勝手運命を感じただけなのでこれからどうするかはわかりませんが。

長々と追記までしてしまい、ここまで読んでくださった方ありがとうございました。

2021-11-24

ロリコン女性もこの世に存在してるんだよっていう話

トラックバック追記しました。慣れていなくてすみません

https://anond.hatelabo.jp/20211124143626

ジャニーズ俳優アーティスト羽生結弦も全く興味がなくて、物心つく前はモー娘。が好きだった。

小学生に上がってからヘキサゴンファミリーPaboが好きで、そのままAKB乃木坂と移り変わり今はアイマスけもフレにハマっている。ウマ娘にも推しがいる。

少女漫画も読んでたけど、男性に迫られるシチュエーション萎えたりヒーロー役がピックされた回が苦手だったりして、とにかく自分ならヒロインとどう付き合うか、ヒロインをどう落とすかって目線で読んでた。

そんなこんなで気付いたら10代の女の子しか性的妄想もおかずにもできなくなってしまって、正直肩身が狭い。イベントとか行っても、男オタクとも絡めず、女オタクにはドン引きされてさみしい。どんな俳優さんが好きなのとか、どんな男の人が好きなのって会話にもうまく混じれなくて、とにかく変な雰囲気にしないように徹してる。いつも性癖がバレないか緊張する。結婚とか恋愛とか出産子育てとか全く共感できない。こんなこと誰にも言えない。なのにみんなは自分性癖好きな人自由に話せていいね。どの俳優さんに抱かれたいか、みたいな話は大きな声で話せるくせに、二次元ロリには厳しい世の中。しか二次元ロリ男性けが好むものだとみんな信じて疑わないから私の居場所がどこにもない。拗らせロリコン女ここに極まれり。

子供の頃はお姉さんが好きだった気がするのに。今は女子中学生〜幼く見える高校生が好き。性的な意味で。こんなこともネット匿名で書けてしまう世の中すごい。リアルの10代はウェイ感強くて怖いのであまりきじゃないです。

自分性自認は今まであまりまともに恋愛してこなかったしリアルで誰かを好きになったことがないから分からない。もしかしたらLGBTかいうやつかもしれないね。少なくともストレートではないのかもしれない。仲間がほしい。ツイッターとかやらないからそういうの探し方がわからない。

休みの日に一人でいるとだめだね。病む。ただの吐き出しでした。

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