はてなキーワード: 自尊心とは
二次創作をしている。
今のジャンルに4年いる。
とにかくなぜかわからないけど誰もかれもが、何もかもが嫌で、悲しくて、辛くて、でもそれがなぜなのかわからなかった。
自分の問題だと思って、自尊心が低いとか、自愛ができてないとか、いろんなことを調べたり試したり本を読んだりした。
それでも原因が解決しない。
それでも、何がこんなに苦しいのかわからない。
基本的にずっと苦しい。
このくらいいっか、とか、この程度まあ我慢しようみたいなことが全部できなくなった。
だからジャンル者の些細なツイートや自分よりも評価される作品なんかが気に障って仕方がなかった。
描きたいものがたくさんあるのに、何もかもが嫌になって何もできなくなった。
ペンタブを持つと涙ダラダラあふれる。
描きたいものを思い浮かべるとめまいがして、めちゃくちゃに悲しくなって泣いてしまう。
起き上がることができないほど無気力になった。
だから当然twitterなんかには目を通せなくなって、強制的にジャンルから離れることになった。
変わったね、どうしたのって他ジャンルの友達からすごく言われる。
言ってることがまるで有害みたいじゃんっていう冗談で泣いてしまう。
どうして。なんで。わからない。つらい。元に戻りたい。
答えが出ないことはつらい。
原因がわかればまだ納得がいく。
これのせいなのか、ってわからないことはすごく怖い。
前のジャンルは最悪だった。
とても大切な友達ができたこと以外、主に人間関係が最悪だった。過激な人が多かったからだ。
最悪な人間関係の中でさらに色々最悪なことがあって(パクリとかトレスとかそういうの)へこたれてるときに今のジャンルの原作に出会って本当に救われた。
今は最悪なことが起きてないのにつらくてつらくてたまらない。
なんでなんだろう。
こんなになるまで辛いってどうしてなんだろう。
なんとなく、前のジャンルと今のジャンルで感じた自分の気持ちを比べてみた。
考え始めて数分で答えが出る。
答えは簡単だった。
今のジャンルには話が合う人が一人もいない。
対立とか、学級会とか、晒しとか、パクリとかトレスとか、なんていうか、とりたてて大きな問題がないから、全くわかってなかった。
前のジャンルはそうではなかった。
そもそも人が結構多かったので、共感できるツイートや楽しいことやうれしいことがたくさんあったのだ。
不快よりも快が多かったんだ。
描き手に好きな人はひとりもいない。
厳密に言うとたったひとり好きだった人がジャンルを代わってしまった。
好きじゃない描き手の描いているものに愛想笑いすることしかできない。
全然受け入れてもらえない。でもそれでよかった。ジャンルが好きだから。そしていい人が多かった。だから平気だった。
でも尊敬とか共感とか安心とか嬉しい、楽しい、すごい、そういうプラスの感情が、好きな人の本をのぞいて、快が一切なかった。
でも今みたいになったりしなかった。
そのころも、不快より快が勝っていた。
ずっと自分に原因がある、変わらなきゃと思っていた。
状況を打破するぞとジャンル内でたくさんの人に会っていた。
ジャンル柄なのかわからないけど、でも多分そうだと思う、何を話しかけても、誰もtwitterのようにはしゃべらない。
会社の人と話すようにしても全く会話にならない。
これまで周りが大丈夫にしてくれてただけで、自分はコミュ障だったのかなと焦った。
でもそれも友達たちや会社の人たちがすごくやさしくしてくれてるからなのかもしれない。
もしかして相手のテンポを無視してるのかな、話しづらい話題かな、それを友人や知り合いには許されているのかな、気をつけないといけないといけないといつも胃が痛かった。
というより全員から嫌われてるのかもしれない。
でもそんなことはなさそうで、誘ったら会ってくれる。Twitterで話してくれる。会うたび絶望する。何のために会ってるのかよくわからない。
人間関係、twitterでの立ち回りの仕方、これまで大丈夫だったことが全部通用しない。
全部自分のせいだと思っていた。
全部全部全部、自分のせいだと思っていた。
このジャンルの人たちと、すべてが合わないだけだったんだ。
安心してドクドク泣いた。
一応断っておくと、筆者には寝取られ属性は有るはずだ。セックス上手いからあんたと別れる的なエロ同人は結構大好きだ。魔法少女をモチーフにしたエロゲーやエロ同人で、セックスが気持ちよかったから悪堕ちして、それまでの味方を裏切ったり平気で悪事を働くようになる展開とか大好物だ。艦隊これくしょんの雷やドラクエ11のベロニカにバブみを感じておぎゃりたくなるくらいには健全な変態だ。
だが、この作品は巻が進むごとに愚息が反応しなくなっていった。4巻や5巻は読み進めることが苦痛のレベルだった。
なにがつらいって、ヒロインの行動が悪質なDV加害者にしか見えない。4巻5巻で主人公の自尊心を徹底的に破壊する言動(セックスが下手、チンコが小さいというエロ漫画的にありふれたレベルの話だけでなく、間男がヒロインとセックスするためのコンドームを装着させるりダッチワイフを使わせヤリサーの仲間と徹底的に笑い物にすると言う、えげつないものがまでふくまれる)をしておきながら、貴方のことは愛していると主人公に言う下りは、お手本のようなDV加害者によるマインドコントロールの流れだ。第1巻のラストを見るに、この悪質なマインドコントロールは意図的にやっている可能性が高い。
このまま、主人公がヒロインに「調教」されて「Mに目覚める」って言うのは、恋人によるDVで被害者の精神が徹底的に破壊された現象に他ならない。当然、自分の意志での逃亡はもちろん、万一職場を追われていた場合は再就職などの社会復帰もPTSDや鬱病のために困難になっている可能性が高い。
あまりに深刻すぎて、オナニーで気軽に消費できる次元を遙かに越えている。個人的にはM趣味と自尊心の破壊は別物だと思う。
と、否定的な言葉を書いておいて言うのも何だが、実はこの作品を結構楽しんでいる。
エロ漫画と言うよりは、交際相手が突然DV加害者に変貌した際の男の反応を描くサスペンスとして。
どうか主人公には、ヒロインから逃げ出して無事に新たな人生を送ってほしい。過去はとにかく、今のその女は悪質なDV加害者だ。
幸せになれなくても良い。
ただ、主人公に最悪の結末だけは訪れないでほしい。
じゃねえよボケ。
たしかにね、自分で気づくことの学びに与える影響は大きいよね。定着も全然違うよね。気づけたら達成感も大きいよね、うんうん。気づけたら、ね。
でもね、どうにも着手できないことを自分で考えてもね、何の意味もないんだよ。時間と自尊心を失っていくだけなんだよ。
切れるカードがないのに自分でアプローチの仕方に気付いて解をひねり出せる人をね、人は天才と呼ぶんだよ。
わかるかな?
そして悲しいかな、私は一握りの天才じゃないんだよね。仮に頭が回って要領がよかったとしても、無から有を生み出すタイプではないんだよね。
職人的な目で盗めならね、すこしはとっつけるんだけどね、学び取る背中も見せてくれないとね、率直に言って毎秒キレそうになるんだよね。
まだ足りない、だけ言われても根幹の自信も何もなくなってしまってるからね、たとえアウトプットの一部に光る要素があったとしても、全部ダメに見えちゃうんだよね。
私が悪い部分はかなり、それはかなり大きいんだけどね、この点に関してはあなたも大概なんだよね。
いい加減頭にきたと思って、何度、叩きつけるようにキーボードを打ち鳴らしてメールを書いたかわからないし、そして同じ数だけその文章を消したかわからないけど、行き着く先にしあわせな未来が待ってるといいよね。
ついこの間、ツイッターで「海外にいるのにネトウヨになってしまう人間って何が起こっているんだろう」という意見を見た。気持ちはわかる。ツイッターで海外情報を発信する様な人って、海外のリベラルな雰囲気が好きな人が多いし、多くは海外在住だ。そうした人の周りに集まるのはやはり似たような思想の人。「海外に行きさえすれば、差別発言に敏感になる」と思う様になるのも無理もない。
自分も海外に約7年住んでいた。外国人のみならず、海外在住の日本人も人種差別に断固反対、ネトウヨなんてもってのほかという人が多い。日本在住の日本人がなんの気もなしにポロリと漏らす一言が海外なら顔をしかめられる程の差別発言だったりする事があるのも身に染みているし、同じ日本人としてちょっと恥ずかしいと思う事もある。
ただ、そんな私も昔ネトウヨになりかけていた。今では恥ずかしい黒歴史だが、11歳の時に親の都合で某欧米諸国に移住、高校卒業まで欧米で育った自分がネトウヨになりかけた過程を、何かの為になるかもしれないのでここにつづる。
こうした思想に染まりかけた理由としてまず第一に挙げられるのが日本へのホームシック。
社会人、日系企業勤めでの海外転勤なら、周囲の人間も日本人が多い。お金を出して日本食レストラン(メニューは日本語と現地語併記、店員も簡単な日本語ならわかるし、日本人の扱いになれている)に行ったり、日本式カラオケにも遊びに行けるし、そこまでホームシックは強くならないかもしれない。
ただ10代の学生という身で望んでもいないのに海外へ来させられた自分にはそんな事は許されなかった。親も早く英語を覚えてほしい一心で「あまり日本人とつるむな」と言いつけ、日本人の店員がいるレストランや店には一切連れて行ってもらえなかった。日本語に触れると英語を覚えないという理由で、日本で小遣いを貯めて集めた日本語の小説本も目の前で捨てられた。しかし英語も喋れない自分に外国人の友達ができる訳もない。一度だけ現地の日本人と仲良くなりかけた事もあったが、先生が母に「最近増田さんにお友達ができた様でよかったです。○○ちゃん(日本人)っていうんですけど」と、先生的には「ようやく友達ができてよかったね!」という善意の報告をしてくれた際、親はそれを「裏で日本語を喋っているという密告」と取らえ「あんた日本人と友達になってるんだって!日本語で喋っているのか!」とこっぴどく叱られてしまった。それからは日本人からも距離を置くように。英語のコミュニケーションも全く取れない上に、「助けようと日本語で話しかけてみたが反応が薄い」という事で数少ない日本人の学生からも遠巻きにされる様になり、どんどんクラス内で孤立していった。
そんな中、唯一の息抜きと言っていいのがインターネットだった。当時はまだダイヤル回線でスピードも遅かったが、学校の課題で必要という事で使用を許され、かつ父が仕事で日本語を使用する事もあり日本語の読み込み・書き込みができる父のお古のPCを手に入れた。遠目に見れば何語のホームページを読んでいるかはばれず、これが唯一「家族に秘密で日本語と触れられる媒体」だった。
元々アニメが好きだったし、海外に出た事で日本のアニメがいかに評価されているかというのかを肌に感じるように。自分が作ったわけでもないが「日本のアニメはすごいね!」と褒められるとやはり嬉しくなるし、海外オタクが何人か話しかけてくれた。つたない英語しか喋れない自分が外国人オタクと対等に喋るには向こうが知らなさそうなネタを仕入れなくてはいけない。それには日本語で検索した方がより精度の高い情報をゲットできるだろう。2ch(現5ch)に出会うのは時間の問題だった。
ここまで書いてきてわかると思うが自分は内向的な性格をしている。外で遊ぶより家で一人で本を読んだりお絵かきしたりしている方が楽しいタイプ。日本ではそれでもかろうじて友人はできたものの、言語の問題もあり、海外では全くできない。日本で友達がいたという事は性格の問題ではないはず。じゃあ何が問題なんだ?→周りの環境だ。と考えを飛躍させてしまった。
今となっては自分が周りと馴染もうとしていなかったのが要因だとわかる。外国人との話題だって自分がわかる日本のアニメの事ばかり。彼女達が勧めてくれたアメコミやカートゥーンを下に見て、日本のアニメを英語吹き替えで観る外国人オタクの事も内心馬鹿にしていた。口にこそ出さなかったものの、周りにもその空気は伝わったのだろう。日本アニメばかり放送している国内ではそうした見下す雰囲気もバレずにオタク友達はできたかもしれないが、海外では無理な話だ。せっかくできた外国人のオタク友達もだんだんと私と距離を置くようになっていき、私はそんな友達を「日本アニメのネタを知っている自分に嫉妬しているに違いない」と恨むようになった。
そしてこの思考は「ニッポンスゴイ!」と称賛する2chととても相性がいい。
自分に友達ができないのは外国人が悪い。日本の文化は世界一なので日本人である自分が悪いはずがない。
クラスで孤立していた自分はこの2chの「ニッポンスゴイ」に自尊心を擽られ、ネトウヨ的思想に少しずつ染まっていった。
脱却したきっかけ
上記に色々書いたものの今はネトウヨはやっていない。というよりあのミソジニーや人種差別発言に嫌気がさして距離を置くようになった。親に反抗して日本人の友達を作ったこと、自分の性格を見直し外国人の友達もできた事、成績を上げて「日本人である事」以外に自尊心を保てる様になった事も大きい。
自分のネトウヨ的思想を見直すようになったきっかけは2ch特有の人種差別発言だった。海外にある程度滞在をした人なら多分わかってもらえると思うが、自分が外国人というマイノリティになった時に、手を差し伸べてくれるのは大抵同じアジア人だ。そんで留学してる日本人学生なんかも最初に仲が良くなる外国人は圧倒的に中国人・韓国人が多い。もちろん中には悪い奴もいるが、それは日本人も同じ。
自分も漏れず、初めてできた外国人の友達は韓国出身の女の子だった。生活環境が近く(主食が米だとか、鬼ごっことかの遊びのルールの細かい決め事とか、好きなアイドルとか)アニメ以外に共通の話題があり、海外で初めて「アニメに頼らずに」できた友達だった。この子とは2chに出会う少し前あたりから仲良くなり始めたので、初めて2chでの人種差別発言を見た時も中国人・韓国人に関しての流説は最初から懐疑的になれたのは大きかったし、完全に洗脳されずに済んだのは彼女のおかげだと思う。
そしてそれ以外に自分が腐女子だという事。ご存知の通り(ていうかついこの前も話題に上ったけど)基本的に女というのは2chで馬鹿にされる。801板や喪女板等の限定された場所以外で女を出せば「臭い」と罵られ、飯炊き女、ダッチワイフ以上の価値は認められない。違和感を覚えながらも最初は男のふりや名誉男性的発言で書き込んでいた。この違和感が確信に変わったのが「男の体ってなんの価値もないよな」的なスレで「腐女子とかゲイとか専門にやっていけば」という書き込みをした時だった。(一緒に並べてしまってゲイの方に本当に申し訳ないです。謝ります)。臭い、お前の話す戯言には何の価値もない、早くおぱいうpしろ等の罵詈雑言を浴びながら、今の今まで女として直接自分の書き込みを攻撃された事がなかく「こいつら女を馬鹿にしている割には直接女っぽい(この場合は腐女子として自分の意見を書き込む様な)レスをしない限りどの書き込みが女の書き込みなんだかわからない程度の頭脳しかないんじゃないか」と気づいた。
ちょうどその頃からピクシブやツイッター等、2ch以外のSNSも活発になり始め、日本語でコミュニケーションが取れるコミュニティも増えていった事から2chから離れる決心がついた。
学校で孤立していたからインターネットに居場所を求めた。これは別に日本海外関係ないと思う。海外で孤立しかけていたのは母親に日本人とつるむなと言われたのが要因の一つと認識はしているが、ずっと日本にいてもそれ以外の理由で孤立していたかもしれない。自分はあまり社交的な性格ではないので、親の事がなくとも運が悪かったらいじめられていただろう。
でもそれ以外の理由。例えばインターネットの普及がもう少し早くて、韓国人の友人ができる前に個人PCを与えてもらっていたら。先に2chと出会っていたら完全に洗脳されてしまっていたかもしれない。
自分が海外に出て友達ができない理由を「外に」向けていた事の問題を認識できなかったら。実際私はそうしたからこそ、その思想と親和性の高いニッポンスゴイ、ガイコククソ思想に陥りかけた。
これって私の様に幼少期から海外に出た人以外にも、今の世代の人間なら十分にこの危険性はあると思う。今の様にネットが発達して外国人の知り合いができる前にネトウヨ的スレやツイッタラーに共感する様になっていたら、その後海外に行っても友達はできないだろう。よくて日本人の友達のみ、アジア人からはそっぽを向かれるし、レイシストという事で非アジア人からは軽蔑される。それを顧みないでいると「だから外国は駄目なんだ!ニッポンスゴイ!」とさらにネトウヨ的思想に巻き込まれる悪循環に陥りやすい。
それ以外にも日本で一所懸命英語を勉強して留学をしていたのに、全然英語が通じず友達ができなかったら。ホームシックに強くかかってしまって、日本語のコミュニティを探し、そうしたネトウヨ的思想を持つところに入ってしまったら。
例えば自分が男だったら。マジョリティとして2chの民が認める生き物は「日本人の異性愛者の男(パリピは不可)、ヤマジュンネタをニコニコ笑って許してくれるゲイ(ただし自分には絶対に危害を加えない)、ダッチワイフ」という事に気づくのが遅れて、あるいは気づかないふりをする事ができて、深みにはまっていったかもしれない。
例えば同時期に海外へ住した来た女性のコミュ力が高く、自分より馴染んでいるように見えていたら。そして自分が男だったら。女性蔑視に陥ってネトウヨの方に転がり落ちるかもしれない。私は女という性別だからこそ、自分より海外に馴染んでいる日本人の女友達に対して「彼女はコミュ力を高める努力をしたから」「英語の勉強を頑張っているから」と思えたが、自分が男だったらそこらへんすっぽかしてたかもしれない。ていうか多分そうしてたと思う。
海外に行けばリベラルな思想になるというのはある意味では間違いではないと思う。結局出会う日本人のリベラル率、海外の方が断然に高い。そうした人が海外に出ていくわけだし、海外が受け入れる人材もそうした日本人だ。今は自分の経歴を生かして留学生なんかを支援する活動をしているんだけど、1年以上の留学を経て帰国した人たちはやっぱりずっと日本で育ってきた人に比べて差別発言に敏感になっているし、自分もできるだけそうした言動をしない様に気を付けている。
でもだからと言って海外に行けば自動的にそうなる訳ではない。必ず数人はネトウヨになりかけて、或いはなって帰国する。自分が2chに入り浸っていた事、ネトウヨに染まりかけていた事、今ではあまりにも恥ずかしくてリアルでは言えない過去。幸いにも脱却できたが、こうした事が「自分が海外にいた」事も要因だったのも事実だ。
堀北真希は美人で、若くして二児の母になれるのが羨ましいなあと思う。お金があれば子供は二人でも三人でも作れる。
しかし、きょうだいを作ったとしても必ずしも仲がいいということははく、きょうだいがいることで嫉妬や格差が生まれて家族間でギスギスしてしまうかもしれない。
堀ちえみのように仲のよい家庭が作れればいいけれど。
私は既婚者で、今は妊婦であるが、この出産を最初で最後のお産にしたいと思っている。
私にはきょうだいがいるが仲が悪い。今は成人した大人であるのできょうだいで普通に会話するが、自分のきょうだいのことは今でも嫌いである。きっと私のきょうだいも私のことを嫌っている。というかライバル視している。詳細は書けないが、娘から見ると絶対に親のきょうだいの教育の仕方が悪かったと思う。どうして、きょうだいが仲良く育つように教育してくれなかったんだろう。この影響で私は自分がきょうだい児を育てることに良いイメージがない。世の中には仲が良い素晴らしいきょうだいたちがたくさんいるけれど。
きょうだいを健やかに、誠実に育てるって実はものすごく大変で、気も使うし、教育費だって、もちろん子供が増えるたび増えていく。
私は住宅ローンをしっかり払っていきたいし、老後の資金もしっかり貯めていきたいし、子供には奨学金を借りさせずに進学させたい。そう思うと一人っ子がいいなあと思う。
堀北真希や佐々木希やお金もあって、美貌もあって、きょうだいを産む余裕がある家庭は羨ましいな。
お母さんが若くてものすごい美人というだけで子供の自尊心が強くなりそう。私の親戚に親が医者のいとこがいるが、「私のパパはお医者さんなの」と幼いときに自慢していたらしい。親の職業や容姿も子供の心に大きく影響する。
それにしても、堀北真希は本当に羨ましいなぁ。金髪もよく似合っているし夫婦仲もいいし、スクープされたマタニティ姿もマスクをしていても幸せ感がいっぱい。女優時代も好きでした。
私も早くママになりたいな。そして、幸せな家庭を築く。私は堀北真希にも、佐々木希にもなれないけれど、私が好きになれる私でありたい。
性自認と身体&戸籍の性別が異なり、かつ性自認と逆の性別を恋愛対象と認識するトランスジェンダーです。
しかし、必ずしもこのような説明がすべての人にとって腑に落ちるわけではないので、
相手の理解に応じて、非性別違和の同性愛者である、といった認識をしてもらうことを落としどころにすることも多々あります。
自分が何を好きだか、を誤解されるのは面倒ごとが増えるので、そのあたりは説明しますが、
自分という総合的な存在を、他の人がどう認識するかをあまり重視していないので、そのあたりは柔軟にケースバイケースに対応している感じです。
なので、時と場合によって自分は男性だったり女性だったりするので、個人的な経験則による体感としては、性別って割と適当にいったり来たりしてても案外問題は起きないんだなあ、という実感があります。
何で今の所これに落ち着いているかと言えば、これが自尊心を失わず、かつ、社会から異物扱いされて不利益を被らないギリギリのラインだからという感じですね。
ジェンダー規範がかっちりしているところにお邪魔する時は、それなりに(折り合いが付く範囲で)あわせつつ、
基本的には自分の認識するジェンダーで過ごしている感じになります。
まあいろいろな人がいるとは思いますが、そういう人間もいますということで、一例としまして。
追記として、個人的なライフハックとして、(バーチャルの世界ではなく、リアルの世界のほうで)一日ぐらい逆の性別や異なる性志向の人間という設定で生きてみるみたいなのをみんなやってみたら面白いかもしれませんね。案外誰も気にしてないのがわかるかと思います。
(ここでいうのは女装して女子トイレにはいるとかそういう話ではなく、性別違和の人間のロールプレイをしてみるということです。)
そういうのを気にしすぎて自由に動けないことがある
依怙贔屓できたほうが色々楽なのに、どうしても客観的な正しさを重視してしまう
すごく生きづらい
自由に理不尽なふるまいができたほうが楽だと思うけど、そうやってるやつが嫌いだから、自尊心のために自由にできない
変な話だ
全員にお菓子をあげることができない場合、場の幸福総量としては3つのお菓子をあげたほうがいいのに
例えばそんな感じ
別に信念があって正しいわけではなく、不器用で融通がきかないんだ
こういう人はそこそこ居ると思う
正しく行動しなければならないという強迫観念が、更に行動を制限する
今までどおりやろうとしても、チラチラと頭で裁判官が騒いでいる
そうしている内に色んな人に追い越され、取り残されていく
わかってるけど動けない
まあ最近はもう諦めてるけど
男のちんぽは何歳になってもいつでも立つもんだと思われても困る。
男にとって、さぁ挿入と言う時に立たないのはほんと自尊心傷つくの。
かと言って、それを素直に相手に言えないしね。
言えばどうして?どうして?って言われるのわかってるし、そんなんおれが教えてほしいわって気分だから。
頭の悪い人、IQが低い人ってのは
物事を極端に考えている。
例えば韓国が嫌いって言ってる人
それは韓国政府と日本政府の問題であって韓国人自体に良い悪いもない
例えば老人が悪い 若い人はヌルいとすぐに決めつけてまとめてしまう。
すぐに他人を見下すやつ、
つまり大した奴じゃない
努力や困難に立ち向かっていないから、そういう人の気持ちが理解できない。
本当に能力がある人は
怠惰の表れ。
https://telling.asahi.com/article/12206563
最近ある女性に持つ好感が恋心に変わった瞬間から避けられてる感を覚え、やはり私は恋愛対象じゃないんだなとしょげて5日凹んだ。
こないだの野郎に奢られにいってラッキーみたいな下心に無防備な妻についての日記とか見かけてもしょげたりした。
冒頭のあの記事見てとどめ刺された感じにしょげた。行動に責任を持ちたくない女性と決断に責任を持たない男。ブコメ。なるほど。僕は無責任。変わんなきゃね。
好きな人、好きを分かち合って浮気してった人から「あなたは優しすぎた」と言われる。優しさは方便。本音は性的な魅力の無さ。過去一線を越えるは傷ついた人、都合よく扱う人。経験の浅い人、自尊心の低い人。立ち直って、あるいは満足して、去っていく。まぁそんな悲観も自己中な被害妄想だけど。
まともな人が屑を好きになる様を見ることほど世の中を憎ましく感じる瞬間はない。紳士が魔性の女に誑かされるのと同じなんかではない、紳士は淑女が好きだ。淑女が屑を好きになるのが許せないんだ。いい男が駄目な女を好きになっていい女を嫌いになるか?僕もこんな屑なんだから屑になれたらよかった。
結局は回りくどい強引さ、一般に理解され難いこだわりがあり、それが相手を消耗させる。
本当は理解されたい、認められたい、魅力を感じてもらいたい。でも世の中はそんな風にはできていない。
理解者に出会えてないだけーみたいなセリフを言うなら、その出会いを掴みとれない僕はやはり選択を誤っている。結婚したいのはあなたみたいな性格〜みたいなこと言われて、残念ながらこんなズタボロに消費されてもうそんなままでいられないから、どっちにも転べず、魅力のない糞になってしまった。
根はどうせ変わらん。雑に扱ってみて成功などしても余計世の中に絶望するだけなのは目に見えてるが、このままでも朽ち死に行くのみ。回りくどさを反省して、強引さを何度か試して、失敗しつつも学んでいき、女性がキュンとくる糞みたいな乱暴さを偽りの皮から被って、そのうち本性から屑になるんだ……。
言葉にするもんじゃないだろうが、論理的にはそうなんだろなと。魅力なるものを多少は獲得していきたい。どうせ好きな人のことを大事にしないなんてことできない。乱暴さを身につけながら大事にすることが望まれる。多少はね。だから屑になっていることに無自覚になる必要がある。
自尊心がズタボロなんだけど、それでも美人さん(浮気性の人)や美人さん(屑彼氏と最近別れた若い子)に声かけてもらえたりしてるのは嬉しい、けど、根っこから僕のことは性的消費でしかないんだなと伝わるので、なんか余計に落ち込むんだよね。高学歴やら名誉ある職種やらを褒められても、そりゃそういうの鼻にかけたい欲がある非モテだけど、褒める人はステータス好きな人だけだし、そういう人は僕のことは好きじゃないのわかるし、中身がこれなのわかってるから余計虚しくなるので最近は隠す。上手く使えないねそういうの。好きな人からの好きがほしいただの欲望、恋に餓えた。仕事場の人間関係も芳しくなく、落ち込んだ。5日凹んだ。
28にもなり、齢とともに獲得される落ち着きや自信のある態度は、優しさとは違う。僕の信じた優しさは建前でしか認められず根っこを否定されてるんだろう、だからこの歳になってもこんななんだ。齢とともに得られたブキを丁寧に磨きながら、魅力的な振る舞いを得ていこう。
何歳になってもアップデートできる人間になるっていうこだわりがあるものの、齢とともにやっぱふがふがしてくるね。親見てるとアプデできるタイプではないかもだが、まぁでも、頑張ろ。
チラ裏に投稿して整理できて満足し、うじうじしたって気は引けないし、立ち直り、今日も「きたくっくー🐔」だとか「文鳥は世界(,,◜ ω◝,,)」とか当たり障りのないツイートしてぶんちよの癒し画像やら上手く撮れた空の写真やらあげながら柔らかい姿に戻る。はぁ〜〜遺伝子ミスった。かあちゃんごめん。
中学高校でよくある、生まれつきの茶髪or天パです、って親に説明させるやつな。
「日本人なら髪の毛は黒くて直毛のはずだ」っていう単なる思い込みレベルの偏見が根拠で、「そうじゃないやつは何かしているに違いない」っていう偏見を隠そうともせず、「パーマや毛染めは不良だ、風紀が乱れる!」って80年代のヤンキードラマ見過ぎの馬鹿どもが未だにしがみついてる前世紀の遺物。
もう今時完全にアウト。
もしいま北米で同じ校則つくったら訴訟になるだろうし、大騒ぎになって校長が謝罪会見しかねないレベル。
・日本人でも完全な直毛はさほど多くはない。うねっている人の方がはるかに多く、うねらないようにみんな手間暇かけてまっすぐにしている。こんなもん美容業界なら常識。
・くせ毛がストパをあてるのはよくて、直毛がパーマをあてるのはダメ?それで何が損なわれるのか合理的な説明できるのか?
・身なりに気を使って自尊心を育むことも大切。学業に悪影響を及ぼすレベルで過度に華美な場合のみ注意すればよく、画一的な外見を強要することはむしろ人権侵害では?
皮肉屋だった。いつも他人の悪口を言ってお酒に酔って笑っていた。
けれどそこそこの学歴があり今も正社員で自分自身を食わせていけているので、
本もたくさん読んでいるので賢いだろうと傲慢だった
それが間違いだったんだと思う
本当に用事ができたのかもしれないし、そうでないかもしれない。
わからないが、とにかくそういうことだと納得してとりあえず電話を切って寝た。
ぶわーっとよみがえってきて自分がものすごくつまらない人間に思えた
他人がバカに思えていたけど、結局最も馬鹿なのは自分だったんだなと思った
どうでもいい話を延々してくる奴が憎くて憎くてたまらなかった
ずっと話を聞いて疲れていた
そういうことを繰り返していたら、自分自身が語ることをも嫌悪していた
「夫に恵まれなかった」と
「近所の人がこんなことを言った」と
「あなたは頭がおかしいから社会ではやっていけないので学歴をつけろ」と
いろんなことをこぼした
それをやれば好かれると思い
心の中は嫉妬と見下しと自己嫌悪と自尊心がぐちゃぐちゃになったゴミで
私の精神は壊れていった
私の価値がないと感じるようになった
私は30歳になった
色々あって私は他人のことが嫌いになった
そして他人も私のことが嫌いになった
WinWinになったね、と思う(皮肉だよ)
自分を変えたい、と思う
話し方や癖は変えられても、
人格は変えられない
長期的に友達とうまくやっていくのが難しい
どうしたらいいのか教えてほしい
それを書いた人は男性に書かないなら女性も書かなくていい、というような事を書いてた。
いやそれも違うんじゃないのって思った。
男性でもキャラクターを表す上で容姿が描写される事自体はあると思う。
でも女性脚本による恋愛映画なんかでの相手役の描写には間違いなくあるはず、というかセリフにバンバン出て来る。
ハンサムだと表される役の俳優さんはまさにそう演じているように見えるし、そういう作品の女性監督女性脚本コメンタリなんか大体ずっとハンサムハンサム言ってる。
キャラクターの容姿の詳細自体は性別関係なくあるものだろうしプロットに関わるなら余計にそう。
だから問題は脚本にそういう見た目の描写がある事じゃなくて何でそれが女性に偏りがあるかって事だと思う。
創作する上で登場させるキャラクターに理想を反映させるのは珍しい事でもないし、その中で外見の描写が入る事はある意味当然の事でもある。
だから女性の容姿を讃えるような描写が多くなってるのは単純に数の偏りって面があるんじゃないかなと思う。
でもこれはたぶんそういう話ではないとは思うけど。
脚本で容姿を描写する目的のひとつに書いた人間が持つキャラクターイメージの伝達がある。
これはキャラクターを創作、脚色する上での要素だからそれ自体は問題ではない。
美しさを描く事に罪はないし、美しいとするキャラクターを作る事にも問題はない。
外見情報によって社会的にそのキャラクターがどのような立場、印象にあるかを客観的に示す要素。
問題はこっちにあると思う。
これも社会一般の印象を引用するに過ぎないわけだからそれ自体が問題ってわけではない。
それが性別で偏りがあって女性の描写で必要とされる事が多いなら、それは男性以上に女性の容姿が共通認識として印象への判断材料のひとつになっている、またそれだけ女性の容姿にステレオタイプ的な印象が紐付けされている、という事になる。
男性より女性の方が容姿の美醜が社会的立場や内面や性格を表す要素として一般的に認識されている、そういう話。
脚本という性質上イメージを伝えるためにステレオタイプな共通イメージを用いた伝え方をするのは、あくまで方法論としては仕方ない部分もあり、それは責め切れない面もある。
だけど恐らくツイートで訳されていた女優さんたちの口ぶりからは、そういう脚本家側の引用する共通認識が彼女達の考える、今意識として持つべきとされる認識が許容する範囲を越え、既に共通イメージとしては過去のものとすべきところから引っ張られたもので、そういうところに辟易しているのだとそう感じた。
だから男性を書かないなら書かなくていい、は、ある意味思考停止的な発想だな、と思った。
書いてる事が問題なんじゃなくそう書く事で伝わる共通認識があるとする、そこに問題意識を持たない事に平然としてそれを書く、その感覚が問題なんだから。
それは今後女性脚本家が増えて理想像を反映した男性の容姿の描写が増えても解決するものじゃない。
美しさの描写といっても同じように男性脚本家の理想を表した女性像の描写も、個人的な範疇のものはそこに自由はあるべきで批判すべきものでもないし、キャラクターの主観としての描写も安易に非難すべきものじゃないし。
考えるべきはその価値観が社会のどこからどういう体で引用されたものかって部分なんだと思う。
でも見てる近辺でたくさんRTされてて何も言えずに誰も見てないような増田で書くのだ。
気がちいせえ。
あとついでに言うと容姿を美点とする場合に知性や能力、性格と比較して容姿で表される事自体を問題視する人もいるけど個人的に正直それこそ問題だなと思う。
書いたみたいな容姿偏重が問題なのは分かるけど、それなら必要なのはその容姿の地位まで知性等の要素を持ち上げる事で、バランス取るために容姿を落として相対的にやるのは結局今まで知性で苦汁舐めてた感覚を容姿を持ってる女性に味わわせる事になってて、それって知性を持つ女性を掬い上げるために容姿を持つ事の価値を低く見積もり直すって事だからどうなのって思う。
突出した美しさと突出した知性はどちらも自立して価値が同じようにあるべきものなのに、今は美しさそれ単体では魅力として、特に女性の意識として認められなくなって来てる部分はあると思う。
だからこそ美しさだけで女性を表す事が問題視されるんだとも思う。
魅力ある人間とされるものを表するに足りない要素だけで、その相手を表現する事になるから。
悪意は無くても、あなたはそれしか持っていない、となってしまう。
同時に男性からは根強く美しさは魅力として捉えられる部分も大きいから、女性が知性を自立した魅力だと捉えていてもそれ以上に求められるという面もある。
その齟齬でまた女性側に容姿が持つ価値への否定的感情が増してまた男性との価値観の差異が酷くなって、となった結果また容姿の価値を低く見積もってそれを世に提示して、更にまた容姿を褒められる事への価値を低く捉えるようになってって女性の自尊心には悪循環に思える。
だからそれを止めるために男性が美しさって要素へ持つ価値基準を否定して齟齬を埋めようってなってるんだけど。
やっぱりそれも男性が高く認める美しさって要素の価値を下げさせる事によって、それ程には正しく評価されてないとされる他の面との差を縮めようというやり方で、それは魅力としての美しさっていう本来多くの魅力がそこにあるべき正しく高い位置に置かれていたそれさえその価値を失わせる結果になる、というかなってるわけで、やっぱり良いやり方とは言えないんじゃないかな、と思う。
本当は美しさもそれだけで100%魅力だし知性も性格も100%の魅力なのになって思う。
絶対値があんま変わらない相対的な差の埋め方って何にしてもよくないよほんと。
美しい事の価値を据え置かないで下げてバランスとるの求める人多くて内心悪手でしかないってほんと思ってる。
思ってるけど匿名でもないと言えないのだった。
そして溜飲を下げるのだ。
気がちいせえのだった。
よくないわ。
どうも、30代に突入したばかりの独身女です。おばさんとは書けなかった。まだ自尊心が抜け切れていない。ごめん。
私も独身で気楽な生活していて、昔から大した苦労もしていないせいか、たまに「若く見えるね」と言われる。
でもわかってるの。
それは「見た目が若くてはつらつとしていてエネルギーにあふれてる感じだね。」じゃないの。
それは「年相応ではなく、幼く見えるね。」っていう意味なんだよね。
こういうこと言うと叩かれるのを見てきているので気が引けるが、比較的童顔と言われてきている。が、多分ネットで叩かれてる年齢不詳系の顔と雰囲気のせいだと思う。肌はまだしわとかはないけど年相応だと思う。
昔からお風呂上がりに洗い流さないトリートメント塗るくらいで、整髪料を使う習慣が無い。
私は元増田と違って夜風呂で生きてきているし、貧乏なので一回6480円の美容室には行ったことがないが、不細工が髪の毛整えても不細工というのは同意。
私は髪が肩を超えて上になると爆発するタイプの髪質なので、子供のころからずーっと髪は長くしている。それで、朝起きたら一つにくくるだけ。
まぁ別にこのままでもいいんですけど、
友人に、私があなたならこういうメイクとか髪型するのにな、とか、もっとこうしたらいいのに、とか、今度行きつけの美容室一緒に行こうとか、デパートのカウンターみたいなところ行こうとか言われることが多くなって、自分で気付いてないだけでまずいことになってるのかなと思うようになってきた。
(念のため言っておくと、ナチュラルメイクなだけですっぴんではない。髪も黒ゴムで縛っただけとかじゃなくて、良い感じのシュシュで縛ってるから変な感じでは無いと思う。)
毛根は今のところ無事です。私も。
かつてインターネットとは好事家たちが思い思いに好きな情報を書き込んで同士たちとつながる濃い場所だった。という風によく言われている。俺がそれが正しいのかどうかは知らない。しかし今のインターネットに古のインターネット老師たちが苛立つ気持ちはわかるし、なんなら俺がそのインターネット浪士たちを苛立たせている。というのも俺はあの悪名高い「いかがでしたかブログ」を書いて生計を得ている人間だからだ。
今回はお前たちにそのインターネットになぜいかがでしたかブログが生まれるのかを俺のような木っ端ライターの立場から解説するとしよう。
まず俺のような屑ライターはクラウドソーシングサイトで仕事を探しまくる。巷ではいかがでしたかブログは0.1円で量産されていると言われているがさすがに慣れてくるとそんな案件は受けない。最低限文字単価0.8~1円くらいの仕事は厳選する。ついでにいうが一部のプロクラウドワーカーならいざしらず、普通のライターが受けられるライティングの案件はその九割がいかがでしたかブログを書くことだと思ってくれ。クラウドソーシングサイトは世界最大のいかがでしたか工場なのだ。毎秒おびただしい数のいかがでしたかを世に解き放つことを使命としているかのようだ。
すると大抵テストライティングを頼まれるので仕様書を見る。大体のライターが出くわすのは、記事に盛り込む情報量に比して文字数が多すぎるという事態だ。当たり前だ。いかがでしたか工場が考えているのはいかに最低限の情報で文字数を盛ってSEO対策のよく出来た、Googleをだまくらかすための文章をサイトに載せるかということに過ぎない。そしてGoogleをだまくらかすためにはどうも、要約すれば数百文字で済むような情報を数千文字に引き伸ばす作業が必須らしいのだ。書いている俺だってなんでこんなに長く書かなきゃならんのだと疑問だが薄めて書いたほうがまあ金になる。すまない。
そもそもいい文章というのは基本的にきちんと短くまとめることが出来てこそだ。全員が谷崎潤一郎になる必要がどこにあるというのだ?そして当然のことながら大半のいかがでしたかブログの情報量というのはその文字数の数割もあればいいほうだ。もっと短くまとめることが出来る。しかしそれは許されない。Googleを騙すためには短文で効率的に切りの良いところで文章をまとめては行けないのだ。無駄に同じ単語を使いまわし、無駄に文字数をダラダラ稼ぐことでやっといかがでしたかブログとしての価値が生まれる。
とはいえ、俺たちいかがでしたかブログライターは残念ながら無から文章を生み出せるマジシャンではない。その文章の元になる文章をどこかから手に入れなければならない。どこから手に入れるのだろうか?アンサー、Wikipediaやら他のいかがでしたかブログからだ。はっきりいうがいかがでしたかブログに書いてあることで他のブログやWikiにもっと効率よくまとめられていない情報など存在しない。当たり前だ。いかがでしたかブログとは全てがソメイヨシノ(だっけ?)のようなクローンブログなのだ。しかし、コピペでは不味いので、コピペチェッカーを騙せるギリギリくらいには表現を変える。そうして言葉の順列組み合わせによってまた新たないかがでしたかブログが生まれるというわけだ。
もちろんいかがでしたかブログはそれだけで完成するわけではない。いかがでしたかブログのあの砂を噛むような文章に誰もが辟易したことがあるだろう。はっきりいうが、書いている俺だってもちろん辟易している。しかし、いかがでしたかブログを求めるクライアントがほしいのはライターの個性などではない、ということをまず理解してほしい。一風変わった視点、ちょっと凝った言い回し、ユニークな切り口、それら全てがいかがでしたかブログには必要ない。無駄な個性を付け足されてそれがリスクになったらどう責任を取るんだ?文章の表現はきっちりですます調で決められ誰も敵にしない当たり障りのない文章で誰かとはわからない群衆の憎悪を買う、そんな体に悪いファーストフードよりやばいものがいかがでしたかブログの正体なのだ。
しかしだからこそ文章を書いたことのない素人でも書くことが出来る。文章を見る目のない素人でもその出来が判断できる。いかがでしたかブログとは普通の文章とはカテゴリー自体が異なるものなのだ。そんなもので儲かるのかだって?もちろん儲かるわけがない。少なくともライターはそうだが、多分クライアントだって事情は変わらないだろう。きちんとしたクオリティの伴うコンテンツを送り出していないのだから、短期的にはアクセス数を誤魔化せても長期的には市場自体を衰退させていく。ライターもクライアントも薄給なのだから気合など入れるはずがない。そもそも、スキマ時間にお小遣い稼ぎさえ出来たらいい主婦に向上心を求めるのはお門違いだ。そんな文章でも騙されるバカだけを見込んだ薄利多売産業がいかがでしたかブログなのだ。
恐らくこれはゲーム業界においてソシャゲなどで起きていることとパラレルだと俺は見ている。これまでのゲームや文章の面白さとは常識の異なる、数と金を搾取するためだけのシステムと化した新たなる産業がソシャゲやいかがでしたかブログなのだ。お小遣い稼ぎさえ出来たらいい主婦による市場の価格破壊も絵描きの世界では起こりうると聞いたことがある。おそらく今の日本を蝕む文化的衰退の様々な業界における共通の現れ方なのだろう。そしてそこにおける勝利者とは常にごく一部の先駆者と強者だけであり、つまるところすでに金を持っているやつだ。そうでない多くの弱者はギリギリの状態でいつまでも続くわけではないとわかっていながら血を吐きながら続ける悲しいマラソンを走り続けている。
ではそんな仕事をして俺は後悔をしているのだろうか?なにせ全く儲からず商業倫理やら文筆家としての誇りはそこにはなにもない。悔いてしかるべきだというのが真っ当な人の声だろう。しかしあえていう。俺はいかがでしたかブログの執筆者であることを後悔していない。例え薄給すぎて飯すら食えなくなったとしてもそれは変わらない。
なにせこの業界は楽だ。何も考えず物書きとしての恥も未練もなく、適当にWikipediaの言い回しを変えるだけで金が入る。何より俺を鬱にしてくるような醜い上司はいない。たとえ今より生活が楽になったとしても、直接自分を縛るようにブラック企業などに奉仕したくはなかった。それで生計を得るポーズだけは取れるのだ。いかがでしたかブログのクライアントたちも、まあ仕様の注文はうるさいが別に嫌な上司ってわけじゃない。みんな大した仕事をしてないから後腐れがない。過労死よりは餓死のほうがまあマシだ。
幸いなことに多くのいかがでしたかブロガーたちは自分に対する嫌悪の眼差しに気付いてすらいない。愚かな大衆の嫉妬だとすら思っているのだろう。そういう鼻持ちならない意識高い系がいかがでしたかブログの最上位だから自省の眼差しも生まれようがないというのは皆も覚えておいてくれ。
昔は自分の個性を出した文章でエッセイだとかコラムだとかそういうのを目指していた時期があった気がする。いや、遡れば小説だって書こうと思っていた時期があるかもしれない。しかしそんなものはもうどうでもいい。俺は文章を書く人間の一つの死骸なのだ。あとはゾンビとして肉体の維持に集中するだけでいい。そうしてまたインターネットには腐臭が満ちていく。対策はGoogleやら拡張機能開発者やらが勝手にやってくれ。まだ野心なんてもんがあるならこの文章だって匿名で書いたりなんかしないが、俺には一応クライアントたちへの義理があるのだ。表立ってばかにするのは流石にまずい。そんな計算だけはうまくなった。
さあ、こんな時間だが次のいかがでしたかブログが貯まっている。どんどん数をこなさないと、もやしすら買えない。今回のブログはいかがでしたか、今後もこの情報は要チェックですね、いかがでしたか……
どうも予想より読まれて俺の屑のような承認欲求は適度に満たされたようなので、面白いと思ったコメントにレスポンスして更にこの記事を引き伸ばしてみる。
> とはいえ昨今のGoogleさんは端的に問いに答える記事を優遇していると思うんだけど。(個人の感想)
まさしくこの記事を書くに至った動機で、アルゴリズムの改善と対策ツールにより長期的には俺のような存在は滅びていくのだと思う。ただ、「いかがでしたか」という語尾だけで排除するのは今後は対策されるだろう。俺が見ている仕様書にもこういう書き方はするなという小手先だけの指示は結構ある。しかし、問題はそもそも全体の文章と発想そのものだから小手先でいかがでしたか感が改善されるわけではないので無駄に終わっている。
>マジレスするといかがでしたかブログはライターに発注するというより自前でマネタイズするものでは?という気もする。
そう思うんだけどどういうわけか二束三文で他人にそれを頼む輩が異常に多い。構成まで作成済みのクライアントも多いのだが、ここまで構成が出来てるなら自分で書けるだろう?と俺ですら思ってしまう。
どんな商品をどういう顧客にどういう構成でどういう雰囲気の文章で勧めるか大体すでに決まっていて俺たちはその間を数百文字ずつ埋めるだけでいいのだが、ここまで考えられたら絶対自分でやったほうが安いと思うのに人に頼む辺り彼らにも謎は多い。多分そこまで書いて本文を書く段で発狂しそうになったのだろう。
>発注元は稼げるの?
>そもそもあんなの発注するやつが誰なのかって話だと思うんだけど
一概には言えないがサイトの運営などをしている弱小IT企業が多いようだ。自分が依頼するブログのジャンルを全く知らない担当者というのもいる。稼げるかという点だが、まあ弱小ゾンビ企業が自分を維持する程度には稼げているのではないだろうか。逆に言えばそれ以上の稼ぎなど基本見込めるはずがないということだ。
申し訳ない。もちろん谷崎潤一郎は引き伸ばしとは無縁だが長い文章としてぱっと思い浮かんだのが彼だったのだ。
> 生計は得ないだろw
>俺がそれが正しいのかどうかは/
冒頭からインターネット老師がインターネット浪士にすり替わる誤字と低日本語力も俺自身じゃなきゃ見逃しちゃうね!まあ勢いで書いたものだから恥ずかしいがせっかくなのでこのままにしておこう。
>こんないかがでしたかワークを個人のブログでもアフィの為にやってる人らがいる事が凄いと思う。
>その単価でブログ記事書くくらいなら自分のブログで書いた方がいいし、さらにいうなら、この増田も自分のブログで書いた方がいいよ。
あれについてはブロガー界隈でそういうノウハウを教え合っている界隈もあるし、いかがでしたかライターのうち純粋無垢な人が独立支援と称されて情報商材めいたことをやらされてることもある。Youtubeの文字動画と同じだ。ていうかクラウドソーシングサイトには文字動画の台本執筆もたまに依頼されている。ぶっちゃけいかがでしたかブログよりは単価高くて楽だから助かる。巷で言われるネトウヨネトサヨ系の政治ネタは見かけたことがないが。
俺自身がこれをブログで書くかということについては一応俺も商売人なので名前を出して世話になっているクライアントが見ているかもしれない場所で「お前ら糞だぞ!」と告発するのははばかられるから容赦してほしい。noteで有料にすればとはちょっと思ったが多分それだと全く読まれなかったと思う。……と思ったが、よく考えてみたら別に正体を隠してブログを書けばバレやしないから平気なのか?これはいい知見を得た。そのうちいかがでしたかブロガーとしてブログを作ることにしよう。「バズったので宣伝させてもらいます」しぐさというやつだ。
これはうかつだった。確かに最近のソシャゲ、スマホゲーのトップクラスのクオリティは向上している。一方いかがでしたかブログは確かに、最上位層でも糞みたいな文章しか書いていない。ごめんなさい。
いかがでしたかってまとめ段階の冒頭で使うんで実は最後には入れないんすよ……
>いかがでしたかってクライアントの指示で書いてるの?自分でつけてるの?
自分でつけてるよ。なぜつけちゃうかはブログ書いたんでクリックする時間を後悔しないならどうぞ
http://an-fans.hatenablog.com/entry/2019/03/16/143528
>生活のリアルの前に人間の矜持が屈する。資本主義のもっとも悪しき側面を見た気がする。自分の書いてる無意味な駄文ブログもこれに比べるとマシだとむしろ勇気づけられる。低みに引っ張る引力スゲーなネット。
俺の記事を読んでこんなやつより俺のほうがマシだと自尊心を保ってくれる、俺を見下すことで日々を生きる糧が得られるのだとしたら書いている人間としてこれほど嬉しいことはない。まだ若い人たちはそう思えるだけ本当に未来があるのだと勇気を抱いてほしい。
ハァ?おまえらだって奢られたら嬉しいだろ?資本主義国で生きてんだろーがよ。金は力。疑心暗鬼なイカレ野郎以外、中流以上は全額奢ってくれるよ。
「財布出す素振りくらい見せろ」なんて細々とケチ入れつつモラル(笑)を引き合いに出して、さも正論かのように上から目線で来るけど、その素振りがおまえらゴミ男の自尊心満たしてか?で、「俺2000円奢った!やったぞー!」って?ちっさいわー、ほんと。財力ないだけだろ。難癖つけんなって。私は結局払わないんだから無意味な行動だよね。それやったから何なの?それが日本人のオモテナシ?笑 私ももちろん日本人だけど、本当にこの文化は支持できない。無意味。
そして男は奢れ。奢る金がないなら素直に「お金がない。半分出して」と言え。てめーらの自尊心を保つために、なぜ私が気を使わなきゃいけんのだ。
それより何より、ブコメの論調の厳しさにうんざりとしている。服装に関して、別にジャージだの平生の着の身着のままでお見合いに行こうって誰も考えてないと思うんだよ。
就活だったらさパンツスーツもありじゃない? 近年、ことさらにスカートで行くことを求める方が頭おかしいんじゃない? って感じじゃないすか。
でも元記事のブロガーさんは「パンツルックはやめろ、スカートを履け」「紺だカーキだのオシャレな色使いは求めてない。ダサピンク上等」くらいのことは別記事で言ってるんだよね(多少意訳はあるが)。
決して「小綺麗であればそれでいい」とは言っていない。
であるとしたら
友人と会う時だって、家でごろごろしている素の自分よりは格好も態度も整えて行くけど、友人をだまし討ちしているとは思わないだろう。
場に合った服装や振る舞いをしましょうというプロトコルの問題で、中身を偽れとは誰も言ってないんだよ。そんな認識だから結婚したいとも思えないんだろうけど。
なんていうブコメはまるで見当違いもいいところだと思う。「そんな認識だから」ってなんだ。
いや、ほんとに、消耗する人は消耗するんだよ。スカートを履いて、可愛らしく、“女の子”らしく……そういう服装をすることがさ。(わたしはコスプレ感覚で結構楽しめてしまうんだけど)
それは瑣末な問題で、けれど象徴的な問題でもあるんじゃないか。すり減らすものをすり減らさなければたどり着けないもの、それが「結婚」なら、と絶望してしまう人をこき下ろしていいとは決して思えない。
寝る前に確認してみたら、なんかはてブトップで扱われててブルってる(しかもなぜか「仕事・就職特集」)。
10bkmそこそこで胃に来てしまう、隠キャ系アカウントがこちらでございます。
・元記事のブロガーさんを間違っているとは思わない。相手はプロなんだし見てきてる数が違うから、それが真理なのだろうなあ、とは思ってる。大元の女子会増田に対しては「綺麗事言ってて腹が膨れるのか」とも思う。その門をくぐろうと言うならばそれなりの覚悟が必要だろう、というマッチョイズムはわたしの中にもある(映像の世界で10年も生きてるとそうなる)。
ただ、この記事の元増田の人がブクマであまりにも叩かれてて不憫に思った(穏当な文調だしそこまで叩かれるような内容ではないだろうと思った)のと、そういう風に思ったことを忘れないようにしておこうと書いた、だけのつもり、が…。
元増田についたブクマの目立つものが服装に関することだったので、「(元増田は)別にジャージだの小汚い格好も“ありのままとして受け止めて”って書いてるわけじゃねえのになあ,、なんでそこに固執するんだろう」と思い、そこばっかりを軸として(主に批判的なことを)書いているけれど、自分(増田)自身について言えば服装は本当に瑣末な問題だと思ってる。ただ、それを瑣末な問題だと笑って流せない人間もいるぜ、ということにも触れてはおこうと思った。そして一事が万事、というのか「結婚」というコアから最も遠いところにあるこの(元増田が問題にした)「服装」だったり(女子会増田が問題にした)「女子会を断つ」という、人からすれば「どーでもいい与太話」が「婚活」というアクティビティ全体のありようを象徴しているような気がした(ここに、非当事者のわたしの偏見が大いに混ざっていることは否定しない)。
【再追記(3/7 02:50)】
『それが「結婚」なら、と絶望してしまう人をこき下ろしていいとは決して思えない。』の「こき下ろす」主体が曖昧だからああだこうだ言われるのかなと思い付け加えると、
この主体は「某仲人さん」のことではありませんよ。(事実、女子会増田のことをこき下ろすでもなく、こんな記事を書いている。http://urx2.nu/pGVS)
だから、あのブログは結婚相談所の仲人さんが仕事で書いてるんだってば。あの人は結婚という目標を持ってくる人の目標を達成させるプロなの。人生一般の話とか結婚願望ない人の幸せの話とかしてないの。わかる?
元増田に付いたブコメ。こんなん、控えめに言っても「こき下ろす」としか表現できないのでは?
「婚活」って、それを商材として働いている人、そのサービスを利用する人、だけが当事者ではないと思うんだよ。「結婚」っていう目的それ自体は、どんな道をたどるかは人それぞれにして、誰にも関わる可能性がある(増田自身は結婚願望云々の以前に諸事情あり難しいので「非当事者」だと思っているが)。人生一般と「結婚」って、どこからどこまでがどう、ってそこまで明確にゾーニングはできないよ。だから、元増田のように「疑問なんだけど〜」くらいのノリで「婚活」「結婚」を話題にするのも全然、アリだと思うんだ。むしろもっとやれ。
それを一方的に萎縮させかねないようなブコメを問題にしている。
【再追記(3/7 07:00)】
kuzudokuzu んー追記を重ねる人は、やっぱり個人的にちょっと自尊心が大きいようだなと感じてしまう。
確かに尊大なポンコツだとは自分でも思う。ご指摘は当たっていると思います。
けれど、それ以上に「不明瞭な思考・感情を言葉にしたい」という欲望が強すぎて、あとから湧いてくる言葉を継ぎ足し継ぎ足し何度も調整を繰り返してしまうのだと思う。
そんなご指摘もあり、これ以上は書くまい、と思っていたけれど、
最後に個人的にお礼を申し述べたいブコメがあったので、それだけは書いておきたく公共のリソースをさらに浪費する。
(あとで個人のブログに書くとしてそこは超どマイナーブログだから、やはりこの場で書いておきたいのだと)
naqtn 言葉数多く「~ではない。でしょ?」と否定と同意の求めは言うが、自分の主張「~である」とその論理の提示「~ならば~なので」がクリアーにされていないがゆえに不本意な応答を受け、結果無益に対話が崩壊してる
おっしゃる通りです。自分自身、今朝方読み返して「0点だな」と思った。自分の主張が文頭に来てないから、何が争点なのか全く理解できない破綻を起こしているのだと思う。
◯「この記事の元増田」(http://urx2.nu/0aYS)に対しての賛同を述べたかったということ(ブクマでやっても良かったけど、100字にまとまりそうになかった)と
□それに対するブコメ(主に人気の方に表示されるものだけど)に対して「いやいや、それは当たってないし、そもなんで(元増田が)そんな攻撃されなければならないのか」というブーイングを送りたかった
ということにある。
なので元記事のブロガーさんに敵意があるわけではないし、その主張に関しては概ね賛同する。これは、自分自身のプロ観とほぼ一致するからだ。顧客のニーズに対し全力でそれを叶えようとする姿は控えめに言っても誠実さがある。
そう思っている片方で、割り切れない思いもある。これは社会生活一般における極私的な自分の心情。
それで、この文章で試みたことは「そう。正しい--とはいえ…ね」という自分の心情の中にある「…ね」という非常にもやもやしたところを「言葉」という舞台に引きずり出すことだったのだけど、それは完全に悪手だったと反省している。
まずそれは、自分の個人的好奇心、探究心をベースにしたことで、主張「◯」とも「□」とも関連しない。その道筋も荒くて丁寧ではない。だから論として非常に不明瞭なものになり、全体の破綻を招いた。盛り込むべきではなかった。
果たして、当初の目的を叶えることはできたのだろうか。それだけが気がかり。
私は結婚願望はない(これは自分がマイノリティ寄りの人間であることや、自分の両親を見て感じたことに起因するので)けれど、だからこそ結婚したい人というか一般の考えとか感覚を知りたかったというか疑問に思っただけです。読みなおしたら口悪すぎるな。気を悪くさせてしまったらごめんなさい。そもそも結婚願望わからない人間が首を突っ込むもんじゃなかったね。思いかえせば就活のときも適合するのに苦労しまくったから社会生活に向いてない。
などと気を揉む必要はない。好きなこと言って、好きなように生きようぜ。と伝えたいだけだった。