2015-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20151020095144

なんとなくこの増田を見てて思い出したというだけで直接的には関係ないんだけれども。

だいぶ前にテレビドキュメンタリー番組でどこかの辞書を作る人々を取りあげていたのを見た。名前は忘れたけどそれなりに信頼のある系の辞書の。

新人四苦八苦したり、ベテランが街を徘徊して言葉の新しい用例を発掘したりとかする姿を紹介してるんだけどその中でいくつか気になるシーンがあった。

(ちゃんと覚えていないので適当な例になるが)

先輩「『エッジ』の意味はなんだ?」

新人「端っこ、先端、とかでしょうか…」

先輩「本当にそれでいいのか考えてみろ」

新人さんはいろんな人に話を聞いたり、世間でエッジが効いていると言われるジャズを聴いてみたりして「エッジ」という語に対する説明を完成させていったわけです。めでたしめでたし

このエピソードからわかるのは、辞書に書かれている説明というのは語の由来や正しい用法とかそういうのを無視して、現状使われている用例やニュアンスを集めたモノってことになるじゃないですか。(もちろん収録されているすべての語がそうだとは思っていない)

言葉は生き物なので変化します」とか言う議論文脈でも、変化する現代語と対比される形で本来意味確認するという目的で「辞書にはこのように書かれているが」と引用されることも多いけれど、辞書記述内容がこのようにあやふやで不確か(逆に言えば柔軟で現状に即した)ものになっているのならば、「時代には合っていないかもしれないが正当な形としては」の参照先として辞書を使うことはできないなあと感じた次第です。

私の中で辞書権威wikipediaと同じぐらいのものになった瞬間でした。

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