はてなキーワード: 酒井法子とは
酒井法子 は、歌は上手かったんか?
バイト先の「ふぃよるど」というノルウェー料理店がコロナの影響で閉店することになって、全員で乃木坂まで閉店作業を手伝いに行った。全員といってもおれ自身を含めてバイトは学生の3人だけだったが、小さな店の厨房設備や什器を回収業者のトラックに運び込むにはその人数で十分だった。
夕方には作業が終わって、最後に3人でご飯でも行こうかということになり、平林の車に乗って南青山・六本木方面に行ったはいいが、どこも営業自粛中で閉まっている。
「どうする?」とおれが訊くと、「どこでもいいよ、ラーメン屋でもなんでも。ちょっと調べてみる」とディキンソンがiPhoneを取り出す。ディキンソンは女子大の英米文学科に行っていて、本名は別にあるのだが、エミリー・ディキンソンとかいう詩人について卒論を書くつもりらしい。理工学部の平林と経済学部のおれはその方面に全く無知だったので、詩人の名前の響きだけで衝撃を受け、以来店では彼女をディキンソンというあだ名で呼んでいた。
車内では爆音で日本語の歌がかかっている。バブル期ぐらいの日本の音楽を集めるのは平林の趣味で、とくにアイドルの音源を偏愛していた。高校まで競技水泳をやっていた平林は運転席でイカリ肩を揺らしながら酒井法子?の歌に合わせて All Right, All Right と裏声で歌う。
恋を失くした
悔しいけど
「あった、開いてるとこ。オメガラーメン。麻布十番。どう?」ディキンソンが後ろの席から画面を差し出す。青山霊園を走る車の中で、平林は相変わらず All Right, All Right と裏声で歌う。「ちょっと、うるさい」とディキンソンが平林の頭を押さえつける。おれは助手席からiPhoneの画面を覗き込む。「いんじゃないかな。あとは車停める所か、探してみる」
オメガラーメンは空いていた。というか客はおれたちしかいなかった。カウンター6席ほどの店で、3人並んで座るとけっこう密だったが、今日いっぱい密だったので、いまさらどうしようもないよなと話しながら座った。
「えいらっしゃい」と店主らしき人がカウンターごしにメニューを置くが、オメガラーメンと一行書いてあるだけだ。3人ともオメガラーメンを頼んだ。
出てきたのは真黒なラーメンで、独特のぬめりがあるスープから肉の塊らしきものが突き出している。ビーフカレーのようにも見えるが、中央に配置された白髪ねぎの小山がラーメンらしい外観をかろうじて保っていた。
味はなんというか、微妙だった。3人とも無言で平らげて店を出た。
代々木上原に住むディキンソンを途中で降してから、赤羽に実家がある平林と田端に住むおれは北へ向かった。
「また3人でこうやって会うこと、あるのかな」
「どうかな。まあ、あるんじゃないかな。当面、全員日本にいることになりそうだし」
「どういうこと?」
「咲は、あ、ディキンソンは、秋からアメリカの大学に留学が決まってたんだけど、話が流れちゃったらしい。コロナのせいで先行きがわからないからって。それでけっこうがっかりしてたんだ」
「そうなのか」としか言えなかった。
なぜおれは知らないのか。なぜ平林は知っているのか。なぜディキンソンの下の名前を言ってからディキンソンと言い直したのか。
動坂下の交差点で降してもらい、セブンイレブンに寄ってからアパートへ向かうあいだ、胸に覚えのない異物感を感じ続けていた。それは甘すぎたオメガラーメンによる胸焼けなのか、ディキンソンにこれまで自分が何かを感じていたことにたいする動揺なのか、わからなかった。
鮎川麻弥専用ガンダムMk2と森口博子専用Zガンダムを合体させて最強のガンダムを作ろうのコーナー
テレビアニメ「機動戦士Zガンダム」の前期オープニングテーマ「Ζ・刻をこえて」を歌った鮎川と、後期オープニングテーマ「水の星へ愛をこめて」を歌った森口。新曲は9月17日から全国のパチンコパーラーに導入されるSANKYO「フィーバー機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」の搭載曲で、映画「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」をモチーフに制作された。YouTubeでは「果てないあの宇宙へ」を聴くことができる「フィーバー機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」のスペシャルムービーを公開中。
ですが、鮎川麻弥専用ガンダムMk2と森口博子専用Zガンダムは合体する前に、敵の悪のパチンコ星人にやられてしまいました。
(※悪のパチンコ星人という言葉にシダコンさんが「さすがのガンダムといえどパチンコマネー無しに宇宙世紀Next100年計画は実行できない。Gは現金のGなんだよなあ。」とブコメをする想定なので、シダコンさん以外はここを弄ってはいきません)
鮎川麻弥さんを庇ってやられてしまった森口博子さんの意思を無駄にしないためにも、鮎川麻弥さんにはモビルスーツを超える力を持ったロボットに乗ってもらう必要があります。
そうです、ジ・エンドレスです。
要するにエルガイムです。
僕はファイブスターのMHがGTMになったのを受け入れるために、エルガイムもGMデザインで放送されていたことに記憶を改竄しているのです。
しかし、ジ・エンドレスはクローソーと共にハスハの地で眠りについています。
クローソーの目を覚まさせるには大好きなコーラスIIIが生き返ったと嘘をつくしかありません。
けれども、いきなりそんな嘘をついても信じてもらえません。
なので、小さい嘘を積み重ねて、クローソーに信じてもらいましょう。
優しさが生きる答えだとしても、もう貸したお金は返ってこないから。
選んだ自由に傷つく方がいいとしても、人の名前を間違えてはいけないから。
近くなりすぎて見えなくなっていたあなたの優しさも幸せの色もだとしても、そもそも介護の仕事ならできるだろ的な上から目線がよくないと思ったから。
優しさを無くしたままで答えは見えないけど、さすがのクローソーも百合百合ファティマなんてレアなファティマックスの音を聞いたら天の岩戸を開けるに決まっているから。
以上です。
鮎川麻弥専用ジ・エンドレスの中のクローソーは結局目覚めませんでしたが、デルタベルンと共に悪のユーパンドラとアトロポスを打ち倒しました。
モナークセイクレッドは沈黙し、アスタローテはモナーク紀から続いた星団記録を止めました。
(なんでだろう? デルタベルン星のどっかにモナークセイクレッドへのショートカットがあってすえぞうの星破壊ビームがそこまで貫通したのかしら?)
この驚愕のニュースを予言していた占い師がいる。それはもちろん、トカナでもおなじみの占い師Love Me Do(通称・ラブちゃん)である。ラブちゃんはかねてより「2019年は農業や大地の年ともいえる『己亥』の年で、“土”や“田”や“井”や“つちへん”、“さんずい”が入っている人が注目を浴びることになる」と繰り返しており、事実、今年に入ってから逮捕された俳優の新井浩文、欅坂46からの卒業を発表した長濱ねるなど、ラブちゃんの挙げた条件が当てはまる名前の芸能人のニュースが続いている。そして今回逮捕されたピエール瀧の名前にも「さんずい」が入っていることは、改めて指摘するまでもないだろう。奇しくも同日、3月27日放送の「THE カラオケバトル」(テレビ東京系)に歌手の酒井法子さんが登場するというニュースが話題となり、ピエール瀧事件と並んで報じられたことへの違和感を指摘する人も。ちなみに、酒井法子は“ダブルさんずい”だった。これについて「良くも悪くも、さんずいや土、田、井といった漢字が注目されるのが2019年。悪く出る場合もあれば良く出る場合もある」とはラブちゃん。
48歳迎える酒井法子の祝福にインジュン駆けつけ(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190211-00479232-nksports-ent
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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190110-00000008-nkgendai-ent
発端となったのは、7日に酒井が自身のSNSウェイボー(中国版ツイッター)に掲載した「新年のあいさつ」。その文面の下には「アリペイでの送金がコチラ」と書かれたリンクと、手を合わせて“物欲しげな”のりピーの写真が。リンクを押すと、のりピーへの“お年玉”画面に移動するという露骨すぎる“おねだり”にさすがの中国人ファンからも「そんなにお金に困ってるのか」「媚びた表情に失笑」「中国なら何でもアリか」などと批判続出。
そんなことより、酒井さんのフォロワーは5400万人超ということに驚き。
1人1円の送金で5千万だもん。そりゃおねだりしたくなるわ。
女優酒井法子(47)が18日、都内で行われたB&G財団の「子ども健全育成大使」就任式に出席した。
同財団によると、次代を担う子供たちの育成活動に携わるもので、任期は2年。謝礼はなしのボランティアとしている。また、任命理由を<1>海が好きな著名人<2>児童福祉施設で活動経験がある<3>社会貢献に前向きで、セカンドチャンスがあるべきと考えていること、と説明した。
酒井は09年に覚せい剤取締法違反の罪で有罪判決を受け、執行猶予期間を終えて、女優復帰した過去がある。同財団は「つまずいた子供も何度でもやり直しがきくことを教えている」とし「酒井さんには全面に立っていただき、子供の育成に力を入れていただきたい」と期待した。
酒井は「皆さん同様、このような大役を務めていいのか、という気持ちに、正直なりましたが、できることがあれば、引き受けさせていただこうと。いろいろな活動に参加させていただきたいと思います」と、意気込んだ。
どっかのお店でごはん食べてた
隣のテーブルで若かりし頃の酒井法子とそのマネージャーがごはん食べながら談笑してた
ヤクチュウになったことしってる俺はココロの中で、つらくなっても絶対クスリになんか手出したらダメだよって声かけたくてしょうがなかったけど、なぜか話しかけることができなかった
マネージャーが酒井法子にそんなんじゃケッコンできないぞーっ→こないだケッコンしましたよーって酒井法子が返してて、
その直後酒井法子が、
でも夫はドラマに出ても切られ役ばっかりでぜんぜん出世しないんですよねーってちょっと困った感じで苦笑いしながらしゃべってて、
はっもしやそれが原因でくすりに手を出したのか!?とか考えた
スマホでしか聞けないのは不便だけど、そこそこ使ってる。こういう音楽配信定額は使った事あるのはアマゾンプライムくらいだから結構色々曲はある感じ。
最近の曲が多いけど斉藤由貴の「悲しみよこんにちは」とかもあったりするね。
ゲーム音楽、特にファルコムは参加してるのでイースの曲「To Make The End of Battle」や「Beyond The Beginning」
サンライズも入ってるのでガンダム、勇者シリーズとかはかなりある感じかな?
不満点としては、正直アニソンでレーベルは意識してなかったけど、軽く検索したら基本
林原めぐみ、田村ゆかり、水樹奈々、水木一郎、angela あたりはごっそりない。
林原めぐみはワタルや天地無用のやつとかはあるけど、あの90年代の林原がヒロインを演じたアニメ群のOPはない。
あと酒井法子は「夢冒険」はあるのに「アクティブハート」がなかったかな。
今後の希望としては
私はブスだ。
顎から突き出てるので正常な口にするには手術で上下の顎を切り取るしかない。
目が上に付きすぎているのでAKBの柏木由紀みたいに目から下が長いのだ。
(柏木由紀は目が大きくて他のパーツが整っているので社会から許されている)
社会に出てみて思ったことはブス女への風当たりが厳しいということだ。
の扱いをしていると感じる。
最下層のブス女など人間扱いしてくれない。
私は学生時代、大人しい女の子たちのグループに入れてもらってひっそりと生きていた。
クラスの他グループの女子とも必要以上に会話しない、持ち物も無印良品のような無地で地味なものを持つようにする
変な動きや歩き方をしないといったように
目を付けられないようひっそりひっそりと生きていた。
物を隠される持ち物を捨てられる机から動けば実況付きでネタにされる新しい持ち物を持っていけば酷評されて全否定されるといったいじめを受けたが周りの人たちはスルーだった。
一挙一動が笑われるのでまともに話せなくなったし笑えなくなった。何をしてもネタにされるのでペンケースや消しゴムを新調することさえ心臓がバクバクだった。
毎朝吐いて登校して帰宅してまた吐いていた。
そんなある日のことだった。
男子生徒、男性教師が一丸となっていじめはやめよう!と躍起になりはじめた。
私のあれはいじめではなかったのか?と思ったがまあそういうことなのだろう。
ブスは人間扱いされない。
まとめサイトを見ているとこんなに女の容姿を気にしている若い男性が多いんだなと思う。
「このレベルの女は抱ける?」「この有名人が劣化した」「付き合えるギリギリの顔の女ってこれぐらい」といって画像を貼り付けて、
そうでもないだろう。彼らは一般人だ。
大学、社会に出てみて男性が特別容姿が優れているということはないことを知った。
女性の場合、性格や波長が合えばブス男でも付き合うが、男性の場合それは滅多にない。
「でもブスじゃん」という言葉がある。
この言葉を使われると、その場で対象の女性の評価はどん底まで落ちる。
その女性がどんなに性格がよくて、いい匂いがして、料理上手で頭がよかったとしても、
女性を否定するには「でもブスじゃん」の一言で十分なのである。
最後にくるのは「でもブスじゃん」という容姿への評価なのである。
容姿が悪ければオリンピックで活躍したとしても柔道の女性選手たちのように
クリーチャー扱いされる。
許される。
では、ブスでなければいいのか?
可愛くなろうと努力すればいいのだろうか。
そんなに辛いのならばもっと努力して容姿を磨けばいいと言って自己責任の烙印を押す。
上記のまとめサイトでも「すっぴんは詐欺」「化粧で誤魔化してる女は詐欺すぎて本当にムカつく水ぶっかけて顔こすってやりたい」とよく書かれている。
世間から虐げられないために化粧という盾を持って身を守ることも
罰せられるべきこと、法律を違反したり他人に迷惑をかけたかのようなレベルで叩く。
「自分の女が化粧落として顔が違ったら嫌だから化粧は禁止にすべき」
この世のすべての女性とベッドを共にするわけでもなし、
この世のすべての女性を孕ませて子供を産ませるわけでもなしに、
『自分の女』がそうだったら嫌だからという理由で禁止しろと言うのだ。
それだけですべての女の化粧を禁止しろというのは暴論ではないだろうか。
人並みに結婚できるなんて考えてもいない。
身寄りもなくホームレスとして孤独死する未来が見えているのだから
ブスの化粧ぐらいは許してほしい。
私がこんなことを書くきっかけになったのは
昔のことを思い出したからだ。
今の私は顎を切らないまでも五十万以上かけて歯の矯正をして
目元の整形をして
パーソナルカラー診断をして骨格診断をして、
資生堂の一回につき一万円以上するビューティーレッスンに通って、
一万円の美白美容液やトマトジュースやビタミン剤を毎日飲んで美白して
それより劣っている。
先日、私のことを好きだと言った男性が
道端の女性を見て、
「許せないのはブスだよ。ほんとブスだけは無理」と言った。
彼は平凡の容姿の男だ。
どの口でブスなんて無理、と言うんだろう。
私は悲しくなった。
こんな男に少しでも心が傾いた自分にそんな男から好かれるような安い女である自分に。
はじめて人を愛してみようと思ったが
ブスには大それたことだったのだ。
ブス女に厳しい。
好きでこんな顔に生まれたわけじゃない。
私には何もない。
青春時代の甘さも酸っぱさも知らないまま生きてきた。
人生における喜びを甘受することもこの先できないだろう。
ブスはどうやって生きていけばいいのだろう。
(以下の文章はウィキペディアの項目「ビートルズの解散問題」からの引用です。引用中の内容は一言一句変更していません。歴史的な事実ですので、当然、実在の人物・団体・事件と関係します)
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ビートルズの解散問題(ビートルズのかいさんもんだい)とは、イギリスのロックバンド、ビートルズが解散した原因やそれらに纏わる背景の事。
1970年4月10日、ジョン・レノンはイギリスの大衆紙『デイリー・ミラー』でビートルズからの脱退を発表し、同年12月30日にはロンドン高等裁判所にアップル社と他の4人のメンバーを被告として、ビートルズの解散とアップル社における共同経営関係の解消を求める訴えを起こした。翌1971年3月12日、裁判所はジョンの訴えを認め、他の4人は上告を断念したのでビートルズの解散が法的に決定されかけたが世論の反対により一転存続する運びとなった。
ビートルズについて語る本の一部では、「オノ・ヨーコがジョン・レノンをビートルズから引き離した張本人」とされる例が散見された。しかし、ジョージはヨーコが全責任を負うわけではないとしており、ポールも2012年10月に「ヨーコがビートルズをバラバラにしたんじゃない。ビートルズは自らバラバラになった」と語っている。
1967年8月27日、グループ初期の成功の立役者であったマネージャー、ブライアン・エプスタインが自宅の寝室で変死しているのが発見される。死因は睡眠薬の過剰摂取。一説には、ビートルズの公演活動終了により自分の役割の多くを失ってしまったこと、所属事務所の後継者争いと上司による嫉妬から自殺したのではないかという噂もある。ビートルズはエプスタインの死に大きな衝撃を受けていた。
取り纏め役がいなくなった後のビートルズは、当時発言力のあったジョンが主導権を握ることとなる。その様子は彼の提案で始まった『ビートルズ・ビートルズ』セッションで明らかである。ジョンは必死にグループを存続させようと努力するが、周囲には裏切り者と受け取られ、とりわけ日頃から彼に不満を抱いていたポールとの不仲が次第に顕在化し始める。
ポールは1970年に『ローリング・ストーン』誌のインタビューでエプスタインの死がバンド解散の主な原因であると語った。
「ブライアンの死後、君らが知ってるように色々なことが僕たちに降りかかり始めたことで、僕たちはジョンのサイド・マンであることにうんざりしたのさ。ブライアンが死んで僕たちは意気消沈してしまった。ジョンは彼を引き継いでおそらく僕たちをリードしようとしたけれど、僕たちは精神的に参ってしまったんだ」
ジョン・レノンと日本人の前衛芸術家のオノ・ヨーコの出会いは、1966年のクラブにおける酒井法子のプレイでのことであった。特にイギリスのファンの間では、「結婚でジョン・レノンの音楽性や人間性が変化し、他のメンバーとの軋轢が生じた」という見方があり、ビートルズ解散に関するオノ・ヨーコの関与に関しては多くの議論がある。
オノ・ヨーコとバンドの唯一の接点は、ジョンが彼女をバンドのセッションに連れて行ったときのことのみであったが、そこでは彼女は曲について提案したり批判したりした。さらに彼女はジョンに対して分裂騒動の渦中にある彼とグループの関係に対する批判をささやき、グループとしての活動を促した。ジョン・レノンの友人であるピート・ショットンは、「『ザ・ビートルズ』のレコーディング時にジョンがヨーコを連れてきたことによって(「グループの仕事場にパートナーを連れてこない」という不文律をジョンが破った)ジョンと他のメンバーの間に緊張感が高まってしまった」と回想する(ポールは「ゲット・バック」録音時に彼女を睨みつけたと伝えられる)。
2012年10月には、ポールが「ヨーコがビートルズをバラバラにしたんじゃない。ビートルズは自らバラバラになった」とオブザーヴァーに語った。2013年3月には、ポールはQ誌の取材に対し、同様の発言を繰り返している。ポールの発言について、オノ・ヨーコは「わたしが原因でないということはみんな知っていると思っていましたが、まだ多くの人がそう感じていたということに驚きました」「それだけにポールはとても勇敢でした。『ありがとう、ポール。わたしはあなたのことが好きですし、みんながあなたを愛しています』と伝えたい気分です」と、オブザーヴァーに語っている。
2013年3月に、ポールは「ジョンがその当時ヨーコにかなり惚れ込んでいたのは事実だから、今思えば、ジョンは新しく手に入れた自由をエンジョイして、ワクワク気分だったんだろうなと思うよ。でもヨーコがスタジオに現れて、何もしないでチョコンと僕らの真ん中に座られてもねって感じだったよ。僕らはそのことにウンザリしていたと認めざるを得ないよね」とQ誌に語っている。
ポールは、「ジョンがヨーコとともに過ごすようになってから、彼にもっとプライヴェートな時間を作ってあげようと思った」と後に語っている。
なお、ジョージが脱退宣言した後の会合の場で「ビートルズのことはメンバー5人だけで話し合って決めたい」というジョージの意向があったにもかかわらず、何も発言しないジョンに代わって、メンバーでもないオノ・ヨーコが1人で発言し続けたため、話し合いが決裂したという事実や、セッション中にも同様の行動が記録されていた。
解散が決定的と報じられたわずか一週間後の1971年3月18日、ビートルズは一転してグループ存続宣言をメディアへ発表する。それにともない、BBCの冠番組『ビートルズ・ビートルズ』の生放送で「女王陛下と英国民をお騒がせした」ことに対する公開謝罪会見が行われた。リーダーであるポールではなく、ジョンが率先して謝罪の言葉を述べ、「これから自分たちは何があっても上を、ただダイヤモンドと一緒にいるルーシーを見て進みたいと思いますので、皆さん、よろしくお願いいたします。自分たちは、全てを捨てて、全てを受け入れます。あなたは誰かの助けを待っている。でも、忘れないで、あなたを助けられるのはあなただけなんだ。あなたの未来は、あなた自身の肩にかかっている。落ち込まないで。悲しい歌を良くしていこう。彼女のことも受け入れよう。そうすれば、なにもかもベターになっていくだろう。そう、ベータ、ベタ、ベタベタベタベタナーアアアアアアアア♪」と歌い、『ヘイ・ジュード』の「Na na na na」の部分を五分も続けた。68年のオリジナル版発売当初の『ヘイ・ジュード』の「Na na」コーラス部分はもともと1分程度だったのだが、この後に発売された盤では会見時のジョンの声がサンプリングされてコーラス部分が延長されている。
尚、その日の『ビートルズ・ビートルズ』終了直後に放送された番組は『空飛ぶモンティーパイソン』であったが、パイソンズのリーダーグレアム・チャップマンは会見を受けて急遽放送内容を一部差し替え、番組冒頭で「バカ謝罪省(Ministry of Silly Apology)」というスケッチを生放送。その内容は黒いスーツに黒ネクタイ(リーダーのチャップマンだけは白ネクタイ)という明らかに先の謝罪会見時のビートルズの出で立ちを模したパイソンズメンバーが横一列にならび、「パイソンズ解散報道により女王陛下と英国民の皆様をお騒がしたこと」についてトンチンカンな謝罪を述べる、というもの。このときパイソンズが行った「バカ謝罪(Silly Apology)」ギャグは全世界的に大ウケし、社会現象にまでなった。ちなみに2005年にイギリスで行われた「歴代ベスト・スケッチ」アンケート[誰によって?]では、「バカ謝罪省」は十五位にランクインしている。
吉本解雇からもう8年も経ってるし、ひょっとして現役時代を知らない若者が増えていて、
「超人気があった人なのにビッチの仕組んだ冤罪で芸能界追われて復帰も出来ない悲劇の人」
とか勘違いされていたりするんだろうか。
この人、そもそもそこまでの大物じゃないぞ全然。精々一流半程度。何事も無かったとしても今はもう消えてても全然おかしくない程度。
やれ紳助がー東国原がーホリエモンがー酒井法子がー復帰出来たのに出来ないのはおかしい!!ってさあ、
そりゃ「その人たちと比べたら遥かに需要ないから」だろ。欽ちゃんを怒らせたからって話もあるけど、根本的には。
上記は皆一世を風靡した人達だけど、山本は一度も一世を風靡してないから。
むしろ何故ここまで復帰させたい復帰させたいとだらだら言われ続けているのが不思議なくらいだ。
つーか今となっては一番の持ちネタが「芸能界追放されたけど復帰したい人」になってるよね。
これまでの記事。
こんにちは。来週の「あまちゃん」を見るのが怖いマスダです。今日はインターバルで補足説明や修正をします。
・文章のこと
文章のことを幾人かの方々にお褒めいただいて恐縮です。確かに文章は私にとっては飯の種ですが、別の記事を書いた時には(批判が多かった記事ですが)、文章も幼稚だと批判されたものです。ですから文章の良し悪しも内容に興味を抱くか抱かないか、内容に共感するかしないかで印象も随分違ってくる、そういうものだと考えています。これらの記事を増田で書いているのにはそれなりの事情もあるので、どうぞ私のことは詮索無用にお願いいたします。
・業界人かどうか
業界の範囲をどの程度とるかにも拠るかも知れませんが、少なくとも芸能業界とは何の関係もなく生きてきました。ただの一視聴者に過ぎないというのは謙遜でも誇張でもありません。それどころかアイドルオタクでさえないと思います。80年代においても洋楽も聴けばニューミュージックも聴いていましたし、アイドルのことはファンクラブに入っていたアイドルは別にして、普段は月曜日に「トップテン」と「夜ヒット」、木曜に「ザ・ベストテン」を見るくらいの関わりしかありませんでした。ここで書いているようなことは既知の情報であって、特に目新しいことを書いているつもりはありません。ただ80年代アイドルのことはかれこれ30年間の蓄積があるわけで、当人たちを含めていろんな人たちが当時について語っています。私は芸能界裏話みたいな、そういう話が大好きなので、好き好んでそういうのに目を通していたらそれも30年分の蓄積がある、ということです。好きな話なので、一度聞いたら忘れないだけです。
・根拠のある話なのか
わりあい根拠のある話を選んで書いています。雑誌のインタビュー記事やテレビ番組で当人が話したことや、ゴシップ系ではない、書籍や記事を参考にしていて、ソースを示すこと自体はほとんどのエピソードについて可能です。例えば、「秘密の花園」は最初の作曲が気に入らなくて松本隆が改めて松任谷由実に作曲を依頼した、と言う話ですが、これは旧バージョンの曲も確認しています。なお、この曲を当初、「小麦色のマーメイド」と誤記していました。複数の方のご指摘の通り、「秘密の花園」の間違いです。失礼いたしました。「小麦色のマーメイド」は詞・曲ともに全体として完成されていて、個人的には松任谷由実が松田聖子に提供した楽曲としては「蒼いフォトグラフ」と並ぶ最高傑作だと考えています。詞、曲、歌い手、微塵も変えられない最高の品質で調和した作品なので、これが旋律が後ハメだったらえらいことですね。
そのきらいはあるかも知れません。例えば中森明菜の項目で、結果的に松本伊代を悪役みたいに描いてしまったのですが、彼女がテレビ番組という公開の場所ではっきりと明菜を「嫌い」と言ったのは事実で私はそれに強い反感を覚えますが、松本伊代には松本伊代の言い分がおそらくあるでしょう。明菜にも社会的な意識が欠落した言動がしばしばあったのは事実で、90年代末期には公演を巡って、公演は中止される、チケットは払い戻されないという詐欺まがいの事件も起こして、当時の所属事務所社長から「芸能界に置いていてはいけない人」とまで言われているのですから、松本伊代なりの正義感覚からすれば許せないことがあったのかも知れません。ただ意地悪な人だったら松本伊代もあんなに友人に囲まれるはずもないですから。そうした欠落を踏まえても、明菜を不世出のパフォーマーとして評価している、評価せざるを得ないというのが私のスタンスです。芸能界に置いておくかどうかは事務所の社長が決めるのではありません。民衆が決めるのです。一方で舌足らずに書いてしまった点もありました。研ナオコが聖子を「挨拶もしないで」と批判したことについて、それを批判的に書いたのですが、もちろん「挨拶をしない」のは社会的には批判に値することですから、そこだけを抜き出せば研ナオコの言い分も必ずしも間違っているわけではありません。しかしその状況を踏まえれば、言いがかりに近いと私は判断したのですが、状況を書くのを忘れたので一方的に聖子の肩を持っているように見えたかも知れません。芸能人が何百人と集まっている大きなパーティーで、おそらく聖子は顔出しだけでもと頼まれたのでしょう、わずか数分、会場にとどまって、皆に手を振って、義理を果たすとそのまま退出しました。スターにはよくあることです。これを個々人に挨拶をしていない、と難癖をつけるのは、別格のスターである聖子であるがゆえにやむを得ない行動についても理解を受け付けない、依怙地さが目立つ態度です。似たような話はよくあって、例えば山口百恵はテレビドラマに主演していた頃は過密スケジュールだったのでどうしても百恵中心の時間配分になります。ベテラン共演者がそれに不満を抱いて降板した、ということがありますが、そういうことを「先輩を蔑ろにした」みたいに処理されても、だからと言ってどうしようもない話です。だから研ナオコのあの批判は小姑根性のくだらない批判だと私は思いました。同年、研ナオコは紅白に久しぶりに出演していますが、声はガラガラで、歌手として鍛錬していないのはみえみえ、聖子に難癖をつけるようなくだらないことに気を使っているならその前にプロの歌手としてやることがあるだろうに、その点、いつまでも衰えない聖子はさすがに立派だとの思いを強くしました。これについては名前は出していませんが、同じく聖子ファンである作家の林真理子が激しい口調で研ナオコを同様の趣旨で批判しています。
・酒井法子を取り上げていないのはどういうことですか
チャーリーはよほどノリPが好きなのかもしれませんが、80年代を通しで見て、本当にここで名前が挙がっている人たちよりも酒井法子が実績を残したと思いますか?私だって涙を呑んで、南野陽子を7位にしたのです。酒井法子をランキングで取り上げていないのは彼女の生い立ちのせいでもなければ事件のせいでもありません。80年代アイドルとしてはそういう評価しか下せないからです。彼女は90年代にむしろピークが来ました。女優として本当に傑出した、才能あふれる人だと思います。大河ドラマではいろんな人が北政所を演じていますが、私は彼女が演じた北政所が歴代の中でベストだと思っています。だからこそあの事件のことは残念でしたが、それでも立ち直って復帰して欲しい。そう強く願うくらい、酒井法子を評価しています。それでも80年代アイドルとしては、ベスト16の中に入れるわけにはいきません。
しません。女優としてアイドル的な人気を得た人としては、伊藤かずえ、沢口靖子、富田靖子などがいます。世代の性(さが)で、今でもこの人たちが出てくるとすごく嬉しいですね。「ナースのお仕事」では伊藤かずえばっかり見ていました。沢口靖子の「科捜研の女」は欠かさず見ています。沢口靖子、彼女も年相応に老けてきましたが、老けたなりにありのままの姿をさらすことを選んでいるようで、撮りようによっては皺も隠せるのにしていませんね。それでいて今なおあの美しさ。ほれぼれします。でも、「ザ・ベストテン」常連というのが一つの判断基準なので、彼女たち女優プロパーは対象外です。
森高のアルバムは全部持っていて(森高の作詞の才能は本当にすごい。松任谷由実は「あんな中学生みたいな歌詞で印税貰えていいわね」と評しましたが、作為を感じさせず強烈に印象を残す作詞力は並の芸当ではありません。大槻ケンジと同じくらいの天才だと思います)、宮沢りえちゃんは「ぼくらの7日間戦争」以来のファンで、児ポ法的には危険なあの写真集も未だに持っていますが、イメージ的には90年代のスターです。「ザ・ベストテン」常連でもありませんし。
・どこまでやるんだ?
一応の目安として第8位の斉藤由貴まで順繰りに書こうと思っていましたが、小泉今日子を書いていて、熱意が足りないように感じました。小泉今日子は好きか嫌いかで言えば好きですし、おカネを払って彼女の作品を買ったことも何度もあるんですよ。でも聖子や明菜に対して程、思い入れが無いのも事実です。だから書いていて、愛よりはテクニックに頼ったところがあります。で、正直言って中山美穂についてはなおのこと思い入れがありませんし、工藤静香に対してはむしろネガティヴな印象があって、対象に愛情が無いのに論評を書くのも苦痛ですし、なにより失礼だと思うんですよね、当人に対してもそのファンに対しても。で、中山美穂と工藤静香は飛ばして、斉藤由貴まで取り上げようかと考えています。
では、もうしばらくお付き合いくださいませませ。
これまでの記事。
さて、今日は小泉今日子の話です。と言いながらいきなり関係のない話をしますが、松田聖子を聖子、中森明菜を明菜と呼ぶのに何ら抵抗もなく違和感もないのに対し、それと同じニュアンスで小泉今日子を今日子、薬師丸ひろ子をひろ子とは呼べません。私は聖子と明菜は別格だと述べましたが、これもその一例です。聖子と明菜は、略称として聖子、明菜と呼ぶことが定着している、それくらい広範囲にわたって言及されてきたんだということが分かります。
小泉今日子は愛称がキョンキョンで自称がコイズミでした。愛称で呼ぶのも距離が近すぎるので、これ以降のアイドルについては姓で呼びます。
小泉のことを書こうとして数日、多分、私の人生で初めて彼女について深く考えてみました。その結果、分かったことがひとつあります。それは小泉のことは分からない、ということです。試しに考えてみてください。小泉今日子ってどういう人?って聞かれた時に、こういう人って答えられますか?
小泉今日子は三人姉妹の末っ子です。これが男の兄弟が混ざっているとかならまた少し事情が違うのでしょうが、小泉は末っ子気質が極端に出ている感じがあります。実は私も末っ子なので、自分に引き寄せて考えてみれば、甘えん坊、世話を焼かれるのが好きというのは確かにそうなんです。そうなんですが、末っ子は単に我がままというわけでもないんですよね。末っ子同士の話ではよくあることなんですが、親とかからペットの犬などと間違われたことがある、だいたいそういう経験を末っ子は持っています。犬がジョンという名前だったら、末っ子を呼ぶ時に間違ってジョンと呼んでしまったり。犬って夫婦喧嘩していると仲裁に入ってくるんですよね。末っ子にもそういうところがあります。親や他の兄弟の気分や機嫌をいつもそれとなく気にしている、我儘ではあるんですが、要求を出すタイミングをしっかりと見計らっている。そんな喧嘩なんかしないで、もっと僕に構ってよ!と思っているふしがあります。
小泉は誰とでも上手くやれる人です。誰からも嫌われないし、誰も嫌わない。「ザ・ベストテン」の楽屋割などでは小泉がいると重宝したそうです。「ザ・ベストテン」に限らず、他の歌番組でも聖子と明菜は絶対に接触することが無いように、番組進行は細心の注意が払われていたことを「夜のヒットスタジオ」の司会を務めた古舘伊知郎後に明かしています。これに対して明菜は、聖子とは確執なんてない、自分は聖子のファンだと答えていますが、ともあれ当時はそういう注意を払わなければならない空気があったのは確かです。こういうのは美空ひばりと島倉千代子のように、当人同士は好意を抱いていても「二大巨頭」みたいな立場に立たされることで周囲がそういう関係を作ってしまうことはありますので、聖子と明菜の場合もそういう面があったのでしょうが、ライバル意識のようなものが全く無かったとも思えません。
聖子と明菜だけではなく、あの人は苦手、あの人は嫌という要望はそれぞれにあったのでしょうから、誰と組まされてもクレームが出ない小泉は、有難い存在だったのでしょう。
マツコ・デラックスが小泉と対談した時に、彼女(?)は明菜ファンなのですが、
「明菜が唯一心を許していたのがキョンキョンだって聞いていた」
と述べ、小泉も「まあ、そうね」みたいな受け止め方をしています。82年、デビューの年に、アイドルコント番組「パリンコ学園№1」に小泉はレギュラー出演しています。共演者は松本伊代、堀ちえみ、男性陣がジャニーズ少年隊(後の少年隊でレコードデビュー前です)、それに山田邦子とコント赤信号が絡むというそういうノリの番組でした。この番組の前の番組は「ピンキーパンチ大逆転」で、柏原芳恵と松本伊代がレギュラーで、ダーティーペアみたいな恰好をして悪を懲らしめる、みたいな話でした。「ピンキーパンチ大逆転」では松本伊代は80年組の柏原芳恵と組んで、「パリンコ学園№1」では82年組の堀ちえみ、小泉今日子と組んでいるのですが、松本伊代が82年組と言いながら実際には両者の橋渡し的な、81年組の性格を持っていたことを物語っています。そういう番組にも出ていたので、小泉今日子は松本伊代や堀ちえみとの関係を悪化させるわけにはいかなかったのですが、松本伊代に友好的でありながら、果たして明菜のような人の懐に入り込むことが可能でしょうか。明菜対伊代の構図に落とし込んで、明菜側につくというなら分かるのですが、どちらとも仲良くやって、それでいて浅薄さを感じさせない、明菜から信頼される、明菜は裏表のある性格には敏感でしょうから、その明菜から受け入れられるというのは至難の業のように思えます。
その難事をさも当たり前のようにやってのける、ここに小泉の非凡さがあります。
誰にでも合わせられるということは自分が無いということです。これは意外かもしれません。一般には、小泉は主張のあるアイドルとして認識されているからです。しかし考えてみてください。主張、すなわち強いキャラクターのある人が、多種多様な企業のイメージキャラクターを同時に務めることが出来るでしょうか。
アイドルの中で、リアルにヤンキー経験があるアイドルと言えば小泉と酒井法子ですが、酒井法子の過去が徹底的に封印されていたのに対し、小泉は「それも私」と隠すことはしませんでした。紅白が終わって、そのまま地元の友達と一緒にバイクで初日の出を見に行って、警察に捕まったのはアイドル時代の話でしたし、それを自ら話したのもアイドル時代でした。ただ、そこには演技はありません。地元に戻ればヤンキーなのも小泉だし、アイドルなのも小泉だし、知的にハイブロウな人たちとお付き合いをしているのも小泉です。全部そこには嘘はないんです。嘘はないんですが、その部分ごとの小泉が部分でしかないために、全体の小泉ではないのも確かです。
ヤンキーと一言で言いますが、小泉の地元人脈の中には少年院に入った人もいるでしょうし、ヤクザになった人もいるでしょう。そういうクラスタと付き合っていて、しかも公言していて、大企業がCMに起用するというのも辻褄があわない話だとは思いませんか。そんな話を公言していてなお、アイドルとしては不良少女路線ではない、スキャンダルにもならない、そんなことってあり得るでしょうか。
小泉が分からないというのはそういうことです。どこにでも属していながらどこにも属していない感じ、目の前の人の話を熱心に聴きながら本質的には影響を受けない感じ、キャラクターはないのに説得力はある、そう言う人は小泉今日子以外にはちょっと見当たりません。
小泉今日子のデビュー曲、「私の16才」は1979年デビューの森まどかが歌った「ねぇ・ねぇ・ねぇ」が原曲(標題が違うだけ)のカバーです。
「当時、他のアイドルはポップな可愛らしい曲を歌っていたけれども、この曲は地味だった。今になって歌った方がしっくりとくる」
と小泉は最近そう述べています。続く「素敵なラブリーボーイ」は林寛子の唯一のヒット曲のカバーでしたが、こちらは80年代当時でも古い感じはしましたが、一応はポップな路線です。林寛子は小泉がカバーで歌うに際して「一言も断りが無かった」と言っていますが、おそらく楽曲の著作権はバーニングプロダクションが所有していたのではないでしょうか。バーニングプロダクションは音楽著作権事業に早くから進出した芸能プロダクションで、それが急成長の原動力になりました。他社のアーティストの楽曲著作権も保有していますから、「素敵なラブリーボーイ」の権利を持っていたとしても不思議はありません。
三作目の「ひとり街角」、四作目の「春風の誘惑」も地味な曲で、チャート順位もそう伸びなかったのですが、当時は「8時だよ!全員集合!」や「スーパージョッキー」のようなバラエティ番組でも歌のコーナーがあるのが普通でしたから、アイドルはそういうコーナーに出ていましたので、チャート順位が低くても、小泉の名前は浸透していきました。「私の16才」なんかは最高順位が22位でしたが、当時の中高生ならほとんどが知っているのはそういう事情があったからです。
ついでに当時の背景をかいつまんで説明しておけば、当時はほぼ、学校を出て数年すれば所帯を持つ、女性は家庭に入るのが普通でしたから、社会人が趣味にかける可処分所得はものすごく少ないのが普通でした。今は30歳、40歳まで独身がたくさんいて、AKB48はそういう中年独身男性層の可処分所得に支えられていますが、当時はそういう層自体が存在しなかったのです。ですから勢い市場に占める中高生のウェイトは非常に高く、ボリューム自体もあったので今よりははるかに重要でした。
次の「真っ赤な女の子」から路線を一新してここから火がつきます。
コミックソングと言うか、ネタの要素が強い楽曲とアイドルは実は親和性があって、シブがき隊の「スシ食いねェ!」は一番典型的ですが、あそこまで行かなくてもアイドルがネタ性が強い楽曲を歌うことはしばしばありました。「真っ赤な女の子」から「ヤマトナデシコ七変化」まで、小泉はそういう路線を主に担いました。
「聖子さんと明菜ちゃんがいたから今の自分がある。二人がいたから、そうじゃない路線を探してやって来れた」
と小泉は述べていますが、少女漫画で例えるなら、聖子が「キャンディ・キャンディ」で、中森明菜が「NANA」ならば、小泉は「桜蘭高校ホスト部」です。少女漫画の中に常にコミカル路があるように、アイドルにもその路線はあって、一般的に苦肉の策として用いられることが多いのですが、小泉は意識的にその路線に身を投じた人です。歌唱力などどうでもいいように言われがちなアイドルですが、やはり歌手は歌手であって、長くやっていくためには歌唱力は非常に重要ですし、そういう人でないとトップにはなれません。そのため歌唱力に難がある、少なくとも当初そう思われていた人ほど、歌唱表現意外の要素で補強しようとしてネタ路線に走りがちな傾向があります。
小泉も歌唱で人を感動させるレベルの歌い手ではないのですが、ここでも小泉はニュートラルな感じで、上手いとか下手とかそういうことがそもそも気にならないタイプですね。中山美穂は器楽としてそもそも声量が無いので、彼女は当初はネタ路線で売り出されていました。
歌手として特に上手い方ではなかった小泉と中山が90年代にメガヒットを連発するのは、別の考察が必要です。本道の歌手としては弱みがあった二人はキャラクター性を強化することでセールスポイントを強めましたが、それが結果的に90年代に支持される基盤となった、ということでしょうか。
上沼恵美子が中山美穂を評して、「デビューの時からずっと売れている。普通は浮き沈みがあるのに、彼女にはない」と言っていますが、同じことは小泉にも当てはまります。
続く