はてなキーワード: 突き出しとは
売りはじめた土地に人を座らせておけば直ちに誰かが現れて買ってくれるわけでもなさそうなのだが、とりあえず人を置いて「現地販売中」の赤旗なども立ててしまうのが弊社である。
古い木造の平屋に暮らしていたおばあさんが介護サービス付きの老人ホームに入るということで、土地を買い受けた途端に更地にしたのが弊社である。
まだショベルカーのキャタピラの跡が残る泥の上に「初売り出し」と書いた看板を突き刺し、アウトドア用のタープを設営し、キャンプ用のテーブルと折り畳み椅子を置いて座ったのが私である。
日中の気温が37度に達すると予報が出ている東京で、もちろんこのような布の屋根は、あってもなくてもたいして変わらない。テーブルに置いた麦茶のペットボトルが火にかけた薬缶のように熱い。
テーブルにはいろいろな家のイラストも重ねて置いてある。今は茶色いだけで何もない更地ですけど、弊社契約の業者を使って家を建てるとこんなに素敵になるんですよ、と説明する使命を帯びて、画像データをファミマで今朝印刷して持ってきたのだが、もう私の汗を吸ってボコボコと汚らしく波打つだけの紙の束になってしまった。
日が暮れるまでこの土地に陣取って「販売業務」に従事しなければならない。買い手が来ても来なくても、雲ひとつない8月の空の下、タープの布屋根一枚で直射日光を防ぎつつ座っていなくてはならない。東京の住宅街に突如出現した空き地の値段は、不動産会社の従業員一人の人件費よりもずっと高い。ひょっとすると命よりも。
そんなことを考えていてもまったく時間が経ってくれない。さっき近くのローソンから買ってきたガリガリ君は一瞬のうちになくなってしまった。これからは何を糧に生き延びればよいのか。
熱中症になるのが怖くて、自分の手首を掴んで脈を測ってみる。いつもより弱々しい気がする。黒い革靴に包まれた足がジュクジュクと蒸れて、沸かしたての風呂に入っているように熱い。たまらず靴も靴下も脱いで、椅子に座ったまま裸足を前に突き出し、風を待つがそよとも吹かない。日傘を差した女がこちらを二度三度チラ見しながら通り過ぎて行く。
もはや暑いのかどうかもわからず、ただ息苦しく、マスクを片耳からぶら下げ、意識が朦朧とした状態で椅子にひっくり返っていると、ようやく日が傾いてくる。焦点が合わない視界に、ひょろ長い人影が映る。黒いTシャツを着たマッシュルームカットの青年が、不安そうにこちらを見つめている。彼が連れている小さなパグがちゃむ、ちゃむと吠える。
「あの……ウラサワ君?」
なぜ彼は私の名前を知っているか。椅子に座り直してその顔を見る。彼がマスクを取る。
「メヒコ君?」
髪型が変わっていて、顔は大人になっていたが、わりとすぐに分かった。メヒコ君の本名はたしかヨモギダだったはずだが、中学のクラスではみんな彼をメヒコと呼んでいた。家庭の都合でメキシコシティから突然転校してきて、メキシコのことを「メヒコ」と発音する彼は、無知な中学生達にある種の衝撃を与えた。
ここでなにをしているの、土地を売っているんだ(自分の土地じゃないけど)、どうしてここにいるの、近所に住んでいるんだ、というやりとりを経て、仕事が終わったら一緒に晩ご飯に行くことになった。というか、今日はもう撤退することにした。
犬を家に置いて戻ってきたメヒコ君と歩きながら話を聞く。学校を出た後はスペイン語と英語を活かして国際線のフライトアテンダントをしていたが、どうしても時差のある生活に身体が慣れなくて2年でやめたらしい。何か接客業を続けようと思ってヒルトンのバーで修行した後、ちょっとしたメキシコ料理とテキーラを出すバーを高円寺に出したところ、けっこう繁盛した。2号店を出そうかと下北沢あたりで物件を探しはじめた頃、コロナが来た。
「バーをやってると、お客さんがいない時間は結構よくあるんだけど、あの時に誰かがドアを開けて入ってきてくれるまで待っている時間の重さは、それまでと何か違うものだったんだ。店を開けてることも、生きてること自体も、何から何まで否定されながら、それでも誰かを待っていなきゃいけないみたいな」
運転資金が残っていて少しでも退職金にあてられるうちに、メヒコ君は2人のスタッフと話し合って店を畳んだ。それまでは店の奥にある倉庫で寝起きしていたので住む所もなくなり、今は大叔母さんの家に居候しているらしい。
「自分のペースで店を作っていくのは楽しいから、また機会があればやりたいね。いつになるかはわからないけど」
夕闇に信号機が点滅する横断歩道を並んで渡りながら、私はなにも言えなかった。
ラーメンでいいかな、と彼が立ち止まった先にあるのは住宅街の古い一軒家だった。看板もなにも出ていない。ああ、うん、と思わず答える。メヒコ君がためらわず玄関のチャイムを鳴らすと、インターフォンから返事が聞こえる。「二人なんですけど」というが早いか、ドアが静かに開き、白髪の薄くなったおじさんが出迎える。メヒコ君とは知り合いらしく、久しぶりなどとひとしきり話してから、私にも入るように促す。
案内された先はどう見ても普通の家のダイニングで、エアコンが効いていて涼しかった。つながっている居間には大きなテレビがあり、NHKのニュースが流れていた。ソファーの上には茶トラの猫が寝ていた。
「あったかいのと冷やしとどっちがいい?」 ダイニングテーブルについた私たちにおじさんが訊く。
「じゃあ、冷やしください」と私が答えると、「冷やし二つおねがいします」とメヒコ君がいう。
キッチンでおじさんが調理しているあいだ、私たちはテレビで関東地方の気象情報を眺めた。おじさんの方を振り返ると、冷凍庫から赤いコーラのペットボトルを取り出すところだった。料理しながら自分で飲むのかなと思って私はテレビの画面に視線を戻した。
出てきた冷やしラーメンは、家庭料理にどこか似つかわしくない端正なものだった。ガラスの鉢に黒いスープが入っていて、そこにひたされた金色の麺の島には、糸のように細かく切ったハムと白髪葱が載っていた。一口食べると、氷水からたった今引き出したような麺の冷たさに驚く。スープは甘辛く、どこかで味わった覚えのある下味を感じたが、はっきりとはわからず、謎めいた調和のうちにいそいそと箸を進めずにはいられない旨味があった。
食べ終えて外に出る頃には、昼間から感じていたどうしようもない倦怠感は消えて、全身が軽く感じた。地下鉄の駅に向かうため、メヒコ君と交差点で別れた。今度は何か冷たい差し入れを持っていくよと彼は笑っていた。明日の最高気温は何度だろう。さっきテレビで見たはずだが、よく思い出せなかった。
お盆で生活リズムが変わり,イライラしていたところ不注意で大事なものを壊してしまった。この際取り返しがつかないことをしたと感じて怒りが静まりどうでもよくなった。取り返しのつかないことをしたという感覚は,日常のシーンでの遭遇が少なく慣れない感覚だと思っている。経験したことだと,子供にとってはなけなしのシャトルやボールを屋根にひっかけてしまったことや学校の机から突き出したハサムが脚に引っかかって縫う怪我をしたものが印象的である。この経験から今まで当たり前のものが非当たり前のものに変容するのは得体のしれない寂しさや儚さがあると勝手に思っている。この感情を怒りの消化に利用できそうだと考えた。この時思い出したのは以前小規模の雑談配信に転がり込んでチャットしていた頃に配信者がストレスの発散方法を話していたことであった。自分のために買ったケーキを手でぐちゃぐちゃにして食べることだという。この方法については強烈な喪失感を得るかどうかは正直分からないが,心身や物品,人間関係を脅かさずに安全に処理できるのかなぁと考えた。ちょうど今全人類コメンテーター時代に加えて知人と表情を読み取るコミュニケーションに制限のある時勢で十分な不満を吐き出す場所が減っている。今後は何かあった時は生活のための食糧を買うついでに変な食べ方をすると取り返しがつかなさそうなお菓子を漁ろうと思った。
私は学生時代のレポートはすべてWikipediaからの「コピペ」で作っていたけど、一度も不可をもらったことはないよ。なぜならWikipediaだけで終わらせずに信頼のおける文献等の参考資料にあたり、出題意図に沿って文言を編集していたから。逆にそれをせずに関係のありそうな項目を「コピペしただけ」のレポートモドキが評価をもらえないのは当たり前だよね。
あなたは、
というけれど、文献等の資料の探索ができないなら研究もできないよ。学生としての基本的な技能を習得するための訓練なんだよ。手作り餃子は主婦/夫の必須技能じゃないよ。「餃子を手作りするよ!」と言って結婚したのに(そんな人いるかわからんがw)冷凍餃子なら文句くらい言われるだろうが。(ただし、就活については半ば同意できる。これは採用側の問題だと思ってるけど)
最後に、あえて「コピペレポート」を餃子にたとえるなら中華料理の修業がしたいと言って入門してきたのに生焼けの冷凍餃子を師匠に突き出して評価しろと言っているようなものだよ。
青みピンクだとか赤紫ではなく絵の具の紫色をそのまま唇に塗ったみたいなとびっきりの紫だ。それを知るのは私一人。
さっき買い物をしたスーパーマーケットの店員さんも、バイト先の生徒も、その保護者も、上司も同僚も誰も知らない。だってみんなも私もマスクをしているのだから。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は相変わらず猛威を振るっている。
外出自粛の流れも感染者が減ってはまた増えの繰り返しも当分は続くだろう。
4月のバイト先の塾の休校以来6月に初めて顔を合わせた新入会の小学生の女の子の鼻から下を私はいまだに見たことがないしもしかしたらこの先見ることもなく彼女は中学受験を終えてしまうのかもしれない。
どうせマスクで隠れてしまう部分の化粧をすることに最初は意味合いを感じなかった。暑いし、蒸れるし、誰にも見てもらえないし。リップメイクが好きだったけれど2月からしばらく口紅たちは机の引き出しにしまったままだった。早く塗れる日が来ますように、と願いをかけて、続々と中止になっていく予定にため息を吐く。いつまでこんなことを続けるのだろう、と憂鬱な気分になった。
どうせ使わないのなら捨ててしまおう、と思い立ったのはある雨の日だった。収納場所は有限だし、顔につけるものをそう何ヶ月も保存しておくのは衛生的にも良くない。おきにいりのものだけ残そう、と引き出しを開く。
その中に見覚えのない新品未使用の口紅があるのを見つける。こんなもの買ったっけ……と蓋を開いてみたらなんと驚き。紫色をしていた。
「紫?」
自分でも首を傾げる。紫色なんて自分じゃまず選ばない。人からもらったにしろこんな奇抜な色をチョイスするだろうか。
全く身に覚えのない紫色であったけれど蓋を開けてしまったから人にあげることはできない。かと言って一度も使わずに捨ててしまうのはなんだかかわいそうな気がした。
鏡の前でひとつ深呼吸。唇を突き出してその上に口紅を滑らせる。ハロウインのコスプレでもパーティーでもない。何の予定もないただの日に紫を塗った。控えめにいって紫は私の顔から浮いている。私に似合うのは茶色━━驚くだろうが茶色のリップを私の唇にのせると綺麗な赤に発色するのである!や濃い目の赤、どちらかというと青みが少ない色だというのは自分が一番よく理解しているから紫が似合わないことは想定内だ。私は鏡に映った自分の顔を見てつい吹き出してしまった。驚きとか落ち込むより先に、あんまりに似合ってなさすぎて笑えてしまったのだった。
そして私は思う。「楽しい!!」と。紫の口紅は似合わない。まるで魔女の口みたいだ。それでも人に見せるために義務感でするそれの何十倍も楽しくて、引き出しの中から他の化粧道具も取り出して気づけば本当に久しぶりにフルメイクをしていた。まぶたは緑、まつげはピンク。ほっぺたは赤。その上から妹にもらって以来使い道のないキラキラとしたラメを乗せて紫色の口紅を引く。
魔女とも呼べない怪物の出来上がり!こんな姿絶対に恋人や友人には見せられない。でも楽しい!こんなに楽しいのは数ヶ月ぶりだ、と思った。
私のメイクはちゃんとしないといけない場所で人に見せるためのもの、もしくは好きな人間──それは友人でも恋人でも推しでもなんでもいい、とにかく私が好かれたい人間の前で自信を持った私でいるための武装のようなものだった。コロナ渦で人と会わなくなって武装をする必要がなくなった中で化粧品へのトキメキも薄れていた。
だけど今は違う。これは私のための、私が機嫌よく過ごすためのメイクだ。私から因数分解を教わる子供たちも少しウマが合わない上司もみんな私が紫色の口紅を塗ってることなんか誰も気付いていない。どんなに理不尽なクレームを受けようと「いいのか?私は今、紫色の口紅を塗ってるんだぞ?」と内心でほくそ笑むことができる。
わざと似合わない色を塗るなんて今までの自分では考えたことがなかった。きっとコロナウイルスの流行で生活の変容を求められていなければ私はずっと気づかないままだっただろう。人のためではなく自分のためにする化粧──それは自分が可愛いと思えない姿でもいい!と気づけたことは私にとって大きな収穫だった。
はじめて痴漢をされた日、泣いて駆け込んだ保健室で教師に言われた台詞である。
私はこの言葉を言われたとき、正直言って絶望した。私が痴漢を突き出せなかったのは、別に怖かったからとか電車を止めるのが申し訳なかったからとかそんな殊勝な理由ではない。
現在では微物検査があるので、痴漢において冤罪が発生してしまうことはほぼないと聞く。だからガンガン突き出すべきだ!とも。私はそうは思わない。
駅で痴漢の疑いを掛けられた男性が連行されていくのを見たことがある。彼は落ち着いた態度で駅員に無実を主張していたが、周りの人間は白い目で彼を見ていたし、写真を撮っている野次馬もいた。
取り調べを受けるために仕事も休むことになっただろう。彼の休日は消費され、クビになったり会社にいづらくなってしまったりしたかもしれない。
そんな彼の光景が、痴漢を受けた瞬間に過ぎった。もし空いた電車で、絶対にコイツだと思える確証があるなら、私だって迷わず突き出していた。でも前後左右に人が寿司詰めの満員電車で、腕を動かすのも難しい状況で、確実に正しい痴漢を突き出せるだろうか?
私は無理だと思った。だから突き出せなかった。
これは無実の人を思いやってとかそういうことではなく、シンプルに間違った人を告発してしまい、誹謗中傷と多大なる迷惑を掛けた結果、自分が責められたり責任を負ったり罪悪感を抱くことになるのが怖かったし嫌だったからだ。そんなリスクを負うくらいなら、体を触られた方がマシだと思った。今でもそう思っている。
だから、日本は意識が低い、台湾なら痴漢を車内全員でボコボコにする!とか、安全ピンで痴漢を刺す!とか、痴漢らしき人が逃げる様子の動画が拡散されたりだとか、そういう現状に目眩がする。
「混んだ車内で確実に痴漢を突き出せない」のはもう仕方ない。突き出せるようにするには女性に訓練をさせるしかない。
だから突き出せるように、「告発された人は疑惑の段階であり犯人でない可能性も十分にある」「ただの不運であるため、仕事を休んでも仕方ない」みたいな風潮が必要だし呼びかけられるべきだと思う。
だから痴漢ってなくならないんだろうな。どんどん偏見とその場での攻撃手段が高まっていくから、冤罪を恐れる男性から賛成を得られない。相手の人生狂わせるのが怖くて、言い出せない子が増える。結局自分で自衛するしかない。堂々巡りになっていく。
普段の私はいつも我慢してる。可愛くない。背も低いしスタイル良くない。頭も良くない。色々上手くできないし、上手く言えない。周りから言われてるばかり。「私さん可愛いなー。付き合って」と言われたいし、自分で自分を可愛いと思うようになりたい。自分が言ったことをみんな分かって共感して欲しい。だけど実際は、言ったことは的外れに否定される。
あがってるからか、彼だからか、いや彼はさがってても良い人だし、嫌な男とはそもそもこんなことしたくない、し。
彼には自分の思ってることを、自信を持って言える。時に(こんなこと言いたいけど、どうしよう)と考えることもあるけど、彼は「そう考えて迷うのが大事」と言う。
彼は私を「可愛い」と言い、にこにこする。私は絶対可愛いわけではないのに、可愛い気分になる。照れて「えへへへ」と笑うと、その笑顔も可愛いと言う。彼は中か、中の上くらい顔。この評価だって私の気持ちが入ってるかもしれないけど、彼の横顔の鼻の高さがカッコいいと思った。いや、初めて会った時に、顔が無理な人とはこうなっていない。普通の顔で普通の人で常識的なら、普通の付き合いができる。彼は私と何度も会ってくれるし、一緒に居るとき不機嫌になったり、こっちが不愉快になることもない。
彼に「ひろさんはみんなから好かれそう(私はそうじゃないのに)」と言うと「好かれるように努力してます!」と言った。努力なんだろうか?
自分の気持ちや感情を相手に言うのは、相手が好きな人なら尚更、それはわがままの押し付けで相手の負担であり、それで拒絶されて嫌われてしまうかもしれない。だけどある時、正常位から背後位に体位を変える時、私はベッドの上に立って彼に、慎重に気持ちを込めて「愛しています」と言った。続けて「重い意味じゃなくて」と補足したけど、軽い意味なら「好き」でいい。彼はうんうんと頷き「ありがとう。うれしい。僕も愛してます」と言った。私は私が許容されてる、受け入れられてる、許されてる、このままで違ってないんだ!と言う気持ちでいっぱいになり、嬉しくて幸せになった。やっぱり私を理解してくれる人、居るじゃん!
私は(自分からバックでしてと言ったのに)彼のために嬉しくて四つん這いになって、お尻を突き出した。(どうぞどうぞ、私を使って気持ち良くなってね)という気持ちと(彼が私をこんなことするのは、私を好きだからなんだ)と言う気持ちと(私は本当は男の人にこんなことされてる女)と言う気持ちと、お尻の穴丸見えだと胸を揉んで乳首を触られたいとキスをしたいと無茶苦茶にされたいとか、色々な気持ちだった、思い返すと。いま思い返してると、股から何か出てるようで、見たら多分ぬるぬるしてる。
彼がくんにしてくれる。目を閉じて快感に集中する。彼の右手は私の太腿を力強く抱えてて、私は腰を引けない。右手が何もしてないから「右手が遊んでる!」と言うと、すぐ胸を揉んで乳首を触ってくれる。相手が自分の言うことを聞いてくれるの、気分が良くなる。「キスして」と言うとキスしてくれる。「私のこと好き?」「はい」「私もひろさんのことが好きです」。私ばかり気持ちが良いと悪い気がして、お返しにというか、手を下に伸ばして彼のちんこを触ろうと、彼のちんこは硬くなってたから握った。このちんこをどうしてあげたら彼は嬉しいのかな?
最初俺は、普通のエロ好きなツイッターの「裏垢男子」だった。繋がった裏垢女子にはどういうわけか痴漢されたいと言ってる女が多く、最初ネカマかと思ったがどうやら本物らしい。「スカート短くして最強線に乗りまーす!誰か触って!」などと書き込み、それにおっさん達が群がっていた。
俺は「痴漢されたい女子(OK娘)は多いのだ、そこらじゅうにいるのだ」と思い、いつしか通勤電車でOK娘を探しはじめた。ツイッターで得た「OK娘の特徴」と一致してるような娘は何人も見つかった。
短いスカートで物欲しげにキョロキョロしてる=きっとOK娘、お尻を突き出してくる=OK娘、スマホで官能小説だの下着のページだの見てる=OK娘。
俺は痴漢を心待ちにしている彼女達を気持ち良くしてあげるために触りに及んだ。
偶然を装ってちょっと当てても逃げない=OK娘、股間押し付けても逃げない=OK娘、触っても揉んでも抵抗しない=OK娘。
この調子でどんどん痴漢していった。電車はOK娘との遊び場と化し、気持ち良く楽しくなった。逆に電車に乗れない日は苦痛で、普段乗らない路線に遠征することもあった。第三者に止められた時は、正義君うぜえ、俺たち楽しんでるのに、と思っていた。
OK娘判定もどんどん緩くなり、ついには目が合った=痴漢を誘っているのだ、と思うようになった。
それをツイッターで呟いても、炎上はしなかった。むしろ「OK娘」のフォロワーが羨ましがり、もてはやしてくるのだ。
ある日、「常連のOK娘」のはずの女に痴漢ですと叫ばれた。俺はハメられた、と思った。ずっと一緒に気持ち良く楽しんできたのに、慰謝料目当てでハメられたんだ。冤罪だ、と本気で言った。目撃者がいたから無駄だった。
女は示談ではなく裁判を望んだ。金目当てじゃなかった。男が怖くなった、許せない、と涙ぐんで言った。
警察にOK娘だと思った旨を言うと、何言ってんだこいつみたいなことを言われた。弁護士に言うと治療を勧められた。
事件後、俺はツイッターで何気なく痴漢で検索した。何千何万もの沢山の女が痴漢に怯え、痴漢を憎んでいた。現実を見せられた。その中には風俗関係者とかもいた。裏垢は消した。
今、俺は冤罪で捕まったことにして何ごともなく働いてる。治療にも通っており、認知の歪みは治せてきたと思う。被害者女性にも本当に申し訳ない。
しかし、あの痴漢OK娘達は同性の女がこんなに怯えている犯罪を推奨して、俺が言えることじゃないが何を考えているんだろう。痴漢に怯える友達もいただろうに、自分達さえよければいいのか?
そういや、昔DMやり取りした痴漢OK娘の一人は父から性的虐待を受けたから痴漢が好きになった、と言っていたな。彼女達も可哀想なのかもしれない。
ネカマだとか言われてるけど本当に女だったと思うよ。その女子と「待ち合わせ痴漢」したおっさんの話によると。それすら業者だと言われたらアレだが。集まって多数に見えていたんだろうな。
夏が近づいたら何かが起こりそうだという気が毎年するのだが、H&Mに行ってアロハシャツと短パンを揃えたくらいではなにも起こらなかった。
いや去年は無職になった。
事業が終了したら部署ごと無くなって、そこにいた人間がまとめてお払い箱になってしまうのは、いわゆる外資系で働いていればよくあることとはいわないまでも、珍しいことでもない。それまではわりに忙しかったので、失業手当でももらいながらちょっとゴロゴロするかと思っていた。
ブックオフで買った本も読み終わってしまって、日暮里の談話室ニュートーキョーでぼんやりしてたら、誰かが傍で立ち止まった。顔を上げるとNが不機嫌そうに睨んでいた。
なんでこんなところで昼間から優雅にメロンソーダ飲んでんだよ、しかもさくらんぼ入り、さくらんぼ、と突っかかってくる。うっせーな無職だからに決まってるだろうが、と返すと、えーなにそれとうとうクビになったの?聞きたい聞きたいと向かいに座ってくる。
他人の不幸にがっついてくるこの女とは、日暮里の西アジア料理店で知り合ったというよりは喧嘩した。床に座ってベリーダンスを見ていたら背中合わせでぶつかって小競り合いになったのだ。
それ以来、なにかと行動範囲がかぶる。谷中銀座の酒屋で角打ちしたり立ち飲みカフェに入ると気がつけば隣に立っており、なんでお前がここにいるんだよ、うっせーバーカと言い合いながら飲んだ。
沖縄に行くぞと言ったのはNの方だった。さっきクアラルンプールから飛んできたこの女はコンサルティングファームに勤めていて、成田への移動が面倒臭いという理由からスカイライナーが停まる日暮里に住んでいる。明日からバカンスなのはわかった。だがなぜ私がお前の旅行に同行しなければならないのか。お前はお前の男とリゾートを楽しめばよい。
そのようなものはいない。またお前は間違いなく暇であるし、もうすぐ夏である。よって明日7時半に京成の改札前に集合すること。あとはすべて手配しておく。
行きの便ではほとんど寝ていた。那覇空港に飾ってある蘭の紫が寝起きの目にぐりぐり来た。
空港で車を借りて安座間港という所まで運転させられた。そこからフェリーで久高島に行った。
島は静かだった。背丈と同じくらいある草木がもっさりと両側に茂る道をひたすら二人でまっすぐ歩いた。何もない。
浜に出ると白い砂の向こうに明るい青の海が広がっていて、誰もいない。大きなヤドカリが木の下から出て波打ち際に向かってゆくのをぼんやり眺めた。
で?
なぜ?
哀れむような目つきでNは大袈裟にため息をつく。
感じろよ。いままで考えてた夏はどうなった? 何か起こりそうと思ってた夏は。考えてたら見送るだけでしょう?
たしかに。もうそういうのはさんざんやってきた。何か起こりそうって感じた瞬間に、自分でガッとつかまえて、たぐり寄せないと、結局いつも同じ。
そう、ガッと。Nは手を熊手のような形に広げて突き出してきた。
その手首をガッとつかむ。もう片方の手でビール瓶を持ってNのグラスに注ぐ。
島の夜は出かける場所もなく、早く寝るしかなかった。部屋の電気を消すと、夜が本当に真っ暗なところに来るのは久しぶりだと気づいた。Nの髪は潮風に吹かれたせいか少しパサパサしていて、洗いたてのシャンプーの匂いがした。肌が触れあうたびに、日焼けの痛みでお互いに悲鳴を上げながらゲラゲラ笑った。
明け方に目が覚めるとほんとうに静かで、東京では知らないうちに騒音を気にしないで生きるようになっていたのだと気づいた。島に来てよかったと思った。シーツからのぞくNの寝顔は普段よりもずっと子どもっぽく見えた。日に焼けた足首には糸みたいに細い金のアンクレットをつけていることにはじめて気づいた。その瞬間、なんだか急に気恥ずかしくなった。
東京に戻ってからもNとは互いの部屋を行き来するような関係を続けたが、大喧嘩をして別れてしまった。もう気軽に沖縄へ行けるような状況ではなくなってしまったが、去年の今頃のことを思い出して曇り空を見ている。また夏が来る。
ざっくり言うとJK2人と仲良くなってちょっとエロに踏み込んだ。
前編:
唐突ながら大規模に避難活動中。なんか現実のコロナ関係の影響で、そういう世界観なんだと思う。
自分は新幹線を使うレベルの下宿先から実家近くに帰ってきているところで、忘れ物によって実家に帰れない。
なんか避難中に「北側、名古屋らへんにあるミッドガルでテロが起きて云々」みたいな情報をきいた覚えがある。そういう世界観なんだと思う(思えない)。
で、自分も移動中、前にJK2人組。どうぶつの森の話をしていて、聞こえてちょっと笑ってしまった。そしたら話しかけられて関係が始まった。
1人目は黒髪2つ縛り(ツインテ)で、2人目はそれより身長があって髪色明るめセミショート。
移動先がJK2人組の家だった。正しくはJKツインテの家。隣にJKセミショの家。
なんか裏口(むしろ2階の窓とか屋根裏とかの印象)から入って、誰の目にも触れず一晩して、正面から出て解散した。正面の脇に別の部屋があった。
南:移動元→JK家→実家:北 みたいな配置で、特にJK家から実家は実際に知っている道のりだった。
知らないうちに自転車で通学モードっぽくなっていたJK2人を追いながら走って帰った。
後編:
で、何がなんだかわかってないけどもう一度再会して、またJKツインテの家に泊まることになった。JKセミショもいる。
「正面の脇の部屋」からJKツインテの両親が出てきたりもして、やたらドキドキしながらすごす。風呂も頂いたりした。
このあたりからJKセミショとの距離感が近い。風呂上がりにやたらくっついてくる。
寝るにあたって、ベッドに3人並んだ。ベッドがデカい。JKツインテ|JKセミショ|自分の順番。
案の定JKセミショが絡んできて、キャッキャしてしまった。あとから気づいたらJKツインテはオナっていた。
JKセミショが満足して寝入ろうかというところで気付くと、JKツインテが尻を突き出して悶々としていた。下半身にパジャマはなかった。ものすごい理想的な尻だった。(唐突な描写)
どうしたもんかと思って悩んだ末、なぜかプチ奇行に走ってしまい、アナルを舐めた。
その瞬間、セミショの手前声も出せないツインテが驚きふためいて、ベッドの自分のエリアにひっこんだ。夢だったので謎視点が発生したけれど、真っ赤になって「なんで!?!?!?!?!?」となっていた。
バイト先の「ふぃよるど」というノルウェー料理店がコロナの影響で閉店することになって、全員で乃木坂まで閉店作業を手伝いに行った。全員といってもおれ自身を含めてバイトは学生の3人だけだったが、小さな店の厨房設備や什器を回収業者のトラックに運び込むにはその人数で十分だった。
夕方には作業が終わって、最後に3人でご飯でも行こうかということになり、平林の車に乗って南青山・六本木方面に行ったはいいが、どこも営業自粛中で閉まっている。
「どうする?」とおれが訊くと、「どこでもいいよ、ラーメン屋でもなんでも。ちょっと調べてみる」とディキンソンがiPhoneを取り出す。ディキンソンは女子大の英米文学科に行っていて、本名は別にあるのだが、エミリー・ディキンソンとかいう詩人について卒論を書くつもりらしい。理工学部の平林と経済学部のおれはその方面に全く無知だったので、詩人の名前の響きだけで衝撃を受け、以来店では彼女をディキンソンというあだ名で呼んでいた。
車内では爆音で日本語の歌がかかっている。バブル期ぐらいの日本の音楽を集めるのは平林の趣味で、とくにアイドルの音源を偏愛していた。高校まで競技水泳をやっていた平林は運転席でイカリ肩を揺らしながら酒井法子?の歌に合わせて All Right, All Right と裏声で歌う。
恋を失くした
悔しいけど
「あった、開いてるとこ。オメガラーメン。麻布十番。どう?」ディキンソンが後ろの席から画面を差し出す。青山霊園を走る車の中で、平林は相変わらず All Right, All Right と裏声で歌う。「ちょっと、うるさい」とディキンソンが平林の頭を押さえつける。おれは助手席からiPhoneの画面を覗き込む。「いんじゃないかな。あとは車停める所か、探してみる」
オメガラーメンは空いていた。というか客はおれたちしかいなかった。カウンター6席ほどの店で、3人並んで座るとけっこう密だったが、今日いっぱい密だったので、いまさらどうしようもないよなと話しながら座った。
「えいらっしゃい」と店主らしき人がカウンターごしにメニューを置くが、オメガラーメンと一行書いてあるだけだ。3人ともオメガラーメンを頼んだ。
出てきたのは真黒なラーメンで、独特のぬめりがあるスープから肉の塊らしきものが突き出している。ビーフカレーのようにも見えるが、中央に配置された白髪ねぎの小山がラーメンらしい外観をかろうじて保っていた。
味はなんというか、微妙だった。3人とも無言で平らげて店を出た。
代々木上原に住むディキンソンを途中で降してから、赤羽に実家がある平林と田端に住むおれは北へ向かった。
「また3人でこうやって会うこと、あるのかな」
「どうかな。まあ、あるんじゃないかな。当面、全員日本にいることになりそうだし」
「どういうこと?」
「咲は、あ、ディキンソンは、秋からアメリカの大学に留学が決まってたんだけど、話が流れちゃったらしい。コロナのせいで先行きがわからないからって。それでけっこうがっかりしてたんだ」
「そうなのか」としか言えなかった。
なぜおれは知らないのか。なぜ平林は知っているのか。なぜディキンソンの下の名前を言ってからディキンソンと言い直したのか。
動坂下の交差点で降してもらい、セブンイレブンに寄ってからアパートへ向かうあいだ、胸に覚えのない異物感を感じ続けていた。それは甘すぎたオメガラーメンによる胸焼けなのか、ディキンソンにこれまで自分が何かを感じていたことにたいする動揺なのか、わからなかった。
カプコンのアクションゲームに胸を熱くさせ、任天堂で育った人間だ。
それでもまだまだ新作PVを見ては心ときめかせて、今はFF7Rを少しずつ進めている。
歳のせいか、リメイク版ではクラウドが可愛くて仕方ない。そんなゲーマーだ。
格闘ゲームを初めて触ったのは、ストリートファイター2だ。
幼少期、友達の家でわちゃわちゃ騒ぎながら対戦した。
波動拳を打つことができるTくんが猛威を振るったが、友達同士の対戦は無性に楽しかった。
負けるたびにコントローラーを交代して、みんなで打倒Tくんと、一丸となった。
キングオブファイターズ、ギルティギア、鉄拳やバーチャファイターなど、
ただ、どれもひとりで遊んだことはない。
友達の家や、ゲームセンター。あくまでも、その場で遊ぶだけの対戦ツールとしての楽しみ方だ。
だから、ひとりでうまくなるために一生懸命努力したことはなかった。
昔から勉強も、授業を聞いているだけでそれなりにテストの点は取れたから、
きっと、似たような感覚だったのかもしれない。
もちろん新作が出ると手を出して、オンラインで対戦したこともあったけれど、
画面の向こうの誰かの存在を感じることができず、
「昔遊んだ格闘ゲームとは、なんだか違うゲームだな」と首を傾げたりして、
それよりデビルメイクライでお手軽簡単なかっこいいコンボを試したり、
無双シリーズでバッタバッタとザコ敵を薙ぎ払うほうが、遥かに楽しくて、気持ちよかったのだ。
そんな折、『グランブルーファンタジーヴァーサス』という格闘ゲームが発売した。
ソシャゲのグラブルを題材にした、2D格闘ゲームだ。(ストリートファイター2みたいなやつだ)
格闘ゲームは自分にとって敷居の高いものだと思っていた私だが、
グランブルーファンタジーヴァーサス(以下GBVS)については、ちょっと手を出してみようかな、と思った。
理由は3点。
ひとつはネット上の付き合いのある友達が、何人かプレイすること。
近年はDiscordなどのボイチャ環境が整ってきたため、小学校の時のあの間隔を味わえるのではないか、と淡い期待を抱いたのだ。
これなら格ゲーの浅瀬をちゃぷちゃぷしていた自分でも、そこそこ戦いを楽しむことができるのではないだろうか。
3点目。これが大事だった。そもそもグラブルをやっていた自分にとって、
あのかわいいキャラを操ることができるのは、非常に楽しそうだったのだ。
ジータちゃんが最初から使えないことには憤慨したものの、それはじゅうぶん手を出すに足る理由だった。
プレイするたびにすぐ辞めるのが、いつもの私の格ゲーにおけるパターンだ。
今回もそうなるんだろうな、という予想が、どこかにあった。
ともあれ「またすぐ辞めてるw」と友達に冷やかされるのも、悔しいので、
続けるための努力はするべきだろう。
さて、始めるとなれば、キャラ選びだ。
これが大事であるということは、今まで数多くの格ゲーに挫折していた私は痛いほど知っている。
まるで永遠の伴侶を決めるかのように、慎重になるべきだった。
私はペルソナ4が大好きで、その格ゲーが出るということで、狂喜乱舞したことがある。
その際は、最愛の伴侶として千枝ちゃんを選んだ。千枝ちゃんと添い遂げようと思ったのだ。
けれど……私は、挫折した。
キャラ愛だけではどうしようもならない壁が、そこにはあった。
私は千枝ちゃんを愛することができなかったのだ。
その反省から、今回は好きなキャラにこだわるのはやめよう、と思った。
できるだけ気楽にお付き合いができるような、そんな人だ。
私は『カタリナ』という女騎士を選んだ。
本家グラブルにおいて、カタリナさんはそれほど人気の高いキャラではない。
女性キャラとしてはむしろネタ枠で、グラブル内で連載されている4コマ漫画でも散々弄り倒されている。
私自身も、ヴィーラさんは好きだったけれど、カタリナさん自身にはいい印象も悪い印象も、なにも抱いていなかった。
なので「まあ、ジータちゃんが追加されるまで、お付き合いをお願いします」という気分で、彼女の手を取った。
彼女はこんな不誠実な私にも、「よろしくな」と微笑んでくれた。
交際を始めると、カタリナさんは確かに動かしやすいキャラだった。
必要なパーツはなにもかも揃っている。炊事も洗濯も掃除もできて、さらに素直な性格だ。
実際、カタリナさんはどのプレイヤーからも「強いキャラ」と言われていて、
自分がうまくなればなるほど、誰にだって勝てるポテンシャルを秘めているらしかった。
一緒にゲームを始めた、格ゲーに詳しい友人は「君がカタリナを選んでほっとした」と言ってくれた。
間もなく、格ゲーにおいて、操作が簡単である、ということの重要性を私は初めて思い知ることとなる。
少し話は変わるけれど、
誰もがグー、チョキ、パー以外に、
ギョス、メランダ、ポポポチーノ、アラモ、ショポーリ、スイギョー(適当)などなど、
30個ぐらいの手をもっている。
スイギョー、ショボーリ、パー、ニャフ、など4つの手に勝てる。他の24個の手とはあいこだ。
こういったことを、毎瞬毎瞬、頭の中で考えながら、試合を進めていくゲームだ。
難しいのだ。
複雑なルールが覚えられない私にとって、カタリナさんは救世主だった。
カタリナさんは、グー、チョキ、パーの三つさえ覚えれば、だいたいなんでもできた。
他キャラが30個の手を使いこなしてくる中、カタリナさんの手は三つで足りた。
初めて見る相手に、「えっ、なにその技!? どうやって対応すればいいの!?」と度肝を抜かれる攻撃をされても、
自分で調べてみれば、「なるほど、これは実はチョキで勝てる手だったのか……」とすぐに答えが用意されている。
対戦して、一方的にやられて、自分で調べ物をして、そしてまた対戦をする。
すると今度は、相手のゾゾゾジゾという手に勝てるチョキを用意した私が優勢に戦える。
対戦相手も私がチョキを連発するようになると、そのチョキに勝つ手を用意してくる。
これを繰り返していくと、私はいつの間にか、さっきまで手も足も出なかった相手と五分に渡り合えるようになった。
楽しい。
楽しくて、毎日GBVSをやった。
昨日あれほどボコボコにされたフェリに対して、一晩練習しただけで、それなりに勝てるようになるなんて。
すごい。
どんなに強い相手でも、カタリナさんがいれば「いずれは勝てるようになるかも」という希望を抱いた。
今まで私は格闘ゲームを誤解していたんだ、と気づいた。
私は格闘ゲームはゲームの上手い人がやるゲーム、という認識でいた。
バイオハザードでゾンビに一度も捕まらないようにスイスイとプレイする人が遊ぶものだと思っていたのだ。
けれど、違った。
格闘ゲームというのは、非常に複雑なジャンケンで、相手の行動に対してこれをすれば勝てる、という手を用意しておくゲームなのだ。
こんなにシンプルなゲームだったのか……と目からウロコが落ちた。
もちろん、それを教えてくれたのは、カタリナさんだった。
「カタリナさん、本当に強いね」
「なあに、私を上手に操ってくれる、キミがいてこそだよ」
カタリナさん……。
いつの間にか、私にとって彼女はかけがえのない大切な存在になっていた。
よくよく見れば、顔もめちゃくちゃ美人だった。
(余談だが、先日本家グラブルにおいて開催された水古戦場においてカタリナさんが使えて嬉しかった)
私はカタリナさんとともに、反復練習、そして調べ物を続けた。
負けては調べ、負けては勝てる手を考える。
少しずつ成長していった。
共に初めた友人はSSランクというメジャーリーグみたいな場所に旅立っていったけれど、
私もAランクというマイナーリーグでそこそこ戦えるようになっていった。
なによりも、自分が徐々にうまくなっていくのが楽しかったのだ。
私の実力があがると、カタリナさんはますますその力を発揮し、期待に応えてくれた。
いや、違う。私がカタリナさんの期待に応えれるようになったのが、嬉しかったのだ。
私のそばでは「キミは日々強くなっていくな」とカタリナさんが微笑んでくれていた。
彼女は出会った頃よりわずかに……いや、明らかに綺麗になった。(私は強めの幻覚を見るようになった)
途中のバージョンアップでもともとの本命であるジータちゃんが追加されても、
私はカタリナさんのまま、GBVSを続けていった。
「本当に、私でいいのか……?」と恥じらうカタリナに、私は大きくうなずいた。
「当たり前だよ。私にとって、カタリナさんがグラブルなんだ」
社会人ゲーマーになると、とにかくゲームの時間を捻出するのが大変だ。
積みゲーもたくさん増えてきた。
そんな中、回転寿司のように、次々と新しいゲームに手を出してはクリアーしていくのが、私の最近のスタイルだった。
ストーリーのないゲームに時間をかけるのは、無駄だと思いこんでいた。
けれど、GBVSは違った。
それだけ多くの時間、私はカタリナさんと共に過ごした。
そして、4月28日。
バージョンアップの日がやってきた。
先に言っておくと、カタリナさんは確かに強かった。
「仕方ないさ。格闘ゲームというものは、バランスが大事なんだ」とカタリナさんは寂しそうに微笑んでいた。
だから、ある程度の弱体化が入ることについては、私も納得していた。
「しょうがないよね。調整ってよくある話だし」
といっても、これは『頭で』納得していた、というだけの話だ。
よく格ゲーでは「修正しろ」だの「弱体化はよ」だの、声が多く上がる。
実際に私も、スマブラDXで友人のフォックスに宇宙の果てまで蹴り飛ばされた際には「修正しろ!」と叫んでいた。
だけど、私は本当の意味での『修正』という言葉を知らなかったのだ。
なぜなら今まで、本気で格闘ゲームに向き合ったことなどなかったからだ。
カタリナさんが弱体化された。
私の顔はたちまち青ざめた。
唖然とした。
メインで使用する近Bがなによりも、破格の弱さになっていたのだ。
近Bという技は、どんな状況でも万能に使える最強のチョキであった。
多くの手に勝つことができて、コンボでも重要な役割を担う、カタリナさんの愛刀であった。
なによりもモーションがかっこいい。レイピアを高速で振り下ろすと、空気を切り裂くようにそのしなりが見て取れる。
カタリナさんの力強さ、そして剣に懸ける想いがこれでもかと伝わってくる、袈裟斬り。それが近Bだ。
その近Bが、死んでいた。
『硬直を増やしました』『認識間合いを狭くしました』というそのたったふたつの言葉で、
カタリナさんの手触りはまったく変わっていた。
私は震える声で問いかける。
「カタリナさん、カタリナさん、大丈夫……?」
するとカタリナさんは笑顔でこう言うのだ。
そう、気づいた。
たったひとつの技が弱くなったそれだけで、カタリナさんは、
私が2000試合も共に歩んできたカタリナさんは、
まったくの別物になってしまったのだ。
私の結婚したカタリナさんは、もうどこにもいない。
これからは近Lという、漫才のツッコミみたいに手の甲をぺちっと突き出して柄で殴る技を、メインに使わなければならない。
「近Bか? しかしあの技は、使ったところで仕方ないだろう」
このカタリナは苦笑いをする。
「ガードされて1フレーム不利だ。立ち回りで振るような技じゃない。私はそういう戦い方はしないんだ」
違う。私のカタリナさんはそういう戦い方をする人だった。
私のカタリナさんはどこにいったの?
ちょっとずつヒット確認ができるようになっていった遠Cが弱体化されたことなんて、どうだっていい。
色んな所からヘイトを集めているJUなんて、削除してくれたって構わない。
だから、近Bを、近Bを返してくれ。
せめて微不利じゃなくて、五分にしてくれ。
私のカタリナさんは、2000試合で少なくとも近Bを2万回以上は振り回した。
その技が、処刑されたのだ。
格闘ゲームの『調整』がどれほど恐ろしいものなのか、私は初めて味わった。
セーブデータが消えるんじゃない。自分が今まで積み上げてきた『努力』が無かったことにされるのだ。
ただ受け入れることしかできない突然の交通事故に遭ったような気分だ。
有名プロゲーマーが「なによりも調整を恐れている」という発言をした際に、私は「そういうものか」と思っていた。
弱くなったキャラを捨てて、すぐに強いキャラばっかり使う人のことを「キャラに愛着がないんだなあ」と思っていた。
バカだった。
私のカタリナさんは、間違いなく近Bを主軸に攻め込むカタリナさんだった。
だけどもう、そのカタリナさんはどこにもいない。
別物だ。
「でもどうせ弱体化されるんだろう」という想いを抱いて、遊んでいくのだろうか?
ただ、ひとつだけ言わせてほしい。
ありがとう、カタリナさん。
あなたのおかげで私は、強くなるために努力することの大切さを知りました。
あなたのおかげで私は、格闘ゲームの楽しさを初めて知ることができました。
あなたがいなくなったグラブルを愛せるかどうかは、まだわかりません。
もしかしたら別の恋人を見つけて、恥知らずにグラブルを続けるのかもしれません。
ありがとう、カタリナさん。あちらへいっても、元気に近Bを振り回してください。
まあいうて、新しいカタリナさんでも、それなりに戦えそうではあるんだけどね……。
操作感が変わる調整は、やっぱつれぇわ…………。
「彼女の思い出」というタイトルにしたが、ここでいう「彼女」は単なる女性系三人称であって、正式に「男女交際」をした事は無い。あくまで友人だった。
彼女から突然電話がかかって来たのは大学3年の夏休み前のことだった。
夏休みの課題を一緒にやらないか?という誘いだった。そして、良かったらその後近くの公園で花火でもやらないか?という尾鰭が付いていた。
彼女は確かに「絶世の美女」とは言えないまでも、今でいう地下アイドルあたりにはなれそうな容姿だったから、これを無碍に断る理由は無かった。
花火?
市販の花火を買って路地裏の公園でしょぼい火花を噴射するあれか。
興味が湧かなかった。
僕は「だったら課題を済ませた後は酒を飲もう」と提案すると、彼女は同意してくれた。
彼女の住む街の古びた図書館で夏休みの課題の一つのレポートを二人で仕上げた後、日が暮れてからもう少し大きな街へ二人で酒を飲みに行った。
適当に見つけた焼き鳥屋に入ってビールや日本酒を好きなだけ飲んでいると、やがて彼女は身体を持たせかけて来た。彼女も酔って居るのだろう。太腿に人差し指で何か文字を書き始める。どうやらカタカナで「スキ」と書いているようだ。でも、冗談で僕をからかっているのだろう。
いい加減酔いが回って来たので店を出ることにした。勿論割り勘だ。彼女から半分の金額を受け取って会計を済ませ、店を出ると彼女は泥酔して立ち尽くしていた。帰ろうと声をかけても動かない。「手をつないで!つないでくれなかったらここから動かない!」などと異常な事を口走っていた。
仕方なく手をつないで蒸し暑い夜の街を駅に向かって歩いていると、彼女は「ねえ、これからどこに行くの?ホテル??でも、そんな勇気ないんでしょ?」と言いながら腕にしがみ付いて来た。
女性と二人だけで酒を飲んだのが初めてだった僕は「これは罠だ。もしこのまま彼女をホテルに連れて行って性的な事をすれば、翌朝彼女は僕をレイプ犯として訴えるに違いない」と考えた。
僕は彼女を駅のホームに送った。レールを何本か先にある山手線のホームに立ち尽くしていた彼女が見えた。今考えれば、あんな状態の彼女を魑魅魍魎渦巻く山手線ホームに放置したのは少々間違いだったかもしれない。でも無事に帰宅したのだろうと思う。
大学の夏休みも後半になり、蒸し暑く気怠い日々を過ごしていた僕の自宅に国際電話が来た。海外と電話などした事のない僕は狼狽たが、出てみると、東南アジアでバカンスを過ごしている彼女からの電話だった。
出国前のあの夜の醜態を詫びつつ、帰国したらもう一度会って欲しい、という内容だった。
帰国した彼女とは、彼女の自宅に近いファミレスでランチをして当たり障りのない世間話をした。勿論割り勘だ。
この後どうしようか?と彼女に訊かれた僕は、君の家の君の部屋のベッドでお昼寝しようと提案した。それは字義通りの「お昼寝」の意味で、それ以上の意味は無かった。
彼女の家に向かう途中で、彼女は僕の腕にしがみ付いて来た。夏の終わりで僕は半袖、彼女はノースリーブ。剥き出しの腕が絡み合い若かった僕の股間はテントを張り、恥ずかしくなった僕は背中を丸めながら歩いた。
向こうから自転車に乗って買い物にゆく中年女性が僕らを「盛りの付いた犬」を見るような目つきで睨みながら走り去っていった。
彼女の家についた僕は彼女のベッドに横たわり普通に休憩していた。隣に横たわった彼女はなぜか僕の胸の上に手を置いた。仕方なく僕は彼女の手を取ったけれど、腕が疲れて来たので手を離した。
「なぜ手を離すの?」という彼女に僕は答えようが無かった。盛り上がった僕の股間の上に彼女は太腿を乗せて「ファミレスなんか行かないで、ずっとこうしてれば良かったね」とささやいた。
確かにそれは今まで自分が経験した事のないような甘く刺激的な時間だった。
その後僕らは頻繁に会うようになり、彼女は隙を見ては僕の唇にブチュ!っとキスをするようになった。僕は少々辟易したけれど、満更悪い気分でも無かった。
彼女の家のそばの例のファミレスで、彼女は「なぜキスをするの?」と質問をして来た。僕は「気持ちいいから」と答えると彼女は急に顔を曇らせた。「『好きだから』じゃないの?女なら誰もいいの?」
無神経だった僕は「美女とのキスなら誰でも幸せ」みたいな回答をしてしまった。
静かに激怒した彼女はキスを禁止した。ほおにキスしても微動だにせず怒りの視線をこちらに向けるだけだった。
秋の休日に僕らは二人で郊外の山里へ出掛けた。郊外に向かう朝の下り電車の中で彼女は「今日の私、ちょっと変でしょ?」と言いながら腕にしがみ付いて来た。僕はいつもとそんなに変わらないと思いつつ適当に「うん」と答えた。
山里の自然を二人で一日中楽しんだ後で都会に戻った僕らは、夕食の後でネオンサインの見える都会のベンチに座っていた。
突然彼女は「何でキスしてくれなかったの?」と訊いて来た。僕は「いや、キスは禁止なんでしょ?」と答えた。
彼女は数日前に、以前交際していた妻子ある中年男性から車の中で身体を触られた事を告白しながら、僕の口に鯉のように激しく襲いかかった。
そばの道を通り過ぎるタクシーの運転手の冷ややかな視線を感じながら、僕は彼女を抱きとめるのことしかできなかった。
「ホテルに行く?」という彼女の言葉に狼狽する事しかできなかった僕は、彼女を駅のホームまで送った。
秋がもう少し深まった頃、彼女は僕の住む街に遊びに来た。駅から少し歩いたところにある今はもう潰れた焼き鳥屋で酒を飲んで、その後、線路脇の道を二人で歩きながら彼女は「抱いて」と言った。
しかし、当時としてもやや時代遅れと思われるこの表現の真意を理解し得なかった僕は、普通に彼女を熱く抱きしめた。
「この辺にホテルはないの?」という彼女の問いの真意を理解できなかった僕は、駅前にあるビジネスホテルを紹介しつつ、彼女の家に帰る終電はまだあると伝えた。
彼女は確かに、なかなか美しい魅力的な女性だった。けれども価値観や社会に対する思想は違っていた。僕は当時から左派の価値観を持ち、社会の問題点は変革されるべきだと彼女に語り、現在の民主主義社会は人々の弛まない努力によって長い歴史の中で築き上げられて来た事を事あるごとに力説した。
しかし彼女は政治には全く関心はなく、「文句を言ってもどうせ世の中変わらないでしょ?」という態度だった。
ただ、美しい女性と街を歩くことが心地良くて、休日のたびに彼女と会っていた。
しかし彼女は次の年の春には本当に自分を愛してくれる(と自称する)男性を見つけ、僕とはあまり会ってくれなくなった。
彼女に別の男が出来たことに気づかなかった僕は、二人では滅多に会ってくれなくなった事について不平不満を彼女に訴えたけれど、今となっては仕方のない事だとわかる。彼女と一日中街を歩き、おしゃれな店から小汚い店まで色々な場所でお茶を飲んだり酒を飲んだり、夕暮れや夜景を眺めた日々は確かに僕にとって最も幸せな日々だった。しかし今から考えれば、僕は確かに彼女を本気で愛してはいなかったのだ。世界に対する価値観が違い過ぎていた。
大学4年になった冬、既に別な男と交際していた彼女が久しぶりに自宅に遊びにやって来た。二人で戯れているうちにちょっとしたアクシデントで僕の家の備品のごく一部を彼女が壊してしまった。彼女は尻を突き出しながら「お仕置きして」と叩くように促した。
僕は叩くような事をせず、彼女の尻を撫で、その後彼女を抱きしめた。
彼女は顔を赤らめて「それじゃお仕置きにならないよ」と言いながら僕の胸を撫で始めた。
僕が彼女の胸を同じように揉み始めると、彼女は「女の子の胸を触っちゃダメだよ!ずるい!私も触るから」と言って僕の股間のチャックを下ろして男根を揉み始めた。まだ若かった僕の男根が力強く立ち上がり始めると、彼女は「舐めたい」と言い出した。
舐められたのは初めての経験だった。彼女は髪を振り乱して一心不乱だったけれど、僕は歯が当たって痛かった。だから萎えてしまった。
首の疲れた彼女は僕のベッドの上に仰向けになった。今度は僕が彼女の下着の中に手を入れ、暖かく湿った膣の中に指を入れて動かしてみた。
「やめて!」
というので僕は手を止めたけれど、彼女はその後小さな声で「やめないで…」と囁いた。
僕がもっと大きく手を動かすと、彼女は普段聞いたことのない裏返った高い声で喘ぎ出した。その時の僕は違和感しか感じなかったけれども、これは彼女なりのサービス精神だったのだろう。経験豊富な彼女のいつもの声なのかもしれない。
やがて日が暮れて薄暗くなった室内で彼女は「〇〇くん(僕の名前)とやりたいなぁ」呟いたけれど、コンドームがなかった。その時点でまだ童貞だった僕は外に出す自信はなかった。
僕は彼女を駅まで送って行った。
それから20年以上の時は過ぎ、彼女は二度目の結婚で幸せな家庭を築き、送られてくる年賀状の写真は夫と子供たちに囲まれた幸せな家庭そのものだ。
一方非モテ中年の僕は独身のままだし、多分一生結婚する事はないだろう。
だが、別にそれでいいのだ。
あつまれどうぶつの森、たしかにスローライフっぽさはあるんだけど家具とのインタラクションが足りない
椅子には足を前に突き出した変な座り方で座れるだけだし、せっかくいいベッドに寝ようとしても掛け布団の上に無造作に転がるだけで寝てる感が薄い 風呂とか温泉みたいな家具に至っては足をつからせることすらできない
食事・排泄も申し訳程度に果物食ったりその効力をなくすためにトイレを使ったりするくらい 生の果物・たまごをかじることしかできないって点で食事要素はかなり薄いと言っていい
とにかく、ああ見えて生活してる感は全然ないんだよな 家具を置いて好きな部屋を作るって点では凄くいいんだけど、じゃあその好きな部屋で何をするのかっていうとほぼ何もできない
もう少し生活の部分にフォーカスしたゲームはないのかな サバイバル系のゲームはある種そうなんだけど、あれだって開拓とか戦闘とかがメインで生活そのものはおまけに見える
ホームセンターに出かけて家具を買って家に置いて、風呂に入り飯を作って寝て、バイトをやって金を稼いでいい部屋に移る どうぶつの森の現代都市・生活全部盛り版みたいなゲームはないものだろうか
みんなゲームのなかでそれをやるのは虚しいと思うのかなあ いいと思うんだけどな…
母親が狂った。
いや、正確に言うと「狂ったらしい」。ただ、私はそれを目の当たりにしてもいないし、明らかな被害にも遭っていない。
今の所、その狂ったらしいと思われる情報を、彼女の周囲から聞いているだけだ。
何かに追われている
盗撮されている
誰かが死んだ
何かが襲ってくるから早く逃げて
そんなようなことを言っては、近所の人の門を叩いたり電話をかけたりしているらしい。
還暦を過ぎた女の独居。寂しいことも不安なことも多いだろうことは予想できるが、彼女に何が見え、何が聞こえているかはわからない。
その事実らしき話だけを聞かされて今、ただただひたすらに参っている。
それから、その彼女の周りが気やすく言ってくる『あなたは家族なんだから』という言葉が、ただただひたすらに鬱陶しい。
私はきっとはたからすれば、普通に育って親の元から巣立ち結婚した娘だ。
だけど周囲は何も知らない。私が、母を含めた彼女の家の呪縛から逃れたくて、一人になり、結婚したことを。
もちろん、やらねばならないことはわかる。
かけるべき電話はいろいろかけ、精神科のある病院等も見繕った。が、病院はどこに連絡しても、すぐに予約が取れそうなところがない。
救急で対応が可能か救急相談もした。しかし予想通り、その症状が出ている最中でもない限り、出動はしてもらえないとのことだった。当然だ。
行政への協力依頼として、保健師への相談も行った。やはり病院受診が先だろうと言われたが、相談実績を作りたかっただけだから、これはいい。
病院に連れて行くにしても、「あなたは頭がおかしいから病院に行こう」などと言えるわけもない。そういう部分のケアも考える必要がある。
それでもどうしても自身の生活の片手間になるから、スピードは遅い。
そこへまた追い打ちをかけるように、『家族だから』と告げてくる人間がいる。
集積されてどろどろになった情報を、その人らの視点から私に突きつけてくるのだ。
離れたくて離れたのに、またそういうものに絡め取られようとしている。他人からの親切丁寧な忠告によって、『あなたのお母さんが大変なのよ』と。
私だって、彼女とは血縁かもしれないが、他人なのに。繋がるなにかを、全部絶っておけばよかったのだろうかと、うっすらと思ってしまう自分がいる。
救急車を呼んでくれていい。
妙に現実的な逃避と、自身の中にある拒絶とかろうじてある義務感がごちゃまぜで、湧き上がる気持ち悪さに吐き気がしてくる。
表現の自由論者だが、あなたの意見を興味深く読んだ。素晴らしいトスだと思う。
俺を含むごく少数の人間が、あの表現にどこが問題なのかサッパリ判らない、と言っている。
なぜ判らないのだろうと、ずっと考えていた。
孤島に取り残された気分だったのだけど、ついに脱出のキッカケを貰った。
この世に性被害が存在せず、被害にあっても「エロいかっこしてたからだろ」とか言われることなく、性産業に従事する人が堂々と結婚相手の親にそれを言えるような社会なら、アニメ絵の股間に謎シワがあったところでそんなに気にならないと思う。
性被害があるのは知っているが、だいたいがネットニュースの中の話で、家族や友人、ごく少ない女性の知人からもそのような話を聞いたことがない。誰もそんな世界があると口で語ってはくれなかった。「エロいかっこしてたからだろ」などと言う悪人が本当にいるとは到底思えない、想像できない。創作の中でさえ見たことがないんだ。ニュースのレイプ犯はいつも連行される車の中にいる。どんな風に育ち、何を考えて生きているのか。人物像がまったくわからない。性産業に従事してる人と結婚するのには何の問題もないし、親にだって言えると思う。立場が逆でも問題なくできる。親たちがドン引くような事があればその場でただちに非難できる。そして彼女や俺は悪くないのだから、何も傷つく道理がない。だから気にしない。俺はこんな人間だ。俺にとってポスターは、気にならない。
失礼ながら、あなたたちはアンリアルなんだ。語られる実態は俺にとって重さがない。上手くグリップできない。これは俺の落ち度だ。気づくタイミングを逃し、耳を傾ける努力を怠ってきたからこんな体たらくなんだと思う。だけどタブン、こんな風にピュアな——それ以外の表現が思いつかない——ピュアなオタクは俺だけではない。
少なくとも俺にとって鵜呑みにできない考え方を、あなたの文章の中に見つけた。あなたたちはこの考えを許し、受け入れ、拡大再生産しているように思える。
性の規範意識がある。性の規範意識が、加害者を頂上に載せて広がる「他人の性のあり方に口を出す人々」のピラミッドを形作るエネルギーになっている。その下の方にあなたがいて、どこか端っこあたりに俺も含まれている。厄介なことに、性被害者を守るためには諸悪の根源たる、性の規範意識を一旦受け入れるしかない。
そうしているうちに表現のガイドラインは「女性特記事項」で膨れ上がる。服を描く際には乳房の輪郭を縁取ってはいけない、スカートの内側に輪郭線を入れてはいけない、胸を突き出しているように見えるポーズをさせてはいけない、へっぴりごしはダメ…
ひとつ疑問が解消して、問題が増えた。ポケットの中のビスケットみたいに。これを手から血が出るまで続けても、必要な切実さには届かないだろうけど、でもやっていくしかない。やっていこうと思う。まずはあなたたちを馬鹿にする意図はないということだけは、伝わっただろうか。