はてなキーワード: 自尊心とは
を、さきほど知り、色々と見ると9割チェックシートに当てはまっていたのでもう自分はこれだと気付いた。
そうすると一気にいろいろと楽になりだした。
いやぁ、これでしたわ。過剰適応でしたわという感じ。
それで考え方を治す対策のページを見ていたら、あんまり完璧にしなくていいとか、いい加減になればいいとかそういうことが書いてあって
おやおや?となった。
分かってたんだ。こういう考え方じゃなきゃやっていけない性格をしているということを。
でもそういう自分が駄目だと思い込む(自尊心の低さが、過剰適応の項目にある)ので、
そのいい加減さを治そうな治そうとしていた。
すっと楽になれた。
近しい人が亡くなって、肉体的にも精神的にも疲労がピークで爆発しそうだったときにこの名前が知れて良かった。
明日は1時には眠れるだろうか。
自律神経を整えてぇな。まぁ、そのうち整うっちゃ整うっしょ。
日本社会は表向き実力主義、成果主義を掲げつつ、未だ学歴主義体質が根強いと言われている(渡辺,2006)。そのような社会の中で、大学進学者の割合が初めて5割を超え(文部科学省,2009)、数十年前と比較して高学歴化が進んでいる。全入時代までは至らないが、志望大学に拘らなければ受験生の9割超が大学に進学できる時代となった。今後は大卒の肩書きのみでなく、大学の知名度や質を重視する傾向が強まり、受験競争はさらに激化するとも考えられる。ここで問題となるのが、受験という競争に伴う敗者と勝者の存在である。彼らが過剰な挫折感や劣等感、あるいは優越感に囚われた場合、学歴コンプレックスとして諸々の心理的、社会的な問題を引き起こす。しかし現状は、定義自体が曖昧であるため、研究者独自の概念や言葉で当問題が扱われている。そこで、今回は心理学分野での学歴コンプレックスに関する研究に注目し、考察と今後の展望を述べることとする。
学歴コンプレックスとは、不満足の原因を自己あるいは他者の学歴に関連づけることで感じる、劣等感や自尊心のこと(鷲田,1995)であり、学歴に対して劣等感を抱く場合と学歴への誇大な自尊心を抱く場合の2層に分けられる。両層に共通する主な特徴は、以下の3点に集約される。第1に、自己の実力不足や失敗を過度に学歴に帰属すること、第2に、自己だけでなく他者をも学歴で評価すること、そして最後に、学歴ばかりに囚われ学業という本来の目的を見失いかねないことである。これらの根底には、学歴が高いほど将来は報われると考える「学歴社会意識」(安藤,2007)や有名大学の進学のみに価値を見出す「学校歴主義」(野田,1996)といった学歴志向の存在が窺える。層別に見ると、劣等感層では上述の志向に加え、入試時に第1志望に落ちて仕方なく所属大学に入った「不本意入学」(伊藤、1995)がコンプレックスの主要因となっている。そして、不本意感から多浪や仮面浪人、退学を繰り返す再受験症候群や、国公立大の進学者を優遇する国公立大学至上主義下での私大進学者なども本層に含まれる。一方、誇大な自尊心層では、学歴社会の勝者であるがゆえに、学歴に比例して自己を過大評価する傾向がある。その裏には人柄や実力よりも学歴イメージが先行する、レッテルとしての学歴の影響が見られる。その他、学歴に見合った社会的待遇でないと受け入れられない学歴保証の希求や、就職時に多い高学歴者の挫折体験等の問題も挙げられている。これらの学歴コンプレックスに伴い、失敗感、挫折感からくる無気力や自尊心低下、不本意感に由来する不適応や抑うつ状態といった心理的問題に加え、充実感や生き甲斐の欠如、自我同一性拡散の深化など、生き方そのものに関わる問題の存在も示唆されている。また、学歴志向や進学観が親子間で継承される(吉川,2005)ように、親子間でのコンプレックスの継承や家庭内の学歴格差によるコンプレックスなど、個人のみでなく世代間に学歴問題が発展する可能性もある。
先行研究は、学歴コンプレックスを多側面から検討し、日本独自の学歴観や学歴の持つ意味、学歴が認知や思考に及ぼす影響について言及した点で、学歴問題の諸相と今後の研究可能性を提示した意義を有する。今後の展望としては、同じ状況下で不適応に陥る人とそうでない人との相違や学歴にまつわる不適応への対処法など、臨床実践に向けた研究を進めていく必要がある。
安藤聡一朗 (2007).学歴社会意識とスチューデント・アパシーとの関係についての考察 学習院大学人文科学論集,16,137-165.
池上知子 (2004).「学歴社会」に対する意識と大学の自己同一視との関係 愛知教育大学研究報告(教育科学),53,79-86.
伊藤美奈子 (1995).不本意就学類型化の試みとその特徴についての検討 青年心理学研究,7,30-41.
吉川徹 (2005).7-106間移動を考える.日本教育社会学会大会発表要旨集録,(57),44-45.
文部科学省 (2009).平成21年度学校基本調査.2010/02/02情報取得
野田陽子 (1996).学歴観の構良智 (学生とその親の学歴観の分析をとおして― 淑徳大学研究紀要,30(II),87-113.
鷲田小弥太 (2005).コンプレックスに勝つ人、負ける人PHP研究所渡辺山.
外敵から身を守る必要のない現代において生命維持の面で(健康はさておき)筋トレの必要性は薄れている。
そんななか自分はなぜ筋トレをするのか、理由を考えてたらこんな問いが生まれた。
自信と自尊心って何が違うんだろうか。
あったほうがいいって言うけど、かといって在り方次第では嫌悪されるのはよくあること。嫌悪されるのは他者から見て能力が伴っていない時か?
自尊心・・・自分の尊厳を意識・主張して他人の干渉を受けないで品位を保とうとする態度。(広辞苑)
英訳するとself-esteem でありprideとは全く違う印象を受けるなぁ。
言葉を代えると自信は条件付きで自尊心は無条件と区別できるかな。(恋と愛の議論でもよくみかける...)
ファッションが自尊心を高めるというと疑問に思うけど筋肉が自尊心を高めると言われたら前者ほど違和感がないのは自分だけか...?
大元の問いに戻ると自信がつくのも筋トレをしている理由の一つな気がする。
ファッションでもいいけど先天的な体格に左右されるし、評価する他者が必要だし、コスパも悪い。
筋肉は健康にもいいし、物理的な力は数値化できるからね。どういう風につければ美しいかは要勉強だな。
次は自信はなぜあったほうがいいのか考えてみるか。
それでプログラミングができれば相当エッジになると思うし
とりあえず自主性に任せるとあんまりいい方向にいかない気がするので
「『キュークール』も観ているんですか。キュアキュアを観ていたってことは、そういったジャンルはかなり長いんですねえ」
「何が悪いんですか。子供の頃に持った趣味を、今もなお続けている。良いことじゃありませんか。悪い理由がない」
「いきなり、どうしたんですか。別に悪いだなんて言ってないでしょう」
フォンさんの拗らせ方は、些か厄介といえた。
「やはり子供がいると自分の時間が徐々になくなって、以前のように趣味に没頭できなくなるでしょう」
「子供を言い訳に使う人は、所詮その程度だったんですよ。ワタシはキュアキュアを観ていました、子供と一緒に!」
「なぜ、そこまで“子供と一緒に”を強調する」
“現在の社会的生活を維持しつつ、趣味も維持する自分”というものに並々ならぬプライドがあるらしい。
“趣味を継続させる”って意識が、そもそもズレているような気もするが。
「この歳になっても最新の動向を追いつつ、長年続けていくのは趣味だとしても大変でしょう」
「別に大変だと思ったことはありません。仮に大変だったとして何も問題はない」
「ふむ、確かに。自分はこの年齢になってからアニメを熱心に観るようになりましたね。たまにちょっと疲れていて、観ている途中で寝てしまいますが、ハハハ」
「それは年寄りがゲートボールやり始めるようなもんでしょ。若い頃に始めた趣味を継続させられるかって話と、ワタシの話を同列で語らないでくれ」
しかも、酷く敏感になっている。
マスターの個人的なエピソードにすら、まるで自分が否定されているかのように噛みつく。
「あなたたちはワタシの趣味を軽んじている。年寄りの冷や水だと思っているんでしょう! ワタシが飲んだら腹を下すと思っている!」
言葉の解釈に差異こそあれど、“そう聞こえてしまうこと”に過敏なのは“思うところがあるから”だ。
他人の生き方が自分と違っていても、それはイコール否定にはなりえない。
自分は上手くいっているからだとか、自分のやり方がそうだからってのは大した理屈じゃない。
なのにそう言って憚らず、他人もそうあるべきだ、でなければ趣味人としては落第だと言うのは間違っている。
「ワタシはアニメに関する仕事をしているし、そういったものにも理解がある。ワタシは子供向けだからだとか、色眼鏡で見たりしない。ワタシは『キュークール』の大ファンだ!」
にも関わらずフォンさんは、他人の姿勢を否定して、己を大きく見せてまで自尊心を保とうとする。
ネガティブな思考で「自分はポジティブに趣味に励んでいる」と捲くし立てる。
「あの作品には自由、愛、平和の多様性が溢れているのに、あなたたちにはそれが分からないのか!」
そう語るフォンさんが、そのアニメから何も吸収できていないのは皮肉な話だ。
まあ、アニメの影響力なんて良くも悪くも所詮そんなもんってことなのだろう。
「ワタシは楽しんでいる! 有意義だ! 納得している! あなた達とは違うんです!」
マトモに笑うこともできないまま、いきり立って「自分は楽しんでますよ」といっても説得力はない。
「だめだ、だめだ。あの『キュークール』の素晴らしさと先見性が分からないなんて! アニメオタクに未だこんなのがいるから、この国は前時代的な表現がのさばり続けるんだ!」
フォンさんのおかしさを、恐らくセンセイたちも感じ取っている。
言語化して、指摘することもできるだろう。
だが、言わない、言えない。
なにせ本人が「楽しんでいる」、「有意義だ」と言い張っているから。
傍から見て、明らかに意固地になっていたとしても、本人が良いと言っているのだから。
非合法でもない限り、他人の趣味にとやかく言うべきじゃない、なんて言うまでもない。
だが、それでも、今のフォンさんにあえて投げかけるべきはそういった言葉だ。
もし、言える人間がいるとするならば……。
「お父様……ひょっとして」
ジョウ先輩が何かに気づいたようだ。
突如、ドレスを着込んでいるとは思えないほどのスピードで走り出す。
そしてフォンさんのいる、喫茶店の扉を勢いよく開けた。
正当防衛です。
たとえささいなことでも、そのささいな自尊心をかけた戦いです。
「勝てる闘いだ」と分かった後、わざわざ戦うことに罪悪感を持つのは分かる気がします。だけど、戦いは闘いです。
私も小柄だけど、でっぷりしたおばちゃんだから、そういうのにはあんまり合わない。だけど都会なのでたまにあう。
そしたら全力で反撃する。
電車で隣の席に座ってきて肘でゴンゴン押してきた上に「太り過ぎなんだよ」とのたまったご年配のクソジジイは、警察を呼んで電車から引きずりおろして、警官の前で30分罵った。
警官が来ると途端に「当たっただけです、僕はそんなことは言っていません」と被害者ぶり始めたので、もう罵るしかない。向こうもプルプル震えながら被害者の振りをするしかない。
"じゃあ金のない男性が性的アイデンティティ揺らいでるかというと別に揺らいでるようにも見えないし。"
ということですが、揺らいでいますよ。
ただ、そこは金じゃなくて、自尊心とか単純に自信とか言われるものなのです。取り繕うために、虚勢や見栄なんかでごまかしたりもしますよね。
そういうのが取っ払われてしまうと、文字通り立たなくなったり。EDって言われるやつです。当方医者でもなんでもありませんので、適当に言っていますが。
だから、女性って単純に言いますが、男にとって妻になる人が自分を罵ったり、見くびったり、自尊心を奪われるような相手だったら、結婚したくないでしょうね。程度によりますが、大抵の男性はそうでしょう。特殊性癖の方除く。
(追記)
"その辺揺らいでる男性はガチのセクシャルマイノリティが殆どで、それ以外は何の疑問も持ってないのがデフォに見える。"
これに関しては、何の疑問も持っていないわけじゃなくて、多少持っているのですが、態度に表すと誂われたりするので言わないようにしているパターンと、本当に何も考えてないパターンがおられます。
私はクズです。しかし、仰る通り心の中でそう思えなかった部分があるのかもしれません。
むしろだからこそ脱却したいという思いも出てきたのかもしれません。
正直ここまで話して、自分がどうなりたいのかも分からなくなってきました。
クズのままで良いのか、それともなけなしの自尊心と向上心を頼りに変わった方がいいのか。
一応は後者が優っているのですが、この二つによる危ういバランスの上に私が立っている状態で。
それもまた、私に心理的負荷をかける原因となっていそうです。
深夜にジムに行ったら40代と思われるおっさんがいたけど、まじで基地外だった
有酸素運動のマシンの稼働音やボタンを押した時の音に反応して、「うるせえよ」「だーからうるせえって言ってんだろ」「あ?やんのか?」
と、全く目を合わさずに大声で喋ってた
話をしようかと何回か目を合わせようとしてみたけど、どうも合わない
おそらく働いていないか、働いているとしても劣等感を抱いてしまうような環境だろうか
きっと社会で認められている自分という感覚が全くなくなってしまっていて、コミュニケーションを取る自信もなく、環境音のような小さなストレスも処理出来なくて、自尊心もない
施設のおじさんから、あの女が死刑になると聞かされた。そして、あの女が私に会いたがっていると。もちろん嫌なら行かなくてもいい、けれども、出来れば会いに行って欲しいと。私はそうすることにした。今までずっと、あの女に会って話を聞きたかった。でもその勇気が出なかった。だけど、これが最後ならば。会いに行かなければならない。
私の母は鬼だった。母に殴られなかった日は記憶にはない。包丁で切られた傷は体のあちこちに残っている。私の右足は少し外を向いていて歩きにくい。母に折られた足だ。
私は母に殴られるたび泣き叫んだ。そうすれば母の気が収まるのが少し早くなることを学んでいたからだ。何度か私の声を聞いた人が通報をしたことがあったらしい。役所の人が来たことがあったが、母は全て追い返した。それだけだった。一時期の母は声を上げると怒ったが、役所の人が何もしないことを知るとそんな事で怒らなくなった。
その日も私は泣き叫んでいた。空腹の時に大声を上げるのは辛かったが、そうしなければ地獄は終わらない。私に馬乗りになった母は包丁を首筋に突きつけてきていた。お願いします、やめてください、何度もそう叫んだ。
不意にガラスが割れる音がした。ベランダの窓だ。母ではない。私でもない。そこにはあの女が立っていた。あの女はすでに怒っていたように見えたが、母と私の姿を見ると形相を変えた。初めて、母以外の女の人を怖いと思った。
あの女は母を蹴り飛ばした。そのまま何度も母を蹴って部屋の隅に追いやった。そうして落ちていた包丁を拾い、母の首を切った。真っ赤な血があたりに飛び散り、母は何度も口をパクパクさせて、動かなくなった。
○○県で昨夜未明、マンションに住む無職***子さん(36)が隣室の主婦によって殺害された。近所の人の話によると、***子さん宅は子供の大声で警察に通報されるなどのトラブルがあり、大声に業を煮やした隣家の主婦がベランダを通って侵入し犯行に及んだ模様。***子さんの長女(13)は無事保護された。
施設に引き取られて迎えた初めての夏。夕涼み会で施設のおじさんは私に話をしてくれた。申し訳なかった、僕に勇気がなかったばかりに、君にもあの人にも申し訳ないことになった。本当に済まない。
あの人はここにも警察署にも何度も通報していた。僕もそれを受けて何度か君の家へ行った。けれども何もできなかった。いや、しなかった。君のお母さんが怖かったんだ。本当に申し訳ない。僕が何もしなかったからあの人は君の家へ行ったんだ。そうしてあんなことになってしまった。ニュースでは誤解を招くようなことしか言っていなかったが、あの人は君を救けるためにああしたんだ。本当に、いくらお詫びをしても足りない。
あれから7年が経つ。あの女の死刑は非常に異例、というより日本初のことらしい。ニュースでは、世論が判例に勝ったとか言っている。ただの騒音トラブルで隣人を殺した非道な女に重い裁きを、ということらしい。どうでもいい。
刑務所であったあの女は、記憶にあるよりもずっと優しそうな顔をしていた。会いに来てくれてありがとう、とまずはそう言った。私も会って話をしてみたかったのだから礼なんて言われる筋合いじゃないけど、うまく言えないから黙ってた。
どうして母を殺したの?
ずっと訊きたかったことは、思ったよりもあっさり言葉になった。それを聞いたあの女は、顔を歪めてこう言った。
あなたには本当に申し訳ないことをした。もっと然るべき手段を取るべきだった。けれども私は怖かった。まっとうな手段を選んでいるうちにあなたが死んでしまうことが。もしもあなたが死んでしまえば、私は一生助けられなかったことを許せずに生きていくことになる。それが怖かったから、あんな手段をとってしまった。本当に申し訳ない。
それを聞いて、何だか自分の心が乾いているような気がした。重ねて尋ねる。
どうして私を呼んだの?
次の質問もあっさり出てきた。女は、真剣な面持ちになって言った。
あなたにどうしても伝えたいことがあった。あなたが荒れていることは施設の方から聞いている。だから、どうしても言わなきゃいけないことがある。わかってほしいことがある。
この先の言葉は、何か恐ろしいもののような気がして、体に力が入った。女は続けた。
あなたから奪われたものの重さに、どうか気づいて欲しい。それに気づいてしまったらきっと今以上に辛い思いをすることになるだろうけど、それでも気づいて欲しい。あなたから奪われたものは人が生きる上でどうしても必要な物だから。あなたの中にはまだその欠片が残ってる。あなたが今も生きていることがその証拠。けれどもそれの大切さに気が付かなかったら、あなたはそれを捨ててしまうかもしれない。それだけは絶対にやめてほしい。それは本当に重たく、大切で、欠片しか残っていなかったとしても、それがある限り生きていけるから。その重さに気付けば、少しずつ取り戻していくことも出来る。どうか、それと向き合ってほしい。
そう、今は意味がわからない。それでいいの。そうした時間も大切だから。でも、いつかは分かってほしい。
それだけで、話は終わったようだった。私は事前に施設のおじさんから聞いた話をした。
ずっと前に赤ちゃんが死んだって聞いた。それと母を殺したことに、なにか関係はある?
女は泣き始めた。しゃくりあげるばかりで、何も言葉が出てこないらしい。この傲慢な女の何かを突き崩したことで、私は満足した。
刑務所からの帰り道、女の話を考えた。私から奪われたもの。無理だ。何をなくしたのかもわからないのになくしものを探すことなんて出来やしない。
何をなくしたのかわからない?そうか、確かに何かをなくしたらしい。そうでなければそんな考え自体が出てこないはずだ。
私から奪われたもの。単純に考えれば、あの女が私から母を奪った。でも、あの女の言葉の文脈からすると母ではないだろう。私の中にまだその欠片が残ってるとも言った。そういう意味でも母ではない。
本当に、あの女は何を言っていたのだろう。
自尊心?ふとそんな言葉が頭に浮かんだ。一瞬でその考えは苦笑に消えたけど。
仕事では部下が100人くらいいるプロジェクトのマネージャーをやっていた。
後任への引き継ぎもほぼ完了して、自分の仕事はあまりない状態で出社している。
自分に次のプロジェクトが用意されているのなら、こんな気持ちにはならないだろう。
復帰しても今と同じ仕事ができるとは思えない。
まずは生活のリズムを整えるところからで、それからどんな仕事ができるか考えよう、といったところだ。
上司は結婚して子供ももいるので、理解はあると思うし、言っていることは正しいと思う。
しかし、自分のキャリアの目指す場所がわからなくなってしまったし、次の道が見つからなくなってしまった。
チームで練習を積んで、技術やら何やらを積み上げていくような趣味なので
今後は今のようなペースでは続けていけないからだ。
何もやめなくても…とは言われるが
今と同じペースで練習できないことにフラストレーションがたまってしまい
逆に続けることが逆にストレスになりそうなため、今はきっぱりとやめる決断をした。
今まで、仕事と趣味で自分のアイデンティティを保てていたんだな、と痛感した。
仕事も趣味も、自分が頑張ればそれなりに評価されたり、達成感を得たり、自尊心を満たすことができた。
仕事の次の予定がない。
趣味の次の予定がない。
私には何もない。
ひとりで完結するような、新しい趣味を初めた。
そこに楽しさはある。
だけど、まだ自分の技術が低くて、ぽっかり空いた隙間を埋められるようなレベルにはなってない。
よし、じゃあこれから技術を磨くぞ!となるころには子供が産まれているのだろうから
そんなことはできないよなぁ、と思うとどうにも入れ込めない。
出産が近くにつれて、色々身辺整理をしていたら自分には何も残らず虚無感を感じている。
自分が他者になにかを与えることに対して喜びややり甲斐を見出せないことは自分が一番よくわかっているし
そもそも子供が好きではないので、そこに自己評価を見いだすのは自分にとっても子供にとってもマイナスにしかならないと思うのでやめたい。
就職は文系の人が多いとこなせいか大学でどんな勉強をしたか、サークルとか大変だった就活の話をすると「理系だからってマウントとるな」「なにそれ自慢?」みたいに言われ、その都度嫌な気分になる。
マウント取ってるつもりもないし実体験を伝えてるだけ。それで自慢のように伝わるのなら受け取る側の問題だろうに、私は文学部や教養学部だったから特に話せるようなこともない、サークルも入ってなかったし、バイトをやってたわけでもないと。じゃあ何してたの?と聞くと「特に何もしてなかった」と。大学4年間何もしないで過ごすの楽しいの?それで他人からなんか言われてやっかむならなんかやったらよかったじゃん。
自分の卑屈さを棚に上げて他人を批判する女って多いよね。アラフォーで独身で、他人が結婚生活の苦労話してると「結婚してるだけマシなのにおこがましい」とかいう人。だけど私は結婚じゃなくて仕事を選んだとか言ってプライド高い人。なんで結婚と仕事どちらかしか選んじゃいけないの?
自分がそんな嫌味たらしくなるんならそうならない生活や恋愛をしなさいよ。男なら他人からあまり言われないからいいよね。女の敵は女なんだわ。別の境遇にある女。
独身で婚活辛いてか、そんなん年取れば結婚しづらくなるのあたりまえでしょ?なんで早めに努力しないの?なんでその不満を既婚アラサーにぶつけるんだよ。
周りのアラサーはわりと堅実に早くのうちから結婚と仕事の両立考えてさ、努力してるよ。現実みて運命の恋からの結婚とかじゃなくて、日々の積み重ねが人生だって学んでるよ。
妻が当然のごとく子供を欲しいとせがんできた
正直言って俺は欲しくない
まるで俺が駄目な奴と思われ自尊心が傷つけられ
鬱に近い状態にある
子供を育てていくという心の
余裕もない
かといって妻や他の人に頼りたくない、
昔から母に頼って甘えてばかりの父親がとてつもなく頼りなく情けない存在だったから。
責任とりたくない。
皆さん子供が欲しいと無条件に思いました?
結婚し子供を持ち家庭を支えていくことが何よりの幸せの形であり人生の一般的な生き方
であるような世の中の風潮に疑問を感じませんか
もっと一人一人 多様性のある生き方が認められて良いんじゃないでしょうか。
私は出張で様々な国に行きその国の文化に触れますが、日本は形にとらわれ過ぎている気がします
和を乱すのは悪と考えられ 出る杭はすぐに打たれるし生きづらさを感じやすい国だと思いました。
https://anond.hatelabo.jp/20190411003534
を書いた増田だけど、どういうものをイメージしていたかというと、こんな感じ。
・客はマジックミラーの個室に入る(風俗嬢たちの集団待合室から客の様子が見える、逆は見えない)
・風俗嬢は「好みのタイプ」はもちろん、「童貞臭くてチョロそう」「遊び慣れてそう」「若い客がいい」「おっさんがいい」「とりあえず稼ぎたいタイミングだからとにかくなんでもいい」でもなんでもいいけど、なんらかの基準で客を選ぶ
・選ばれたら客と嬢が対面(ここで客の方に拒否権、デリヘルでいうところの「チェンジ」の仕組み)
・チェンジは2回まで、そのあいだに合意に至ったら、プレイルームないしはホテルへ
・好みの嬢に当たらなかったら、そのまま帰ってもいい(ただし、会員登録は必須。悪質な冷やかしは出禁)
……こんなとこです。ようするに客としては、理由はなんでもいいから「俺はこんな女性に選んでもらえたんだ」という形で自尊心を高めたいし、嬢の立場になると、少しでも自分にとって嫌悪感の湧かない客を接客できたほうがいいだろうという想像。