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2022-11-12

anond:20221112012036

賃金上昇はどういう集票組織でも理念バッティングしない」ここが嘘だろ。

経済というのは分配のシステムであり、(特に共時的にはゼロサム財産の奪い合いだ。

労働者賃金上昇は、市中財産分配における平等性の向上であり、経営者層、富裕者層への直接的な恩恵マイナスしかない。生産能力が同じなら、賃金上昇(平等性向上)→市中信用(マネーストック)の向上→適切(緩やか)なインフレ、となって既存通貨財産価値は減少という形になる。株価インフレ分は上がるだろうが、それ以上は無関係な変動だろう。

資本家階級に対するプラスになるのは書いてある通り、極めて間接的な効果である。考えられるのは、個々の労働者生活の向上によって、学習が楽になり、全体の生産能力を将来向上させるという、実際にそのように働くのか怪しく、数理化することもおそらく不可能あやふや効果しかない。

資本家階級賃金上昇に否定的なのはゲーム理論から考えても完全に筋が通っている。そうでないならなぜ「理念的に柔軟な自民党本体とその周辺組織が、ある時期以降(バブル崩壊くらいからだろうか)賃金上昇(≒平等性)を党是に組み込むことが出来なかったのか、トラバ元増田合理的説明に欠けている。

無論増田は、生産能力を減少させない程度において、出来得る限り平等性を推し進めるべきだと思っている。近代国家理念からしても、個々人が平等に楽に生きることが出来ることは重要なことで、西欧諸国はこのような信念が根元にあるので、保守リベラルが大体拮抗しているのではないだろうか。日本場合自民党が柔軟というより、保守野党系も理念あやふやなのだ

トラバ元増田自身自民党支持という党派性排除することが出来ないので、自民党は「理念的に柔軟」(これ自体はある程度当たっているとは思うが)という回り道を通った挙句、「自民党を支持しつつ労働者である現実自分が救える」という、いわゆる弱者男性避難場所となっている極めてあやしい言説に逃げ込んでいるように見える。

2022-11-07

今のGL漫画の主役キャラって

集団的人間関係を想定したキャラ作りできてないのが多い

から厚みのある群像劇は作れないし、骨太な成長ストーリーも描けない

 

例えば

「○○くんと一緒にいられれば他のことなんてどうでもいいの!」

なんて異性愛者がいたら

普通に恋愛脳がすぎると思うし、うわぁって思うだろ?

無論、NL漫画にそういう系の拗らせ系主役キャラがいないこともない

でも、GL漫画場合、この「恋愛脳拗らせケース」にあたる率が異常に高い

そして百合オタは「いや、むしろそれが尊い」と持て囃してしまう(そして、少年誌ラブコメ漫画のように、外部の批判の目に晒されることもない)から

キャラ人間性の致命的欠落が百合無罪で見過ごされてしま

 

これが、レズキャラレズ物のストーリーに、厚みや整合性がいつまで経っても生まれない最大原因だ

 

更に厄介なのは、こういうレズキャラが非百合アニメに突っ込まれしまことなんだ

百合オタの考える一般的レズキャラ」は、一般人が好み想像するレズキャラと比べて

犯罪性向が異常に高く

人格破綻デフォ

・クソ自己中がデフォ

乖離ありすぎる

 

から「あっ、ガチ百合ガチGLはいいです」と敬遠される

そして閉じコン化して、クソをクソで煮詰めたような汚物ばかりが続々誕生してしま

2022-11-03

anond:20221103105433

から俺は「それは恋愛とは言わない」とハッキリ怒る

なぜ怒る?

チャイルドレスター警察通報しなよ。

犯罪を犯してない男性性向が気にくわないと腹をたてるのは支配欲ではないのか。

内心の自由は内心を批判されない自由じゃないから、文句を言うのはいいのだけど、

俺が言いたいのはつまり

誰のために怒っているのだ? ってこと。

信じる正しい恋愛像があったとして、多様性を認め尊重するのではなく、矯正を図る目的はどこにある?

2022-10-23

鬼滅の刃嗅覚人間の本性その他の話(1)

 世間流行の移り変わりとは無関係に、私は度々『鬼滅の刃』の原作単行本を読み返しているのだが、またも同作を読んでいる。

 ここ最近の読み返す切っ掛けの一つとなったのは、例によって金関丈夫の『木馬と石牛』である。何度目だ。

 ひとまず最初に紹介しておく金関丈夫論文は「わきくさ物語」と題する一篇である

 これは、腋臭(わきが、えきしゅう)や体臭肯定的に捉えるか否定的に捉えるか、その相違について、人類学的な統計データに基づいて西欧人と東アジア人の腋臭体質の多寡(出現頻度)を比較するとともに、東西文学作品や文献に於ける腋臭体臭に関する記述比較したという内容である。今さら気づいたが、論文題名は『若草物語』のパロディである

 金関丈夫の論旨を大雑把にまとめて紹介すれば、次のようなものである。「人類学的に見て、西欧人の集団では腋臭体質の人の出現頻度が高く、日本中国などの東アジア人の集団では出現頻度が低い。それに呼応するかのように西欧では、身体臭い肯定的に捉えて讃美する詩や文学作品が見出される。それとは対照的日本中国では、身体臭いを讃美する文学作品記述は見られない。ひどい体臭の人が周囲から疎んじられるといった、否定的記述内容は見出される。日本文学においては、田山花袋の『蒲団』など西洋文学の影響を受けた近代の少数例を除けば、体臭文学存在しなかったのではないか」云々。これも今さら気づいたが『大衆文学』の駄洒落である

 それはともかく、かのナポレオン愛人に宛てて「近々戦場から戻るから風呂に入らずに待っているように」と手紙を書いたという有名な挿話を知っていると、金関丈夫の主張にも頷けるところがある。

 しかし、体臭文学に関して言えば、確かに金関丈夫の言うとおり国文学の中では劣勢なのかもしれないが、嗅覚のものは、時代の変遷や題材の違いによる差異はあれども、国文学においても大なり小なり着目したり描かれたりしてきたのではないかと思う。源氏香(※)のような遊びが生まれたぐらいなのだから香り匂いを味わうことの悦びを昔の日本人も持ち合わせていなかったわけではないだろう。それにまた、腋臭のような刺激的な匂いに対する肯定的記述が見られないからといって、体臭のものに対する愛好癖が日本人の間に存在しなかったとまでは断言できまい。好ましくない体臭に対する認識があったのならば、好ましい体臭に対する認識があってもおかしくはない。したがって、いま少し詳細な再検討必要ではなかろうかと思われる。[※注:源氏香は、室町末期以降の遊びであるが、源氏物語各巻の見出し源氏香の記号が付記されるようになったのは明治以後のことらしい。また、その記号は、組合数学テキストで例として挙げられることもある。]

 とまあ、こういった具合に「わきくさ物語」を読み直したことが切っ掛けで、嗅覚について色々と思いを巡らせていたところ、竈門炭治郎のことも連想して『鬼滅の刃』を再読し始めたという次第である

 ところで、上に述べたとおり、私は金関丈夫の主張に対しては批判的な考えを抱いているわけだが、そのような批判的思考は私の独創ではない。以前に読んだ本の記憶から「はて、国文学でも、それなりに嗅覚重要視されていたはずではなかったか?」と思ったので、金関説にも疑問を抱いただけなのである

 さらに、その時に本で読んだ内容には『鬼滅の刃』を妙に連想させる記述も含まれていたと記憶していた。そこで本棚を漁ってみたところ、それらしきものを再発見した。次に、それを紹介しようと思う。

 『鬼滅の刃』の主人公たちである竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助の三人が持つ優れた感覚は、それぞれ、炭治郎=嗅覚、善逸=聴覚、伊之助=肌感覚(触覚)である。炭治郎や善逸は、相手人間か鬼か、人間であれば善人か否かを、これらの感覚によって看破できることは、漫画を読んだりアニメを観たりした人ならばよくご存知のことと思う。

 この三感覚と同じ取り合わせを、私が目にしたのは、小松和彦の著書『神々の精神史』(講談社学術文庫)に収録されている「屍愛譚(しあいたん)をめぐって 伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)二神の冥界譚を中心に」と題する論文の中であった。

 まず、私が『鬼滅の刃』を連想させるもの記憶していた箇所を、少し長くなるが同論文から引用しておこう。

 「男と女の愛の語らいは、昔から夜中に行なうのが一般的であった。言い換えれば、愛とは、第一次的に視覚依存するものではなく、香り(嗅覚)や声・物音(聴覚)あるいは肌触り(触覚)のなかからかに創り出されるイメージの、想像力による夢幻世界における営みであった。そして、日本女性美の一つは、この視覚的な隔離から発生しているともいえよう。『堤中納言物語』の「虫愛づる姫君」のなかに「鬼と女とは人に見えぬぞよき」とあるが、この言葉が苦しまぎれに吐かれた言葉にせよ、実に見事に女の美のあり方を、愛のあり方を示唆している。」

 奇しくも、小松論文の中で三つの感覚が挙げられる順序は『鬼滅の刃』の物語主人公たちが登場する順序と一致している。果たして吾峠呼世晴は、小松和彦論文著作を読んでいたのかどうか。真実は分からないが、そういった想像をしてみるのは楽しいことである

 さて、小松和彦論文は、国文学などにおいて見られる、妻・夫・愛人などに先立たれた人が、パートナーの亡骸を屍姦したり冥界を訪れるという物語記述について論じたものである。その中でも題名のとおり特に、亡くなった妻のイザナミ恋しさに黄泉の国を訪れたイザナギ物語、そこで語られる覗き見の禁忌、その侵犯について考察している。

 死して黄泉の国の住人となってしまったイザナミは、自分を現世に連れ戻すために訪れた夫イザナギに対して「それでは、現世に戻れるのかどうか、殿内に入って黄泉の神と協議します。私を待つ間、決して中を覗かないようにして下さい」と言い残して黄泉殿内に籠もる。しかし、妻と黄泉国神との協議が終わるのを待てなかったイザナギ禁忌を犯し、黄泉の国におけるイザナミの変わり果てた姿(肉体が腐敗して蛇に集られている有り様)を覗き見てしまったがために、彼女は現世に戻ることが不可能となり、二人は別れざるを得なくなる。

 この禁忌を犯す場面において、イザナギは彼の御髻(みみずら)に挿していた湯津爪櫛(ゆつつまぐし)を抜いて、それに火を灯してから黄泉の国の殿内を覗き見るという筋書きになっている。この灯火を焚く必要があったということは、つまり黄泉の国でイザナギイザナミが語り合ったのは、闇の中であったことを示している(そうでなければ、黄泉の国で最初に再会した時点で、イザナミの肉体的変貌にイザナギは気づいていたはずである)。ここには、現世でも黄泉の国でも何ら変わることのない「男女の愛の営みや語らい(ピロウトーク)は暗闇の中でこそ行われる」という形式がある。

 小松和彦論文でも指摘されていることであるが、日本イザナギイザナミの冥界譚やその他の屍姦譚・屍愛譚には、中国大陸の物語から影響を受けた節が窺える。小松論文でも紹介されているが中国東晋時代書物『搜神記』における屍姦譚の一例として、次のような話がある。

 美しい女性結婚した男が、妻から「私は普通人間ではないので、結婚してから三年経過するまでは、夜、明かりで私の姿を照らさないで下さい」と言い渡され、それを守りながら夫婦生活を送り、二人は子まで設けた。しかし、どうしても夫は我慢が出来ず、ある夜、明かりで照らして妻の姿を見てしまった。彼が目にした妻の姿は、腰から上が普通人間女性で、腰から下は干からびた白骨というものであった。妻は「私は死者であるが、あなたが、あと一年だけ我慢して私の今の姿を見ないでいてくれたならば、完全に蘇生することが出来たのに。しかし、あなたが禁を破ったがために、最早それは叶わなくなった」と言い残し、形見として袍(うわぎ)の端布と二人の間に生まれた子を残して、男の元を去ってしまった。その端布を持って嘆き暮す男のことは、スイ陽王(スイは目偏にオオトリ旁)の知るところになり、袍の端布が王の若くして亡くなった娘姫のものと同じであったこから、娘姫の葬られた墓を暴いたとの嫌疑で男は取り調べられることになった。男が語った事の経緯を信じられない王と家来が、娘姫の墓を検分したところ、墓暴きに遭った形跡も認められず、念のために墓内に入って棺も確かめると、袍の裾が棺の蓋の隙間からはみ出ていた。それを見て「さては、本当に墓を抜け出して夫婦生活を送っていたのか」と、王も家来も信じるようになったとの由。この生者の夫と幽霊の妻も、彼らの愛の営みを、妻の申し渡した禁忌を犯さないように、明かりの無い暗闇で行なっていたことは確実である

 イザナギイザナミ冥界譚と『搜神記』における人間・死者婚姻譚との間に共通するのは、妻の本当の姿を見ることの禁忌、それを夫が犯したために妻の蘇生が叶わないという点である

 特に前者の覗き見の禁忌について、小松和彦考察し、その本質は「女性が『ありのままの姿』を公に晒すのは好ましくないという、昔日の社会における男女観・価値観倫理観の反映」であり「女性の本性を覗き見ることについての禁忌」だったのではないか推理している。それを裏付けるかのように、生者であるパートナーに対して自分の本当の姿を見ないように要求する死者の話は、圧倒的に女性要求する側であることが多いのである。また、禁忌を犯した夫イザナギに対するイザナミの怒りの言葉は「吾に辱(はぢ)見せつ」(私に恥を晒させた!)というものであるさらに、類似物語として、豊玉姫(トヨタマヒメ)が出産の時、産屋に籠もり、それを彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)が覗き見ると、豊玉姫の正体はワニ(サメ)の姿であったという話もまた、女性の本性を見る禁忌の事例として挙げられる。

 死者にしろ生者にしろ、隠れている女性の姿を覗き見る男の性向というのは、時代を下っても変わらない。例えば『伊勢物語』の「むかしおとこうゐかうふりして」という出だしで有名な最初の一篇でも、田舎には不釣り合いな雅やかな女性が里に暮らしていることを知った主人公(在原業平)は、垣根の破れた所から彼女たちの姿を覗き見る。ずっと時代を下った現代においても、男性向けアダルトコンテンツは、視覚表現重要性を持つことは周知の事実である。このように、イザナギ在原業平の昔から変わることなく、男性は「視覚的な欲求」を満たすことを強く好むと言って間違いない。

 ところで、この「屍愛譚―」論文を再読し、期せずして気づいたのであるが、論文の著者である小松和彦の行なう考察もまた(覗き見の禁忌を論じて考察する必要から、当然のことではあるとはいえ)、やはり「視覚範疇」に留まっている。これもまた、視覚を重視する男の性向の顕れと言えるかもしれない。しかも、上に引用した箇所で「夜の闇の中での男女の愛の営みや語らいにおいては、嗅覚聴覚・触覚が重要である」といったことを述べているのにも関わらず、同論文は、それらの三感覚重要な働きを示している国文学上の具体例を、特に挙げてはいないのである。あるいは、国文学に詳しい人たちからすれば周知の事実なので、態々挙げる必要がないとして言わなかっただけのことなのだろうか?

 とりあえず、男女の機微の話は後回しにして、ひとまず、妖怪識別する手段としてのこれら三つの感覚について、話を進めることにする。

 聴覚妖怪識別に用いる事例は、比較的容易に見出される。例えば、誰そ彼(たそかれ)時・彼は誰(かはたれ)時・夜のように、人間なのか物の怪なのかを視覚的に区別をつけ難い時、相手妖怪が発する声によって正体を見抜くという事例は幾つも見つけられる。カワウソなどの物の怪は、人間から「誰じゃ?」と問いかけられると「俺じゃ」と言えず「おねじゃ」とか「かわい」などとしか言えないので、正体を見破られてしまうという。これは、言霊の力とも解釈できるが、音声(聴覚)による正体識別の事例と考えても許されるであろう。また、仮に人間の方が話し掛けたり問い掛けたりしなくても、妖怪の方から自発的に何らかの独特な声や音を発してくる(アズキアライ・テングダオシのような怪音、ヤロカ水の怪しい呼び掛け声など)ので、それを聞けば正体が分かるという例もある。これらも聴覚による妖怪識別に含めてよさそうである

 触覚の方はどうだろうか? 例えば、厠(便所)で河童などの物の怪に人間が尻を触られるという怪異の話は数多い。そして、それらの怪異譚は「毛むくじゃらの手である」といったような、通常の人間とは何かしら異なる手触り・肌触りの特徴を持つことを窺わせる描写が伴うことが多いように思える。厠が家屋の中では暗い場所に分類されることを併せて考えれば、これも視覚には頼り難い状況下で、触覚により妖怪識別する事例と考えることが可能ではないだろうか。他には、猟のために山に分け入った猟師が、夜になり「これでは鼻を摘まれても分からないな」と独り言を呟いたところ、突然「これでもか?」と何者かの手に鼻を捻られたという怪異譚もある(参考:千葉幹夫『全国妖怪事典静岡県の部)が、これは残念ながら手触りについて伝えていない。しかし、このように暗い場所時間帯において、物の怪に身体の一部を触られるという怪異譚は、枚挙に暇がない。これらも触覚によって人か物の怪かを判断するという事例に含められないか否か、再検討してみるべきかもしれない。

 問題は、嗅覚により妖怪識別する話や本性を看破する話なのだが、残念ながら今のところ、これといった事例を見つけられずにいる。逆に、妖怪嗅覚の方を利用し、何らかの臭いを発するもの人間が用意することで魔除けにするという事例ならば、比較的容易に幾つも見出だせるのであるが。例えば、焼いた鰯の頭を魔除けとする例は有名である。また、今でこそカカシといえば田圃に立つ人形のことであるが、日本神話でオオクニヌシスクナビコナと出逢うくだりに記されているように、本来の古い和名はソホド乃至ソフドである。それがカカシと呼ばれるようになったのは、稲を荒らす鳥を追い払うのに、鳥の死骸を焼いたもの竹竿の先に紐で括り下げて掲げるという風習があり「臭いを鳥に嗅がせる」という意味でカガシと呼んでいたものが、鳥避け人形混同されるようになったかである。上に挙げた鰯の頭も、ヤイカガシ・ヤッカガシ(焼き嗅がし)と呼ぶ地方があり、明らかに鳥避けのカガシと同じである。他にも、山中でタヌキやムジナの類いに化かされたことに気づいたならば、煙管(煙草)を一服すれば妖怪は逃げていくとか、小便をすると臭いを嫌がる妖怪を避けられるとか、人間嗅覚ではなく妖怪嗅覚を逆手にとって利用して払う例は多い。

 小松論文では具体例が挙げられていないものの「視覚的に本性を見ることが禁忌とされた状態特に暗闇の中で、何者かと一対一で対峙する状況において、重要役割を果たすのは、嗅覚聴覚・触覚である」という見解は、説得力を感じさせられるものであることは確かである特に、愛の営みに関しては、そうである人間がお互い裸一貫となって同衾する時、見た目の虚飾は、ほぼ通用しなくなるのだから。したがって、これら三感覚重要性が高まることは、必然であるように思われる。

 とはいえ「思われる」ということと、国文学などにおいて実際にどのように捉えられていたのかは、もちろん別問題であるから、これは検証必要があるだろう。あるいは(素人である私に言われるまでもなく)既に専門家の間では検証済みなのかもしれない。国文学中の、特に男女の愛の営みや語らいにおける三感覚が占める役割について、どのように描かれ、語られてきたのか、可能ならば識者の見解を知りたいものである

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 さて、私は上で、男女の機微の話を後回しにして、妖怪の正体を識別する感覚的な手段の話をすると書いた。そこでいよいよ、男女の機微、すなわち異性のパートナーのことを暗闇の中で知る手段としての嗅覚聴覚・触覚の三感覚について論ずる順番がやって来た。といっても、上の文章を読んでもらえば分かるとおり、専門的な知見を私は持たない。そこで、識者の見解とは無関係に、今の私個人が思うところを書くことにする。したがって、これより以下は全くの駄文である

文字数制限のため分割したので、続きは⇒anond:20221023224411

2022-10-19

新種の論法?「リアルじゃない」

フェミとかフェミ的なもんの浸食には気を張ってたつもりだったんだけどさ。

なんかいつの間にか、新種の論法が出てきてないか

パンチラリアルじゃない」

乳房が揺れるのはリアルじゃない」

ポリコレアウトをリアルじゃないと言い換えることで、芸術性向上のアドバイスに見せかけて批判回避できる。

anond:20221019201206

2022-10-18

anond:20221018214044

過去の貯蓄や資金調達しての支出などの経済理論上の投資を初項、収入に占める消費の割合である消費性向を公比とした等比数列の和が経済規模だぞ。

消費税減税は景気上昇に最も効果的というか、実需に紐づいた金しか減税してはならんのだ。

そして景気が上がって人手不足となれば、人の奪い合いで庶民給料は上昇する。

2022-10-16

anond:20221016193455

ねえ絵のうまい下手って絵の価値にどれくらい関係すると思う?ゴッホなんかどちらかというと下手だと思うんだけど、彼の生き方とか後世の評論家たちの言葉がいっぱいくっついてすごい魅力を獲得してるじゃんねと思ったりする。技術画家可能な絵への最大の関与だろうけど、事実うまいかどうかより追求する性向のほうが遥かに大切なんじゃないだろうかって。

anond:20221016140657

サッシは共用部分扱いにしてるところが多いかちゃう

国土交通省の「マンション標準管理規約」だとそうなっとるんだと

 

から逆にうちのマンション大規模修繕で全戸のサッシ変えた

断熱性向上するから省エネ補助金なんかも出たらしい

 

2022-10-10

放漫財政非難財政出動は景気を良くする効果はないと言うリベラル

見てると、そりゃ自民党が糞でも自民党が支持されるだろうという感想しかないな。

https://twitter.com/RyuichiYoneyama/status/1579257998752772096

限界投資性向=1は少々非現実的仮定かもしれませんが、30年間巨額の財政赤字を垂れ流す放漫財政事実として緊縮財政などでは全くない)を続けて景気は微増しかしておらず、実際に-ΔI=+ΔGに近い状況が続いており、財政出動は景気を良くする効果はほぼないというのが、私は現実に即していると思います

2022-09-27

昔の男性向アニメ

エロに片足突っ込んでるロボットアニメ多いよね なんでだろ

ロボ要素、いる?鉄オタみたいなこと?俺特にそういう趣味ないわ

男のロマンとかでもないだろ

2022-09-03

anond:20220903144404

人と違って自然忖度してくれないから。お調子者が人に対して調子づく感覚自然に対して調子づいてしまい、敢え無く死亡という事故は絶えない。フールプルーフフェイルセーフで防げるなら防いでやりたいところではあるが、究極の原因は本人の性向から、そこはいかんともしがたい。

2022-08-10

余裕と遊びについてちょっと思ったこ

菜種油を絞るような働き方は本当に糞だと思う。

業務がきついならと人を採用していいと言われていたし、ゆっくりでもいい人をと言われていたのでいい人を取ろうとしているうちに人が増えないことにされた。

それどころか、人が減っても増員無しで頑張れーみたいなのが数回。もともと少数でチームを回していたのにそこから減っても人の採用なしですか???

そんな状況で予定通りの開発継続メンテナンスをやろうとするとどうしても無理がある。システム不安定でほかのチームに怒られる。多分、上司にも苦情がいく。

開発自体を一旦停止して安定性向上に時間を割くべきだと思うのだが、話し合いもなされず、システム不安定なのはどういうことだと文句ばかり上司に言われる。

しろ上司に状況の説明をすることで時間を取られて通常の開発業務どころかシステムの安定化作業もままならない状態

現状をまとめたレポート改善案を提出するようにというような官僚感満載な要求をしてきたのには、俺は本当にあきれてものが言えなかったよ。

査定の時期になり、会社に入ってこんな評価つけたことがないというレベルの糞評価をつけたのだが、そんな俺のブチ切れをよそに上司昇格。

俺の査定は低評価会社評価システムが本気で信じられなくなった。

今でも俺は根に持っている。

2022-07-20

anond:20220719173639

うちの奥さんSIerから学習塾社員を経て看護師さんになったのだけれど、確かにそれぞれの職業文化も求められる特性も違う感じはする。

ただ、看護学校時代からいままで泣いてるのは見たことがないし、周りで泣いてる人がいるという話も特に聞かない。

勤務先の病院も規模や科で雰囲気が色々と違うようで、NICU新生児集中治療管理室)にいた頃はちょっとしたミスでも命取りになるので諸々のチェックや確認も厳密にしてシステマチックにきびきびやってたけど、転居に伴い地域の中規模病院成人病棟に移ったら結構まったりした感じになった。

時間的にも気持ち的にも随分余裕が出てきたらしくシフトの空いてる日は有料老人ホーム看護師アルバイトもしてる。

と、いうことで、まずは「精神的に追い込まれすぎてどこに行ってもつらくなる」状態になる前に何度か環境を変えてみるのもよいかもしれない(既に何回か変わっているようだけれど本人の性向として無意識に同じ系統病院を選んでしまっているのかもしれない)。

職場環境に左右される要素が多い(し、他の職種でも同様のケースがあり得る)ので「看護師を辞める」という職種自体の変更は早計であるように思うし、本人としても人生における失敗体験としてその後の人生で「できるやつ」に戻れない瑕になりそうな気はする。

もし勉強等が得意なのであれば一定の実務経験必要になるけど特定看護師を目指すという手もある。

すごくメリットがあるとは言い難いのだけれど、看護師の中では分かりやす差別化できる部分だし、それなりに長い研修期間なので転職理由にもし易い。

なお、話を読み返してみると本人は看護師に前向きかつ「泣くのは職場として当たり前」と考えていて増田がそれに過剰反応してしまっている可能性もある。

2022-06-27

anond:20220627080602

消費税法人税の論争は、新自由主義VSケインズ主義象徴でもあるからな。

新自由主義政府裁量が良くないと考える。だから消費税を好み、裁量が入る法人税+減税措置を嫌う。

ケインズ主義財政金融税制を用いて経済を調整しようとする。消費性向が低い場所富裕層などを増税する。、消費自体に係る消費税を嫌う。

そのけっかはどうか?新自由主義資金循環を無視した税制をしてたがゆえに、失われた30年を作ったし、せっかくのアベノミクスによる回復も潰した。

使ったら減税、ため込んだら増税とするべきだ。つまり消費税減税、設備研究投資で逃げる余地を設けて法人所得金融所得、富裕者所得増税

2022-06-24

anond:20220624135338

やっぱ犯罪性向ある男には多くの女が集まるんやな

anond:20220621180952

最初過去の貯蓄の取り崩しや、資金調達しての支出で金が動いて(経済理論上の投資資金需要)、収入一定割合比率の消費性向で消費をしていって、残りは貯蓄され、最後に別の場所で止まる(資金供給)。なお、貯蓄の総和と経済理論上の投資の総和は等しくなる。

最初に動く金と最後誰かの懐にとどまった金は同じと言ってもよい。

経済規模とは経済理論上の投資を初項、消費性向を公比とした等比数列の和なんだよ。

税金強制的な貯蓄という側面もあるから、この消費性向を下げる。すなわち等比数列の和を下げて経済を落とす。だから消費税は景気に絶大なダメージを与える。

一方で法人所得金融所得、富裕者所得はため込まれやすい。このあたりを減税すると貯蓄を増やして景気を落とす。

その上で

(1)再分配政策収入が高いところに高い税金を課すことも要素の一つ。その上で、過去所得税を累進を下げて変わりに消費税を下げてをしてたから再分配が弱くなった。

(2)代替税金法人税、所得税、金融所得課税など減税した金が滞る懸念がある金でしょう。むしろ法人税、所得税、金融所得課税を下げるために消費税を上げてきた。しか消費税は消費にかかる税金で、貯め込まれ場所を減税したから景気が悪くなった。

(3)上げるのは貯め込まれ場所税金そもそも税金は使う場所を減税、貯め込まれ場所増税としないとならない。

(4)法人税、所得税を下げろと減税日本だとかいたの忘れてたのか?維新行政スリム化で減税を言ってたぞ。最もアイツラは官の仕事をお友達人材派遣会社で買い叩かせるのが主だが。

2022-06-23

悪夢倫理を作り上げる


 人生の節目に常々悪夢を見てきた

 僕の人生基本的悪夢によって規定されていると言ってもいい。そのような悪夢が初めて自分を襲ったのは四歳だか五歳だかの未就学児だった時期である

 この悪夢について僕は詳細を語るつもりはない。

 それは明確に僕にとっての呪いであり、そして僕の人生根本的に規定している夢だからである

 このような夢を安易に語ることによって、これまで僕が人生運営していく上で必要としてきたシステム――要するに倫理――に悪影響が出ないとも限らない。僕はこの悪夢基本的墓場まで持っていくつもりである。もし、僕がこの悪夢を誰かに語るとすれば、それは僕が誰かに呪いを移し替えたいという、純粋な悪意によって衝き動かされる時に限られるだろう。


 そのようにして、四歳だか五歳だかの時に、記憶に残る上では人生で初めての悪夢に見舞われ、僕の人生はある種決定付けられた。

 僕はその後悪夢に怯えて人生を過ごすことになった。

 悪夢とは――端的に落とし穴である。それは闇夜の落とし穴であり、夜になれば我々は必ず眠りに就かなくてはならず、つまり、闇夜の中を目印無しに歩かなくてはならなくなる。無事に夜明けまで辿り着ける場合もあれば、真っ逆さまに穴の中に転落することもある。それが我々にとっての――少なくとも僕が五歳だの六歳だった時の――悪夢だった。そのような悪夢を避けることは、基本的にはできない。偶発的に穴には落ちる。歩く限りで、そしてそこが闇夜である限りで、また、その闇夜の道に無数の穴が掘られている限りで――必ず我々は穴に落ちることになるのである。すなわち、悪夢を見ることになるのであるマーフィーの法則を持ち出すまでもなく、それが僕にとっての悪夢というものの在り方だった。

 いかにしてこの悪夢を避けるべきか――という思考が芽生えたのはいつのことだったか、それは流石に未就学児の時ではなかったと思う。僕はその後も順調に、人生の岐路において悪夢に見舞われ続けた。つまり積極的にこの悪夢を退けようとする姿勢――僕にとっての倫理姿勢――を身に着けるのは、もう少し後のこととなる。


 六歳だか七歳だかの時には、ランドセルほどのサイズの大きな蛾が、背中にしがみついた状態で、闇夜を歩く夢を見た。そして、その夢の中で僕の手には鎖と鉄球が結ばれており、それを引きずっていた。

 以前その夢について増田に書いた時があったのだけれど、それは僕にとっての「カフカ的な重み」であったと増田には記させてもらった。六歳だか七歳だかにして、過負荷(当時のブコメから引用)を背負うことは、はっきり言えばそれなりにハードなことだった。何でまた僕はこんな幼少期からこんな重みを引きずって歩かなくてはならないのだ? 僕はまともに歩くことさえ困難な状態におかれてしまっているじゃないか、と。



 時に美しい夢を見ることもあった。意中の女性を抱き締め、愛を語らう夢。そんな夢から覚めた直後には、朝の静かな空気の中で僕は幸せを噛み締めていた。

 とは言え、そのような美しい夢に比して、同数以上の悪夢を見ることに、青年期の僕はうんざりとしていた。その殆どは、僕が所謂カフカ的重み”――つまりは゛過負荷”を背負っていることを突き付けようとする悪夢であった。

 荷物が重すぎるのである。それを何度となく、僕は僕自身悪夢によって示されることになった。゛お前はここから逃げられない”と。゛荷物を下ろそうとしたところで、それは無駄なのだ”と。゛お前の背負っている重みを常に直視し続けろ”と。

 さて、僕はどうするべきだったのだろう。

 勿論、僕のやるべきことは一つだけだった。つまり荷物が何であるかを見定め、それをできる限りパージしていく――円満背中から下ろしていく――ということそれだけだった。

 僕は自分の重みから解放されなければならなかった。その手順を、一つ一つ確実に踏まなければならなかった。間違ったやり方をしてしまえば、その重みが加速度的に増して、自分背中を押し潰すことは、僕にとって殆ど自明のことだった。

 そう、゛間違えてはならない”のである

 正しいことをし続けなくてはいけなかったのである。何故なら、そこで間違った選択をすれば、僕は更に゛過負荷”に晒されることとなったであろうからである

 この場合の゛正しいこと”とは、繰り返すように、゛過負荷”について正しく理解し、目を逸らさず、誠実にその重みを扱っていくことである。幸か不幸か、僕は自分にとってのおぞましい重みが眼前に提示された際、その重みを瞬き一つせずに眺めてしまうという性向を持っていた。そのような性向ある意味では僕の青年期の情景に影を滲ませることになったが、同時に、その時の僕にとってこの上なく必要事柄をもたらしたのである

 僕はそこから目を逸らしてはならなかったのだ。


 僕が正しいことをしなくてはならない、そのために、全力を注がなくてはならない、そう決意したのは、悪夢の影響だった。自分にとって正しいことをし続けること、自分の素直な気持ちを大切にし、本当に大切なものだけを搔き集め、そうでないものに囚われないようにすること――かかる方法のみを以てしてしか自分の重みを取り除くことができないことは、僕にとって明らかだったのであるシンプルに言えば、僕は正しいことをし続けなければ死んでしまっていたのである。僕自身の過負荷によって。



 僕自身にとっての倫理とはかかるものである。つまり、『死にたくなければ(悪夢の過負荷に押しつぶされたくなければ)、正しいことをし続けろ』というシンプル命題。それが、僕にとっての倫理だった。

 僕は、そのような倫理個人的格率として保持し続けた。僕が人生を生き切るためには、自分の夢を敵に回すのではなく、自分の夢に味方になってもらうことが、必要不可欠だったのである

 その後、僕は様々な人生トラブルに見舞われることとなった。最も最近トラブルは今年の初めくらいから生起しており、正直なところ正気を保つのに随分苦労しているのだが、しかし、ここまでやってきた努力の成果もあってか、夢だけは常に味方になってくれていた。

 夢の中で、僕は幼い日に恋心を抱いていた女の子出会う。

 彼女と僕は語らい、キスをする。幸せ気持ちになる。

 朝目覚め、少しだけ悲しい気分になるのだけど、でも、少なくともそれは悪夢の目覚めに比べれば、五千倍はマシなのだ



 倫理とは悪夢に対する恐怖であり、その、悪夢を退けるために、善行を為し続けることなである個人的に言えば。




anond:20220617134526

2022-06-18

ネトウヨキモオタハリウッドポリコレうっぜええええええええええええ」

わい「でも、そういう基準っていうのはさ、時代によって存在するのでは?」

ネトウヨキモオタ作品価値貶めるディズニースターウォーズがクソ化したのと同様に

これは表現に対する冒涜だ!!」

わい「例えば、国民の創生とか、南部の歌みたいなのがスタンダードだった時代があったわけじゃん?つまり差別万歳民族主義万歳時代が。それに対する反動なのでは?

作品ありのままを見せるという芸術上の使命を宿している反面、時代特有イデオロギーも必ず内在しているものだ。LGTBQが今や避けて通れない政治上の表明であると同様に」

ネトウヨキモオタ「大好きなアニメが大好きなアニメがあああああああああああ」

わい「君らの差別感情がそれによって炙り出されるというだけなのでは?

黒人同性愛者などのマイノリティを嫌う性向をお持ちのようだが、君らもマイノリティであるアジア人なのだが?

しろアジア人であるからにはこの傾向は喜ぶべきものなのではないか

君らの大好物日本好き外国人』を増やす要因にもなりえるだろうしな」

ネトウヨキモオタ名誉白人だ!!ハイルヒトラー!!(いきなり席をたって敬礼

わい「おもてなしの心とやらが、単なる自己撞着に過ぎないように、君らの最大の欠陥は自己愛が強すぎるということじゃないか

同性愛マイノリティテーマにした作品でも素晴らしい作品は出ている

例えば『それでも夜は明ける』や『ムーンライト』や『ブロークバックマウンテン』がそれだ

新しい表現領域だと思うよ。勿論、弊害もあるだろうが

というか、君らはいつも通りにアニメ美少女パンチラみながらしこってればいいのでは?」

ネトウヨキモオタフェミの手先め!!!!!」

2022-06-17

自分は年上で異性のきょうだいがいるのでその影響をたっぷり受けて異性がメインターゲットであろうのものを好むようになったけど、そういう家庭環境ではない、一人っ子とか同性複数人きょうだい構成の人が異性向のものを好むようになる切っ掛けって何が多いんだろう

異性の親? 異性の友人?

anond:20220617002508

そういうはてなー逮捕したところ、実際まともな社会生活を送っていないことがわかった前例がありますので

似た性向を持つ人は似た立場にあると仮定して差し支えないと思います

2022-05-10

anond:20220509191854

妻や娘にではなく「他人に」なら分からなくもないけど、特別扱い要求性向が強すぎでは

2022-04-26

anond:20220426203810

レディコミとTLは別物っす。

レディコミは大人の女性が読む大人の男女の恋愛とか性愛・下世話ネタ漫画本。

TLは元は少女漫画卒業したが大人()でもない、ハイティーンや二十代の若い女性向けの、性愛含む男女の恋愛を描いた漫画本。

ところが、未成年へのエロ規制が強まり、十代にはそういうのを売れなくなってしまったので、対象年齢を18歳以上……主に二十代の女性……に上げたの。そういう経緯で出来たジャンルなので、絵が少女漫画に近い。

2022-04-25

anond:20220424173636

減税というか、国民の消費性向を増進する政策は常にありとあらゆる手で行われるべきだが、現在コストプッシュインフレに減税で対応するのは一般的な考え方で言えば愚策

円滑な賃上げのために労働力移動をしやすく、また適切に配置して社会全体の効率を上げるのが良さそうに見えるが、それはつまり企業に頼り切った日本型社会保障をdisruptするということなので…、まあ難しいですね、我慢してね、って感じじゃなかろうか。

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