はてなキーワード: 本体とは
スマホの充電器を買いに行ってきた。昨日まで使ってた顔の描いてある充電器は一年も保たなかった。製品があかんかったというよりは、子供にいじらせたのがいけなかったと思う。彼ら、何度注意してもケーブルの真ん中部分を持って勢いよく引っこ抜いてくださるんよね。スマホ本体のコネクタが死ななかっただけましだろうか。
某電機屋のレジ打ちの人、名札のしたに「笑顔で接客」ってでかでかと書かれたプレートを着けていたが、眉間にすごい皺を寄せた渋面で接客をしておられた。たぶん老眼であろう。私が充電器と一緒にあつ森用のamiiboカードのダミーを渡したので、カードの種類をよく確認するためにすげえ顔をしかめて凝視せざるを得なかったんだと思われ。いい大人の癖して子供が買うようなカードを真っ昼間に買ってごめんやでー☆ 本当は子供達に一人一枚買ってやりたいんだけど、推し住民が出たの出なかったのとか下らない喧嘩をしまくるから、これは親のなので君達には取り合いっこする権利はない! と言い聞かせた上で「使わせて」やるってんでないと家庭が殺伐としてしまうので、仕方なく! 仕方なくね!! 330円払いました。ほんというとそんな小銭使うくらいなら自分の好きな漫画1冊買いたいわ。
便乗して言いたくなったので書くやで。
急病・急死が気の毒だったし、なんとなくもうちょい総理やってほしかったなー、という思い出。
たまたまインタビュー記事とか読んだことあるし、森さんに接した人が口をそろえて
「個人としては面倒見が良くて良い人」
みたいなことを言っていたので、そうなんだろうな、という感じ。
ただ、いくらなんでも総理としてテレビカメラ前で言ってはいけないことがあるよね。
なんか失点があると国民感情的にすぐ総理変えろって雰囲気になってた気がする。
今にして思えばメディアのネガキャンがまだ大いに機能していた気もする。
カッコ良かったし選挙に鬼強かったしなんとなく好きだった。
すごい右からもすごい左からもめっちゃ嫌われていたが中道というか国民全般にはけっこう好かれていたと思う。
自民党本体をもっと改革したかったんだろうけど、そこにたどり着くまでに本人のモチベが無くなっちゃったイメージ。
余談として、総理辞めた後、東日本大震災後の妄言の数々にはガッカリさせられた。
小泉さんが中途半端に自民党をぶっ壊しちゃったせいで誰がやってもキツかったと思う。そこは同情する。
この頃からネットがそれなりに普及したせいか? 総理や閣僚の失言がめっちゃ取沙汰されるようになった思い出。
森さんみたいにテレビカメラ前で言うのは言語道断であるが、そうじゃなくて、支持者向けの講演会みたいなとこで喋った話がネットに出回るようになって、メディアにも取り上げられるようになった感じ。
色んな失言自体はもちろんダメなんだけど、支持者向け講演会というどちらかと言えばクローズドだったはずの場での発言を切り取られる時代になったんだなー大変だなー、と思ったことを覚えている。
難病でとてもお気の毒ではあったが、病気を理由に退陣したのはめっちゃ言い訳くさくてイメージ悪かった。
何かしたっけ?
結局、この人も「総理としてテレビカメラ前でそれを言うのはアカンやろ」という感覚を最後まで持てなかったよね。
ボンボンでめっちゃ金持ちなせいか、庶民的な金銭感覚を持ってない、みたいな批判をめっちゃされていた思い出。
総理が庶民感覚を持っていてもそれはそれでおかしいが、庶民に寄り添おうみたいな姿勢はまったくなかった。
この頃の自民党には目に見えるというか国民感情を逆撫でするような失点があり過ぎて、政権交代に至った。
麻生さんというより自民党全体がぶっちゃけ緩んでいたと思うが、党首として麻生さんが緩ませた結果という気もする。
良い方向に日本を変えてほしい、自民党以外にやらせてみようという国民の期待を背負った鳩山さん。
ところが、就任数か月でもうコイツだめだろ……となったのに、何故か一部メディアがめっちゃ持ち上げていた思い出。
なんか麻生さんなら叩かれてるような金額の飯を食っていても鳩山さんは何故か叩かれていなかった。
この頃のメディアの報道姿勢からメディア不振に至ったインターネットの民も多いのではないだろうか。
なんだかんだ震災対応を頑張っていたとは思うが、専門家軽視? と言うのか、科学的にそれはアカンやろみたいなことがめっちゃ目立った。
今になって管さん意外とよくやってたよ的な評価をする人もいるが、やっぱ活動家気質というのか、国民の多数に何となく嫌われていたような。
自民党以外にやらせてみよ! ……やっぱアカンかったわ……と国民に思わせた張本人の一人。
民主党衰退の直接的原因だと思う。
鳩山さんよりも菅さんよりもすごい実務家気質っぽい感じで淡々とやることをやっていたイメージ。
ただ民主党全体に対する不信感みたいなものがめっちゃ醸成されていたため、誰がやってももうダメだったと思う。
最後っ屁的に消費税増税して終わったが、実際何をしたかったのか。
どうせ辞めるなら増税してから辞めたろ! みたいなノリだったんだろうか。
アベノミクスのおかげで新卒就職がいきなりめっちゃ売り手市場になった思い出。
本人の言動や支持基盤的に左からめっちゃ嫌われていたが政策的には意外と中道左派系というか貧困層を救おうとしていた。
ただ長期政権化した弊害なのか、政権後半・末期になると色々と緩んでいたし、本人の口が滑るしご婦人も色々と総理夫人としてはアレだったし。
本人のやりたいことをめっちゃ実現していたのだが、総理としてはあまりにもテレビカメラ前で喋れなさ過ぎた。
辞める前後で「実はこんな感じでめっちゃ良い人」みたいなエピソードがやたら出てきた思い出。
ただ、総理と言えども(むしろ総理だからか?)テレビカメラ前で潜在的な支持者にアピールできなきゃそりゃ人気でないよね。
今後に期待したい。
久しぶりの晴天からの激しい雷雨、みたいな気圧の乱高下するような日には、来客が少ないのにやってくるのは嫌な客ばかり、というのがコンビニバイトあるある。昨日もそんな客に当たって嫌な気分になった。
そういう悪天候の最中に来る嫌な客の多くが50歳前後の女性。なんか更年期障害かなんかで仕方ないのかもしれないが、だからって許容できるかっていったら残念ながらかなり無理だ。そして、ああいうのが十年後くらいの自分の姿かもしれないと思うと余計に気が滅入る。二十年ほど前にもはや狂人としか思えないほどの有様だった母に振り回されお陰で人生を歪められたことも思い出してしまうし。ま、今の生活に不満があるかといえば別に無いのだが、だからといってあの頃の母を許せるかどうかは別問題だしね。今の暮らしを楽しめるのは自分自身と母以外の人達のお陰であるので。
いいですか、未来の自分よ。その頃にはもう頭ん中が辛い苦しい私だけが世界一不幸誰か助けてよ! っていう気持ちで一杯かもしれないけれど、一時の気の迷いでも壊してしまった信頼が綺麗に元通りになることはないのです。自分の機嫌は自分で取れ。例えそれがどんなに苦しくても。行き付けのコンビニですら若いバイトから「また来たよあのババア」と思われるのは嫌じゃない? しかも他人にそこまで思われる時、身内には大概早く死ねって思われてるよ。
はぁ……。それは果たして努力でなんとか回避できるものなのだろうか。
Aさんとのシフトのはずが、何故かAさんが強制的にお休みを取らされており、オーナーがシフトに入っていた。理由は、新人の高専5年生に仕事を教えたいからだったそう。まさかとは思うが、Aさん、高専5年生からNG(一緒にシフト入りたくない)出されたんじゃないだろうな。
先週の火水木でAさんは高専5年生を完璧に仕上げると鼻息荒くしていたのだが、実際それで何をしたのかというと、高専5年生をずっと棒立ちにさせておいてひたすら説明をして聴かせていた。覚えて貰うべきは皿洗い的な単純作業がほとんどなのにそれは酷いので、見かねて私が高専5年生にちゃんと作業をやらせてくれと口を出したところ、今度は高専5年生が作業をする側から手直しをするわ遅いといって作業を中断させて自分でやってしまうわで、積極的に新人の心を折りにいってんのかお前はという有様だった。
そんな地獄の三日間を過ごしても高専5年生はちゃんと出勤してきた。正直、無言でブッチしてそのまま飛んでも不思議じゃないなと思っていたので、高専5年生のタフさに感動した。
オーナーは、まるで先週の三日間などなかったかのように高専5年生に一から仕事を教えていた。高専5年生は「それもう習いました」みたいな言い返しをせず、オーナーの言う事を真面目に聞いている。高専5年生……できる子!
「増田さん、フライヤーの籠って一回に一個しか洗えないんだっけ?」
と聞いてきたので、
「いえ、四個一緒に洗えます」
と答えたら、オーナーがじゃあ高専5年生君に食洗機のかけ方教えてやってくれというので、そこだけ私が教えることになった。
フライヤー掃除は前半と後半に分けられていて、前半はフライヤー付属の籠と抑え網と籠をかける棚などを洗うのが仕事で、それは夕勤の領分なのだが、夕勤が忙しくて手が回らない事もよくあるので、夜勤の人も一応覚えなくてはならない。後半はフライヤーから油を抜いて入れ換えたり、フライヤー本体をきれいに拭き上げるのが仕事で、夜勤しか作業手順を知らないのだ。
私がオーナーから教えてやれと言われたのはフライヤー掃除前半のやり方の一部なんだけれど、オーナーはそれを知らないって訳では勿論ない。でも私に代われっていうのは、どうやら高専5年生が自信満々にやったら完全に間違えていたからであるらしい。高専5年生は「Aさんがこうやれって言いました」とでもつい反論してしまったのだろうか。オーナーは久しぶりに入った夜勤人材と無駄な衝突をしたくなかったのかもしれない。オーナーはけっこう口が悪いのを自覚しているが治せないらしく、従業員と口争いになりそうになると、他の女性従業員に代わって揉め事を回避しようとすることがよくある。
私が食洗機に籠四つを一度に詰め込む方法を高専5年生に教えて彼に実践させたら、彼は素直に言った通りにやってくれた。よかったよかった。しかしこれ、Aさんが初日に長々と説明していた事の一部なんだけど。やっぱり単純作業は実際にやらせてみた方が早いよなあ……。
高専5年生は、オーナーから全部の作業を初めて教えられるかのように教えられて、私と同じ時間に上がった。この間よりは猫背じゃないし表情もよくなっていた。彼は一通りの仕事を覚えたあとすぐに学校がテスト期間に入るようで、そしたら次にバイトに来るのはお盆過ぎだというから、なかなか大変そうだ。
名著「UNIXという考え方 - UNIX哲学」は本当に名著なのか? 〜 著者のガンカーズは何者なのかとことん調べてみた - Qiita
この記事はよく調べてあるなぁと思う反面,事実関係の間違いも多く当時の空気感など欠けていると思う部分がいくつかある。事実関係に関しては追い切れないので参考文献を挙げるにとどめておくが,空気感のほうはいくつか書いておく。なお当該記事の「当時と今では状況が全然違うんだから,安易に『UNIX 哲学』とかいうな」という主旨には大賛成である。
初期の UNIX の歴史について興味がある向きには次の書籍をお薦めする。
Peter H. Salus『A Quarter Century of UNIX』(1994, Addison-Wesley Publishing)
和訳の『UNIXの1/4世紀』(Peter H. Salus, QUIPU LLC 訳, 2000, アスキー) は絶版のうえ訳も微妙なので薦めづらいが,原書は The Unix Heritage Society (tuhs) で PDF が無償公開されているので,英語が苦にならないのなら読んでみるといい。
また同じく tuhs で無償公開されている Don Libes and Sandy Ressler『Life with UNIX』(1989, Prentice Hall)を読めば80年代終りの UNIX の状況(XENIX についてもしっかり言及されている)や利用者目線での雰囲気もある程度判るだろう。
元記事で一番気になるのが「哲学」という語の捉え方。この言葉の強さに引きずられているように読める。でもこれ,当時は設計の基本的な考え方くらいの意味でわりとよく使われていた言葉なんだよね。たとえば米 BYTE 誌のアーカイブを “philosophy” で全文検索するとこんな感じ。
https://archive.org/details/byte-magazine?query=philosophy&sin=TXT&sort=date
ほぼ毎号のように出現していたのが判るだろう。
もっとも猫も杓子も「哲学」を振りかざしていたわけではないし,UNIX の開発者たちが「哲学」の語を好んで使っていたのも間違いないように思う。傍証の一つが AT&T の定期刊行物『The Bell System Technical Journal』の1978年7, 8月号だ。元記事で言及されているマキルロイの Forword の初出がこれで,ネットのアーカイブから PDF が入手できる。
この号は二部構成になっていて第一部が Atlanta Fiber System に関する論文12本(全172ページ),第二部が UNIX に関する(Preface や Foreword を含む)論文22本(全416ページ)となっている。さて前述の PDF は OCR されているので “philosophy” で全文検索してみると8箇所見つかる。これが見事に全部 UNIX の論文なのだ。もちろん論文の性質もページ数も違うからこれだけで確定的なことはいえないが「日常的に使っていたんだろうなぁ」という推測は成り立つだろう。じつはマキルロイの哲学とされている部分は “Style” であり “philosophy” の語は一切使われていないというのもちょっと面白い。UNIX の開発者たちがなぜ「哲学」という語を好んだか正確なところは判らないが,それまでにない新しい考え方に基づいた OS を開発しているという意識があれば,そういう言葉を選ぶのが自然な時代だったことは間違いない。
UNIX が認知され拡がっていく過程で「哲学」も知られるようになっていった。自分が好むものの良さを他人にも識ってもらいたい,あわよくば他人もそれを好むようになって欲しいという布教活動は今も昔を変らないわけで「哲学」はその便利なツールとなったわけだ。元記事ではガンカースの著作を「外部の人間が後から打ち立てた哲学」と表現しているが,そんなたいしたものではない。マキルロイの論文に影響を受けた布教のためのああいう説教は到るところにあった。たとえば前掲の『Life with UNIX』にもしっかり Philosophy の項がある。また日本で最初期の UNIX 解説本のひとつである,村井純・井上尚司・砂原秀樹『プロフェッショナル UNIX』(1986,アスキー)には冒頭次のような一節がある。
オペレーティング・システムは,コンピュータを使うものにとっての環境を形成する基盤であるから,そのうえで生活する者の個性を尊重し,より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェアでなければならない。この主張こそが,UNIX のオペレーティング・システムとしての個性ではないだろうか。
「より良い環境へと作り上げて行く課程を支援するような素材を提供するソフトウェア」とはテキストを入出力フォーマットとする単機能のコマンド群のことで,これらをパイプでつなげたりシェルスクリプトでまとめたりすることで「そのうえで生活する者の個性を尊重し」た「より良い環境へと作り上げて行く」ということだ。こういった説教はありふれたものであった。たんにそれを「哲学」の語を用いて書籍にまとめたのが,たまたまガンカースだったというだけのことである。
そしてじつは UNIX の場合,布教活動とはべつに「哲学」を広めなければならない切実な理由があった。これを説明するのは非常に面倒くさい。当時と今ではあまりにも環境が違うのだが,その違いが判らないと切実さが伝わらないからだ。マア頑張ってみよう。
UNIX は PDP というミニコンピュータ(ミニコン)上に開発された。このミニコンを使うためには専用の部屋に行く必要がある。その部屋は,もちろん場所によって違うわけだが,マアおおよそ学校の教室くらいの大きさだ。長机が何列か並んでおり,そのうえにはブラウン管ディスプレイとキーボードを備えた機器が等間隔に置かれている。壁際にはプリンタが何台かあるだろう。通っていた学校にコンピュータ室などと呼ばれる部屋があったならそれを思い浮かべればだいたい合ってる。ただし置かれている機器はコンピュータではなくコンピュータに接続するための端末装置(ターミナル)だ。端末装置のキーボードで打った文字がコンピュータに送られコンピュータが表示した文字がそのディスプレイに表示される。現在 Unix 系 OS で CLI を使うときターミナルとか xterm という名のアプリケーションを用いるがこれらは端末装置のエミュレータで,もともとは実体のある装置だったわけだ。
さてコンピュータ室にたいていは隣接するかたちでマシンルームなどと呼ばれる六畳くらいの部屋がある。窓ガラスで仕切られたこの部屋には箪笥や洗濯機くらいの大きさの装置が何台か置かれている。これがコンピュータ本体だ。もっともコンピュータが何台もあるわけではない。この箪笥が CPU でそっちの洗濯機がハードディスク,あの机に置かれているタイプライタが管理用コンソールといった具合に何台かある装置全部で一台のコンピュータになる。どこが〝ミニ〟だと突っ込みたくなるかもしれないが「六畳で収まるなんて,なんてミニ!」という時代のお話だ。
端末装置それぞれから(USB のご先祖様の)RS-232 という規格のアオダイショウみたいなケーブルが伸び,マシンルームに置かれたターミナルマルチプレクサと呼ばれるスーツケースに台数分のアオダイショウが刺さってコンピュータとの通信を行う。コンピュータと多数の端末装置を含めたこれら全体をサイトと呼び,root 権限を持って管理業務を行う人をシステム管理者あるいはスーパーユーザと呼んだ。
結構上手に説明できたと思うのだが雰囲気は伝わっただろうか。ここで重要なのは一台のコンピュータを数十人が一斉に使っていたという事実だ。洗濯機とかアオダイショウとかは,マアどうでもいい。
当時の UNIX の評価を一言で表すと〝自由で不安定な OS〟となる。メーカお仕着せではなく自分好みの「より良い環境」を作りあげる自由。さらに他のメインフレームやミニコン用 OS に比べると一般ユーザ権限でできることが圧倒的に多かった。そしてその代償が不安定さ。今では考えられないが UNIX のその不安定さゆえにプロ用 OS ではないと考える向きは多かったし「でも UNIX ってすぐ落ちるじゃん」というのは UNIX アンチ定番のディスりだった。UNIX の落とし方,みたいな情報がなんとなく廻ってきたものだ。
こういった雰囲気を鮮やかに伝えてくれるのが,高野豊『root から / へのメッセージ』(1991,アスキー)だ。当時アスキーが発行していた雑誌『UNIX MAGAZINE』に連載されていた氏のエッセイの1986年11月号から1988年10月号掲載分までをまとめた書籍である。著者の高野氏は勤務先の松下電器で1980年ごろから UNIX サイトのスーパーユーザを務めており,日本では最古参の一人である。この本の中で高野氏は繰返し UNIX の自由さと不安定さに言及している。すこし長くなるが,その中の一つを引用しよう。
CPU は,システムにとって重要な共有資源であるが,この CPU を実質的に停めてしまうことが UNIX ではいとも簡単にできる。たとえば,cc コマンドを10個くらい同時に走らせてみたらよい。VAX-11/780 といえども,同時に実行できるコンパイルはせいぜい3つか4つである。それ以上実行することも当然可能ではあるが,他に与える影響が無視できなくなる。つまり,てきめんに vi のカーソルが動かなくなる。あるいは,すこし大きめなディレクトリ上での ls コマンドの出力が表示されるまでに煙草を1本吸い終えてしまったり,タイムアウトでログインが撥ねつけられたりといったバカげた現象が起きだすのである。こういった状態になると,UNIX は破壊されたに等しい。真夜中,独りで VAX を占有して使っているのなら何をやろうとかまわない。しかし,20人30人と多数の人間が使っているときに勝手をやられると非常に困るのである。当人の仕事が遅れるのは自業自得だとしても,そのとばっちりで他のエディタまで止まってしまうと,もはやどの仕事も進行しなくなる。
ディスクについても同様なことがいえる。UNIX では,ファイルシステムを使いはたすまで大きなファイルを自由に作ることができる。したがって,自分のプロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュアが使うと悲惨なことになる。ディスクを使いはたすと,コンソール・タイプライターにエラー・メッセージが出力されるが,夜中にそれが発生して,コンソール・タイプライターが一晩中エラー・メッセージを打ち続け,朝マシンルームに行ってみると紙を一箱打ち尽くしてしまい,ピーピーと悲しげな声を上げて人を呼んでいた光景を私は何度も見てきた。こうなると,それをしでかした本人のプロセスは当然のこととしても,同じディスクで走っている他のプロセスも先に進めなくなってしまう。すこしでも負荷を夜間にまわそうとする善意は逆転してしまい,わずかでも仕事を先に進めようとする意図も完璧に打ち砕かれてしまうのである。
そして,こうした不安定さが「哲学」を必要としたのだ。自分が利用しているサイトに「cc コマンドを10個くらい同時に走らせ」たり「自分のプロセスがいったいどのくらいの容量のファイルを作り出すのか見当もつけられないようなアマチュア」がいるとその累は自分にも及んでしまう。だからサイトの利用者全員に UNIX の設計の基本的な考え方を理解してもらうことが,自分のために必要だった。UNIX の伝道がより苛烈だった理由のひとつがここにあるのだ。
ミニコン上で誕生した UNIX は 4.3BSD(1986)で最高潮を迎える。注意したいのはミニコン時代の UNIX は Research UNIX と CSRG BSD みたいな区別をせずにまとめて UNIX として扱われていたことだ。実際『プロフェッショナル UNIX』も『root から〜』も UNIX と記述されてはいるが実際には BSD を扱っている。べつに当時の人が無知だったわけではない。なにしろ BSD を利用するためにはまず AT&T から UNIX のライセンスを購入し,そのうえでカリフォルニア大学バークレー校(UCB)から BSD を入手しなければならなかったからその関係は当然広く知られていた。ベル研で発明された UNIX を外部の人たちも含めみんなで改良し,それら全体が UNIX であるという考え方が自然だっただけである。『Life with UNIX』のような英語の文献によく登場する “Berkeley UNIX” という言い回しが当時の気分をよく表している。UNIX vs BSD みたいな捉え方は法廷闘争を経た90年代以降の感覚だ。
もっともそういう70年代風味の牧歌的風景はミニコン世界限定の話であった。BSD そのものはミニコン用のものしかなかったが,そのコードを受け継いだ BSD 系 Unix や AT&T が推し進める System V などがワークステーション市場を舞台に80年代中盤から激しく覇権を争うようになる。いわゆる Unix 戦争で,PC 用 Unix であるマイクロソフトの XENIX も当然参戦した。ミニコン世界が牧歌的だったのは,ぶっちゃけていえば先のない技術だったからだ。ただ Unix 戦争はあくまでも標準という聖杯を争う戦いであり,AT&T と BSD 系 Unix の Sun Microsystems が共同で System V Release 4.0 (SVR4) を作りあげたように後の法廷闘争とは趣が違う。
こうしたミニコン UNIX からワークステーション Unix への転変は Unix そのものや文化にも変化をもたらした。まず激しい競争は Unix の高機能化を加速した。商品として判りやすい惹句が「あれもできます,これもできます」なのは誰もが知っている。もちろん安定性を増すために quota のような利用者の自由を制限する機能も含まれていた。またワークステーション Unix は現在の Unix 系 OS と同様同時に一人が使うものであり前述の布教の必要性は大幅に減じた。達人たちのみの楽園から万人に開かれた道具に変ったのだ。こういった変化を体感したければ『root から〜』と水越賢治『スーパーユーザの日々』(1993,オーム社)を読み比べてみるといい。『スーパーユーザの日々』はワークステーション Unix のシステム管理の入門書だ。この本ではたんに知識を羅列するかわりに架空のソフトウェアハウス(開発会社)を舞台に新卒社員が先輩社員からシステム管理を学ぶという体裁をとっており,そのおかげで架空の話とはいえ90年代前半の雰囲気が堪能できる。出版年でいえば『root から〜』と二年しか違わない『スーパーユーザの日々』の落差は “dog year” と称された当時の激烈な変化まで体感できるだろう。
当時はよくいわれたのに今やほとんど聞かれなくなったものがある。マキルロイの論文の結論部分に書かれたそれは,1973年に出版されたイギリスの経済学者エルンスト・シューマッハーの著作の題名で,中学生の英語力があれば十分に理解できる平明な一文だ。
Small is beautiful.
マキルロイは『人月の神話』を引いて一定の留保をつけてはいるものの,これが UNIX 哲学の背骨であることに違いはない。機能をありったけ詰め込もうとして失敗した “kitchen-in-a-sink” な MULTI•cs のアンチテーゼである UNI•x にとって,これ以上のスローガンがあるだろうか?
ひるがえって現在の Unix 系 OS をみれば,ブクブクと肥え太ったシステムコール,全容を俯瞰するだけでも一苦労するライブラリインターフェイス,一生使うことのないオプションスイッチまみれのコマンド群。UNIX が仮想敵とした OS そのものだ。そのことについてとくになにも思わない。ハードウェアは長足の進歩を遂げ,コンピュータの応用範囲は途方もなく拡がった。UNIX が変らなければたんに打ち棄てられ,歴史書を飾る一項目になっただけだ。ただ現在「UNIX 哲学」を語るならそうした背景は理解していなければならないし,どれだけ繊細な注意を払ったところで〝つまみ食い〟になってしまうことは自覚すべきだ。
◆購入
Echo Buds (エコーバッズ) 第2世代 - アクティブノイズキャンセリング付き完全ワイヤレスイヤホン with Alexa
プライムデーで半額(6千円くらい)になってたので購入。
インナーイヤー型を好んでいたのでカナル型も初めてだしノイズキャンセリングも初めて。その上でレビュー。
◆良かったところ
ノイズキャンセリングが思ったよりすごかった。
うちの家が大通り沿いにあるので普段から割と音に囲まれる生活なので、あー〝静か〟ってこんなだったわ...と思ってちょっと感動した。真空の空間というか。
ノイキャン機能を使わず環境音が適度に聞こえるモードもあるので、外で使う時とかは危険回避のためにこっちのモードにしようと思う。
あとはまだ使ってないけどワークアウト機能があって、アレクサ音声で起動可、走った距離とかも計測可能みたいで、これは使ってみたい。
カナル型に関しても思ったより良かった。初期設備でカナルがs-xlまでサイズ用意されていて、セットアップの時に機械判定でフィット感テストしてくれるので、殆どの人はどれかのサイズが合うと思う。
素材も硬めだから、フィットしすぎることがなかったのもよい(柔らかいゴムみたいなカナル型の吸盤みたいなフィット感が嫌いです)
あとワイヤレスって楽だね。本体を放っておけることや、線の絡まりを気にしたり、ぐるぐる巻きにしてしまったりしなくていいのは良い。
音質は本当に普通。(簡単なイコライザーはアプリから設定可能)
◆良くなかったところ
当然なんだけど充電が必要なところ。有線を使ってるとイヤフォンに充電が必要なんて考えられない。やっぱり面倒。
あとなくすのがやっぱり怖い。echo budsは探すモードがあるので、イヤフォン片耳ずつの場所はある程度特定出来るし、家の中での紛失とかは余裕だと思う。けどやっぱり有線に比べると失くす可能性がダンチだし怖い。充電器となるケースを失くしてもアウトなので気持ち的に落ち着かない。
Echo budsは左右のタップで操作が可能になっていて、1タップから3タップ、長押しで左右の操作を指定できるようになってる。
めっちゃ便利じゃん!と思ったんだけど、使ってみたらすごく不便だった。
1〜3タップまで操作を指定できるんだけど、なぜかタップ数によって指定できる操作に限りがあって、1タップに至っては左右共に〝再生/停止〟しか指定ができない。2クリックも指定できる操作が少ない。
個人的には左右1クリックで音量アップダウンを設定したかったんだけど、1タップで指定可能な操作は再生、停止のみなので仕方なく音量のアップダウンは左右の3タップ操作に設定した。(2タップ操作でも音量操作の指定項目はない)音量1上げるために3回もイヤフォンタップするの面倒すぎわろた。
しかも最大に不便なのが、タップが人の手じゃなくても反応してしまう所。
要するに布が擦れただけでもタップ感知するため、寝ながら音楽を聴いていると勝手にタップ操作が有効になってしまうのだ。
自分は長押し操作でアレクサの起動を指定していたので、横向きに寝転んで音楽を聴いていたら勝手にアレクサが起動しまくる。控えめに言って最悪だった。
タップ操作を非有効にすることも可能なのだけど、一気にオフすることができなくて、操作画面で1タップの左右操作設定、2タップの左右操作設定...という形で個別にタップ数✖︎左右✖︎操作項目を選んでいちいち全てを手動オフしないといけない。すっごく面倒臭いので寝ながら音楽を聴くことを諦めた。多分1週間後にはタップ操作自体を放棄していると思う。
◆
今思い出せる事はこれくらい。
6千円でノイズキャンセリング、ワイヤレス、ワークアウト機能、探す機能などが搭載されていることを考えるとものすごい値段設定だと思う。
が、結局は自分の求めてるものが手に入らない限りはお得とか関係ないので自分には良い買い物ではなかった。
次買うなら聞けるなら他の機能はいらん、というかんじで2〜3千円のワイヤレスを買うと思う。失くしてもまぁしゃーないと思える額だし。
自分はこういう使い方してて便利だよとかあったら教えてほしいな。
AEDは日本語で自動体外式除細動器と言うんだけど、除細動器にはプロ(医療向け)と一般(非医療従事者向け)の製品があるよ。
AEDはこのうちの一般向けの製品の事だよ。Aはオートマチックの意味。
医療向け製品は心電図モニタでの監視が行われている事が前提だから単能型で普通の電化製品のようにスイッチを入れると電撃が起きるよ。
一般向けは必ず診断モードが付いてて、蓋を開けると自動的に起動、コンデンサへの充電、電極パッドを付けると診断モードになるよ。(電源ボタンがある機種もある)
だからAEDを使うべき状態かどうかは機械が勝手に判断して実行するから「AED使用すべきじゃなかった状態なのに使用した」という事は起きえないよ。
蓋開ける(IOボタンを押す)と起動して音声ガイダンスが始まるよ。その通りに心臓マッサージしたりパッドつけたりすればいい。付ける場所はパッドや本体に大きく描かれているよ。
自動診断が終わってAEDが必要と判断されたら「全員手を放してショックボタンを押す」と言われるので押すと電撃が発生して患者の体が大きく痙攣するよ(結構ビビる)。
で、バッテリーの問題があるから10年も20年も使えるわけじゃない。使用した事なくても交換が必須なんね。これは消火器と同じやね。
低周波治療器みたいにヌルヌルの導電パッドが付いているんだが、これは数年で経年劣化でダメになる。でもリースだとパッドの交換もしてくれるし、本体も耐用年数で交換されるからバッテリー問題も考えなくていいし本体も新しい製品に更新されていく。
リース料は1万弱/年くらい。
でもリチウムイオンバッテリー+コンデンサ+心電図診断ソフトの組み合わせの製品だからもっと安くできるはず…って事で最近だと10万を切る製品も出てきてるらしい。
AEDは心臓が細動、つまり痙攣しててポンプの働きを無してないって時にフルスイングのビンタを心臓にかます機械だ。
心電図モニタがフラットになるのでこの瞬間は結構ビビるし初めて見たら油汗出るよ。
でも大丈夫。脳が規則的に心拍信号を出してるから、それに従って心臓も規則的に動き出す。時間にして1~2秒程度なんだが、初めて見ると永遠に感じるほど。
AEDや心マが遅れると脳がダメージを受けてしまってこの信号が来なくなっちゃうのだな。だからAEDは早くやらんとだめって事なんであるな。
最初の生物は心臓なんてなくて体を動かす→体液が動くっていういい加減なシステム
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体大きくすると体液循環量が足りんぞ→せや体動かさない時でも勝手に動いてる箇所を作りゃいいんや
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さっき作った醤油チュルチュルの握るとこの前後にストローさしたら効果あがったやん天才やんワイ
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そうや醤油チュルチュル握るとこの前後にワンウェイの弁付けたらもっと効果アップや
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握るとこを思いっきり握っても握りに吸入する時になかなか入っていかんで効率落ちちゃうんやんけ。予め圧が高くなってればあっというまに充填されるのに
せや握るとこの真ん中にも弁付けたら低圧圧縮→高圧圧縮で効率アップするやん
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あーでも本社の方に指令2つ出せって言っても進化の融通きかんしこっちの現場は現場で勝手に進化してるしで連携とれんな…
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せやこうすりゃいいんちゃう?
本社の収縮指令が来るやろ?それを低圧に繋ぐんや。それで低圧連中が動くと電気信号が起きるやん。それを高圧側に繋いで動けば一つの指令で時間差の指令が作れるやん
名付けて「カツオの場所はカツオドリに聞け」作戦や。ジンギスカン作戦に並ぶ名作戦やでこれ
↓
でも低圧連中の出す信号って微弱やな…タイミングにもズレがあるし微弱電流を閾値にするとノイズ拾いまくって大混乱や困った…
せやスター結線や!心房結節で集合させればええんやそっから各部署に分配する
スイッチングハブ(洞結節)→リピーター(心房細胞)→スイッチングハブ(心房結節)→リピーター(心室細胞)
これでいけるで
↓
????あのそれだとブロードキャストストームに弱くない?
↓
あーちゃんと動いてるしもう仕事終わり!クレームもきとらんしうちはパラシュート会社と同じでノンクレームの優良企業や
こういう経緯で、心臓に自律性を持たせる実装にしたせいで、なんか衝撃を受けた場合に心筋のどっかがまとまって拍動するとそれを受けて他の部分が拍動→その刺激で他の部分が…と繰り返して収拾付かなくなってしまうのよ。
ブロードキャストストームですわ。神の実装ミスです。
因みに、心臓はこういう風に自律性がある実装されてるので、体から飛び出しても動いていたりする。
心臓は筋肉の塊で非常に丈夫なうえに、拍動で擦れて傷つかないように心嚢っていうスベスベの膜に入ってるので、交通事故でトラックに踏まれて胸部が潰れてしまっても血管から千切れてシュポンって感じで飛び出してくる。
その状態でも路上で拍動を続けてるんですな。奥多摩のタヌキとか大垂水峠の鹿とかがトラックに轢かれてその近くで心臓が動いてるという現場を何度も見た事があるよ。
これは「倒れてない人、ピンピンしてる人にもAEDが必要なことがある」って話だよ。
例えば江戸時代などには食器洗いのママレモンとかは無かった。キュキュットとかも同じくない。
じゃあ食器洗いはどうしていたかというと竈の灰を水に入れて放置して灰汁を作り、それで洗っていた。
これは水酸化カリウムで強アルカリだ。植物の細胞が燃えて水蒸気と二酸化炭素になり、金属であるカリウムが灰の中に残ったものだね。
筋肉が収縮するには特にカリウムが必要だ。だから筋肉にはカリウムが多く含まれる。
そして血中のカリウムが多すぎると筋肉が過敏になる訳だ。こむら返りとかが起きちゃう。
事故で車の下やブロック塀の下に挟まれててそこから救出すると、挟まれ箇所が足とか腕とかだと筋肉の塊だからしばらく痺れるが血液の循環が回復されると痺れも取れる。なんてことも無く動けるしもうへっちゃらに見える。
圧迫によって潰れた、酸素不足で死んだ細胞の中身が出てるのだ。これはゴミとして掃除しないといけないから血液はこれを拾って持って行く。
で、ここにカリウムが超大量に含まれている訳だ。多すぎるカリウムは腎臓が濾して除去する。
でも大量すぎると処理が間に合わない。大量のカリウムが体内を巡ってしまう。
で、ここに筋肉まみれのマッチョで実装ミスによって痙攣が起きやすい臓器がある。つまり心臓だ。
アーキテクチャ的にブロードキャストストームに弱いのに、高カリウム血によって信号を拾う閾値が思い切りさがる。心室細動が起きないはずがないって状態なのだ。
だから、事故で挟まれていた人が救出されて「大丈夫だ」と言っていても動かないように命じ、救急車を呼んで病院に搬送して欲しいのだ。どんなに元気であってもだ。
そしてこの人は突然心室細動を起こして死ぬ可能性があるからAEDも用意すべきなのよ。
因みに高カリウム血症へのAEDの使用は、蘇生→再び心室細動を繰り返すのでAEDはずっと繋げたままで心電図を注視してないといけない。
何度も細動が起きて何度も電撃で痙攣する患者は見たら肝を冷やすこと請け合い。
そういう訳で医者でもないのに事故や労務災害に出くわす事が多い上に自分も心臓病を患って色々覚えた野良心臓マニアの増田がAEDについて書いてみたよ。
マスコミ業界の上澄みに行けなかった人間なら、そりゃコミュ能力とか高学歴になれるだけの忍耐力や知性だとか何がしかが欠けてるものだろうさ
(今は若者にオタ差別なんか無いって反論があるだろうけど、番組BGMにオタ曲が流れてたりしたのは20年くらい前も同様だったわけで)
某フェミニストが「外資系企業が、日本法人となると途端に日本の人権レベルにまで堕ちる現象」といってるけれど
ジェンダー平等とHeForShe運動のチャンピオン~はバホスUN Women事務局長が出したお悔やみだし、
詳細のページも日本事務所のWebサイトじゃなくて 本体が国連によって開始したHeForSheのWebサイトで掲載しているしで日本事務所単独じゃなくて本体がやってるよね
日本のフェミニストが望んでいるそれを120%実現できていなかったから、フェミニストから歴史捏造と批判されてるけれど
感謝してる内容をみれば、UN WomenやHeForSheの活動にそれなりに貢献した元大国のリーダーなんだからあの程度のリリースは出すよね
って思っちゃった。
確かにコメント寄せたりとある程度のつながりはお有りだったんでしょうが、別に安倍元総理がすべての元締めなわけじゃない。
宗教団体幹部を狙おうともした、とか言ってたけど、ほんとそっちをヤってくれれば多分国民は今みたいにショック受ける人そんなおらんかったんだろうにね。
「カルトなんかやってるやつが悪いんだよバーカ」で終わったのにな。
よりによって国民にダメージ与えまくる割に、カルト本体にはあまり影響が出ない方を選んじゃってるのがもう最悪。
ぶっちゃけ、特定の宗教団体が崩壊して悲しむの信者以外おらんやろ。むしろ崩壊してラッキーとか、あんなもんいらねー、って思ってる人が大半やろにね。
統一教会と自民党の関係について簡単にまとめてたけど、先行増田(ありがとう!)があったから近年のリンク付き小ネタを貼ってくよ。(あんまりリンク張って怒られたからほとんどリンク削っちゃった、アドレスバーに貼るといけるとおもうよ。)
2018年までの状況をきちんとまとめたものについては藤田庄市氏の「日本における統一教会の活動とその問題点」
http://www.rirc.or.jp/20th/Rirc20th_inbound8_Fujita.pdf
あとはおなじみ「やや日刊カルト新聞」だね。ちなみに統一教会は歴史的に日本共産党関係の人が強く批難してるけど、やや日は日本共産党も準カルト判定(カルト候補ぜんぶ載せのポイント算出基準)してるのでその辺は公平なんじゃないかな。
基本的にリンクで見てへぇーって思えるやつしか置いてないから、あれがないなって思うかもだけどごめんね。
あとみんなやや日の記事になってるからそこを見てもらうのが一番いいと思うよ、上前はねてるみたいで申し訳ないし。やや日が継続してWeb媒体で取り上げてくれてるから、たいていソースはやや日になっちゃうんだ。)
・私は安倍さんとか勝共連合繋がりの人らが統一教会を宗教として信仰してるとは思ってないし、追求してる人らもそこは問題にもしてないよ。
・でも統一教会の集団としての勢力(集票力とか所有メディアとか)を利用するってことは霊感商法の被害金や信者の搾取による資金を利用するってことだから悪いよ。統一教会は財産を捧げる「万物復帰」とか日本の経済力を教団の目的のために使うべきと考えている「エバ国家の役割」とか、つまり教義の部分でお金が(特に日本人信者から)出て行くようになってるよ。
wikipediaの世界基督教統一神霊協会の関連用語が見やすいよ。
・何度も追求されても関係を絶ってないし、政治家の支持基盤となることで批判や規制がしにくくなっているから問題だよ。統一教会は様々なフロント団体を使って正体隠しをしてるけど、政治家がフロント団体と知ってて協力することでフロント団体が問題ない団体かのように見せてしまうよ。
・統一教会そのものはお金のこと以外にも合同結婚式で結婚して渡航した人のその後とか親が信者の宗教2世の問題とかがあるよ。統一教会系と自民党は家庭を「重視」する方向が一致してるけど、問題ある家庭に縛られる方向に進まないか心配だね。
統一教会の2世の人はほかの2世の人と同じようにネットで当事者として発信、交流してるよ。今回様々な考えや気持ちを表明してるけど、彼らが傷つかないよう、追加で傷つけられることがないよう配慮されるべきだと思うよ。
安倍さんのお爺さん岸信介さんは文鮮明の反共産主義団体勝共連合と連携したと言われているよ。(創立期の経緯は確認できなかった、ごめんね)詳しくはWikipediaの「国際勝共連合」を見てね。
岸さんの考えはこのスピーチにあらわれてるね。
twitter.com/B4Btv/status/1545558775717072896
勝共連合と岸信介さん、お父さんの安倍晋太郎さんの関わりが記述されてる記事を紹介するよ。
www.ifvoc.org/news/shiso-np180415/
保守の人らと統一教会はずっと反共産主義という点で繋がってるよ。この時代は日本でもアメリカでも冷戦構造を前提とした政治的な要素が強いよ。
でも統一教会が天皇役の人を立てて文鮮明に忠誠を誓うという儀式をやってることが問題になってちょっと距離感が発生したよ。
統一教会は霊感商法とかで荒稼ぎして大きくなって、政治家が大きい行事に祝電を送ったりする程度の付き合いはあったよ。安倍さんが官房長官の時の2006年に、官房長官名で祝電を打ってたことが問題になって、私人として対応すべきだったので担当者を注意したということだよ。なお2005年にも送ってたよ。
霊感商法対策弁護士連絡会から抗議されたりしたけど特に対応はなかったよ。
世間がざわついた2021年大会でのビデオメッセージは形式的じゃなくてちゃんと教団の価値観を踏まえて賛同するスピーチだったよ。ただこれは安倍さんが信仰してるとかじゃなくて、付き合いが長いのと統一教会を問題だと思ってないから丁寧な対応をしたんだろうなと私は思ってるよ。問題だと思ってほしいんだけどね。中身に触れてる記事を貼っとくよ。
www.excite.co.jp/news/article/Litera_litera_12006/
ちなみにこの回でトランプ元大統領もメッセージ送ってるからほんとただの付き合いだよみたいに言う人がいるけど、トランプ氏も統一教会(ムーニーって言われてるよ。文=ムン=moon)を利用してるよ。でもこの人も別に信じてはないと思うよ。
世界日報や勝共UNITEのメディアに登場してるナザレンコさんは
『国を良い方向に変えるために支持し投票してくれている有権者団体にメッセージを送るだけ』と言ってるから、支持基盤として感謝してたのかな?
twitter.com/nippon_ukuraina/status/1545631433959837697
この辺は詳しくないからわかんないな。新潮は2017年に当初大統領選に勝つと思われてなかったトランプ氏との会談を急遽セッティングしたのは勝共連合経由のコンタクトだよと書いてる。あと、この参院選に出てる井上義行氏は安倍氏が首相の頃の元首相秘書官で、統一教会の会合に出席して幹部から既に信徒になりましたと紹介されてる。冗談かな?どうだろうね。選挙に出るから近づいたのではなく前から近かったら、他にもそういう人脈の秘書とかがいたのかもしれないね。
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/508513
統一教会は信者から集めたお金でメディアを持ってるよ。世界日報、ワシントンタイムズ、ViewPointとかだね。世界日報はみんな知っての通り安倍さんの政策、例えば伝統的家族観の復活とか憲法改正を強く支持してきたね。安倍さん周辺の政治家やブレーンの人々は世界日報系メディアで執筆したり世日クラブで講演したりしてるよ。機関紙世界思想は安倍さんの政治主張に賛同する記事を書くとき表紙に写真を使ったりしてるね。統一教会と、教会と親密な周囲の人々の片思いだったのかな?どうだろうね。
各サイトを見に行ってくれたら雰囲気はわかるよ。外国のニュースは(ワシントン ニューヨーク)×(タイムズ ポスト)の組み合わせに注意ね。
2021年に安倍さんがビデオメッセージを送ったやつは正確には宗教団体としての統一教会じゃなくて、UPF(天宙平和連合)っていう真の父母様が作った団体だよ。このUPFはIAPP(世界平和国会議員連合)ってのを作っていろんな国の議員さんにアプローチしてるよ。
日本ではこんな感じだよ。
twitter.com/cult_and_fraud/status/1404845921205035011
残念ながら、平和、家庭、日韓友好あたりのワードは統一教会とフロント団体がよく使うワードなんだ。こうやってお付き合いが発生してしまうようだね。自転車イベントピースロードは実行委員会側にも自民議員さんがいるよ。
dailycult.blogspot.com/2021/08/peace-road.html?m=1
ちょいちょいあるんだけど、安倍さんの祝電が問題になった2006年はいっぱいいてすごいよ。
https://kamayan.hatenablog.com/entry/20060609/1149822704
あと2018年の日本宣教60周年の大会には6人の議員さんが出席してて、うち5人が自民党の人だよ。やや日刊カルト新聞のこの記事の関連記事にも似たような事例が載ってるよ。
dailycult.blogspot.com/2018/07/26.html?m=1
福田赳夫さんのスピーチ「アジアに偉大なる指導者あらわる、その名は文鮮明ということである。私はこのことを伺いまして久しいのでありますが……」
youtu.be/hleFmkOMdNg
中曽根さんも国会答弁で霊感商法の背後にある団体と手を切れと言われたときにきっぱり拒否してるね。壺売ってて問題になってたころだね。
twitter.com/nakano0316/status/1545570895330426880
神戸市の自民党市議さんは自民党は皆付き合いがあると言ってるね。みんながどの範囲かは知らないけど、神戸市の自民の人はそうなのかな?
twitter.com/okada_tarumi/status/1545538261375782912
2010年参院選で統一教会は自民党の山谷えり子さんを当選させよう、そして有田芳生さんを落選させようという運動をしてたと有田芳生さんは主張してるよ。(旧ブログの記事だからまた上げ直してくれないかなあ)
archive.ph/g6ses
山谷えり子さんはこの後国家公安委員長になったよ。その後で2001年に世界日報に出てたこととか2010年のこととかが問題視されたんだね。
www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/154061#
2014年には萩生田光一さん、中川雅治さんが「祝福原理大復興会」に出席したことが報道されたよ。
dot.asahi.com/wa/2014112600030.html?page=1
2017年にはヒゲの隊長佐藤正久さんが統一教会の関連会社の株主総会で講演したことがあるんだって、でも社長である叔父さんが信者ってつながりでの講演だったら、票田目当てとかとちょっと違うって思っちゃうな。この記事はむしろNPOが問題視されてるね。
dot.asahi.com/wa/2017042100009.html
2018年の勝共連合の50周年大会には何人も議員さんが参加してて、やや日の人の確認では8人はわかったんだって。
dailycult.blogspot.com/2018/10/blog-post_29.html?m=1
2017年に山本朋広さんが宮島喜文さんと一緒に「孝情文化フェスティバルin Tokyo」に参加してるんだって。山本さんの挨拶では自民党に協力してくれてありがとうって言ってるね。
『日頃より世界平和統一家庭連合の徳野会長、また世界平和連合の太田会長を始め本当に皆様には我々自民党に対して大変大きなお力をいただいていますことを改めて感謝を申し上げたいと思います。おかげさまで安倍政権も5年目を迎えまして『長期安定政権』そのように評価をいただいているところでございます。政治の安定は平和への一歩であります、そういった意味合いからも皆様には引き続き我々に大きなお力を賜りたいと思います。(拍手)』
dailycult.blogspot.com/2017/06/blog-post_28.html?m=1
音声もあるよ。
youtu.be/XMvVdmT2ihU
山本朋広さんはその後も世界平和国会議員連合の総会に参加したり、統一教会系セミナーで講演したりしてるよ。
dailycult.blogspot.com/2018/12/blog-post_14.html?m=1
2015年の統一教会→家庭連合の名称変更に関しては、2006年の赤旗報道で教団は変更したがってるけど文化庁が許可を出してないと書いてるよ。
www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-06-28/20060628faq12_01_0.html
だから名称変更を認めないなんてありえるのか、という点については、どうも少なくとも9年くらいは変更したかったけどできてない状態だったみたいだよ。
そんで下村さんが文科相だった時に変更できたんだけど、週刊誌とかでは関与が疑われてたみたい。
dot.asahi.com/amp/wa/2015101400053.html
下村さんについてきちんとしたソースがある話だと、世界日報社から献金6万円(少ないのにちゃんと記録しててえらいね)を受け取ったこと、変更時期に関係メディアに短期間に複数回登場したこと、とかかな。
dailycult.blogspot.com/2017/11/6.html?m=1
この話はちゃんとした人のちゃんとした書き物を信頼するのがいいと思うな。
指摘されてもやめてないよね。2021年はしっかり考え方に踏み込んだスピーチしてるよね。「神統一韓国のためのTHINK TANK2022希望前進大会」って名前のイベントでも祝電くださいって言われたらOKなんだ?2006年のメンバーリストに自民多すぎない?ナザレンコさんは支持団体へのメッセージって言ってるけど?
そうだね、信者じゃないと思うよ。でも信じるのは信教の自由で、問題は彼らの勢力を支えてるのは問題のあるお金ってことなんだ。今でもすごい金額が国内で毟られてるんだよ。被害者支援団体は政治家はお墨付きを与えるなって何十年も言ってきたんだよ。
1つの事例だけ見てこう言う人が多いように思うんだけど、この通りいっぱい事例があるね。あと神戸の自民系市議の人がみんな付き合いがあるって言ってるから神戸の人は聞いてみるといいんじゃないかな。
そうだね、カルトは政治家や著名人を利用したがるよね。でもずっと警告されてきたんだけど、国会答弁レベルでも問題ないと言ってきたんだよね。もし、統一教会は問題だね、と考えてくれさえすれば、これほどの一般人の被害や政治家の利用が継続しなくて済んだんじゃないのかなあ。
Qアノン界隈はまた別の方向でつきあいがあるよ。九州のトランプ支持デモの主催が九州のサンクチュアリ教会の人だったね。その辺はQアノンに詳しい人の説明を待ちたいね。
覚えておいてほしいのは、信仰が悪とかじゃないんだよ。真の父母様を信じることで心が救われるならそれでもいいと思うんだ。問題はお金、そして正体隠しをすること。みんなが幸せな宗教ライフを送るために、宗教団体は社会とうまくやっていくべきじゃないかな。
自分の不幸の原因が特定の誰かだというのは、主観的な思い込み。
あなたはあなたの人生を豊かにするように自分で努力する事ができる。
目に付く、一番上で目立ってる人間が居なくなったとして、その組織の何が変わる?首がすげ変わるだけで本体は何も変わらない。
大抵の生徒会というのは形骸化しており、本作の主人公・刈人も興味を持っていなかった。中堅公立校の推薦なんかたかがしれてるし、一般で早慶入るんで。
でもまぁ入ることになるんですわな。都合上。
オートロック付きの生徒会室にはマイルドヤンキーから半グレまで色とりどりの不良がいて、禁煙なのでみんなアイコスを吸ってたわな。一本勧められるも、いや本体持ってないし、アイコスのフレーバーって合う合わない激しくないですか?とかわす刈人。そこに担当教員が訪ねてくる。
目の色が変わる生徒会役員共(比喩ではなく本当に変化しており、平均肉体改造比率80%の生徒会においては些末な機能の1つだった)。座っていたイスで武装し、刈人に鍵を開けるようにうながす。
なだれ込む教員たち、それをちぎっては投げるマイヤン共。壮絶なちぎ投げ合戦の末、戦果として捕虜一名を確保した。
条約を無視して(不良なので)拷問にかけるマイヤン共。話を聞くと、この学校はカルト教団と癒着しており、生徒会はそれに気づいて対抗している唯一の組織だという。
教員の自爆により崩壊した生徒会室に呆然と立ち尽くす刈人。一方でマイヤン達はこなれた様子で再建築作業を始めていた。建築士としての資格を持たないまま。