2015-05-12

文系院生やってて思うこと

学部生のころ、院進学を悩んでいたとき

文系の院入学は”入院”、すなわち後戻りできない病院での長期”入院”と近しい意をもち

引き返せなくなるところまでは決して行ってはならぬ

というお達しをどこかで聞いた。

けれども学部生のころは、きらきらと輝いていて

この道を究めたいという純粋好奇心探究心に溢れていたし

自分勉強が好きなものだと思い込んでいたものから

その意味がよくわからなかった。

実際、大学院に進学して今年で三年。

この三年間で、色々なことに気づくことができたと個人的には思っている。

まず、上にはいくらでも上がいるんだろうなという

当たり前のことを、授業の度に痛感した。

文系院生の肩身の狭さは、まるでそれが社会貢献として役に立つのか立たないのかあやふやなままに

ただひたすらに大量の資料を読み、文章を書き続けなければならないという事実にあるだろう。

これ一体何の役に立つの

と自問したとき、答えが返せないという恐怖と戦うために

せめて語学だけはしっかり磨き箔をつけなければ、と日々勉強

大量の英文献を読み漁るもの

ゼミの度に教授語学力の高さに圧倒され、自分能力絶望ゼミが終わるたびにトイレで泣き暮れる日々が続く。

また何より学部のころと比べて随分、笑いの数が減った。

周りの友人が社会人となって卒業し、大学院での友人もこの春卒業を迎え、残された今

唯一の話し相手は教授と塾の教え子くらいのものである

そして研究室の隣の席には、論文が書けず、ずっと休学したままの先輩がいる。

彼の机には山積みの資料がどっさりと置かれていて、毎日毎日それを読み漁っている。

しか議論の場になると、その人の言っていることは何やらさっぱりわからない用語を繋げた謎々みたいで

挙動からも、精神状態が徐々に崩れているのが明らかにわかり始めた。

そのような姿を横目で見ていると、さていよいよ

自分達がやっていることが、あまりに”他者”のいない閉鎖的な営みであることに気づかされて、ゾッとする。

大学院文系)、恐ろしすぎる。

しかも、それを多額の学費を払って何年も続けているのだ。

普通に就職していれば、その倍以上のお金が、同じ時間で稼げたというのに。

さらに言えば、理系とは異なり、就職口は進学によって減るばかり。

どう考えてもこの選択、常軌を逸した愚か者所業しか言いようがない。

そう確信したのは、去年の秋で

嗚呼疲れた、もう大学出たい、文献読めない、いやだ、十分だ、どうして進学したんだろう、やだ、と

ぐるぐる考えてばかりいた。

でも最近、少しだけ気持ちに変化が表れつつある。

諦めの境地に至ったのかもしれない。

今更、どうにもならない。

どうせ選んだ道ならば、のんびりやろう。

よく考えれば自分のことだから大学院に進学しなければ、これほど社会と繋がることの大切さを意識することもなかった。

今の時間のんびり過ごした分、

今後、誰かのためにという気持ちで働くための動力源に変えていければいい。

そのためにも今できることをやろう。

あれほど苦労していた英文献の講読が、それほど苦にならなくなったことも

大きいかもしれない。

文献が読めると、知識も広がり、やりたいことが増えていく。

もっともっとと欲も出てきて、開き直り最近ではまだ勉強したいなと思うこともある。

そして何よりも

学部時代から世話になっている担当教授存在は大きい。

いつも冗談ばかりを言っているその姿から学部時代想像することもできなかったが

今日もまた、何やら訳のわからない翻訳をしてきた私の発表に

呆れ顔を浮かべながらも

ちょちょいと頭の中で辞書を広げるように、色々な助言を次から次へと加えていく恩師の姿を見て

世の中には本当に、恐ろしいくらい頭の良い人間がいるものなんだな、と思いつつ

あと十年二十年、学び続けることができたのなら

私もいつか

こんな風に楽しそうに、学びを得ることもできるようになるのかしら、と夢を見つつ

gmailに届いたマイナビ2016の企業メッセージ報告をクリックする今日この頃

  • なんで自分と教授の語学力比べてんだよw 費やした年数がダイレクトに響いてくるようなもので張り合おうとするなw ちょちょいと頭の中で辞書を広げるように、色々な助言を次から...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん