はてなキーワード: お絵描きとは
株式会社アイビスは、お絵描きアプリのアイビスペイント出しています。
私は、株式会社アイビスで2年ほど働いていましたが、精神的肉体的に社会復帰できなくなってしまったので退職しました。
1つ目は、営業の人が案件とエンジニアの技術力を考えないで、プロジェクトに任命させることです。
私は、言語としては、C++を基本的に触っていましたが、営業の方から案件がないからGo言語でもいい?というか、それしかないからお願い、と頼まれました。案件は水ものだししょうがないよねと、営業の方自信が自分にいいきかけせている感じでした。それでプロジェクトに入りましたが、現場ではめちゃくちゃ怒られる毎日でした。そもそものお作法(変数の型宣言が後置である)も知らないからです。
このことでプロジェクトに合っていないと営業の人に言って離任を申し出ますが、うちではみんなこんな感じだから我慢してと言われるだけでした。そのまま、3ヶ月が過ぎたら10キロ以上も痩せて、配属先の会社から離任を申し出てきました。
離任後は、自社に戻ると営業の人は、顔も合わせず次のプロジェクト先をメールで伝えるだけでした。
もちろん次も経験のないJavaとAWSの環境でインフラ設計、製造です。しかも、プロジェクト先が都内から1時間30分以上もある厚木です。対応できなくものすごく怒られ1ヶ月でお客さんから離任を告げられました。
このことで、求人に書いてあることは自分の得意な言語で仕事出来るはずじゃないですかと営業の方(採用も担当していた)に問い詰めますが、仕方ないじゃん、案件は水ものなんだしと。そんなことなら、もっと遠方に行かせるか炎上案件に行かせるよと言われました。その後も、同じような案件で数か月で終了する感じで2年続けて精神的肉体的にまいりました。
2つ目は、1つ目と似ていますが、求人内容と書いてあることが全く違います。
私は、C++でモバイルのアプリが少しつくれる程度で会社の人とチームを組んで、開発がしたいがためにこの会社に入りました。
求人に研修では、あなたに合わせた研修とありますが、基本は放置です。
ワードのドキュメントにテトリスをつくってください。仕様は○○ですとA4の1ページにも満たない、仕様書があるだけです。更新日も5年以上前になっています。
基本誰とも話さずググって下さいと。質問してもググって下さいと言われるだけです。Redmineを使って質問ができますが、一日一回だけです。しかも、研修用で使えるPCはメモリは2GBで、2つ以上アプリを開いたら、フリーズします。
研修は、4ステップありますが、ほとんどの人がステップ1も終わらないで、現場に行くことになります。
現場に行く時は、もちろん営業としての単価がいい案件なので、炎上か高難易度の案件です。未経験の人でも大丈夫で4割が未経験でチームでプロジェクトに入りますと求人表に書いてありますが、一人で案件に行かされます。チームで行くことはたまにありますが、みな個人プレーで自社の人とは関わりません。フォローもなく、むしろ出来なかった時だけに怒鳴られます。平成終りなのに、やっていることは昭和初期の根性論のような会社です。
最後に、会社のトップの人は自社開発のアプリしかしていなく、全く経営をしていません。
例えばですが、今だに、派遣先での勤怠を自社に提出する際は紙ですし、社内システムは10年以上前のものを使用しています。
社長はめんどくさい事は、管理職に丸投げをして、暇さえあればツイッターをしているような人です。そんな暇があるならば、社内インフラを少しでも良くしてほしいですが、それも気づいてないです。
さらに、今後上場を考えています。上場したら優秀な人材が集まり、今いる人と競わせて、優秀な人だけ残すと言っているのです。社員をただのお金としてしか、考えていないので非常に残念な経営者です。
ちなみに私は、中途で入り手取り20万円で入社しました。しかも一年目はボーナスなし。年収300万円も行かなかったです。しかし、今転職した会社では、月給は32万で、手取りは28万円になりました。やっている事は変わっていないのにです。年収も400万円までいきました。これでも、他の会社と比べたら少ない方ですが、株式会社アイビスがいかに低賃金で働かせていることか身に染みました。
エンジニアを安く買い叩かれることがないように、間違えて自分と同じようなミスをして欲しくないために今回記事を書きました。
※色々とコメントありがとうございます。
今回の記事は株式会社アイビスが都合のいい人だけ集めていること、SES(システムエンジニアサービス。エンジニアの派遣です。)に問題があることをもう少し説明します。
株式会社アイビスは、都合のいいエンジニアだけ集めて、後は切り捨てるという考えです。プロジェクトにマッチしない人でも、辛抱強く続けられる人は会社としては利益になる。優秀でなんでもできる人ならマッチしなくてもどのプロジェクトでも活躍できる人が残っている人の2パターン。仮にマッチしなくてもやめる人のケースの場合でも、責任は営業とエンジニアになりますが、実質エンジニア(話し合っても、普段話しなれていなエンジニアは、丸め込まれる。または、受け流されて、変わらないことに気付いてやめる)になる。会社としての損害はほぼなく、利益は減るが、新たなプロジェクトを探し出せることになっている。常に求人をしているので、そんなことを知らない人が同じようなループに入ります。そこで、続けられる人が見つかれば会社としてはラッキーという感じです。そして、そこに残っている人はすごい低賃金で歯を食いしばってやっている人か、ものすごい技術力がある優秀な人かの両極端になります。自分がどちらか気付いたときは、そのポジションの言動をとるようになっています。歯を食いしばるか、サクサクコードモンキーになるか。
https://tenshoku.mynavi.jp/jobinfo-214515-2-3-1/?ty=kyujin&src=ssS
もう一つ、SESの問題点は上記であるように派遣でプロジェクトに入るところです。チームで何かしらをつくりますが、この時に株式会社アイビスの営業、会社、エンジニア、お客さん(1次受け、2次受けで責任者が複数にいる状態)いますが、そもそもプロジェクト自体が炎上していて、失敗したら責任はお客にあり、エンジニアは地獄をみます。営業と会社は「しかたないでしょ」となります。もちろん、成功したら「よかったよかった」になります。ほとんどの場合は、微妙に燃えています。そこでカギになっているのがエンジニアの力量ですが、プロジェクトによって使う技術が決まっていないので、地頭力か歯を食いしばる力(お客は求めていないが、自社は求めている。派遣するだけで利益になるのだから)が求められる。結果的に優秀な人は、機械学習(Python)であったり、Reactであったり、クラウドの(AWS、AZURE、Google Cloud Platform)にも対応できます。お客さんもエンジニア便りになって、正しくプロジェクトが成功できるかは、優秀な人を揃えられるかどうかです。歯を食いしばったところで意味がないのに、会社というポジションでそれをやらせる会社はどうかなと思います。しかし、会社も利益を出さないいけないということで、目先のお金(SES)で稼ぐのです。
紙と鉛筆さえ与えれば、大人しくしている子だったと母から教えて貰った。
そのまま小学生になっても絵を描き続けた。漫画家になることをぼんやり夢見つつ、父に買ってもらった原稿用紙に、Gペンで少女漫画の模写をし続けた。
絵画系は毎年何かしら賞を取っていた。小さな小学校の中で一番絵が上手かった。
中学に入った頃、初めてネットの世界に触れて、自分は全国的にも絵が上手い方なんじゃないかと言うことに気がついた。
当時はお絵かき掲示板やお絵かきチャットが全盛期で、ありとあらゆる場所で「同年代とは思えない!」と褒められた。
たまに信じられないぐらい上手い人を見つけると、こなくそ、と必死でデッサンや着彩を勉強した。
負けたくなかった、絵が上手な私でいたかった。
高校2年生の頃、絵を描く機会がパタリと減った。
隠れオタクになったので、年相応にファッションや恋愛、生徒会や学業に打ち込んだ。
ある時、ふとネットの世界に戻ったら、当時絶賛してくれていたお絵描き仲間の絵のレベルが相当に上がっており、オリジナリティに溢れた素敵な絵が毎日上げられていることに気付いてしまった。
同時期に、美大専攻コースの授業を受けていたところ、普通の男子生徒だと思っていた人たちの凄まじい画力にうちのめされた。
彼らは今、広告最大手の会社でデザイナーやってたり、某有名デザイン事務所に勤めていたりする。
毎日描くことを怠らなかった本物がそこにいた。
愕然とした、うちのめされた。途端に描く手が止まって、もうどうでもよくなった。
美大は諦めた。私には写実力しかないことに随分前から気付いていた。
そんなことを言い訳にしたけれど、本当は恥ずかしくて悔しくてどうにかなりそうだった。
私の方が上手かったのに!
そんな行き場のない悔しさだけが湧き上がってきた。
その頃には、もう滅多に絵は描かなくなっていた。
当たり前の結果に納得出来ず、絵を描くことをやめた。
あのまま描き続けていたら…と考えることもある。
結局表現したいものなんてなくて、賞賛が欲しかったのかなとも思うことすらある。
周りに差をつけられるのが怖くて逃げた井の中の蛙。
あれから10余年。絵にまつわる仕事をしている。描かないけど。
この人たちは、周りの人に打ちひしがれることもなく、毎日書き続けていたんだなと思うと頭が下がる。
この話はそのジャンルでよく分からない何かと戦わされているただの同人作家の話である。
そのジャンルはかつてものすごく治安が悪く、無断転載、炎上、誹謗中傷、トレパク、だいたいのバズった問題には必ずアイコンがそのジャンルのキャラクターの人が関わっていると言っても過言でなかった。
数年前までは。
当時は学生が多かったということもあり、そういった問題が起きがちだった。
また、ジャンルの歴史が少々特殊なため、世代による確執も根強い。
「公式が地雷だがそのジャンルで同人をしています壁サークルです。」という作家も少なくない。
数年時が経ち、上の世代は結婚や年齢の問題などでリタイアが増え、当時学生だった子たちは成人している。
ジャンルに残った子も少なくはないが、オタクブームの波が来たこともあり、一気に流行のジャンルが増え、ほとんどはジャンルを鞍替えしていった。
私はそんな、絶滅寸前とまで言われた状況だったこのジャンルに飛び込んだ。
今ならこのジャンルをイチから再生させてもっと平和に盛り上げられると思ったからだ。
幸い同人マナーに関しては大きなジャンルが失敗と反省を繰り返している。
前例を確認し、公式を大切にしながら同人をしていくジャンルにしたかった。
私一人でジャンルをどうにかするなどおこがましいかもしれないが、いつだって流れは誰かが作るから生まれる。
流れさえできればあとは私はタダのモブ同人作家に戻る予定だった。
1年目、閉鎖寸前だったお絵かき掲示板やお絵描きグループの管理人を一手に引き受けた。
私自身はサークル参加者が居なくなってしまったBLカップリングの漫画を描いていた。
管理人を引き受けて驚いたのは特定の最王道カップリング以外は不快に思う人も居るから排除しろというとんでもない意見が飛び交い始めたことだ。
これがもし、最王道カップリング主の管理人だったら、意見を呑むのだろうか?
私が出した結論は、「”全ての”カップリングイラストの隔離」だった。
二次創作において人気があるかないかで、人目にさらして良い悪いと判断することはできない。
よって同性愛異性愛問わずすべてのカップリングイラストは専用グループを作成し隔離した。
ここで更に私は驚いた。
最王道カップリングはあまりに普及しすぎていて、ジャンル者の感覚が麻痺していたのだ。
ありていに言えば「このカップリングは人気なのでみんなが描いているしもはや公式(と思い込んでいる)だからカップリング禁止でも投稿して大丈夫」という感覚だ。
何というか、言葉を失った。
二次創作においては人気問わず、誰だって自分の感じ取ったカップリングが公式だと思って絵を描いている。
ファンの人気投票によって決められたキャラが「投票の結果だから」と、ある日突然恋人関係を結ぶようなジャンルがあったらご教授願いたいものだ。
二次創作に貴賤はない。
どれもこれも公式の関係者でもないのにただの一般人がとち狂って描いてるだけ。
描くなとは言っていない。
隔離グループであれば投稿が許されているのでそちらに投稿して欲しいと要請したにすぎない。
正直マジ疲れる。
私のカップリングだって投稿できるもんなら全部ここに投稿してやりてえわ!
と怒り狂いながらなんとか人間らしい言葉遣いで彼らを説得した。
1年目が終わりかけの頃、ようやくまともにグループが動き始めたので一安心。(私の新刊もなんとか出た。)
2年目、色んな人と関わりたくてアンソロを出した。
本当にいろんな人が来た。
やばい人かと思ってた人はことに同人に関してはまともな人だった。
結局一番やばかったのは当時色々とサポートし合っていた最も近い仲間だった。
アンソロが発行するという頃、別アカウントで私の悪口を、これまた同じジャンルの人の別アカウントと言い合っていた。
と言っていたので、アンソロは送らなかった。
後日縁は切られ「あのアカウントが私だっていう確証はあるんですか」などと騒ぎ始めたが、最終的に「私だったからとして何?献本どころか謝礼金くらい出ないの?一万円くらいくれ!」と言っていたのでシカトした。
正直今思い返せばこの時点で私はジャンルの舵取りを失敗していた。
けどこの後、リアルで親友が死んでそれどころではなく放置していた。
親友は死んだが、件の相手は生きている人間であることを忘れていた。
生きているということは、私が息をしていると同時に相手も息をし、私が人と話せば向こうも誰かと話している。
水面下で。(お恥ずかしながら気づいたのはここから2年後くらい後になる。)
2年目の終わり、ここで活動を休止していた同カップリングのいわゆる神絵師に捕捉されフォローされる。
私は実のところ先の出来事で疲弊していたし、このジャンルの神絵師がどれだけやばい奴揃いかも理解していたので、若干戸惑った。
戸惑ったが、相手がものすごく褒めてくれるのでうっかりフォローを返してしまったし、それなりにDMで誕プレ送りあいっことかしてぬるま湯に浸った。
所詮私もこの程度の一般的な同人作家だったのだ。だって感想嬉しいもん。
けど、これが更に私を苦しめることになる。
3年目は割と幸せに生きたつもりだったが、今思い返せば変なことがいくつもあった。
まず、例の神絵師だが絶対にDMでしか私に感想も誕プレも送ってこない。個人的なやり取りもない。
恥ずかしがり屋なのかなと思っていたが、よく考えたら他の人には見えるとこで送ってたわ。私だけかよ。
けど、私はただのオタクだし、推しカプで騒ぐ方が最優先だったので騒いだ。
ハチャメチャに騒いだし新刊も出た。ここで本来なら相容れない感じのカップリングの神絵師に気に入られてフォローされる。
でもまあ、統計的というか、そのカプに苦手な人が多いってだけで私自身はそのカプも全然食うしいいか~と思ってフォロバした。
そのあとたまたまそのカプのオフ会にも呼ばれ、何人かと連鎖的につながった。
いや、この時点で本当に変なんだマジで。
そして事件は起きる。
ジャンルの一番でかいイベントが終わった頃、同人誌に掲載していた連絡先に来た一件のメール。
それは先ほど書いた例のオフ会あたりで仲良くなったAさんからのものだった。
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〇〇様、こんばんは。
こちらの作品、(私の推し)がとても可愛く、色っぽく最後まで楽しく拝見させていただきました。
少し気になる点がございまして、ご連絡の方差し上げた次第です。
同じく(イベント)の”Bさん”の新刊本『(作品名)』ですが、〇〇さんの漫画のコマ一部と非常に似た所がありまして……
構図的な偶然かも知れません。勘違いでしたら申し訳御座いません。(トレパク?とまではいっていないのかも知れませんが)
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というものだった。
めちゃくちゃ厄介なのがこの"Bさん"という人物。
そして何と言いますかね、イベントのアフターでも別の作家に同じ指摘をされておりました。
ここでもう私の疑心暗鬼ポイントはMAX大変身。(ジャンルに関係はない。念のため。)
ちなみに添付画像にはBさんがAさんの構図もパクったという画像も付いてた。正直そっちはそんなにパクってないと思った。
そしてこれ、めんどくさいことに私がBさんに直々にその話をしなければならないという話にまで発展する。
「人に言われたことだったんで、私はそうでもないと思ってるんですけど、トレパクとかする訳ないですよね~」
くらいのノリで言ってきた。
「私がそういう悪い事してないのはいつも仲良くしてる”Aさん”に聞けば分かる」
これ、闇ですよマジで。
仮にAさんの私への告発が本当のことだとする。
とすると
「AさんとBさんは仲良くしているように見えるが実は仲が悪く、特にAさんはBさんのことが嫌いで、Bさんの失態をこれ幸いと私に報告してきた」
ということになる。
逆にBさんは無実でAさんが私に嘘をついたとする。
すると
「AさんとBさんは仲が良いが、実はAさんが私のことを嫌っていて、私とBさんの関係を悪くするために虚偽の告発を私にした」
ということになる。
更に拗らせた考え方をすると
「AさんとBさんは仲が良く、どちらも私のことが嫌いなので、私にトレパクの話題を吹っかけて暴れる様でも見ようと結託した」
という可能性もある。
いずれにせよ碌な話じゃない。
私はそっと、この問題に蓋をした。(後日AさんはTwitterアカウントを消した。)
ついでに愚痴らせてもらうがそのカップリングのもう一人の神絵師Cにもフォローされていたが翌年私が誕生日を祝わなかったという理由でリムーブされたのでキレてブロックした。
神絵師はみんなああなのか?誕生日祝われ慣れすぎだろ。フォロワーと貸し切りパーティーとか行ってやがる。いや、そんなの毎年付き合えねえって。
4年目、私は商業活動も始めていた。(自分でも未だに驚いている。)
ここで、水面下で私を嫌っている人物が突然浮き彫りになる。
私がこのジャンルに来るよりも前から活動していた大手作家のIである。
正直私はしゃべったこともない。
いきさつはこうだ。
その大手作家Iはクラウドファンディングで集めたお金で二次創作をしている。
関わったことはないが、マジで有名なので疑問に思う人も多く、「募金で二次創作はありえへんやろ」と私もTwitterで呟いていた。
それが多分目に留まっちゃったんだね。
私は私で、二次創作で目を付けてもらってオリジナルの商業を任されていたのだが、その成り行きがⅠさんには募金で二次創作するのと同じに映ってたようだ。
とあるオフ会で「〇〇(私)は色んな大手作家に嫌われている!あいつと関わるのはやめろ!」と言っていたようだ。
ちなみにそのオフ会に私のマブいフォロワーちゃんが居たので、事細かく事情は聴けた。
私を嫌っているという大手作家の例の中にはマジで私の知らない作家がいた。誰だそいつ。勝手に嫌われてんのか私。
と思ったらその大手作家は2年目のアンソロの時に縁を切ったアイツの知り合いだった。
つまり間接的につながってるのだ全部。こわっ。2年経ってるんやぞ。
そしてその後、ちょっとした事件があり、私が長いTwitter生で初めて鍵をかけるに至る事があった。
その時にはすでに私はIをブロックしていた。
捨て垢という時点で十中八九私にブロックされている人なわけだが、私がブロックしてんのは誕生日祝い損ねた神絵師Cと例のIだけなので、おおよその確率でⅠである。
これでCだったら誕生日祝われなかったの根に持ち過ぎだと思う。
結局その事件も何とか潜り抜け、結果的にその事件は後日、いい感じの終わりを迎える。
あまりに良い感じに終わりを迎えた事件なので詳細を話したいけど、話すと察しの良い人にはすべてが分かってしまうので泣く泣く省略。
けど結構大きい事件だったようで、しかもいい感じに終わったのが許せなかったのか、これをきっかけにⅠは本格的に私を敵視しだす。
そしてこの年も、私の新刊は出た。
けど年末に活動してなかった同カプの文字書きが突如謎の人物から誹謗中傷され、なぜか私に「お前かもう一人の神絵師のせいだ。」と呪詛を吐いて消える。
同カプ神絵師には伝えないでおいた。
なにやら違うカプのコミュニティと仲良くし始めた。サークル参加やめるとか言ってたが描くのをやめて売り子を始めたらしい。
その中にはⅠと仲が良い作家もいたが、ただの絵描き仲間だろうと思っておいてた。
けど、イベント後にお疲れ様リプを送ろうとしたら、その作家たちの裏垢からの書き込みらしきものがあった。
っていうかID見えるようにそのままその垢でそいつらにリプする同カプ神絵師。ちょっとしっかりした方が良い。
悪い癖が出てそのIDで辿ってしまった私は、見たくないもののオンパレードを見た。
なんかいろいろ察した。
けど同カプ神絵師の発言にそういうものはないし、人付き合いでそういうアカウントと仲良くすることもあるよねと思って見ないふりをした。
その年、例年さぎょいぷをしていた同カプ神絵師に「集中したいからスカイプはしない」と言われた。
そういう時もあるよね~と思い、「おっけ~原稿がんばってくだしゃい(^▽^)/」みたいな感じで返しておいた。
若干モヤモヤしてたけど、もう4年の付き合いだし、信じた。
次のイベント当日。最悪だった。
都合が悪く私の知り合い達はあまり来れないと事前に聞いていたので部数が出ないのは覚悟していた。
それにしても最悪だった。
まずⅠを筆頭にその知り合いっぽい奴らが私のサークルの前でわざと避けるジェスチャーをする。
そんなんされたの中学校入学してすぐいじめの標的になった時以来だわ。
私の居る島をカニ歩きであいさつしてた知ってる作家が隣のサークルにあいさつし終わってたので、「こんにちわ~^^」って言うと舌打ちして踵を返していった。
舌打ちしていった作家は後で調べたらⅠが言っていた私を嫌っているという大手作家のファンだった。
こんなみじめなサークル参加をしたのは初めてだった。
でも結局本は売れた。
売れたけど何かものすごく嫌な気持ちが私の心に住み着いて離れなかった。
おかしいな。ちょっとマイナーなもの描いてるから、「興味ないな~」って態度の人と会うのは初めてじゃないはずなのに。
アフターでは同カプ神絵師が黙りこんで全然会話してくれんかった。スケブも拒否られた。
それでもまだ「他の人のスケブしてたししょうがないよね~スケブしんどいの分かるし」とか考えてた私は相当浮かれポンチキである。
一緒に参加してた人には「お疲れだったのかな~」とこれまた心配された。
で、「ちょっとイベントでは悲しいこともありましたが、このジャンル好きです!来年も来ます!」と宣言した矢先、
同カプ神絵師に縁を切られた。
4年間イベントの後毎回アフターもした。
誕生日会もした。
同じカプでわいわい盛り上がったし、雑談も話せるやろうと思い私は話題を色々振ってた。
色々あるとは思った。
女性には多いことなのだが、きっと何か小さなことが積み重なって縁を切られたというのが正しいんだろう。
それでもだ。私は疑わざるを得なかった。
これまでのことを。
ついに、私を嫌う人のよく分からない波が私の好きなカップリングにまで及んでしまったのではないかと。
今、まっっっっったく創作意欲がわかない。
それでも描き続けた私だったけど、描けば描くほど嫌われるんじゃないかという気持ちがぬぐえない。
私が本を一生懸命描いてイベントに持って行くと不幸になる人がいるのだ。
反撃をすべきだという声もあるかもしれない。
でも私の反撃はすでになされているのだ。
本を出す、イベントに顔を見せるだけで、たぶん大勢の人を不幸にしている。
ただでさえ感想を貰うこともほとんどないし、人を不幸にしかしないのなら、それはもう二次創作の範疇を超えている。
私の好きなキャラクターで人を傷つけたくはない。
私が消えても正直ジャンルは何一つ傷はつかない。
私が消えても素知らぬ顔で神絵師は同カプの本を描いてくれるだろうし、Iはこれからも人から得た募金で二次創作をしてそれを売って、お金を支払うことのない同人をするのだ。
それは私がただ好きなカップリングの本を描いて出すことよりも、よっぽど人を不幸にしない。
らしい。
当時、仕事に忙殺されていた私にとって、丸一日の休日は久しぶりだった。
今日は一日、羽を伸ばせる。
そんなことを思いながらネットをしていると、ふと、魔が差した。
最近は、仕事を除けば、異性と接することがなく、もはや、男性との接し方が分からない。
できれば、女性向け専門のお店が良かったが、それよりも、大手の安心感を優先した。
ホームページを見て、直感で女の子を選び、ドキドキしながら、お店に電話をした。
値段が高めのお店だったこともあってか、電話の応対は非常に丁寧で、少し安心。
指示に従って、ホテルで待機をした。
大柄なわりに短足な私。
私を見てあの女の子はどう思うだろうか……。
亜熱帯かどこかの爬虫類のような私の顔を見て、もし、ヒかれてしまったらどうしよう……。
やがて、彼女が来た。
雑誌に載っていてもおかしくないような、容姿の整った女の子だった。
全身が「改造」されてるわけでもなく、「お絵描き」があるわけでもない。
見惚れるほどのかわいい子だった。
それでも、彼女にその眩しい笑顔を向けられると、とても幸せな気持ちになった。
詳細は伏せるが、それは、とても、とても、良かった。
サービスの合間には、色んなことを話した。
派遣社員をしていること。
今は、坂道系が好きなこと。
私の話も、たくさんした。
同性の友達すら少ない私にとって、仕事以外で、こんなに誰かと話をしたのは、久しぶりだった。
以来、私は、たびたび、彼女を買った。
サービスを受けている時間よりも、話をしているだけの時間の割合が増えていった。
そのお店では、女の子が、それぞれブログを書くことになっている。
また、彼女を呼ぶと、私のことをイニシャルでブログに書いてくれる。
一言でも私へのメッセージを書いてくれると、そわそわするような嬉しさを感じた。
しかし、彼女を呼び始めてから半年も経つと、彼女のブログを見るのがつらくなってきた。
当然ながら、ブログには、他のお客さんへのメッセージも書かれる。
そう思うと、どこか心が苦しかった。
かといって、彼女の出勤枠全てを買い取れるほど、暇もお金もない。
もっとも、彼女のお客さんは、他の女の子に比べて、明らかに少なかった。
それは、歩合で稼ぐ彼女にとって、決して良いことではなかったのだろう。
しかし、どうしても私は、そのことを喜ばしく思ってしまうのだった。
いつものように、彼女を呼んで話をしていると、衝撃的なことを告げられた。
彼女は、お店を辞めるのだという。
原因は、あるお客さんとのトラブル。
詳しい原因は、彼女自身すらよく分かっていないが、どうやら、彼女のサービスが、お客さんの逆鱗に触れてしまったらしい。
彼女にとって運が悪かったのは、そのお客さんが、お店の超お得意様だったこと。
お店は、激怒するお得意様を優先し、彼女をクビにするというのだ
そんなことは、おかしい。
私は、そう訴えたが、彼女はそれを受け入れていた。
お店に対して愛想をつかした部分もあるのだろう。
自嘲気味に言う彼女の顔を、私は正視できなかった。
ずっと会える日が続くと思ってたのに……。
私は、目に涙を浮かべるだけで、しばらくの間、何も言えなかった。
「もう……会えないの?」
私が、なんとか言葉を絞り出すと、彼女は、いつもの素敵な笑顔を見せた。
彼女は、私と連絡先を交換してくれたのだ。
今度、食事にでも行こうよ、と言いながら。
天高く舞い上がるような気持ちだった。
その後、私達は、友達として、食事やショッピングに出かけている。
見た目も、住む世界も、何もかもが異なる私達。
私達が、一緒に行動している様子は、はたから見たら、奇異に映ったかもしれない。
でも、そんなことはどうでも良かった。
恋人になれなくても良い。
前みたいに、サービスを受けられなくても良い。
私は、あのお店––飛車と竜王––で彼女に会ったときから、彼女に恋をしているのだ。
私達が、女同士であるにもかかわらず。
小さい頃から絵を描くのは好きだったが、上達しなくて1度辞めている
それから、成人して数年たち、とあるジャンル(ソシャゲ)にハマったことがキッカケでまた絵を描き始めた
やっぱり最初は下手だった
でも、好きな推しキャラを上手く描きたい!可愛く!カッコよく描きたい!
ただのその一心だけで描いてた
それから2年ほど…絵を再開した頃よりも今は大分上手くなったと思う
最初はただ自分の納得する絵が描けて、Twitterに載せたら満足してた
でも、だんだん周りから評価を貰えたり、フォロワー外からも好意的なコメントを貰えるようになったら、評価を気にし始めてしまった
そして、その頃にはもうそのジャンルの熱は冷め始めて、「ただただフォロワーに評価を貰いたくて描いてる」と言う、状態に陥ってしまった
もともと、狭いジャンルだった
公式がリアルイベントをやるのに参加して、フォロワーとオフ会したりして楽しかった
そう思うようになってからは、Twitterに載せる絵はフォロワーが知らないジャンルばかりになったし、フォロワーが知らないから評価を貰えなくても当たり前と思うようになった
最近、絵を描くことの目的が自分の中で変わってしまっている気がして心を整理するために書いている
最初はただ絵を描くことを楽しいと感じて本能のままに描いていた、ある程度の年齢になると、もっと上手くなりたいという気持ちが強くなってきてひたすら色々な参考書を見ながら学んでいった。(プロレベルにはなっていない)
そして、そこからTwitterによく絵を載せるようになっていった。
それからというもの、描いている時はまだ楽しめている、が、Twitterにアップした瞬間から、突如襲いかかってくる不安、焦燥、後悔。
描いている時はあんなにも自信に満ち溢れて筆を進ませて、こりゃ100ふぁぼは来てもおかしくないなぁなんて軽くふざけながら楽しくやれていたはずなのに
こんな下手くそな絵を一体誰が見て好きと言ってくれるのだろう。と
理由はおそらく、自分よりもはるかに上手い人達の絵がたくさん流れてくるからだと思う。しかも、自分の好きなキャラクターやCPで。
だから、こんな上手くもない絵を描いたところで、誰の目を惹くことができる?あのレベルじゃないと私を見てくれる人なんていないだろう。私の描く○○なんかなくても、大手でもっと上手い人達が沢山描いてくれてるんだから、私は必要なんてないんじゃないか、と。
でも、逆にその上手い人達の絵を見て、私も描きたい。と思ったり、いい構図が思い浮かんだりもするのだ。
それに、有難いことに、ふぁぼは毎回少なくとも10は超えてくれるし、RTも毎回3はくる。小規模ジャンルほど距離感が近いおかげなのか、ほぼ毎回リプライで最高です!なんて言ってくれる人もいる。
少なくともこの人たちがいてくれなければ、今頃私は無駄に高いプライドに押しつぶされて絵を描くことを諦めていたかもしれない。
そう感謝しながらも、今日もまた誰かの絵に感化され自信満々に描き始めて、結局SNSにあがる頃にはモチベが一気に下がっているのだ。これは褒めてくれる周りの人達の思いを受け止めてないとかじゃなくもう私の中でそういうシステムが勝手に作動してしまうから辞められない。
卑屈になってしまうのはかまってほしいからではなく心の底から、こう、上手くもない奴が描いちゃって申し訳ない…となってしまう。自分が好きで描いてるのになぁ。
ああ、これが無限ループかぁ…
まさかのコメント貰ってたことにびっくりしたので追加させてください。
そりゃもう性格ひん曲がってますとも、よく分かってくださいました!(?)
でも直せるものでもないので、そんな自分を乗り越えて生きてかなきゃなあと思います。絵を描くことを楽しいとは思ってますから。他人の目を気にしすぎるのがほんとに良くないなって自分で思います。
読んでくれてありがとうごさいました。
私はほんとにしょうもないインターネットお絵描きマン程度だけど、
一応絵を描いてる。
友人とかが3桁くらいふぁぼやRTをじゃんじゃんもらってる中、
ハマっているものがマイナーというのもあるのかもしれないけど、私は5rt、5ふぁぼ超えたらいい方で、それだけで大喜びしてたりする。
私は大体一つのジャンルにつくと雑食なのもあっていろんなものをひたすらかきちらしては描くものがなくなり、評価も対してあるわけでもないし、もちろん他のジャンルに行かないでとかとも無縁なのでスッと次のジャンルに移動する。
ただツイッターでの繋がりは大体そのままなので、結構前ジャンルどころか前々ジャンル、前々前ジャンルとかの人とも普通に繋がってたりする。
そんなもんで、「自分でどの絵が気に入ってる?」とかいう話題に便乗して自分の過去絵を漁りまくってあーだこーだいってた時に。
「黙っていたんですけど、実は貴方のこの絵がとっても好きで、保存するくらい好きで、もう、描いてはくれないんでしょうか」
そう言ってリプライを送ってきた絵は3年ほどいた前々ジャンルのほんとにハマりたてすぐ頃に好きだったキャラの絵だった。
自分でRTしたそのツイートは0RT0ふぁぼ。(自分がrtはしてるから1rt0ふぁぼか)
全く誰にも反応してもらえなかった絵だった。
今でもそのキャラは好きだし、そのイラスト自体も今見返しても自分でも気に入ってる絵だったから、よく覚えてる。
よく描けたし、2ふぁぼくらいはつくよね…ってあげた作品だったけど、何も反応が無くて少し落ち込んだ絵だった。
その人のそのツイートをキッカケに、私も、実は私も…と何人かが私のイラストを保存していたことが発覚した。
でもその人達はみんなイラスト自体には全く無言で、RTもふぁぼもリプライもせずひっそりと保存しただけだった。
「私の絵を保存するほど好きになってくれたのか」という喜びもあったが、それ以上に、「何故その時に何も言ってくれなかったのか」と思ってしまった。
当時、何かしら反応がもらえていたならきっともっと描いたと思う。
ジャンルもこんなにあっさり変えはしなかっただろう、もうすこし長くいただろう。もうすこし手の込んだまともな絵も描いただろう。ジャンルも変わり、好きだったキャラへの熱もある程度冷めた、今更、描かないんですかと、なんで言うの…、と。
現在ハマっているジャンルでもちょっとした落書きが海外の方々にTumblrのほうに転載されているのたまたま知った。ちゃんと私のツイッターのリンクとIDを記載されていたので引用というのが正しいのかもしれない。
現ジャンルはもう作品としては20年以上は存在しているタイトルで、大規模ではないが根強いファンも多いし、海外のファンも多い。
神絵師なるものも大勢というわけではないが、10人単位ほどでいる。
案の定ほかのそう言った神絵師さん達のイラストも転載されてた。その間に挟まる私のシャーペンで描いたのをとりこんだだけのイラスト。まぁ当然神絵師さん達の方が圧倒的に評価はされている。当たり前だ。
でも自分の絵も確かに評価されていたのだ。何枚か分けて転載されてたのだが、ツイッターでいうRTとふぁぼ?的なものを併せて総計で500を超えてた。
夢なんじゃないかって思った。嬉しくて嬉しくて仕方なかった。今までそんなに評価を貰えたことがなかった。
でも同時にすごく悲しく、虚しくもあった。なんで、誰も私に直接言ってくれないんだろう。
その500を超える評価は一つたりとも私のところに届いていない。出来ればその評価を直接私がもらいたかった。
現ジャンルでも、5RT5ふぁぼ貰えたらいい方だ。実はこんなに評価を貰えてるってしらなかったら、きっと自分の中で描き切ってしまって、熱が冷めたらそのまま次のジャンルに行ってしまっただろう。それこそ前ジャンルのように。
絵描きの描きたいって気持ちは火に似てる気がする。それこそ燃え上がるように描き、だんだん下火になっていく。
それに対して応援することは、薪をくべるようなものだと思う。火が絶えないように、薪をくべる。下火になっていても、薪を上手にくべればまた燃え上がるし、火に対して大量の薪をくべればそのまま火は消えてしまう。
もちろん薪をくべられなくても風を受けて勝手にどこまでも燃え上がる人はいるだろうし、逆に薪をくべ続けても消えゆく火はある。
絵が好きならどんどん保存してほしい
ただ無言でいないでほしい。
ふぁぼやRTだけでもいい。
「いいねと少しでも思ってくれてる人がいる」ってことを私に教えてほしい。
昔からそうだった。
ピアノも
おしゃれも
勉強も
お絵描きも
全部そうだった。
強いて言えば、ゲームをクリア(やりこみ要素は度外視して)することのみ。
中学生になったら
高校生になったら
大学生になったら
社会人になったら
結婚したら
全部、変わることはなかった。
最近では趣味のゲームですら最後までクリアすることができなくなってしまった。
このどうしようもない飽き性なくせに、何かに常にのめり込みたいと思う。
他の事を忘れるほどのめり込んだのは、大学時代にハマった某対人ゲームくらいだった。
あの頃は何するにもそれが優先だったけれど、ものすごく密度が高くて楽しい時間を過ごした。
またそういう経験がしたい。
自分が望む絵をかけるようになること
これがしたい。
でもどっかで結局何も成せず何者にもなれぬまま死んでいくんだろうなって思ってる
*20180815追記
色んな意見をみた。
「目標やゴールが遠すぎ、高すぎるんじゃないか」ってよく言われるし、頭では分かってる
家で仕事をしていてそれを終わらせることは出来るけど、そういうものじゃなく
自分が生涯の趣味や生きがいとしてやりたい(スキルとして身に着けたい)ものをやり遂げたい。
全部のゴールとして考えてるのは、
・絵なら自分が納得できる絵が描けるようになるまで(別に食べていけなくてもいい)
・ゲームや音楽なら、なにか1曲納得できるものをつくれるようになるまで(同上)
・ダイエットやオシャレも同上
周りの評価も勿論あるけど、一番は自分が納得できるかどうかになるのでそこが問題なんだ。
今は8ヶ月の赤ちゃんがいて、その中で家事育児仕事とやっていて
残り時間をまず絵からやろうと思ってるけどなかなか1つの絵を終わらせるのに数週間かかってしまう。
もっと学んでやりたい、描いていたいと思っても状況と時間が許してくれない。
ダイエットに関しては、なかなか外に運動には行けないため(赤ちゃんを預けられる人がいない)
食事を減らしていたけどこれもダメだったので、断食をすることにして今日からやってます。
たまに「絵がうまくなるには」みたいな記事を見るので
私がまあまあ描けるようになるまでの経緯を載せておく。
めちゃくちゃうまくもないがなんとなくときどきpixivのランキングにはいれたりRTを稼げたりはする程度。
もともと授業中にらくがきをしてしまうタイプの子どもではあった。
二次創作絵も描くことはあったが、下手くそで自分でがっかりするのであまり熱心ではなく、もっぱらなんとなく、好きな漫画家の真似をしながら意図もなく女の子や男の子を描いていた。
なんでか意味もなく女の子の目に涙かいて泣かせるとかね、よくあったよね。
某漫画のファンサイトで300*300の大きさに狂ったようにマウスで絵を描いていた。
もちろんこの頃も下手くそだったが、同い年くらいのこどもたちがなれ合いでほめてくれた。
なにもかも人まねだったし稚拙だったし、お絵描き掲示板の機能は制限されていたが、「人に見せるため」の絵をたくさんかけたのはよかった。
自分の技術でも、すこしはかわいいとか面白いとか思ってもらえるように、モチーフや色使いや画面内の余白を意識したり、人の絵を観察する習慣がついた。
細部をちゃんと描くとほめられるし説得力がでることに気づいたので、服のディティールや靴や小物なんかを面倒がらず資料探してかくようになったのもこの頃。
http://www.asahi-net.or.jp/~zm5s-nkmr/
しばらく小手先で描いていたものの、ガチで上手い人たちの絵がうらやましくなったので
当時流行っていたhitokakuではじめて「アタリをとる」という概念を導入した。
「上手い人たちは、顔を描くときに十字を描くらしい」
ということは知っていたが、他はなにも知らなかったので
頭のバランス、人体の骨格、全然できなかった手や足の描き方などをここで知った。
じゆうちょうを一冊買ってきてお手本を真似していると、「自分に描けるもの」が飛躍的に広がったのを感じてすごく楽しかった。
この頃にペンタブを買った。
東村アキコが「ロボット設計図」とめちゃくちゃにバカにしていたが
「写真を見て漫画絵にレンダリングして模写できる」というのは結構習熟の必要な作業だと思う。
「絵心」ってなにか、といったら、見えてるところから見えない部分を想像する能力じゃないかと思う。
立方体を見たときの底面、手のひらを見たときの手の甲、立ってる足を見たときの土踏まず、顔を見たときの眼球。
目で見えてる範囲から見えない部分へどう繋がっているか、がわからず、「目に見えたものをなぞろう」としても、絵に落としてもなんか不自然になる。
なぞり書きだってうまくいかないときがあるのに、模写となるとなおさらだ。
私には絵心がないので、それを理論的に教えてくれる「ロボット設計図」はほんとうにありがたかった。
お絵描き掲示板が下火になってくるとsaiを手に入れ、色塗りの技法や効果をお絵描き講座から仕入れて画面を華やかにできるようになった。
なんとなく上手く描けないな?というときもあったんだが、誤魔化しごまかしでなんとなくそれっぽい絵を描いていた。
ただ、漫画に挑戦してみた結果、ものすごい量の課題に否応なく気づかされた。
大きく分けて次の三つ。
2:意外と描きたいポーズが描けない。
3:白黒で見たときに絵の魅力がない。
背景を誤魔化すにも限界があった。
それまでも、ときどき思い立ってパースについての解説をぱらぱら眺めてみたが
「あー、ふーん、相似ね? なるほどね???」
ただ、人物からアイレベルを求めたりする解説がネットにいくつか掲載されるようになり、そのおかげでなんとなくそれっぽくできるようになった。
パースかんたん解説1:アイレベルの求め方 | 摩耶薫子「着物の描き方」発売中 https://www.pixiv.net/member_illust.php?illust_id=3933143
今も三点透視でばりばりに背景描けるぜ!って感じではなく
なんとなーく一点透視や二点透視のやりかたがわかったな、という程度だが
今のところそれで困ってないので、なんとなくの知識とパース定規を駆使してなんとかしている。
ビルの谷間を駆け降りるような絵が描きたくなったらまた頑張ろうと思う。
あとは、人体のパースという概念を手に入れたのはすごく大きかった。
それまでも、たとえば奥から手前にまっすぐ伸ばした腕やあぐらを組んだ足なんかがうまく描けないという自覚はあったのだが
人体のパースがわかってないからか!と気づいたときは目から鱗だった。
『やさしい人物画』のパースのあたりが楽しくてたくさん描いた。
http://loomis.sblo.jp/s/ (※原書)
それと、人物を描くとき、アイレベルより上をあおり、下は俯瞰、と意識して描くようになった。
それまではなんとなくぺらぺらしていた自分の絵に立体感が出た気がして、これも嬉しくてたくさん描いた。
漫画のなかで、どうも自分の描くポーズが硬い気がして嫌だった。
たとえば歩く人を複数人描いたときに、左右どちらの足が出ているかの違いしか出せないこと。
本当はちゃきちゃきした歩き方、靴を引きずるような歩き方、スカートとズボンの違い、ヒールと革靴とスニーカーの違い、色々あるはずなのに、絵のなかでそれが表現できない。
たとえば座ってごはんを食べる時に、背中を丸めただらしない食べ方や、へんなコップの持ち方や、そういう「絵にならない」瞬間が描きたかったし、そういう絵のある漫画は魅力的に思えた。
これについては「他人を観察する」というのを意識的にするようになった。
居酒屋のシーンを描くなら居酒屋で、電車のシーンを描くなら電車で
ばれない環境なら真似してみるのもよかった。
もちろんその場で全部覚えられるわけでもないが、インプットした分は絵を描くときになんとなくにじみ出てくる気がする。
白黒の絵の魅力はすなわち描線の魅力だと思う。
グレーで細かく陰影をつければ疑似カラーみたいにできるけど、それは私の描きたい絵ではない。
線の魅力って不思議なもんで、絵のうまさや好みとは別のところで
すごく魅力的でいきいきした線の人がいる。
もしや才能なのか…と思いつつ、ペンの設定を変えたりソフトの補正を調整したり、何より繰り返してかきながら自分の思ったような線が描けるように練習している。
hitokakuのはじめは「◯と│をひたすら描こう」と言われるのだが、当時の私はほとんど飛ばしていた。
最近またやってみている。
私は「基本から、教本にしたがって、積み重ねるように」練習をするほどまじめにはなれなくて、
その時その時で絵を描きながら、「もうちょいこういう風に描けたら楽しいのに…」というフラストレーションが自分のなかに溜まったら練習する、という感じでここまで来た。
もともと私のやる気はそういうふうにできている気がする。
道具もあまり新調しなくて、
今使ってる道具をうんざりするまで使い倒しながら
新しいソフトほしいあたらしいペンタブほしい、とフラストレーションが貯まったところで買うと
わー!なんてべんり!なんてすてき!!と思えて格段に楽しくなる。
と思う。
そして、好きな作品であればあるほど、顔をかわいく描くことにすごくこだわるようになる。
ひとつの作品をねっちり長く描くことも、ちょっと好きな作品をたくさんかきちらかすことも、どちらもすごく絵の練習になった。
前述のように私は今もまだまだ完全に描きたいように描けるわけではなく練習中の身だが、
絵がとにかく描けない。
どのくらい描けないかというと、お絵描き教室で講師に沈黙されてしまうくらい。
おいおいそこはお世辞でも誉めてくれよ!
そんな周りの反応が辛すぎて辞めた。
でも漫画は描ける。
たまーーーーに褒められたりもするからどうにも諦められなくてずっと漫画描いてた。
でもオンリーワンで比較対象もなかったし、片手の数も売れなかったけど、それでも漫画家ごっこは楽しかった。
……楽しいつもりだった。
二年くらい経って「一回だけ参加します!」って絵が描ける人が参入した時に隣で長蛇の列が形成された。
隣の人は「出てよかった」ってずっと言ってた。
私ももちろん隣の本を買った。
感想を送ろうと思って「……いやでも隣の人、うちの本には見向きもしなかったよね」って気付いてわんわん泣いて、即売会に出るのはやめた。
それから何年か経って。
そのどうしようもない結末に一瞬でも幸せな時間を追加したくて、小説を書いた。
「あんまり読まれないだろうけど、自分が読み返せばそれでいいよね」
そんな気持ちでピクシブに載せたら、漫画よりずっといいねもブックマークもついた。
調子に乗って小説で薄い本を出してみたら、一回で印刷代もスペース代も交通費も回収できた。
小説は時々全然交流のない人がおすすめしてくれてたりするし、イベントで差し入れや感想をもらったりもする。
初老や高齢者だらけの勤務先主催の飲み会に参加してみたらこんな話ばかり飛び交っていた
・〇〇町の××さんが△△して□□した
・昔の〇〇町は××だった
・昔の俺の武勇伝
・持病自慢
・居ない人の陰口
・もちろん送迎は私
・嫁の愚痴
・孫の自慢
・毎回上記の内容以外の話はしないらしい(年上アラサー後輩談)
つまらない上に参加費5000円取られたから、もう行くまいと決めた
何回か誘われた時は用事があると断っていた。
もう誘われたくなかったので嫌われ覚悟で「飲み会つまらないので家でお絵描きしている方がいいので行きません」と言ったら
嫌な顔ではなく奇特な目で見られた
お家でお勉強楽しいの?飲み会は参加が当たり前だよ?とか言われまくった
行きませんで押し通したら諦めてくれた
その回は私の悪口で大盛況だったらしい
なお飲み会の誘いが止むことはなかった
毎回誘われる度に嫌われ覚悟で断った
元先輩だった部下のパートさん達は相変わらず飲み会では私の陰口で盛り上がるらしい
Cintiq Pro 24買ったけどいい感じ
ッあぁ~~~これ書いたら大人の人にめっちゃ怒られるかもしれない。でももういいや。もういい。もう嫌だ。だから書きます。 口調とかもあまりきれいじゃないかも、ごめんなさい。 私は自分が絶対に正しいとは思わないし自分と違う考え方の人に対してどうこう言うつもりもないのでそこだけご承知願います!
人間って生まれてからたくさんのものを獲得して生きていくものだと思ってる。 たくさん選んでたくさん捨てて積み重ねてきた時間がその人を作る、よく聞く話。そんな中で生まれた瞬間から決まっていてどうしても覆せないものって一つだけある。
親
って言われているもの。誰から生まれるか、どこで生まれるかなんて誰も選べない。
逆に親も子を選べないのもまた事実で、これを皮肉って『ガチャで出てきたはずれが自分だ』みたいなこと言う人もたまに見かける。
そういうわけで『親を好きになれなかった』話について。
その引っ越し、自立とかきれいごと抜かしてるけど親との同居に限界を感じて決行したものだった。 実家がどういうところだったか、少しだけ書くと 2017年夏(当時20歳)の時点で
•自分の部屋がない
•昼間は机が置いてある2.5畳の仕切りのないスペースで生活
•就寝は祖母と一緒の布団
•窓を開けてはいけない
•カーテンも閉め切る
•オーブントースターの温度設定は使い終わったら母親の使う温度に戻さなければならない
などなど。
母親も祖母も私がいうことを聞かないとすぐに怒鳴り散らすのでとにかく怒らせないように生活するのに必死だった。それで今でも大声で人を怒鳴りつける人が苦手。
これでも成人してよくなったほうで小学生頃なんか今思えば地獄度段違い。
母親が19の頃にデキ婚で私が生まれて小学生のころに離婚していて、次の男が一時期実家に住んでいたこともあった。いわゆる『ママの彼氏』。
「これから私たちの生活を支えてくれる人」って紹介されたこと。
誰だったんだろうあいつ。
見た目的にはホストっぽかったけど今となっては素性はよくわからない。 私が8歳当時なら母親はちょうど30手前くらいで離婚もしてまだまだ遊べる年だったんだろうな、と。
最初のほうは仲良くしてたと思う。私の目の前でいちゃついてて、それ見てたら男が母親いじめてるみたいに見えて止めに入ったら怒られてのけ者にされたりした。懐かしいなぁ。 そんな生活も長くは続かず1年経たないうちに仲が悪くなって男は出て行った。
そっから家に男が入ってくることはなかったので本当に父親という存在を知らずに育ってきた。 だから好きになった人や付き合った人に父親みたいな安心感を求めがちなんだって最近になって気づいた。
祖母も同居することになったのはそのあとで働く母親の代わりに家事全般をやってくれた。 それだけでも本当は感謝しなきゃいけないというか、感謝はしてるんだ。それは本当。 働いて私を育ててくれたのは母親で、そのことも理解しているつもり。
祖母は祖母で私が拒食症になって口に入れたもの目の前で全部吐き出してしまった時はブチ切れて木の棒で全身あざだらけになるまで殴ってきたけど書くとさらに長くなるから割愛。(重視すべきは体調不良よりも作ってくれた親への敬意 という考え方)
そういうわけで『産み育てた恩があっても殺す権利はない』というのが持論で、言ってしまえばこの世に生まれた瞬間から、 へその緒を切られたその瞬間から私は母親の体の一部ではない一人の人間になったはずなんだ。 その事実を『感謝』とか『育ててくれた恩』とかとごちゃまぜにして見えないところに押し込むことは私にはできなかった。
そして労働に費やした分子供と親が触れ合う時間が減ることで親子という関係に不具合が生じるのもまた事実だ。
私は本当に親がわからない。
親もしばしば私のことを「わからない」と怒鳴りつける。
今歩み寄れないのは間違いなく幼少期に信頼の基盤がつくられていないからなのにまるで私が親を突き放しているかのような物言いで、 そこに「親不孝者」という便利な言葉を着せてことあるごとに罵られてきた。
母親の中には親子とはかくあるべし、という理想像があって、何もしなくてもそこに収束するのが普通だと思っているようだった。 だから自分は普通で私が異常なんだと言って私を矯正したがった。
生まれて何年たっても私はまるで親の一部かのように扱われていた。 いい学校に入っていい会社に入っていい大人になるための第一歩として幼稚園のころから通信教育の教材をやらされた。 幼稚園の頃病弱で、入院している私のベッドのそばで
「こんなに頭の悪い奴なんか見たことない!」と叫んで帰っていく母親の姿はなぜか今も鮮明に思い出せる。
小学生のころは学校のすぐそばに煙草を買いに行かされて、同級生に見つかって噂されて、勇気出してそれが嫌だと親に伝えたら 「身勝手な奴だ」と怒られ、「親のためにこんなこともできないなんて」と貶されたことがあった。
服は短くても1週間同じものを着せられてた。長いと1〜2ヶ月くらい同じものを着てたと思う。当時皮肉抜きで「その服本当に好きなんだね」って言ってくれた友達のことをたまに思い出す。大人になっても1度着た服を洗おうとするとめちゃくちゃ怒鳴られた。
私はとにかく母親の思い通りにならないと怒られてた。当時はよく泣く子供で泣くとさらに怒られた。 私が大きな声を聴くと自然と涙が出てくるなんてことを親は知らないみたいで、もうそのころからまともに意思疎通をはかろうなんて気持ちすら持てなかった。
中学生になるとひたすら成績を気にしだした。テストの成績はクラス順位5位以内でないと怒られた。「他の人はできるのにお前は何でできないんだ」が常套句だった。
幸いそのころは勉強が楽しかったので学校の成績は良かった。 しかし受験勉強が始まると私は親ではなく私のために勉強しなければならなくなった。過去問は学校のテストよりはるかに難しくて思うように点数が取れなかった。 もう手一杯で親のご機嫌取りのために数字を気にしている暇なんてなかった。数字が下がると怒鳴る頻度は上がって以前みたいに勉強が楽しいと思えなくなった。
結局中学の好成績を生かして公立の高校に推薦で入学した。 ひざ下まであったスカートをひざ丈まで上げたら烈火のごとく怒られた
「そんな恰好をするな!不良め!誰とつるんでいる!」 挙句の果てに「そんなに妊娠がしたいか!」と。 スカートの丈をひざまで上げただけで。 意味がわからなくて怖くてたまらなかった。
親のなかでは
ひざ丈のスカート
=男にもてたい
=恋人ができる
=セックス
=妊娠
という式があるらしい。
一番成績がいいのは1組、悪いのが7組だと信じて疑わなかったので3組になったときも説教された。いくら違うといっても聞く耳は持たなかった。
大学は必ず行け、しかし国立以外許さないと言われた。自分でも裕福じゃないのはわかっているから学費の負担を少しでも減らしたくて志望を国立に絞った。 しかしここでも親の謎理論は炸裂、大学に行ったこともないのに「私大は頭の悪い人間が行くところ。落ちこぼれが金で大卒の資格を買っている。」とご高説を垂れる。 この辺まで来るともう物事の判断がつく年齢になってしまった私には親のめちゃくちゃな説教は気持ち悪くて仕方なかった。 知らないものをぼろくそにこき下ろすのも、進路の悩む私に寄り添うどころか選択肢を狭めて重圧をかけるのも鬱陶しい。
結局興味のある分野に近いコースの国立大に入学して3年が経とうとしている。 実家から離れた大学に通うことも気に入らなかったらしい。 「もっと近くにあるだろうが」
帰りが終電になればまた怒られ、
「美術なんかやって何になるんだ」
といった風な小言も絶えなかった。
掘り返せばきりがないくらいこの手の嫌な思い出は出てくるのでこの辺にしておこう。積もり積もって今の私を形作っている思い出たちだ。
場所もない、理解もない、朝は母親と祖母による自分の悪口で目が覚める。 ストレスばかりが溜まって心も体も限界だった。
2年次の後半はほとんど学校に行けなかった。 家にいると親に対する嫌悪感で頭痛や吐き気が止まらなかったので出来るだけ外にいた。
学校終わりはバイト、予定のない日は大きい本屋をうろついてたまに本を買って近くの喫茶店で読んだ。
もうどうしようもないと思って3年次は休学手続きを取って1年間フリーターみたいに働きながら家を出た。
講評の当日深夜につらくて泣きながら教授に「授業を休ませてください」という旨のメールを送った日からもう1年が経ったらしい。
実家を出ることに関しては強行突破でかまわないくらいの心意気だった。 どのみち自分には帰る場所なんかないのだから居場所を作るしかないと思ってのことだった。
親には一言も伝えずに休学、
お金を貯めて部屋まで決めて、
もう後に引けない状態で家を出ることを伝えた。
自分の判断能力と精神的の限界、苦しみ続けた20年間を鑑みてもうこれが自分に残された最後の、そして最善の手段だと思った。
「自立したくて家出た」なんていうと「行動力があるね」と言われることがあるけれどその実
ただ「実家にいたらいつ精神崩壊するかわからないから生きるために逃げ出してきた」くらいが正しいんだろう。
少なくともこの半年、
「家に帰りたくない」なんて1度も思わなかった。
時間潰すために夜の公園で電池なくなるまでスマホいじることもなかった。
自分だけがいる部屋で誰の目も気にすることなく笑ったり泣いたりできた。
窓を開けて部屋の換気ができた。
たったそれだけの事だ。
私はたったそれだけのことをするのに21年苦しんだ。
春の暖かい風が部屋の中に吹き込んできたとき「生きててよかった」と心から思った。 ようやく自由になれた気がした。
家を出たら出たで大変なことはあるけど、少なくとも今のところは後悔なんかしていないと言い切れる。 誰かが掲げてた『苦労はできるだけ少ないほうがいい』という主張はまったくその通りだと思う。 部屋の窓を開けるのに21年かかるなんてばかばかしくてやってられない。
ただ、21年かけて開けた窓からは確かに未来が見えた気がした。 自分の人生はこの1度きりしかないのだから、自分が幸せになるために生きなければもったいない。
4月から大学に戻る。仕送り0で学びながら働きながら「家賃を払わず整形手術のローンを組む同居人」と共生、というか矯正。それから休んだ1年分の学費を貯めなければならないのでやることは山ほどある。大好きなお絵描きができないかもしれないがそういうフラストレーションは学校の課題へのモチベーションに変えよう。
レールを外れて生きていくっていうのはそれ相応の覚悟が必要で、残念ながら社会はそういう人間には優しくない。
こんな文章垂れ流したら知らない人に「この程度で甘えんな」「自分なんかもっと大変だ」「大学まで行かせてもらってるくせに」って言われそうだけどそれでもいいや。
特定のキャラにものすごくはまったりグッズを買ったりする気持ちがミリも理解できない。
好きなキャラ程度はできるが、キャラにはまる、という経験は生まれてこのかたしたことがない。
絵を描くのも好きだ。
でもなんていうのか、子どものお絵描きが好きな気持ちの延長なだけで、描くのはたのしいがそれまでだ。
上手にかけると嬉しいな、pixivでブクマがついたら嬉しいな、程度にはもちろんおもうが
二次創作にも創作イラストにもそこまで本腰をいれてはまれないし
同人活動は払う代償が大きすぎて今一つやりたいと思えない。
基本的に一回見たら満足、付き合いで二回見るくらいはあるがそれ以上何度も通ったりしない。
音楽も好きだ。
気持ち悪いのは、画面上の数字が増えていく、ただそれだけのことに案外時間と手間をつぎ込んでしまうことで、
なんか、脳のいちばん原始的な快楽回路を押されている感じがして嫌だ。
世の中のオタクは楽しそうだ。
グッズを集めて祭壇を作ったり、
そんな風に身も世もなく生活も省みずなにかを好きだったことは一度もない。
というのも、私が好きだなーと思っていたキャラ(音ゲーなので持ち歌が好きだった)を友人も好きだといい、
それを皮切りに、そのゲームをやっている友人が増えたのだ。
グッズが出るといって買いにいってみたり、
ライブイベントに足を運んでみたりした。
楽しくなくはなかったが、なんとなく、騙されている感じもあった。
私はほんとにこのコンテンツがこんなにお金だすほど好きなのか?
周りに友達がいるから会わせてお金を出してるだけじゃないのか??
なんだかふわふわと地に足のつかない感じで、
うすぼんやりと楽しかったがいつの間にかそのゲーム自体から離れてしまった。
好きなものはたくさんある。
けど私が実感を込めて楽しい、と思うのは、
お絵描きをすること、音楽を聞いたり行ける範囲でライブにいったりすることだけだ。
私と彼らの違いはなんなんだろうと思ってしまう。
ーーーーーーーー
以上、以下の記事を読んでの雑感。