「燃え」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 燃えとは

2024-11-26

青識亜論と暇空茜という表現の自由界二大スターはやっぱ言動そっくりだよなあ

青識は男性絵師がやっていたPixiv18禁タグ企画をわざわざ拾ってきて、複垢フェミニストのふりしながらTwitter晒して火付けした

18禁の場でやる分にはどうでもいいとスルーされたか燃えなかったけど「フェミによるひどい作品叩き」を発生させて「俺が活躍できる場」を得ようと絵師を生贄にしようとした

暇空もpixiv18禁作品をわざわざTwitterに持ち出して「ジャニーズ暴力批判するくせに自分はイチャラブ18禁を書くのか」と批判

暴力批判はしてもいわゆる表現規制派ではないのに「規制派だ」と唱えるだけで調べない奴らが「規制しようとした者の作品なら潰してもいい」と架空大義名分のもとにジャンル自体を絶賛叩き中

2024-11-25

ガンダムはい燃え上がるの?

いつも3回は燃え上がれと言われてるけど。

なぜ斎藤知事の件について多くの人が「証拠が不十分」というのかがよくわかった。 叩いてる人を見るのが不愉快すぎるから

私はパワハラ問題はずっと追いかけていて、斎藤知事パワハラ疑惑とかじゃなくて

本人も認めていて完全にアウトだという認識だったか

兵庫県知事選挙斎藤さんが当選したのは本当に意外だった。

その際に、支持している人たちが「斎藤さんのパワハラ自体疑惑状態だ」と言ってるのにはさらに驚いた。

しかし、兵庫県知事選挙の後の報道ネットの反応を見ていてよくわかった。

私のように、無駄正義の心に燃えていた「それしか生きがいがない悲しい人達」を除いて

普通の人にとって、みんながよってたかってボコボコ斎藤さんを叩いてる姿は醜悪すぎて見てられないのだ。

から途中から完全に情報シャットアウトしてしまうため、途中経過がわからなくなってしまう。

私は選挙前まではむしろ斎藤さんバッシングニュースを全部追いかけていた側の人間なので

「どのつらさげて言ってんだ」と言われそうだが正直に書く。

私は当選後の斎藤さんに関する報道があまりにもグロテスク気持ち悪かったし見ているだけで気分が悪くなるので

数日間、斎藤さんに関する記事をすべてミュートにして見ないようにしていた。

その結果私の中で今日までは「斎藤さんは正当な手続きで勝ったのに負けたやつが悔しがって嫌がらせをしている」という認識のままだった。

ところが、今日見ていたら斎藤さんが公職選挙法違反やらかしてるかもしれないという話になっていた。

途中でミュートにしていたからわけわからん・・・っていう状態になったし

最初は「どうせネット民が好き勝手言ってるだけだろう」っていう気持ちになっていた。

ネット民が批判すればするほど斎藤さんを応援したい気持ちが沸き上がってしま状態が数時間続いた。

多分選挙の時に多くの人の中でこういう現象が起きてたのではないか

ネット民は先鋭化しすぎて自分たちいかに異常者になっているのかが理解できていない。

Twitterを見すぎている人はほぼ全員精神異常者だと思った方が良い。

まりにも一方的報道や、見ているだけで気分が悪くなるネットでの集団バッシング

もともと正義戦士ごっこやってたバリバリの異常者である私ですら耐えがたかったのだから

普通の人からしたら気持ち悪すぎるので見なくなっていくのだろう。

https://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/1841f10d-4f2f-4294-853e-f62b82c4df5a/27ac0a8d/20240826_councils_lifedesign-wg_1841f10d_08.pdf

この資料を見ると、未婚者は圧倒的にXばっかり見ていて、既婚者はテレビインスタグラムYouTubeを見てるということが

ぐうの音も出ないくらい明確に示されている。

Twitter情報収集を続けていると狂ってしまい、理解者もなくなり、独身のまま一生を過ごし、最後孤独死する。

いや、むしろ理解者がおらず、独身のまま一生を過ごした異常者だからこそTwitterを使うようになるのだ。

こんな異常者の群れとは一緒にいられない。俺はもう帰らせてもらう

子供がいてこそ一人前、を考える

Disclaimer

あくまで、筆者の観測範囲事象に基づく個人の感想

こんなこと、匿名以外で、属性の違うクラスタまで届く媒体で書こうものなら爆燃え間違いなしだ。

理解しているからこそ、匿名で記す。冒頭に記載した通り、あくま個人観測範囲に対する個人の感想

当てはまらないと思うならそれはそうなんでしょう、あなた世界では。これは私の世界で、私が見たもの経験したものに対する、私の感想です。

男女問わず子供がいない人は社会人として幼いな……と実感することが最近続いていて疲れてしまった。

子持ちへの配慮とか、そんな話ではない。

理不尽への耐性が低く、自分の都合が通って当たり前という感覚が強い。

専業主婦配偶者がいて、自分育児にほぼ関与していないであろう人も、理不尽存在しているということ、コントロールできない事象不可抗力はあるよねという解像度は、子供がいない人よりもだいぶ高い。

重ねて言うが「だから子持ちには優しくしてくれ」では全くない。ただただ、社会人としての想像力が違うなと感じているということ。

理不尽不可抗力も、子育て以外にもそりゃ存在するから、本当に優秀であれば想像することはできるだろうと思うが、想像するより直面する方が手っ取り早いんだよな、この類。

そして子育てが一番手っ取り早く、強制的に、膨大な理不尽を浴びせかけられる、多くの人が経験している場面なんだろうと思う。

から、古臭い価値基準で、多様性時代には排除されるべきだと考えられていそうな「子供がいてこそ一人前」というのも、正直なところ一理あると感じてしま今日この頃

もちろん、もちろん、例外はある。たくさんある。けれど、理不尽への理解度、受容性の傾向としては明らかにあると思う。

一般的ジェンダーロールがまだまだのさばっている日本社会において、一般的労働者としては)女性場合子供が生まれると仕事に投下できるエネルギー時間も激変するから、多少の想像力理不尽耐性の差があっても、子供がいない人の方が大いにパフォーマンスが高い。

けれど、男性については未だに子供がいたところで最優先は仕事子供の有無によって投下時間エネルギー女性ほどの差はない。

からこそ「男こそ家庭を持ってこそ一人前」には一理あるなと思ってしまう。

(まあ正直なところ「理不尽への耐性が低く、自分の都合が通って当たり前という感覚が強い」傾向は、子供がいない同士で比べるなら女性の方が強いような気はしているけれど)

この想像力の欠如って、ヒラのうちは別にいいんですよ。まあ。別に自分が耐えられるかどうかで、本人の頑丈さの問題にとどまるから

管理職になると、周りにじわじわ効いてくる。

子持ち上司独身上司で、部下のメンタル発症率には明確に差が出るんじゃないかな、なんて思う日々です。

というのはただの愚痴で、まあ「だから非子持ちはダメなんだ」とか「子持ちをもっと評価しろ」とかいうつもりは毛頭ない。

多様性時代にあって「子供がいるのが当たり前」という前提が崩れつつある今、そこに手当をする必要があるんじゃないかという話です。

管理職になるにあたって、理不尽に対する想像力、忍耐力を鍛えるような研修を充実させるとかね。アンガーマネジメントとも近い気はするけど、またちょっと違うんだよなーと。

日々雨あられ理不尽を浴びせられながら生き、働く私はぼんやり思う。

2024-11-24

夜中に抱えるような悶々とした気持ちスポーツなり自己表現なりで発散・昇華出来るのかもしれないけど、200km/hのスピードを感じたい気持ちは200km/hの風をこの身で受けなきゃ満たされない。淫語絶叫したい気持ちも淫語絶叫でしか発散し得ない。

原因不明の苛立ちや漠然とした焦燥を吐き出すワンノブゼムの銃口でなく、極めて明確な形で欲求存在する。

でもやはりどんな衝動的な欲求も同じ燃料で燃えていて、同じ何かに向かって燃え上っている感じもする。

サッカーに打ち込むにせよ、キャンバスにぶち撒けるにせよ、ギターの音に乗せるにせよ、そういうのはいずれにしてもある程度の鍛錬をしなきゃ中々満足に出来もしない。

ある種のセオリーに則った細かな身体操作をある程度無意識に行えるレベルにまで持っていくまで鍛錬しなければ、頭の中を漂うモヤつきを満足に燃焼させられない。それが上手く行かないと、逆にフラストレーションすら溜まる。

そんなまどろっこしい真似よりも、叫んだり走ったりした方が手近に違いない。最もフィジカルで最もプリミティブというやつだ。

能力的には今すぐにでも出来るからこそ、それをしたいと思った時には、同時に確固たる欲求になっているのかもしれない。替えが効かない、効かせる必要もないのだから

絶叫してえと思った時にはもう絶叫しねえと気が済まなくなってる。しか集合住宅に住んでいて、そこを出ても逃げ場のない住宅街が延々と続くときたら、社会性がそれを躊躇させる。内発的には「恥」として、外発的にはまあ近所迷惑か何かとして。

実にもどかしい

叫ばせてくれよマジで。絶叫してえだけなんだよこっちは。

どうにもままならないんで、絶叫は諦めて走り始めた。

青春アニメみたく衝動に身を任せて走ったら一瞬で心肺が限界になった。爽快感もない。

Youtubeで適切なフォームを調べて、スマートウォッチで適度なペースもキープする。衝動の湧かない日もコツコツ走る。少しずつ速さも距離も伸びていく。まだ心の荒ぶりに身を任せて走るには程遠いが。

なんかやりたかった事と全然違う方へ行っている気がする。このまま健康野郎なっちまうってのかよ。

結局どんな道で衝動を解き放つにも、建設的な鍛錬を求められるのかよ。冗談じゃねえよマジで

anond:20241123225630

もし諫山創進撃の巨人の作者)が次回作の連載を始めたら

「お前の推しリヴァイみたいに生存するとは限らないぞ、マルコみたいに死んでグロ遺体が鮮明に描かれたらどうする?スクールカーストみたいな平和公式パロディネタですらグロ死体幽霊として登場して弄られる救われない展開になったらどうする?」

「誇り高いキャラでもミケみたいに死に際にカマホモみたいな叫び声上げさせたりするかもな」

ヒストリアユミルを忘れたのか、同性愛描写で釣って片方をあっさり殺してもう片方がいきなりモブ結婚して子作りとかやる作者だぞ」

とか言いまくって腐女子百合厨を萎えさせてやろうと思ってるんだけど燃え尽きて次回作描く気が当分ないっぽいのが残念

ぼく勉は読んだことがないけど同じ怨霊としてうるか増田のことは応援してる

anond:20241124120910

男も女もちょっと嫌いなちょずき女像にハマっちゃって変な燃え方してます

2024-11-23

ガメラ3すごいわ

きのうまでだったギャオスは見逃したけどガメラ3が無料公開はじまったからとりあえず盛り上がるだろう最後のバトルだけ見てみたけど、確かにすごいわ

これがさんざん巷で噂だけで聞いてた金子ガメラってやつか

個人的にはゴジラより好きかもしれん

怪獣がバトルのがおおいのもいいし、ド派手なシーンが多いのもいい

特撮だけじゃ厳しいとこだけCG使ってたりとか

最後失った右手で敵の炎をうけてバーニングパンチで決着はあつすぎるだろマジで

別に特別特撮好きでもないしゴジラガメラすきでもないけど燃えたわ

あと音楽もいい

改めて最初から全部見ようかな

なんとなく前田愛中二病っぽさが気になったけど

2024-11-22

火がつかねえな

燃えそうな事書いたり、人の不快感を煽る事書いてるのに

炎上しないし、ホッテントリ入りしないのよ

つまんね

2024-11-20

anond:20241120102309

ゲーム好きの視点からすれば「海外ゲーム規制だらけで窮屈、日本自由理論は嘘っす

海外エログロゲーム日本ローカライズ規制まみれなのありがちだから

アサクリが燃えたのも過去作で日本向けはエログロ規制やってたせいなのが2割ぐらいある

anond:20241120215709

こういうの反論宦官が出されるけど、宦官って上級場合には元から立身出世燃えてる才気あふれるやつが手段としてチンコ取ってるので

うだつのあがらないそこらの男はチンコ取っても宦官のように出世の鬼にならないだろうね

anond:20241120133852

恋愛としての好きを特別視し過ぎ』ってすごい腹落ちしました。冒頭に書いた話もそうなんだけど、その前にも狂ったような執着をみせてくる人にターゲットにされた経験が何度かあって、そういう人たちって特に深く関わったこともないのにそうなるから恋愛ってものにはもれなく特別狂わせるなにかがあるのかと思ってたけど言う通りそんなことな関係もあるよね。括弧書き部分みたいな感じではじまる関係が"好き"の前段階であったり、そのまま続いたり。自分認識が歪んでた。

 

から燃え上がるような恋愛』が歪んだ形で相手から一方通行で向かって来たときの怖さが私の恋愛への抵抗感のひとつなのかも。あとは性的なことへの嫌悪感とかもあるからそのせいで友人でも異性だから付き合うってところまではいけないのかもしれない。

人として好きだから友達だけどお互いタイミングも良くてそのまま付きあうなんて全然珍しい話じゃないよね。でも私の場合はまだ付き合うってこと自体への嫌悪感が強くてそうなるの難しいから、ほんとそれなら中途半端に異性とは適切な距離を保つべきだ。

 

俯瞰して見てもらってそれを言語化してもらってよかった。書いてくれてありがとう

anond:20241120120231

もうわかってくれたとは思うが元増田氏は恋愛としての好きを特別視し過ぎなわけよ。

そりゃリアルにも燃え上がるような恋愛みたいなのが無いわけじゃないけど激レアなの、そんなのは

思春期では誰しもそういう勘違いをするが、普通は対人経験を積むにつれて

恋愛としての好きも、そんな特別もんじゃない。好きは好きでそれ以外ではない。誰かと付き合うかどうかは、前提として好きという感情はそれなりにあるが、それ以上にタイミングやその時の状況による要素が大きい」

ということを段々学んでいくものなんです。

元増田恋愛できないんじゃなくて、そんくらいの好きが元増田にとっての恋愛なんだと認識を変えてください。

てか派手に盛り上がるような恋愛感情を抱ける奴は、そういう才能を持ってる奴なので、大多数の人はぶっちゃけ彼氏彼女がそこまで特別に好きかと言うとそうでもないの。

特に大人になればなるほど「都合が良い」 「自分釣り合ってる」 「すごい好きではないが一緒にいて楽」 「そもそも彼氏彼女が誰かいないとちょっと寂しい」みたいな感じで他人と付き合う奴が多くなる)

  ※ちょっと悪く言うなら、そういう人は「他人と付き合うハードルが低い人」という言い方もできる

(ついでのついでに言うと、彼氏彼女というやつは「原則として他の異性よりも彼氏彼女を優先して扱います」という一種契約しかないので、好きで大事から彼氏彼女ではなく、彼氏彼女から大事にする、ということ)

今後に幸あれ。

2024-11-18

anond:20241118202826

な、なるほど。

かに思い出してみれば、ドラマ原作先生自殺も、自殺の重みを重視したからこそ(意には逆行したけれど)、ネット原作改変炎上が凄まじく燃え上がったとは言えます・・・

anond:20241118150450

不信任に対するカウンター解散できるんだね。

でも前回の不信任時にはやらなかったんだ。まあパワハラ燃え上がってるときにそんなことしたら敗北必至だから間違ってないか

ってことはまた県議会が不信任出したら次こそ解散可能性が高いってことかな。

2024-11-16

個人売買のプラットフォームサービスをやっている会社燃えているけど、

たとえば、米国資本大手通サービス会社とか、結構消費者体験としてはダメなところあるよね?

でもあんまり燃えない。なんでだろう。

日本国内サービスはなんか激しく燃える。これって他社から仕掛けられてるとかあるんじゃないのか。

目標シンプルでいい

目標設定ってもっとざっくりしていて、「今年は売り上げアップ!」とか「新規プロジェクト頑張る!」くらいのノリでいいんじゃないかと思う。

でも、うちではそんな甘い考えは通用しない。

何が「売り上げアップ」だ、具体的にいくらやすんだ? どのプロジェクトで、どのクライアントをどう攻めるんだ?

「頑張る」ってのは何時間かけてどんなアクションをすることなんだ? そう詰められて、気づけば目標設定のために一週間くらいかける羽目になる。

最初草案を出すと、たいてい上司から「具体性が足りない」と返ってくる。

次に具体的な数字を入れてみると、「それだと達成可能性が低いか現実的に見直せ」と言われる。

ようやく数字を直して提出すると、今度は「この目標だと君の成長が見えにくいから、もっとチャレンジングな内容にしてほしい」と返される。

このやりとりを何度も繰り返していると、だんだん何のために目標を立てているのか分からなくなってくる。

しかも、目標設定のフォーマットがまた厄介だ。詳細なプロセスを書き込む欄があれば、達成可能理由を書く欄もあるし、

途中で起こりうるリスクとその対策まで求められる。まるで戦略会議かのような書類を一個人がひとりで作るわけだ。

「このフォーマット、本当に必要なんですか?」と聞いてみたことがあるけど、

社員一人ひとりが戦略を考えられるようになることが重要だ」とかいう、なんとも納得しがたい答えが返ってきた。

いや、それを考える時間普通に仕事したほうが会社のためになると思うんですけど。。

しかもこれ、全社員がやらされるのだから会社全体でどれだけの工数目標設定に割かれているのかと考えると、

恐ろしくなる。会議室で「この目標のここの部分が曖昧からもう少し具体的にしてくれ」と言い合っている間に、

もっと生産的なことができるだろうに。目標設定が業務の最優先事項と化している今の状態、明らかに本末転倒だと思う。

結局、目標設定が終わるころには燃え尽きたような感覚になって、実際の仕事に取り掛かるころには

「あれ、これ何のためにやってたんだっけ?」となる。これで年末には「目標にどれだけ近づけましたか?」と尋ねられるわけだから笑えない。

今年もこの目標設定という名の茶番に振り回されるのかと思うと、正直うんざりする。

目標シンプルでいい、仕事を進めるうちに多少ブレてもいい。そういう柔軟さを求めるのは贅沢なんだろうか。

2024-11-15

底辺絵師に贈る、底辺なろう作家提言

現代底辺であり未来の神絵師へ贈る提言

 今、絵師界隈は激動の時代にあるように見える。

 Xの規約変更だとか、ウォーターマークとか、いろいろ目に入ってくるが結局の発端は「生成AI」だろう。

 最初記述するが、私は「生成AI」の善悪を語る気はない。

 なのでここから先、どれだけ読んでもらっても「生成AIを滅ぼす方法」を求めている方のご期待には添えない。

 これはあくまでも、絵師界隈で生計を立てていきたいが、生成AI存在するこれから先の未来不安を抱いている絵師に向けたものであり。

 小説家界隈に住む私が、実際にイラスト勉強する過程で感じた二つの界隈の違いを言語化し、それを元に考察した一つの提言を届けたい。そういう趣旨のものだ。


絵師よ、オリジナルキャラクターを創れ

 では、先に結論から

 これから先、イラストで食べていくことに不安があるのなら「オリジナルキャラクターを作れ」。

 ただ単にオリジナルイラストを量産せよ、という意味ではない。

 あなたの頭の中にある「キャラクター」を絵という形で出力し、世間認知させ、あなたではない第三者がそのキャラクターイラストを描くようになることを目指す。という意味だ。

 乱暴な言い方をするなら「絵を描かされる側から、絵を描かせる側にシフトすることを意識しろ」といった感じだろうか。

 Vtuberママキャラクターデザイン)を想像してみてほしい。

 だいたいあんな感じの立ち位置が、私の想像力の範囲で今後も生き残っていける絵師の一つの形だと思っている。


現代日本では絵師の「作品」は求められていない

 なぜ、絵師オリジナルキャラを作るべきなのか。その理屈を語る前に確認したい。

 絵師界隈の方々は「同じクリエイターなのに、どうして小説家界隈はあんなにも生成AIに対する反応が薄いんだ?」と思ったことはないだろうか?

 もちろん、文章世界にも生成AIはある。

 むしろ小説生成AIの方が、イラスト生成AIより先に世に出ているはずだ。

 だが、実態として小説生成AIに対し、敵意や危機感を抱いている小説家は少数派だろう。


 ではなぜ、小説家界隈が生成AIに対して他人事のようなスタンスになりがちなのか。

 それは小説家絵師、それぞれのマネタイズの仕組みの違い。

 言い方を変えると『社会』との関係性の違いにある。

(以後、市場や、顧客マネタイズシステム全てを包含した『社会』という主語を用いて記述する。)

 そして、私が見るに絵師小説家も、大多数がこの両界隈の違いに気づいていない。


 その違いは

 『社会』は小説家には「作品」を求め、絵師に対して「技術」を求めている。

 この一点に尽きる。


 誤解を恐れずに言えば、『社会』は絵師に対してほとんどの場合作品」を求めていない。

 絵師界隈のトップレベルの方々は、おそらくこの違いを認識しているように見受けられるが、逆にトップクラス以外の領域では認識していない人の方が多数派。というのが私の所感だ。

 (一方で小説家界隈はトップクラス層もこの違いを認識していない人の方が多数派だと思っている。というか、クリエイターは全業界で「作品」重視で活動していると認識してそうな気がする。)


 この違いがどういうことか、わかりやすい事例をあげよう。

 新人賞コンクールといった賞レース代表的だ。

 これらは絵師界隈にも小説家界隈にもある。

 例えば、ある無名絵師イラストコンクールで最優秀に輝いたとしよう。

 その絵師は名声と得て、イラストの依頼が殺到するかもしれないし、あるいは協賛企業から何かしらの商業イラストを描く契約を結ぶかもしれない。

 だが、肝心の『最優秀賞に輝いた絵』そのものマネタイズの中心にはならないと思う。

 あってせいぜい、短期的な限定グッズデザインになる程度のはず。

 おそらく絵師側も最初から「その絵」で稼ごうとは思っていないはずだ。


 だが、小説界隈は違う。

 企業も、小説家本人も、基本的には「その小説」で稼ごうとする。

 2003年スニーカー大賞に選ばれた『涼宮ハルヒの憂鬱』は、2024年現在市場流通し続けているのが代表的な事例だ。

 受賞した作品を脇に置いて、その出版社編集提案した全く別の小説を書かせる。というのは無いとは言わないが、そういう流れになると小説家からはあまりいい印象は持たれないだろう。

 つまり、同じ賞レースでも絵師界隈は「技術を持った人」を探し、小説界隈では「作品」を探している。というのがなんとなく伝わったはずだ。


 もっとざっくり言ってしまうと

 「金を出すから自分の代わりに理想の絵を描いてくれ」が絵師と『社会』の関係の主流で

 「印刷流通を代わりにするから、その売り上げの一部をわけてくれ」が小説家と『社会』の関係の主流なのだ。)

 重要なのは『代わりに絵を描いてほしい』という部分だ。

 つまり、『社会』が絵師に求めているのは代筆能力という「技術」であり、「作品」は依頼者の頭の中にある物を指すのだ。


著作権法は「代筆家」を守らない

 さて、ここまでで絵は「技術」が求められ、小説は「作品」が求められている、というのは理解してもらえたと思う。

 ここで一旦、生成AIの話に戻そう。

 小説界隈が生成AIに対して反応が薄い理由は単純だ。

 『現行の(少なくとも日本国の)著作権法は「作品」を保護してくれているから』に他ならない。

 また一つ具体的な事例を挙げよう。

 かつて、「ハリーポッターシリーズ学習したAIオリジナルの「ハリーポッターシリーズの新作を書かせる。という試みが海外で行われたことがある。悪意ある第三者がこれと同じことをしたとしよう。

 もしその第三者が「ハリーポッターシリーズの新作」と銘打ってソレを売り出せば、著作権法容赦なくこの第三者断罪する。

 では、それを避けるためにキャラクター名前オリジナルに変え、タイトルオリジナルのものに変えて販売したならどうか。

 ソレは「よく似た別の作品」の一つになり下がるだけだ。

 書いたのがAIであろうと、人間であろうと重要視されるのは「作品」だから、そこの模倣がされない限りは脅威になりえない。というのが小説界隈の人が意識的にしろ無意識的にしろ生成AIに対して抱いている感情だろう。


 だが逆に著作権法は「技術」を保護はしていない。

 むしろ、広く開かれて文化の発展に寄与するべき。というのが基本スタンスだ。

 「技術」をお金にしている絵師界隈からすればたまったものではないだろうが、これが実情だ。

 「技術」の保護に舵を切るなら、それは著作権法ではなく特許法領分になるが、特許理念は「知財ビジネス支援すること」なので、おそらく企業と繋がりのないアマチュア絵師は生成AIユーザー以上に苦しむことになると思う。


 これまでの話を統括すると

現代絵師は「技術」を求められ、肝心の「作品」は依頼者の頭の中にある。

・現行の著作権法はその「技術」を保護していないし、「技術」の保護アマチュアに優しくない。

 この二点が現代の、そして未来絵師を苦しめる要因の根幹だ。


これから絵師も「作品」をビジネスにしなければならない

 そして、最初の私の提言に繋がる。

 これから先、代筆家として誰かのために絵を描くという「技術」を売る領域は生成AIに食い荒らされるだろう。

 そんな未来でも絵師として生き残りたいのなら、依頼者の頭の中にある「作品」ではなく、あなたの頭の中にある「作品」を生み出すことを考えるのが良いのではないか

 という話だ。

 「オリジナルキャラクターを作れ」というのは、その一例だ。

 企業依頼でPRキャラを描くという現行の関係から企業が「自社製品あなたオリキャラに使わせてください」みたいな関係になるのが、そこそこいい感じの未来予想図だと思わないだろうか?

 仮に企業お金ケチって生成AIでそのオリキャラ勝手に使えば、容赦なく著作権法断罪できる関係性になる。

(他に思いつくのは、大昔のゴッホだ、フェルメールだの時代のように一枚一枚の絵そのものを「作品」として『社会』に売りつけて生計を立てる道。あるいは自分自身を「作品」にしてパトロンから庇護を受けて好きに絵を描く道、あたりか。現代で言えば、前者は同人誌即売会イラスト集を売っている人たちで、後者お絵描き配信者としてファン投げ銭生計を立てつつ、絵を描いている人達だろうか。)


 逆に、このことに気づかず、「技術」を守ることに執心し続けると、どこかでとんでもないことになるのではないか。私はそう思っている。

 これがもう一つ、裏の提言……というか懇願だ。


小説家から見た絵師界隈の「技術」の体系化と共有文化の素晴らしさ

 絵師界隈で育った人達は気づいていないかもしれないが、小説家界隈で育った私から見て、あなた達が確立している「技術の体系化と共有」の文化は素晴らしいものなのだ

 YouTubeでは多くの絵師プロアマわず、自らの技法を公開しているし、有償の場になれば更に本格的かつ専門的な技術を共有しあっている。

 おそらく『社会』が絵師に「技術」を求めていたからこそ、惜しげもなく場と資産提供していたことで出来あがった土壌だろう。

 無数の技術が公開されているから、その中で自分好みのものを取捨選択し、組み合わせることで理想個性形成できる。

 私のような「最初から絵のプロになる気が無い人間」にも成長の手順が提示されているのは、非情にありがたかった。


底辺なろう作家愚痴妄言

 ここからは、若干小説界隈のネガティブな内容に触れるのだが、ご了承いただきたい。

しか生産性がない話なので、絵師界隈の方はここから先を無理に読む必要はない。

 ただ、この先の話を読んでくれた絵師から、こういう界隈の中で私はどうやっていくと良いか、そういう意見を貰えたら嬉しい。)

 小説界隈は何度も言っているように「作品」重視の世界だ。

 故に、小説家は「表現技法」をほとんど語らない。

 例えば炎の熱さを表現するにあたり、絵ならば「暖色の与える印象の理論」だとか「ぼかしによる蜃気楼技術」といったものがあり、ある程度体系化、共有された技術があるはずだ。

 だが、小説家界隈ではそういった表現技術を「作家個性」として、共有せずに個人のものへと抱え込む道に発展してきた。発展してしまった。

 我々は百の作家がいれば、百人が別々の言葉で炎を描写し、実際にどれが最も読者に熱さを感じさせられる表現だったのかを検証しなかったのだ。


 我々小説家今日も、読者が本当に熱を感じてくれるのかわからずに炎を描いているし、可愛さがちゃんと伝わっているかからずに美少女を描いている。

 「技術」を体系化しなかった、というのはつまりこういうことだ。


小説家は「腕を磨かない」

 では「技術」を語らない小説家界隈が新人達に何を語っているのか。

 それは「作品の作り方」だ。

 手順、理論作法形式

 現在小説家界隈で新人達に向けて語られているのはおおよそ上記の要素であり、それらをまとめると「作品の作り方」となると思う。

 これもまた絵に例えるなら

 「ラフ、下書き、清書の順番で書くと良い」とか、「線画と塗りは別レイヤーに分けたほうが良い」とか、そういうレベルの内容だと思ってくれていい。

 それを十数年以上、場所を変え人を変えこんこんと語り続けている。

 それが小説家界隈なのだ

 SNSで無数の新人作家たちに向けて情報発信をしている高名な小説家達も

 「自分達が教えられるのはいわば『就活履歴書の正しい書き方』だけだ。その内容は個々人で書くしかない」

 みたいなことを常々言っている。

(で、まあ「特定効果を与える技術」ではなく「作品作品たらしめる作法」という名目なもんだから「not for me」の概念適応されにくく、「正しい」「間違い」で定期的に燃えている。)


 つまり小説家界隈は「作品を完成させる」ことを教えることが主流であり、その質を技術によって高めることには非常に無頓着なのだ


 私の推測だが、これは絵とは逆方向の『社会から圧力と発展によるものだろう。

 絵師には「技術」を求める以上、まぐれではダメだ。再現性がなければお金にはならない。

 だからちゃんと「技術」が身に着くような環境を作る。

 だが何度も言っているように小説家に求めるのは「作品」だ。

 極論だが、出来が良ければまぐれでもお金にできる。そのまぐれの一つを拾い上げて市場に売り出せばいい。

 だから社会』はできるだけ多くの「作品」が出来上がる環境作りを自然と行ったのだろう。


 「作家を作る」ことは頑張るが、「作家を育てる」ことはしない。

 プロアマわず、それが現代小説家界隈なのだ

 「プロになるつもりはないが、もっと上手くなりたい」という人間に対しても、絵師界隈の先達は「技術」を提供し、成長の道筋を照らしてくれる。

 だが、小説家界隈では「プロになる気がないのなら、あなたの好きに書けばいい」の一言で終わる。

 私のような無才な人間からすると、暗闇を手探りで歩くような感覚だった。


出版業界の陰り

 まあ、小説家界隈が無才に厳しいだけなら良いのだが、最近この界隈の「作品重視」の傾向が業界全体の問題として表面化してきているように思う。

 その問題とは、端的に言うと「作品が増えすぎた」ということだ。


 「小説家になろう」では毎年開かれているネット小説大賞という賞レースがある。

 2013年に開かれた第一回では応募作は「1,135作品」だった。

 これが五年後の第六回では応募作はほぼ10倍の「10,156作品」になった。

 そして、今年の第十二回に応募された作品は「20,826作品」と、その数は恐るべきペースで増えている。

 一応、この数字についてはちょっと恣意的表現をしている。

 一般新人賞公募と違って、小説投稿サイト主催の賞レース過去落選した作品も全て再応募する作者は少なくないからだ。なのでおそらく「作家」の増加数はこれほど極端ではないと思う。

 だが、この仕組みと過去作を再応募し続ける風潮こそ、小説家界隈が「技術」を軽視していることの証左であり、問題の根源だ。

 この世には「玉石混交」という言葉がある。

 賞レース選考員は一万以上の無数の石の中に隠れた玉を探すわけだが、さっきも言ったように、ネット小説の賞レース過去落選した作品継続して応募されている。

 つまり、玉と石の比率一定ではない。拾い上げられた玉は減るが、石はそのまま翌年、また翌年と残り続ける。


 そうなると、単純に選考員の負担が年々増えていくのは想像できるだろう。

 ただでさえ、小説は受けての時間を奪う媒体だ。短編でも一作につき五分から十分。長編なら余裕で一作一時間を超える。

 選考員を増やせば個人単位負担は軽減されるだろう。だが、人を増やせば今度は運営出資が増える。

 必ずどこかしらが負担を負うことになる。

 そして『社会』が持っているリソース無限ではない。


 そして多分だが、小説家界隈……というかネット小説業界は、このリソース限界をとうの昔に迎えてしまっている。

 出版社は玉探しを継続的にしなければならない。

 だが、玉探しに必要な労力は年々増え続けている。

 ならば、別の所で手を抜いて調整するしかない。

 宣伝作家に任せよう。

 連載継続するかどうか早めに決めよう。

 といったふうに。

 ざっくり言うと「プロ作家サポートにかかる労力を削る道」も考えられる一つだ。



 私の未来予測では、今後も出版社側の玉探しの労力は増加し続け、それと負の相関に基づいて出版社からプロ作家へのサポートの質は低下し続けるだろう。

 そうなると、作家から出版社への信頼が揺らぎ始める。

 作家出版社を信頼しなくなれば、出版社は心置きなく作家使い捨てられるようになる。

 これを 『才能の狩猟社会』みたいなことを誰かが言っていた。希望の無い話だ。


 「技術」を『個々人の個性』として体系化せず、共有しなかった小説家界隈。

 「作品」を完成させることだけを重視し、質より量を推し進めた小説家界隈。

 これはその一部で実現しつつある最悪の未来予想だ。

 この私の未来予想が一理あるか、見当はずれかの判断は委ねる。

 (とはいっても、プロ経験皆無の底辺作家妄言なんて外れてくれた方がいい。部外者がそれっぽいこと言って、それ

11/15の生成AI学習にまつわる規約変更でXを去った絵師に言いたいこと(1/2)

後半→ https://anond.hatelabo.jp/20241115155137

散々騒がれてる、2024年11月15日にXの利用規約が変更される件についての話だ。

前置きすると、すごく長い。

まぁ、どうせ都合のいいお気に入り話題しか目に入れないように構築してるエコーチェンバーまみれの君たちには届かないだろうが。

簡単に要約すると「11/15を起点に(去年9月時点からAI学習はしてたが)ユーザー投稿内容をX運営が利用する文面に"具体的にはAI学習など"という旨の文面が追加された」という話になり、自分作品が全てXのものになる、絵を盗られ侵害されると感じたイラスト描きが次々とアカウント削除、投稿削除、非公開、類似SNSへの移行を始めた。

中には「Xに著作権全部奪われて上げた絵がよくわからん企業組織転売される」などと拡大解釈してる人もいた。規約翻訳ガバガバなのも影響してると思う。

それに感じて思うところがあまりにも多すぎるので、特に整理してない乱文だが書かせて欲しい。

絵師人格問題が浮き彫りになった件

まず、AI作品が喰われることよりも、イーロン・マスクがXに上がったものを独占するような言い分(あくまで言い分であって実際にしていることは想像の域を出ない)の規約よりも、ぽっと出の声でかインフルエンサー扇動されて怖くて上記のような行動を脊髄反射でとってしまった絵師という存在に心から失望した。自称エンジニア信憑性微妙だが、努力を積み重ねてきた自分たちの方がえらいという言いきりには首を捻らずにはいられない。流石感情論で動く種族

やってるゲーム公式絵師がこれだったことが判明した時、心中複雑極まりなかった。自分が納品したクライアント著作権を共有してる立ち絵とかスチルとかはええんか…と思う。まぁ自分だけの持ち物じゃないしね。

かに昨今の生成AIユーザーはもはや技術の発展や作業効率化などは二の次嫌がらせすることが主目的になってしまっており目障りではある。特に検索汚染においては本気で辟易してるのでこちらとしてもやめてほしい。

そもそも"出力"と"公開"の段階で起きてるのが今の問題なのに、絵師は"学習"の段階から全否定してる人が多い。それないと顔認証レコメンド検索翻訳もできないぞ。生成以外も否定したら生活詰まると思うのだが。今までだって勝手学習されてた上で今こうやって成り立ってるわけだし。

から私も心のそこから"生成物の公開"に関してはちゃんとした法規制をしてくれと思っている。できちゃうのは仕方ないが、それを人に嫌がらせするための凶器として振り回すのが目立ってる現状は看過できない絵師によるイメージはこれ一色で塗りつぶされてるのだと思う。

ただそれを上回る過激な行動やそれに何も考えずについて行ってしまうところの方がまずいと思う。

前々から視野が狭い、社会性がない、リテラシーが高そうに見えてないとは言われていたが、ここまではっきり露呈する日が来るのは思ってなかった。前々から脱税だの言われててアレ?とは思っていたが、ここまで攻撃的で妄信的で自己顕示欲を捨てられない哀れな人種であることをまざまざと見せつけられて、絵は好きなのにどういう気持ちで接したらいいのか分からないのが今だ。

私自身も趣味で曲がりなりにも絵を描く人間だが、本質的にはこいつらと何も変わらないんだという点に悲しくなった。実際初期は強い論調注意喚起に踊らされた。

ポートフォリオサイトの使い方、事務処理、対人コミュニケーション公的文書の読解、どれのスキルも足りてないんだなというのを分からせられた。最終的に残ったのが絵だけだったんだなと。わかんないよ〜難しいよ〜だから鍵に篭ります思考停止)といったケースは何度も見た。

そんなんでよく同人イベント出れたね?マネージャーでもいたのだろうか。

これならAIの方がフラットな分まだいいとすら言えてしまう。絵描き自我がいらないという論調も頷ける。今ちょうどコミカライズ作家がいらん自我出して燃えてるしね

ただ私は楽しくオタクもしてる君たちの話も聞きたかったんだ。それが今や住処を破壊された被害者小動物や、筆を置いて見えない敵に対して叫び続けてるレスバモスターと化してる。目も当てられない。

文化を守ると言いながら文化破壊してるのはどっちなんだよ。今や如何に自分の絵をウォーターマークという名のブラクラじみた被せで汚染できるかの大喜利状態だが、結局守りたいのは絵という文化ではなく身内での馴れ合いなんじゃないのか。だから仲間がいなくなることを恐れて対策してるポーズを取り続けるのではないのか。

今回のこの騒動も結局は「居場所を奪われる」に帰着する事だと思っているので。絵という文化のものではなく、そこに寄生して生きてる自分の住む場所迫害されてこうなってるんだよな。わかるよ

ウォーターマーク商品サンプルとしては有効だが、絵の価値を下げるレベルデカデカと表示したり敷き詰めたりするものではない。人による無断転載避けとして載せておくのには効果はあると思うが、せいぜいクレジット程度にすればいいのにそれ自体学習阻害効果はないのにそこまで主張させることか?と思う。

はっきり言ってやりすぎた。馴染ませてる人は純粋にすごいし続けるべきだが、集合体恐怖症レベルのことをやってる人には引く。もう絵を守る事が目的じゃないだろ。

法規制されるまでの時間稼ぎという意見も見たが、それって何年後の話なんでしょうかね。

そもそも日本時間15日0時ぴったりに変更されるわけないのに運命時間とか言ってざわついて、正直ある種の祭りに参加してるようにしか見えない。買えるなら現本社所在地テキサス州の時差に合わせた15時あたりだろう。規約変更も日本ファーストと考えるならもう少し国民性に添ったサービス提供すると考えるのが自然では?と思う。けど、アメリカどころか自分と身内ファーストじゃない、イーロンは。だから民主党支持者がX出ていくんだろうけど。

15日まではセーフだからって主張も理解できない。"あらゆること"という文面の裏に隠されながら去年からずっと学習されてたんだろうがよ。それが今回具体的に表に出ただけだ。ずっと騙されて同意させられてたんだよ。我々は。当時も規約について警鐘を鳴らしてた人の存在が今になって明らかになったが、その人の声はその時には届かなかった。そんなものだ。はっきり言いすぎて逆に地獄を生み出してるのもある。言わなきゃバレなかったのに。インスタもTikTokYouTubeGoogle)もAppleMicrosoftも、言ってないだけで同様の規約あるからね。

そういうところにも自分のことしか考えてないんだなこいつら感が浮き彫りになってる。

今の絵師界隈を分類してみる

現在規約変更以降の絵師の動きとして、以下のように分類できると考えられる。あくま個人観測範囲での話になるが。

  • X残存組
    • 気にしないのでそのまま使う

 一番賢く、一番愚かとも言える。もはや諦めの境地。今の今まで餌を与えてたことをちゃんと受け入れ、それでも負けずに筆を折らない人たち。こういう人が意外と仕事をもらえてたりするし、元祖AIみたいに言うだけ言って美味しいところを食うのもこういう人たち。もはやライバルを蹴落とすためにやってるのかと邪推しかねない。君に煽動された人が馬鹿みたいじゃないか

 ウォーターマークを敷き詰めたりGlazeやNightshadeをかけて過度に品質を落として学習阻害をできてると思ってる人たち。正直見る気失せるしそんな対策が通じるのはまだ多少の効果はある今だけのその場しのぎでしかなく、いずれ突破される。まぁ見る側の中にAIに食わせようとしてる人物がいるなら、不特定多数に綺麗な画像を見せるのをやめて信用できる人にしか見せたくないという心理はわかるが。よその学習阻害ツールデータ抜かれてる可能性までは考慮できてない。やってることは家のドアに南京錠をかけてるような感覚に近い。そんなに嫌ならどこにも載せず作品引っ込めとけ。あとAIで試す事すらも生理的に気に食わないのか本当に学習阻害できてるのか検証する絵師が一人も出てこないのは不思議で仕方ない。

 正直、「対策しておかないと絵師コミュニティ村八分にされるから嫌々やってる」という理由仮想敵と戦ってる人も少なくない。防犯目的も然り。そんなんで人格否定排除してこようとする人はあなた人生には不要存在なのでとっとと縁を切りましょう。いくら好きな絵を描いてくれたり性癖が一致してたりしても、最後に合わせるべきもの倫理観だ。

 もはや敵はAIではないと思ってる人たち。もしくは品質を落とさずとも自分作品である事が証明できればそれでいいと思ってる人たち。こういう人も古来からネットに上げる時点で全部余儀なくフリ素になることをわかってるので、ならせめて自作証明ぐらいしておこうというある意味一番賢いかもしれない。入ってたら思想強いなと少し思う程度。過去による無断転載被害に遭った経験がある人はこれ率が高く、これからも是非そうすべきだと思う。

  • 筆を折ったが残ってレスバを楽しむ

 こいつが一番ダメ。こういう奴らのせいで下記で紹介する人たちが疲れてサービスを捨てる決断をせざるを得なくなった。この場合半分ぐらいイーロンのせいではあるが…

 AI技術における紛う事なき敗北者。AIユーザーにもX運営にも潰されてしまった可哀想な人。本気で戦う気あるならAI凌駕するほど努力を積み重ねてハイクオリティな絵を描いてAI愉快犯土下座させればいい。そうすればあなたの筋も通ると思います。できないなら所詮その程度ということだ。

 ただ、イーロンが望む対戦型SNSに最も相応しい客もとい参戦者ともいえる。ネット喧嘩しか己を見出せなくなってしまった人。体感氷河期世代に多い。暴言が行き過ぎると生成AI利用者であれ開示請求されても知らんぞ。

 中には今回の件でメンタル疲弊して絵が描ける状況ではなくなり、手っ取り早く脳汁を出す手段がこれになってしまったという本当に哀れな人もいる。怒りって一番手軽な娯楽だもんね。AI使って一瞬で絵を描く事よりも手描きの喜びを感じることよりも。

こういう人たちはあんスタ他女性向けソシャゲが「こっちは今まで通りでいきますから」と言っても「大手からってフォロワー失うのに日和ってるの?」「自社コンテンツ蔑ろにする(してない)姿勢にガッカリです」と叩いてる反応がある。ただただ活動の場を奪うことに快感覚えてるだけなのでは?と言われても仕方ない。

 声明出してるのがソシャゲBL出版社みたいな女性向けコンテンツばかりなのが、もう、ね…

 あと原神は撤退してないぞ。情報量の簡略化ってだけだぞ。とにかくX憎しで手段を選ばないで人を振り回す危険人物ばかりだね。お前にとっては公式よりも名前出してる専門家よりも得体もしれんフォロワーの方が信用できんのか。フォロワーは裏切るぞ。

理屈として、「誰か一人無頓着な人がXで学習されていいという土台を作るとそれが基盤になって学習されてもいいみたいな風潮ができてしまうから何が何でもこの手で止めなくてはいけない」という意味不明正義感に駆られてる人もいる。AIがなければこんなことには…と言ってる人がいたが、もともとあんたが触ってるインターネットコンピューター戦争のための動画だったんやぞ。ネットがなければ…ぐらいになりなさい。お前が生きる現実は一体どこなんだ。

総じて、「TwitterあくまTwitter)で出会ったお友達が大切で失いたくない」と思っている人が多い。なんだかんだで承認欲求が満たされたり宣伝効果があるのはここなので。

真面目に技術発展に向き合いたい人もいれば、絵は人間関係構築手段の一つに過ぎないと思ってる人もいる。

 併用というよりはSNSとしての役割を捨てて今いるフォロワーだけで構わんという考えの人。総じてあまりネットに向いておらずメンタルが強くない。それならDiscordとかでいいのでは?と思うが「話すまででもないしたまにいいねが来る程度の関係」を失いたくないというのが大きいと思う。

今の状況がなんなのか分からいから消すよりは戻せる鍵垢を応急処置として選んだ、何もかもがうざくて疲れた別になんでもいいがこれから当面増えるであろう攻撃避けをしておきたい、誰にも干渉されず考える時間がほしいというタイプもこれ。本気で学習対策をしているというよりかは面倒ごとに巻き込まれるのにうんざりしてる傾向があるように見える。"人間"の業に疲れてしまった人。多分これがダメならAI以前の問題だと思う。

 鍵の快感に慣れてしまい、中で過激発言を繰り返してしまうケースも跡を経たない。自分も偏った政治発言地元の話やうんこ下痢や痔の話やエグい体調不良実況をしたりしてる。そして鍵垢には貫通や内通リスクがあるので絶対安全とも言えない。この惨状を見てインプ広告収入が減ったと判断したらイーロンが痺れを切らして鍵垢廃止ちゃうかもしれない。

 鍵なら学習されない(何故なら上記のような個人情報を垂れ流すケースが多くそういうのまで学習してしまうから)という話になっているが、それはあくまでGrok限定でありシステムサーバー上にはしっかり残ってるからね。

 鍵にするならROMとして使った方がいい。中でコソコソ呟かれてたらもうオープンSNSやめろよとなる。私も増田しか意見表明できない時点で同じ穴の狢だな

Xにポストとして載せるな

 というのも、Xのアルゴリズムで外部リンクシャドウバン対象になりやすい。今もそうかは分からんが。少なくともインスタ、TumblrYouTubeあたりはブラックリスト扱いされてると聞いた事がある。

この調子だとblueskyもxfolioも有害サイト扱いされてしまうのも時間問題な気がする。やるならプロフィールへのリンクならまだ認められてるからそちらに誘導すべき。サムネイルは諦めよう。

まだリンクが怒られないブルスカURLのせて誘導するぐらいなら理解できる。

 xfolioやポイピクみたいに安全サイトと謳っていても、人間の悪意は無限抜け道スクショ撮影スキャン、はたまたハッキング)を探すのだから絶対的なユートピアとは言えない。だがやられた後にぶちのめす方法が分かってないからこうなってるんだよね。

それを待ってるうちに暴れたからこいつらの話聞く価値ないってなってる現状を作った反AI過激派の罪は重い。勘違いしながらパブコメで行きすぎた暴言を吐くような人はちょっとね…

 結論から言うとタイムスタンプ消失的な意味おすすめしないが、Xアーカイブを取得すれば証拠にはなるのでサービス上に原本を残しておく必要はない。私もアカウント削除する寸前には必ず記録を取ってる。こういう時黒歴史クリーナーが生きてればね…

そういう意味では一度まっさらにして学習阻害及びサインを追加して一応学習されないことになってるサイトに再アップするのはアリだと思う。シンプル黒歴史清掃目的でやっており再アップすらせず歴史の闇に消す人もいるが、そういう人はアカウント消した方がいいと思いますなりすまし防止のために消した1ヶ月後に同じIDダミー垢を作っておこう。

 転生しただけで本当はAI肯定してるんですか?と思われかねないのでね。

長すぎるため後半に続く

https://anond.hatelabo.jp/20241115155137

AI騒動について、反AI側が主観偏見でまとめてみた

・書いてる人

IT技術屋として働いており、skebなどで絵を売ったことがある絵描き

ちなみに今のところSNS移動などはせず、今後もXに居続ける予定(ノイズウォーターマークはつけようと思っています

  

・前提として

学習元の絵が絵の権利から許可取れている場合ならAI生成イラスト問題ない認識

現状のAIイラストに関しては反対派(理由は後述する)

  

・なんでこんなの書いたのか

今回のX離れたりすることを反AI集団ヒステリーと言われるのはちょっと違くない?って思ったところから主観偏見込みで自分なりにまとめてみようと思った。

  

そもそもなんで反AIができたのか

これは私の認識ではあるが、絵師達は初めにAIイラストがではじめた時には好意的な印象もあった。

(背景の手伝いをお願いできたりするかも…など)

が、そもそも学習素材が無断で画像を引っ張ってきているものというのが分かってからAIが始まった認識

二次創作一次創作に関わらず自分の絵を無断で転載されたり使用されたりすることは昔から問題になっており、それに対しての新たな問題が増えた。

膨大な時間をかけて絵の技術を磨いたもの勝手学習されてぽっと出の生成AI大量生産されるのは本人にとってかなりの苦痛になり得るものだと思う。

そもそもその絵の技術で飯を食ってる人がいるのだ。

  

ネットにあげた時点で誰かしらは模倣するし、無断使用されるのは当たり前であるというのは確かにからそうではある。

ただ、忘れないで欲しいのは無断使用されたりしたら声を上げている絵師は多かったし、問題ではあるが海外がやっていて手を出せないなどAIとは別に問題があるものなのでここでは省略する。

  

別にXからSNSに逃げても意味がなくない?

それに関しては本当にそう。いくらAIサイトにあげたとて、スクショされたりしたら何も意味ないのだ。

これに関してはネットにあげた時点でリスクがある状態

(本当はネットにあげただけでなんでリスクを背負わなきゃならないんだよって話だよね……わかるよ………)

それでもXから出ていく人がいるのはAI使用をするよとX側から明言されたことなので、なんで今更…とかではないと思う。

ちなみにX側からAI学習使用現在(2024/11/15)でもGrokの学習拒否はできるので、残ってる人はoffにしておくのがおすすめ

(まあいつ消えるか分からないけどね……)

  

ノイズかけたりウォーターマーク必要性

ここに関しては完全なAI対策にはなってないのはどうしてもあります

ただ、ノイズをかけることでAI学習の阻害する効果はある程度はあるけど完全では無い状態かなと…。

濃くかければかけるほど阻害効果高まるけど、その分絵が見にくくなったりのデメリットはあります

  

ウォーターマークに関してはAI対策と言うよりは権利者を明確にするという意味必要だなと思っています無断使用しようにもウォーターマークでかでかとついてるってことは勝手にグッズなどにするのは難しくなるだろうし。

なので自分使用しているウォーターマークオープンで配布するの本当にやめた方がいい、消す素材を置いてる形になってしまうので…1部名前入れたりするし…って思っても素材部分は消されます。面倒だけど自分だけのを作ろう。

  

ここでノイズウォーターマークをつけてない人がいても責めるのは本当にやめてください。

この選択は本人たちの自由です。

  

最後

AI側って、そもそも長い時間かけて作ったものが、他人横取りされて自分作品です!ってされるのが嫌って話だと思ってます

そんな難しい話じゃない。

  

  

  

追記

コメント来ると思ってなかったので、一部気になった点に返事させてほしい。

人間絵師他人の絵や技術をパクって学習しても許されるがAIダメ

本当に私個人の考え方です。

これに関しては結構簡単な話だと思っていて、目で見て学んだものを自ら描いたときに全く同じものは出力されないからだと思っています

本人の解釈が確実にその絵に入る点があるから、ある程度の他人の絵や技術をパクって学習しても許されることが多いのかなと感じています

ただ明らかに模倣しすぎるとそれはそれでよく燃えていますし、完全に他人の絵や技術をパクって学習しても許されるわけではないです。

そもそも技術自体が積み重ねて育っているものなので、ある程度は許容されるものだと思っています

(ただ絵師によってはパクられること自体を嫌う人もいますが…ここは個人によると思っています

  

ではなぜAI学習されるのが嫌な人が多いのか

人間だと

絵 → 人間学習させる → 学習した人間解釈が含む絵が出力される

AIだと

絵 → AI学習させる → 絵を描いた人の癖をそのまま表現した絵が出力される

  

要するに、絵描き本人は描いてないのに、絵描きの特徴をそのまま表現された絵が出力されるのが問題だと思っています

絵師さん自体にもよりますが、人間が同じように絵を描いた人の癖をそのまま表現した絵を描いてたら、基本嫌がられることが多いと思います

  

集団ヒステリーって言ってるのはどっちかというとアカウントなり投稿画像なりの削除

一度ネットに上げたものを消したとて、もうどこかに転載使用されているものなので無意味なのは私もそう思います

なんならアカウント消してしまたことで、なりすましやすいなどもありますし…

問題が起こった時に絵の権利である証拠を一つ手放している形だなと思います

2024-11-14

推しの子燃えてるの集英社のせいじゃね?

推しの子ジャンプラで無料乞食して流し読みしてただけだから内容に対して正確な評価はできないんだけど、今回こんなに燃えてるのは集英社のせいだと思った。

というのも推しの子自体がこんなに注目される作品になったのって集英社の売り出し方がここ数年でめちゃくちゃ上手くなってるからであって、国民的注目を集めるレベルにない漫画が過剰に人気になってる現状があると思う。

匿名なのをいいことに言わせてもらうが漫画週刊少年ジャンプ絶対的な一軍、野球で言えばWBC日本代表とかそのレベル存在であってその他の媒体集英社漫画ヤングジャンプ然りジャンプラ然りというのは2軍、よくて1.5軍の存在しかない。

最近ジャンプ出身で跳ねた地獄楽とかスパイファミリーとか怪獣8号とかの作品鬼滅の刃と互角では無いというのは肌感で感じてる人はそれなりにいるんじゃないだろうか。

そういった作品に対して集英社バカの一つ覚えみたいに渋谷ジャックし、OP流行りのアーティストを使い、これまた渋谷で展示会をしている。

呪術廻戦とかにはこの売り出し方は良かったと思うが推しの子作品としての格が足りてなかったように思う。

面白い面白くないかで言えばもちろん面白い作品だったが小学生OPを口ずさむほどの国民的注目を受けることに耐えられる作品かと言われたらNOだったというのが今回の炎上本質的な部分ではなかろうか。

集英社販促が上手になり過ぎた結果、本来その俎上に乗るべきではなかった作品が乗っかることができてしまうようになった。これから全く同じ燃え方する作品何個かは出てくると思うわ。

不妊治療生殖医療倫理観について

今Xなどでたくさん燃えている「日本出生率の低下」の話題について、最も憤りを感じている層のわたしです(40代既婚子なし)

出生率が下がることによる色々な社会的変化はポジティブものはおそらくないであろうという気持ちは分かる。わたしもずっとそう思ってきた。


かと言ってわたし子どもを持たない選択をする人に全く偏見はない。

なのになぜ耳が痛いのかというと、わたし不妊治療を今まさに経験しており、夫側の原因で、子どもが持てないことが分かったから。

わたし障害のある子どもに関わる仕事をしているから、高齢出産に伴う障害リスク、親子ともに健康にその後の人生を歩める可能性が年齢と共にぐんと下がることも学術的、見聞きした経験的に体感している。

加えて,不妊治療を始めた時に「そもそも自然妊娠で授かり、無事に胎内で育ち、無事に産める可能性」が40代を境に急落することも説明され、始めてすぐに、人工受精体外受精を前提に治療を開始するという治療方針のもと、夫婦検査及び体質改善などを進めてきた。

わたしたちは結婚して10年未満ではあるが、時々は夫婦生活もあり、それでも自然に授からないのも不思議には感じていたけれど、開始した当初には楽観視していた。

「授からないのではないかな?」ではなく、医師治療方針と同じく「安全合理的に授かれる最短の道を選ぶ」ために不妊治療を開始したテンション感だった。



出た結果は、まさか男性不妊だった。

男性不妊は珍しいことではない。不妊治療を受ける半分くらいはその原因があり、また、100人に一人くらいは全く精子のないいわゆる無精子状態もあると。


だけど、告げられた時にやはり「えっまさか」「あーーーそうなの…」と二人で声が出た。

予想していなかったのだ。



人は正常バイアスをかけたいものであり、自分にとって悪い方のシナリオというのは、ないであろうと考えたいものだ。

診断結果を告げられた時に担当先生から出た次の言葉は「どうしますか、さら治療を続けますか?」だった。


今思えば、100人に一人だ。そして、私たち40代だ。その時点で、断念してもおかしくないという状況を暗に言ってくれていたのだと思う。


それでも夫がすぐに「僕はどうすればいいですか」 と次の治療を求めてくれた。


結果的に、男性不妊専門医にもかかり、精密検査遺伝子検査まで受けて、最終的に、物理的に手術をして使用できる精子があるかどうかの、これ以上進むところのない手術まで受けてくれた。

私も私で、それを受けてすぐに体外受精を行える段取りを組むため、自分の勤務を最大限に調整してもらい、体の準備も整えていた。

だけど、3分の2くらい成功すると言われていたその手術の結果、無情にも「夫の子は持てない」という事実が確定した。


100人に1人の、3分の1の確率が、私たちにめぐってきた、それだけのことなのだけど。



それを踏まえても、私は子どもを諦められない。

でも夫のせいにもしたくない。

夫も傷ついている。

しろ夫の方が子どもを望んでいたことも知っている。

職場の勤務もすぐに治療に入れるように調整していたのに。





そんな諸々の葛藤ストレスが重なり私は軽度の鬱になり、眠れなくなり、希死念慮も出て、仕事を休むことになった。

夫婦の間にもなんとも言えない違和感のようなものが生じているように感じる。

ただ子どもを望んだ結果が、ここまでになるなんて。




この先、と言って男性不妊のクリニックの先生提言してくれた道は3つ。

子どもを諦めて、夫婦で仲良く暮らす道。

第三者ドナー提供を受け、私が妊娠して、子どもを持つ道。

特別養子縁組を利用して、子どもを育てる道。




夫と話し合った結果、やはり「私と血が繋がってるとはいえ他人の子を育てる気にはなれない」と言われた。

実際、他者精子提供妊娠する道についても詳しく説明をされたが、日本ではまだ、成功率が1桁%くらいの治療しか、夫以外の人工授精が認められていないらしい。

しかも、子ども大人になっても自分生物学的な父親知る権利がないという。

それでは、子ども幸せに育つ確率自体がまたぐんと下がってしまう。



では、夫の親族ドナーになってもらう道はどうか。夫もそれならば自分愛着が湧くであろう。日本にも少ないけれどそのように子どもを持った人がいるらしい。

答えはそれもノーだった。

今の日本生殖医療では親族間の提供倫理的に、タブーとされているらしい。

何故?他人精子はいいのに、夫の親族間がだめだという倫理観とは??

私も夫も容易に理解ができなかった。

どの道にも間違いはない。けどどの道が正解かは分からない。

今、いつ鬱症状がひどくなるか分からない状態で正直、どの道を受け入れること自体が,私たち夫婦にとって難しい。

そうこうしているうちに、私も年老いていく。

どうしようもない。



出生率の低下が、女性自分本位になったからとか、収入が低いからとか、男性子育てする支えが足りないからとか。

そんなレベルじゃない、産みたいのに産めなくて苦しんでいる人はまだ何パターンもあることを、私は身をもって体感たから、今の出生率低下の原因をあれこれ言うトレンドに憤っているのだ。


何がわかる?


そして、なぜこんなに子どもが欲しい人に、荊の道ばかり用意されているの?

もちろん、子どもを持つ以上、生まれ子どもにとって最大の利益となる環境が用意できることが大切だ。

そのための倫理観なのであろうが、私にはどうしても、こんなに少子化が悪とされる風潮の中、「身体的にどうしても生物学的に自分達だけの子どもが持てない」人への救済がないんだろうかと、そこに憤っている。

私たちだけじゃないはずだ、こんなどうしようもない気持ちと、よくわからない「倫理観」に憤っているのは。

もし、同じような境遇体験したことがある人がいたり、生殖医療における倫理観に悔しい人,意見をいただける人の目に留まったら、少しは次の道を考える糸口になるかもしれない、と思って書いています。乱筆で失礼しました。

anond:20241114025956

作者はナチュラル倫理観おかしいけど小物の範囲しかなく、またネット炎上大好物最近燃えたナニカをパクってくるのが上手いだけの人だから説得力あるシリアルキラーとかは描けない

2024-11-13

荒れそうで荒れなかったなといえば、幾原邦彦古谷徹擁護だな

幾原邦彦フェミニズム的なテーマをよく取り扱い女性人気が高い一方で、SNSでは普通のノンデリおじさんなところが垣間見えたまに荒れたりもしたが、古谷徹不倫擁護はすぐ消したこともあってか特に燃えなかった

30年ぐらいの付き合いの相手かばいたくなる気持ちというのもわからないでもないしな

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん