はてなキーワード: うる星やつらとは
自分は幼いころにイギリスに住んでいた。そこで現地の少女たちのブルマー姿を見た記憶があるのだが、wikipediaの日本語版、英語版の「ブルマー」の記事を確認しても、初期のだぼだぼしたブルマーしか写真がなくて、ぴっちりしたショーツ型のブルマーの画像が見当たらない。これはどうしてなのだろうか。そもそも欧米にブルマーがあったのは僕の記憶違いだったのだろうか。そのことについて探求したい。
「ブルマーの社会史」によれば、従来の通説である「東京オリンピックで放映された、ソ連のバレーボールのチームのブルマー姿がかっこよくて、少女たちが憧れた」という説が否定され、「むしろ衣料品メーカーの都合や教師の意見が採用されたもので、少女たちとしては恥ずかしがる者も多かった」らしい。言い換えるなら「提灯ブルマーからショーツ型のブルマーへの進化は、日本人男性が幾分無神経であったからだ」ということになる。この内容が正しいのだとしたら、欧米ではショーツ型のブルマーはそれほど広がっていないはずだ。しかし、今でもバレーボールのチームはブルマーとまではいわないまでも短パンが多いし、過去のオリンピックを見れば間違いなくブルマーを着用している。現代の女性の陸上選手も、ビキニタイプで運動している。なのに、画像検索をしても、ブルマー姿の女子生徒の姿がうまく見つからない。「bloomers」「gym knickers」と探しても、コスプレ用サイトが引っかかるばかりだし、「gym shorts」ではブルマーとは似ても似つかない現代のジョギング用の短パンしか出てこないのだ。イギリス人少女のブルマーは、僕の記憶違いだったのだろうか?
真偽はともかく、少女たちがソ連のブルマーに憧れたのなら、ソ連のブルマーを探すべきだろう。そういうわけで「soviet union physical education」(ソ連 体育)で検索したところ、確かにあった。ソ連の少女たちのブルマーが!
https://www.rbth.com/history/331873-physical-education-in-soviet-schools
https://galinabulakh.wordpress.com/2013/11/02/my-soviet-education/
結論。ショーツ型ブルマーを身に着けたヨーロッパ人の少女は僕の記憶違いでいはない。
僕は数時間をかけて、イギリスのブルマーの画像も見つけ出すことに成功した。
http://www.historyworld.co.uk/photo.php?id=1608
http://www.elyhighschoolforgirls.org.uk/ehs-photo-album.htm
https://www.deviantart.com/sudo5348/journal/Regulation-knickers-in-Europe-725319871
記事を読んでみるとイギリスでは「bloomers」のほかに「regulation knickers」「navy school knickers」それと、少し素材が違うかもしれないが「spandex bottoms」という呼び方があるようである。それによれば、ヨーロッパでは五十年代から七十年代にかけてを中心にこうしたブルマーが使用されていたらしい。日本と同じように、紺色をはじめとした地味な色であったようである。日本のショーツ型ブルマー全盛期とは年代がずれているのが興味深い。実際、日本のアニメを見た西洋人が「どうして日本の女の子は体育の授業のときにパンツ一丁なの?」という疑問を持つそうで、アニメを鑑賞している世代と、欧米のブルマー世代とのずれを感じさせる。もっとも、最近の漫画やアニメは、ブルマー姿の女子を見ながら育った世代によって作られていないから、普通の短パンに代わっているようだが。
https://www.youtube.com/watch?v=g_WZwt_cKjs
https://www.youtube.com/watch?v=NV-wG_I3ioc (真ん中あたりから)
この動画で見ても、やはりポーランドやチェコなど、東欧にもブルマーは存在していたらしい。
ここで一つの疑問がわいてくる。どうしてのどかな体育の授業の画像を検索するためだけに、数日を費やさなければならなかったのか。シンプルに単語の選択がまずかっただけのだろうか。
僕は疑問に思う。ただの体育の授業の風景を「わいせつ」だと断じて、オンラインに掲載しなかったのではないか、と。それとも、検索エンジンにバイアスがかかっているのか。それは杞憂・誤解かもしれない。日本人のブルマーフェチとして育った世代はデジタル機器になじみがあるが、欧米のブルマーフェチ世代はなじみがない、それだけのことかもしれない。Wikipediaの記事に細かいことが書かれていないのもそれが理由の可能性がある。事実、探せば少ないとはいえ、イギリス人少女のブルマー姿での運動会の動画はyoutubeで見つかるし、上の画像のいくつかは歴史ある学校のサイトだ。また、日本人のブルマー姿を見つけやすかったのは、日本では盗撮された運動会の画像が平気でネットをただよっているのも原因かもしれない。ブルマーはかわいいけれど、盗撮はいかがなものかと思う。
女性のファッションの歴史は興味深い。スカートの長さだけを取ってみても、足をきれいに見せたいとミニスカートが流行ったかと思えば、恥ずかしいから長くしたいという逆の流れが起こる。これは、どっちが正しいとかそういう問題ではないだろう。ファッションは身に着ける人が楽しければいいのだ。「男性を魅了したい」「見られるのは恥ずかしい」、いずれも筋の通った意見であり、どっちが正しいというよりも気分を反映したものに近い。エアロビが流行った頃、たとえば「うる星やつら」のアニメの頃なんかだと、レオタードでエアロビなんかの運動をしているのだけれど、今なんかだと短パンのほうがおしゃれだとされる。
そういうわけで、ブルマーの廃止と陸上選手の衣装の軽量化には矛盾は感じない。結局、何を身に着けて運動するかは選手本人が決めればいいことで、自分のような外野が口を出す筋合いのことではない。たとえ素っ裸で走ったところで、鍛えられた身体から放たれるオーラによって、下品さはほとんど感じないだろう。
「どうしてブルマーは嫌なの? ミニスカートや短パンと肌を見せる量は同じじゃん?」という疑問に対しては、「肌を見せることよりも、強制されるのが嫌」的なことなのだろう。僕も学校生活は楽しかったが、制服を身に着けていると落ち着かなかった。どこでもその学校の一員であることを要求されるからだ。何かを強制されるのは面倒なことが多く、だから昨今の女子生徒が制服をパンツスタイルとスカートから選択できる流れは、大いに歓迎している。
今回は、日本のみならずイギリス、共産圏にもショーツ型ブルマーが存在していたことを示した。すなわち、だぼだぼの提灯ブルマーからショーツ型のぴっちりブルマーへの進化は、日本だけではなく、世界的に存在していた流れであった。今後は、アメリカや西ヨーロッパ諸国、あるいは中国や韓国にもブルマーが存在していたかどうかを調べたく思う(上の記事には日本以外のアジアにブルマーはないとしているものもあるが……)。
そして、スクール水着やレオタードの海外における普及についても知りたい。
英語だが、「どうしてバレーボールのパンツはあんなに短いの?」と題した記事がある。ブルマー問題に一石を投じるかもしれない。
https://howtheyplay.com/team-sports/Why-are-Volleyball-Shorts-so-Short-and-Tight
アメコミのヒーロー、スーパーマンやバットマン、相棒のロビンなどのコスチュームにショーツ型の部分がある。男性のこうした短パン・ショーツ型の衣装の歴史についても研究が必要だろう。
https://www.youtube.com/watch?v=ybSMEPBhCxw
1930年のイギリス。おそらく、この提灯ブルマーがイギリスのショーツ型ブルマーへと変化していったのだろう。
続き→
まあうる星やつら2ビューティフル・ドリーマーと機動警察パトレイバー2 the MovieとGHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊だけでアニメ監督としての実績は十分やろ
ワイはうる星やつらみたいなのまた頼みたい
鉄腕アトム(1963)
鉄人28号(1963)
オバケのQ太郎(1965)
ジャングル大帝(1965)
魔法使いサリー(1966)
ゲゲゲの鬼太郎(1968)
巨人の星(1968)
タイガーマスク(1969)
サザエさん(1969)
アタックNo.1(1969)
あしたのジョー(1970)
ルパン三世(1971)
科学忍者隊ガッチャマン(1972)
マジンガーZ(1972)
ドラえもん(1973)
アルプスの少女ハイジ(1974)
宇宙戦艦ヤマト(1974)
キャンディ・キャンディ(1976)
銀河鉄道999(1978)
機動戦士ガンダム(1979)
Dr.スランプ アラレちゃん(1981)
うる星やつら(1981)
キン肉マン(1983)
魔法の天使クリィミーマミ(1983)
キャプテン翼(1983)
タッチ(1985)
ドラゴンボール(1986)
聖闘士星矢(1986)
らんま1/2(1989)
ちびまる子ちゃん(1990)
美少女戦士セーラームーン(1992)
クレヨンしんちゃん(1992)
幽遊白書(1992)
スレイヤーズ(1995)
新世紀エヴァンゲリオン(1995)
名探偵コナン(1996)
ポケットモンスター(1997)
金田一少年の事件簿(1997)
ONE PIECE(1999)
NARUTO -ナルト-(2002)
攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX(2002)
機動戦士ガンダムSEED(2002)
鋼の錬金術師(2003)
ふたりはプリキュア(2005)
らき☆すた(2007)
けいおん!(2009)
化物語(2009)
魔法少女まどか☆マギカ(2011)
Fate/Zero(2011)
ソードアート・オンライン(2012)
ガールズ&パンツァー(2012)
進撃の巨人(2013)
ラブライブ!(2013)
妖怪ウォッチ(2014)
おそ松さん(2015)
けものフレンズ(2017)
鬼滅の刃(2019)
「嫌なら読まなければいい」ってツッコミ大量に入ってるけど、自分らが小中学生だった時にクラスで流行ってる漫画を無視できたか?嫌だと思いながら周りに話合わせるために読まなかったか?無視できた奴は偉いけど相当変わり者と思われたろうよ。
「嫌なら読まない」という選択肢が取れるはお前らが大人だからだぞ。
追記終わり
加害される女キャラの話ばっかりしてるけど、男キャラの扱いは気にならんのか?
自分はめっちゃ気になるが。つかこっちがメインの論点だと思うが。
まず、男なら強くあれ!とか、ウジウジするな!とか、泣くな!とか、勝て!とか、あの娘が見てるぞ!とかそういうの。
自分はこういうのに飽き飽きしてたもんで、編集部が男のみと聞いて「あー、そりゃ「男らしさ」に囚われたホモソだわ」ってしみじみ納得した訳。
男だって弱くても、ウジウジナヨナヨしても、泣いても泣き言を言っても、負けてもいいし彼女なんていなくていいっつーのが最近の流行りじゃないのか。
一部の男の息苦しさの原因になってる「男らしさ」を、ジャンプが定義して押し付けてないと誰が言えるのか。
そんで次に、「スケベ野郎」のこと。てかジャンプに限らず昭和の少年漫画の主人公、スケベセクハラ率半端なくね?
「シティーハンター」「ドクタースランプ」「うる星やつら」「GS美神」「タルるートくん」「おぼっちゃま君」…あと大量にいたと思うけどパッと出てこない。大体、「何するのよー!バカー!」的な暴力ヒロインとセットになってる。
今考えるとアウトな例も多いが、これらの作品は過去の作品としては好きだ。時代だな〜という感じ。
で、昭和末期になり少年漫画好きの女が増えはじめる。彼女らが好きな作品はというと「幽遊白書」「封神演義」「テニスの王子様」「銀魂」「リボーン」「ハイキュー」「ジョジョ」
この辺りの主人公、セクハラしないんだよな。もしくは一途。「セクハラ主人公ではない」ことが、「女ウケする作品」のポイントの一つだというのは間違いないと思う。ジブリもそうだし。
果たして最近は、それを意識してか時代の流れか、スケベお調子者枠はサブキャラに割り当てられるようになった。サンジをはじめとして、鬼滅とかヒロアカにも名前覚えてないけどいた。
この辺りは「あいつスケベだけど、やる時はやるし憎めない良い奴なんだよね」枠。
問題は、その「憎めないお調子者エピソード」の「舞台装置」として女キャラがセクハラ被害に遭ってること。ホモソ界ではセクハラなんて大した問題じゃないが、女にとってはたまったもんじゃないというのは最近では世間の共通認識だろう。
そして、少年ジャンプを愛読する哀れ少年Aはサンジに憧れ真似ようとするが、現実世界では当然サンジほど強くもなく、信念を示す機会もなく、命を懸けて誰かを守る見せ場も無いので、「ただのセクハラ成分」だけが残ってしまう…というのは、あり得なくもない。
その「スケベキャラの存在」こそが、男子が共感を感じる要素であり「少年の心」である… それはたしかにあるのだろう。
ていうか、それ以外に少女には適用されない「少年特有の心」が見つからない。
でもなぁ、その「スケベキャラ」って現実にいたら、どうなんだい。漫画特有の幻想生物しての「スケベキャラ」がいなくなってしまったら、自分としても寂しいよ。でも自分の息子にセクハラ野郎にはなってほしくないじゃん?
スケベキャラが生き残る道を探っていて、以下のブログに辿り着いた。
世界基準のポリコレに配慮した女好きナンパ野郎の説明がされてるので興味深く読んだ。
ゲームは未プレイだから答え合わせは出来ないんだが、そのうちプレイしてみようと思うよ。
https://homeshika.hatenablog.jp/entry/2019/09/26/022204
おやすみ。
怒っている人々は漫画と言うかサブカル自体に偏見があって宇崎ちゃんもちゃんと読んでないということですね。
そもそもですね宇崎ちゃんは80年代や70年代から脈々と連続する日本のマンガの伝統的なラブコメの王道をきちっと伝承しているお話でして、私の視点から申しますと伝統文化を継承している非常に素晴らしい作品であります。
巨乳でちょっと天然系の宇崎ちゃんをうざがる先輩、しかしそこでガバっと行くわけではなく、カップルの間に横たわる微妙な距離感、 日常系小ネタの積み重ねで縮まる距離。しかしくっつきそうでくっつかない。
「うる星やつら」「かぼちゃワイン」「コータローまかりとおる」「タッチ」「気まぐれオレンジロード」「シティハンター」「ラブひな」「ヲタクに恋は難しい」などを読んでいた方には「あああ、これね、これよね」とズギュンと来る内容。
笑って胸キュン、日常のあるある、ギャルではなくラブコメ王道系の天真爛漫なヒロイン。ハリウッドのあの直球型のラブじゃないんですよ。この微妙な空気感。
この王道が今もしっかり継承されているのを知って異様に嬉しいんですね。私は。世の中はネットとスマホで変わってしまって、非正規だらけで殺伐とした世界になったのに、ちゃんとラブコメは継承されてるの。親が教えたわけでもないのに。不思議ですね。王道路線のラブコメ話って、うちの70代の親も若い頃青年誌とかマガジンで読んでたわけですよ。今70代の爺さんがですよ。それが継承されてんだもん。びっくりですよ。
分かるなぁ、こりゃ出会いが悪過ぎるよw
なのにみんなしてドラクエドラクエ言ってるし、やらない奴はRPG好きじゃないみたいな風潮だもんな。
誰かに聞いて欲しいみたいのはあるだろうし、ドラゴンボールが駄作だって評論して滅多打ちになってた記事が少し前にあったけど、ああいう逆張りじゃなくて普通に嫌な記憶ばっかりなんだからこう感じるのは仕方ないと思うぜ?
ただまぁこれってDQ6が悪いんじゃなくて、セーブ方法が原因じゃん? 素晴らしかったって自分でも書いてるし、心の傷が癒えるまで待つしかないよな。
助けになるか分からんが、リアルタイムでRPGが拡まっていくのを思春期に経験してたオッサンの長ーーーい話でもポテチ食いながら読んでくれ。暇な時でいい。
「あー、ピコピコやるやつですごろくみたいの始めたのか。ちゃんと勉強もしろよ?」
「しょーがねえなぁ少年ジャンプとガキ共は。まーた欧米かぶれの下らないゲームで盛り上がって」
「まぁ子供の入門wwにはいいだろw RPGは難し過ぎるし、アラレちゃんの奴(笑)が絵を描いてるんだろ? エンガチョだよなw」
体感、一つ目が7割、二つ目が2割、最後の意見が1割弱って感じだな。尤もゲームを多少は知ってる人間の話で、半分以上の人はもっと批判的か無関心だ。
興味ないとか不良のやる物とか面白そうだけど目が悪くなるとか、どうせファミコンなんて一過性のブームだろうとか、放っておけば飽きる、とかな。
大人がどうしてファミコンを許してくれたかっつーと、ゲーセン行かせるよりマシだったからなんだよ。
ゲーセンってのは不良とヤクザと仕事をしないサラリーマンの営業と、後は風俗か水商売の女が男に連れられて行くもんで、要はインベーダー喫茶に毛が生えたヤツな?
おもしれーだろ? スペースハリアーとかグラディウスがあるのに世間はインベーダーなんだよ。それに毛が生えた程度にしか思われてねーの。
もうちょい詳しいとギャラガとかパックマンくらいか? ゼビウスもあったけど「まぁ若い子の一部には変なモノが流行ってるな、マイコンマニアは無害だしエレクトロニクスの時代だからそのうち使い物にはなるかもしれない、放っておけばいい」って感じだよ。
大人たちは高度経済成長からバブル真っただ中で忙しいんだけど、マジメな人がゲームは無害かどうか見守ってた空気だな。
っつーのはさ、『みんなそんなに遊ばない』んだよ。
子供だからピコピコやってても見逃して貰えるけど、基本的にまともな大人は遊びの話を人前でするものじゃねーワケ。悪い事だったんだよ、それ。
庶民の娯楽として市民権があったのはボーリングと映画だな。運動は身体を鍛える物だからスポーツはキホン除外で。
釣りは生活の一部(の延長)で、テニスとゴルフは限られた金持ちの趣味で、健全な奴はキャンプとか山登りとかか? いやネクラ君達には卓球もあったなw
まぁオッサンもガキだったから勘違いもあるかしれんが、遊びってのは『大人の許す範囲でやるもので、豊かになったから恵まれた子供達を好きにさせてやってる』って感じだった。街を作るのに忙しかったんだよ、大人は。後はその弊害を処理するとかな。あ、夜の遊びは例外な?
どう言ったらいいか難しいんだが、別に今を否定しようとかってんじゃなくて、大人と若者には明確な溝があって気楽に口を利いて貰えないっつーのかな?
俺は都会の人間だからかしれんが、道路も上下水道も電気もガンガン整備しなきゃいけないからガキはどいてろって空気なんだよ。日本中。
…んで、激しい仕事が終わった連中だけが飲んで騒いでよくて、仕事付き合いしながら店で歌ったり踊ったりしつつ駅とか公園とか会社で寝てまた仕事するワケよ。
それが当たり前なの。w スゲーだろ?
日曜日に休める幸運な大人はテレビだな。ちゃぶ台とビールで。だらしない人は横になって。
上に書いた娯楽は会社の許可が必要(申請書はいらない)みたいな感じでさ、家族サービスとしてデパート、遊園地、動物園なんかも認められてはいた。
長いけどジーサンバーサンと会話が弾むかもしれないから、もうちょい我慢して付き合ってくれ。
そういう中でのゲームってのは、娯楽のオコボレとしてひっそり発展してた。
例えばバッティングセンターの片隅に。
ボーリング場や温泉やゴルフ場の待ち時間潰しや、遊園地の片隅。
毛色の違うものにとしてLDゲームもあったが、まぁそれは置いとこう。
大人には相手にされない子供騙しのゲームは、ユダヤ人貿易商のテコ入れもあってインベーダーブームでヤクザの懐を大いに潤したが、“ほんの5、6年”で下火になって行った。
一部のエレクトロニクスマニアは自分で作ったり改造したりもしていたが、技術屋さんが変わり者なのは仕方ないってのと、将来のメカトロニクス産業を支えるかもしれないから、って見逃されてた感じだ。
あと、パチンコ産業も大きく関係してるが複雑過ぎるし知識が足りないからそれも省く。
ともかくそういう中でマニア(オタクじゃねーぞ?)の趣味としてブロック崩しが一時期売れたりしたんだが、それは大人の玩具って位置付けで高級パーティーグッズに近かったかな。8トラとかみたいにさw
めんどくせーから時系列を丁寧に整理しないが、縁日の射的や温泉卓球のオマケとしてブロック崩しが拡まり、インベーダーで日本中の100円が足りなくなり、家庭用単機能ゲーム機が玩具として売れ始め、パックマンやギャラクシアンやドンキーコングとかマリオブラザーズとかゲームウォッチなんかのブームもあって不良少年が社会問題化したので子供のゲーセン出入りが禁止され、ヤクザと無線屋とジューク屋と興業屋がシノギを削ってそこにマイコンブームが来て、玩具屋も巻き込んで産業スパイ使って殺し合いをしながら兎にも角にもファミコンは誕生した。
「一家に一台、ファミリーコンピューター!」
https://www.youtube.com/watch?v=gguhhdbXD7A (当時のCM動画)
ってな具合よ。
大してして話題になってねーけどな。
マイコンブームってのはまぁパソコンと同じで若者が勉強するなら仕方ないって面があってだな? アメリカから技術や文化を学ぶために赦されていて、ウルティマだのウィザードリだのをマイコン好きやその開発者がこっそり持ち込んで研究してたらしい。主流はパズルとアドベンチャーゲームな。息抜きにアクション、暇潰しにシューティング。変態野郎がエロゲ。
んで、ハイドライドやドラスレが出て、そういうのに関われない可哀想な子供の為に何とかごまかしてジャンプが無理矢理宣伝して売ったのがドラクエってワケだ。
いやー辿り着くまで長かった。ww
当時のマイコン誌とか全然詳しくないんだが、エロと一緒にRPGブームを作ろうって盛り上がってて人気はロマンシアだな。
都築和彦 大浦孝浩 山根ともお 佐藤善美 なんて出てるが、この辺が一流のイラストレーター様で鳥山なんざアメコミカブレのギャグ漫画家で、偶々アラレちゃんで当てたロリコン野郎だったんだ。
分かるな? 子供向けだから許される変態スレスレの漫画家ってポジションだ。
本人がどうかは知らんが小児性愛者スレスレの際どいシュール漫画をヒットさせてて、コメディだから許されてた。本格的な変態はうる星やつらを読んでたから、それで被害を免れてた部分もある。
宮崎事件はまだだから大してバッシングもされてないし、手塚や水木一郎みたいにグロくないからまぁ読ませといてやるかってレベルだ。
高尚なイラストレーター様達はマイコンゲームを上流の趣味として仕掛けていなさったんだよ。っつうか、それに加わってらっしゃった。
少なくとも俺や俺の周囲の視点ではそうだったって話かしれんが、テクノブームとゼビウスがなければファミコンはあんなに受け入れられてないし、マイコンマニアがそんなに御大層なモノかっつーとガキの遊びよりはマシだが「ちゃんと育ってくれればいいけどねぇ」ってのが世間の目。そして市場的にはキャプテンシステムの復興なるか? スーパー301条でまたやられなきゃいいけど…、ってのがあって家電を支えるから変人の趣味として黙認されてた状態だ。
そのごく一部だぞ? そういう不真面目な研究家っつかーの中のホンの一部が、西洋ファンタジーを輸入する事にした。
ガキの遊びで性能はそこそこだがアタリショックの後だから「どうせ消えるでしょw って言うかコンピュータじゃないじゃんww」みてーな。
結論としてはだな?
マイコンマニアが愉しんでいる残りカスを下らん少年誌の連中が怪しいソフトハウスと組んで出来損ないの子供騙しを売り出したのがドラクエで、当時は殆ど売れなかったんだ。
ファミコンを最強にしたのはスーパーマリオであって、それにビウスブームが加わり、ナゼか狂ったように売れたジャンプの力があってようやくドラクエ2が少し話題になっただけなんだ。
ゲームの出来としてはFFの方が上だし、ストーリーはヘラクレスの栄光の方が評価されてた。
ちゃんと世界背景が練られてないじゃないか、と。なんだこの雑なグラフィックは、と。
パスワードとか拷問だよなww でもマイコンプログラミングに比べたら単純だし、子供の文字を覚える勉強くらいにはなるだろww
ファンタジーなのにタケヤリが武器屋で売ってるんだから、やっぱギャグだよなぁ…。
まぁ鳥山は独自の味があるしギャグ漫画家だし、ともかくガキの遊びだから許してやろうぜ、と。
そうして大人と若いお兄さん達に見逃して貰いながら、戦後最大のパワー(他の世代の倍の人数だ)を持った団塊の世代の子供達は「きっと次はもっとすごくなる」とか鬱屈した思いを抱えつつ、ようやくセーブ機能を実装されたドラクエ3に狂喜乱舞する事になるワケだ。
この当時には受験戦争って言葉もあってな? まぁもうドラクエやってる時点で大半は負け組なんだが、そういうストレスが子供の逃避として機能してたのもあるかもしれねー。
それから小・中学生が初めて見るファンタジー世界の冒険を嬉々として大人に語ってたら、中々ぶん殴って勉強しろって言い辛いだろ?
修学旅行にファミコン隠して持って行って旅館のテレビでみんなで遊んだとかどーしようもねぇバカもいたみたいだけど、そこまでするくらい好きなら勉強すれば許してやるかって笑いになるだろ?
うわーもう超なげーわw
軽く見直したけどなんだよコレw オッサンどんだけ語りたいんだよ?ww って感じだけど、でもまぁオッサン達にとってサクっとこれくらい書けるくらいの思い入れは結果としてできちまったんだ。ネットで対立煽りが盛り上がるように、苦労したり批判されると人間ってムキになるだろ? その方が熱意も強くなるんだよ。
それから人口比ってのはデカくてさ、マイコンのお兄さん達には遊んでばっかりでごめんなさいって部分もある(でもバブルは恨んでるけどなw)んだが、元増田みたいに感じてる若い子が出てくるんじゃねーかと最近不安になってたらやっぱりねって感じで、それでも思ったよりマイルドだし、きちんと自分だけの問題として語ってるから「もういい加減に叩くのやめてくれよ」って気分にならずに済んでて、俺達世代としては「ゴメン無理矢理押し付けたりしないから頼むからもう批判しないで」って言いたい。キミに、じゃなくて世間になんだけどな。
もしかしたらそれがメインでこんなに長く書いてるのかもしんねー。
感じ方は自由だし、言うのももちろんだし、それを否定する気はない。
ただ、オッサンらは戦争も知らないし高度経済成長には貢献してないし豊かさの頂点で育たせて貰ったから、負け組世代として罰を受けてるのかもしれない、とかもちょっと思ってる。
ゲームばっかりしてて悪かった。
マンガもたくさん読んでてすいません。
子供も作れてないし収入は低いし老いた親を満足に面倒見る蓄えもなくて申し訳ない。(っつってもそういうヤツの比率や世代差がどれくらいかまで知らねーけど)
だけど、それだからせめて精一杯楽しんだゲームで辛い思いをしたりして欲しくないってのは割とあって、スマホゲー禁止とか言わないし弾圧されるんだったら助けてやる。
助けてやる力は碌にねーんだけど、そうしたいと思ってる。
唐突だけど終わる。言いたい事は書いた。
アニメなんてなくても生きていける。
そう論じるのは簡単なことだ。
だが
人間はそもそも不完全なものであり、合理性のみで人生を全うすることは難しい。
それが出来る人間もいようがその数は決して多くない。
アニメに限らず、ゲーム、酒、タバコ、異性、ギャンブル、車、ゴルフ、音楽、アイドル、スポーツ観戦、特撮、映画、小説…
多くの人間は一見非生産なものにひと時その身を浸して癒やしを得、日々の暮らしにおける心の糧にしているものだ。
まずこういったものに批判をすること自体禁酒法時代のアメリカや天保の改革の風俗取締令のようなナンセンスさがある。
すでに多くの批判が寄せられているが、大阪芸術大学の純丘曜彰教授の例のコラムの改稿前のものを長くなるが引用し、思うところを述べていきたい。
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/夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。/
あまりに痛ましい事件だ。だが、いつか起こると思っていた。予兆はあった。たとえば、16年の小金井事件。熱烈なファンが豹変し、本人を襲撃。アイドルやアニメは、そのマーケットがクリティカルな連中であるという自覚に欠けている。
もとはと言えば、1973年の手塚プロダクションの瓦解に始まる。同じころ、もう一方のアニメの雄、東映も労働争議で多くの人材を放出。かれらは、それぞれにスタジオを起こした。だが、これらのスタジオは、アニメの製作ノウハウはあっても、資金的な制作能力に欠けており、広告代理店やテレビ局の傘下に寄せ集められ、下請的な過労働が常態化していく。
そんな中で74年日曜夜に放送された『宇宙戦艦ヤマト』は、視聴率の低迷以前に予算管理と製作進行が破綻して打ち切り。にもかかわらず、時間帯を変えた再放送で人気を得て、77年に映画版として大成功。当初はSFブームと思われ、78年の『銀河鉄道999』や79年の『機動戦士ガンダム』が続いた。しかし、サンリオ資本のキティフィルムは、80年に薬師丸ひろ子主演で柳沢きみおのマンガ『翔んだカップル』を実写化し、SFではなく、その背景に共通しているジュブナイル、つまり中高生モノの手応えを感じており、81年、アニメに転じて『うる星やつら』を大成功させる。
このアニメの実際の製作を請け負っていたのが、手塚系のスタジオぴえろで、その応援として、同じ手塚系の京都アニメーションの前身が稼働し始める。そして、その後のアニメ業界の大勢の方向を決定づけたのが、84年、この監督だった押井守の映画版オリジナルストーリー『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』。SF色を取り入れた学園コメディで、学園祭の準備が楽しくて仕方ない宇宙人の女の子ラムの夢に世界が取り込まれ、その学園祭前日を延々と毎日、繰り返しているという話。
アニメには、砂絵からストップモーションまで、いろいろな手法があり、セル画式だけでも、『サザエさん』や『ドラえもん』のようなファミリーテレビ番組はもちろん、『ドラゴンボール』や『ワンピース』のような人気マンガを動かしたもの、『ベルサイユのばら』『セーラームーン』のような少女マンガ系、『風の谷のナウシカ』や『AKIRA』のようなディストピアSF、さらにはもっとタイトな大人向けのものもある。
にもかかわらず、京アニは、一貫して主力作品は学園物なのだ。それも、『ビューティフル・ドリーマー』の終わりなき日常というモティーフは、さまざまな作品に反復して登場する。たとえば、07年の『らき☆すた』の最終回第24話は、『BD』と同じ学園祭の前日。エンディングでは、あえて『BD』のテーマ曲を下手くそに歌っている。つまり、この作品では、この回に限らず、終わりなき日常に浸り続けるオタクのファンをあえて挑発するようなトゲがあちこちに隠されていた。しかし、「エンドレスエイト」として知られる09年の『涼宮ハルヒの憂鬱』2期第12話から19話までとなると、延々とほとんど同じ夏休みのエピソードが繰り返され、『BD』に悪酔いしたリメイクのような様相を呈する。
もっと言ってしまえば、京アニという製作会社が、終わりなき学園祭の前日を繰り返しているようなところだった。学園物、高校生のサークル物語、友だち話を作り、終わり無く次回作の公開に追われ続けてきた。内容が似たり寄ったりの繰り返しというだけでなく、そもそも創立から40年、経営者がずっと同じというのも、ある意味、呪われた夢のようだ。天性の善人とはいえ、社長の姿は、『BD』の「夢邪鬼」と重なる。そして、そうであれば、いつか「獏」がやってきて、夢を喰い潰すのは必然だった。
なぜ学園物が当たったのか。なぜそれがアニメの主流となったのか。中学高校は、日本人にとって、最大公約数の共通体験だからだ。入学式、修学旅行、学園祭、卒業式。教室、体育館、登下校。だが、実際のファンの中心は、中高生ではない。もっと上だ。学園物は、この中高の共通体験以上の自分の個人の人生が空っぽな者、いや、イジメや引きこもりで中高の一般的な共通体験さえも持つことができなかった者が、精神的に中高時代に留まり続けるよすがとなってしまっていた。それは、いい年をしたアイドルが、中高生マガイの制服を着て、初恋さえ手が届かなかったようなキモオタのアラサー、アラフォーのファンを誑かすのと似ている。
夢の作り手と買い手。そこに一線があるうちはいい。だが、彼らがいつまでもおとなしく夢の買い手のままの立場でいてくれる、などと思うのは、作り手の傲慢な思い上がりだろう。連中は、もとより学園祭体験を求めている。だからファンなのだ。グッズを買い集め、「聖地」を巡礼し、そして、連中はいつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。それが拒否されれば、連中がどう出るか、わかりそうなものだ。
『恋はデジャブ』(93)という映画がある。これもまた、同じ一日をループで繰り返しながら、主人公が精神的に成長するという物語。この話では、主人公だけでなく、周囲の人々も同じ一日を繰り返す。つまり、主人公の成長を待ってくれる。だが、映画と違って、現実は、そうはいかない。終わりの無い学園物のアニメにうつつを抜かしている間に、同級生は進学し、就職し、結婚し、子供を作り、人生を前に進めていく。記号化されたアニメの主人公は、のび太もカツオも、同じ失敗を繰り返しても、明日には明日がある。しかし、現実の人間は、老いてふけ、体力も気力も失われ、友人も知人も彼を見捨てて去り、支えてくれる親も死んでいく。こういう連中に残された最後の希望は、自分も永遠の夢の学園祭の準備の中に飛び込んで、その仲間になることだけ。
起業する、選挙に立候補する、アイドルやタレント、芸人になる、小説やマンガの賞に応募する、もしくは、大金持ちと結婚する。時代のせいか、本人のせいか、いずれにせよ、人生がうまくいかなかった連中は、その一発逆転を狙う。だが、彼らはあまりに長く、ありもしないふわふわした夢を見させられ過ぎた。だから、一発逆転も、また別の夢。かならず失敗する。そして、最後には逆恨み、逆切れ、周囲を道連れにした自殺テロ。
いくらファンが付き、いくら経営が安定するとしても、偽の夢を売って弱者や敗者を精神的に搾取し続け、自分たち自身もまたその夢の中毒に染まるなどというのは、麻薬の売人以下だ。まずは業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別し、しっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。
まずはこの業界全体、作り手たち自身がいいかげん夢から覚め、ガキの学園祭の前日のような粗製濫造、間に合わせの自転車操業と決別する必要がある。もう学園祭は終わったのだ。休もう。番組も、映画も、穴を開けて休もう。あれだけの京アニの惨事を目の前にしながら、よりタイトな状況で黙々と規定の製作スケジュールをこなそうとしていることこそ、異常だ。こんなときくらい、京アニにかぎらず、業界の関連全社、いったん立ち止まって、仕事や待遇、業界のあり方、物語の方向性、ファンとの関係を見直し、あらためてしっかりと現実にツメを立てて、夢の終わりの大人の物語を示すこそが、同じ悲劇を繰り返さず、すべてを供養することになると思う。
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「京アニは学園ものだけ」という言説に対し、傷痍軍人の女性が戦後を生きる「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の存在意義が改めて燦然と光り輝いているという事実。劇場版も企画されており以降もシリーズ化されればそれはもう「学園ものだけ」という批判にはあたらない、はずだったのだが…。
また京アニオリジナルの源流をたどればMUNTOという異世界ファンタジーもあり、今後何が飛び出すか、その可能性は無限に満ちていた。
日本のオタク作品の大半が確かに学園ものなのは事実であるが、それは世界観の説明が容易であること、多くの視聴者が経験していて没入しやすいこと、といったアドバンテージがある、いわば「手堅い」ジャンルゆえ。
京アニは決して裕福な会社であったとは言い切れないし、またアニメ業界自体流行り廃りが激しく、そんな中で一定の収益を手堅くあげる選択をとっても批判されるいわれはあるまい。
エンドレスエイトがいまだに物議を醸す存在であるのは事実だが、話題性が1期よりは希薄になりがちな2期ハルヒを「語る」上で大きな要素になっているという点では意義のある存在ともいえるのかもしれない。
終わりなき学園祭としてひとつの象徴となった「ビューティフル・ドリーマー」、
うる星やつらが漫画版で約9年、アニメ版で約5年もの長きに渡り「途切れることなく」続いた学園ものであった記憶もあって、ことにアニメに対して古い感性の人間ほど「終わりなき青春」を延々続ける印象もあるが、
近年の製作ペースは1クール12話、月にならせば3ヶ月ほどのスパンが基準で、シリーズが続いても2クールか長くても4クールあたりが殆どで、1年を通して続くことはもはや一部の例のみで、1クールないし2クールベースの途切れ途切れの発表ペースになっている。しかもうる星が3年を超えて学生生活を描き続けたのに対し、妥当な時間経過とともに終わり即ち「卒業」があるのも近年の特徴。
しかもアニメファンは常にコンテンツの新陳代謝にさらされる中で、コンテンツの完結を一区切りとして、同じ制作会社だからといって次に提示される新コンテンツを必ず追い続けてくれるとは限らない。
1期で好評だったシリーズ物の2期ですら、1期以上に人気を得るのは実際難しい。
そしてこの御仁が憂うまでもなくアニメ自体卒業していく人間も確かに存在する。
そういった熾烈なレッドオーシャンで波間の泡のように浮いては消えていくのがアニメ制作会社の非情なる現実。
そんな熾烈な世界にあって健気に誠実に作品を作り続け、また大きな落ち込みもなく良質な作品を供給できる会社を存続させてきた、業界の良心の要石のような会社が京アニであって、それはこういう批判の俎上に上げるべき存在ではそもそもない。
事件前からかねがね用意されていたであろう「ぼくのかんがえた日本アニメ概論」をここぞとばかりに持ってきたのだろうが、世界的に見ても比類なきほど理不尽な、そして悲惨な事件に対して論じるにはあまりにも適さない代物であったと言わざるを得ない。
このケースは犯人の特性も含めて極めて異常であり、安易な因果応報的論説にははめ込めないほどの歪さ不条理さがあるのだ。いやしくも大学教授を名乗る立場にふさわしくない浅薄さであったと言わざるを得ない。
この御仁が禄を食んでいる大阪芸大は早くからサブカルチャーに特化した今やオタク御用達の大学であり、辺境にありながら高い人気を持ち続けているのはそれ故もあるのに、そこからオタク批判をすること自体、あたかも親の庇護を受けながらヤンキーやってるイキリ中学生のようであり甚だ滑稽でしかない。
まぁ一方で確かにアニメ作りすぎなのは事実であるが、それは業界全体レベルの話であり京アニを論って言う話ではない。それは数を作らないと食えないという業界構造にこそ問題があり、是正されるべきものであるのは論を俟たない。だが、かつて勇名を馳せた会社ですら粗製乱造なものも見受けられる中、ひとつひとつの作品を売れる売れないに関わらず本当に誠実に作ってきた会社を取り上げて言うことではない。まして「麻薬の売人以下」とまで蔑まれるいわれはない。
あとアニメうる星はその後綺羅星の如く多くの俊英を生み育てる土壌になり、アニメ産業及びアニメ文化の嚆矢ともなったという意味で意義深い作品であり、とりわけビューティフル・ドリーマーはアニメ制作班の若き野心とオリジナリティに溢れた傑作であったことも付け加えておく。だがそれに内包されている批判精神は今や一周回って定番になってしまい、それをもってアニメ批判オタク批判をするには「今更感」で一杯で陳腐化していることも。
最後に
人的物的、そして心理的にも大きなダメージを負い再起すらも危ぶまれる中、これからの再起を表明した八田社長と京アニには、深い敬意を表しつつ、事件前に比肩する制作体制を整えるのはおそらくまだ時間がかかるであろうとも、その行く末を見守っていきたいし、微力であれ力添えもしていきたいものである。
そして、亡くなられた方のご冥福と、負傷された方のご快癒をお祈りしつつ、件のコラムのような浅はかな批判論を払拭する新たな可能性に満ちた作品群を期待したい。それがいつになろうとも。
【京アニ】大阪芸術大学の純丘曜彰教授「京アニは偽の夢を売って弱者や敗者を搾取…麻薬の売人以下」 放火事件めぐるコラムで
https://news.biglobe.ne.jp/trend/0724/blnews_190724_2479254717.html
放火事件に見舞われた京都アニメーションを「麻薬の売人以下」などと表現したコラム「終わりなき日常の終わり:京アニ放火事件の土壌」に批判の声が相次いでいる。
ビジネスメディア「INSIGHT NOW!」に掲載されたこのコラムは24日、非公開にされた。取材に対して運営会社は、内容に「一部不適切な発言があった」とコメントした。
このコラムは、大阪芸術大学の純丘曜彰教授が「INSIGHT NOW!」に寄稿し、21日に掲載されたもの。
1970年代からのアニメ業界の歩みやトレンドを解説し、京都アニメーションの前身が「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」に携わったことが、同社の後の方向性を決定づけたとしている。
その後の京都アニメーションの作品については、「一貫して主力作品は学園物」で、「らき☆すた」や「涼宮ハルヒの憂鬱」など、「似たり寄ったりの繰り返し」とのこと。
また、学園物は「中高の共通体験以上の自分の個人の人生が空っぽな者、いや、イジメや引きこもりで中高の一般的な共通体験さえも持つことができなかった者が、精神的に中高時代に留まり続けるよすが」だと考察している。
そして、こうした人たちをファンにすると、「いつか一線を越えて、作り手の領域に踏み込んでくる。それが拒否されれば、連中がどう出るか、わかりそうなもの」とのこと。
最後には、京都アニメーションを「偽の夢を売って弱者や敗者を精神的に搾取し続け、自分たち自身も中毒に染まるというのは、麻薬の売人以下だ」と断じた。
このコラムは24日に非公開になった。運営会社は取材に対し、問い合わせが複数寄せられたことから利用規約に照らし合わせて内容を確認したところ、「一部不適切な発言があった」とコメント。
また、純丘教授へ危害が加わることも懸念されたことも非公開にした理由の一つとした。
「INSIGHT NOW!」では、寄稿された記事の確認は掲載後に行っているという。
https://news.biglobe.ne.jp/trend/0724/2479254717/20190724194647294_thum800.jpg
初めに…
この度の一件で負傷されたスタッフの方の心傷が癒えると共に一日も早い回復を、お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたします。また、京アニ作品を観て育った一人としてできる支援をしていきたいと思います。
※注意※
個人が募金や京アニへ今できることを知ってもらいたく記事にしたもので無断転載になるのは重々承知しております。各所様へのこの記事や関連する動画に対する問い合わせは御遠慮ください。
*物販&募金*
・物販
京アニ作品関連のグッズや円盤を買う際はAmazonなどではなく、利率の良いとされる京アニショップ!からお買い求めください。また多くの方が支援の為に購入されることが予想される為、出来れば、ダウンロードコンテンツの購入が業者の方々への手間が省けるのでお勧めです。
http://kyoanishop.com/smartphone/
・募金
国内でも募金を募るところが出てきました。また、個人による寄付の申し出は場合によっては迷惑になりえるかもしれないこと、個人で募金を呼びかけるものも詐欺などに繋がりやすい為(こういう時に多くなるそうです)、必ず社会的な信用がある企業や団体からの募金をお願い致します。
https://www.animate.co.jp/info/278030/
19日(金)より各店で被害にあわれた方々の支援を目的に随時店頭募金を開始。
https://www.pref.tottori.lg.jp/286410.htm
まんがと地域を結びつけ、地域活性化や観光振興に結びつける取り組みを続けている団体。
被害に遭われた京都アニメーションを応援する為、鳥取県庁及び各総合事務所に募金箱を設置。
Sentai Filmworks
https://www.gofundme.com/help-kyoani-heal
募金を募って下さる各所様の簡略的な紹介になります。詳しい募金方法、メッセージに関しましてはリンク先をご確認ください。
※現在、私が確認出来るもののみ紹介しております。他にも募集されているところがありましたらコメントで教えてください。追記で明記します。
*その他*
①
追悼イラストやコスプレよりも正しい情報と募金をの呼びかけを!
亡くなられた方々への追悼もとても大切なことですが、今は残された方々への支援に徹底しましょう。特に物販売上は延焼してしまった建物への現実的な立て直しの力になります。
②
実名公開されてから犯人へ対する過激なツイートがより増したように感じます。あまりに過激な発言は今も続きつつある「ヲタク」に対する偏見的な考えを拡散しかねないです。特にマスメディアはそういう部分を嬉嬉として取り上げる傾向にあります。
冷静に犯人が法のもとに正しく裁かれるのを願いましょう。みんなが言ってるから叩いて良いということはありません。
③
非常にセンシティブな内容を含むツイートが大量に呟かれています。不安定だったり、しんどい気持ちは誰にでも負担にしかならないので落ち着くまでは離れるも大切なことです。そこに罪悪感を感じる必要はありません。心の健康第一にしましょう。
・事件に関して
各国の大使館並びにサブカルチャー方面以外の公的な団体や著名人の方々が哀悼の意を表しているのは、戦後最悪レベルの放火殺人事件だからです。過去の事件と比べるのは御法度ですが、戦前の津山事件や97年のサリン事件よりも多くの方が犠牲となり亡くなっています。
京都アニメーションだから騒いでいるのではありません。場所が学校、幼稚園、スーパー…私たちの普段の生活に関係ある場所でもこのような無残極まりない事件が起きたら様々な場所から哀悼の意や言葉が出るでしょう。
・関係者各位の詮索はしないこと
京アニに務めている方の身内の方が安否不明者リストをガセで流されていたことに困惑してRTを止めるよう呼びかけているツイートを見かけました。事件の詳細として気になるかもしれませんが、公式の発表があるまでは無事を祈るのみにしましょう。また、誰が亡くなられたかの詮索もご遺族の気持ちを傷付けることに繋がりかねないです。こちらも公式の発表があるまで待ち、亡くなられた方へのご冥福をお祈りしましょう。
加害者家族に関しても、罪を背負うべきは犯人本人で御家族には嫌がらせをするような真似や誹謗中傷の書き込みは直ちに止めてください。加害者に対して含め、私刑は犯罪です。私達は被害に遭われた方々への支援しか出来ません。
最後に…
京都アニメーションは他で言われている通り、日本のアニメ史及びサブカルチャー史には欠かせない作品を排出したスタジオであり、今も高品質の作品を送り出しているとても偉大なスタジオです。
京アニは自分が思っていた以上に歴史が古く、タツノコプロやぴえろの作品にも関わっていることを今回の一件で知りました。その古くは遡ること自分の親世代のアニメである「うる星やつら」に始まり、「 機動警察パトレイバー(初期OVA)」、20代半ばの私と同じ世代なら、今も続いてる「クレヨンしんちゃん」、「劇場版ポケットモンスター」、紅の豚などのジブリ作品にも携わっています。ハルヒ、けいおんだけではありません。
誰かが観たアニメに必ず関わっていると言えるのが京アニです。無関係と言える人の方が少ないかと思います。
なので、京アニの携わった数々の作品のどれか一つでも出会い、刺激を与えてもらった人がいたならば、少額でも良いので力になっていただけたら…と思います。