それを書いた人は男性に書かないなら女性も書かなくていい、というような事を書いてた。
いやそれも違うんじゃないのって思った。
男性でもキャラクターを表す上で容姿が描写される事自体はあると思う。
でも女性脚本による恋愛映画なんかでの相手役の描写には間違いなくあるはず、というかセリフにバンバン出て来る。
ハンサムだと表される役の俳優さんはまさにそう演じているように見えるし、そういう作品の女性監督女性脚本コメンタリなんか大体ずっとハンサムハンサム言ってる。
キャラクターの容姿の詳細自体は性別関係なくあるものだろうしプロットに関わるなら余計にそう。
だから問題は脚本にそういう見た目の描写がある事じゃなくて何でそれが女性に偏りがあるかって事だと思う。
創作する上で登場させるキャラクターに理想を反映させるのは珍しい事でもないし、その中で外見の描写が入る事はある意味当然の事でもある。
だから女性の容姿を讃えるような描写が多くなってるのは単純に数の偏りって面があるんじゃないかなと思う。
でもこれはたぶんそういう話ではないとは思うけど。
脚本で容姿を描写する目的のひとつに書いた人間が持つキャラクターイメージの伝達がある。
これはキャラクターを創作、脚色する上での要素だからそれ自体は問題ではない。
美しさを描く事に罪はないし、美しいとするキャラクターを作る事にも問題はない。
外見情報によって社会的にそのキャラクターがどのような立場、印象にあるかを客観的に示す要素。
問題はこっちにあると思う。
これも社会一般の印象を引用するに過ぎないわけだからそれ自体が問題ってわけではない。
それが性別で偏りがあって女性の描写で必要とされる事が多いなら、それは男性以上に女性の容姿が共通認識として印象への判断材料のひとつになっている、またそれだけ女性の容姿にステレオタイプ的な印象が紐付けされている、という事になる。
男性より女性の方が容姿の美醜が社会的立場や内面や性格を表す要素として一般的に認識されている、そういう話。
脚本という性質上イメージを伝えるためにステレオタイプな共通イメージを用いた伝え方をするのは、あくまで方法論としては仕方ない部分もあり、それは責め切れない面もある。
だけど恐らくツイートで訳されていた女優さんたちの口ぶりからは、そういう脚本家側の引用する共通認識が彼女達の考える、今意識として持つべきとされる認識が許容する範囲を越え、既に共通イメージとしては過去のものとすべきところから引っ張られたもので、そういうところに辟易しているのだとそう感じた。
だから男性を書かないなら書かなくていい、は、ある意味思考停止的な発想だな、と思った。
書いてる事が問題なんじゃなくそう書く事で伝わる共通認識があるとする、そこに問題意識を持たない事に平然としてそれを書く、その感覚が問題なんだから。
それは今後女性脚本家が増えて理想像を反映した男性の容姿の描写が増えても解決するものじゃない。
美しさの描写といっても同じように男性脚本家の理想を表した女性像の描写も、個人的な範疇のものはそこに自由はあるべきで批判すべきものでもないし、キャラクターの主観としての描写も安易に非難すべきものじゃないし。
考えるべきはその価値観が社会のどこからどういう体で引用されたものかって部分なんだと思う。
でも見てる近辺でたくさんRTされてて何も言えずに誰も見てないような増田で書くのだ。
気がちいせえ。
あとついでに言うと容姿を美点とする場合に知性や能力、性格と比較して容姿で表される事自体を問題視する人もいるけど個人的に正直それこそ問題だなと思う。
書いたみたいな容姿偏重が問題なのは分かるけど、それなら必要なのはその容姿の地位まで知性等の要素を持ち上げる事で、バランス取るために容姿を落として相対的にやるのは結局今まで知性で苦汁舐めてた感覚を容姿を持ってる女性に味わわせる事になってて、それって知性を持つ女性を掬い上げるために容姿を持つ事の価値を低く見積もり直すって事だからどうなのって思う。
突出した美しさと突出した知性はどちらも自立して価値が同じようにあるべきものなのに、今は美しさそれ単体では魅力として、特に女性の意識として認められなくなって来てる部分はあると思う。
だからこそ美しさだけで女性を表す事が問題視されるんだとも思う。
魅力ある人間とされるものを表するに足りない要素だけで、その相手を表現する事になるから。
悪意は無くても、あなたはそれしか持っていない、となってしまう。
同時に男性からは根強く美しさは魅力として捉えられる部分も大きいから、女性が知性を自立した魅力だと捉えていてもそれ以上に求められるという面もある。
その齟齬でまた女性側に容姿が持つ価値への否定的感情が増してまた男性との価値観の差異が酷くなって、となった結果また容姿の価値を低く見積もってそれを世に提示して、更にまた容姿を褒められる事への価値を低く捉えるようになってって女性の自尊心には悪循環に思える。
だからそれを止めるために男性が美しさって要素へ持つ価値基準を否定して齟齬を埋めようってなってるんだけど。
やっぱりそれも男性が高く認める美しさって要素の価値を下げさせる事によって、それ程には正しく評価されてないとされる他の面との差を縮めようというやり方で、それは魅力としての美しさっていう本来多くの魅力がそこにあるべき正しく高い位置に置かれていたそれさえその価値を失わせる結果になる、というかなってるわけで、やっぱり良いやり方とは言えないんじゃないかな、と思う。
本当は美しさもそれだけで100%魅力だし知性も性格も100%の魅力なのになって思う。
絶対値があんま変わらない相対的な差の埋め方って何にしてもよくないよほんと。
美しい事の価値を据え置かないで下げてバランスとるの求める人多くて内心悪手でしかないってほんと思ってる。
思ってるけど匿名でもないと言えないのだった。
そして溜飲を下げるのだ。
気がちいせえのだった。
よくないわ。
うんち
気がちいせえのだった。 それ、匿名の特徴を勘違いしてるだけ。 1+1=2という正論は誰が言っても変わらない。実名顕名匿名関係ない。 純粋な論理の世界では誰が言ったか関係...
脚本の妥当性について指摘するなら、歴史物だと史実のファクトチェックをする担当がいる。 性差に起因する誤謬が怖いなら、ポリコレ的なチェックをする担当を置けば良いだけの話?