「彼女の思い出」というタイトルにしたが、ここでいう「彼女」は単なる女性系三人称であって、正式に「男女交際」をした事は無い。あくまで友人だった。
彼女から突然電話がかかって来たのは大学3年の夏休み前のことだった。
夏休みの課題を一緒にやらないか?という誘いだった。そして、良かったらその後近くの公園で花火でもやらないか?という尾鰭が付いていた。
彼女は確かに「絶世の美女」とは言えないまでも、今でいう地下アイドルあたりにはなれそうな容姿だったから、これを無碍に断る理由は無かった。
花火?
市販の花火を買って路地裏の公園でしょぼい火花を噴射するあれか。
興味が湧かなかった。
僕は「だったら課題を済ませた後は酒を飲もう」と提案すると、彼女は同意してくれた。
彼女の住む街の古びた図書館で夏休みの課題の一つのレポートを二人で仕上げた後、日が暮れてからもう少し大きな街へ二人で酒を飲みに行った。
適当に見つけた焼き鳥屋に入ってビールや日本酒を好きなだけ飲んでいると、やがて彼女は身体を持たせかけて来た。彼女も酔って居るのだろう。太腿に人差し指で何か文字を書き始める。どうやらカタカナで「スキ」と書いているようだ。でも、冗談で僕をからかっているのだろう。
いい加減酔いが回って来たので店を出ることにした。勿論割り勘だ。彼女から半分の金額を受け取って会計を済ませ、店を出ると彼女は泥酔して立ち尽くしていた。帰ろうと声をかけても動かない。「手をつないで!つないでくれなかったらここから動かない!」などと異常な事を口走っていた。
仕方なく手をつないで蒸し暑い夜の街を駅に向かって歩いていると、彼女は「ねえ、これからどこに行くの?ホテル??でも、そんな勇気ないんでしょ?」と言いながら腕にしがみ付いて来た。
女性と二人だけで酒を飲んだのが初めてだった僕は「これは罠だ。もしこのまま彼女をホテルに連れて行って性的な事をすれば、翌朝彼女は僕をレイプ犯として訴えるに違いない」と考えた。
僕は彼女を駅のホームに送った。レールを何本か先にある山手線のホームに立ち尽くしていた彼女が見えた。今考えれば、あんな状態の彼女を魑魅魍魎渦巻く山手線ホームに放置したのは少々間違いだったかもしれない。でも無事に帰宅したのだろうと思う。
大学の夏休みも後半になり、蒸し暑く気怠い日々を過ごしていた僕の自宅に国際電話が来た。海外と電話などした事のない僕は狼狽たが、出てみると、東南アジアでバカンスを過ごしている彼女からの電話だった。
出国前のあの夜の醜態を詫びつつ、帰国したらもう一度会って欲しい、という内容だった。
帰国した彼女とは、彼女の自宅に近いファミレスでランチをして当たり障りのない世間話をした。勿論割り勘だ。
この後どうしようか?と彼女に訊かれた僕は、君の家の君の部屋のベッドでお昼寝しようと提案した。それは字義通りの「お昼寝」の意味で、それ以上の意味は無かった。
彼女の家に向かう途中で、彼女は僕の腕にしがみ付いて来た。夏の終わりで僕は半袖、彼女はノースリーブ。剥き出しの腕が絡み合い若かった僕の股間はテントを張り、恥ずかしくなった僕は背中を丸めながら歩いた。
向こうから自転車に乗って買い物にゆく中年女性が僕らを「盛りの付いた犬」を見るような目つきで睨みながら走り去っていった。
彼女の家についた僕は彼女のベッドに横たわり普通に休憩していた。隣に横たわった彼女はなぜか僕の胸の上に手を置いた。仕方なく僕は彼女の手を取ったけれど、腕が疲れて来たので手を離した。
「なぜ手を離すの?」という彼女に僕は答えようが無かった。盛り上がった僕の股間の上に彼女は太腿を乗せて「ファミレスなんか行かないで、ずっとこうしてれば良かったね」とささやいた。
確かにそれは今まで自分が経験した事のないような甘く刺激的な時間だった。
その後僕らは頻繁に会うようになり、彼女は隙を見ては僕の唇にブチュ!っとキスをするようになった。僕は少々辟易したけれど、満更悪い気分でも無かった。
彼女の家のそばの例のファミレスで、彼女は「なぜキスをするの?」と質問をして来た。僕は「気持ちいいから」と答えると彼女は急に顔を曇らせた。「『好きだから』じゃないの?女なら誰もいいの?」
無神経だった僕は「美女とのキスなら誰でも幸せ」みたいな回答をしてしまった。
静かに激怒した彼女はキスを禁止した。ほおにキスしても微動だにせず怒りの視線をこちらに向けるだけだった。
秋の休日に僕らは二人で郊外の山里へ出掛けた。郊外に向かう朝の下り電車の中で彼女は「今日の私、ちょっと変でしょ?」と言いながら腕にしがみ付いて来た。僕はいつもとそんなに変わらないと思いつつ適当に「うん」と答えた。
山里の自然を二人で一日中楽しんだ後で都会に戻った僕らは、夕食の後でネオンサインの見える都会のベンチに座っていた。
突然彼女は「何でキスしてくれなかったの?」と訊いて来た。僕は「いや、キスは禁止なんでしょ?」と答えた。
彼女は数日前に、以前交際していた妻子ある中年男性から車の中で身体を触られた事を告白しながら、僕の口に鯉のように激しく襲いかかった。
そばの道を通り過ぎるタクシーの運転手の冷ややかな視線を感じながら、僕は彼女を抱きとめるのことしかできなかった。
「ホテルに行く?」という彼女の言葉に狼狽する事しかできなかった僕は、彼女を駅のホームまで送った。
秋がもう少し深まった頃、彼女は僕の住む街に遊びに来た。駅から少し歩いたところにある今はもう潰れた焼き鳥屋で酒を飲んで、その後、線路脇の道を二人で歩きながら彼女は「抱いて」と言った。
しかし、当時としてもやや時代遅れと思われるこの表現の真意を理解し得なかった僕は、普通に彼女を熱く抱きしめた。
「この辺にホテルはないの?」という彼女の問いの真意を理解できなかった僕は、駅前にあるビジネスホテルを紹介しつつ、彼女の家に帰る終電はまだあると伝えた。
彼女は確かに、なかなか美しい魅力的な女性だった。けれども価値観や社会に対する思想は違っていた。僕は当時から左派の価値観を持ち、社会の問題点は変革されるべきだと彼女に語り、現在の民主主義社会は人々の弛まない努力によって長い歴史の中で築き上げられて来た事を事あるごとに力説した。
しかし彼女は政治には全く関心はなく、「文句を言ってもどうせ世の中変わらないでしょ?」という態度だった。
ただ、美しい女性と街を歩くことが心地良くて、休日のたびに彼女と会っていた。
しかし彼女は次の年の春には本当に自分を愛してくれる(と自称する)男性を見つけ、僕とはあまり会ってくれなくなった。
彼女に別の男が出来たことに気づかなかった僕は、二人では滅多に会ってくれなくなった事について不平不満を彼女に訴えたけれど、今となっては仕方のない事だとわかる。彼女と一日中街を歩き、おしゃれな店から小汚い店まで色々な場所でお茶を飲んだり酒を飲んだり、夕暮れや夜景を眺めた日々は確かに僕にとって最も幸せな日々だった。しかし今から考えれば、僕は確かに彼女を本気で愛してはいなかったのだ。世界に対する価値観が違い過ぎていた。
大学4年になった冬、既に別な男と交際していた彼女が久しぶりに自宅に遊びにやって来た。二人で戯れているうちにちょっとしたアクシデントで僕の家の備品のごく一部を彼女が壊してしまった。彼女は尻を突き出しながら「お仕置きして」と叩くように促した。
僕は叩くような事をせず、彼女の尻を撫で、その後彼女を抱きしめた。
彼女は顔を赤らめて「それじゃお仕置きにならないよ」と言いながら僕の胸を撫で始めた。
僕が彼女の胸を同じように揉み始めると、彼女は「女の子の胸を触っちゃダメだよ!ずるい!私も触るから」と言って僕の股間のチャックを下ろして男根を揉み始めた。まだ若かった僕の男根が力強く立ち上がり始めると、彼女は「舐めたい」と言い出した。
舐められたのは初めての経験だった。彼女は髪を振り乱して一心不乱だったけれど、僕は歯が当たって痛かった。だから萎えてしまった。
首の疲れた彼女は僕のベッドの上に仰向けになった。今度は僕が彼女の下着の中に手を入れ、暖かく湿った膣の中に指を入れて動かしてみた。
「やめて!」
というので僕は手を止めたけれど、彼女はその後小さな声で「やめないで…」と囁いた。
僕がもっと大きく手を動かすと、彼女は普段聞いたことのない裏返った高い声で喘ぎ出した。その時の僕は違和感しか感じなかったけれども、これは彼女なりのサービス精神だったのだろう。経験豊富な彼女のいつもの声なのかもしれない。
やがて日が暮れて薄暗くなった室内で彼女は「〇〇くん(僕の名前)とやりたいなぁ」呟いたけれど、コンドームがなかった。その時点でまだ童貞だった僕は外に出す自信はなかった。
僕は彼女を駅まで送って行った。
それから20年以上の時は過ぎ、彼女は二度目の結婚で幸せな家庭を築き、送られてくる年賀状の写真は夫と子供たちに囲まれた幸せな家庭そのものだ。
一方非モテ中年の僕は独身のままだし、多分一生結婚する事はないだろう。
だが、別にそれでいいのだ。