スーパーのポテトサラダや冷凍餃子はいまどき手抜きとは思わないけど
Wikipediaのコピペやヤフー知恵袋で聞いた内容でレポート出すのはNGって人たぶん多いよね?
どのあたりに線引きがあるんだろう?
そんな手抜きしてたら本当の実力がつかない、とか言ってしまう努力観がそろそろ破綻してきているように思う。(餃子の皮で餡を包む実力?)
惣菜が時間を買ってるというなら、課題のレポートはコピペで済まして研究なり就活なりに時間を費やした方がよかったりしない?
追記:
自分もWikipediaコピペが良いと思ってるわけじゃなくて、さすがにここまでいったらダメだろうという最悪例として出した感じ。
ちなみにイメージしていたのは「○○について説明せよ」みたいな学部レベルのレポートで、理系の場合、表現の差異はあれどほとんどおんなじ内容になる。
なかには「〇〇について独自のアイデアを根拠とともに述べよ」みたいなレポートもあって、それはコピペでは無理。
今まで頭のいい大学の学生もFラン大の学生も見てきたけど、頭のいい学生は先輩なり同期なりからレポートの内容のアドバイス(というか元ネタ)を貰って要領よく効率的に半ば機械的にレポートを書いてるイメージがある。
もちろん頭がいいからそれでも身になってるんだけど。で、先輩学生や同期のできる学生とWikipediaのどっちが信頼に足るかというとケースによるとしか言えない。心配ならちゃんと自分で裏をとるべき。
先輩学生に聞くのと、専門の研究者に聞くのと、昔よりずっと充実した検索サービスを使って文献を検索するのとなにがどう違うのかも時代とともにあいまいになってきたように思う。
貧弱な検索しかできなかった時代は、それっぽい文献をかたっぱしから見てひとつずつ内容を吟味するうちに実力もついたんだろうけど。
あと進歩の激しい分野では文献の内容が古くなっていないか確認する必要もあって、そういうのは人に聞いた方が正確だったりする。
それから前から思ってるんだけど、文献の探索とまとめのスキルを、レポートという形式で評価するのはちょっといまいちなところがあって、
探索スキルなら「〇〇について信頼に足る文献を5個探して列挙せよ」とか、まとめスキルなら「列挙した5つの文献から〇〇についてまとめよ」とすべきで、
それを一気に「○○について説明せよ」みたいな課題にするから、すでに誰かがきれいにまとめたもののコピペの方が良い内容(≠良い作成手段)になるおそれがある。
内容を吟味せずにコピペという行為がダメなのであって、結果として得られたレポートの内容(餃子の味)がダメかどうかは別の議論だよね。
一見、内容の課題に見えて、実はやりたいのは手段の評価で、でも提出させるのは内容部分のみで、評価者の勘と経験で手段を予想して評価するというのは、検索コストが極端に低くなった時代に合わなくなってきたような。
話が逸れた。自分が興味があるのは両極端の事例ではなくて、その中間のOK/NGラインについて。
たとえば公式の導出はできた方がいいけど、応用的な分野では公式を使えれば十分で、(必要になったら調べられるくらいのぼんやりした理解で)公式の導出スキルがないことは非難されるくらいダメなことなのか否かってあたり。
アセンブラは書けた方がいいけど、複雑なプログラムを書いてサービスを作る仕事や、プログラムを書いてなにかを研究する分野でアセンブラが書けないのはダメかってあたり。
レポートを書かせる目的による ただ完成させて提出させるのが目的ならコピペでもいいと思うが そんなケースはまれだと思う
私は学生時代のレポートはすべてwikipediaからのコピペで作っていたけど、一度も不可をもらったことはないよ。なぜならwikipediaだけで終わらせずに信頼のおける文献等の参考資料にあた...
ヒント:金を払ってるか、金をもらってるか
家事と資格認定をなんで同列に語るわけ?
目的が違うんじゃないか タネから手作りです!という店で冷凍餃子はNGとコピペレポートは似たようなものという印象 持ち込みOKな師匠につけってところか
冷凍餃子は効率的に食事を取るって意味があるけど、レポートにはどんな意味があるんだろうね。 数学の問題を解くだけなら、公式を使えればいいのだけれども、なぜ導出までやるんだ...
目的によるとしか。 餃子を食べたいという目的に対して冷凍餃子を使うことは問題ないけど、料理が上手くなりたいという目的に対して冷凍餃子を使うのはNG。